Coolier - 新生・東方創想話

恋符

2019/05/16 07:17:01
最終更新
サイズ
25.78KB
ページ数
1
閲覧数
3341
評価数
11/24
POINT
1700
Rate
13.80

分類タグ

「………………?」

 その朝、奇妙な感覚に襲われ、霧雨魔理沙は目を覚ました。
 自室のソファ、仰向けの自分、胸の上には読みかけの魔導書。居眠りの後のいつもの光景だ。だが……何かがおかしい。視覚に現れない違和がどこかにある。
 とりあえず体を起こそう。それが全ての気づきの始まりだった。

「………………?!」

 ふわり。体を起こした、その情報だけが乖離する。現実から漂い、物理を忘れてすり抜ける。体を起こした、自分の身体が自分でないようで……。
 ……否、体など起こしていない。起こしたと思っただけだ。体を起こしたときに感じるはずの……重さを感じなかった。起き上がったのは意識だけだ。体は未だソファに沈んでいる。では……この起きていると思っている……私は〝何〟だ?
 ……知っている。
 この、横になっているようで、縦になっているような感覚。
 ……似たような経験ならしたことがある。
 そう、金縛り。半分夢を見ているような世界で、自分が体を起こしたと思っていても、それは夢が見せた幻影で、実際の身体はピクリとも動いていない。心だけが起きていて、身体は起きていない。あれに近い。
だがそれでは説明できないものが視界に映っていた。

 ……自分だ。
 
 金縛りで見る夢は、自分は起きたと思った頭が見せる幻影だ。だから、その夢の中で振り返っても、ベッドに眠る自分は見えない。夢の中の私は、「そこ」ではなく「ここ」にいるのだから。
 だが見える、見えるんだ。今は。私の身体が……。

「変だぜ」

 もしかして、これが幽体離脱というやつなのだろうか。自分を自分が見ていて――

「……えっ?」

 私の思考は、僅かな遅れを以て過去に引き戻された。目からの情報ではない。新たな違和は耳から入ってきた。自分が放った、自分のはずの言葉。それが……

 ……自分ではない誰かの言葉のように聞こえたのだ。

 あまりに予想外の違和だったから、気づくのに遅れてしまった。だが一度認識してしまうと、相当に気分が悪い。知らない誰かが自分の中に居るようだ。

「変……だぜ」

 今度こそ確信した。「変だぜ」という、その声自体が「変」だった。身体だけでなく、の声までも。まるで自分ではなかった。
 今喋ったのは誰だ。この声の主か。それが私なのか。では私が私ではないのか。ならばこの声は誰だ。私は誰だ。お前は誰だ。誰だ、誰だ、誰だ……。

「誰だお前」

 問うたが、答えない。当然だ。ここには霧雨魔理沙しかいないのだから。けれど。

「私はこんな明るい声じゃないぜ」

 明るい声が部屋に響き渡る。明るい、そして派手な声が。
 ――派手なのは自分のブロンドの髪だけでいいと思っていたのに。
 改めて振り返る。いつも通り、帽子を顔に被せるように寝ている私。私が本来、見ることの叶わぬ、私自身の姿。
 鏡を介さぬ、本当の私の姿。
 夢なのか、幽体離脱なのか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。今はこのあからさまな違和感を払拭したい。その想いで一杯だ。今すぐ狂気を抜け出して、元の私に戻りたい。そのためには、どうすればよいだろう。起きているようで寝ている。現を見ているようでいて夢を見ている。どちらだか分からない。確認のしようがない。そんなときは……。

 あぁ。

 一番手っ取り早い方法があるじゃないか。
 
 ……「自分」を起こせばいい。

 掴んだ、魔女のとんがり帽子。触り慣れたその感触。それを味わうことも無く握りしめ……



「起き……ろ!」



 掴み上げた。その下に眠る私の顔……









「っ……!?」




 目に入った光景に息が詰まり。直後。



「っ……きぃぃぃああああああああ!!」



 叫び声を上げた。自分ではない、甲高い声で。それに二重に驚き、よろめき、尻もちをつき、震える手で口元を抑え。それでも目が離せない、その「顔」。



 ――否、「顔」などなかった。



 そこにあったのは、色の削げ落ちた、真っ暗な闇。形状より外に情報の存在しない、艶やかな黒。物言わぬ黒い影。空間に沈む黒いヒトガタ。私の容をした、しかし私の色を持たない影……



