その日、私はチルノより早く起きて、慧音にもらった食材で簡単な朝食を作ってみた。いつも料理は藍にしてもらっていたし、厳密には私もチルノもご飯を食べる必要ないが、たまにはこういう時間も欲しい。里に設けられた共同炊事場でご飯を炊いて、それと簡素な具のみそ汁を作り、里の人に分けてもらった卵といっしょに頂くことにした。作り終えてからチルノを呼んで、広場の椅子とテーブルが置かれた場所に座って、手を合わせて、いただきます。
「どう、あまり大した味付けはできなかったけど」
「薄味だけどおいしい、ユカリ料理もできるんだね」
「まあね。それより、博麗神社にはどうしても行けないのかしらね」
私は神社のある山の方を見やる、遠目にはいつもと変わりないが、木々が生い茂りすぎて今の私達ではたどり着けない。
「だから、いろいろ調べてるんでしょ、どうしてもわからない問題は飛ばして、できる所から解いてみなさいって、けいねが言ってた」
「チルノは賢いのね」
「とーぜん、アタイも最強だからね」
ここでの暮らしも慣れてきた、正直、こうして里に溶け込んで暮らすのも悪くないような気がしないと言えば嘘になる。でも、どうにかして元の世界に帰らなくちゃ。
「そんで、今日は永遠亭の方に行こうと思うんだけど」
「よし、あいつらどうなってるか見に行ってやろう、みすちー辺りもいるかもしれないしね」
そんな中、私を見つけた源さんが声をかけてくる。やべ、家代弁償しろとかかな?
「よう、妖怪娘、元気か?」
「おかげさまで」
「今度菓子屋でもやろうかと思ってよ、甘いものは元気出るだろ。そんでこれが試作品、おおむね好評だが、妖怪の口に合うかは未知数なんだ。あんた被験体になれ」
「ずいぶんな言い方ね」
とか何とか言いながら、差し出された小さなお饅頭を手に取って、チルノと半分こして食べてみる。何かと不足しがちのこの世界なのに、結構美味しい。
「美味しいわ」「甘くておいしい」
「そうかいそうかい、最初は全然甘くならないんで、いつも買い物に来ている十六夜さんに思い切って作り方を教えてもらったら良くなったよ。いやあ、女医も良いがメイドも良い!」
「父ちゃん、いよいよ母ちゃんが化けて出るよ」 男の子が突っ込みを入れる。
源さんは私が出会った中で一番機嫌がよく、さらに小さなものを一個もらった。
残ったご飯と塩とで作ったおにぎりと一緒に、背嚢に入れて非常食としよう。
私とチルノはいくらか狭くなった人里の中心部、広場の河童鉄道の停留所へ向かう。里の境界となる壁の向こうに無人の家屋が多く見えた。かつてはそこも人里だったのだ。
「お寺や道教寺院の面々はどうしたんだろう?」
「消滅したとか、信者を連れてどこか別の世界に旅立った、とかかもだって、けいね先生が言ってたよ」
その際どんなやり取りがあったのだろうか、信者を連れて別の世界に……が集団自殺ではありませんように。
ごとごと音を鳴らしてやってきた車両を運転しているのは、にとりではなくおかっぱ頭の河童少女。
「こちらは魔法の森経由、永遠亭行きだよ~。料金はどこまで乗っても一律3銭」
「乗ります」
「お金無い人は物とか妖力補給とか応相談だからね~」
乗ったのは私とチルノだけだった。
「そんじゃあ発車しま~す」
紅魔館とは違うルートを魔法気動車は進む。木々の生い茂った魔法の森が見えてくるが、緑はあるが妖力をあまり感じられなくなっていた。線路が枝分かれしていて、なぜか両側の木々の間隔が狭くさびれていそうな方向に曲がっていった。
「ありゃ、こっちじゃない」
「ええっ、じゃあ引き返して」
「ごめんごめん、でもすぐこの線路、すぐそこで終わりだから」
その終点はすぐに見えた。分岐点から10数メートル程度しか離れていない。
「こっちはべつの路線になる予定だったんだけど、資金の関係と、最近の異変騒ぎで、ね」
