Coolier - 新生・東方創想話

待っている

2019/02/18 12:59:25
最終更新
サイズ
36.47KB
ページ数
1
閲覧数
2494
評価数
14/16
POINT
1420
Rate
17.00

分類タグ

待っている




かはたれ……明けがたのこと。古くは夕日の時刻のことでもあった。




 ようやく夏やすみになって時間の都合に余裕ができたころなので宇佐見菫子は幻想郷にくる時間を増やしていった。思うに授業も寝すごしているのだから何やすみだろうと同じではないかと自問すると、そんなことはない授業と涼しい家の内から向こうへ行くのでは安心感がちがうよと自答が返った。
 その日は雨が降るので近ごろ覚えた華麗な弾あそびもできないから博麗神社で退屈していると霧雨魔理沙が水ぬれでそこに来て 「どうした暇なのか」 と声あると、菫子は 「うん」 と言った。

「霊夢、どこなんだ」
「しい、寝てるから」
「そんなことだと思った、夏はいつも昼に寝ぐるしくって眠らない代わりに涼しい日は惰眠をむさぼるんだ。いやだね牛だよ」

 冬でもないのになまはぎが火斑を取りにくるなと文句も多大に魔理沙が隣室の襖をすこし開けると、博麗霊夢がだらりと寒天のような締まりのない顔で眠っているのである。

「駄目だな堕落のきわみだ」
「魔理沙、ねえ暇でつらいの。何かおもしろいことってないの」
「おまえは家に帰ったらいいじゃないか」
「なんにもすることない」
「友達と遊ぶとか」
「友達? そうね、アハハハ……」
「うわ……」

 そんな社交性のない菫子を見かねて魔理沙は神社の倉から暇つぶしにとおてだまを持ってきた。彼女はまず手本にいくつか宙に転がした。

「よっつ投げては、よつどきに。かはたれくれば、雀色。すぐに烏が、過ぎさって。今にくらがり……と、と、と、と。ほら」 と宙のおてだまをすべてうまくつかみとって 「やってみろ」
「できないよ」
「冗談だろう、よっつくらいどんな女の子でも投げてきた。よほど頭がたりていなければな」

 魔理沙はそれを当然のことのように言うのである。菫子はそれなりに郷に慣れしたしんだ身分になったけれども、稀にこう謂う文明の差異と表現するのか断絶をいくらか肌に感じた。それはむしろこの土地に好奇心だけで接近した最初より執着の増えた今のほうが鮮明になっていた。知るほどにちがいが浮きあがってしまうのである。それでも彼女はその断絶を不幸かと自問するとそうでなかった。そこにはいつも旅行者的の楽観があった。異文化を美しいと思いながらも、住みたいとねたむほどではなかったのであった。

「外の人はそんなことしないよ」
「何するんだ、花札か蹴鞠か」
「そんなねえ……」
「そんな、なんだ」
「古くさ! フフフフ、フフ」
「なんなら新しいんだ、けんけんぱ! か」
「ああ、すこしは文明的ね」
「最近の子供が好きなんだよ、新しいよな」
「そうね」
「それでもわたしはしないからな、そこまでミイハアな年齢でもないよ。もう結婚してもおかしくないもん。ああ、いやだね。二十でしてなかったらついに行きおくれだよ。五、六年くらい先だけど」

 こんなふうに仲よく話すようになったのはいつからなのか菫子は現実世界から胡蝶になって現れると何かと神社が拠点になってしまうので、そのうち霊夢、魔理沙との交友が強くなっていった。二人の歳は彼女より下で、それなのに態度は明けすけになまいきであったけれども、却ってそこには取りつくろいのない気やすさを感じられるのであった。
 二人が話しているとそのうち霊夢が起きだしてきて襖を開けた。そうして 「うるさいな」 と眠そうな迫力のないまなこできっとにらみつけるのである。

「おはよう。ごめんなさい、うるさくする気はなかったの」
「わたしは霊夢を起こすためにうるさくしていたよ。謝らないからな、わざとだし」
「そんなこと言うやつには西瓜だって切らないでおこうかな」
「あるのか」
「ある」
「ごめんなさい、西瓜をください」
「どうしようかなあ、なまいきな子を甘やかすのはなあ。どう思う、菫子」
「有罪!」
「いや無罪!」
「初犯を考慮して、死刑」 霊夢がにやにやと笑った。
「馬鹿、そんな裁判があるかよ」

 そんなことを言いながらも霊夢は最後に西瓜を切ってくれるのであった。血の濃いそれは大きくて色どおり甘かった。
 この夏のいっときに菫子は捉えどころのない哀愁を感じた。それは子供が遠くの親戚の家に遊びにいったときの感傷と似ていた。あるいは古池やに芭蕉翁が示した季の静寂であった。彼女は郷の脈拍にみずからの鼓動の間隔が近づいていると思った。こうしていつまでも二人の傍にいると、そのうちまぼろしの深きを捉え、みどりの淡きをえがけるとさえ信じられたのである。

「ね、それなんなの」

 霊夢が不意に目をつけたのは一本の帯と謂うかマフラアであった。季節はずれのそれは菫子が思いたって室内の掃除をしているときに箪笥からなんとなく引っぱりだしてしまったのである。そうして飽き性の彼女は掃除を中断して布団で眠ってしまった。マフラアは布団の上に置きっぱなしにしてあった。それが眠りとともに郷の側に一緒に来てしまったのであった。
 それを見つめる霊夢のまなざしはなんとなく物ほしそうな感じである。彼女はマフラアをいくつか持っていた。しかし色はあっても無地であった。菫子が連れてきたマフラアは模様があって、彼女はそれに何かときめきのような熱を感じてそわそわとしてしまったのである。

「欲しいの」
「うん」

 と言う霊夢に恥ずかしがる様子はかけらもなかった。彼女はいつも物を欲しがったりしないけれども、いざ欲しい物があると素直にそれを求める性格をしていた。しかし他人の物を乞食のように貰うわけにはいかないと謂う意思もはたらいた。彼女はただマフラアを持っていじくりまわすのみであった。

