####
魔法の森に空いたそのウロを見つけたのは、ちょうど昼時分を過ぎた頃だ。
魔理沙はキノコ採取の手を止めて、目の前の円形の空洞を観察した。
湿った森の黒土を押しのけるようにして、小屋ほどの大きさの穴が空いている。底は暗くて見えないが、うっかり滑り落ちでもしたら不味いことになっていたかもしれない。穴は綺麗な真円をしていて、魔理沙にしてみればそれは、“不自然”な形だった。人為的に穴を加工したとしてもああはなるまい。
森の中で不思議な発見があるのは日常茶飯事だが、こいつはもしかするといつもと違うかもしれない。只事ではないかもしれない。面白い発見が穴の中にあるのかもしれない。
と、魔理沙は思った。そこに具体的な根拠などなかったが。
「おっ。なんか不思議な穴があるな……」
魔理沙は背負った竹籠を置いて、拾った枯れ枝にミニ八卦炉で火を点けた。
ウロの中に可燃性の気体が充満していれば、燃えた枝を投げ入れると爆発するだろう。爆発した場合に巻き込まれない程度の距離を保ちつつ、魔理沙は火のついたそれを、ぽいっと投げ入れてみた。
ーーーゴッ
穴の中からうめき声が聞こえた。
「痛たたたた………」
「おーい? 誰かいるのかー?」
「おや!? その声は! 誰か知らないけど助けてー! 穴に落ちて出られなくなっちゃって!」
魔理沙が声をかけてみると、なんと穴から声が返ってきた。
年端もいかない少女の声だ。声はかすれていて衰弱しているように感じた。
「なんだと!? 人里から迷い込んできたのか?」
「そうなんです! 助けて!」
「それは大変だ。待ってろ。今、ロープを持ってきてやるからな!」
「助けてくれるの!? ありがとう! ありがとうございますありがとうございます・・・・」
少女は拝み倒さんばかりに礼を述べた。
「まあいいってことよ。キノコでも食べながら待ってな」
魔理沙は穴の下にキノコを放り投げると、箒にまたがって空へと颯爽と飛び立ち、ロープのある自分の家………ではなく、霊夢のいる博麗神社の方へむかったのだった。
「嘘つけ。こんなところに人間がいるわけないだろ」
####
箒に乗った魔理沙が博麗神社へ辿り着いた時、霊夢は縁側にだらりと仰向けに寝そべっていた。寝巻きのままだ。穏やかな晴天の気に充てられたのか、いつも以上にだらけている。
「おーい。霊夢。掃除はどうしたんだ?」
「後でやるつもりよ」
魔理沙は箒から飛び降りた。
博麗神社周辺に植わっていた桜も花盛りの見頃を過ぎて、春も終わりを迎えようとしている。ということは、散った花びらの片付けをしなければならない。花見場を提供する側にとって、晩春とはいつも掃除の季節なのだ。
「キノコ集めでもしてたの?」
霊夢は魔理沙の背中の竹かごを見つめた。
「ああ、魔法の森じゃ春でもきのこ祭りだ。これを見てくれ……」
魔理沙が両腕で担いでカゴから取り出したのはとびきりのレアもの、巨大化した真っ赤なタマゴタケだ。猛毒と名高いカエンタケと類似しているが、ここまで巨大化すれば見分けも簡単だ。
「なにそれ。毒キノコ?」
「毒じゃない方だ。食おうぜ」
「いいね」
霊夢は起き上がると神社の襖を開けて奥の方へ引っ込み、しばらくしてから、酒と七輪を抱えて戻ってきた。魔理沙は神社から包丁を借りて、キノコをさばいた(砕いた)。キノコ片は、おおよそこぶし大サイズの大きさになった。
「そういやさ。聞いてくれよ霊夢。キノコ集めをしていたら、森の奥、と言っても瘴気の薄い端の方なんだけど、そこに変な穴が空いているのを見つけたんだ。自然に空いたとは思えないくらい、とても丸くて丸い穴でな。だから気になって、穴の中を覗いてみたんだ。真っ暗で何も見えなかったんだけど、下の方から声が返ってきたんだ。びっくりしたよ」
魔理沙はミニ八卦炉の火力を調節して、七輪の中の燃料に火を点けた。
「あら。妖怪?」
「だと思うぜ」
