博麗大結界に囲まれた地、幻想郷。その幻想郷南西部には稀に外の世界から何かしらの物が流れ着く。
その大半は明らかなガラクタであるが、中には使えそうな物もある。
使えそうな、というのは幻想郷と外の世界には文化として大きな隔たりがあり、そのほとんどは使用用途不明だ。
また、『物』とは道具だけではなく人間や獣も含まれる。幻想郷は妖怪等が蔓延る世界であり、弱肉強食の世界である。当然流れ着いた『物』が無事で済むはずもない。
そうした幻想郷とは無縁の『物たち』が流れ着くその場所は、やがて無縁塚と呼ばれる様になった。
その無縁塚に一つ小さな小屋がある。無骨な造りではあるが、隙間も無く風雨は避ける事が出来、住む事が出来そうだ。
実際、小屋にはある少女が住んでいる。白のブラウスに灰色のワンピース、水色のケープを着込んだ小さな少女だ。
これだけならば可愛らしいものだが、場所は人間は寄ることのない無縁塚。彼女は人間ではない。
ふわりとしたショートボブには大きな丸い耳がある。ワンピースの裾から細くしなやかに伸びる尻尾が生え、先端に小さな籠を提げている。籠には鼠が一匹入っている。
彼女は鼠の妖怪である。名前はナズーリンという。
ナズーリンはダウジングを得意とする妖怪である。大勢の鼠を従え、身の丈程もある大きなダウジングロッドと首から提げたペンデュラムを用いて目当ての物を探し出すのだ。
かつてはナズーリンの主人である寅丸星が失くした毘沙門天の宝塔を見つけだすということもした。
現在はこの無縁塚にて何か貴重なものがあると探知し、捜索しているのだ。
「あぁ、ありがとう。じゃあ今日はその辺りを探してみようか」
配下の鼠の一匹がナズーリンに向かって鳴き、それに応える様に優しく頭を撫でた。鼠はどこか嬉しげに身をよじり外へと飛び出していった。
後を追う形でナズーリンも小屋から出て、目的の場所へと飛ぶ。
無縁塚は人が妖怪に襲われる危険な場所だ。その事情もあり、人里で修行する僧が供養に訪れることもある。
僧以外墓参に来る者も居ない墓は石が積まれただけの粗末な造りの墓場となっている。目的の場所はそこである。
「墓荒らしは流石に……。本当にここなのかい? まさか屍肉が食べたいだけだなんて言わないだろうね」
先程飛び出した鼠に再び尋ねる。ナズーリンは毘沙門天の遣い、即ち仏門に下る妖怪であるので可能な限りそれは避けたかった。
鼠を従えるとはいっても、完全に言うことを聞くわけではない。ある時は目当てが鼠たちに食い荒らされて骨一つ残らず、探索を断念したことがあったくらいだ。
ナズーリンの機嫌を損ねたと思った鼠は、激しく首を振る。挙句転がり、腹まで見せる服従ぶりだ。この鼠にとっては目の前の肉よりもナズーリンの指示を守ることの方が大事だそうだ。
「そこまでしなくてもいいのに。君は本当に頑張ってくれているね、今晩何か褒美をあげよう」
礼代わりにと腹をくすぐってやると、鼠は喜びに打ち震え、為すがままに受け入れる。
ひとしきりくすぐり撫で終えると、鼠は何処かへと走り去っていった。おそらくは新たなご褒美を目当てに他の宝を探しにいったのだろう。
「さて、と。あの子の言う通り、確かにこの墓には何かあるね」
ペンデュラムを使用した探知、そして自身による能力を用いることによってダウジングは更に高精度なものとなる。
人間が行う不正確なダウジングとは違い、ナズーリンは明確にエネルギーや質量を感知することが出来る。
事実、ペンデュラムはブレや風の揺れとは違う細かな震えを起こしている。
「レア度零では無い……」
人間は幻想郷内外で多く確認されるからレア度は無いも等しいとナズーリンが定めている。そうではない、ということは何かしらの物質が墓に存在しているということになる。
ナズーリンはペンデュラムを片付け、ロッドを取り出し構える。
息を整え、目の前の墓に集中し、ダウジングを開始する。
しかし、ナズーリンは構えてすぐにその作業を止めた。
「……駄目だな、やっぱり限界か」
原因はロッドにある。主軸となる部分が僅かながらに外側へ歪んでいる。これではダウジングでの成否が非常に分かりにくいものとなる。
良く見ればそれだけでは無い。
ロッドの先端は東西南北を示す『N・S・E・W』を意匠したものが付けられているが、所々がひしゃげている。『S』に至っては『5』の様な形にまで変形してしまっている。
これらの損傷は全て幻想郷での決闘方法、弾幕ごっこが原因である。
飛び道具を撃ち合うだけでは無く、時には近接戦をも発生する戦いにより武器として扱われたロッドが限界を迎えたのだ。いつへし折れても可笑しくは無い。
「個人の手入れ程度じゃどうしてもなぁ……。そもそも修理を出すにしても…………御主人様に泣きつく……いやそれは…………」
独りごちりながら、案を模索する。
主人である星、並びに命蓮寺住職の聖に相談をするという事がまず思い浮かんだ。しかしながらナズーリンの小さなプライドがそれを阻害した。
間違いなく二人は手助けをしてくれるだろう。星の能力が集めた財宝を利用して、誰かしらに修理を依頼して特注のロッドが出来上がるだろう。
だがナズーリンにとってそれが嫌であった。命蓮寺での立場は常に頼もしい存在でありたいと思い、それが邪魔をしてしまっている。
次に思い付いた案は毘沙門天へお願いするというものだが、即座に却下となった。ナズーリンは十分に毘沙門天の威光を知っている。そんな事は出来るはずがないと。そもそも人当たりの良い星と同列に扱うことが烏滸がましいのだ。
現実的な案として、人里の鍛冶屋ないし修理屋に預ける事だった。問題はそれらがあまり出来が良くないという評判である。
魑魅魍魎の幻想郷では人間では迂闊に採取や採掘が出来ず、どうしても質の悪い素材を利用することになり、比例する形で腕前も下がっていってしまっている。
「……やはり人間なんかにこんなことは頼めない……。妖怪鍛冶屋など信用ならないし……。ん? 待てよ、鍛冶屋なら小傘の奴が始めたとか言っていたな」
忘れ傘の付喪神である多々良小傘は、何の因果か一ツ目小僧の鍛冶能力に目覚め、現在はそれで生計を立て、中々に評判が良いと噂になっている。
ナズーリンとは少なからずの縁があり、以前は命蓮寺裏の墓地を彷徨く妖怪であった。その際に墓地の管理を任せ、それを監視をするといった関わりがあったのである。
その上で命蓮寺の人物とは直接の関わりがない、ナズーリンにとってうってつけの存在といえる。
「妖怪でも小傘なら知らない仲じゃあない。頼んでみてもいいんじゃないか……? いや、しかし小傘かぁ……」
