Midnight with the stars and You(真夜中に星々と君と)
・フランドール(ふらんどーる)
吸血鬼。紅茶が好き。
・美鈴(めいりん)
門番。阿片もやる。
※
月明かりの照らす、透き通るようにまぶしい夜だった。
庭先には二人分の椅子が置かれて、お茶の並んだテーブルを囲んでいた。染み一つない真っ赤なクロスが敷かれていて、カップと、スプーンと、山盛りのお菓子とが準備されていた。
「ねえ、美鈴ったら! わたしはりんごを描いてって言ったのよ!」
「でもでも、ほら、妹さま。赤くって、丸くって、どこから見ても林檎じゃないですか。これは林檎ですよ」
「ダメよ! 美鈴ったら、何もわかってないのね。使えない奴! いい? 赤くて――」
「ですが、妹さま」
「――フランドール!」
悪魔の少女は爪を大きく振りかざし、真っ赤になって憤慨した。
赤い薔薇の植えられた庭の、血のようにぴかぴかした椅子から、地面まで届かないぐらいの小さな足を、抗議するようにバタバタとさせていた。
背中の羽が身じろぎする度に、その華奢な輪郭から伸びる幾万の輝く色とりどりの結晶が、音もなく、きらりきらりと光っていた。
「わたしはそんな名前じゃないわ! この頭でっかちのキノコ!」
「はい、フランドール」
「このクサレ脳みそ!」
「はい」
それきりフランドールは、黙って一人で再び画用紙にかじりついた。
美鈴は良い香りのするお茶を静かに飲んでいた。
映画の酔拳みたいに、指の二本で丸を作ってつまむような、ちょっと格好つけた持ち方だった。帽子は脱いでテーブルの上に置いてあった。真夜中の月と星々の明かりの下で、フランドールの小さなつむじのところを静かに見つめていた。
やがて、フランドールが再び顔を上げた。
美鈴はお茶のおかわりをほしいのサインだよの蘊蓄を話しているところだった。
「フフ。茶ビンのフタをずらしておくと香港ではおかわりを持ってきてくれるんですよ。ご存知でしたか?」
「ねえ、じゃあ、次はバラを描いてみてよ」
友達と旅行に来てる高校生みたいな美鈴に、フランドールは画用紙と鉛筆をぐいぐい押し付けた。
美鈴は渡されたそれらを見て、ちょっと困ったように、肩をすくめた。
「はあ。そりゃあ構わないんですが、フランドール。別に私は、林檎以上にバラのうまい事描ける保証はないですよ」
「そんなの平気よ。バラを描いてみて」
というように促されて、美鈴は鉛筆をへし折らないようにそっと握った。なにせそれらは、悪魔の少女が力任せに扱うものだから、おっかないメイド長は常に鉛筆の在庫に気を配る必要があった。その上ただの門番が、残り少ない鉛筆を乱暴にしたりしたら、メイド長に小さくされて、瓶詰にされてしまうだろう。
ちらっと後ろの花壇を振り返って、軽くイメージを頭に入れて、それから描き始めた。しゃっしゃっと、中々さまになる鉛筆の走らせ方だ。フランドールも段々とテーブルの上に身を乗り出していって、そのうちおでことおでこが「こつん」と軽くぶっつかった。
画用紙に描かれたのは、ごくごく普通の、バラの絵だ。手のひらの上に乗るようなやつだった。それを見た悪魔の少女はまったく遠慮なしに文句をつけて、美鈴をひどくがっかりさせた。
「なにこれ。葉っぱがしわしわで、しなびちゃってるじゃない」
「そうですけど。でもこいつは、とっても鮮やかに咲いたんですよ」
「だってシロクロなんだもの」
その次に描いた絵を注意深く観察して、フランドールは珍しく、やや慎重に言葉を選んだ。
