Coolier - 新生・東方創想話

宴のあと

2018/11/25 21:05:25
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宴のあと


-1A-


 話を済ませた稗田阿求は茶を一口飲んでほっと息をついた。横から手を伸ばして女中頭が湯呑を受け取る。女中頭はさえない表情をしていた。
「では、そのように」
「手順書はありますか?」
「はい」
 女中頭の端的な返答に阿求は顔を覗き込んだ。彼女の表情は思いつめたようで、年下の阿求のほうが凛とした表情をしていた。
「どうかしました?」
「いえ……」彼女は一瞬だけ言葉を濁したがたどたどしく言葉を紡ぎだした。「正直、こういう日が来るとは思っていませんでした。知ってはいましたがどこか他人事、ないだろうって。あなたを小さいころから見てきたので、誰かと結婚して家族をもって、当主のさだめはあっても穏やかで満ち足りた生活を送れるだろうって。根拠はなかったですが、そう思ってました」
 阿求は背筋をまっすぐに伸ばし、まっすぐに見つめ、まっすぐな言葉で返事をした。
「ありがとうございます。けど、私が決めた私の生き方です」
「それは、わかっています。けど、日を伸ばすとかできませんか? もっと先でもいいじゃありませんか」
「いえ」
「恋の一つや二つ経験してからでもいいじゃありませんか」
 女中頭の言葉に阿求は微笑みで返答をした。
「あら、私だってそこまでうぶじゃありません」
 女中頭は目を丸くした。「あら、いつのまに」
「誰だって秘密があるものです」
 女中頭が下がった後、阿求は畳の上に横になった。先ほどの会話をきっかけに彼女の記憶の山から鮮明に昔のことが思い返された。記憶の中から聞こえてくる鈴の音が与える高揚感と胸をえぐられるような痛みを思い出していた。

-1B-


「ごめん。別れよう」
 無表情と呼べばいいのだろうか。なにか重いものを背負って歩いているようで明るい表情を作る余裕がないといった雰囲気だった。
 はてさて小鈴もこんな表情ができるんだなと意外に思ったりもした。正面にいるはずなのに全く目を合わしてくれない。
「そう」
 私も私でそっけない返答だったなと思う。こうなるだろうなと感づいていたけど、これが精一杯だった。もっと良い言い方がなかったかなとずっと思っている。
 しばらくは静かだった。真剣の試合のような張り詰めた空気でネズミの足音すら聞こえてきそうだった。
 先に口を開いたのは小鈴だった。
「何も言わないの?」
「言ったじゃない」
「そうじゃない」
 怒ったり、悲しんだり、はたまた驚いたり。伝える手段はいくらでもあったのに何一つ表に出すことができなかった。どちらかといえば全てを伝えたかったけど、伝える方法を見失っていた。
「だって酷いこと一杯しちゃったんだよ」
「私だってしてる」
「私のほうがひどい。あんたのことを考えていたつもりで、全然的外れだったんだもん」
 たぶん、それは正しい。けど、小鈴がいてくれたことでどれだけ励まされてきたか。私にはそちらのほうが重要だった。そしてすれ違いが起きていたとしても私の思いを受け止めようとしてくれたのがどれだけうれしかったか。
「私はあんたみたいにはなれない」
 吐き出した息や言葉は鉄の塊のような重さがあった。
「そういってくれるだけでも、うれしいの。全くの無駄じゃなかったんだって思える」
 小鈴は唇を噛みしめる。それが表しているのは悔しさだったのか怒りだったのか。
「偉そうにしないでよ。年も変わらないのに」
 今の言葉で心臓は跳ね上がったし、息は苦しくなったし、目は涙でにじんだ。小鈴に見えない位置でこぶしを握り締める。息を吐き出して何か言葉を発してしまえば何かが音を立てて崩れそうだった。
 小鈴は立ち上がって私の横を通り過ぎた。顔なんて見てられない。
「ごめん。もう帰る」
 襖を開ける音が聞こえた。
「明後日は本の期限日だから来なよ。いつも通り店番してるから」
 首だけ動かして頷いた。それがちゃんと見えていたのかどうかはわからない。
 襖が閉まった後、一人で大泣きした。

