ルーミアが川で身体を洗っている所を見ると、慧音は少しだけ額にしわを寄せてしまいます。
それは決して、ルーミアが嫌いだからではありません。
むしろ、慧音は頭がかたく、更におかたい仕事をしていると自負しておりますので、
ルーミアのような能天気で自由奔放な性格を好み、羨ましく思う節がありました。
肩のこる仕事をしていても、ルーミアを見ることで少しの癒やしを感じられる。
更に、ルーミアもルーミアで、慧音のことを「行儀よくしていればごはんをくれる人」などと思っているので、二人の関係はなかなかに良好なのでした。
ではなぜ慧音が川にいるルーミアを見て額にしわを寄せるかとう言うと、それはルーミアの食べるたまのごちそうに原因があります。
ルーミアは妖怪ですので基本的に食事は要りませんが、やはり人食い妖怪たるもの、人間を食べることを好んでいます。
しかし欲望のあまり、そのあたりにいる人間を捕まえては食べ、捕まえては食べをしては巫女にこてんぱんにされてしまうので、ルーミアは自由に人間を食べられません。
ではどうするかというと、それは妖怪と人間の住む幻想郷、ちゃんと人間を食べられるシステムがあるのです。
食べられる用の人間、それは外の世界に必要とされなくなった人間です。
それらは、妖怪の賢者たちによって一定量運ばれ、妖怪たちに合わせて平等に配られます。
それが幻想郷が幻想郷たるゆえん、妖怪のための理想郷ならではのシステムです。
ルーミアのような小さな少女の形をした妖怪ですと、食べる量もそれに見合ったものになります。
それはちょうど、捨てられたばかりの赤子。もしくは捨てられた子ども等です。
幻想郷の人食い妖怪たちは、いつもその「例の日」を楽しみにしています。
もちろん、ルーミアもそのたまのごちそうを楽しみにしている妖怪の一人です。
特に人間は赤子が一番美味しいので、ルーミアは毎日その日を待ち遠しく思っています。
そうしてやっとその日が来た時、ルーミアはそのごちそうであるナマの人間を美味しく踊り食いした後に決まって川へ向かうのです。
ナマの人間はとても新鮮で活きが良く、食べる際にはどうしても服や体が汚れてしまうので、川で洗わなければいけなくなるからです。
慧音は人間と妖怪のハーフですので、人間を食べる妖怪に理解はあるものの、川でルーミアが身体を洗っている所をみると、ああ、また人間が食べられたのか、と想像してしまい額にしわを寄せてしまうのです。
いや、それだけでしたら慧音は額にしわを寄せないかも知れません。
慧音は前にルーミアがぽつりとつぶやいた、こんな独り言を聞いたことがありました。
「人は美味しいけど、汚れちゃうのが嫌だな。どうせ食べられるために生きてるんなら、もっと食べられやすくなってればいいのに」
その時のルーミアの目は、人をただの食糧としか見ていない、人食い妖怪の目をしていました。
慧音は常々、こう考えていました。
妖怪、人間など関係なく、生き物は他の命を奪って生きている。
なので、命を奪って生かせてもらう食事というものは、少しでも有難がらないといけないんだ。
人間と妖怪のハーフだからこそ、慧音はこの思いが強いのかもしれません。
もちろん、おせっかいかもしれません。
ですが、慧音はルーミアに食育、つまり食事の教育が必要だと考えました。
それは慧音が教育者であるゆえの結論です。
「はあ、さてどうしたものでしょう」
寺子屋の子どもたちには常々教えていることですが、妖怪にそれを教えるのは初めてです。
どういった方法で教えるべきかと考えていました。
「先生にも悩みってあるものなんだ」
「先生にも悩みはあるものなんですよ。うーい」
大きな三角定規と分度器を剣と盾に見立てて遊ぶことを開発した河城にとりは、寺子屋で人気の先生の一人です。
今日は算数を教えに寺子屋に来ていました。
にとりは後ろから慧音の肩を揉んでやり、慧音を「うーい」と唸らせることに成功して満足げです。
「こんなに固くして。固くするのは頭だけにしときなよ」
「私も好きで固くしているわけではありません。色々と悩みがあるのです」
「ふうん、ところでこれ買わない?」
「何がところでかはわかりませんが……なんですか、それは」