まともに考えて魔法の森で迷子になっている人間などそうはいないし、魔法の森の中で穴にはまって動けない状況でいることはもっと有り得ない。妖怪に喰われて死んでいるか、もっと得体の知れないものに障られて消えるかするはずなのだ。
「飛べない妖怪が穴に落ち込んだのかもね」
「そう。ご愁傷様だな」
「助けようと腕を穴に差し入れたら、ばっくりやられていたかも」
「まあな」
だけど、やっぱり気になる。
助けて、と声をかけられて、応、と返したからには、助けないと約束を反故にして嘘をついたことになる。いや、別段、嘘をつくことに抵抗があるわけではないし、そうしなかったから不利益を被るような立場でもないのだが、魔理沙は穴の下にいる人物のことが気がかりだった。
もしも自分の行いで、穴に落ちた何者かの命運が変わるかと思うと。
「気になる」
「え」
「その声が人間なのかどうかもそうだけど、その丸いのが本当に丸いのかってところも気になるわ」
霊夢が言った。
確かに。魔理沙もあの丸の形は気になっていた。
「ああ。尋常でないくらい丸だったぜ。満月の月並みな丸だ。そうだ。ちょうどいい。そこでキノコ食おう」
「風雅にお月見ね。いいわ。ちょっと着替えてくる」
「おう」
魔理沙は七輪の火を止めて、竹かごを担ぎ直した。
####
魔理沙は森に空いた穴のところまで箒で飛んで、それから降下した。穴に近づいて観察してみても、やっぱりわからない。なにも見えない。そこにあるのはただの不気味な闇だとしか判断がつかない。
霊夢は空中に留まったまま穴の奥をじぃぃっと見つめていたが、やがて気が抜けたように腕を組んで、ふらふらと地上に降りてきた。
「なんだ。ルーミアじゃん」
霊夢は出し抜けに言った。
「え?」
既知の妖怪の名前が出てきたので、魔理沙はおおいに驚いた。
驚いた矢先、穴の奥からうめき声が聞こえてきた。
「むむ。この声……神社の巫女。霊夢でしょ? 助け……てほしくはないな。魔理沙の方は? ロープは持ってきたの?」
間違いない。
それは既知の妖怪ルーミアの声だ。
なんだよ知り合いの妖怪だったのか。
魔理沙は肩の力が抜けるのを感じた。
「おい。お前、なんで飛ばないんだ?」
「飛べないの。闇が空間を食べちゃってるから」
「空間って食べられるのか」
「私も知らなかった。物は試しと思って食べてみたらこんなことに」
なんだかよくわからないが、なんだかよくわからないことができたおかげで、なんだかよくわからない状況に陥っているらしい。ルーミアは闇を操る程度の力を持った妖怪だが、魔理沙はその仕組みを理解できていない。闇というと光が当たっていない部分に相当する色合いだとか質感とかを意味する概念のはずだが、それ自体をどうやって操るというのだろう。
「助けてほしいの。助けてくれる?」
「人里から迷子になったなんて嘘じゃないか」
「妖怪ですと言って助けてくれるとは思えないもの」
確かに。
「……まあ、助けるって言った手前、助けるけどさ」
「ありがとう」
「登ってきたら酒でも飲もう」
霊夢は穴の底の正体がわかって興味が失せたようだ。抱えていた七輪を地面に置いて、その上にキノコを並べ始めた。
マイペースなやつめ。
「時間かかりそうだし、キノコ焼いてるわね」
「お前はホント切り替えが早いよなぁ。いいぜ」
魔理沙はそのあたりの木に巻き付いていたツタを引きちぎって、穴の中に垂らしてみた。
「どうだ?」
穴の下に向けて問いかけてみる。
「うーん。見えません」
「ジョークみたいなやつだな。じゃあ手で探れよ」
魔理沙はツタの端っこを握ったまま、穴の淵にあぐらをかいて座って待った。
しばらくそのままで待ってみたが、ルーミアはまだツタを見つけきれていない。闇は深いままだ。
本当に綺麗な黒だ。何も見えない。真夜中も星明かりがあるから少しくらいは見えるけれど、闇が集まるとこうも何も見えなくなるものらしい。闇と光は、言い換えると観測可能か観測不可能に区別できるものと魔理沙は聞いている。観測不可能な部分が、ルーミアのなんだかよくわからん法則によって、あの穴の中に集結しているわけだ。
