「んん? いやいや……えっ? えっ? おぉ? ええええ? ……はぁ」
目を見張る。小首を傾げた後、否定するように苦笑する。記憶を手繰るように目を閉じた後、ページを前へとめくる。手を止め、目を走らせる。
そして、再び目を見張り、驚く。身体を起こし、本を顔から離しじっと見つめ、しばし放心する。
「小鈴ちゃん、いるー?」
暖簾とそれに結びつけた鈴を揺らしたのは白い袖だった。
来たか。
待ちに待った、というかできるだけ早く来て欲しかったお客さんだ。正直、今の私を取り巻く状況から早く解放されたかっただけに、ありがたかった。
読みかけの本を閉じ、平静を装い挨拶をする。
「あ、霊夢さん。いらっしゃいませー」
「期限内よね?」
期限内と即答できた。鈴奈庵の貸し出し状況は大体把握しているつもりだが、とりわけ今、霊夢さんが持っている本に関してはいつ貸し出したか、どう貸し出しかも、阿求も顔負けなぐらいにはっきりと覚えている。
「いかがでした」
霊夢さんに感想を尋ねると待ってましたとばかりに語り出す。これは、喜んでいそうだ。
「それがね、人の記憶の曖昧さっていうのかしら? そこをズバッと突いたトリックだったわ。何より驚いたのが、これ矛盾してるんじゃないかって読み返してみたらちゃんと伏線が張られていて、本の中だけじゃなく、読んでるこっちまでズバリ図星を突かれた感じ。まあ合間合間のギャグとかユーモアはいまいちだったし、文章がなんか偉そうなのは鼻についたけど」
興奮気味に語る霊夢さん。本来なら貸したコチラも嬉しい、ところなのだけれど。
そうですかとか、なによりですとか相槌を打っていると、霊夢さんが急に声を落とし尋ねてくる。
「他にこの作家の本はないのよね?」
こちらも即答できる、ない。
外の本なら断言はできない。終わったと思ったシリーズの続きが出る事もあるし、なんなら再開後の本が入荷した後にいったん完結した本が入荷するという締まらない事態すらある。
だが、この作者の名前で出された本は存在しないのである。なにせ書いた本人がそう言っていたのだから。少なくとも現時点ではあり得ない。
「ええ、さる名家のご令嬢が一冊だけと決めた本で、預かる時にも、これぞと見定めた読書家にだけ読ませて欲しいと言付かって置かせてもらった貴重な一冊でしたから」
なんだ、この設定。
「ふーん、もったいないわねえ」
ただ、満更でもなさそうに霊夢さんは信じてくれた。おだてれば大体大丈夫とこの言い訳も考えた作者の弁は正しかったらしい。
その後、クリスQの新刊はいつになるのか、急かしてるんですけどねぇ、なんて雑談をした霊夢さんは帰って行った。
「ありがとうございましたー」「大成功だったわね」
いるんだろうとは思っていたけど、背後で急にしゃべり出すのはやめて欲しい。前からいきなり出て来られてもこわいけど。
今回の首謀者の登場である。
お茶でも出した方がいいのかと振り返ると、声の主、大雑把に言うと幻想郷のとても偉い人、八雲紫さんはいつの間にかティーカップを傾けていた。いい茶葉使ってる香りをさせて。いいなあ。それはともかく、
「あんまりいいことではないと思いますけどね」
とりあえず納得していない事は伝えておかないといけない。今回は引き受けたが線引きは必要だ。
「あら? ペンネームを使う事はごくごくありふれた慣習ではありません?」
それはそうだ。クリスQはもちろん、いくらでもいる。だがペンネームでも、作者の設定について嘘をついていたこと(これも結構いるらしい)でもない。
貸し出した本の中身のことだ。
「読んでいる最中に、内容が変わっていく本なんて」
前代未聞ですよ、そんなの。
霊夢さんが驚くのも当たり前である。本文が読んでいる途中で実際に紫さんの手で変えられてしまっていたのだから。
彼女は境界を操る程度の能力の持ち主と幻想郷縁起には書かれていた。物語の中等にも移動できるかもしれないと。まさかそれを自分で刷った本の中で思い知ることになるとは思わなかった。
「誤植があれば修正はなされるべきですし、海外の本であれば何度も、それも人を変えて訳し直すのは貴方も知っているでしょう?」
「読んでる最中の本で変わるなんてありえませんよ……」
お世話になった手前、今回だけという約束で不承不承引き受けたが、さすがに理解を超えた話である。
それにしても、
「よく霊夢さんが読み返して確認する場所が分かりましたね」
「当然です、そういう風に丁寧に丁寧に組み立てて書いているんですもの」
本人がぶち壊したのだけれど。いや、元が矛盾していたのなら修復したことになるのだろうか?