バック運転の操作を行っている河童を見ていたチルノがこんな提案をした。
「そうだユカリ、ついでに、こっちも探索してみようよ」
「魔法の森? いいかもね、魔理沙たちはどうしてるのかしら」
そして、河童に降りる旨を伝える。
「いいけど、私はとりあえず運行を続けなくちゃ。帰りはどうするの?」
「ここからなら、線路をたどっていけば徒歩で里に戻れるでしょ」
「そうだけど、ええっと、大体次にこのポイントを通る時刻は……」
河童は簡単な時刻表を取り出し、いくつかの時間を描いたメモを私に差し出した。
「多分これらの時間にこの辺を通るから、さっきのポイントで待っててくれれば拾うよ」
「ありがとう、危なかったらすぐに切り上げるから」
「最近この辺で爆発音が聞こえるんだ、昨夜もどーんという音が二回、近いのと遠いのが一つずつ、あなた達も気を付けた方がいいよ、じゃあまた」
気になる言葉を残して、河童は運転席に戻り、またゴトゴト引き返していく。
次にこの辺りを通過するのは1時間ほどだ。さて、と森の奥を見る。
「チルノ、私からあまり離れないこと、行き止まりがあったらすぐに引き返しましょう」
「ユカリが言うのならそうする。でも多分だいじょーぶ」
とは言え、木々が密生していて即行き止まりになってしまう。
「またこのパターンかよ!」
周りには獣道すらない。やはり植物だらけで通れなくなった博麗神社の石段みたいだ。あの時の経験からして、飛ぶのは良くない。
やはり永遠亭へ行こう、線路伝いに歩けばたどり着くだろう、そう思い引き返して、線路の方向に向けて歩こうとした時、急に火薬くさい臭いが鼻腔をくすぐるではないか。直後にシューッという音……ああ、これアカンやつだ。
「チルノ、危ない」
「わぷっ」
私はとっさにチルノに覆いかぶさり、その場に伏せた瞬間、予感した通り爆発音。聴覚が一時的におかしくなる。爆発が終わってからも、しばらくの間チルノをかばい続ける。
「ユカリ、ありがとう、もういいよ、けがはない?」
静寂が戻る。チルノは心配そう。でも私は幸い無傷だ。
「大丈夫よ、それより、いったい誰が」
爆発のした方を見ると、行く手を阻んでいた木々が吹き飛び、小さな木片や煙がまだ周りを舞っていた。煙の向こうに見えるのは、とんがり帽子の見なれたシルエット。
「魔理沙? 魔理沙なの?」 声をかける。
「お前ら、チルノと紫か?」
随分と痩せて、服のあちこちがほつれ、一部汚れたままになっている。でも彼女は紛れもなく霧雨魔理沙だった。
彼女は私達を茫然と見つめていたけれど、そのうちじわりと涙があふれ出て、顔をくしゃくしゃにしながら私たちに抱き着いてきた。
「会いたかったあああ~」 体重が軽い、切ない。
「魔理沙、よっぽど寂しかったんだな」
「そうなんだよ。聞いてくれよ」
魔理沙はその場に座り込み、涙ながらに語った。
「いきなり魔法が使えなくなって、空も飛べず、魔法で召喚した温泉脈も消えて体もろくに洗えず、アリスんちの場所も分からず、雨水と残った食料をやりくりして、よくわからん木の実とか拾って食べたり植えたりして一年ぐらい耐えたんだが、もう限界だったんだ」
私は魔理沙の頭をなで、もう安心、もう大丈夫よと励ましてやった。
「空さえ飛べりゃ、アリスん家だろうとどこへでも行けたさ。でも徒歩だと方角が全然分からないし、おまけにこの緑の牢獄だろ。それで爆弾を作って木を吹き飛ばして開削しようとしたんだ」
「それであの爆発を……必死だったのね」
「ああ、弾幕は火力だぜ、ってそういう……」
私の旅の目的は、とりあえずこの世界を知る事、でも魔理沙も放っては置けない。幻想の力が衰えた今、彼女には元の人間としての生命力しかないはず。
「私たちはこれから永遠亭に行くところなの、だからあなたも一緒に行って、診てもらった方が良い」
