プロローグ
太陽が猛威を振るう真夏。梅雨も明けて、本格的な暑さに包まれながら少年は家の近くの森で虫取りをしていた。
蝉の合唱を聞きながら、少年はカブトムシを探していた。
飽くことなく、数多の木を睨みつづけ、ようやく樹液を吸っているカブトムシを見つけた所だった。
「‥?」
虫あみを構えようとした時、少年は寒気を覚えた。急に周囲が冷えたような感覚に襲われ、恐怖が背中を這いずった。
辺りを目を向けても、原因らしきものは見つからず、異常がある現状に戦慄し、そこからただ動けずに立ち竦んでいると、突然右から風切り音が聞こえ、そちらに意識を向けた時には少年は空間の裂け目に吸い込まれていた。
俺はどうなったんだろう‥。
少年は突然の出来事に思考が麻痺していた。さきほどから風が手を撫でる感覚、背中のざらざらとしていて、温かい感覚、死とはほど遠いものを感じているのに、目を開けるタイミングを失っていた。全てが嘘に思えて、自信が無かったのだ。
なんだろうこの音は。
時間が経って少し冷静になりはじめた少年の耳に波が跳ねる音が聞こえ、その音を何故か優しく感じた少年は恐る恐る目を開けた。
「‥あぁ‥」
ずっと暗闇だった視界に綺麗な蒼穹が映り込んだ。
助かった?
目に映る空が死の恐怖を和らげ、少年はゆっくりと倒れた身体を持ち上げた。
少年の瞳に映っていたのは海だった。ただそれは今まで見てきた海の概念が当てはまらないほど、壮麗な海だった。
空に散りばめられた雲、波に打たれ続ける白い砂浜、勇ましく輝く太陽、太陽の光を受けて玲瓏としている海、世界の果てへと続く地平線。
少年はただただ目の前に広がる世界に圧倒されていた。
「海にさらわれた貴方はここに来た。さぁ帰りましょう。この海を脳髄に焼き付けて」
突如、背後から透き通った女性の声が聞こえ、少年は急いで振り向いたがそこに姿は無く、同時にまるで夢に誘われるように眠気がやってきて、少年はまた意識を失った。
次に目を覚ました時、少年はさっきまでいた森の中だった。
一 年中止まらぬ好奇心
幻想郷は梅雨の季節だった。幻想郷は現実とは違う次元の世界だが、季節に差異は無く、ここにも梅雨の季節がある。
毎年この季節になると人里の子供達が文句を言い始める。遊び盛りの彼ら彼女らにとって外に行けない日が多いというのは最悪以外のなにものでもなく、雨が降るたび、窓から雨を恨んでは、何とか工夫して室内での退屈な時間とうまく付き合っているのだ。
「‥雨止まないな‥」
そして、同じような悩みを抱えたサニーは憂鬱な表情を浮かべながら窓枠に頬杖をついていた。
気分が乗らないのか、いつもは二つに結んでいるその赤い髪も今はおろしてある。
「はあぁぁ〜〜あ」
憂いをぼやき、連続的に雨が滴り落ちる窓を退屈そうに眺めていた。
「サニーうっさい!ソンビみたいな声出すな!」
「はぁ!?これのどこがゾンビなのよ!」
サニーが憂さ晴らしにあげた呻き声にルナは文句を言った。丁度読んでいた本がいいシーン入った瞬間に妨害されたためだ。
「いま良い場面なの。ちょっと黙ってて」
サニーから本に視線を戻す。縦巻きのおさげを揺らしながら。
「理解できない‥どうして三日も外に出れてないのにそんな平然と本読んでられるの?」
「サニーは外に出ないと死ぬの?」
「死ぬ」
「大袈裟ね」
「なによぉ」
「なによ」
「はいはい、二人とも無駄な喧嘩しないの」
争いの火蓋が切られそうな瞬間に静止の声が掛かる。
「ほら、ホットミルクいれたから飲みましょ、サニーもこっちこっち」
腰にかかりそうな黒髪を小さく揺らしながらスターが奥のキッチンからお盆を抱えてやって来る。
三人が同じテーブルを囲み、卓上に出されたホットミルクを一緒に飲み始めた。
「あぁ美味しい‥‥ルナ、これに免じて許してあげる」
「それはこっちのセリフだけどまぁいいわ」
「うんうん、仲良くね」
若干張り詰めていた空気も和らぎ、いつもの三妖精らしい、緩やかなものへと戻っていた。
「雨、明日ぐらいに終わる気がするわ。ついでに梅雨も」
「ほんとスター!」
「勘だけど」
「えぇーー‥」
「ほんと騒がしいわね」
「ルナは終わって欲しくないの?」
「どっちでもって感じ。スターはどっちなの?」
「私はどちらかと言うと、終わって欲しいかな。そろそろの雨にも飽きてきたし」
「そっか‥‥ねぇサニー、明日晴れたとして、どこいくつもり」
「それはもちろん探検よ、具体的には洞窟探検」
「えぇ、また洞窟探検? 私、水遊びとかしたい」
「隊長権限で拒否します」
「理不尽よ!そこは多数決でしょ!」
「じゃあ多数決取るわよ、洞窟行きたい人!」
サニーが真っ先に勢いよく手を挙げ、それに続いてスターも手を挙げる。ルナは挙げない。
「スター、なんでそっちに」
「面白そうでしょ?お宝探し」
「そういうことで、明日は洞窟探検に」
「スター、こっちにつけば金平糖あげるわよ」
「私降ります!」
「そんなあぁぁぁ!!」
その日の夜、天は黒く染まり、幻想の大地には轟音とともに巨大な雷が落ちた。それは梅雨が明ける合図だった。長く続いた雨は終わり、梅雨は来年への眠りについた。
翌日、雨が終わったことでひさびさに顔を出した太陽は、いままでの分を取り返すが如く凄まじく輝いており、外に出るには最適な快晴だった。
三人の妖精はもちろん外に出かけていた。行き先は洞窟。本当ならルナの要求が通るはずだったが、サニーのしょんぼり顔に二人ともなんとも言えない罪悪感に襲われてしまい、結局最初に洞窟探検をして、そのあと川で水遊びすることになった。
「ねぇサニーずっとこの山の中歩いているけど、いつ着くのー? というかずっと前にしか進んでないじゃない」
「うーんそろそろ着くと思うんだけど。おかしいなー」
三人は深く生い茂った雑木林の中を進んでいた。サニーの感覚が頼りなのだが、さっきからその本人も方向に曖昧になり始めているため、三人とも少し不安を感じ始めていた。それに加え、雨のおかげで林の中はモワモワしているため暑さは尋常ではなく、掻いた汗によって衣服もベトベトで、そろそろ我慢の限界を超えそうだった。
「あっ、あったあった!」
お目当ての場所を見つけたサニーが一目散に前へ走り出す。置いていかれぬよう他の二人も走り出した。藪をかき分け、目の前に見える林の終わりを目指した。
「これよ!これ!」
林を抜けると、三人の目の前に現れたのは首を曲げないと見渡せないほどの断崖絶壁。そしてサニーが指さしていたのは、絶壁に空いた大きな穴だった。縦は十二メートル。横は十五メートル。それはまるで今まさに獲物を食べようとする化け物の口だった。
「これはまた凄い洞窟ね」
「でしょでしょ。今度こそお宝があるはずよ」
「今度こそ化け物が現れないといいけど」
「大丈夫よルナ。出ても逃げれないのはドジなルナだもん」
「スター、それは大丈夫って言わないから」
「ちょっと二人とも早くいくわよ」
洞窟の入り口まで行くと、入口の中央に看板が立ててあった。
「タ‥チ‥イリ‥キ‥ン‥シ。ねぇルナ、スター、立ち入り禁止だって!」
「なんでそんなにはしゃいでるの」
「だって立ち入り禁止よ。絶対に何かあるじゃない!財宝のにおいがするわ」
「サニーはいつ妖精から財宝ハンターになったのよ」
「お宝見つかると良いわね!」
立ち入り禁止の文字など御構い無しに、彼女らは洞窟へ足を踏みいれた。
洞窟内はとても暗く、外より空気が淀んでいて、加えて何かを熟成したような腐敗臭が漂っていた。
その中を持ってきたランタンで一歩先の視界を確保しながら三人は歩いた。ただ歩いても歩いても分岐がなかったり、あまりにもならされすぎた洞窟の壁面など、この洞窟の不自然さと異常さにサニーはどこか危機感を覚えた。
「なんかまずい気がするわ。みんないつでも逃げられる準備をしといて。あと横一列はやめて縦一列で行こう。先頭はルナ確定ね」
「はぁ!?なんでよ!」
「ルナが後ろだと後方へ逃げる時に障害になる可能性があるわ。今回の場合前へ逃げることはないだろし。だから先頭で餌‥先陣を切ってほしい」
「いま絶対餌って言った!餌って言った!」
「次が私で、最後がスター。スター、索敵お願いね」
「りょーかい」
「あっ、ルナ、音消してといてね」
「絶対餌にならないからね!」
ルナが能力で周りへの音を消し、スターが能力で自分を含めて生命の点を探知する。万全な状態を整え、三人が縦一列で歩き始めた。
「ルナ気をつけてよね。ルナって緊張したり不安になったりするとすぐ転ぶんだから」
「うっさいわねサニー! そんなの私が一番理解してるわよ!‥‥‥‥え‥」
怒鳴って、前に向き直すとルナの持っているランタンの光が、ぐちゃぐちゃの赤黒い布の服を照らした。
ルナは足を止めた。二人も止まった。
「ねぇこれなに‥臭い‥」
服の方から鼻がもげるほどの悪臭が漂っていた。さっきまでの臭いはこれだと皆確信した。
「なんか嫌な予感がする」
そう言ってサニーは自分のランタンでルナが照らしてる場所よりもさらに奥を照らすと、同じようなものがそこらかしこに無残に放置されている光景が照らし出された。
これって人間の血がついた服‥。
「なんかこれやばくない?」
「やばい」
「やばいわね」
サニーが先程から抱いていた危機感がより現実味を帯び、ほかの二人も同様の考えを抱いていた。
「いまどんくらい歩いた?」
「多分五分ぐらい」
「なんかこれ以上行くとやばい気がするから戻ろうか」
「同意」
「そうね」
死の概念が無い彼女ら妖精でも死ぬほど痛い目に遭うのは嫌なことであり、今の状況はまさしく[死ぬほど痛い目]に遭う可能性があるのだ。
「‥‥ねぇ二人とも、落ち着いてよく聞いて」
「?」
「?」
恐怖が好奇心を超えたところで、スターが急に神妙な顔つきで喋り始めた。その額には冷や汗が流れ始めている。
「えっとね、なん言えばいいのかな」
