Coolier - 新生・東方創想話

第九話『二色蓮芥瞳』 1/8

2019/03/10 00:04:33
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   西暦一八八四年 六月 

 阿片の煙が雲と棚引き、街のあらゆる場所に流れ込んでいた。僕は租界にいる。
 ワルツを踊る極彩色の衣装の人々。それが魔法で繰られた人形であると、知っている者は誰もいない。
 僕と、彼を除いて。
「いつ見ても、美しいものだ」
 老紳士が呟いた。
 黒いジャケット、黒のベスト。白いシャツに、黒の蝶ネクタイ。彼は絵に描いたような英国人スタイルだ。
 机の上、彼の前にはロックのウイスキー。一方の僕の前には、ストローの刺さったビールジョッキ。見栄えは最悪だが、僕が飲み物を飲むには、こうする他に手段はない。
「だが……これももうすぐ、見納めなのだろう」
「えぇ。彼女は故郷に帰りますから」
 舞踏の音楽と、周囲のおしゃべり。ガラスが弾かれる音や、大きな笑い声。あらゆる騒音が入り混じるこの空間で、我々の声も自然と大きくなっていた。
「上海に来る前は、ブカレスト……いや、〝ブクレシュティ〟といった方がいいか。そこに居たらしいが……」
 彼の英語に、突然ルーマニア語が混ざった。発音しにくそうに、顔を歪める仕草が可笑しくって、僕は少し笑った。
「いえ、彼女の故郷はもっと別のところですよ」
「ほう」
「もっとも、確証は無いのですが……」
「それで?」 


「彼女の故郷は魔界です」


 彼は顎を引き、片方しかない目を見開いて、〝冗談だろ〟のジェスチャーをして見せた。
「それは……チャイニーズ・ジョークってやつかね」
「さぁ。……信じてほしいなんて思っていません」
「あぁ、信じないだろうな。普通は」
「そうですね、普通は」
「ブリティッシュ・ジョークで受け取るにしても、皮肉が足りんよ。だが……」
 彼は舞台の方に視線を向けた。


「あれだけの魔法を見せられてはな」


 舞台、といっても、それは小さく区切られた店内の一角にすぎないのだが。その狭い空間を器用に縫いながら、人形たちはワルツを踊っていた。
 そう、人形なのだ。舞台裏から繰られるだけの、血の通わぬヒトガタ。だが、それが人形だと分かったところで、やはり生きた人間にしか見えない。
 それが彼女の魔法だ。人の形をした器に、指先の糸を通して、生きた魂を宿す。一体とは言わず、同時に数体、数十体と。
 彼女の技量を常人が量ることは叶わないだろう。人形師が鍛錬を積んで到達できる技術の範疇を遥かに超えた、未知の領域の超常技術なのだ。それを本当に成し得るのだとしたら……彼女は魔法使いとか、そういう類の存在でしかあり得ない。それこそ、ここではないどこか、異世界からやってきたような……。


「いつかはその魔界とやらにも、子午線を引いてやらねばな」


 ときおり、彼は難しいことを口にする。学者の性というものなのだろう。それに食いつくと、途端に宇宙や星々、時間や空間に関する講義が始まってしまうことを知っているので、僕はあえて聞き流すようにしている。
「君は……どうするつもりなんだい」
 踊りから目を離さぬまま、彼は尋ねた。
「それは――」
分かってはいた。彼女のもとを離れれば、僕は居場所を失うのだ。しかし、考えてはいなかった。これから先のことなど、僕には想像もつかない。
「……今日はそれを、彼女に聞きに来たのかもしれません」
「……そうか」
 彼は顎を撫でた。
「しかし、君自身の意思はどうなんだい? 君にも何か、やりたいことが――」
 そこまで言いかけて、彼の口は止まった。目の前にいる僕の姿を、その姿が意味することを、改めて認識したからだろう。
「すまん。悪いことを聞いたな」
「いえ、お気になさらず」
 僕は麦酒を口にした。ストローから飲むそれは、普通より苦く感じられた。
 と、言っても、ストローでしか飲んだことはないのだが。
「寧ろ、感謝していますよ」
 言って、わざとらしく、自分の腕を広げて見せる。
 否、それは腕ではない。あらゆる光を吸い込んでしまえるほどに真っ黒な……翼だ。それを見せつけるように、僕は小さく舞って見せた。少し前まで、舞台の上でやっていた仕草を、今も体は覚えている。
「彼女のおかげで、自分のできることを見つけられたんですから」
 舞台の方から、まばらな拍手が聞こえてきた。一つの演目が終わり、即席の幕が降ろされていく。
「名残惜しいな」
 老紳士は、閉まった後の幕さえも愛おしそうに見つめていた。