「魔理沙もすごいけどさ、人間は弱いから、体を大事にしなきゃいけないって、ユカリも前言ってた」
「お前らに心配されるなんてな。いや、ありがとう、ここは素直に応じるぜ」
魔理沙は力なく笑った。
「いやあ、美味しかった、久々の人間の飯だぜ」
「残り物しかなかったけどね」
「ユカリの飯旨かっただろ」
「まったくだぜ。それにこの饅頭最高」
とりあえず朝食の残り物で作ったおにぎりと水筒のお茶、例の源さんの試供品を与えると、魔理沙はあっという間に平らげてしまった。
「それにしても、私の家から河童の線路って、これっぽっちしか離れていなかったとはな。今までの苦労は何だったんだって話だな」
「何だってそうよ、正しい方向を見つるまでが大変なのよ」
「エンジン音が時折聞こえたから、こっちで合っていると思って爆破したんだが正解だったな。お前らが来なくても線路伝いに人里に行けたはずだが、来てくれて本当に助かった、礼を言うぜ」
案内された家の庭は見様見真似で作った畑になっていて、野菜とも果物ともつかない植物が植わっている。
「うげ、これって食べられるのか?」
「図鑑で確認したから大丈夫なはずだぜ。この辺の妖怪や動物とバトって身を守る、っつーのは心得ていたんだが、食料確保なんて専門外だったよ」
「ねえ、あの緑のトンネルみたいな通路は何? あれも爆薬で吹っ飛ばしたっぽいけど?」
私たちが来たのとは反対方向に、木々をなぎ倒して作った細い通路がある。
魔理沙は残念そうな苦笑いで、あれはアリスの家を探してのものだと言った。
「もしかしたら食料を分けてもらえるか、あいつが消滅していたら、遺産を有効活用してやろうかぐらいの気持ちで掘り進んだんだ、空きっ腹を我慢して火薬をこさえたりしてな、でも火薬が切れそうになったもんで、出口を優先したわけだ。薄情だな」
「仕方ないじゃない、魔理沙だって死にかけていたんでしょう?」
「もし生きていても、私なんかどうでもいい、むしろ清々したぐらいに思っているのかもな。いろいろ迷惑もかけたし、まあいい、あいつはあいつで宜しくやっているだろうさ、私も私の道を歩む、過去はどうでもいい、どうでもいいぜ」
その時の魔理沙は、まるで納得できない自分に言い聞かせているように聞こえた。
その様が心に痛い、そして次に発せられたチルノの言葉にも私はどきりとさせられた。
「きっと違うよ」
「チルノ、もういいんだよ、あいつとは終わったんだ」
「あたいも友達がいなくなって、もしかしたら二度と会えないんじゃないかって、怖かったんだ」
「チルノ……お前」 最強を自称する彼女らしからぬ言葉だ。
「でも、飛べなくなってもあきらめずに歩き続けて、それでユカリに会えて、大ちゃんにも会えた。他の奴らだってどこかにいるはずだ。妖精のあたいがやれたんだ、人間の魔理沙もやろうとした、だからアリスの姉ちゃんも今魔理沙を探しているかもじゃん!」
「チルノ……」
「ほら、きっと今アリスも魔理沙を探していて、ばくだんに火をつけてるよ、シュウウウ、ドカーン、てね」
ぽん、と音が聞こえた、気がした。
「本当に、そう思うか」
「きっとそんな気がするよ」
「……うん、そうだな、ありがとうよ」
彼女のこんな悲しげな笑顔は見たことがない。あんまり似合わない。
でもどんな言葉を掛けたらいいんだろうか。賢者としての記憶はある私でも分からない
魔理沙が出してくれた材料不明だが悪くない味のお茶を飲み、しばらくなんとなく無言で過ごす。
「魔理沙、霊夢はどうしているのか知らない?」
落ち着いたところで聞いてみた。魔理沙の反応は意外だった。
「知らないだと? 去年、霊夢がケガしたっていうんで見舞いに行ったら、面会謝絶だって縮む前のお前に言われたんだが」
「ちょっと待って、霊夢がケガ?」
ようやく知ったこの世界の霊夢の情報。彼女が怪我を負った、なぜ?