にとりが持っていたのは手のひらサイズきゅうりでした。
手に持ってみると、なにやら電気の匂いがしました。
更に文字が書かれた画面、いくつかのボタンもついています。
「最近はやらせようとしてる知育玩具だよ。ううん、学習玩具とも言うかな」
「はあ」
「スタートボタンを押してみて」
「うわ、鳴きましたよ。これは……かっぱ、ですか? 漫画に出てくるかっぱですね」
「そう。可愛いでしょ。たまごっ……違う。『かっぱっち』っていうんだ」
にとりは自慢そうに薄い胸を張り上げます。
「かっぱっち。妙に可愛い名前のおもちゃですね」
「やることは簡単。このかっぱを育てるだけ。ごはんをあげたりしつけをしたり、通信で友達と戦ったりプレゼント交換したり。大切に育ててやれば長生きするから、ペットを飼えない家でもおすすめ」
「それは、まあ」
「どう、買わない? もう何人かの子供たちは買ってくれてるから通信相手もいっぱい居るよ」
「子供たちにも売りつけてるんですか?」
「そんな人聞き悪い言い方しないで。もちろん親御さんにちゃんと許可は取ってるよ。。私だってこの場は尊いと思っているんだから」
「どうですかね」
「盟友と触れ合うことが出来て商売が出来て。子どもたちは素直だから私達の知識をどんどん吸収してくれる。クリエイターとして楽しくて仕方がないよ」
「まあ、貴方の評判は聞いていますので良いとしましょう」
「じゃあ買ってくれない?」
「そうですね。おいくらですか?」
「え、買うのまじで? やったー! ええとね……」
まさか本当に買うとは思っていなかったにとりは大いに喜び、値段をどれだけ釣り上げようかと、親指と人差し指でブイの字を作りあごに乗せて考え始めました。
もっとも、慧音がそれを見逃すはずなく、交渉に交渉を重ね定価の二割引で『かっぱっち』を購入したのでした。
「かっぱっち?」
ルーミアは手のひらにおさまるサイズのきゅうり型の機械を物珍しそうに持ちあげます。
「突然何かをくれるっていうからごはんかなって思ったんだけど」
「それよりも良いものですよ」
「ふうん?」
慧音はルーミアにかっぱっちの事を説明しました。
ごはんをあげたり、遊んであげたり、時には厳しくしつけをして、たまには友達とプレゼントを交換したり。
ルーミアは慧音の説明を黙って聞いていました。
「いりませんか?」
「まあ、くれるならもらうよ。どうも」
ルーミアはそういと、闇に姿を隠して飛んでいってしまいました。
そんなまんまるなふわふわ浮いている闇を見て、慧音は期待しました。
擬似的にも生き物を育てること。
その事でもしかしたら生を尊重し、食べ物を有難がるかも知れないと。
いただきますが言えるルーミアを想像し、慧音は消えていなくなるまで闇を見つめ続けました。
一週間ほど経ったころでしょうか。
慧音のもとへルーミアが訪ねてきました。
一体どんな要件だと聞いた所、ルーミアはお団子がいくつか入った袋を慧音へ投げて、お礼を述べ始めました。
「これ楽しいよ、ありがとう。かっぱがごはん食べる所眺めてるだけで楽しいし、たまに忘れちゃうとピーピーないて可愛いの」
慧音はその報告を聞き、手を叩いて喜びました。
ルーミアがかっぱっちを楽しんでいる事も嬉しいですが、なによりわざわざお礼に来てくれた事も嬉しいのです。
頭を撫でてくる慧音にされるがままのルーミアは、なぜ自分が撫でられているのかわかりませんでしたが、とにかく慧音が嬉しそうだったので、頭にクエスチョンマークを浮かべながらニコニコとするのでした。
それからしばらく、ルーミアの姿が里の中で見かけられました。
それは、慧音がかっぱっちには通信機能がついていることを説明したからです。
かっぱっちを持っている者が近くに居ると、通信でプレゼント交換が出来たり、一緒にごはんを食べたり、熱いバトルを繰り広げることが出来ます。
慧音は、このまま上手くいけば、ルーミアは里の人間とも関わりを持ち、人間をただの食糧だと思わなくなるのではないか、とも考始めました。
里の人間は始め、人食い妖怪のルーミアを恐れていました。
ですが、寺子屋の先生とも知り合いな事や見た目が小さな少女であること、更にかっぱっちを持っていることで意外にも早く里の子供たちと仲良くなりはじめました。
