姉さんのパンの木について私が見た顛末は本当につまらないもので、わざわざ書き残したところで誰にも興味を持たれることはないだろうと思っている。また、もしできるなら、いつかは沈黙のうちに姉妹の恥を忘れ去ってしまいたいとも思うのだが、当の姉さんはきっと未練深く何十年でも覚えているに違いないので、それを想像すると私の中のパンの木も新しく記憶に蘇って、いつまでも克明な姿で居座り続けるのだった。
これは大げさな前振りや細かい情景から書き始められるような値打ちは全くない話で、要するに無縁塚に一本立っている木の名前を「パンノキ」と知った姉さんが、それが旬の季節になればきっと木の実の代わりに食パンやクロワッサンがなるのではないかと見当違いの期待を持つようになったのだった。これでおしまいだった。
改めて書いてみてもしらけきった冗談というしかない、現にこうして書きながらすぐにも反故にしてしまいたくなっている無惨な話を、姉さんは私に対して非常な熱心さで語った。それを初めて聞いていたときの私も、恥ずかしさの中に全身沈み込んでしまうような気がした。
「女苑、お前信じていないんだね。でも、あの木の名前はパンの木っていうんだよ。これは本当の名前だよ。だから信じてもいいことなんだよ。林檎の木や柿の木と同じことだよ。ええ、誰が聞いたって十分信じられることじゃないの。無暗に疑いさえしなければ、こんな明白なことはないはずよ。あれはパンの木なの。いずれあの木の下から見上げて、枝の間にクロワッサンの実がぶら下がっているのに気づくんだよ。なぜクロワッサンかというとね、あの薄くてぱりぱりした表面の生地が実の皮と同じなんじゃないかと思うから。それに甘い菓子パンには特に他のパンよりもくだものになる資格があるんじゃないかしら。だからまず一番の候補はクロワッサンなの。クロワッサンだとしたら、見て探すよりも先に香りで気づくかもしれない。さすがに焼きたてのように湯気が立ち上ってはいなくても、菓子パンの良い香りは必ず分かるはずでしょう。嗅いだだけでこがしたバターや砂糖や蜂蜜が、いいえ、何より先に幸福そのもののことが頭に浮かぶ、本当に安心する優しい香りよ。きっと無縁塚に向かって歩いていく途中で、パンの木が見えると同時にもう香ってくるでしょう。でも私はすぐに駆け出したりしないわね。万が一、勘違いだったりしたらすごく悲しいから。我慢してゆっくり歩いていくわ。それでも木に近づくにつれて香りは強くなっていって、そのときは慌てて周囲を見回すかもしれない。けれど無縁塚にはいつも通り誰も居ないの。そうしたら、私はようやく幸せになれる。まだ木までは辿り着いていなくても、その場で立ち尽くして存分にパンの香りを嗅ぐわ。泣くのかもしれない。私、その日が来るならずっと空腹で待ち続けても構わないわ。
まだ信じられないのね。ええ、それは確かに、いくらかさかさした木みたいな見た目だからってクロワッサンというのはさすがに高望み過ぎたかもしれないよ。もちろん、クロワッサンが似ているのは木の実というより幹の方だって私にも分かっているの。クロワッサンが木から生じるとしたら、新芽のようにはじめは小さい膨らみから、徐々に伸びて枝になる方が似合うでしょうね。でもせっかく木にパンがなるって言うんだから、そのうえあと少しくらい私を喜ばせてくれる不思議が備わってもいいはずじゃない。クロワッサンのように生地をくるくる巻くのがややこしいと言われるんだったら、デニッシュ食パンでも良いわ。クロワッサンと比べて喜び方を控え目にしたりなんてこともしないわ。私、木の根元で耐えきれず大泣きすると思うわ。デニッシュ生地が軽いとしても、一斤まるごとの食パンが何個もさがっていたら、細い枝は重みで多少しなるんじゃないかしら。手を伸ばせば取れる実が一つくらいあるわよね。傍目からは大きな蜂の巣を取っているみたいに見えそう。でも手に触れる感じは蜂の巣なんかよりずっと柔らかくてくすぐったいようなの。へたが実から切れるときのプチンとでもいう音が聞こえなかったら、取れたのかどうか少しも手ごたえを感じないと思う。もちろん、それが確かに自分の手に入ったと知った嬉しさは例えようもないはず。色はうっとりするほど深いこげ茶色。中身は清潔で爽やかな真っ白だけど、熱い火にこがされた外側の耳はほんのり苦みがあるって分かるよね。その苦みはデニッシュを一層甘くしてくれるものじゃないかしら。もちろんその場ですぐに食べて確かめるよ。絶対に一斤全部食べきるつもり。一斤食べて、もう一斤女苑に見せるために取ってあげる。欲しいと言うなら半分食べさせてあげてもいいよ。そのときは食パンだから切り分けやすくて便利でしょう。もしメロンパンだったら切ろうにもちぎろうにも破片がぽろぽろこぼれてしまう。そうなったら困るよね。私、かじるときに壊れて滓が出るパンは嫌いよ。メロンパンなんて一体、ひと欠片もこぼさずに綺麗に完食できたひとが今までいたのかしら。でも、メロンパンは菓子パンとはいえ木になる可能性はないでしょうね。なんといってもメロンは畑になるものだから、木の枝からさがっているのは不自然よね。だから心配する必要はほとんどないの。それに……。