「これは……バラなの?」
「はい、そうですよ、フランドール」
「ヘンテコ。まるで革のブーツか、靴下みたいだわ」
「こいつはまだ咲いてないのですよね。昨日肥料をやったばかりで。少しばかり想像が入ってるんですが、もしかしたら、食べたものでそうなるかもしれないなあと」
フランドールは首をふった。
美鈴はもう一度描き直しする事になった。
「わかりました。じゃあ、これならどうでしょう」
「ちゃんとしてよね」
画用紙を見せられたフランドールは、彼女を気遣うように小さく笑顔を作って、一言一言をゆっくりいった。
「ねえ、美鈴? これは、まだつぼみだわ。……そうよね?」
「はい。フランドール」
それを聞いた少女は、もう一度にっこりとしてみせた。
「つぼみじゃあ全然、キレイでもなんともないじゃない!」
「そんな事はありませんよ」
彼女は画用紙を覗き込んだ。それから肩越しに、ちらっと花壇へ振り返った。
「この子はまだ咲いていません。そのままです。でも、だから、綺麗なんですよ」
「そんなコトいって」
「本当ですよ。これから花開くものにこそ、色も、香りも、全部が詰まっているんです。寒來暑往 秋収冬藏(春からまた冬へ、季節は巡る)。ほら、花壇が見えますでしょう。あそこには、弾幕ごっこでやられて少しばかり折れてしまったものや、花を猫に食われたかして駄目になってしまったものがあります。でも、悪い事ばかりじゃないんです。悪い事じゃ……」
フランドールはその長ったらしい話にお構いなしで、椅子から飛び跳ねると、花壇の前にしゃがみこんだ。丁度、美鈴が描いたと思しき、花弁の丁寧にしまい込んでいるバラが見つかったからだ。
美鈴は「うーん」と大きく首をひねって、何か言葉を探していた。
「遠足の準備ってわくわくしませんか? あのわくわくって、行く前じゃなきゃ味わえないものですよね?」
「行ったことないわ。なにそれ?」
「なんてのかな。準備なんですよう。つぼみの中で、土の下で、念入りに支度をしてるんです」
「そうなんだぁ」
「フランドールもしませんか? うーんうーん、なんだろう。身ぎれいにするのに、顔を洗ったり、帽子を洗ったり」
手元に帽子を持ってきて、洗うというよりは捻じ切るようにしてみせながら、美鈴は一生懸命うったえかけたが、元来がちっぽけな妖怪で、日々を朴訥に生きる彼女には、あまりぴったりした言葉は見つけられなかった。
けれど、利発なフランドールの方は、はたと手を打ってなにかを閃いたようだった。
「爪を研いでいるのね!」
少女は「身ぎれい」をそういうふうに言った。
彼女は自分の手のひらを月明かりにかざして、透かして、そのつやつやとした五本の宝石を眺めて呟いた。
――でも、へんなの。 爪を研ぐのって、とっても大変なのよ。
「ねえ、その辺のものに擦りつけるんじゃあないのよ、美鈴。ちゃんとした、硬いものでないと……。わたしは五つ持ってるわ。それを、硬い方から順番に使って、研いでいくの……。お姉さまは、あいつは三十八も持っているんですって! 磨けるぐらいに硬いものを、ただ見つけるのも一苦労なのに!
咲夜に言ったらぜんぜん、わかってなかったわ。
咲夜はニンゲンだから、いまいちピンとこないのよねって、あいつが言ってた。わたしたちは、自分でやるのが嗜みなのよって。
ねえ、美鈴もちゃんと、ひとつ磨くたびに、香油につけてからつやつやに仕上げないとダメなんだからね?
