『天地ガエシ』
・少名針妙丸
「天を下にして、地を見上げよう」
あの天邪鬼、鬼人正邪と過ごした日々の中で、どうしても忘れられない思い出がある。
それは、正邪と共に異変を起こす前の話――。
二人で木の枝にぶら下がり、逆さまに幻想郷を眺めた時の事だ。
「姫、やってみなよ。これが意外と面白いんだ。『全部』が逆さまだ」
傍から見れば馬鹿みたいな光景だった。正邪は赤と白の混じった髪をだらんと垂らしながらケタケタと笑う。少々呆れながらも、私は言われたとおりにぶら下がってみる。
夕刻、太陽が沈むその瞬間、地は天井となり、空に薄明の海が広がる。
あの夕暮れに、私と正邪は逆さまに世界を見た。
何処までも沈んでいけそうな、底のない空の水面にて。
アンタには、幻想郷の景色がこういう風に見えているのか。
だとしたら、普段アンタが口にする恥知らずな大言壮語も何となく頷ける。
ここまでデタラメな光景を見たら、きっと一度くらい誰だって思い焦がれる。おかしいくらい不平等なこの世界を『台無し』にしてみたいと――。
正邪が求めていたのは、私の持つ『打ち出の小槌』だ。一寸法師が鬼を退治した際に持ち帰った秘宝であり、これは振ればどんな願いも叶うと言われている。しかし、これを使えるのは一寸法師の末裔、つまり私のような小人族だけだ。
故に正邪は私の事を「姫」と呼び、媚びへつらって、私にこの小槌を使わせた。当時、私はこの小槌の持つ力を知らず、正邪の言うままに願いを叶え続けた。それには理由がある。
正邪は、私に小人族の「影」の歴史を教えてくれた。私の知らないところで、一族は人間や妖怪に虐げられて生きてきたらしい。正邪は、そんな不公平な世の中を変えるため、弱者を救済するために私の力を借りたいと豪語する。曰く、それは『弱者が見捨てられない楽園を築く』為だと。
正直私は、コイツにそんな大義が成せる訳がないと思っていた。
はっきり言って、正邪はそんな大それた器じゃない。それでも……。
ああ畜生、一体何故だろう。
この時、私は心の底から、この外道が天地を裏返してしまうと、信じてしまったのだ。
・・・
叛骨、その最中に在れる事はとても心地よかった。
決して誰にも媚びず、決して曲がらぬ信念を持ち、正体さえ分からない巨悪と対峙する。
理由は分からないが、異変の最中、何処までもあやふやな意志を用いて堂々と自分の「正義」を掲げる事が、とても誇らしくて、楽しくて堪らなかった。これまで誰にも必要とされなかった私だというのに、何となく、生きる意味を手にする事が出来たような気がして――。
こんな私でも生きていて良いんだ、って思えた。
今までそんな事、いちいち誰かに許可を求めた覚えはないのにね。
正邪に言われるまま、私は小槌を利用して幻想郷のパワーバランスをひっくり返した。
もう二度と、弱者が屈辱を味わう日が来ないように、全ての理を覆してみせた。
正義はこちらにあると、信じて疑わなかった。
今思えば、それが楽しくて、同時に、ある意味それに依存していたのかもしれない。
正邪と私は、思っていたよりも簡単に天下を手に入れた。
それで、思っていたよりも簡単にそれを手放してしまう事になる。
幻想郷の守護者である巫女が私達の計画を阻止するために輝針城へとやってきた。博麗霊夢、この幻想郷と外の世界を隔てる大結界を維持する者であった。つまり、事実上、コイツを倒せば、私達の悲願は叶うという事だ。不思議と、恐怖は無かった。
私をここまで支えてくれた天邪鬼、正邪がそばにいてくれるのなら、私は相手が何者だろうと負けない。以前、正邪が見せてくれたあの光景、天地が逆さまになった楽園を思い出す。