今彼女の能力で見えている生命の点は四つある。三つは集まっている三人の点。もう一つはそれらの点より数倍大きく、三つの点に洞窟奥からゆっくり近づいてきている点。
距離はざっと五十メートル。
「逃げなきゃ死ぬわ!全力で飛んで!」
「は?」
「えっ?」
スターが大声で叫んで、透明の羽を広げ、後方へ高速で飛び立つ。サニーも合わせて飛び、ルナは若干遅れて飛び立った。直後、巨大な点が三つの点目掛けて猛スピードで動き始めた。
「ルナ能力解除!何も聞こえないのはまずい!」
サニーに言われるがまま、ルナが能力を解除すると、今まで遮断されていた音が聞こえてくる。
「シャァァァァァァァ!!!」
それは洞窟を震わす爆音と、巨大な物体が這いずる音だった。
「いやァァァ!蛇!?餌はいやァァァァァァ!」
「ルナ叫んでる場合じゃない!」
「このままじゃ追いつかれる!」
高速で飛行する三人にとってランタンなど意味を成してない。今彼女らを暗闇の中導くのは[来た道は一直線]っていう記憶だけ。それだけを頼りに、後ろから迫る死に囚われないように宙を蹴る。
「スター!これ間に合うの!?」
「このままだとランチ確定!」
「そんなぁ、というかなんであいつ私達に気づいたの!?音だって消したのに」
「熱よ、蛇は熱で獲物を探知するの‥‥ん?熱?‥ひらめいた! スター、ルナが喰われるギリギリのタイミングで合図して!みんなで一気にランタン投げるわよ」
「スター、ミスったら恨むから!あと私に当てないでね二人とも!」
「隊長に任せなさい
「頑張りまーす」
先頭を走ってるスターにとってルナが餌になってくれるほうが安全だが、いまにも号泣しそう声で訴えられると流石にスターも心が痛むので真剣にタイミングを見計らう。
一秒、二秒、三秒と時間が経つにつれ、風切り音を超えて、大蛇の蛇行する轟音が大きく聞こえてくる。
大きな点が小さな点に重なろうとした。
「今よ!」スターの合図とともに、三人が一斉にランタンを後方へ力一杯投げる。ランタンは前へ回転をしながら、今まさに大きく開かれた大蛇の口の中へ、秒間隔で三回叩き込まれた。
「!?!?!?!?!?」
急な反撃に大蛇はその動きを止めた。
「作戦成功!このまま逃げるきるわよ!」
「餌はいやぁ!」
「うまくいったー!」
そして三人はランチにされず、無事逃げ切ることができた。
命かながら家に全力で帰宅した三人はドアを開けるやいなや、そのまま仰向けに床に倒れこんだ。家に帰ってこれた安心から、緊張が一気に解け、身体が言うことを聞かなかったのだ。
「生きてるー」
「餌になってなーい」
「私もー」
サニーは両隣にいる二人に交互に目をやった。二人とも肩で息をしながら、サニーの視線に答える。
誰も何も語らず少しだけ沈黙が流れた。
「楽しかった?」
サニーは宙に二つの拳を掲げる。ルナ、スターは何も言わず、笑顔を浮かべながら、サニーの拳に拳を合わせた。
二 神隠し
「あぁぁ素晴らしい朝!」
「おはよう、お寝坊さん」
「おはよう、サニー」
サニーが二階から欠伸をしながら、階段を降りてくる。髪は乱れ、寝衣の肩紐の片方が思いっきりズレていて、そんなだらしない彼女だが、結局それはいつも通りのことであり、彼女が安心して寝ている証拠である。
「おはよう! ルナ、スター‥‥うん?ルナ、ちゃんと寝た? 目のくまが酷いわよ」
「見ればわかるとうり、おかげさまで一睡も出来なかったわ。どっかの大蛇のせいで」
「ルナって意外と臆病ね」
「臆病って何よ!あんなの普通誰が見ても怖いわよ!少なくともその日はまともに寝れないわよ。なのに何であんたらぐうすか寝てるの?!意味わかんない!」
ルナの怒声にサニーとスターを目を合わせる。
「えっーだってねー」
「眠いもんは眠いもんねー」
「もうやだこいつら」
同じ妖精というのがあまりにも信じられるず、ルナは顔を両手で塞いだ
「いやまぁ食われなかったから良かったじゃないルナ」
「うんそうよルナ」
「餌にしようとしたくせによく言うよ‥」
「‥知らないよわね、スター?」
「しーらないー」
二人とも自覚しているけどあえって知らない風を装った。
「あぁーあ、サニーに同情なんかせず山の川で遊んでれば良かった!」
「でも結局蛇には遭遇してたわよ」
「まだ遊べてたほうがマシだったわ!」
「じゃあ、今日は水遊びにしよっか」
「えっ、ほんと! やったぁ!」
サニーの提案にルナは満面に笑顔を浮かべてガッツポーズをした。もう寝てないことからくるイライラは消え去っていた。
毎日の行動理念ははっきりしていない。ただ思いつきを思いっきり楽しむ。それが妖精である。
「じゃあルナ、スター、山へ向けて出」
「待って待って待って! 何で山行くのねぇ、死にたいの?ねぇ」
「えー、ほかに‥‥あっ、紅魔館近くの湖があったわね」
「勘弁してよねぇ‥」
「二人とも元気ね!」
「うん元気!」
「そういうことじゃないからぁ!」
三人の自宅の森から西へ十キロ。紅魔館と言われる吸血鬼が住んでいる館のそばには、幻想郷で一番の湖があり、それはたまに霧がたちこめることから、霧の湖とも言われている。
今日はそんな霧もなく、メラメラと太陽が輝き、空はどこまでも青く澄んでいる。青空の真下には巨大な湖があり、それは太陽の光を反射し、光輝な姿を演じていた。
「いやぁいつ見てもでっかいわねぇ、って眩し」
「今日暑いから丁度いいわー、見てるだけで涼しい」
「楽しみー」
三人は空から見える湖の全貌に、それぞれ感想を言いながら、徐々に高度を落としていき、紅魔館とは正反対の岸に着地した。
「上から見てもでかいけど、こうやって見るとさらにでかいわね、というか眩しい!」
「早く遊ぼうよーねぇ、ねぇ」
「ルナ、はしゃぎすぎよ」
眼前に広がる広大な遊び場に皆胸を躍らせた。
どんなことして遊ぼうかな?
三人とも違う妖精なのに、いま考えていることは寸分の狂いもなく一致していた。
「じゃあ泳ごっか」
「泳ぎましょう」
「泳ごう!」
三人が一斉に服を脱ぎ始めると、服の下から紺色の水着が現れる。全貌を表した水着は、太陽の光に当てられて、ところどころに艶を放ち、その主張を増していた。同様に水着の中央の白布に書かれた「さにー」「ルナ」「スター」の黒い文字も光に当てられて、存在感を増していた。
「さぁ行くわよ‥‥ん? サニー何やってるの?」
リュックの中を漁っているサニーにルナが問いかける。サニーは一旦無視したが、準備が終わるとルナの方に振り向いた。
「いえぇーい」
「‥まさかあんた‥」
サニーの額につけられた黒いダイバーゴーグルを見てルナは何となく察しがつく。
いやまさかね。
そこまで頭に冒険家が住み着いていない、と思いたいルナだがいつも私の予想を裏切るサニーにそれは無駄かもしれないなんて諦めもしている。
「実は前からここには何かあるんじゃないかと思ってたのよ!」
「‥‥うん、そう、頑張って」
「どうしたのルナ、嫌な顔してるわよ」
「そのままよスター」
見事裏切られ、ある意味期待通りだった。ルナはもう知らねと親友への理解を放棄した。スターは特に何も思っていない。
サニーは構わず目が光らせ話を続ける。
「でも水中って空気中ほど視界が良好じゃないじゃん?でね思いついたのよ。私の能力で水中の光の屈折率を空気中の屈折率と同じにすれば良いって。 ねぇ私って天才じゃない!」
「‥うん天才天才」
「凄いわサニー!」
「まぁそういうことで私は行ってくるわ!」
サニーは二人を置いて、好奇心の爆発に身を任せ、両手を挙げながら、思いっきり湖へ飛び込んだ。
彼女らが泳ぎ初めて二時間。もう太陽は真上に昇っていた。
「あー、泳いだ泳いだ」
「うんもう良いかもねー」
泳ぎ、ふざけあい、競争し、時間を忘れるほど遊んだルナとスターは今更身体に降りてきた疲労感を感じながら、岸辺でぐったりしていた。
「眠いーーー」
「私もーーー」
「じゃあ帰りましょっか」
「えぇ、帰りましょ。ってあれサニーは?」
「そういえばずっとこっちには来なかったわね」
二人は重い体を上げて、湖を見渡してみるが、それらしきものはいなかった。
ルナとスターは立ち上がり、声を張り上げた。
「‥、サニーどこぉぉぉぉぉ!!!」
「サニー!!!!!」
腹に空気を溜めて、強く声を飛ばし、広大な湖に響き渡らせるが、返事は蝉の鳴き声しかない。今度は二人で同時に声をあげるが、無残に響き渡るだけだった。
スターは何か気づいたようで、後方に足を運ぶ。
「ねぇルナ、これ」
後ろから呼び掛けられて振り返り、スターの元へ走る。
スターが指さす方向にはサニーの服とリュックがさっきと同じ場所に置いてあった。何か動かされた形跡もなく、二人は顔を見合わせた。
「もしかして‥」
「泳いでるわね‥」
ずっと一緒に過ごしてきたからこそサニーがどういう行動するのかはだいたい予想がつく。
二人は笑みをこぼした。
「仕方ない隊長だこと」
「ほんとね」
ルナとスターは帰りの準備をし始めた。サニーが好奇心に駆られた場合、満足行くまで、又は体力が尽きるまで放っておくというのはもはや常識ですらあった。
「先帰って不安にさせてやるわ」
「でもそれだと怒るから、謝罪用にサンドイッチ作っとかなきゃ」
「いつも通りね」
「えぇ、いつも通り」
三 消えた太陽
森林の獣道を歩いていると視界を埋め尽くす木立は失せて、目の前には上へと続く石段が現れる。
石段を登り切ると、巨大な鳥居が出迎え、足元から伸びる石畳の先には年季が入った神社がある。それは幻想郷と現実の境界線である博麗神社である。
そしてそこには赤い巫女装束を纏った霊夢がいる。
霊夢は拝殿の階段に座り、うちわを扇いでいる。鳴り止まぬ蝉の告白と暑さを鬱陶しく思いながら。
ただ暑いを紛らわすことだけに丸一日浪費したような実感と倦怠感を霊夢は感じていた。まだ昼になってもいないのに。
