「だからやめておけと言ったんだ」
僕は身動きが取れずにいた。
否、僕だけではない。他の五人もだ。皆後ろ手に縄で縛られている。
「それじゃ……私を襲った理由を話して貰おうかしら」
例のブロンドショートの女の子が、皆の前で勝ち誇ったように胸を張って立っていた。
「この愚か者が勝手に」
「何だとォ? 初めに飛び出したのはァ」
「君も同類ですよ……警戒もせずに……」
「僕のせいじゃない。大人が責任を取ってよね」
「ねぇ君~、教えてよ~、銃弾を曲げたあれ、どうやったの~?」
「ごめんなさいごめんなさい許してくださいごめんなさいお願いします許してくださいお願いゆるしてごめんなさいごめんなさいごめ」
ぱん。
「ひぃっ!」
少女が手を叩いた。一同、静まり返る。
「あーはいはい、全員に向けて質問したのが間違いだったわ」
やれやれ、とジェスチャーを見せる彼女。
「じゃあ君」
指をさされたのは僕だ。
「何だ」
「あんた達の目的は何」
「簡単さ。金だよ。それか金目の物。我々は盗賊団だからな。……まぁ女が目当ての奴もいるが」
「おいィ余計なこと言うなよォ」
「あんたは黙ってて」
「ヘぃ」
「つまりあんた達は泥棒ってわけね」
「泥棒……まぁそうだな」
「何で?」
「何で? って……」
急に、少女の見た目に見合った純粋な質問が飛んできて、僕は却って戸惑ってしまった。
「それ以外に生きる道は無いのさ」
短い静寂が流れる。少女の顔が、少し歪んだ気がした。
「そう……なのね……」
「おい、お前」
「何よ、またあんた? 黙っててって言っ……」
「お前がいくら僕らを罵倒しようが構わねぇ。侮辱したけりゃ好きにしろ。僕らは最低の屑野郎共だ。そんなこたァ誰よりも僕ら自身が分かってんだよ。だがな……」
きっ、と。大人びた彼は少女を睨みつけた。
「僕らを憐みの目で見るのだけはやめろ!!!!!」
ぷい、と。少女は背中を向けた。
「悪かったわね」
裏路地の暗さは、彼女のシルエットをぼんやりと浮かばせるのみで。
後ろを向いた彼女が今、何を思っているのかは読み取れない。
「なぁ、君。僕からも質問いいかな」
「何よ」
僕は勇気を出して、聞いてみることにした。これは普通、愚か者の発する質問かもしれないが。しかし、人は自分の目で見たものを、信じずにはいられないのだ。たとえそれが、幻覚じみたものだったとしても。
「君って、もしかしてその……〝魔法使い〟ってやつなのか?」
「……」
少女は言葉を返さなかった。僕は尚も問いかけた。
「人形をあんなに器用に操っていたのも、魔法か?」
「……」
「銃弾の軌道を曲げたのも」
「……」
「一瞬で高いところまで上ったのも」
「……」
「あれだけドンパチやっていたのに、通りすがりの人間誰一人にさえ気づかれずに済んだのも」
「……」
「全部、君の〝魔法〟なのか?」
「……………………」
彼女は終始、黙り込んだままだった。その沈黙には、少女の姿からは想像もつかぬ重みが感じられた。まるで、この路地に垂れ込める、冷たいぬばたまのような。
男共は誰も、言葉を発せなかった。口が重くて開かなかった。彼女の返答次第で、我々の運命は決まってしまうのだから。
魔法使いなど、この世に在ってはならない存在だ。それは盗賊団とて同じである。故に我々は知っている。在ってはならない存在が、そこに在り続けるには、どうすべきか。
――誰にも知られないようにするしかない。
そしてもし、誰かに知られてしまったなら。
知ってしまった者を……抹消するのだ。
「そう……」
彼女が再び、振り返る。
「……バレちゃったならしょうがないわ」
僕は息を飲んだ。隣の奴らも同じ反応をしたのが、肌で感じられる。
「本当、なんだな……」
「えぇ、本当よ」
彼女は指先をどこかに向けた。すると。
がこん、と音がして。
振り返ってみれば、路上に積まれたいくつものレンガが、ふよふよと浮いていた。
皆が騒めく。
彼女が少なくとも只の人間ではないことを、そのレンガは証明していた。それが魔術なのか、呪術なのか、仙法なのかはもはや問題ではない。常識の範疇を超えていること自体が問題なのだ。それを目にしてしまった者達に待ち受ける運命は、ただ一つ。
