Coolier - 新生・東方創想話

リマインド・フィースト

2018/10/31 23:07:56
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 虫の知らせが届いたように、暗い部屋で身を起こした。
 鳥のさえずりも朝日もない。頬に張り付いた髪の毛を払い、そのまま髪に手櫛を通す。静電気を帯びた髪が指先にへばりつく。
 睡眠を終えたのではなく、中断したという感覚。
 気分も頭の回転も、優れない。
 何やら外が騒がしいのは分かる。当然視界は効かず、聴覚はまだぼんやりとしている。暗闇の一点に顔を向けて、掛け時計の輪郭に目を慣らす。
 外では数人の声が続いている。
 騒がしいという苛立ちと、何かあったのだろうかという不安感。微睡む頭でそれらをかき混ぜていると、耳がある単語を拾い上げた。
 火事だ。
 喧騒の中から聞こえた言葉に、頭の中でかちりと音が鳴った。
 布団を跳ね上げ、片手を着いて身を起こす。手についた羽織を肩にかけて戸口へ急ぐ。視界は広い。足はもつれない。
 履き物を突っ掛け、玄関に備えてあった桶を持って戸に手をかける。中に張っていた水が揺れるように、焦燥感が溢れ出す。
 また放火か。

   ○  ○  ○

 今日から途端に冷え込むならば、上着を一枚羽織ってくるべきだった。
 目の前で交わされる会話をうわの空で聞きながら、目線を上に向けてみる。神無月下旬の秋の空。雲一つ無い水色を背景に、しなだれる枝木が揺れている。
 込み上げて来た欠伸を上書きするように、ほうと息を吐いてみる。白くはならない。どうやらまだ、冬の便りは来ないようだ。
「そう、とりあえず、身の周りでは何もないみたいね」
 腕を袖の中にしまう動作のついでに、話を中断させる。目の前の主婦たちの会話は聞き込みの回答からすっかり脱線して、今や夕食の献立と付け合わせの話になっていた。
「そうなの。娘も私も黒い痣なんてできてないわ。旦那は、いつも土汚れだからよく分からないけど」
「霊夢ちゃんも気を付けてね。まだ若いし肌だってきれいなんだから」
「ははあ、覚えておきます」
 自分でも分かるくらい、その場しのぎの言葉だった。適当に相槌を打って、居酒屋の女将と製薬屋から離れる。
 私の予想は、良い方に裏切られた。どうやら奇病の影は、そこまで本格的に人里を狙っているわけではないようだ。
 商業区民に異常が無いのは、嬉しい誤算といったところ。理由というのも人里で最も被害が広がりやすく、尚且つ陥落してはいけないのが商業地区だからに他ならない。
 大事にならなさそうな状況に胸を撫で下ろしつつ、ぽつぽつと一人で人里の外れを歩く。
 足を伸ばしたついでに、聞き込みをしたい先が一つある。
 体力的な問題はない。だが、今朝から冷たい風が肌をくすぐる。少し堪えてから、たまらずくしゃみが出た。
 それからひとつ、ふたつ。
 口元を押さえた袖の中で、寒さに対して毒づく。本来であれば神社の母屋で暖房具に囲まれて体を温めていたものを、どうして屋外で寒い思いをしなくてはならないのか。
 頭に思い浮かぶは人里の賢将。
 幸い、一先ずの目的地の命蓮寺はすぐそこに見えている。上がり込んだついでに温かいお茶と、美味い羊羹でも出してもらおう。
 休息の算段と共に門に近づくと、門前に一人、あるいは一体の白い人影が見えた。
 短い黒髪に、白い水兵服。門前に寄りかかり紫煙を吹くように長く息を吐く彼女は、確かに命蓮寺の水霊だ。
 私の来訪に気がついた彼女は、開口一番、月末に控えた祭りの名を口にした。
「ハッピーハロウィン、霊夢」
 挨拶にしては元気がなく、奇をてらいすぎている。しかし無下にするのも悪いだろうか。そんな程度の気持ちで、同じ言葉を口にする。
「ハッピーハロウィン。村紗」
「ああ、うん」
 すると不審な水霊、村紗水蜜は、予想より遥かにトーンの低い相槌を打った。
 せっかく気を利かせて言葉を返したのに、という気分にはならない。私も心は込めていなかったからだろうか。
 彼女は片手を軽く上げ、同様の反応をしたことに一応の感謝の意を示してから、先ほどと同じ声色で私に向き直った。
「さて霊夢。命蓮寺に何かご用かしら」
 本来、彼女の職務は門番の類ではない。それが何故ここに居るのか、考えながら適当に要件を伝える。
「羊羹と茶を頂きに。ついでに、二、三聞き込みができればいいかなと」
「残念ながら、今うちは南瓜の菓子しか出ないわよ」
「南瓜でも飴でも構わないわ」
 私の冗談は、呆気無く黙殺された。
 黙って横を通り過ぎることもできたが、寒空の下、膝丈スカートで惚ける彼女が気に止まる。
 仕方がないので、棒立ちと不機嫌の理由を探ることにする。
「あんたはあんたで、何してるのよ」
「良い青さの空だから、聖輦船を飛ばしたら気持ちいいだろうなあって」
 村紗の首がこちらに向いた。さほど重要な考え事をしているわけではないらしい。
「中には、入れてくれないの?」
「いやほら、今行くといろいろ手伝いさせられるからさ。霊夢一人で行ってよ」
 成程、さぼっていたのか。
 意識を向ければ、確かに母屋の方に妖怪の気配が集まっている。催しに向けた準備に追われているのだろうか。
 取りまとめ役の聖白蓮は、そこらを歩いていない。村紗を探す声も、怒号の類いも聞こえない。
「確かに今行くと長くなりそうね」
 微かに聞こえる盛り上がりの声。祭りの準備においては、意見調査や体験制作など、理由は異なるが人を引き止めてなかなか解放しない傾向がある。
 菓子も聞き込みも諦めるべきだろうか。
「霊夢は何を聞きに来たの」
 村紗の顔がこちらを向いている。その目線は明らかに暇だと訴えており、私に用事を作れと言いかねない表情だった。
 どこから説明するべきかを考えて、問題の取っ掛かりのみを提示した。
「人里で、原因不明の病が発生してるのよ。その調査の一環でここにも聞き込みに来たの」
 手短に切り上げてみたところ、彼女は予想外の食いつきみせ、待っていたとばかりに詰め寄ってくる。
「何それ何それ、異変じゃない」
 村紗は目を輝かせ、手を取らんばかりに歩み寄る。
「早く終わらせるなら人手は必要だよね。外部調査なら同行するよ」
「確かに人手が増えれば幸運とは思っていたけど、あなたね」
「ちょっと待ってて、上着取ってくる」
 ぱたぱたと駆け出した村紗に、困惑から冷たい目線を送るしかない。さぼるどころか、抜け出して良いものか。
 私の目線に気が付いたのか、村紗は「霊でも寒いものは寒いのさ」とずれた回答をした。

   ●  ●  ●

 コートのポケットに突っ込んだ両手を遊ばせながら、霊夢と共に参拝道を歩く。
 前を歩く霊夢は下り坂を進んでいるため、彼女の背を見ながら進むと、時たま私の膝小僧が視界に入る。蹴らないように気をつけて足を伸ばすと、密かに自信のある脚が、視界に入っては引っ込んで、その分寒気に晒される。お気に入りのコートは、上半身からももまでしか保護してくれない。
 道すがら、彼女の来訪理由となった聞き込みについて、訊ねてみた。
 共有された話として分かったのは、霊夢が使われたのは感染源不明の奇病の調査。
 感染者は人里の子供数名、主な症状が高熱と、肌に生じる黒い発疹。
 そしてどうやら、爆発的感染は見せずに子供のみで止まっているという点が気がかりらしい。ということ。
「発症の人数からして、普通の感染症じゃないわ。黒い痣がでる風邪なんて聞いたことない」
「妖怪の仕業だと思ってる、ってこと?」
「容疑者という意味ではとっくに一匹頭をよぎってるんだけどね」
 私としても、記憶を辿ると該当する者が居る。
 そういえば、霊夢は自発的ではなく、白羽の矢が立っての行動だと言っていた。果たして彼女は病人訪問に適した人選だったのだろうか。
「霊夢って、病人と接触しても平気なの?」
 私がふとした疑問を訊ねると、霊夢は歩く片手間に一枚の札を取り出し、慣れた手つきでもう片手の甲に押し付けた。続けてそこを一撫ですると、札が僅かに光を放つ。手の甲をはじめ、霊夢の肌全体から退厄の気が感じられる。
「凄いよ霊夢、まるで巫女みたい」
「はいどうも。やってみるかしら」
 使い回せるのか冗談かは知らないが、霊夢は札を剥がした指先を、そのままこちらに向ける。
 想像して、本能的に鳥肌が立った。改心してから年数が経つとはいえ水霊の身。物理的な痛みは無いだろうが、そんなことをすれば不快感から発狂もしかねないだろう。
 やめとく。の一言も言えずに、冷えた首筋を横に細かく振る。
 気配は伝わったのか、霊夢は引っ張って剥がした札を指で弾くと懐に仕舞い込んだ。
「まあ、前線に出されるのはしょうがないとしても。こういった調べ事は文献漁りが得意な連中の仕事でしょう」
「異変解決で呼ばれたんじゃないの?」
「これはまだ異変じゃなくて事件よ」
 霊夢は自分からそう苦言を呈したが、現に行動を開始している。善意か責任感が。理由を問えば、霊夢は淡々とした仕事の顔を私に向けた。
「人間の証言しか信じない人も、里には一定数居るのよ」
 そのままさくさくと、僅かな下り坂を足元の不安も感じさせずに進んでいく。
 道中の話題が途絶えた頃、人里と呼べる地域まで到着した。
 原因不明の痣の病が発生していた人里。
 私の予想に反して、日が昇りきった人里はいつもの人間たちで盛況していた。
 仕事着で行き交う人々、世間話に興じる人、青果店の呼びかけの声。祭りを月末に控き、活気づく普段の人里の様子だ。
 被害が警戒される子供ですら、既に集団で辺りを走り回っていた。どうやら、寺子屋は休みの日らしい。
 人里に着いてから霊夢はふらふらと歩き出し、少し考えてから、居住区の方へ歩を進めた。計画があるのかと聞けば、全く無いと帰ってくる。聞き込みなんて、そんなものだろうか。
「朝は開いてなかった茶菓子店にでも顔を出してみようかしら。接触すべき人が増えてるかもしれないし」
 反対する理由もないので、黙って同行する。
 その片手間に、里の様子に目を配らせてみる。暇潰しが最優先とはいえ、一応調査に参加する身である。
 行き違う人は大概が健康そうだ。病の存在に不安で怯える者も、マスクを着用し厳重警戒する者も見当たらなく、人里は普段通り活気づいていた。住民たちの間で騒動が沈静したという話は、本当らしい。
 不審にならない程度に周辺に目を向けながら、時折急いで霊夢の背を追う。
 そんな事を繰り返して里を進んでいると、霊夢は何かを見つけたようだ。「ほらね」と私へ振り返ってから、行き先を定め、真っ直ぐ歩みを進めていった。
 左を行く大柄の男性をすり抜けて霊夢を追うと、視界に入ったのは大きめの茶屋。
 居住区の端に位置しているが、質と雰囲気から人気の茶屋だ。外観は伝統的な二階建てだが、西洋風にも対応を進めているのか、屋外にも二人席のテーブルと椅子が並んでいる。霊夢が店の入口に向かわない様子からして、その屋外席に用があるようだった。
 一組の男女が席にかけ、手元のメモについて何かを話し合っている。女性の方は傍らにひと巻きの用紙を持っており、その長い髪と几帳面そうな横顔には見覚えがあった。
「状況報告に伺ったわ、慧音先生」
 霊夢がそう呼びかけると、テラス席の二人がこちらへ顔を上げた。