風鈴はなびくたび、チリーン、チリーンと澄み切った音を奏でるが、今日の暑さは風鈴だけでは力不足である。
「おーい霊夢ーー」
空から霊夢を呼ぶ声が聞こえる。聞き慣れたその声に、自然と霊夢の口角は上がっていた。
「よっと」
「おはよう魔理沙」
「おはよう霊夢」
飛んでいたほうきから降りると魔理沙はずれたとんがり帽子を直し、風で乱れた金髪を最低限整えた。
魔理沙は霊夢の隣に座ると、手を差し出し、それに霊夢はうちわを渡した。魔理沙は微妙な顔をしたが、すぐうちわで扇ぎ始めた。
「今日暑くないか」
「あんたがそんな黒くて蒸れやすい服着てるからでしょ」
「とんがり帽子とほうき、この服は魔女の必須装備だぜ」
「まぁ何も無くて飛べるのにわざわざほうき使うぐらいだもんね」
「馬鹿だなぁ、こういうのは格好が大事なんだよ。これだから素人は」
「素人でいいわ」
魔理沙はまた手を差し出すが、霊夢は無視した。
「お前、よくもまぁ長時間ここにいられるなぁー」
魔理沙は汗で濡れた霊夢の黒髪に触れる。ただすぐその手ははじかれる。
「触るな」
「しかし大変だなぁ、こんな暑い日もこうやって待っていなきゃいけないんだろう?誰も参拝に来ないのに」
「そうよ。それが巫女の仕事。あと一つ間違えてるわ。あんたが来た」
「賽銭箱に金は入れないぞ」
「元から期待してない」
「いれないと貧乏だろ」
霊夢は呆れた顔で魔理沙を見る。そしてまた視線を戻す。
「なんか誤解してるようだけど、別に賽銭箱が私の収入ってわけじゃないわよ。
この世の中、せっかく妖怪が住みやすい世界なのにわざわざそれを壊すような輩は結構いるのよ。で、それに対する依頼は基本私に来るのよ。その仕事の報酬が私の収入」
「じゃあ前雑草食ってたのはなんだったんだ」
「あれはどこまで調理すれば雑草が食えるのか興味あっただけ。もし仮に雑草しか食えないような状況になっても私は普通の食事が出来るわ」
「なぜ」
「紫が何か送ってくれるから。一応幻想郷を守る巫女だもの」
「へぇーそうなのか」
少し感心した表情をして、魔理沙はまた手を伸ばすが、また同じように無視される。
「霊夢ケチ臭くないか」
「賽銭箱に入れてからよ」
「別になくても関係ないんだろ」
「気分の問題。一銭も入ってないのは癪なだけ」
「お菓子くれたらいれるから」
「もうそのセリフは聞き飽きたわ。自分の金で買え」
「霊夢のお菓子を食うのが良いのー」
「死んでしまえ。って、抱きつかないでよ暑苦しい」
魔理沙がお菓子を強請るために霊夢に抱きついた。必死に引き剥がそうとするが、なかなか離れない。
「これ以上抱きつくとキノコ女って呼ぶわよ」
「キノコ好きな私にとっては名誉なことだぜ!」
「あぁぁぁぁ!もう殴るわよ!‥‥‥ねぇ魔理沙。なんか声聞こえなかった?」
「声?」
霊夢は魔理沙を無理矢理引き剥がすと、立ち上がって、周囲を警戒した。いつでも動けるように感覚を研ぎ澄ましていると、遠くから、今度ははっきりと声がする。
「霊夢さぁぁぁぁん!!」
鳥居の先を見ると、二人の少女が全速力で飛んで、霊夢のほうに向かって来ていた。
「ルナとスター?」
「だな。一人足りないが」
「なんだあのアホ妖精達か。今日は暑さのせいで構ってやれるほどの余裕ないわよ」
「なんかイタズラの感じじゃないぞ」
魔理沙は何かを感じ取ったのか、拝殿から境内の真ん中へ移動した。霊夢もなんとくついて行った。
ルナとスターは全力で鳥居をくぐり、二人がいる場所に着地しようとした。
「あっ」
「霊夢さん、魔理沙さん助けてください!」
スターは無事着地してすぐさま切羽詰まった顔をして話を始めたが、ルナは着地に失敗してそのまま賽銭箱に猛烈な勢いで激突した。
「ねぇスター、まずルナを助けなきゃ」
「‥もうルナったらー‥」
霊夢は気絶して倒れているルナに指をさした。スターはそんなルナを見て、呆れながらも、少し笑っていた。
泣き出しそうだったスターの顔は少しほぐれていた。
「で、助けて欲しいってどういうことだ」
ルナが目が覚めてから、神社内の居間で四人がちゃぶ台を囲み、魔理沙が話しを切り出した。
ルナはぶつけたところをさすりながら、ゆっくりと、でもそわそわしながらそれに答えた。
「サニーが消えたんです」
「サニーが?」
「はい。昨日三人で霧の湖に遊びに行ったんです。朝から昼まで遊んで、帰ろうと思ったらサニーがいなかったんです。自分のリュックと着替えは置いたままで。
私達はサニーがまだ泳いでるのかなって思って、よくあることで特に気にすることじゃなかったから、先帰って帰りを待ってたんです。でもいつまで経ってもサニーは帰って来なかったんです。湖にサニーの着替えとリュックはずっと置いたままでした」
「うーんー」
それを聞いた魔理沙は腕を組んで悩んでいた。いままでにないパターンだから。
「どう思う霊夢?」
「私、心あたりあるかもしれない」
「は?」
「え?」
「え?」
霊夢の一言に三人は面食らった表情を浮かべ、視線が霊夢に集中する。
霊夢は口を開いた。
「私、人里から良く依頼を受けるんだけど、一週間前かな。母親から娘が急に畦道に片方の下駄だけ残していなくなったから探して欲しいって依頼がきたのよ。で探したんだけど、全然手掛かりが無いの。妖力も感じられないから探知も出来なくて。でもその日から二日後に彼女は無傷で楽しそうに帰ってきたのよ。
どこに行ってたのって聞いたら【なんかとても綺麗な所。ウ‥ミ‥だったかな】って」
「海?幻想郷に海は無いだろ」
「ええ、そのはずなんだけど、その後、さらに気になることを女の子は喋ったのよ。【私、ちょっと遊びに行ってただけよ。なんでそんなに心配してるの】って」
「おいおいマジかよ。時間がズレてるのか」
「多分そう。あんたってそういうの専門じゃないの?」
「馬鹿いえ。魔法の時間操作なんて夢のまた夢だぜ。しかも時間軸をずらすなんて更に次元が一つ上だ」
「そうよね。偶然ならまだ納得できる余地はあるわ。だけどね、こんな感じの依頼、私今までにたくさん受けてるの。しかも全て結果は一緒。みんな、海を見たって言って、ちょっと散歩してきたみたいな感覚で二日三日経ってから帰ってきたの。
もしこれがサニーにも起こっているとしたら?」
ルナとスターは話についていけなかった。彼女らの理解の範疇を超えた話は、ただ耳から入って耳から出て行くだけ。何を考えれば良いか分からず、思考は止まっていた。
「つまり霊夢はこう言いたいわけだ。サニーは神隠しにあったと」
「そういうこと。ただ仮にそうだとしても、今回もちゃんと帰ってくる保証なんてどこにも無いわよ、どうするの?」
霊夢は問いかけるような視線をルナとスターに向けた。ルナは霊夢を下から覗き込むように聞いた。
「‥それはつまり協力してくれるってことですか?」
「そういうことよ。なんか下らない用件なら突っぱねようと思ったけど、結構切実な感じだし、協力してあげるわ。それに神隠しの正体も暴きたいしね。ねぇ?魔理沙」
髪をかきながら霊夢はそう言って隣の魔理沙に話を振る。魔理沙は「そういうことだぜ」と言って、ルナとスターに親指を立てた。
「「ありがとうございます!」」
二人は深く頭を下げた。二人の目には涙が浮かんでいた。
いつまでも一緒と思っていた奴が急にいなくなり、初めて感じた【誰かがいなくなる恐怖】。それに負けないように涙を堪えて、必死に掴んだ最後の糸。それが答えてくれたのだ。これほど嬉しいことはない。
「じゃあ行きましょう、サニーを探しに」
「おうよ」
「「はい!」」
四 時空の穴
四人は湖に到着すると、すぐ捜索を始めた。皆、必死に手がかりを探そうとするが一筋縄では行かず、事態は一歩も進展していなかった。
「さーてどうしたものか、霊夢、妖力の反応は?」
「やっぱりそれらしいものは周辺から感じられない。そっちは?」
「こっちもだ。水中にデコイを飛ばしてるが、全く反応しない」
「神隠しの暴き方って何?」
「それはお前の方が専門だろうが」
「うーーん」
霊夢はその場にあぐらをかいて座ってしまった。
「それが神隠しの暴き方か」
「こういう時は一番リラックス出来る姿勢で考えるものよ。‥‥‥‥‥‥‥何も思いつかない」
「お前もっと真面目に考えろよ」
霊夢の頭に魔理沙がほうきを振り下ろす。ちくちくと頭皮に刺さる地味な痛みが流れる。
数秒してうざったくなった霊夢がほうきを振り払った。
「痛いわしうざいわ!」
「良い頭の刺激になっただろ」
「物理的な刺激は不要です」
霊夢がもう一度頭を巡らそうとすると、湖を囲む森の中からルナとスターが出てきた。
「霊夢さん、魔理沙さん」
「ルナ、スター、なんかあった?」
霊夢の問いにルナとスターは首を横に振った。二人の顔には悔しさが滲み出てる。
「ダメかー、どうするよ霊夢」
「森の中は広いから一回で断定はできないけど、ちょっと森全部探すのは骨が折れるわね。 湖の中の反応は?」
「何も」
「詰まったーー」
霊夢は頭をかいて、こんがらがっている思考を整えようとする。
どうすれば良いのか、何をすれば良いのか。
必死に何かを引き出そうと思考に耽っている時だった。
なんとなく悪寒を覚えた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルナの叫声が響き渡る。霊夢と魔理沙が振り向くと、ルナが真っ暗な穴に吸い込まれていた。
「ルナァァァ!!」
すぐそばにいたスターは飲み込まれかけたルナの手を必死に掴んだが、あまりの強い引力に抗うことは敵わず、穴の中に姿を消した。
霊夢と魔理沙も強大な引力に持っていかれそうな身体を地面の窪みに手を引っ掛けて耐えていた。
「何よこれ!!」
「私が聞きたいんだぜ! これが例の神隠しじゃないのか!」
「こんな豪快な神隠し聞いたことないわよ! ‥‥‥ねぇ魔理沙! あんた、賭け事は好き?」
「いやまぁどちらでも」
「もし穴の先に犯人がいたら!