咲夜はよく、お洋服だとかまぶたのところとか、唇にひくべにの事を言うけれどね。
やっぱり、爪をぴかぴかにするのが、一番大事だわ」
「はあ、すみません。とんと縁がないもので」
「じゃあ、なんなら縁があるのかしら」
フランドールはそう言って振り返った。
美鈴も椅子から立ちあがり、フランドールの背後のところで、一緒に花壇を覗いている。頭にはちょっとくしゃくしゃになった帽子が乗っかっていた。彼女の肩のあたりから手を伸ばして、一枚一枚丁寧に、愛情のこもった様子で、花壇の花の様子を確かめていた。
フランドールは背後に立たれるのが嫌いだった。大嫌いだった。バラでも妖怪でも何でもすぐ、ぐしゃぐしゃにしてしまうのだった。羽のところがちりちりするからで、それが無性に気に障るのだ。姉でさえ、背後に立って彼女が振り返った時、死んだ。
でも美鈴は別に気にならなかった。笑えるぐらい弱っちい妖怪だからだ。
手を見れば、それはすぐにわかる。彼女の指は爪の間に土が入って黒く汚れて、かさかさして、何度も叩きつけられて硬くなった手だった。
「花はとっても綺麗だわ。秘訣があるの?」
「はあ。秘訣というほどではないかもしれませんが……厨房から、咲夜さんからまわってくる肥料がいいのかもしれませんね」
「ふううん」
フランドールは不愉快そうに返事をした。それが、姉の領分に関わる話だと気づいたからだった。
美鈴が門番だか庭職人をしていることとか、メイド長がメイドをしていることは、全部姉の領分の話だ。そして、フランドールの領分はそれ以外のところにしかないのだ。
彼女が聞きたかったのは、例えば綺麗な花のために、毎日歌を歌ってやるだとか、風除けのついたてを用意しているとか、そういう、姉と関係のない、美鈴自身の話だった。
「これが一番鮮やかだったやつですね。あっもう落ちちゃってる。うっかりしてたなぁ」
「ふうん。つまんない」
「これもまだ咲いてないですね。足か、手か、とにかくそんな感じになるかもしれません」
「ふうん。興味ないわ。
で、どれが一番綺麗なの?」
「あ、あとのお楽しみってことで、ここはいったん日を改めませんか……?」
「でも、美鈴。わたしはそんなにバラに詳しくないんだから、美鈴に教えてもらわないと。一度目を離したら、きっとすぐにわからなくなっちゃうわ。
いま、土の中で一生懸命に爪を磨いている子は、きっととても綺麗なんでしょう。
でも、美鈴が育てた他の花も、負けないぐらい綺麗なんですもの」
「その方がいいんですよ」
フランドールは薄い黄色の髪を優しく撫ぜられた。
その手は節くれだってごつごつしていて、きっと香油なんて一度も使ったことないに違いなかった。美鈴の指は、黄色の麦畑の中をかき分けてくしゃくしゃにした。
フランドールは不愉快そうにむすっとしたまま撫でられていた。
なんて気の利かない使用人なんだろう、と思っているみたいだった。
「ほら、見てくださいフランドール。わたしにはどの花が鮮やかだったのか、全部わかります」
「なにも見えないわ」
「目には見えなくても」
「花だってきっとお友達と一緒に日差しの中であくびをしたり、水を飲んだりしたいでしょう。だからたくさんの中で競い合って花は咲いていて、他の花と混じり合っています。フランドール。貴方は満開の花の中で、たった一つだけ笑いかけてくれれば嬉しいのですね」
「その方がいいんですよ。どこかに咲いた花を見れば、貴方は好きになった花を思い出して、嬉しくなります。
全部の花を好きになれます」
美鈴はそんなようなことを言った。
