「はーい、どうされました?」
時刻は正午からいくらか経った頃。今日も同じような一日が過ぎるのか、とふらふらと屋敷を徘徊していると、門の方から鈴仙の声が聞こえた。
お客だろうかとわずかに顔を覗かせてみれば、詳しくは聞こえなかったものの、火傷がどうとか話していて、どうやら予想は的中したようだった。
なんだ、と気落ちしたのだけれど、目を細めてよくよく見てみればそのお客は人間ではないことに気付いた。それも私の感覚が鈍っていなければあれは狸ではないか、と。
それで少し興味が湧いてその後もしばらく観察していると、薬を取り出した辺りで鈴仙がこう切り出した。
「これからこの薬を賭けて私とゲームをしましょう」
それはあまりにも突拍子のない提案だったけれど、向かい合う狸は存外冷静だった。
「ゲーム? それを受けることで儂になんの得があるんじゃ?」
「貴方が勝った場合割引価格で提供するわ」
「ふーむ……確かに興味深いが、しかし利点としては弱いのう」
「もちろん受けなくてもいいわ。ただしその場合は」鈴仙は腰に手を当て片目を瞑り、もう一方の目で見下すように胸を張る。「『化け狸の大将が、どこの馬の骨かも分からぬ野良妖怪との勝負から尻尾巻いて逃げ出した』なんて噂が流れることになるかもしれないけれど」
「ほう?」
すぐ調子に乗るのはあの子の悪い癖ね、と思いもしたけれど。冷静な狸だ、という評価は撤回したほうがいいかもしれない。
しかし何にせよ興味深い展開になったのは間違いなく。こうしてはいられないと、私は急いでその場を離れたのだった。
「まずは――」
「私も同席させて頂いても構いませんか?」
急いだ甲斐もあって、鈴仙がゲームの準備を終え説明を開始する前に戻ることができた。
突然現れた第三者の姿に、当然二人の視線は私の方を向く。狸の方は少し驚いてはいたのものの、それだけだった。一方で鈴仙は驚愕を通り越して固まっている。うふふ。
「ああ、失礼しました。私はお師匠様から薬の教えを請うている身でして、鈴仙さんの妹弟子に当たる者になります」
それらしい格好――鈴仙の部屋の箪笥から引っ張り出してきた衣装を纏い、邪魔にならないよう簡単に後ろで髪をまとめている――で私は一礼する。その間にどうやら鈴仙は我を取り戻したようだけれど、それは私が先手を打ったことに気付くことと同義。混乱と動揺の渦に飲まれている様子の彼女に私は追い打ちをかける。
「何やら興味深いことをやられている様子でしたので、後学のためにも是非見学させていただければ、と思いまして。勿論口は出しませんので。――ねぇ構わないでしょう、鈴仙さん?」
壊れた絡繰のように頭を上下に振る鈴仙に、狸は怪訝そうな目でこちらを伺うので、ごまかすように微笑み返しておいた。
それからしばらくして、ようやく鈴仙が落ち着きを取り戻し、ゲームの説明が再開された。それでもなお彼女はこちらの様子をちらちらと気にしているので、笑顔のまま見つめていたら今度は目を逸らすようになった。
「……まず貴方に三枚のカードを渡すわ。それぞれ三種類の薬と対応していて、安い方から【一】【二】【三】よ」
言いながら鈴仙は狸にカードを手渡した。彼女の手にはもうワンセットが残っている。
「これは貴方の購入権であると同時に賭金となる」
ほう、と狸が低い声で相槌を返す。それを確認してから鈴仙は新たなカードの束に手を伸ばす。
「それとは別に五枚のカードを渡すわ。【1】~【5】のカードが一枚ずつ。これを使って賭金の方のカードを奪い合うの」
鈴仙は見えやすいように自身のカードを机に一枚ずつ広げた。
「賭金のカードから一枚、五枚の手札から一枚カードを選んで、そこに書かれた数字の和の大きい方の勝利。相手の賭金カードを奪えるわ。手札の方のカードは手札には戻さず捨て札とする。これは二人共ね」
