何かが変わるきっかけは、時も場所も状況も関係なく、避けようのない隕石じみた勢いで降ってくるから厄介だ。旧都全体を巻きこんだ怨霊騒ぎを経て、地底と地上の関係は変わり、パルスィとさとりの関係もまた変わる。
地上との交流が再開した余波を受け、さとりは小休憩をも取れないほどの繁劇に投げこまれた。片道半刻もかけてパルスィの家を訪ねる暇など取れるはずがない。どうしているのかと雑用を言い訳に地霊殿を訪問してみても「今のさとり様にはちょっと声かけられなくて……ごめんね、お姉さん」としょんぼり肩を落とす燐や空を慰めるばかりだった。
押して駄目なら引いてみろ。古来より使い古され手垢のついた駆け引きに、本人が意図していないと分かっているにもかかわらず引っかかってしまう程度には、さとりの存在は大きかった。心の一角に、澄まし顔の覚妖怪が図々しくも座りこんでいる。彼女をどかす気力は体中を浚っても出てきやしない。自覚せざるをえなかった。
そんな己を受け入れるのには葛藤があったが、致し方あるまいと諦める自分もいる。
妬ましい能力にしつこくて面倒くさい性格。けれど、すげない態度しか取れないパルスィを見限ることなく、何百年も誠実な想いを渡し続けてくれた。他の輩に譲ってやるにはあまりに惜しい。からかわれていただけだったならば、乙女の純情を弄んだ罰として全力でぶん殴り、今度こそ好いてもらえるよう努めれば良かろう。
地底は変わり、地上も変わり、人妖の関係もまた変わりつつある。あんなひ弱な人間の少女たちが、強力な妖怪の庇護を纏って嫌われ者の都に殴りこんで来た挙げ句、勝利を片手に悠々飛び去っていくような世界だ。敗者であるのに、命を落とすことも、後引く傷を負うこともないごっこ遊びが通用する、そんな世界だ。
深刻な顔で過去に拘り囚われて、目の前にある幸福を逃すだなんてあまりに馬鹿馬鹿しい。
極自然にそう思った。そんなパルスィの変化は当然の如くさとりに筒抜けて、たいそう喜ばれたのが気恥ずかしいを通り越して妬ましいことこの上ないが、嬉しくないかと問われると、まあ、うん。
「つまりパルちゃんは、ストーカー気質の読心やろーが好みってわけね。いやぁ、すてきなご趣味で」
「……反論できないのよね……」
さとりは隠さずパルスィも否定しないので、ふたりの関係はさほど間を置かず旧都中に知れ渡った。「くわしく!」と心底楽しそうなヤマメに掴まり、ザクロの店に連れこまれてあれやこれやと聞き出されていたのだが、ひととおり聞き終えた感想がこれである。
己の名誉のためにも、心を許す相手はそんな危険な輩ではないと言ってやりたいところだが、客観的な視点でさとりの言動を思い返すとまったくその通りなのが悩ましい。嫉妬狂いとしては、そう思っておいてくれたほうが助かるけれども。
眉間を押さえると、
「まぁまぁ。私的には、パルちゃんがあいつに首輪つけてくれてよかったよ」
勝手な言葉と共に酒が注がれた。一升瓶が空になる。ヤマメが襖を開け「ザクロちゃーん、もう一本持ってきて」と朗らかな声をかけた。
すぐに氷詰めになった一升瓶と、なにやら奇妙な料理をペタペタ運んでくる。
平たい皿に、どうやって色を付けたのか赤い飯が盛られ、その上に薄くのばした卵焼きが載せられている。こんな料理を頼んだおぼえはない。ザクロの作るものに間違いはないと分かっていても、外見が外見だけに箸をのばすのはためらわれた。
「なに、これ?」
問うと、
「オムライス、というものだそうですよ」
その巨体の影から噂の主が顔を覗かせる。さとり、と頬が緩んだのが分かった。ヤマメの冷やかしに笑顔で応えたさとりは、相好を崩すザクロを赤い眼で見る。
「湯むきしたトマトを野菜と炒めて、焼き飯とまぜたそうです。……チキンライス? ふむ、鶏肉も入っているのね。試作品だからお代はいらないと。それにしても、よくそんなにトマトが仕入れられましたね。……ああ、幻想郷は梅雨明けだっけ。忘れてました」
試作品ならば遠慮はいるまい。余所目には一方的な会話を交わすふたりは放って、ヤマメと箸をのばす。が、焼き飯というだけあって米がパラパラとこぼれてしまい、なかなか上手くつまめない。「あ、このスプーンを使ったほうが食べやすいそうです」もっと早く言え。