フランドールは、それをずっと黙ってぶすくっとしたまま聞いていた。
「さっ、もう中に戻りましょうか。そろそろ夜も冷えてくる時期ですからね」
「わたし、ぜんぜん寒くなんてないもん」
「それは失礼をしました、フランドール」
「でも、あったかくはなったわ。たぶんね」
・フランドール(ふらんどーる)
吸血鬼。紅茶が好き。
・美鈴(めいりん)
門番。阿片もやる。
※
月明かりの照らす、透き通るようにまぶしい夜だった。
庭先には二人分の椅子が置かれて、お茶の並んだテーブルを囲んでいた。染み一つない真っ赤なクロスが敷かれていて、カップと、スプーンと、山盛りのお菓子とが準備されていた。
「ねえ、美鈴ったら! わたしはりんごを描いてって言ったのよ!」
「でもでも、ほら、妹さま。赤くって、丸くって、どこから見ても林檎じゃないですか。これは林檎ですよ」
「ダメよ! 美鈴ったら、何もわかってないのね。使えない奴! いい? 赤くて――」
「ですが、妹さま」
「――フランドール!」
悪魔の少女は爪を大きく振りかざし、真っ赤になって憤慨した。
赤い薔薇の植えられた庭の、血のようにぴかぴかした椅子から、地面まで届かないぐらいの小さな足を、抗議するようにバタバタとさせていた。
背中の羽が身じろぎする度に、その華奢な輪郭から伸びる幾万の輝く色とりどりの結晶が、音もなく、きらりきらりと光っていた。
「わたしはそんな名前じゃないわ! この頭でっかちのキノコ!」
「はい、フランドール」
「このクサレ脳みそ!」
「はい」
それきりフランドールは、黙って一人で再び画用紙にかじりついた。
美鈴は良い香りのするお茶を静かに飲んでいた。
映画の酔拳みたいに、指の二本で丸を作ってつまむような、ちょっと格好つけた持ち方だった。帽子は脱いでテーブルの上に置いてあった。真夜中の月と星々の明かりの下で、フランドールの小さなつむじのところを静かに見つめていた。
やがて、フランドールが再び顔を上げた。
美鈴はお茶のおかわりをほしいのサインだよの蘊蓄を話しているところだった。
「フフ。茶ビンのフタをずらしておくと香港ではおかわりを持ってきてくれるんですよ。ご存知でしたか?」
「ねえ、じゃあ、次はバラを描いてみてよ」
友達と旅行に来てる高校生みたいな美鈴に、フランドールは画用紙と鉛筆をぐいぐい押し付けた。
美鈴は渡されたそれらを見て、ちょっと困ったように、肩をすくめた。
「はあ。そりゃあ構わないんですが、フランドール。別に私は、林檎以上にバラのうまい事描ける保証はないですよ」
「そんなの平気よ。バラを描いてみて」
というように促されて、美鈴は鉛筆をへし折らないようにそっと握った。なにせそれらは、悪魔の少女が力任せに扱うものだから、おっかないメイド長は常に鉛筆の在庫に気を配る必要があった。その上ただの門番が、残り少ない鉛筆を乱暴にしたりしたら、メイド長に小さくされて、瓶詰にされてしまうだろう。
ちらっと後ろの花壇を振り返って、軽くイメージを頭に入れて、それから描き始めた。しゃっしゃっと、中々さまになる鉛筆の走らせ方だ。フランドールも段々とテーブルの上に身を乗り出していって、そのうちおでことおでこが「こつん」と軽くぶっつかった。
画用紙に描かれたのは、ごくごく普通の、バラの絵だ。手のひらの上に乗るようなやつだった。それを見た悪魔の少女はまったく遠慮なしに文句をつけて、美鈴をひどくがっかりさせた。
「なにこれ。葉っぱがしわしわで、しなびちゃってるじゃない」
「そうですけど。でもこいつは、とっても鮮やかに咲いたんですよ」