お菓子一ヶ月分は保証してあげる!」
「いいねそれは!」
「じゃあ決まりね!」
霊夢はニコッと魔理沙に笑いかけると、窪みから両手を離した。
そして同時に魔理沙の両手も離させた。
「はぁぁぁぁ?!?! 馬鹿じゃねぇねのぉぉぉ!!!!」
「‥‥‥ん〜ここは」
ルナは目を覚まし、まず右腕に握られている感覚に気づき視線を向けると、スターがルナの手を握ったままきめ細かい砂の上で倒れていた。
ルナは左手でスターの体を揺すった。間も無くしてスターも意識を取り戻した。
「‥ルナ?‥ルナ!」
スターはルナを見るや否や上半身を起こし、ルナを抱きしめた。もう離さない勢いで。
「ルナよね!ルナよね!」
「そ、そうよスター」
「本当に良かった‥‥ルナまでいなくなっちゃたら‥私、私‥」
スターは肩を震わせながら涙を流していた。
ルナはいつもは物静かなスターが感情を溢れさせて泣いていることに少し驚いていた。なんと声をかけたら良いか分からなかったが、背中に回された腕の震えを感じて、ルナはスターの背中を優しくさすった。
ある程度時間が経つとスターは落ち着いて、泣くのをやめていた。
「ねぇルナ、ここってもしかして」
「うん、海だと思う」
光り輝く青い液体が波をつくり、隣接している白い砂浜に波打ち、その身を引いていき、また波を作る。
そんな眼前に広がる光景に二人は書物で読んだことがある海という存在を連想した。イメージ通りだったからだ。
「‥サニーもここにいるのかな? そういえば霊夢さん達どうしたんだろう」
「それは分からないわよ。でもサニーがいるとしたら‥‥‥ねぇ、スター、あれ」
ルナが指差す方向には海から現れた誰かの姿があった。
紺色の水着に黒いダイバーゴーグル。
彼女らがそれを分からないはずがない。
「「サニー!!」」
二人は海へ一緒に駆け出した。砂を蹴って前へ前へ。
「あっ、ルナ、スター」
前から駆け寄ってくる二人に気付いたサニーはおーいと手を振りながら歩いて行った。
波打ち際まで歩いていくとサニーは二人に思いっきり押し倒された。
「サニー、生きてるよね!、ねぇスター!」
「うん、サニー生きてる!、ちゃんと分かるよ‥」
二人に急に泣きながら覆いかぶさられて、サニーは疑問しか浮かばなかった。
「ねぇ二人とも、お願いだからどいて、ここは波がくるし」
サニーの言葉に二人はすぐ退いたが、もう波を来ていて、仰向けのサニーを飲み込んだ。
「いっ‥‥!!!!!」
ゴーグルを外していたせいで思いっきり目に海水が入り、サニーは海水を飲みながらのたうちまわっていた。
「‥馬鹿じゃないの‥っ‥」
「‥ほんと‥っ‥」
さっきまで目元を濡らしていた二人がサニーは見てつい失笑してしまった。
「はー、はー、ちょっと二人とも何すんのよ!」
サニーは目を真っ赤にしながら、二人に怒った。
それがとどめになり、ルナとスターは腹を抱えながら笑った。さっきまでサニーがいなくなったことに悲しんでいた自分達がとても変に思えたから。
「あっサニーいたぁぁ!!」
「えっ、あっいたぜ!」
先程ルナとスターが転がっていた所に霊夢と魔理沙が立っていた。
「えっなんで霊夢さんと魔理沙さんが?」
ますます意味が分からなくなり、悩んでいると、サニーの目の前の空間が大きく裂けた。そしてその中から八雲紫が現れた。
「えっ、紫さん?」
「そうですよ、サニーミルク」
突如現れた紫に皆驚愕の色を顔に浮かべた。ルナとスターはぼーと見つめていたが、霊夢と魔理沙はすぐ駆け寄った。
「紫! まさか、犯人は貴方ね!」
「霊夢、それは早計ではないですか? 前に言ったではありませんか。この神隠しは私ではないと」
「間接的に関わっているでしょ」
「勘ですか?」
「今確信した」
紫は右手に持った扇子を広げ、自分に煽ぎ始めた。
「それは否定しません」
「何が目的よ」
「貴方はこの海をどう思いますか?」
霊夢は目の前に広がる海を見つめ、また紫の方を向いた。
「何って、初めて見たわ。海。とても綺麗な所ね」
紫の視線が魔理沙の方へ向く。
「魔理沙は海を見たことが?」
「あぁ、小さい頃な。でもこんなに綺麗な海は無いな。ここはどこだ。現世か」
「幻想郷です」
紫は海の地平線に目をやり、きっぱりと言い放った。
その言葉に誰もが驚きを隠せなかった。
「ここが幻想郷? 紫言ってたじゃない。幻想郷に海は無いって」
「あの空間には無いという意味です。ここは博麗大結界の中にあり、いつもの次元とは別次元で単独で存在している空間なのです」
紫は海を眺めながら、話を始めた。皆、固唾を飲んで言葉を聞いた。
「昔話をしましょう。
幻想郷は昔、外の世界にあった大きな村でした。そこは海に面していました。
その当時はまだ人々は見えないものを恐れ、信じていました。だから妖怪も神もしっかりと形を持って存在できました。
しかしある時、世界は変わりました。技術が進み、それに伴って人々の世界に対する認識も遷移していきました。
科学的な思考による世界解釈が主流になり、科学的な証明が出来ないものは存在しないという認識が人々に生まれました。そう、人々は見えないものを信じなくなりました。
それは波動となり、どんどん伝達していきました。
神は信仰を失い、妖怪も根源のエネルギーである恐怖も薄れていきました。妖怪の中には自らの偉大さを示そうと人間の世界に侵略をしかけた者もいました。しかし科学という武器を持った人間にはとても歯が立ちませんでした。だから妖怪も神も、まだ人が見えない者への信仰を忘れていなかった幻想郷の元となった村へ流れ込みました。もうすでにそこ以外に安住の地など存在していなかったのです。
そこで私達はそこに楽園を作ることにしました。人も神も妖怪も共存できる世界を。
私達は作りました。現世とは次元的に、性質的に切り離す博麗大結界を。そして出来たのが幻想郷でした。忘れられた者の楽園であり、迷える者の駆け込み寺は今もちゃんとその役目を果たしています。
で、ここから貴方達への答えの話をします。
元の村を空間ごと削り、別次元に転移させたのは問題はありませんでした。ただ村ごと海も持ってきたことによってある問題が発生しました。
海が外の世界と繋がってしまったのです。
博麗大結界は物理的な分離よりも性質的な分離の側面が強くでます。常識、常識じゃない、みたいな分離は出来るのですが、こと海に関しては何か性質的な分離は出来ませんでした。
だから外の世界と不連続的に繋がってしまいました。海から外の物が、その逆も成立していました。なので海を私の能力で幻想郷から物理的に切り離すことにしました。そして幻想郷から海は無くなり、この空間が出来ましたが、この空間が不連続に何処へ繋がることは止まりませんでした。いや‥止めなかった」
紫の口は止まった。うごめく海に愛おしい視線を向けたまま。
霊夢は話の接ぎ穂をあたえる。
「どうして?」
「‥この海がまるで忘れられたくないと言ってるようで、だんだん愛らしく思えてきたのです。幻想郷は忘れられた者の楽園。
じゃあこの子の楽園はどこにあるのか?
誰がこの子を覚えていてくれるのか。
そんなことを考えていたら、もう止めることなんて出来なかった。
この子は無害で人々を襲い、自分の姿を植え付ける。植え付けられた人々はこれを絵にしたり、友に話を聞かせたり、親だったら子に教える。それがまた誰かへ、誰かがまた誰かへ、そうやって永遠と語り継いてくれるなら、この子も救われるだろうと。
いままで幻想郷で起きていた神隠しもそう。ただでさえ海という存在すら無い幻想郷にどうして海に関する記録があるのか。それは霊夢が今まで会ってきたような神隠しされた大人や子供が書物に書き残したり、誰かに教えたから今も残っている」
「じゃあ今までの人達がだいたい二日たって帰ってきたのは貴方が返したから?」
「そうです。でもすぐ返しましたよ。ちょっとここは時間がずれているのでしょうがないですが」
「そう、じゃあ何。今回のはサニーが偶然巻き込まれただけ?」
紫は海から霊夢に向き直り、問いに答えた。
「そうです。サニーミルクが巻き込まれたのは偶然です。ただ貴方達が巻き込まれたのは私がそう仕向けました。必然です」
「なんでそんなことをしたの?」
「いつかこの海を貴方達に紹介しようと思っていました。でも機会が無いというかタイミングを掴み損ねていたのでちょっと利用させていただきました」
紫は扇子で口元を隠しながら、肩を小刻みに震わせた。小悪魔のような雰囲気を纏いながら。
「普通に言えばいいじゃない。なんか捻くれてるわよね、で?もうこれで話は終わり?」
「いえ。紹介というのは未来の話です。と言っても人里の人間以外へ向けての話です」
「なんでよ、覚えて欲しいなら人里の奴らに認知させればいいじゃない」
「それはちょっと問題なのです。今まで塩を使って内部の情勢に介入していたので、それは失うのは惜しすぎる。人間は少しの確率で見れるぐらいでちょうど良いのです」
「まぁあとで聞くわ。で、未来の話って」
紫は扇子を海に力強く向けた。
「これからここを新しい、幻想郷の一部として開放します。この海という新世界を存分にたのしみなさい。夏の暑さを忘れほど暴れて、この場を賑わせなさい!」
エピローグ
今日は休みのはずなのに、たくさんの人で海は賑わっている。いや、背中から蝙蝠の羽や虹色の羽を生やしたり、足元が浮いてたり、金髪が空を飛んでたり、その金髪に追いかけられてる透明な羽を持った三人組と、そんな人間とはかけ離れた存在を人間と言ってもいいのだろうか。
でも、あんなに楽しそうに海を楽しむ姿は人間だ。
海? 俺はあんなに綺麗な海に今日は来ていただろうか。それになんとなくだがあの海の姿には見覚えがある。
あぁ、いつのことだったか。
そうだ、そうだ。あれはそう、小さい頃、森の中にカブトムシを捕まえに行ったときに見。
「おーい、いつまで寝てんだよ。もったいねぇぞ時間」
「‥‥ぁ?」
青年は友達の声によって目が覚める。重い目蓋を開けるて、ゆっくり体を起こすと、さっきまで見ていた光景とは違う光景が浮かんでいた。
「あれ?なんでこんなにすかっすかなんだ?」
「当たり前だろ、お前が学校サボって始発で由比ヶ浜行こうぜって言ったんだから。この時間に海水浴する物好きは今ところ俺らだけ」
友人の発言を受けて青年はもう一回周りを注意深く見渡した。そして目の前に広がってる海はあの海では無いと確信した。
「あっ、夢だったのか」
「寝過ぎて頭やられたか?」
「俺そんな寝てたか」
「三十分」
「全然大したことないねぇじゃん」
どうやら夢を見ていてらしいと青年は確信した。夢にしては実感がありすぎると思いながら。
「どんな夢だったんだ?」
「お前に神隠しにあったて話したっけ?」
「え、初耳だが」
「昔、森で遊んでたら急に吸い込まれてさ、目開けたら、目の前に凄い綺麗な海が広がってたのよ。まぁ記憶はそこで途切れてるんだけど、夢で見たのはその海でさ、あとそこに人間じゃない奴らがいた。背中に羽生えてた」
「まじで? 翼って鳥の?
「いや蝙蝠だったかな。あと虹色の宝石みたいなものも」
「意味わかんネェー。
‥‥ねぇ、神隠しとかも嘘じゃない?」
「嘘ついてどうすんだよ。母親に聞くか? 二日ぶりに帰ってきた!って泣きながら抱きついてきたんだから。今でもたまに思い出話として話すぐらいだぞ」
「いや、なんかまじそうだから信じるよ。いやぁーまじか、そういう心霊現象体験身内から聞いたの初めてだわ。不幸だったな」
「いや不幸じゃないんだ」「というと」
「あの時に見た海は多分一生見れないほど綺麗だったし、多分この世には存在していないって思えるほどだった」
「そんなにかー見てみたいなーーーー‥‥あ」
友達は急に自分の手のひらを叩いて、青年を指さした。
「そうだお前。絵描くのめちゃくちゃ上手いんだから、描いてくれよ。いつも何事にも文句言ってるお前が綺麗って言ってるやつ見てみたいわ。だってそれはこの由比ヶ浜よりも断然綺麗なんだろ?」
友達の問いに青年は「あぁ、もちろん」と返事をして、顔に笑みを浮かべた。記憶にしっかりと焼き付いてる光景を思い出しながら。
「いいねそれ、今度描いてやるよ」
太陽が猛威を振るう真夏。梅雨も明けて、本格的な暑さに包まれながら少年は家の近くの森で虫取りをしていた。
蝉の合唱を聞きながら、少年はカブトムシを探していた。
飽くことなく、数多の木を睨みつづけ、ようやく樹液を吸っているカブトムシを見つけた所だった。
「‥?」
虫あみを構えようとした時、少年は寒気を覚えた。急に周囲が冷えたような感覚に襲われ、恐怖が背中を這いずった。
辺りを目を向けても、原因らしきものは見つからず、異常がある現状に戦慄し、そこからただ動けずに立ち竦んでいると、突然右から風切り音が聞こえ、そちらに意識を向けた時には少年は空間の裂け目に吸い込まれていた。
俺はどうなったんだろう‥。
少年は突然の出来事に思考が麻痺していた。さきほどから風が手を撫でる感覚、背中のざらざらとしていて、温かい感覚、死とはほど遠いものを感じているのに、目を開けるタイミングを失っていた。全てが嘘に思えて、自信が無かったのだ。
なんだろうこの音は。
時間が経って少し冷静になりはじめた少年の耳に波が跳ねる音が聞こえ、その音を何故か優しく感じた少年は恐る恐る目を開けた。
「‥あぁ‥」
ずっと暗闇だった視界に綺麗な蒼穹が映り込んだ。
助かった?
