ああ、痛い。痛い。
吹き付ける風も、降りしきる雨も。
前まで、自分の喜びたらしめていた筈の何もかもが痛みを伴わせてくる。
誰だ。誰なんだ。自分をこんな目に合わせたのは。
あいつだ。
許さない、許さない、許さない。
雷が響く。風が強く吹く。
そんな時だった。
ばちゃ、ばちゃ、ばちゃ。
雨の打ち付ける音とも風が吹き付ける音とも違う物音が聞こえる。
この音は、人が歩く音?
足音は段々と大きくなる。
やはり足音の主は人間だった。
その人間は少女だった。
少女は哀しそうに顔を歪めた。
ああ、こいつだ。
こいつが。
少女が喉を震わせた。
「ごめんね」
…今更何を言う?
ここまで痛めつけておいて、ここまで手酷く裏切って許されるとでも思うのか?
許すはずないだろう。
お前を呪ってやる。
お前を憎んでやる。
お前を恨んでやる。
お前を。お前を。お前を。お前を。
してやる。
「この痛み」
この痛み。
「絶対に忘れないから」
絶対に忘れてやるものか。
あぁ、恨めしい、恨めしい、
うらめしや、うらめしや………
「うらめしやー!」
朝の守矢神社に騒がしい声が響く。
「ああ、いたんですね。おはようございます」「おはよう早苗ー!…ってぇ!
そうじゃない!…ねね、どーよ!わちきの新・作さぷらいず!」「どうもこうもナニも。
まさかアレで驚かそうって、正気ですかあなた?」「予想以上に冷たい反応!」「あとそれ、新作とか言ってましたけど前にも言ってましたよね?」「あ、バレた?」
「バレてるに決まってるでしょーが。
天才風祝の記憶力を舐めるんじゃないわ」
「くぅー、結構前の事だったから覚えてないと思ったんだけどなー。流石だ」
そう言って小傘がけたけたと笑う。
「…で、お茶は?薄めですか?濃いめですか?」「わざわざ聞かなくても分かるでしょ?濃いめでお願い」
「聞かなくても分かるって言う割にはちゃんと言うんですね。
分かりました」
そうして、早苗が茶を取りに台所へ向かう。
小傘がこうやって毎日毎日驚かしに来るものだから、もはや早苗にとって「驚け」や「うらめしや」という単語はイコールで「おはよう」「こんにちは」と同じ意味合いになりつつある。
早苗が茶を二つ乗せた盆を持って小傘のもとへ近づく。
「はい。オーダー通り、濃いめですよ」
「ありがとー。…あっつ」
もし今の自分に本物の幽霊がやって来たとして、「うらめしや」なんて言われた日には今自分の目の前にいる傘を思い出して笑みを浮かべるかもしくは本物と気づかずに挨拶を返すだろう。
(そんな事になったらモノホンも商売上がったりよねぇ)
「ねーえ」
そんな他愛もないような事を思っていれば茶を盆に置いた小傘が話しかけてきた。
「そんな自称天才風祝さんに質問があるんだけどさ」「何ですか?急に。あと自称はやめなさいよ自称は」
茶碗を置いて向き直す。
小傘が一呼吸置く。
「わたしのこと、覚えてる?」
「……は?」
なにを言っているのか分からなかった。
「覚えてるって、小傘さんは小傘さんでしょ?」
それを聞いた小傘は何も言わなかった。
少しの間無表情を浮かべたのち、
ただ哀しげに、曖昧に笑った。
「…なによその顔」「ううん、なんでもない。忘れて」
それからはどちらも何も言わなかった。
