「くしゅん」
霊夢のかわいらしいそれは博麗神社の境内にひろがっていく。
雨風を受けて傾いた守矢の分社に、苔のむした石造りの灯篭。
灯篭が左右に置かれた間に石畳が続き、その道の先で逆向きの鳥居は色が剥がれている。
鳥居を超えた向こう先の幻想郷から舞い込む風は境内に茂る草花を揺らす。
鼻先を赤くする霊夢の見える世界は蒼色に染まる。
陽光は蒼空に散らばった雲の明暗を強調させる。
その時々に自然は色を多様に変えて異彩な風景へ変容する。
果てが見えない今の風景は茶や黄色などが雑多に混じっていた。
「そっ、か」
繋がった内外の境の向こうで広がっていた幻想郷の姿は霊夢の勘に警鐘を鳴らす。
霊夢の言葉に秘められた熱が冷えるよりも、その動作は早かった。
床の間で広げた蒲団はそのままに、脱衣しながら着物棚から腋出しの紅白色の巫女装束を取り出す。
不自然にシーンを抜き出したパラパラ漫画のように切り替って霊夢の装束が入れ替わる。
着替えを終え、右手に持つリボンを髪に結ぶ霊夢は神社を飛び出してすぐに空へ浮きだした。
結び終えたリボンが浮き、逆風を受けて形がくずれる。
くずれたリボンが髪から抜けて境内へ流されていく。
髪の違和感に気づいた霊夢はそのまま振り返ってリボンへ右手を伸ばす。
「よっ、と」
そのリボンに手が届くより先に薄緑色の髪の少女がリボンをかっさらう。
少女はかっさらった勢いを減衰させながら石畳の道で止まる。
「落としましたよ、霊夢さん」
「あ、ありがと」
あうんは振り返って愛らしい笑みを浮かべながら霊夢にリボンを差し出した。
差し出されたリボンを霊夢は右手で受け取る。
「どうか、しましたか」
あうんは霊夢のリボンを受け取り方や髪に結び方などの細かい部分にどこか忙しない印象を受けた。
様子を伺ったあうんに霊夢は答えることなく黙々とリボンを髪に結ぶ。
その動作が終わって尚、二人は静かだった。
霊夢はそれを告げる逡巡して口を開いたり、閉じたりする。
「人里で、用事ができたのよ」
口の開閉を何度も繰り返して出た霊夢の言葉はあうんをきょとんとさせた。
何を躊躇ったのかとあうんに疑問を抱かせる。
「そうですか、人里に用事ですか」
「え、ええ」
向かい合う二人のやり取りの末に、霊夢の左足先だけが鳥居へ向けて動く。
それを見落とさなかったあうんは一瞬目を閉じて霊夢と視線を重ねる。
「分かりました。 お気をつけてください、霊夢さん」
あうんはそれ以上、言及することはせず見送ることを選んだ。
手を背に、足をまっすぐに優しく霊夢を見守っている。
「うん」
あうんの言葉に目を丸くする霊夢は気遣いを甘える。
逆さ鳥居へ振り向く間際、霊夢の口角が少し上がったようにあうんは見えた。
鳥居の直前まで移動した霊夢の全身が空へ浮かんで博麗神社から遠くなっていく。
「いってらっしゃい、霊夢さん」
彼女の姿がだんだん小さくなっていく最中にあうんは独り、寂れた境内で立ち尽くす。
霊夢が飛び去った蒼空をあうんは眺めていた。
微かに見えた彼女の口元と、背の姿がまだ狛犬だった頃の自分の記憶と重なる。
靄のかかった記憶から昔、台座から見えていたかつての情景が蘇る。
暗雲が空を覆い、陽光も隔てられた世界に浮かんだ紅白の巫女装束を纏う女性。
女性の背中と、その口元の上がり様が霊夢と一緒だった。
「掃除でも、しましょうか」
あうんの記憶に残っていた女性の姿はそれだけだった。
女性が此処へ戻ってきたかどうかは今のあうんには判らない。
ただ、あうんは彼女が此処へ帰ってこられるように護ることを、勝手に選んだ。
また彼女が此処に帰って、いつもと変わらずに在り続けられるようにと願って。
霊夢だけでなく、記憶に浮かぶ女性も帰ってくることも祈りながらあうんは社務所に置かれた箒を取りに行った。
「少しばかり、待ってな」
その言葉は男性から告げられる。
戸が閉じる聞こえが良い木がぶつかる音が小さく鳴った。
閉まった戸を前で霊夢は立っている。
霊夢はその戸を背にして振り返り、昼時の活気に溢れる人里の方面へ歩いていく。
愛想が良くない男性とのやり取りは霊夢にとって昔から馴染みがあった。
だから、霊夢はその態度を踏まえて用件を伝えた。
男性へ急な用件を申し立てるばかりで、どこか内心に申し訳なさを霊夢は抱いていた。
しかし、男性は思考が読めない冷えた表情を浮かべて文句や意見を言うことなく作業場へ向かう。
霊夢にとって古い付き合いだが、仕事以上の付き合いがある間柄ではない。
何かある度に霊夢が依頼し、男性は依頼通りに品を仕上げて渡す。ただそれだけの関係。
依頼者と受諾者という関係の上で成り立った上辺だけに霊夢は慣れていた。
霊夢に対してどんな感情を抱いているか判らない。
「今からなら、夕暮れ頃には出来てるでしょ」
依頼物ができる時間の大まかな推測して、霊夢は人里を散策することにした。
博麗の巫女としての業務を真っ当すべく気が萃まる場所へ霊夢は進んでいく。
昼頃の人里は、往来の通りに溢れた人妖の行き来に盛んだった。
男女老若の見た目に問わない多様な人ノ形の保つそれらが霊夢の横を過ぎていく。
それらは霊夢を観ながらそれぞれに異なった反応を浮かべていく。
絡む視線を敢えて横目にする者、口を押えながら隣の誰かとひそひそ話す者、指をさして朗らかに挨拶をかける者。
時には愛想を良く振る舞い、時には鋭く目を尖らせながら牽制し、時にはそれを観ただけ流すこともする。
無意識に手慣れた様子や仕草を振る舞う。
それが正しいのか、間違っているのか霊夢自身は良く解っていない。
正しいも間違いも踏まえた見本となる背に霊夢は覚えが無かった。
父や母、兄弟姉妹などの血縁がある誰かと過ごした時間を無い。
脳裏へ蘇る記憶はかつての恩人なる『彼女』から授かった神社での立ち振る舞いぐらいなものだ。
そこから培ってきた記憶が博麗霊夢に繋がってこの人ノ形を成していた。
故に、その根たる自身すらも霊夢にとっては無いにも等しい。
ただ博麗の巫女として必要だった要素をそれを埋めるように補填させ続けている。
肩書きである筈の博麗の巫女が、博麗霊夢にとっての総てに成っていった。
稀に芽生える疑心がふと浮きあがって霊夢はその思考へ意識を埋もれさせてしまう。
「れーいーむさぁーんっ」
意識が思考に深けていた霊夢は横からの声に気づいてなかった。
「え、あ。あぁ、小鈴ちゃん」
「やっと気づきましたね、反応が無いからびっくりしましたよ」
KOSUZU、とローマ字が振られたエプロンを着ける小鈴が声を呼んでいた。
「ええっとごめんね」
「別に構いませんが……何か、考え事でもしてたんですか」
「いやぁ、別になんでもないのよ」
「ほ~んとうですか~……ま、まさか」
推理の先に行き着いた答えに小鈴の頬が紅く染まっていく。
腋に抱えていた本で顔を隠しながらちらっと霊夢を見ながら悶える。
「そうですよね、霊夢さんもそろそろよいお歳ですもんね……」
「一体、何を考えているのよ……それより、最近は始めたアレはちゃんとできてる」
話をすり替えるように霊夢は小鈴へ妖魔本について尋ねた。
「ああ、アレですねっ。ちゃんと管理も、受け渡しもできていますよ」
話題に乗っかるように小鈴は目を輝かせ、胸を張って自身を誇示した。
『博麗の巫女』側へ仲間入りした小鈴は以降、その活動を広げていった。
貸本屋『鈴奈庵』の活動が広がりを強め、隆盛を迎えている。
普段から店舗に篭って書籍管理に励む彼女が本を抱えながら外出する姿はそれを物語っていた。
人間や妖怪にまで影響を及ぼすまでになっている営業。
まだ導入したばかりの妖魔本貸出も営業拡大の反面として、表立って活動をしない隠れた妖怪の呼び水となる。
故に、霊夢として『鈴奈庵』への監視が強くせざるを得なくなった。
悩みの種が増えたが、小鈴が浮かべる笑顔を見る度にそんな気持ちはどこか薄れていった。
「そこのお嬢さん方、面白いことをしているなら混ぜてもらえないか」
彼女達の頭上から声が聴こえる。
二人揃って見上げた先には箒に跨った白黒の魔法使いの姿があった。
浮いた箒から飛び降りて小鈴の隣に並ぶ。
「ちょ、あんた」
「途中で見つけたもんでなぁ」
「だからってここは」
「いやぁ、空を飛べるって凄いですね」
勢いのまま応酬を繰り広げる二人が他所に小鈴は目を一層輝かせる。
その言葉に巫女と魔法使いは違った反応を示す。
「だろぉ。あっちこっちへ外に出る時は便利だからな」
「移動する時は便利だけど、目立って狙い撃ちされやすいから不便よ」
「出来ることに、こしたことはないけどな」
小鈴が片手を槌に見立てながら軽く反対手の掌に打ち付けるような仕草をする。
#挿絵:次# 挿絵 REN.jpg