目に映る空が死の恐怖を和らげ、少年はゆっくりと倒れた身体を持ち上げた。
少年の瞳に映っていたのは海だった。ただそれは今まで見てきた海の概念が当てはまらないほど、壮麗な海だった。
空に散りばめられた雲、波に打たれ続ける白い砂浜、勇ましく輝く太陽、太陽の光を受けて玲瓏としている海、世界の果てへと続く地平線。
少年はただただ目の前に広がる世界に圧倒されていた。
「海にさらわれた貴方はここに来た。さぁ帰りましょう。この海を脳髄に焼き付けて」
突如、背後から透き通った女性の声が聞こえ、少年は急いで振り向いたがそこに姿は無く、同時にまるで夢に誘われるように眠気がやってきて、少年はまた意識を失った。
次に目を覚ました時、少年はさっきまでいた森の中だった。
一 年中止まらぬ好奇心
幻想郷は梅雨の季節だった。幻想郷は現実とは違う次元の世界だが、季節に差異は無く、ここにも梅雨の季節がある。
毎年この季節になると人里の子供達が文句を言い始める。遊び盛りの彼ら彼女らにとって外に行けない日が多いというのは最悪以外のなにものでもなく、雨が降るたび、窓から雨を恨んでは、何とか工夫して室内での退屈な時間とうまく付き合っているのだ。
「‥雨止まないな‥」
そして、同じような悩みを抱えたサニーは憂鬱な表情を浮かべながら窓枠に頬杖をついていた。
気分が乗らないのか、いつもは二つに結んでいるその赤い髪も今はおろしてある。
「はあぁぁ〜〜あ」
憂いをぼやき、連続的に雨が滴り落ちる窓を退屈そうに眺めていた。
「サニーうっさい!ソンビみたいな声出すな!」
「はぁ!?これのどこがゾンビなのよ!」
サニーが憂さ晴らしにあげた呻き声にルナは文句を言った。丁度読んでいた本がいいシーン入った瞬間に妨害されたためだ。
「いま良い場面なの。ちょっと黙ってて」
サニーから本に視線を戻す。縦巻きのおさげを揺らしながら。
「理解できない‥どうして三日も外に出れてないのにそんな平然と本読んでられるの?」
「サニーは外に出ないと死ぬの?」
「死ぬ」
「大袈裟ね」
「なによぉ」
「なによ」
「はいはい、二人とも無駄な喧嘩しないの」
争いの火蓋が切られそうな瞬間に静止の声が掛かる。
「ほら、ホットミルクいれたから飲みましょ、サニーもこっちこっち」
腰にかかりそうな黒髪を小さく揺らしながらスターが奥のキッチンからお盆を抱えてやって来る。
三人が同じテーブルを囲み、卓上に出されたホットミルクを一緒に飲み始めた。
「あぁ美味しい‥‥ルナ、これに免じて許してあげる」
「それはこっちのセリフだけどまぁいいわ」
「うんうん、仲良くね」
若干張り詰めていた空気も和らぎ、いつもの三妖精らしい、緩やかなものへと戻っていた。
「雨、明日ぐらいに終わる気がするわ。ついでに梅雨も」
「ほんとスター!」
「勘だけど」
「えぇーー‥」
「ほんと騒がしいわね」
「ルナは終わって欲しくないの?」
「どっちでもって感じ。スターはどっちなの?」
「私はどちらかと言うと、終わって欲しいかな。そろそろの雨にも飽きてきたし」
「そっか‥‥ねぇサニー、明日晴れたとして、どこいくつもり」
「それはもちろん探検よ、具体的には洞窟探検」
「えぇ、また洞窟探検? 私、水遊びとかしたい」
「隊長権限で拒否します」
「理不尽よ!そこは多数決でしょ!」
「じゃあ多数決取るわよ、洞窟行きたい人!」
サニーが真っ先に勢いよく手を挙げ、それに続いてスターも手を挙げる。ルナは挙げない。
「スター、なんでそっちに」
「面白そうでしょ?お宝探し」
「そういうことで、明日は洞窟探検に」
「スター、こっちにつけば金平糖あげるわよ」
「私降ります!」
「そんなあぁぁぁ!!」
その日の夜、天は黒く染まり、幻想の大地には轟音とともに巨大な雷が落ちた。それは梅雨が明ける合図だった。長く続いた雨は終わり、梅雨は来年への眠りについた。
翌日、雨が終わったことでひさびさに顔を出した太陽は、いままでの分を取り返すが如く凄まじく輝いており、外に出るには最適な快晴だった。
三人の妖精はもちろん外に出かけていた。行き先は洞窟。本当ならルナの要求が通るはずだったが、サニーのしょんぼり顔に二人ともなんとも言えない罪悪感に襲われてしまい、結局最初に洞窟探検をして、そのあと川で水遊びすることになった。
「ねぇサニーずっとこの山の中歩いているけど、いつ着くのー? というかずっと前にしか進んでないじゃない」
「うーんそろそろ着くと思うんだけど。おかしいなー」
三人は深く生い茂った雑木林の中を進んでいた。サニーの感覚が頼りなのだが、さっきからその本人も方向に曖昧になり始めているため、三人とも少し不安を感じ始めていた。それに加え、雨のおかげで林の中はモワモワしているため暑さは尋常ではなく、掻いた汗によって衣服もベトベトで、そろそろ我慢の限界を超えそうだった。
「あっ、あったあった!」
お目当ての場所を見つけたサニーが一目散に前へ走り出す。置いていかれぬよう他の二人も走り出した。藪をかき分け、目の前に見える林の終わりを目指した。
「これよ!これ!」
林を抜けると、三人の目の前に現れたのは首を曲げないと見渡せないほどの断崖絶壁。そしてサニーが指さしていたのは、絶壁に空いた大きな穴だった。縦は十二メートル。横は十五メートル。それはまるで今まさに獲物を食べようとする化け物の口だった。
「これはまた凄い洞窟ね」
「でしょでしょ。今度こそお宝があるはずよ」
「今度こそ化け物が現れないといいけど」
「大丈夫よルナ。出ても逃げれないのはドジなルナだもん」
「スター、それは大丈夫って言わないから」
「ちょっと二人とも早くいくわよ」
洞窟の入り口まで行くと、入口の中央に看板が立ててあった。
「タ‥チ‥イリ‥キ‥ン‥シ。ねぇルナ、スター、立ち入り禁止だって!」
「なんでそんなにはしゃいでるの」
「だって立ち入り禁止よ。絶対に何かあるじゃない!財宝のにおいがするわ」
「サニーはいつ妖精から財宝ハンターになったのよ」
「お宝見つかると良いわね!」
立ち入り禁止の文字など御構い無しに、彼女らは洞窟へ足を踏みいれた。
洞窟内はとても暗く、外より空気が淀んでいて、加えて何かを熟成したような腐敗臭が漂っていた。
その中を持ってきたランタンで一歩先の視界を確保しながら三人は歩いた。ただ歩いても歩いても分岐がなかったり、あまりにもならされすぎた洞窟の壁面など、この洞窟の不自然さと異常さにサニーはどこか危機感を覚えた。
「なんかまずい気がするわ。みんないつでも逃げられる準備をしといて。あと横一列はやめて縦一列で行こう。先頭はルナ確定ね」
「はぁ!?なんでよ!」
「ルナが後ろだと後方へ逃げる時に障害になる可能性があるわ。今回の場合前へ逃げることはないだろし。だから先頭で餌‥先陣を切ってほしい」
「いま絶対餌って言った!餌って言った!」
「次が私で、最後がスター。スター、索敵お願いね」
「りょーかい」
「あっ、ルナ、音消してといてね」
「絶対餌にならないからね!」
ルナが能力で周りへの音を消し、スターが能力で自分を含めて生命の点を探知する。万全な状態を整え、三人が縦一列で歩き始めた。
「ルナ気をつけてよね。ルナって緊張したり不安になったりするとすぐ転ぶんだから」
「うっさいわねサニー! そんなの私が一番理解してるわよ!‥‥‥‥え‥」
怒鳴って、前に向き直すとルナの持っているランタンの光が、ぐちゃぐちゃの赤黒い布の服を照らした。
ルナは足を止めた。二人も止まった。
「ねぇこれなに‥臭い‥」
服の方から鼻がもげるほどの悪臭が漂っていた。さっきまでの臭いはこれだと皆確信した。
「なんか嫌な予感がする」
そう言ってサニーは自分のランタンでルナが照らしてる場所よりもさらに奥を照らすと、同じようなものがそこらかしこに無残に放置されている光景が照らし出された。
これって人間の血がついた服‥。
「なんかこれやばくない?」
「やばい」
「やばいわね」
サニーが先程から抱いていた危機感がより現実味を帯び、ほかの二人も同様の考えを抱いていた。
「いまどんくらい歩いた?」
「多分五分ぐらい」
「なんかこれ以上行くとやばい気がするから戻ろうか」
「同意」
「そうね」
死の概念が無い彼女ら妖精でも死ぬほど痛い目に遭うのは嫌なことであり、今の状況はまさしく[死ぬほど痛い目]に遭う可能性があるのだ。
「‥‥ねぇ二人とも、落ち着いてよく聞いて」
「?」
「?」
恐怖が好奇心を超えたところで、スターが急に神妙な顔つきで喋り始めた。その額には冷や汗が流れ始めている。
「えっとね、なん言えばいいのかな」
今彼女の能力で見えている生命の点は四つある。三つは集まっている三人の点。もう一つはそれらの点より数倍大きく、三つの点に洞窟奥からゆっくり近づいてきている点。
距離はざっと五十メートル。
「逃げなきゃ死ぬわ!全力で飛んで!」
「は?」
「えっ?」
スターが大声で叫んで、透明の羽を広げ、後方へ高速で飛び立つ。サニーも合わせて飛び、ルナは若干遅れて飛び立った。直後、巨大な点が三つの点目掛けて猛スピードで動き始めた。
「ルナ能力解除!何も聞こえないのはまずい!」
サニーに言われるがまま、ルナが能力を解除すると、今まで遮断されていた音が聞こえてくる。
「シャァァァァァァァ!!!」
それは洞窟を震わす爆音と、巨大な物体が這いずる音だった。
「いやァァァ!蛇!?餌はいやァァァァァァ!」
「ルナ叫んでる場合じゃない!」