   ●  ●  ●

 あなたに話があるようですよ。とでも言いたげに、男性の方の目線が動いた。
 二人の表情は真面目なもので、先程までの話がただの世間話でなかったことが伺える。
 男性は一言二言打ち合わせを続けると、その場を去っていった。別段彼を退かすつもりはなかったのだが、博麗の巫女はそれだけ人間の間で存在感があるようだ。
 霊夢は気に留めず、彼女へ話を続ける。
「どうしたの、またトラブル?」
 霊夢に応える慧音の声は、あまり明るくなかった。霊夢へ相談するべきか、逡巡しているようだ。
 判断を下すまでの対応としてか、慧音の目線が私に向いた。
「こちらは?」
「調査の助っ人よ。一人で聞き込みなんてやる気なくなるもの」
 期待の助手です。とふざけようかとしたが、あまりアテにされすぎても困る。私は適度に外出できればそれで十分なのだ。
「どうも。命蓮寺の村紗水蜜です」
「上白澤慧音だ。協力感謝する」
 軽く手を合わせると、自然と二人して、霊夢へ向き直る。話題は先程の、トラブルの内容についてだろう。
「実を言うと、また問題だ。ここ最近、放火と思われる火事が頻発している」
「かああ、お忙しい事」
「時期も重なって、本当に、人手が足りないんだ」
 慧音は左手を僅かに広げて、すぐに引っ込めた。
 トラブルを列挙しようとしたが、取り止めたのだろう。不要な情報を破棄したのか、同情を誘えないと判断したのかは、私には分からない。
「火事の件についても妖怪と決まったわけではないし、あまり無闇に博麗の巫女の力を借りるのも忍びないのだが、協力してくれないだろうか」
「こちとら医者紛いの真似もさせられてて、これ以上仕事を増やしたくないの」
「その件についても分かっている」
 慧音の返答は早かった。
 人間のために動いてくれている事案は把握しているつもりだ。と、半ば霊夢を持ち上げるような発言をする。
「なら話は早いんだけど、成果の方は芳しくないのよね。病人は増えてこそないけれど、感染源、収束理由、共に不明。竹林の医者曰く皮膚感染。命に別状はないってとこまで」
 貴方の知っている情報と変わりないわよね。と霊夢が投げ掛ける。
 慧音の表情が変わらないことから、情報が増えていないことは本当なのだろう。
「感染拡大の気配がないだけでも十分な収穫だ」
 慧音はそう纏めるだけに留めた。
「その点から、黒い痣の病については優先度を下げてもいいと考えている」
「一先ずは目先の有害事項についてというわけね。次から次へと、話題に困らない里ね」
「幻想郷で、最も人間が栄えている里だからな」
 冗談にしては、表情が硬かった。此度の件に関して真剣なのか、あるいはそういう性格なのだろうか。
 霊夢は霊夢で、硬い表情のまま検討している。
 程なくして、ため息のような鼻息が漏れた。
「分かったわ、並行してみる。けど考慮事項が多くなってきたり、どっちか緊急事態が起きたら、片方は切り捨てるからね」
 きっぱりと、両方完遂は不可能だろうと先に断わる。その割り切りと宣言は非常に彼女らしい。
「構わない。感謝する」
「ただ現場が遠いの、なんて話は嫌よ」
「その心配はない。出ようか」
 ちょうど良くやってきた店員にカップを下げてもらい、慧音が席を立つ。
 すれ違いざま、カップから漂う紅茶の香りが鼻をくすぐった。一瞬だけ経費で美味しいお茶が出来るのではないかと期待してしまっていただけに、名残惜しい。少し出遅れて、霊夢の後ろに続く。
「さっきの人は、火消し隊の人?」
 私の質問に、慧音は首だけ振り返って答える。
「ああ、火事の調査を頼んでいた者だ。協力者が増えたことを彼にも伝えなくてはな」
 それは良いんですけど、よそ見歩きして危なくないのですか。私が指摘しようとしたところで、彼女は歩を止めた。
 通りを渡った、茶屋の真向かいだ。
「先ほど報告を挙げてもらったのが、この地図だ」
 そう言って慧音が広げたのは、大工が持つような大きさをした一枚紙。細かく描かれた四角の中に×印が点在しており、中央の四角群には“居住区”、紙面の端には“商業区”と書かれている。
「見取り図?」
 私の声に、慧音は首をこちらに向ける。
「ああ、人里の居住区格を記したものだ。この印が火事の起きた家」
「結構あちこちで起きてるのね。どれも小火なら、愉快犯かしら」
 慧音が指さした×印は地図上に点在しており、特定の家や区画を狙った犯行ではないように見えた。
 目算で勘定すると、×印は五つ。規則性はなさそうだが、強いて言うなら人里の外周側が多いように見える。
 霊夢は足を踏み鳴らすように旋回して東と北を確認し、地図から自分たちの居る位置を探り出した。
「今私たちが居るのがここだから。あれ、なんだ、すぐ後ろじゃない」
 覗き込んだ地図から目線を上げると、霊夢の振り返った先に一軒の民家があった。火事があった家としては随分と綺麗な外観を保っており、黒い焦げ跡も炭の臭いもない。
「慧音さん、外からは分からないけど、本当にここ?」
「何処も家が全焼した被害なんてないんだ。だから小火で済んでしまっている」
「ふうん」
 私がこっそりと地図を再確認しても、ここは居住区の外れ、目印になる大木が面する通りの曲がり角。確かに、地図上の場所とは一致している。
「火元は?」
 最初は面倒がっていたものの、霊夢はいつの間にか詳細を確認し始めている。
 一泊おいて、慧音が慎重に答える。
「洗濯物だ」
 洗濯物?
 私が首を傾げた声に霊夢は振り返り、慧音は重く一つ頷いた。
「本当の放火魔なら別を狙うし、何なら藁でも使えば良いものを、それも相まって目的が分からんのだ」
「家の中にあった着物を狙われたとかではなくって?」
「殆どが外に干してあった衣類だ。一部に火がつけられたケースもあれば、洗濯竿ごと燃されていたこともある」
 慧音はもう一度頭をかいてから、普段見せないであろう困惑の表情をした。
「ここは、裏手にあった洗濯物が焼かれていたケースだ。子供服が一番燃えていたから火元はそれだろう」
「なんでまた」
 織物屋なら大きい服を狙った方が繁盛するでしょうに、と霊夢が不穏な発言をした。

