竹秋が春の季語とされるように、竹の紅葉は三月であり秋には訪れない。
秋真っ盛りのこの季節でも、迷いの竹林の竹は素知らぬ顔で青々としていた。
ただし竹の間からは紅葉が自分の方が主役だと言わんばかりに鮮やかな赤や黄色の顔を覗かせている。輝夜たちがここに住むようになったのはこの景色を気に入ったからかもしれないと鈴仙は思った。
「いや、本当に世話になりました」
「とんでもないです」
男は鈴仙に深々と頭を下げた。その横では、彼の愛娘が父親の動きを真似て頭を下げる。
鈴仙は玄関を後ろ手で閉めて二人に向き直った。
「術後での消耗も完全に回復したと思います。何かあれば文を飛ばしてください」
幼い彼女の治療を永遠亭で行ったのだが、父親は感謝で頭を下げるあまり地面に頭がめり込みそうといった様子だった。妻にも先立たれたというこの男は、娘を本当に大切に思っているのだろう。
「いやっ、本当に何とお礼を言ったら良いか……!」
「そ、そんな頭を下げないでください。開腹したとはいえ簡単な施術ですから」
八意永琳にとって簡単ではない手術はあるだろうか、という疑問が鈴仙の脳裏を掠めたがもちろん飲み込んだ。
むしろ大変だったのは手術後の方だった。仕事のこともあり一旦父親は里に戻っていたのだが、その間に予定より早く娘は術後の消耗から回復した。父親が戻ってくるまでずっと鈴仙が彼女の相手をする羽目になったのだ。そうしていないと好奇心旺盛な彼女は勝手に永遠亭の中を探検してしまい、何が起こるかわかったものではなかった。
「ほら、これを鈴仙さんに……」
父親が懐から何かを取り出し娘に渡した。彼が頭を撫でて何かを囁くと、娘はとたとたと鈴仙に近づいた。
「ありがとうございました! つまらないものですが!」
大仰に彼女は頭を下げながら、黄色い包装のお礼の品を差し出した。
親が言わせているのは百も承知だが、それでも子供から元気よくお礼を言われるのはとても嬉しかった。
「どういたしまして。体には気をつけてね」
鈴仙はしゃがみ込み、彼女からお礼の品を受け取った。
「そろそろ失礼します。あまり妹紅さんを待たせるといけないので…」
父親が肩の向こうをチラリと振り返ると、竹林の木陰で藤原妹紅が腕組みをしていた。ぼーっと紅葉を眺めている。
竹林の道案内をしてもらっているのだろう。
彼女はあまり永遠亭に近づかない。輝夜と殺し合うようなことも少なくなったし、鈴仙に大分良くしてくれるようになったが、それでも彼女は永遠亭に対し一線を引いていた。
こちらとしてはお茶の一杯くらい出させて欲しいのだが、彼女は何を拘っているのだろうか、と鈴仙は思う。
「本当にありがとうございました」
「バイバイ、鈴仙ちゃん!」
そう言うと二人は門の外へ向かう。
少し寂しくなるかな、と思いながら鈴仙は先ほど渡された黄色い包装のお礼の品に目線を落とした。
その黄色い包装紙は里で人気の、かつての月での同胞が営んでいる鈴瑚屋という団子屋で使われている包装紙だった。
「ん? こ、これは……!」
包装紙をよく見てみると、いつもの鈴瑚屋の包装紙とは模様が違った。一日二十食限定の栗餡団子だけに使われている包装紙たった。
鈴仙としてもこの限定品の団子は気になっていた。しかしこの団子は一日二十食限定のため朝早くに売り切れるのだ。
かつての同胞のやっている団子屋に朝早くから並ぶというのは何だか恥ずかしくて出来ない。栗餡団子は鈴仙にとって食べたいのに微妙に手に入らない、何とももどかしい存在だった。
「……」
鈴仙には永遠亭で一番自分が働いているという自負があった。
