Coolier - 新生・東方創想話

リスタートは突然に

2018/12/20 08:39:03
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 パルスィは大八車を引っ張っていた。順手では腕が疲れてきたので逆手に持ち直し、満載された書物の山が崩れていないことを確認する。よし、と頷き再び勢いよく歩き出すも、整備されていない悪路に車輪がはまりそうになって慌てて立ち止まる。雪崩が起きないようそろそろ動かし大丈夫なことを確認して、ホッと息をつく。堪えきれずに悪態が口から落ちた。こんな目に遭わねばならない原因を思い出す。
 さとりが地底の方針を定めるようになって早数年。最初は失敗続きだった作物が安定して取れだして、養鶏と養豚も始まり、旧都から飢えが遠ざかり始めたところで新しい閻魔がやって来た。四季映姫・ヤマザナドゥと名乗った彼女は、名の通り幻想郷を担当するらしいが、近場だからと地底の相手も命じられたそうだ。
 貧乏くじを引いて、とパルスィは同情したが、意外にもこの新しい閻魔、さとりのやり方に賛同を示した。
 自分たちが捨てた地が再び力を持とうとしている状況に、彼岸からは、不安の声、あるいは、再度支配下に置いて働き手を増やそうとする意見が出はじめていると聞く。しかし、かつてやりとりをしていた閻魔王や、四季閻魔は、地底で暮らす者たちは大人しく彼岸に従うタチではないと見ている。自分たちで上手いこと回そうとしているのだから、いらぬちょっかいを出すのではなく、双方が利を得るやり方を考えたほうが良かろう、と考えたそうだ。
 地底としてはありがたい意見である。パルスィ個人としても、今地底で起きている変化は悪くないと思っているので、地獄の門番に戻るつもりはない。それはいいのだが「あって困ることはないでしょう」との一筆便と共に、大量の書物を送ってこられると玄関口としては文句を言いたくなる。大八車に満載しているのに三往復目だ。蜘蛛の糸で縛られた書物を降ろしてきたキスメ曰く「まだある」らしい。一度に送る限度量というものを知らないのか。
 不満を力に換え大八車をぐいぐい引っ張る。辛い行程も、しかし、旧都に入ると大分楽になった。近頃の旧都は、陣頭指揮を執る勇儀とヤマメの下、道路や上下水道の整備、建物の新設に湧いているので、歩きやすさは雲泥の差だ。
 おまけに、
(あら、いい嫉妬)
 目の端に結構な姿になっている緑目の魔物をとらえたので、穏やかに語りかけ火種を消して爪と牙を折る。通常程度の大きさになったのを確認し、回収した妬心を食べた。そこそこの味だ。妖力が満たされ力が湧いてくる。
 農耕、牧畜に土木建築と、さとりの施策は間断を置かなかった。当然の如く噴出する各方面からの文句は、読心への恐怖で黙らせ、勇儀が取りなすことで一応の安定を図っていたが、住人の底意には泥濘に似た不満がたまる。
 加えて、さとりの方針に初期からおもねていったのは、僅かな例外を除けば、鬼を頂点に置いた序列社会の最下層に位置していた妖怪たちだ。彼女の施策が軌道に乗り出すということは、最下層の妖怪たちが力を取り戻していき、鬼が唯一絶対の存在ではなくなることとつながっている。いちど天狗や河童などの朋友との別れを経験している鬼にとって、ひとが離れていく事態は深刻だった。
 というわけで、旧都には糧となる嫉妬心が溢れているのである。わざわざ煽るまでもなくつまみ食いし放題の現状は、パルスィにとって非常に都合が良い。土木建築も始まったので、鬼とそれ以外の妖怪はこれまでの一方的な支配・被支配とは少し異なる縁をつなごうとしているが、もうしばらく妬心に囲まれる生活は続くだろう。さとりの施策万々歳である。決して口には出さないけれど。

 相変わらず今にも壊れそうな掘っ立て小屋に到着し、となりに付け加えられた納屋のほうに布で巻いた書物をしまっていく。
