竹林には月の民が住むお屋敷、永遠亭がある。診療所としての機能を併せ持つ事から、人里の住人はそこを八意医院と呼ぶ。
私達が車両から降り、正門の前に立つ。屋敷と診療所の建物は以前とほぼ変わらぬたたずまいだったが、やはり異変の影響か、住んでいるはずの妖怪兎の姿はまだ見当たらない。
車両が折り返しでごろごろと去っていく。
「うさぎとかがいる所、私はあんまり行ったことなかったなー」
「もしかしたら、あなたの他のお友達もここに避難して来ているかもね。居なくても手がかりくらいはあると良いのだけど」
「なんにせよ、おーい、たのもー」
「静かに、大きな声出さず、病院なんだからね」
「うん、ごめん」
門を叩こうとするチルノの手を止めて、ごめんくださいと声をかけた。
「どうぞ」
二足歩行する兎といった風貌の妖怪兎が門を開け、診察室に案内しようとする。
人型の妖怪兎の姿は見えない。
「今回は患者としてきたのではありません。ここの主とお話がしたいのだけど」
「じゃあ、いま永琳様に知らせてくるよ」
と妖怪兎が廊下を飛び跳ねてどこかへ向かう前に、寝間着姿で髪が散らばり放題の永琳が、片手を口にあけてあくびしながら廊下を歩いて三人の前に現れる。
「ごはん昨日の残りでいいや、たしか氷室にたくあんがあったかなあ……何、ああ患者さんなら診察室へどうぞ……うわあっ」
私達を見て、慌てて髪を整え、態度を取り繕うとする。
私も同じような経験はあるので気持ちはわかる。
妖怪兎も手足を動かして、あたふたしているのがわかる。
「ご、ごめんなさい」
「お構いなく、私も藍の前ではそんな感じだから」
「ちょっと待ってて~」
彼女はとたとたと妖怪兎とともに廊下の奥に姿を消し、しばらくして戻ってきた兎が二人を客間に案内し、さらに少したっていつもの正装の永琳が入ってくる。
「えー、こほん、お恥ずかしいところお見せしました」
「気にしないで、その、今回の異変、大変なことになってしまって……なんというか、もしかしたら私が関与していて、だとしたら申し訳ないのですけれど、記憶が無くてどうだったか思い出せなくて、神社にも入れないの。何か手掛かりをと思ってここまで来たのです」
彼女は少し間をおいて答えた。
「……そう、この度の異変で力や記憶を失くした妖怪は多いから、あなたも同じような症状になったのかもしれません」
「あたいも、少し飛ぶだけですんごく疲れちゃう。でも黒っぽい煙みたいなやつを倒すと力が少しだけ戻るんだ」
「あの『幻想食い』を倒せたのね。私も無理ではないわ。でもある程度大型のものが来たら、素直に避難してやり過ごしたでしょう」
「ううん、湖にいたこーんなでっかいやつも、あたいとユカリと、ほかのみんなの助けを借りて倒せたんだ、すごいだろ」
「ふうん、これは興味深いわね」 彼女は右手を顎に当ててうなずいた。
「あなたたちは、あれを『幻想食い』と呼んでるの? うう、負けた」
「どうしたのユカリ」
「いいえ、なんでもないの」
私はあの襲ってくる存在を、『黒いもや』とか『黒い奴』などと呼んでいたが、外見ではなくその性質に着目した呼び名を考えるとは、こっちの方がなんか頭良さげ。『幻想食い』いいな、この呼び名パクらせてもらおう。
「永琳、何か異変についてご存じの事があれば、教えていただけますか」
「正直、何が起きたかは私もはっきりとは分からないのです。霊夢が妖怪退治のさなかに負傷したと聞いて、あなたや魔理沙辺りが運んでくるだろうから準備して待っていたら、急に私も兎たちも力が失われてしまったのです」
この事情は魔理沙と同じのようだ。
「お姫様はどうなさったのかしら」
「姫様は……」 ちょっと眉が寄る 「もちろん生きています、今は奥の部屋でお休み中です」
一瞬見せた苦しそうな表情。心配だけど、身内に対して込み入ったことは聞きにくいしな。
「何かわかったら知らせようと思います。申し訳ありませんが、もうすぐ診療時間ですので、今日はこれで」
「こちらも、朝早くからお邪魔してすみませんでした。貴重なお話、感謝します」
あと、自分の記憶を戻せないかとも聞いてみたが、今は無理だろうとの事だった。
部屋を出ると、チルノがああと声を上げて走っていく。静かにしなさいと注意するが、彼女には聞こえていない。走っていった先で私はその理由を知った。
「みすちー、生きていたのか」
入院患者用の寝間着を着た夜雀、ミスティア・ローレライが居た。