 いかにも英国紳士然とした彼。その格好には、しかし、一つだけ不釣り合いなものが含まれている。無意識に、僕はその点に目を向けてしまっていた。
「これ、おかしいかね?」
「あっ、いえ、そんなことは……」
 彼が指さす先。その頭には、ベージュのベレー帽が被さっていた。山高帽ばかりのこのブリティッシュ・パブで、彼の帽子は確かに少し浮いている。
「……とてもお似合いですよ」
「そ、そうか」
 齢、八十四。顔に刻まれた皺をいっそう深くして、彼ははにかんだ。そんな顔をされて、ファッションに関する助言などできるはずがない。
「少し前に、仏蘭西租界に行ってきてな……」
 ここ、上海共同租界の、呉淞江を挟んで南側。そこには仏蘭西が統治する仏蘭西租界が広がっている。ベレー帽は、英国よりもむしろ、あちら側の文化である。
「別に帽子など無くても構わないと思っていたんだが……いざ手放してみれば、存外に寂しいものでな」
 彼はウイスキーを少し煽った。
「昔の帽子は、例のブロンドのお嬢ちゃんにプレゼントしたばかりだ。また山高帽を買うようでは、未練がましく思われるだろう」
「それでわざわざ……ベレー帽を?」
「……あぁ」
「でも僕は、そんなこと思ったりしません」
「ほほほ、君にそう思われても、私は構わないよ。こうして笑い話にできる。だが……」
 彼はジャケットのポケットから、何かを取り出した。
「あの子には、そう思ってほしくはない」
 ベストのボタンを通すようにして、細いチェーンに結ばれた銀色の物体。


   John Harrison
   1693 – 1776


 そう刻まれた懐中時計を開き、彼は立ち上がった。
「そろそろ舞台も終盤だ。もう少し近くで、ゆっくり見てくるよ。……あとそう」
 何を思ったのか、彼は帽子を脱ぐと、それを僕の頭に被せた。
「これは君の方が似合う」
「は、はぁ……」
 腕の無い僕は、自分で帽子が脱げない。それを分かっていて、敢えて被せてくるのだから、彼も中々の性悪である。仕方なく僕は、慣れない帽子をそのまま頭に乗せておくことにした。








 杖をつきながら舞台へ向かう老紳士を見送り、椅子に居直る。そうして初めて、後ろの席にも客がいることに気づいた。数は二人。僕の視線とは垂直に向かい合い、言葉を交わしているようだった。少し、耳を傾けてみる。

「最近、魔法だとか妖怪だとか今時無学なこという輩が増えてきたなぁ。嘆かわしい」

 なまりの強い上海語。得意げな、しかし見栄を張ったような、そんな若い女の声だった。こっそり振り返ると、それは白い、道士のような格好の、赤い被り物をした少女だった。少女は、無慈悲で、可憐で、そして真直ぐな瞳をしていた。僕はそれを、美しい、と思った。

「あら? あなたが目指す不老不死の仙人も、妖怪のようなものではなくて?」

 対して、話し相手の女性は落ち着いた声をしていた。フリルの多い豪勢なドレスを身に着け、手首に日傘をかけている。彼女は深遠な、琥珀色の瞳をしていて……僕はその瞳に、確かな見覚えがあった。 
「あのねぇ、道士が全員仙人を目指しているわけじゃないのよ」
「そうだったのね。初耳だわ。でも……」
 瞬間、言葉を切った女性と、目が合ってしまう。底知れぬ身の危険を感じ、僕は視線を戻した。