-2A-


 風呂から上がった阿求が自室に戻ると、藤原妹紅が庭先で立っていた。暗くなった庭で白く浮かび上がる姿は幽霊を思わせた。
「ごめん。お風呂上がりだったんだ」
「妹紅さん。どうかしましたか?」
「特に何もない。たまたま里に来てたから寄ってみた」
「寄ったって。塀を登ってきたんですか?」
「登ったっていうか飛んできた」
 縁側で片膝を立てて座りながら妹紅は月に視線を投げかけた。
 阿求は一歩下がった位置に腰を降ろす。
「今いくつだっけ?」
「この半年でその質問は五回目です」
「そうだっけ。長生きすると半年も十年もわからなくなっちゃう」
「その返事は三回目です」
 ばつの悪そうに妹紅が頭を掻いた。背後からこっそりと阿求が微笑みを投げる。
「そろそろだよね」
「ええ。そろそろ計画を立てようと思います」
「退屈になるなあ。話し相手が減っちゃう」
「一杯いるじゃないですか」
「昔の話ができる人は少ないのよ」
「竹林のお姫様がいるじゃないですか」
「やだよ」
 強い風が吹いて妹紅の長い髪が柳の枝のように揺れた。風呂上がりで寒さを感じながらも阿求は部屋の奥に入ろうとはしなかった。夜の静かな空間に一人でいるのは落ち着かなくなっていた。一度闇に沈んだらそのまま戻ってこれない気がするのだ。
「私のことは覚えてくれるんだっけ?」
「たぶん。縁起には載せましたし」
「次会うときはもうちょっとスムーズかな」
「そしたらそれまでのことを教えてください」
「いいよ。おもしろそう」
 後ろから見る妹紅の顔立ちは月明りを浴びてきれいに見えた。
「妹紅さんて誰かを好きになったことあります?」
「何よ、いきなり」
「最近、思い出すんです。振られた時のことを」
「あ、いたんだ」
「……振られたときに言われたんです。偉そうにしないでよって。言い返せなくって」
 阿求は相手が誰なのか言わないように慎重に言葉を選んだ。妹紅もそこは突っ込もうとはしなかった。
「あんたは仕方がないでしょう。家を引っ張らなきゃいけない立場だし」
「理屈はそうなんです。けど、相手は対等な関係でいてほしかったんだと思います」
 阿求は体を倒し、畳に身を投げた。目の前には真っ暗な屋根しか見えなかった。
 目元に手をやって視界のほとんどを遮る。
「逆に言えばわからないんです。子供らしい振る舞いが。生まれたときから数百年分の知識があって人生の道筋も決めてるんです。生まれた時から私は大人だったんです」
 阿求の声が揺れた。声帯の振動がそのまま声を揺さぶり、視界を覆う手が震えた。
 妹紅が部屋に上がり阿求の隣に座り込む。
「それってさ。ずっと良い子って言われた子供が自分らしさに悩んでるのに似てる。よくあることといえばよくあることだよ」
 今更思春期をやっているのかと阿求は心の中で自嘲した。
「私にもいたと思う。好きな人が。その時の緊張した気持ちはなんとなく思い出せるし幸せだった気がする。けど、相手のことなんて全然覚えてないし、どんな別れ方をしたのかも覚えてない。ずっとモヤモヤしていて、いっそのこと夢か妄想だったんじゃないかなって思うときもある」
「……昔の私は男性だった時もあって、結婚してたって記録も残ってます。けど、そのことは全然覚えてないし相手のことも全く知りません。私がその人のことをどのくらい好きだったかもわかりません。縁起に関係がないことは覚えていられないんです。今回だって忘れます。記録にも残さないつもりです」
 泣きじゃくりそうな阿求の頬を妹紅がそっとなでる。湯冷めした阿求の肌にひんやりとした手の冷たさが肌によくなじんだ。
「よくは知らないけどさ。あんた本気だったんだね」
 阿求は頷く。妹紅の顔が丹精整った人形のように綺麗にみえた。
 この人を好きになったほうがよかったかもしれない。もう一度会えるのだから。

