もはやどこで拾ったかすら覚えていないガラクタが足元にひしめいている。
魔法の実験で危険な薬品を扱うので換気はしっかりしているつもりだが、ロクに掃除をしていないので部屋は埃っぽい。
ゴホリ、と咳が出る。
机の上の魔導書に目を戻す。字の上を目が滑って頭に入らない。頭がぼんやりとする。
気持ちを入れ替えようと深呼吸しようとしたが、埃が吸ってしまったのかむせ込んでしまう。
ゴホリゴホリ、と咳が止まらない。両手で口を押さえる。
最後に大きな咳が出て、咳は一旦止まった。
ひゅうひゅうと喉が鳴る。
私は両手に目を向けた。
歯が抜けていた。
動揺でまた咳き込んでしまう。
両手に乗った歯の数が増えていた。残った歯もぐらついている気がする。今まで全くそんなことは無かったのにどうして。
嫌だ、という嫌悪感と気持ち悪さがないまぜになったものが胃の中をぐるぐると回る。
歯がぐらついているのを舌で再び確認する。
どれくらい抜けてしまったんだろうと確かめるうちに、残った歯も抜けてしまった。
歯を吐き出す。両手には沢山の歯が乗っている。揺らすとじゃらじゃらと音がした。舌で口内を確かめると、口の中には歯が一本も無くなっていた。
どうしようという焦燥で胸が苦しくなる。
永遠亭に行けば治せるだろうか。私は部屋を飛び出して廊下を歩いた。所狭しと拾ったものが並ぶ廊下を跨ぎながら二つ先のドアを開けた。
「歯が抜けてしまったのね」
中には八意永琳がいた。椅子に座っている。
私は頷いた。
「歯が抜けるのは大きなストレスの現れ。家族についての何らかの徴とする占いもあるわね」
「そんなことはどうでも良い。どうにかできないのか」
私は彼女に詰め寄った。
「生やすしかないわね」
永琳が私の歯を持っていた。彼女はそれを親指と人差指で挟み、潰した。歯は白い粉になり、辺りに舞い散る。霧になったその粉は、唇をすり抜け私の口の中に入ってきた。
舌に硬い感触が当たる。前歯が生えてきたのだ。
私は彼女に頭を下げて礼を言った。
次々と歯が生えていく。
一時はどうなることかと思ったが、本当に良かった。
「ん?」
舌でその感触を確かめていると、違和感を抱いた。口の内側の上顎や下顎の普通では歯が生えていないところまで歯が生え始めたのだ。
カチカチと歯同士がぶつかる感触がする。舌にも歯が生えてきたようだった。
何なんだこれは。気持ち悪い。
口の中が歯まみれになっていく。
私は気持ち悪さを振り払うようにその場に倒れ込んだ。自室のベッドの布団にくるまって頭を振る。
気がつけば呼吸もうまく出来ない。喉にも歯が生え始めたようだった。
私は歯を引き抜こうとした。いくつかボロボロと抜け落ちたが焼け石に水だった。それを上回る速度で歯が生えていく。
やがて歯は唇、口周り、頰や首元に広がっていきーーーー
霧雨魔理沙はゆっくりと息を吐いて、吸った。
目が暗闇に慣れていくにしたがって、いつもの天井が見えてきた。
肌着は汗でぐっしょりとしている。着替えようかと悩んだが、部屋が暗いところを見るとまだまだ夜のようなので、もう一眠りする方を彼女は選んだ。
閉め忘れたカーテンから差し込む月明かりから逃げる様に、枕に顔を埋めた。はて、カーテンは閉めたはずだが、と朧げな意識の中で魔理沙は訝しんだ。
何か恐ろしい夢を見た気がするが、内容が一切思い出せなかった。夢の内容は徐々に思い出せなくなるものだが、最初から何も覚えていないというのは珍しい。どんな夢だったんだろうと魔理沙は独りごちた。
「随分うなされてましたねぇ」
「誰だ!」
魔理沙は枕元に置いてあった八卦炉を構え、魔法でランプに火を入れる。
「何だお前か……」
ランプはベッドの端に腰掛けるドレミー・スイートの姿を照らし出した。