……待てよ。とすると、霊夢はどうやってあの中にいるのがルーミアだと看破したのだろう。またいつもの反則じみたカンなのだろうか。
キノコの焦げる薫りがしたので振り返ると、霊夢が持ってきたうちわで七輪をパタパタと扇いでいた。
「ねえ魔理沙。綺麗にまんまるね。驚いたわ」
「だろう。私の目に狂いはなかったね」
「儀礼用の飾りとか妖怪の持ってる鏡とかに、こういう形をよく見かけるけど。あれはどうやって作ってるのかしら」
「簡単だぞ。魔法も使ってるのかもしれないけど、円規っていう製図器具があってだな。魔法陣を描くときも必要なんだ。中心の一点から同じ距離を保ちつつ、」
魔理沙はポケットの中からコンパスを取り出して、霊夢に見せた。霊夢は怪訝な顔をしている。
「キノコの串に使えそうね。借りていい?」
「やめろよ。曲がったらどうすんだ」
魔理沙は再び暗闇の穴へ目を向けたが、まだルーミアは上がってこない。
「魔理沙。なんとなく、どこかの偉い人が蓮池に蜘蛛糸を垂らす昔話を思い出したのだけどさ。あれって、なんて名前だっけ?」
「あー。なんだったか。なんだったっけな」
魔理沙は頭をかいた。
「どれくらい強い蜘蛛の糸なのでしょうね。地獄の住民が乗ってもなかなか千切れないじゃない」
「地獄の住民の重さが軽かったんじゃないか? 魂の重さは21グラムだ。十人乗っても、たったの200グラム程度だぜ」
「あれがもしも太い注連縄とかだったらどうなったかしら」
「そりゃあ細い蜘蛛の糸であれなんだから、地獄の住民が丸ごと釣りあがるんじゃないか。もしもそうなったら、地上は地獄の住民で溢れかえって大変だろうに」
「その偉い人はきっと、いい塩梅を見極めていたってことね」
やりおる、と霊夢が呟いた。
ーーーガッ
唐突に、両手にずっしりとツタが引かれる感覚が伝わってきた。
穴の下の方で、ルーミアがツタを引いたようだ。魔理沙はツタを握り返して、穴の下に向けて叫んだ。
「おーい。はやく上がってこいよー」
「はーい」 ・・・・・「はーい」
魔理沙はツタを引っ張りながら、首を傾げた。
おや。
気のせいだろうか。
穴の下から帰ってきたルーミアの声が、二つ重なって聞こえてきたような。
「………なあ。お前、ルーミアだよな?」
魔理沙はおそるおそる訊ねてみた。
「そうだよ
「そ「うだよ「そ
う」だ「「そうだよ」けど」?」
」違うの「そうだよ」そう」
驚いたことに、穴の底から帰ってきた声は一つではなかった。木霊のように重複してなんども同じメッセージを魔理沙に伝えている。
これは気のせいじゃないぞ、と魔理沙は思った。
ルーミアかもしれないよくわからんやつがうぞうぞと、きっと、何人もこの穴の下に潜んでいるのだ。闇が集まったことで、穴の下にいる存在がぶれているに違いない。闇の中で犇めいている大量の妖怪の姿を想像して、魔理沙は身震いした。
「うおおおお!? れ、霊夢! 重いっ! なんか知らんがツタが急に重くなった! 引っ張るのを手伝ってくれっ!」
「何やってんの魔理沙。真面目に取り合うからいけないのよ」
霊夢はキノコに醤油を塗っていた。
「おおおおおお!!」
ツタは尋常でない力で引かれている。このままではツタがちぎれてしまうだろう。
くそぅ。この妖怪のことなんてどうでもいいはずなのに。
魔理沙は歯噛みして、穴にむけて叫んだ。
「じゃあ先着一名様だ。お前ら出て来るなら一人にしろ!」
「じゃあ私が「私「私が「いや、私がいく「私「わた」」」私が」」「私がでる」」
「喧嘩するなよ」
「だから私が行くって「私!」「私なの!」私が「私私私」」私が」「うるさい! 私が出る!」」」
魔理沙は穴の中で巻き起こっている喧嘩の気配を感じとった。
どうやらこの妖怪は、自分の後塵を拝することを嫌うようだ。
「埒があかん」
どうにか魔理沙が助けてやると約束したルーミアだけ選んで、穴から引き上げられたらそれでいいのだろうが。
