1
草履ばきの黒い脚。目を惑わすような矢印柄の着物。正面に向かわず、常に斜めから半身ひねった奇妙な立ち方。痩せぎすの骨ばった腕で、掴む力ばかり不気味に強い。不揃いで半端に長い髪。二本角。つり上がった目。名前を尋ねられるとおうむ返しにする。あるいは「少名針妙丸」と答える。舌は真っ赤。
天邪鬼について調べることは、より雑多な妖怪、例えば狸や付喪神について同じことをする場合と比較しても、それほど難しいというわけではない。人前に出没することは頻繁で、遭遇した人々からは常に充実した証言を得ることができる。というのも、天邪鬼などは家や辻、人の居る場所以外では何もすることがない妖怪であって、現れれば必ず強い印象を残さずにはいないのだった。それどころか、つい先日まで彼女は郷中から注目されてさえいた。
彼女を実際に見たことのない私にも、耳に入る噂だけでおおよその外見と性格が想像できるほど彼女は知られている。異変のことがあってからは絵に描くことさえできた。誰もそのことを意識していないが、天邪鬼は妖怪としてかなり有名な部類なのだった。「友好的ではないが、取るに足らないただのひねくれ者」という共通の認識のうえではあるが、とにかく天邪鬼を知らないという人間は稀だろう。
彼女は書く材料に事欠かない。
とはいえ、あくまで私自身は鬼人正邪を見たことがまだない。
2
彼女という妖怪について簡潔に書き留めようとするとき、私ははじめて奇妙な困難さを感じる。天邪鬼、というより鬼人正邪を説明するには、どうしても一言では足りない。
私はまず「人間に似た姿で、性格の歪んだ妖怪」という総括を試みた。しかしすぐに、これでは何も本質に触れていない、それどころか、ほとんど平凡な人間を書いたのと同然になっていると思い直した。
そこで何か特有の習性や、妖怪に付きものの決まりごとを書き加えようと考えてみた。「悪戯で人間を困らせる」や「嫌われると喜ぶ」などは明らかに決め手に欠けていた。どれも彼女の中心というべきではなかったし、彼女を知らない読み手には誤解を与えかねない。むしろ「他人の言葉に逆らう」「嘘をつく」のような具体的な言動の方にこそ彼女らしい後姿が見えそうだったが、彼女のどんな言動を中心に据えるべきかは容易に決められそうにない。
結局、彼女は何をする妖怪と言うべきなのか、私には書けなかった。実のところ、一言で足りないなどといって、二言や三言なら足りるわけでもないのだった。
さらに問題なのは、もしも彼女が私の書いた幻想郷縁起を開くことがあり、自分のために割かれた項目を目にしたら、きっとこれ見よがしに豹変してみせるに違いないということだった。妖怪らしい執拗さで、数年か、もしかしたら数十年に渡って私への反証を続けることも考えられる。これも重要な習性の一つに思えることだが、彼女は決して降参しない。
彼女はまるで地平線の向こうから長い影だけを伸ばしているようで、決して私の前に姿を見せてくれない。そのうえ近づこうとすれば意地悪く常に一定の距離を保って逃げ続けるのだった。
3
聞くところでは、彼女は自身を「生まれついての天邪鬼だ」と言っているらしいので、私にはこの前提までがにわかに疑わしくなってしまう。「生まれついての」というところがいかにも余計で、馬鹿にしている。
私は、彼女が嘘つきだからといって使い古された逆説を持ち出そうとはしていない。一体、鬼人正邪を書くのが難しいように、天邪鬼という妖怪だって単純にどういう妖怪だとは書き難いものなのだった。天邪鬼の伝承はいたるところに見られるものの、それらの多くは似たり寄ったりか、あるいは完全に異なっている。中には信じられないほどの残忍さを強調したものや、ほとんど別の妖怪との混同と呼べそうなものもあり、由来からして慎重に区別して読む必要がある。これほど曖昧なものに通りのいい名前が付いている現状は、実際不思議に思えるくらいだった。
要するに彼女が天邪鬼かどうかという疑問は、疑問にさえなっていない。何を疑っているのか私自身にも判然としていないのだった。それにどのみち、彼女の正体が何であれ、幻想郷の天邪鬼は彼女一人なのだった。