彼女はにっこりと笑う。
「魔理沙さんの悪夢は私が食べてしまいました。感謝しても良いんですよ?」
「……人様のベッドに勝手に座りこんだ不法侵入者に礼を言う奴はいないと思うけどな」
これは失礼、と言ってもドレミーは立ち上がり仰々しくスカートの端をつまんで見せた。小馬鹿にされたようで、魔理沙はあまり良い気分ではなかった。
そうだ、と魔理沙はハッとした。そして彼女は枕を両手でドレミーに突き出して苦情を入れた。
「お前の枕使ってるのに悪夢を見たぞ!」
魔理沙が両手で持っているのはドレミーが通信販売している枕だった。
「安眠枕と言ってもふかふかなだけの普通の枕ですよ……悪夢を見るときはそりゃ見るでしょう」
ドレミーはため息をついた。
「それより日頃不摂生な生活をしてる方が悪夢の原因になってるんじゃないですか?」
「むう……」
冷静に諭されてしまい、魔理沙は怯んだ。一応悪夢を食べてくれた相手に対し突っかかるのは少し恥知らずだったかもしれない。
まあふかふかの枕に罪はないか、と魔理沙は枕を抱え込んだ。
「悪かった」
ドレミーは目を細めて笑った。
瞼から覗く彼女の赤い瞳を見て、魔理沙はガラス細工のようだなと思った。
「長居もなんですし、失礼しますね」
いつの間にか空いていた窓から風が吹き込み、カーテンが膨れ上がる。カーテンはドレミーの姿を包み込んだ。風が収まりカーテンが元に戻ると彼女の姿は消えていた。
「……」
魔理沙はベッドに座ったままぼうっとしていた。
まだまだ夜なので眠ってしまいたいがが、すっかり汗でびっしょりになった肌着を替えてしまいたくもある。
もう一眠りするかは置いておいて、ひとまず肌着は着替えよう。風邪を引いてしまうかもしれない。
そう思い彼女はベッドから立ち上がった。
ちゃぶ台を挟んで霊夢が座っていた。
縁側の向こう側には石畳が広がり、その先に鳥居がある。
「で、おかしいのはだ、全くその夢を覚えていないんだ。あの獏に食べてもらったから大丈夫だとは思うんだが……」
私がそう言うと、霊夢はお茶を啜ってから湯飲みをちゃぶ台の上に置いた。
そして眉間にしわを寄せながら話し始めた。
「あまりあの獏を信用するのはどうかと思うけどね。所詮あいつも妖怪よ」
「そりゃ分かってるさ。でも前の都市伝説の異変でも解決に向けて動いてたらしいし……」
私の言葉を切って霊夢が口を開いた。
「そりゃ利害が一致すれば異変解決に手を貸してくれることもあるわ。でも人々の夢を守る存在と考えるのは早計よ。あれは夢の支配者とは名乗っても守護者とは言ってない」
根底にある価値観が異なるのだから、理解したような気になるのは一番危ない、彼女と続けた。そしてまたお茶を啜る。
大通りの方から聞こえる人々が楽しそうに話す声が、何だか酷く遠く感じた。外を見ても塀に遮られて、松が植えられ砂利が敷き詰められた庭しか見えない。
「まったく危ういわね……」
彼女がため息をつく。
「妖怪と人間は全く異なる生き物なの。なるべく関わらないようにしなさい」
私は叱られた子供のように黙って頷いた。
気がつけば私は正座で座っていた。
「たとえその血が半分だとしても一緒よ」
彼女は畳についてしまうほど長い髪の毛を弄びながら言う。私はその仕草を見て、彼女が苛ついているのがわかった。
「何故言うことを聞かないの。あの半妖とは関わるなって言ったでしょうに。あの人は認めても私は認めて無いわ」
「でもお母様……」
「私の話を聞きなさい!」
私が口を開こうとすると、それを遮って彼女はぴしゃりと言い放ち激昂する。私は身が縮んだ思いだった。
お母様はまたもう一つ大きくため息をついた。
「どうしていうことを聞かないの……貴女は霧雨家に相応しい立ち振る舞いが必要だというのに……もしかしてまた魔法なんかに手を出していないでしょうね」