それはそれは静かな沈黙が流れていた。
そんな折、小傘が立ち上がる。
「…ふぅ。そろそろ行こうかな」「あ、
…そうですか?」「ええ。これでもわちきは忙しいのよ。里に蔓延る人間どもを恐怖の底に叩き落すためにねぇ!」
「もしそうなっても私が退治するだけですけどね。第一そんなの100パーセントありえないしー」「ひっどぉ!」
「事実を述べただけじゃないですか」「にしたって言い方ってもんがあるでしょー!」
他愛もない言い合いが続く。
こうして小傘となんでもないような言い合いをしている時、自分の中で何かひどく救われるような気持ちになる事がある。
同時に懐かしさと、胸の奥深くを刺されるような痛みも感じる。
それがどうしてなのかは、自分に残っている過去の記憶を辿っても分からないのだ。
それは、日に日に薄れてゆく外の世界の記憶に関係しているのかもしれない。
だが、それすら分からないのだから。
どうしようもない。
「まあ、でも。……頑張ってくださいね」
それを聞いた小傘の表情が変わった。
すぐに元の人を食ったような笑顔に戻ったが、確かに彼女の顔つきに変化がもたらされたことは間違いない筈だ。
「…それ、巫女が妖怪に言っちゃ駄目でしょ」「巫女じゃなくて風祝だから構わないんです」「ただの屁理屈じゃない」「ええ、ただの屁理屈ですよ」
そんな事を言いながら小傘を見送る。
瞬間、小傘が振り返った。
そして早苗に一歩二歩と近寄ってくる。
「ねぇ」「へっ?」
「わたしはさ、…忘れてないから。喜びも、痛みも、全部忘れてないから。
わたしがわたしとしてここにいられる全ては確かにわたしの中に『在る』からさ。
だからさ、だから。
……いつだって構わないから!
いつか思い出してよね!早苗の喜びも、早苗の痛みも!
ああ、あとそれから、お茶美味しかったよ!…また来る」
それだけ言って小傘は早苗の返答も聞かず飛び立っていった。
「喜びと、…痛み」
取り残された早苗がひとりごちる。
懐かしさと刺すような痛みの意味が少しだけ分かるような、そんな気がした。
吹き付ける風も、降りしきる雨も。
前まで、自分の喜びたらしめていた筈の何もかもが痛みを伴わせてくる。
誰だ。誰なんだ。自分をこんな目に合わせたのは。
あいつだ。
許さない、許さない、許さない。
雷が響く。風が強く吹く。
そんな時だった。
ばちゃ、ばちゃ、ばちゃ。
雨の打ち付ける音とも風が吹き付ける音とも違う物音が聞こえる。
この音は、人が歩く音?
足音は段々と大きくなる。
やはり足音の主は人間だった。
その人間は少女だった。
少女は哀しそうに顔を歪めた。
ああ、こいつだ。
こいつが。
少女が喉を震わせた。
「ごめんね」
…今更何を言う?
ここまで痛めつけておいて、ここまで手酷く裏切って許されるとでも思うのか?
許すはずないだろう。
お前を呪ってやる。
お前を憎んでやる。
お前を恨んでやる。
お前を。お前を。お前を。お前を。
してやる。
「この痛み」
この痛み。
「絶対に忘れないから」
絶対に忘れてやるものか。
あぁ、恨めしい、恨めしい、
うらめしや、うらめしや………
「うらめしやー!」
朝の守矢神社に騒がしい声が響く。
「ああ、いたんですね。おはようございます」「おはよう早苗ー!…ってぇ!