4
彼女の思考、彼女の行動は、人間にはたいがい自分たちのそれを反転させる鏡のようなものとして想像される。だからもっと言えば「まるで空っぽ」と見なしているとしてもいい。
人間が「暑い」と言えば「寒い」と言って火を焚き、人間が「寒い」と言えば「暑い」と言って戸を開け放つような、対義語を実践する妖怪として彼女を考えるのは勝手のいい納得の仕方かもしれない。妖怪に対処するための現実的な便利さとしては、私の縁起にとっても見習うべきところがありそうに思う。
しかし、事実に正確であろうとするには、彼女の中にある明確な動機を省略して全てを単に機械的な反転と片付けるのは大掴み過ぎるやり方だろう。
私を物足りなくさせているのは「機械的な」という部分ではない。妖怪は皆大なり小なり機械的なものだし、私が省略できないとした彼女の動機性も、取り出してみれば機械的なものだろう。ただそれは、鏡ではないはずだった。私が危惧して書き迷っている「誤解」とは、まさにこの部分にある。
私はふと、人間の心を読むサトリ妖怪のことを思い付いてはっとした。もしもサトリの能力で鬼人正邪の心を覗くことができたなら、そこに見えるのは鏡のような受け身で従順な機能などではなく、矢のようにかたくなで身も蓋もないものであるはずだった。
5
鬼人正邪を矢に似ていると書くのは、自分ながら直感に反しすぎていたかもしれない。
冷静になってみれば、私は自分の考えに無理にはしゃごうとしているのが分かるだろう。それに、妖怪は皆大なり小なりそういうものだし、と、私の考えはここで循環してしまっている。
私の仕事、私の妖怪たちにぴったりした言葉を与えるという単純な信条が、いよいよ困難になっていくのを感じる。しかもその困難さというのは、それに対し妥協する方法さえ分からない、最初の一文字を書く困難さなのだった。
私はしばしば机の前で腕組みしながら、いくつかの物悲しい想像のなかに自分を置いて途方に暮れた。この場合に私が置かれなければならない想像は、自分の背中にしがみつこうとして駆け回るというものだった。
それでも自分の仕事を、私の天邪鬼を諦めることは考えられなかった。
6
私たちは最近になってようやく、前の異変の顛末をつなぎ合わせて見られるようになった。
打ち出の小槌を使う下克上の企ては、不成功に終わったとはいえ彼女にとっては満足のいく、少なくとも上出来と言える仕事だったに違いない。なぜなら下克上と言っても、彼女の希望は小人を動かしていたものとは全く違っていた。
それは「連中を死ぬほど脅かしてやりたい」という明快な一枚絵の希望だった。だからもし成功したとしても、その先に計画があったとは思えない。また、下克上のための手段として「道具と使用者の関係が逆転する」というのも彼女の気に入っていた。だからもし成功の見込みが無いと知っていたとしても、彼女は計画を実行したはずだった。
異変は何から何まで天邪鬼の心そのままにでき上がっていた。私たちがあんなにも異変に驚いたのは、取るに足らないと思っていた小さな天邪鬼がその実、機械的な頭の中でこんなにも大それた絵を描いているということを目の当たりに見たからだった。
結局、下克上は本格的に始まりすらしないうちに失敗したが、その原因はよく言われるように妖怪たちの協調性の無さだっただろう。あえてもう一つ原因を挙げられるならそれは、彼女の予想に反して道具たちが人間に従順だったこと、与えられた用途を全然裏切ろうとしなかったことだった。そして道具たちと同様に、肝心の小人も裏切り通すことができなかった。
ただ天邪鬼の彼女だけが満足して裏切り通した。例の逆さまの輝針城を見捨てて一人で逃げることにした。彼女のために少し回り込んで言い替えれば、彼女だけが抵抗し続けた。とうとう二人しか集まらなかった「レジスタンス」に、彼女は一人で残ったのだった。
これは私たちにお馴染みな彼女の決まりごとが、一番大きな舞台で果たされた場面だった。天邪鬼は決して降参しない。
7
