ひねもすのたりのたりの博麗神社。
今日も今日とて三人の閑少女たち。
「かんづめ?」
「何よそれ」
「はい、缶詰です。ツナ缶が食べたくて仕方ないんです」
東風谷早苗の突発的な食欲について霧雨魔理沙も博麗霊夢も最早慣れっこだった。
「ここ(幻想郷)にはそんなモン無いわよ」
「そうなんです。まだ幻想入りしていないから困っているんです」
「そもそもかんづめって何だよ? 多分食べ物なんだろうけどさ」
「よくぞ聞いてくれました!」
立ち上がり腰に手を当て少し反り返る。この『説明しよう!』モードの早苗は鬱陶しいことこの上ないのだが、これも最早慣れっこだった。
「このくらいの」
両の親指と人差し指を合わせて丸を作ってみせる。
「金属の筒に下拵え、あるいは調味した各種食材を入れて蓋をした後に加熱殺菌したシロモノです」
早苗の説明は一部の缶詰には適用されるが、あまりにざっくりだった。二人とも半眼で胡乱げな表情だった。
「その金物に食べ物を閉じ込める意味って何なの?」
「缶に収めると長期保存が可能なんです」
「長期保存?」
「中に入れるものにもよりますが、常温で三年以上はザラです」
「へえー、そりゃスゴイな」
「丈夫な容器なので遠方への輸送も可能で、開ければそのまま食べられるので手間がいりません」
早苗の熱弁を聞いていた霊夢が何か思いついたようだ。
「それって、兵隊さんの食料に良さそうね」
「そうです! 良くぞ気づいてくれました!」
我が意を得たりと、更に力がこもる。
「元々は軍隊の携行糧食として開発されたんです!」
古くはかのナポレオンが瓶詰めを、その後英国の――
長くなるから今回は割愛。
「ツナはマグロやカツオのお肉を油や水で漬け込んだものです。お肉の形を残したタイプとほぐしたフレークタイプがあります。マヨネーズと和えることで国民の九割が支持する革命的な食材となったんです!」
「ホントかよ」
「ホントです。ご飯に良し、パンに良し、パスタに良し、サラダに良し、オールラウンドハイパーフードです!」
「アンタがそこまで言うってことは相当なのね」
「はい! 相当です」
「ツナを始めとして魚介の缶詰は豊富です。イワシ、サバ、サンマの青魚を水だけで煮たり! 味噌あるいは醤油で煮たり!」
「おい、早苗、どうどう、どうどう」
「ふひゅー、……魚缶は強者です。体に良い栄養をたっくさん含む青魚をいつでも手軽に食せるのです! 骨まで柔らかくなっていてカルシウムもバッチリなんですよっ!」
「ちょっと、落ち着きなさいよ」
「クジラや牛の大和煮の缶詰もありましたが大和煮って何ですか? 砂糖、醤油、ショウガで甘辛く味付けただけですか? 美味しいから良いんですけどね!」
もう、抑えが効かない。
「困ったなー、いつになく面倒なスタンピードだぜ」
「押さえ込んでおくけど、くたびれるまで騒ぎそうよ?」
バタバタ暴れる緑巫女をやれやれと腕ひしぎ逆十字固めに捉える赤巫女。
「うぎぃーー! いだっ! いだだだぁー!」
「落ち着けって言ってんのよ。そんなに絞ってないでしょ? 軽いもんよ」
骨格を有する生物にとって博麗霊夢の関節技は発動したらそのまま最終幕である。抵抗不能の絶対の摂理であり、逆転が存在しない一方的な定理なのだ。
「どう? 落ち着いた? 私だってこんなことしたくないのよ?」
「ぎぶ……ぎぶぅ」
「霊夢! 加減しろよ! これはヤバイぜ!」
「加減もなにも、こんなの全然絞めているウチに入らないわよ。……ったくヤワなんだから」
技を解いても仰向けのままの早苗は呼吸が荒い。
「おい、結構危なかったんじゃないか?」
「ふん、知らないわよ」
神力を得たとは言え、素体は一般女子の域を出ない早苗と、各種戦闘に特化し、逆らう輩を力ずくで黙らせてきた霊夢とでは比較にならない差がある。
「かねがね思うんだけど、霊夢、お前、人間なのか?」
「本気の疑問なの?」
「う……冗談半分ってことで良いか?」
自分まで関節技の餌食になっては堪らないが、疑問ではあるので慎重に問いかけた。
「正真正銘の人間よ。当たり前でしょうが」
「そ、そうか」
言い切られてしまえばこれ以上突っ込めない。
「ふうう、はああ、うう~ん」
早苗がようやく体を起こした。
「霊夢さん! ヒドいじゃありませんか!」
「何よ、謝れっていうの?」
「いえ、私が興奮しすぎました! 座っててください!」
腰を浮かせた霊夢を慌てて制する。
「話を戻そうぜ、缶詰の続きだろ?」
「えーと、はい。お肉の缶詰には他にもバリエーションがありますが、謎の成形肉のスパム缶が有名です」
相変わらずの立ち直りの早さだ。
「謎の……肉? 大丈夫なのかよ、それは?」
「豚肉が主原料だそうですが、よくは分かりません。味や食感は好き嫌いの分かれるところですが、お手軽なお肉として海外では確固たるシェアがあるみたいです。我が国でもお寿司風にしたり、玉子や野菜と炒めたり、地域によっては支持されていましたね」
「ふーん、他には?」
「私が好きだったのはコンビーフですね」
「ビーフってことは牛肉なんだな?」
「塩漬けにし熟成させた牛肉を、うんと細かくほぐしてギッチリと缶に詰めたモノです。この缶が独特なんです! 台形をしていて、開けるには専用の巻取り金具を使ってクルクル巻いて開けるんです、これが楽しいんですよぉ!」
手振りを交えて解説するが二人はサッパリ理解できない。缶詰を知らない者にコンビーフの開缶方法を説明するのは至難の業だ。
「ああっ! もどかしい! つまり切れ目の入った金属のベルトをテコの原理で巻き取るんですよ! こう! こんな感じです!」
「ふむふむ、なるほど。……全く分からないわ」
「ああああーー!」
「なあ早苗、コンビーフとやらはちょいと難しいぜ。次に行かないか?」
「うぬぬっ、仕方ありません。素材缶を紹介します。これは分かりやすいはずですから!」
「そざいかん?」
「存在感のこと?」
「違いますよ! 食材を加熱し下拵え状態にしてある缶詰の事なんですよ!」
「そんだけなの?」
「それだけじゃすぐには食べられないじゃないか」
「違うんです、想像してください! トウモロコシを食べようとしたら、皮を剥いで茹でなければでしょ?」
「当たり前じゃない」
「トウモロコシの缶詰、コーーーン缶は茹でてあり、一粒ごとにバラけている状態のモノが缶を開ければそこに在るんですよ!」
「……それは便利ね」
「トマトベースの料理を作る場合でもトマトの水煮缶なら皮も無く良い具合に煮潰した状態でそこに在るんですよ! すぐに使えるんです!」
「なるほどー、そりゃ良いな」
「しかも長いことそのままで置いておいても大丈夫なんですから食材管理が杜撰な霊夢さんにはうってつけです!」
「どうしてそこで私を引き合いに出すの?」
「他にもたくさんあります! 高級魚介のカニ、ウニ、カキ。貝類も外せません、ホタテ、つぶ貝、赤貝、アサリなんか良いですよね! パスタソースやカレーなどのソース缶、独特の甘みのフルーツ缶、調理済みのおつまみ缶、まだまだありますが、やっぱり、やっぱり、やーーぱり! ツナ缶です!」
「ったく、また興奮してきたぜ」
「懲りないわねー」
「ツナ缶! ツナ缶! ツーーナカーーン!」
「無いモンは仕方ないだろ?」