今回だってそうだ。あの子の看病と回復した後の遊び相手を勤めたのは自分だ。手術を行ったのは師匠だが、報酬は全て師匠が受け取る(勿論別途にお小遣いは貰っているが)。なら自分はもう少し報われても良いのではないか。鈴仙はそう考えた。
「はぁ〜」
不自然に肩を回しながら、不自然に鈴仙は団子を懐にしまった。
別に意地汚く団子を独り占めしたわけではない。正当な報酬を受け取っただけだ。
鈴仙はそう自分に言い聞かせた。
「じゃーねー!」
竹林の手前で少女が振り返り手を振る。鈴仙は笑顔で手を振り返した。
そして少女と父親は妹紅に連れられて竹林の奥への消えていった。
その様子を見て一息つくと、後ろから声がした。
「あら、もう帰っちゃったの」
「っ……!」
気がつけば鈴仙の後ろの縁側に、黒髪の見た目麗しい少女が戸に手をかけて立っていた。蓬莱山輝夜だ。
鈴仙の波長を操る力は索敵には事欠かない能力だった。しかし輝夜のことは何故かうまく探知できない時がしばしばあった。
「ひ、姫様……いつから……」
「いつからって……今から?」
予想外の質問だったのか、輝夜がキョトンとする。そのリアクションを見て鈴仙は栗餡団子を懐にしまうところは見られていないだろうと判断した。
「ちょっと寂しくなるわね」
「……そうですね」
少女の手術後すぐの癖にありあまる元気に、鈴仙は大分振り回された。何度耳を引っ張られたかわからない。だがその一方で永遠亭に住民以外が、それも元気いっぱいな少女が泊まっているというのは何だか新鮮で、楽しかったことも確かだった。
「何だか、子供って良いですよねぇ」
「イナバは子供に大層好かれるものね」
「ははは……」
揶揄うように輝夜は口元を抑え、鈴仙は苦笑した。
輝夜の今言ったイナバとは兎全員のことではなく鈴仙個人を指していた。
彼女は鈴仙も含めて兎のことは全員イナバと呼ぶ。それは兎を全員一緒くたにして区別できていないというわけではない。微妙に一匹一匹イナバと呼ぶときのアクセントや音の響きが異なるのだ。
ということに鈴仙が気づいたのは比較的最近の話だった。
「にしてもあの親御さん、いたく彼女を可愛がってましたね」
あの様子だと一人娘だろうな、と鈴仙は思った。
「他人のお子さんでもあれだけ可愛いんですもの。自分の子供ともなれば、月並みな言い方だけど目に入れても痛くないでしょうね」
それもそうですね、と鈴仙。
あの子がもし自分の娘だったらと思うと、正直自分もあの父親みたくなるだろう。あまり考えたことはなかったが、自分の子どもを持つというのも悪くないかもしれない。
「そういえば姫様は子どーーー」
子どもが欲しいとか思わないんですか、と鈴仙は口を開きかけてから、あまりの配慮の無い発言ではないかと気づいた。
鈴仙には一つの疑念があった。
輝夜の生きた年月と性格からして、子どもが欲しいと考えたことが無いはずがないだろう。しかしそんな話は輝夜自身からも永琳からも一度も聞いたことがない。
ひょっとすると蓬莱の薬のせいで輝夜は子が望めない体になっているのではないだろうか。
「いやっ……こど……えーっと……」
こど、と言いかけた言葉から別の話題にできないだろうかと頭を捻ったが、割と機転が利かない鈴仙は何も思いつけなかった。
いつだって自分はそうだ、と鈴仙は自己嫌悪に陥る。悪気はないのに人の触れてはいけない話題を口に出してしまい後悔する。口にした後すぐ気付けるのに、何故言葉にする前に気づけないのだろうか。我ながら本当に性質が悪い。
鈴仙が慌てふためいていると、輝夜はいつものように笑った。
「ええ、大体イナバの思っている通りよ」
彼女は縁側に腰を下ろし、鈴仙に隣に座るよう手招きした。鈴仙はおずおずと輝夜の隣に腰を降ろした。