〝NO DATA〟



 ざり、ざりと微かにざらつく影の揺らめきに、浮かび上がるその文字。

「何だ……これ」

〝[!]このキャラクターは未取得です[!]〟

「何だよこれは……!!!!」





〝[!]このキャラクターで遊ぶには、事前登録が必要です[!]〟



*   *   *



 飛び出した、夢うつつの朝。霧晴れた森へ。箒など要らなかった。魔力すら使わずに宙を舞った。何故なら体に重さが無かったから。
 初めは、元の体に戻ればどうにかなると思っていた。自分が偽物で、ソファに寝ているのが本物で……離脱した幽体を、元に戻せば大丈夫だと。手段なんて知らないけど。仕組みなんて知らないけど。今の体が自分じゃないのだから、自分を自分に戻すしかないと思っていた。
 だが考えが変わった。あんな真っ黒い塊が自分だなんて信じたくない。あれに比べたら……今の身体の方がまだマシだ。ひとまず、今の私を私と信じることにした。
 あっという間に森を抜け、人里に出た。ここなら誰かいるはずだ。信頼のおける人間が何人か……。
 誰でもいい。手っ取り早く誰かと会って話さなくては。自分の状況を話して、自分の体も診てもらって……この際、アタマも診てもらうことになるかもしれない。だがそれでもいい。今はただ、早くこの違和を解消したかった。
 初めに遭遇したのは、寺子屋の前に立っていた慧音。狭い範囲、同じ場所を規則的に行ったり来たりしている。何か考え事をしているのだろうか。だが私の方は一大事だ。少しばかり邪魔しても構わないだろう。

「おい、聞いてくれ!」

 自分の声、それをある程度知っている彼女なら、この一言でも異常を感じてくれるのではないか。そう期待したが、すぐに裏切られた。

「魔理沙じゃないか」

 普段通りに、慧音がこちらを振り返る。

「あ、あのな、おかしいとは思わないのか?」

 慧音は怪訝そうな顔を浮かべるだけで。続いて何事も無かったかのように口を開いた。

「今日は里に何の用だ? 私の授業を受けにでも来たのか?」

 慧音にしては変な冗談を言う。

「すまないがそれはまた今度だ。いいから今は聞いてくれ。私の身体がおかしいんだ。重さが無い。動いている心地がしない。生きている心地がしない。今日目を覚ましてからずっとだ。本当の自分の体を置いてきてしまった気がする。見た目はいつも通りに見えるんだが……少なくとも私にはな。だが……あんたはどうだ? 私がどう見えている? 私はいつも通りか? 私は……霧雨魔理沙に見えるか?」
「魔理沙じゃないか」

 慧音は躊躇いも無く即答した。

「そ、そうか。そうだよな……それは良かった」

 安心していいのか分からない。不安は募るばかりだ。

「……じゃあ声はどうだ? 私はこんな声をしていなかったと思うんだが……私の声も、いつも通りか?」
「魔理沙じゃないか」

 やはり即答。

「おっかしいなぁ……」

 確かに私の声はこんなものではなかったはずだ。根拠を示せと言われれば困るところだが、生まれてこの方ずっと付き合ってきた自分の声だ。それが変わればすぐに気づく。しかし、慧音がいうことが本当なら……おかしいのは私の方なのかもしれない。私の感覚が狂っているだけで、身体は案外普通なのかもしれない。となると……。
 今度こそ本当にアタマの方を疑わなくちゃいけない。昨日は変なキノコでも食べたのだろうか? それとももっとヤバいものを食べたか? 阿片でも吸って変になったか?

「今日は里に何の用だ?」

 慧音は再び問いかけてきた。

「だから私の身体がおかしいって話を今……」
「私の授業を受けにでもきたのか?」
「だから今はそれどころじゃないって……」

 謎のデジャブに襲われる。しかも直近十数秒前の。

「魔理沙じゃないか」
「おい……」
「今日は里に何の用だ?」
「おいお前……」

 鋭い不気味さが、忽ち肝を凍らせた。

「私の授業を受けにでも来たのか?」
「慧音!!!」

 掴みかかる、その襟元、揺さぶるが、しかし特別な反応は帰って来ない。

「魔理沙じゃないか」
「しっかりしろ……!」
「今日は里に何の用だ?」
「どうしちまったんだよ……!!」

 自分が会話だと思っていたもの。それは会話ではなく独り言であった。その衝撃に、思わず手が出てしまった。何とも知らぬ誰かに騙され、誰とも知らぬ何かに裏切られている。そんな気がした。私が話しかけていたのは只の人形だったのか? 私の訴えは誰にも届かぬ遠吠えだったのか? 
 何なんだ、これは。
 途方に暮れ、見上げた空。目線の先には、風にはためくのぼりがあった。