「あちらでは普通に流通していたんです。ツナマヨ食べたいんです、うわーん! 食べたーい!」
駄々っ子モードの早苗にタメ息をつく霊夢。いつもなら早苗のわがままは蹴り飛ばすのだが、今回のこれは真に迫っている。それに缶詰に興味がある。ちょっとは力を貸すかと考える。もちろん面倒の無い範囲でだが。
「こちらに無いモノなら……紫に頼むしかないわね」
「それって高くつかないか?」
「そうね、足元見られそうだわ」
「無理難題を吹っかけられるんじゃないか?」
「幻想郷で一番性格の悪いヤツだからね」
「それは誰のことかしらぁ?」
「ん? うわぁっ!」
「ひえええー!」
「な、何よ紫! おどかさないでよ」
「ウフフフ、人間を驚かすのは妖怪の本分だもの」
してやったりと嬉しそうにしているのは妖怪の大賢者、八雲紫だった。背後の空間が歪んで見える。そこから出てきたのだろう。するともう一人が歪みから現れた。たくさんの尻尾をふさふさと揺らした九尾の狐、八雲藍だった。導師服の両袖を合わせ丁寧にお辞儀をする。
「皆さま、ご機嫌麗しゅうございます」
「もー、アンタたち何しに来たのよ?」
「何となく呼ばれた気がしたのよねぇ」
「コイツずっと見張ってるのか?」
「暇なヤツね」
「でもビックリしましたよー」
さっきまで涙目だった早苗もあまりのことに缶詰が頭から吹き飛んでいるようだ。
「驚かすのは紫様の趣味でございます故」
藍が律儀に返事をした。
「フフフフ、まあね」
「先日も里の若衆を夜道で驚かせておいででした」
「フフフフ、そうね」
「その若衆は紫様のお顔を見るなり腰を抜かし、悲鳴もあげらずに上から下から色々な液体を噴出させ、這いずり回っておりました」
「フフフフ、そうだったわね」
「そりゃまたスゴい怖がりようだな」
「ちょっとヤリすぎじゃない?」
「紫様はその時、ノーメイクだったのです」
「フフ………………藍」
「はい」
「それって言う必要があるの?」
「あれほど驚愕し、恐怖に犯され、慌てふためく人間は初めて見ましたので付加価値は何だったのかと考えたまででございます」
幻想郷で最も演算能力が高いと言われている九尾の狐が真面目くさって言った。
閑少女三人はなんとも微妙な顔をしている。
「だから何? 悪いのっ? 文句あるの?」
若干キレ気味で睥睨する。
「いや、暗がりで突然だったらどんな美人だろうとビックリするぜ。きっと、多分」
「それでフォローしたつもりなの?」
「紫様」
「何よ!」
「落ち着いてくださいませ」
「貴方が今、それを言うの?」
―――†―――†―――†―――
「ねえ霊夢、お茶もくださらないの?」
立ち直りの早さも幻想郷有数の大妖怪。
「図々しいわねー。わーったわよっ」
不機嫌を隠そうともしない霊夢が台所へ向かった。
「おい、二人とも取り敢えず座れよ」
八雲紫&藍。二人ともかなりの身長なので立っていられると圧迫感があるのだ。
「お言葉に甘えさせていただくわ。藍も座りなさい」
品良く座る大妖怪たち。
「まったく霊夢もそろそろ短気を治して欲しいものだわ」
お前が言うなと、言いかけ喉で抑えた魔理沙は話題を変えることにした。
「霊夢のこと、前々から聞きたかったんだが今良いか?」
「答えられることであればね」
「アイツ、どこから連れてきたんだ?」
幼馴染であり物心ついた頃には神社にいた黒髪の少女だがその出自は謎のままだ。
「気になるの?」
「まあ、少しな」
「どう見ても普通の人間じゃないじゃないですか」
早苗が気にするのはそこなのか。
紫は扇で口元を隠し、虚空を見つめ考え込んでいる。
「んー。いずれ分かることだからお話しましょうか」
勿体を付ける紫だが、おとなしく聞く二人。
「戦乱渦巻く、とある異世界から連れてきたのよ」
「え?」×2
「極地決戦用ネオロ●ダーを汎用型に改良したタイプKYDM-EX、製造番号【へ】の八番。それが霊夢よ」
「そうだったのか」
「なるほどですね」
疑いもせず納得している。
「情緒制御回路に少し問題があって廃棄予定だった個体をこっそり持ってきたのよ」
「むう、どうせカッパラうならもう少しマシなのにすれば良かったのにな」
「そうですよ。少し問題というより明らかな欠陥品じゃないですか」
「仕方ないのよ、その世界に滞在できる時間はとても短かったんだから。じっくり吟味する暇はなかったのよ」
「残念だぜ」
「まったくですね」
「アンタたち、面白い話してんじゃない」
「れ、霊夢、どこから聞いてたんだ?」
「どこからもなにも、こんな狭い家であんな大きな声で喋っていたら丸聞こえでしょうが」
湯呑をのせたお盆を静かに置いたネオロイ●ーが贄たちを見回す。
「墓標には何と刻んで欲しい?」
指の関節をゴキゴキと鳴らしながら問う。
「『正直に生きた魔法使い 霧雨魔理沙』が良いかな」
「『嘘とは無縁だった風祝 東風谷早苗』でしょうか」
「『純情可憐 享年十七歳 八雲紫』しかないわねぇ」
「よろしい。ならば戦争ね」
「そうはいかなくてよ。霊夢、これを見なさい」
そう言って取り出したのは手の平サイズの金属っぽい箱だった。掲げているのでよくは見えないが直方体だが角が丸みを帯びているようだ。
「何よ、それ」
「これは貴方の【リモコン】なのよ」
「はあ?」
「な、なんですとお!」
「どうした早苗、りもこんって何だよ」
「あれがあれば霊夢さんを自由に操れるんです」
「んなバカな」
「うるさい連中を問答無用でブチのめして幻想郷を完全に征服できますよ!」
何だか物騒なことを言っている。
「さあ、これがある限り私には逆らえないわよぉ?」
ニヤニヤしながら金属の箱を見せつける紫。
ぱしっ
その手を軽く叩いた霊夢。箱はゴトっと床に落ちた。
「わーーー!」
飛びつく早苗。
「え? と、とりあえずだぜ!」
わけも分からず魔理沙も飛びついた。
「敵に渡すな大事なリモコン! ですっ!」
ドタバタと取り合いをしていたが、運動神経に勝る魔理沙が奪い取った。
「なあ早苗、これ何か書いてあるぜ」
どれどれと覗き込む。
「『いわしの蒲焼缶』ですね……か、缶詰ですよー!」
―――†―――†―――†―――
「アンタたち、私が思っていたより頭悪いことがよーーく分かったわ」
「ぐぐっ……」×2
霊夢から「頭悪い」と言われたことがゲンコツもらうより堪えた二人だった。
「ねえ、貴方たち」
「何よ、今は取り込み中よ」
「起きてから何も食べてないのよ。何か作ってくれる?」
ペースを崩さない境界の妖怪さん。
「紫様」
「なーに?」
「今朝は焼き魚、キノコのバター焼き、〝しぃち●ん〟サラダ、大根と油揚げの味噌汁で白米を三杯お召しになったかと」
「…………そうだったかしら?」
「これヤバくない?」
「ああ、ヤバイな」
「『○○さん(息子の嫁)飯はまだかいのぉ?』『いやですわお義父さん、ついさっき召し上がったばかりじゃないですか』『あ~そうだっかの~?』ですよね」
「それって笑えないぜ」
「そうですよね、ご苦労されてる方々もいらっしゃるんですから」
「そうね、その辺りは私も理解できるわ。穏やかに見守って、看る立場のヒトの助けをするのがせいぜいよね」
「へえー、随分まともなことを言うなぁ」
「ビックリです」
「あのねアンタたち、いい加減怒るわよ」
「何をヒソヒソ話しているの? 貴方たちその目は何?