彼女はチルノを見ると、さびしそうな笑顔を浮かべ、その後うつむいてしまう。
「いや、信じていたよ、みすちーも強いからね、ねえ、入院しているの、元気になったらまた歌聞かせてよ」
ミスティアは口を開き、何かを言おうとしたが、声は聞こえない。
「ねえ、何か言ってよ」 チルノが少しいら立つ。けど、ちょっと待って、様子が変。
「チルノ、もしかして……」
彼女が悲しそうにうなずき、両手で口を塞ぐしぐさを見せる。
「しゃべれなくなっちゃったの?」
こくこうとうなずく。異変の影響だろう。
「ねえユカリ、みすちーを何とかできないの」
「きっと、幻想の力を例の靄、幻想食いに吸い取られてしまったんでしょう」
「じゃあ、そいつをぱっかーんとやっつければまた歌えるようになるんだね」
「まずはそいつを探さなくちゃ。でも勝てるかなあ」
「ユカリとあたいとなら、だいじょうぶ!」 チルノがミスティアの方を優しく抱く。
「元気になったら、また歌を聞かせてね」
彼女はさっきよりも明るい笑顔でうなずいた。
「うん、多分いけるはず」
私も応じる。この子の友達だしね。これくらいの人助けはしてもいいじゃない。
こうしてみると、私もずいぶんこの子達の目線に近くなったな、でも悪い気分じゃないっぽい。
彼女の声を元に戻すため、まずは竹林周辺を捜索してみようか、などと考えていると、いつの間にか門にいた兎がそばにいた。
「ああ、話を聞いちゃって悪いんだけど、その幻想食い、うちの檻に捕まっているよ」
「本当に?」
「そう、ここがそいつに襲われた時、永琳様も私らも強い弾幕なんて出せなくなっていたから、秘蔵の月の兵器を持ち出して、撃ちまくったら偶然この夜雀を吐き出したの。そんで、弱ったところをどうにか檻に閉じ込めたんだけど、どうやってもため込んだ幻想分を出さないの」
「核を破壊すれば、そいつは幻想成分を吐き出すはず」
「そうなんだけどさ……あとちょいって所で弾切れで……」
急に廊下の向こうから木が裂ける音がして、黒い触手のようなもやが飛び出してきた。
見なれたもや、嗅ぎなれた雰囲気、幻想食いがこちらに気付き、廊下の壁を削りながら迫ってきた。
「ごめんなさい、檻の結界を破られて、幻想食いが逃げてしまったわ。私は患者さん達を避難させるから、あなた達も逃げて」
永琳が叫ぶ。
「あいつだよ。どうするのさ。私は逃げるよ」
「私達なら平気、だと思う」
弱体化したらしいが、永遠亭ですら手を焼く存在だなんて……。
でもそんな私をチルノが励ました。
「弱気だなあ、ユカリとあたいならぜったい大丈夫」
うん、そうだよね、自信を持て、私!
「あなたはみすちーを連れて逃げて」
「任せた! ほらあんたも逃げる」
妖怪兎はミスティアの手を引っ張って避難する。私とチルノは幻想食いと向き合う。
さあ来い! でも出来たら来ないで。多数の触手が伸び、私達を捕らえようとする。
「ちょっ、やばいやばい」
「チルノ、危ない!」
「ユカリ、こっちの事よりそっち」
「今グレイズした!」
避けても避けても、槍のような触手のラッシュが続き、体力を削られていく。
「チルノ、あなたが飛び回ってあいつの気を引いて、その隙に……あっ」
「そんな場所ないじゃん」
狭い室内なので、動ける場所が限られてしまう上、死角を突けない。正面から攻撃を受け続けていればやがて負ける。かくなる上は回れ右して……。
「おい、結局逃げてるじゃねーか!」 追いついたところで、妖怪兎に怒られた。
「仕方ないでしょ、あんな狭い所は無理」
「てったいてったい!」
「夜雀は?」
「あの子は逃げたよ。飛べない私も運んでってやるって仕草してたけど、力が足りなかったから一人で行かしたさ」
「へえ、結構やるじゃん」
「あのままだと共倒れだったからな。それよりどーすんだ」
中庭に出て、幻想食いを待ち受ける。見た所、人里で遭遇した奴と大して変わらない大きさと姿だった。一方私達の妖力はその時より回復している。
「チルノ、飛び回ってあいつの注意を引き付けて、そんで、もしあいつが私に狙いを付けたら、あなたが攻撃して、臨機応変におとり役と攻める役を変える、これで行こう」
「よし来た」
妖怪兎がぴょんと飛び跳ね、私達の頭を軽くたたいた。
「何すんだよ」
「幸運をちょっとだけ分けてあげた。今の妖力じゃこれが限界」
嘘には聞こえない、この子はあの素兎だろうか?