爪を噛みながら、彼女は私を睨みつける。その姿が何だか妙に大きく感じる。
気がつけば彼女の髪は部屋全体に広がっていた。髪に覆われて、畳がほとんど見えなくなっていく。
その髪は、私の持ってない、黒くて綺麗な髪だ。
「ああ、またお義母様に叱られる。お前は何なの……私を苦しめたいの?」
私は震えながら首を小さく横に振った。いつ叩かれても良いように、ぎゅっと目をつぶって身を固くした。
恐る恐る目を開くと、彼女はもう私の方を向いていなかった。自分の髪を握りしめながらぶつぶつと何かを話している。
「私たち夫婦からこんな髪の色の子供が生まれるわけないじゃない……そうよ、お前は……」
その先を聞いてはいけない。
何故だかそう思った。
私は耳を塞いで走り出した。部屋中に広がった髪に足をもつらせながら走り、押し入れの中へ飛び込んだ。
ここなら安全だ。
中はランプが点っており、椅子に香霖が座っていた。何か難しそうな本を読んでいる。
香霖は私に気づき、本から顔を上げた。
「酷い顔だぜ。またあの人に叱られたのか?」
彼は苦虫を噛み潰したような顔でそう言い、私は小さく頷いた。
何で香霖は昔の口調なんだろうか。その喋り方は私が真似るからとやめたはずなのに。
そんな違和感を一瞬抱いたが、それはすぐに霧散した。
彼は本を閉じて立ち上がった。暖簾を下げに、店の出口に向かっていくようだ。
その瞬間、私は彼が霧雨道具店を出て行ったっきり戻ってこないのではという不安に駆られた。
「香霖はうちを出てったりしないよね……?」
「……」
彼は困ったように首を傾げた。そしてゆっくりと口を開いた。
「僕はどこへも行かないさ」
眠っている魔理沙の汗ばんだ額にドレミーが口付ける。
魔理沙は桃色の燐光に包まれる。やがてその燐光は少しずつ薄くなっていく。そして光は完全に消えた。
ふう、と彼女は一息ついた。
「うーんやはり美味しくない……失敗ですね」
ドレミーはハンカチで口を拭った。
「さて」
魔理沙を起こさないように、ドレミーはそっと枕を引き抜いた。枕のフチをつまんで引っ張ると、一本の糸がするすると抜けていく。
枕の口が開き、彼女はその中に手を突っ込んだ。
何かを掴み、ドレミーは枕の中から手を引き抜いた。
「夢は天然物でないとダメみたいですねぇ。紙粘土みたいな味がします」
小声でぼやきながら、ドレミーは枕から手を引き抜いた。
その手には、人間の歯と髪の毛がぐちゃぐちゃになったものが握られていた。髪の毛は女性のものと思われる長さだ。
排水溝を思わせるようなものが枕の中に入っていたのだ。
「にしても夢の記憶の残滓すら残らないということは……」
植え付けた人間に悪影響があるかもしれないな、とドレミーは続けてぼやいた。
花の蜜を吸ったところで、花が枯れることはない。しかし植え付けた夢を収穫することは、花を根っこごと引き抜くような行為なのかもしれない。とすれば土台が悪くなってしまう恐れがある。
人一人潰して得られるのが不味い夢の安定供給では割に合わないだろう。ドレミーはため息をついた。彼女の試みは失敗だった。
ふうっ、と彼女が息を吐くと、先ほど引き抜いた糸が息に乗って飛んでいく。糸は枕に向かって飛んでいき、それを再び縫い合わせる。枕は元どおりになった。
ドレミーは枕を魔理沙の頭の横に置いた。
「香霖……」
うなされていた魔理沙の唇から、寝言が溢れる。
そんな魔理沙にドレミーは微笑みかけた。
「良い夢を、魔理沙さん」
その瞳は何も写していなかった。
まるでガラス細工で人間の眼球を模しただけのような、無機質な瞳だった。
魔法の実験で危険な薬品を扱うので換気はしっかりしているつもりだが、ロクに掃除をしていないので部屋は埃っぽい。