「和が同値の場合はどうする。引き分けか?」
「ええ、賭金は移動しないわ。だけど勝負は成立したものとみなすから、出した手札は捨て札に移動するけど。そしてこれを三回繰り返す」
「うん? 三回だけならなぜ五枚もカードがあるんじゃ? 和の大きさを競うのなら小さい二枚は使わんじゃろ」
「そうね、三回終了時点で手札には二枚カードが残る。それも終了と同時に賭金とみなすのよ」
「なるほど。つまりより数字の小さいカードでいかに勝利を重ねるか、が鍵になるわけじゃな」
狸の言葉に鈴仙は頷く。と、思い出したように彼女は付け足した。
「ああ、それと。イカサマ自体をどうこう言うつもりはないけれど、一般の人間が持ちえない力を行使するのは無しよ」
「ふぉっふぉっふぉ。自信満々でも狸に化かされるのは怖いか」
狸が快活に笑ったのに対し、鈴仙は勘違いしないで、と否定する。
「私はやろうと思えば貴方の意識を完全に支配できる。だけどそれじゃあ面白くないでしょう?」
今日だけで既に三回目となる掛け値なしの挑発。相変わらずよく口が回るものだ。
「口だけじゃないと期待しておるぞ?」
どうやら狸はその挑発に乗ることに決めたらしく、口端を歪めて笑ったのだった。
「準備はいい?」問いかけに対し狸が頷いたのを見て、鈴仙は続ける。「なら始めましょう」
鈴仙の宣言を合図にその場には沈黙が落ちる。私は二人の顔色や視線、様子を伺ってみるものの、少なくとも客観的に見て特に変わったところはない。端的に言えば暇だった。仕方なく漠然と状況を整理することにする。
未だゲーム開始から状況は動いていない、それはつまり仕掛けた鈴仙の方に分があることを意味する。これまで私の登場以外の点で鈴仙は動揺した様子を見せていない。となれば現状彼女の策は順調に進んでいると推察できよう。
勿論、最初から策などなければ別である。彼女は見ていて呆れるくらい自信家の気があるから、無策でも自分なら勝てると勝負を挑んだ、ということもなくはないだろう。
ただ私はそう思うのと同時に、可能性は低いだろうと考えていた。
少し前から鈴仙はおやつ時にてゐと賭け勝負に興じている。否、興じているとは言えないかもしれない。鈴仙は常にてゐの策に踊らされ、苦渋を飲まされているからだ。けれど彼女は必死になって食らいついていて、最近はてゐのことを手玉に取ることもあると聞いている。そんな彼女が無策でゲームに挑むとは考えにくい。
そこまで考えたところで状況が動いた。私はふと我に返る。
「決まったぞ」沈黙を破ったのは狸だった。「一度目はどうせ探り合いじゃからな、そう悩んだところで仕方あるまい」
「まぁそうね……私も決めたわ」
「賭金と手札、両方共裏向きで出せば良いんじゃな?」確認とともに狸は二枚のカードを場に出した。
ええ、と同意しながら鈴仙も同じようにカードを出す。場には賭金のカードが二枚、手札のカード二枚の計四枚のカードが出揃った形となる。
「それじゃあ賭金カードの方から公開していくわ」
確認の後、鈴仙は二枚のカードを表向ける。うち一枚、狸のカードは【三】。そしてもう一枚、鈴仙のカードも【三】であった。
「随分強気じゃのう」
「そう言う貴方も【三】を出しているじゃない」
「じゃから言うとるんじゃ」
狸は机に身を預け嬉々とした笑みを浮かべる。そして未だ裏向きのままのカードを指でとんとんと叩いた。
「手札《こっち》の背比べで負けたら、お前さんは一番の武器を失うことになるんじゃぞ?」
下から刺すような視線に鈴仙の体が僅かに退いたのがわかった。
「……負けなければいいだけの話でしょう?」