振り返ると、霊夢が皿にキノコを並べている。酒のツマミが焼きあがったようだ。
「ねえ魔理沙。先食べてていい?」
「すぐ終わるから待っててくれよ」
「やだ」
「おい」
そうだ。
魔理沙は思い出した。
キノコを渡したやつだ。一番最初に出会ったやつにはキノコを渡している。
魔理沙は力一杯ツタを引っ張りながら、穴に向かって訊ねた。
「おいルーミア! キノコは美味かったか!?」
瞬間、ツタにのしかかっていた重さが消えて、魔理沙は思いっきり転んだ。
穴の下でツタにしがみついていたルーミアが宙を飛んで、魔理沙の上に覆いかぶさってくる。
「ぐえっっっ」
「ありがとう。美味しかったよ」
「そうか。だったら私に感謝してそこをどいてくれ」
仰向けに倒れた魔理沙は、ルーミアの予想以上の重みに舌を出しながら、霊夢を見上げた。
霊夢は酒瓶の口の栓を開いて、その場にあぐらをかいている。
こいつはいつだってこんなやつなんだよな。
その呑気な様子を見て、魔理沙はなんだか腹立たしくなって、苦笑した。
「さ。用意ができたわ。飲みましょうよ」
「……………おう」
ルーミアの描いた見事な丸い黒月は、しばらくの間(月見が終わるまでは)消えずに地上に残り続けたという。
了
魔法の森に空いたそのウロを見つけたのは、ちょうど昼時分を過ぎた頃だ。
魔理沙はキノコ採取の手を止めて、目の前の円形の空洞を観察した。
湿った森の黒土を押しのけるようにして、小屋ほどの大きさの穴が空いている。底は暗くて見えないが、うっかり滑り落ちでもしたら不味いことになっていたかもしれない。穴は綺麗な真円をしていて、魔理沙にしてみればそれは、“不自然”な形だった。人為的に穴を加工したとしてもああはなるまい。
森の中で不思議な発見があるのは日常茶飯事だが、こいつはもしかするといつもと違うかもしれない。只事ではないかもしれない。面白い発見が穴の中にあるのかもしれない。
と、魔理沙は思った。そこに具体的な根拠などなかったが。
「おっ。なんか不思議な穴があるな……」
魔理沙は背負った竹籠を置いて、拾った枯れ枝にミニ八卦炉で火を点けた。
ウロの中に可燃性の気体が充満していれば、燃えた枝を投げ入れると爆発するだろう。爆発した場合に巻き込まれない程度の距離を保ちつつ、魔理沙は火のついたそれを、ぽいっと投げ入れてみた。
ーーーゴッ
穴の中からうめき声が聞こえた。
「痛たたたた………」
「おーい? 誰かいるのかー?」
「おや!? その声は! 誰か知らないけど助けてー! 穴に落ちて出られなくなっちゃって!」
魔理沙が声をかけてみると、なんと穴から声が返ってきた。
年端もいかない少女の声だ。声はかすれていて衰弱しているように感じた。
「なんだと!? 人里から迷い込んできたのか?」
「そうなんです! 助けて!」
「それは大変だ。待ってろ。今、ロープを持ってきてやるからな!」
「助けてくれるの!? ありがとう! ありがとうございますありがとうございます・・・・」
少女は拝み倒さんばかりに礼を述べた。
「まあいいってことよ。キノコでも食べながら待ってな」
魔理沙は穴の下にキノコを放り投げると、箒にまたがって空へと颯爽と飛び立ち、ロープのある自分の家………ではなく、霊夢のいる博麗神社の方へむかったのだった。
「嘘つけ。こんなところに人間がいるわけないだろ」
####
箒に乗った魔理沙が博麗神社へ辿り着いた時、霊夢は縁側にだらりと仰向けに寝そべっていた。寝巻きのままだ。穏やかな晴天の気に充てられたのか、いつも以上にだらけている。
「おーい。霊夢。掃除はどうしたんだ?」
「後でやるつもりよ」
魔理沙は箒から飛び降りた。
博麗神社周辺に植わっていた桜も花盛りの見頃を過ぎて、春も終わりを迎えようとしている。ということは、散った花びらの片付けをしなければならない。花見場を提供する側にとって、晩春とはいつも掃除の季節なのだ。
「キノコ集めでもしてたの?」