「何だか色々と話したい気分になっちゃった。少し難しい話になるけど付き合ってくれるかしら」
黙ってうなずいた鈴仙を見てから、輝夜は竹林の方に目を向けた。竹林が風にそよぎ、ざあざあと音を立てる。まるで輝夜に呼応したかのようだと鈴仙は思った。
「イナバはそもそも蓬莱の薬ってなんだと思う?」
「ええと、飲むと不老不死になれる薬……ですよね?」
鈴仙はたどたどしく答える。蓬莱の薬が不老不死の薬というのは鈴仙ももちろん知っていたが、改めて問われてみると自信が無くなってしまったのだ。
「そのとおり。じゃあ次に、月の民が穢れを厭うのは何故かしら」
人差し指を立てて、輝夜はしたり顔でそう言う。
講義のような雰囲気になってきた。彼女は教師気分を楽しんでいるようだった。
「毒みたいなもの……だからですかね」
「そうね。より正確には穢れの影響で地上の生き物に近づき、自らの不死性が損なわれるからよ」
あれ、と鈴仙の頭蓋骨の中に疑問が生まれかける。その疑問が形を成す前に、輝夜が言葉にする。
「おかしいでしょ。蓬莱の薬なんかに頼らなくとも、元々月の民に寿命なんてないのよ。神様という概念が無かった頃から生きてるくらいだしね」
「確かに……妹紅さんのような地上人にとっては不老不死の薬ですけど、月の民にとっては飲んでもそこまで意味がなさそうですよね」
蓬莱人と違って宇宙の果てを見れるほどの完全な不老不死ではないから意味がないわけじゃないけどね、と輝夜は付け足した。
「穢れとは生命、生命の本質は循環よ」
そのことは以前永琳に聞いたことがあったので鈴仙にもわかった。
「食物連鎖や輪廻転生でぐるぐる回ってるってことですよね」
「そう。勉強できてるじゃない」
輝夜はクスクスと笑った。
「月の民はその循環を止めることで永遠を得たのよ」
鈴仙には輝夜の言葉が感覚で理解できた。地上に来てからあの場所は、月の都はまるで時間が止まっているかのようだったと感じることがあった。
地上と比べてみて初めてわかったのだ。あそこは時が凍てついた街なのだと。
「脱線するけど、完全に閉じた輪は、孤立した系は均され劣化していくだけよ。だから寿命を、僅かながら穢れを有する月兎が月の都には必要なの」
完全な箱庭に未来はない。近親相姦を繰り返したコミュニティが異常をきたしていくのと同じように。
「……幻想郷も箱庭だけどそれだけじゃ成り立たくって、外の世界のものが流入するおかげで成り立ってるのと一緒ですかね」
「その通りよ。生徒が聡明だと教師も楽しいわね」
聡明だなんて初めて言われたかもしれない、と鈴仙は耳をもじもじと弄った。
「で、蓬莱の薬に話を戻しましょう。あれは地上の生き物のように循環の中に身を置くわけではなく、月の民のように循環を止めるのでもない」
作ったのは永琳だから私も詳しくはわからないんだけど、と輝夜は前置きする。
「蓬莱の薬は自らの中だけで大きな循環を作り出す薬なの。いわば服用者が一つの宇宙になるような、そんな薬よ」
「……わかったような、わからないような」
結局のところ、元々死なない月の民が蓬莱の薬を服用する意味があまりないという疑問が解けない。少なくとも、大罪人の汚名を背負ってでも飲みたい薬には思えない。
「姫様は何でそんな薬を?」
しまった、まただ。鈴仙は肝を冷やす。これも彼女が聞かれたくないセンシティブな質問かもしれないじゃないか。
だが輝夜は鈴仙の方を向いて笑顔で答えた。
「簡単よ。地上に住みたかったの。傲慢でしょ?」
少し遅れてから、そうか、と鈴仙は得心した。
月の民が地上に住めば、穢れによって不死性が失われる。しかし蓬莱の薬であれば、不老不死のままに地上に住むことができる。
