文字は、何処から文字に成るのか。
本居小鈴は、返却された本を本棚へ戻しながら声を紡いだ。
彼女がふとそんな事を思ったのは、森近霖之助が持ってきた一冊の本が原因である。
机に置いたのは、無縁塚に落ちていたらしい『せかいのことば』と書かれた、恐らくは子供向けの本。
英国、仏蘭西語、希臘語など、様々な言語の紹介と、書き方や発音が載る本だが、その本の中で気になる箇所があったのだ。
『こだいのことば』と書かれたページ。
『くさびがたもじ』『こうこつもじ』『いんだすもじ』『ひえろぐりふ』などの文字が書かれている石版や骨などの写真が載っていた、ただの紹介のページなのだが、私にはその文字を、文章を“全て”読むことが出来た。
絵の様な文字とは思えない文字を、
段落が機能しない落書きのような文字を、
私は、読むことが出来た。
日記、災害の記録、詩、物語、神話。
当時の人々が記録したそれを、私は“文字として”読むことが出来ている。
何も言われなければ壁画だと思ってしまうものを、文字として読むことが出来てしまったのだ。
そして先程の考えになる訳である。
文字は、何処から文字に成るのか。
私は人がいつから文字を使っているのか知らない。
必ず文字の始まりは存在する。
全ての文字を読むことができる私の瞳は、何処から文字として読む事が出来るのだろうか。
「という事で阿求、ちょっとこれ書いてみて」
「…え?何これ」
「えーっと、古代文字」
丁度訪れた阿求に紙と筆を渡すと、事情を説明する。
「…なるほどね。じゃあ逆に小鈴は絵を読む事はできないの?」
「出来ないよ。絵は文字じゃないからね」
文字は明確だ。
隠喩などはあるが、絵と違い人によって全く感じ方が違うといった感覚に依存しないものである。
絵は読む事ができない。
正解がないからだ。
「まぁいいけどね。じゃあとりあえずこれを…はい、これでどう?」
『ひえろぐりふ』の文字を書いた阿求。
しかし、私はその“絵”を読む事が出来なかった。
「…?それは文字じゃなくて絵だね」
「あら、どこか間違えてしまった?」
「ちょっと見せて。うーん、うーん…いや、形は全部一緒だ。なんでだろう…」
「小鈴は自分で書いてみた?」
「…あ」
「書いていないのね」
失念していた。
試しに阿求と同じく『ひえろぐりふ』を真似て書いてみる。
「…これはなんて書いてあるの?」
「『神の怒りが降り注いだ』。落雷の記録だと思う」
「で、読める?」
「……うん、読めるね」
どちらかと言えば阿求の書いたものより汚いが、これは確かに“文字”だった。
どういう事かと思っていれば、阿求がふと思い立ったようにもう一度、今度は私が書いた方を真似して紙に書き始めた。
「これはどう?」
「え?…『神の怒りが降り注いだ』。あれ、読める」
ふんふんと頷いた阿求が、今度は『くさびがたもじ』を本を見ながら書く。
「これは?」
「読めない」
「じゃあこの本のここはなんて書いてある?」
「『太陽はまばゆく輝いた』。何かの一文かな?」
それを聞くと、また阿求は紙に同じ文字を書く。
「これは?」
「…読める。なんで!?」
途端に自慢げな顔になった阿求は、同じ形をした“絵”と“文字”を掲げる。
「小鈴は、文字しか読むことができない。そうでしょ?」
「うん」
「文字っていうのは文化の一つでね、明確な意味と形を持った絵とも言えるわけ」
そう言いながら、“絵”をひらひらと振る。
「文字の意味を知らなければ、いくら形が同じでもただの絵でしかないの。こっちは、文字の意味を知らないからただの絵」
「じゃあ私が読み方を教えたら文字になったのは…」
「意味を知って、その絵を文字に昇華させたから。結局、意味を知らずに形を真似て書いただけのものは絵でしかないの」
しかし、ここで私は一つの疑問を得た。
「子供達がその辺の文字を真似て書いたものは読めるよ?」
「それは小鈴の能力を使ってる?」
「…ううん、使ってない。使わなくても読めるから」
「でしょ?それは文字と同じ形をしているからそう読めると錯覚しているだけで、まだ文字に成っていないの。結局それらは意味を持たない空虚な絵でしかないのよ」
そう言って阿求は、いくつかの本を持ってくる。
「はい解決。これを貸してくださいな」
「…はいはい」
本の題を帳に書き込み、先ほどの話を思い返した。
文字は、意味と形が分からなければただの絵でしかない。
読めると錯覚する事は出来るが、結局それは“文字”では無いのである。
「…なるほどね、確かにそれなら逆が無いのもわかるわね」
「え?」
「意味を込めても形が分からない文字は読めないってこと」
「それはそうでしょう。形が分からなければそれこそ本当に絵でしか無いじゃない」
そう言って本を持ち帰る阿求を見送り、小鈴は大きく伸びをした。
文字とは、何処から文字に成るのか。
その答えに、少しだけ近づいた気がする。
古代文字を使って、どんな事をしようかと考えながら、小鈴は上機嫌に鼻を鳴らした。
「言い忘れてた。古代文字を使って悪さしないように」
「心を読んだ!?」
「…やっぱり考えてたわけね」
「あっ」
阿求からこってり絞られた小鈴は、泣く泣く古代文字の書かれた本を阿求に渡すのだった。
本居小鈴は、返却された本を本棚へ戻しながら声を紡いだ。