「あげる」
「いいの」
「また買えばいいわ」
「裕福なもんだな」
「そんなことはないよ。でもマフラアくらい、すぐに買える。冬になったらね」
「ふん、そうなのか……」

 菫子は気がつかなかったけれども、魔理沙の言いかたには棘があった。それは別に彼女が富裕かもしれないことや霊夢に送りものをしたことに嫉妬しているわけでもなかった。ただ彼女が渡した物は外の道具であった。それは誰にでも手にはいる物ではなかった。さらに深く詮索するとそこには交通の利便が関わっていた。彼女は現実と夢を行ったり来たりすることを当然のように享受していた。それが大勢の人間が羨む実力であると彼女は今に気がついていなかったまでのことである。

外の世界の事情であるけれども、某県の山奥には何かと“平家”と書かれている温泉地がある。これはその土地に敗れた落人の血が流れているからで、ほかにも関ヶ原からすこし離れた山奥にも、やはり似たような理由で子孫が存在するのである。わけはそれぞれとして、とにかく追われる者たちには山ぶかくこそ安住の国であった。しかし、もしそんな集団にさえきらわれる追われる者の中の追われる者がいたとしたら……さらに、さらに深い妖怪の国へはいりこんで、二度と戻ろうとは思わないのだろう。そうしてそこに産まれる子供たちこそ、誰よりも心をとざした人々の末裔ーーー



「すヰとんって言ってさ、餅いうすく切って鍋で煮んだ。野菜とか入れてな。今は米えあるけど昔はうちさ盗むしかなかったから、手にはいったらうれしくってうみゃあっつって泣いたな」

 たとえば田舎の民宿に泊まるとあまりの食事の多さに閉口したとかの逸話が昨今でもめずらしくない。坂田ネムノが菫子に用意した食事はまさにそう謂うたぐいのやつで、彼女は相手が山姥であることも加味するとこいつわたしを太らせて最後には食べてしまうのではないかしらといぶかしみさえするのである。
 ふたりが知りあったのは菫子が霊夢にマフラアを渡すまえのことで、それは彼女が郷を探索するのに妖怪の山の東端あたりを自由飛行しているときであった。
 うちのなわばりだべと主張するネムノが思ったよりも弱かったので菫子はあっさりと弾あそびに勝っちゃった。そうしてそのあと歓迎された。彼女はまだ知らなかったけれども、妖怪は多く強い人間が好きであった。昔ばなしに人間が鬼と力っくらべをして勝つともてなされたとか残っているように。

「菫っ子さ遠慮するな、食べろ」
「こんなに食べられませんよ」
「若いのに何を言ってだ。食べろ、々べろ。残すてもいい、残すたらうちさあとで食べっから。それにすても菫っ子さ細いな、乳いないな。ハハハハ」

 菫子が遊びにくるとネムノはいつも大量の食事を作った。それは田舎的の歓迎をこのむ血の力であり稀な客を手ばなしたくない心理であった。

「秋んときにうちさぶっつけた巫女っ子にも遊びにこいって言ったべ。でもこなかったな。若いのはみんな遠慮しいだ」
「霊夢のことですか」
「んだな霊夢っつったな」
「あの人は自分でどこかに遊びには行かないから」
「へえ、独りっきりにさもしいとなんにもなくなるって言ってやれ。んでうちさこいって言ってやれ」

 でもあの人は自分でどこかに行かなくっても勝手に集まってしまうのだと菫子は思いながらも言わなかった。そうして彼女も勝手に集まっている一人であった。
 誰々が霊夢のところにくる理由はみんなちがっているものの菫子の場合は尊敬であり畏怖であった。
 異変を蜂起して叩きのめされたあと菫子は霊夢を慕うようになった。そうして尊敬と畏怖を感じながらも彼女のことはすこしも恐ろしくなかった。彼女は強かったけれどもそれはけっして取りつくろわない強さであった。
 その実直な強さに菫子は大きく心ひかれて近づいたあとは霊夢の側面を見てたのしんだ。たとえばのちに彼女にマフラアを渡したこともである。それは偶然の産物であったけれども彼女の意外な一面を知ったのは運がよかった。
 霊夢はかわいらしい物に反応する。それが菫子には多大な発見である。

「そう言や菫っ子さ外の人だってな」

 ネムノがそんなことを言ったのは食事のあとである。その質問に菫子はそうだ言っていなかったなと思うもののむしろ知らなかったのかとおどろいた。そうしてそれを口にすると彼女は 「いやうちさ里に行かねえし天狗にもメドチにも友達いね。だから知らんこと多いな」 と照れるのである。

「外さどんなだ」
「どんなってね。そうね、今年は暑いよ」
「そうか暑いか、それはいやだなあ。遠野さ寒かったからうちさ暑いの苦手だ」
「ネムノさん岩手県のひとかあ」
「どこさそれ、岩手山か。あすこうちのなわばりでなか、うちさ権現山だ。小さい山でなさけなか、ハハハハ」
「分かんない」
「よか。でも、そうか。外の人か、菫っ子さなんにもなか」

 なんにもなかと言われても菫子は何をさしてなんにもなかと言っているのか疑問であった。ただそこには心配の意が感じられた。ネムノの言いかたとか表情でそれは汲みとれた。

「いやここさ田舎だから。田舎もんはよそものきらう。んでここで田舎もんじゃないって言ったら外の人だ」

 つまりネムノは田舎に特有の排他的の一面で菫子が不利になっていないか気にしていた。尤も
彼女のほうではそんなことを気にしたこともなかった。郷の人妖の態度はよく謂うと率直で遠慮がなかった。わるく謂うと頭がわるそうでもあった。それは彼女が郷で最もこのんでいる一面でさえあった。

「別にそんなことはないですよ」
「そうか、よか。でも用心するだ。いや用心してるのはこっちか。菫っ子さここのやつらになんか言われても気にするな。みんなこわがってんだ、外の人」
「わたしこわがられたことなんてないです、むしろこっちのほうがそうです。何がそっちをこわがらせるの」
「何って、菫っ子さ外の人だ。だから、こわい。それだけで、こわいよ……でも、待ってもいるから。外の人」