「お前、さては異変で体が縮むどころか記憶も飛んじまったのか?」
「……多分そういう事だと思う」
私はこの平行世界の紫とは違うはずだが、一応そういう事にしておいた。
「その時のお前にどんなケガか聞いても教えてくれなかったんで、しょうがないから家に戻って、それで次の日ぐらいに魔力が失われて……あん時食料買い込んどけば良かったな」
「そうだったの……」
この世界の私と霊夢に何があったのか。霊夢はその後どうなったのか、気になる、すごく気になる。慧音ですらその時何が起きたのか分からない状態だが、月の頭脳と言われる八意永琳なら、異変前の出来事を少しでも覚えているのではないだろうか。
「私、永遠亭に行って話を聞いてみたい、さっきも言ったように、魔理沙も一緒に行って、よく診てもらいなさい」
「ええー、別にいいよ、もう大丈夫だし」
「ダメ、霊夢ももしかしたら……その、大変な事になっているかもしれないし」
「わーったよ、しょうがないなあ。だが今は遠慮する、そのうち行くよ」
「約束よ、そのうち本当に診てもらったか確認しに来るからね」
「勝手にしろよ、心配症だなあ」
「もっとも魔理沙はピチュっても死ななさそうだけどね」
魔理沙に別れを告げて、例の分岐点まで戻る。河童の車両はあの後一往復したらしく、再び人里の方向からやってきていた。
「お待たせ、どんな感じだった?」
おかっぱの河童が興味深そうに聞くと、チルノは授業中の学童のように手を挙げた。
「はい! 魔理沙が生きてたよ~」
「少々痩せていたけど、しぶとく生きてた」
「本当かい? それは良かったね。にとりが心配してた、あの子喜ぶぞ~」
景色が木々から竹に代わっていく。竹もしっかり生えている。
「ああ、ちょっと酒の肴に聞いた話なんだがね」 おかっぱ河童がつぶやいた。
「何かしら?」
「トロッコ問題って知ってる?」
「ええ、外の人間が言っていた哲学の問題ね。暴走するトロッコの先には分岐点があって、一方には5人、もう一方には1人の人間がいる。私にできるのは分岐をどちらかに変える事のみ、どっちを選ぶ? というものね」
「功利的に考えれば、1人を死なせて、5人を助けるのが賢明だろうと考えられる、だけど、もし、その1人が自分にとって大事なひとだったとしたら……」
河童の言葉に、私は霊夢の顔を思い浮かべる。私なら……。
「5人を犠牲にしてでもその1人を助けたいと思ってしまったなら、お客さんはどうするかい」
いきなり客に重い話題を振ってきたな。
「どう思うかは、正直、その時が来ないと分からない。でも、やってしまうかも」
「その5人も誰かにとっての大切な人だったとしたら」
この子、客商売しているという自覚があるのか? こういう話題は嫌いじゃないけど。
「正直、その設問は卑怯よ。他にあるかも知れない手段を無視しすぎている。どっちに転んでも誰かを死なせる選択にはいと言わせようとするのは嫌」
しばらく考えていたチルノも加わった。
「あたいなら、線路とトロッコを凍らせて固めちゃう、こうすれば誰も死なないでしょ」
河童は待ってましたとばかりに相槌を打つ。
「そうそう。それこそが技術屋である私たちの目標なんだ。どっちに転んでも誰かを犠牲にするむかつく運命に、そうはさせるかと第三の選択肢を突き付けてやる。もともと悲劇が起きないようにする。みんなが笑顔でいられる。いつか私の技術でそれが実現できればと思ってるよ」
話半分かも知れないが、希望を捨てていない者がまだまだ存在するのだ。
ほどなくして永遠亭の屋敷が見えてきて、車両は減速していく。
「というわけで、我々河童技術陣は、金銭面のサポートを受け付けております」
「そういう流れだったの?」
「それもあるが、さっきの問答は私の本気さ。さあ、終点だよ」
気動車は今度こそ、本来の線路に沿って進んだ。
方向さえ正しければ意外と答えは近くにある。
でも、私が進むべき方向はどこにあるんだろう?
「では、またのご利用を」
そこにはかつてと変わらない永遠亭の屋敷があった。
「アリス、本当にどこにいっちまったんだ」
魔理沙が家の外の、作りかけの緑のトンネルの前に立っていた。
勘が正しければこの先にマーガトロイド邸があるはずだ。だが彼女の姿は見えず、もう火薬のストックもない、紫の話だと、紅魔館勢も存在があやふやだという。
「チルノのアホ! 何がアリスも私を探しているだ。ああいう空手形が余計辛いんだよ、下手に希望持たせるなっての!」
トンネルに背を向けて家に戻る。怒り、悔しさ、悲しみともつかない感情に支配されて、石ころを蹴った。
「私はもうお前の事は忘れて先に行くからな。じゃあなアリス」
でもその顔はくしゃくしゃになっている。袖で顔をぬぐう。そして立ち止まる。
「……本当は会いたいよ、アリス」
アリスも爆弾で道を開き、自分を探そうとしているビジョンが浮かんだ。
都合の良い妄想と思いながら、それにすがりたい気持ちを抑えられない。
ほら、最後の難所だ。導火線に火をつけた、シューッという音が聞こえる、火薬の臭いもしてきたぞ。とてもリアルに感じられる、こりゃ重症だな。
「いや、本当に音と臭いがするぞ!」
本能的に身を伏せ、数秒後に背後で爆音、衝撃。
「いててて、なんなんだ」
その方向の煙が晴れると、見なれたシルエットがあった。
全身すすだらけで、息を切らして立っていた。
みすぼらしい姿でも、魔理沙にとっては世界一綺麗に思えた。
「ハアハア、いやーやけくそで火薬マシマシにしたら死にかけたわ」
「お前、ひでえ顔だな」
「あなたこそ」
駆け寄りながら、心の中で精いっぱいチルノに謝る。
(ごめん、前言撤回、やっぱお前天才だわ。最強だよ)
傍らで狐妖怪と黒猫が気絶していて、それに二人が気づき、慌てて介抱して平謝りする10分前の出来事である。
「どう、あまり大した味付けはできなかったけど」
「薄味だけどおいしい、ユカリ料理もできるんだね」
「まあね。それより、博麗神社にはどうしても行けないのかしらね」
私は神社のある山の方を見やる、遠目にはいつもと変わりないが、木々が生い茂りすぎて今の私達ではたどり着けない。
「だから、いろいろ調べてるんでしょ、どうしてもわからない問題は飛ばして、できる所から解いてみなさいって、けいねが言ってた」
「チルノは賢いのね」
「とーぜん、アタイも最強だからね」
ここでの暮らしも慣れてきた、正直、こうして里に溶け込んで暮らすのも悪くないような気がしないと言えば嘘になる。でも、どうにかして元の世界に帰らなくちゃ。
「そんで、今日は永遠亭の方に行こうと思うんだけど」
「よし、あいつらどうなってるか見に行ってやろう、みすちー辺りもいるかもしれないしね」
そんな中、私を見つけた源さんが声をかけてくる。やべ、家代弁償しろとかかな?