傲慢という言葉の意味もわかった。ただ地上に住みたいのなら住めば良い。ただしその時は穢れによって普通の地上の生命と同じように不死ではなくなる。
蓬莱の薬は、不死のままに地上に住むための薬だった。
「色々と無駄話しちゃったけど……こんな体になったのも、全部私が選んだことなのよ」
地上の民が月を眺めてあそこに都があったらと、あそこに住めたならと夢想したように、輝夜は月面から空を仰いで青い星を眺め、あそこに住めたらと考えたのだろう。
輝夜の胸中を思い、鈴仙は胸に手を当てた。するの何かの感触がした。先程懐にしまった栗餡団子だった。
今の気分では、とてもじゃないが一人で美味しく食べられる気がしなかった。鈴仙は懐からそれを取り出した。
「さっき治療のお礼にとお団子をいただいたんです。一緒に食べますか」
「あら。じゃあお茶を入れて来ないと」
立ち上がる輝夜を慌てて鈴仙は自分が入れてくるからと制し、お茶の準備をしに御勝手へ向かった。
二人で食べた栗餡団子は、きっと一人で食べるよりも美味しかった。
「いや子供作れるんだけどね」
あっけらかんと八意永琳永琳はそう言った。鈴仙は自分の耳を疑った。
「えっ……今何とおっしゃ……ええ?」
円柱状の発光する緑色の水槽がいくつも立ち並ぶ薄暗い部屋の中に永琳と鈴仙はいた。水槽の中で何かの生物のようなものが時折り泡をゴポリと吐いている。
永琳の研究室は一眼には安っぽいサイバーパンクといったような見た目だった。
部屋の主は机に向かい、栗餡団子を食べお茶を飲んでいる。
その後ろで鈴仙は戸惑っていた。
「輝夜の話はデタラメって言ったのよ」
「いやっ……でも蓬莱の薬は……」
「ちょっと考えればわかるじゃない。輝夜の話が矛盾だらけって。からかわれたのよアンタ」
「えぇ……」
永琳は溜息をつき、鈴仙はその場にへたり込んだ。あの彼女の物憂げな表情は、こんなことを話せるのは貴女だけよ、みたいな雰囲気は何だったのだ。
しかし冷静になって考えれば、かぐや姫はその魅力で五人の貴族を破滅させたような女性だ。ひょっとしなくても彼女はてゐにも勝るとも劣らない策謀家なのだ。
「な、なんでそんな話を……」
「さあ?お団子が食べたくなったんじゃない?」
もし栗餡団子を懐にしまうところを見られているとしたら合点が行く。欲張りな鈴仙をちょっと懲らしめてやろうというつもりだったのかもしれない。
団子を独り占めしようとしたのを普通に嗜めるのでは面白くない、と趣向を凝らした結果が先ほどの会話というのはありえそうな話だった。
しかし懲らしめるにしたってあまりに度し難い冗談だ。
「なんて性質の悪い……」
鈴仙は長い長い溜息をついた。溜息と共に力が抜けていく。
蓬莱山輝夜という人物には一生敵わないそうもない。何をやっても彼女の手のひらの上にいるような、それでいてそれが決して不快ではないのがまた恐ろしいのだ。
そう考えると長年彼女と張り合ってきた妹紅はすごいなぁ、と鈴仙は思った。
夜もとっぷりと暮れ、湯浴みを済ませた輝夜と永琳は白襦袢に着替えていた。寝室の化粧台の鏡の前で、永琳が輝夜のお髪を拭いていた。行灯が二人を照らす。
永琳は嗜めるような口調でこう言った。
「輝夜、もう少しタイミングを考えて話してよね。ああ見えて優曇華は人を傷つけてないか気に病む子なんですから」
「わかってるわよ」
当たり前じゃない、と輝夜が答える。
「でも私は永琳が上手いことフォロー入れてくれることもわかってたから」
鏡の中で目を細める輝夜を見て、永琳は溜息をついた。
「本当に性質の悪い……」
秋真っ盛りのこの季節でも、迷いの竹林の竹は素知らぬ顔で青々としていた。