天邪鬼、鬼人正邪――アンタが私を信じてくれたように、私は、アンタと共に地獄へ墜ちよう。よく分かっている、初めから何もかも。
馬鹿正直に従う私の姿は、アンタの目にはさぞ滑稽に映った事でしょう。
アンタが教えてくれた私の歴史も、一生懸命に語り合った理想の景色も、アンタが私に示した友情も、嘘なんだって、とっくに気付いていた。だけど、それでも私はアンタと共に歩む。私にとって、アンタとの日々は紛れもなく真実で、どうしようもなく「救い」だった。
鬼人正邪、アンタだけだよ。私をここまで信じてくれたのは。
堕ちるなら、アンタと同じ地獄がいい。
いいよ、正邪、ぜんぶ、許してあげる。
だから、どうか、どうか――。
私に謝らないでくれ、天邪鬼――。
アンタと共に、ほんのひと時だとしても、身の丈に合わない夢を見れた。
それだけで、私はとっくに幸福だったんだ。
・・・
異変の首謀者として、正邪はお尋ね者となった。
一方、私はというと、正邪の卑劣な罠に騙された被害者として霊夢の元に保護される事となった。打ち出の小槌に蓄えられた魔力の大半は消失してしまい、私は再び無力な小人となってしまった。これで綺麗さっぱり、異変は解決という事になる。
私の一族は虐げられてなどいなかったし、この幻想郷は、正邪、アンタが思うより少しだけまともだ。私に、翻せる反旗なんか最初から存在していなかったんだ。果たしてそれを虚しいと思うべきか。……それでいいじゃないか。とても効率的な忘却だ。
だけど、このまま私が哀れな被害者に成り下がれば、アンタはいよいよ無様だ。
誰が何と言おうと、私はアンタの反逆を嘘にしたりはしない。
私は、私だけは、『私達』の思想を虚しさにくべる訳にはいかない。
この期に及んで、私は、あの馬鹿を心から信じている。
それが、私に出来る唯一の『天地返し』だから。
「正邪、何をしている? 世界は正気のままじゃないか」
・少名針妙丸
「天を下にして、地を見上げよう」
あの天邪鬼、鬼人正邪と過ごした日々の中で、どうしても忘れられない思い出がある。
それは、正邪と共に異変を起こす前の話――。
二人で木の枝にぶら下がり、逆さまに幻想郷を眺めた時の事だ。
「姫、やってみなよ。これが意外と面白いんだ。『全部』が逆さまだ」
傍から見れば馬鹿みたいな光景だった。正邪は赤と白の混じった髪をだらんと垂らしながらケタケタと笑う。少々呆れながらも、私は言われたとおりにぶら下がってみる。
夕刻、太陽が沈むその瞬間、地は天井となり、空に薄明の海が広がる。
あの夕暮れに、私と正邪は逆さまに世界を見た。
何処までも沈んでいけそうな、底のない空の水面にて。
アンタには、幻想郷の景色がこういう風に見えているのか。
だとしたら、普段アンタが口にする恥知らずな大言壮語も何となく頷ける。
ここまでデタラメな光景を見たら、きっと一度くらい誰だって思い焦がれる。おかしいくらい不平等なこの世界を『台無し』にしてみたいと――。
正邪が求めていたのは、私の持つ『打ち出の小槌』だ。一寸法師が鬼を退治した際に持ち帰った秘宝であり、これは振ればどんな願いも叶うと言われている。しかし、これを使えるのは一寸法師の末裔、つまり私のような小人族だけだ。
故に正邪は私の事を「姫」と呼び、媚びへつらって、私にこの小槌を使わせた。当時、私はこの小槌の持つ力を知らず、正邪の言うままに願いを叶え続けた。それには理由がある。
正邪は、私に小人族の「影」の歴史を教えてくれた。私の知らないところで、一族は人間や妖怪に虐げられて生きてきたらしい。正邪は、そんな不公平な世の中を変えるため、弱者を救済するために私の力を借りたいと豪語する。曰く、それは『弱者が見捨てられない楽園を築く』為だと。