〝祝、三万人突破!〟

 祝……? 何を祝っているんだ? だいたい三万人とは何だ。幻想郷にそんなにたくさん人間が居てたまるか。
 頭が疑問に埋め尽くされ、気づけば掴んだ手を離していた。体の自由を取り戻した慧音は、再び寺子屋の前を規則的に往復し始めている。

〝目指せ、五万人事前登録!〟

 先程は知り合いを探すのに必死で気づかなかったが。見れば、里の通りにはそこら中に派手な色合いののぼりが掲げられていた。
 年に一度の夏祭りの日にだって、こんなに派手にはやっていないというのに。何だこの見た目の五月蠅さは。そして仰々しさ。基本的に幻想郷の人間は慎ましく、派手なことをやるのは妖怪どもだ。そして日が昇り始めた今、妖怪どもは眠りについているはず。この幻想郷に、「これ」をやるような存在が居るとは思えない……。
 ……そんな思考を巡らせながら、並ぶのぼりを見上げて彷徨していた。その足が、あるところで止まった。村の外れ、大きな屋敷の前。そこに一段と大きなのぼりが立っていた。

 記された文字を見て、私は鳥肌が立つのを止められなかった。



〝十万人登録で、「霧雨魔理沙」プレゼント!〟



「………………は?」

 意味が分からない。そして、意味が分からない。

 お 前 は 何 を 言 っ て い る ん だ ? 

 霧雨魔理沙は私だ。霧雨魔理沙は私のものだ。誰にも渡しはしない。私は霧雨魔理沙を生きる霧雨魔理沙なのだから。その私を誰にプレゼントすると言うのか。
 訳も分からず腹が立ってきて、私はそののぼりを掲げる屋敷の玄関を叩いた。
 どん、どんどん。
 叩くが音は頼りない。重さが無いのだから当然だ。それでも私の姿を見てか、屋敷の使用人が引き戸を開けてくれた。そのとき目の端に映った表札を見て、初めてそれが稗田家の屋敷だと思い出す。
 ちょうどいい、あいつならもう少しまともな話ができるだろう。

「ご用件は……」
「阿求と話をさせてくれ」
「どうぞ」

 あっけなく通され、それはそれで違和感も覚えながらも、しかし躊躇わずずんずんと廊下を進んでいった。私は彼女に話を聞く権利がある。
 襖を開き、遠慮なく書斎に入る。中には正座で筆を走らせている彼女の姿があった。

「おはようございます、魔理沙さん」
「どういうことか説明して貰おうか」
「私は稗田野阿求。稗田家九代目当主……」
「知ってる、知ってるから。自己紹介から始めんでも」

「……幻想郷でセーブデータの管理をしているの」

「何だって?」

 耳を疑った。同時に込み上げてきたのは、先程と同じ不気味さ。まるで人形と喋っているかのようで……いや、まだアリスの人形と喋っているときの方が温かみがある。だが今の目の前の彼女は……

「セーブしますか? ロードしますか?」
「だから何を言って……」
「現在、ロードできるデータはありません。セーブしますか?」
「おい、意味が分からないぜ、セーブってなんだ? ロードってなんだ? 何の話をしているんだ?」
「セーブが完了しました。霧雨魔理沙(チュートリアル) レベル 1 レア度 丁 ……」