異変は無事終わったものの、彼女は降参しなかった。そこで逃げた彼女には追っ手がかかった。過剰に残酷な印象を避けるため言い替えれば、幻想郷は彼女のために負ける機会を与えたということだった。
異変から数週間遅れながらではあるが、ここで誰かに捕まって退治されれば、幻想郷はいつも通りに勘定が合い、彼女にも相応しい落とし所が用意されるわけだった。だからこそ、あんなにも多くの人間や妖怪に天邪鬼狩りの誘いがかかり、皆気軽くそれに応えていた。
この第二の騒動はお祭りめいた盛り上がりで幻想郷全体に広がり、彼女に隠れられる場所は全く無くなっていた。人里でもお尋ね者の人相書が流行し、毎日のように目撃情報が飛び交っていた。年寄りや子供の中にさえこの機会に異変の後日談に参加しようと張り切って動き回る集団があった。
そのうえ、天邪鬼を捕らえるときにはあの楽しげな決闘のルールまでがしばしば無視され反則を取られなくなっていたので、逃げる彼女はいよいよ苦しくなった。
この様子では下克上異変の後日談は短いものになりそうだと、当時私は考えていた。予想は正しいものだったが、しかし私の読んでいた筋書きとは全く違っていた。
8
彼女はまたもや筋書きを裏切っていった。彼女は異変から一週間が経ってもまだ捕まらなかった。どんな機転で切り抜けたものか、彼女は全ての追っ手からついに逃げ延びてしまったのだった。
そうしてちょうど十日が過ぎたところで、潮が退くように幻想郷の天邪鬼熱は冷めてしまった。里の人々の話題も移り変わった。
傍で見ていた私にもひどく拍子抜けする幕切れに思えたが、おそらくここが幻想郷に許された時間の限界だったのだろう。多くの反則が許容された今回の天邪鬼狩りの中でも、「時間切れ」のルールだけはどうしても無視することができなかったのだった。
それ以上はもう誰も彼女を追おうとはしなかった。
彼女は結局、幻想郷のどこへ置かれることになったのか。あるいは、筋書きに従わない彼女はどこへも置かれず、諦めとともに見捨てられたということなのかもしれなかった。
前例の無いこの出来事は私の胸に飲み下せない固形物として残り、いつまでも消えなかった。そうしてもどかしい私は、無謀だとしても鬼人正邪のための相応しい言葉を探さずにはいられなくなった。
9
天邪鬼狩りの顛末が私に喚起する光景は「鬼ごっこ」だった。
逃げ役が逃げて鬼役が追う、よく知られた子供の遊びだが、今回は彼女一人が逃げ役に指名された。そうして幻想郷が仕掛けた不利な鬼ごっこの中で、彼女はあの皮肉な活力を最大限発揮して逃げ役を受けて立った。大人気ないとはいえ楽しい遊びだったはずの鬼ごっこは、なりふり構わず逃げる彼女によって膠着し、そのまま遊び場は日が暮れる時間になってしまった。
ところで、鬼ごっこを楽しむための最大の難点は、明確な勝敗や結果らしきものがどこにも存在しないという点だろう。鬼ごっこにはきりが無い。鬼役と逃げ役は、普通逃げ役が捕まると役を入れ替わり、両者は即座にまた逆の方向に向かって走りださなければいけない。その繰り返しが、逃げ役に嫌気が差すまで続く。
「逃げ役に嫌気が差すまで」と私は書いた。今はこの点が特に重要に思われる。つまり、逃げ役が飽きて走らなくなれば鬼ごっこは成立しなくなるが、逆に鬼役が立ち止ってもそれは逃げ役に距離を稼がせることにしかならない。どんなに「もうやめよう」と呼びかけてもそれで逃げ役が帰ってくるとは限らないのだった。鬼ごっこの始まりと終わりを決定する権利は、そのときの逃げ役が完全に握ることになる。
だから私たちは、迂闊に天邪鬼を追いかけたりするべきではなかった。
11
異変後の鬼人正邪の足取りを知ろうと聞き込みを行った私は、その証言が異変前と変わらず鮮明なことに驚かされた。彼女の目撃談は人里の目立つ場所に依然多い。しかもそれが「昨日ここで」とか「ぼろ布を羽織った格好でよく」といったごく新しいものばかりなので、私は聞きながらすぐ背後に彼女の気配を感じるような気さえした。
驚きが去ると、次には寒気が私の肩を襲った。