ただし竹の間からは紅葉が自分の方が主役だと言わんばかりに鮮やかな赤や黄色の顔を覗かせている。輝夜たちがここに住むようになったのはこの景色を気に入ったからかもしれないと鈴仙は思った。
「いや、本当に世話になりました」
「とんでもないです」
男は鈴仙に深々と頭を下げた。その横では、彼の愛娘が父親の動きを真似て頭を下げる。
鈴仙は玄関を後ろ手で閉めて二人に向き直った。
「術後での消耗も完全に回復したと思います。何かあれば文を飛ばしてください」
幼い彼女の治療を永遠亭で行ったのだが、父親は感謝で頭を下げるあまり地面に頭がめり込みそうといった様子だった。妻にも先立たれたというこの男は、娘を本当に大切に思っているのだろう。
「いやっ、本当に何とお礼を言ったら良いか……!」
「そ、そんな頭を下げないでください。開腹したとはいえ簡単な施術ですから」
八意永琳にとって簡単ではない手術はあるだろうか、という疑問が鈴仙の脳裏を掠めたがもちろん飲み込んだ。
むしろ大変だったのは手術後の方だった。仕事のこともあり一旦父親は里に戻っていたのだが、その間に予定より早く娘は術後の消耗から回復した。父親が戻ってくるまでずっと鈴仙が彼女の相手をする羽目になったのだ。そうしていないと好奇心旺盛な彼女は勝手に永遠亭の中を探検してしまい、何が起こるかわかったものではなかった。
「ほら、これを鈴仙さんに……」
父親が懐から何かを取り出し娘に渡した。彼が頭を撫でて何かを囁くと、娘はとたとたと鈴仙に近づいた。
「ありがとうございました! つまらないものですが!」
大仰に彼女は頭を下げながら、黄色い包装のお礼の品を差し出した。
親が言わせているのは百も承知だが、それでも子供から元気よくお礼を言われるのはとても嬉しかった。
「どういたしまして。体には気をつけてね」
鈴仙はしゃがみ込み、彼女からお礼の品を受け取った。
「そろそろ失礼します。あまり妹紅さんを待たせるといけないので…」
父親が肩の向こうをチラリと振り返ると、竹林の木陰で藤原妹紅が腕組みをしていた。ぼーっと紅葉を眺めている。
竹林の道案内をしてもらっているのだろう。
彼女はあまり永遠亭に近づかない。輝夜と殺し合うようなことも少なくなったし、鈴仙に大分良くしてくれるようになったが、それでも彼女は永遠亭に対し一線を引いていた。
こちらとしてはお茶の一杯くらい出させて欲しいのだが、彼女は何を拘っているのだろうか、と鈴仙は思う。
「本当にありがとうございました」
「バイバイ、鈴仙ちゃん!」
そう言うと二人は門の外へ向かう。
少し寂しくなるかな、と思いながら鈴仙は先ほど渡された黄色い包装のお礼の品に目線を落とした。
その黄色い包装紙は里で人気の、かつての月での同胞が営んでいる鈴瑚屋という団子屋で使われている包装紙だった。
「ん? こ、これは……!」
包装紙をよく見てみると、いつもの鈴瑚屋の包装紙とは模様が違った。一日二十食限定の栗餡団子だけに使われている包装紙たった。
鈴仙としてもこの限定品の団子は気になっていた。しかしこの団子は一日二十食限定のため朝早くに売り切れるのだ。
かつての同胞のやっている団子屋に朝早くから並ぶというのは何だか恥ずかしくて出来ない。栗餡団子は鈴仙にとって食べたいのに微妙に手に入らない、何とももどかしい存在だった。
「……」
鈴仙には永遠亭で一番自分が働いているという自負があった。
今回だってそうだ。あの子の看病と回復した後の遊び相手を勤めたのは自分だ。手術を行ったのは師匠だが、報酬は全て師匠が受け取る(勿論別途にお小遣いは貰っているが)。なら自分はもう少し報われても良いのではないか。鈴仙はそう考えた。