チルノが中庭を飛び回り、幻想食いの注意を引き付ける。
「へへーん、こっちこっち」
幻想食いは狙い通り彼女を追い、槍のような触手を次々に突き出してくる。その間に私は幻想食いの核らしき場所を見つけた。幻想食いの上部に殻に白い殻に覆われた部位がある。この中に核があるに違いない。兎さんに与えられた幸運を信じて妖力を弾幕に変え、往時より範囲は狭いが密度をこめた妖力の塊を打ち込む、だが固い。殻にひびが入ったものの、壊すにはまだ力が足りない。
幻想食いがこちらを見た。ターゲットを私に変えたらしく、こちらに迫ろうとするが、白い霧が幻想食いを包み込み、動きが止まる。
「足を凍らせてやったぜ」
幻想食いが中庭の池に入った時を狙い、チルノが池の水を凍らせ、相手を縛り付けたのだ。
チャンス! でも妖力がもう枯渇している、回復を待っていたらまたあいつが動き出してしまうかもしれない。チルノも疲れているはずだ。やはり逃げるしかないのか。
「私に任せて」 永琳の声がして、矢の射られる音がした。同時に矢が幻想食いの殻に刺さり、砕け散った。赤い核がようやくむき出しになる。この状態なら、今の私でも……。
♪~~~~~~~♪~~~~~~~
小さな歌声がして顔を空に向けると、ミスティアがかすれた声ながら、精いっぱい歌っているのが見えた。彼女の歌は人を鳥目にする能力がある。だがこいつに効果はあるのだろうか? 永琳がかまわず次の矢をつがえようとするが、幻想食いの様子がおかしい。
「永琳先生、やめてください」
「どうして? とどめを刺す機会なのに?」
「様子が変なんです」
永琳もすぐに察した。幻想食いが動きを止め、目がミスティアの方を向いている。触手の攻撃もしてこない。これはまるで……。
「歌に、聞き入っている?」
「たぶんそうよ」
ミスティアはせき込みながら、それでも歌を止めようとしないのが痛々しく見える。無理しないでと声をかけようとしたが、私は急にある事を思いついた。ごめん、もう少し待っていて。
「そこの幻想食いさん、いや本当の名は存じ上げませんが、あなたの幻想の力、あの子に分けてあげてくださいな、そうすれば、あの子はもっと美しい歌を聞かせてくれるでしょう」
「あれに交渉が通じるわけない、何度も試したもの。正気なの?」
私はあえて幻想食いの前に進み出る。宙に浮かんでいるチルノが私とミスティア、どちらをフォローしたものか迷っているが、私が目を合わせてうなずくと、彼女は直感で分かったらしく、夜雀をかばえる位置に着いた。
「私は八雲紫、歌の良さを理解するあなたとなら、きっとお友達になれるはず。さあ、貴方が集めた幻想の力を分けてくださいな」
幻想食いがしばらくの沈黙の後、集めた幻想成分を放出していく。私に力が戻っていくのを感じる、周囲の妖怪や永琳もそう感じているだろう。しだいに夜雀の歌声もより大きく、澄んだものになっていく。
「もっと力を頂ければ、もっと美しい声を聞かせてくれるでしょう」
「話し合いが通じている、信じられないわ」
幻想食いが幻想成分をさらに放出しながら、夜雀の歌を聞いている、心地良さすら感じているかのように思える。体が縮んでいって、毛玉大になり、ついにはビー玉程のサイズになってしまった。
「今なら素手でも」 とどめを刺そうとする永琳の手を、私はそっと抑える。
「この子はもう無害です、きっと時々歌を聞かせてやれば、もう誰かを襲う事はないでしょう」
「そんな楽観的過ぎるわ、今なら簡単に消せる……と思ったけど、確かにこいつからは妖力をあまり感じない…………うん、そうね、研究用に飼うのも良いでしょう」
彼女は妖力のこもった虫かごのような入れ物を服のポケットから取り出し、その幻想食いを入れた。チルノとミスティアが降りてきて、避難していた妖怪兎も戻ってくる。
「ユカリ、みすちーが歌えるようになったよ」
「聞いていたわ、きれいな歌声だったね。それに助かったわ、ありがとう」
ミスティアは恥ずかしそうに顔をそらす。
「みんなが危なくてさ、柄にもなく自分も何かしなくちゃって思ってさ、そうしたら少しだけ声が出たの。それであの怪物、まあ私らも似たようなもんだけど、そいつの注意をそらせればと思っただけ。たいしたもんじゃないよ」
「でも、あなたの歌のおかげで、あの幻想食いの脅威はひとまずなくなったわ」
永琳は少し考えて、こんな提案をした。