慧音は里で見かける度にルーミアに話し掛けましたが、ルーミアはその度にかっぱっちを高く掲げ
「ほら見て。うちのかっぱ、こんなに育った」
「この間十連勝したんだ。うちの子に敵は居ないね」
「レアアイテムが手に入って人気者になったんだよ」
など、嬉しそうに報告してくるのでした。
更にルーミアは、里に来たついでに今まで持ってても使わなかったお金を使うことで美味しいものを食べられることを知りました。
よく食べよく飲みお金を落としていくものですから、里の大人もルーミアを人食い妖怪としてみるのではなく、上質な客として扱うようになりました。
慧音はそんなルーミアを見て、うんうんと頷きました。
そんな、順調な日々も長くは続きませんでした。
それは唐突にやってきたのです。
慧音が仕事を終え、ご飯を食べ、明日に備えて鏡の前で髪をすいている時のことです。
家の戸を大きく叩く者がおりました。
こんなに遅くに、と思い外に出てみると、そこにはルーミアがうつむいて立っていました。
慧音はそのうつむく顔を見て、ついにその時が来たか、と察しました。
大切そうに包んだ、ルーミアの小さな両手には、かっぱっちが入っておりました。
「こんな遅くに、どうしたのですか」
それは少し意地悪な発言だとも感じました。
ルーミアはしばらく何も言いませんでしたが、しばらくするとおもむろに顔をあげて、抑揚のない声でこう言いました。
「この子、この子ね。し、死んじゃった」
ルーミアは慧音の懐へ駆け寄りました。
慧音はルーミアをそっと抱いてやり、はじめ、ルーミアにかっぱっちを渡した時に言おうと決めていたことをゆっくりと、ゆっくりと話し始めました。
「きっとこの子は楽しかったと思います。貴方に大切に育てられたのですから」
「うん」
「そしてルーミア、これでわかってくれたと思います。生き物というのは、長い時間をかけて育てても、死ぬときはあっという間なんです」
「うん」
「貴方がただの食べ物だと思っていた人間も、このかっぱの子の様に、きっと、大切に育てられてきたはずです」
「そうなの?」
「同じ生き物でしょう」
「……うん」
「ルーミア、最近里によく来ていましたね。貴方は最近関わった、里の人達を食べるときにも『もっと食べられやすくなってればいいのに』といいますか?」
慧音の懐で、ルーミアは首を小さく横に振っています。
「人間を食べるのが貴方の本分です。食べるなと言うのは間違っています。ですが、私は貴方にもう少し、食べ物に対して、生に対しての意識を持ってほしかったのです。誰かは誰かに生かされている、というのは少し大げさかもしれませんが、大きく間違ってはいないと私は思います」
ルーミアは、慧音の懐の中で、今度は首を縦に振りました。
慧音はそれ以上は何も言わず、ルーミアが自分から離れるまで、ずっと、優しく抱きしめてやりました。
ルーミアは長い間一人きりで生きていた妖怪です。
すべてのことを一人で解決してきたはずです。
ですが、今日くらいは。
今日くらいは他者の温もりを感じてくれれば。
そんな思いで、優しく頭を撫で続けました。
それ以来、ルーミアの姿は里で見られなくなりました。
慧音は寺子屋の子供たちに話を聞きましたが、ルーミアを見たのはだいぶん前のことだといいます。
食べ物屋も、飲み屋も同様に、ルーミアの姿を見ていないと言います。
「はあ、さてどうしたものでしょう」
「また悩み?」
にとりは慧音に「うーい」と言わせてから自分の席に座りました。
「あんたの考えてた計画は成功したんじゃないの?」
「……まあ、恐らくですが」
「あの人食い妖怪が里の子どもたちと遊んでたんだよ。何度も見た。それって前じゃあ考えられないことじゃない」
「そう、ですね。そうですよね」
「それを素直に喜びなよ。すごいよ、あんた」
「それはどうも」
「そしてそれはかっぱっちのおかげだって皆に言いふらして。あと紹介料も頂戴ね」
「さっきから優しい言葉をかけてきたのはそれが目的ですか」
慧音は頭突きをしようとにとりを追いかけます。
もちろん、それはにとりが慧音を元気づけようとしている事だとはわかっています。
慧音は慧音で、にとりに助けられっぱなしです。