 それからネムノはまた 「待っている」 と言った。菫子に 「何を待ってるの」 と聞かれても彼女は自分で“待っている”と言ったくせにうまく返事ができなかった。



 ある夜のこと自室で菫子が眺めていたのは携帯電話に映った霊夢の写真である。夏場なのにマフラアを巻いて照れくさそうにはにかんで胡座を組んでいるそれは彼女がすこし無理を言って撮影した。
 不意に菫子はこう考えた 「この子はかわいい物と言うより“外の”かわいい物に惹かれたのではないかしら。たとえばわたしでも他人の持っている物が欲しくなって買ってみたけれども、いざ買うとそれが途端に興味を向けるべくもない物のように思えたときがある。それはとなりの芝だ。曇った羨望だ。絵の中の世界にはいりたい心理だ。現代人が古いことをもてはやすのと逆の意志があの子にはたらいたのだ」 それは思いこみではなくって正解だったのである。
 霊夢の目から見てマフラアはがらくた屋の森近霖之助の店にない魅力がにじんでいた。マフラアは外の世界ならどこにでも売っていても、そんなことを知らない彼女はそれにこれまで知らなかった外部を感じ、そうして自分のよそおいが質素な事実をめずらしくも気にしてみたりした……。

「女の子」 とつぶやいてから菫子は自室を見まわした。

 そこには用途不明のオカルト・グッズがところせましと置かれていた。しかし少なからず一般的の女らしい物があり、それは押しいれとかをさぐると子供のころに遊んでいた人形などがさらに見つかるはずである。どうせ要らないのだし物に恨まれるまえに霊夢にあげようかしらと菫子は自室をさぐりはじめた。
 霊夢に好かれたいと謂うやましい算段がないわけでもなかった。しかし彼女に好かれたいと思っているやつは自分だけでもないのだしそれを率直に行動に示してもよかろうと菫子はやましさに対応した。無論そこにはしっかりと算段のほかに多大の善意があった。
 友達が小さな送りもので幸福になってくれるなら菫子は満足であった。

「へえ栞って外はこんなの、きれいね。センシンテキって言うのかなあ。線がすうっとはいってるのね。知ってる、現代ああとってやつ。小鈴のところの本で見た。そのときはなんともなかったのに実際に見るとちがうなあ」

 翌日くらいに菫子が夢を運送業者に持ってきた栞にやっぱり霊夢は反応しちゃった。しかもと謂うのか彼女の予想どおり先進的とか現代アアトの部位にである。
 ああ女の子だあんなに強いのにそれでもうたがいようなくこの子はそうなのだと菫子は得意になった。外の世界で友達がいない彼女はひさしぶりに友達の美部を発見するのがたのしかった。
 それからである。神社には菫子が持参した外の道具がこつこつと集まっていった。それを霊夢は疑問もなく受けいれ、彼女が望んだようにうれしくって顔をほころばせた。
 魔法の実験とかでしばらく神社にこなかった魔理沙はそこに外部の物質が多大なのを知ると仰天した。そうして菫子がそのときはいなかったので霊夢を詰問した。

「それはなんだ」
「時計ね」
「それは」
「人形よ」
「それ!」
「カアテン」
「そんなことを聞きたいんじゃない!」
「何よ、うるさい。分かってるわよ、こう謂うの欲しがるなんて自分でもヘンだって思う。でも、それでも。ほら、きれいじゃない」

 そんなふうに霊夢は人形を抱いて見せびらかすのである。見ていられないとばかりに魔理沙は箒で宙へ逃げだし、風を浴びて冷静になったあとはひかえめな表現で菫子に憎悪さえ感じ、それは彼女でなくっても郷の住にんなら誰でもそう思ったろうし、ひかえめな表現をきらう鬼とかなら率直に 「呪ってやる」 とか 「殺してやる」 とか考えたにちがいない。



 郷の明治的の生活様式だけでも興味ぶかいけれども、ほかに菫子はネムノの生活様式も学者じみた目線で観察するのがおもしろかった。
 オカルト・マニヤの菫子は一種の古い伝承が好きであった。たとえば山姥とくれば有名も々々、マニヤでなくっても子供のころに昔ばなしで聞いたことがある。そうして人なつっこい性格のネムノは天狗や河童のような傲慢屋よりは近づきやすいところがあり、話すほどに郷の神秘が分かってくる。郷はまさに生きた伝承であって、そこに住む妖怪は伝承を垣間みせる鏡なのである。

「菫っ子さいると薪わりも楽だなあ」

 とネムノがよろこぶのは菫子が念力で薪をよっつに無理やり四方へ引きちぎっていたからである。中世のどこどこにこんな処刑のやりかたがなかったかしらと彼女は思わないでもなかった。

「こう謂うのってヘンにりきむから頭が痛くなるわ」
「休憩すっか。ひえた胡瓜あるだ、メドチから盗んだ」
「駄目じゃん」
「ドクスンキンス法だべ、メドチが胡瓜ひとりずめするのはよくなか」
「まあどうでもいいかあ」
「んだ、どうでもいい」

 河童から胡瓜を盗むのが山姥の伝承ならさすがに拍子ぬけである。
 胡瓜をかじっているときであった。急に菫子の視界が暗くなった。何度も経験している予兆でそれは目ざめの呼ぶ声である。思ったよりその予兆が早かったのは念力の使いすぎで疲労したとかがおそらくわざわいであった。しかし意識して目ざめを抑えられないでもなかった。眠らないように我慢するならまだしも起床を我慢するとは奇妙であるけれども、とにかく眠りながらにして起きている彼女には目ざめを不活性化させることがなんとなしにできるのであった。現実への通路は彼女の意識してたとえるところ、まるで雑巾のようにしぼられて、いつか口に蓋をした。