「これで声が出ないあなたの症状は回復したとみて良いけど、もしよかったら、時々患者さん達に歌を聞かせてあげてはどうかしら」
「そりゃあいい、お礼も出すよ、ねえ永琳様」 妖怪兎も勧めた。
「ええ? 歌を歌うのは人間に悪戯する時とか、ライブでスカッとするためぐらいだったんだけだし。私は歌で人を惑わすのがアイデンティティの妖怪だけど」
「じゃあみすちー、これからは歌でみんなを楽しませたり、元気づける系の妖怪として再出発すればいいじゃん」
チルノの提案を聞いて顔が真っ赤になった。
「バカ言わないでよ、私は誰かのために、なんて殊勝なキャラクターじゃない……けれど、ここで歌う仕事としてなら、悪くないかも」
「じゃあ試しに今日の昼めし時にちょっと歌ってみてよ」
♪~~~~~~~~~♪~~~~~~~
その後、お昼に入院患者や働いている妖怪兎たちに彼女が歌声を届けると、あるものは食事しながら、あるものは作業をしながら、思い思いに楽しみ、みんな満足してくれたようだった。感動の涙を流す人さえいた。歌い終えた後で、こんな良い歌を聞いたのは初めてだとみんなが賞賛した。
「別に、歌うのが好きで歌っただけだし」
などと言いつつも、伏せた顔の口元が緩んでいるのを私は見逃さない。そのことを指摘すると、ピンポイントで私だけ鳥目にされてしまい、しばらくして元の視界にもどると姿が消えてしまっていた。ちょっとかわいい。
昼下がり、お昼をごちそうになった後、そろそろ永遠亭を出ようと永琳にあいさつした。
「ごはん、美味しかったわ」
「あの程度しか用意できませんでしたけどね」
「お構いなく」
「あの歌声、本当に良かったわ。鈴仙にも聞かせたかったわね」
「彼女はいないんですか?」
「あの子は今、太陽の丘に薬種を取りに行ってもらっていて、昨日帰ってくるはずだったんだけど、まだ帰ってきていないの、午後の診療はお休みにして探そうと思うのだけど」
「じゃあ、私達、次はそちらの方を探索してみようと思います。チルノ、良いかしら?」
「もちろん、みすちーも見つかったし、次はリグルかルーミアかも」
「決まりね、先生、確実に彼女を見つけられるか分からないけれど。もし一日ほど歩き回って、何もなかったらまたここに戻るつもりです。もし入れ違いでその子が帰ってきたら、それはそれで構いません」
「助かるわ、でも無理は禁物。あなた達でもね。途中までてゐに案内させましょう」
「では、お世話になりました」 とぺこり
「お邪魔したね、えーりん先生」
「いままでにっちもさっちも行かなかったけれど、あなた達のおかげで、希望が持てそうよ」
永琳は拳を握ってガッツポーズした。彼女らしからぬ仕草だ。
こんな時代でも、前を向いて生きていこうとする人を見るのは気分がいい。
まだ兎の姿でいる因幡てゐが私達の前をぴょんこぴょんこ跳ねながら、竹林の出口まで見送ってくれている。
「あんた方のおかげで妖力が回復したけれど、まだ人化と幸運にする程度の能力を両立できるほどじゃないから、こっちを取ったのさ。まだ物騒な事があるかも知れないから」
「用心深いのね」
「性格だからねえ」
竹林が開け、遠くに丘が見える、あそこを超えるとひまわり畑があるはずである。今の能力だと、行って永遠亭に戻るのは、何事もなくても一日がかりになりそうだ。
「じゃあ案内はここまでで、気を付けなよ」
「ええ、助かったわ」
「じゃあ、良い知らせを待っていなよ」
「永琳様さあ、何かと諦めかけていたんだけど、あんた方のおかげで自信着いちゃったよ」
「良かったじゃない、希望を取り戻せたのなら」
「こんな時だからこそ、くよくよしてないで気持ちをでっかく持てば何とかなるもんさ」
「妖精はポジティブだなあ。うん……確かにそうかもね」
去り際にてゐは、「そういう意味じゃないんだけどなあ……」といった気がしたが、その時の私は気にせずに歩き出していた。
「あなたも、黒猫さんも、けがは大したことないわ」
「ありがとうございます。ほら橙も礼を言うんだぞ」
「にゃ~ん」
「それにしても、魔法が使えなくなっても彼女ら豪快だなあ。発破技師でもやっていけるんじゃないか」
「みんな意外とタフだったのね。あと、あなたのご主人とお友達、太陽の丘方面に出かけたから、もしかしたら何日かかかるかも」
「う~ん、じゃあ、明日またここに来させてもらうよ。正直行き違いばかりで辛いし、紫様には悪いけどたまには休むのもいいかな。橙はどう思う」