小傘という妖怪は人間を驚かす事に傾倒しているが、結果は伴っていないせいで失敗ばかりしている。その姿がナズーリンにとっての小傘への評価なのだ。
どうしても不安が募ってしまう。
「ま、まぁあいつの仕事ぶりを見てみてから決めればいいか……。駄目そうなら他の妖怪鍛冶屋を当たろう」
考えが纏まったナズーリンは目の前の墓を後にして、人里の方へと飛び立つのだった。
無縁塚から北東へ進むと、魔法の森と呼ばれる鬱蒼とした樹海が広がる。その魔法の森を更に北東へと進む事によって幻想郷の中心部である人里へと至る。
知恵と実力のある妖怪達が管理する事によって守られた人里は、人間にとって貴重な生活圏である。
肝心の小傘の鍛冶工房は人里から少し離れた場所にある。文明が古い幻想郷にしては非常に珍しい煉瓦造りの煙突が特徴的だ。
ナズーリンが到着する時には丁度作業中のようで、煙突からは煙が立ち上っている。
降り立って裏手の格子窓からこっそりと覗き込む。煤と埃と金属の焼けた、些か不快な匂いを感じつつも小傘を探す。
丁度、炉から取り出した金属を小傘が一心に槌を打ち鍛えている最中であった。
いつものスカートにブラウスといった出で立ちではなく、作務衣に頭に手拭いを巻いている。
普段の小傘は陽気、暢気といった言葉が似合う朗らかな少女であるが、鍛冶を行う今の姿はそれらとは打って変わって真剣そのものである。
汗だくになりながらも手を休める事もなく打ち続けている。精密性を求める為の素手での作業に、より頑強な妖怪といえども爛れるまではいかないもののの、赤くなった手の火傷が窓越しから見て取れる。
その姿を見てナズーリンは評判の高さを事実であると得心がいく。
裏手から離れ、玄関へと入る。工房部分とは別室になっているようで、宣伝用に飾られている作品が数点確認が出来る。
作品に拘りは無いようで、刀や鎌の刃の部分といった武器の類の隣には照明の装飾や命蓮寺でも使われる本坪鈴が飾られている。
そういった煌びやかな作品に混じって一際目立つ様に置かれているのは、小傘の代名詞ともいえる大きな傘である。
紫色の唐傘にデロリと飛び出た大きな舌と一ツ目が特徴で、見つめる様に入り口に向けて置かれる姿は少なからず威圧感がある。
「いらっしゃいませ、ナズーリン久しぶり! 今日はどういった用件で?」
奥の工房から小傘が現れる。絶妙なタイミングなのも誰が来たのかも既に把握しているのは唐傘と小傘が文字通り一心同体であり、唐傘が入口での目の役割を果たしているからである。
「どうも。今回は君に鍛冶の依頼をしに来たんだ」
「おぉう、これは驚き。で、何を作ればいいんです? やっぱり寅丸さんがまた何か無くしてその代用を……とか?」
商売の話となって些か畏まった話し方をするものの、どうしても砕けた口調となるのは小傘の性分なのだ。
「そうじゃないし、御主人様も今回は、大丈夫だよ。頼みたいのは私のロッドなんだ」
途端、ニコニコとしていた小傘が神妙な表情へと変わる。
「ロッド見せてもらえる? 状態を見ないと直せるかも解らないわ」
能天気な小傘といえども、ナズーリンが大事に持ち歩くロッドを誰かに預けることの重大さを理解は出来る。だからこそ、真摯に対応するべきだと判断したのだ。
ナズーリンはロッドを小傘へと差し出す。小傘は錆び、曲がり、歪みの具合を隅々まで見定める。
時間にして一分程で鑑定は終わったが、表情は明るくなる事はない。その様をじっと見つめていたナズーリンは、ロッドが修復不可能である事を察知したのであった。
「ナズーリン、悪いけどこのロッドはもう修理じゃ……」
「その様子を見れば分かるよ。だから小傘、キミに新しくロッドを作って欲しい」
そう言うや否や、小傘の表情が一気に明るくなる。明るいというよりも、ニヤけが止まらないといった風だ。
「いやー、そー言われるとなぁー、しょーがないなぁー、ナズーリンさんからの頼みだもんなぁー」
「んー、でも査定が小傘だけだと不安だしなぁ。他の鍛冶屋当たるか……。確か白玉楼の方に……」
「わぁーっ! ウソウソ! すみません調子乗りました! でもロッドが限界なのは本当です!」
すぐに調子に乗ってしまうところが小傘の玉に瑕だ。職人として信頼され、かつ付き合いが良い相手からの頼みとあって尚更のことである。
ナズーリンもそういったところは十分に把握してあり、即座に返す。こんなやりとりをもう何度もしてきたのだ。
「ふふん、分かればよろしい。ま、仕事ぶりは見させてもらったからね。信頼してるよ」
鼻を鳴らして自慢気である。尻尾も揺れて籠の鼠が落ちそうになって慌てている。
抗議の鳴き声を聞いて、ナズーリンは鼠を撫で摩り宥める。
「ああ、ごめんね。……じゃあ本題に入ろうか。ロッドの新造。デザイン、サイズは今の物と据え置きで」
「作り方はどうする? 鍛造でいい?」
「鍛造?」
「ホラ、刀とかで良くある叩いて造るあのやり方。あれだと頑丈に作れるからロッドの耐久性も上がるわ」
「じゃあそうしよう。後は……値段かな」
値段の単語を出した瞬間に小傘の赤と青のオッドアイが怪しく光る。再び商売人としての根性が騒ぐのだ。脇にあるそろばんを取り鳴らし始める。
「うんうん、では完全受注生産という事になりますので、値段のほうが……」
小傘が提示した金額はナズーリンにとっては相当に高い額だった。払えなくはないが、相当にレア度の高い物を売り払わなくてはならない。
ナズーリンはトレジャーハンターであり、同時にコレクターでもあるのだ。
そして商売人と化した小傘は、ナズーリンの顔がほんの僅かに渋くなるのを見逃さなかった。
「あー、そうだ。賢いナズーリンさんには特別な割引があるのですが……」
「な、何かな」
「いえね、命蓮寺の賢将と言われるナズーリンさんのお知恵を拝借しまして、わたくしに驚かせる方法を伝授して頂きたいなと……」
「はい?」
突拍子も無い案にナズーリンは思わず面食らってしまう。
小傘は人間を驚かせる事を糧に生きている妖怪であるが、その驚かせるという事がとてつもなく下手なのだ。最後に満足して驚かせることが出来たのは、命蓮寺裏の墓地に居座った初めの頃である。
唖然とするナズーリンに、慌てふためきながらも小傘は説明をする。
「折角恩を売れるチャンスな訳だし、ね? ちゃんと割引するしさ……」
「何割?」
「に、二割……」
「…………」
「や、やっぱり三割引にさせてもらいます……。だ、駄目?」
「……なんだかこのままずっと黙ってると無料になるまで割引しそうだよね。いいよ、三割で」