 聞きなれぬ単語が連続する。

「……霊力5/5 ボール 所持 0」
「ボール? オカルトボールのことか?」

 幻想郷でボールと言ったらオカルトボールだ。だが聞いても阿求は答えてくれなかった。さっきと同じ、会話が成り立っていない。

「記録をしたければいつでも来てくださいね」
「すまんが……玉揃え遊びはもう懲り懲りなんだ」

 言葉が通じないと分かり、私は足早にその場を去った。

「どいつもこいつも……どうしたってんだ」

 話の分かる奴は居ないのか。そう願って屋敷を出る。〝「霧雨魔理沙」プレゼント〟ののぼりは、道すがら降ろして折って捨てた。こんなにたくさんあるんだから、一つくらい無くなってもバレないだろう。それより早く、この異常の原因を突きとめなければ。
 ただ……話を聞くと言っても、この様子じゃ、里のどこに行ったって結果は同じに思えた。町は一様に狂気に包まれており、そこに居る人々もその気に触れている。要するに手遅れなんだ。どこか、里以外の場所で、正気を保っている奴が居れば……

「そうだ」

 話が分かるとしたら、もう、あいつしかいない。
 私の身に起こった、おかしなこと。
 私の声に起こった、おかしなこと。
 里のみんなに起こっている、おかしなこと。

 おかしなこと、すなわち……異変。

 それに対抗しようとするならば、同じことを考えている奴が、もう一人居る。
 私は神社に向かった。

 ……これは異変だ。そうとしか説明がつかない。私が初めに見たおかしな光景も、その一部に過ぎないんだ。きっと。本当はもっと強大な、私の知らないような脅威が幻想郷に迫っているに違いない。だから異変を解決して、皆を元に戻して……私の身体を取り戻す。
 そうだ。いつだって、そうしてきたじゃないか。

 境内に続く階段。その上を飛び抜け、鳥居を潜った。見えてきたのは、いつもの見慣れた彼女の姿。

「よぉ霊夢。霧雨魔理沙が悪い知らせを伝えにきたぜ」

 自分の変な声。もう開き直り始めたこの黄色い声に、博麗霊夢が顔を上げる。

「朝から騒がしいわね、魔理沙」
「っ……!」

 引っかかる。耳から頭へ、情報が伝わらない。何かが理解を拒んでいる。受け入れたくない何かを。

「霊夢、お前……」
 
 たった一言、それだけで十分だった。これもまた、彼女と長く一緒に居たから分かったことだ。

「……お前も、声変わってないか?」

 あの声が、返ってこなかった。
 期待した声が返って来ないことが、こんなに悔しいことだとは思わなかった。
 かつてそこに在ったはずのものが、一晩寝る間に砂山のように崩れ去ってしまった。喪失はいつも気づいてからだ。失って初めて、それにどれだけ自分が寄り縋っていたのか気づかされる。それが余計に悔しかった。自分の声が奪われるよりも悔しかった。彼女からあの声を、あの凛々しく可憐で、そして鋭く美しい声を奪ったのは誰だ……?

 ……耳が理解を拒むのは当然だ。

 私は――今だから気づいた――彼女の声を期待していたのだ。この異変の真っただ中で、だからこそ、動かぬ幻想郷の管理者、彼女の声を聞いて安心したかった。私は……解決ではなく、安心を求めて、彼女の元にやってきたのだろうか。
 
「そうね。声、変わったわ。今朝起きたときにね。あなたもでしょう?」
「気づいて……くれるんだな」

 その言葉だけで、私は救われた気がした。彼女の声は未だに耳が慣れないけれど、それでも、私の声がおかしいことに気づいてくれた、それが嬉しかった。自分の変化に気づいてもらえないこと、それがどんなにもどかしいことか、今日の朝だけでたくさん思い知らされたから。

「前の方がまだマシだったわね」
「私の声がか?」
「私の声がよ」
「……なんだ」
「なんだってなによ」
「いや……何でもない」

 自分が変な期待を寄せていたこと気づかされ、私は帽子を目深に被った。その黒い視界の中、聞こえてきた言葉――



「ま、別に声なんてどうでもいいでしょ」



 彼女にとっては何気ない言葉だったのだろう。しかし私は聞き逃さなかった。聞き逃せなかった。その言葉が、変わってしまった彼女の声で放たれたことが、何より許せなかった。

「いや……どうでもよくはないん……じゃないか?」
「声変わりでしょ、だれにでもあることよ」
「思春期の男の子じゃないんだぜ?」
「じゃあ、誰かと喋りすぎたとか?」
「昨日はずっと家で魔導書を呼んでいた」
「風邪でも引いてるんじゃない?」
「魔法使いは風邪なんて引かない」
「昨日お酒を飲みすぎたとか……」
「私は独りで酒は飲まない」
「……じゃぁ私には分かんない。竹林のお医者さんにでも診てもらったら?」
「診てもらったら? って……お前はどうなんだよ、霊夢」
「何よ、私はいたって健康よ」
「そうじゃない、声だよ、声。お前も声変わってるんだろ?」
「そうだけど」
「じゃあ直してもらわないと……」
「だから声なんてどうでもいいって言ってるでしょ」