「にゃん」
「そっか、紅魔館の様子を見にいってみようか」
私達が車両から降り、正門の前に立つ。屋敷と診療所の建物は以前とほぼ変わらぬたたずまいだったが、やはり異変の影響か、住んでいるはずの妖怪兎の姿はまだ見当たらない。
車両が折り返しでごろごろと去っていく。
「うさぎとかがいる所、私はあんまり行ったことなかったなー」
「もしかしたら、あなたの他のお友達もここに避難して来ているかもね。居なくても手がかりくらいはあると良いのだけど」
「なんにせよ、おーい、たのもー」
「静かに、大きな声出さず、病院なんだからね」
「うん、ごめん」
門を叩こうとするチルノの手を止めて、ごめんくださいと声をかけた。
「どうぞ」
二足歩行する兎といった風貌の妖怪兎が門を開け、診察室に案内しようとする。
人型の妖怪兎の姿は見えない。
「今回は患者としてきたのではありません。ここの主とお話がしたいのだけど」
「じゃあ、いま永琳様に知らせてくるよ」
と妖怪兎が廊下を飛び跳ねてどこかへ向かう前に、寝間着姿で髪が散らばり放題の永琳が、片手を口にあけてあくびしながら廊下を歩いて三人の前に現れる。
「ごはん昨日の残りでいいや、たしか氷室にたくあんがあったかなあ……何、ああ患者さんなら診察室へどうぞ……うわあっ」
私達を見て、慌てて髪を整え、態度を取り繕うとする。
私も同じような経験はあるので気持ちはわかる。
妖怪兎も手足を動かして、あたふたしているのがわかる。
「ご、ごめんなさい」
「お構いなく、私も藍の前ではそんな感じだから」
「ちょっと待ってて~」
彼女はとたとたと妖怪兎とともに廊下の奥に姿を消し、しばらくして戻ってきた兎が二人を客間に案内し、さらに少したっていつもの正装の永琳が入ってくる。
「えー、こほん、お恥ずかしいところお見せしました」
「気にしないで、その、今回の異変、大変なことになってしまって……なんというか、もしかしたら私が関与していて、だとしたら申し訳ないのですけれど、記憶が無くてどうだったか思い出せなくて、神社にも入れないの。何か手掛かりをと思ってここまで来たのです」
彼女は少し間をおいて答えた。
「……そう、この度の異変で力や記憶を失くした妖怪は多いから、あなたも同じような症状になったのかもしれません」
「あたいも、少し飛ぶだけですんごく疲れちゃう。でも黒っぽい煙みたいなやつを倒すと力が少しだけ戻るんだ」
「あの『幻想食い』を倒せたのね。私も無理ではないわ。でもある程度大型のものが来たら、素直に避難してやり過ごしたでしょう」
「ううん、湖にいたこーんなでっかいやつも、あたいとユカリと、ほかのみんなの助けを借りて倒せたんだ、すごいだろ」
「ふうん、これは興味深いわね」 彼女は右手を顎に当ててうなずいた。
「あなたたちは、あれを『幻想食い』と呼んでるの? うう、負けた」
「どうしたのユカリ」
「いいえ、なんでもないの」
私はあの襲ってくる存在を、『黒いもや』とか『黒い奴』などと呼んでいたが、外見ではなくその性質に着目した呼び名を考えるとは、こっちの方がなんか頭良さげ。『幻想食い』いいな、この呼び名パクらせてもらおう。
「永琳、何か異変についてご存じの事があれば、教えていただけますか」
「正直、何が起きたかは私もはっきりとは分からないのです。霊夢が妖怪退治のさなかに負傷したと聞いて、あなたや魔理沙辺りが運んでくるだろうから準備して待っていたら、急に私も兎たちも力が失われてしまったのです」
この事情は魔理沙と同じのようだ。
「お姫様はどうなさったのかしら」
「姫様は……」 ちょっと眉が寄る 「もちろん生きています、今は奥の部屋でお休み中です」
一瞬見せた苦しそうな表情。心配だけど、身内に対して込み入ったことは聞きにくいしな。
「何かわかったら知らせようと思います。申し訳ありませんが、もうすぐ診療時間ですので、今日はこれで」
「こちらも、朝早くからお邪魔してすみませんでした。貴重なお話、感謝します」
あと、自分の記憶を戻せないかとも聞いてみたが、今は無理だろうとの事だった。
部屋を出ると、チルノがああと声を上げて走っていく。静かにしなさいと注意するが、彼女には聞こえていない。走っていった先で私はその理由を知った。
「みすちー、生きていたのか」
入院患者用の寝間着を着た夜雀、ミスティア・ローレライが居た。