-2B-


 やっていることはこれまでと同じだった。私が文章を書いて、小鈴がリラックスした姿勢で文章を読む。変なところがあったら茶々を入れる。小鈴が私の部屋に来るときはほとんどそうだ。変わったことといえば私と小鈴が付き合うようになってどことなく部屋の空気が空気が重たくなったような気がする。そう感じているのは私だけかもしれないけど。
「次の話さ。なんか違くない?」
「ちょっと変えた。そろそろ完結を考えてるから」
 ちょっと小鈴は黙った。表情も目線も変えず淡々としていた。
「終わらせちゃうの?」
「終わりは必ずくるものよ。寂しい?」
「お店の売り上げに関わるから終わってほしくない」
 冗談だと思って微笑んだ。けど、もっと別の意味を含んでいたかもしれないとずいぶん後になってから気が付いた。
「そろそろ帰ったら? 暗くなってきたわよ」
「えー 全然雨がやまないんだけど、ずぶぬれで帰すつもり?」
 外は嵐で風と雨が窓をびりびりと鳴らしていた。
「傘を貸すから」
「横風で濡れる。ねえ、泊まっちゃダメ?」
 ペンを動かす手が止まった時点で私の負けは決まっていた。いくつかの押し問答の末、泊まることになった。

 二人ともお風呂に入ったし後は寝るだけだ。布団はもう二つとも並んである。ここまではそしらぬ顔でいたが、さっきから小鈴の顔をまともに見れない。それなのに小鈴はこちらの顔を覗き込もうとしていて、間違いなく楽しんでいる。
「さっきから妙に静かだけど大丈夫?」
「これ以上ないほど落ち着いているわね」
「したいことをしていてもいいんだよ」
 チラリと横目で小鈴の顔を見る。暗めの部屋で影を帯びた小鈴の表情は子供っぽく綺麗だった。無防備といってもいいくらいで、緊張を通り越してなんだか怖いくらいだった。
「小鈴がしたいことは何なの?」
「たぶん同じ」
 そこまで言って小鈴は私の唇にキスをした。ゆっくりと頭を動かし私の肩に頭を載せてきた。
 そのあとうまく説明できない。小鈴の両肩を抑えて布団に倒れこんでもみくちゃにしていた。どこかに触れて、どこかに頬を押し当て、どこかにキスをしていたと思う。結果的に自分のしたいことしか考えていなくて、あらん限りの力で小鈴を押さえつけていた。
「ちょ、ちょっと待った。ストップ!!」
 小鈴の声でようやく冷静になる。気づくと私は小鈴の腰あたりで馬乗りになって両手首を押さえつけていた。息は二人そろって荒かったし、小鈴に至っては寝間着の着物が乱れていた。
 降りると、小鈴は慌てて体を起こし寝間着を整えた。口は半開きの状態で私から目をそらしていた。
「ごめんなさい。やりすぎた」
 やっとの思いで、か細い声で言うと、小鈴はうなづいた。表情は仮面のように全然変わらない。私のほうを見てくれなかった。
「普通に寝よっか」
 その言葉を待っていたように小鈴はあっという間に布団に潜り込んでしまった。何も言わず私に背中を向けて。
 私はもうその背中に何もできなかった。きっとあの背中は鉄の扉よりも重かったことだろう。
 あの時何がベストだったのかはよくわからないけど、間違いなく悪い選択肢を選んでしまった。
 はだけた着物の隙間から見えた小鈴の身体。お腹、おへそ、胸のふくらみ、肩、鎖骨、首筋、恐怖に張り付いた小鈴の顔。たった一瞬だけだったが、それらすべてが毎晩寝ようとするとき、まぶたの裏によみがえってくる。心地よい興奮を覚えると同時に己の醜さに絶望するのだ。忘れたいと思うけれど忘れられるはずもない。自分の能力を呪いたくなったのは後にも先にもこの時だけだった。