「よう、妖怪娘、元気か?」
「おかげさまで」
「今度菓子屋でもやろうかと思ってよ、甘いものは元気出るだろ。そんでこれが試作品、おおむね好評だが、妖怪の口に合うかは未知数なんだ。あんた被験体になれ」
「ずいぶんな言い方ね」
とか何とか言いながら、差し出された小さなお饅頭を手に取って、チルノと半分こして食べてみる。何かと不足しがちのこの世界なのに、結構美味しい。
「美味しいわ」「甘くておいしい」
「そうかいそうかい、最初は全然甘くならないんで、いつも買い物に来ている十六夜さんに思い切って作り方を教えてもらったら良くなったよ。いやあ、女医も良いがメイドも良い!」
「父ちゃん、いよいよ母ちゃんが化けて出るよ」 男の子が突っ込みを入れる。
源さんは私が出会った中で一番機嫌がよく、さらに小さなものを一個もらった。
残ったご飯と塩とで作ったおにぎりと一緒に、背嚢に入れて非常食としよう。
私とチルノはいくらか狭くなった人里の中心部、広場の河童鉄道の停留所へ向かう。里の境界となる壁の向こうに無人の家屋が多く見えた。かつてはそこも人里だったのだ。
「お寺や道教寺院の面々はどうしたんだろう?」
「消滅したとか、信者を連れてどこか別の世界に旅立った、とかかもだって、けいね先生が言ってたよ」
その際どんなやり取りがあったのだろうか、信者を連れて別の世界に……が集団自殺ではありませんように。
ごとごと音を鳴らしてやってきた車両を運転しているのは、にとりではなくおかっぱ頭の河童少女。
「こちらは魔法の森経由、永遠亭行きだよ~。料金はどこまで乗っても一律3銭」
「乗ります」
「お金無い人は物とか妖力補給とか応相談だからね~」
乗ったのは私とチルノだけだった。
「そんじゃあ発車しま~す」
紅魔館とは違うルートを魔法気動車は進む。木々の生い茂った魔法の森が見えてくるが、緑はあるが妖力をあまり感じられなくなっていた。線路が枝分かれしていて、なぜか両側の木々の間隔が狭くさびれていそうな方向に曲がっていった。
「ありゃ、こっちじゃない」
「ええっ、じゃあ引き返して」
「ごめんごめん、でもすぐこの線路、すぐそこで終わりだから」
その終点はすぐに見えた。分岐点から10数メートル程度しか離れていない。
「こっちはべつの路線になる予定だったんだけど、資金の関係と、最近の異変騒ぎで、ね」
バック運転の操作を行っている河童を見ていたチルノがこんな提案をした。
「そうだユカリ、ついでに、こっちも探索してみようよ」
「魔法の森? いいかもね、魔理沙たちはどうしてるのかしら」
そして、河童に降りる旨を伝える。
「いいけど、私はとりあえず運行を続けなくちゃ。帰りはどうするの?」
「ここからなら、線路をたどっていけば徒歩で里に戻れるでしょ」
「そうだけど、ええっと、大体次にこのポイントを通る時刻は……」
河童は簡単な時刻表を取り出し、いくつかの時間を描いたメモを私に差し出した。
「多分これらの時間にこの辺を通るから、さっきのポイントで待っててくれれば拾うよ」
「ありがとう、危なかったらすぐに切り上げるから」
「最近この辺で爆発音が聞こえるんだ、昨夜もどーんという音が二回、近いのと遠いのが一つずつ、あなた達も気を付けた方がいいよ、じゃあまた」
気になる言葉を残して、河童は運転席に戻り、またゴトゴト引き返していく。
次にこの辺りを通過するのは1時間ほどだ。さて、と森の奥を見る。
「チルノ、私からあまり離れないこと、行き止まりがあったらすぐに引き返しましょう」
「ユカリが言うのならそうする。でも多分だいじょーぶ」
とは言え、木々が密生していて即行き止まりになってしまう。
「またこのパターンかよ!」
周りには獣道すらない。やはり植物だらけで通れなくなった博麗神社の石段みたいだ。あの時の経験からして、飛ぶのは良くない。