私の思い込んでいたところでは、猛烈な追跡を辛くも振り切ることができた彼女は、今はお尋ね者の身をどこかに隠してじっと息を殺しているはずだった。実際の彼女は息を殺すどころか真昼に人里で蕎麦を啜ったり、屋根に上ったり、荷物を盗んだりしていた。そして誰かに気付かれると手近の物を全部ひっくり返しながら飛んで逃げるというのだった。
彼女は明らかに鬼ごっこを続けるつもりでいた。ほとぼりを冷ますなど考えもせず、追い駆けて来ない鬼役の遊び疲れた顔にもお構いなしに逃げ続けていた。ぼろ布で姿を覆いながらも人目に付く場所へ出入りするのは、鬼ごっこの逃げ役が節を付けて歌う「鬼さんこちら」という例の挑発に違いなかった。
私たちは彼女を懲らしめるつもりで、逆に特権を与えてしまったのだった。彼女はこれから好きなだけ私たちを引っ張り回し、このきりの無い遊びを永久にでも続けるつもりだろう。お尋ね者としての自分の影を昼も夜も視界にちらつかせ、あくまで手の届かない距離を保って逃げ続け、鬼役の憂鬱な義務を忘れさせないだろう。
しかもいっそううんざりすることには、元を辿ればそれは私たちの方から彼女に強いた鬼ごっこなのだった。
ここへ来て私は、もう一度彼女の心を矢に似ていると思う。それは始めから放たれた状態で、放物線を描かず直線で宇宙を飛んでいく在り得ない矢だった。
12
これ以上どうしようもなかった。
無論、彼女に和解を持ちかけることなどできはしないし、彼女も絶対に受け取るはずがない。それなら今一度気分を奮って追い駆けるべきかと想像してみるが、それもまた成功の見込みは低く、かえって逃げ役をつけ上がらせるだけの危険な逆上にもなりかねないようだった。
どうしようもないときに残される道は、常に一つしかない。今では幻想郷の誰もが鬼人正邪を話題から締め出し、最後には「忘れる」という道に向かっている。
どうやら、天邪鬼という妖怪があれほど有名でありながら何もかも曖昧なまま軽視されている理由の一つに、私は行き当たったのかもしれない。
理解し難いかたくなさと、受け入れ難い身も蓋も無さで飛んでいく彼女は、どうしてもその行き着く先、最後には忘れられなければならない。そうして忘れられ、過去に放置された無数の遊びたちが、彼女の心をますます鋭く、矢のようにしていくのだった。
そしてまた、だからこそ彼女は降参せず裏切り通す。言わばその瞬間の実現に対してのみ従順さを貫く。
今更になって気付くことがあった。この件に関しては、彼女と裏切りを共にする人物が少なくとも一人居る。つまり、こう書いている私だけは幻想郷全ての意向に逆らって、いつまでも彼女の奮闘を忘れずにいるはずなのだった。
13
今、私ははっと驚いて目を開け、ひどく逆接の多いつづら折りの文章を書きながら一晩を明かしてしまった自分を見た。下書きとして十分とは言えないまでも、もうあと一歩惜しいところまで書いたはずだと感じた。それでもまだ天邪鬼が私の前に姿を現さないことに、なぜか少し安心した。
とにかく一度筆を置いて、今朝は一眠りしようと思う。目が覚めたらもう一度書いたものを読み直し、自分のたどたどしい足運びを注意深く見つめなければならない。狡賢く抜け目ない彼女のことなので、追い詰めたつもりが知らず知らずのうちに身代わりの人形を掴まされていたということも十分考えられる。
長くてもあと一年か二年のうちに、縁起には鬼人正邪の項を加えなければならないだろう。それまでに私は彼女を捕まえる必要がどうしてもあった。
しかし、すでに書き示したように、追う義務はまた、逃げ続ける彼女が記憶する私と共に分け持つ遊びの一端でもある。幸いなことに、時間切れの心配はまだ当分要らないはずだった。
草履ばきの黒い脚。目を惑わすような矢印柄の着物。正面に向かわず、常に斜めから半身ひねった奇妙な立ち方。痩せぎすの骨ばった腕で、掴む力ばかり不気味に強い。不揃いで半端に長い髪。二本角。つり上がった目。名前を尋ねられるとおうむ返しにする。あるいは「少名針妙丸」と答える。舌は真っ赤。