-3A-


 夜を迎えた博麗神社は盛況だった。今年に入って何回目かもわからない宴会は楽団でもいるのかと勘違いしそうなくらいに賑わっている。大小いくつかのグループの間を妖精が走り回っているのかと思えば、酔っぱらった人がふらつきながら弾幕を突然だして騒ぎになったりとした。
 阿求といえば比較的外れた場所に静かに飲んでいた。阿求にとってこの場は社交というより仕事の場でもあった。グループのつながりから交友関係の把握、知らない人物がいないかの観察。能力もあってそれらの把握はほぼ完ぺきなのだ。人の多いにぎやかな場所にいると自然とそうする癖がついている。
「いつもここにいるわね」と、博麗霊夢が横で腰を下ろす。大きな盃を阿求に渡して豪快に酒を注いだ。
「職業病です。見ていたいんで」
 一口酒を飲んでふっと視線を上にした。
「小鈴ちゃんは来てないんだっけ」
「今は来れないですよ」
 さらりと阿求は答える。特に表情も変えず淡々としていた。
「そっか。あんたは大丈夫?」
「大丈夫ってどういうことですか?」
「一時期さあ。小鈴ちゃんを見る目がすごい熱っぽい時期があったじゃない。付き合ってたでしょ」
 盃を持つ手が揺れて、水面に波紋が広がった。
 どこまで話すべきか。そもそも彼女が既に霊夢に何か伝えているかもしれない。それが恐れとなって喉に蓋をしようとしていた。
 ためらいは水面を映る阿求の顔にも表れていた。
「別に隠さなくていいわよ。私だって魔理沙と付き合ってたことあるし」
 驚いた阿求は霊夢の顔を見つめた。霊夢は落ち着いていて、特に表情を変えていなかった。
「そんな……気づかなかったです」
「そりゃそうよ。すぐに別れたもん」
 ためらいもなく返事をする。
「付き合ってみたらさ。あいつ、すごいベトベト引っ付いてくるようになったの。嫌になりそうなくらい。あいつにとってはそれが夢だったのかもしれないけど、このままだと嫌いになりそうだったから。別れることにしたの」
「魔理沙さん、怒りませんでした?」
「別れを切り出したら大泣きされたわ。嫌いになったのかって言ってきたから、好きだけど好きであり続けるために別れるって言ったの。子供みたいに泣いちゃって。最後にはわかったって言ってくれたけど、ホントに納得してるのかは今でも分からない」
 霊夢は阿求に目配せをした。ここまで話したのだから阿求もそれなりに喋ってほしいという合図のように感じた。
「私も……あっという間に別れました」
「喧嘩、じゃないわよね。表面的には変わってないように見えたし」
「はい。私も小鈴も好きって言ってましたけど、たぶん好きの強さが違ったんです。それがうまく噛み合わなくて別れました」阿求らしくない勢いで盃に残っていた酒を一気に飲み干した。飲み終えた直後軽くむせてしまった。「けど、別れの時に言ってくれたんです。もうすぐ本の期限だから返しに来なよ。店で待ってるからって。あれで前の関係は保てるようになったんです。あれがなかったら、二度と会わなかったかもしれません」
 空になった盃を霊夢が受け取り、阿求が酒を注ぐ。霊夢が一気に飲み干して、再び阿求も飲んだ。二人とも酒を言い訳にするために飲んでいるかのようだった。
「けど、霊夢さんの見方はなかったです」
「なんのこと?」
「好きでいるために別れるって、その発想はなかったです」
「それか。別れの時、思わなかったんだ」
「私は振られたほうなので」
 霊夢は目をぱちくりと大きく瞬きをした。
「じゃあ小鈴ちゃんが振ったのか。てっきりあんたからだと思ってた」
「そう見えます?」
「というより、小鈴ちゃんは振るタイプに見えなかったのよ。あの子は欲しがってばかりだから自分から捨てるなんてそうそうないと思ってた」
 納得とともにひとつの可能性に阿求は落ち込んだ。
「じゃあ、私はよっぽど嫌われてたのかもしれません」
「多分逆よ。小鈴ちゃんが神社に来た時落ち込んでいた事があったの。聞いてみたら阿求にひどいことしちゃったって呟いてた。今思えばあれ、別れのことだったね。あの子なりに後悔はしてると思う」
 特に定まっていない表情で阿求はぼんやりと霊夢を見つめる。阿求の知らない小鈴を知っている霊夢に嫉妬を覚えながら、表情に出さないよう堪えていた。
 霊夢はその視線に気づいたのか意味深な微笑を浮かべる。
「とにかく、また会ってみなさいよ。私と魔理沙だって今も仲良くやれてるんだから。たまには歯に衣着せぬ言い方でもいいんじゃないかしら」
 霊夢は勢いよく酒を飲み干す。
「そういえば、どちらから告白したんですか。霊夢さんから?」
 霊夢の顔から微笑が消え、泳いだ視線は遠くの席に座っている霧雨魔理沙に向けられた。
「それは内緒。まだ秘密にしておきたい」
 その言葉に含まれた熱量は自分と同じだと阿求は思った。