続いて、霊夢と魔理沙に迫っていく。
「そう言えば、お二人にお聴きしたいことがあったんですよっ」
迫る勢いに押されて一歩体を後ろへ引くように二人は姿勢を変える。
「スペルカードって。どうやって作るんですか」
小鈴の期待と関心を込められた眼差しが二人に向かう。
「スペルカードって、小鈴ちゃんもやるの」
「そうですよっ。空を飛びながら、あんなに綺麗な弾幕を撃ちあうなんて楽しそうじゃないですかー」
霊夢の悩みが増えたような気がした。
頭部に手を当てながら息を零す霊夢と変わって、魔理沙は小鈴に対して満面な笑顔を浮かべる。
「だろうっ、スペルカードはいいぞー」
「ほんっと、そうですよ。あんなにきらびやかで、鮮やかな弾幕を魅せられたら自分も遊びたくなりますっ」
二人が向き合ってスペルカードを語り合う姿を霊夢は眺めていた。
その考案と公表に携わった人間として許容されている様子に安堵する。
これまで幾度も起きてきた異変を通じて周知度が増していった効果かもしれない。
けれども、その反面としてスペルカードが本質から外れていく可能性があった。
人間が下手に妖怪へ挑むことがあれば、それは霊夢の本来の思惑から外れている。
スペルカードは自身を表現を模した手段であり、誰かを傷つける為の方法ではない。
そのような形で広まった現実を霊夢は受け入れながら人里を監視する。
「どうしたら空を飛んだり、弾幕が撃てるようになりますかっ」
本来、スペルカードにそんな要素が前提になっているわけではない。
「――――要らないわよ」
雰囲気が変わった。
盛況だった空間は突如として静寂に包まれた。
霊夢が告げた一言は、その場に居た二人を鎮めた。
「えっ」
予想もしなかった霊夢の言葉に二人の様子は一変した。
意気揚々に投げかけた小鈴は口が止まって、呆然と霊夢へ視線を向ける。
魔理沙から言葉は出てこなかった。
喜色満面だった幼い顔は口を閉じて両目を見開き、細くなった視線は談笑相手だった小鈴から動かない。
言三人の間に漂う空気は冷えていった。
「――なぁ、霊夢」
魔理沙の声だった。
先ほどまで含まれていた温かみが一切消えた声質で、淡々とその名を呼ぶ。
「何かしら」
魔理沙と霊夢の視線が交わる。
その視線が何を伝えたいのか霊夢には判らない。
魔理沙の雰囲気が変質していたことだけは霊夢は見て取れた。
「一つ、聴きたいことができたんだ」
二人の間の距離が縮まった。
魔理沙が霊夢へ向けて歩いていく。
箒が軋みを上げ、被っていたウィッチハットへ魔理沙の手は伸びていた。
一寸先ほどの距離を空けて向かい合う。
寸分のズレや狂いもなく綺麗に整った魔理沙の顔が霊夢にはよく見える。
「――お前にとって、スペルカードってなんだよ」
そんな魔理沙の顔はどこか泣きそうだった。
「――空を飛ばなくても、弾幕なんて必要じゃない」
霊夢の勘がひとつ大きく鳴った。
「私のスペルカードは、私自身を表現する為の、この世でもっとも無駄な遊び方よ」
魔理沙は言葉を返さない。
ウィッチハットに入れていた手が滑り落ちるように外へ出ていった。
「そっか」
対面する霊夢に対して魔理沙はそう告げてから横を過ぎていく。
最後に、霊夢の耳元へ小さく、怒気がこもった言葉を残す。
「――――そんな言葉を、お前から聴きたくなかった」
霊夢の背は風を浴びる。
魔法使いが蒼空へ飛んでいった。
逢魔時を迎える幻想郷。
あの後で小鈴と別れた霊夢は転々と人里を歩きながら思考に耽る。
魔理沙の言葉が耳に残響している。
彼女が残したそれに込められた想いが何であったのか。
その解答を見出せぬまま霊夢はまたあの場所へ戻っていた。
見慣れた古い木の戸はまだ閉じている。
戸を前にして霊夢は小さく息を溢す。
内心に巡る整理できてない感情を蓋をしてから軽くノックをした。
「……よう、できてるぞ」
煙管を口にくわえながら先の男性が出てくる。
吐き出される紫煙の濃さはまだ薄い。
その男が右手に握られる一升瓶がそのまま霊夢に渡される。
簡素な包装や、袋などが用意されていないことを霊夢は知っていた。
他のよりもここだけが酒が美味で、『彼女』の嗜好であった事から霊夢は利用している。
「ありがとうございます」
視界に入る前髪を横に流しながら差し出された瓶に手を伸ばした。
一升瓶の冷気が伝わりながらも霊夢はそのまま握った。
握った瓶を引き込む霊夢に違和感が襲う。
男性の手から一升瓶が剥がれていなかった。
「あの、離していただけませんか」
濃くなった紫煙を吹かす男性は手を離さない。
一瞬、霊力の使用を霊夢は検討する。
男性の手は剥がせるが、瓶がそれに耐えられないと予感した。
「なにがあった」
低く、冷たい男性の声が霊夢に届く。
「何でもありません」
「言え」
霊夢の返答に、男性は即答する。
若干どんよりさせられる振る舞いに霊夢は息を零す。
「貴方には関係ないことです」
「いいから話せ、何があった」
男性の圧と力が増していく。
ずうずうしく何が何でも答えない限り離さない意志を霊夢は感じる。
変な絡みは言う通りにするのが早いと霊夢は知っていた。
「魔理沙と口、喧嘩みたいなことをしたんですよ」
「スペルカードってご存知ですよね」
「人妖の均衡を維持する為に、お前さんが立案したやつだったな」
霊夢は男性の説明に頷いた。
「それは建前です」
胸に秘めていた真実を霊夢は躊躇いなく、淡々と告げた。
「異変を起こしやすいとか、人妖でもできる遊び方とか。それらしい理由を私が、付け足したんです」
男性の顔は仏頂面で、霊夢の言葉を静かに聴いている。
「――――『あの人』の姿を、残したかった」
その言葉は恥ずかしそうに小さい声だった。
悪戯がばれた子供が親に伝える時みたいな躊躇いを隠しきれていない声質。
「私が忘れたくなかったから、スペルカードルールを制定させました」
「空を飛ぶことも、弾幕なんて必要じゃないんです」
煙管から排出されていた紫煙の濃度が強くなった。
男性は口でそれを加えながら落とさず器用に口を動かしていく。
「そりゃ、お前さんが悪いわ」
予想できなかったその言葉に霊夢の心が刺さる。
これまでに培った霊夢の考え方や価値観を揺らがせるには十分だった。
「……えっ、なん」
「――自分が頑張ってきたことを、踏みにじられたら怒るわな」
いきなり男性の手が瓶を離した。
言葉もない突然の出来事と、先の衝撃が重なって霊夢の反応が遅れる。
巨腕が伸長され、その掌が霊夢の頭を覆う。
髪の流れに沿って分厚い掌の皮が滑る。
二人の伸長差も相まって娘を撫でる父のような構図ができあがった。
「霧雨の嬢ちゃんにとってスペルカードは、お前さんにとって『あの人』みたいだから、怒ったんだよ」
霊夢はそこで初めて気づいた。
自身にとって『あの人』が踏みにじられ、否定されることへの怖さが在ることを知った。
あの時、哀しい顔だった魔理沙の気持ちを、霊夢は自身を見つめて理解できた。
「魔理沙に、ひどいことしちゃった」
一升瓶を握っていた霊夢の手が震える。
男性は手慣れたように撫でる掌をゆったりと弱めていく。
霊夢の感情の緩みをすこしずつ落ち着かせながら宥めさせる。
「霧雨のお嬢ちゃんの気持ちが、解かったな」
「うん」
「――なら、行きな」
男性の掌が霊夢の髪から離れる。
霊夢へ向けていた体を旋回させて背に変え、戸の奥へ入っていく。
「ま、待って」
男性の足が立ち止まった。
「わたしはどうしたら、どうしたらいいのっ」
動揺する霊夢の声は、彩った紅葉を運ぶ妖怪の山から流れる冷えた風の音に消える。
「言ったろ、行きな。そうすりゃ向こうが勝手にやってくるだろうさ」
右手を挙げながら奥へと進んでいく。
陽光で照らされない部屋の影へ吸い込まれるように男性が霊夢の視界から消えていく。
「霧雨のお嬢さんがこれぐらいで縁を切る奴じゃないことは、お前さんが一番知ってるだろう」
それを最後に、男性の右手が乾いた音をたてる。
一升瓶を掴む霊夢の手に力が入っていた。
「――行かなきゃ」
博麗霊夢は陰陽がまじった空へ浮かぶ。
幻想郷の東の端にある自分の居場所へ向かっていく。
初めて気づいた自分の気持ちを、伝えにいく為に。
日が山へ傾き始めた頃、霊夢は神社へ降り立った
霊夢は御神酒の瓶を右手に、すぐさま本殿へ入っていく。
内に鳴る勘の音が次第に強くなる。
間もなく、それの音の隆盛が過ぎて叶うだろうと霊夢は予感している。
本殿を歩いてすぐに入り慣れた台所へ進み、使い古された戸棚をひく。
左手で棚の中をもがくように漁りながらある物を霊夢は探す。
やがて、その小指にそれが引っ掛かった感触を経て漁りを止めた。
静かにそれを掌で包み、戸棚から腕を引き抜いてから台所を後に移動する。