天邪鬼について調べることは、より雑多な妖怪、例えば狸や付喪神について同じことをする場合と比較しても、それほど難しいというわけではない。人前に出没することは頻繁で、遭遇した人々からは常に充実した証言を得ることができる。というのも、天邪鬼などは家や辻、人の居る場所以外では何もすることがない妖怪であって、現れれば必ず強い印象を残さずにはいないのだった。それどころか、つい先日まで彼女は郷中から注目されてさえいた。
彼女を実際に見たことのない私にも、耳に入る噂だけでおおよその外見と性格が想像できるほど彼女は知られている。異変のことがあってからは絵に描くことさえできた。誰もそのことを意識していないが、天邪鬼は妖怪としてかなり有名な部類なのだった。「友好的ではないが、取るに足らないただのひねくれ者」という共通の認識のうえではあるが、とにかく天邪鬼を知らないという人間は稀だろう。
彼女は書く材料に事欠かない。
とはいえ、あくまで私自身は鬼人正邪を見たことがまだない。
2
彼女という妖怪について簡潔に書き留めようとするとき、私ははじめて奇妙な困難さを感じる。天邪鬼、というより鬼人正邪を説明するには、どうしても一言では足りない。
私はまず「人間に似た姿で、性格の歪んだ妖怪」という総括を試みた。しかしすぐに、これでは何も本質に触れていない、それどころか、ほとんど平凡な人間を書いたのと同然になっていると思い直した。
そこで何か特有の習性や、妖怪に付きものの決まりごとを書き加えようと考えてみた。「悪戯で人間を困らせる」や「嫌われると喜ぶ」などは明らかに決め手に欠けていた。どれも彼女の中心というべきではなかったし、彼女を知らない読み手には誤解を与えかねない。むしろ「他人の言葉に逆らう」「嘘をつく」のような具体的な言動の方にこそ彼女らしい後姿が見えそうだったが、彼女のどんな言動を中心に据えるべきかは容易に決められそうにない。
結局、彼女は何をする妖怪と言うべきなのか、私には書けなかった。実のところ、一言で足りないなどといって、二言や三言なら足りるわけでもないのだった。
さらに問題なのは、もしも彼女が私の書いた幻想郷縁起を開くことがあり、自分のために割かれた項目を目にしたら、きっとこれ見よがしに豹変してみせるに違いないということだった。妖怪らしい執拗さで、数年か、もしかしたら数十年に渡って私への反証を続けることも考えられる。これも重要な習性の一つに思えることだが、彼女は決して降参しない。
彼女はまるで地平線の向こうから長い影だけを伸ばしているようで、決して私の前に姿を見せてくれない。そのうえ近づこうとすれば意地悪く常に一定の距離を保って逃げ続けるのだった。
3
聞くところでは、彼女は自身を「生まれついての天邪鬼だ」と言っているらしいので、私にはこの前提までがにわかに疑わしくなってしまう。「生まれついての」というところがいかにも余計で、馬鹿にしている。
私は、彼女が嘘つきだからといって使い古された逆説を持ち出そうとはしていない。一体、鬼人正邪を書くのが難しいように、天邪鬼という妖怪だって単純にどういう妖怪だとは書き難いものなのだった。天邪鬼の伝承はいたるところに見られるものの、それらの多くは似たり寄ったりか、あるいは完全に異なっている。中には信じられないほどの残忍さを強調したものや、ほとんど別の妖怪との混同と呼べそうなものもあり、由来からして慎重に区別して読む必要がある。これほど曖昧なものに通りのいい名前が付いている現状は、実際不思議に思えるくらいだった。
要するに彼女が天邪鬼かどうかという疑問は、疑問にさえなっていない。何を疑っているのか私自身にも判然としていないのだった。それにどのみち、彼女の正体が何であれ、幻想郷の天邪鬼は彼女一人なのだった。
4
彼女の思考、彼女の行動は、人間にはたいがい自分たちのそれを反転させる鏡のようなものとして想像される。だからもっと言えば「まるで空っぽ」と見なしているとしてもいい。
人間が「暑い」と言えば「寒い」と言って火を焚き、人間が「寒い」と言えば「暑い」と言って戸を開け放つような、対義語を実践する妖怪として彼女を考えるのは勝手のいい納得の仕方かもしれない。妖怪に対処するための現実的な便利さとしては、私の縁起にとっても見習うべきところがありそうに思う。