「じゃあやっぱり……」
「やっぱり、何よ」
「我々を殺すのか?」
ぷつん。
「嫌だ……!」
浮いていたレンガが、一斉に落下した。
それは一瞬の出来事だった。覚悟を決め、目を瞑る。どすん、ごすん、と、あちこちに鈍い音が響いた。自分の頭が、彼らの頭が、ぐちゃりと潰れるビジョンが浮かぶ。仲間たちが、バタバタと倒れていく。壁に、地面に、自分の体に、鮮血が迸る。暗い視界が、紅く染まった気がした。
だが……レンガの落下の振動は、地面を伝って尻に響くばかりで。
自分の頭に響くことは決してなかった。
僕は瞼を開けた。
土埃が上がり、レンガの破片がパラパラと転がっている。
「ふふふ……」
そして少女は笑っていた。
「きゃはははははは! ひぃ、ひぃ……ははっははははふふふふふ……くくくくっふ」
それはあまりにも純粋で、本当に無邪気な笑い声だった。まるで、親にイタズラをして喜んでいる子供のような。
「ねぇ驚いた? 本当に殺すとおもった? ふっふふふ」
「お前……何を」
見れば、僕も、彼らも、誰一人傷を負っておらず。全てのレンガは、器用にも皆の間にばかり転がっていた。
どういうつもりだ? ぼくたちを見逃すのか? まさか。しかし……
緊張が少し解け、強張っていた頭が柔らかさを取り戻し始める。思えばこの時から僕は、皆が生き残れる、ある可能性に気づき始めていたのかもしれない。
「はぁ、笑った笑った」
ふぅ、と息を整え、彼女は僕に向き直った。
「ねぇ、正体を知られた時の対処って……本当に相手を消すことだけかしら」
ぐい、と。彼女の顔が目の前に迫る。その瞳は深遠で、底がどこにも無いようで。もし人の目が、樹木と同じように年輪を刻むなら。彼女の瞳には、僕より遥かに多く年月が刻まれていた。
彼女が〝普通〟ではないのだと、真に直感したのはこのときである。
だからきっと……。
「君とて、そうして正体を隠してきたのだろう」
彼女もまた、我々と似た生き方をし、似た行為を繰り返してきたはずだ。
「数々の目撃者を消すことで」
「ま、そういうこともあったけど?」
前かがみになっていた、少女がその背を伸ばす。さやと髪をなびかせる、その顔は得意げである。
「じゃあ聞くけど。あんた達はどうやって仲間を増やしたのよ」
皆は意外そうな顔を浮かべた。
「初めからこのメンバーだった訳じゃないんでしょ? 増えた仲間って、要するに自分たちの正体を新たに知った人間じゃない。どうして殺さないのよ」
「それは……」
「殺さない代わりに、正体の秘密を共有することを選んだ。違う? 正体を知ったのに、殺されなかった人たち。その集まりが、今のメンバーでしょ」
「確かに、そういう見方もできるが……」
そういう見方を持たなかったのは、僕が常に襲う側であり、襲われる側に回ったことがなく。捕らわれても許されるという可能性に思い至らなかったからだろう。
「つまり、お前は我々を殺さない、と?」
「初めは……殺そうと思ったんだけどね。少し惜しいかな、って思ったの」
惜しいから、と彼女は言った。それは彼女なりの配慮なのだろう。今度こそ顔には出さなかったが、その根底には、やはりここに居る者たちへの憐みがあったのではあるまいか。
「あんた達に利用価値があると思っただけよ。私の魔法の研究のために」
それから少女は顔を上げ、全員を見渡すようにして、言った。
「いい? 私が魔法使いだってこと、黙ってる限りは、あんた達は殺さないでおいてあげる。代わりに私の命令に従いなさい」
胸を張る彼女を前にして、彼らは皆、既に諦めていた。或いは、呆れていた。どうやら選択肢は残されていないようだ。
「ただ正体の秘密を共有する相手が一人増えただけ。あんた達にとってはいつものことでしょう?」
「では……盗賊団の仲間になると?」
「……ふふ」
口を抑えて笑う彼女。それが、少なくとも否定の意思表示ではないこと理解し、開いた口は塞がらなくなった。
「正気ですか……?」
警戒する彼。
「仲間になって、何するつもり~?」
好奇心を沸かせる彼。
「へッ、若い娘に何ができる」
大人ぶる彼。
「何勘違いしてんのよ。あんた達の仲間に私がなるんじゃない。私が[傍点2]あんた達を仲間にする[傍点2]のよ」