 そんなパルスィの足下に、どこからともなく現れた黒猫が頭突きをかましてきた。「ちょ、こら」危うく踏みそうになって窘める。黒猫は素知らぬ顔で額のあたりをパルスィの足にすりつけて、こちらを見上げ「にゃーん」と鳴いた。
「あのねぇ」苦笑しつつ抱き上げる。妬ましいほどなめらかな手触りだ。「さとりじゃないんだからわからないわよ、燐」
 黒猫が身じろいだ。パルスィの腕を蹴りひらりと宙に舞った黒猫は、空中で姿を変え、地に降り立った時にはひとの少女になっていた。例によってさとりが拾ってきた幼い火車──火焔猫燐は短い赤毛を上機嫌に揺らして懐っこく朗笑する。
「水橋のお姉さん、いらっしゃい。さとり様なら留守ですよ?」
「届けものよ。彼岸の閻魔様から。あいつが戻ったら渡して頂戴」
「はい、わかりました!」
「それじゃ、私はもう一往復するから」
 大八車を片手に引っ提げ地面を蹴る。と、何を思ったのか「えーっ」と不満の声を上げ、燐は大八車にへばりついてきた。
「え、ちょっと」
「お姉さん、もう行っちゃうの? もうちょっとお話しましょうよ」
「しない」
「つれない!」
「つれなくて結構。もうひと往復するって言ってんでしょ。あなたの相手をしている暇はないの」
「そんなぁ」
 大八車に掴まったままぷらぷらと尾を揺らし、燐は不服を露わにする。「ていうかねぇ」パルスィはぴくぴくと動き回る少女をねめつけた。
「重い。降りなさい」
「嫌ですよ」
「飛べないの」
「まだ無理です。おくうとちがってあたい火車だもん」
 おくうというのは、燐と同じくさとりに拾われた地獄烏の幼子だ。まともな働き手にならないからと、地獄の移転の際に切り捨てられていった妖獣たちは、自力で飛ぶこともままならない。
 仕様がないと瞑目し、両腕に力をこめ、適当にぶら下げていた大八車を平行に抱える。わぁ、と歓声を上げた燐に「今日だけは特別よ」と苦笑した。
 空中からの光景が物珍しいのか、燐は心底楽しそうに周囲を見下ろしている。時たま、旧都の建物を指さして「あれなに?」、「これは?」と尋ねてくる。問われるままに「時の鐘」だの「湯屋」だの答えてやると、ただでさえ愛嬌のある顔に満面の笑みを浮かべ「お姉さん、物知りだねぇ」と尾を揺らす。
 少々面倒ではあったが、常は三日月のような瞳孔をまん丸にしてきゃいきゃいはしゃがれると無碍に扱うのは気が引けた。燐といい空といい、拾い主と違ってあまりにも素直で邪気がないものだから、いくら嫉妬狂いとてその矛を向けづらいのだ。もちろん、別れた後はその初々しい子どもらしさを存分に妬んでいるが。
 そういえば、と楽しげにしっぽの先をくねくねさせている燐を見る。
「さとりが留守なんて珍しいわね」
 旧都の住人はとにかくさとりを避ける。さとり本人も旧都にはあまり寄りつかない。旧都からさとりに用がある時はあいだに勇儀が入るので、彼女が掘っ立て小屋を留守にすることはあまりないと認識していた。
 素朴な問いかけに燐は「そうですか?」と小首を傾げる。
「ここんとこ、さとり様もこいし様も家にいないことが多いですよ」
「こいしはともかく、さとりも?」
「はい。なんだっけな、農場をもうすこし広げるとか、鶏の様子がおかしいから見てくるとか……そういえば、星熊のお姉さんにも呼ばれてたっけな」
「そうなの」
 初めて聞く話だった。燐はどこか困ったように眉を下げる。
「なんか、さいきんのさとり様、目が怖いなーってことが多くって。お姉さん、どう思います?」
「なんで私に聞くのよ。あなたのほうが近くにいるでしょうに」
 ため息交じりで言ったものの、うすらぼんやりとだがひとつの可能性が脳裏をよぎった。まさかあのふてぶてしい覚妖怪が、と思うものの、時折見せる妙な生真面目さが思いつきの予想を強化していく。
 縦穴が見えてきた。山盛りの書物の脇で疲れ果てた様子のヤマメとキスメが座りこんでいる。ひらひらと手をふって「燐」と火車の小娘を覗きこむ。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「なんです?」