ですが、慧音はまだ心がもやもやとしています。
「もしかしたら」と考えていることがあったからです。
にとりに元気づけられた慧音は、意を決しかっぱっちを手にルーミアを探すことにしました。
あの後すぐ、慧音はかっぱっちのリセット機能についてルーミアに説明しました。
もちろん生き物の大事さを教えるためのものですが、あくまでもあれは育成ゲーム、機械の中の生き物です。
リセットボタンを押せば、また新たなかっぱが生まれ、同じ様にかっぱと生活ができるのです。
その説明を、ルーミアは黙って聞いていました。
説明を終えて、かっぱっちを差し出す慧音に対し、ルーミアは首を横に振りました。
きっと、ルーミアにとってのかっぱは、あのかっぱ一匹だけなのかもしれません。
ルーミアはそれきり、慧音の前に姿を見せていないのでした。
慧音はルーミアを探している途中、ある事を頭の中で巡らせていました。
それが先程の「もしかして」と思っていたことです。。
もしかして、人食い妖怪のルーミアは『かっぱっちに影響されすぎて』、人間を食べられない状況になっているんじゃないか。
それだったら慧音は大変な事をしてしまいました。
人食い妖怪が人を食べられない。そんな状況に陥ったら、ルーミアの存在理由は無くなってしまいます。
逆にこういう「もしかして」も考えられます。
ルーミアは、命はこんなに軽く儚いものなのだと理解してより多くの人間を襲ったりしていないか。
その場合も巫女が動くに決まっています。どちらにしろ、ルーミアにとっては良くないことです。
あとは、もしかして、もしかして……
様々なもしかしてが、慧音の中でもやもやとして残ります。
慧音は懸命にルーミアを探しました。
しばらく探しましたが、なかなかルーミアは見つかりません。
日は暮れ、また明日にしようかと考えていた所、ある事に気づきます。
今日は、人間が妖怪に配給される「例の日」だったのです。
それ気づいた瞬間、慧音は川へと走りました。
川にはルーミアの姿が見えました。
慧音は安心もしましたが、心配な気持ちも出てきました。
川でばしゃばしゃやっている所を見るに、考えすぎて人間を食べられなくなったというわけでは無さそうです。
あとは、ルーミアがどう考えるかです。ちゃんとありがたがって人間を食べたのか。
それとも変わらずただの食料だとしか見ていないのか。
慧音は生唾を飲んで、ルーミアにゆっくりを近づきました。
そしてそのうち、有ることに気づきました。気づいてしまいました。
まさか、『もしかして』。
慧音は先程、『その結果』を考えなかったわけではありません。
ですが、人食い妖怪のルーミアのことです。
まさかそんな気持ちが生まれるなんて。
あくまで万一あるかもしれない、と一瞬だけ頭によぎっただけです。
ですが、この状況は。
ルーミアのもとへ駆け寄ると、慧音に気付いたのか、大きく片手を上げました。
「慧音!」
「ルーミア……」
「んふふ」
ルーミアはいたずらがバレた子どもの様に、目を細くして笑いました。
「慧音、私は人食い妖怪だから。人間を食べるのは辞めないよ。でもね」
ルーミアは川で体を洗ってあげていた赤子の顔を拭いてやり、やさしく微笑みました。
「誰かに頼らないといけない子を育ててあげるのも、悪いことじゃないよね」
慧音はルーミアの目を見てしまいました。
それは、以前の人食い妖怪の目ではありませんでした。
あの目は慧音も知っています。知らない訳ありません。
あれはまさしく、そう。母が子供を見守る時のような……
人食い妖怪のルーミアに芽生えたのは、食べ物を有難がる心ではありませんでした。
慧音の目論見は見事に失敗に終わったのです。
ですが、その代わりにルーミアに芽生えたのはもっと優しく、深い、人間的な心でした。
そんな、余りに意外な答えを導き出したルーミアに、慧音はあまりにあっけにとられこう言うことしか出来ませんでした。
「そ、そうなのかー」
「そうなのよー」
大切そうに包んだ、ルーミアの小さな両手には、赤子がきゃっきゃと、笑っておりました。
『かっぱっち』
おしまい
それは決して、ルーミアが嫌いだからではありません。