触れ馴れたそれが探し物であることを霊夢は感じていた。
夕焼けの陽光が差して壁策と霊夢の影を床に描き、奥には像が置かれるはずの台座がある本殿。
その台座を前に置かれた木製の奉納台に掌に包むそれを静かに置く。
少女らしい小さい掌で包めるほどの大きさの盃が陽光に照らされた。
瓶先を覆う和紙が千切れないよう丁寧に外していく。
和紙で隔たれていた酒気が微かに漏れ、霊夢の鼻腔が酒気に犯される。
霊夢の意識が一瞬、浮わつく。
度数がかなり強めに酒造されたそれの薫りは呑み慣れていた霊夢をも誘う。
喉が鳴り、そのまま瓶先を唇で包みたくなる衝動を抑えながら盃に注ぐ。
奉納台に載る盃の水面に薄く白けた陽の姿が映る。
「お帰りなさい、霊夢さん」
背から響く声を届いて霊夢が振り返る。
今朝に霊夢を見送った狛犬、あうんが本殿の中央に立っていた。
「……ただい、ま」
若干遅れながらも霊夢は返事を返した。
あうんの表情が背に浴びる陽光の影で霊夢には見えない。
「そちらが、今朝の理由でしたか」
表情が陰るあうんは低い声で霊夢に尋ねる。
座る霊夢の腰からはみ出る酒瓶が安易に存在を示す。
「ええ、これが必要だったのよ」
おくびもなく霊夢は返事する。
あうんの顔はまだ見えない。
「……ほかに」
ゆったり開くあうんの犬歯が丸いように見えた。
「ほかに、やることはありますか。霊夢さん」
その声は小さく弾んだように霊夢には聴こえた気がした。
「……一つだけ、お願いしてもいい」
掠れるような小さな声で霊夢はあうんに聴いた。
あうんとは先の異変を経て話ができるようになったばかりの短い縁である。
文句も、意見もせずただ勝手に居座って神社を見護ってくれる狛犬。
霊夢が告げて、それを真っ直ぐ従ってくれる彼女へ申し訳なさのような罪悪感を抱いていた。
「はい、仰ってください。わたしは 」
それにすがるように、甘えるばかりな霊夢はそれでも今日はと願いを告げる。
すがりも、甘えすらも感受して受け入れる優しい狛犬がいた。
「此処で勝手にお護りしているだけの、ただの狛犬。高野あうんですからっ」
鳴り響く勘の音がまた、強くなった。
「……春が、くるわ」
幻想郷から寒気に帯びた風が流れ込んでくる。
浴びるように受ける風で、霊夢の背筋が震えた。
紅葉が川面に浮かんで流れ、地へ熟して落ちた木の実を小鳥がすくう。
初秋の季を迎えた幻想郷で霊夢は静かに告げる。
「……その春を邪魔されたくないのよ、だ」
「だから、私が護ったらいいわけですね」
あうんは霊夢へ背を向け、本殿を後に歩いていく。
霊夢との距離が変わるにつれて影が細長くなっていった。
影が霊夢の体に重なる。
「それじゃぁ、霊夢さん」
首を振り返ってあうんは霊夢と視線を交わす。
「いってきます」
あうんの体が夕日が輝きつづける空へ飛んでいく。
霊夢は小さくなっていく彼女の背中が視えなくなるまで眺めていた。
絞めつけるような小さい痛みが霊夢の胸で弾ける。
ナニカを伝え忘れてしまったような違和感が残っていた。
霊夢は手を胸に抑え、それを深く、ゆっくり奥底へ沈めていくようにしていく。
奉納台をそのままに立ち上がって本殿の中央に移動する。
足袋と床の擦れた微かな音が響く。
巫女装束の裾から落ちる御幣の端が霊夢の左手に着く。
御幣が左右へ払われて空気を叩く音が数回鳴った。
背は陽に、眼前を影で占められた境の間で霊夢はそのまま静かに両眼を閉じる。
本殿内に漂う空気は微かに揺れ、その柔肌に刺激が走った。
遠くどこかで聴こえる衝撃音はもう届かない。
紅白の巫女装束は空に舞う。
霊夢の全身が縦横無尽に床の上で踊っていく。
紙垂は揺れ、裾がたなびき、髪が流される。
陽光が霊夢を引き立たせながら周囲へ散っていく汗水を輝かす。
妖怪退治を通じて精錬された霊夢の肢体が魅せる端麗な舞があった。
霊夢の意識は浮いていた
閉じる瞳の奥で霊夢は情景を浮かべ、かつての想いを内心に抱く。
ひどく曖昧に雑じった『彼女』の記憶。
四肢や体幹、重心の傾向具合まで想い抱いてきた『彼女』の舞を霊夢が表現していた。
時間と伴に融けすぎた部分を霊夢自らのアレンジで補いながら舞の形を創っていく。
かつてに魅せられていた『彼女』の姿を、舞を、表現を忘れてしまわない為に霊夢は続ける。
寂れた有閑神社で紅白の巫女は独り供物と踊りを捧げる。
目蓋を開く。
額の汗が流れて筋ができ、それの行き着く先に目があった。
染みる痛みを払おうと裾で拭う。
霊夢のぼやける視界に広がる蒼暗色の世界。
欠片のように散らばった光源にひとつ大きな形を成した楕円があった。
それらに後ろに、人ノ形を成した影が視えた。
やがて焦点が当たり、視界の映るその影がはっきりしていく。
渦を巻くように金色の束が靡き、連なった星々の河のように輝いた。
ウィッチハットを頭にのせる影の瞳に霊夢は見覚えがあった。
砂粒のように小さい星々を浮かべた小さな宇宙がそこにあった。
「魔理沙」
影が一瞬、震える。
宇宙の形が少し形を崩してちいさくなった。
それでも宇宙は、独りの巫女を留めようとその姿を映し続ける。
夜風に体が冷える。
黒い髪先から雫が床にできていた小池の痕へ滴る。
「いやな、そのなんだぁ」
魔理沙は重なった視線を逸らし、首をあっちこっちに向けていく。
やがて顔をうずめるようにウィッチハットの鍔を下げて霊夢から見えないようにする。
隠しきれていない一部の肌が、紅く染まっていた。
「……わるかったな」
照れくさそうにする魔理沙の姿に霊夢はそっと息を零した。
霊夢の全身が脱力し、かたくなった筋肉や腱が自然と解されていく。
「ねぇ、まり……」
告げようとした瞬間、勘が鳴り響く。
これまで以上に強く、高く鳴って内心へ警告する。
「何の用なの」
御幣を握る力が強くなっていく。
安らぎに満ちていた霊夢の視線が鋭さを増して射貫くように魔理沙を見ている。
魔理沙はそれを受け、体を強張らせる。
「……お前に、聴きたいことができてな」
ウィッチハットの鍔を指で上げる。
「弾幕ごっこを始めたのは、お前だったよな」
「スペルカードが広まって、私みたいな人間も、妖怪や妖精だって遊ぶだろ」
「それは大抵、空に飛んで弾幕ぶっ放して自分を出すもんさ」
両手を挙げながら体をふらつかせながらのうのうと言葉を続ける。
「でも――お前は、それを否定した」
その語意は強く、真剣のような鋭さが帯びていた。
「空に飛ぶことも、綺麗に弾幕を放っていくことも、霊夢。お前は否定したんだ」
「私はさ、ずっとお前の弾幕に魅せられてきたんだ」
「真似がしたくてさ、ずっと誰かを追いかけてきたんだ」
魔理沙の口が歯ぎしりのような固い音が響かせる。
「それをお前は、私を否定したんだ」
一瞬の沈黙を過ぎて魔理沙は口を動かした。
「なぁ、霊夢。それでも、お前は私のスペルカードを否定するなら――魅せて、くれよ」
ただ哀しみをこみ上がった気持ちを言葉に載せ、魔理沙は霊夢に悲願する。
「あの時みたいにさ。お前が言った空も飛ばず、弾幕も要らないスペルカードを魅せてくれよ」
二人は言葉を辞めた。
黙り込む二人に漂う静寂な雰囲気に包まれた本殿へ差し込でいた月光が遮られる。
遮られた光は、それぞれの顔すら確認できないほどの陰を生む。
魔理沙の言葉が、霊夢の内で反響する。
疑心と虚偽を抱かせないその想いは霊夢の心へ融けていく。
自身が抱いていた想いと重なった。
霊夢にとってスペルカードの理由なんてどうでも良かった。
初めて『彼女』が魅せた表現が美しく、それを忘れてしまいたくなかった。
霊夢だけが知るその表現を忘れないように、心に残し続けたいと願った。
それを考案し、成立させた手段がスペルカードルールと成った。
いつしかそれは空を飛びながら、弾幕という事象を起こして個々の美の表現へと移り変わった。
霊夢はそれでも構わなかった。
『彼女』を忘れず、形に残していられるだけで救われていた。
「そうだった、わね」
暗雲は過ぎた。
霊夢はゆっくりと足を進める。
軋む床の音を鳴らしながら魔理沙へ向かっていく。
彼女達の距離が縮まっていくについて心音と勘が高まっていく。
それでも、霊夢は落ち着いていた。
魔理沙を前にあと一歩を残した所で霊夢は右に逸れる。
そのまま横を通りすぎ、段差を下ってそのまま石畳の道を歩く。
凛とした表情を浮かべながら左裾へ腕を通し、仕舞っていた二枚の符を指に挟む。
無地で絵柄すらも刻印されていない一文字だけが記されている。
後はそれらを裾から取り出して宣言するだのみだった。
だが、霊夢は宣言できなかった。
符を挟む指と腕が震えている。
秋冷の風を受けて冷えたわけでもなく、汗が染みた巫女装束に濡れて冷えたわけでもない。