「あ、あのなぁ、嬢ちゃん。こんな野郎だらけの盗賊団に女身一人で入る覚悟はほんとにあるのか?」
だん、と。少女が一歩踏み込んだ。同時に、大人びた彼の目の前に、鋭く尖った円錐状の金属が突き付けられる。それは、実物の二十分の一ほどの小さなスピアーであり。それを持っているのは、少女……ではなく、手の乗るほどの小さな人形であった。
「あんたこそ……正真正銘の魔法使いと、行動を共にする覚悟はあるの?」
その人形はどこから出てきたのか。いつ、どうやって出したのか。その一切が分からなかった。目視不能なほどの速さなのか、あるいは。
気付けば、その人形も、スピアーも、跡形もなく消えていた。
「それに。私は盗賊団なんてやるつもりないわ」
さも当たり前のように彼女は言ったが。その言葉は即ち、我々の存在そのものの否定であった。
「お前、我々が何故盗賊団をやっているか。忘れたか?」
「それ以外に生きる道は無いから、でしょ?」
「それを分かっていて……」
「だから私が、新しく道を作るわ」
言って、アリスは狭い路地の中を縫うように歩き始めた。てくてく、てくてく、てくてく。考え事をするように、何かに思いを巡らせるように、或いはアイディアが振ってくるのを待つように。その姿は、さながら不思議の国をさまよい歩く、かの有名な少女……
「サーカスをやりましょう」
「はァ?」
最も大人びた彼が、最も間抜けな声を上げた。
「あんた達、奇術のセンスはあるわよ。とくにあんたの投げナイフ」
「僕のこと? ……あ、ありがとう」
幼い子は表情によく出る。
「サーカスの名前は……そうね。上海アリスサーカス団」
「いきなり何を言い出すんですか……」
警戒心は尽きず。
「ねぇね~、アリスって誰~?」
好奇心も尽きないようで。
「そういえば、自己紹介が済んでいなかったわね」
胸に手を当て、彼女は名乗った。
「……私はアリスよ」
「なるほど~」
相変わらず呑気に感心している。
しかし、まさか本当にアリスだったとは。この薄汚い裏路地を歩くにしてはあまりにも身なりが整いすぎていて、それはまさに、別世界から迷い込んだおとぎ話の少女のであった。
「で、あんたは?」
彼女は再び僕を指した。これは何度目だろうか。お互い名前を知らず、これ以外に指名方法が無かったのだから仕方がない。しかし……
「すまんが、ここに居る者たち一人一人に、名前は無いんだ」
「え?」
物凄く純粋に驚かれた。まあ当然か。
「あんたたち人間でしょう? 何で名前が無いのよ。私なら、人形にだって名前を付けるのに……」
この少女、時々見た目通りの少女に戻るから反応に困る。
「はー」
かわいらしいため息と、「仕方ないわね」と一言。
「じゃあ今ここで名付けてあげるわ」
「お、オイオイ、それじゃアまるで……僕らが人形みたいじゃないか」
「偉大な魔法使い様の人形になるのよ? 寧ろ光栄に思う事ね、ハリー」
「それ、僕のことかァ?」
「そうよ。そんであんたはスコット」
ひどく適当に付けられた気がするのは気のせいだろうか。
「君はケイシー」
「ねぇケイシーってどんな意味~?」
「君はサミュエル」
「そ、そうですか……」
「君はサイラス」
「大人っぽくって良いね」
「で、君はセドリック」
「ひぃ!」
「何でそこでビビるのよ!」
アリスが一同を見回した。
「これで全員かしら」
「あと一人いるけど」
おい、余計なことを言うな。
「ふーん。あんたちの住処でお留守番ってわけ?」
「どうして知ってるの~?」
おい馬鹿。カマをかけられてるって分からないのか。
「じゃ、アンタ達の住処に案内してもらうわよ」
「はぁーっ」
溜息を漏らさずにはいられない。
「これはまた、面倒な仲間が増えたものだ」
最も早起きな彼の名前は、結局、クレイグになった。
この日、名付けられた我々七人は。名づけという行為の意味を、未だ理解していなかったのだ。それは、表には親愛の証であり、アリスという新たな仲間を迎える儀式でもあったのだが。裏には名を授けた者への隷従であり、我々の運命を決定づける呪いでもあったのだ。
我々が誰かに名付けられたのは初めてではないが。
これが最後でもないということを、僕はまだ知らない。