「どうした」
「目がさめそうになったの」
「はあ、何を言ってだ。頭わるいのか」

 頭がよくないネムノのために菫子は噛みくだいて説明しなければならないのである。

「ここさ菫っ子が見る夢なのかもなあ。そうだったらおまえの夢はやさすなあ、ここさいいところだから」

 ネムノはそんな感想しか出なかった。しかし続いてこんな質問を菫子にした。

「いつこっちさ住むだ」

 それはうたがわない声であった。郷へ菫子が定住することを前提に質問していた。それに彼女はおどろいて 「そんな気ないよ!」 と思わず叫んでしまったくらいである。

「それならなんでこっちさくるだ。いやくるなっつってんじゃなか、でもくる理由なか」

 くる理由なら菫子にはいくらでもあったし、実際に見せてもいたのに、ネムノはそれを理解できなかったのである。

「だって菫っ子さ遠くから来てんだ。いつでも遠くから田舎さくるのは、家から離れたいやつばっかりだ。だから……おまえ……ここに来たんじゃないかって、住む場所を探しているんじゃないかって」
「ちがうよ、たのしいから来てるだけです」

 ネムノの理論は一くらいなら菫子でも分かった。郷の者は車とか電車とかを詳しく知らないうえに、とじこめられた空間で住んでいる。それを加味すると家を離れると謂うことの感覚は外の者と剥離しているはずである。

「そうなのか、それは中途半端だべ」
「行ったり来たりするのがですか」
「そうだ中途半端だ、いつかしっぺがえしがある」

 そうして黙りこくってからネムノは唐突に 「なあこれは老婆心で話す。でも長いから眠たくなったら寝てもよか」 と遠慮がちに言うのである。

「もう寝てる」
「ハハハハ、んだな」

 ネムノは話しがうまくないうえ、その遠北的の訛りは菫子の耳に聞きとりづらい調子がある。それでも長談を聞いて最後に彼女がまとめて解釈するには一種の警告のような感じがした 「天狗とか河童とかとちがって、山姥とか山男とかオオヒトとかは最初っから人間のような見目をしているので、妖怪のくせにあんまり人間とのちがいはなかった。中には人間になってしまうやつもいた。一度でも人間になると妖怪に戻れないので、なったやつには結構な覚悟があったと思う。
「でも中にはどっちにもなりたい欲ばりがいて、そう謂うやつは昼は人間の真似をして夜は妖怪の真似をした。馬鹿だと思ったし、やっぱりそんな馬鹿はいつか正体が露見してどこにも家がなくなっちゃった。そうして最後にそう謂うのがどうなったかは誰も知らない」 ……。

「ネムノさんは人間にならなかったの」
「うん、うちさ産まれついての山姥だ。人間になったら苦労するって知ってた。だから已めた、そのほうが楽だから。なあ菫っ子さ中途半端はその馬鹿とおんなじになるよ。そんで選ぶなら楽だと思うほうな。くるすさから逃げるためじゃなか、息のしやすいほうを選べって言ってんだべ」

 ネムノはほほえんでから、菫子の髪をごつごつとした掌で撫でるのであった。

「でもうちさ美ずんだし人間になったら相撲とか強い婿さ嫁げたかもな。そこは後悔だべ、ハハハハ」
「中途半端じゃん」
「んだな、それに中途半端っつったらここもそうだし人のこと言う権利なか」
「ここの何か中途半端ですか」
「うん、人間と妖怪が仲よくすてるところだ。それはおかしいことだ、よくないことだ。妖怪さいつか人間をとじこめたからしっぺがえしを受ける。みんな最後は人間に殺されると思うんだべ。それで、公平。殺されるならうちさ菫っ子に介錯してもらうだ。でも死ぬのはいやだから抵抗はする全力で、ハハハハ」 笑ったあとでネムノは 「だからみんなが待っていられるうちにここへ来て」 と言った。



 菫子はその日いつものように霊夢がめずらしがりそうな物を持ってきた。それは彼女が以前に使っていた毛布でやっぱりと謂うのか郷にはなさそうな模様いりである。

「涼しい日の夜に使うといいよ、こっちは夜なら夏でもそうか」
「なんだ、誰かいるのか」 と横から言うのは魔理沙である。

 魔理沙がつい神社で眠っていたのは連日の魔法の研究も終わったのでしばらく休息日だと理由をつけて、魔法の森より湿気の少ないここへ避難していたのである。それが菫子の声で起きだしてしまい、彼女は眠たそうに目をこすってみたりした。

「おはよう、何よ霊夢のこと言えないじゃない。わたしはわざとうるさくしなかったけど」

 からからと菫子は笑いかけた。しかし魔理沙はそんな彼女を無視して立ちあがり、すうっと畳をすべるように別の室に移ってしまった。この対応には彼女もさすがに閉口したし霊夢のほうもおどろいていた。

「何よ」
「どうしたのかな、あいつ。疲れてるの」

 魔理沙が魔法の研究でいそがしかったのは知っていたので、今の態度も疲労からだと解釈できなくもなかった。それでも菫子は少なからず気分を害した。何か失望させられるような痛みもあった。
 そんなことがあったので残された菫子と霊夢のあいだにも曇天のような気まずい空気が流れてしまい、彼女はいたたまれなくなって神社をあとにしてしまった。
 菫子が向かったのは人里の中央あたりでそこは商売のさかんな活気ある地点であった。彼女はそこの和気あいあいとしたおもむきが好きで、よく霖之助に口八丁で外の貴重そうで実際は貴重でないがらくたを売りつけて得た金をここで使っていたりした。
 ある菓子屋などは最も気にいるところで味は言うまでもなく主人の人がらもよいので菫子はよく利用していた。今もそこへ向かおうとしているのは疲れている魔理沙に菓子のひとつでも食べさせてあげようと謂う彼女の考えからである。