対抗するように、反証するように、鈴仙は伏せられているカードに手を伸ばす。公開された鈴仙のカードは【4】。対する狸のカードは――【5】であった。
「身を切る博打は儂の領分でのう」狸は鈴仙の賭金を手繰り寄せ、ひけらかすようにひらひらと振る。「これは頂いていくぞ」
「……次の勝負を始めましょう」
鈴仙は一瞬鋭い目付きを見せたもののすぐに理性を取り戻し、場に残ったカードを捨て札として横に流した。
鈴仙は一度深呼吸。ゆっくりと呼吸を整えようとする。――けれどそれは失敗に終わった。
鈴仙は目を見開いた。"既に場に出された二枚のカード"に指を添えたまま、狸は不気味な笑みを浮かべる。
「儂は決めたぞ」
鈴仙の呼吸が乱れたのが横からでもわかる。
「……早いわね」
「お主はゆっくり考えてくれて構わんぞい」
「……そうね、お言葉に甘えさせてもらうわ」
鈴仙は冷静を装いそう返すも、結局彼女がカードを出すまでにかけた時間は、一戦目の半分もなかった。
そしてカードが場に出揃い、公開される。
鈴仙のカードは【二】と【5】。狸のカードは【二】と【1】。鈴仙の勝利、ではあった。けれど。
「おお、しまった。二回目は儂の負けじゃのう」
「――――っ!」
二人の表情は勝敗とは全くの真逆。へらへらと笑う狸に対し、鈴仙は今にも爪を噛みそうになりながら、場のカードを一心に見つめている。
巧い。私は感心する。
狸の策は何も特別なことはない。ルール説明において『小さな数字で勝つことが有効』と理解を示した上で、実質六点の価値を持つために、相手の札の読めない初手では出しづらい【三】を含む最高値のカードを選択。ハイリスク・ハイリターンの手を好むように印象付けながら鈴仙の感情を揺さぶることで大胆な手を取るように誘導した。
「……決まったわね」
初戦で【三】のカードを二枚手にした時点で、狸は他の賭金カードに執着する理由を失った。それ以降で重要だったのは、いかに鈴仙に大きな手札を切らせるか。そしてそれを彼女は成し遂げた。
「さて次で最後じゃが、儂は決まっとるぞ」
狸による最終宣告。鈴仙は必死にカードを見つめるが、いくら頭を回したところで結果は変わらない。
「……決めたわ」
覇気のない声で鈴仙がそう告げる。そして場には四枚のカードが並ぶ。力なく座り込んでいる鈴仙に変わり、狸が一枚ずつカードを公開していく。
一枚、鈴仙のカード――【二】。二枚、狸のカード――【一】。三枚、鈴仙のカード――【3】。そして最後に、狸は自身のもう一枚のカードを表向ける。
「終わりじゃな」
狸は【2】のカードを顔の横でひけらかし、口元を歪めた。
鈴仙の得点――【二】、【二】、【一】、【一】、【2】、【1】――九点。
狸の得点――【三】、【三】、【4】、【3】――十三点
鈴仙は肩を落とし、大きく息を吐いた。それを契機に張り詰めていた空気が一気に解放される。
「完全にしてやられたわ」
「そう謙遜するな。お前さんもなかなかのものじゃよ」
狸はくつくつと笑う。対してなんとも言えない表情を浮かべ、鈴仙は立ち上がった。
「負けたことに変わりはないわ。約束どおり、薬は半額で提供する」
「ふぉっふぉっふぉ。浮いた金で帰りに茶屋にでも寄っていくかのう」
狸も鈴仙にならい立ち上がり、服の裾から膨れた財布を取り出す。
奥で鈴仙はそろばんを弾き、その値を紙に書き出し、狸に提示した。
「はい、これが料金よ」
「おお、いくらかのう――あ?」
そこに書かれていた数字を見て狸は固まる。そして恐る恐るといった風に鈴仙に訊ねた。
「前に来た時はこれの一厘にも満たん額だったはずなんじゃが……」
対する鈴仙は嘲るように息を吐き、とくとくと告げた。
「この価格でも安いくらいよ。だってこの薬はひと塗りするだけで表面の傷やシミは勿論、骨折や肉離れ、果ては千切れた腕すらくっつく勢いの、お師匠様特性の塗り薬だもの」