あのね、自分で言うのはなんだけど、それほど軽んじられる存在ではないつもりよ? 私が何者か分かっているのかしら?」
「妖怪の大賢者様だわねー」
「時空を操る唯一無二の大妖だぜぃ」
「幻想郷最強のラスボスでーす」
「……藍」
「はい」
「讃えられているとは思うのだけど、ほんの少し愚弄が混じっている気がするのよ。貴方はどう感じたかしら?」
「私には紫様への称賛しか感じられませんでした」
「ホント?」
「ご主人様に嘘偽りを述べ立てる舌は持ち合わせておりません」
そう言って九尾の付根が見えるほど深くお辞儀する八雲藍。
「そう、それなら良いわ」
―――†―――†―――†―――
「私らも昼飯にしたいんだけどな」
「急に言われてもここにはロクな食材はありませんし」
「早苗、次は折るわよ」
「食材はせっかくだから缶詰にしましょうかぁ?」
「え、今から用意できるのか?」
「もちろんよ。藍、やってみなさい」
「はい」
皆が注目する中、藍は真剣な表情で両手を突き出し、何かを掴むように指先をゆっくりと動かした。
「性感マッサージですか?」
「早苗、ちょっと黙ってろ」
「これは……どこか他所にある領域から目当てのモノを選択して繋がりを持とうとしているのかしら?」
「あら、良く分かったわね」
「おい、霊夢がスゴい難しいこと喋ってるぜ」
「きっと自分でも何言ってるのかチンプンカンプンに違いありませんよ」
すかさず博麗ダブルチョップが炸裂する。
「藍の支配領域はまだ狭いのよ。訓練中だからねぇ」
「そうですね、六畳一間程度の停止空間です」
そう言う藍の手首の先がふいに消失した。あっと声を出す間もなく引っ込めたその両手には缶詰が握られていた。
「〝私の空間〟に保管している食材でございます」
色々な種類の缶詰や調味料、野菜などの食材を次々と取り出している。
「こ、こ、これはいわゆるアイテムボックスですね!」
「また分からんこと言い始めたぜ」
「四次元ポケ●トと言えばご理解いただけますか?」
「更に分からないわよ」
「フフフフ、空間を捻じ曲げたり繋げたり切り離したり、自由自在に操るのよ。このコもいずれ私のように広範な領域を認識、支配できるようになってもらうわ」
「紫の場合どのくらい広いのか分かんなくなっていそうよね。いい加減だし、忘れっぽいから」
「霊夢、いくらなんでも失礼ではなくて?」
「じゃあ、アンタも食材出してみなさいよ」
「私ほどになると支配領域が広大すぎて探すのも一苦労なのよ」
「つまり整理整頓が出来ていないってことでしょ?」
「…………大体は把握してるわよ」
目を泳がせている時空妖怪を鼻の先でせせら笑う傍若無人な巫女さん(多分人間)。
「然程広い領域ではないのですが、私の空間にあるのはほぼ食材です」
「何だかもったいないわね」
「その能力はもっと有効に使えるんじゃないか?」
「そうですよ、アイテムボックスはチートなんですから」
「私は紫様の式であり、従者です」
「んなこたぁ知ってるわよ」
「紫様が私に要求されることの八割二分五厘は飲食に関すること事柄ですのでこのような次第となっています」
「藍」
「はい」
「それって言う必要があるの? ……このセリフ昨日も言った気がするわよ?」
「いやいや、ついさっき言ってたぜ」
「そうですよね」
「紫、アンタ、本当に大丈夫なの?」
「だからその気の毒そうな顔やめてよ!」
「紫様」
「何よ!」
「御食事の仕度を始めてもよろしいですか?」
「うぇ? ……ええ、よろしくてよ、フフフフ」
「ふっ、相変わらず式にはユルユルのアマアマね」
「ようやく開始かよ。イントロ長すぎだぜ」
「此度は缶詰メインですから藍さんが主導の方が良さそうですね」
「料理の知識はあるつもりですが実践となるとなかなか難しいですね。
紅魔館の女官、命蓮寺の本尊、旧地獄の橋姫、人形遣いなどの才あるモノ達には遠く及びません。料理とも言えぬ粗末な代物なのです。紫様は満足されているようなのですが、それは紫様だからです」
「藍」
「はい」
「最後の方の文言は必要なの? 要らないわよね?」
「申し訳ございません」
「ねえ貴方、ホントに申し訳ないと思ってる?」
「無論でございます。お気に召さぬならお望みの期間、謹慎をお申し付けください。その間は遺憾ながら紫様にお食事を供することは適いません。誠に、誠に残念ではありますが」
「それって暗に脅しているのよね?」
「滅相もございません」
「料理が少し不得手な私をからかっているのかしら?」
「紫様をからかうなど、もっての外でございます」
八雲紫の腕前は魂魄妖夢曰く「危なっかしくて見ていられない」らしい。ちなみに西行寺幽々子とはお互い「自分の方がマシ」と思い込んでいるライバル関係だそうな。
「まったく何なのかしら、反抗期なのかしら」
実は最初からこんな感じだったのだが、良く言えばおおらかな紫はスコンと忘れているだけだった。
―――†―――†―――†―――
藍が取り出した持ち込んだ数々の缶詰。
ツナはもちろん数種類、クジラの大和煮、サバの水煮と味噌煮、オイルサーディン、ウズラの玉子、白アスパラ、ミートソース、サケの中骨、塩ダレ焼き鳥、カニ、ホタテ、コンビーフ、スパム、トマトの水煮、カキの燻製、サンマの蒲焼、イワシのショウガ煮、ミカン、黄桃、パイナッポーなどなど。
「うん? 缶の蓋に輪っかが付いてるな、なんだ?」
それまで「ほわわっ」「はわわっ」と一つ一つに感動していた早苗に魔理沙が声かけた。
「それはその輪っかを指にかけて引っ張るとパカッと蓋が取れるパッカン式の缶詰ですね」
公式名称はイージーオープン缶。保存性は従来のハードオープン缶(?)と変わらないが、強度が低いため、強い衝撃があるとクパァッと開いてしまう可能性がある。なので戦闘糧食ではイージーオープン缶は採用されていない場合が多いようだ。
「そうなのか。んしょっ」
ツナ缶を引っ張り開ける魔理沙。
「こりゃ楽だぜ」
「一方、昔からの缶は缶切りがないと難しいですね」
ちらりと藍に目をやる。
「用意してありますよ。刃は鋭いのでご注意ください」
手渡したのは十センチほどの無骨な金属製の棒だった。
「こちらの刃をテコの原理で蓋に食い込ませ引き切るんですよ」
「反対側は何だ? お、内側にバネが入っているぜ」
「栓抜きとコルク抜きですね。今回は使いませんが、どちらも開けるための特殊器具となっています」
「つまりこれ一本で色々なモノが開けられる便利道具ってことだな、スゴイぜ」
魔理沙はコンパクトで便利な道具が大好きだ。十得ナイフなどを与えたら一日中いじりまわしていそうだ。
「このパイナッポー缶を開けてみましょう」
キコキコと前後させながら刃をめり込ませ進んでいく。
「面白そうだぜ! 藍、私にも貸してくれ」
乞われた狐がもう一本と黄桃の缶詰を手渡す。
「おほっ、こりゃ楽しい!」
何に付け器用な魔理沙は初見でコツを掴んでしまったようだ。
そうなると霊夢も黙ってはいられない。
「私も」
「すみません、缶切りは二本しか用意しておりません」
その返事に盛大に舌打ちを返し、面白くなさそうに他の缶詰を見繕う。
やがてカニ缶がハードタイプと見て手にすると、右手の親指の爪を蓋にめり込ませた。
ブスリ ブスリ ブスリ ブスリ
「れ、霊夢? 何してるんだ?」
「見て分かんないの? 缶詰を開けてんのよ、アンタたちと一緒でしょ」
「こういう開け方もあるんだな」
「そーんなわけ無いですよ! 人として間違ってます!」
「それは今更だけど、霊夢に引っ掻かれたら、その傷一生治んないだろうな……」
「あれって高級カニ缶ですよ? 汚くないですか?」
「気にすんのはそこかよ」
―――†―――†―――†―――
予定通り藍主導で簡単缶詰料理を作っていく。
最初に用意されたのは早苗たっての希望でツナマヨおにぎりだった。フレークのツナとマヨネーズを和えて具にしたものだが、ここにめんツユを少し加えると尖った酸っぱさが緩和され和風ツナマヨとなる。
「むぐうー! ふむぐぅ! うぐぐうぐぅ」
涙を流しながら頬張っているのは誰なのか言うまでもないだろう。
「おにぎりはご飯がわりですからほどほどに。他の料理が入らなくなりますよ?」
「早苗にその警告は必要ないぜ、全くな」
「この大きさのおにぎりなら六十個は平気よ」
「なんと、風祝とはそれほどの英傑ですか」
「むぐぐっ むぐうー!」
風評被害を防ごうと抗議しているようだ。