「みっつくださいな」 と菫子は主人に言った。

 主人はなんの反応も返さず代わりに別客の相手をしてしまうのである。聞こえなかったのかなと菫子はまた 「みっつくださいな!」 と今度は声を強く張った。そのときばちっと主人と視線が噛みあったものの、彼女が恐怖してしまったのはそのまなざしのつめたさで、まるで檻の向こうにひそむ怪物を見くだすような感じである。
 奇妙だなと思うけれども何が奇妙なのかも分からなかった。暗黙の拒否に弁解もできずに菫子は菓子を買うこともなく店を出た。そうしてようやく発覚したのは和気あいあいとした往来の中にいくつも同じ視線を認めることであった。往来はねずみ色の太陽のまなざしを刺しつけ、彼女が周囲を挙動不審にそのひとみで詮索すると今度は見て々ぬを決めこむのである。
 菫子はついに魔理沙の態度の意味を知った。あれは疲れなどではなくって、現在なぜか向けられている集団のモラルからの攻撃と同じだったのである。その事実に彼女はぞっとすると怒りもした。この陰湿な仕うちの原因に心あたりもないので理不尽を告発する彼女の心理は倍々にふくれあがっていった。
 それでもいきどおりを維持するにも限界があった。敵が単一ではない群衆であるために、矛さきの狙いがさだまらないのである。そうして心ぼそさが顔を覗かせて、みじめさをいたずらに突っつきはじめたとき菫子がたよろうとしたのは、迷いの竹林に住む友達の藤原妹紅であった。彼女ならこの不可解な一連の攻撃に参加していないと思いたかった。
 しかし信じられないことに、妹紅さえも菫子を相手にしなかったのである。どれだけ話しかけても彼女は返事のひとつもしなかった。そうして最後に向けられるのは、結局あの冷水を浴びせるような視線だけである。
 その視線を妹紅から受けとったとき菫子は観念して 「なぜだか今のわたしは幻想郷からきらわれている」 と結論しなければならなかった。



 ある日のこと菫子はネムノになわばりを案内された。別に飛んでもよいはずなのに彼女は徒歩にこだわった。それが彼女にとっては山の人生に敬意をはらう儀式的の意味があるらしく、いつもそんなふうにみどりを踏み々み動きまわっているからなのか、えらばれた道の草は足もとのあたりだけちぢれて分かりやすいしるべになっていた。
 それでも運動不足の菫子にとって山道はいささか野蛮すぎた。きゃっきゃっとたのしそうに進む裸足のネムノを見て彼女は息ぎれにあえぎながらあの足うらは鉄でできているのかしらと思ってみたりするのである。

「菫っ子さ遅いよ」
「待って、もう足が痛いです」
「軟弱だなあ、もうすぐだから気い入れろ」

 軟弱なのは認めるけれども妖怪の足と同じに考えないでもらいたかった。
 ようやくネムノの案内が終わったころには日が落ちかけていた。その昼でも夜でもない優柔の時間は過ぎさりし一瞬のみかん色をしたまたたきである。
 そこからは夕闇に同化してゆく人里が一望できるのであった。ほとんど小だかい林につつまれて、およそ視界は通らないだろうと思われるのに、なぜかネムノの案内した一角だけは木々が禿げあがっていたので、そんな景色が望まれるのである。
 菫子は嘆息を漏らした。案内してくれたネムノへ報いるために、感想のひとつでも言いたかったけれども、それは却って無粋な気がした。松島を眺めた詩人が文学的の虚飾をきらったように、持ちうる審美眼を言葉で表現するよりは、無言の内にこの夕日を飲みこんでしまいたかった……赤い地平線。

「いい、かはたれだ」
「かはたれ?」
「おいで」

 ネムノは菫子の疑問を無視して、彼女の肩に手を回した。彼女はその動作を 「おいで」 と言ったわりに 「来てほしい」 と謂う逆の感情が込められているように受けとった。寂しさを他の温度で埋めあわせるその手さきに、おどろきながらも彼女は従うべきだと思った。

「うん、かはたれ。知らないか」

 菫子は 「知らない」 と言った。

「まさに今のような時間のことだ。妖怪を恐れる人間たちがどの時間を最も恐れたのか。菫っ子、分かるか」
「それは夜でしょう」
「夜に人妖を見わけるのは簡単だべ。家の外で夜に出あう影はみんな妖怪だと決めこんでしまえばそれで済む。夜は妖怪の出る時間だなんて分かりきったことだ。それなら、かはたれは? それは曖昧で人妖どちらも交わる昼と夜の聖域だべ。出あう影がどちらの側なのか、誰にも分からないから」
「区別する方法はないの」
「ない。怖ろしい、妖怪のほうでも……今なら人間のとなりにいられる、と錯覚してしまう。聖域が、許してくれるはずもないのに」

 空で烏が鳴いていた。鶏が夜と朝を切りさくように、その鳥は結びつこうとする昼と夜をけたたましい声でやつざきにするのである。

「ああ、いや。ごめんな、こんなこと話すつもりはなかった。菫っ子さよく来てくれるから、礼に何か見せたくって。余計な問答だ。許して、な」
「許されたい?」

 静寂が広がる。

「聖域が……許してくれたら……ネムノさんは……うれしいの」
「菫子、おまえが村八分にされていたときのことは耳にした。よかった、あのときうちさ家こなくて。もし来ていたら、おまえを切りきざんでいた」
「答えてください」

 静寂が広がる。菫子の肩に回された手がわずかにりきんでいた。

「うれしいよ、うちさ人間のこと好きだから。でもそれはうちの想いであって、みんなの想いじゃない。それに菫子の言いたい聖域はかはたれとちがうな」
「そうですよ」
「外と郷が交わることに聖域を見つけたんだな」
「わたしは外のほうが知らないうちに幻想郷を忘れたのだと信じていました。それは正しかった。でも答えとしては半分でした。幻想郷のほうも外を忘れてしまいたいと思っていたんだ」
「郷の人間たちの血は呪われているんだよ」
「妖怪よりもですか」
「妖怪は呪われない。この世で呪いに侵されるのは人間だけ」

 菫子は肩をいだくネムノの腕を振りはらって強く彼女のひとみを視線でつらぬいた。歯が知らぬうちにぎりっと噛みしめられた。

「呪われてない!」 菫子は言った 「よしんば呪われているとしても、あのとき魔理沙は“ずるい”と言ってくれた。それはわたしが幻想郷に憧れたように、彼女が外を怖れながらも、外を受けいれようとしているからじゃないのか! わたしは、わたしはただ好きになってほしいのに……わたしが幻想郷をうつくしいと知ったように……外の人たちは、もう呪ってなんていないのに、今は自分で々々を呪うなんて、どれだけの意味があると言うの?」