霊夢の心に躊躇いがあった。
これまでに表現してきた自身のスペルとは違っていた。
霊夢が誰かに魅せて披露することを意識しながら表現することは過去にない。
自身の在り方を表現する行為への緊張が、霊夢を襲って震えをもたらした。
霊夢は怖がっていた。
かつて霊夢が魅せられた『彼女』に代わって表現することを恐れている。
内心でずっと培って続けた『彼女』への想いを、否定される可能性が霊夢の心を縛った。
鳴り響く勘と、内に芽生えた恐怖が重複して霊夢を焦らせる。
荒れた呼吸のままに落ち着かない霊夢はさらに心を掻き乱した。
「霊夢」
声が背中から届く。
微かに震えたその声を霊夢は覚えている。
『博麗霊夢』と成ってからずっとその声が届いていた。
『彼女』がくれた名前をこれまで覚えて、呼び続けてくれていた。
後ろから、隣から、前からその名前を呼んでくれた人間が居た。
何があっても一緒に居てくれた、普通の魔法使いの声があった。
「うん」
躊躇いはなくなっていた。
震えていた指に挟んだ符に力を込めていく。
霊夢は目を瞑りながら『彼女』を想い出す。
月光に照らされた紅白の装束を身に纏った女性の姿。
想い返す『彼女』の姿を霊夢は自身に再現させていく。
誘蛾灯のように曙光を鮮やかに放つ符が霊夢の裾から引き出された。
「風符――――、花符――――」
たった一文字だけの名前が授けられたスペルカードの源流。
境内で根を張る花々に放たれた符の光が宿る。
光は宿った花の輪郭を描くように繋がって光色の花を創り出した。
緑色の凪が境内へ舞い込む。
凪は『彼女』を取り巻くように気流を形成していく。
光色の花が凪の気流へと乗った。
気流に沿って流される光色の花は暗天の空をキャンパスに散らばって『彼女』を輝かせた。
忘れずに想い描いていた霊夢の幻想と一緒に、霊夢の内で鳴る勘の音が消えた。
縛るモノが無くなり、普段の自身に戻った霊夢はゆっくりと目を開く。
「あぁ――――良かった」
桜の森が広がっていた。
境内を囲うように薄紫の桜が咲いていた。
霊夢の勘が警告していた事はこの光景だった。
不定期に訪れるたった一夜だけの幻想が顕れる。
霊夢は魔理沙に向かって足を進める。
やがて二人の距離は一寸もないまでに近くなった。
その距離で、霊夢は手を魔理沙に伸ばす。
霊夢の掌が金髪の河に触れた。
河に沿って指を端から端まで流していた途中で魔理沙が霊夢を意識した。
数瞬の間を経て、魔理沙の頬が紅くに染まっていく。
浮かべる表情は嬉しさと恥ずかしさが混ざったような可憐さがあった。
「どう、だった」
霊夢は内心、『彼女』のように巧く表現ができたかどうか半信半疑であった。
緊張が解けた霊夢の目から涙線が頬を沿って落ちていく。
一瞬、その顔に驚きながら魔理沙は紅い頬に笑みを浮かべて真っすぐ霊夢を見る。
「――綺麗だったぜ」
一寸先に居る霊夢だけに届く小さな声だった。
「――そっ、かぁ」
涙線が束状となっていく。
忘れずに残った記憶を頼って霊夢が『彼女』を表現した。
ずっと記憶に抱く『彼女』が認められた事が何よりも霊夢の心を充足させる。
そんな初めての経験が、霊夢の胸の底から感情が溢れさせる。
止まない涙に柔らかい布が当てられる。
涙にぼかされた視界が鮮明さを取り戻していく。
頬を紅く染める目尻に涙を溜める魔理沙の顔があった。
「珍しいな、お前が泣く顔なんて初めてみたぜ」
「――――ごめんね、魔理沙。ほんとうに、ごめんね」
「……気にすんな」
一寸先で見つめ合いながら彼女達が笑った。
目尻に残った微かな涙を浮かべながら互いに気持ちを隠すように。
「これで終わりじゃないだろう」
魔理沙がにたりと口角を上げながら霊夢に告げる。
ハンカチを持った手の親指が指す薄紫色の桜がその真意を明らかにしている。
「――――仕方ないわね」
霊夢は本殿へ段差を超え、台座を前に置いていた奉納台を静かに取る。
そのまま本殿を歩いて縁側で続く通路の奥へ向かって進む。
道角で足を止めて振り返る霊夢の視線は魔理沙へ真っすぐ届いた。
「来なさいよ、教えてあげるから」
霊夢の言葉を最後に、魔理沙は口よりも早く足が出ていた。
隣に並びながら縁側を歩く紅白の巫女と白黒の魔法使い。
「で、このまま行くと何があるんだ」
「それはね――」
二つ目の道角を曲がって視える境内裏。
彼女達が見慣れてた普段の景色には変わっていた。
「今日みたいな日だけ、私の大切な人が居るの」
境内裏の奥が楕円に歪んでいた。
楕円が映す光景は、彼女達が以前の都市伝説で渡った外の世界の姿。
それの手前で一際妖艶に薄紫に花を咲かせる一本の桜と、無刻で小さな墓が立ち並んでいた。
「稀に、ね」
境内裏を眼前に立ち止まっていた霊夢が呟く。
「外の結界がこっちとぶつかって重なることがあるの」
言葉を溜めるように、霊夢の唾が喉へ滑り落ちていく。
心の鼓動が強くなっていく感覚を霊夢は自覚し、ゆっくりと前へ進む。
背から伝う足音が遅れて聞こえる。
「そうやって重なった時だけ、視えるのよ。向こうとその間が」
境内裏の縁側の中央で霊夢は立ち止まった。
体を向かせて縁側に腰を降ろして奉納台を右側へ置く。
歩いて一分も掛からないであろう距離を挟んで眺めていた。
「外と内が繋がって、外の季節がこっちに漏れた、か」
魔理沙は霊夢の左隣で、縁側へ足を組みながら居座りながら呟く。
凪が境内裏の横を過ぎて桜の花弁が空を舞う。
季節外れながらも風情に充ちた春宵がそこに広がっていた。
「――よかった」
震えた声で霊夢は言葉を漏らす。
「また、『此処』が視られてよかったぁ」
両手の甲で顔を抑えながら拭うように霊夢は泣いた。
心に浮きあがる感情が昂って抑制できないまま外へ表出された。
涙の雨量で水溜りの嵩を高く広げていく。
「霊夢」
呼ばれたその声に、目尻に涙を浮かべながら霊夢は顔を向ける。
しわくちゃで濡れた染み模様のハンカチを握りって差し出すか細い腕があった。
白黒色のエプロン姿の背中で、顔を見合わせずに魔理沙が渡してきた。
「泣き顔を見せたくて、『此処』まで頑張ったんじゃないだろ」
差し出されたハンカチをそっと取って顔に当てる。
「――――うん」
霊夢の足袋が靴底に触れてそのまま深々と足先が奥まで入る
奉納台に載せた盃を右手で底から持って立ち上がった。
一歩、二歩と砂利の道をゆったりと歩いていく。
御神酒の水面へひらひらと舞う桜の花弁が触れる。
「お久しぶりです」
霊夢の背よりも小さい墓の前で足は止まった。
新しく整調させたように綺麗な状態で、普通は刻まれる筈の名前も家名すら無い。
目があるとしたら、それを交わし合うような高さまで膝を折りながら靴底は砂利を踏む。
霊夢が持ってきた同じ盃が茂台に置かれている。
ゆっくりと手に持つ盃をそれと取り換えた。
「また、きましたよ」
薫風で髪がふわりと浮く。
記憶の断片が霊夢の脳裏に蘇ってくる。
『彼女』との日常を過ごしてきたかつての想い出。
境内の掃除、雪かきの工夫、神酒奉納の儀、降霊の儀、札と針の使い方。
話し方、歩き方、立ち振る舞い、食べ方、風呂の入り方、風呂の洗い方、食器の片付け、布団の敷き畳み。
洗濯の仕方、干し方。落ち葉を使った焼き芋の仕方に火の取り扱い方。
『霊夢』に成るまでずっと視てきた『彼女』の背中があった。
「何を考えても、何を想っても——ーーずっと貴女のことばかり考えてしまいます」
盃を持ちながら目を閉じた。
祈りと、願いを込める胸の気持ち。
名前を捨てた自身に『霊夢』と名付けてくれた感謝の祈り。
『彼女』から名を継いで『博麗霊夢』に成りつづける覚悟の願い。
その想いだけは忘れないよう霊夢自身の心に誓う。
「また、来ます」
霊夢は立ちながら背を墓へ向ける。
其処に居る『彼女』の目に、『博麗霊夢』の背中が届くように。
霊夢の口角は上がり、目尻が下がる。
幼げな少女が浮かべる顔立ちには清々しさがあった。
うっすら涙線が残った自身で、縁側に座る親友を向いて。
「ありがとう」
霊夢は口にする。
それが何を意味する感情の言葉か霊夢自身も判っていない。
胸に抱く感情を、言葉に載せて相手に伝えたい気持ちで霊夢は一杯だった。
けれどもその言葉を受けた魔理沙は照れくさそうに笑う。
「おう」
魔理沙は一言、表現した。
霊夢にとってその一言が何よりも嬉しかった。
言葉を伝えあえる相手が居てくれるだけで幸せだった。
「今から、宴会でもする」
「そりゃぁいい。御神酒、余ってるんだろ」
「まだ一升瓶があるから持ってくるわ」
「肴でも探すか、一緒にいくから待ってろ」
少女が二人、薄紫の桜と『彼女』とおつまみを肴にした宴会が始まる。
霊夢のかわいらしいそれは博麗神社の境内にひろがっていく。