むしろ、慧音は頭がかたく、更におかたい仕事をしていると自負しておりますので、
ルーミアのような能天気で自由奔放な性格を好み、羨ましく思う節がありました。
肩のこる仕事をしていても、ルーミアを見ることで少しの癒やしを感じられる。
更に、ルーミアもルーミアで、慧音のことを「行儀よくしていればごはんをくれる人」などと思っているので、二人の関係はなかなかに良好なのでした。
ではなぜ慧音が川にいるルーミアを見て額にしわを寄せるかとう言うと、それはルーミアの食べるたまのごちそうに原因があります。
ルーミアは妖怪ですので基本的に食事は要りませんが、やはり人食い妖怪たるもの、人間を食べることを好んでいます。
しかし欲望のあまり、そのあたりにいる人間を捕まえては食べ、捕まえては食べをしては巫女にこてんぱんにされてしまうので、ルーミアは自由に人間を食べられません。
ではどうするかというと、それは妖怪と人間の住む幻想郷、ちゃんと人間を食べられるシステムがあるのです。
食べられる用の人間、それは外の世界に必要とされなくなった人間です。
それらは、妖怪の賢者たちによって一定量運ばれ、妖怪たちに合わせて平等に配られます。
それが幻想郷が幻想郷たるゆえん、妖怪のための理想郷ならではのシステムです。
ルーミアのような小さな少女の形をした妖怪ですと、食べる量もそれに見合ったものになります。
それはちょうど、捨てられたばかりの赤子。もしくは捨てられた子ども等です。
幻想郷の人食い妖怪たちは、いつもその「例の日」を楽しみにしています。
もちろん、ルーミアもそのたまのごちそうを楽しみにしている妖怪の一人です。
特に人間は赤子が一番美味しいので、ルーミアは毎日その日を待ち遠しく思っています。
そうしてやっとその日が来た時、ルーミアはそのごちそうであるナマの人間を美味しく踊り食いした後に決まって川へ向かうのです。
ナマの人間はとても新鮮で活きが良く、食べる際にはどうしても服や体が汚れてしまうので、川で洗わなければいけなくなるからです。
慧音は人間と妖怪のハーフですので、人間を食べる妖怪に理解はあるものの、川でルーミアが身体を洗っている所をみると、ああ、また人間が食べられたのか、と想像してしまい額にしわを寄せてしまうのです。
いや、それだけでしたら慧音は額にしわを寄せないかも知れません。
慧音は前にルーミアがぽつりとつぶやいた、こんな独り言を聞いたことがありました。
「人は美味しいけど、汚れちゃうのが嫌だな。どうせ食べられるために生きてるんなら、もっと食べられやすくなってればいいのに」
その時のルーミアの目は、人をただの食糧としか見ていない、人食い妖怪の目をしていました。
慧音は常々、こう考えていました。
妖怪、人間など関係なく、生き物は他の命を奪って生きている。
なので、命を奪って生かせてもらう食事というものは、少しでも有難がらないといけないんだ。
人間と妖怪のハーフだからこそ、慧音はこの思いが強いのかもしれません。
もちろん、おせっかいかもしれません。
ですが、慧音はルーミアに食育、つまり食事の教育が必要だと考えました。
それは慧音が教育者であるゆえの結論です。
「はあ、さてどうしたものでしょう」
寺子屋の子どもたちには常々教えていることですが、妖怪にそれを教えるのは初めてです。
どういった方法で教えるべきかと考えていました。
「先生にも悩みってあるものなんだ」
「先生にも悩みはあるものなんですよ。うーい」
大きな三角定規と分度器を剣と盾に見立てて遊ぶことを開発した河城にとりは、寺子屋で人気の先生の一人です。
今日は算数を教えに寺子屋に来ていました。
にとりは後ろから慧音の肩を揉んでやり、慧音を「うーい」と唸らせることに成功して満足げです。
「こんなに固くして。固くするのは頭だけにしときなよ」
「私も好きで固くしているわけではありません。色々と悩みがあるのです」
「ふうん、ところでこれ買わない?」
「何がところでかはわかりませんが……なんですか、それは」
にとりが持っていたのは手のひらサイズきゅうりでした。
手に持ってみると、なにやら電気の匂いがしました。
更に文字が書かれた画面、いくつかのボタンもついています。