「行儀悪いぜ、ちゃんと食べてからにしろよな」
「ぐぐっ……」
●一品目はバターコーン&コンビーフ。
水切りしたコーンとほぐしたコンビーフをバターで炒めだけ。黒コショウを振ったら出来上がり。
「ベーコンを入れるバージョンは知っていましたがコンビーフも合いますね!」
「これはお酒にも良いわね」
魔理沙も頷いている。
●二品目はアンチョビポテト。
みじん切りにしたニンニクをオリーブオイルで弱炒めして、太目の千切りにしたジャガイモと細かく刻んだアンチョビを加え、ジャガが透き通ってきたら出来上がり。
「少し魚臭いんだけど、クセになるな、コレ」
「ご飯ともイケます!」
「あんちょびって何なの?」
「カタクチイワシと呼ばれる魚の身を塩漬けにし、更にオリーブオイルに浸したモノでございます。
試しにそのままを少し食べてみますか?」
藍が刻んだアンチョビを小皿に移す。
「どれ……うわっ、塩っぱいわよ!」
「うーん、魚の味が強すぎるぜ」
「これはこのままではちょっと無理ですかね」
「あらそう? 美味しいじゃないの」
「紫……まあいいか」
「アンチョビはクセが強いので、そのままより料理の味付けやアクセントに使われるようです」
「ですってよ、紫さまー」
ニヤつく霊夢だが本人は気にした風もない。
「何でも美味しいということは、それだけ幸せが多いということなのよ」
「名言っぽいですね」
●三品目はダイコンとツナのサラダ。
千切りダイコンに塩を振って二十分後に水気を絞り、油を切らないツナとマヨネーズ、コショウと醤油少しで和え、最後に乾燥パセリを散らせば出来上がり。
「さっぱりして食べやすいわね」
「いくらでも食べられる系ですね」
ざくざくぼりぼり
「冬になってダイコンがもっと旨くなったら、これたくさん作ろうぜ」
●四品目はソーセージとひよこ豆のトマト煮。
トマトの水煮を鍋にあけ、ソーセージも入れて水をちょい足しで弱火クツクツ。ひよこ豆の水煮も足して味の調整は塩とコショウで出来上がり。
「ソーセージの缶詰もあるんだな、お、切ってあるんだ」
「ひよこ豆ってどんな豆でしたっけ?」
「国外で作られるものがほとんどのようです。乾燥しがちな土地でも育つので主食に近い扱いをしている国もあります。豆ですので栄養は申し分ありませんね。ガルバンゾと呼ばれています」
取捨選択の必要ないフラットな情報を記憶することに関しては最も秀でている九尾の狐が答える。
「頑張るぞ?」
「あのな……いや、もう霊夢はそれでいいぜ」
「何よその諦め顔は」
「このソーセージ、思っていたより柔らかいです。それにひよこ豆ってトマトと相性抜群ですよ!」
「これ、豆をうんと増やせば結構お腹にたまりそうね」
「……そうだな」
●五品目はサバ缶の味噌汁だった。
昆布でいつものように出汁をとり、サバの水煮缶の水を切ってから加え、軽くほぐす。さっと茹でたホウレン草を入れ、味噌で整えたら出来上がり。
「これよ、これー」
紫が満足そうに味噌汁をすすっている。
「ご機嫌だな」
「紫様の好物ですので」
「お手軽なヤツよね」
「でも、美味しいですよ。サバのちょっとクセのある旨みと味噌が良く合います……ってサバの味噌煮があるんですから相性良くて当たり前ですよ!」
「セルフでやってくれると手間いらずだな」
「うるさいけどね」
●六品目は茶碗サイズのカニ玉丼。これで締めのようだ。
長ネギは小口切り、カニは骨に注意してほぐす。
とろみあんは、鶏ガラスープの元、酒、砂糖、醤油、酢を弱火で煮てベースを作る。全部等量にしても良いが、砂糖と酢をやや多めにすると美味しい。水溶き片栗粉でとろみをつけて準備する(ここ大事)。
そしてあらかじめご飯を盛っておく(ここも大事)。
ネギを炒め、香ればカニを入れ、塩コショウをほんの軽く振る。溶いた玉子を流し入れてワシャワシャ混ぜてふわとろのうちにご飯にのせる、すかざずとろみあんをかけて出来上がり。
ちなみに今回の缶詰以外の食材や珍しい調味料も藍空間からの提供である。
「このカニ、さっき霊夢さんが開けたのですよね?」
「火を入れてるから大丈夫だろ、気にすんなよ」
「まあーー、相変わらず藍のカニ玉丼は美味しいわね。やっぱり本物のカニを使わうから美味しいのよねぇ」
喜んでいる紫を冷静に見つめている藍。
「なあ、今の藍の雰囲気って、おかしくないか?」
小声で二人に問う。
「何か含みがありそうな、そんな顔かしらね」
「あ」
「どした? 何か気づいたのかよ」
「推測ですが、普段、藍さんはカニカマを使っているのではないかなと」
「かにかま?」
「はい、カニの風味と食感をかまぼこで再現した日本の加工食品の大傑作の一つです」
「それなら問題ないじゃない」
「ある意味代用品です、お値段が段違いに安いのです」
「……藍も苦労しているのね」
「でもさ、かまぼことカニじゃ違いすぎるだろ?」
「ところが最近のカニカマは本物と区別が付きにくくなっているらしいです、もちろん舌の肥えた方なら分かるんでしょうけど」
「よし、この件、私たちは気づかなかった。良いな?」
黙って頷くダブル巫女だった。
頭を付き合わせて何やら話し合っている娘たちを紫は視線を送らずに視ていた。
(何の話かしらないけど、まあ良いわ。それにしてもこのコたちは見ていて飽きないわねぇ。折角の缶詰だから高級おつまみ缶の話でもしてみようかしら?)
そんなことをぼんやりと考えている。
おつまみ缶。厳選された高価な食材を丁寧に調味を施した高級品。
紅ズワイガニほぐし肉の酒蒸し、ウニのコンソメジュレ、豚軟骨の炙り焼き、仙台牛タンのネギ塩ダレ、燻製肉のハニーマスタードソース、ムール貝の白ワイン蒸し……キリがない。
大きさからすると通常の缶詰の三~五倍、それ以上の価格だ。確かに素材も調味も凝っていて旨い。だが常用するには相応の財力が必要だ。この缶詰一つ分でヘタをしたらそこそこの定食が食べられるのだから。
(うーん、大騒ぎになりそうね、やはり話すのはやめましょうか。でも今後、ツナとサバ、コーンとコンビーフくらいは流通させようかしら?)
「ごちそうさまでしたー」×3
「はい、お粗末さまでした。残った缶詰は置いていきますので、ご自由に食べてください」
「らん」
今の呼びかけは紫ではない。
「はい?」
「アンタ、イイヤツね」
「どうしてそうなるんですかね」
「霊夢の頭の中では、食べ物をくれるヒト=イイヤツ、だからな」
片付けまでしてくれている藍の後ろ姿。素晴らしい毛並みでたーっぷりのボリウムの尻尾がゆらゆら、ふりふり。
「あ~、あの尻尾をモフモフしたいです~」
「もふもふ? 何となく理解できたぜ。そうだな私もモフりたいぜ、とっても気持ち良さそうだな」
「私もホフりたいわ」
「……屠るって、あのな」
「ホフホフしたいわー」
「お前が言うと怖いんだよ」
「ホフホフ、ホフホフー」
―――†―――†―――†―――
「おでんの缶詰?」
「少し大きめで胴長の缶に、コンニャク、ダイコン、ウズラの玉子、チクワ、さつま揚げ、牛すじなどがコンパクトに詰められた楽しい缶詰です」
「はあー、缶詰って、何でもアリなのね」
食後、缶詰談義に花が咲いている。藍によるとこの後、デザートがあるらしい。
「ジョーク缶と言うのもありますね」
「ジョーク? 冗談ってことか?」
「どこそこの空気の缶詰、摩周湖の霧の缶詰、はては火山灰が入っているモノもあります」
「役に立つの?」
「記念、でしょうかね」
「おもちゃの缶詰もありました。ちぃっちゃいオモチャがウジャウジャ入っているんです」
「ウジャウジャって……言い方って大事だぜ」
「下着が入っているのもありましたね」
「それはさすがに下品すぎるわね」
「お前が言う?」
「そうね『霧雨魔理沙の下着の缶詰』なんてモノもあるみたいよー?」
面白そうなので紫が割って入ってきた。
「いくら?」
間髪いれずに問うマリサスキー巫女。
「高いわよぉ? 多分、貴方には払えないわねぇ」
「何年かかっても払うわ」
「お、おい、霊夢!」
「魔理沙、黙っていて!」
「いや、だって、私の……」
「なーんてね、そんなのあるわけないじゃなーい」
クスクス、そしてケラケラと笑う紫。
一瞬あっけにとられた霊夢だが、やがてその顔には血管が浮き出し、目は限界まで剥かれ、激しい歯ぎしりを伴っている。
「…………乙女の純情を弄んだわね…………殺す。
刺し違えてでも殺す!」