   ○  ○  ○

「ここは三軒目、か。よくどれも小火で済んだわねえ」
 慧音に一度現場を見てもらいたいとの話があったため、昼食をとった後は火災現場巡りとなっていた。
 一番近場だった現場は昨晩の火事で、やはり裏手の洗濯物が燃やされていた。
 二件目の現場は一度屋内に火が付けられたパターンだった。焦げ跡と洗濯籠が外に倒れていたことから、一度火を付けた衣類を外に撒いたのだろうという推測だった。無論、不審な燃え方である。
 どこも放火魔にしては小さく纏めすぎている。いずれの住民も命を狙われた訳ではない。
 今立っているこの現場も、火元は家の裏手、物干し竿のあった位置だ。家屋が焼けた様子はなく、飛び散ったすすで壁が黒ずんでいる程度だ。
「本当に家の外が焼かれてる」
 村紗がしゃがみ込み、焦げた竹竿と汚れた土を覗き込む。
「油を撒いた様子はないし、ここだけを狙ってるって感じだ」
「なんの私怨なんだか」
 村紗の背から視線を外し、辺りを見回してみる。家の裏手に当たる土地には、里外れの林と古井戸が見えた。
 井戸には古ぼけた綱が力なく下がっているが、辺りの草は伸び、あまり人に使われている気配はない。
「火災が小さかったのは、井戸水が近かったから?」
 私の素朴な疑問に、慧音は地図と視界を照らし合わせながら答えた。
「いや、あそこは枯れ井戸だ」
 慧音の声を聞きながら、立て看板と目を合わせる。
 霧状の妖怪を模した絵が、『井戸で遊ばないこと』と訴えている。しかし効果は薄いようで、枝で掻いた落書きや、投げ付けられた石で看板諸とも井戸は傷付いていた。
 視界が一段暗くなり、首筋に寒気を感じた。日が陰った途端に、これだ。
 寒さに呼応して、体が疼いた。くしゃみとは違う、欠伸の動作が脳裏を占める。
 それをできるだけ噛み殺そうと、傍らの村紗たちが立つのとは、反対側を向く。里の様子を観察する振りをして目線を走らせていると、人影が無いのを確認してしまった。
 顎が動く。
 肩に力を入れ、最小限の口の開きで誤魔化した。
 循環のために吸い込んだ息が、気道のどこかで眠気と行き違う。
「霊夢、あてはある?」
 村紗が急に回答権を戻すものだから、息を吐き切る前に力を抜いてしまった。のろのろと出てくるはずだった肺の空気が流れ出て、小さな風の音を立てる。
 欠伸特有の、あれだ。
「ごめん、何に、あてはあるって?」
「欠伸してる場合じゃないよ」
 唇を尖らせた村紗に対し、なんと言い訳しようか考えた。
 いくつか言葉は浮かんだが、見苦しさと面倒臭さが面目に勝るために、さほど時間をかけず事実を認めることにした。
「開き直るの、禁止」
「別に、なにも退屈で欠伸したわけじゃないわ。寒いと眠くなる体質なの」
 表情を窺うも、どうやら二人は該当しないようだ。
「状況的に、犯人についてしか、あてを訊ねないでしょう」
 風がくすぐった首筋に手を添えながら、一応は頭を回してみる。
 しかし改めて考えようにも、人里の人間関係について私は深く知らない。
 間を繋いだ呻きを漏らしていると、慧音が後を継ぐ。
「愉快犯か妖精の悪戯か、はたまた妖怪の仕業か」
「いやいや、その程度じゃワタシら妖怪の心は満たないんだな」
 三者以外の声が聞こえたことで、彼女の言葉が止まった。
 上方からの声だった。
 頭上を仰ぎ見ると、屋根の上で女がしゃがみ込み、こちらを見下ろしていた。
 女は金髪を頭頂部で結び、厚手の服の上から吊りスカートを着用している。
「あ、土蜘蛛」
 村紗の声に続いて、妖怪が屋根から飛び降りた。
 風を受け入れて衣服がたなびく音と、砂利を踏むブーツの音。
 両足で土をしっかり踏みしめてから裾の広いスカートを払う。その姿は飄々としていて、人里に来ること自体慣れている様子だった。
「黒谷ヤマメ、あんた何しに来たの」
「別に、散歩さ。そうしたら捜査班が動いてるんで、ちょっと観察してた」
 それから村紗の目線に気が付いたのか、白昼堂々姿を現したヤマメは証言する。
「妖怪の好む心は感情の起伏が主な成分だ。普通はこんなに回りくどいことをしない。まあ衣服を焼かれた人の微妙な感情だけが美味というならば、そいつはちょっと、特殊な癖だ」
「じゃあダイレクトに聞くけど、あんたはそういう癖をお持ちかしら?」
「残念、私は衝撃よりも苦痛派なんだな」
 私の問いに今回は快楽目的ではないだろう、と証言しながら、妖怪特有の物騒な思考を覗かせた。やはり別の危険妖怪リストには分類しておく必要がありそうだ。
 それからヤマメの後ろ姿を眺める。「やあやあどうも」と陽気に慧音へ挨拶する姿に、首を傾げたくなる。
「ていうかあんた、里に入っていいの?」
「私は病を撒くんじゃなくて操るんだ。撒かないよう引き留めることもできるんだから、ある種の抗菌体と言えなくもない」
 判断を仰ぐように慧音を見ると、慧音は真面目に考え込んでしまった。
「私は病のプロフェッショナルだからね」
「医者とどっちがあてになるんだか」
 以前からヤマメは謎の発疹の犯人として非常に怪しいと思っていたのだが、こうして姿を現したのは予想外だった。
「この前も言ったけど、あんた犯人として一番怪しいんだからね。変な真似してるとしょっ引くわよ」
「いやあ、疑わしいから罰する、は良くないと思いますなあ」
 手をひらひらとさせて取り合う気のないヤマメ。わざわざ目の前に出てきたのならば、今人里を騒がせている事象に興味か用があるのだろう。
 数足しにでも、妖怪視点でも役に立ってもらおう。
「まあいいや、ともかく今立て込んでて人手が必要なのよ。捜査を手伝ってくれる気はないかしら」
「痣の病気調査に加えて、放火事件だよね」
「随分詳しいじゃん」
 村紗の声に、ヤマメは当たり前のような顔をする。家屋の屋根を指差して「そこから聞いてたもん」の一言で完結させる。
 それからわざとらしく、ううんと口に手を当てて考える素振りを見せる。
「協力したらば、私から犯人に、情状酌量の余地は出せるかな?」
「それは犯人じゃない奴がいう台詞よ」
 ヤマメは私の言葉に瞬きをして、一拍、二拍と考えた。
 それから目線をこちらに向けたまま、口元を緩めた。
「やめておくよ、私が参入するとフェアーじゃないからね」
 なんでまた。という村紗の抗議の声を受け流して、ヤマメは片手を広げる。
「代わりにと言っては何だが、放火事件の方を手伝おう。放火魔は私にとっても迷惑だし、かといって一人じゃ追えないのは確かだ」
 もう一方の船にはあっさりと乗ることを決め、ヤマメはずいずいと慧音に近づく。
「それでそれで、あんたの持ってるのが地図かい?」
「あ、ああ。放火が起きた区画だけのものだが」
 地図の出来栄えに盛り上がるヤマメを背にして、村紗が小声で私に確認を取る。
「ねえ霊夢、平気なの?」
「陰でちょこまかされるよりは、視界に置いておきたいでしょう」
 まさか寝首を掻かれることはないだろうが、警戒はしておきたい。もしくは本当に、罪を減らす目的で近づいてきただけかもしれない。考えながら、次の現場に向かうことにする。
「ほら、さっさと次行くわよ。日が落ちるまでに済ませちゃいたいんだから」
 振り返ると、ヤマメは両手で持った地図を真っすぐに見つめていた。



 通りを歩いていると、祭りの装飾に塗れた柱が見えた。月末の祭りがもう近い。前方では山車の準備をしている大工が、高所から紐飾りを取り付けている。
 そういえば、今年は試験的に電飾を光源として使うと言っていたっけか。今年がやけに忙しいのも、発電蓄電、安全管理があるからだろう。
 出歩いている事情が小火であるからか、いざとなったらよく燃えそうだな、と思ってしまうのは不謹慎だろうか。
 心の中で民集に詫びながら、慧音に案内された民家に目を向ける。当初の不満は何処へやら、今となっては村紗とヤマメの方が食い入るように話を聞いていた。
「そういえば私ここ、来たことあるよ」
 村紗の発言に、視線が集まる。
「ここの子が発症してね。それのお祓いに来たのよ」
 そう話す村紗の言葉は、あくまで仕事上来たからなのか、どこか他人事に聞こえる。
 今でこそ病気と分かったとはいえ、謎の痣一つででわざわざ出向くものなのか。そう思ったが、家の大きさを見て納得する。
 広い庭、高い屋根、目の冴えた番犬。余程裕福な家なのだろう。とすると、両親のどちらかが熱心な信仰者ではないか。
 私の予想に、村紗は概ね同意する。
「それに比べて、息子の悪戯っ子のこと。悪餓鬼もこれで一つ治ってくれればいいんだが」
 庭の向こうには、微かに人の気配がある。当の本人は療養中なのだろうか。
「悪餓鬼なんだ?」
「そうそう、悪戯五人組よ」
 村紗は指折りながら、途中でため息をついた。
「あんまり大きな声じゃ言えないけど、表立たない小ずるいタイプね。ここの子筆頭、周りは認めず。よくある話よ」
 村紗は立てた指を家屋の方に向けるのを避けたのか、虚空に向けて指先を回す。
 それから背後を確認して、声のトーンを一段落とした。
「その子ら全員が痣出したのは、何か厄にでも触れたんじゃないかしら、ってのが私の見解」
「ちょっと待って」
 村紗の声に、私だけではない、慧音も目線を向ける。
「その集団、全員発症してるの?」
「え? う、うん、回ったのはうち二人だけだけど」
 ようやく見つけた関連性に、慧音と私は目配せする。
 感染機会があったのか、村紗の説通り厄に触れたのかは分からない。ただ、局地的に発症した子供集団五人には共通の原因があると考えて良さそうだ。
 それから、恨みを買いかねない悪餓鬼集団という言葉を思い出す。やや悪質だが、報復の線を考えると、二列の事件が重ねられる。
「火事は?」
 慧音ははっとした顔で地図を広げる。それから指をなぞらせて、こちらの目を捉えた。
「既に五件」
 息を漏らしたのは、私か、慧音か。
 村紗だけは明らかに、残念そうな声を上げた。
「ただ、三件は被っている」
 慧音の手元へ目線を向けると、指先が三か所のバツ印を押さえていた。村紗が持ち合わせていた携帯インクペンで、火事の順に数字を振る。
「一、二件目と、四件目」
 五件中三件。六割。七日で五件。民家の数は数知れず。
 故意的か偶然か。数字の上では、判断しかねる。
 判断を諦めて、ヤマメへ向き直る。
「どう思う、妖怪視点は」
「どう、と言われてもなあ」
 ヤマメは右手の指を見るように、顔を動かして考える。
「火事は場所で絞らず、転々とした五件なんだろう。それに現在進行中だ。たまたまとしか、今は思えない」
 口を開きかけたところで、頭上で木々の揺れる音がした。
 反射的に、頭頂部に寒気が走る。
「失礼します!」
 小さく鋭い声とともに、頭上から重量物が目の前の空間に降ってきた。視界の村紗が木々を見上げなければ、頭を打っていたかもしれない。
 息を飲んだ村紗と慧音が、目の前に吊り下げられた来訪者を眺める。
 樽を切ったような桶に、人型が一つ入っている。取っ手の部分には新品そうな綱が固く結ばれ、枝に結ばれたのか伸びきっている。そして取っ手のカーブの向こうには、短く結んだ二つのお下げが覗く。
「ヤマメ、今日は地上にいたんだね」
 土蜘蛛の友人を見つけ、肝を冷やした私のことなど知らず、自分の苦労を伝える。それから遅れて綱が捻じれ、私と正面から目が合った。
 桶に入った妖怪には、頬から瞼にかけて、白いガーゼが貼られている。
「こんにちは霊夢さん。上からになっちゃってごめんね」
「ああ、こんにちはキスメ。それはいつもだからあまり気にしてないけど」
 鶴瓶落としのキスメは、小さいが地底の妖怪。降下してくる場所は少し選んでほしいものなのだが、聞き入れられた試しがない。
 キスメははっとしてから、向きを変えて他の二人にも軽く挨拶をする。左頬のガーゼに遮られて、目線が合わなくなった。
「キスメが昼間に出てくるなんて珍しい」
 自分のことを棚に上げたヤマメに対して、再び綱が捻じれて向き直るキスメ。
「最近入れ違ってたから、私に会いたくなっちゃったのかい?」
 キスメは二拍ほど置いてから、「ふうう」と声に出してわざとらしいため息をついた。
「地底会の伝令役って忙しいんだからね」
「私が探し回っても会えないほどに?」
「そりゃあもう」
 それからキスメは慧音の手元に気が付いたのか、私から見て奥側に視線を向ける。
 慧音は急な来訪者に呆然としたまま、手元の地図を広げていた。
「もしかして、ヤマメはなんかの捜査に協力してるの?」
「いち、妖怪視点としてね」
「ふうん。そうなんだ」
 返答を考える間を持ったように、キスメは少し黙った。
 それ以上、調査に関する会話はなかった。
 代わりに本来の要件を思い出したのか、キスメは地底街で行われる会合が今晩開催されることを手早く伝えた。
 ヤマメは顎に手を当て、しばらく考えてから同意する。
「分かったよ。夜はそっちに行くと伝えてくれ」
「了解」
 用事を済ませたキスメはこくと頷いてから、おもむろに頭上に意識を向けた。すると静かに、誰かに巻き上げられているかのようにするすると宙へ戻り始めた。
「キスメ」
 地上の土蜘蛛が、空中の鶴瓶落としを呼び止める。
「あんたは当然、来るんだよね」
 キスメは緩やかに巻き上げられながら、桶の中でぎこちなく笑顔を作った。
「誘われちゃったんだから、しょうがないよね」
 やがて木々の間に姿が見えなくなると、隣の木へ隣の木へ、がさがさという小さい音が移動していった。
 首を地上へ戻す寸前、慧音が「どうなっているんだあれは」と呟くのが聞こえた。
「と、いうわけで」
 手を合わせたヤマメが、次に向かおうと意見を出す。
「ヤマメちゃんは早上がりしなきゃいけなさそうだし、欲を言えば手土産があれば完璧だ。次の現場を見て、犯人の証拠を掴むとしようじゃないか」
 異論はなかった。
「さっきの地底会ってのはなに、飲み会?」
 村紗の問いに、ヤマメは頷く。
「招集が急過ぎるのが、困りものだけどね。来るかい?」
 最後にヤマメは一言、「なっがいぞう」と茶化す声で付け足した。
「あんた、誘う気あるの?」