雨風を受けて傾いた守矢の分社に、苔のむした石造りの灯篭。
灯篭が左右に置かれた間に石畳が続き、その道の先で逆向きの鳥居は色が剥がれている。
鳥居を超えた向こう先の幻想郷から舞い込む風は境内に茂る草花を揺らす。
鼻先を赤くする霊夢の見える世界は蒼色に染まる。
陽光は蒼空に散らばった雲の明暗を強調させる。
その時々に自然は色を多様に変えて異彩な風景へ変容する。
果てが見えない今の風景は茶や黄色などが雑多に混じっていた。
「そっ、か」
繋がった内外の境の向こうで広がっていた幻想郷の姿は霊夢の勘に警鐘を鳴らす。
霊夢の言葉に秘められた熱が冷えるよりも、その動作は早かった。
床の間で広げた蒲団はそのままに、脱衣しながら着物棚から腋出しの紅白色の巫女装束を取り出す。
不自然にシーンを抜き出したパラパラ漫画のように切り替って霊夢の装束が入れ替わる。
着替えを終え、右手に持つリボンを髪に結ぶ霊夢は神社を飛び出してすぐに空へ浮きだした。
結び終えたリボンが浮き、逆風を受けて形がくずれる。
くずれたリボンが髪から抜けて境内へ流されていく。
髪の違和感に気づいた霊夢はそのまま振り返ってリボンへ右手を伸ばす。
「よっ、と」
そのリボンに手が届くより先に薄緑色の髪の少女がリボンをかっさらう。
少女はかっさらった勢いを減衰させながら石畳の道で止まる。
「落としましたよ、霊夢さん」
「あ、ありがと」
あうんは振り返って愛らしい笑みを浮かべながら霊夢にリボンを差し出した。
差し出されたリボンを霊夢は右手で受け取る。
「どうか、しましたか」
あうんは霊夢のリボンを受け取り方や髪に結び方などの細かい部分にどこか忙しない印象を受けた。
様子を伺ったあうんに霊夢は答えることなく黙々とリボンを髪に結ぶ。
その動作が終わって尚、二人は静かだった。
霊夢はそれを告げる逡巡して口を開いたり、閉じたりする。
「人里で、用事ができたのよ」
口の開閉を何度も繰り返して出た霊夢の言葉はあうんをきょとんとさせた。
何を躊躇ったのかとあうんに疑問を抱かせる。
「そうですか、人里に用事ですか」
「え、ええ」
向かい合う二人のやり取りの末に、霊夢の左足先だけが鳥居へ向けて動く。
それを見落とさなかったあうんは一瞬目を閉じて霊夢と視線を重ねる。
「分かりました。 お気をつけてください、霊夢さん」
あうんはそれ以上、言及することはせず見送ることを選んだ。
手を背に、足をまっすぐに優しく霊夢を見守っている。
「うん」
あうんの言葉に目を丸くする霊夢は気遣いを甘える。
逆さ鳥居へ振り向く間際、霊夢の口角が少し上がったようにあうんは見えた。
鳥居の直前まで移動した霊夢の全身が空へ浮かんで博麗神社から遠くなっていく。
「いってらっしゃい、霊夢さん」
彼女の姿がだんだん小さくなっていく最中にあうんは独り、寂れた境内で立ち尽くす。
霊夢が飛び去った蒼空をあうんは眺めていた。
微かに見えた彼女の口元と、背の姿がまだ狛犬だった頃の自分の記憶と重なる。
靄のかかった記憶から昔、台座から見えていたかつての情景が蘇る。
暗雲が空を覆い、陽光も隔てられた世界に浮かんだ紅白の巫女装束を纏う女性。
女性の背中と、その口元の上がり様が霊夢と一緒だった。
「掃除でも、しましょうか」
あうんの記憶に残っていた女性の姿はそれだけだった。
女性が此処へ戻ってきたかどうかは今のあうんには判らない。
ただ、あうんは彼女が此処へ帰ってこられるように護ることを、勝手に選んだ。
また彼女が此処に帰って、いつもと変わらずに在り続けられるようにと願って。
霊夢だけでなく、記憶に浮かぶ女性も帰ってくることも祈りながらあうんは社務所に置かれた箒を取りに行った。
「少しばかり、待ってな」
その言葉は男性から告げられる。
戸が閉じる聞こえが良い木がぶつかる音が小さく鳴った。
閉まった戸を前で霊夢は立っている。
霊夢はその戸を背にして振り返り、昼時の活気に溢れる人里の方面へ歩いていく。
愛想が良くない男性とのやり取りは霊夢にとって昔から馴染みがあった。
だから、霊夢はその態度を踏まえて用件を伝えた。
男性へ急な用件を申し立てるばかりで、どこか内心に申し訳なさを霊夢は抱いていた。
しかし、男性は思考が読めない冷えた表情を浮かべて文句や意見を言うことなく作業場へ向かう。
霊夢にとって古い付き合いだが、仕事以上の付き合いがある間柄ではない。
何かある度に霊夢が依頼し、男性は依頼通りに品を仕上げて渡す。ただそれだけの関係。
依頼者と受諾者という関係の上で成り立った上辺だけに霊夢は慣れていた。
霊夢に対してどんな感情を抱いているか判らない。
「今からなら、夕暮れ頃には出来てるでしょ」
依頼物ができる時間の大まかな推測して、霊夢は人里を散策することにした。
博麗の巫女としての業務を真っ当すべく気が萃まる場所へ霊夢は進んでいく。
昼頃の人里は、往来の通りに溢れた人妖の行き来に盛んだった。
男女老若の見た目に問わない多様な人ノ形の保つそれらが霊夢の横を過ぎていく。
それらは霊夢を観ながらそれぞれに異なった反応を浮かべていく。
絡む視線を敢えて横目にする者、口を押えながら隣の誰かとひそひそ話す者、指をさして朗らかに挨拶をかける者。
時には愛想を良く振る舞い、時には鋭く目を尖らせながら牽制し、時にはそれを観ただけ流すこともする。
無意識に手慣れた様子や仕草を振る舞う。
それが正しいのか、間違っているのか霊夢自身は良く解っていない。
正しいも間違いも踏まえた見本となる背に霊夢は覚えが無かった。
父や母、兄弟姉妹などの血縁がある誰かと過ごした時間を無い。
脳裏へ蘇る記憶はかつての恩人なる『彼女』から授かった神社での立ち振る舞いぐらいなものだ。
そこから培ってきた記憶が博麗霊夢に繋がってこの人ノ形を成していた。
故に、その根たる自身すらも霊夢にとっては無いにも等しい。
ただ博麗の巫女として必要だった要素をそれを埋めるように補填させ続けている。
肩書きである筈の博麗の巫女が、博麗霊夢にとっての総てに成っていった。
稀に芽生える疑心がふと浮きあがって霊夢はその思考へ意識を埋もれさせてしまう。
「れーいーむさぁーんっ」
意識が思考に深けていた霊夢は横からの声に気づいてなかった。
「え、あ。あぁ、小鈴ちゃん」
「やっと気づきましたね、反応が無いからびっくりしましたよ」
KOSUZU、とローマ字が振られたエプロンを着ける小鈴が声を呼んでいた。
「ええっとごめんね」
「別に構いませんが……何か、考え事でもしてたんですか」
「いやぁ、別になんでもないのよ」
「ほ~んとうですか~……ま、まさか」
推理の先に行き着いた答えに小鈴の頬が紅く染まっていく。
腋に抱えていた本で顔を隠しながらちらっと霊夢を見ながら悶える。
「そうですよね、霊夢さんもそろそろよいお歳ですもんね……」
「一体、何を考えているのよ……それより、最近は始めたアレはちゃんとできてる」
話をすり替えるように霊夢は小鈴へ妖魔本について尋ねた。
「ああ、アレですねっ。ちゃんと管理も、受け渡しもできていますよ」
話題に乗っかるように小鈴は目を輝かせ、胸を張って自身を誇示した。
『博麗の巫女』側へ仲間入りした小鈴は以降、その活動を広げていった。
貸本屋『鈴奈庵』の活動が広がりを強め、隆盛を迎えている。
普段から店舗に篭って書籍管理に励む彼女が本を抱えながら外出する姿はそれを物語っていた。
人間や妖怪にまで影響を及ぼすまでになっている営業。
まだ導入したばかりの妖魔本貸出も営業拡大の反面として、表立って活動をしない隠れた妖怪の呼び水となる。
故に、霊夢として『鈴奈庵』への監視が強くせざるを得なくなった。
悩みの種が増えたが、小鈴が浮かべる笑顔を見る度にそんな気持ちはどこか薄れていった。
「そこのお嬢さん方、面白いことをしているなら混ぜてもらえないか」
彼女達の頭上から声が聴こえる。
二人揃って見上げた先には箒に跨った白黒の魔法使いの姿があった。
浮いた箒から飛び降りて小鈴の隣に並ぶ。
「ちょ、あんた」
「途中で見つけたもんでなぁ」
「だからってここは」
「いやぁ、空を飛べるって凄いですね」
勢いのまま応酬を繰り広げる二人が他所に小鈴は目を一層輝かせる。
その言葉に巫女と魔法使いは違った反応を示す。
「だろぉ。あっちこっちへ外に出る時は便利だからな」
「移動する時は便利だけど、目立って狙い撃ちされやすいから不便よ」
「出来ることに、こしたことはないけどな」
小鈴が片手を槌に見立てながら軽く反対手の掌に打ち付けるような仕草をする。
#挿絵:次# 挿絵 REN.jpg
続いて、霊夢と魔理沙に迫っていく。
「そう言えば、お二人にお聴きしたいことがあったんですよっ」