幻想郷最強クラスの妖怪に特攻する気満々だ。
「ちょっと霊夢さん! 乙女は他人の下着なんかに命を懸けませんよ! 色々間違ってます! 落ち着いてー!」
早苗が決死の覚悟で止めに入った。
「魔理沙さんも止めてください!」
「おお? あー、れーむ、落ち着けよ」
「ぐるごばっしゃあああーー!」
「もー、何で私のせいみたいになってるだよ、納得いかないぜ」
言いながらも二人がかりで霊夢を抱え込む。
縋りつく早苗と魔理沙を引き摺りながら八雲紫に迫る紅白の狂獣。
「皆さま、デザートの用意が整いました」
我関せずと、黙々と支度をしていた九尾の狐が声をかけた。
「デザート?」×3
―――†―――†―――†―――
藍はフルーツ缶でデザートを作っていた。
ミカン、パイナッポー、黄桃、リンゴを自分で用意したガラスの小鉢に綺麗に散りばめる。
中心は黄桃とリンゴを交互に寄せ、周りにはミカンと刻んだパイナッポーを散らした可愛らしいシロッピィフルーツだけで構成されたドルチェ。
「ほわわわわわわわわーー」
「早苗、落ち着けよ!」
「無理もないわ、これは見るからに美味しそうよね」
「藍」
「はい」
「私、こんなの初めて見るのだけれど?」
「お気に召しませんか?」
「そうではないわ。美味しそうだけど、……どうして最初に私に出してくれないの?」
「珍しいリンゴの缶詰を私に託してくださったのが一昨日でしたので、全体のデザイン、バランスを考えてようやく今となったのです」
「そうだったの。なら仕方ないわねぇ」
ほぐほぐと満足そうに食べている紫。
霊夢は藍の袖を引っ張って顔を寄せ囁く。
「アンタ、紫のこと頼むわよ? 実力は間違いないんだけど、どうにもすっぽ抜けているヤツだから」
「ご懸念には及びませんよ。この命尽きるまで紫様の緩い部分を守り抜きますから。だって私、紫様が大好きですからね」
そう言って今日初めての笑顔を見せた。
「そ、それならいいけど……」
「おや? 信じて頂けませんか?」
「信じろって、今日のアンタを見ていたら難しくない?」
「ふふ、滅私奉公なぞ主のためになりませんよ。不興を買って殺されようとも紫様がご満足いただけるよう、万事取り計らうまででございます」
この主人にしてこの従者。
幻想郷には良いコンビが多いようだ。
閑な少女たちの話 了
今日も今日とて三人の閑少女たち。
「かんづめ?」
「何よそれ」
「はい、缶詰です。ツナ缶が食べたくて仕方ないんです」
東風谷早苗の突発的な食欲について霧雨魔理沙も博麗霊夢も最早慣れっこだった。
「ここ(幻想郷)にはそんなモン無いわよ」
「そうなんです。まだ幻想入りしていないから困っているんです」
「そもそもかんづめって何だよ? 多分食べ物なんだろうけどさ」
「よくぞ聞いてくれました!」
立ち上がり腰に手を当て少し反り返る。この『説明しよう!』モードの早苗は鬱陶しいことこの上ないのだが、これも最早慣れっこだった。
「このくらいの」
両の親指と人差し指を合わせて丸を作ってみせる。
「金属の筒に下拵え、あるいは調味した各種食材を入れて蓋をした後に加熱殺菌したシロモノです」
早苗の説明は一部の缶詰には適用されるが、あまりにざっくりだった。二人とも半眼で胡乱げな表情だった。
「その金物に食べ物を閉じ込める意味って何なの?」
「缶に収めると長期保存が可能なんです」
「長期保存?」
「中に入れるものにもよりますが、常温で三年以上はザラです」
「へえー、そりゃスゴイな」
「丈夫な容器なので遠方への輸送も可能で、開ければそのまま食べられるので手間がいりません」
早苗の熱弁を聞いていた霊夢が何か思いついたようだ。
「それって、兵隊さんの食料に良さそうね」
「そうです! 良くぞ気づいてくれました!」
我が意を得たりと、更に力がこもる。
「元々は軍隊の携行糧食として開発されたんです!」
古くはかのナポレオンが瓶詰めを、その後英国の――
長くなるから今回は割愛。
「ツナはマグロやカツオのお肉を油や水で漬け込んだものです。お肉の形を残したタイプとほぐしたフレークタイプがあります。マヨネーズと和えることで国民の九割が支持する革命的な食材となったんです!」
「ホントかよ」
「ホントです。ご飯に良し、パンに良し、パスタに良し、サラダに良し、オールラウンドハイパーフードです!」
「アンタがそこまで言うってことは相当なのね」
「はい! 相当です」
「ツナを始めとして魚介の缶詰は豊富です。イワシ、サバ、サンマの青魚を水だけで煮たり! 味噌あるいは醤油で煮たり!」
「おい、早苗、どうどう、どうどう」
「ふひゅー、……魚缶は強者です。体に良い栄養をたっくさん含む青魚をいつでも手軽に食せるのです! 骨まで柔らかくなっていてカルシウムもバッチリなんですよっ!」
「ちょっと、落ち着きなさいよ」
「クジラや牛の大和煮の缶詰もありましたが大和煮って何ですか? 砂糖、醤油、ショウガで甘辛く味付けただけですか? 美味しいから良いんですけどね!」
もう、抑えが効かない。
「困ったなー、いつになく面倒なスタンピードだぜ」
「押さえ込んでおくけど、くたびれるまで騒ぎそうよ?」
バタバタ暴れる緑巫女をやれやれと腕ひしぎ逆十字固めに捉える赤巫女。
「うぎぃーー! いだっ! いだだだぁー!」
「落ち着けって言ってんのよ。そんなに絞ってないでしょ? 軽いもんよ」
骨格を有する生物にとって博麗霊夢の関節技は発動したらそのまま最終幕である。抵抗不能の絶対の摂理であり、逆転が存在しない一方的な定理なのだ。
「どう? 落ち着いた? 私だってこんなことしたくないのよ?」
「ぎぶ……ぎぶぅ」
「霊夢! 加減しろよ! これはヤバイぜ!」
「加減もなにも、こんなの全然絞めているウチに入らないわよ。……ったくヤワなんだから」
技を解いても仰向けのままの早苗は呼吸が荒い。
「おい、結構危なかったんじゃないか?」
「ふん、知らないわよ」
神力を得たとは言え、素体は一般女子の域を出ない早苗と、各種戦闘に特化し、逆らう輩を力ずくで黙らせてきた霊夢とでは比較にならない差がある。
「かねがね思うんだけど、霊夢、お前、人間なのか?」
「本気の疑問なの?」
「う……冗談半分ってことで良いか?」
自分まで関節技の餌食になっては堪らないが、疑問ではあるので慎重に問いかけた。
「正真正銘の人間よ。当たり前でしょうが」
「そ、そうか」
言い切られてしまえばこれ以上突っ込めない。
「ふうう、はああ、うう~ん」
早苗がようやく体を起こした。
「霊夢さん! ヒドいじゃありませんか!」
「何よ、謝れっていうの?」
「いえ、私が興奮しすぎました! 座っててください!」
腰を浮かせた霊夢を慌てて制する。
「話を戻そうぜ、缶詰の続きだろ?」
「えーと、はい。お肉の缶詰には他にもバリエーションがありますが、謎の成形肉のスパム缶が有名です」
相変わらずの立ち直りの早さだ。
「謎の……肉? 大丈夫なのかよ、それは?」
「豚肉が主原料だそうですが、よくは分かりません。味や食感は好き嫌いの分かれるところですが、お手軽なお肉として海外では確固たるシェアがあるみたいです。我が国でもお寿司風にしたり、玉子や野菜と炒めたり、地域によっては支持されていましたね」
「ふーん、他には?」
「私が好きだったのはコンビーフですね」
「ビーフってことは牛肉なんだな?」
「塩漬けにし熟成させた牛肉を、うんと細かくほぐしてギッチリと缶に詰めたモノです。この缶が独特なんです! 台形をしていて、開けるには専用の巻取り金具を使ってクルクル巻いて開けるんです、これが楽しいんですよぉ!」
手振りを交えて解説するが二人はサッパリ理解できない。缶詰を知らない者にコンビーフの開缶方法を説明するのは至難の業だ。
「ああっ! もどかしい! つまり切れ目の入った金属のベルトをテコの原理で巻き取るんですよ! こう! こんな感じです!」
「ふむふむ、なるほど。……全く分からないわ」
「ああああーー!」
「なあ早苗、コンビーフとやらはちょいと難しいぜ。次に行かないか?」
「うぬぬっ、仕方ありません。素材缶を紹介します。これは分かりやすいはずですから!」
「そざいかん?」
「存在感のこと?」
「違いますよ! 食材を加熱し下拵え状態にしてある缶詰の事なんですよ!」
「そんだけなの?」
「それだけじゃすぐには食べられないじゃないか」
「違うんです、想像してください! トウモロコシを食べようとしたら、皮を剥いで茹でなければでしょ?」
