Coolier - 新生・東方創想話

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2019/10/11 18:48:54
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     *

「あら珍しい。借りる人がいるなんて」
 彼女――稗田阿求はとある小説シリーズに目をつけ、被った埃を取り除くように背表紙を指でなぞった。ぎっしりと並べられたその本は、彼女が触れたところで一つ巻数が飛んでいる。
「あれ? そんな人いなかったと思うけど」
 そう言って彼女の背後からその本を覗き込んだのは、この場鈴奈庵の一人娘本居小鈴。彼女は阿求の肩に置いていた手を伸ばし、本の並びを指差す。
「ほら、どこにも隙間が無いでしょ?」
 小鈴の言葉通り、その小説が並べられた列には本が抜き取られた形跡はない。しかし。
「だけど見て。ここ、一冊抜けているわ」
 全二十巻のシリーズのうち、半ばを過ぎた十二巻。その隣には本来あるべきものを飛ばして十四巻が並んでいる。
「あれ、ほんとだ。……まさか盗まれた?」
「それなら尚のこと隙間ができるんじゃない?」
「他の場所の本を移動させて隙間を埋めたとか……」
 小鈴はそう言って青ざめた顔を阿求へと向ける。阿求はなだめるよう肩に手を置いた。
「落ち着いて。とりあえず帳簿を確認しましょう。その後、この棚に本来並べていないはずの本がないかを確かめたら確実でしょう?」
 小鈴はそ、そうね、と小走りで帳簿がある裏へと入っていった。
 彼女の背中を見送った後、阿求はその小説の一冊目を手に取った。この本は、というよりこの一帯の本棚に並べられた本は外から入ってきたもの。装丁は幻想郷内で作られた本よりつるりとしている。薄くまとわりついた埃を拭うようにその感触を確かめてから、彼女は表紙をめくる。始めの頁には色付きの絵が何枚かつけられている。図解、というわけでないにせよ、読者に本の内容を何となく想像させるのが目的なのだろう、と阿求は推察する。そして実際彼女は小説の舞台が西洋に近い世界なのだと即座に理解できた。
 その後も阿求がパラパラと目を通していると、足音が聞こえて視線を移す。鈴奈庵の奥から帳簿らしき紙の束を持った小鈴が出てきた。その表情は芳しくない。
「収穫はなかったみたいね」
 阿求が手に本を持ったまま小鈴の方へと歩みを進めると、彼女ははっとして阿求の方を見て再度眉根を寄せる。
「うーん。あったのはあったんだけど……」
「何か気になることでもあったの?」
 小鈴は持っていた帳簿を見やすいように机に広げ、見てこれ、と指を指した。
「十三巻は最初からなかったみたいなのよねぇ」
「それならむしろ良かったんじゃない?」
 幻想郷の外から、という非正規にも程がある流通経路は安定性とは程遠く、入ってきた本がシリーズすべて揃っていることなどほとんど無いと、彼女はよく聞かされていた。一冊を除き、すべての巻が合わせて存在するこのシリーズがむしろ稀有な方なのだ。それ故に小鈴の発見は、盗まれていないことが確定したという点で大きな収穫と言えた。だというのに小鈴は腑に落ちないといった風に口を尖らせる。
「私が前に読んだときは全部揃ってたはずなのよ」
「巻数は確認してたの?」
「ううん。だけど話が飛んでるとか、そんなのはぜーんぜんなかったわ」
「それは、この小説が各巻で完結する構成を取っているからじゃない?」
 阿求は未だ手に持っていた二冊を順に開いて見比べる。それは続いた巻だが、巻頭に添えられた絵の背景、また目次の次頁に載せられた地図から察するに、全く違う舞台での物語だとわかる。そしてそれは阿求が試し読みしたどの巻にも言えることだった。つまり各巻に強い結びつきはなく、それが違和感の無さに繋がったのでは、と彼女は考えたのだ。
「確かに毎回きれいに完結して終わるけど、ゆるく繋がってもいるのよ? 何の違和感も覚えないなんてことあるかなぁ」