 叫ぶようにこれまで言えなかった言葉を吐きだしてしまうと、目の奥が急に熱を持った。それも瞼をぎゅうっととじて、あふれそうな脆さをこらえきると、菫子はふたたびネムノを見かえした。

「強い呪いは簡単に解けない、見なさい」

 ネムノは人里を指さして、菫子も流れるようにそちらを眺めた。

「人里は山に囲まれた円い平地に創られている。それにしても、あの円はきれいだ。と言うより……きれいすぎる
 うちさ山を知ってるから言うんだ。あの尋常ではない平地は呪われた人々のために、郷を創った霊性どもが、山を引きさいて均したのだ。そうして呪われた人々とほかの人々を遠ざけようとしたんだな
 そして逃げだしたいと思われないように工夫まで。郷は不作がない。郷が見えるこの丘の草木はひどく弱々しい。それが本当のすがたなんだ。霊性どもが祝福して無理やり肥えさせたこの土地はきれいすぎて、とてもいやな感じがする。あるべきすがたを教えてくれるのは、この場所のような、稀に山で見かける祝福しわすれたところだけ」

 そう教えられて菫子は人里が浅いクレーターのような、円い平地に創られていると知るのであった。外周から中心へ落ちくぼんでいるわけではなかったけれども、まるで森のただなかに穴が開いているように見えた。みどりは円の周囲をきっちりと埋めつくしていた。それを彼女は一種の結界、あるいは厳重な国境線のようだと思うのであった。

「菫っ子、妖怪を恐れるならなぜ呪われた人々の祖先は郷に住みついた? なぜ逃げてしまわない。それは妖怪よりもおまえたちのほうが怖ろしいからだ。うちさ里人の血の由来は知らない。でも妖怪の郷にこのんで住みつくようなやつは人々にきらわれて、神々の琴に触れて、霊を地から呼びさますようなきらわれ者の中でさえきらわれる者だったと信じている
 そして呪われた人々の子供たちも血が続くかぎり同じように呪われた。血は言いつけを守らせる」

 そうしてネムノは唱えるように、今なお続く呪いに畏れを含みこう教えた。

親たちは子供たちに伝える。子供たちは知る。
外を怖れろ。外を許すな。絶対に許すな。
罠を張りなさい。警戒をおこたらないようにしなさい。
郷から出てまたつらい思いをしないように。血につらい思いをさせないように。
哀れな子供たち。

 今に太陽がすべて沈もうとしていた。まもなくかはたれどきは終わりを向かえ夜が産まれつく。
 郷の人々にとって菫子はまさに“外の生きる伝承”であった。



 かつてわれわれのかかえていた霊性どもへの畏怖と謂うものの原始的のかたちがどのようであったのか、今に知る方法はない。もとより山ふかくにひそむ者たちであったけれども、ついにはさらに深いところへ消えてしまい、それに足なみをそろえる呪われた人々のほかに、もはや知る者はいなくなってしまった。霊性どもは古来より、迫害の民の友達であった。
 もし霊性どもの手をふたたびにぎりしめたいのであれば、ただ語りかけつづけるしかないのである。真剣に、根気づよく。
 ……聞こえますか? まだ待っている。
 神社から人里へ、人里から竹林で誰にも相手にされなかった菫子は、また神社へ戻るために空を飛んでいた。その途中で人里の上を通過した。こうして上から眺めるとさきほど無言の攻撃にさらされたことが彼女は信じられなかった。人里が日ざしの下でやわらかな空気につつまれている。商店がにぎわっている。子供たちが輪をえがいている。だからこそさきほどの人里のモラルと対比して、ひどく薄らざむい思いにさらされた。
 やがて神社の境内に降りたつと菫子は霊夢を探しはじめた。彼女にだけはつめたくされなかったことをおぼえていたのである。しかし境内から直進して最初に会ったのは、賽銭箱にうつむいて座っていた魔理沙であった。あるいはそのたたずまいからはただ座っていると表現するより 「待っていた」 と謂うほうが正しいのかもしれなかった。

「待っていたよ」
「霊夢はどこにいるの」
「どこに行っても相手にされなかっただろう。かわいそうに。でも、おまえがわるいんだ。わるいことをするから私たちは、罪人をそうするように、おまえをあしらわなければならないんだ」
「魔理沙、おこらないわよ。霊夢はどこにいるの」
「中で昼寝してるよ。今日は夏にしては涼しい。おまえの渡した毛布なんて使ってさ。本当にいまいましい光景だ」

 そのとき魔理沙は賽銭箱から降りて、はじめて露骨な憎しみを顔に掘った。眉間に皺を寄せて強く菫子をにらみつけた。彼女はすこしたじろいでしまった。この友達がそんな表情をするとは、考えたこともなかったからである。

「何がなんだか分からないの。みんなそんなふうに呪いそうな目で見つめてくる。なんなの? わたしが何をしたって言うの」
「何をしたって、しているじゃないか。私たちの巫女をたぶらかして、どう言うつもりなんだ」

 魔理沙の言葉があまりに突拍子もなく感じられて、菫子は場ちがいにも目をぱちくりとさせてしまった。

「ほら! 思ったとおり分からないんだ。わるいことをしているのに、自覚がないんだ。これだから礼儀のないよそものは一番むかつくんだよ」
「たぶらかすって、なんのことなの」
「霊夢に外の道具を渡している。それが私たちには非常にむかつくんだ。いいか、わたしじゃない。私“たち”だ」

 菫子は息を飲んでから頭のよい彼女らしく、ひとまず冷静に情報を整理しようとつとめてみた。しかしどう考えても話がうまく飲みこめないのである。あることを簡単にできる者ができない者に、どうしてできないのだろうと嫌味のない疑問をいだくように、それはけっして噛みあわない、産まれのへだてから露わになる思想の差違であった。

「待ってよ。たしかに霊夢に外の道具を渡したけど、たぶらかそうだなんて思っていない。ただ彼女がうれしそうだったから」
「おまえがどう思っていたかなんて問題じゃないよ。大切なのは私たちにはそうとしか見えないってこと。しかしおまえはこう思ったりしたんじゃないかな。霊夢を外に連れていってみたいとか」