小傘の表情がみるみるうちに変わってゆく。笑顔を通り越して泣きそうにも見える。
喜色満面の小傘は思わずナズーリンに抱きついた。
「ありがとーっ!! ナズーリンが手伝ってくれるなら十倍、いや百倍の驚きだって夢じゃない!!」
「わ、分かったから離れてくれ……。汗臭いんだって」
「ゴメンゴメン。じゃあ今の仕事が終わってからロッドの鍛造になるけどいいよね?」
「勿論。今は何を造ってたんだい?」
「今はねぇ、結婚指輪を造ってるの。見てみる?」
ナズーリンが頷くと、小傘は奥の部屋へと戻る。少し待つと小さなお盆を持ってきた。二つの指輪が載っている。
「珍しいね、幻想郷じゃ白金なんてまず見ない」
「ね。私も実物は初めて」
外の世界では定番となっている白金の結婚指輪だが、狭い幻想郷では鉱石は限られる。ナズーリンの探知能力をもってしてもほとんど見つける事の出来ない貴重な代物である。天狗の縄張りの妖怪の山ならば存在するかもしれないが、おいそれとは入れない。
「どうやって依頼主が入手したのかは知らないけど、作り甲斐のあるやつだったわ。後は研磨と刻印で終わり」
本来ならばそれぞれに専門の匠が存在するのだが、ここでは全て小傘一人で行う。評判になるだけの器用さを持ち合わせているのだ。
「それじゃあ、指輪が完成してから驚かせる方法を試してみよう。また連絡する」
「うん。驚天動地のビックリを出せる様にご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
深々とお辞儀をする小傘に苦笑しつつ、ナズーリンは工房を出る。すぐに思い付いた分もあるが、策を練るに越したことはない。頼られる喜びに頬を僅かに緩ませつつも無縁塚へと帰るのだった。
後日、ナズーリンは、それはそれは大変な苦労をする羽目になる。
先日から更に幾つかの案を纏め、小傘に提案。小傘自身も思いつかなかったと喜び、実行へ向けて勇んではいたものの、いざ本番となると全て残念な失敗をするのだった。
例を挙げると、鍛冶の逞しさは何処へやら、手始めとしてさせた傘を手放し単純にただ驚かすということであるが、傘無しの不安さと小傘の発想の貧困さと相まって「うらめしやー」としか言えないのだった。
ならばと有名どころの怪談に倣い、深夜の柳の下ですすり泣くところから始めさせる。だがしかし小傘は異様に大根演技であり、泣いているというよりもただの棒読みでしかなかった。
挙句、特徴的すぎる唐傘が原因で即座に村人にバレて哀れまれる、という事もあった。他にも人間に化けた妖怪マミゾウを驚かしてしまい説教をされる、紅魔館のメイド長を驚かそうとしたらいつの間にか四方八方からナイフが飛んできた等々、散々な結果であった。
「いや、いや凄いよ小傘。ここまで驚かすことに長けていないだなんて。私のこの驚きが欲しかったのか、ってぐらいだね」
工房へ戻って反省会を行う。想像以上の小傘の残念さに思わず皮肉が出てしまう。
「妖怪の驚きはあんまり美味しくーー」
「何だって」
「すみません! 何でもありません! とてもでりしゃすですハイ!」
「ふん」
憮然とするナズーリン。小傘は萎縮して縮こまっているが、行動に移すといつもの様に元気はつらつとなるだろう。
頭の大きな耳がヒクつく。貧乏ゆすりが止まらない。ナズーリンの思考は現在、小傘の腕前で如何に人間を怯えさせ、恐怖を煽りたて、効率良く驚きを回収するかに腐心していた。
しかし、頭の中での想像でも小傘はどこかしらでヘマをし、必ず失敗する未来ばかりが思い浮かぶ。目の前も脳内の小傘も共にバツの悪そうな顔で苦笑いをする。
そこで、ふと考えたのだ。必ずしも怖がらせる必要は無いのではないかと、思い至ったのだ。
「小傘」
「ひゃい!」
ただ呼びかけただけで、小傘はビクリと大きく身体を震わし、背筋を伸ばし直す。
改めて、小傘の姿を見直す。水色を基調とした水玉模様のスカートとケープ。同じく水色のショートカットに赤と青のオッドアイ。そこに目立つ紫の一ツ目唐傘を携える。
昼間では人里の子供から『茄子お化け』とからかわれている姿も確認をした。
少女然とした姿に子供からも畏れられない傘。怖がらせるというのは土台無理があったのだ。
「君がここまで酷いとは思わなかった。そこでだ、方向性を変えたい。妖怪らしく怖がせるのではなく、別の何かに。……だから一度君の言う『驚き』というものをキチンと理解したい」
「…………んー、私にとっての驚きっていうのは、感情の昂り? っていうのかな、それが一番美味しいのが人間のビックリだったわ。軽く怒るとかならスパイスになるんだけど、純粋な憎しみだとかになると美味しくないの。ていうかマズイ」
小傘は渋い顔をして舌を出す。唐傘の舌まで出してアピールをする様に思わず笑ってしまう。
今の小傘の話からすると、これまでの驚かせる行為が悪戯程度に抑えていたという事になる。洒落にならない程の事は不利益しか生み出さない。
「ふふっ、妖怪なのに強い負の感情は駄目か。だったらこの鍛冶の仕事は結構良い吃驚とやらが食べれただろう?」
「妖怪じゃないもん付喪神だもん。……鍛冶のビックリは最初はね。でも鍛冶で評判が高くなるうちにあんまりビックリされなくなって……今は人によって、かな」
「ふぅむ、まぁ鍛冶仕事に関しての『驚き』とやらは一定は回収出来そう、と。じゃあ次。負の感情は駄目ならその逆、喜びや幸せの感情の強い驚きはどうなんだい?」
ナズーリンからの質問に対し、小傘は回答に詰まってしまう。そこまで難しく考えるものではないのだが、しばらく固まる小傘にナズーリンは訝しむ。
「…………」
「小傘? まさかとは思うけど分からないなんて事は無いだろうね。それとも表現が難しいとか?」
「ナズーリン」
「何」
「喜びとかのだよね……。んーと、そういう感情のは大福みたいに甘い感じ……かな。で、その……」
小傘の回答の歯切れが悪い。怒られる事を分かっていながらも悪戯を告白する子供の様にモジモジとしている。
ナズーリンは黙って続きを促す。
「あの……記憶にある限り、強いビックリを得た事がありません……」
「なっ」
ナズーリンは思わず驚いてしまう。小傘の仕事の成果は周りを見ればよく分かる。この高い完成度を前にして、日用品なら兎も角、記念品などであれば強い驚きを得られる筈だ。
その様子に、小傘は妖怪の驚きはあまり美味しくないと言っていたが、それでも十分な量を得たのか、ニンマリとニヤついている。
「ほ、他は兎も角、鍛冶の仕事はどうなんだ!? 依頼次第じゃ満足するまで貰えるだろう!?」