「それは……」
 阿求は言葉をつまらせる。
 物語というのは積み重ねである。すべてでは無いにしろ、書かれたことには意味があり、理由があり、それは土台となって結末への足場を固めていく。この小説も例外ではなく、主人公が歩んだ冒険譚が、必ず結末への架け橋になっているはずなのだ。少なくとも、彼女は自分ならそうするという確信があった。
 彼女が小説家である故の沈黙と言えた。
「……ねぇ小鈴。これ借りてもいい?」
 阿求は手に持っていた巻を元の場所へ戻し、代わりに一巻と二巻を取って小鈴へと手渡した。
「私はいいけど、阿求こそいいの? 途中抜けてるけど」
「ええ、貴方は問題なく読めたんでしょう? だったらきっと大丈夫よ」
 小鈴はわずかに訝しむような視線を彼女へと向けたが、それ以外は慣れた手付きで貸本の手続きを済ませる。
 一週間後にまた借りに来るわ。そう残して阿求は鈴奈庵の戸を閉めた。
 口にはしなかったものの、小鈴がこのシリーズのすべてを網羅しているとは考えづらい。それは批判などではなく、純粋な事実として。二十巻にも及ぶ長編シリーズを、端から端まで完璧に記憶して読み進められる人間など存在しないのだ。
 ただ一人を除いては。
 これは挑戦状だ。彼女はそう解釈した。小説家アガサクリスQが出した、稗田阿求への問題提起。穴の空いた十三巻が残した足跡を、彼女が見つけられるかという。
「やってやろうじゃない」

     *

「どう? 面白い?」
 阿求がかの小説を借りてからちょうど三週間。一週間に二冊ずつ読み進めて、七、八巻の貸本手続きが終わったところで小鈴は訊ねた。
「今のところはね」
 阿求は小鈴から本を受け取った後、体重を預けるように机へと腰を付ける。
 六冊の内容を頭に入れて、彼女は一つわかったことがあった。それはこの小説が一つのパターンで構成されていることである。
 小説冒頭、主人公が回想する口調で冒険の舞台に至った経緯を語る。お金が足りなくなったから依頼を受けてだとか、あるいは食べたいものがあるからあの都市に行こうだとか。彼らの旅は衝動的で、そこに何の大義もない。
 ヒロインと二人、目的地を訪れた主人公はその地で問題を抱えた人物と出会う。問題の規模は様々で、村一つ、あるいは隣国一帯まで影響を及ぼすようなものから、たった一人を渦巻くものまであるが、共通することが一つ。主人公は必ずその問題の解決を名乗り出るのだ。
 解決の過程で彼らは毎回のように苦難と相対することになる。だけど彼らは諦めない。その姿に感化され当の本人たる現地人たちも奮起し、果たして問題は解決される。どんな凄惨な過程を経たとしても彼らは、最後には必ずハッピーエンドへと辿り着く。
「こういう構成は読者にストレスを与えない、という点で優秀なのよ。それでいて解決法が一辺倒じゃないから、マンネリを感じずカタルシスを与えることに成功している。キャラクター性を重視していることも、飽きを感じさせないことに一役買っているわね」
 早口で語った阿求に、小鈴は唖然とした様子で口を開けた。
「難しいことを考えて読んでるのねぇ。幻想郷縁起でもそういうことを意識して書いているのかしら」
「そっちは正確性を重視しているから」
「そっちは? じゃあアガサクリスQ名義のときは違うの?」
「一応ね。ただ私が書くのは推理モノだから、必ずしも幸せな結末にたどり着くわけでもないし、あえて読者にストレスを与えたりもするわ」
「それってつまり読む人がどんな風に思うか考えて書いてるってことでしょう? はぁ~、私たちは作者の手のひらの上で踊らされているのねぇ」
「そうやって全部が全部うまく転べば言うことはないんだけどね」
 阿求は物憂げに息を吐いて、重そうにその腰を上げた。
「ともかく、問題の一三巻を過ぎるまでは他の小説と変わりないでしょうから、そこまで読み進めてみるわ」
 結局その日はそれだけ告げて、阿求は鈴奈庵を後にした。