慣れぬ見た目に怖じ気づきつつ、ええいままよ、と口に含む。途端に目が丸くなった。甘酸っぱい味つけのごはんと淡泊な卵焼きが意外なほどよく合っている。ヤマメはと見ると、一瞬目を見開き、次いでじっくり味わうように目をつむって咀嚼していた。
さとりがちょいちょいと裾を引っ張ってくる。
「そんなにおいしいなら私も食べてみたいです」
「ん」
「ありがとう。……あら、ほんとうに」
「いや、こりゃあおいしいよ。品書きに並べていいんじゃない?」
三人分のお墨付きを得てザクロは凶悪な笑みを浮かべた。ヤマメの言葉に同意しつつ、もう一口すくってさとりに差し出す。素直にぱくついた動作が小動物のようだ。
「で? 古明地姉はパルちゃんに甘えに来たの?」
「んぐ、む……失礼。ちがいますよ。どちらかというとあなたに用が……とはいえそれが終わったらもちろんあなたのところに行くつもりで、あのパルスィ、いじけないで」
「言い訳するか話するかどっちかにしろぃ!」
ぴしゃりと叱りつけられ、さとりはわたわたと背負い風呂敷の結び目を解く。中から出てきた重そうな革袋に、遠慮しない態度が嘘のようにヤマメは目を泳がせた。
「私が言わずとも承知していると思いますが……ヤマメ?」
「いやだから、いらないって言ってるじゃない」
「そうはいきませんと申し上げましたよね。旧都の修理に荒れ地の整備、橋の造設。ずいぶんと働かせてしまいました。誠実な働きには正当な報酬を。勇儀は受け取りましたよ」
「姐さんはいいんだよ、だってほら、使うアテがあるじゃない。私にこんな大金渡されてもたまる一方だし」
「道具を新調するとか、服や小物を買うとか……作るじゃないですよ、買うとか。良いものを食べるとか、いくらでもあるでしょう。無理にでも使ってもらったほうが旧都全体のためになるんです。なんだったら、このあいだのようにあなたの奢りで宴会を開けばいいでしょう」
「嫌だよ! 覚妖怪おまえ、おまえのせいで、ここんところの私がなんて呼ばれてるかわかってるの?」
悲鳴染みた問いを投げるヤマメとは対照的に、さとりは余裕綽々でゆったりと頷く。
「布を織ることにかけては並ぶ者のいない、土建の大将にして、病の支配者。万能をひけらかすこともなくいつも明るい、我らが地底のアイドル黒谷ヤマメちゃん。今一度宴を開催したら、気前が良い、も追加されるでしょうね」
「わかってんならさぁ! っていうかちゃんとか言うな、気色悪い!」
真っ赤になって立ち上がったヤマメにもどこ吹く風で動じない。そんな態度がいっそう腹立たしいようで、ヤマメはさとりに人差し指を突きつけた。
「おまえがねぇ、古明地姉! おまえが持ってきた話を片っ端からやっつけてたら、なんか妙に懐かれちゃうし、知らないあいだに名前が知られてるし! 私は土蜘蛛だぞ! なんで鬼のちびっ子から、あっヤマメちゃんだー握手してー、なんて言われなきゃなんないのさ!」
「だって、今度からはもっと早く言えって言ったじゃないですか」
「言ったけど! こんなことになるなんて聞いてない!」
頭を抱えるヤマメに人気者めと嫉妬しつつ、若干の同情をおぼえた。妖怪は恐れられ厭われてなんぼ。特に厄介者が多い地底では、性格が良く朗らかな輩など、勇儀などの規格外を除けば良いカモと見られつけこまれるのがお約束である。ヤマメの苦悩はもっともだった。
とはいえ、とパルスィは思う。その先を読んだのだろう、こちらを見た赤い眼はちらりと頷き、まあまあ、とヤマメを宥めにかかった。
「あなたの場合、根底には尊敬がありますから。舐められているのではなく、慕われているのですよ。なろうと思ってなれる立場ではありません。諦めてアイドル路線を突き進んでください。そしてこのお金も受け取ってください」
「嫌だぁ!」
なおもブンブンと首をふるヤマメに、さとりはやれやれとため息をついた。「ならば仕方がありませんね」革袋を風呂敷に包み直し、ぽつりと呟く。
「これは勇儀に託しましょう」
「姐さんの名前を出すのは卑怯だって……」
ヤマメが風呂敷包みを引ったくった。最初からそうしてくれればと微苦笑するさとりを睨み、どうしよっかなーと眉を下げる。