   ○  ○  ○

「結局手がかりなし、か」
 私がグラスを置いて、最初に発した言葉はそれだった。
 手首を机に預けた勢いが強すぎて、手に持った物が甲高い音を立てる。繁盛時の居酒屋では迷惑な音量ではないが、図らずして荒れている様に見えてしまい、ばつが悪くなる。
 晩食時の地底の店は、満席とはいかずとも七割ほどの席が埋まっているようだ。村紗が行きたいとねだったこの店は、当たりなのかもしれない。
 日中に犯人を特定できず手をこまねいていると、慧音が祭りの準備で呼び出され外さなくてはいけないと言う。仕方なく再び痣の病調査に戻り、人間以外の発症者は居ないのか確認するため地底まで足を伸ばしたところだった。
 目ぼしい成果はなし。発症者も似た事例もなく、結果的に人為的な線が色濃くなっただけ。
 グラスの方底を着けてぐるぐると揺らしていると、案の定、隣の村紗が宥めるような目でこちらを見た。
「なんだかんだ言って、探偵仕事にのめり込んでるのね」
「事故よ」
 早めに断りを入れ、説明代わりにウイスキーのソーダ割りをもう一度傾ける。それから今度は手首を先につけ、ゆっくりと置いてみる。
 村紗は目を丸くしたまま、釣られるように自分のお猪口を傾けた。
「あれだけ燃えてたのに?」
「あんたからそう見えてただけでしょう」
「うそ、じゃあどうして五軒も続いてるのよ」
 どうしてと言われても。そう答えようとして、彼女との話題がずれていることに気が付いた。
 第三者が指摘してくれることを願ったが、先程まで行動していたヤマメは地底会出席のため、ふらりと消えてしまった。
 ちょうど良くやって来た野菜の味噌付けに手を伸ばしながら、どこまで説明するべきか考える。
「そっちに関しては、事故じゃないと思う」
「そっちって、どっち」
 同じく皿の上の野菜に手を伸ばした村紗に、訝しげな目で見られてしまう。
 顔を逸らすように、カウンターに肘をついて反対側を向いた。カウンターの角には誰の姿もなかったが、壁に掛けられた品書きが目に入るので不審な動きではなかった。動かす顎に沿って、視界が揺れる。
 慣性でグラスに口をつけると、村紗が視線の先の品書きを注文するのが聞こえる。カウンターの店主を呼び止め、その隣にあった魚の煮付けも注文する。
 骸骨の店主はぐっと親指を立てて、了解の意を示した。
 それから改めて、思考する。
 まず以前から調査をしていた、謎の病気について。
 犯人はまず間違いなく、黒谷ヤマメと見ていいだろう。短絡的な発想だが、月の頭脳である医者も珍しい皮膚病と話したのだ。それに自然発生にしては、一斉に現れて一斉に収縮し過ぎだ。人為的なものと考えるのが妥当だろう。
 だが現在のところ、彼女を納得させられるほどの動機が見つからない。自分の行いを誤魔化し切れると思っていないだろうし、罰と灸が見えている悪戯を行うとも思えない。加えて本当に人里を狙うならば、月末の祭典当日か、直前に種を撒いて自分は姿を眩ませればいい。その点からしても、彼女はまだ本気で幻想郷を狙っているわけではない。何か意図がある。
 少し度を過ぎれば強制的に退治して解決することもできたが、著しく機嫌を損ねた場合、一体どんな抵抗をしていくか分からない。忘れがちだが、奴も極悪と称された地底妖怪なのだ。
 とりあえず、爆発的な感染はせず、事態だけは収縮しつつある。明確には分からないが、時間制限までに解答を用意しておけばそちらは落ち着かせることが出来るだろう。
「目下の問題は不審火の方よね。あんたはどう思うの」
「私怨じゃないかなあ」
 村紗からは予想よりも早く、はっきりとした回答があったため、少し驚いた。
「だって愉快犯にしては地味すぎるし、妖怪の楽しみじゃないんでしょう。私は何かしら、私怨による警告だと思うんだよね」
 警告。その線は考えていなかった。実害が目的でなく、恐怖させるのが目的ならばたしかに十分効果を成すだろう。
 ただ、最初の放火から既に六日。狙いが洗濯物から悪化する様子はなく、放火魔の犯行は小慣れてきてさえいる。そんな警告が、いつまで続くのだろう。
 それならば、洗濯物の小火だけが目的なのだとしたら?
「そうだ、大事なこと忘れてた!」
 村紗が急に手を着き立ち上がったため、思考が中断される。
 不意打ちの声に、思わず肩を捻って見上げる格好になる。
「どうしたのよ急に」
「報酬よ報酬。ていうか、協力のメリット? 私成り行きで二つとも協力してるけど、解決したら何か奢ってくれるの」
 勢いと内容のギャップに一人脱力する。なんだ、そんなことか。
「今小さく、なんだって言ったでしょう」
「空耳」
「海の女は耳がいいのよ」
「それ、ほんと?」
 村紗は席に直り、手酌で酒を一杯煽った。
 その横顔は不満爆発寸前、といった様子ではない。暇潰しに食い付いて着いて来ただけだが、正直当初の予想よりも精力的に行動してくれている。何かしら用意してやっても良いかもしれない。
「まあ二軒目に巻き込んだのは予想外だし、ちゃんと考えてくれてるみたいだし。何か考えてあげるわよ」
 それを聞いて、村紗は子供の様に手を上げて喜ぶ。
 タダで連れ回したと寺から誤解を招くのも後々困るし、土産を持たせるのも悪い判断ではないだろう。
「褒美はねえ、じゃあねえ」
 ほろ酔いの調子になってきたのだろうか。声を弾ませ頬に手をつき、村紗は機嫌良さげに悩み始めた。
 うんうん唸って皿を見て、御猪口を手元で回したり。それからがばりと顔を上げると、店の奥の棚を指さした。
「あれ飲んでみたいなあ。一升。お願い!」
 村紗が示したのは店の一角で、半ば絵画のように鎮座している酒だった。
「あれは」
 桐の箱に横たわって幻想郷内外の梱包材によって大事そうに保護されている外装。それでも高級感とその名を押し出すことは忘れない様子は、ただの代物が出す迫力ではない。
 手前に映るしゃれこうべと対照的に、蝋燭の灯により軽くライトアップすらされた配置。そしてそのラベルには、私でも知っているような伝説の鬼の名が記されていた。
「さすがに」
 さすがに褒美が過ぎる。村紗に苦言を呈そうとしたのだが、私の言葉は目の前に溢れ落ち、皿より向こうに行かずに靄と消えた。頬を揺らしている彼女は気づかない。
 そんな私たちの会話をどこから聞いていたのか、店主はこちらを振り返り、危うく親指を立てそうになっていた。
 慌てて身を乗り出して、了解の動作を止めさせる。
 村紗の不満そうな声と、別の客の笑い声が聞こえる。