やはり永遠亭へ行こう、線路伝いに歩けばたどり着くだろう、そう思い引き返して、線路の方向に向けて歩こうとした時、急に火薬くさい臭いが鼻腔をくすぐるではないか。直後にシューッという音……ああ、これアカンやつだ。
「チルノ、危ない」
「わぷっ」
私はとっさにチルノに覆いかぶさり、その場に伏せた瞬間、予感した通り爆発音。聴覚が一時的におかしくなる。爆発が終わってからも、しばらくの間チルノをかばい続ける。
「ユカリ、ありがとう、もういいよ、けがはない?」
静寂が戻る。チルノは心配そう。でも私は幸い無傷だ。
「大丈夫よ、それより、いったい誰が」
爆発のした方を見ると、行く手を阻んでいた木々が吹き飛び、小さな木片や煙がまだ周りを舞っていた。煙の向こうに見えるのは、とんがり帽子の見なれたシルエット。
「魔理沙? 魔理沙なの?」 声をかける。
「お前ら、チルノと紫か?」
随分と痩せて、服のあちこちがほつれ、一部汚れたままになっている。でも彼女は紛れもなく霧雨魔理沙だった。
彼女は私達を茫然と見つめていたけれど、そのうちじわりと涙があふれ出て、顔をくしゃくしゃにしながら私たちに抱き着いてきた。
「会いたかったあああ~」 体重が軽い、切ない。
「魔理沙、よっぽど寂しかったんだな」
「そうなんだよ。聞いてくれよ」
魔理沙はその場に座り込み、涙ながらに語った。
「いきなり魔法が使えなくなって、空も飛べず、魔法で召喚した温泉脈も消えて体もろくに洗えず、アリスんちの場所も分からず、雨水と残った食料をやりくりして、よくわからん木の実とか拾って食べたり植えたりして一年ぐらい耐えたんだが、もう限界だったんだ」
私は魔理沙の頭をなで、もう安心、もう大丈夫よと励ましてやった。
「空さえ飛べりゃ、アリスん家だろうとどこへでも行けたさ。でも徒歩だと方角が全然分からないし、おまけにこの緑の牢獄だろ。それで爆弾を作って木を吹き飛ばして開削しようとしたんだ」
「それであの爆発を……必死だったのね」
「ああ、弾幕は火力だぜ、ってそういう……」
私の旅の目的は、とりあえずこの世界を知る事、でも魔理沙も放っては置けない。幻想の力が衰えた今、彼女には元の人間としての生命力しかないはず。
「私たちはこれから永遠亭に行くところなの、だからあなたも一緒に行って、診てもらった方が良い」
「魔理沙もすごいけどさ、人間は弱いから、体を大事にしなきゃいけないって、ユカリも前言ってた」
「お前らに心配されるなんてな。いや、ありがとう、ここは素直に応じるぜ」
魔理沙は力なく笑った。
「いやあ、美味しかった、久々の人間の飯だぜ」
「残り物しかなかったけどね」
「ユカリの飯旨かっただろ」
「まったくだぜ。それにこの饅頭最高」
とりあえず朝食の残り物で作ったおにぎりと水筒のお茶、例の源さんの試供品を与えると、魔理沙はあっという間に平らげてしまった。
「それにしても、私の家から河童の線路って、これっぽっちしか離れていなかったとはな。今までの苦労は何だったんだって話だな」
「何だってそうよ、正しい方向を見つるまでが大変なのよ」
「エンジン音が時折聞こえたから、こっちで合っていると思って爆破したんだが正解だったな。お前らが来なくても線路伝いに人里に行けたはずだが、来てくれて本当に助かった、礼を言うぜ」
案内された家の庭は見様見真似で作った畑になっていて、野菜とも果物ともつかない植物が植わっている。
「うげ、これって食べられるのか?」
「図鑑で確認したから大丈夫なはずだぜ。この辺の妖怪や動物とバトって身を守る、っつーのは心得ていたんだが、食料確保なんて専門外だったよ」
「ねえ、あの緑のトンネルみたいな通路は何? あれも爆薬で吹っ飛ばしたっぽいけど?」
私たちが来たのとは反対方向に、木々をなぎ倒して作った細い通路がある。
魔理沙は残念そうな苦笑いで、あれはアリスの家を探してのものだと言った。
「もしかしたら食料を分けてもらえるか、あいつが消滅していたら、遺産を有効活用してやろうかぐらいの気持ちで掘り進んだんだ、空きっ腹を我慢して火薬をこさえたりしてな、でも火薬が切れそうになったもんで、出口を優先したわけだ。薄情だな」