ゴホリ、と咳が出る。
机の上の魔導書に目を戻す。字の上を目が滑って頭に入らない。頭がぼんやりとする。
気持ちを入れ替えようと深呼吸しようとしたが、埃が吸ってしまったのかむせ込んでしまう。
ゴホリゴホリ、と咳が止まらない。両手で口を押さえる。
最後に大きな咳が出て、咳は一旦止まった。
ひゅうひゅうと喉が鳴る。
私は両手に目を向けた。
歯が抜けていた。
動揺でまた咳き込んでしまう。
両手に乗った歯の数が増えていた。残った歯もぐらついている気がする。今まで全くそんなことは無かったのにどうして。
嫌だ、という嫌悪感と気持ち悪さがないまぜになったものが胃の中をぐるぐると回る。
歯がぐらついているのを舌で再び確認する。
どれくらい抜けてしまったんだろうと確かめるうちに、残った歯も抜けてしまった。
歯を吐き出す。両手には沢山の歯が乗っている。揺らすとじゃらじゃらと音がした。舌で口内を確かめると、口の中には歯が一本も無くなっていた。
どうしようという焦燥で胸が苦しくなる。
永遠亭に行けば治せるだろうか。私は部屋を飛び出して廊下を歩いた。所狭しと拾ったものが並ぶ廊下を跨ぎながら二つ先のドアを開けた。
「歯が抜けてしまったのね」
中には八意永琳がいた。椅子に座っている。
私は頷いた。
「歯が抜けるのは大きなストレスの現れ。家族についての何らかの徴とする占いもあるわね」
「そんなことはどうでも良い。どうにかできないのか」
私は彼女に詰め寄った。
「生やすしかないわね」
永琳が私の歯を持っていた。彼女はそれを親指と人差指で挟み、潰した。歯は白い粉になり、辺りに舞い散る。霧になったその粉は、唇をすり抜け私の口の中に入ってきた。
舌に硬い感触が当たる。前歯が生えてきたのだ。
私は彼女に頭を下げて礼を言った。
次々と歯が生えていく。
一時はどうなることかと思ったが、本当に良かった。
「ん?」
舌でその感触を確かめていると、違和感を抱いた。口の内側の上顎や下顎の普通では歯が生えていないところまで歯が生え始めたのだ。
カチカチと歯同士がぶつかる感触がする。舌にも歯が生えてきたようだった。
何なんだこれは。気持ち悪い。
口の中が歯まみれになっていく。
私は気持ち悪さを振り払うようにその場に倒れ込んだ。自室のベッドの布団にくるまって頭を振る。
気がつけば呼吸もうまく出来ない。喉にも歯が生え始めたようだった。
私は歯を引き抜こうとした。いくつかボロボロと抜け落ちたが焼け石に水だった。それを上回る速度で歯が生えていく。
やがて歯は唇、口周り、頰や首元に広がっていきーーーー
霧雨魔理沙はゆっくりと息を吐いて、吸った。
目が暗闇に慣れていくにしたがって、いつもの天井が見えてきた。
肌着は汗でぐっしょりとしている。着替えようかと悩んだが、部屋が暗いところを見るとまだまだ夜のようなので、もう一眠りする方を彼女は選んだ。
閉め忘れたカーテンから差し込む月明かりから逃げる様に、枕に顔を埋めた。はて、カーテンは閉めたはずだが、と朧げな意識の中で魔理沙は訝しんだ。
何か恐ろしい夢を見た気がするが、内容が一切思い出せなかった。夢の内容は徐々に思い出せなくなるものだが、最初から何も覚えていないというのは珍しい。どんな夢だったんだろうと魔理沙は独りごちた。
「随分うなされてましたねぇ」
「誰だ!」
魔理沙は枕元に置いてあった八卦炉を構え、魔法でランプに火を入れる。
「何だお前か……」
ランプはベッドの端に腰掛けるドレミー・スイートの姿を照らし出した。
彼女はにっこりと笑う。
「魔理沙さんの悪夢は私が食べてしまいました。感謝しても良いんですよ?」