 ――彼女の左目が、蒼く輝いた気がした。


「私が妖怪なのは本当よ?」
 拭い切れぬ胡散臭さ。これもまた、チャイニーズ・ジョークというやつなのだろうか。或いは、彼女は本当に、僕と同じくヒトから外れた者なのか。それとも……これは阿片が聞かせた幻聴か。
 少女は構わず、先程と同じような言葉を返した。
「妖怪? いまどき非常識な」
 少なくとも彼女は、それをジョークと受け取ったようだった。





 しかし、僕は知っている。妖怪達は、人間にそう思わせておけば平和に暮らせるということを。妖怪は人間よりずっと平和で現実的だということを。




 僕はしばらく、背を向けたまま、二人の話を聞いてい。しかし聞こえてくるのは、〝結界〟〝神霊〟〝蓬莱〟といった迷信に類する単語。或いは〝タカマガハラ〟〝ゲンソウキョウ〟〝イザナギ〟といった聞きなれない単語ばかり。……概して意味不明だ。唯一気になるとしたら〝蓬莱〟の二文字であるが、文脈が分からない以上、有益なものは得られそうにない。結局、僕はストローを口に咥えたまま、舞台をただぼうっと眺めて過ごすことになった。









「いやぁ。実に良いものだった」
 舞台が終わり、彼が戻ってくる。片手にはグラス一杯の水。今日の酒 はお終いらしい。
その後ろから、小さな影が近づいてくるのが見える。
「エアリー博士!」
 声を上げた、金髪の少女。白のブラウスに青のワンピース。カチューシャのリボンを揺らめかせながら、彼女はぴょんぴょんと跳ねていた。再会を喜んでいるのだろう。
 見た目は十かそこらの子供に見えるが……外見に騙されると痛い目に合うことを、僕は知っている。
 そう、彼女こそ、この舞台をたった一人で作り上げた天才人形師。名を……
「アリス。八十九日と三時間ぶりだな」
「見てくれてたのね、ありがとう!」
「あぁ。素晴らしかったよ」
 二人は席に着いた。アリスの手には、お気に入りのオレンジジュースが握られている。
「私が知らぬうちに、ずいぶん減ったんだな」
「メンバー……ですか?」
「あぁ。〝上海アリスサーカス団〟の……」
「みーんな、逃げちゃったからね」
「今は、僕と彼女の二人だけです」
 あの事件以降、僕たちはもうサーカスをやっていない。無害な見世物道具と見なされた僕と、人形師として顔が割れていなかったアリスは、この街に潜み続けられた。だが、他の七人は……
「そうか……寂しくなったな」
「あたしは寂しくなんかないもん。これが今の……明治十七年の上海アリスなんだから」
「メイジ……?」
「ジャパンの暦か」
「そ。あの子たち、ジャパンでもサーカスやってるのかしら」
「まさか。逆戻りじゃないですか? 彼らの本来の生業に……」
「ふーん……」
 ま、私には関係ないや。そう言って、彼女はジュースを吸った。
「それで? エアリー博士、今日はお別れの挨拶に来たんでしょ?」
「あぁ。もしかすると、これで本当に最後かもしれん」
「そうなの?」 
「今までとは違うさ。今度は、会おうとしても会えなくなる」
「帰るんですか? ロンドンに」
「いや、ワシントンだ。十月に本初子午線決定の国際会議がある。自分が引いた線を国際的に採用する会議に、私が出ないわけにはいかないだろう」
 昔、聞いたことがある。この老紳士は、位置天文学という分野で立派な功績を挙げた人らしい。僕たち八人の中で、最も聡明な彼が言っていた。というのも、博士は一年前、僕たちのサーカスを観に来ていて、偶然モブに選ばれたことがあった。最も賢い彼は、その名前を楽屋から聞いていて、彼の正体に気付いたのだ。なんでも、博士は世界地図に初めて線を引いた、それはそれは偉い人なのだという。聞いた当時は、それくらいなら僕にもできると言い返してやったが、お前は何も分かっていないと殴られただけだった。
 その殴った彼も、今は上海から遠く離れた海の向こうだ。東の山のどこかの村にでも住んでいるのだろう。彼らは命に正直だから、あの日、人形師の彼女を置いて、自分たちだけで逃げ出してしまったのだ。
 だが八人目の僕も、おそらく例外ではない。いずれ、彼女の元を離れることになる。そのとき僕は。僕は……
「そっかー。学者さんは大変ねー」
 どこか他人事のような反応に「そうだな」とだけ返し、老紳士は僕の肩に手を置いた。
「ところで、アリス。今日はこやつからも話があるようだぞ」
「へ?」
「あ、いや……」
 こういう改まった話は苦手なのだ。
「何よ、言ってみなさいよ」
「うん……」
 老紳士が、にやりと笑ったのが見えた。きっとそれは、意地悪ではなく、励ましなのだろう。僕は彼女に向き直った。
「あのね……アリス。君が故郷に帰ったら……僕は、どうすればいい?」
 聞いて、彼女はきょとんとしていた。
「なーんだ。そんなことかぁ」
「そんなこと、って……」
「……そうね。じゃあ、あなたには……」
 まるで今思いついたかのような切り出し方に、僕は若干の不安を覚えるのだが。
「見守り役をやってもらおうかしら」
「見守り?」
「そ。あたしの作品のね」
「君の作品って、まさか……!」