ああ、実を言うとお前の姉さんは自分で分かっているの。私は遠慮のふりをしている。メロンパンが食べにくいから嫌なんて、すぐばれるとはいえ、勢いでとんでもない嘘を吐いたわよね。クロワッサンが高望みだからデニッシュ食パンで十分なんてのも、はしゃぎ過ぎていたわ。本心では、もし実際にそんなことになったらと思うと怖いのよ。だからそんな想像をしておけば、きっと私の期待なんて裏切られるだろうと願ってわざとひどいことを言おうとしただけなのよ。でもデニッシュでも満足だとか、メロンパンは困るとか、そういう傲慢なことを言い張る勇気だってあるわけじゃない。パンなんて一度も食べたことないんだもの。あの夢のようなパンの木に向かって、私が本当に見られる夢は、大きなドイツパンだけよ。大きな毬くらいもある、両手に乗せてみても半分以上はみ出しちゃうようなドイツパンがあの木の枝にぶら下がるの。ぎっしり中身が詰まっていてびっくりするほど重たいパン。力を込めて掴んでも、強い弾力で内側から跳ね返してきて、どれだけ時間が経っても冷めないオーブンの熱が手の平に伝わってくる。噛みついて食いちぎったら、白くてふわふわした綿がどんどんあふれ出してくる。一食でお腹いっぱい食べてもまだ少し残る。ほどほどに味わって食べれば二食分にもなる。そんなドイツパンが一個丸ごと手に入ったとしたら、どれだけ私をほっとさせてくれるか想像ができるかしら。胸に抱きしめて眠ることができたら、これまでの人生で一番安心して眠れるね。心から幸せな眠りを眠って、目が覚めたら腕の中にパンがある。ねえ女苑、ドイツパンだよ……」
姉さんの期待が痛ましく大きかったのに反して、パンの木はその年の冬、大雪の中で腐るようにしてあっさり枯れた。
不思議な確信があった。もしも冬を耐え抜いて春まで枯れずに残ったなら、あのパンの木にはきっと、美味しいクロワッサンが実ったに違いなかった。木は今では無縁塚に形もない。
これは大げさな前振りや細かい情景から書き始められるような値打ちは全くない話で、要するに無縁塚に一本立っている木の名前を「パンノキ」と知った姉さんが、それが旬の季節になればきっと木の実の代わりに食パンやクロワッサンがなるのではないかと見当違いの期待を持つようになったのだった。これでおしまいだった。
改めて書いてみてもしらけきった冗談というしかない、現にこうして書きながらすぐにも反故にしてしまいたくなっている無惨な話を、姉さんは私に対して非常な熱心さで語った。それを初めて聞いていたときの私も、恥ずかしさの中に全身沈み込んでしまうような気がした。
「女苑、お前信じていないんだね。でも、あの木の名前はパンの木っていうんだよ。これは本当の名前だよ。だから信じてもいいことなんだよ。林檎の木や柿の木と同じことだよ。ええ、誰が聞いたって十分信じられることじゃないの。無暗に疑いさえしなければ、こんな明白なことはないはずよ。あれはパンの木なの。いずれあの木の下から見上げて、枝の間にクロワッサンの実がぶら下がっているのに気づくんだよ。なぜクロワッサンかというとね、あの薄くてぱりぱりした表面の生地が実の皮と同じなんじゃないかと思うから。それに甘い菓子パンには特に他のパンよりもくだものになる資格があるんじゃないかしら。だからまず一番の候補はクロワッサンなの。クロワッサンだとしたら、見て探すよりも先に香りで気づくかもしれない。さすがに焼きたてのように湯気が立ち上ってはいなくても、菓子パンの良い香りは必ず分かるはずでしょう。嗅いだだけでこがしたバターや砂糖や蜂蜜が、いいえ、何より先に幸福そのもののことが頭に浮かぶ、本当に安心する優しい香りよ。きっと無縁塚に向かって歩いていく途中で、パンの木が見えると同時にもう香ってくるでしょう。でも私はすぐに駆け出したりしないわね。万が一、勘違いだったりしたらすごく悲しいから。我慢してゆっくり歩いていくわ。それでも木に近づくにつれて香りは強くなっていって、そのときは慌てて周囲を見回すかもしれない。けれど無縁塚にはいつも通り誰も居ないの。そうしたら、私はようやく幸せになれる。まだ木までは辿り着いていなくても、その場で立ち尽くして存分にパンの香りを嗅ぐわ。泣くのかもしれない。私、その日が来るならずっと空腹で待ち続けても構わないわ。