「このままじゃ追いつかれる!」
高速で飛行する三人にとってランタンなど意味を成してない。今彼女らを暗闇の中導くのは[来た道は一直線]っていう記憶だけ。それだけを頼りに、後ろから迫る死に囚われないように宙を蹴る。
「スター!これ間に合うの!?」
「このままだとランチ確定!」
「そんなぁ、というかなんであいつ私達に気づいたの!?音だって消したのに」
「熱よ、蛇は熱で獲物を探知するの‥‥ん?熱?‥ひらめいた! スター、ルナが喰われるギリギリのタイミングで合図して!みんなで一気にランタン投げるわよ」
「スター、ミスったら恨むから!あと私に当てないでね二人とも!」
「隊長に任せなさい
「頑張りまーす」
先頭を走ってるスターにとってルナが餌になってくれるほうが安全だが、いまにも号泣しそう声で訴えられると流石にスターも心が痛むので真剣にタイミングを見計らう。
一秒、二秒、三秒と時間が経つにつれ、風切り音を超えて、大蛇の蛇行する轟音が大きく聞こえてくる。
大きな点が小さな点に重なろうとした。
「今よ!」スターの合図とともに、三人が一斉にランタンを後方へ力一杯投げる。ランタンは前へ回転をしながら、今まさに大きく開かれた大蛇の口の中へ、秒間隔で三回叩き込まれた。
「!?!?!?!?!?」
急な反撃に大蛇はその動きを止めた。
「作戦成功!このまま逃げるきるわよ!」
「餌はいやぁ!」
「うまくいったー!」
そして三人はランチにされず、無事逃げ切ることができた。
命かながら家に全力で帰宅した三人はドアを開けるやいなや、そのまま仰向けに床に倒れこんだ。家に帰ってこれた安心から、緊張が一気に解け、身体が言うことを聞かなかったのだ。
「生きてるー」
「餌になってなーい」
「私もー」
サニーは両隣にいる二人に交互に目をやった。二人とも肩で息をしながら、サニーの視線に答える。
誰も何も語らず少しだけ沈黙が流れた。
「楽しかった?」
サニーは宙に二つの拳を掲げる。ルナ、スターは何も言わず、笑顔を浮かべながら、サニーの拳に拳を合わせた。
二 神隠し
「あぁぁ素晴らしい朝!」
「おはよう、お寝坊さん」
「おはよう、サニー」
サニーが二階から欠伸をしながら、階段を降りてくる。髪は乱れ、寝衣の肩紐の片方が思いっきりズレていて、そんなだらしない彼女だが、結局それはいつも通りのことであり、彼女が安心して寝ている証拠である。
「おはよう! ルナ、スター‥‥うん?ルナ、ちゃんと寝た? 目のくまが酷いわよ」
「見ればわかるとうり、おかげさまで一睡も出来なかったわ。どっかの大蛇のせいで」
「ルナって意外と臆病ね」
「臆病って何よ!あんなの普通誰が見ても怖いわよ!少なくともその日はまともに寝れないわよ。なのに何であんたらぐうすか寝てるの?!意味わかんない!」
ルナの怒声にサニーとスターを目を合わせる。
「えっーだってねー」
「眠いもんは眠いもんねー」
「もうやだこいつら」
同じ妖精というのがあまりにも信じられるず、ルナは顔を両手で塞いだ
「いやまぁ食われなかったから良かったじゃないルナ」
「うんそうよルナ」
「餌にしようとしたくせによく言うよ‥」
「‥知らないよわね、スター?」
「しーらないー」
二人とも自覚しているけどあえって知らない風を装った。
「あぁーあ、サニーに同情なんかせず山の川で遊んでれば良かった!」
「でも結局蛇には遭遇してたわよ」
「まだ遊べてたほうがマシだったわ!」
「じゃあ、今日は水遊びにしよっか」
「えっ、ほんと! やったぁ!」
サニーの提案にルナは満面に笑顔を浮かべてガッツポーズをした。もう寝てないことからくるイライラは消え去っていた。
毎日の行動理念ははっきりしていない。ただ思いつきを思いっきり楽しむ。それが妖精である。
「じゃあルナ、スター、山へ向けて出」
「待って待って待って! 何で山行くのねぇ、死にたいの?ねぇ」
「えー、ほかに‥‥あっ、紅魔館近くの湖があったわね」
「勘弁してよねぇ‥」
「二人とも元気ね!」
「うん元気!」
「そういうことじゃないからぁ!」
三人の自宅の森から西へ十キロ。紅魔館と言われる吸血鬼が住んでいる館のそばには、幻想郷で一番の湖があり、それはたまに霧がたちこめることから、霧の湖とも言われている。
今日はそんな霧もなく、メラメラと太陽が輝き、空はどこまでも青く澄んでいる。青空の真下には巨大な湖があり、それは太陽の光を反射し、光輝な姿を演じていた。
「いやぁいつ見てもでっかいわねぇ、って眩し」
「今日暑いから丁度いいわー、見てるだけで涼しい」
「楽しみー」
三人は空から見える湖の全貌に、それぞれ感想を言いながら、徐々に高度を落としていき、紅魔館とは正反対の岸に着地した。
「上から見てもでかいけど、こうやって見るとさらにでかいわね、というか眩しい!」
「早く遊ぼうよーねぇ、ねぇ」
「ルナ、はしゃぎすぎよ」
眼前に広がる広大な遊び場に皆胸を躍らせた。
どんなことして遊ぼうかな?
三人とも違う妖精なのに、いま考えていることは寸分の狂いもなく一致していた。
「じゃあ泳ごっか」
「泳ぎましょう」
「泳ごう!」
三人が一斉に服を脱ぎ始めると、服の下から紺色の水着が現れる。全貌を表した水着は、太陽の光に当てられて、ところどころに艶を放ち、その主張を増していた。同様に水着の中央の白布に書かれた「さにー」「ルナ」「スター」の黒い文字も光に当てられて、存在感を増していた。
「さぁ行くわよ‥‥ん? サニー何やってるの?」
リュックの中を漁っているサニーにルナが問いかける。サニーは一旦無視したが、準備が終わるとルナの方に振り向いた。
「いえぇーい」
「‥まさかあんた‥」
サニーの額につけられた黒いダイバーゴーグルを見てルナは何となく察しがつく。
いやまさかね。
そこまで頭に冒険家が住み着いていない、と思いたいルナだがいつも私の予想を裏切るサニーにそれは無駄かもしれないなんて諦めもしている。
「実は前からここには何かあるんじゃないかと思ってたのよ!」
「‥‥うん、そう、頑張って」
「どうしたのルナ、嫌な顔してるわよ」
「そのままよスター」
見事裏切られ、ある意味期待通りだった。ルナはもう知らねと親友への理解を放棄した。スターは特に何も思っていない。
サニーは構わず目が光らせ話を続ける。
「でも水中って空気中ほど視界が良好じゃないじゃん?でね思いついたのよ。私の能力で水中の光の屈折率を空気中の屈折率と同じにすれば良いって。 ねぇ私って天才じゃない!」
「‥うん天才天才」
「凄いわサニー!」
「まぁそういうことで私は行ってくるわ!」
サニーは二人を置いて、好奇心の爆発に身を任せ、両手を挙げながら、思いっきり湖へ飛び込んだ。
彼女らが泳ぎ初めて二時間。もう太陽は真上に昇っていた。
「あー、泳いだ泳いだ」
「うんもう良いかもねー」
泳ぎ、ふざけあい、競争し、時間を忘れるほど遊んだルナとスターは今更身体に降りてきた疲労感を感じながら、岸辺でぐったりしていた。
「眠いーーー」
「私もーーー」
「じゃあ帰りましょっか」
「えぇ、帰りましょ。ってあれサニーは?」
「そういえばずっとこっちには来なかったわね」
二人は重い体を上げて、湖を見渡してみるが、それらしきものはいなかった。
ルナとスターは立ち上がり、声を張り上げた。
「‥、サニーどこぉぉぉぉぉ!!!」
「サニー!!!!!」
腹に空気を溜めて、強く声を飛ばし、広大な湖に響き渡らせるが、返事は蝉の鳴き声しかない。今度は二人で同時に声をあげるが、無残に響き渡るだけだった。
スターは何か気づいたようで、後方に足を運ぶ。
「ねぇルナ、これ」
後ろから呼び掛けられて振り返り、スターの元へ走る。
スターが指さす方向にはサニーの服とリュックがさっきと同じ場所に置いてあった。何か動かされた形跡もなく、二人は顔を見合わせた。
「もしかして‥」
「泳いでるわね‥」
ずっと一緒に過ごしてきたからこそサニーがどういう行動するのかはだいたい予想がつく。
二人は笑みをこぼした。
「仕方ない隊長だこと」
「ほんとね」
ルナとスターは帰りの準備をし始めた。サニーが好奇心に駆られた場合、満足行くまで、又は体力が尽きるまで放っておくというのはもはや常識ですらあった。
「先帰って不安にさせてやるわ」
「でもそれだと怒るから、謝罪用にサンドイッチ作っとかなきゃ」
「いつも通りね」
「えぇ、いつも通り」
三 消えた太陽
森林の獣道を歩いていると視界を埋め尽くす木立は失せて、目の前には上へと続く石段が現れる。
石段を登り切ると、巨大な鳥居が出迎え、足元から伸びる石畳の先には年季が入った神社がある。それは幻想郷と現実の境界線である博麗神社である。
そしてそこには赤い巫女装束を纏った霊夢がいる。
霊夢は拝殿の階段に座り、うちわを扇いでいる。鳴り止まぬ蝉の告白と暑さを鬱陶しく思いながら。
ただ暑いを紛らわすことだけに丸一日浪費したような実感と倦怠感を霊夢は感じていた。まだ昼になってもいないのに。
風鈴はなびくたび、チリーン、チリーンと澄み切った音を奏でるが、今日の暑さは風鈴だけでは力不足である。
「おーい霊夢ーー」
空から霊夢を呼ぶ声が聞こえる。聞き慣れたその声に、自然と霊夢の口角は上がっていた。
「よっと」
「おはよう魔理沙」
「おはよう霊夢」
飛んでいたほうきから降りると魔理沙はずれたとんがり帽子を直し、風で乱れた金髪を最低限整えた。