「だってシロクロなんだもの」
その次に描いた絵を注意深く観察して、フランドールは珍しく、やや慎重に言葉を選んだ。
「これは……バラなの?」
「はい、そうですよ、フランドール」
「ヘンテコ。まるで革のブーツか、靴下みたいだわ」
「こいつはまだ咲いてないのですよね。昨日肥料をやったばかりで。少しばかり想像が入ってるんですが、もしかしたら、食べたものでそうなるかもしれないなあと」
フランドールは首をふった。
美鈴はもう一度描き直しする事になった。
「わかりました。じゃあ、これならどうでしょう」
「ちゃんとしてよね」
画用紙を見せられたフランドールは、彼女を気遣うように小さく笑顔を作って、一言一言をゆっくりいった。
「ねえ、美鈴? これは、まだつぼみだわ。……そうよね?」
「はい。フランドール」
それを聞いた少女は、もう一度にっこりとしてみせた。
「つぼみじゃあ全然、キレイでもなんともないじゃない!」
「そんな事はありませんよ」
彼女は画用紙を覗き込んだ。それから肩越しに、ちらっと花壇へ振り返った。
「この子はまだ咲いていません。そのままです。でも、だから、綺麗なんですよ」
「そんなコトいって」
「本当ですよ。これから花開くものにこそ、色も、香りも、全部が詰まっているんです。寒來暑往 秋収冬藏(春からまた冬へ、季節は巡る)。ほら、花壇が見えますでしょう。あそこには、弾幕ごっこでやられて少しばかり折れてしまったものや、花を猫に食われたかして駄目になってしまったものがあります。でも、悪い事ばかりじゃないんです。悪い事じゃ……」
フランドールはその長ったらしい話にお構いなしで、椅子から飛び跳ねると、花壇の前にしゃがみこんだ。丁度、美鈴が描いたと思しき、花弁の丁寧にしまい込んでいるバラが見つかったからだ。
美鈴は「うーん」と大きく首をひねって、何か言葉を探していた。
「遠足の準備ってわくわくしませんか? あのわくわくって、行く前じゃなきゃ味わえないものですよね?」
「行ったことないわ。なにそれ?」
「なんてのかな。準備なんですよう。つぼみの中で、土の下で、念入りに支度をしてるんです」
「そうなんだぁ」
「フランドールもしませんか? うーんうーん、なんだろう。身ぎれいにするのに、顔を洗ったり、帽子を洗ったり」
手元に帽子を持ってきて、洗うというよりは捻じ切るようにしてみせながら、美鈴は一生懸命うったえかけたが、元来がちっぽけな妖怪で、日々を朴訥に生きる彼女には、あまりぴったりした言葉は見つけられなかった。
けれど、利発なフランドールの方は、はたと手を打ってなにかを閃いたようだった。
「爪を研いでいるのね!」
少女は「身ぎれい」をそういうふうに言った。
彼女は自分の手のひらを月明かりにかざして、透かして、そのつやつやとした五本の宝石を眺めて呟いた。
――でも、へんなの。 爪を研ぐのって、とっても大変なのよ。
「ねえ、その辺のものに擦りつけるんじゃあないのよ、美鈴。ちゃんとした、硬いものでないと……。わたしは五つ持ってるわ。それを、硬い方から順番に使って、研いでいくの……。お姉さまは、あいつは三十八も持っているんですって! 磨けるぐらいに硬いものを、ただ見つけるのも一苦労なのに!
咲夜に言ったらぜんぜん、わかってなかったわ。
咲夜はニンゲンだから、いまいちピンとこないのよねって、あいつが言ってた。わたしたちは、自分でやるのが嗜みなのよって。
ねえ、美鈴もちゃんと、ひとつ磨くたびに、香油につけてからつやつやに仕上げないとダメなんだからね?