-3B-


 宴会の中にいるとわからないけど、いったん離れてみると会場のうるささがよく分かった。神社の中を歩く小鈴と私はふらつきながらトイレを目指していた。小鈴はしょっちゅうふらついて何度も私にぶつかってきた。
「ちゃんとしなさい」
「してるけど、できないね~」
 小鈴はかなりの上機嫌でふらついているというよりダンスをしているのかと思わせるぐらいだった。表情は笑顔がこぼれてるし、まるで夢の国をさまよっているかのようだった。
「やっぱり楽しいもん。ここの飲み会」
「まあ、そうね。普通の人はいないからね」
「うん。夢の中に飛び込んだ感じ」
 実際彼女にとっては夢の世界だった。普通でないものへのあこがれは人一倍だったし、ずっと前から関わろうとしていたのだ。そして首を突っ込み周りの人に迷惑をかけることで仲間に加えてもらえた。けど、その当事者は周りに迷惑をかけたなんて思ってもいないだろう。
「お酒に慣れてないでしょうから、ゆっくり飲みなさいよ」
「気を付けるよー」
 小さくため息をつく。きっと何も気にせず飲み続けるだろう。
 遠くで宴会の音がすごく賑やかに聞こえる。けど観察することが癖になっている私はどうしても宴会の中心に入るのを躊躇してしまう。そういう意味では輪の中に押し入ることができる小鈴がうらやましくも感じる。そういうところは私はまねできない。
「ほんと来れてよかった。頑張ったおかげだね」
「ここまで来るのにどれだけ周りが心配しているかわかってるの?」
「わかってるし感謝してるよ。けど、やりたいことをやるだけだよ」
 この子はこういう子だ。そしてその時の笑顔はとてつもなくまぶしい。
 トイレを済ませて戻ろうと思ったとき、小鈴がいきなり私の手をつかんで引っ張り出した。
「ちょっと、そっちは逆」
「いいから、いいから」
 神社からも、宴会場からも離れて近くの雑木林に入り込んだ。ここまで来たら宴会の賑わいは影も形もない。真っ暗な場所で小鈴と二人きりだ。
 足元が枯れ葉でおぼつかない中、小鈴は思いっきり抱き着いてきた。
「こら」
「いいじゃん。宴会の前だとやりづらいし、しばらくこうしてたい」
 思い付きで動いてばっかりで振り回されてばかりだけど、それがいいなと思っていた自分がいる。わかっていても思い出すたび幸せな気持ちが湧き出てくる。
「大好き」
 そういって小鈴は私とキスをした。お酒に酔って、熱くて柔らかい唇だった。

-4B-


 返却の本をもって鈴奈庵ののれんをくぐる。入ると古い本独特のかび臭いにおいが鼻をくすぐる。その奥には小鈴が椅子に座って本を読んでいる。数えきれないくらいに見た光景だった。
「いらっしゃい」
「おはよ。今日は返却だから」
 机に置いた本を一冊ずつ、タイトルを確認しながら眺めていた。
「恋愛ものなんて借りてたんだ」
「話の参考になるかなと思って」
「なりそうだった?」
「考えているキャラとは性格が違ったから、あんまり」
 小鈴は奥から帳簿を取り出して、返却の記録をつける。私は本棚をみて次に借りる本を考える。
「そういえばさ、阿求は結婚とか考えてる?」
「するつもりはないわね。やりたいことが一杯あるし」
「真面目ねえ」
「好きなことをやってるだけよ」
「それはそれだし。欲張っていいと思うけどなあ」
 特に返答をすることはなく、本を物色する。ゆっくりと小鈴から離れようとした。
「じゃあ、好きな人とかはいないの?」
 本を探す手を止めて、そのまま固まる。彫刻の像みたいだった。
「いるわよ」
「へー 誰?」
「目の前」
 小鈴もちょっと固まって、表情を変えて、そしたらいきなり周囲を見渡した。
 自分しかいない事を納得するのに少し時間がかかっていた。けど納得した後は不思議なくらい落ち着いているように見えた。
「私?」
「うん」
 どうして言ったのかはよくわからない。たぶん影響されて冒険したくなったのかなと根拠もなく推測している。
 小鈴は立ち上がってこっちに近寄ってくる。きれいな子供のような眼差しだった。
「私が好きなの?」
「……好きだよ」
 声を合図に小鈴はうなづいた。
「よし、付き合おっか」
「……いいの?」
「いいに決まってるじゃん。私だって阿求が好きだよ」
 そう言って小鈴は私を抱きしめた。
 ここまで思い出していつも思う。この時、彼女が言っていた好きはどれだけの好きだったのだろう。もちろん彼女は相手を傷つけるための嘘なんて言う子じゃないし、嫌なことは嫌とはっきり言う子だ。だから、この時の好きは彼女の考えていた最大限の好きだったはずだ。そして勘違いをして甘えてしまった。
 苦い思い出になってしまったけど、思い出すたびに彼女が抱きしめてくれたあの瞬間の幸せな気持ちがよみがえる、あの時の幸せな気持ちが今の私を支えているといっても言い過ぎではない。
 いつか、私はこの思い出を、彼女を忘れてしまう。嫌だなと思うと同時にこれが一種の救済だと考えてしまう自分がいる。次の私が前の私の失恋を覚えていたって理不尽でしかないだろうし、できることといったら墓参りぐらいだ。忘れてしまったほうがずっといい。けど、忘れてしまうことに張り裂けそうな痛みと恐怖を感じてしまう。
 きっと私は忘れる最後の瞬間までこの堂々巡りをずっと繰り返すのだろう。