「当たり前じゃない」
「トウモロコシの缶詰、コーーーン缶は茹でてあり、一粒ごとにバラけている状態のモノが缶を開ければそこに在るんですよ!」
「……それは便利ね」
「トマトベースの料理を作る場合でもトマトの水煮缶なら皮も無く良い具合に煮潰した状態でそこに在るんですよ! すぐに使えるんです!」
「なるほどー、そりゃ良いな」
「しかも長いことそのままで置いておいても大丈夫なんですから食材管理が杜撰な霊夢さんにはうってつけです!」
「どうしてそこで私を引き合いに出すの?」
「他にもたくさんあります! 高級魚介のカニ、ウニ、カキ。貝類も外せません、ホタテ、つぶ貝、赤貝、アサリなんか良いですよね! パスタソースやカレーなどのソース缶、独特の甘みのフルーツ缶、調理済みのおつまみ缶、まだまだありますが、やっぱり、やっぱり、やーーぱり! ツナ缶です!」
「ったく、また興奮してきたぜ」
「懲りないわねー」
「ツナ缶! ツナ缶! ツーーナカーーン!」
「無いモンは仕方ないだろ?」
「あちらでは普通に流通していたんです。ツナマヨ食べたいんです、うわーん! 食べたーい!」
駄々っ子モードの早苗にタメ息をつく霊夢。いつもなら早苗のわがままは蹴り飛ばすのだが、今回のこれは真に迫っている。それに缶詰に興味がある。ちょっとは力を貸すかと考える。もちろん面倒の無い範囲でだが。
「こちらに無いモノなら……紫に頼むしかないわね」
「それって高くつかないか?」
「そうね、足元見られそうだわ」
「無理難題を吹っかけられるんじゃないか?」
「幻想郷で一番性格の悪いヤツだからね」
「それは誰のことかしらぁ?」
「ん? うわぁっ!」
「ひえええー!」
「な、何よ紫! おどかさないでよ」
「ウフフフ、人間を驚かすのは妖怪の本分だもの」
してやったりと嬉しそうにしているのは妖怪の大賢者、八雲紫だった。背後の空間が歪んで見える。そこから出てきたのだろう。するともう一人が歪みから現れた。たくさんの尻尾をふさふさと揺らした九尾の狐、八雲藍だった。導師服の両袖を合わせ丁寧にお辞儀をする。
「皆さま、ご機嫌麗しゅうございます」
「もー、アンタたち何しに来たのよ?」
「何となく呼ばれた気がしたのよねぇ」
「コイツずっと見張ってるのか?」
「暇なヤツね」
「でもビックリしましたよー」
さっきまで涙目だった早苗もあまりのことに缶詰が頭から吹き飛んでいるようだ。
「驚かすのは紫様の趣味でございます故」
藍が律儀に返事をした。
「フフフフ、まあね」
「先日も里の若衆を夜道で驚かせておいででした」
「フフフフ、そうね」
「その若衆は紫様のお顔を見るなり腰を抜かし、悲鳴もあげらずに上から下から色々な液体を噴出させ、這いずり回っておりました」
「フフフフ、そうだったわね」
「そりゃまたスゴい怖がりようだな」
「ちょっとヤリすぎじゃない?」
「紫様はその時、ノーメイクだったのです」
「フフ………………藍」
「はい」
「それって言う必要があるの?」
「あれほど驚愕し、恐怖に犯され、慌てふためく人間は初めて見ましたので付加価値は何だったのかと考えたまででございます」
幻想郷で最も演算能力が高いと言われている九尾の狐が真面目くさって言った。
閑少女三人はなんとも微妙な顔をしている。
「だから何? 悪いのっ? 文句あるの?」
若干キレ気味で睥睨する。
「いや、暗がりで突然だったらどんな美人だろうとビックリするぜ。きっと、多分」
「それでフォローしたつもりなの?」
「紫様」
「何よ!」
「落ち着いてくださいませ」
「貴方が今、それを言うの?」
―――†―――†―――†―――
「ねえ霊夢、お茶もくださらないの?」
立ち直りの早さも幻想郷有数の大妖怪。
「図々しいわねー。わーったわよっ」
不機嫌を隠そうともしない霊夢が台所へ向かった。
「おい、二人とも取り敢えず座れよ」
八雲紫&藍。二人ともかなりの身長なので立っていられると圧迫感があるのだ。
「お言葉に甘えさせていただくわ。藍も座りなさい」
品良く座る大妖怪たち。
「まったく霊夢もそろそろ短気を治して欲しいものだわ」
お前が言うなと、言いかけ喉で抑えた魔理沙は話題を変えることにした。
「霊夢のこと、前々から聞きたかったんだが今良いか?」
「答えられることであればね」
「アイツ、どこから連れてきたんだ?」
幼馴染であり物心ついた頃には神社にいた黒髪の少女だがその出自は謎のままだ。
「気になるの?」
「まあ、少しな」
「どう見ても普通の人間じゃないじゃないですか」
早苗が気にするのはそこなのか。
紫は扇で口元を隠し、虚空を見つめ考え込んでいる。
「んー。いずれ分かることだからお話しましょうか」
勿体を付ける紫だが、おとなしく聞く二人。
「戦乱渦巻く、とある異世界から連れてきたのよ」
「え?」×2
「極地決戦用ネオロ●ダーを汎用型に改良したタイプKYDM-EX、製造番号【へ】の八番。それが霊夢よ」
「そうだったのか」
「なるほどですね」
疑いもせず納得している。
「情緒制御回路に少し問題があって廃棄予定だった個体をこっそり持ってきたのよ」
「むう、どうせカッパラうならもう少しマシなのにすれば良かったのにな」
「そうですよ。少し問題というより明らかな欠陥品じゃないですか」
「仕方ないのよ、その世界に滞在できる時間はとても短かったんだから。じっくり吟味する暇はなかったのよ」
「残念だぜ」
「まったくですね」
「アンタたち、面白い話してんじゃない」
「れ、霊夢、どこから聞いてたんだ?」
「どこからもなにも、こんな狭い家であんな大きな声で喋っていたら丸聞こえでしょうが」
湯呑をのせたお盆を静かに置いたネオロイ●ーが贄たちを見回す。
「墓標には何と刻んで欲しい?」
指の関節をゴキゴキと鳴らしながら問う。
「『正直に生きた魔法使い 霧雨魔理沙』が良いかな」
「『嘘とは無縁だった風祝 東風谷早苗』でしょうか」
「『純情可憐 享年十七歳 八雲紫』しかないわねぇ」
「よろしい。ならば戦争ね」
「そうはいかなくてよ。霊夢、これを見なさい」
そう言って取り出したのは手の平サイズの金属っぽい箱だった。掲げているのでよくは見えないが直方体だが角が丸みを帯びているようだ。
「何よ、それ」
「これは貴方の【リモコン】なのよ」
「はあ?」
「な、なんですとお!」
「どうした早苗、りもこんって何だよ」
「あれがあれば霊夢さんを自由に操れるんです」
「んなバカな」
「うるさい連中を問答無用でブチのめして幻想郷を完全に征服できますよ!」
何だか物騒なことを言っている。
「さあ、これがある限り私には逆らえないわよぉ?」
ニヤニヤしながら金属の箱を見せつける紫。
ぱしっ
その手を軽く叩いた霊夢。箱はゴトっと床に落ちた。
「わーーー!」
飛びつく早苗。
「え? と、とりあえずだぜ!」
わけも分からず魔理沙も飛びついた。
「敵に渡すな大事なリモコン! ですっ!」
ドタバタと取り合いをしていたが、運動神経に勝る魔理沙が奪い取った。
「なあ早苗、これ何か書いてあるぜ」
どれどれと覗き込む。
「『いわしの蒲焼缶』ですね……か、缶詰ですよー!」
―――†―――†―――†―――
「アンタたち、私が思っていたより頭悪いことがよーーく分かったわ」
「ぐぐっ……」×2
霊夢から「頭悪い」と言われたことがゲンコツもらうより堪えた二人だった。
「ねえ、貴方たち」
「何よ、今は取り込み中よ」
「起きてから何も食べてないのよ。何か作ってくれる?」
ペースを崩さない境界の妖怪さん。
「紫様」
「なーに?」
「今朝は焼き魚、キノコのバター焼き、〝しぃち●ん〟サラダ、大根と油揚げの味噌汁で白米を三杯お召しになったかと」
「…………そうだったかしら?」
「これヤバくない?」
「ああ、ヤバイな」
「『○○さん(息子の嫁)飯はまだかいのぉ?』『いやですわお義父さん、ついさっき召し上がったばかりじゃないですか』『あ~そうだっかの~?』ですよね」
「それって笑えないぜ」
「そうですよね、ご苦労されてる方々もいらっしゃるんですから」
「そうね、その辺りは私も理解できるわ。穏やかに見守って、看る立場のヒトの助けをするのがせいぜいよね」
「へえー、随分まともなことを言うなぁ」
「ビックリです」
「あのねアンタたち、いい加減怒るわよ」
「何をヒソヒソ話しているの? 貴方たちその目は何?