霊夢は魔理沙の背中の竹かごを見つめた。
「ああ、魔法の森じゃ春でもきのこ祭りだ。これを見てくれ……」
魔理沙が両腕で担いでカゴから取り出したのはとびきりのレアもの、巨大化した真っ赤なタマゴタケだ。猛毒と名高いカエンタケと類似しているが、ここまで巨大化すれば見分けも簡単だ。
「なにそれ。毒キノコ?」
「毒じゃない方だ。食おうぜ」
「いいね」
霊夢は起き上がると神社の襖を開けて奥の方へ引っ込み、しばらくしてから、酒と七輪を抱えて戻ってきた。魔理沙は神社から包丁を借りて、キノコをさばいた(砕いた)。キノコ片は、おおよそこぶし大サイズの大きさになった。
「そういやさ。聞いてくれよ霊夢。キノコ集めをしていたら、森の奥、と言っても瘴気の薄い端の方なんだけど、そこに変な穴が空いているのを見つけたんだ。自然に空いたとは思えないくらい、とても丸くて丸い穴でな。だから気になって、穴の中を覗いてみたんだ。真っ暗で何も見えなかったんだけど、下の方から声が返ってきたんだ。びっくりしたよ」
魔理沙はミニ八卦炉の火力を調節して、七輪の中の燃料に火を点けた。
「あら。妖怪?」
「だと思うぜ」
まともに考えて魔法の森で迷子になっている人間などそうはいないし、魔法の森の中で穴にはまって動けない状況でいることはもっと有り得ない。妖怪に喰われて死んでいるか、もっと得体の知れないものに障られて消えるかするはずなのだ。
「飛べない妖怪が穴に落ち込んだのかもね」
「そう。ご愁傷様だな」
「助けようと腕を穴に差し入れたら、ばっくりやられていたかも」
「まあな」
だけど、やっぱり気になる。
助けて、と声をかけられて、応、と返したからには、助けないと約束を反故にして嘘をついたことになる。いや、別段、嘘をつくことに抵抗があるわけではないし、そうしなかったから不利益を被るような立場でもないのだが、魔理沙は穴の下にいる人物のことが気がかりだった。
もしも自分の行いで、穴に落ちた何者かの命運が変わるかと思うと。
「気になる」
「え」
「その声が人間なのかどうかもそうだけど、その丸いのが本当に丸いのかってところも気になるわ」
霊夢が言った。
確かに。魔理沙もあの丸の形は気になっていた。
「ああ。尋常でないくらい丸だったぜ。満月の月並みな丸だ。そうだ。ちょうどいい。そこでキノコ食おう」
「風雅にお月見ね。いいわ。ちょっと着替えてくる」
「おう」
魔理沙は七輪の火を止めて、竹かごを担ぎ直した。
####
魔理沙は森に空いた穴のところまで箒で飛んで、それから降下した。穴に近づいて観察してみても、やっぱりわからない。なにも見えない。そこにあるのはただの不気味な闇だとしか判断がつかない。
霊夢は空中に留まったまま穴の奥をじぃぃっと見つめていたが、やがて気が抜けたように腕を組んで、ふらふらと地上に降りてきた。
「なんだ。ルーミアじゃん」
霊夢は出し抜けに言った。
「え?」
既知の妖怪の名前が出てきたので、魔理沙はおおいに驚いた。
驚いた矢先、穴の奥からうめき声が聞こえてきた。
「むむ。この声……神社の巫女。霊夢でしょ? 助け……てほしくはないな。魔理沙の方は? ロープは持ってきたの?」
間違いない。
それは既知の妖怪ルーミアの声だ。
なんだよ知り合いの妖怪だったのか。
魔理沙は肩の力が抜けるのを感じた。
「おい。お前、なんで飛ばないんだ?」
「飛べないの。闇が空間を食べちゃってるから」
「空間って食べられるのか」
「私も知らなかった。物は試しと思って食べてみたらこんなことに」
なんだかよくわからないが、なんだかよくわからないことができたおかげで、なんだかよくわからない状況に陥っているらしい。ルーミアは闇を操る程度の力を持った妖怪だが、魔理沙はその仕組みを理解できていない。闇というと光が当たっていない部分に相当する色合いだとか質感とかを意味する概念のはずだが、それ自体をどうやって操るというのだろう。
「助けてほしいの。助けてくれる?」