「念のためも考えて備えてましたけど、本人がブツブツ言いながら読むんですから、馬鹿でも分かりますわ」
ずっと、見ていたのか。もしかして暇なのだろうか。
「それにしても霊夢の反応ったら、とっても良かったわ。『んんん? いやいやいや……ええっ? えっっ? おぉお? ええええっ? …………はぁあ』こんな風に驚いてたのよ。作者冥利に尽きるし、博麗の巫女を驚かせるなんて、妖怪冥利にも尽きますわ」
嬉しそうに笑う紫さんの物まねは正直似てるような似てないような微妙なラインだった。感情を入れすぎてるんじゃないだろうか。
でも、表情もコロコロと変わっていたのだろうし、それを見るのは楽しかっただろうと思う。私がクリスQの原稿を試し読みしている時の阿求もそんな気持ちなんだろうか。今度、チラっと見てみようか。それはそれで楽しいだろう。
「でも霊夢ったら失礼ね。ギャグやユーモアはイマイチとか文章が偉そうとか。やっぱり賢者のセンスは理解できないのかしら」
「それで本当にやめちゃうんですか?」
「あら、二回も付き合ってくれるの? やっぱり、ギャンブラーね」
「いえ、まあ、普通に書いてくださればの話です。それならいくらでも」
さすがにバレたら怖いし、あんな珍妙な本に関わるのは一回でも十分すぎる。
「まあまた何かでお世話になるかもしれないけど、あの名義では引退ね。
エライー・カリーンとしては」
多分、そういうところですよ、賢者さん。
目を見張る。小首を傾げた後、否定するように苦笑する。記憶を手繰るように目を閉じた後、ページを前へとめくる。手を止め、目を走らせる。
そして、再び目を見張り、驚く。身体を起こし、本を顔から離しじっと見つめ、しばし放心する。
「小鈴ちゃん、いるー?」
暖簾とそれに結びつけた鈴を揺らしたのは白い袖だった。
来たか。
待ちに待った、というかできるだけ早く来て欲しかったお客さんだ。正直、今の私を取り巻く状況から早く解放されたかっただけに、ありがたかった。
読みかけの本を閉じ、平静を装い挨拶をする。
「あ、霊夢さん。いらっしゃいませー」
「期限内よね?」
期限内と即答できた。鈴奈庵の貸し出し状況は大体把握しているつもりだが、とりわけ今、霊夢さんが持っている本に関してはいつ貸し出したか、どう貸し出しかも、阿求も顔負けなぐらいにはっきりと覚えている。
「いかがでした」
霊夢さんに感想を尋ねると待ってましたとばかりに語り出す。これは、喜んでいそうだ。
「それがね、人の記憶の曖昧さっていうのかしら? そこをズバッと突いたトリックだったわ。何より驚いたのが、これ矛盾してるんじゃないかって読み返してみたらちゃんと伏線が張られていて、本の中だけじゃなく、読んでるこっちまでズバリ図星を突かれた感じ。まあ合間合間のギャグとかユーモアはいまいちだったし、文章がなんか偉そうなのは鼻についたけど」
興奮気味に語る霊夢さん。本来なら貸したコチラも嬉しい、ところなのだけれど。
そうですかとか、なによりですとか相槌を打っていると、霊夢さんが急に声を落とし尋ねてくる。
「他にこの作家の本はないのよね?」
こちらも即答できる、ない。
外の本なら断言はできない。終わったと思ったシリーズの続きが出る事もあるし、なんなら再開後の本が入荷した後にいったん完結した本が入荷するという締まらない事態すらある。
だが、この作者の名前で出された本は存在しないのである。なにせ書いた本人がそう言っていたのだから。少なくとも現時点ではあり得ない。
「ええ、さる名家のご令嬢が一冊だけと決めた本で、預かる時にも、これぞと見定めた読書家にだけ読ませて欲しいと言付かって置かせてもらった貴重な一冊でしたから」
なんだ、この設定。
「ふーん、もったいないわねえ」