あのね、自分で言うのはなんだけど、それほど軽んじられる存在ではないつもりよ? 私が何者か分かっているのかしら?」
「妖怪の大賢者様だわねー」
「時空を操る唯一無二の大妖だぜぃ」
「幻想郷最強のラスボスでーす」
「……藍」
「はい」
「讃えられているとは思うのだけど、ほんの少し愚弄が混じっている気がするのよ。貴方はどう感じたかしら?」
「私には紫様への称賛しか感じられませんでした」
「ホント?」
「ご主人様に嘘偽りを述べ立てる舌は持ち合わせておりません」
そう言って九尾の付根が見えるほど深くお辞儀する八雲藍。
「そう、それなら良いわ」
―――†―――†―――†―――
「私らも昼飯にしたいんだけどな」
「急に言われてもここにはロクな食材はありませんし」
「早苗、次は折るわよ」
「食材はせっかくだから缶詰にしましょうかぁ?」
「え、今から用意できるのか?」
「もちろんよ。藍、やってみなさい」
「はい」
皆が注目する中、藍は真剣な表情で両手を突き出し、何かを掴むように指先をゆっくりと動かした。
「性感マッサージですか?」
「早苗、ちょっと黙ってろ」
「これは……どこか他所にある領域から目当てのモノを選択して繋がりを持とうとしているのかしら?」
「あら、良く分かったわね」
「おい、霊夢がスゴい難しいこと喋ってるぜ」
「きっと自分でも何言ってるのかチンプンカンプンに違いありませんよ」
すかさず博麗ダブルチョップが炸裂する。
「藍の支配領域はまだ狭いのよ。訓練中だからねぇ」
「そうですね、六畳一間程度の停止空間です」
そう言う藍の手首の先がふいに消失した。あっと声を出す間もなく引っ込めたその両手には缶詰が握られていた。
「〝私の空間〟に保管している食材でございます」
色々な種類の缶詰や調味料、野菜などの食材を次々と取り出している。
「こ、こ、これはいわゆるアイテムボックスですね!」
「また分からんこと言い始めたぜ」
「四次元ポケ●トと言えばご理解いただけますか?」
「更に分からないわよ」
「フフフフ、空間を捻じ曲げたり繋げたり切り離したり、自由自在に操るのよ。このコもいずれ私のように広範な領域を認識、支配できるようになってもらうわ」
「紫の場合どのくらい広いのか分かんなくなっていそうよね。いい加減だし、忘れっぽいから」
「霊夢、いくらなんでも失礼ではなくて?」
「じゃあ、アンタも食材出してみなさいよ」
「私ほどになると支配領域が広大すぎて探すのも一苦労なのよ」
「つまり整理整頓が出来ていないってことでしょ?」
「…………大体は把握してるわよ」
目を泳がせている時空妖怪を鼻の先でせせら笑う傍若無人な巫女さん(多分人間)。
「然程広い領域ではないのですが、私の空間にあるのはほぼ食材です」
「何だかもったいないわね」
「その能力はもっと有効に使えるんじゃないか?」
「そうですよ、アイテムボックスはチートなんですから」
「私は紫様の式であり、従者です」
「んなこたぁ知ってるわよ」
「紫様が私に要求されることの八割二分五厘は飲食に関すること事柄ですのでこのような次第となっています」
「藍」
「はい」
「それって言う必要があるの? ……このセリフ昨日も言った気がするわよ?」
「いやいや、ついさっき言ってたぜ」
「そうですよね」
「紫、アンタ、本当に大丈夫なの?」
「だからその気の毒そうな顔やめてよ!」
「紫様」
「何よ!」
「御食事の仕度を始めてもよろしいですか?」
「うぇ? ……ええ、よろしくてよ、フフフフ」
「ふっ、相変わらず式にはユルユルのアマアマね」
「ようやく開始かよ。イントロ長すぎだぜ」
「此度は缶詰メインですから藍さんが主導の方が良さそうですね」
「料理の知識はあるつもりですが実践となるとなかなか難しいですね。
紅魔館の女官、命蓮寺の本尊、旧地獄の橋姫、人形遣いなどの才あるモノ達には遠く及びません。料理とも言えぬ粗末な代物なのです。紫様は満足されているようなのですが、それは紫様だからです」
「藍」
「はい」
「最後の方の文言は必要なの? 要らないわよね?」
「申し訳ございません」
「ねえ貴方、ホントに申し訳ないと思ってる?」
「無論でございます。お気に召さぬならお望みの期間、謹慎をお申し付けください。その間は遺憾ながら紫様にお食事を供することは適いません。誠に、誠に残念ではありますが」
「それって暗に脅しているのよね?」
「滅相もございません」
「料理が少し不得手な私をからかっているのかしら?」
「紫様をからかうなど、もっての外でございます」
八雲紫の腕前は魂魄妖夢曰く「危なっかしくて見ていられない」らしい。ちなみに西行寺幽々子とはお互い「自分の方がマシ」と思い込んでいるライバル関係だそうな。
「まったく何なのかしら、反抗期なのかしら」
実は最初からこんな感じだったのだが、良く言えばおおらかな紫はスコンと忘れているだけだった。
―――†―――†―――†―――
藍が取り出した持ち込んだ数々の缶詰。
ツナはもちろん数種類、クジラの大和煮、サバの水煮と味噌煮、オイルサーディン、ウズラの玉子、白アスパラ、ミートソース、サケの中骨、塩ダレ焼き鳥、カニ、ホタテ、コンビーフ、スパム、トマトの水煮、カキの燻製、サンマの蒲焼、イワシのショウガ煮、ミカン、黄桃、パイナッポーなどなど。
「うん? 缶の蓋に輪っかが付いてるな、なんだ?」
それまで「ほわわっ」「はわわっ」と一つ一つに感動していた早苗に魔理沙が声かけた。
「それはその輪っかを指にかけて引っ張るとパカッと蓋が取れるパッカン式の缶詰ですね」
公式名称はイージーオープン缶。保存性は従来のハードオープン缶(?)と変わらないが、強度が低いため、強い衝撃があるとクパァッと開いてしまう可能性がある。なので戦闘糧食ではイージーオープン缶は採用されていない場合が多いようだ。
「そうなのか。んしょっ」
ツナ缶を引っ張り開ける魔理沙。
「こりゃ楽だぜ」
「一方、昔からの缶は缶切りがないと難しいですね」
ちらりと藍に目をやる。
「用意してありますよ。刃は鋭いのでご注意ください」
手渡したのは十センチほどの無骨な金属製の棒だった。
「こちらの刃をテコの原理で蓋に食い込ませ引き切るんですよ」
「反対側は何だ? お、内側にバネが入っているぜ」
「栓抜きとコルク抜きですね。今回は使いませんが、どちらも開けるための特殊器具となっています」
「つまりこれ一本で色々なモノが開けられる便利道具ってことだな、スゴイぜ」
魔理沙はコンパクトで便利な道具が大好きだ。十得ナイフなどを与えたら一日中いじりまわしていそうだ。
「このパイナッポー缶を開けてみましょう」
キコキコと前後させながら刃をめり込ませ進んでいく。
「面白そうだぜ! 藍、私にも貸してくれ」
乞われた狐がもう一本と黄桃の缶詰を手渡す。
「おほっ、こりゃ楽しい!」
何に付け器用な魔理沙は初見でコツを掴んでしまったようだ。
そうなると霊夢も黙ってはいられない。
「私も」
「すみません、缶切りは二本しか用意しておりません」
その返事に盛大に舌打ちを返し、面白くなさそうに他の缶詰を見繕う。
やがてカニ缶がハードタイプと見て手にすると、右手の親指の爪を蓋にめり込ませた。
ブスリ ブスリ ブスリ ブスリ
「れ、霊夢? 何してるんだ?」
「見て分かんないの? 缶詰を開けてんのよ、アンタたちと一緒でしょ」
「こういう開け方もあるんだな」
「そーんなわけ無いですよ! 人として間違ってます!」
「それは今更だけど、霊夢に引っ掻かれたら、その傷一生治んないだろうな……」
「あれって高級カニ缶ですよ? 汚くないですか?」
「気にすんのはそこかよ」
―――†―――†―――†―――
予定通り藍主導で簡単缶詰料理を作っていく。
最初に用意されたのは早苗たっての希望でツナマヨおにぎりだった。フレークのツナとマヨネーズを和えて具にしたものだが、ここにめんツユを少し加えると尖った酸っぱさが緩和され和風ツナマヨとなる。
「むぐうー! ふむぐぅ! うぐぐうぐぅ」
涙を流しながら頬張っているのは誰なのか言うまでもないだろう。
「おにぎりはご飯がわりですからほどほどに。他の料理が入らなくなりますよ?」
「早苗にその警告は必要ないぜ、全くな」
「この大きさのおにぎりなら六十個は平気よ」
「なんと、風祝とはそれほどの英傑ですか」
「むぐぐっ むぐうー!」
風評被害を防ごうと抗議しているようだ。
「行儀悪いぜ、ちゃんと食べてからにしろよな」
「ぐぐっ……」
●一品目はバターコーン&コンビーフ。
水切りしたコーンとほぐしたコンビーフをバターで炒めだけ。黒コショウを振ったら出来上がり。
「ベーコンを入れるバージョンは知っていましたがコンビーフも合いますね!」
「これはお酒にも良いわね」
魔理沙も頷いている。
●二品目はアンチョビポテト。
みじん切りにしたニンニクをオリーブオイルで弱炒めして、太目の千切りにしたジャガイモと細かく刻んだアンチョビを加え、ジャガが透き通ってきたら出来上がり。
「少し魚臭いんだけど、クセになるな、コレ」
「ご飯ともイケます!」
「あんちょびって何なの?」
「カタクチイワシと呼ばれる魚の身を塩漬けにし、更にオリーブオイルに浸したモノでございます。
試しにそのままを少し食べてみますか?」
藍が刻んだアンチョビを小皿に移す。
「どれ……うわっ、塩っぱいわよ!」
「うーん、魚の味が強すぎるぜ」
「これはこのままではちょっと無理ですかね」
「あらそう? 美味しいじゃないの」
「紫……まあいいか」
「アンチョビはクセが強いので、そのままより料理の味付けやアクセントに使われるようです」
「ですってよ、紫さまー」
ニヤつく霊夢だが本人は気にした風もない。