「ちょっと待て! 儂は火傷の薬を求めてきたんじゃぞ。大げさすぎるじゃろ!」
声を荒げる狸に対し、鈴仙は薄く笑った。
「だって貴方、【三】のカードしか持ってないでしょう?」
鈴仙の言葉に狸は再度固まる。
鈴仙が持ちかけたゲームのルールはこうだった。
賭金カードと手札を一枚ずつ場に出し、その和の大きさを競う。それにより賭金カードのやりとりを行う。最終的に持っていた賭金カードと手札の数字の和の大きい方がゲームに勝利する。そして――"賭金カードは薬の購入権でもある"――と。
「ふぉっふぉっふぉ。してやられたのは儂のほうじゃったわけか」
狸は愉快そうに笑い、持っていた財布を高く、鈴仙の方へ放り投げた。突然のことに鈴仙は戸惑いながら、何とか目で追って受け止める。
「これは頂いていくぞい」
その間に狸は薬を手に取り背を向けていた。鈴仙は引き留めようと腕を伸ばすが間に合わない。そして部屋を出る直前、彼女は私の方を一瞥した。
「ちょっと何よこれ!」
わっと鈴仙が声を上げたので視線をそちらにやると、彼女はは狸の財布をひっくり返していた。その下、机の上にはわずかな硬貨の他に、大量の石と葉っぱが散らばっている。
咄嗟に狸を追いかけようとした鈴仙を、遮るように私は前に立つ。
「落ち着きなさい、鈴仙」
「ですが姫様!」
荒ぶる鈴仙を冷静にするには事実を確認させるのが一番早いと、私は財布の中身を指差す。
「もし仮に薬の代金をごまかす魂胆なら、本物の硬貨を混ぜる必要はないでしょう?」
鈴仙ははっとして、財布の中身の方へと駆け寄った。そして硬貨の数を数え始める。
「まさか――」
数え終わった鈴仙は狸の持っていった薬が何なのか確認し、その後未だ最終戦のカードが残ったままの机へと駆け寄った。手を震わせながら、狸が裏向きのまま残した手札を表向ける。
二枚のカードは【2】と【3】。場に出されたカードを再度確認すると、それは【4】のカードに変わっていた。
「嘘でしょ……? 一体何時から……」
鈴仙は力なくへたりこんだ。
彼女の可愛らしい姿に、私はごめんなさいね、と心の中で念じ、一つだけヒントを与えることにする。
「最初からよ」
「え……?」
「ルール説明の時から、あの狸は察していたわ」
「どうして……」
「どうしてかしらね」
言いながら私は虚ろな目を浮かべる鈴仙に背を向けた。
話は簡単だった。鈴仙はゲームを持ちかけた際、自身のメリットを明かさなかった。仮にゲームに勝利したとして、鈴仙には何の得もないのだ。では何が目的か、疑るのは当然の帰結。
けれど仕掛ける側はそのことに気付きにくい。自身の姿というものは、往々にして見えないものだから。
私はこのことを鈴仙に告げることはない。だって彼女と意見が一致したのだもの。
あの狸は部屋を出る瞬間こちらを一瞥して、端を吊り上げた口の前で人差し指をぴんと伸ばした。
ともすれば、あの狸は最初から私の正体に気づいていたのかもしれない。食えない狸だ。
「貴方の演技もなかなか堂に入っていたわよ」
「……ありがとうございます」
応える鈴仙の言葉に力はない。私はにやける顔を隠すように手で覆った。
彼女は自信家の気がある。そういう者は往々にして折れやすいモノだが、今の彼女は違う。くじける度にまた竹のように伸びようとする。そのことを私はよく知っている。
「精進なさい」
それだけ告げて、私はその場を後にした。
迷いの竹林の奥にひっそりと佇むここ永遠亭。
その場所で人知れず行われた勝負は、私の退屈な人生に彩りを一つ残し、幕を下ろした。
勝敗――"狸の反則負け"(能力使用により)。