「あの書物をこの大八車に積んでくれる? 火車ならこういうの、得意でしょう」
「お安いご用です! けど、お姉さんは?」
「さとりに渡すものがあったの忘れてた。取ってくるから」

 燐が手伝ったのもあって最終便はそれほど時間をかけずに運べたが、それでも時間はかかった。重々しい鐘の音が暮五ツ(午後八時)を告げている。途中休憩を挟んだとはいえ、ほぼ丸一日を書物の運搬に費やしたことになる。さんざんだ。
 さとりは掘っ立て小屋に戻っていた。大八車を引っ張るパルスィを見つけ、その後ろに燐を認めると「お燐!」と安堵の声を上げる。
「まったく、書き置きも残さずに出歩かないでと言っているでしょう。なにかあったのかと思ったのよ。……字はまだ難しい、ですか。わかったわ、こんど時間を作るから、いっしょに練習しましょう。ええ、お空も。でもね、字が書けなくとも、せめてお空に伝言……どこへ行くのか伝えておくとか、パルスィに代筆……代わりに書き置きを残してもらうとか、できるでしょう? え、そんな時間なかった? 大八車……これ! お燐! あなたまたそんな危ないことをして!」と、猫形態に戻った燐を抱き上げてお説教をするさとりを横目に見つつ、最後の書物を納屋にしまう。放任主義を気取っているわりに過保護な母親である。
 むにむにぐにぐにとこね回していた燐を解放して食事に向かわせる。やれやれと肩を叩いていたパルスィにさとりは申し訳なさそうな顔を見せた。
「すみません、お手間を。お燐の相手もしてくださったようで」
 言いながら懐に手を入れ、小粒銀をいくつか取り出した。嫌そうな顔になったであろうパルスィに「誠実な働きには正当な報酬を。私が有言実行しないわけには。受け取って頂けませんか。ヤマメたちにも渡しますので」と重ねる。思わず肩をすくめた。
「そんなふらふらで報酬って言われてもねぇ」
 燐の言から想像はしていたが、さとりはひどいありさまだった。もともと青白い頬は痩け目の下には隈が目立つ。大きめに作られた水干から覗く手首は病的なほどに細い。増え続ける幼い家族たちに持ちこまれる旧都からの意見書。いつ休んでいるのやら。あまり難しい謎かけではない。
 内心が伝わったらしい。さとりは「ご配慮痛み入ります」と微苦笑してパルスィを見る。
「糧は十分すぎるほどですから。倒れたりなんてしません。どうぞお納めください」
 パルスィに小粒銀を押しつけ、さとりは山盛りの書物を改めだした。積まれた書物に向かう背中は小さく、薄い。
 一緒に魂も漏れだしそうなため息をついて、パルスィはさとりの首根っこをひっつかんだ。
「な、んです?」
「ん」
 大八車にくくりつけてきた風呂敷包みを渡す。向けられている赤い眼のまぶたが持ち上がるや否や、慌てた様子で風呂敷包みを返そうとしてきた。その動きは予想していたので彼女がなにか言うより早く「ところで」と腕を組む。
「喉が渇いてるんだけど、お茶の一杯もないわけ?」
「し、失礼しましたっ」
 パタパタと納屋を出て行く背中を見送りつつ風呂敷を広げ、雑穀で嵩増しした握り飯と蕪の香々を並べる。「すみません茶葉がなくて」と椀に白湯を入れて戻ってきたさとりは、準備を済ませたパルスィを見ていっそう情けなさそうに眉を下げた。
「そんなに嫌がらなくても、毒をしこむ時間なんてなかったわよ」
「……そんなこと疑っていませんよ」
 力なく言ってさとりも風呂敷に腰を下ろす。懐に手を入れようとしたので睨んだらすごすごと肩を丸めた。「すみません」と言ったものの中々手を付けようとしない。
「なにをくよくようじうじ悩んでいるのか知らないけれど」フンと鼻を鳴らす。
「使えるものは、気まぐれでも憐れみでも使いなさいよ。お上品に手段を選んでいる余裕があるの?」
 ぴしゃりと叱りつけたらさとりは口を引き結んだ。それでも尚迷っているようだったが、観念したように「いただきます」と呻いて握り飯を手に取る。俵型のそれをじっと見つめ、一口かじって俯いた。