彼女はチルノを見ると、さびしそうな笑顔を浮かべ、その後うつむいてしまう。
「いや、信じていたよ、みすちーも強いからね、ねえ、入院しているの、元気になったらまた歌聞かせてよ」
ミスティアは口を開き、何かを言おうとしたが、声は聞こえない。
「ねえ、何か言ってよ」 チルノが少しいら立つ。けど、ちょっと待って、様子が変。
「チルノ、もしかして……」
彼女が悲しそうにうなずき、両手で口を塞ぐしぐさを見せる。
「しゃべれなくなっちゃったの?」
こくこうとうなずく。異変の影響だろう。
「ねえユカリ、みすちーを何とかできないの」
「きっと、幻想の力を例の靄、幻想食いに吸い取られてしまったんでしょう」
「じゃあ、そいつをぱっかーんとやっつければまた歌えるようになるんだね」
「まずはそいつを探さなくちゃ。でも勝てるかなあ」
「ユカリとあたいとなら、だいじょうぶ!」 チルノがミスティアの方を優しく抱く。
「元気になったら、また歌を聞かせてね」
彼女はさっきよりも明るい笑顔でうなずいた。
「うん、多分いけるはず」
私も応じる。この子の友達だしね。これくらいの人助けはしてもいいじゃない。
こうしてみると、私もずいぶんこの子達の目線に近くなったな、でも悪い気分じゃないっぽい。
彼女の声を元に戻すため、まずは竹林周辺を捜索してみようか、などと考えていると、いつの間にか門にいた兎がそばにいた。
「ああ、話を聞いちゃって悪いんだけど、その幻想食い、うちの檻に捕まっているよ」
「本当に?」
「そう、ここがそいつに襲われた時、永琳様も私らも強い弾幕なんて出せなくなっていたから、秘蔵の月の兵器を持ち出して、撃ちまくったら偶然この夜雀を吐き出したの。そんで、弱ったところをどうにか檻に閉じ込めたんだけど、どうやってもため込んだ幻想分を出さないの」
「核を破壊すれば、そいつは幻想成分を吐き出すはず」
「そうなんだけどさ……あとちょいって所で弾切れで……」
急に廊下の向こうから木が裂ける音がして、黒い触手のようなもやが飛び出してきた。
見なれたもや、嗅ぎなれた雰囲気、幻想食いがこちらに気付き、廊下の壁を削りながら迫ってきた。
「ごめんなさい、檻の結界を破られて、幻想食いが逃げてしまったわ。私は患者さん達を避難させるから、あなた達も逃げて」
永琳が叫ぶ。
「あいつだよ。どうするのさ。私は逃げるよ」
「私達なら平気、だと思う」
弱体化したらしいが、永遠亭ですら手を焼く存在だなんて……。
でもそんな私をチルノが励ました。
「弱気だなあ、ユカリとあたいならぜったい大丈夫」
うん、そうだよね、自信を持て、私!
「あなたはみすちーを連れて逃げて」
「任せた! ほらあんたも逃げる」
妖怪兎はミスティアの手を引っ張って避難する。私とチルノは幻想食いと向き合う。
さあ来い! でも出来たら来ないで。多数の触手が伸び、私達を捕らえようとする。
「ちょっ、やばいやばい」
「チルノ、危ない!」
「ユカリ、こっちの事よりそっち」
「今グレイズした!」
避けても避けても、槍のような触手のラッシュが続き、体力を削られていく。
「チルノ、あなたが飛び回ってあいつの気を引いて、その隙に……あっ」
「そんな場所ないじゃん」
狭い室内なので、動ける場所が限られてしまう上、死角を突けない。正面から攻撃を受け続けていればやがて負ける。かくなる上は回れ右して……。
「おい、結局逃げてるじゃねーか!」 追いついたところで、妖怪兎に怒られた。
「仕方ないでしょ、あんな狭い所は無理」
「てったいてったい!」
「夜雀は?」
「あの子は逃げたよ。飛べない私も運んでってやるって仕草してたけど、力が足りなかったから一人で行かしたさ」
「へえ、結構やるじゃん」
「あのままだと共倒れだったからな。それよりどーすんだ」
中庭に出て、幻想食いを待ち受ける。見た所、人里で遭遇した奴と大して変わらない大きさと姿だった。一方私達の妖力はその時より回復している。
「チルノ、飛び回ってあいつの注意を引き付けて、そんで、もしあいつが私に狙いを付けたら、あなたが攻撃して、臨機応変におとり役と攻める役を変える、これで行こう」
「よし来た」
妖怪兎がぴょんと飛び跳ね、私達の頭を軽くたたいた。
「何すんだよ」
「幸運をちょっとだけ分けてあげた。今の妖力じゃこれが限界」
嘘には聞こえない、この子はあの素兎だろうか?