 自分の手が、重さのない手が強く握りしめられるのを感じた。

「どうでもよくなんかないだろ……?!」

 叫んでしまう。

「ちょっと魔理沙?」

 続く言葉が、一瞬、浮かばなかった。忘れかけていた目的を掘り起こすのに時間がかかった。そう、初めは自分の体がおかしいことを見てもらうためで。しかしいつの間に、霊夢の声で安心することに期待してしまっていて……それができないと知り、行き場のないもどかしさを、声にしてぶつけてしまっていたのだ。
 変わってしまった自分の声で。
 
「分からないのか? これは異変なんだよ!」

 そう、異変だ。私には彼女に会う理由がある。彼女に問いただす正当な理由がある。だからこうしてここにいるんだ。

「異変? 大げさね、ただ声が変わっただけでしょ」
「声、だけじゃないんだ。私の身体全体が既におかしいんだよ! まるで現実の身体を置いて意識だけが飛んでるみたいに……。嘘みたいに体が軽いんだ。……体の重さを感じないんだ。……霊夢はどうなんだ?」
「体の重さって何」
「いやだから……」
「私、そんなもの感じたことないんだけど」
「あう……」

 空を飛ぶ程度の能力。そうか。初めからきっと、彼女の身体に重さなんて無いのだ。

「ともかく来てくれ、里の様子がおかしいんだ」
「知ってる。変なのぼりがたくさん上がってるんでしょ?」
「そうだよ、それだよ!」
「何か催し物でも始まるんじゃないの? タイトルは確かキャ……」

 私は詰め寄った。

「知ってるなら……何でそんなにのんびりしてるんだよ!」

 霊夢は掌をこちらに向けるだけで。

「動く必要が無いからよ。誰も妖怪に襲われていない。誰も怯えてなんかいない。特別な危険なんてどこにもない。皆楽しくやってる。私は静かにお茶飲んでる。幻想郷平和。私暇」

 ひどく、はぐらかされている気がした。

「霊夢。お前、何か私に隠し事してないか?」
「してないわよ」
「聞き方が悪かったな」

 お 前 た ち 、だ。

「あー?」
「お前が解決に乗り気でないときは、だいたい何か裏がある。そしてお前に裏があるとしたら……だいたい〝あいつ〟だ」
「知ったような口きいてくれるわね」
 
 彼女は目を合わせなかった。ならこちらも遠慮なく言いたいことを言わせてもらう。

「あぁ、知ってるぜ? 永夜異変のときと同じだろ? あのスキマ妖怪……何を企んでいるんだ? お前は何か口封じされているのか? 私に言えない何かがあるんだろう? なぁ、霊夢。……言ってみろよ」

 ことん。
 盆に湯呑を戻した霊夢。返してきたのは反発でもなく挑戦でもなく、顰蹙の目だった。
 彼女は、私の挑戦を正面から受ける気が無いらしい。

「あのね、悪いけど、魔理沙。今回は本当に関係ないの」

 そんなの、信じられる訳がない。

「嘘だな」
「嘘じゃないわ」
「魔法使いに嘘は高くつくぜ」
「でも嘘じゃないのは本当よ」
「分かった、紫を呼べ」
「だから本当に紫は関係ないって……」

 妙だった。普段の彼女なら、多少は挑発に乗ってくるはずだった。食って掛かってくるまでいかなくとも、否定する言葉はもっと強く、鋭いはずだった。その張合いの無さが、余計にもどかしさを刺激した。

「お前がその気なら私にも考えがあるぜ」
「やめてよ、魔理沙」

 博麗霊夢から……博麗霊夢の声が聞こえない。

「信じてよ」
 
 よせ。そんな声を出すな。そんな言葉を発するな。博麗霊夢。
 そんな目で私を見るな。幻覚に囚われた病人を見るような目で。妄想に囚われてかわいそう、と言わんばかりのその目で……!