迫る勢いに押されて一歩体を後ろへ引くように二人は姿勢を変える。
「スペルカードって。どうやって作るんですか」
小鈴の期待と関心を込められた眼差しが二人に向かう。
「スペルカードって、小鈴ちゃんもやるの」
「そうですよっ。空を飛びながら、あんなに綺麗な弾幕を撃ちあうなんて楽しそうじゃないですかー」
霊夢の悩みが増えたような気がした。
頭部に手を当てながら息を零す霊夢と変わって、魔理沙は小鈴に対して満面な笑顔を浮かべる。
「だろうっ、スペルカードはいいぞー」
「ほんっと、そうですよ。あんなにきらびやかで、鮮やかな弾幕を魅せられたら自分も遊びたくなりますっ」
二人が向き合ってスペルカードを語り合う姿を霊夢は眺めていた。
その考案と公表に携わった人間として許容されている様子に安堵する。
これまで幾度も起きてきた異変を通じて周知度が増していった効果かもしれない。
けれども、その反面としてスペルカードが本質から外れていく可能性があった。
人間が下手に妖怪へ挑むことがあれば、それは霊夢の本来の思惑から外れている。
スペルカードは自身を表現を模した手段であり、誰かを傷つける為の方法ではない。
そのような形で広まった現実を霊夢は受け入れながら人里を監視する。
「どうしたら空を飛んだり、弾幕が撃てるようになりますかっ」
本来、スペルカードにそんな要素が前提になっているわけではない。
「――――要らないわよ」
雰囲気が変わった。
盛況だった空間は突如として静寂に包まれた。
霊夢が告げた一言は、その場に居た二人を鎮めた。
「えっ」
予想もしなかった霊夢の言葉に二人の様子は一変した。
意気揚々に投げかけた小鈴は口が止まって、呆然と霊夢へ視線を向ける。
魔理沙から言葉は出てこなかった。
喜色満面だった幼い顔は口を閉じて両目を見開き、細くなった視線は談笑相手だった小鈴から動かない。
言三人の間に漂う空気は冷えていった。
「――なぁ、霊夢」
魔理沙の声だった。
先ほどまで含まれていた温かみが一切消えた声質で、淡々とその名を呼ぶ。
「何かしら」
魔理沙と霊夢の視線が交わる。
その視線が何を伝えたいのか霊夢には判らない。
魔理沙の雰囲気が変質していたことだけは霊夢は見て取れた。
「一つ、聴きたいことができたんだ」
二人の間の距離が縮まった。
魔理沙が霊夢へ向けて歩いていく。
箒が軋みを上げ、被っていたウィッチハットへ魔理沙の手は伸びていた。
一寸先ほどの距離を空けて向かい合う。
寸分のズレや狂いもなく綺麗に整った魔理沙の顔が霊夢にはよく見える。
「――お前にとって、スペルカードってなんだよ」
そんな魔理沙の顔はどこか泣きそうだった。
「――空を飛ばなくても、弾幕なんて必要じゃない」
霊夢の勘がひとつ大きく鳴った。
「私のスペルカードは、私自身を表現する為の、この世でもっとも無駄な遊び方よ」
魔理沙は言葉を返さない。
ウィッチハットに入れていた手が滑り落ちるように外へ出ていった。
「そっか」
対面する霊夢に対して魔理沙はそう告げてから横を過ぎていく。
最後に、霊夢の耳元へ小さく、怒気がこもった言葉を残す。
「――――そんな言葉を、お前から聴きたくなかった」
霊夢の背は風を浴びる。
魔法使いが蒼空へ飛んでいった。
逢魔時を迎える幻想郷。
あの後で小鈴と別れた霊夢は転々と人里を歩きながら思考に耽る。
魔理沙の言葉が耳に残響している。
彼女が残したそれに込められた想いが何であったのか。
その解答を見出せぬまま霊夢はまたあの場所へ戻っていた。
見慣れた古い木の戸はまだ閉じている。
戸を前にして霊夢は小さく息を溢す。
内心に巡る整理できてない感情を蓋をしてから軽くノックをした。
「……よう、できてるぞ」
煙管を口にくわえながら先の男性が出てくる。
吐き出される紫煙の濃さはまだ薄い。
その男が右手に握られる一升瓶がそのまま霊夢に渡される。
簡素な包装や、袋などが用意されていないことを霊夢は知っていた。
他のよりもここだけが酒が美味で、『彼女』の嗜好であった事から霊夢は利用している。
「ありがとうございます」
視界に入る前髪を横に流しながら差し出された瓶に手を伸ばした。
一升瓶の冷気が伝わりながらも霊夢はそのまま握った。
握った瓶を引き込む霊夢に違和感が襲う。
男性の手から一升瓶が剥がれていなかった。
「あの、離していただけませんか」
濃くなった紫煙を吹かす男性は手を離さない。
一瞬、霊力の使用を霊夢は検討する。
男性の手は剥がせるが、瓶がそれに耐えられないと予感した。
「なにがあった」
低く、冷たい男性の声が霊夢に届く。
「何でもありません」
「言え」
霊夢の返答に、男性は即答する。
若干どんよりさせられる振る舞いに霊夢は息を零す。
「貴方には関係ないことです」
「いいから話せ、何があった」
男性の圧と力が増していく。
ずうずうしく何が何でも答えない限り離さない意志を霊夢は感じる。
変な絡みは言う通りにするのが早いと霊夢は知っていた。
「魔理沙と口、喧嘩みたいなことをしたんですよ」
「スペルカードってご存知ですよね」
「人妖の均衡を維持する為に、お前さんが立案したやつだったな」
霊夢は男性の説明に頷いた。
「それは建前です」
胸に秘めていた真実を霊夢は躊躇いなく、淡々と告げた。
「異変を起こしやすいとか、人妖でもできる遊び方とか。それらしい理由を私が、付け足したんです」
男性の顔は仏頂面で、霊夢の言葉を静かに聴いている。
「――――『あの人』の姿を、残したかった」
その言葉は恥ずかしそうに小さい声だった。
悪戯がばれた子供が親に伝える時みたいな躊躇いを隠しきれていない声質。
「私が忘れたくなかったから、スペルカードルールを制定させました」
「空を飛ぶことも、弾幕なんて必要じゃないんです」
煙管から排出されていた紫煙の濃度が強くなった。
男性は口でそれを加えながら落とさず器用に口を動かしていく。
「そりゃ、お前さんが悪いわ」
予想できなかったその言葉に霊夢の心が刺さる。
これまでに培った霊夢の考え方や価値観を揺らがせるには十分だった。
「……えっ、なん」
「――自分が頑張ってきたことを、踏みにじられたら怒るわな」
いきなり男性の手が瓶を離した。
言葉もない突然の出来事と、先の衝撃が重なって霊夢の反応が遅れる。
巨腕が伸長され、その掌が霊夢の頭を覆う。
髪の流れに沿って分厚い掌の皮が滑る。
二人の伸長差も相まって娘を撫でる父のような構図ができあがった。
「霧雨の嬢ちゃんにとってスペルカードは、お前さんにとって『あの人』みたいだから、怒ったんだよ」
霊夢はそこで初めて気づいた。
自身にとって『あの人』が踏みにじられ、否定されることへの怖さが在ることを知った。
あの時、哀しい顔だった魔理沙の気持ちを、霊夢は自身を見つめて理解できた。
「魔理沙に、ひどいことしちゃった」
一升瓶を握っていた霊夢の手が震える。
男性は手慣れたように撫でる掌をゆったりと弱めていく。
霊夢の感情の緩みをすこしずつ落ち着かせながら宥めさせる。
「霧雨のお嬢ちゃんの気持ちが、解かったな」
「うん」
「――なら、行きな」
男性の掌が霊夢の髪から離れる。
霊夢へ向けていた体を旋回させて背に変え、戸の奥へ入っていく。
「ま、待って」
男性の足が立ち止まった。
「わたしはどうしたら、どうしたらいいのっ」
動揺する霊夢の声は、彩った紅葉を運ぶ妖怪の山から流れる冷えた風の音に消える。
「言ったろ、行きな。そうすりゃ向こうが勝手にやってくるだろうさ」
右手を挙げながら奥へと進んでいく。
陽光で照らされない部屋の影へ吸い込まれるように男性が霊夢の視界から消えていく。
「霧雨のお嬢さんがこれぐらいで縁を切る奴じゃないことは、お前さんが一番知ってるだろう」
それを最後に、男性の右手が乾いた音をたてる。
一升瓶を掴む霊夢の手に力が入っていた。
「――行かなきゃ」
博麗霊夢は陰陽がまじった空へ浮かぶ。
幻想郷の東の端にある自分の居場所へ向かっていく。
初めて気づいた自分の気持ちを、伝えにいく為に。
日が山へ傾き始めた頃、霊夢は神社へ降り立った
霊夢は御神酒の瓶を右手に、すぐさま本殿へ入っていく。
内に鳴る勘の音が次第に強くなる。
間もなく、それの音の隆盛が過ぎて叶うだろうと霊夢は予感している。
本殿を歩いてすぐに入り慣れた台所へ進み、使い古された戸棚をひく。
左手で棚の中をもがくように漁りながらある物を霊夢は探す。
やがて、その小指にそれが引っ掛かった感触を経て漁りを止めた。
静かにそれを掌で包み、戸棚から腕を引き抜いてから台所を後に移動する。
触れ馴れたそれが探し物であることを霊夢は感じていた。