魔理沙は霊夢の隣に座ると、手を差し出し、それに霊夢はうちわを渡した。魔理沙は微妙な顔をしたが、すぐうちわで扇ぎ始めた。
「今日暑くないか」
「あんたがそんな黒くて蒸れやすい服着てるからでしょ」
「とんがり帽子とほうき、この服は魔女の必須装備だぜ」
「まぁ何も無くて飛べるのにわざわざほうき使うぐらいだもんね」
「馬鹿だなぁ、こういうのは格好が大事なんだよ。これだから素人は」
「素人でいいわ」
魔理沙はまた手を差し出すが、霊夢は無視した。
「お前、よくもまぁ長時間ここにいられるなぁー」
魔理沙は汗で濡れた霊夢の黒髪に触れる。ただすぐその手ははじかれる。
「触るな」
「しかし大変だなぁ、こんな暑い日もこうやって待っていなきゃいけないんだろう?誰も参拝に来ないのに」
「そうよ。それが巫女の仕事。あと一つ間違えてるわ。あんたが来た」
「賽銭箱に金は入れないぞ」
「元から期待してない」
「いれないと貧乏だろ」
霊夢は呆れた顔で魔理沙を見る。そしてまた視線を戻す。
「なんか誤解してるようだけど、別に賽銭箱が私の収入ってわけじゃないわよ。
この世の中、せっかく妖怪が住みやすい世界なのにわざわざそれを壊すような輩は結構いるのよ。で、それに対する依頼は基本私に来るのよ。その仕事の報酬が私の収入」
「じゃあ前雑草食ってたのはなんだったんだ」
「あれはどこまで調理すれば雑草が食えるのか興味あっただけ。もし仮に雑草しか食えないような状況になっても私は普通の食事が出来るわ」
「なぜ」
「紫が何か送ってくれるから。一応幻想郷を守る巫女だもの」
「へぇーそうなのか」
少し感心した表情をして、魔理沙はまた手を伸ばすが、また同じように無視される。
「霊夢ケチ臭くないか」
「賽銭箱に入れてからよ」
「別になくても関係ないんだろ」
「気分の問題。一銭も入ってないのは癪なだけ」
「お菓子くれたらいれるから」
「もうそのセリフは聞き飽きたわ。自分の金で買え」
「霊夢のお菓子を食うのが良いのー」
「死んでしまえ。って、抱きつかないでよ暑苦しい」
魔理沙がお菓子を強請るために霊夢に抱きついた。必死に引き剥がそうとするが、なかなか離れない。
「これ以上抱きつくとキノコ女って呼ぶわよ」
「キノコ好きな私にとっては名誉なことだぜ!」
「あぁぁぁぁ!もう殴るわよ!‥‥‥ねぇ魔理沙。なんか声聞こえなかった?」
「声?」
霊夢は魔理沙を無理矢理引き剥がすと、立ち上がって、周囲を警戒した。いつでも動けるように感覚を研ぎ澄ましていると、遠くから、今度ははっきりと声がする。
「霊夢さぁぁぁぁん!!」
鳥居の先を見ると、二人の少女が全速力で飛んで、霊夢のほうに向かって来ていた。
「ルナとスター?」
「だな。一人足りないが」
「なんだあのアホ妖精達か。今日は暑さのせいで構ってやれるほどの余裕ないわよ」
「なんかイタズラの感じじゃないぞ」
魔理沙は何かを感じ取ったのか、拝殿から境内の真ん中へ移動した。霊夢もなんとくついて行った。
ルナとスターは全力で鳥居をくぐり、二人がいる場所に着地しようとした。
「あっ」
「霊夢さん、魔理沙さん助けてください!」
スターは無事着地してすぐさま切羽詰まった顔をして話を始めたが、ルナは着地に失敗してそのまま賽銭箱に猛烈な勢いで激突した。
「ねぇスター、まずルナを助けなきゃ」
「‥もうルナったらー‥」
霊夢は気絶して倒れているルナに指をさした。スターはそんなルナを見て、呆れながらも、少し笑っていた。
泣き出しそうだったスターの顔は少しほぐれていた。
「で、助けて欲しいってどういうことだ」
ルナが目が覚めてから、神社内の居間で四人がちゃぶ台を囲み、魔理沙が話しを切り出した。
ルナはぶつけたところをさすりながら、ゆっくりと、でもそわそわしながらそれに答えた。
「サニーが消えたんです」
「サニーが?」
「はい。昨日三人で霧の湖に遊びに行ったんです。朝から昼まで遊んで、帰ろうと思ったらサニーがいなかったんです。自分のリュックと着替えは置いたままで。
私達はサニーがまだ泳いでるのかなって思って、よくあることで特に気にすることじゃなかったから、先帰って帰りを待ってたんです。でもいつまで経ってもサニーは帰って来なかったんです。湖にサニーの着替えとリュックはずっと置いたままでした」
「うーんー」
それを聞いた魔理沙は腕を組んで悩んでいた。いままでにないパターンだから。
「どう思う霊夢?」
「私、心あたりあるかもしれない」
「は?」
「え?」
「え?」
霊夢の一言に三人は面食らった表情を浮かべ、視線が霊夢に集中する。
霊夢は口を開いた。
「私、人里から良く依頼を受けるんだけど、一週間前かな。母親から娘が急に畦道に片方の下駄だけ残していなくなったから探して欲しいって依頼がきたのよ。で探したんだけど、全然手掛かりが無いの。妖力も感じられないから探知も出来なくて。でもその日から二日後に彼女は無傷で楽しそうに帰ってきたのよ。
どこに行ってたのって聞いたら【なんかとても綺麗な所。ウ‥ミ‥だったかな】って」
「海?幻想郷に海は無いだろ」
「ええ、そのはずなんだけど、その後、さらに気になることを女の子は喋ったのよ。【私、ちょっと遊びに行ってただけよ。なんでそんなに心配してるの】って」
「おいおいマジかよ。時間がズレてるのか」
「多分そう。あんたってそういうの専門じゃないの?」
「馬鹿いえ。魔法の時間操作なんて夢のまた夢だぜ。しかも時間軸をずらすなんて更に次元が一つ上だ」
「そうよね。偶然ならまだ納得できる余地はあるわ。だけどね、こんな感じの依頼、私今までにたくさん受けてるの。しかも全て結果は一緒。みんな、海を見たって言って、ちょっと散歩してきたみたいな感覚で二日三日経ってから帰ってきたの。
もしこれがサニーにも起こっているとしたら?」
ルナとスターは話についていけなかった。彼女らの理解の範疇を超えた話は、ただ耳から入って耳から出て行くだけ。何を考えれば良いか分からず、思考は止まっていた。
「つまり霊夢はこう言いたいわけだ。サニーは神隠しにあったと」
「そういうこと。ただ仮にそうだとしても、今回もちゃんと帰ってくる保証なんてどこにも無いわよ、どうするの?」
霊夢は問いかけるような視線をルナとスターに向けた。ルナは霊夢を下から覗き込むように聞いた。
「‥それはつまり協力してくれるってことですか?」
「そういうことよ。なんか下らない用件なら突っぱねようと思ったけど、結構切実な感じだし、協力してあげるわ。それに神隠しの正体も暴きたいしね。ねぇ?魔理沙」
髪をかきながら霊夢はそう言って隣の魔理沙に話を振る。魔理沙は「そういうことだぜ」と言って、ルナとスターに親指を立てた。
「「ありがとうございます!」」
二人は深く頭を下げた。二人の目には涙が浮かんでいた。
いつまでも一緒と思っていた奴が急にいなくなり、初めて感じた【誰かがいなくなる恐怖】。それに負けないように涙を堪えて、必死に掴んだ最後の糸。それが答えてくれたのだ。これほど嬉しいことはない。
「じゃあ行きましょう、サニーを探しに」
「おうよ」
「「はい!」」
四 時空の穴
四人は湖に到着すると、すぐ捜索を始めた。皆、必死に手がかりを探そうとするが一筋縄では行かず、事態は一歩も進展していなかった。
「さーてどうしたものか、霊夢、妖力の反応は?」
「やっぱりそれらしいものは周辺から感じられない。そっちは?」
「こっちもだ。水中にデコイを飛ばしてるが、全く反応しない」
「神隠しの暴き方って何?」
「それはお前の方が専門だろうが」
「うーーん」
霊夢はその場にあぐらをかいて座ってしまった。
「それが神隠しの暴き方か」
「こういう時は一番リラックス出来る姿勢で考えるものよ。‥‥‥‥‥‥‥何も思いつかない」
「お前もっと真面目に考えろよ」
霊夢の頭に魔理沙がほうきを振り下ろす。ちくちくと頭皮に刺さる地味な痛みが流れる。
数秒してうざったくなった霊夢がほうきを振り払った。
「痛いわしうざいわ!」
「良い頭の刺激になっただろ」
「物理的な刺激は不要です」
霊夢がもう一度頭を巡らそうとすると、湖を囲む森の中からルナとスターが出てきた。
「霊夢さん、魔理沙さん」
「ルナ、スター、なんかあった?」
霊夢の問いにルナとスターは首を横に振った。二人の顔には悔しさが滲み出てる。
「ダメかー、どうするよ霊夢」
「森の中は広いから一回で断定はできないけど、ちょっと森全部探すのは骨が折れるわね。 湖の中の反応は?」
「何も」
「詰まったーー」
霊夢は頭をかいて、こんがらがっている思考を整えようとする。
どうすれば良いのか、何をすれば良いのか。
必死に何かを引き出そうと思考に耽っている時だった。
なんとなく悪寒を覚えた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!」
ルナの叫声が響き渡る。霊夢と魔理沙が振り向くと、ルナが真っ暗な穴に吸い込まれていた。
「ルナァァァ!!」
すぐそばにいたスターは飲み込まれかけたルナの手を必死に掴んだが、あまりの強い引力に抗うことは敵わず、穴の中に姿を消した。
霊夢と魔理沙も強大な引力に持っていかれそうな身体を地面の窪みに手を引っ掛けて耐えていた。
「何よこれ!!」
「私が聞きたいんだぜ! これが例の神隠しじゃないのか!」
「こんな豪快な神隠し聞いたことないわよ! ‥‥‥ねぇ魔理沙! あんた、賭け事は好き?」
「いやまぁどちらでも」
「もし穴の先に犯人がいたら!