「あぁそうかい。なら私から行っていいってことだな……」
 
 私はポケットの中の八卦炉を握りしめた。



「……撃つと動く……!」



 放った、星屑の弾幕。境内に散らばる流星の欠片。そうして初めて、彼女がお祓い棒を手に取った。

「付き合ってもいいけどさ――」

 初めから重さのない、博麗霊夢が宙に浮く。

「――今のアンタじゃ私に勝てないわよ」

 言ってくれる。無抵抗の相手を一方的に叩く趣味の無い私にとっちゃ、それくらいが好都合だ。そう言って次の魔力を錬成した、そのときだった。

「……え?」

 掌に溜めた魔力が、目の前で雲散霧消していった。正直、意味が分からない。こんな初歩的なことに、私が失敗すると……? あり得ない。何故……。
 考えている暇は無かった。そうしている間にも、霊夢の放ったお札が飛んでくる。攻撃が繰り出せない以上、躱すしかない。箒無しで浮遊する慣れない感覚で、間一髪。全ての札を避け切った。
 ……危なかった。こんな弾幕とも言えない弾幕で、何故肝を冷やさなくちゃならないんだ。
 視線の先、遥か上方で霊夢は胸を張っていた。攻撃を辞め、動くこともせず、ただ、じっと。手を抜いているのだろうか? それとも馬鹿にしているのか。畳みかけるような弾幕のテンポが、全くと言っていいほど感じられない。それがまた妙だった。それがまた……博麗霊夢らしくなかった。
 その彼女が、こちらに向けて口を開いだ。

「あんたのターンよ、魔理沙」
「……は?」

 やはりナメているのか。

「ターンって何だよ」
「あんたが攻撃する番だって言ってるのよ」

 疑いながらも、魔力を錬成してみる。こんどは難なく成功した。七色の星をばら撒き、霊夢に迫る。その間、霊夢はやはり攻撃してこない。

「どういうことだ、霊夢」
「何よ、アンタまさか弾幕ごっこのルール忘れたの?」
「私の知っているのと違うんだぜ」

 私の星弾は途中で尽きてしまった。魔力の供給が止まったからだ。また、攻撃ができなくなってしまう。それを察知したかのように、霊夢は今度は針を放ってきた。札よりも素早く、数が多い。多数を避けながらも、いくつかが服を掠めた。

「あぁもう、何なんだよ!」

 ただ避けるしかない自分が情けなかった。弾幕の張り合いの無さが物足りなかった。お互いの力をぶつけ合う、その気迫が味わえないのが悔しかった。

 ――霊夢と本気で向かい合えないのがもどかしかった。

 だから私は八卦炉を構えた。力一杯に握りしめ、込められるだけの魔力を込めた。蒼く、紅く、周囲の霊力までをも螺旋状に巻き込みながら、炉は煙を吐いて発熱し始めた。
 これが私の本気だ。
 やる気がないなら、こっちから喝を入れてやる。呑気に順番を待っているような弾幕ごっこ何て私が許さない。戦いたければ手を抜くな、目を見ろ、私に向き合え……! 
 ターンが何だ。順番が何だ。弾幕にそんなものは必要ない。必要なのは……