夕焼けの陽光が差して壁策と霊夢の影を床に描き、奥には像が置かれるはずの台座がある本殿。
その台座を前に置かれた木製の奉納台に掌に包むそれを静かに置く。
少女らしい小さい掌で包めるほどの大きさの盃が陽光に照らされた。
瓶先を覆う和紙が千切れないよう丁寧に外していく。
和紙で隔たれていた酒気が微かに漏れ、霊夢の鼻腔が酒気に犯される。
霊夢の意識が一瞬、浮わつく。
度数がかなり強めに酒造されたそれの薫りは呑み慣れていた霊夢をも誘う。
喉が鳴り、そのまま瓶先を唇で包みたくなる衝動を抑えながら盃に注ぐ。
奉納台に載る盃の水面に薄く白けた陽の姿が映る。
「お帰りなさい、霊夢さん」
背から響く声を届いて霊夢が振り返る。
今朝に霊夢を見送った狛犬、あうんが本殿の中央に立っていた。
「……ただい、ま」
若干遅れながらも霊夢は返事を返した。
あうんの表情が背に浴びる陽光の影で霊夢には見えない。
「そちらが、今朝の理由でしたか」
表情が陰るあうんは低い声で霊夢に尋ねる。
座る霊夢の腰からはみ出る酒瓶が安易に存在を示す。
「ええ、これが必要だったのよ」
おくびもなく霊夢は返事する。
あうんの顔はまだ見えない。
「……ほかに」
ゆったり開くあうんの犬歯が丸いように見えた。
「ほかに、やることはありますか。霊夢さん」
その声は小さく弾んだように霊夢には聴こえた気がした。
「……一つだけ、お願いしてもいい」
掠れるような小さな声で霊夢はあうんに聴いた。
あうんとは先の異変を経て話ができるようになったばかりの短い縁である。
文句も、意見もせずただ勝手に居座って神社を見護ってくれる狛犬。
霊夢が告げて、それを真っ直ぐ従ってくれる彼女へ申し訳なさのような罪悪感を抱いていた。
「はい、仰ってください。わたしは 」
それにすがるように、甘えるばかりな霊夢はそれでも今日はと願いを告げる。
すがりも、甘えすらも感受して受け入れる優しい狛犬がいた。
「此処で勝手にお護りしているだけの、ただの狛犬。高野あうんですからっ」
鳴り響く勘の音がまた、強くなった。
「……春が、くるわ」
幻想郷から寒気に帯びた風が流れ込んでくる。
浴びるように受ける風で、霊夢の背筋が震えた。
紅葉が川面に浮かんで流れ、地へ熟して落ちた木の実を小鳥がすくう。
初秋の季を迎えた幻想郷で霊夢は静かに告げる。
「……その春を邪魔されたくないのよ、だ」
「だから、私が護ったらいいわけですね」
あうんは霊夢へ背を向け、本殿を後に歩いていく。
霊夢との距離が変わるにつれて影が細長くなっていった。
影が霊夢の体に重なる。
「それじゃぁ、霊夢さん」
首を振り返ってあうんは霊夢と視線を交わす。
「いってきます」
あうんの体が夕日が輝きつづける空へ飛んでいく。
霊夢は小さくなっていく彼女の背中が視えなくなるまで眺めていた。
絞めつけるような小さい痛みが霊夢の胸で弾ける。
ナニカを伝え忘れてしまったような違和感が残っていた。
霊夢は手を胸に抑え、それを深く、ゆっくり奥底へ沈めていくようにしていく。
奉納台をそのままに立ち上がって本殿の中央に移動する。
足袋と床の擦れた微かな音が響く。
巫女装束の裾から落ちる御幣の端が霊夢の左手に着く。
御幣が左右へ払われて空気を叩く音が数回鳴った。
背は陽に、眼前を影で占められた境の間で霊夢はそのまま静かに両眼を閉じる。
本殿内に漂う空気は微かに揺れ、その柔肌に刺激が走った。
遠くどこかで聴こえる衝撃音はもう届かない。
紅白の巫女装束は空に舞う。
霊夢の全身が縦横無尽に床の上で踊っていく。
紙垂は揺れ、裾がたなびき、髪が流される。
陽光が霊夢を引き立たせながら周囲へ散っていく汗水を輝かす。
妖怪退治を通じて精錬された霊夢の肢体が魅せる端麗な舞があった。
霊夢の意識は浮いていた
閉じる瞳の奥で霊夢は情景を浮かべ、かつての想いを内心に抱く。
ひどく曖昧に雑じった『彼女』の記憶。
四肢や体幹、重心の傾向具合まで想い抱いてきた『彼女』の舞を霊夢が表現していた。
時間と伴に融けすぎた部分を霊夢自らのアレンジで補いながら舞の形を創っていく。
かつてに魅せられていた『彼女』の姿を、舞を、表現を忘れてしまわない為に霊夢は続ける。
寂れた有閑神社で紅白の巫女は独り供物と踊りを捧げる。
目蓋を開く。
額の汗が流れて筋ができ、それの行き着く先に目があった。
染みる痛みを払おうと裾で拭う。
霊夢のぼやける視界に広がる蒼暗色の世界。
欠片のように散らばった光源にひとつ大きな形を成した楕円があった。
それらに後ろに、人ノ形を成した影が視えた。
やがて焦点が当たり、視界の映るその影がはっきりしていく。
渦を巻くように金色の束が靡き、連なった星々の河のように輝いた。
ウィッチハットを頭にのせる影の瞳に霊夢は見覚えがあった。
砂粒のように小さい星々を浮かべた小さな宇宙がそこにあった。
「魔理沙」
影が一瞬、震える。
宇宙の形が少し形を崩してちいさくなった。
それでも宇宙は、独りの巫女を留めようとその姿を映し続ける。
夜風に体が冷える。
黒い髪先から雫が床にできていた小池の痕へ滴る。
「いやな、そのなんだぁ」
魔理沙は重なった視線を逸らし、首をあっちこっちに向けていく。
やがて顔をうずめるようにウィッチハットの鍔を下げて霊夢から見えないようにする。
隠しきれていない一部の肌が、紅く染まっていた。
「……わるかったな」
照れくさそうにする魔理沙の姿に霊夢はそっと息を零した。
霊夢の全身が脱力し、かたくなった筋肉や腱が自然と解されていく。
「ねぇ、まり……」
告げようとした瞬間、勘が鳴り響く。
これまで以上に強く、高く鳴って内心へ警告する。
「何の用なの」
御幣を握る力が強くなっていく。
安らぎに満ちていた霊夢の視線が鋭さを増して射貫くように魔理沙を見ている。
魔理沙はそれを受け、体を強張らせる。
「……お前に、聴きたいことができてな」
ウィッチハットの鍔を指で上げる。
「弾幕ごっこを始めたのは、お前だったよな」
「スペルカードが広まって、私みたいな人間も、妖怪や妖精だって遊ぶだろ」
「それは大抵、空に飛んで弾幕ぶっ放して自分を出すもんさ」
両手を挙げながら体をふらつかせながらのうのうと言葉を続ける。
「でも――お前は、それを否定した」
その語意は強く、真剣のような鋭さが帯びていた。
「空に飛ぶことも、綺麗に弾幕を放っていくことも、霊夢。お前は否定したんだ」
「私はさ、ずっとお前の弾幕に魅せられてきたんだ」
「真似がしたくてさ、ずっと誰かを追いかけてきたんだ」
魔理沙の口が歯ぎしりのような固い音が響かせる。
「それをお前は、私を否定したんだ」
一瞬の沈黙を過ぎて魔理沙は口を動かした。
「なぁ、霊夢。それでも、お前は私のスペルカードを否定するなら――魅せて、くれよ」
ただ哀しみをこみ上がった気持ちを言葉に載せ、魔理沙は霊夢に悲願する。
「あの時みたいにさ。お前が言った空も飛ばず、弾幕も要らないスペルカードを魅せてくれよ」
二人は言葉を辞めた。
黙り込む二人に漂う静寂な雰囲気に包まれた本殿へ差し込でいた月光が遮られる。
遮られた光は、それぞれの顔すら確認できないほどの陰を生む。
魔理沙の言葉が、霊夢の内で反響する。
疑心と虚偽を抱かせないその想いは霊夢の心へ融けていく。
自身が抱いていた想いと重なった。
霊夢にとってスペルカードの理由なんてどうでも良かった。
初めて『彼女』が魅せた表現が美しく、それを忘れてしまいたくなかった。
霊夢だけが知るその表現を忘れないように、心に残し続けたいと願った。
それを考案し、成立させた手段がスペルカードルールと成った。
いつしかそれは空を飛びながら、弾幕という事象を起こして個々の美の表現へと移り変わった。
霊夢はそれでも構わなかった。
『彼女』を忘れず、形に残していられるだけで救われていた。
「そうだった、わね」
暗雲は過ぎた。
霊夢はゆっくりと足を進める。
軋む床の音を鳴らしながら魔理沙へ向かっていく。
彼女達の距離が縮まっていくについて心音と勘が高まっていく。
それでも、霊夢は落ち着いていた。
魔理沙を前にあと一歩を残した所で霊夢は右に逸れる。
そのまま横を通りすぎ、段差を下ってそのまま石畳の道を歩く。
凛とした表情を浮かべながら左裾へ腕を通し、仕舞っていた二枚の符を指に挟む。
無地で絵柄すらも刻印されていない一文字だけが記されている。
後はそれらを裾から取り出して宣言するだのみだった。
だが、霊夢は宣言できなかった。
符を挟む指と腕が震えている。
秋冷の風を受けて冷えたわけでもなく、汗が染みた巫女装束に濡れて冷えたわけでもない。
霊夢の心に躊躇いがあった。
これまでに表現してきた自身のスペルとは違っていた。