「最近はやらせようとしてる知育玩具だよ。ううん、学習玩具とも言うかな」
「はあ」
「スタートボタンを押してみて」
「うわ、鳴きましたよ。これは……かっぱ、ですか? 漫画に出てくるかっぱですね」
「そう。可愛いでしょ。たまごっ……違う。『かっぱっち』っていうんだ」
にとりは自慢そうに薄い胸を張り上げます。
「かっぱっち。妙に可愛い名前のおもちゃですね」
「やることは簡単。このかっぱを育てるだけ。ごはんをあげたりしつけをしたり、通信で友達と戦ったりプレゼント交換したり。大切に育ててやれば長生きするから、ペットを飼えない家でもおすすめ」
「それは、まあ」
「どう、買わない? もう何人かの子供たちは買ってくれてるから通信相手もいっぱい居るよ」
「子供たちにも売りつけてるんですか?」
「そんな人聞き悪い言い方しないで。もちろん親御さんにちゃんと許可は取ってるよ。。私だってこの場は尊いと思っているんだから」
「どうですかね」
「盟友と触れ合うことが出来て商売が出来て。子どもたちは素直だから私達の知識をどんどん吸収してくれる。クリエイターとして楽しくて仕方がないよ」
「まあ、貴方の評判は聞いていますので良いとしましょう」
「じゃあ買ってくれない?」
「そうですね。おいくらですか?」
「え、買うのまじで? やったー! ええとね……」
まさか本当に買うとは思っていなかったにとりは大いに喜び、値段をどれだけ釣り上げようかと、親指と人差し指でブイの字を作りあごに乗せて考え始めました。
もっとも、慧音がそれを見逃すはずなく、交渉に交渉を重ね定価の二割引で『かっぱっち』を購入したのでした。
「かっぱっち?」
ルーミアは手のひらにおさまるサイズのきゅうり型の機械を物珍しそうに持ちあげます。
「突然何かをくれるっていうからごはんかなって思ったんだけど」
「それよりも良いものですよ」
「ふうん?」
慧音はルーミアにかっぱっちの事を説明しました。
ごはんをあげたり、遊んであげたり、時には厳しくしつけをして、たまには友達とプレゼントを交換したり。
ルーミアは慧音の説明を黙って聞いていました。
「いりませんか?」
「まあ、くれるならもらうよ。どうも」
ルーミアはそういと、闇に姿を隠して飛んでいってしまいました。
そんなまんまるなふわふわ浮いている闇を見て、慧音は期待しました。
擬似的にも生き物を育てること。
その事でもしかしたら生を尊重し、食べ物を有難がるかも知れないと。
いただきますが言えるルーミアを想像し、慧音は消えていなくなるまで闇を見つめ続けました。
一週間ほど経ったころでしょうか。
慧音のもとへルーミアが訪ねてきました。
一体どんな要件だと聞いた所、ルーミアはお団子がいくつか入った袋を慧音へ投げて、お礼を述べ始めました。
「これ楽しいよ、ありがとう。かっぱがごはん食べる所眺めてるだけで楽しいし、たまに忘れちゃうとピーピーないて可愛いの」
慧音はその報告を聞き、手を叩いて喜びました。
ルーミアがかっぱっちを楽しんでいる事も嬉しいですが、なによりわざわざお礼に来てくれた事も嬉しいのです。
頭を撫でてくる慧音にされるがままのルーミアは、なぜ自分が撫でられているのかわかりませんでしたが、とにかく慧音が嬉しそうだったので、頭にクエスチョンマークを浮かべながらニコニコとするのでした。
それからしばらく、ルーミアの姿が里の中で見かけられました。
それは、慧音がかっぱっちには通信機能がついていることを説明したからです。
かっぱっちを持っている者が近くに居ると、通信でプレゼント交換が出来たり、一緒にごはんを食べたり、熱いバトルを繰り広げることが出来ます。
慧音は、このまま上手くいけば、ルーミアは里の人間とも関わりを持ち、人間をただの食糧だと思わなくなるのではないか、とも考始めました。
里の人間は始め、人食い妖怪のルーミアを恐れていました。
ですが、寺子屋の先生とも知り合いな事や見た目が小さな少女であること、更にかっぱっちを持っていることで意外にも早く里の子供たちと仲良くなりはじめました。
慧音は里で見かける度にルーミアに話し掛けましたが、ルーミアはその度にかっぱっちを高く掲げ
「ほら見て。うちのかっぱ、こんなに育った」