咲夜はよく、お洋服だとかまぶたのところとか、唇にひくべにの事を言うけれどね。
やっぱり、爪をぴかぴかにするのが、一番大事だわ」
「はあ、すみません。とんと縁がないもので」
「じゃあ、なんなら縁があるのかしら」
フランドールはそう言って振り返った。
美鈴も椅子から立ちあがり、フランドールの背後のところで、一緒に花壇を覗いている。頭にはちょっとくしゃくしゃになった帽子が乗っかっていた。彼女の肩のあたりから手を伸ばして、一枚一枚丁寧に、愛情のこもった様子で、花壇の花の様子を確かめていた。
フランドールは背後に立たれるのが嫌いだった。大嫌いだった。バラでも妖怪でも何でもすぐ、ぐしゃぐしゃにしてしまうのだった。羽のところがちりちりするからで、それが無性に気に障るのだ。姉でさえ、背後に立って彼女が振り返った時、死んだ。
でも美鈴は別に気にならなかった。笑えるぐらい弱っちい妖怪だからだ。
手を見れば、それはすぐにわかる。彼女の指は爪の間に土が入って黒く汚れて、かさかさして、何度も叩きつけられて硬くなった手だった。
「花はとっても綺麗だわ。秘訣があるの?」
「はあ。秘訣というほどではないかもしれませんが……厨房から、咲夜さんからまわってくる肥料がいいのかもしれませんね」
「ふううん」
フランドールは不愉快そうに返事をした。それが、姉の領分に関わる話だと気づいたからだった。
美鈴が門番だか庭職人をしていることとか、メイド長がメイドをしていることは、全部姉の領分の話だ。そして、フランドールの領分はそれ以外のところにしかないのだ。
彼女が聞きたかったのは、例えば綺麗な花のために、毎日歌を歌ってやるだとか、風除けのついたてを用意しているとか、そういう、姉と関係のない、美鈴自身の話だった。
「これが一番鮮やかだったやつですね。あっもう落ちちゃってる。うっかりしてたなぁ」
「ふうん。つまんない」
「これもまだ咲いてないですね。足か、手か、とにかくそんな感じになるかもしれません」
「ふうん。興味ないわ。
で、どれが一番綺麗なの?」
「あ、あとのお楽しみってことで、ここはいったん日を改めませんか……?」
「でも、美鈴。わたしはそんなにバラに詳しくないんだから、美鈴に教えてもらわないと。一度目を離したら、きっとすぐにわからなくなっちゃうわ。
いま、土の中で一生懸命に爪を磨いている子は、きっととても綺麗なんでしょう。
でも、美鈴が育てた他の花も、負けないぐらい綺麗なんですもの」
「その方がいいんですよ」
フランドールは薄い黄色の髪を優しく撫ぜられた。
その手は節くれだってごつごつしていて、きっと香油なんて一度も使ったことないに違いなかった。美鈴の指は、黄色の麦畑の中をかき分けてくしゃくしゃにした。
フランドールは不愉快そうにむすっとしたまま撫でられていた。
なんて気の利かない使用人なんだろう、と思っているみたいだった。
「ほら、見てくださいフランドール。わたしにはどの花が鮮やかだったのか、全部わかります」
「なにも見えないわ」
「目には見えなくても」
「花だってきっとお友達と一緒に日差しの中であくびをしたり、水を飲んだりしたいでしょう。だからたくさんの中で競い合って花は咲いていて、他の花と混じり合っています。フランドール。貴方は満開の花の中で、たった一つだけ笑いかけてくれれば嬉しいのですね」
「その方がいいんですよ。どこかに咲いた花を見れば、貴方は好きになった花を思い出して、嬉しくなります。
全部の花を好きになれます」
美鈴はそんなようなことを言った。
フランドールは、それをずっと黙ってぶすくっとしたまま聞いていた。
「さっ、もう中に戻りましょうか。そろそろ夜も冷えてくる時期ですからね」
「わたし、ぜんぜん寒くなんてないもん」
「それは失礼をしました、フランドール」
「でも、あったかくはなったわ。たぶんね」
生意気でつんつんしてるフランちゃんと、ちょっとずれてる感じのする美鈴のやり取りが微笑ましくて、ほっこりしました。
素敵でした。面白かったです。
美フラらしい良い距離感がすき。