まだ信じられないのね。ええ、それは確かに、いくらかさかさした木みたいな見た目だからってクロワッサンというのはさすがに高望み過ぎたかもしれないよ。もちろん、クロワッサンが似ているのは木の実というより幹の方だって私にも分かっているの。クロワッサンが木から生じるとしたら、新芽のようにはじめは小さい膨らみから、徐々に伸びて枝になる方が似合うでしょうね。でもせっかく木にパンがなるって言うんだから、そのうえあと少しくらい私を喜ばせてくれる不思議が備わってもいいはずじゃない。クロワッサンのように生地をくるくる巻くのがややこしいと言われるんだったら、デニッシュ食パンでも良いわ。クロワッサンと比べて喜び方を控え目にしたりなんてこともしないわ。私、木の根元で耐えきれず大泣きすると思うわ。デニッシュ生地が軽いとしても、一斤まるごとの食パンが何個もさがっていたら、細い枝は重みで多少しなるんじゃないかしら。手を伸ばせば取れる実が一つくらいあるわよね。傍目からは大きな蜂の巣を取っているみたいに見えそう。でも手に触れる感じは蜂の巣なんかよりずっと柔らかくてくすぐったいようなの。へたが実から切れるときのプチンとでもいう音が聞こえなかったら、取れたのかどうか少しも手ごたえを感じないと思う。もちろん、それが確かに自分の手に入ったと知った嬉しさは例えようもないはず。色はうっとりするほど深いこげ茶色。中身は清潔で爽やかな真っ白だけど、熱い火にこがされた外側の耳はほんのり苦みがあるって分かるよね。その苦みはデニッシュを一層甘くしてくれるものじゃないかしら。もちろんその場ですぐに食べて確かめるよ。絶対に一斤全部食べきるつもり。一斤食べて、もう一斤女苑に見せるために取ってあげる。欲しいと言うなら半分食べさせてあげてもいいよ。そのときは食パンだから切り分けやすくて便利でしょう。もしメロンパンだったら切ろうにもちぎろうにも破片がぽろぽろこぼれてしまう。そうなったら困るよね。私、かじるときに壊れて滓が出るパンは嫌いよ。メロンパンなんて一体、ひと欠片もこぼさずに綺麗に完食できたひとが今までいたのかしら。でも、メロンパンは菓子パンとはいえ木になる可能性はないでしょうね。なんといってもメロンは畑になるものだから、木の枝からさがっているのは不自然よね。だから心配する必要はほとんどないの。それに……。
ああ、実を言うとお前の姉さんは自分で分かっているの。私は遠慮のふりをしている。メロンパンが食べにくいから嫌なんて、すぐばれるとはいえ、勢いでとんでもない嘘を吐いたわよね。クロワッサンが高望みだからデニッシュ食パンで十分なんてのも、はしゃぎ過ぎていたわ。本心では、もし実際にそんなことになったらと思うと怖いのよ。だからそんな想像をしておけば、きっと私の期待なんて裏切られるだろうと願ってわざとひどいことを言おうとしただけなのよ。でもデニッシュでも満足だとか、メロンパンは困るとか、そういう傲慢なことを言い張る勇気だってあるわけじゃない。パンなんて一度も食べたことないんだもの。あの夢のようなパンの木に向かって、私が本当に見られる夢は、大きなドイツパンだけよ。大きな毬くらいもある、両手に乗せてみても半分以上はみ出しちゃうようなドイツパンがあの木の枝にぶら下がるの。ぎっしり中身が詰まっていてびっくりするほど重たいパン。力を込めて掴んでも、強い弾力で内側から跳ね返してきて、どれだけ時間が経っても冷めないオーブンの熱が手の平に伝わってくる。噛みついて食いちぎったら、白くてふわふわした綿がどんどんあふれ出してくる。一食でお腹いっぱい食べてもまだ少し残る。ほどほどに味わって食べれば二食分にもなる。そんなドイツパンが一個丸ごと手に入ったとしたら、どれだけ私をほっとさせてくれるか想像ができるかしら。胸に抱きしめて眠ることができたら、これまでの人生で一番安心して眠れるね。心から幸せな眠りを眠って、目が覚めたら腕の中にパンがある。ねえ女苑、ドイツパンだよ……」
姉さんの期待が痛ましく大きかったのに反して、パンの木はその年の冬、大雪の中で腐るようにしてあっさり枯れた。
不思議な確信があった。もしも冬を耐え抜いて春まで枯れずに残ったなら、あのパンの木にはきっと、美味しいクロワッサンが実ったに違いなかった。木は今では無縁塚に形もない。
この依神姉妹は可愛い。とことん可愛い。
妄想ひとつでここまで盛り上がれるのが紫苑のすごいところだと思いました
木が枯れてしまったのは残念でしたが、その代わり紫苑の想像通りになる可能性が最後まで否定されなかったのかもしれません
「多大な期待に耐えきれずに妖精か何かの力を借りて何処かへと逐電した」
説を推したい
個人的な解釈ですが、「美味しいクロワッサンが実ったに違いなかった」のは、それが紫苑にとって最も残酷な結末だからなのではないですか?
読み終わって少し寒気がしました。
謙虚な一面もまた、一面しか見えてない感じがして魅力的でした
冒頭の女苑のモノローグと最後の一文からすると、パンノキは本当のパンの木となって姉妹の魂の中に生きているのかもしれない