「この間十連勝したんだ。うちの子に敵は居ないね」
「レアアイテムが手に入って人気者になったんだよ」
など、嬉しそうに報告してくるのでした。
更にルーミアは、里に来たついでに今まで持ってても使わなかったお金を使うことで美味しいものを食べられることを知りました。
よく食べよく飲みお金を落としていくものですから、里の大人もルーミアを人食い妖怪としてみるのではなく、上質な客として扱うようになりました。
慧音はそんなルーミアを見て、うんうんと頷きました。
そんな、順調な日々も長くは続きませんでした。
それは唐突にやってきたのです。
慧音が仕事を終え、ご飯を食べ、明日に備えて鏡の前で髪をすいている時のことです。
家の戸を大きく叩く者がおりました。
こんなに遅くに、と思い外に出てみると、そこにはルーミアがうつむいて立っていました。
慧音はそのうつむく顔を見て、ついにその時が来たか、と察しました。
大切そうに包んだ、ルーミアの小さな両手には、かっぱっちが入っておりました。
「こんな遅くに、どうしたのですか」
それは少し意地悪な発言だとも感じました。
ルーミアはしばらく何も言いませんでしたが、しばらくするとおもむろに顔をあげて、抑揚のない声でこう言いました。
「この子、この子ね。し、死んじゃった」
ルーミアは慧音の懐へ駆け寄りました。
慧音はルーミアをそっと抱いてやり、はじめ、ルーミアにかっぱっちを渡した時に言おうと決めていたことをゆっくりと、ゆっくりと話し始めました。
「きっとこの子は楽しかったと思います。貴方に大切に育てられたのですから」
「うん」
「そしてルーミア、これでわかってくれたと思います。生き物というのは、長い時間をかけて育てても、死ぬときはあっという間なんです」
「うん」
「貴方がただの食べ物だと思っていた人間も、このかっぱの子の様に、きっと、大切に育てられてきたはずです」
「そうなの?」
「同じ生き物でしょう」
「……うん」
「ルーミア、最近里によく来ていましたね。貴方は最近関わった、里の人達を食べるときにも『もっと食べられやすくなってればいいのに』といいますか?」
慧音の懐で、ルーミアは首を小さく横に振っています。
「人間を食べるのが貴方の本分です。食べるなと言うのは間違っています。ですが、私は貴方にもう少し、食べ物に対して、生に対しての意識を持ってほしかったのです。誰かは誰かに生かされている、というのは少し大げさかもしれませんが、大きく間違ってはいないと私は思います」
ルーミアは、慧音の懐の中で、今度は首を縦に振りました。
慧音はそれ以上は何も言わず、ルーミアが自分から離れるまで、ずっと、優しく抱きしめてやりました。
ルーミアは長い間一人きりで生きていた妖怪です。
すべてのことを一人で解決してきたはずです。
ですが、今日くらいは。
今日くらいは他者の温もりを感じてくれれば。
そんな思いで、優しく頭を撫で続けました。
それ以来、ルーミアの姿は里で見られなくなりました。
慧音は寺子屋の子供たちに話を聞きましたが、ルーミアを見たのはだいぶん前のことだといいます。
食べ物屋も、飲み屋も同様に、ルーミアの姿を見ていないと言います。
「はあ、さてどうしたものでしょう」
「また悩み?」
にとりは慧音に「うーい」と言わせてから自分の席に座りました。
「あんたの考えてた計画は成功したんじゃないの?」
「……まあ、恐らくですが」
「あの人食い妖怪が里の子どもたちと遊んでたんだよ。何度も見た。それって前じゃあ考えられないことじゃない」
「そう、ですね。そうですよね」
「それを素直に喜びなよ。すごいよ、あんた」
「それはどうも」
「そしてそれはかっぱっちのおかげだって皆に言いふらして。あと紹介料も頂戴ね」
「さっきから優しい言葉をかけてきたのはそれが目的ですか」
慧音は頭突きをしようとにとりを追いかけます。
もちろん、それはにとりが慧音を元気づけようとしている事だとはわかっています。
慧音は慧音で、にとりに助けられっぱなしです。
ですが、慧音はまだ心がもやもやとしています。
「もしかしたら」と考えていることがあったからです。