しかし、事実に正確であろうとするには、彼女の中にある明確な動機を省略して全てを単に機械的な反転と片付けるのは大掴み過ぎるやり方だろう。
私を物足りなくさせているのは「機械的な」という部分ではない。妖怪は皆大なり小なり機械的なものだし、私が省略できないとした彼女の動機性も、取り出してみれば機械的なものだろう。ただそれは、鏡ではないはずだった。私が危惧して書き迷っている「誤解」とは、まさにこの部分にある。
私はふと、人間の心を読むサトリ妖怪のことを思い付いてはっとした。もしもサトリの能力で鬼人正邪の心を覗くことができたなら、そこに見えるのは鏡のような受け身で従順な機能などではなく、矢のようにかたくなで身も蓋もないものであるはずだった。
5
鬼人正邪を矢に似ていると書くのは、自分ながら直感に反しすぎていたかもしれない。
冷静になってみれば、私は自分の考えに無理にはしゃごうとしているのが分かるだろう。それに、妖怪は皆大なり小なりそういうものだし、と、私の考えはここで循環してしまっている。
私の仕事、私の妖怪たちにぴったりした言葉を与えるという単純な信条が、いよいよ困難になっていくのを感じる。しかもその困難さというのは、それに対し妥協する方法さえ分からない、最初の一文字を書く困難さなのだった。
私はしばしば机の前で腕組みしながら、いくつかの物悲しい想像のなかに自分を置いて途方に暮れた。この場合に私が置かれなければならない想像は、自分の背中にしがみつこうとして駆け回るというものだった。
それでも自分の仕事を、私の天邪鬼を諦めることは考えられなかった。
6
私たちは最近になってようやく、前の異変の顛末をつなぎ合わせて見られるようになった。
打ち出の小槌を使う下克上の企ては、不成功に終わったとはいえ彼女にとっては満足のいく、少なくとも上出来と言える仕事だったに違いない。なぜなら下克上と言っても、彼女の希望は小人を動かしていたものとは全く違っていた。
それは「連中を死ぬほど脅かしてやりたい」という明快な一枚絵の希望だった。だからもし成功したとしても、その先に計画があったとは思えない。また、下克上のための手段として「道具と使用者の関係が逆転する」というのも彼女の気に入っていた。だからもし成功の見込みが無いと知っていたとしても、彼女は計画を実行したはずだった。
異変は何から何まで天邪鬼の心そのままにでき上がっていた。私たちがあんなにも異変に驚いたのは、取るに足らないと思っていた小さな天邪鬼がその実、機械的な頭の中でこんなにも大それた絵を描いているということを目の当たりに見たからだった。
結局、下克上は本格的に始まりすらしないうちに失敗したが、その原因はよく言われるように妖怪たちの協調性の無さだっただろう。あえてもう一つ原因を挙げられるならそれは、彼女の予想に反して道具たちが人間に従順だったこと、与えられた用途を全然裏切ろうとしなかったことだった。そして道具たちと同様に、肝心の小人も裏切り通すことができなかった。
ただ天邪鬼の彼女だけが満足して裏切り通した。例の逆さまの輝針城を見捨てて一人で逃げることにした。彼女のために少し回り込んで言い替えれば、彼女だけが抵抗し続けた。とうとう二人しか集まらなかった「レジスタンス」に、彼女は一人で残ったのだった。
これは私たちにお馴染みな彼女の決まりごとが、一番大きな舞台で果たされた場面だった。天邪鬼は決して降参しない。
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異変は無事終わったものの、彼女は降参しなかった。そこで逃げた彼女には追っ手がかかった。過剰に残酷な印象を避けるため言い替えれば、幻想郷は彼女のために負ける機会を与えたということだった。
異変から数週間遅れながらではあるが、ここで誰かに捕まって退治されれば、幻想郷はいつも通りに勘定が合い、彼女にも相応しい落とし所が用意されるわけだった。だからこそ、あんなにも多くの人間や妖怪に天邪鬼狩りの誘いがかかり、皆気軽くそれに応えていた。