 菫子はぎくりとした。霊夢が外の道具でよろこぶすがたに、そんなことを考えないこともなかったのである。
 つねづね自分が郷を知ったように、郷にも外を知ってほしかった。しかし外に興味を示すのは一部の偏屈ばかりであり、それが菫子にはあまりに一方通行な友情と感じられた。だから素直に外を知ろうとする霊夢は彼女にとって、外と郷を結めあわせる触媒にもなっていたのである。

「困るんだよ。霊夢が外に行ってしまって帰らなかったら。私たちには巫女が必要なのに、誰も最後はあいつに勝てないから、本気で外に行こうとしたら止められないんだよ! どうしてよそものはそんなことも分からないんだ。
 呪われろ。幻想郷に外の伝説を連れてくるやつは、どいつもこいつも呪われてしまえ! 呪われて……死んじゃえ!」

 そう叫ぶと魔理沙は言いすぎたと思ったのかはっとして、今度はつぶやくようにゆっくりと菫子に語りかけた。露骨に死を強要したのが、罪の意識にひびいてしまったのである。

「菫子、ずるいよ。おまえはずるい。なぜおまえは簡単に家を離れて幻想郷にくる。なぜ怖ろしくない。外の人にとって家を置きざりにするのはそんなに簡単なことなのか
「私たちだって外に興味がないわけじゃない。それでも興味なんかより家を離れることや、外に幻想郷の中身を圧迫される恐怖のほうがよほど大きいんだ」
「外は怖ろしくなんてない」
「忘れていたくせに、私たちのこと」
「すぐにでも思いだせる」
「駄目だ……分かっているんだ、本当は。外は怖ろしくなんてない。おまえを見れば、外がまた私たちを受けいれてくれると。でも信じない。まだ信じられない」
「大丈夫、信じて!」
「菫子、おまえは好きだ。これからもそうでいたい。たのむから霊夢を誘惑しないと誓ってほしい。おまえをきらいになりたくない。おまえのために脅迫しておくけど、これ以上は陰険な妖怪どもが簡単に死なせてくれると考えるなよ。おまえは呪われて、殺してくれとさえ思う。でも誰も妖怪どもを止めてくれない。誰もおまえを助けてくれないんだよ」
「二人とも何してるの」

 二人して一瞬だけ時が止まったように感じられた。夢中で言いあらそっているうちに、起きだしていた霊夢が声を聞いて境内まで来ていたのである。

「喧嘩?」
「いや、別に……」
「霊夢、外に行きたいとか思ったことある?」

 それは咄嗟に出てしまった質問であった。魔理沙が顔を青くしているのが見えたので、菫子は 「これは妖怪に殺されてしまうな」 と分かった。奇妙にも怖ろしくはなかった。ただ漫然と霊夢の返事にすべてを託した。

「別に」

 あまりに簡単すぎる返事なので、菫子は腹をかかえて笑いだしてしまいたかった。霊夢は外の道具をおもしろがりはしても、外のことはどうでもよいのだと彼女は即座に理解してしまった。だから彼女は諦念を含めて、つぶやくようにこう返した。

「そう……分かった」
「よかった! 分かったって、そう言うことだよな。ごめんよ。陰険だったよ。おこらないでほしい。わたしは自分がわるいことをしたとは思わない。何もかもおまえがわるいと思っている。それでも謝るよ。ごめんなさい、ごめんなさい」
「わたしは最初から、おこってなんかない」

 魔理沙は菫子に抱きついた。そうして子供のように泣きはじめた。彼女のほうでもつうっと涙がこぼれたけれども、泣いてしまった理由はよく分からなかった。ただ霊夢が 「別に」 と返したとき、外と郷のわずかな友情がこわれる音がした。別にそれはくやしくもなかったし、悲しくもなかった。それでも泣いていた。まるで他人が泣いているような……。
 霊夢は二人が急に泣くので、ただおろおろとしている。



 夜になった。

「帰りなさい」 ネムノは暗くなってゆく空を眺めた 「菫っ子さ飛んで帰れ。うちさ歩いて帰る。行け、独りで。これでも妖怪のはすくれだ。夜は我慢ができなくなる」
「今まで我慢していたの」
「うん。菫っ子さまずそうだけど無防備だから」
「笑えない」
「ハハハハ、ハハ」

 菫子がふわりと浮かびあがるとネムノは山の暗闇へ消えていった。がさがさと草を踏む音ばかりがした。その音までも小さくなるころに、よわよわしい木々の狭間を抜けて、今日の別れを告げる声がした。

「菫子! 私たちはこわがりで、外にはあゆみだせないけれど、それでも待っていますから。いつになるかは分からない。それでも外にあなたのような人たちがほかにもいるならば、やがてすべての悲しみに報いることができるかもしれない。私たちは呪われた人々、そして妖怪。私たちを求めて、私たちを見つけて。永遠に待っていますから!」

 声は吹きぬけていった。それからは虫の音色と、わずかに揺れて触れあう木々の葉のざわめきばかりである。どう言う意図なのか、おおよそネムノらしくない言葉づかいに、菫子は違和を感じた。しかし聞きなれないにも関わらず、以外と耳ざわりはよかった。どこの国にも属していない、そんな声……。
 振りかえると人里の家屋から明かりが漏れはじめていた。人里の夜は早くに来たり、夜に出あるくような恐れしらずは誰もいない。



 そうして季節は巡っていった。
 冬である。前日にやたらと雪が降っていたらしく、人里は白く染まっていた。夏と秋のにぎわいが終わると里人たちは寒さをしのぐために家からあまり出ないので、夕日に照らされた雪の街道は静かであった。
 菫子はざくざくと雪を踏みながら、かよいなれた菓子屋にはいると一番に 「みっつくださいな」 と言った。