「家は整えちゃったし……キスメも似たようなもんだし……勇儀姐さんの家はこのあいだ直したばっかだし……あっパルちゃんそろそろ家新しくしたくない? おごるよ? 造るよ?」
「パルスィの家なら私も出資しますよ」
「公私混同って知ってるかい」
「ポケットマネーの使い道にまで文句を言われたくはないですね」
「ああ、そういう」
「ちょっと、勝手に話進めないで。自分の家くらい自分で世話するから」
慌てて割って入る。そも、パルスィの懐とて中々に温かいのだ。旧都における嫉妬心の管理、水神として河川の制御、更に最近加えられた橋の行き来の記録など、性分に従っての行動にもさとりは価値を見いだしてしまう。
こちらの事情もある程度承知しているのだろう。ヤマメは「だよねぇ」とガックリ肩を落とし、贅沢な悩みだぁと遠い目になった。
結局上がりこんださとりも含めてあれやこれやと会話を弾ませる。女が三人寄ると姦しい。旧都の流行から彼岸の近況まで、酒のつまみは幅広かった。
と、そんな折。
「パルスィ、ちぃとそうだ……おっ、さとりがいるね。ちょうどいい」
「勇儀? どうしました? ああ、キスメ、センターやお空との協力は……え、それどころじゃない? 何事です? ……んん?」
キスメを担いだ勇儀がやって来た。珍しく興奮で息を弾ませ、切れ長の目を爛々と輝かせている。
はて、とヤマメと顔を見合わせ、次いでさとりに目を向けたが、勇儀たちの心を読んだのであろう彼女は顎に指を当て沈思している。さっぱり分からない。
諦めて勇儀に目をやると、キスメを降ろした彼女は「実はなぁ」と指先で頬をかいた。
「湖が見つかった」
「は?」
「みずうみ?」
「みずうみ」
曰く、農場の拡張のため岩壁を削り出していたら風音を捕らえたので、それを探って薄くなっている箇所を突き破ってみたところ、奥に広がる地底湖を見つけたらしい。
「対岸は私でもぼんやりとしか見えなかったね。深さもなかなかのもんだった。妖怪の気配は無かったが、魚影はあったか。なぁ、キスメ?」
「はい。水は川と同じでした」
「てことはここらの水源?」
「そこまでは探ってないんだ。さとり、閻魔様からなにか聞いているかい?」
勇儀たちが心に浮かべている湖を見ているのだろう。片目を閉じ、代わりに第三の眼を大きく見開きながら、さとりは首をふる。
「初耳ですね。パルスィはなにか知りませんか?」
「……根も葉もない噂レベルだけど、最初の閻魔様が地獄を創ったときの試作世界が、旧都に隣接してるって聞いたことは。でも、ここが地獄だった頃の話よ」
「映姫さん──四季閻魔に確認してみましょう。ちなみに、立ち入りはどうしています?」
「星熊勇儀の名において禁じている。だが、血の気が多いヤツらはうずうずしてるよ」
「ふむ。そうでしょうね」
数秒視線をさまよわせたさとりは「わかりました」と顔を上げる。
「勇儀、探索者を募っての調査をおねがいします。パルスィとキスメも同行してください。水や土の状態も含め、できるだけ詳細な地図がほしい。ただし、くれぐれも、物を壊したり、魚を捕ったりは控えるように。食料は地霊殿が負担しましょう。給金も出します。今日中に話を拡げて明日出発。できますか?」
「よしきた」
勇儀がパチンと指を鳴らす。キスメはこくこくと何度も頷き、パルスィはちらりと眉を上げた。それぞれの反応に微笑を浮かべ、ヤマメに目を向ける。さとりが口を開くよりも早く、
「姐さんが吹っ飛ばして造った通路の補強。でしょ?」
「手伝いは」
「見てみないとなんとも言えないねぇ。馬鹿力だもの」
「いや、すまん」
「では、資材を運びがてら力のある子を送ります。四季閻魔には私が」
その言葉で一通りの方針は定まった。杯に残っていた清酒をひょいと飲み干して勇儀が立ち上がる。キスメが釣瓶の中にしゃがみこみ、ヤマメが「おあいそー!」と襖を開けた。ことを始める前特有の高揚した雰囲気が互いに伝わりじわじわと広がっていく。
んん、と伸びをして、さとりは「さて」と肩をほぐす。
「また忙しくなりそうですね?」
「手伝うわよ」
放り投げるように言うと眠そうなまなざしがいっそう和らいだ。
「はい」
しっかり首肯したさとりの背中に手のひらを添える。わくわくと弾みだしている空気とは裏腹に、こちらを見つめる瞳に映るパルスィはずいぶん穏やかな面持ちをしていた。