「……人様のベッドに勝手に座りこんだ不法侵入者に礼を言う奴はいないと思うけどな」
これは失礼、と言ってもドレミーは立ち上がり仰々しくスカートの端をつまんで見せた。小馬鹿にされたようで、魔理沙はあまり良い気分ではなかった。
そうだ、と魔理沙はハッとした。そして彼女は枕を両手でドレミーに突き出して苦情を入れた。
「お前の枕使ってるのに悪夢を見たぞ!」
魔理沙が両手で持っているのはドレミーが通信販売している枕だった。
「安眠枕と言ってもふかふかなだけの普通の枕ですよ……悪夢を見るときはそりゃ見るでしょう」
ドレミーはため息をついた。
「それより日頃不摂生な生活をしてる方が悪夢の原因になってるんじゃないですか?」
「むう……」
冷静に諭されてしまい、魔理沙は怯んだ。一応悪夢を食べてくれた相手に対し突っかかるのは少し恥知らずだったかもしれない。
まあふかふかの枕に罪はないか、と魔理沙は枕を抱え込んだ。
「悪かった」
ドレミーは目を細めて笑った。
瞼から覗く彼女の赤い瞳を見て、魔理沙はガラス細工のようだなと思った。
「長居もなんですし、失礼しますね」
いつの間にか空いていた窓から風が吹き込み、カーテンが膨れ上がる。カーテンはドレミーの姿を包み込んだ。風が収まりカーテンが元に戻ると彼女の姿は消えていた。
「……」
魔理沙はベッドに座ったままぼうっとしていた。
まだまだ夜なので眠ってしまいたいがが、すっかり汗でびっしょりになった肌着を替えてしまいたくもある。
もう一眠りするかは置いておいて、ひとまず肌着は着替えよう。風邪を引いてしまうかもしれない。
そう思い彼女はベッドから立ち上がった。
ちゃぶ台を挟んで霊夢が座っていた。
縁側の向こう側には石畳が広がり、その先に鳥居がある。
「で、おかしいのはだ、全くその夢を覚えていないんだ。あの獏に食べてもらったから大丈夫だとは思うんだが……」
私がそう言うと、霊夢はお茶を啜ってから湯飲みをちゃぶ台の上に置いた。
そして眉間にしわを寄せながら話し始めた。
「あまりあの獏を信用するのはどうかと思うけどね。所詮あいつも妖怪よ」
「そりゃ分かってるさ。でも前の都市伝説の異変でも解決に向けて動いてたらしいし……」
私の言葉を切って霊夢が口を開いた。
「そりゃ利害が一致すれば異変解決に手を貸してくれることもあるわ。でも人々の夢を守る存在と考えるのは早計よ。あれは夢の支配者とは名乗っても守護者とは言ってない」
根底にある価値観が異なるのだから、理解したような気になるのは一番危ない、彼女と続けた。そしてまたお茶を啜る。
大通りの方から聞こえる人々が楽しそうに話す声が、何だか酷く遠く感じた。外を見ても塀に遮られて、松が植えられ砂利が敷き詰められた庭しか見えない。
「まったく危ういわね……」
彼女がため息をつく。
「妖怪と人間は全く異なる生き物なの。なるべく関わらないようにしなさい」
私は叱られた子供のように黙って頷いた。
気がつけば私は正座で座っていた。
「たとえその血が半分だとしても一緒よ」
彼女は畳についてしまうほど長い髪の毛を弄びながら言う。私はその仕草を見て、彼女が苛ついているのがわかった。
「何故言うことを聞かないの。あの半妖とは関わるなって言ったでしょうに。あの人は認めても私は認めて無いわ」
「でもお母様……」
「私の話を聞きなさい!」
私が口を開こうとすると、それを遮って彼女はぴしゃりと言い放ち激昂する。私は身が縮んだ思いだった。
お母様はまたもう一つ大きくため息をついた。
「どうしていうことを聞かないの……貴女は霧雨家に相応しい立ち振る舞いが必要だというのに……もしかしてまた魔法なんかに手を出していないでしょうね」
爪を噛みながら、彼女は私を睨みつける。その姿が何だか妙に大きく感じる。