「いやぁ……それがお金とか絡むと濁るっていうか、妖怪だからー、とかで一度も……」
「それなら、今造っている指輪はどうなんだ? わざわざ貴重な素材まで…………」
ナズーリンはまくし立てるつもりだったのだが、ふと、ある事を思いつく。口に手を当て考えに耽ってしまった。
黙りこくるナズーリンに今度は小傘が怪訝な顔をする。
目の前の智将が知恵を凝らしている最中を邪魔する訳にもいかず、お茶を啜りながら待つ。
時間にして数十秒程でナズーリンは口を開いた。
「小傘、付いて来てくれ。渡したい物が出来た。それから後でその指輪の依頼主について教えてくれるかい?」
小傘は首を縦に振った。
二人は小傘の鍛冶小屋を閉めて飛んで行くのだった。行き先は無縁塚である。
無縁塚、ナズーリンの小屋にて小傘に渡された物は小さな三角錐の頂点に紐が付いた物である。底は弁の様な形に細工されている。玩具の様に見えるが、一目で外の世界からの物であるため迂闊な事は出来ない。
「これは?」
小傘には使い方がよく分からない為、ナズーリンに説明を促す。
「『クラッカー』と呼ばれる外の世界の玩具らしい。使い方はその垂れた紐を引っ張れば分かるよ。……おっと、その口の所を私に向けないでくれよ」
外の世界の物は貴重である。玩具と言えども利用できることはほぼ無いので、小傘は期待に胸を膨らませていた。
説明通りに明後日の方向を向いて紐を引っ張ると、ポン、という軽い炸薬音と共に紙吹雪や紙の紐が飛び出す。
「…………これだけ?」
露骨に落胆が表に出てしまう。やはり玩具は玩具程度でしか無い。魅せが重要視されるスペルカードの方が数段美しい。
「一つだけならそうだね。でもこれが数十、いや百個あれば?」
「そりゃあ、相当綺麗だと思うけど……何処でそんなに使うことがあるの?」
ナズーリンは思わず溜息が出てしまう。これまでの幼稚な驚かし方といい、鍛冶以外は知恵が働いていないと言える。
「指輪だよ、ゆ・び・わ。結婚式が近いうちにあるんだろう? そこでこのクラッカーを使うんだよ。作戦はーー」
ナズーリンは小傘に作戦を説明するのだった。
数日後、人里では一組の夫婦が誕生した。名のある長者一族同士の結婚とあり、更に天気にも恵まれ、式は盛大に執り行われた。
本来なら自宅で行われる所を、特別に守矢神社の分社にて祝詞奏上が行われた。博麗神社の小箱程の物とは違い、力を入れる人里とあってそれなりの規模である。
ナズーリンと小傘は式が執り行なわれている本殿からから離れた参道に居た。
二人の他にも、招待された参加者が多数居る。本殿は親族のみで婚礼の儀式を済ますという希望である。
本来の予定であれば祝福の言葉と共に見送るという手筈であったが、二人がそれを変更した。守矢家並びに親族共に了承済みである。
参加者皆の手にはクラッカーがある。
「さて、それじゃあ私達も準備を始めよう。財宝『ゴールドラッシュ』」
ナズーリンが行ったのは弾幕ごっこにて使用されるスペルカードである。ナズーリンの場合、宣言と共に弾幕を射出する金塊を展開するというものだ。
それを霊力を抑えて使用、弾の射出を無くし、霊力で出来た金塊のみを参道の外側へ召喚した。
続けて小傘が宣言する。
「化符『忘れ傘の夜行列車』」
今回の場合は霊力で実体化させた傘から雨が降り注ぐという程度に抑えられている。
二人の宣言とスペル発動が終わる頃に丁度、儀式を終えた新郎新婦が登場した。
「ご結婚おめでとうございます!」
と参加者が口々に夫婦を祝福し、クラッカーを鳴らす。
放たれる軽快な音と煌びやかな紙吹雪は、花火と違い安全で、かつ派手である。
後押しする様にナズーリンと小傘のスペルによって濡らされた艶やかな金塊が光を反射させて意図的にプリズム、そして虹を生み出す。
その光輝と紙吹雪の組み合わせは、派手をも越えてある種の荘厳さすら感じられる。その美しさは弾幕ごっこを見る事の出来る人里でも類を見ない程である。
美しさと祝福。不意の祝いに満たされた夫婦はいたく感動し、涙が溢れる。
その瞬間はまさに大きな驚きそのものである。
その様子を集団から一歩離れて見ていた小傘にとって、まさに猛烈な瞬間だった。
この世の甘味よりも甘く、これまで満腹だと思っていた驚きの上限を悠々と超えた。
生まれて初めて、食べ切ることが出来なかった。
その日の夕刻、帰途につく二人であるが、小傘はナズーリンにしきりにお礼を言い続け、抱きついていた。それ以上の愛情表現が小傘では出来ないのだ。
ナズーリンも最初は非常に鬱陶しがっていたが、いつまでもこの様子で、とうとう諦めて受け入れている。
「なずぅりぃん、ほんとありがとねぇ。ロッドタダで造っちゃう。あ、造らせて頂きますぅ」
「丸儲けなのは嬉しいけど、いい加減離れてくれよ……」
「え? 嬉しい? わたしもぉ、えへへへへ」
驚きに満ち満ちて、まさしく幸福の絶頂だ。
話すらまともに聞かない程である。酔っ払いと大差がない。
そういうやり取りを繰り返して小傘の工房へと戻ったのだった。
「じゃあ私は帰るからね! いつまでも余韻に浸ってないでロッド直してくれよ!」
「じゃあねぇ、ばいばぁい」
すっかり出来上がっている小傘を尻目にナズーリンは無縁塚へと戻った。
後日、小傘が真っ青な顔をしてロッドを届けに来たので、ナズーリンは小傘の驚き酔いについては水に流すのだった。
ロッドも新造したとあって、中断していた墓中のお宝を再度確認に来たのである。
ロッドの能力探知も問題なく、いざ墓を暴くかとしたところで、カツ、と小さな音が聞こえた。
ナズーリンが足元を覗き込むと胸元のペンデュラムが外れ、地面へ転がっていた。
拾ってよく見ると細かな亀裂が走っている。
「け、結構貴重な鉱石なんだけどな……。まさかとは思うけど、キミがやっているのかい?」
目の前の墓に話しかける。そうだと言わんばかりに今度は尻尾の籠の取っ手の金具が外れる。
地面に落ちた籠から驚いた鼠が飛び出して混乱し、暴れている。
「よしよし、怖くない怖くない……。わかった、もういいよ。キミの事はもう探らない」
言葉が聞こえるかは定かではないが、ナズーリンの周りで何かが起こる事は無かった。
改めてペンデュラムを覗く。亀裂が走り、アクセサリとしても、ダウジング用品としても使う事が出来ない。
誰かに鉱石を研磨し、造ってもらうしかない。
「ま、また厄介になるのか……。もう驚きは懲り懲りだよ……」
その大半は明らかなガラクタであるが、中には使えそうな物もある。
使えそうな、というのは幻想郷と外の世界には文化として大きな隔たりがあり、そのほとんどは使用用途不明だ。