 次に彼女がかの小説のことで長居したのはそれから四週間後、空白の一三巻を過ぎて、一四、一五巻を読み終えた後のことだった。
「どうしたの、難しい顔して」
 毎週末、本を返しに来た時の阿求はいつも思案顔ではあるのだが、その日は特別ひどく、さしもの小鈴も問わざるを得なかった。とはいえその理由について推測はついていたのだが。
「一三巻について何かわかったのよね」
「……いいえ、何も」
「え?」
「何もなかったのよ。一四、一五巻には一三巻の内容を示唆する事柄は一切なかったわ」
 そう言う彼女の言葉にはわずかに、怒気にも似た落胆が滲んでいた。それを気遣った、というわけではないが、小鈴は更に追求する。
「これまでとは変わったこともなかったの?」
「強いて言えばコメディが減ったことかしら。全体的にシリアスな雰囲気のまま進行していたわ」
「あー、確かに後半は面白おかしい場面は減ってた気がするわねぇ」
「それなのよ。終盤に差し掛かるにあたって物語がシリアスに変わることについては、何の違和感もない。一三巻との関係性を見つけようとしても、こじつけが過ぎるのよねぇ」
 阿求は、はぁ、と声が聞こえるくらいのため息をついて、頭をくしゃくしゃとかいた。
「ちょっと考えすぎだったかもしれないわ」
「じゃあもう続きは読まないの?」
「それは読むわ。これより後の巻に何か手がかりがある可能性は十分あるし、なによりここまで読んだら引き下がれないもの」
「素直に先が気になるって言えばいいのに」
「はいこれ、一六、一七巻の貸本手続きをしてくださいな」
「……はいはい」
 これ以上言葉を重ねても阿求は譲らないだろうと、小鈴は渋々二冊の本を受け取った。



「今日は平和ねぇ」
 週の半ばのある日。その日は一日通していつもよりお客が少なく、気になっていた本も読み終わってしまった。新しい本を手に取ればいいだけの話ではあるが、なんとなくその気分になれない。
 しばらく何をするでもなく虚空を眺めていた。少しするとあくびが漏れる。何もしないでいることが心底向いていないと自覚する。
 仕方ないと腰を上げようとしたところで、阿求の貸本記録が目の端に止まる。
 件の本を借りると言い始めてから、きっちり一週間に二冊ずつ。全二〇巻のうち十三巻が抜けているために一つずれて、現在十九巻まで借りられている。つまり三日後の貸本で読破ということになる。
 思わず笑みがこぼれた。彼女が、稗田阿求がこうして何か一つの娯楽に夢中になっている姿を、小鈴は殆ど見たことがなかった。彼女は真面目で、物知りで、何をするにしても幻想郷存続を、稗田家の使命を常に背負っている。故に彼女が年相応にしている姿が微笑ましく、また嬉しかった。
「私ももう一回読もうかなぁ……」
 そんなことを呟きつつ本棚の前に立って、本へと手を伸ばした。
 その時だった。
 鈴奈庵の入り口がぴしゃりと音を立てる。何事かと小鈴がそちらへ視線を向けた頃には、目を見開いた阿求が目前まで迫っていた。
「ど、どうしたの血相変えて!?」
「最終巻を借りるわ、小鈴!」
「え、ちょっ!」
 阿求はそれだけ言うと半ば強引に一八、一九巻を小鈴に手渡し、棚から二〇巻を抜き取った。そしてそのまま読み始める。
 突然のことにしばらく呆然としていた小鈴だったが、とりあえず、と裏から椅子を二つ出してきて、一つを立ちつくす阿求の後ろに置いた。彼女が座る気配はなかったものの、邪魔するのも悪いと声はかけず、自分だけもう一つの椅子に腰を下ろした。そこでようやく平静を取り戻す。
 小鈴の視線の先、忙しくページをめくる阿求。彼女が鈴奈庵を訪れるのは三日後の予定だった。それがなぜ今日訪ねてきたのか。理由は容易に想像がつく。小鈴は膝に載せた一九巻に視線を落とした。
 全二〇巻で構成されるこの小説シリーズ。この作品は一巻ごとにきれいにオチが付いて終わる。前後の結びつきはあれど強くはないため、極論を言えばどの巻から手にとっても読むことが出来るのだ。ただ一九、二〇巻を除いては。