   ●  ●  ●

 右足に体重が移ったことを確認してから、左足を出す。意識的に足首を蹴り反して、地面からの反力を感じ取る。
 次の足が地面に付く。
 地を踏みしめる感覚から、自分の容態を確認する。感覚は良好。この様子ならば、潰れることはなく、自室の布団に潜り込めるだろう。
 時間差の問題か、油断からか。私の場合は愛しの命蓮寺に着く頃が、最も酔いに負けそうになる瞬間なのだ。
 ただし、間違っても怠惰に負けてはいけない。姐さんに見つかれば説教半日コースは固いだろう。
「ただいま我が家」
 酷い酔っぱらいがするのとは違い、静かに口に出して、体に移動が完了したことを伝える。普段は放り出す靴も、酒のあるときだけは、体調確認を兼ねて振り返って整える。
 たたきの空いている角に、確かにぴたりと並べた。
 道中飲酒飛行もせず、せっせと歩いて帰宅を完遂したのだ。当然、ただいまに対する返答も、任務遂行を称えるの声として実行する。
 おかえり村紗。
「おかえり村紗」
 思った時点で声が聞こえたものだから、二重で驚いた。今日は幻聴まで聞こえるのかという軽度なものと、運悪く姐さんに遭遇したのかという深刻なものの二つだ。
 結論から言えば、その二つの予想はどちらも違っていた。
 開け放しの襖から、入道使いの同胞が顔を覗かせている。
 平静を装いながら、足下に気を配って歩を進める。
「あんれ、何やってるのさ」
 一人酒かい、と訊ねかけて、彼女の相棒を思い出して引っ込める。
「友と晩酌中」
「だよね」
 戸に手をついて覗き込むと、角部屋の襖が開け放たれ、夜空を拝める格好になっていた。満月は少し過ぎているが、十分に光を反射する月が浮かんでいる。
 これはこれは。
 小さく溢しながら部屋へ踏み入る。月が少しばかり大きく見えるような気がするのは、酔いのせいだろうか、時期のせいだろうか。
「綺麗でしょう、秋夜の雲は」
 途端に足首がふらつき、壁に手をつく。
 驚いて自分の足を見れば、なんてことはない。同胞の彼女がしなだれかかり、肩を預けるようにして秋雲の美しさを語っていた。
 こちらも酔っているのだから、バランスを崩す行為は控えてほしい。
 彼女の舌が一番滑るらしい秋雲トークを、傍らに転がる酒の銘柄を眺めて聞き流し、適当なところで割って入る。
「あいつはなに、屋根の上?」
 たぶんね。という返事が帰ってくる。晩酌と言っていたのにそんなものなのか、あるいはふらりと外に昇っていった後なのか。
 負担に耐えかねて足元を見れば、彼女は先程よりはっきりと寄りかかり、半ば自重を支えることを諦めている。このままでは共倒れる。
 私の不満を秘めた視線に気がついたのか、彼女は上気した顔でこちらを見上げる。それから何かもぞもぞと呟いて、ふんわりと微笑んだ。
 色気はあるが、状況が残念だ。
 酔った顔を冷ます風が吹き込み、鼻がむずむずと疼く。その後、たまらずくしゃみが出た。
「ぷはは、コートなのに脚出してるからよ」
 弁解する気は無かったが、認めるのも癪だった。
 返事のタイミングで鼻をすすり、回答を誤魔化す。その脚では化粧の乗った頬が触れる感触があり、押し出すように抵抗してみても、先程より強く押し返されるだけ。
 そんな彼女のかける体重も困ったものだが、目下の不満としては、寒さの一言に尽きた。神無月末の風が吹き抜ければ、霊と言えど肌が震える。
「寒くないの」
 私の問いに彼女は何も言わず、膝上の毛布をぽんぽんと叩いて示した。
「電気毛布」
「はー、文明に染まったね」
 見れば確かに、足元まですっぽり包んだ毛布の隅から、白いコードが伸びている。その先は、河童の魔水力発電機に繋がっている。便利になったものだ。
「染まってるのは、文化もだけどね」
「ほうほう。そうなのね」
 私は返事をしながらもう一歩部屋に立ち入り、然り気無く足の甲を毛布に当てて、暖をとる。
 一方の彼女はといえば、支えがなくなり、背中から寝転がる格好になる。起き上がる気配はなく、胸から上が視野の外にはみ出る。
「ほう、じゃないわよ。あなたがさぼりを効かせてる分だけ、こっちは仕事量が増えて大変なんだからね」
 目が合わない位置であるのを良いことに、首を横に倒すだけで応答する。
 幸い、私の態度に腹を立てた彼女が毛布を引き離すことはなかった。続く声の色からしても、さほど怒ってはいないのが伝わる。
「まあ当の本人は苦に思ってないし、近頃はそう悪いお祭りじゃないのも分かってきたから、いいわ」
 傾いた視界の中で目線を動かすと、卓上にはただの手芸とは違う道具が並んでいた。
 錐、小刀、それと真ん中に、カボチャが鎮座している。それも、皮が橙色の西洋産だ。
 目線をちゃぶ台の下に降ろせば、それを削った装飾品や行灯が並んでいる。一番大きいものでちょうど人の頭くらいの大きさだろうか。
「セイヨウカボチャ」
「実入りは少ないから、残念ながら食べられないわよ」
 見たままを口にすると、足元から指摘の声が飛んできた。
 確かに食べられるのならば嬉しいだろうが、私はいつから食いしん坊扱いになってしまったのか。説明を求めて振り返ると、お返しとばかりに、目を閉じて首をかしげる姿があった。
 そして瞳を閉じたまま、喋り出す。
「顔の彫られたカボチャと、ジャック・オ・ランタン。どんな伝承か、知ってる?」
 よく通る声が、胸まで届いた。彼女の中で、話題はこの話に確定したらしい。サボりの代償かと思ったが、様子からしてお説教と言うわけではない。
 秋雲トークと比べ、どちらに興味が持てるか考える。比較的早く、天秤は傾いた。
「ランタン持ったカボチャ頭、くらいしか」
 口にしてから、これではただの不審者であるということに気が付いた。続けてお化けであることを付け加えて、話題に関する自分の現在地を知らせる。
 彼女はうんと、なぜか満足げに頷いた。
 その様子から話が長引く気配を感じたので、電気毛布にすねをつけたまま、正面に座り込む。
「本来被り物じゃない筈なんだけど、まあ要素としては合ってるのかな」
 彼女は目を開けて盆に乗せてあった御猪口を持つと、器用にも、殆んど寝た体勢のまま口へ流し込んだ。
「人からも悪魔からも見放されて、灯りを片手にさ迷う罪人の魂」
 奇妙な笑顔の彫り物を眺めながら、話を聞く。
「人を騙し、神を騙し、悪魔を騙し。罪を重ねすぎた男は死後、天国へも地獄へも行けなくなった。情けで貰った火種をランタンに入れ、ただただあてもなく、さ迷う魂」
 上を見ても、下を見ても、自分が隔離された空間だけ。自分以外に誰も居ない、灯り一つで暗闇を進む姿を想像する。
 暗闇でゆらゆらと、揺れる灯火。
「それがジャック・オ・ランタンの正体。その伝承を元に、先祖帰りの悪魔除けとして掲げられるのが、これ。罪人が作ったランタンに似せてるのね」
 話の途中でそこらから手繰ってきた小ぶりの行灯を抱えて、彼女はぺしぺしと頭を叩く。
 慈しむように抱える手のひらとは裏腹に、指先は心地よい音を出そうと、十分な力を通している。
「魔除けの灯りか。だから軒先に掲げるわけだ」
 頭をいいようにはたかれ、ひたすら泣き笑うようなカボチャを眺めながら相槌を打つ。
 しかし一つ、疑問が残る。
「目鼻のためじゃなくて、光源を通す穴だってのは分かったわ。だけどその灯り、悪魔は嫌っても、ジャックさんだけはむしろ、寄って来るんじゃない?」
 ただの灯りではなく、自分の持ち物に似せたランタン。それが見えたなら、自然と足が向かってもおかしくないのでないか。
 私の疑問は最もだという様に、友人は一つ顎を引いた。それから指を立てて、正解とばかりに続きを話す。
「そう、そこがミソなの。ジャックさんが来るのは、問題ない」
 ふと、その男の名はジャックで良いのだろうか、と神経質な疑問が頭をよぎる。
 話の腰を折るようだったので、黙っておく。
「問題ないのね」
「ええ、だって伝承の時期からして、被害を被った人間なんてとっくに居なくなってるわ。残っているのは罪人だけ、それも十分に反省の期間を重ねた、ジャックさん」
 彼女は気に入りのおとぎ話を披露する少女のように、淀み無く続きを語る。
「一度は怒った神も、火種を寄越した悪魔も、十分と思うような時間。だからもう、あなたは帰って来てもいいのよと、ランタンを掲げるの。言うなればこれは、許しの灯り」
 許しの灯り。
 彼女が胸に抱えたジャック・オ・ランタン。そのくり貫かれた顔に灯りが点り、暗闇で浮かぶ様を想像する。
 毎年見覚えのあるそれは満面の笑みでこそないが、言われてみればたしかに、しょうがないな、と笑う表情にも見える。
 それが、許しの笑い。
「別の話では、もう許されたのか、反省の効か、ジャック・オ・ランタンの灯りは人を導く精霊でもあるらしいわ。反省して今度こそ改心したのね。ともかく共通しているのは、ジャックさんにしろ、人にしろ、導く道具だということ」
 ただの照明じゃなかったのよねえ。と、祭りの以前に抱えていたであろう感想を溢す。
 たまに聞き齧ったような発言があるが、どこで仕入れてきた情報か。訊ねると、立てていた指を手首から曲げ、部屋の奥を指差した。
 指の先には、外界のものと思われる本が重ねて置いてある。外装の様子からして、人里の古本屋とは思えない。何処かの書庫や図書館を探したのだろう。どうやら彼女は、一度決めたら凝るタイプらしい。
 背表紙だけでも読みたいが、足先の熱源からは離れたくない。背を丸めて目を凝らして見えないか、少しだけ意地になってみる。すると唐突に視界に人の顔が入ってきたのだから、驚いた。
「似てると思わない?」
「何が?」
 悲鳴の代わりに、咄嗟に返す。
 何が似ているのかと口にしたが、本の山を指したのではないだろう。すると当然、ジャック・オ・ランタンのことだ。
 ジャック・オ・ランタンと似ている。何がだろう。
「私たちがよ」
 当然、という顔をされてしまう。
 その顔色は赤くない。
「勘当されてさ迷ってきたジャックさん。姐さんに拾われてきた私たち。行き場の無かった私たちが、今はこんなことしてるなんて。っていうのが、さ」
 彼女は一度だけ自信無さげに首を捻り、あくまで自分の意見であると後付けた。
「私たちは神に罪を犯してさ迷っていたわけではないけれど。はぐれ者が、悪霊が、姐さんに許されて今ここにいる。確かに時間はかかったけど、気づいたら私たちは、今は導く側に立っている」
 慈しむように、手元の装飾を撫でながら。しかし誇らしさすら感じさせる声で、固く呟いた。
 思いの外、感傷的な理由だった。
「それが乗り気になった理由、かい」
「ううん、後付け。でも、ただの不躾な祭りじゃないんだな、って分かったから良しとするの」
 不躾と思っていたのか。
 声には出さなかったが、酔った頭は表情を制御することを忘れたらしい。瞼がぐいと上がっている感覚がある。
 しかし、思わぬところで思わぬ背景を聞けた。彼女の参加にも理由があったなら、少しは認めてやっても良いかもしれない。
 物品に対する感想は、あまり変わらないが。
「彼岸に帰ってきて玄関先にこれがあったら、なんかやだなあ」
「そう? 結構可愛らしいじゃない」
 可愛らしいと思うのなら、撫でる他に指先で叩くのはやめたらどうか。
 言いかけたが、音が小気味良いので、そのままにしておく。