-4A-


 
 日はまだ高いところにあり、人がひっきりなしに通りを歩いている。阿求が目指すのは里の中心部にある大きな広場だった。一歩進むごとに足が重くなるし、心臓は嫌なほど大きく動いている感触があった。
 目的の広場は人が多かったが、阿求はすぐに本居小鈴を見つけた。隅のほうで腰掛けて、胸元に大きな包みを抱えている。
 阿求は一歩ずつ歩く感触を意識しながら足を動かす。途中で小鈴が気づいて小さく手を振った。
「久しぶり」
「そうね」
 阿求が小鈴の抱えている包みを覗き込んだ。中には赤ん坊がいて阿求はその子の目をじっと覗き込んだ。
「初めまして」
 赤ん坊の頬に指をあてると頬が柔らかく沈み込んだ。指を話すとそのまま沈んだ跡が残りそうだった。
「抱っこしてもいい?」
「いいよ。けど座ったほうがいいわよ」
 小鈴から赤ん坊を受け取って抱きかかえる。確かな大きさと重さは阿求にとって少し大きすぎると感じていた。
「ねえ、子供の名前旦那さんにはなんていったの?」
「そのままよ。親友が名付け親になってくれるって」
 小鈴の言葉にチクリとした痛みを感じた。表情にはださなかったが。
「小鈴も赤ちゃんも元気そうでよかったわ」
「阿求は……やせた?」
 子供を抱える阿求の手は骨の形がわかるくらいに薄かった。きっと服の下はさらにはっきりとやせている姿がわかるだろう。
「そうね」
 微笑みながら小さく体を揺らす。子供の顔を見ていれば小鈴の顔を見なくて済むことに阿求は少し救われた気分になった。
「たぶん、会えるのは今日が最後」
 小鈴は一瞬を表情をなくし唇を真一文字に結んだ。口の中で言葉をかみしめていた。
「そっか」一度だけうなずく。「決めたんだ」
「ええ。もう今の私ができることはなくなった」
 阿求は微笑みを投げかけようとした。せめてもの手向けになるように。
「あるよ」
「え?」
「あるよ。残る理由は。勝手に決めないでよ」
 小鈴は静かに重い声で阿求に訴えた。
 阿求にとっては予想外の返事で固まってしまった。
 いつもそうだ。いつも。小鈴が思うことに気を取られてきた。彼女は思ったことを口にしないと気が済まない。振り回される人間の気持ちなんて考えもせず。怒っても、笑っても、泣いても、きっと彼女は納得してくれないだろう。
 なぜなら彼女は素直だから。
 説得なんてできないと阿求は思った。そして、もう限界だと阿求は悟った。
 長い沈黙から阿求は口を開き声にならない息を吐き出してから返事をした。
「ありがとう。けど、私の人生なの。あなたの意見は聞くつもりがないの」
 阿求の中で何かが音を立てて崩れた。泣かないようにするのが精いっぱいだった。
「……わかった。もう何も言わない」
 小鈴もそっけない返事になってしまった。どんな表情をしているのか阿求はまともに見れなかった。
 二人の沈黙を察したかのように赤ん坊が大声をあげて泣き出す。
 慌てて小鈴が赤ん坊を抱えてあやし始めた。
 まるで重さを感じさせない小鈴の動きに阿求は軽い驚きを感じた。きっと彼女は自分よりもはるかに力をつけた。いろんな意味で彼女は阿求を置いていこうとしている。
「……夢に閻魔様が出てきたの。これからのことで挨拶をしたんだけど怒られちゃった」
「怒られる?」
 阿求は背筋を伸ばし凛とすまして、夢に出た閻魔のまねをした。
「一つ、何か一つでも我慢をすれば。こんな苦い終わり方を迎えなかったはずです。歴代の子の中でも悪いほうですよ。あなたは少しわがままがすぎた」
 夢の中で阿求は何か言い返そうとしたが、言えず立ちすくんでいた。思い出すのは閻魔の言う通り苦いことだけだったのだ。
「馬鹿ねえ。気にしなくていいでしょ」
 小鈴の言葉に阿求は顔を上げる。赤ん坊を抱くその表情は多くのやさしさと少しの力強さを表していた。
「私たちは長生きできないのよ。何がベストなのか考えてたらあっという間におばあちゃんになっちゃう。だから行動しなきゃだめなのよ。行動して失敗して、何回もやってほしいものを手に入れる。人ってそうやって大きくなるものでしょ。特にあんたは長生きできないんだから失敗は多くていいのよ」
 子供を抱えながら語りだす小鈴の姿が阿求には大きく見えた。
「その人に言ってやりなさい。あなたは道端の花を見ることもないのですか。ちょっとしたわき道を歩こうと思わないんですか。あなたみたいな人は馬に蹴られて死んじゃえって」
「……やめなさいよ。舌を抜かれるわよ」
「おかしいわね。私は正直者よ。この上ないほどに」
 彼女の表情は穏やかで、力強くて、自信に満ち溢れていた。抱え込んだ子供をトロフィーのように阿求に見せつける。
「ま、私はすぐには死ねなくなったから。悪いけど、あんたのサポートはできそうにないわ」
「いいわよ。私がやりたくてやってることなんだから」
「ほんと、私にはそこがわからない。人生を満喫できてないように見えるのよ。あんたは頭がいいんだから大抵のことならできるでしょ。もっと楽しみなさいよ」
「あんたは楽しみすぎよ。フラフラと落ち着きなく渡り歩いてさ。せっかくあれだけのものを手に入れたのにあっさりと捨てて。しかも、その理由が惚れた弱み?」
「そうとしか言えないのよ。今は二人三脚で生きていくのが楽しいの」
 小鈴はまっすぐ阿求の顔を見る。その表情は阿求がずっと見つめ、ずっとあこがれ続けた表情だった。
「あんただって、精一杯生きたんでしょ? それでいいじゃない。胸を張って閻魔のところに行きなさいよ」
「……あんた、かっこよくなったわね」
「惚れなおした?」
 阿求は頷く。
 上手くいかない恋だった。それでも彼女は阿求にとって希望の光で、阿求を受け止めてくれた。彼女に恋したことに後悔は少しもなかった。