「仕方ないじゃない、魔理沙だって死にかけていたんでしょう?」
「もし生きていても、私なんかどうでもいい、むしろ清々したぐらいに思っているのかもな。いろいろ迷惑もかけたし、まあいい、あいつはあいつで宜しくやっているだろうさ、私も私の道を歩む、過去はどうでもいい、どうでもいいぜ」
その時の魔理沙は、まるで納得できない自分に言い聞かせているように聞こえた。
その様が心に痛い、そして次に発せられたチルノの言葉にも私はどきりとさせられた。
「きっと違うよ」
「チルノ、もういいんだよ、あいつとは終わったんだ」
「あたいも友達がいなくなって、もしかしたら二度と会えないんじゃないかって、怖かったんだ」
「チルノ……お前」 最強を自称する彼女らしからぬ言葉だ。
「でも、飛べなくなってもあきらめずに歩き続けて、それでユカリに会えて、大ちゃんにも会えた。他の奴らだってどこかにいるはずだ。妖精のあたいがやれたんだ、人間の魔理沙もやろうとした、だからアリスの姉ちゃんも今魔理沙を探しているかもじゃん!」
「チルノ……」
「ほら、きっと今アリスも魔理沙を探していて、ばくだんに火をつけてるよ、シュウウウ、ドカーン、てね」
ぽん、と音が聞こえた、気がした。
「本当に、そう思うか」
「きっとそんな気がするよ」
「……うん、そうだな、ありがとうよ」
彼女のこんな悲しげな笑顔は見たことがない。あんまり似合わない。
でもどんな言葉を掛けたらいいんだろうか。賢者としての記憶はある私でも分からない
魔理沙が出してくれた材料不明だが悪くない味のお茶を飲み、しばらくなんとなく無言で過ごす。
「魔理沙、霊夢はどうしているのか知らない?」
落ち着いたところで聞いてみた。魔理沙の反応は意外だった。
「知らないだと? 去年、霊夢がケガしたっていうんで見舞いに行ったら、面会謝絶だって縮む前のお前に言われたんだが」
「ちょっと待って、霊夢がケガ?」
ようやく知ったこの世界の霊夢の情報。彼女が怪我を負った、なぜ?
「お前、さては異変で体が縮むどころか記憶も飛んじまったのか?」
「……多分そういう事だと思う」
私はこの平行世界の紫とは違うはずだが、一応そういう事にしておいた。
「その時のお前にどんなケガか聞いても教えてくれなかったんで、しょうがないから家に戻って、それで次の日ぐらいに魔力が失われて……あん時食料買い込んどけば良かったな」
「そうだったの……」
この世界の私と霊夢に何があったのか。霊夢はその後どうなったのか、気になる、すごく気になる。慧音ですらその時何が起きたのか分からない状態だが、月の頭脳と言われる八意永琳なら、異変前の出来事を少しでも覚えているのではないだろうか。
「私、永遠亭に行って話を聞いてみたい、さっきも言ったように、魔理沙も一緒に行って、よく診てもらいなさい」
「ええー、別にいいよ、もう大丈夫だし」
「ダメ、霊夢ももしかしたら……その、大変な事になっているかもしれないし」
「わーったよ、しょうがないなあ。だが今は遠慮する、そのうち行くよ」
「約束よ、そのうち本当に診てもらったか確認しに来るからね」
「勝手にしろよ、心配症だなあ」
「もっとも魔理沙はピチュっても死ななさそうだけどね」
魔理沙に別れを告げて、例の分岐点まで戻る。河童の車両はあの後一往復したらしく、再び人里の方向からやってきていた。
「お待たせ、どんな感じだった?」
おかっぱの河童が興味深そうに聞くと、チルノは授業中の学童のように手を挙げた。
「はい! 魔理沙が生きてたよ~」
「少々痩せていたけど、しぶとく生きてた」
「本当かい? それは良かったね。にとりが心配してた、あの子喜ぶぞ~」
景色が木々から竹に代わっていく。竹もしっかり生えている。
「ああ、ちょっと酒の肴に聞いた話なんだがね」 おかっぱ河童がつぶやいた。
「何かしら?」