また、『物』とは道具だけではなく人間や獣も含まれる。幻想郷は妖怪等が蔓延る世界であり、弱肉強食の世界である。当然流れ着いた『物』が無事で済むはずもない。
そうした幻想郷とは無縁の『物たち』が流れ着くその場所は、やがて無縁塚と呼ばれる様になった。
その無縁塚に一つ小さな小屋がある。無骨な造りではあるが、隙間も無く風雨は避ける事が出来、住む事が出来そうだ。
実際、小屋にはある少女が住んでいる。白のブラウスに灰色のワンピース、水色のケープを着込んだ小さな少女だ。
これだけならば可愛らしいものだが、場所は人間は寄ることのない無縁塚。彼女は人間ではない。
ふわりとしたショートボブには大きな丸い耳がある。ワンピースの裾から細くしなやかに伸びる尻尾が生え、先端に小さな籠を提げている。籠には鼠が一匹入っている。
彼女は鼠の妖怪である。名前はナズーリンという。
ナズーリンはダウジングを得意とする妖怪である。大勢の鼠を従え、身の丈程もある大きなダウジングロッドと首から提げたペンデュラムを用いて目当ての物を探し出すのだ。
かつてはナズーリンの主人である寅丸星が失くした毘沙門天の宝塔を見つけだすということもした。
現在はこの無縁塚にて何か貴重なものがあると探知し、捜索しているのだ。
「あぁ、ありがとう。じゃあ今日はその辺りを探してみようか」
配下の鼠の一匹がナズーリンに向かって鳴き、それに応える様に優しく頭を撫でた。鼠はどこか嬉しげに身をよじり外へと飛び出していった。
後を追う形でナズーリンも小屋から出て、目的の場所へと飛ぶ。
無縁塚は人が妖怪に襲われる危険な場所だ。その事情もあり、人里で修行する僧が供養に訪れることもある。
僧以外墓参に来る者も居ない墓は石が積まれただけの粗末な造りの墓場となっている。目的の場所はそこである。
「墓荒らしは流石に……。本当にここなのかい? まさか屍肉が食べたいだけだなんて言わないだろうね」
先程飛び出した鼠に再び尋ねる。ナズーリンは毘沙門天の遣い、即ち仏門に下る妖怪であるので可能な限りそれは避けたかった。
鼠を従えるとはいっても、完全に言うことを聞くわけではない。ある時は目当てが鼠たちに食い荒らされて骨一つ残らず、探索を断念したことがあったくらいだ。
ナズーリンの機嫌を損ねたと思った鼠は、激しく首を振る。挙句転がり、腹まで見せる服従ぶりだ。この鼠にとっては目の前の肉よりもナズーリンの指示を守ることの方が大事だそうだ。
「そこまでしなくてもいいのに。君は本当に頑張ってくれているね、今晩何か褒美をあげよう」
礼代わりにと腹をくすぐってやると、鼠は喜びに打ち震え、為すがままに受け入れる。
ひとしきりくすぐり撫で終えると、鼠は何処かへと走り去っていった。おそらくは新たなご褒美を目当てに他の宝を探しにいったのだろう。
「さて、と。あの子の言う通り、確かにこの墓には何かあるね」
ペンデュラムを使用した探知、そして自身による能力を用いることによってダウジングは更に高精度なものとなる。
人間が行う不正確なダウジングとは違い、ナズーリンは明確にエネルギーや質量を感知することが出来る。
事実、ペンデュラムはブレや風の揺れとは違う細かな震えを起こしている。
「レア度零では無い……」
人間は幻想郷内外で多く確認されるからレア度は無いも等しいとナズーリンが定めている。そうではない、ということは何かしらの物質が墓に存在しているということになる。
ナズーリンはペンデュラムを片付け、ロッドを取り出し構える。
息を整え、目の前の墓に集中し、ダウジングを開始する。
しかし、ナズーリンは構えてすぐにその作業を止めた。
「……駄目だな、やっぱり限界か」
原因はロッドにある。主軸となる部分が僅かながらに外側へ歪んでいる。これではダウジングでの成否が非常に分かりにくいものとなる。
良く見ればそれだけでは無い。
ロッドの先端は東西南北を示す『N・S・E・W』を意匠したものが付けられているが、所々がひしゃげている。『S』に至っては『5』の様な形にまで変形してしまっている。
これらの損傷は全て幻想郷での決闘方法、弾幕ごっこが原因である。
飛び道具を撃ち合うだけでは無く、時には近接戦をも発生する戦いにより武器として扱われたロッドが限界を迎えたのだ。いつへし折れても可笑しくは無い。
「個人の手入れ程度じゃどうしてもなぁ……。そもそも修理を出すにしても…………御主人様に泣きつく……いやそれは…………」
独りごちりながら、案を模索する。
主人である星、並びに命蓮寺住職の聖に相談をするという事がまず思い浮かんだ。しかしながらナズーリンの小さなプライドがそれを阻害した。
間違いなく二人は手助けをしてくれるだろう。星の能力が集めた財宝を利用して、誰かしらに修理を依頼して特注のロッドが出来上がるだろう。
だがナズーリンにとってそれが嫌であった。命蓮寺での立場は常に頼もしい存在でありたいと思い、それが邪魔をしてしまっている。
次に思い付いた案は毘沙門天へお願いするというものだが、即座に却下となった。ナズーリンは十分に毘沙門天の威光を知っている。そんな事は出来るはずがないと。そもそも人当たりの良い星と同列に扱うことが烏滸がましいのだ。
現実的な案として、人里の鍛冶屋ないし修理屋に預ける事だった。問題はそれらがあまり出来が良くないという評判である。
魑魅魍魎の幻想郷では人間では迂闊に採取や採掘が出来ず、どうしても質の悪い素材を利用することになり、比例する形で腕前も下がっていってしまっている。
「……やはり人間なんかにこんなことは頼めない……。妖怪鍛冶屋など信用ならないし……。ん? 待てよ、鍛冶屋なら小傘の奴が始めたとか言っていたな」
忘れ傘の付喪神である多々良小傘は、何の因果か一ツ目小僧の鍛冶能力に目覚め、現在はそれで生計を立て、中々に評判が良いと噂になっている。
ナズーリンとは少なからずの縁があり、以前は命蓮寺裏の墓地を彷徨く妖怪であった。その際に墓地の管理を任せ、それを監視をするといった関わりがあったのである。
その上で命蓮寺の人物とは直接の関わりがない、ナズーリンにとってうってつけの存在といえる。
「妖怪でも小傘なら知らない仲じゃあない。頼んでみてもいいんじゃないか……? いや、しかし小傘かぁ……」
小傘という妖怪は人間を驚かす事に傾倒しているが、結果は伴っていないせいで失敗ばかりしている。その姿がナズーリンにとっての小傘への評価なのだ。
どうしても不安が募ってしまう。