「弾幕は、パワーだぜ」

 そして、その符を掲げ、その名を叫ぶ。








   恋符『マスタースパー……







 ぼしゅるるる。







 握りしめた八卦炉。赤熱した反応中心。加圧された魔力の奔流が、突如、圧力平衡を崩し……
 
 ……放たれることなく煙と化した。

 見つめた八卦炉。黒焦げになったその放出口。その黒さはまるで……今朝に見た、私の容の影が如く。
 その表面に、あの表示が浮かび上がった。

〝[!]このスペルは使用できません[!]〟

〝[!]レベルとボールが不足しています[!]〟

〝[!]スペルを発動するには、育成を続けるか、または事前登録を行ってください[!]〟

〝[!](事前登録十万人達成で「霧雨魔理沙」もらえる!)[!]〟



 ――ふざけるな。



「だから言ったじゃない。今のアンタじゃ私に勝てない、って」



 ――ふざけるなふざけるなふざけるな。



「あんた、ボール一個も持ってないじゃない。ほんとにルール解ってるの? このボール、キャ……」



「ふざけるな!」



 ついに口に出た、その言葉。それは許せなかったから。全てが。そして、あらゆる情念がただ一点に集中された。
 
 私から……霧雨魔理沙から、マスタースパークを奪って何が残る。

 幻想郷――少なくとも私が知っている幻想郷――において、弾幕は少女たちが紡ぐ言葉だった。口で交わす言葉とはまた別の、声にならない言葉。それは、口では伝わりきらない感情を、感覚を、興奮を、時に愛情を、時に殺意を相手に伝える力を持っている。そう、弾幕ごっこは私たちなりの会話なのだ。それがあって初めて伝わるものがあると、幻想郷の人妖は皆、知っている。
 その言葉を失うことが、何を意味するか。それは人それぞれかもしれない。大して影響を受けない奴も居るだろう。口達者な奴は、わざわざ弾幕に頼らずとも、大抵のことを会話で済ませられるのかもしれない。

 だが私は違う。

 私に……この言葉は必要だ。

 今目の前で、半ば憐みの視線を向けてくる彼女、博麗霊夢。彼女に話しかけて、まともな会話ができたことなど……一度も無かった。
 できるのは煽り合いだけだ。
 そもそも常識が違う。人間のくせに、考え方が人間離れしている。発想は追い付かないし、思考も再現できない。分かりやすいところは分かりやすすぎて逆に困る。取り合ってくれないことが多いくせに、妙なところですごく怒ったりする。けれど。
 そうして煽り合いの先に在るのが、弾幕ごっこだった。
 そこで初めて、私たちの会話は始まる。言葉の代わりに、弾幕を交わす。そうしている間だけ、私は霊夢が分かった。そうしている間だけ、私は霊夢に敵った。そうしている間だけ……私は霊夢と同じ舞台に立っていた。
 互いに互いのペースで弾幕を交わし合う。思いのままに弾幕を放つ。その一粒一粒に、互いの言葉は込められている。放たれた互いの言葉が混ざり合い、ぶつかり合い、弾けていく。その張り合いが、更に言葉を強くする。危険と隣り合わせ、命のやり取りの間に、互いの心を垣間見る。それが弾幕という言葉の法だ。
 それを少しずつ積み上げて、私は霊夢を解ろうとした。それと同じくらい、私を霊夢に解らせようとした。解らせるという以上に、半ば強引に、それこそ〝パワー〟で、己の内にあるものをぶつけてきた。自分でさえ上手く説明できないようなこの想い、彼女への、言葉では表現できないような想いを、ぶつけてきた。

 そのための、強力にして純粋な〝魔力〟の結晶。
 そのための、巨大で膨大な〝想い〟の総体。
 私がぶつけ得る、最大の感情の奔流。





 それが、マスタースパークだった。

 だから私は……












 それを「恋符」と名付けたんだ。






 もし。……否、今、現実となってしまった恐ろしい仮定。
 マスタースパークが使えないとしたら。
 私が、マスタースパークを失ったら。
 どうやって私は、あいつと言葉を交わせばいい?
 どうやって私は、あいつに想いを伝えればいい?
 どうやって私は……



 ……あいつに恋を語ればいい?



 分からなかった。解らなかった。判らなかった。

 目の前に迫る陰陽玉。それを避けることもせず、それ以前に、私は打ちのめされていた。

 ――墜ちる。

 天から地へ、巫女から魔法使いへ、博麗霊夢から霧雨魔理沙へ。言葉の籠らぬ、型と順序に縛られた、物理的な衝撃としての弾幕が下された。

 痛み。

 それ以外に何もなかった。

 言葉も、想いも。敵意も、殺意も。憐みも、侮蔑も。

 何も感じなかった。

 それが――



「――それがお前の……言葉なのか?」



 そうか。
 そうなのか?
 そうなんだな。

 この痛みが、お前の答えなんだな。







 〝言葉〟を失った私に。

 それを確かめる術は、もう、無い。




















 *   *   *


 簡単なことだったんだ。
 口で伝えられなくて、私は弾幕という言葉を使った。けれど。
 口に頼らない言葉なんて、他にもあるじゃないか。
 それも。
 これも。
 お前が教えてくれたんだぜ、霊夢。

 私は博麗神社に居た。
 あれから数刻と立たない、その日の夜。
 手に握っているのは、八卦炉、ではない。
 あの言葉は、もう、私には使えないから。
 だから別のものを握っていた。