「トロッコ問題って知ってる?」
「ええ、外の人間が言っていた哲学の問題ね。暴走するトロッコの先には分岐点があって、一方には5人、もう一方には1人の人間がいる。私にできるのは分岐をどちらかに変える事のみ、どっちを選ぶ? というものね」
「功利的に考えれば、1人を死なせて、5人を助けるのが賢明だろうと考えられる、だけど、もし、その1人が自分にとって大事なひとだったとしたら……」
河童の言葉に、私は霊夢の顔を思い浮かべる。私なら……。
「5人を犠牲にしてでもその1人を助けたいと思ってしまったなら、お客さんはどうするかい」
いきなり客に重い話題を振ってきたな。
「どう思うかは、正直、その時が来ないと分からない。でも、やってしまうかも」
「その5人も誰かにとっての大切な人だったとしたら」
この子、客商売しているという自覚があるのか? こういう話題は嫌いじゃないけど。
「正直、その設問は卑怯よ。他にあるかも知れない手段を無視しすぎている。どっちに転んでも誰かを死なせる選択にはいと言わせようとするのは嫌」
しばらく考えていたチルノも加わった。
「あたいなら、線路とトロッコを凍らせて固めちゃう、こうすれば誰も死なないでしょ」
河童は待ってましたとばかりに相槌を打つ。
「そうそう。それこそが技術屋である私たちの目標なんだ。どっちに転んでも誰かを犠牲にするむかつく運命に、そうはさせるかと第三の選択肢を突き付けてやる。もともと悲劇が起きないようにする。みんなが笑顔でいられる。いつか私の技術でそれが実現できればと思ってるよ」
話半分かも知れないが、希望を捨てていない者がまだまだ存在するのだ。
ほどなくして永遠亭の屋敷が見えてきて、車両は減速していく。
「というわけで、我々河童技術陣は、金銭面のサポートを受け付けております」
「そういう流れだったの?」
「それもあるが、さっきの問答は私の本気さ。さあ、終点だよ」
気動車は今度こそ、本来の線路に沿って進んだ。
方向さえ正しければ意外と答えは近くにある。
でも、私が進むべき方向はどこにあるんだろう?
「では、またのご利用を」
そこにはかつてと変わらない永遠亭の屋敷があった。
「アリス、本当にどこにいっちまったんだ」
魔理沙が家の外の、作りかけの緑のトンネルの前に立っていた。
勘が正しければこの先にマーガトロイド邸があるはずだ。だが彼女の姿は見えず、もう火薬のストックもない、紫の話だと、紅魔館勢も存在があやふやだという。
「チルノのアホ! 何がアリスも私を探しているだ。ああいう空手形が余計辛いんだよ、下手に希望持たせるなっての!」
トンネルに背を向けて家に戻る。怒り、悔しさ、悲しみともつかない感情に支配されて、石ころを蹴った。
「私はもうお前の事は忘れて先に行くからな。じゃあなアリス」
でもその顔はくしゃくしゃになっている。袖で顔をぬぐう。そして立ち止まる。
「……本当は会いたいよ、アリス」
アリスも爆弾で道を開き、自分を探そうとしているビジョンが浮かんだ。
都合の良い妄想と思いながら、それにすがりたい気持ちを抑えられない。
ほら、最後の難所だ。導火線に火をつけた、シューッという音が聞こえる、火薬の臭いもしてきたぞ。とてもリアルに感じられる、こりゃ重症だな。
「いや、本当に音と臭いがするぞ!」
本能的に身を伏せ、数秒後に背後で爆音、衝撃。
「いててて、なんなんだ」
その方向の煙が晴れると、見なれたシルエットがあった。
全身すすだらけで、息を切らして立っていた。
みすぼらしい姿でも、魔理沙にとっては世界一綺麗に思えた。
「ハアハア、いやーやけくそで火薬マシマシにしたら死にかけたわ」
「お前、ひでえ顔だな」
「あなたこそ」
駆け寄りながら、心の中で精いっぱいチルノに謝る。
(ごめん、前言撤回、やっぱお前天才だわ。最強だよ)
傍らで狐妖怪と黒猫が気絶していて、それに二人が気づき、慌てて介抱して平謝りする10分前の出来事である。