霊夢が誰かに魅せて披露することを意識しながら表現することは過去にない。
自身の在り方を表現する行為への緊張が、霊夢を襲って震えをもたらした。
霊夢は怖がっていた。
かつて霊夢が魅せられた『彼女』に代わって表現することを恐れている。
内心でずっと培って続けた『彼女』への想いを、否定される可能性が霊夢の心を縛った。
鳴り響く勘と、内に芽生えた恐怖が重複して霊夢を焦らせる。
荒れた呼吸のままに落ち着かない霊夢はさらに心を掻き乱した。
「霊夢」
声が背中から届く。
微かに震えたその声を霊夢は覚えている。
『博麗霊夢』と成ってからずっとその声が届いていた。
『彼女』がくれた名前をこれまで覚えて、呼び続けてくれていた。
後ろから、隣から、前からその名前を呼んでくれた人間が居た。
何があっても一緒に居てくれた、普通の魔法使いの声があった。
「うん」
躊躇いはなくなっていた。
震えていた指に挟んだ符に力を込めていく。
霊夢は目を瞑りながら『彼女』を想い出す。
月光に照らされた紅白の装束を身に纏った女性の姿。
想い返す『彼女』の姿を霊夢は自身に再現させていく。
誘蛾灯のように曙光を鮮やかに放つ符が霊夢の裾から引き出された。
「風符――――、花符――――」
たった一文字だけの名前が授けられたスペルカードの源流。
境内で根を張る花々に放たれた符の光が宿る。
光は宿った花の輪郭を描くように繋がって光色の花を創り出した。
緑色の凪が境内へ舞い込む。
凪は『彼女』を取り巻くように気流を形成していく。
光色の花が凪の気流へと乗った。
気流に沿って流される光色の花は暗天の空をキャンパスに散らばって『彼女』を輝かせた。
忘れずに想い描いていた霊夢の幻想と一緒に、霊夢の内で鳴る勘の音が消えた。
縛るモノが無くなり、普段の自身に戻った霊夢はゆっくりと目を開く。
「あぁ――――良かった」
桜の森が広がっていた。
境内を囲うように薄紫の桜が咲いていた。
霊夢の勘が警告していた事はこの光景だった。
不定期に訪れるたった一夜だけの幻想が顕れる。
霊夢は魔理沙に向かって足を進める。
やがて二人の距離は一寸もないまでに近くなった。
その距離で、霊夢は手を魔理沙に伸ばす。
霊夢の掌が金髪の河に触れた。
河に沿って指を端から端まで流していた途中で魔理沙が霊夢を意識した。
数瞬の間を経て、魔理沙の頬が紅くに染まっていく。
浮かべる表情は嬉しさと恥ずかしさが混ざったような可憐さがあった。
「どう、だった」
霊夢は内心、『彼女』のように巧く表現ができたかどうか半信半疑であった。
緊張が解けた霊夢の目から涙線が頬を沿って落ちていく。
一瞬、その顔に驚きながら魔理沙は紅い頬に笑みを浮かべて真っすぐ霊夢を見る。
「――綺麗だったぜ」
一寸先に居る霊夢だけに届く小さな声だった。
「――そっ、かぁ」
涙線が束状となっていく。
忘れずに残った記憶を頼って霊夢が『彼女』を表現した。
ずっと記憶に抱く『彼女』が認められた事が何よりも霊夢の心を充足させる。
そんな初めての経験が、霊夢の胸の底から感情が溢れさせる。
止まない涙に柔らかい布が当てられる。
涙にぼかされた視界が鮮明さを取り戻していく。
頬を紅く染める目尻に涙を溜める魔理沙の顔があった。
「珍しいな、お前が泣く顔なんて初めてみたぜ」
「――――ごめんね、魔理沙。ほんとうに、ごめんね」
「……気にすんな」
一寸先で見つめ合いながら彼女達が笑った。
目尻に残った微かな涙を浮かべながら互いに気持ちを隠すように。
「これで終わりじゃないだろう」
魔理沙がにたりと口角を上げながら霊夢に告げる。
ハンカチを持った手の親指が指す薄紫色の桜がその真意を明らかにしている。
「――――仕方ないわね」
霊夢は本殿へ段差を超え、台座を前に置いていた奉納台を静かに取る。
そのまま本殿を歩いて縁側で続く通路の奥へ向かって進む。
道角で足を止めて振り返る霊夢の視線は魔理沙へ真っすぐ届いた。
「来なさいよ、教えてあげるから」
霊夢の言葉を最後に、魔理沙は口よりも早く足が出ていた。
隣に並びながら縁側を歩く紅白の巫女と白黒の魔法使い。
「で、このまま行くと何があるんだ」
「それはね――」
二つ目の道角を曲がって視える境内裏。
彼女達が見慣れてた普段の景色には変わっていた。
「今日みたいな日だけ、私の大切な人が居るの」
境内裏の奥が楕円に歪んでいた。
楕円が映す光景は、彼女達が以前の都市伝説で渡った外の世界の姿。
それの手前で一際妖艶に薄紫に花を咲かせる一本の桜と、無刻で小さな墓が立ち並んでいた。
「稀に、ね」
境内裏を眼前に立ち止まっていた霊夢が呟く。
「外の結界がこっちとぶつかって重なることがあるの」
言葉を溜めるように、霊夢の唾が喉へ滑り落ちていく。
心の鼓動が強くなっていく感覚を霊夢は自覚し、ゆっくりと前へ進む。
背から伝う足音が遅れて聞こえる。
「そうやって重なった時だけ、視えるのよ。向こうとその間が」
境内裏の縁側の中央で霊夢は立ち止まった。
体を向かせて縁側に腰を降ろして奉納台を右側へ置く。
歩いて一分も掛からないであろう距離を挟んで眺めていた。
「外と内が繋がって、外の季節がこっちに漏れた、か」
魔理沙は霊夢の左隣で、縁側へ足を組みながら居座りながら呟く。
凪が境内裏の横を過ぎて桜の花弁が空を舞う。
季節外れながらも風情に充ちた春宵がそこに広がっていた。
「――よかった」
震えた声で霊夢は言葉を漏らす。
「また、『此処』が視られてよかったぁ」
両手の甲で顔を抑えながら拭うように霊夢は泣いた。
心に浮きあがる感情が昂って抑制できないまま外へ表出された。
涙の雨量で水溜りの嵩を高く広げていく。
「霊夢」
呼ばれたその声に、目尻に涙を浮かべながら霊夢は顔を向ける。
しわくちゃで濡れた染み模様のハンカチを握りって差し出すか細い腕があった。
白黒色のエプロン姿の背中で、顔を見合わせずに魔理沙が渡してきた。
「泣き顔を見せたくて、『此処』まで頑張ったんじゃないだろ」
差し出されたハンカチをそっと取って顔に当てる。
「――――うん」
霊夢の足袋が靴底に触れてそのまま深々と足先が奥まで入る
奉納台に載せた盃を右手で底から持って立ち上がった。
一歩、二歩と砂利の道をゆったりと歩いていく。
御神酒の水面へひらひらと舞う桜の花弁が触れる。
「お久しぶりです」
霊夢の背よりも小さい墓の前で足は止まった。
新しく整調させたように綺麗な状態で、普通は刻まれる筈の名前も家名すら無い。
目があるとしたら、それを交わし合うような高さまで膝を折りながら靴底は砂利を踏む。
霊夢が持ってきた同じ盃が茂台に置かれている。
ゆっくりと手に持つ盃をそれと取り換えた。
「また、きましたよ」
薫風で髪がふわりと浮く。
記憶の断片が霊夢の脳裏に蘇ってくる。
『彼女』との日常を過ごしてきたかつての想い出。
境内の掃除、雪かきの工夫、神酒奉納の儀、降霊の儀、札と針の使い方。
話し方、歩き方、立ち振る舞い、食べ方、風呂の入り方、風呂の洗い方、食器の片付け、布団の敷き畳み。
洗濯の仕方、干し方。落ち葉を使った焼き芋の仕方に火の取り扱い方。
『霊夢』に成るまでずっと視てきた『彼女』の背中があった。
「何を考えても、何を想っても——ーーずっと貴女のことばかり考えてしまいます」
盃を持ちながら目を閉じた。
祈りと、願いを込める胸の気持ち。
名前を捨てた自身に『霊夢』と名付けてくれた感謝の祈り。
『彼女』から名を継いで『博麗霊夢』に成りつづける覚悟の願い。
その想いだけは忘れないよう霊夢自身の心に誓う。
「また、来ます」
霊夢は立ちながら背を墓へ向ける。
其処に居る『彼女』の目に、『博麗霊夢』の背中が届くように。
霊夢の口角は上がり、目尻が下がる。
幼げな少女が浮かべる顔立ちには清々しさがあった。
うっすら涙線が残った自身で、縁側に座る親友を向いて。
「ありがとう」
霊夢は口にする。
それが何を意味する感情の言葉か霊夢自身も判っていない。
胸に抱く感情を、言葉に載せて相手に伝えたい気持ちで霊夢は一杯だった。
けれどもその言葉を受けた魔理沙は照れくさそうに笑う。
「おう」
魔理沙は一言、表現した。
霊夢にとってその一言が何よりも嬉しかった。
言葉を伝えあえる相手が居てくれるだけで幸せだった。
「今から、宴会でもする」
「そりゃぁいい。御神酒、余ってるんだろ」
「まだ一升瓶があるから持ってくるわ」
「肴でも探すか、一緒にいくから待ってろ」
少女が二人、薄紫の桜と『彼女』とおつまみを肴にした宴会が始まる。
スペルカードに秘められたそれぞれの想いの表現がとても美しくて素敵でした。
こういう雰囲気のレイマリもいいですね〜