この第二の騒動はお祭りめいた盛り上がりで幻想郷全体に広がり、彼女に隠れられる場所は全く無くなっていた。人里でもお尋ね者の人相書が流行し、毎日のように目撃情報が飛び交っていた。年寄りや子供の中にさえこの機会に異変の後日談に参加しようと張り切って動き回る集団があった。
そのうえ、天邪鬼を捕らえるときにはあの楽しげな決闘のルールまでがしばしば無視され反則を取られなくなっていたので、逃げる彼女はいよいよ苦しくなった。
この様子では下克上異変の後日談は短いものになりそうだと、当時私は考えていた。予想は正しいものだったが、しかし私の読んでいた筋書きとは全く違っていた。
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彼女はまたもや筋書きを裏切っていった。彼女は異変から一週間が経ってもまだ捕まらなかった。どんな機転で切り抜けたものか、彼女は全ての追っ手からついに逃げ延びてしまったのだった。
そうしてちょうど十日が過ぎたところで、潮が退くように幻想郷の天邪鬼熱は冷めてしまった。里の人々の話題も移り変わった。
傍で見ていた私にもひどく拍子抜けする幕切れに思えたが、おそらくここが幻想郷に許された時間の限界だったのだろう。多くの反則が許容された今回の天邪鬼狩りの中でも、「時間切れ」のルールだけはどうしても無視することができなかったのだった。
それ以上はもう誰も彼女を追おうとはしなかった。
彼女は結局、幻想郷のどこへ置かれることになったのか。あるいは、筋書きに従わない彼女はどこへも置かれず、諦めとともに見捨てられたということなのかもしれなかった。
前例の無いこの出来事は私の胸に飲み下せない固形物として残り、いつまでも消えなかった。そうしてもどかしい私は、無謀だとしても鬼人正邪のための相応しい言葉を探さずにはいられなくなった。
9
天邪鬼狩りの顛末が私に喚起する光景は「鬼ごっこ」だった。
逃げ役が逃げて鬼役が追う、よく知られた子供の遊びだが、今回は彼女一人が逃げ役に指名された。そうして幻想郷が仕掛けた不利な鬼ごっこの中で、彼女はあの皮肉な活力を最大限発揮して逃げ役を受けて立った。大人気ないとはいえ楽しい遊びだったはずの鬼ごっこは、なりふり構わず逃げる彼女によって膠着し、そのまま遊び場は日が暮れる時間になってしまった。
ところで、鬼ごっこを楽しむための最大の難点は、明確な勝敗や結果らしきものがどこにも存在しないという点だろう。鬼ごっこにはきりが無い。鬼役と逃げ役は、普通逃げ役が捕まると役を入れ替わり、両者は即座にまた逆の方向に向かって走りださなければいけない。その繰り返しが、逃げ役に嫌気が差すまで続く。
「逃げ役に嫌気が差すまで」と私は書いた。今はこの点が特に重要に思われる。つまり、逃げ役が飽きて走らなくなれば鬼ごっこは成立しなくなるが、逆に鬼役が立ち止ってもそれは逃げ役に距離を稼がせることにしかならない。どんなに「もうやめよう」と呼びかけてもそれで逃げ役が帰ってくるとは限らないのだった。鬼ごっこの始まりと終わりを決定する権利は、そのときの逃げ役が完全に握ることになる。
だから私たちは、迂闊に天邪鬼を追いかけたりするべきではなかった。
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異変後の鬼人正邪の足取りを知ろうと聞き込みを行った私は、その証言が異変前と変わらず鮮明なことに驚かされた。彼女の目撃談は人里の目立つ場所に依然多い。しかもそれが「昨日ここで」とか「ぼろ布を羽織った格好でよく」といったごく新しいものばかりなので、私は聞きながらすぐ背後に彼女の気配を感じるような気さえした。
驚きが去ると、次には寒気が私の肩を襲った。
私の思い込んでいたところでは、猛烈な追跡を辛くも振り切ることができた彼女は、今はお尋ね者の身をどこかに隠してじっと息を殺しているはずだった。実際の彼女は息を殺すどころか真昼に人里で蕎麦を啜ったり、屋根に上ったり、荷物を盗んだりしていた。そして誰かに気付かれると手近の物を全部ひっくり返しながら飛んで逃げるというのだった。