 世の人形師には、一つ、究極の目的があるという。
 彼らはそれを、〝完全自律人形〟と呼んでいる。
 術師の操作を一切必要とせず、自ら考え、自ら行動する、完璧な人形。
 糸にも術にも縛られず、全てから解き放たれた、自由で、完全な人形。
 完全自律人形の作成こそ、人形師らの究極の目的にして、悲願なのである。
 これまで数多の術師が、この人形の作成に挑んできた。だがその試みは、悉く失敗した。多くの苦労が、水の泡となって消えていったのだ。中には一生を捧げた者も居たらしいが、そうした者も皆、虚しく砕け散っていったという。
 だがその悲願は、達成不可能な夢物語ではなかった。決して叶わぬ憧憬などではなかった。その神域に到達した者は、確かに存在したのだ。
 そう確信できるのには理由がある。
 僕の目の前で、屈託のない笑顔を見せる少女、アリス。彼女こそ、その悲願の達成者なのだから。
 完全自律した、彼女の作品。
 その完成品を、アリスはこう、呼んでいる。


「蓬莱、人形……」


「私はもう、この世界でやりたいことを済ませたから。気が向いたら、すぐにでも魔界に帰れるのよ。だからこれからは、あの子を〝アリス〟と思うことね」
「それって……」
「あの子はもう、私の手には負えない。けど、見守るくらいなら、あなたにもできるんじゃない?」
「つまり……僕も、東の山に渡れ、と?」
「ほう。良いではないか」
「エアリー博士まで……」
「あのブロンドの娘には、あの瞳には、世界の果て、いや……宇宙の果てを、見てもらわなければな」
 僕の引きつった顔とは対照的に、老紳士はその年齢に見合わぬほど若々しく笑っていた。左にしかない彼の目も、今は少年のように輝いている。その瞳は、まだ見ぬ未知に心を躍らす、底無しの探究心で満ちていた。
「そうしていつか、あの夜空にも、書き込んでやろうではないか――」


   ――天空の子午線[グリニッジ]を!


「君にはそれを……見届けてもらうことにしよう」














 その昔。芥子の瞳が開かれて、そこには様々な者が写されてきた。
 善い者も悪い者も、美しい者も醜い者も。
 賢い者も愚かな者も、大人びた者も幼い者も。
 勇敢な者も臆病な者も。好奇心の強い者も警戒心の強い者も。
 数多の人々が写された。
 そうして今、再び蓮の瞳が開かれて。
 その人形は、絶対の原点にして絶対の源泉となった。
 蓮の瞳により、それは全てを写し、全てを測り、全てを記す原点となり。
 芥子の瞳により、それは全てを創り、全てを与え、全てを為す源泉となるだろう。
 これは、摂理を外れた人形と……その両の瞳が辿る、数奇な運命の物語である。




 
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