「ま、まぁあいつの仕事ぶりを見てみてから決めればいいか……。駄目そうなら他の妖怪鍛冶屋を当たろう」
考えが纏まったナズーリンは目の前の墓を後にして、人里の方へと飛び立つのだった。
無縁塚から北東へ進むと、魔法の森と呼ばれる鬱蒼とした樹海が広がる。その魔法の森を更に北東へと進む事によって幻想郷の中心部である人里へと至る。
知恵と実力のある妖怪達が管理する事によって守られた人里は、人間にとって貴重な生活圏である。
肝心の小傘の鍛冶工房は人里から少し離れた場所にある。文明が古い幻想郷にしては非常に珍しい煉瓦造りの煙突が特徴的だ。
ナズーリンが到着する時には丁度作業中のようで、煙突からは煙が立ち上っている。
降り立って裏手の格子窓からこっそりと覗き込む。煤と埃と金属の焼けた、些か不快な匂いを感じつつも小傘を探す。
丁度、炉から取り出した金属を小傘が一心に槌を打ち鍛えている最中であった。
いつものスカートにブラウスといった出で立ちではなく、作務衣に頭に手拭いを巻いている。
普段の小傘は陽気、暢気といった言葉が似合う朗らかな少女であるが、鍛冶を行う今の姿はそれらとは打って変わって真剣そのものである。
汗だくになりながらも手を休める事もなく打ち続けている。精密性を求める為の素手での作業に、より頑強な妖怪といえども爛れるまではいかないもののの、赤くなった手の火傷が窓越しから見て取れる。
その姿を見てナズーリンは評判の高さを事実であると得心がいく。
裏手から離れ、玄関へと入る。工房部分とは別室になっているようで、宣伝用に飾られている作品が数点確認が出来る。
作品に拘りは無いようで、刀や鎌の刃の部分といった武器の類の隣には照明の装飾や命蓮寺でも使われる本坪鈴が飾られている。
そういった煌びやかな作品に混じって一際目立つ様に置かれているのは、小傘の代名詞ともいえる大きな傘である。
紫色の唐傘にデロリと飛び出た大きな舌と一ツ目が特徴で、見つめる様に入り口に向けて置かれる姿は少なからず威圧感がある。
「いらっしゃいませ、ナズーリン久しぶり! 今日はどういった用件で?」
奥の工房から小傘が現れる。絶妙なタイミングなのも誰が来たのかも既に把握しているのは唐傘と小傘が文字通り一心同体であり、唐傘が入口での目の役割を果たしているからである。
「どうも。今回は君に鍛冶の依頼をしに来たんだ」
「おぉう、これは驚き。で、何を作ればいいんです? やっぱり寅丸さんがまた何か無くしてその代用を……とか?」
商売の話となって些か畏まった話し方をするものの、どうしても砕けた口調となるのは小傘の性分なのだ。
「そうじゃないし、御主人様も今回は、大丈夫だよ。頼みたいのは私のロッドなんだ」
途端、ニコニコとしていた小傘が神妙な表情へと変わる。
「ロッド見せてもらえる? 状態を見ないと直せるかも解らないわ」
能天気な小傘といえども、ナズーリンが大事に持ち歩くロッドを誰かに預けることの重大さを理解は出来る。だからこそ、真摯に対応するべきだと判断したのだ。
ナズーリンはロッドを小傘へと差し出す。小傘は錆び、曲がり、歪みの具合を隅々まで見定める。
時間にして一分程で鑑定は終わったが、表情は明るくなる事はない。その様をじっと見つめていたナズーリンは、ロッドが修復不可能である事を察知したのであった。
「ナズーリン、悪いけどこのロッドはもう修理じゃ……」
「その様子を見れば分かるよ。だから小傘、キミに新しくロッドを作って欲しい」
そう言うや否や、小傘の表情が一気に明るくなる。明るいというよりも、ニヤけが止まらないといった風だ。
「いやー、そー言われるとなぁー、しょーがないなぁー、ナズーリンさんからの頼みだもんなぁー」
「んー、でも査定が小傘だけだと不安だしなぁ。他の鍛冶屋当たるか……。確か白玉楼の方に……」
「わぁーっ! ウソウソ! すみません調子乗りました! でもロッドが限界なのは本当です!」
すぐに調子に乗ってしまうところが小傘の玉に瑕だ。職人として信頼され、かつ付き合いが良い相手からの頼みとあって尚更のことである。
ナズーリンもそういったところは十分に把握してあり、即座に返す。こんなやりとりをもう何度もしてきたのだ。
「ふふん、分かればよろしい。ま、仕事ぶりは見させてもらったからね。信頼してるよ」
鼻を鳴らして自慢気である。尻尾も揺れて籠の鼠が落ちそうになって慌てている。
抗議の鳴き声を聞いて、ナズーリンは鼠を撫で摩り宥める。
「ああ、ごめんね。……じゃあ本題に入ろうか。ロッドの新造。デザイン、サイズは今の物と据え置きで」
「作り方はどうする? 鍛造でいい?」
「鍛造?」
「ホラ、刀とかで良くある叩いて造るあのやり方。あれだと頑丈に作れるからロッドの耐久性も上がるわ」
「じゃあそうしよう。後は……値段かな」
値段の単語を出した瞬間に小傘の赤と青のオッドアイが怪しく光る。再び商売人としての根性が騒ぐのだ。脇にあるそろばんを取り鳴らし始める。
「うんうん、では完全受注生産という事になりますので、値段のほうが……」
小傘が提示した金額はナズーリンにとっては相当に高い額だった。払えなくはないが、相当にレア度の高い物を売り払わなくてはならない。
ナズーリンはトレジャーハンターであり、同時にコレクターでもあるのだ。
そして商売人と化した小傘は、ナズーリンの顔がほんの僅かに渋くなるのを見逃さなかった。
「あー、そうだ。賢いナズーリンさんには特別な割引があるのですが……」
「な、何かな」
「いえね、命蓮寺の賢将と言われるナズーリンさんのお知恵を拝借しまして、わたくしに驚かせる方法を伝授して頂きたいなと……」
「はい?」
突拍子も無い案にナズーリンは思わず面食らってしまう。
小傘は人間を驚かせる事を糧に生きている妖怪であるが、その驚かせるという事がとてつもなく下手なのだ。最後に満足して驚かせることが出来たのは、命蓮寺裏の墓地に居座った初めの頃である。
唖然とするナズーリンに、慌てふためきながらも小傘は説明をする。
「折角恩を売れるチャンスな訳だし、ね? ちゃんと割引するしさ……」
「何割?」
「に、二割……」
「…………」
「や、やっぱり三割引にさせてもらいます……。だ、駄目?」
「……なんだかこのままずっと黙ってると無料になるまで割引しそうだよね。いいよ、三割で」
小傘の表情がみるみるうちに変わってゆく。笑顔を通り越して泣きそうにも見える。
喜色満面の小傘は思わずナズーリンに抱きついた。
「ありがとーっ!! ナズーリンが手伝ってくれるなら十倍、いや百倍の驚きだって夢じゃない!!」