気がつけば彼女の髪は部屋全体に広がっていた。髪に覆われて、畳がほとんど見えなくなっていく。
その髪は、私の持ってない、黒くて綺麗な髪だ。
「ああ、またお義母様に叱られる。お前は何なの……私を苦しめたいの?」
私は震えながら首を小さく横に振った。いつ叩かれても良いように、ぎゅっと目をつぶって身を固くした。
恐る恐る目を開くと、彼女はもう私の方を向いていなかった。自分の髪を握りしめながらぶつぶつと何かを話している。
「私たち夫婦からこんな髪の色の子供が生まれるわけないじゃない……そうよ、お前は……」
その先を聞いてはいけない。
何故だかそう思った。
私は耳を塞いで走り出した。部屋中に広がった髪に足をもつらせながら走り、押し入れの中へ飛び込んだ。
ここなら安全だ。
中はランプが点っており、椅子に香霖が座っていた。何か難しそうな本を読んでいる。
香霖は私に気づき、本から顔を上げた。
「酷い顔だぜ。またあの人に叱られたのか?」
彼は苦虫を噛み潰したような顔でそう言い、私は小さく頷いた。
何で香霖は昔の口調なんだろうか。その喋り方は私が真似るからとやめたはずなのに。
そんな違和感を一瞬抱いたが、それはすぐに霧散した。
彼は本を閉じて立ち上がった。暖簾を下げに、店の出口に向かっていくようだ。
その瞬間、私は彼が霧雨道具店を出て行ったっきり戻ってこないのではという不安に駆られた。
「香霖はうちを出てったりしないよね……?」
「……」
彼は困ったように首を傾げた。そしてゆっくりと口を開いた。
「僕はどこへも行かないさ」
眠っている魔理沙の汗ばんだ額にドレミーが口付ける。
魔理沙は桃色の燐光に包まれる。やがてその燐光は少しずつ薄くなっていく。そして光は完全に消えた。
ふう、と彼女は一息ついた。
「うーんやはり美味しくない……失敗ですね」
ドレミーはハンカチで口を拭った。
「さて」
魔理沙を起こさないように、ドレミーはそっと枕を引き抜いた。枕のフチをつまんで引っ張ると、一本の糸がするすると抜けていく。
枕の口が開き、彼女はその中に手を突っ込んだ。
何かを掴み、ドレミーは枕の中から手を引き抜いた。
「夢は天然物でないとダメみたいですねぇ。紙粘土みたいな味がします」
小声でぼやきながら、ドレミーは枕から手を引き抜いた。
その手には、人間の歯と髪の毛がぐちゃぐちゃになったものが握られていた。髪の毛は女性のものと思われる長さだ。
排水溝を思わせるようなものが枕の中に入っていたのだ。
「にしても夢の記憶の残滓すら残らないということは……」
植え付けた人間に悪影響があるかもしれないな、とドレミーは続けてぼやいた。
花の蜜を吸ったところで、花が枯れることはない。しかし植え付けた夢を収穫することは、花を根っこごと引き抜くような行為なのかもしれない。とすれば土台が悪くなってしまう恐れがある。
人一人潰して得られるのが不味い夢の安定供給では割に合わないだろう。ドレミーはため息をついた。彼女の試みは失敗だった。
ふうっ、と彼女が息を吐くと、先ほど引き抜いた糸が息に乗って飛んでいく。糸は枕に向かって飛んでいき、それを再び縫い合わせる。枕は元どおりになった。
ドレミーは枕を魔理沙の頭の横に置いた。
「香霖……」
うなされていた魔理沙の唇から、寝言が溢れる。
そんな魔理沙にドレミーは微笑みかけた。
「良い夢を、魔理沙さん」
その瞳は何も写していなかった。
まるでガラス細工で人間の眼球を模しただけのような、無機質な瞳だった。
気持ち悪さとうすら寒さのよく描かれた厭な作品だと思います。お見事でした。
本当に夢見が悪そう
ドレミ―が妖怪妖怪しててすごくよかったです
とても気持ち悪かったです
ドレミーさんこわい