ただ、満更でもなさそうに霊夢さんは信じてくれた。おだてれば大体大丈夫とこの言い訳も考えた作者の弁は正しかったらしい。
その後、クリスQの新刊はいつになるのか、急かしてるんですけどねぇ、なんて雑談をした霊夢さんは帰って行った。
「ありがとうございましたー」「大成功だったわね」
いるんだろうとは思っていたけど、背後で急にしゃべり出すのはやめて欲しい。前からいきなり出て来られてもこわいけど。
今回の首謀者の登場である。
お茶でも出した方がいいのかと振り返ると、声の主、大雑把に言うと幻想郷のとても偉い人、八雲紫さんはいつの間にかティーカップを傾けていた。いい茶葉使ってる香りをさせて。いいなあ。それはともかく、
「あんまりいいことではないと思いますけどね」
とりあえず納得していない事は伝えておかないといけない。今回は引き受けたが線引きは必要だ。
「あら? ペンネームを使う事はごくごくありふれた慣習ではありません?」
それはそうだ。クリスQはもちろん、いくらでもいる。だがペンネームでも、作者の設定について嘘をついていたこと(これも結構いるらしい)でもない。
貸し出した本の中身のことだ。
「読んでいる最中に、内容が変わっていく本なんて」
前代未聞ですよ、そんなの。
霊夢さんが驚くのも当たり前である。本文が読んでいる途中で実際に紫さんの手で変えられてしまっていたのだから。
彼女は境界を操る程度の能力の持ち主と幻想郷縁起には書かれていた。物語の中等にも移動できるかもしれないと。まさかそれを自分で刷った本の中で思い知ることになるとは思わなかった。
「誤植があれば修正はなされるべきですし、海外の本であれば何度も、それも人を変えて訳し直すのは貴方も知っているでしょう?」
「読んでる最中の本で変わるなんてありえませんよ……」
お世話になった手前、今回だけという約束で不承不承引き受けたが、さすがに理解を超えた話である。
それにしても、
「よく霊夢さんが読み返して確認する場所が分かりましたね」
「当然です、そういう風に丁寧に丁寧に組み立てて書いているんですもの」
本人がぶち壊したのだけれど。いや、元が矛盾していたのなら修復したことになるのだろうか?
「念のためも考えて備えてましたけど、本人がブツブツ言いながら読むんですから、馬鹿でも分かりますわ」
ずっと、見ていたのか。もしかして暇なのだろうか。
「それにしても霊夢の反応ったら、とっても良かったわ。『んんん? いやいやいや……ええっ? えっっ? おぉお? ええええっ? …………はぁあ』こんな風に驚いてたのよ。作者冥利に尽きるし、博麗の巫女を驚かせるなんて、妖怪冥利にも尽きますわ」
嬉しそうに笑う紫さんの物まねは正直似てるような似てないような微妙なラインだった。感情を入れすぎてるんじゃないだろうか。
でも、表情もコロコロと変わっていたのだろうし、それを見るのは楽しかっただろうと思う。私がクリスQの原稿を試し読みしている時の阿求もそんな気持ちなんだろうか。今度、チラっと見てみようか。それはそれで楽しいだろう。
「でも霊夢ったら失礼ね。ギャグやユーモアはイマイチとか文章が偉そうとか。やっぱり賢者のセンスは理解できないのかしら」
「それで本当にやめちゃうんですか?」
「あら、二回も付き合ってくれるの? やっぱり、ギャンブラーね」
「いえ、まあ、普通に書いてくださればの話です。それならいくらでも」
さすがにバレたら怖いし、あんな珍妙な本に関わるのは一回でも十分すぎる。
「まあまた何かでお世話になるかもしれないけど、あの名義では引退ね。
エライー・カリーンとしては」
多分、そういうところですよ、賢者さん。
読んでる間に内容が変わる本とか反則です