「はぁ〜」
不自然に肩を回しながら、不自然に鈴仙は団子を懐にしまった。
別に意地汚く団子を独り占めしたわけではない。正当な報酬を受け取っただけだ。
鈴仙はそう自分に言い聞かせた。
「じゃーねー!」
竹林の手前で少女が振り返り手を振る。鈴仙は笑顔で手を振り返した。
そして少女と父親は妹紅に連れられて竹林の奥への消えていった。
その様子を見て一息つくと、後ろから声がした。
「あら、もう帰っちゃったの」
「っ……!」
気がつけば鈴仙の後ろの縁側に、黒髪の見た目麗しい少女が戸に手をかけて立っていた。蓬莱山輝夜だ。
鈴仙の波長を操る力は索敵には事欠かない能力だった。しかし輝夜のことは何故かうまく探知できない時がしばしばあった。
「ひ、姫様……いつから……」
「いつからって……今から?」
予想外の質問だったのか、輝夜がキョトンとする。そのリアクションを見て鈴仙は栗餡団子を懐にしまうところは見られていないだろうと判断した。
「ちょっと寂しくなるわね」
「……そうですね」
少女の手術後すぐの癖にありあまる元気に、鈴仙は大分振り回された。何度耳を引っ張られたかわからない。だがその一方で永遠亭に住民以外が、それも元気いっぱいな少女が泊まっているというのは何だか新鮮で、楽しかったことも確かだった。
「何だか、子供って良いですよねぇ」
「イナバは子供に大層好かれるものね」
「ははは……」
揶揄うように輝夜は口元を抑え、鈴仙は苦笑した。
輝夜の今言ったイナバとは兎全員のことではなく鈴仙個人を指していた。
彼女は鈴仙も含めて兎のことは全員イナバと呼ぶ。それは兎を全員一緒くたにして区別できていないというわけではない。微妙に一匹一匹イナバと呼ぶときのアクセントや音の響きが異なるのだ。
ということに鈴仙が気づいたのは比較的最近の話だった。
「にしてもあの親御さん、いたく彼女を可愛がってましたね」
あの様子だと一人娘だろうな、と鈴仙は思った。
「他人のお子さんでもあれだけ可愛いんですもの。自分の子供ともなれば、月並みな言い方だけど目に入れても痛くないでしょうね」
それもそうですね、と鈴仙。
あの子がもし自分の娘だったらと思うと、正直自分もあの父親みたくなるだろう。あまり考えたことはなかったが、自分の子どもを持つというのも悪くないかもしれない。
「そういえば姫様は子どーーー」
子どもが欲しいとか思わないんですか、と鈴仙は口を開きかけてから、あまりの配慮の無い発言ではないかと気づいた。
鈴仙には一つの疑念があった。
輝夜の生きた年月と性格からして、子どもが欲しいと考えたことが無いはずがないだろう。しかしそんな話は輝夜自身からも永琳からも一度も聞いたことがない。
ひょっとすると蓬莱の薬のせいで輝夜は子が望めない体になっているのではないだろうか。
「いやっ……こど……えーっと……」
こど、と言いかけた言葉から別の話題にできないだろうかと頭を捻ったが、割と機転が利かない鈴仙は何も思いつけなかった。
いつだって自分はそうだ、と鈴仙は自己嫌悪に陥る。悪気はないのに人の触れてはいけない話題を口に出してしまい後悔する。口にした後すぐ気付けるのに、何故言葉にする前に気づけないのだろうか。我ながら本当に性質が悪い。
鈴仙が慌てふためいていると、輝夜はいつものように笑った。
「ええ、大体イナバの思っている通りよ」
彼女は縁側に腰を下ろし、鈴仙に隣に座るよう手招きした。鈴仙はおずおずと輝夜の隣に腰を降ろした。
「何だか色々と話したい気分になっちゃった。少し難しい話になるけど付き合ってくれるかしら」