「わ、分かったから離れてくれ……。汗臭いんだって」
「ゴメンゴメン。じゃあ今の仕事が終わってからロッドの鍛造になるけどいいよね?」
「勿論。今は何を造ってたんだい?」
「今はねぇ、結婚指輪を造ってるの。見てみる?」
ナズーリンが頷くと、小傘は奥の部屋へと戻る。少し待つと小さなお盆を持ってきた。二つの指輪が載っている。
「珍しいね、幻想郷じゃ白金なんてまず見ない」
「ね。私も実物は初めて」
外の世界では定番となっている白金の結婚指輪だが、狭い幻想郷では鉱石は限られる。ナズーリンの探知能力をもってしてもほとんど見つける事の出来ない貴重な代物である。天狗の縄張りの妖怪の山ならば存在するかもしれないが、おいそれとは入れない。
「どうやって依頼主が入手したのかは知らないけど、作り甲斐のあるやつだったわ。後は研磨と刻印で終わり」
本来ならばそれぞれに専門の匠が存在するのだが、ここでは全て小傘一人で行う。評判になるだけの器用さを持ち合わせているのだ。
「それじゃあ、指輪が完成してから驚かせる方法を試してみよう。また連絡する」
「うん。驚天動地のビックリを出せる様にご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします!」
深々とお辞儀をする小傘に苦笑しつつ、ナズーリンは工房を出る。すぐに思い付いた分もあるが、策を練るに越したことはない。頼られる喜びに頬を僅かに緩ませつつも無縁塚へと帰るのだった。
後日、ナズーリンは、それはそれは大変な苦労をする羽目になる。
先日から更に幾つかの案を纏め、小傘に提案。小傘自身も思いつかなかったと喜び、実行へ向けて勇んではいたものの、いざ本番となると全て残念な失敗をするのだった。
例を挙げると、鍛冶の逞しさは何処へやら、手始めとしてさせた傘を手放し単純にただ驚かすということであるが、傘無しの不安さと小傘の発想の貧困さと相まって「うらめしやー」としか言えないのだった。
ならばと有名どころの怪談に倣い、深夜の柳の下ですすり泣くところから始めさせる。だがしかし小傘は異様に大根演技であり、泣いているというよりもただの棒読みでしかなかった。
挙句、特徴的すぎる唐傘が原因で即座に村人にバレて哀れまれる、という事もあった。他にも人間に化けた妖怪マミゾウを驚かしてしまい説教をされる、紅魔館のメイド長を驚かそうとしたらいつの間にか四方八方からナイフが飛んできた等々、散々な結果であった。
「いや、いや凄いよ小傘。ここまで驚かすことに長けていないだなんて。私のこの驚きが欲しかったのか、ってぐらいだね」
工房へ戻って反省会を行う。想像以上の小傘の残念さに思わず皮肉が出てしまう。
「妖怪の驚きはあんまり美味しくーー」
「何だって」
「すみません! 何でもありません! とてもでりしゃすですハイ!」
「ふん」
憮然とするナズーリン。小傘は萎縮して縮こまっているが、行動に移すといつもの様に元気はつらつとなるだろう。
頭の大きな耳がヒクつく。貧乏ゆすりが止まらない。ナズーリンの思考は現在、小傘の腕前で如何に人間を怯えさせ、恐怖を煽りたて、効率良く驚きを回収するかに腐心していた。
しかし、頭の中での想像でも小傘はどこかしらでヘマをし、必ず失敗する未来ばかりが思い浮かぶ。目の前も脳内の小傘も共にバツの悪そうな顔で苦笑いをする。
そこで、ふと考えたのだ。必ずしも怖がらせる必要は無いのではないかと、思い至ったのだ。
「小傘」
「ひゃい!」
ただ呼びかけただけで、小傘はビクリと大きく身体を震わし、背筋を伸ばし直す。
改めて、小傘の姿を見直す。水色を基調とした水玉模様のスカートとケープ。同じく水色のショートカットに赤と青のオッドアイ。そこに目立つ紫の一ツ目唐傘を携える。
昼間では人里の子供から『茄子お化け』とからかわれている姿も確認をした。
少女然とした姿に子供からも畏れられない傘。怖がらせるというのは土台無理があったのだ。
「君がここまで酷いとは思わなかった。そこでだ、方向性を変えたい。妖怪らしく怖がせるのではなく、別の何かに。……だから一度君の言う『驚き』というものをキチンと理解したい」
「…………んー、私にとっての驚きっていうのは、感情の昂り? っていうのかな、それが一番美味しいのが人間のビックリだったわ。軽く怒るとかならスパイスになるんだけど、純粋な憎しみだとかになると美味しくないの。ていうかマズイ」
小傘は渋い顔をして舌を出す。唐傘の舌まで出してアピールをする様に思わず笑ってしまう。
今の小傘の話からすると、これまでの驚かせる行為が悪戯程度に抑えていたという事になる。洒落にならない程の事は不利益しか生み出さない。
「ふふっ、妖怪なのに強い負の感情は駄目か。だったらこの鍛冶の仕事は結構良い吃驚とやらが食べれただろう?」
「妖怪じゃないもん付喪神だもん。……鍛冶のビックリは最初はね。でも鍛冶で評判が高くなるうちにあんまりビックリされなくなって……今は人によって、かな」
「ふぅむ、まぁ鍛冶仕事に関しての『驚き』とやらは一定は回収出来そう、と。じゃあ次。負の感情は駄目ならその逆、喜びや幸せの感情の強い驚きはどうなんだい?」
ナズーリンからの質問に対し、小傘は回答に詰まってしまう。そこまで難しく考えるものではないのだが、しばらく固まる小傘にナズーリンは訝しむ。
「…………」
「小傘? まさかとは思うけど分からないなんて事は無いだろうね。それとも表現が難しいとか?」
「ナズーリン」
「何」
「喜びとかのだよね……。んーと、そういう感情のは大福みたいに甘い感じ……かな。で、その……」
小傘の回答の歯切れが悪い。怒られる事を分かっていながらも悪戯を告白する子供の様にモジモジとしている。
ナズーリンは黙って続きを促す。
「あの……記憶にある限り、強いビックリを得た事がありません……」
「なっ」
ナズーリンは思わず驚いてしまう。小傘の仕事の成果は周りを見ればよく分かる。この高い完成度を前にして、日用品なら兎も角、記念品などであれば強い驚きを得られる筈だ。
その様子に、小傘は妖怪の驚きはあまり美味しくないと言っていたが、それでも十分な量を得たのか、ニンマリとニヤついている。
「ほ、他は兎も角、鍛冶の仕事はどうなんだ!? 依頼次第じゃ満足するまで貰えるだろう!?」
「いやぁ……それがお金とか絡むと濁るっていうか、妖怪だからー、とかで一度も……」
「それなら、今造っている指輪はどうなんだ? わざわざ貴重な素材まで…………」