 小鈴は手元の一九巻を開いた。一九巻の主な筋書きは、常に行動をともにしてきたヒロインが攫われため取り戻す、というものだ。当然主人公は過去最大に憤慨した。しかし足りない部分を補っていたヒロインを失った状態では、主人公は力を発揮できず物語は進んでいく。そして。
 小鈴は終盤の色のついたページを探し当て、開く。そこには挿絵が挿入されており、呆然とした主人公の表情が描かれている。彼は敵の罠によって、すべての冒険の記憶を失うのだ。
 仲間の記憶を失くし、友の約束を忘れ、戦いの記憶を失くし、戦いの意味を失くし、全てを失った英雄をただ一人残して一九巻は幕を閉じる。
 一巻通してシリーズ最大の苦難の連続。それでも最後にはハッピーエンドに辿り着いてくれると期待した読者を蹴落とす絶望的展開。読後すぐにでも二〇巻に手を付けたくなるのは当然だろう。しかし。
 小鈴は顔を上げる。阿求は未だ立ったまま文字の並びに食らいついている、
 彼女もそういう感情を懐き行動するのだな、と小鈴は少し驚いていた。先程一人で考えを巡らせていた思いがより一層強くなる。
 小鈴は手元の一九巻の先頭のページを開き直し、読み始めた、どうせこの後、阿求の話が始まる。それに出来る限り付いていくためだった。折角彼女が見つけた楽しみを、自分の手で奪い取りたくはなかったのだ。


「――――わかったわ」
「……え?」
 ぽつりとこぼされた言葉に小鈴は遅れて顔を上げた。いつの間にか読書に没頭していたためだ。彼女の視線の先では、結局一度も腰を下ろすことはなかったのだろう、小説から顔を上げて呆然と立ち尽くしている。
「一三巻は初めから無かったのよ」
「じゃあやっぱり一三巻に関する描写はどこにもなかったってこと?」
 小鈴がそう声をかけると、阿求はハッと我に返り小鈴の方を向いた。同時に側に置かれた椅子に気付く。
「座って話しましょうか」
 小鈴が淹れたお茶を一口含み、阿求は一息ついた。立ちっぱなしで本を一冊読み切ったのだ。疲労するのも自然なこと。しかしそれ以上の発見に背中を押され阿求は口を開いた。
「結論としては、さっきも言ったとおり“一三巻は最初から存在しない”ということになるわ」
「全巻揃っていることが分かって貸本屋としては嬉しいけど……だけど変じゃない? 最初からなかったなら、どうして一三巻だけ抜け落ちてるの? まさか誤植ってことはないでしょう」
「ええ違うわ。一三巻は空席である必要があったの。ある意味一三巻は存在していると言えるのかもしれないわね、空白の巻として」
 言葉遊びのような阿求の説明に小鈴は首をかしげる。ただそのことは想定済みだったのだろう、阿求は順に説明するわね、と続けた。
「この物語は最後に『主人公が老後にしたためた自伝』でああることが明かされるわ」
「そういえばそうだったわねぇ。じゃあ一三巻がないのは彼が書かなかったから?」
「ええ。何故だかわかる?」
「うーん……。面白くなかったから? でもそれだったら……」
「一三巻を空席にする必要はないわね。一冊の物語の中でも、面白くないからと切り捨てられた日常の一幕はごまんとあるでしょうし、それと同じように切り捨てればいい」
「……降参。検討もつかないわ」
 それからしばらく頭を捻っていたものの、それらしい答えに辿り付けず小鈴は両手を上げた。それを受けて阿求は悪戯げに笑みを浮かべる。
「書けなかったから(・・・・・・・・)よ。彼はその冒険譚の記憶がなかった」
「あっ、そっか。主人公は一九巻で記憶を失くすから――」
 小鈴はぽんと手を叩いて、再度固まった。
「いえでもおかしいでしょ? 彼は二〇巻で記憶を取り戻したはずじゃない!」
 記憶を失った場面から始まる二〇巻。絶望の淵に立たされた主人公。しかしこれまで多くの人間を救ってきた彼が、今度は救われる番になったのだ、と。彼の救ってきた多くの人間が、ひとり、またひとりと彼を助けるために駆けつける。そして彼らと出会う度、主人公は旅の記憶を取り戻していく。そうしてすべての記憶を取り戻した彼は敵を討ち倒し、ヒロインを救出する。