「うぶ……ぁ……」
 
 霊夢が息を吐くのを、耳元、すぐ傍で感じる。
 ――こんなに近いのは初めてだ。

「魔理……沙……?」

 なぁ霊夢。
 今なら全部聞こえるぜ。
 お前が零す嗚咽も。
 浅くなっていく呼吸も。
 鈍くなっていく心拍も。
 お前の……全てが。

「……どうして、っ……!」

 痛み。
 それは私が、新たに学んだ言葉。
 口での会話とも違う、弾幕ごっことも違う、もっとまっすぐで、純粋で、強くて、鋭い言葉。
 私に相応しい言葉。
 
 抱き寄せた。霊夢の体は小さくて。私と同じで、そこに重さは感じられなかった。
 お前と一緒になれるなら。私もこのままで、よかったのかもしれない。
 そうしてまた。霊夢が体をよじらせた。刺さったものが食い込んで、きっと奥まで届いている。

 私の言葉が届いている。

 こんなに簡単に、自分の言葉を届けられるなんて、知らなかった。それが嬉しくって、私の腕には、自然と力が籠った。
 ぐりぐりと。
 ぐりぐりと。
 ぐりぐりぐりと。
 手に握ったものを、私は強く押し込んだ。
  













 そう。



         〝恋符〟



 と刻まれた包丁を――















 ――彼女の最期に。



 私は耳元で囁いた。


























































「……恋符…………マスタースパーク」


















































 *   *   *






 数週間後。霧雨魔理沙は身体の重さを取り戻した。身体の上に浮かぶ〝十万人事前登録達成記念!〟というポップアップを指で弾き飛ばし、起き上がる。もう残像は残らない。影も残らない。分離もしないし離脱もしない。しっかりと感じる重力。自分はそこに居る。地に足を付けて生きている。それが有難いと想えたのは初めての経験だろう。

 彼女は何も違和を覚えていなかった。自分を自分として疑うことなどなかった。その幻想郷において、それは紛れも無い、霧雨魔理沙だった。

 あなたは問うかもしれない。

 ――彼女は博麗霊夢を亡き者にしたのか?

 その質問には彼女自身が答えてくれる。

「そんなこと心配する必要はないぜ」

 朝一番に、部屋には、明るい声が響き渡っていた。

















「またガチャで引けばいいんだからな」


















 *   *   *
 よく耳を澄ませてみよ。

「今日も来てくれてありがとな」

 その明るい声が、きっとあなたのスマホから聞こえてくるだろう。

 さぁ、ログインボーナスをゲットして、少女の育成に励むのだ。
そひか
[email protected]
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.620簡易評価
1.100サク_ウマ削除
邪悪すぎるでしょ……
まさか本当に魔理沙もらえるで一本書いてくる人がいるとは……
おみそれしました。面白い作品でした。
2.100大豆まめ削除
これが、シリアスホラーかと思ったらシュールギャグで最終的にヤンデレまりちゃんを見せられたときの表情!
どうしてこうなったの…
3.100雪月楓削除
やはり天才か
4.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
7.100名無しのハンチング妖怪削除
こういうのすごく好き
12.100終身削除
台詞回しや描写の表現に力がこもっていて普通の人間なら経験も想像もしないだろう状況に感情移入できるだけの説得力を持たせてくるかと思いきや、最後の最後で皮肉のきいた一撃で一気に現実に引き戻してくる感じがまさに衝撃でいちいちびっくりしながら読んでました
13.100とろもち削除
例の霧雨魔理沙貰える!1つからここまでお話が広がるとは…。突然塗り替えられた幻想郷の不気味さを例の件で矢面に立たされた魔理沙から描いたホラーめいた展開かと思えば、その侵略は幻想少女の、特に霧雨魔理沙の致命的根幹にまで及んでしまう…考え込まれた驚きの連続で楽しかったです…。
14.90上条怜祇削除
タイムリーな話でよくこんな早くできるなぁと驚きました
中盤の何とも言えぬ気持ち悪さもよかったです!
15.100ヘンプ削除
なんだこれ……なんだこれ……すご……
最終的にそうなったのが好きでした。
16.100南条削除
面白かったです
シュールなのに魔理沙だけまじめにシリアスしててよかったです
配役がそれらし過ぎてたまりませんでした
18.100名前が無い程度の能力削除
キャの話をこの時点でやってるのが素晴らしいすぎる
絵がありありと浮かんでくるのも非常にコレクト。