   ●  ●  ●

 放火魔の犯人が捕まえられないまま、一日と半日が経った。
 痣の皮膚病は別の人間に伝染することはなく、ここ二日は火事が起きていない。それでも延々と付き合わされるわけにはいかないということで、霊夢は随分な強行手段を宣言した。
「今日の晩は張り込んで捕まえるわよ。全員参加ね」
 外出の理由が欲しい私と、協力すると言ってしまったヤマメ。私たちはこの二日間霊夢に同行してきたが、急な宣言に対して、流石に眉をひそめざるを得ない。
「そんな、原始的な」
「放火犯も危険と思ってなりを潜めたんじゃないの」
「狙いを澄ましているとも考えられるわ。それに、今日捕まえなければ美味しい酒が飲めなくなるのよ」
 意味は分からなかったが、霊夢に引く気が無いのは伝わった。
 意外にも、ヤマメからはそれ以上の反対意見が出ることはなかった。延々歩き回るのにも限界があると言及し、張り込みの人員に加わった。
 それに引き摺られる格好で、数的不利の私も張り込むことになる。外出のために協力こそしてきたが、まさかそんな原始的なイベントで体力を使わされるとは思ってもいない。
 簡単に打合せを済ませ、夕刻に別れる面々。当然ながら、然程の時間を経ずに私達は再び顔を合わせることになる。
 日中と違ったのは、霊夢の荷物が一つ増えていたこと。体の正面にたすき掛けした風呂敷が、巫女装束と足並みが揃わずアンバランスだ。
 予期せぬ緊急任務に私の士気は下がっており、荷物について問い合わせる気にはならなかった。
「今日の地底会、行けるといいね」
 私の後ろ向きな発言に、ヤマメは黙ってこちらに顔を向ける。
「地底会よりも、今は現場で犯人ちゃんに会いたいかな」
 そう言う彼女の表情は、意気揚々とまではいかないが、私よりはやる気があるだろうか。ぼうっと眺めていると、彼女は真意を悟らせずに眉を上げた。
 今日の昼はキスメでない別の妖怪が伝令に来ていた。端から聞いていても参加か不参加かはっきりしない、おざなりな対応。それと先ほどの態度からして、ヤマメは地底会に精力的なのかどうか、分かりきらない。
 慧音先生は祭りの指揮で張り込みに参加できないと話すと、地上での警戒に回ることを申告した。
 残された面々が張り込むならば、自然と見晴らしの良い上層、つまりは屋根上となる。
 そして火の用心とばかりに、先ほど霊夢から金属バケツ一杯の水を配布されていた。
「水桶持って瓦屋根の上を移動って、私ら忍者じゃないんだからさ」
 不満を垂れる私に向かって、霊夢は懐から取り出した紙を提示した。
「なんなら飛んでもいいわよ。飛行許可はもう貰ってきたから」
 ひらつかせた三枚の紙が、空気の抵抗を受け微かに音を立てた。
 いつの間に動いていたのか。
 事件を早く切り上げたい時の霊夢は、本当に手際が良い。
「こいつを持ってれば、人里単独行動もお咎め無しなわけだ」
「期日は今日だけになってるから、よく読んだほうがいいわ」
「冗談よ」
 一枚を受け取ったヤマメが、内容の確認もせず折り畳んでポケットに入れた。
 続けて渋々受け取った私は、内容を読んでみようと目を落とす。腕の負荷になっていたバケツは、既に地面で休ませている。
 達筆で詳細な内容は読めないが、三名分の朱印が押されているのが分かる。
 朱印の上に並んだ墨の塊のような文字は、人里の有力者の名だろうか。慧音のものと思える印の上でさえ、よく見れば見るほど、不安になってくる。
「特にあんたは戦力として期待してるんだからね」
 不意に投げかけられた言葉に顔を上げると、普段通りの顔色の霊夢がいた。
「私が戦力?」
「仮にも水霊でしょう。水属性ってことでひとつ」
「変な分類しないでよ。私は水難事故専門」
 過去の自分を想起しながら、足元のバケツを覗き込む。
「まあ多分、バケツ一杯あれば十分なのは合ってるけど」
 状況によっては、まだ足首程の水位でもやれるだろうか。
 コートの裾を膝裏に挟んでしゃがみ込み、久しく行使していない力を図るように、筋力鍛錬の要領で水バケツを引き上げてみる。
 取っ手の回転に従って、傾いたバケツが水音を立てる。
「ていうか、耐火の祓いをして回れば早いんじゃないの? 稼ぎ時じゃない」
 屈んだ私から霊夢への目線は、高低差に従って斜めに結ばれる。
「私が防火して回ったら、根本的に大工も製材所も商売上がったりでしょう」
 さも当然という様子で、間を置かずに解答が帰ってくる
「事件の抑止になっても、それは人里のあるべき姿ではない。巫女が関わるのは妖怪の関わる範疇まで」
「だから今はこんな、普通の手段しか取らないと?」
 霊夢は一つ頷くと、自分の主張が聞き入れられたという満足気な表情をした。
 普通の女子は張り込みなんてしないよ。という発言は、なんとか伏せるに留まった。
「妖怪相手なら巫女様がなんとかしてくれるわけだ」
 傍らで体をほぐしていたヤマメが、上体逸らしを終えるとともにこちらへ向き直る。
「もし人間なら、普通の助手Bが水バケツと共に止めてやりましょうかね」
 そう言って重量のある水バケツを持ち上げると、ヤマメは指の平を私と自分に向け、「AとB」と補足した。
 ヤマメが準備完了したのをきっかけに、私は自然と膝を伸ばす。
 秋の空気に、関節の擦れる音がぱきりと鳴った。
「じゃあ打ち合わせ通りに。全域パトロールは慧音達に任せて、私達は犯人確保の方に注力するわよ」
 霊夢の号令で、それぞれ顔を見合わせる。
 北の区画は霊夢、東の区画はヤマメが警戒し、南の区画を私が担当する。会場近い西側は慧音が近くに居ることもあり、自治体の警戒班に任せる手筈となっていた。
 人里の面積相手に三人で張り込みとは、心許ない。
 夕刻に漏らしたこの言葉は、耐厄の札をチラつかされるだけで黙殺された。改めて口にしても、皆の士気を下げるだけだろう。
 行動開始した二者に続いて、自分も腹を括り担当場所へ向かうことにする。
 手に持った水音を聞きながら、夜の空を見上げてみる。
 月光は雲海に遮られ、秋雲の楽しみは見出だせそうになかった。

   ○  ○  ○

 夜風を頬に感じながら、目の前を舞っていた木の葉を追い抜いて行く。飛行して切る風は最高速に従って相対速度を生み、私の肌を打ち付ける。
 先ほどまで重りになっていた水バケツは、今の手には無い。
 張り込み開始からそう時間をかけずに、里の北東で騒ぎが起きた。予想通り、犯人による放火だ。
 一番近かった私が初期消火をし、重量を減らしたところで犯人の姿を探す。するとどうやら、里の外周近い雑木林の中を移動しているらしく、木の葉の揺れる音が聞こえた。そのまま低空を、並走する格好で追跡する。
 人里を南下していることに気が付くのに、そう時間はかからなかった。北東で火事を起こしてから移動のために外周に寄った程度で、人里から離れる様子はなく南下している。
 逃走のための移動ではない。
 二軒目を起こす気だ。
 恐らく私の追走にも気が付いているだろう。それでも姿を眩ませることもしない。何の使命に駆られてかは知らないが、刺し違える覚悟で犯人は次の現場へ向かっている。
 現場からの明確な逃走。野生動物や猿の類ではないと結論付け、札を投げつける。しかし、対象にはどういうわけか効力がなかった。
 相手が雑木林の中とはいえ外す筈がない。とすると、考えられる原因は一つ。しかし明確な対抗策はない。
 手をこまねいていると、行く先に金髪の人影が見える。
「かかって!」
 東区に控えていたヤマメが先回りし、行く手を阻む。
 事前に仕掛けていた蜘蛛の糸に対象が突っ込んだのか、林の中が大きく揺れた。
 ヤマメは接近しながら引網の要領で手元を手繰り、挟み込むように蜘蛛の巣を放ち捕らえにかかる。
 声こそ上げていなかったが、犯人の蠢く音が聞こえる。しかし私とヤマメが対象に追いつきかけた頃、ヤマメの表情が曇った。
 蛋白質の焦げる臭いと共に、林の中の犯人が再び移動を始める。
「妖力が上がってる!」
 罠が焼き切られたのか。
 労いの言葉を選ぶ暇もなく私がヤマメを追い抜き、彼女も追跡に転じる。
 徐々に距離が離される。ただ見失うことはない。視界の左側を行く犯人がどこで人里に飛び出すかを見逃さなければいい。
 傍らのヤマメは移動の邪魔になると感じたのか、道すがら地上に居た火消し隊にバケツを押し付け、追跡に復帰してきた。
「それ持って追ってきて、次の小火は南で起きるから!」
 当然ながら、返事を待つ間もない。
 行く先の警戒をしている村紗の所在を案じる。素直に北上して、行き違いになっていないと良いのだが。
「どうしよう霊夢、弾幕を使わないと止められないよ」
「強引には撃ち落とせないわ、火種を撒きながら墜落したらどうしようもない」
「なら耐火のやつをさ」
「本当を言うと、家屋はちゃんとした手順で祓わなきゃいけないから、結構時間かかるのよ」
「この、後手巫女!」
 すぐ後ろを続くヤマメの悲痛な声を聞き流しながら、前方を移動する犯人を追う。
 するとある地点で、雑木林の中から影が飛び出した。
 振り子の要領で、一つの桶が大きく揺れている。
 祭りに控えて灯りを抑えた人里は光源に乏しかったが、半月を過ぎた月光が光源となり、木々から伸びる不自然な綱を照らし出す。見間違いではない。
 そしてそのような移動の仕方を選ぶ妖怪は、一種しかいない。
 結び目を解いたのか綱と桶は雑木林から切り離され、放物線を描いて人里の中へ飛び込んでいく。狙いは正確に、一件の家屋を狙っているのは確実だった。
「火消しさん、こっち!」
 旋回して着陸に向かう私と共に、ヤマメが消化部隊を誘導する。これで後は時間を稼げば大した被害が出ることはない。
 がらん。
 桶入り妖怪が着地した音が聞こえる。
 通りの角を斜めに侵入し、着陸する。里を斜めに突っ切った私達と、妖怪との間に大した時間差は無かった。
 それでも桶入り妖怪は家屋の目前、それも引き戸の前に狂いなく着陸し、返す片手で迷いなく戸を開けていた。
 反射的に札を構える私に対して、手のひらの上で音もなく炎を掲げる少女。
 木桶の中から膝立ちで身を乗り出し、炎の反射光が頬の白いガーゼを照らしている。
 その姿は見まごうことなく鬼火を操る少女、キスメだった。
「火を消して、手を引きなさいキスメ」
 街頭と手元の鬼火に照らされたキスメの表情は固く、普段の彼女とは異なっていた。私を見据える目線には怯えこそあるが、迷いの感情はない。
 右手の鬼火が揺らめき、光がキスメの目元を撫でた。
「ごめんなさい霊夢さん、これだけは引けないの」
 そう言って僅かに唇を強く噤むと、背後のヤマメへ一瞬だけ視線を動かした。
 彼女の入る桶には先程投げつけた札が貼り付き、本体への作用を阻害している。そして引き戸が開け放たれた屋内に目をやると、入口に取り込まれたままの洗濯籠がある。
 やはり狙いは衣服か。
 放火の続く最中に火種を散らかしておくとは不用心な。なんて冗談は、目の前の彼女が発する緊張感に押しつぶされた。
「私はやるからね」
「随分熱いじゃない、あなたらしくないわ。頭を冷やしたらどう」
 私の言葉は形容抜きだった。
 以前相対した時よりも鬼火自体が大きく、火力も増している。その熱量は確実に空間の温度を上げていた。
「どこでそんなに妖力高めてきたんだか」
 キスメは答えない。
 指先を曲げ、袖口から一枚の拘束札を取り出す。
 彼女を刺激しないよう出来るだけ目立たずに動いたが、キスメはそれを見逃さなかった。小さめの鬼火が飛んでくる。
 交渉のためだ、避けてはいけない。狙いは札のみのはず。
 角に貼り付いた鬼火から、すぐさま札の燃焼が始まる。ゆっくりと指先を開き、地面に落ちた火種を靴底で踏みぐって揉み消した。
「おねがい霊夢さん、止めないで」
「止めなよキスメ、これ以上は、あんたが退治される」
「余計なことをしないで! 私が痛い目に遭ってもこれだけは焼かなくちゃいけないの!」
 髪を振り乱したと同時に、手のひらから鬼火が溢れて地面に火が灯る。それからキスメは自棄になったのか、片手を振るって足元に火を撒いて私達を遠ざける。
 視界の端で、飛び火が家屋に付着したのが見えた。
「家を焼く気は無いから、これだけよ」
 その家にもう火種が移ってるんだってば。
 キスメがその事に気が付く様子はない。自分が撒いた火力の高さについても、把握しきれていない様子だ。
「この馬鹿」
 全治どれくらいかは分からないが、もはや多少乱暴にでも止めるしかない。発生源を叩いたところで、鬼火が消えるのかも定かではないが。
 キスメが目線を外し、屋内の洗濯籠を引っ張りだそうと手を伸ばす。鬼火を片手をこちらに向けて防御しているが、動作の際に防御が疎かになり、体の一部が顕になった。
 側頭部か。
 即死はしなくとも、妖怪に対する影響は大きいだろう。しかし躊躇っていられる状況ではない。
 咄嗟の退治に用いる札を指先に構え、腕を振る。狙いは指先からキスメの頭まで真っ直ぐに。
 札を離しかけた瞬間、視界に大量の鎮火要素が入ってきた。
 目線が動き、思い止まる。
 キスメの頭上には、バケツを引っくり返したような水が降り注いでいた。
 落下点は彼女の脳天。端から見ていたヤマメと私が呼ぶより先に、大量の水がキスメを直撃した。
「キスメ!」
 水量と飛沫に隠れて小さな妖怪の姿が消えた。見上げると、民家の屋根上に人影がある。
 冴えた眼孔、瓦を踏み締める足、傾けた金属桶。
 はだけたコートの中には、白い水兵服。
 村紗が迷い無く傾けたバケツからは延々と水が溢れ落ち、滝のような流線を描いていた。
 ざばざばと注がれる水は尚もキスメの頭を直撃し続け、辺りに十分に水を反射させながら、水圧で彼女を桶の中に押し込んでいく。もはや体勢の上下が入れ替わり、桶の縁からはばたつく素足しか見えていない様だった。
「言ったろう、バケツ一杯の水で水難事故は起こせる」
 村紗は宣言しながらも、傾けた手を戻さない。キスメががぼがぼと声を上げてもがく中、頭上から絶え間なく水を注ぎ続ける。
「相手が桶入り妖怪なら確実に、引き起こせる」
 放水は桶が倒れるまで続いた。キスメは体を揺らして桶を倒すことで脱出し、辺りに桶一杯ぶんの水を改めて撒き散らした。
 キスメに注がれて跳ねた水飛沫。キスメが桶を倒した拍子に撒いた水。
 一連の放水で、自棄になった火種はすっかり消えていた。
「げほ、げほ」
 辛うじて溺死を回避し、地を這うようにして呼吸を整えるキスメ。その傍らに、空のバケツを持った村紗が着地した。
 続けてやって来たのは、里の火消し隊の人間。ヤマメが行きがけに声をかけてきた者たちだろう。律儀に水バケツを抱えたまま角を曲がってきた。
「お、丁度良いところに」
 呟いたのは村紗だった。
 軽い掛け声と共に人混みの方へ空のバケツを放り投げ、集団を混乱させる。
 誰かが受け取り損ねたのか、一拍置いてから甲高い金属音が聞こえた。
「返却するよ、どうもありがとう。それと慧音さんに伝えて来てよ、こっちはもう大丈夫」
 一度だけ、ちらとこちらに目線を送ってから。
「詳しくは後で話すから祭りに集中しといていいよ、ってね」
 村紗が伝言を依頼すると、一部は素直に踵を返し、一部は文句と共に踵を返す。中には野次馬のように、家屋と現場と私達を眺めたりする者も居た。
 到着の様子とは対象的に疎らな移動だったが、最終的には元来た道を引き返す格好で全員がその場から消えていった。
 居住区の一角は再び静かになる。
 現場には、四人だけが残っていた。