「その部分が肝なのよ」
 阿求は本棚の前まで進み、きれいに並べられた小説シリーズの一二巻と一四巻の間を指でなぞった。
「読者は空白の一三巻を見て、そこにも物語が、彼らの冒険譚があったのだと考える。しかし彼はその記録を自伝に残していない。思い出すきっかけがなかったから」
「きっかけ……?」
 小鈴は阿求の言葉を反芻する。彼が記憶を取り戻すきっかけはあったはずだ。彼が救った者たちが次々と駆けつけたあの時。
「……違う」
 思考が漏れる。そう、あの時一三巻での冒険譚を思い出すきっかけとなる人間は駆けつけなかった。そのことは阿求が確かめたはず。どうして? 何が理由で誰も彼のもとに駆けつけなかった? 偶然? 違う。物語としてそれはありえない。何か理由があるはずなのだ。彼らが駆けつけられなかった理由が。
「…………あれ? 駆けつけられなかった?」
 小鈴は顔を上げる。視線の先、阿求は深く頷いた。
「そう、駆けつけられなかった。主人公は彼らを救えなかったのよ。命を落としたかまではわからないわ。だけど少なくとも彼の窮地に駆けつけられるような状態ではなくなった。すべてを万全に救ってきた彼が、唯一手を掴むことができなかった」
 阿求はそう話しながら本棚から一四巻を引き抜き、開いた。
「私は一四巻以降『コメディの割合が少なくなった』と言ったけど、それも当然よね。主人公である彼の精神がコメディをやるような状態ではなくなったんだもの」
 それだけじゃないわ、と阿求は一四巻以降の巻を指でなぞっていく。
「例えば一四巻。ここで彼は珍しく失敗するけれど、それは彼の行動が性急すぎたせいよ。何も知らずに読めばそこに彼の正義感の強さを見るでしょう。だけどすべて踏まえて読み返すと、彼は救えなかった命を思い出し、焦燥感にとらわれているのだとわかるわ」
「確かに後半の主人公は焦ってるときが多かった気がするけどねぇ。物語が後半になるにつれて相対する問題も大きくなったことで、失敗も増えて……、だから焦ってるんだと、勝手に理解してたわ」
「負の連鎖を描いていたのはその通りだと思うわ。ただ恐らくその始まりが一三巻にあったのよ」
 小鈴はやるせなさをかき消すように身体を伸ばす。そしてそのまま天を見上げ彼の考えに思いを馳せた。
「そう考えるとなんだか皮肉ねぇ。絶対に忘れない、って誓うようなものだったからこそ、思い出せないなんて」
「一つ救いがあったとすれば彼の側にヒロインがいたことでしょうね」
 阿求な十二巻と十四巻を、一冊分の隙間を空けてひけらかす。
「一三巻の役割はさっきも話したとおり読者に描かれなかった冒険譚を想像させるためのものよ。だけどそれは読者という神(メタ)視点での話。彼らが生きる世界での、彼の意図を考えるとまた話は違ってくるわ」
 言って阿求はうち一冊を開き、口絵の頁へと視線を落とす。そこではほとんどの場合、主人公の傍にヒロインの姿がある。
「もし彼が一人だったなら、一三巻での記憶は永遠に闇の中。この自伝も一九巻で構成されていたでしょう。だけど彼は空白の一三巻を作り出した」
「そっか。ヒロインはその時のことを覚えているから、『覚え出せないけど何かがあった』っていうこと自体は知れてもおかしくないものねぇ」
 阿求は大事に本を閉じ、瞼をおろした。
「自分の過ちを知った主人公は、思い出せなかったから詳細は書くことはできなかったけれど、【一三巻】という形にした。これは彼の償いであり、意思表明なのよ。『自分は忘れてしまったけれど、なかったことにはしない。自分の人生としてずっと背負っていく』というね」



「はぁ~、疲れたわぁ」
 阿求のことを見送った後、忘れていた彼女の分の帳簿を付け、散乱した小説を元の場所へと戻した。それから湯呑の片付けを済まして、小鈴は定位置へと腰を下ろす。
「空白の巻ねぇ……」