黙ってうなずいた鈴仙を見てから、輝夜は竹林の方に目を向けた。竹林が風にそよぎ、ざあざあと音を立てる。まるで輝夜に呼応したかのようだと鈴仙は思った。
「イナバはそもそも蓬莱の薬ってなんだと思う?」
「ええと、飲むと不老不死になれる薬……ですよね?」
鈴仙はたどたどしく答える。蓬莱の薬が不老不死の薬というのは鈴仙ももちろん知っていたが、改めて問われてみると自信が無くなってしまったのだ。
「そのとおり。じゃあ次に、月の民が穢れを厭うのは何故かしら」
人差し指を立てて、輝夜はしたり顔でそう言う。
講義のような雰囲気になってきた。彼女は教師気分を楽しんでいるようだった。
「毒みたいなもの……だからですかね」
「そうね。より正確には穢れの影響で地上の生き物に近づき、自らの不死性が損なわれるからよ」
あれ、と鈴仙の頭蓋骨の中に疑問が生まれかける。その疑問が形を成す前に、輝夜が言葉にする。
「おかしいでしょ。蓬莱の薬なんかに頼らなくとも、元々月の民に寿命なんてないのよ。神様という概念が無かった頃から生きてるくらいだしね」
「確かに……妹紅さんのような地上人にとっては不老不死の薬ですけど、月の民にとっては飲んでもそこまで意味がなさそうですよね」
蓬莱人と違って宇宙の果てを見れるほどの完全な不老不死ではないから意味がないわけじゃないけどね、と輝夜は付け足した。
「穢れとは生命、生命の本質は循環よ」
そのことは以前永琳に聞いたことがあったので鈴仙にもわかった。
「食物連鎖や輪廻転生でぐるぐる回ってるってことですよね」
「そう。勉強できてるじゃない」
輝夜はクスクスと笑った。
「月の民はその循環を止めることで永遠を得たのよ」
鈴仙には輝夜の言葉が感覚で理解できた。地上に来てからあの場所は、月の都はまるで時間が止まっているかのようだったと感じることがあった。
地上と比べてみて初めてわかったのだ。あそこは時が凍てついた街なのだと。
「脱線するけど、完全に閉じた輪は、孤立した系は均され劣化していくだけよ。だから寿命を、僅かながら穢れを有する月兎が月の都には必要なの」
完全な箱庭に未来はない。近親相姦を繰り返したコミュニティが異常をきたしていくのと同じように。
「……幻想郷も箱庭だけどそれだけじゃ成り立たくって、外の世界のものが流入するおかげで成り立ってるのと一緒ですかね」
「その通りよ。生徒が聡明だと教師も楽しいわね」
聡明だなんて初めて言われたかもしれない、と鈴仙は耳をもじもじと弄った。
「で、蓬莱の薬に話を戻しましょう。あれは地上の生き物のように循環の中に身を置くわけではなく、月の民のように循環を止めるのでもない」
作ったのは永琳だから私も詳しくはわからないんだけど、と輝夜は前置きする。
「蓬莱の薬は自らの中だけで大きな循環を作り出す薬なの。いわば服用者が一つの宇宙になるような、そんな薬よ」
「……わかったような、わからないような」
結局のところ、元々死なない月の民が蓬莱の薬を服用する意味があまりないという疑問が解けない。少なくとも、大罪人の汚名を背負ってでも飲みたい薬には思えない。
「姫様は何でそんな薬を?」
しまった、まただ。鈴仙は肝を冷やす。これも彼女が聞かれたくないセンシティブな質問かもしれないじゃないか。
だが輝夜は鈴仙の方を向いて笑顔で答えた。
「簡単よ。地上に住みたかったの。傲慢でしょ?」
少し遅れてから、そうか、と鈴仙は得心した。
月の民が地上に住めば、穢れによって不死性が失われる。しかし蓬莱の薬であれば、不老不死のままに地上に住むことができる。
傲慢という言葉の意味もわかった。ただ地上に住みたいのなら住めば良い。ただしその時は穢れによって普通の地上の生命と同じように不死ではなくなる。