 その後、二人は語り続けた。これまでのこと、これからのこと、つまらないこと、楽しかったこと、すべてを喋ったつもりになってもまた言葉が湧き出てきた。
 日が沈み始めて、あたりが暗くなって、二人が子どもを心配するようになって、ようやくそれぞれの家に帰った。後ろ髪をひかれる思いを何度も断ち切りながら一歩一歩足を進めた。
 自室に戻った阿求はちり紙を取り出し一度だけ鼻をかんだ。
 阿求は最後まで泣かなかった。そこについては褒められても良いと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回は構成が特殊なため解説をします。Aパートが現在、Bパートが回想です。
時系列順にしますと、4B→3B→2B→1B→1A→2A→3A→4Aとなります。 

(11/27追記)
誤字を修正しました。「ごめんけど」を「悪いけど」に変更しました。
ご指摘ありがとうございます、
カワセミ
http://twitter.com/0kawasemi0
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コメント



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2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100サク_ウマ削除
とても悲しくて綺麗でした。お見事でした
6.90名前が無い程度の能力削除
切なくて悲しいのに綺麗なお話でした

以下、誤字・脱字?と思ったものです。意図してだったらすみません
うなづく→頷く?
後が残りそう→跡、もしくは痕?
ごめんけど→ごめんだけど?
7.100南条削除
面白かったです
失恋、そして仲直りの切ない話でした
なんだかんだでブレない阿求がよかったです
8.80名前が無い程度の能力削除
素晴らしい作品です
9.90名前が無い程度の能力削除
読みにくさを感じなくはないけど物語としては良かった
11.100名前が無い程度の能力削除
時間をさかのぼるように無邪気に幸せだった頃のことを思い出す阿求と、阿求よりも大人になった小鈴が交わす会話が切なくも美しかったです