チルノが中庭を飛び回り、幻想食いの注意を引き付ける。
「へへーん、こっちこっち」
幻想食いは狙い通り彼女を追い、槍のような触手を次々に突き出してくる。その間に私は幻想食いの核らしき場所を見つけた。幻想食いの上部に殻に白い殻に覆われた部位がある。この中に核があるに違いない。兎さんに与えられた幸運を信じて妖力を弾幕に変え、往時より範囲は狭いが密度をこめた妖力の塊を打ち込む、だが固い。殻にひびが入ったものの、壊すにはまだ力が足りない。
幻想食いがこちらを見た。ターゲットを私に変えたらしく、こちらに迫ろうとするが、白い霧が幻想食いを包み込み、動きが止まる。
「足を凍らせてやったぜ」
幻想食いが中庭の池に入った時を狙い、チルノが池の水を凍らせ、相手を縛り付けたのだ。
チャンス! でも妖力がもう枯渇している、回復を待っていたらまたあいつが動き出してしまうかもしれない。チルノも疲れているはずだ。やはり逃げるしかないのか。
「私に任せて」 永琳の声がして、矢の射られる音がした。同時に矢が幻想食いの殻に刺さり、砕け散った。赤い核がようやくむき出しになる。この状態なら、今の私でも……。
♪~~~~~~~♪~~~~~~~
小さな歌声がして顔を空に向けると、ミスティアがかすれた声ながら、精いっぱい歌っているのが見えた。彼女の歌は人を鳥目にする能力がある。だがこいつに効果はあるのだろうか? 永琳がかまわず次の矢をつがえようとするが、幻想食いの様子がおかしい。
「永琳先生、やめてください」
「どうして? とどめを刺す機会なのに?」
「様子が変なんです」
永琳もすぐに察した。幻想食いが動きを止め、目がミスティアの方を向いている。触手の攻撃もしてこない。これはまるで……。
「歌に、聞き入っている?」
「たぶんそうよ」
ミスティアはせき込みながら、それでも歌を止めようとしないのが痛々しく見える。無理しないでと声をかけようとしたが、私は急にある事を思いついた。ごめん、もう少し待っていて。
「そこの幻想食いさん、いや本当の名は存じ上げませんが、あなたの幻想の力、あの子に分けてあげてくださいな、そうすれば、あの子はもっと美しい歌を聞かせてくれるでしょう」
「あれに交渉が通じるわけない、何度も試したもの。正気なの?」
私はあえて幻想食いの前に進み出る。宙に浮かんでいるチルノが私とミスティア、どちらをフォローしたものか迷っているが、私が目を合わせてうなずくと、彼女は直感で分かったらしく、夜雀をかばえる位置に着いた。
「私は八雲紫、歌の良さを理解するあなたとなら、きっとお友達になれるはず。さあ、貴方が集めた幻想の力を分けてくださいな」
幻想食いがしばらくの沈黙の後、集めた幻想成分を放出していく。私に力が戻っていくのを感じる、周囲の妖怪や永琳もそう感じているだろう。しだいに夜雀の歌声もより大きく、澄んだものになっていく。
「もっと力を頂ければ、もっと美しい声を聞かせてくれるでしょう」
「話し合いが通じている、信じられないわ」
幻想食いが幻想成分をさらに放出しながら、夜雀の歌を聞いている、心地良さすら感じているかのように思える。体が縮んでいって、毛玉大になり、ついにはビー玉程のサイズになってしまった。
「今なら素手でも」 とどめを刺そうとする永琳の手を、私はそっと抑える。
「この子はもう無害です、きっと時々歌を聞かせてやれば、もう誰かを襲う事はないでしょう」
「そんな楽観的過ぎるわ、今なら簡単に消せる……と思ったけど、確かにこいつからは妖力をあまり感じない…………うん、そうね、研究用に飼うのも良いでしょう」
彼女は妖力のこもった虫かごのような入れ物を服のポケットから取り出し、その幻想食いを入れた。チルノとミスティアが降りてきて、避難していた妖怪兎も戻ってくる。
「ユカリ、みすちーが歌えるようになったよ」
「聞いていたわ、きれいな歌声だったね。それに助かったわ、ありがとう」
ミスティアは恥ずかしそうに顔をそらす。
「みんなが危なくてさ、柄にもなく自分も何かしなくちゃって思ってさ、そうしたら少しだけ声が出たの。それであの怪物、まあ私らも似たようなもんだけど、そいつの注意をそらせればと思っただけ。たいしたもんじゃないよ」
「でも、あなたの歌のおかげで、あの幻想食いの脅威はひとまずなくなったわ」
永琳は少し考えて、こんな提案をした。
「これで声が出ないあなたの症状は回復したとみて良いけど、もしよかったら、時々患者さん達に歌を聞かせてあげてはどうかしら」