僕は身動きが取れずにいた。
否、僕だけではない。他の五人もだ。皆後ろ手に縄で縛られている。
「それじゃ……私を襲った理由を話して貰おうかしら」
例のブロンドショートの女の子が、皆の前で勝ち誇ったように胸を張って立っていた。
「この愚か者が勝手に」
「何だとォ? 初めに飛び出したのはァ」
「君も同類ですよ……警戒もせずに……」
「僕のせいじゃない。大人が責任を取ってよね」
「ねぇ君~、教えてよ~、銃弾を曲げたあれ、どうやったの~?」
「ごめんなさいごめんなさい許してくださいごめんなさいお願いします許してくださいお願いゆるしてごめんなさいごめんなさいごめ」
ぱん。
「ひぃっ!」
少女が手を叩いた。一同、静まり返る。
「あーはいはい、全員に向けて質問したのが間違いだったわ」
やれやれ、とジェスチャーを見せる彼女。
「じゃあ君」
指をさされたのは僕だ。
「何だ」
「あんた達の目的は何」
「簡単さ。金だよ。それか金目の物。我々は盗賊団だからな。……まぁ女が目当ての奴もいるが」
「おいィ余計なこと言うなよォ」
「あんたは黙ってて」
「ヘぃ」
「つまりあんた達は泥棒ってわけね」
「泥棒……まぁそうだな」
「何で?」
「何で? って……」
急に、少女の見た目に見合った純粋な質問が飛んできて、僕は却って戸惑ってしまった。
「それ以外に生きる道は無いのさ」
短い静寂が流れる。少女の顔が、少し歪んだ気がした。
「そう……なのね……」
「おい、お前」
「何よ、またあんた? 黙っててって言っ……」
「お前がいくら僕らを罵倒しようが構わねぇ。侮辱したけりゃ好きにしろ。僕らは最低の屑野郎共だ。そんなこたァ誰よりも僕ら自身が分かってんだよ。だがな……」
きっ、と。大人びた彼は少女を睨みつけた。
「僕らを憐みの目で見るのだけはやめろ!!!!!」
ぷい、と。少女は背中を向けた。
「悪かったわね」
裏路地の暗さは、彼女のシルエットをぼんやりと浮かばせるのみで。
後ろを向いた彼女が今、何を思っているのかは読み取れない。
「なぁ、君。僕からも質問いいかな」
「何よ」
僕は勇気を出して、聞いてみることにした。これは普通、愚か者の発する質問かもしれないが。しかし、人は自分の目で見たものを、信じずにはいられないのだ。たとえそれが、幻覚じみたものだったとしても。
「君って、もしかしてその……〝魔法使い〟ってやつなのか?」
「……」
少女は言葉を返さなかった。僕は尚も問いかけた。
「人形をあんなに器用に操っていたのも、魔法か?」
「……」
「銃弾の軌道を曲げたのも」
「……」
「一瞬で高いところまで上ったのも」
「……」
「あれだけドンパチやっていたのに、通りすがりの人間誰一人にさえ気づかれずに済んだのも」
「……」
「全部、君の〝魔法〟なのか?」
「……………………」
彼女は終始、黙り込んだままだった。その沈黙には、少女の姿からは想像もつかぬ重みが感じられた。まるで、この路地に垂れ込める、冷たいぬばたまのような。
男共は誰も、言葉を発せなかった。口が重くて開かなかった。彼女の返答次第で、我々の運命は決まってしまうのだから。
魔法使いなど、この世に在ってはならない存在だ。それは盗賊団とて同じである。故に我々は知っている。在ってはならない存在が、そこに在り続けるには、どうすべきか。
――誰にも知られないようにするしかない。
そしてもし、誰かに知られてしまったなら。
知ってしまった者を……抹消するのだ。
「そう……」
彼女が再び、振り返る。
「……バレちゃったならしょうがないわ」
僕は息を飲んだ。隣の奴らも同じ反応をしたのが、肌で感じられる。
「本当、なんだな……」
「えぇ、本当よ」
彼女は指先をどこかに向けた。すると。
がこん、と音がして。
振り返ってみれば、路上に積まれたいくつものレンガが、ふよふよと浮いていた。
皆が騒めく。
彼女が少なくとも只の人間ではないことを、そのレンガは証明していた。それが魔術なのか、呪術なのか、仙法なのかはもはや問題ではない。常識の範疇を超えていること自体が問題なのだ。それを目にしてしまった者達に待ち受ける運命は、ただ一つ。
「じゃあやっぱり……」