「…………。おいしいです」
「そ」
 おそらく数日か、下手をしたら数週間ぶりなのだろう。迷っていたのが嘘のように握り飯を一心に頬張る。あまり見ているのも気まずかろう。ほんのり甘い白湯を片手に積まれた書物に目を向ける。
 性質にもよるが、覚妖怪のように恐れを糧としたり、パルスィのように嫉妬心を糧とする妖怪にとって、存在の維持だけを考えるなら食事や睡眠は必須でない。しかし、嗜好の有無が心身に与える影響は馬鹿にならないものだ。食べなければどことなく充たされない感覚があるし、寝ないと思考が鈍くなる。それが何日も続くしんどさは知っていた。
 さとりが深く長い息をついた。握り飯も香々もきれいに無くなっている。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様。すこしは正気に戻ったかしら」
「はい。まったく、お恥ずかしいかぎりです。……やり方を考えなくてはなりませんね」
 苦笑する面差しにはわずかながらも余裕が戻っていた。心なし口元を緩ませたパルスィを見て、さとりはほろりと笑う。
「地底に降りてきたとき……あなたの家でごちそうになった、雑煮を思い出しました」
 思わず眉を顰める。さとりが言っているのは、古くなった雑穀と魚の燻製を砕いて煮こんだだけの侘しい雑煮のことだ。当時の自分にできる最大だったけれど、長い逃亡を経てボロボロになっていた姉妹に出してやるにはあまりに貧相でもあった。今回の握り飯と香々だって、地底の統率者相手に出すには倹しいものである。
「ろくでもないものばかりで悪かったわね」
「ちがいます。そんなことを言いたいわけではありません。どうしてあなたはそう、自分に対して全力で後ろ向きなのですか。あんなにも周囲を高く見ているくせに。その敬意や優しさを、十分の一、いえ、百分の一でも自分に向けたらどうなんですか」
 珍しくまなじりをつり上げまくし立ててくるさとりの怒気に呑まれ、思わず「ごめん」と謝罪してしまう。途端に「あ、その、謝らせたいわけではなくって。すみません、えらそうに」としどろもどろになる。忙しなく移り変わる感情について行きづらい。
 パルスィの困惑を読んだのだろう。さとりは額に手を当て瞑目した。「つまり、私が言いたいのは」存外澄んだ目がパルスィを見る。
「あなたの食事を頂くと、息を吹き返す心地がするんです。ありがとう、パルスィ」
 柔らかな頰笑みと共に意外なほど暖かな言葉を渡されて何故か息が詰まる。条件反射的に悪態をつこうとしたもののうまく口が回らない。動揺を見て取ったのだろう、さとりが「困らせるつもりは」と眉を下げた。こんなに無防備に混乱しているところなど知られたくないのに。まったく妬ましい妖怪だ。
 パルスィは「いいから」と立ち上がる。
「とにかきゅ、とに、かく! 自分の立場をちゃんと考えて動きなさいな。いいわね?」
「はい」
「じゃあ私は帰るから」
「あ、せめて旧都まで送りますよ」
「いらない!」
 怒鳴るように言い捨てて納屋を飛び出る。縦穴とは異なる暖かい空気がまとわりついてきて鬱陶しい。地面を蹴って空に浮かぶ。妖力を片っ端から浮力に回してぐんぐんと速度を増した。風が体を打つがあまり気にならない。それよりも、はやく、この変な具合に火照った頬を冷ましてほしかった。


 翌日のことである。勇儀が自宅の戸を叩いた。また宴の誘いかと玄関口に出たパルスィは、可笑しそうに口元を緩める勇儀の背後にある大八車を見て顔を覆う。
「"混乱させてしまったようですみませんでした。ありがとうございました"だとさ。珍しいねぇ、パルスィ。おまえさんがこんなポカをやらかすとは」
「後生だからなにも聞かないでくれないかしら」
 消え入るように言ったパルスィの背中を遠慮なくバシバシ叩き、勇儀は呵々大笑した。

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