   ●  ●  ●

「やっぱり、あんただったんだね。キスメ」
 噛みしめるように。
 重々しく呟くヤマメは、一連の状況に驚いた様子は無い。続く「薄々感づいていたよ」という言葉に見苦しさは無かった。
 ヤマメがキスメを見下ろす目線は、先日の来訪より遥かに厳しかった。
「どうしてこんな真似をしたのさ」
 ヤマメは詰問する。
「私はあんたの為を思ってやっているんだ。それをどうして」
 彼女は言葉を止め、続きを言い淀んだ。
 それは霊夢が傍らに居たからかと思ったが、どうやら霊夢の方から制したようだ。二人の間に分け入るように巫女棒を突き出し、ヤマメの胸を軽く叩く。
「その話をするならちょっと待った。私の用意した回答を聞いてもらうわ」
 回答権はまだ残っているわよね、と。
 冷たい表情のまま立ち尽くすヤマメと、呆気にとられたキスメ。二人を他所に、持参した風呂敷を地面に広げ始める。
 中から出てきたのは薄汚れた綱と、樹脂袋に厳重に入れられた黒炭だった。
 霊夢はしゃがみ込んだ格好のまま、どこからか取り出した手袋を着用する。
「結論から言うわ。感染病は土蜘蛛が原因、連日の小火騒ぎはあんたが原因。まあ、もう言い逃れできないけど」
 順に指をさしながら、宣告する。
 十中八九ヤマメが犯人だろうという話は、先日酒の席でちらと聞いた、気がする。が、その証拠がこれらなのだろうか。
 誰も言葉を返さずに、霊夢の言葉に耳を傾ける。
「動機の説明の前に確認なんだけど」
 霊夢はキスメに真っ直ぐ向けていた指を、顔の正面から僅かに逸らした。
「あんたのその傷、石をぶつけられたものでしょう」
 霊夢の刺すような声にキスメは顔を青くさせ、傷から目を背けるように俯いた。
 二人の視界の外で、ヤマメの表情が強張る。
「場所は外れの古井戸、相手は人間の子供。遊びか悪戯かは知らないけれど、子供が投げ込んだ石は大小様々に井戸を傷付け、あんたはそれの巻き添えに遭った、あるいは、意図的に傷つけられた」
 違うかしら、と。霊夢は確認の間を設けた。
 キスメの表情は青ざめ、端から見た私でも答えるまでもないと判断できる。
 霊夢は回答を急かすことなく、話を続ける。
「それが火事より以前の、あんたが姿を出さなかったのだから、恐らく昼の出来事。慌てて井戸の奥に逃げ込んだ拍子に千切れたものが」
 これ。
 霊夢は手袋をしたまま、古ぼけた綱をつまみ上げる。
 細くはないが、もう頼りのない綱だ。太さは不揃いでよれが目立ち、擦り切れ、けば立った表面からも痛みが見て取れる。
 限界の証拠とばかりに、綱の先端は片方だけ、荒々しく破断していた。
「相当焦って逃げ出してきたんでしょうね。千切れた綱が井戸に結びっぱなしだったわ」
 霊夢はもう用済みとばかりに、汚れた綱を投げ出す。その手で今度は樹脂袋を触りながら、首をヤマメの方へ向ける。
「そしてあんたは、危害を加えた子供を狙って病を撒いた。依頼や共同戦線ではなく、独断で」
 ヤマメの表情が変わることはない。
 よく見れば、霊夢が触っているのは黒こげの布切れだった。厳重な梱包からして、それが感染源と見ていいだろう。
 友人を傷付けた報復として、ヤマメが動いた。
 病気を操る妖怪が特定の子供を狙う。やり方として、可能性があるのは。
「衣服に菌を撒いたのね」
 私の推測に、ヤマメは初めて目線をこちらに動かす。
 冷たくて深い、妖怪の目をしていた。
 友好生物を見る目ではない。格下で、気にくわない生き物を見るそれだった。
 私の中の悪霊が、目の前の妖怪に呼応して、冷たく僅かに覚醒する。
「軒先の洗濯物から子供服だけを狙って手にかけた。それなら大人や隣人を巻き込まずに狙い撃てる」
「揚げ足だけど、私が一家全滅ではなく狙い撃った理由は?」
「心当たりのある子供を責めて祟りと思わせ、キスメへ恐怖を集めるため」
 間髪入れない私の返答に、ヤマメは沈黙したまま二、三瞬きをした。
 それから僅かに口元をつり上げ、低い声で呟いた。
「なんだ、嬢ちゃんも悪霊の脳は残ってるじゃない」
 それはどうも。
 口に出せばヒートアップしてしまいそうな言葉を、眉の動きだけで伝える。
「擦り傷切り傷、それに掻き傷。傷口の多い子供なら、感染させるのは容易でしょうね」
 淡々と見解を述べる霊夢の言葉に、妖怪の目線は移動する。
「だから小規模の、特定の子供にだけ感染が広まった。それが一つ目。そして大規模感染につながらなかったもう一つの理由として」
 霊夢は片手に持っていた樹脂袋を地面へ投げ出した。
「キスメ、あんたが早期に焼却して回ったから」
 菌に汚れ、黒く焼け焦げた衣服は。
 罪を分割するように、二人の間にぱさりと落ちた。
 風すら吹かない静寂。辺りを取り巻く夜の気配の中で、妖怪と巫女は睨み合う。
「それって」
 口を開いたのは、私だ。
 渇いていた口を満たすため、一度息を継ぐ。
「キスメはヤマメのしたことが分かって、子供の衣類を焼いたってことね?」
 屋外の洗濯物、運ばれた洗濯籠。確かにそれらが狙いならば、動機と火元が一致する。
 霊夢は持て余した御払い棒で肩を叩きながら、こちらに顔だけを向ける。
「ただし、どの家に発症した子供が居たかは分からなかった。恐らく大方の見当だけ付けての放火でしょう。だから患者数と、小火の件数の足並みが揃わなかった」
 そのまま肩付近の手首を返して、お祓い棒でヤマメとキスメを順に指す。
「元から発覚を割り切っていたあんたと、独断で処理しようとしたあんた。どっちも黙ってるからややこしくなるのよ。余計な気回してくれちゃって」
 読みづらいったらありゃしない。
 巫女の不平は、勝利宣言に近いものだった。
 実際、こうして現場は押さえたのであるし、それぞれの犯人が首を揃えて集まっている。言い逃れる隙は、どちらの妖怪にもない。
「やあ、参った参った。そこまで言われちゃ認めざるを得ない」
 先に両手を上げたのは、ヤマメの方だった。
「変に外せば抵抗してやろうかとも思ったが、その気も失せた」
「霊夢さんの考えで、合っているよ。私が病を知って、火を付けた」
 続いてキスメも白状し、二件の犯人が二人、目前に並ぶことになった。
「さあどうする博麗の巫女。私を裁くかい」
 後ろめたさや遠慮は無い。堂々とした顔つきのヤマメは、目の前の少女に自分の判決を問う。
「あんたは巫女で、私は妖怪だ。どう判断を下す」
「もし私が殺そうとすれば、当然あんたも本気で殺そうとしてくるでしょう」
 それを止めるには今は準備が足りないの。
 そう話して霊夢は犯人に背を向ける。
「それに、時間切れ」
 疑問を浮かべたのは、ヤマメだけではない。私も、恐らくキスメの方も、意味を悟りかねているだろう。
 情けない私達に、彼女はその正体を宣告する。
「もうそろそろ、祭りの時間だからよ」
 途端、里の方から明かりが点った。
 あちこちから小さな光が集まり、夕方時くらいの明かりを取り戻す。
 光の波はたちまち押し寄せ、私たちの頬も照らすまで、人里に明かりが点る。
「これは」
 困惑するキスメにつられ、視界に散らばる光源を目で追う。
 幟に付けられた歪な照明、街路樹に巻かれた蝙蝠の装飾、軒下に掲げられた手彫りの灯籠。
 その光量には、見覚えがあった。
「あ」
 思わず声に出し、記憶を辿りながら立ち尽くす。
 軒下で、屋根上で、外灯で、ぽつぽつと点り始める光源たち。
 大小様々に揺れるそのどれもが、山吹色をくり貫いた笑みを構えていた。
「許しの灯り」
 私が呟くとヤマメは一瞬こちらを向いたが、すぐに意識を祭りに戻した。
「許しの?」
 ヤマメとキスメは顔を強張らせたまま、突如始まった祭りに覇気を削がれ、ぽかんと口を開けている。
 光に向いた視線の前に、霊夢が移動して注目を集める。
「別に、あんたたちを許した訳じゃないからね。後で罰するので勘違いしないように」
 お払い棒が音を立て、順に突き付けられる。そしてなぜか三振り目に、隣で並んでいた私にも突き付けられる。
「ただ彼岸やら収穫祭やら火の用心やら、私、たった今から忙しいのよ。だから時間のかかる退治は勘弁してあげる」
「勘弁、してあげるの?」
 別に彼女らを責め立てたい訳ではなかったが、罪が軽そうであることに驚いた。
 ただ、霊夢が厳重注意だけで済ますとも思えない。
「無条件なんて話は無しよ。ただ、別の形で反省してもらうだけ」
「別の形」
 何か法外で、常識外れな要求をするのではないか。
 その考えが漏れたように、キスメが軽く怯えた声を出す。その懸念には同意するが、退治を越える罰はないだろう。
 再び巻き添えを貰う前に、一歩だけ、二人から離れる。
「酌量考慮、放免以上、退治未満とすると」
 霊夢はその内容を決めていたわけではないらしく、お払い棒を肩にかけ、思考する声を出す。
「そうねえ、人様を騒がせたんだから、罰金くらいは払ってもらわないと」
 それから小さく口元で笑ってから「ねえ?」と私に意味ありげな目線を送った。