「何でも美味しいということは、それだけ幸せが多いということなのよ」
「名言っぽいですね」
●三品目はダイコンとツナのサラダ。
千切りダイコンに塩を振って二十分後に水気を絞り、油を切らないツナとマヨネーズ、コショウと醤油少しで和え、最後に乾燥パセリを散らせば出来上がり。
「さっぱりして食べやすいわね」
「いくらでも食べられる系ですね」
ざくざくぼりぼり
「冬になってダイコンがもっと旨くなったら、これたくさん作ろうぜ」
●四品目はソーセージとひよこ豆のトマト煮。
トマトの水煮を鍋にあけ、ソーセージも入れて水をちょい足しで弱火クツクツ。ひよこ豆の水煮も足して味の調整は塩とコショウで出来上がり。
「ソーセージの缶詰もあるんだな、お、切ってあるんだ」
「ひよこ豆ってどんな豆でしたっけ?」
「国外で作られるものがほとんどのようです。乾燥しがちな土地でも育つので主食に近い扱いをしている国もあります。豆ですので栄養は申し分ありませんね。ガルバンゾと呼ばれています」
取捨選択の必要ないフラットな情報を記憶することに関しては最も秀でている九尾の狐が答える。
「頑張るぞ?」
「あのな……いや、もう霊夢はそれでいいぜ」
「何よその諦め顔は」
「このソーセージ、思っていたより柔らかいです。それにひよこ豆ってトマトと相性抜群ですよ!」
「これ、豆をうんと増やせば結構お腹にたまりそうね」
「……そうだな」
●五品目はサバ缶の味噌汁だった。
昆布でいつものように出汁をとり、サバの水煮缶の水を切ってから加え、軽くほぐす。さっと茹でたホウレン草を入れ、味噌で整えたら出来上がり。
「これよ、これー」
紫が満足そうに味噌汁をすすっている。
「ご機嫌だな」
「紫様の好物ですので」
「お手軽なヤツよね」
「でも、美味しいですよ。サバのちょっとクセのある旨みと味噌が良く合います……ってサバの味噌煮があるんですから相性良くて当たり前ですよ!」
「セルフでやってくれると手間いらずだな」
「うるさいけどね」
●六品目は茶碗サイズのカニ玉丼。これで締めのようだ。
長ネギは小口切り、カニは骨に注意してほぐす。
とろみあんは、鶏ガラスープの元、酒、砂糖、醤油、酢を弱火で煮てベースを作る。全部等量にしても良いが、砂糖と酢をやや多めにすると美味しい。水溶き片栗粉でとろみをつけて準備する(ここ大事)。
そしてあらかじめご飯を盛っておく(ここも大事)。
ネギを炒め、香ればカニを入れ、塩コショウをほんの軽く振る。溶いた玉子を流し入れてワシャワシャ混ぜてふわとろのうちにご飯にのせる、すかざずとろみあんをかけて出来上がり。
ちなみに今回の缶詰以外の食材や珍しい調味料も藍空間からの提供である。
「このカニ、さっき霊夢さんが開けたのですよね?」
「火を入れてるから大丈夫だろ、気にすんなよ」
「まあーー、相変わらず藍のカニ玉丼は美味しいわね。やっぱり本物のカニを使わうから美味しいのよねぇ」
喜んでいる紫を冷静に見つめている藍。
「なあ、今の藍の雰囲気って、おかしくないか?」
小声で二人に問う。
「何か含みがありそうな、そんな顔かしらね」
「あ」
「どした? 何か気づいたのかよ」
「推測ですが、普段、藍さんはカニカマを使っているのではないかなと」
「かにかま?」
「はい、カニの風味と食感をかまぼこで再現した日本の加工食品の大傑作の一つです」
「それなら問題ないじゃない」
「ある意味代用品です、お値段が段違いに安いのです」
「……藍も苦労しているのね」
「でもさ、かまぼことカニじゃ違いすぎるだろ?」
「ところが最近のカニカマは本物と区別が付きにくくなっているらしいです、もちろん舌の肥えた方なら分かるんでしょうけど」
「よし、この件、私たちは気づかなかった。良いな?」
黙って頷くダブル巫女だった。
頭を付き合わせて何やら話し合っている娘たちを紫は視線を送らずに視ていた。
(何の話かしらないけど、まあ良いわ。それにしてもこのコたちは見ていて飽きないわねぇ。折角の缶詰だから高級おつまみ缶の話でもしてみようかしら?)
そんなことをぼんやりと考えている。
おつまみ缶。厳選された高価な食材を丁寧に調味を施した高級品。
紅ズワイガニほぐし肉の酒蒸し、ウニのコンソメジュレ、豚軟骨の炙り焼き、仙台牛タンのネギ塩ダレ、燻製肉のハニーマスタードソース、ムール貝の白ワイン蒸し……キリがない。
大きさからすると通常の缶詰の三~五倍、それ以上の価格だ。確かに素材も調味も凝っていて旨い。だが常用するには相応の財力が必要だ。この缶詰一つ分でヘタをしたらそこそこの定食が食べられるのだから。
(うーん、大騒ぎになりそうね、やはり話すのはやめましょうか。でも今後、ツナとサバ、コーンとコンビーフくらいは流通させようかしら?)
「ごちそうさまでしたー」×3
「はい、お粗末さまでした。残った缶詰は置いていきますので、ご自由に食べてください」
「らん」
今の呼びかけは紫ではない。
「はい?」
「アンタ、イイヤツね」
「どうしてそうなるんですかね」
「霊夢の頭の中では、食べ物をくれるヒト=イイヤツ、だからな」
片付けまでしてくれている藍の後ろ姿。素晴らしい毛並みでたーっぷりのボリウムの尻尾がゆらゆら、ふりふり。
「あ~、あの尻尾をモフモフしたいです~」
「もふもふ? 何となく理解できたぜ。そうだな私もモフりたいぜ、とっても気持ち良さそうだな」
「私もホフりたいわ」
「……屠るって、あのな」
「ホフホフしたいわー」
「お前が言うと怖いんだよ」
「ホフホフ、ホフホフー」
―――†―――†―――†―――
「おでんの缶詰?」
「少し大きめで胴長の缶に、コンニャク、ダイコン、ウズラの玉子、チクワ、さつま揚げ、牛すじなどがコンパクトに詰められた楽しい缶詰です」
「はあー、缶詰って、何でもアリなのね」
食後、缶詰談義に花が咲いている。藍によるとこの後、デザートがあるらしい。
「ジョーク缶と言うのもありますね」
「ジョーク? 冗談ってことか?」
「どこそこの空気の缶詰、摩周湖の霧の缶詰、はては火山灰が入っているモノもあります」
「役に立つの?」
「記念、でしょうかね」
「おもちゃの缶詰もありました。ちぃっちゃいオモチャがウジャウジャ入っているんです」
「ウジャウジャって……言い方って大事だぜ」
「下着が入っているのもありましたね」
「それはさすがに下品すぎるわね」
「お前が言う?」
「そうね『霧雨魔理沙の下着の缶詰』なんてモノもあるみたいよー?」
面白そうなので紫が割って入ってきた。
「いくら?」
間髪いれずに問うマリサスキー巫女。
「高いわよぉ? 多分、貴方には払えないわねぇ」
「何年かかっても払うわ」
「お、おい、霊夢!」
「魔理沙、黙っていて!」
「いや、だって、私の……」
「なーんてね、そんなのあるわけないじゃなーい」
クスクス、そしてケラケラと笑う紫。
一瞬あっけにとられた霊夢だが、やがてその顔には血管が浮き出し、目は限界まで剥かれ、激しい歯ぎしりを伴っている。
「…………乙女の純情を弄んだわね…………殺す。
刺し違えてでも殺す!」
幻想郷最強クラスの妖怪に特攻する気満々だ。
「ちょっと霊夢さん! 乙女は他人の下着なんかに命を懸けませんよ! 色々間違ってます! 落ち着いてー!」
早苗が決死の覚悟で止めに入った。
「魔理沙さんも止めてください!」
「おお? あー、れーむ、落ち着けよ」
「ぐるごばっしゃあああーー!」
「もー、何で私のせいみたいになってるだよ、納得いかないぜ」
言いながらも二人がかりで霊夢を抱え込む。
縋りつく早苗と魔理沙を引き摺りながら八雲紫に迫る紅白の狂獣。
「皆さま、デザートの用意が整いました」
我関せずと、黙々と支度をしていた九尾の狐が声をかけた。
「デザート?」×3
―――†―――†―――†―――
藍はフルーツ缶でデザートを作っていた。
ミカン、パイナッポー、黄桃、リンゴを自分で用意したガラスの小鉢に綺麗に散りばめる。
中心は黄桃とリンゴを交互に寄せ、周りにはミカンと刻んだパイナッポーを散らした可愛らしいシロッピィフルーツだけで構成されたドルチェ。
「ほわわわわわわわわーー」
「早苗、落ち着けよ!」
「無理もないわ、これは見るからに美味しそうよね」
「藍」
「はい」
「私、こんなの初めて見るのだけれど?」
「お気に召しませんか?」
「そうではないわ。美味しそうだけど、……どうして最初に私に出してくれないの?」
「珍しいリンゴの缶詰を私に託してくださったのが一昨日でしたので、全体のデザイン、バランスを考えてようやく今となったのです」
「そうだったの。なら仕方ないわねぇ」
ほぐほぐと満足そうに食べている紫。
霊夢は藍の袖を引っ張って顔を寄せ囁く。
「アンタ、紫のこと頼むわよ? 実力は間違いないんだけど、どうにもすっぽ抜けているヤツだから」
「ご懸念には及びませんよ。この命尽きるまで紫様の緩い部分を守り抜きますから。だって私、紫様が大好きですからね」
そう言って今日初めての笑顔を見せた。
「そ、それならいいけど……」
「おや? 信じて頂けませんか?」
「信じろって、今日のアンタを見ていたら難しくない?」
「ふふ、滅私奉公なぞ主のためになりませんよ。不興を買って殺されようとも紫様がご満足いただけるよう、万事取り計らうまででございます」
この主人にしてこの従者。
幻想郷には良いコンビが多いようだ。
閑な少女たちの話 了
2番様:
今回は缶詰をリモコンに見立てた箇所が全体の集約点かと思っております。
実は藍は初出です。これからもちょいちょい絡みます。
オイルサーディンにはタマネギと唐辛子で直火、さば缶の小鍋立てはとても旨そう。
やってみます。ありがとうございました。