にとりに元気づけられた慧音は、意を決しかっぱっちを手にルーミアを探すことにしました。
あの後すぐ、慧音はかっぱっちのリセット機能についてルーミアに説明しました。
もちろん生き物の大事さを教えるためのものですが、あくまでもあれは育成ゲーム、機械の中の生き物です。
リセットボタンを押せば、また新たなかっぱが生まれ、同じ様にかっぱと生活ができるのです。
その説明を、ルーミアは黙って聞いていました。
説明を終えて、かっぱっちを差し出す慧音に対し、ルーミアは首を横に振りました。
きっと、ルーミアにとってのかっぱは、あのかっぱ一匹だけなのかもしれません。
ルーミアはそれきり、慧音の前に姿を見せていないのでした。
慧音はルーミアを探している途中、ある事を頭の中で巡らせていました。
それが先程の「もしかして」と思っていたことです。。
もしかして、人食い妖怪のルーミアは『かっぱっちに影響されすぎて』、人間を食べられない状況になっているんじゃないか。
それだったら慧音は大変な事をしてしまいました。
人食い妖怪が人を食べられない。そんな状況に陥ったら、ルーミアの存在理由は無くなってしまいます。
逆にこういう「もしかして」も考えられます。
ルーミアは、命はこんなに軽く儚いものなのだと理解してより多くの人間を襲ったりしていないか。
その場合も巫女が動くに決まっています。どちらにしろ、ルーミアにとっては良くないことです。
あとは、もしかして、もしかして……
様々なもしかしてが、慧音の中でもやもやとして残ります。
慧音は懸命にルーミアを探しました。
しばらく探しましたが、なかなかルーミアは見つかりません。
日は暮れ、また明日にしようかと考えていた所、ある事に気づきます。
今日は、人間が妖怪に配給される「例の日」だったのです。
それ気づいた瞬間、慧音は川へと走りました。
川にはルーミアの姿が見えました。
慧音は安心もしましたが、心配な気持ちも出てきました。
川でばしゃばしゃやっている所を見るに、考えすぎて人間を食べられなくなったというわけでは無さそうです。
あとは、ルーミアがどう考えるかです。ちゃんとありがたがって人間を食べたのか。
それとも変わらずただの食料だとしか見ていないのか。
慧音は生唾を飲んで、ルーミアにゆっくりを近づきました。
そしてそのうち、有ることに気づきました。気づいてしまいました。
まさか、『もしかして』。
慧音は先程、『その結果』を考えなかったわけではありません。
ですが、人食い妖怪のルーミアのことです。
まさかそんな気持ちが生まれるなんて。
あくまで万一あるかもしれない、と一瞬だけ頭によぎっただけです。
ですが、この状況は。
ルーミアのもとへ駆け寄ると、慧音に気付いたのか、大きく片手を上げました。
「慧音!」
「ルーミア……」
「んふふ」
ルーミアはいたずらがバレた子どもの様に、目を細くして笑いました。
「慧音、私は人食い妖怪だから。人間を食べるのは辞めないよ。でもね」
ルーミアは川で体を洗ってあげていた赤子の顔を拭いてやり、やさしく微笑みました。
「誰かに頼らないといけない子を育ててあげるのも、悪いことじゃないよね」
慧音はルーミアの目を見てしまいました。
それは、以前の人食い妖怪の目ではありませんでした。
あの目は慧音も知っています。知らない訳ありません。
あれはまさしく、そう。母が子供を見守る時のような……
人食い妖怪のルーミアに芽生えたのは、食べ物を有難がる心ではありませんでした。
慧音の目論見は見事に失敗に終わったのです。
ですが、その代わりにルーミアに芽生えたのはもっと優しく、深い、人間的な心でした。
そんな、余りに意外な答えを導き出したルーミアに、慧音はあまりにあっけにとられこう言うことしか出来ませんでした。
「そ、そうなのかー」
「そうなのよー」
大切そうに包んだ、ルーミアの小さな両手には、赤子がきゃっきゃと、笑っておりました。
『かっぱっち』
おしまい
とても優しいお話でした。
育成ゲームで母性に目覚めるルーミアが良かったです
慧音の奮闘は続く
教育というのもままなりませんね(?)
寺子屋の教師としての立場も、もちろんゲームの中でも育てることの難しさやそれが周りにも与える暖かさを感じました