時刻は正午からいくらか経った頃。今日も同じような一日が過ぎるのか、とふらふらと屋敷を徘徊していると、門の方から鈴仙の声が聞こえた。
お客だろうかとわずかに顔を覗かせてみれば、詳しくは聞こえなかったものの、火傷がどうとか話していて、どうやら予想は的中したようだった。
なんだ、と気落ちしたのだけれど、目を細めてよくよく見てみればそのお客は人間ではないことに気付いた。それも私の感覚が鈍っていなければあれは狸ではないか、と。
それで少し興味が湧いてその後もしばらく観察していると、薬を取り出した辺りで鈴仙がこう切り出した。
「これからこの薬を賭けて私とゲームをしましょう」
それはあまりにも突拍子のない提案だったけれど、向かい合う狸は存外冷静だった。
「ゲーム? それを受けることで儂になんの得があるんじゃ?」
「貴方が勝った場合割引価格で提供するわ」
「ふーむ……確かに興味深いが、しかし利点としては弱いのう」
「もちろん受けなくてもいいわ。ただしその場合は」鈴仙は腰に手を当て片目を瞑り、もう一方の目で見下すように胸を張る。「『化け狸の大将が、どこの馬の骨かも分からぬ野良妖怪との勝負から尻尾巻いて逃げ出した』なんて噂が流れることになるかもしれないけれど」
「ほう?」
すぐ調子に乗るのはあの子の悪い癖ね、と思いもしたけれど。冷静な狸だ、という評価は撤回したほうがいいかもしれない。
しかし何にせよ興味深い展開になったのは間違いなく。こうしてはいられないと、私は急いでその場を離れたのだった。
「まずは――」
「私も同席させて頂いても構いませんか?」
急いだ甲斐もあって、鈴仙がゲームの準備を終え説明を開始する前に戻ることができた。
突然現れた第三者の姿に、当然二人の視線は私の方を向く。狸の方は少し驚いてはいたのものの、それだけだった。一方で鈴仙は驚愕を通り越して固まっている。うふふ。
「ああ、失礼しました。私はお師匠様から薬の教えを請うている身でして、鈴仙さんの妹弟子に当たる者になります」
それらしい格好――鈴仙の部屋の箪笥から引っ張り出してきた衣装を纏い、邪魔にならないよう簡単に後ろで髪をまとめている――で私は一礼する。その間にどうやら鈴仙は我を取り戻したようだけれど、それは私が先手を打ったことに気付くことと同義。混乱と動揺の渦に飲まれている様子の彼女に私は追い打ちをかける。
「何やら興味深いことをやられている様子でしたので、後学のためにも是非見学させていただければ、と思いまして。勿論口は出しませんので。――ねぇ構わないでしょう、鈴仙さん?」
壊れた絡繰のように頭を上下に振る鈴仙に、狸は怪訝そうな目でこちらを伺うので、ごまかすように微笑み返しておいた。
それからしばらくして、ようやく鈴仙が落ち着きを取り戻し、ゲームの説明が再開された。それでもなお彼女はこちらの様子をちらちらと気にしているので、笑顔のまま見つめていたら今度は目を逸らすようになった。
「……まず貴方に三枚のカードを渡すわ。それぞれ三種類の薬と対応していて、安い方から【一】【二】【三】よ」
言いながら鈴仙は狸にカードを手渡した。彼女の手にはもうワンセットが残っている。
「これは貴方の購入権であると同時に賭金となる」
ほう、と狸が低い声で相槌を返す。それを確認してから鈴仙は新たなカードの束に手を伸ばす。
「それとは別に五枚のカードを渡すわ。【1】~【5】のカードが一枚ずつ。これを使って賭金の方のカードを奪い合うの」
鈴仙は見えやすいように自身のカードを机に一枚ずつ広げた。
「賭金のカードから一枚、五枚の手札から一枚カードを選んで、そこに書かれた数字の和の大きい方の勝利。相手の賭金カードを奪えるわ。手札の方のカードは手札には戻さず捨て札とする。これは二人共ね」