 小鈴は適度に疲労した体を背もたれに預け、考える。阿求の話を聞いているときからずっと、既視感というか、引っ掛かりを彼女は抱えていた。それが一体何なのか気になった。
「……あ、そっか」
 答えはすぐに見つかる。なぜならそれは先程までずっと目の前にあったのだから。
「主人公に似ているのねぇ、阿求は」
 正義感が強いだとか、大きな力を持っているだとか、そういう話ではない。ほんの一部、『書き残す役割を背負っている』ということ、そして『書き残せない期間がある』という点で。
 御阿礼の子である阿求は幻想郷縁起の幻想郷縁起の編纂を役割としており、記憶を継いで生まれ変わる転生の術を会得している。ただし対価として非常に短命。
 そのこと自体を阿求は特別気に留めていないと知っているため、小鈴も変に囃し立てたり、不安を表に出したりしないようにしている。彼女が想起したのは転生までの期間である。
【転生】――人の御業を超えたその術は、しかしやはり容易ではなく、おおよそ百年もの年月を要する。つまりその間、幻想郷に御阿礼の子は存在しないということになる。それが【空白】。
「彼には側にヒロインが居た。それが彼の救いとなった……」
 次の御阿礼の子は【空白】の期間をその眼で確かめることはもちろん、詳細に書き記すこともできない。どうしても伝聞や記録に頼る必要がある。ならば、それらを残すのは誰の役目なのか――――。
「今のうちに文の書き方でも教えてもらおうかしら……」
御阿礼の子は記憶を継ぐもののそれは限定的で、次の子は阿求の――小鈴と過ごした記憶は持ち合わせていない。だとしても。
「悲しんでる顔は見たくないものねぇ」
 色々とあったものの、鈴奈庵は今日も通常営業。
 変わらぬあり方に伏線を仕込みながらも、今日も誰かが本を求めてやってくる。
「あっ! いらっしゃいませー!」









             話が抜け落ちる 終
10/13の【東方紅楼夢】で頒布した短編集【東方落本蒐】収録の一遍です。
残りの短編もいつか気が向いたら公開するかもしれません。

Twitter(@Tenko0765)
天虎
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コメント



0.150簡易評価
1.100サク_ウマ削除
日常に潜む小さな謎、って素敵ですよね。なんて。
お見事でした。よく考えられた良い作品と感じました。面白かったです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
良い作品でした
3.100モブ削除
面白かったです。この長さで綺麗に話になっているのがすごいです。
4.80名前が無い程度の能力削除
面白かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
本当に良かったです。
御阿礼の子としての阿求が取りこぼしてしまうものを、ずっと傍に寄り添っていた小鈴が受け止めて未来の十代目に伝えることができるんですね。素敵な関係性でした
6.100名前が無い程度の能力削除
小説の話と阿求と小鈴の話が噛み合った瞬間が心地よかったです。
面白く読めました。
9.100名前が無い程度の能力削除
面白かった!
巻の抜け落ちた小説の真相もよかったけど、小鈴のひそかな想いがすごくいい。
小説を書く側として読むとまた違った共感があって嬉しくなりました。
10.100名前が無い程度の能力削除
綺麗にまとまっていて面白かったです
11.100南条削除
面白かったです
物語の隠れた真相に迫っていく阿求がとてもよかったです
12.100終身削除
小鈴視点で少しもどかしい感じが阿求の説明で疑問が晴れていく感じが爽快でした 最後の気づきも物語の謎とすごく綺麗に繋がっていていいなと思いました 小鈴だからこそできた阿求の心象にも寄り添ったような気づきだったんでしょうね ヒロイン力がすごいなぁ…
14.80竹者削除
よかったです