「やっぱり、何よ」
「我々を殺すのか?」
ぷつん。
「嫌だ……!」
浮いていたレンガが、一斉に落下した。
それは一瞬の出来事だった。覚悟を決め、目を瞑る。どすん、ごすん、と、あちこちに鈍い音が響いた。自分の頭が、彼らの頭が、ぐちゃりと潰れるビジョンが浮かぶ。仲間たちが、バタバタと倒れていく。壁に、地面に、自分の体に、鮮血が迸る。暗い視界が、紅く染まった気がした。
だが……レンガの落下の振動は、地面を伝って尻に響くばかりで。
自分の頭に響くことは決してなかった。
僕は瞼を開けた。
土埃が上がり、レンガの破片がパラパラと転がっている。
「ふふふ……」
そして少女は笑っていた。
「きゃはははははは! ひぃ、ひぃ……ははっははははふふふふふ……くくくくっふ」
それはあまりにも純粋で、本当に無邪気な笑い声だった。まるで、親にイタズラをして喜んでいる子供のような。
「ねぇ驚いた? 本当に殺すとおもった? ふっふふふ」
「お前……何を」
見れば、僕も、彼らも、誰一人傷を負っておらず。全てのレンガは、器用にも皆の間にばかり転がっていた。
どういうつもりだ? ぼくたちを見逃すのか? まさか。しかし……
緊張が少し解け、強張っていた頭が柔らかさを取り戻し始める。思えばこの時から僕は、皆が生き残れる、ある可能性に気づき始めていたのかもしれない。
「はぁ、笑った笑った」
ふぅ、と息を整え、彼女は僕に向き直った。
「ねぇ、正体を知られた時の対処って……本当に相手を消すことだけかしら」
ぐい、と。彼女の顔が目の前に迫る。その瞳は深遠で、底がどこにも無いようで。もし人の目が、樹木と同じように年輪を刻むなら。彼女の瞳には、僕より遥かに多く年月が刻まれていた。
彼女が〝普通〟ではないのだと、真に直感したのはこのときである。
だからきっと……。
「君とて、そうして正体を隠してきたのだろう」
彼女もまた、我々と似た生き方をし、似た行為を繰り返してきたはずだ。
「数々の目撃者を消すことで」
「ま、そういうこともあったけど?」
前かがみになっていた、少女がその背を伸ばす。さやと髪をなびかせる、その顔は得意げである。
「じゃあ聞くけど。あんた達はどうやって仲間を増やしたのよ」
皆は意外そうな顔を浮かべた。
「初めからこのメンバーだった訳じゃないんでしょ? 増えた仲間って、要するに自分たちの正体を新たに知った人間じゃない。どうして殺さないのよ」
「それは……」
「殺さない代わりに、正体の秘密を共有することを選んだ。違う? 正体を知ったのに、殺されなかった人たち。その集まりが、今のメンバーでしょ」
「確かに、そういう見方もできるが……」
そういう見方を持たなかったのは、僕が常に襲う側であり、襲われる側に回ったことがなく。捕らわれても許されるという可能性に思い至らなかったからだろう。
「つまり、お前は我々を殺さない、と?」
「初めは……殺そうと思ったんだけどね。少し惜しいかな、って思ったの」
惜しいから、と彼女は言った。それは彼女なりの配慮なのだろう。今度こそ顔には出さなかったが、その根底には、やはりここに居る者たちへの憐みがあったのではあるまいか。
「あんた達に利用価値があると思っただけよ。私の魔法の研究のために」
それから少女は顔を上げ、全員を見渡すようにして、言った。
「いい? 私が魔法使いだってこと、黙ってる限りは、あんた達は殺さないでおいてあげる。代わりに私の命令に従いなさい」
胸を張る彼女を前にして、彼らは皆、既に諦めていた。或いは、呆れていた。どうやら選択肢は残されていないようだ。
「ただ正体の秘密を共有する相手が一人増えただけ。あんた達にとってはいつものことでしょう?」
「では……盗賊団の仲間になると?」
「……ふふ」
口を抑えて笑う彼女。それが、少なくとも否定の意思表示ではないこと理解し、開いた口は塞がらなくなった。
「正気ですか……?」
警戒する彼。
「仲間になって、何するつもり~?」
好奇心を沸かせる彼。
「へッ、若い娘に何ができる」
大人ぶる彼。
「何勘違いしてんのよ。あんた達の仲間に私がなるんじゃない。私が[傍点2]あんた達を仲間にする[傍点2]のよ」