「和が同値の場合はどうする。引き分けか?」
「ええ、賭金は移動しないわ。だけど勝負は成立したものとみなすから、出した手札は捨て札に移動するけど。そしてこれを三回繰り返す」
「うん? 三回だけならなぜ五枚もカードがあるんじゃ? 和の大きさを競うのなら小さい二枚は使わんじゃろ」
「そうね、三回終了時点で手札には二枚カードが残る。それも終了と同時に賭金とみなすのよ」
「なるほど。つまりより数字の小さいカードでいかに勝利を重ねるか、が鍵になるわけじゃな」
狸の言葉に鈴仙は頷く。と、思い出したように彼女は付け足した。
「ああ、それと。イカサマ自体をどうこう言うつもりはないけれど、一般の人間が持ちえない力を行使するのは無しよ」
「ふぉっふぉっふぉ。自信満々でも狸に化かされるのは怖いか」
狸が快活に笑ったのに対し、鈴仙は勘違いしないで、と否定する。
「私はやろうと思えば貴方の意識を完全に支配できる。だけどそれじゃあ面白くないでしょう?」
今日だけで既に三回目となる掛け値なしの挑発。相変わらずよく口が回るものだ。
「口だけじゃないと期待しておるぞ?」
どうやら狸はその挑発に乗ることに決めたらしく、口端を歪めて笑ったのだった。
「準備はいい?」問いかけに対し狸が頷いたのを見て、鈴仙は続ける。「なら始めましょう」
鈴仙の宣言を合図にその場には沈黙が落ちる。私は二人の顔色や視線、様子を伺ってみるものの、少なくとも客観的に見て特に変わったところはない。端的に言えば暇だった。仕方なく漠然と状況を整理することにする。
未だゲーム開始から状況は動いていない、それはつまり仕掛けた鈴仙の方に分があることを意味する。これまで私の登場以外の点で鈴仙は動揺した様子を見せていない。となれば現状彼女の策は順調に進んでいると推察できよう。
勿論、最初から策などなければ別である。彼女は見ていて呆れるくらい自信家の気があるから、無策でも自分なら勝てると勝負を挑んだ、ということもなくはないだろう。
ただ私はそう思うのと同時に、可能性は低いだろうと考えていた。
少し前から鈴仙はおやつ時にてゐと賭け勝負に興じている。否、興じているとは言えないかもしれない。鈴仙は常にてゐの策に踊らされ、苦渋を飲まされているからだ。けれど彼女は必死になって食らいついていて、最近はてゐのことを手玉に取ることもあると聞いている。そんな彼女が無策でゲームに挑むとは考えにくい。
そこまで考えたところで状況が動いた。私はふと我に返る。
「決まったぞ」沈黙を破ったのは狸だった。「一度目はどうせ探り合いじゃからな、そう悩んだところで仕方あるまい」
「まぁそうね……私も決めたわ」
「賭金と手札、両方共裏向きで出せば良いんじゃな?」確認とともに狸は二枚のカードを場に出した。
ええ、と同意しながら鈴仙も同じようにカードを出す。場には賭金のカードが二枚、手札のカード二枚の計四枚のカードが出揃った形となる。
「それじゃあ賭金カードの方から公開していくわ」
確認の後、鈴仙は二枚のカードを表向ける。うち一枚、狸のカードは【三】。そしてもう一枚、鈴仙のカードも【三】であった。
「随分強気じゃのう」
「そう言う貴方も【三】を出しているじゃない」
「じゃから言うとるんじゃ」
狸は机に身を預け嬉々とした笑みを浮かべる。そして未だ裏向きのままのカードを指でとんとんと叩いた。
「手札《こっち》の背比べで負けたら、お前さんは一番の武器を失うことになるんじゃぞ?」
下から刺すような視線に鈴仙の体が僅かに退いたのがわかった。
「……負けなければいいだけの話でしょう?」
対抗するように、反証するように、鈴仙は伏せられているカードに手を伸ばす。公開された鈴仙のカードは【4】。対する狸のカードは――【5】であった。