「人里から迷子になったなんて嘘じゃないか」
「妖怪ですと言って助けてくれるとは思えないもの」
確かに。
「……まあ、助けるって言った手前、助けるけどさ」
「ありがとう」
「登ってきたら酒でも飲もう」
霊夢は穴の底の正体がわかって興味が失せたようだ。抱えていた七輪を地面に置いて、その上にキノコを並べ始めた。
マイペースなやつめ。
「時間かかりそうだし、キノコ焼いてるわね」
「お前はホント切り替えが早いよなぁ。いいぜ」
魔理沙はそのあたりの木に巻き付いていたツタを引きちぎって、穴の中に垂らしてみた。
「どうだ?」
穴の下に向けて問いかけてみる。
「うーん。見えません」
「ジョークみたいなやつだな。じゃあ手で探れよ」
魔理沙はツタの端っこを握ったまま、穴の淵にあぐらをかいて座って待った。
しばらくそのままで待ってみたが、ルーミアはまだツタを見つけきれていない。闇は深いままだ。
本当に綺麗な黒だ。何も見えない。真夜中も星明かりがあるから少しくらいは見えるけれど、闇が集まるとこうも何も見えなくなるものらしい。闇と光は、言い換えると観測可能か観測不可能に区別できるものと魔理沙は聞いている。観測不可能な部分が、ルーミアのなんだかよくわからん法則によって、あの穴の中に集結しているわけだ。
……待てよ。とすると、霊夢はどうやってあの中にいるのがルーミアだと看破したのだろう。またいつもの反則じみたカンなのだろうか。
キノコの焦げる薫りがしたので振り返ると、霊夢が持ってきたうちわで七輪をパタパタと扇いでいた。
「ねえ魔理沙。綺麗にまんまるね。驚いたわ」
「だろう。私の目に狂いはなかったね」
「儀礼用の飾りとか妖怪の持ってる鏡とかに、こういう形をよく見かけるけど。あれはどうやって作ってるのかしら」
「簡単だぞ。魔法も使ってるのかもしれないけど、円規っていう製図器具があってだな。魔法陣を描くときも必要なんだ。中心の一点から同じ距離を保ちつつ、」
魔理沙はポケットの中からコンパスを取り出して、霊夢に見せた。霊夢は怪訝な顔をしている。
「キノコの串に使えそうね。借りていい?」
「やめろよ。曲がったらどうすんだ」
魔理沙は再び暗闇の穴へ目を向けたが、まだルーミアは上がってこない。
「魔理沙。なんとなく、どこかの偉い人が蓮池に蜘蛛糸を垂らす昔話を思い出したのだけどさ。あれって、なんて名前だっけ?」
「あー。なんだったか。なんだったっけな」
魔理沙は頭をかいた。
「どれくらい強い蜘蛛の糸なのでしょうね。地獄の住民が乗ってもなかなか千切れないじゃない」
「地獄の住民の重さが軽かったんじゃないか? 魂の重さは21グラムだ。十人乗っても、たったの200グラム程度だぜ」
「あれがもしも太い注連縄とかだったらどうなったかしら」
「そりゃあ細い蜘蛛の糸であれなんだから、地獄の住民が丸ごと釣りあがるんじゃないか。もしもそうなったら、地上は地獄の住民で溢れかえって大変だろうに」
「その偉い人はきっと、いい塩梅を見極めていたってことね」
やりおる、と霊夢が呟いた。
ーーーガッ
唐突に、両手にずっしりとツタが引かれる感覚が伝わってきた。
穴の下の方で、ルーミアがツタを引いたようだ。魔理沙はツタを握り返して、穴の下に向けて叫んだ。
「おーい。はやく上がってこいよー」
「はーい」 ・・・・・「はーい」
魔理沙はツタを引っ張りながら、首を傾げた。
おや。
気のせいだろうか。
穴の下から帰ってきたルーミアの声が、二つ重なって聞こえてきたような。
「………なあ。お前、ルーミアだよな?」
魔理沙はおそるおそる訊ねてみた。
「そうだよ
「そ「うだよ「そ
う」だ「「そうだよ」けど」?」
」違うの「そうだよ」そう」
驚いたことに、穴の底から帰ってきた声は一つではなかった。木霊のように重複してなんども同じメッセージを魔理沙に伝えている。
これは気のせいじゃないぞ、と魔理沙は思った。