「あ、あのなぁ、嬢ちゃん。こんな野郎だらけの盗賊団に女身一人で入る覚悟はほんとにあるのか?」
だん、と。少女が一歩踏み込んだ。同時に、大人びた彼の目の前に、鋭く尖った円錐状の金属が突き付けられる。それは、実物の二十分の一ほどの小さなスピアーであり。それを持っているのは、少女……ではなく、手の乗るほどの小さな人形であった。
「あんたこそ……正真正銘の魔法使いと、行動を共にする覚悟はあるの?」
その人形はどこから出てきたのか。いつ、どうやって出したのか。その一切が分からなかった。目視不能なほどの速さなのか、あるいは。
気付けば、その人形も、スピアーも、跡形もなく消えていた。
「それに。私は盗賊団なんてやるつもりないわ」
さも当たり前のように彼女は言ったが。その言葉は即ち、我々の存在そのものの否定であった。
「お前、我々が何故盗賊団をやっているか。忘れたか?」
「それ以外に生きる道は無いから、でしょ?」
「それを分かっていて……」
「だから私が、新しく道を作るわ」
言って、アリスは狭い路地の中を縫うように歩き始めた。てくてく、てくてく、てくてく。考え事をするように、何かに思いを巡らせるように、或いはアイディアが振ってくるのを待つように。その姿は、さながら不思議の国をさまよい歩く、かの有名な少女……
「サーカスをやりましょう」
「はァ?」
最も大人びた彼が、最も間抜けな声を上げた。
「あんた達、奇術のセンスはあるわよ。とくにあんたの投げナイフ」
「僕のこと? ……あ、ありがとう」
幼い子は表情によく出る。
「サーカスの名前は……そうね。上海アリスサーカス団」
「いきなり何を言い出すんですか……」
警戒心は尽きず。
「ねぇね~、アリスって誰~?」
好奇心も尽きないようで。
「そういえば、自己紹介が済んでいなかったわね」
胸に手を当て、彼女は名乗った。
「……私はアリスよ」
「なるほど~」
相変わらず呑気に感心している。
しかし、まさか本当にアリスだったとは。この薄汚い裏路地を歩くにしてはあまりにも身なりが整いすぎていて、それはまさに、別世界から迷い込んだおとぎ話の少女のであった。
「で、あんたは?」
彼女は再び僕を指した。これは何度目だろうか。お互い名前を知らず、これ以外に指名方法が無かったのだから仕方がない。しかし……
「すまんが、ここに居る者たち一人一人に、名前は無いんだ」
「え?」
物凄く純粋に驚かれた。まあ当然か。
「あんたたち人間でしょう? 何で名前が無いのよ。私なら、人形にだって名前を付けるのに……」
この少女、時々見た目通りの少女に戻るから反応に困る。
「はー」
かわいらしいため息と、「仕方ないわね」と一言。
「じゃあ今ここで名付けてあげるわ」
「お、オイオイ、それじゃアまるで……僕らが人形みたいじゃないか」
「偉大な魔法使い様の人形になるのよ? 寧ろ光栄に思う事ね、ハリー」
「それ、僕のことかァ?」
「そうよ。そんであんたはスコット」
ひどく適当に付けられた気がするのは気のせいだろうか。
「君はケイシー」
「ねぇケイシーってどんな意味~?」
「君はサミュエル」
「そ、そうですか……」
「君はサイラス」
「大人っぽくって良いね」
「で、君はセドリック」
「ひぃ!」
「何でそこでビビるのよ!」
アリスが一同を見回した。
「これで全員かしら」
「あと一人いるけど」
おい、余計なことを言うな。
「ふーん。あんたちの住処でお留守番ってわけ?」
「どうして知ってるの~?」
おい馬鹿。カマをかけられてるって分からないのか。
「じゃ、アンタ達の住処に案内してもらうわよ」
「はぁーっ」
溜息を漏らさずにはいられない。
「これはまた、面倒な仲間が増えたものだ」
最も早起きな彼の名前は、結局、クレイグになった。
この日、名付けられた我々七人は。名づけという行為の意味を、未だ理解していなかったのだ。それは、表には親愛の証であり、アリスという新たな仲間を迎える儀式でもあったのだが。裏には名を授けた者への隷従であり、我々の運命を決定づける呪いでもあったのだ。
我々が誰かに名付けられたのは初めてではないが。
これが最後でもないということを、僕はまだ知らない。