「身を切る博打は儂の領分でのう」狸は鈴仙の賭金を手繰り寄せ、ひけらかすようにひらひらと振る。「これは頂いていくぞ」
「……次の勝負を始めましょう」
鈴仙は一瞬鋭い目付きを見せたもののすぐに理性を取り戻し、場に残ったカードを捨て札として横に流した。
鈴仙は一度深呼吸。ゆっくりと呼吸を整えようとする。――けれどそれは失敗に終わった。
鈴仙は目を見開いた。"既に場に出された二枚のカード"に指を添えたまま、狸は不気味な笑みを浮かべる。
「儂は決めたぞ」
鈴仙の呼吸が乱れたのが横からでもわかる。
「……早いわね」
「お主はゆっくり考えてくれて構わんぞい」
「……そうね、お言葉に甘えさせてもらうわ」
鈴仙は冷静を装いそう返すも、結局彼女がカードを出すまでにかけた時間は、一戦目の半分もなかった。
そしてカードが場に出揃い、公開される。
鈴仙のカードは【二】と【5】。狸のカードは【二】と【1】。鈴仙の勝利、ではあった。けれど。
「おお、しまった。二回目は儂の負けじゃのう」
「――――っ!」
二人の表情は勝敗とは全くの真逆。へらへらと笑う狸に対し、鈴仙は今にも爪を噛みそうになりながら、場のカードを一心に見つめている。
巧い。私は感心する。
狸の策は何も特別なことはない。ルール説明において『小さな数字で勝つことが有効』と理解を示した上で、実質六点の価値を持つために、相手の札の読めない初手では出しづらい【三】を含む最高値のカードを選択。ハイリスク・ハイリターンの手を好むように印象付けながら鈴仙の感情を揺さぶることで大胆な手を取るように誘導した。
「……決まったわね」
初戦で【三】のカードを二枚手にした時点で、狸は他の賭金カードに執着する理由を失った。それ以降で重要だったのは、いかに鈴仙に大きな手札を切らせるか。そしてそれを彼女は成し遂げた。
「さて次で最後じゃが、儂は決まっとるぞ」
狸による最終宣告。鈴仙は必死にカードを見つめるが、いくら頭を回したところで結果は変わらない。
「……決めたわ」
覇気のない声で鈴仙がそう告げる。そして場には四枚のカードが並ぶ。力なく座り込んでいる鈴仙に変わり、狸が一枚ずつカードを公開していく。
一枚、鈴仙のカード――【二】。二枚、狸のカード――【一】。三枚、鈴仙のカード――【3】。そして最後に、狸は自身のもう一枚のカードを表向ける。
「終わりじゃな」
狸は【2】のカードを顔の横でひけらかし、口元を歪めた。
鈴仙の得点――【二】、【二】、【一】、【一】、【2】、【1】――九点。
狸の得点――【三】、【三】、【4】、【3】――十三点
鈴仙は肩を落とし、大きく息を吐いた。それを契機に張り詰めていた空気が一気に解放される。
「完全にしてやられたわ」
「そう謙遜するな。お前さんもなかなかのものじゃよ」
狸はくつくつと笑う。対してなんとも言えない表情を浮かべ、鈴仙は立ち上がった。
「負けたことに変わりはないわ。約束どおり、薬は半額で提供する」
「ふぉっふぉっふぉ。浮いた金で帰りに茶屋にでも寄っていくかのう」
狸も鈴仙にならい立ち上がり、服の裾から膨れた財布を取り出す。
奥で鈴仙はそろばんを弾き、その値を紙に書き出し、狸に提示した。
「はい、これが料金よ」
「おお、いくらかのう――あ?」
そこに書かれていた数字を見て狸は固まる。そして恐る恐るといった風に鈴仙に訊ねた。
「前に来た時はこれの一厘にも満たん額だったはずなんじゃが……」
対する鈴仙は嘲るように息を吐き、とくとくと告げた。
「この価格でも安いくらいよ。だってこの薬はひと塗りするだけで表面の傷やシミは勿論、骨折や肉離れ、果ては千切れた腕すらくっつく勢いの、お師匠様特性の塗り薬だもの」