お菓子一ヶ月分は保証してあげる!」
「いいねそれは!」
「じゃあ決まりね!」
霊夢はニコッと魔理沙に笑いかけると、窪みから両手を離した。
そして同時に魔理沙の両手も離させた。
「はぁぁぁぁ?!?! 馬鹿じゃねぇねのぉぉぉ!!!!」
「‥‥‥ん〜ここは」
ルナは目を覚まし、まず右腕に握られている感覚に気づき視線を向けると、スターがルナの手を握ったままきめ細かい砂の上で倒れていた。
ルナは左手でスターの体を揺すった。間も無くしてスターも意識を取り戻した。
「‥ルナ?‥ルナ!」
スターはルナを見るや否や上半身を起こし、ルナを抱きしめた。もう離さない勢いで。
「ルナよね!ルナよね!」
「そ、そうよスター」
「本当に良かった‥‥ルナまでいなくなっちゃたら‥私、私‥」
スターは肩を震わせながら涙を流していた。
ルナはいつもは物静かなスターが感情を溢れさせて泣いていることに少し驚いていた。なんと声をかけたら良いか分からなかったが、背中に回された腕の震えを感じて、ルナはスターの背中を優しくさすった。
ある程度時間が経つとスターは落ち着いて、泣くのをやめていた。
「ねぇルナ、ここってもしかして」
「うん、海だと思う」
光り輝く青い液体が波をつくり、隣接している白い砂浜に波打ち、その身を引いていき、また波を作る。
そんな眼前に広がる光景に二人は書物で読んだことがある海という存在を連想した。イメージ通りだったからだ。
「‥サニーもここにいるのかな? そういえば霊夢さん達どうしたんだろう」
「それは分からないわよ。でもサニーがいるとしたら‥‥‥ねぇ、スター、あれ」
ルナが指差す方向には海から現れた誰かの姿があった。
紺色の水着に黒いダイバーゴーグル。
彼女らがそれを分からないはずがない。
「「サニー!!」」
二人は海へ一緒に駆け出した。砂を蹴って前へ前へ。
「あっ、ルナ、スター」
前から駆け寄ってくる二人に気付いたサニーはおーいと手を振りながら歩いて行った。
波打ち際まで歩いていくとサニーは二人に思いっきり押し倒された。
「サニー、生きてるよね!、ねぇスター!」
「うん、サニー生きてる!、ちゃんと分かるよ‥」
二人に急に泣きながら覆いかぶさられて、サニーは疑問しか浮かばなかった。
「ねぇ二人とも、お願いだからどいて、ここは波がくるし」
サニーの言葉に二人はすぐ退いたが、もう波を来ていて、仰向けのサニーを飲み込んだ。
「いっ‥‥!!!!!」
ゴーグルを外していたせいで思いっきり目に海水が入り、サニーは海水を飲みながらのたうちまわっていた。
「‥馬鹿じゃないの‥っ‥」
「‥ほんと‥っ‥」
さっきまで目元を濡らしていた二人がサニーは見てつい失笑してしまった。
「はー、はー、ちょっと二人とも何すんのよ!」
サニーは目を真っ赤にしながら、二人に怒った。
それがとどめになり、ルナとスターは腹を抱えながら笑った。さっきまでサニーがいなくなったことに悲しんでいた自分達がとても変に思えたから。
「あっサニーいたぁぁ!!」
「えっ、あっいたぜ!」
先程ルナとスターが転がっていた所に霊夢と魔理沙が立っていた。
「えっなんで霊夢さんと魔理沙さんが?」
ますます意味が分からなくなり、悩んでいると、サニーの目の前の空間が大きく裂けた。そしてその中から八雲紫が現れた。
「えっ、紫さん?」
「そうですよ、サニーミルク」
突如現れた紫に皆驚愕の色を顔に浮かべた。ルナとスターはぼーと見つめていたが、霊夢と魔理沙はすぐ駆け寄った。
「紫! まさか、犯人は貴方ね!」
「霊夢、それは早計ではないですか? 前に言ったではありませんか。この神隠しは私ではないと」
「間接的に関わっているでしょ」
「勘ですか?」
「今確信した」
紫は右手に持った扇子を広げ、自分に煽ぎ始めた。
「それは否定しません」
「何が目的よ」
「貴方はこの海をどう思いますか?」
霊夢は目の前に広がる海を見つめ、また紫の方を向いた。
「何って、初めて見たわ。海。とても綺麗な所ね」
紫の視線が魔理沙の方へ向く。
「魔理沙は海を見たことが?」
「あぁ、小さい頃な。でもこんなに綺麗な海は無いな。ここはどこだ。現世か」
「幻想郷です」
紫は海の地平線に目をやり、きっぱりと言い放った。
その言葉に誰もが驚きを隠せなかった。
「ここが幻想郷? 紫言ってたじゃない。幻想郷に海は無いって」
「あの空間には無いという意味です。ここは博麗大結界の中にあり、いつもの次元とは別次元で単独で存在している空間なのです」
紫は海を眺めながら、話を始めた。皆、固唾を飲んで言葉を聞いた。
「昔話をしましょう。
幻想郷は昔、外の世界にあった大きな村でした。そこは海に面していました。
その当時はまだ人々は見えないものを恐れ、信じていました。だから妖怪も神もしっかりと形を持って存在できました。
しかしある時、世界は変わりました。技術が進み、それに伴って人々の世界に対する認識も遷移していきました。
科学的な思考による世界解釈が主流になり、科学的な証明が出来ないものは存在しないという認識が人々に生まれました。そう、人々は見えないものを信じなくなりました。
それは波動となり、どんどん伝達していきました。
神は信仰を失い、妖怪も根源のエネルギーである恐怖も薄れていきました。妖怪の中には自らの偉大さを示そうと人間の世界に侵略をしかけた者もいました。しかし科学という武器を持った人間にはとても歯が立ちませんでした。だから妖怪も神も、まだ人が見えない者への信仰を忘れていなかった幻想郷の元となった村へ流れ込みました。もうすでにそこ以外に安住の地など存在していなかったのです。
そこで私達はそこに楽園を作ることにしました。人も神も妖怪も共存できる世界を。
私達は作りました。現世とは次元的に、性質的に切り離す博麗大結界を。そして出来たのが幻想郷でした。忘れられた者の楽園であり、迷える者の駆け込み寺は今もちゃんとその役目を果たしています。
で、ここから貴方達への答えの話をします。
元の村を空間ごと削り、別次元に転移させたのは問題はありませんでした。ただ村ごと海も持ってきたことによってある問題が発生しました。
海が外の世界と繋がってしまったのです。
博麗大結界は物理的な分離よりも性質的な分離の側面が強くでます。常識、常識じゃない、みたいな分離は出来るのですが、こと海に関しては何か性質的な分離は出来ませんでした。
だから外の世界と不連続的に繋がってしまいました。海から外の物が、その逆も成立していました。なので海を私の能力で幻想郷から物理的に切り離すことにしました。そして幻想郷から海は無くなり、この空間が出来ましたが、この空間が不連続に何処へ繋がることは止まりませんでした。いや‥止めなかった」
紫の口は止まった。うごめく海に愛おしい視線を向けたまま。
霊夢は話の接ぎ穂をあたえる。
「どうして?」
「‥この海がまるで忘れられたくないと言ってるようで、だんだん愛らしく思えてきたのです。幻想郷は忘れられた者の楽園。
じゃあこの子の楽園はどこにあるのか?
誰がこの子を覚えていてくれるのか。
そんなことを考えていたら、もう止めることなんて出来なかった。
この子は無害で人々を襲い、自分の姿を植え付ける。植え付けられた人々はこれを絵にしたり、友に話を聞かせたり、親だったら子に教える。それがまた誰かへ、誰かがまた誰かへ、そうやって永遠と語り継いてくれるなら、この子も救われるだろうと。
いままで幻想郷で起きていた神隠しもそう。ただでさえ海という存在すら無い幻想郷にどうして海に関する記録があるのか。それは霊夢が今まで会ってきたような神隠しされた大人や子供が書物に書き残したり、誰かに教えたから今も残っている」
「じゃあ今までの人達がだいたい二日たって帰ってきたのは貴方が返したから?」
「そうです。でもすぐ返しましたよ。ちょっとここは時間がずれているのでしょうがないですが」
「そう、じゃあ何。今回のはサニーが偶然巻き込まれただけ?」
紫は海から霊夢に向き直り、問いに答えた。
「そうです。サニーミルクが巻き込まれたのは偶然です。ただ貴方達が巻き込まれたのは私がそう仕向けました。必然です」
「なんでそんなことをしたの?」
「いつかこの海を貴方達に紹介しようと思っていました。でも機会が無いというかタイミングを掴み損ねていたのでちょっと利用させていただきました」
紫は扇子で口元を隠しながら、肩を小刻みに震わせた。小悪魔のような雰囲気を纏いながら。
「普通に言えばいいじゃない。なんか捻くれてるわよね、で?もうこれで話は終わり?」
「いえ。紹介というのは未来の話です。と言っても人里の人間以外へ向けての話です」
「なんでよ、覚えて欲しいなら人里の奴らに認知させればいいじゃない」
「それはちょっと問題なのです。今まで塩を使って内部の情勢に介入していたので、それは失うのは惜しすぎる。人間は少しの確率で見れるぐらいでちょうど良いのです」
「まぁあとで聞くわ。で、未来の話って」
紫は扇子を海に力強く向けた。
「これからここを新しい、幻想郷の一部として開放します。この海という新世界を存分にたのしみなさい。夏の暑さを忘れほど暴れて、この場を賑わせなさい!」
エピローグ
今日は休みのはずなのに、たくさんの人で海は賑わっている。いや、背中から蝙蝠の羽や虹色の羽を生やしたり、足元が浮いてたり、金髪が空を飛んでたり、その金髪に追いかけられてる透明な羽を持った三人組と、そんな人間とはかけ離れた存在を人間と言ってもいいのだろうか。
でも、あんなに楽しそうに海を楽しむ姿は人間だ。
海? 俺はあんなに綺麗な海に今日は来ていただろうか。それになんとなくだがあの海の姿には見覚えがある。
あぁ、いつのことだったか。
そうだ、そうだ。あれはそう、小さい頃、森の中にカブトムシを捕まえに行ったときに見。
「おーい、いつまで寝てんだよ。もったいねぇぞ時間」
「‥‥ぁ?」
青年は友達の声によって目が覚める。重い目蓋を開けるて、ゆっくり体を起こすと、さっきまで見ていた光景とは違う光景が浮かんでいた。
「あれ?なんでこんなにすかっすかなんだ?」
「当たり前だろ、お前が学校サボって始発で由比ヶ浜行こうぜって言ったんだから。この時間に海水浴する物好きは今ところ俺らだけ」
友人の発言を受けて青年はもう一回周りを注意深く見渡した。そして目の前に広がってる海はあの海では無いと確信した。
「あっ、夢だったのか」
「寝過ぎて頭やられたか?」
「俺そんな寝てたか」
「三十分」
「全然大したことないねぇじゃん」
どうやら夢を見ていてらしいと青年は確信した。夢にしては実感がありすぎると思いながら。
「どんな夢だったんだ?」
「お前に神隠しにあったて話したっけ?」
「え、初耳だが」
「昔、森で遊んでたら急に吸い込まれてさ、目開けたら、目の前に凄い綺麗な海が広がってたのよ。まぁ記憶はそこで途切れてるんだけど、夢で見たのはその海でさ、あとそこに人間じゃない奴らがいた。背中に羽生えてた」
「まじで? 翼って鳥の?
「いや蝙蝠だったかな。あと虹色の宝石みたいなものも」
「意味わかんネェー。
‥‥ねぇ、神隠しとかも嘘じゃない?」
「嘘ついてどうすんだよ。母親に聞くか? 二日ぶりに帰ってきた!って泣きながら抱きついてきたんだから。今でもたまに思い出話として話すぐらいだぞ」
「いや、なんかまじそうだから信じるよ。いやぁーまじか、そういう心霊現象体験身内から聞いたの初めてだわ。不幸だったな」
「いや不幸じゃないんだ」「というと」
「あの時に見た海は多分一生見れないほど綺麗だったし、多分この世には存在していないって思えるほどだった」
「そんなにかー見てみたいなーーーー‥‥あ」
友達は急に自分の手のひらを叩いて、青年を指さした。
「そうだお前。絵描くのめちゃくちゃ上手いんだから、描いてくれよ。いつも何事にも文句言ってるお前が綺麗って言ってるやつ見てみたいわ。だってそれはこの由比ヶ浜よりも断然綺麗なんだろ?」
友達の問いに青年は「あぁ、もちろん」と返事をして、顔に笑みを浮かべた。記憶にしっかりと焼き付いてる光景を思い出しながら。
「いいねそれ、今度描いてやるよ」
三妖精がとても可愛くて素敵……
相も変わらずにわきゃわきゃしてる三月精が実に可愛いですしレイマリのお互いの扱いの雑さが実にレイマリです。
物語も正道ながら、軽妙で愉快な掛け合いと前作からさらに強化された表現描写がぐいぐいと読み手を惹き込んでくるように感じます。
まだところどころ引っかかるものはありますが、それを差し引いても見事としか言いようがありません。
お見事でした。素晴らしかったです。
紫の動機がとても紫らしくてすき