蓬莱の薬は、不死のままに地上に住むための薬だった。
「色々と無駄話しちゃったけど……こんな体になったのも、全部私が選んだことなのよ」
地上の民が月を眺めてあそこに都があったらと、あそこに住めたならと夢想したように、輝夜は月面から空を仰いで青い星を眺め、あそこに住めたらと考えたのだろう。
輝夜の胸中を思い、鈴仙は胸に手を当てた。するの何かの感触がした。先程懐にしまった栗餡団子だった。
今の気分では、とてもじゃないが一人で美味しく食べられる気がしなかった。鈴仙は懐からそれを取り出した。
「さっき治療のお礼にとお団子をいただいたんです。一緒に食べますか」
「あら。じゃあお茶を入れて来ないと」
立ち上がる輝夜を慌てて鈴仙は自分が入れてくるからと制し、お茶の準備をしに御勝手へ向かった。
二人で食べた栗餡団子は、きっと一人で食べるよりも美味しかった。
「いや子供作れるんだけどね」
あっけらかんと八意永琳永琳はそう言った。鈴仙は自分の耳を疑った。
「えっ……今何とおっしゃ……ええ?」
円柱状の発光する緑色の水槽がいくつも立ち並ぶ薄暗い部屋の中に永琳と鈴仙はいた。水槽の中で何かの生物のようなものが時折り泡をゴポリと吐いている。
永琳の研究室は一眼には安っぽいサイバーパンクといったような見た目だった。
部屋の主は机に向かい、栗餡団子を食べお茶を飲んでいる。
その後ろで鈴仙は戸惑っていた。
「輝夜の話はデタラメって言ったのよ」
「いやっ……でも蓬莱の薬は……」
「ちょっと考えればわかるじゃない。輝夜の話が矛盾だらけって。からかわれたのよアンタ」
「えぇ……」
永琳は溜息をつき、鈴仙はその場にへたり込んだ。あの彼女の物憂げな表情は、こんなことを話せるのは貴女だけよ、みたいな雰囲気は何だったのだ。
しかし冷静になって考えれば、かぐや姫はその魅力で五人の貴族を破滅させたような女性だ。ひょっとしなくても彼女はてゐにも勝るとも劣らない策謀家なのだ。
「な、なんでそんな話を……」
「さあ?お団子が食べたくなったんじゃない?」
もし栗餡団子を懐にしまうところを見られているとしたら合点が行く。欲張りな鈴仙をちょっと懲らしめてやろうというつもりだったのかもしれない。
団子を独り占めしようとしたのを普通に嗜めるのでは面白くない、と趣向を凝らした結果が先ほどの会話というのはありえそうな話だった。
しかし懲らしめるにしたってあまりに度し難い冗談だ。
「なんて性質の悪い……」
鈴仙は長い長い溜息をついた。溜息と共に力が抜けていく。
蓬莱山輝夜という人物には一生敵わないそうもない。何をやっても彼女の手のひらの上にいるような、それでいてそれが決して不快ではないのがまた恐ろしいのだ。
そう考えると長年彼女と張り合ってきた妹紅はすごいなぁ、と鈴仙は思った。
夜もとっぷりと暮れ、湯浴みを済ませた輝夜と永琳は白襦袢に着替えていた。寝室の化粧台の鏡の前で、永琳が輝夜のお髪を拭いていた。行灯が二人を照らす。
永琳は嗜めるような口調でこう言った。
「輝夜、もう少しタイミングを考えて話してよね。ああ見えて優曇華は人を傷つけてないか気に病む子なんですから」
「わかってるわよ」
当たり前じゃない、と輝夜が答える。
「でも私は永琳が上手いことフォロー入れてくれることもわかってたから」
鏡の中で目を細める輝夜を見て、永琳は溜息をついた。
「本当に性質の悪い……」
鈴仙に語った蓬莱の薬回りの解釈も、(ブラフなんでしょうが)すとんと腹落ちできる感じで、なるほどなあと思いました。
慌てる鈴仙が可愛かったです。
性質の悪い話だなぁ