「ちょっと待て! 儂は火傷の薬を求めてきたんじゃぞ。大げさすぎるじゃろ!」
声を荒げる狸に対し、鈴仙は薄く笑った。
「だって貴方、【三】のカードしか持ってないでしょう?」
鈴仙の言葉に狸は再度固まる。
鈴仙が持ちかけたゲームのルールはこうだった。
賭金カードと手札を一枚ずつ場に出し、その和の大きさを競う。それにより賭金カードのやりとりを行う。最終的に持っていた賭金カードと手札の数字の和の大きい方がゲームに勝利する。そして――"賭金カードは薬の購入権でもある"――と。
「ふぉっふぉっふぉ。してやられたのは儂のほうじゃったわけか」
狸は愉快そうに笑い、持っていた財布を高く、鈴仙の方へ放り投げた。突然のことに鈴仙は戸惑いながら、何とか目で追って受け止める。
「これは頂いていくぞい」
その間に狸は薬を手に取り背を向けていた。鈴仙は引き留めようと腕を伸ばすが間に合わない。そして部屋を出る直前、彼女は私の方を一瞥した。
「ちょっと何よこれ!」
わっと鈴仙が声を上げたので視線をそちらにやると、彼女はは狸の財布をひっくり返していた。その下、机の上にはわずかな硬貨の他に、大量の石と葉っぱが散らばっている。
咄嗟に狸を追いかけようとした鈴仙を、遮るように私は前に立つ。
「落ち着きなさい、鈴仙」
「ですが姫様!」
荒ぶる鈴仙を冷静にするには事実を確認させるのが一番早いと、私は財布の中身を指差す。
「もし仮に薬の代金をごまかす魂胆なら、本物の硬貨を混ぜる必要はないでしょう?」
鈴仙ははっとして、財布の中身の方へと駆け寄った。そして硬貨の数を数え始める。
「まさか――」
数え終わった鈴仙は狸の持っていった薬が何なのか確認し、その後未だ最終戦のカードが残ったままの机へと駆け寄った。手を震わせながら、狸が裏向きのまま残した手札を表向ける。
二枚のカードは【2】と【3】。場に出されたカードを再度確認すると、それは【4】のカードに変わっていた。
「嘘でしょ……? 一体何時から……」
鈴仙は力なくへたりこんだ。
彼女の可愛らしい姿に、私はごめんなさいね、と心の中で念じ、一つだけヒントを与えることにする。
「最初からよ」
「え……?」
「ルール説明の時から、あの狸は察していたわ」
「どうして……」
「どうしてかしらね」
言いながら私は虚ろな目を浮かべる鈴仙に背を向けた。
話は簡単だった。鈴仙はゲームを持ちかけた際、自身のメリットを明かさなかった。仮にゲームに勝利したとして、鈴仙には何の得もないのだ。では何が目的か、疑るのは当然の帰結。
けれど仕掛ける側はそのことに気付きにくい。自身の姿というものは、往々にして見えないものだから。
私はこのことを鈴仙に告げることはない。だって彼女と意見が一致したのだもの。
あの狸は部屋を出る瞬間こちらを一瞥して、端を吊り上げた口の前で人差し指をぴんと伸ばした。
ともすれば、あの狸は最初から私の正体に気づいていたのかもしれない。食えない狸だ。
「貴方の演技もなかなか堂に入っていたわよ」
「……ありがとうございます」
応える鈴仙の言葉に力はない。私はにやける顔を隠すように手で覆った。
彼女は自信家の気がある。そういう者は往々にして折れやすいモノだが、今の彼女は違う。くじける度にまた竹のように伸びようとする。そのことを私はよく知っている。
「精進なさい」
それだけ告げて、私はその場を後にした。
迷いの竹林の奥にひっそりと佇むここ永遠亭。
その場所で人知れず行われた勝負は、私の退屈な人生に彩りを一つ残し、幕を下ろした。
勝敗――"狸の反則負け"(能力使用により)。
中々の心理戦でとても良かったです。
ゲームのルールに気を取らせて実際は高い薬を買わせたかったということでしょうか
計算高い感じが楽しかったです