「そりゃあいい、お礼も出すよ、ねえ永琳様」 妖怪兎も勧めた。
「ええ? 歌を歌うのは人間に悪戯する時とか、ライブでスカッとするためぐらいだったんだけだし。私は歌で人を惑わすのがアイデンティティの妖怪だけど」
「じゃあみすちー、これからは歌でみんなを楽しませたり、元気づける系の妖怪として再出発すればいいじゃん」
チルノの提案を聞いて顔が真っ赤になった。
「バカ言わないでよ、私は誰かのために、なんて殊勝なキャラクターじゃない……けれど、ここで歌う仕事としてなら、悪くないかも」
「じゃあ試しに今日の昼めし時にちょっと歌ってみてよ」
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その後、お昼に入院患者や働いている妖怪兎たちに彼女が歌声を届けると、あるものは食事しながら、あるものは作業をしながら、思い思いに楽しみ、みんな満足してくれたようだった。感動の涙を流す人さえいた。歌い終えた後で、こんな良い歌を聞いたのは初めてだとみんなが賞賛した。
「別に、歌うのが好きで歌っただけだし」
などと言いつつも、伏せた顔の口元が緩んでいるのを私は見逃さない。そのことを指摘すると、ピンポイントで私だけ鳥目にされてしまい、しばらくして元の視界にもどると姿が消えてしまっていた。ちょっとかわいい。
昼下がり、お昼をごちそうになった後、そろそろ永遠亭を出ようと永琳にあいさつした。
「ごはん、美味しかったわ」
「あの程度しか用意できませんでしたけどね」
「お構いなく」
「あの歌声、本当に良かったわ。鈴仙にも聞かせたかったわね」
「彼女はいないんですか?」
「あの子は今、太陽の丘に薬種を取りに行ってもらっていて、昨日帰ってくるはずだったんだけど、まだ帰ってきていないの、午後の診療はお休みにして探そうと思うのだけど」
「じゃあ、私達、次はそちらの方を探索してみようと思います。チルノ、良いかしら?」
「もちろん、みすちーも見つかったし、次はリグルかルーミアかも」
「決まりね、先生、確実に彼女を見つけられるか分からないけれど。もし一日ほど歩き回って、何もなかったらまたここに戻るつもりです。もし入れ違いでその子が帰ってきたら、それはそれで構いません」
「助かるわ、でも無理は禁物。あなた達でもね。途中までてゐに案内させましょう」
「では、お世話になりました」 とぺこり
「お邪魔したね、えーりん先生」
「いままでにっちもさっちも行かなかったけれど、あなた達のおかげで、希望が持てそうよ」
永琳は拳を握ってガッツポーズした。彼女らしからぬ仕草だ。
こんな時代でも、前を向いて生きていこうとする人を見るのは気分がいい。
まだ兎の姿でいる因幡てゐが私達の前をぴょんこぴょんこ跳ねながら、竹林の出口まで見送ってくれている。
「あんた方のおかげで妖力が回復したけれど、まだ人化と幸運にする程度の能力を両立できるほどじゃないから、こっちを取ったのさ。まだ物騒な事があるかも知れないから」
「用心深いのね」
「性格だからねえ」
竹林が開け、遠くに丘が見える、あそこを超えるとひまわり畑があるはずである。今の能力だと、行って永遠亭に戻るのは、何事もなくても一日がかりになりそうだ。
「じゃあ案内はここまでで、気を付けなよ」
「ええ、助かったわ」
「じゃあ、良い知らせを待っていなよ」
「永琳様さあ、何かと諦めかけていたんだけど、あんた方のおかげで自信着いちゃったよ」
「良かったじゃない、希望を取り戻せたのなら」
「こんな時だからこそ、くよくよしてないで気持ちをでっかく持てば何とかなるもんさ」
「妖精はポジティブだなあ。うん……確かにそうかもね」
去り際にてゐは、「そういう意味じゃないんだけどなあ……」といった気がしたが、その時の私は気にせずに歩き出していた。
「あなたも、黒猫さんも、けがは大したことないわ」
「ありがとうございます。ほら橙も礼を言うんだぞ」
「にゃ~ん」
「それにしても、魔法が使えなくなっても彼女ら豪快だなあ。発破技師でもやっていけるんじゃないか」
「みんな意外とタフだったのね。あと、あなたのご主人とお友達、太陽の丘方面に出かけたから、もしかしたら何日かかかるかも」
「う~ん、じゃあ、明日またここに来させてもらうよ。正直行き違いばかりで辛いし、紫様には悪いけどたまには休むのもいいかな。橙はどう思う」
「にゃん」
「そっか、紅魔館の様子を見にいってみようか」