 菓子屋の主人が威勢よく返事をして、菫子に饅頭をつつんでくれた。彼女も金を渡すと店を出ていった。
 その主人を見ると菫子は夏のころ自分に災いをもたらしたつめたい異変を思いだすのである。
 霊夢に外の道具を渡さなくなるとみんなの態度が一変したのを強烈におぼえていた。それがあまりにあとくされを感じさせず、ほとんど豹変とさえ言えたので、つめたい異変はそれこそ夢の中の夢だったのではないかとうたがうほどである。
 神社へ向かうとめずらしく誰もいないので、菫子は暇つぶしに雪玉をよっつ作って、それでおてだまをしてみたりする。

「よっつ投げては、よつどきに。かはたれくれば、雀色。すぐに烏が、過ぎさって。今にくらがり……」
「うまくなったな」

 自分を覆うように影ができたので、上を見るとそこには箒に乗った魔理沙が来ていた。

「でしょう」
「霊夢がいないだろう。人里で会ったよ。鍋の食材とか買ってたから、今日は鍋だな。まあ最近は毎日でも鍋なんだよな」
「魔理沙ってさ、霊夢にだけ乞食っぽいところあるね」
「言ったな。なら今日は鍋を食べるなよ」
「わたしは乞食です!」
「うん、うん。乞食は最高だな」

 そのあと二人は雪があるので、退屈しのぎに雪だるまを作ることに意見が一致した。菫子が体を、魔理沙が頭をころがした。以外とわるくない遊びで、しばらく集中して雪ころがしにふけっていると、あるとき彼女がこんなことを言った。

「菫子も幻想郷に来て長くなるな」
「数年ってところね」
「住んだらどうだ」 二人はぴたりと手を止めた 「少なくともわたしは歓迎するよ。おまえはおもしろいからな。住む場所がないなら、わたしの家に室が余っている。しばらくは使っても問題ない。掃除なんかはしてもらうがね」
「優良物件ね」
「だろ?」
「魔理沙、わたしは住めないよ」

 菫子はほほえんでみせた。

「わたしは幻想郷が好きだけど、外も好き。どちらも大切。だからどちらにもいける中途半端でいいの」
「そうか。ずるいな、やっぱりおまえはずるいやつだよ」
「うん、わたしってずるい」

 そのうち雪玉がふたつ完成すると、菫子は念力で小さいほうを持ちあげた。その作業の途中にも、彼女は続けるようにこんなことを話すのである。

「夢を見るの」
「他人の夢がたりはつまらないって知らないのか」
「知ってる。でもおもしろいから聞いて」
「よし聞こう」
「こんな夢を見るの。いつか秘封倶楽部を継ぐ者たちが現れて、分かたれた国をひとつにする」

 雪玉は大きい雪玉の上に乗って、参道のまんなかに雪だるまができあがった。この場所はおこられるなと菫子はひそかに微笑した。

「完成ね」
「くだらない。やっぱり他人の夢がたりって駄目なんだな」
「フフフフ、フフ。そう思うよ、わたしも」

 そのとき丁度よく食材で膨らんだ麻袋をかかえた霊夢がのろのろと飛んでいるすがたが見えた。二人が手を振ると彼女もぎこちなく振りかえした。

「なんで雪だるまなんて造ってるの」 二人の傍に降りたつと霊夢は聞いた。
「童心を忘れないんだ」
「それでも参道のまんなかに造らないでよ。邪魔じゃない」
「なら、これは神さまってことにしようよ」
「はい、はい。好きにしなさい。今日は鍋にするんだけど二人はどうするの」
「食べるさ」
「わたしも饅頭を買ってきたから、あとで食べましょう」
「聞いていないぞ、なら乞食はわたしだけじゃないか」
「そうなんですなあ、フフフフ」
「二人ともおなかはすいてるの」
「もちろん!」
「雪あそびって腹が減るんだよな」

 そのときである。ごく短く、しかし力づよく雪を舞いあげながら冬風が吹く。それに合わせて霊夢が首へ巻いている、菫子の渡したマフラアが静かにたなびいている……。
 夕日を背にしながら、霊夢は笑ってこう言った。

「待たせてごめんね」




待っている 終わり
ごめえん、待ったあ? キャピ、キャピ
ドクター・ヴィオラ
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.60簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
良かったです
2.100サク_ウマ削除
かなり癖の強さというか読みにくさがあったのですが、それを補って余りある魅力的な解釈と物語でした。とても面白かったです。
4.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の閉鎖性と歪さを表しながあまり暗くならない展開がすごい良かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
ネムノと菫子っていうなかなかない組み合わせだけど、お互いの考えが際立って良かったです。
6.90大豆まめ削除
すごく引き込まれました。世界観とそれを彩る文章がとても好きです。
ネムノさんがすごく魅力的。
7.100名前が無い程度の能力削除
「空で烏が鳴いていた。鶏が夜と朝を切りさくように、その鳥は結びつこうとする昼と夜をけたたましい声でやつざきにするのである」
とか霊夢の短い「別に」とか、印象的な表現が幾つもありました。
民俗学的なしめった雰囲気とあくの強い文体がこの上なくテーマを引き立てていて好きです。
8.100モブ削除
ただ一言、面白かったです。
9.90昭奈削除
面白かったです。
都会と僻地の間にある埋まらない差異と、お互いに感じる怖さが如実に書かれているのが凄く好き。それが科学世紀においてどうなるのか、どうにかなるのか、良くも悪くも期待を持って読了を迎えられました。
10.100ヘンプ削除
田舎の排他的な文化……他を忌み嫌うということがとても現れていました。
ネムノさんのお話が良かったです。
面白かったです。
11.100南条削除
とても面白かったです
お互いを避けあうような外の世界と幻想郷の関係性が斬新でした
12.100ひとなつ削除
幻想郷が身近に感じられました。というより、私の信じている幻想郷のようでとても良かったです。
13.100名前が無い程度の能力削除
幻想郷の光と影の間にある奇妙な部分が、ネムノと菫子を通して描かれている話でした。霊夢が少ししか出ないのにこんなに存在感があるとは。
14.100電柱.削除
ネムノさんとのやりとりも良かったけど個人的に魔理沙の態度というか、排他的な接し方がとても印象に残りました。黄昏時の雰囲気が素晴らしかったです。
16.90竹者削除
よかったです