   ●  ●  ●

「ああ、勘弁しておくれよ」
 ヤマメが項垂れたのは、ハロウィンの後夜祭の場だった。
 場所は祭典本部の人里中央。祭典会場跡に、御座を敷いて集まっていた。
 開催委員の中には何故地底妖怪が隅に座っているのか怪訝そうな顔をする者も居たが、博麗の巫女の一団というだけで、すぐに意識から外された。加えるなら、この一団が妙な酒を持ち込んでいることに気が付く者も居なかったようだ。
「うん、良いねこれ。私好きだわ」
「ほらほら、杯が空いてるんだけど」
 へへえ、と変な声を漏らしながら、私と霊夢にお酌するヤマメ。その手元に用意されたのは、伝説の鬼の名が記された高級な酒だった。
「今月出費が多いってのに、最後の最後に大打撃だよ」
 霊夢の用意した罰は、地底に向かい指定の酒を一本買ってくること。私も彼女らも面喰らったが、あの場からすぐに往復すれば後夜祭には間に合うという判断で、即刻執行された。
 そして霊夢の予定通りに事は運び、この場にて私と霊夢に高級な酒が振る舞われている。ヤマメは経済的打撃から、キスメは往復の末に即座に料理組へ組み込まれた疲労から、項垂れるか夜空を仰ぎ見るかしかしていない。
「ああくそ、美味い。悔しい」
 本部の方で用意したつまに加え、急遽地底から買い出してきた食材。好きな方に箸を伸ばしながら、キスメとヤマメも徐々に回復しつつあった。
「もう自棄だよね。飲むしかないよ」
「結局地底会行けなかったけど、つまみが美味いし地上もありだよなあ」
 そんなこと言って、犯人の自覚あるのかしら。
 そう声をかけようとした矢先、こちらの蓙に女性が一人近付いてきた。
「お手柄だったな、霊夢。二件とも片が付いて助かったよ」
 二人の背後に立ったのは、上白澤慧音その人だった。
 ヤマメとキスメは声で察したのか、肩がびくんと跳ね上がって会話が止まった。そしてあろうことか、慧音は二人の間に足を組んで座り込んでしまった。
 二人のぎこちない奉仕を眺めながら霊夢とケラケラ笑って眺める。一度ヤマメが助けを求める目線を送ってきたが、知らないことにする。
 そのうちに改まって、慧音がヤマメに向き直る。
「黒谷ヤマメ。火災調査の件、協力に感謝する」
 流石に後ろめたい気持ちがあるからなのか、彼女はひいとかはあとか、心此処にあらずな回答しか出来ていない。
「それと、釣瓶落としのキスメ。病の蔓延を止めようと行動してくれたこと、感謝する」
 驚いたキスメは瓶を置いて慌てふためき、彼女なりの正装なのか逃げ隠れようとしただけなのかは分からないが、立ち上がって傍らに置いてあった桶に入ろうと手をかける。
 途中で思い直したのか、はたまたそれが手間だったのか、最終的に蓙の上で正座を組み直し、慧音に向き直った。
「一つ訊ねてもいいか」
「はひぃ」
 着火寸前の意志を湛えた目線は何処へやら、泳ぐ目線と不安げな表情のまま情けない声を返すキスメ。
「井戸の祟と思わせる算段は成功し、事実君は妖力を上げていた。それを拒むような動きをしたのは何故だ?」
 言葉を詰まらせたキスメは、明らかに目線を泳がせた。
 その最中にヤマメに目線を向けようとしたのを堪えたのか、一度喧騒の方を眺めてから、僅かに垂れた頭の中で慧音を見上げた。
「地底と、人里の関係を悪化させたくなかった」
 控えめだが、確固たる意志を持った声だった。
 近ごろは地底との不可侵が有耶無耶になりつつあるのは事実だ。そんな中自分の無警戒が発端となり、人里に被害が出てしまった。一度間違えば攻撃、敵対行動に見えてしまうそれを否定するために、衣服の焼却に乗り出したのだろう。
 彼女は続けて消え入りそうな声で、「……のが一つです」と呟いた。
 慧音も私も聞く気があったので、黙って続きを促した。視界から外れた霊夢は、果たして聞いているかは分からない。
「あとは、くだらないんですけど、自分の望む格好じゃ無かったんです。私は以前は首刈ったりしましたし、それで恐怖を貰ってました。だから地底に送り込まれた、それは分かってます」
 言葉を選びながら、一匹の地底妖怪が自身のことを申告する。
「しばらく反省して、霊夢さんたちが来て、今の人間を知って。忘れられてた所に祟りの妖怪って広まるのが、なんだか嫌で」
 それはごく小さいが、プライドなのだろう。
 皆が忘れ、伝承と共に形態を変える妖怪を幾匹も見てきた。修行の末に形態を変え、伝承を書き換えた妖怪も居る。無関心の、特に人間からすれば些細な要素かもしれないが、キスメはそれを許さなかった。
 命蓮寺に救われ、変わりつつある同胞の顔が思い浮かぶ。それと共に、先日の話題がフラッシュバックする。
 不躾な祭りだと思っていた。ジャックさんに似た、姐さんに救われた私達。 
 少し道が違えば、共に地底から出てきていたかもしれない彼女たちだ。反省に足る年月も経っている。今の均衡の取れた幻想郷ならば特に、許してやってもいいのではないか。
 そんな考えが頭を過ぎる。
「あとはあれですかね、あんまり力が付きすぎると霊夢さんに退治されちゃうかなって思って」
 キスメふいと顔を上げ、自ら笑って話を中断させた。
 頭をかきながら笑う彼女は、開き直ったように霊夢に話題を振る。視線を移動させると、当の霊夢は無関心を決め込んでいるのか、地底の干し魚をほぐすことに集中していた。
 慧音は「しょうがないな」というように頬を緩めてから、手元に持っていたケースをキスメに渡した。
「頬の傷、これを使いなさい。人里の軟膏だが特に妖怪に問題のある成分は入っていないはずだ」
「あえ」
 キスメはもう一度情けない声を上げると、おずおずと両手でそれを受け取った。それから頭を下げると、許された、という顔で普通の少女のように微笑んだ。
 霊夢に向き直る慧音の背中越しに、キスメはヤマメに向かって自分は酌量されたと優位をアピールしている。
「霊夢が注文したのに受け取りに来ないからと困っていたぞ」
 傍らの霊夢を見ると、口を「あ」の形に小さく開けていた。当の彼女はすっかり忘れていたらしい。それでもさして気にする様子はなく、当人に渡ったなら問題無し、という態度を見せた。
 誰も手を伸ばさない様子を見て、彼女は手酌で高い酒を空けにかかる。
「ねえ先生さん、私には何かしら無いのかい」
 酒気に埋もれ始めたのか、自棄になったのか。ヤマメは駄々をこねる子供のように慧音へ縋り付き始めた。当然ながら慧音の応答は手厳しく、「元はといえば友人と相談しないお前にも原因がある」と揉め始めている。
 目線を上げると雲海は既に晴れ、三日月と共に帯雲が輝いていた。今頃は命蓮寺主催の祭りも宴を迎え、片や地底会も二次三次会となっているのだろう。
 今年は殆ど人里に逃げ込んでしまった。果たして来年はどこで迎えることになるのだろう。まだ祭りに協力する気は起きず、各地をぶらついているのだろうか。
 私への不平を漏らす同胞も見ているであろう月に向かって、手元の酒を持ち上げる。
 ハッピーハロウィン、幻想郷。
「火事と喧嘩は江戸の華」と聞きますが、幻想郷の華は祭りと事件でしょうか。
 当人たちが右往左往する自由な事件、それが幻想郷に似合う気がします。

 というわけでハッピーハロウィン全世界。
 好きなお祭りの日に、好きな作品の好きな空想を発信できる。一人よがりでも心地良い日です。
 そんな日の幻想郷を想像すると、こんな事件が起きて色々思い出したりもしました。具体的には、能力とか。

 最後までご読了いただき、誠にありがとうございました。
 拙い文章ですが、率直なご意見ご感想をお待ちしております。
くろさわ
http://twitter.com/KRSW_063
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コメント



0.140簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
2.100サク_ウマ削除
ハッピーハロウィン。とても良い作品でした。
3.100名前が無い程度の能力削除
ハッピーハロウィン、創想話
硬質で落ち着いた文章がとても好みです
4.90名前が無い程度の能力削除
ヴォー
ヤマメちゃー

幻想郷って妖怪もいるから外の行事が舞い込むとカオスに、もとい事件になりやすそうですね
祖霊祭祀ともなればなおさら
5.無評価くろさわ削除
>奇声を発する程度の能力 様
高評価いただきありがとうございます!
長い話ですが最後まで読んでいただきありがとうございました。

>サク_ウマ 様
ハッピーハロウィンです。
根底は好きな話をしてただけなのですが、作品として好みに合ってよかったです。
またよろしくお願いいたします。

>3 様
ハッピーハロウィン、投稿者様がた。
ありがとうございます! 文体を褒められると本当にうれしいです!
時たま文体に悩んだりしているので、そういった一言を頂けるととても励みとなります。

>4 様
ヴォー キスメちゃー
うちの幻想郷では適度に外の行事も受け入れております。
皆様の幻想郷の様子を窺い知ることができる良い機会だと思います。