彼女は明らかに鬼ごっこを続けるつもりでいた。ほとぼりを冷ますなど考えもせず、追い駆けて来ない鬼役の遊び疲れた顔にもお構いなしに逃げ続けていた。ぼろ布で姿を覆いながらも人目に付く場所へ出入りするのは、鬼ごっこの逃げ役が節を付けて歌う「鬼さんこちら」という例の挑発に違いなかった。
私たちは彼女を懲らしめるつもりで、逆に特権を与えてしまったのだった。彼女はこれから好きなだけ私たちを引っ張り回し、このきりの無い遊びを永久にでも続けるつもりだろう。お尋ね者としての自分の影を昼も夜も視界にちらつかせ、あくまで手の届かない距離を保って逃げ続け、鬼役の憂鬱な義務を忘れさせないだろう。
しかもいっそううんざりすることには、元を辿ればそれは私たちの方から彼女に強いた鬼ごっこなのだった。
ここへ来て私は、もう一度彼女の心を矢に似ていると思う。それは始めから放たれた状態で、放物線を描かず直線で宇宙を飛んでいく在り得ない矢だった。
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これ以上どうしようもなかった。
無論、彼女に和解を持ちかけることなどできはしないし、彼女も絶対に受け取るはずがない。それなら今一度気分を奮って追い駆けるべきかと想像してみるが、それもまた成功の見込みは低く、かえって逃げ役をつけ上がらせるだけの危険な逆上にもなりかねないようだった。
どうしようもないときに残される道は、常に一つしかない。今では幻想郷の誰もが鬼人正邪を話題から締め出し、最後には「忘れる」という道に向かっている。
どうやら、天邪鬼という妖怪があれほど有名でありながら何もかも曖昧なまま軽視されている理由の一つに、私は行き当たったのかもしれない。
理解し難いかたくなさと、受け入れ難い身も蓋も無さで飛んでいく彼女は、どうしてもその行き着く先、最後には忘れられなければならない。そうして忘れられ、過去に放置された無数の遊びたちが、彼女の心をますます鋭く、矢のようにしていくのだった。
そしてまた、だからこそ彼女は降参せず裏切り通す。言わばその瞬間の実現に対してのみ従順さを貫く。
今更になって気付くことがあった。この件に関しては、彼女と裏切りを共にする人物が少なくとも一人居る。つまり、こう書いている私だけは幻想郷全ての意向に逆らって、いつまでも彼女の奮闘を忘れずにいるはずなのだった。
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今、私ははっと驚いて目を開け、ひどく逆接の多いつづら折りの文章を書きながら一晩を明かしてしまった自分を見た。下書きとして十分とは言えないまでも、もうあと一歩惜しいところまで書いたはずだと感じた。それでもまだ天邪鬼が私の前に姿を現さないことに、なぜか少し安心した。
とにかく一度筆を置いて、今朝は一眠りしようと思う。目が覚めたらもう一度書いたものを読み直し、自分のたどたどしい足運びを注意深く見つめなければならない。狡賢く抜け目ない彼女のことなので、追い詰めたつもりが知らず知らずのうちに身代わりの人形を掴まされていたということも十分考えられる。
長くてもあと一年か二年のうちに、縁起には鬼人正邪の項を加えなければならないだろう。それまでに私は彼女を捕まえる必要がどうしてもあった。
しかし、すでに書き示したように、追う義務はまた、逃げ続ける彼女が記憶する私と共に分け持つ遊びの一端でもある。幸いなことに、時間切れの心配はまだ当分要らないはずだった。
最後まで姿を現さないのがいいですね。
9章の最後でぞわっときて、大ラスで爽やかな風が吹き抜けました。
10章が無いけど正邪が破り取ったんですかね?
読みやすい文章でとても良かったです。
正邪の魅力がこれでもかというほど詰まっていました
天に唾する天邪鬼から悪役の美学ともいうべきものを感じました