そうじゃない!…ねね、どーよ!わちきの新・作さぷらいず!」「どうもこうもナニも。
まさかアレで驚かそうって、正気ですかあなた?」「予想以上に冷たい反応!」「あとそれ、新作とか言ってましたけど前にも言ってましたよね?」「あ、バレた?」
「バレてるに決まってるでしょーが。
天才風祝の記憶力を舐めるんじゃないわ」
「くぅー、結構前の事だったから覚えてないと思ったんだけどなー。流石だ」
そう言って小傘がけたけたと笑う。
「…で、お茶は?薄めですか?濃いめですか?」「わざわざ聞かなくても分かるでしょ?濃いめでお願い」
「聞かなくても分かるって言う割にはちゃんと言うんですね。
分かりました」
そうして、早苗が茶を取りに台所へ向かう。
小傘がこうやって毎日毎日驚かしに来るものだから、もはや早苗にとって「驚け」や「うらめしや」という単語はイコールで「おはよう」「こんにちは」と同じ意味合いになりつつある。
早苗が茶を二つ乗せた盆を持って小傘のもとへ近づく。
「はい。オーダー通り、濃いめですよ」
「ありがとー。…あっつ」
もし今の自分に本物の幽霊がやって来たとして、「うらめしや」なんて言われた日には今自分の目の前にいる傘を思い出して笑みを浮かべるかもしくは本物と気づかずに挨拶を返すだろう。
(そんな事になったらモノホンも商売上がったりよねぇ)
「ねーえ」
そんな他愛もないような事を思っていれば茶を盆に置いた小傘が話しかけてきた。
「そんな自称天才風祝さんに質問があるんだけどさ」「何ですか?急に。あと自称はやめなさいよ自称は」
茶碗を置いて向き直す。
小傘が一呼吸置く。
「わたしのこと、覚えてる?」
「……は?」
なにを言っているのか分からなかった。
「覚えてるって、小傘さんは小傘さんでしょ?」
それを聞いた小傘は何も言わなかった。
少しの間無表情を浮かべたのち、
ただ哀しげに、曖昧に笑った。
「…なによその顔」「ううん、なんでもない。忘れて」
それからはどちらも何も言わなかった。
それはそれは静かな沈黙が流れていた。
そんな折、小傘が立ち上がる。
「…ふぅ。そろそろ行こうかな」「あ、
…そうですか?」「ええ。これでもわちきは忙しいのよ。里に蔓延る人間どもを恐怖の底に叩き落すためにねぇ!」
「もしそうなっても私が退治するだけですけどね。第一そんなの100パーセントありえないしー」「ひっどぉ!」
「事実を述べただけじゃないですか」「にしたって言い方ってもんがあるでしょー!」
他愛もない言い合いが続く。
こうして小傘となんでもないような言い合いをしている時、自分の中で何かひどく救われるような気持ちになる事がある。
同時に懐かしさと、胸の奥深くを刺されるような痛みも感じる。
それがどうしてなのかは、自分に残っている過去の記憶を辿っても分からないのだ。
それは、日に日に薄れてゆく外の世界の記憶に関係しているのかもしれない。
だが、それすら分からないのだから。
どうしようもない。
「まあ、でも。……頑張ってくださいね」
それを聞いた小傘の表情が変わった。
すぐに元の人を食ったような笑顔に戻ったが、確かに彼女の顔つきに変化がもたらされたことは間違いない筈だ。
「…それ、巫女が妖怪に言っちゃ駄目でしょ」「巫女じゃなくて風祝だから構わないんです」「ただの屁理屈じゃない」「ええ、ただの屁理屈ですよ」
そんな事を言いながら小傘を見送る。
瞬間、小傘が振り返った。
そして早苗に一歩二歩と近寄ってくる。
「ねぇ」「へっ?」
「わたしはさ、…忘れてないから。喜びも、痛みも、全部忘れてないから。
わたしがわたしとしてここにいられる全ては確かにわたしの中に『在る』からさ。
だからさ、だから。
……いつだって構わないから!
いつか思い出してよね!早苗の喜びも、早苗の痛みも!
ああ、あとそれから、お茶美味しかったよ!…また来る」
それだけ言って小傘は早苗の返答も聞かず飛び立っていった。
「喜びと、…痛み」
取り残された早苗がひとりごちる。
懐かしさと刺すような痛みの意味が少しだけ分かるような、そんな気がした。
でも何だかんだこのコンビをグッドエンドに落ち着かせそうな健気さも小傘は持っているようで暖かい気持ちになりました
「痛み」を思い出したときの二人がどういうやり取りをして、どう二人のなかで決着をつけるのか、気になります。
早苗の砕けた口調に小傘との仲を感じました
この二人はどこへ行くんだ
もっと深掘りしてほしいような、このままでもいいような。ともあれ素敵だと思いました。良かったです。