彼女がふとそんな事を思ったのは、森近霖之助が持ってきた一冊の本が原因である。
机に置いたのは、無縁塚に落ちていたらしい『せかいのことば』と書かれた、恐らくは子供向けの本。
英国、仏蘭西語、希臘語など、様々な言語の紹介と、書き方や発音が載る本だが、その本の中で気になる箇所があったのだ。
『こだいのことば』と書かれたページ。
『くさびがたもじ』『こうこつもじ』『いんだすもじ』『ひえろぐりふ』などの文字が書かれている石版や骨などの写真が載っていた、ただの紹介のページなのだが、私にはその文字を、文章を“全て”読むことが出来た。
絵の様な文字とは思えない文字を、
段落が機能しない落書きのような文字を、
私は、読むことが出来た。
日記、災害の記録、詩、物語、神話。
当時の人々が記録したそれを、私は“文字として”読むことが出来ている。
何も言われなければ壁画だと思ってしまうものを、文字として読むことが出来てしまったのだ。
そして先程の考えになる訳である。
文字は、何処から文字に成るのか。
私は人がいつから文字を使っているのか知らない。
必ず文字の始まりは存在する。
全ての文字を読むことができる私の瞳は、何処から文字として読む事が出来るのだろうか。
「という事で阿求、ちょっとこれ書いてみて」
「…え?何これ」
「えーっと、古代文字」
丁度訪れた阿求に紙と筆を渡すと、事情を説明する。
「…なるほどね。じゃあ逆に小鈴は絵を読む事はできないの?」
「出来ないよ。絵は文字じゃないからね」
文字は明確だ。
隠喩などはあるが、絵と違い人によって全く感じ方が違うといった感覚に依存しないものである。
絵は読む事ができない。
正解がないからだ。
「まぁいいけどね。じゃあとりあえずこれを…はい、これでどう?」
『ひえろぐりふ』の文字を書いた阿求。
しかし、私はその“絵”を読む事が出来なかった。
「…?それは文字じゃなくて絵だね」
「あら、どこか間違えてしまった?」
「ちょっと見せて。うーん、うーん…いや、形は全部一緒だ。なんでだろう…」
「小鈴は自分で書いてみた?」
「…あ」
「書いていないのね」
失念していた。
試しに阿求と同じく『ひえろぐりふ』を真似て書いてみる。
「…これはなんて書いてあるの?」
「『神の怒りが降り注いだ』。落雷の記録だと思う」
「で、読める?」
「……うん、読めるね」
どちらかと言えば阿求の書いたものより汚いが、これは確かに“文字”だった。
どういう事かと思っていれば、阿求がふと思い立ったようにもう一度、今度は私が書いた方を真似して紙に書き始めた。
「これはどう?」
「え?…『神の怒りが降り注いだ』。あれ、読める」
ふんふんと頷いた阿求が、今度は『くさびがたもじ』を本を見ながら書く。
「これは?」
「読めない」
「じゃあこの本のここはなんて書いてある?」
「『太陽はまばゆく輝いた』。何かの一文かな?」
それを聞くと、また阿求は紙に同じ文字を書く。
「これは?」
「…読める。なんで!?」
途端に自慢げな顔になった阿求は、同じ形をした“絵”と“文字”を掲げる。
「小鈴は、文字しか読むことができない。そうでしょ?」
「うん」
「文字っていうのは文化の一つでね、明確な意味と形を持った絵とも言えるわけ」
そう言いながら、“絵”をひらひらと振る。
「文字の意味を知らなければ、いくら形が同じでもただの絵でしかないの。こっちは、文字の意味を知らないからただの絵」
「じゃあ私が読み方を教えたら文字になったのは…」
「意味を知って、その絵を文字に昇華させたから。結局、意味を知らずに形を真似て書いただけのものは絵でしかないの」
しかし、ここで私は一つの疑問を得た。
「子供達がその辺の文字を真似て書いたものは読めるよ?」
「それは小鈴の能力を使ってる?」
「…ううん、使ってない。使わなくても読めるから」
「でしょ?それは文字と同じ形をしているからそう読めると錯覚しているだけで、まだ文字に成っていないの。結局それらは意味を持たない空虚な絵でしかないのよ」
そう言って阿求は、いくつかの本を持ってくる。
「はい解決。これを貸してくださいな」
「…はいはい」
本の題を帳に書き込み、先ほどの話を思い返した。
文字は、意味と形が分からなければただの絵でしかない。
読めると錯覚する事は出来るが、結局それは“文字”では無いのである。
「…なるほどね、確かにそれなら逆が無いのもわかるわね」
「え?」
「意味を込めても形が分からない文字は読めないってこと」
「それはそうでしょう。形が分からなければそれこそ本当に絵でしか無いじゃない」
そう言って本を持ち帰る阿求を見送り、小鈴は大きく伸びをした。
文字とは、何処から文字に成るのか。
その答えに、少しだけ近づいた気がする。
古代文字を使って、どんな事をしようかと考えながら、小鈴は上機嫌に鼻を鳴らした。
「言い忘れてた。古代文字を使って悪さしないように」
「心を読んだ!?」
「…やっぱり考えてたわけね」
「あっ」
阿求からこってり絞られた小鈴は、泣く泣く古代文字の書かれた本を阿求に渡すのだった。
着眼点がすばらしいと思います。最初の一文がいいですね
絵に込められたメッセージとかは読めそうですけど、この感じだと作者に意図を聞ければ読めそうですよね。
面白い発想で良かったです。