正直私は、コイツにそんな大義が成せる訳がないと思っていた。
はっきり言って、正邪はそんな大それた器じゃない。それでも……。
ああ畜生、一体何故だろう。
この時、私は心の底から、この外道が天地を裏返してしまうと、信じてしまったのだ。
・・・
叛骨、その最中に在れる事はとても心地よかった。
決して誰にも媚びず、決して曲がらぬ信念を持ち、正体さえ分からない巨悪と対峙する。
理由は分からないが、異変の最中、何処までもあやふやな意志を用いて堂々と自分の「正義」を掲げる事が、とても誇らしくて、楽しくて堪らなかった。これまで誰にも必要とされなかった私だというのに、何となく、生きる意味を手にする事が出来たような気がして――。
こんな私でも生きていて良いんだ、って思えた。
今までそんな事、いちいち誰かに許可を求めた覚えはないのにね。
正邪に言われるまま、私は小槌を利用して幻想郷のパワーバランスをひっくり返した。
もう二度と、弱者が屈辱を味わう日が来ないように、全ての理を覆してみせた。
正義はこちらにあると、信じて疑わなかった。
今思えば、それが楽しくて、同時に、ある意味それに依存していたのかもしれない。
正邪と私は、思っていたよりも簡単に天下を手に入れた。
それで、思っていたよりも簡単にそれを手放してしまう事になる。
幻想郷の守護者である巫女が私達の計画を阻止するために輝針城へとやってきた。博麗霊夢、この幻想郷と外の世界を隔てる大結界を維持する者であった。つまり、事実上、コイツを倒せば、私達の悲願は叶うという事だ。不思議と、恐怖は無かった。
私をここまで支えてくれた天邪鬼、正邪がそばにいてくれるのなら、私は相手が何者だろうと負けない。以前、正邪が見せてくれたあの光景、天地が逆さまになった楽園を思い出す。
天邪鬼、鬼人正邪――アンタが私を信じてくれたように、私は、アンタと共に地獄へ墜ちよう。よく分かっている、初めから何もかも。
馬鹿正直に従う私の姿は、アンタの目にはさぞ滑稽に映った事でしょう。
アンタが教えてくれた私の歴史も、一生懸命に語り合った理想の景色も、アンタが私に示した友情も、嘘なんだって、とっくに気付いていた。だけど、それでも私はアンタと共に歩む。私にとって、アンタとの日々は紛れもなく真実で、どうしようもなく「救い」だった。
鬼人正邪、アンタだけだよ。私をここまで信じてくれたのは。
堕ちるなら、アンタと同じ地獄がいい。
いいよ、正邪、ぜんぶ、許してあげる。
だから、どうか、どうか――。
私に謝らないでくれ、天邪鬼――。
アンタと共に、ほんのひと時だとしても、身の丈に合わない夢を見れた。
それだけで、私はとっくに幸福だったんだ。
・・・
異変の首謀者として、正邪はお尋ね者となった。
一方、私はというと、正邪の卑劣な罠に騙された被害者として霊夢の元に保護される事となった。打ち出の小槌に蓄えられた魔力の大半は消失してしまい、私は再び無力な小人となってしまった。これで綺麗さっぱり、異変は解決という事になる。
私の一族は虐げられてなどいなかったし、この幻想郷は、正邪、アンタが思うより少しだけまともだ。私に、翻せる反旗なんか最初から存在していなかったんだ。果たしてそれを虚しいと思うべきか。……それでいいじゃないか。とても効率的な忘却だ。
だけど、このまま私が哀れな被害者に成り下がれば、アンタはいよいよ無様だ。
誰が何と言おうと、私はアンタの反逆を嘘にしたりはしない。
私は、私だけは、『私達』の思想を虚しさにくべる訳にはいかない。
この期に及んで、私は、あの馬鹿を心から信じている。
それが、私に出来る唯一の『天地返し』だから。
「正邪、何をしている? 世界は正気のままじゃないか」