ナズーリンはまくし立てるつもりだったのだが、ふと、ある事を思いつく。口に手を当て考えに耽ってしまった。
黙りこくるナズーリンに今度は小傘が怪訝な顔をする。
目の前の智将が知恵を凝らしている最中を邪魔する訳にもいかず、お茶を啜りながら待つ。
時間にして数十秒程でナズーリンは口を開いた。
「小傘、付いて来てくれ。渡したい物が出来た。それから後でその指輪の依頼主について教えてくれるかい?」
小傘は首を縦に振った。
二人は小傘の鍛冶小屋を閉めて飛んで行くのだった。行き先は無縁塚である。
無縁塚、ナズーリンの小屋にて小傘に渡された物は小さな三角錐の頂点に紐が付いた物である。底は弁の様な形に細工されている。玩具の様に見えるが、一目で外の世界からの物であるため迂闊な事は出来ない。
「これは?」
小傘には使い方がよく分からない為、ナズーリンに説明を促す。
「『クラッカー』と呼ばれる外の世界の玩具らしい。使い方はその垂れた紐を引っ張れば分かるよ。……おっと、その口の所を私に向けないでくれよ」
外の世界の物は貴重である。玩具と言えども利用できることはほぼ無いので、小傘は期待に胸を膨らませていた。
説明通りに明後日の方向を向いて紐を引っ張ると、ポン、という軽い炸薬音と共に紙吹雪や紙の紐が飛び出す。
「…………これだけ?」
露骨に落胆が表に出てしまう。やはり玩具は玩具程度でしか無い。魅せが重要視されるスペルカードの方が数段美しい。
「一つだけならそうだね。でもこれが数十、いや百個あれば?」
「そりゃあ、相当綺麗だと思うけど……何処でそんなに使うことがあるの?」
ナズーリンは思わず溜息が出てしまう。これまでの幼稚な驚かし方といい、鍛冶以外は知恵が働いていないと言える。
「指輪だよ、ゆ・び・わ。結婚式が近いうちにあるんだろう? そこでこのクラッカーを使うんだよ。作戦はーー」
ナズーリンは小傘に作戦を説明するのだった。
数日後、人里では一組の夫婦が誕生した。名のある長者一族同士の結婚とあり、更に天気にも恵まれ、式は盛大に執り行われた。
本来なら自宅で行われる所を、特別に守矢神社の分社にて祝詞奏上が行われた。博麗神社の小箱程の物とは違い、力を入れる人里とあってそれなりの規模である。
ナズーリンと小傘は式が執り行なわれている本殿からから離れた参道に居た。
二人の他にも、招待された参加者が多数居る。本殿は親族のみで婚礼の儀式を済ますという希望である。
本来の予定であれば祝福の言葉と共に見送るという手筈であったが、二人がそれを変更した。守矢家並びに親族共に了承済みである。
参加者皆の手にはクラッカーがある。
「さて、それじゃあ私達も準備を始めよう。財宝『ゴールドラッシュ』」
ナズーリンが行ったのは弾幕ごっこにて使用されるスペルカードである。ナズーリンの場合、宣言と共に弾幕を射出する金塊を展開するというものだ。
それを霊力を抑えて使用、弾の射出を無くし、霊力で出来た金塊のみを参道の外側へ召喚した。
続けて小傘が宣言する。
「化符『忘れ傘の夜行列車』」
今回の場合は霊力で実体化させた傘から雨が降り注ぐという程度に抑えられている。
二人の宣言とスペル発動が終わる頃に丁度、儀式を終えた新郎新婦が登場した。
「ご結婚おめでとうございます!」
と参加者が口々に夫婦を祝福し、クラッカーを鳴らす。
放たれる軽快な音と煌びやかな紙吹雪は、花火と違い安全で、かつ派手である。
後押しする様にナズーリンと小傘のスペルによって濡らされた艶やかな金塊が光を反射させて意図的にプリズム、そして虹を生み出す。
その光輝と紙吹雪の組み合わせは、派手をも越えてある種の荘厳さすら感じられる。その美しさは弾幕ごっこを見る事の出来る人里でも類を見ない程である。
美しさと祝福。不意の祝いに満たされた夫婦はいたく感動し、涙が溢れる。
その瞬間はまさに大きな驚きそのものである。
その様子を集団から一歩離れて見ていた小傘にとって、まさに猛烈な瞬間だった。
この世の甘味よりも甘く、これまで満腹だと思っていた驚きの上限を悠々と超えた。
生まれて初めて、食べ切ることが出来なかった。
その日の夕刻、帰途につく二人であるが、小傘はナズーリンにしきりにお礼を言い続け、抱きついていた。それ以上の愛情表現が小傘では出来ないのだ。
ナズーリンも最初は非常に鬱陶しがっていたが、いつまでもこの様子で、とうとう諦めて受け入れている。
「なずぅりぃん、ほんとありがとねぇ。ロッドタダで造っちゃう。あ、造らせて頂きますぅ」
「丸儲けなのは嬉しいけど、いい加減離れてくれよ……」
「え? 嬉しい? わたしもぉ、えへへへへ」
驚きに満ち満ちて、まさしく幸福の絶頂だ。
話すらまともに聞かない程である。酔っ払いと大差がない。
そういうやり取りを繰り返して小傘の工房へと戻ったのだった。
「じゃあ私は帰るからね! いつまでも余韻に浸ってないでロッド直してくれよ!」
「じゃあねぇ、ばいばぁい」
すっかり出来上がっている小傘を尻目にナズーリンは無縁塚へと戻った。
後日、小傘が真っ青な顔をしてロッドを届けに来たので、ナズーリンは小傘の驚き酔いについては水に流すのだった。
ロッドも新造したとあって、中断していた墓中のお宝を再度確認に来たのである。
ロッドの能力探知も問題なく、いざ墓を暴くかとしたところで、カツ、と小さな音が聞こえた。
ナズーリンが足元を覗き込むと胸元のペンデュラムが外れ、地面へ転がっていた。
拾ってよく見ると細かな亀裂が走っている。
「け、結構貴重な鉱石なんだけどな……。まさかとは思うけど、キミがやっているのかい?」
目の前の墓に話しかける。そうだと言わんばかりに今度は尻尾の籠の取っ手の金具が外れる。
地面に落ちた籠から驚いた鼠が飛び出して混乱し、暴れている。
「よしよし、怖くない怖くない……。わかった、もういいよ。キミの事はもう探らない」
言葉が聞こえるかは定かではないが、ナズーリンの周りで何かが起こる事は無かった。
改めてペンデュラムを覗く。亀裂が走り、アクセサリとしても、ダウジング用品としても使う事が出来ない。
誰かに鉱石を研磨し、造ってもらうしかない。
「ま、また厄介になるのか……。もう驚きは懲り懲りだよ……」
描写が丁寧で引き込まれました。良かったです。
このナズーリンには生活がある
読み進めていくうちにはっとしたのですが、私が普段商業小説を読んでいるときと変わらない安定感で読めていることに気づきました。これが実はとっても驚いたのです。
書き方がとても丁寧でするする読めてしまいました
小傘のために頑張るナズーリンがまさに賢将でした