ルーミアかもしれないよくわからんやつがうぞうぞと、きっと、何人もこの穴の下に潜んでいるのだ。闇が集まったことで、穴の下にいる存在がぶれているに違いない。闇の中で犇めいている大量の妖怪の姿を想像して、魔理沙は身震いした。
「うおおおお!? れ、霊夢! 重いっ! なんか知らんがツタが急に重くなった! 引っ張るのを手伝ってくれっ!」
「何やってんの魔理沙。真面目に取り合うからいけないのよ」
霊夢はキノコに醤油を塗っていた。
「おおおおおお!!」
ツタは尋常でない力で引かれている。このままではツタがちぎれてしまうだろう。
くそぅ。この妖怪のことなんてどうでもいいはずなのに。
魔理沙は歯噛みして、穴にむけて叫んだ。
「じゃあ先着一名様だ。お前ら出て来るなら一人にしろ!」
「じゃあ私が「私「私が「いや、私がいく「私「わた」」」私が」」「私がでる」」
「喧嘩するなよ」
「だから私が行くって「私!」「私なの!」私が「私私私」」私が」「うるさい! 私が出る!」」」
魔理沙は穴の中で巻き起こっている喧嘩の気配を感じとった。
どうやらこの妖怪は、自分の後塵を拝することを嫌うようだ。
「埒があかん」
どうにか魔理沙が助けてやると約束したルーミアだけ選んで、穴から引き上げられたらそれでいいのだろうが。
振り返ると、霊夢が皿にキノコを並べている。酒のツマミが焼きあがったようだ。
「ねえ魔理沙。先食べてていい?」
「すぐ終わるから待っててくれよ」
「やだ」
「おい」
そうだ。
魔理沙は思い出した。
キノコを渡したやつだ。一番最初に出会ったやつにはキノコを渡している。
魔理沙は力一杯ツタを引っ張りながら、穴に向かって訊ねた。
「おいルーミア! キノコは美味かったか!?」
瞬間、ツタにのしかかっていた重さが消えて、魔理沙は思いっきり転んだ。
穴の下でツタにしがみついていたルーミアが宙を飛んで、魔理沙の上に覆いかぶさってくる。
「ぐえっっっ」
「ありがとう。美味しかったよ」
「そうか。だったら私に感謝してそこをどいてくれ」
仰向けに倒れた魔理沙は、ルーミアの予想以上の重みに舌を出しながら、霊夢を見上げた。
霊夢は酒瓶の口の栓を開いて、その場にあぐらをかいている。
こいつはいつだってこんなやつなんだよな。
その呑気な様子を見て、魔理沙はなんだか腹立たしくなって、苦笑した。
「さ。用意ができたわ。飲みましょうよ」
「……………おう」
ルーミアの描いた見事な丸い黒月は、しばらくの間(月見が終わるまでは)消えずに地上に残り続けたという。
了
初見の魔理沙の応対の最後の切り返しが何というか、彼女の内面が表れている感じがして好みでした。他にも心情を直接出ているところ以外にも、内面が表現されているところが多くて読んでて豊かで楽しかったです。
不思議なテンポの作品。これ、霊夢がいなかったら純粋なホラー作品になりそう。霊夢がのんきなお陰で、あ、笑っていいんだってなる。なんもしてないけど、重要なポジ
読み終わったあと、好きなやつだ!と思いました
ルーミア増加確認後、魔理沙が必死でツタを引っ張ってるのに対して霊夢の気ままさが良かったです。損なところを取りがちなことが魔理沙らしいです
ちょっとよく分からなかったんですけれど、テンポがとてもよかったです。
“キノコを食べたやつ”を指定して軽くなるのが 非常に概念的で 妖怪存在そのものを表しています
二人のドライな部分も幻想郷らしくてよい
まったく騙されない手慣れた魔理沙に、なんとなく性質までさらっと看破している霊夢
そして原因不明なのに解決しそうな行動をとるとちゃんと解決される怪異が素晴らしかったです
人間の恐怖が妖怪を作り出す、ということですね。
博麗の巫女がそれを唆してしまうのは、親友に対する悪戯心でしょうか。
消えゆく穴には救われなかったルーミアが残っているのか、それとも一意に識別できた時点で、他のルーミアはその場で消え失せたのか。消えゆく穴にまだ大量のルーミアが残っていたとしたらゾッとしますね。