あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。
ローマの信徒への手紙12章20節
私は梓弓を引き絞っていた。
梓弓は大きいが、それに比べても一段と大きい。私の臍から頭のずっと上まで、それはあった。
そして、鏑矢ではなく、征矢(そや)をつがえていた。
征矢は戦闘用の矢だ。これは獲物を殺す。
時には人を。
「聖! そのまま撃って、殺しなさい! こんな奴を生かしておいたら、人類が滅びるわ! 殺すのよ、聖!」
「僕を殺すのかい?」
私は答えなかった。殺さなければならないのだ。それ以外に採るべき選択肢などない。
殺す。
今からこいつを殺す。この……少年を。
私は弓を、更に強く引き絞った。
弓がしなり、一段と音高く、ギリ、ときしんだ。
霊夢が叫んだ。少年の隣、左に霊夢は立っている。
「そうよ! 殺すのよ! さあ、そのまま右手を離して!」
「そんなことはできないよね? だって、僕は君の大事な人。殺すなんてとんでもない」
私は厳しい面持ちをして目の前の相手を睨みつけていた。
にもかかわらず、私の目から涙が流れ出した。それは止まることがなく、いつまでもいつまでも流れるようだった。いつまでも流れる。私の躬(からだ)が干乾びてしまうまで。
「何をやってるの! こんな悪人、殺してしまいなさい! 早く殺せ!」
私は黙って、矢の切っ先を左にずらした。その先には霊夢が立っている。
「何をやって……どうしたのよ。なぜ私に矢を向けるのよ。殺すべきはこいつなのよ! 私を……まさか、あなた……」
私はそのまま矢を放った。
眉間の真ん中に、矢が突き刺さる。
避ける暇(いとま)すらなかったようだ。霊夢は何も言わず後ろに倒れた。血は少ししか出なかった。
霊夢の好きな巫女服が汚れることもなかった。私は少し安心した。
次の瞬間、悲しみと絶望で目の前が真っ暗になった。
私は必死で弁解した。ごめんなさい、霊夢。この人を殺すことはできないわ。そんなことをするぐらいなら、私は貴女を殺す。
私も、すぐ後を追うから許してね。
霊夢。貴女には何の罪もないことは解っているけれど……。
「僕は殺せないんだね。だから、霊夢を殺したのか」
私は滂沱の涙を流しながら、その場に頽(くずお)れた。
いや、私は彼と生きる。
ごめんなさい。霊夢。私は所詮、地獄へ行くような人間なの。
救いなんてものは現世には存在していないのでしょうね。
今から宗旨替えして……
「おや、まだまともに物を考える力が残ってるのか。驚いたな」
星蓮船の仲間達、一輪や村紗、寅丸達の顔が浮かんだ。
私は更に悲しくなった。
ごめんなさい。合わせる顔がないわね。
でも、私のことを買い被っていたんじゃないかしら。
そうよね。心が通じているといっても、所詮は他人。
人間なんて、仏に救ってもらわなければ、苦海でもがくことしかできないのよ。
それに私は聖人じゃないわ。驕っていて他人を見下す、俗物よ。
違う、違う。
どうでもいいの。もうそんなことは考えたくない。
何も考えたくない。私は、この人がいればいいの。
「是什麼……」
私は、少年の名前を呼んだ。だが私には、私がなんと言ったかは判らなかった。
少年は、花が咲いたように明るく笑った。
「さあ、もう邪魔するものは何もない。二人で暮らそう」
少年の差し出した手を、私は取った。
涙の乾かない頬を拭い、私も笑った。
これでいいんだ。
私の感情は変化していた。
この砌(みぎり)は不思議と悲しくなく、逆に少年と一緒にいる喜びが溢れてきた。
淫欲に似た不思議な快感が体を満たした。
霊夢は死んでいるのだ。この私が殺した。
だが、それはもう、私にとって過去のことなのだ。そう、どうでもいい瑣末事。
全てが渺茫としていた。ただ一つ、少年、彼への思いだけがあった。
彼の為に奉仕できるならば、私のこの肉体が滅んでしまっても、世界さえもが消滅してもいい。
彼よりも大事なものなんて、存在しないからだ。
捨てる物だってない。所詮会衆(えしゅう)を欺罔(ぎもう)して上前をはねるのがせいぜいなのだ。そんな下らないことに執着する必要はない。むしろこれでよかったのだ。
元々私なんて、大那落迦(地獄)に落ちる存在なのだ。何も変わらない。
血染めの衣を着るぐらいなんでもないし、瞋恚(いかり)もする。愚癡の輩だ。
欲もある。たくさん。
少年と共にいたいという欲もある。
それだけじゃない。所有もしたい。支配したい。
支配されたい。醢(ししびしお)にされて食べられたいし、殺されたい。
何度でも殺されたい。何度でも。
「あそこに亭(あずまや)がある。行こう」
遠くに小さい茅屋(ぼうおく)が見えた。清潔そうにはとても見えない。
私に相応しい場所だ。
「さあ、行こう」
私は少年と共に、そこに向かって歩き出した。
そこで行われるであろう、私と少年の淫らな行為を思い描きながら。
そうしながら、ふと霊夢のことを思い出した。
霊夢……ごめんなさい。
さよなら、霊夢。
※
「呀あああああああ!」
「ど、どうなさいましたか、聖様?」
心配そうに、寅丸が私を見ていた。
私は夢から醒めたのだ。悪い夢だったのだろう。汗をかいた背中が冷たく、触ってみると額にも汗をかいていた。
大丈夫だ。
私は寅丸の方に、にこやかな笑みを向けた。いや、向けようとした。
夢の恐怖のせいか、表情がぎこちなくなってしまったが。
「大丈夫よ」
私はたどたどしくそう答えた。
「よほど酷い悪夢を見ていらっしゃったのですね」
寅丸はまだ心配そうだ。
私の取り得は、元気なことである。目を覚ます前、いやそれどころかこんな身分になる前から、外の世界の自衛官や軍人のように、決まった時間に寝、起き、朝飯をたらふく食べる。
今はもちろん、修行をする。あるいは、会衆に教えを垂れたり、弟子や知り合いの妖怪達に説教したりする。それが私の変わらぬ日常である。
「ちっちっ、私が生半なことでくたばると思ったら違うわよ。さあ、今日も修行をしましょう。掃除洗濯に典座(てんぞ、禅宗などで食事の用意をする役職)はあの紫苑に任せて、私達は拈古(ねんこ)でもしましょうか」
「また拈古ですか? 節操ないですね」
ここ命蓮寺は決まった宗派など採らず、何でもやるのが特徴といえば特徴である。私がそう決めた。文句は言わせない。だから拈古もやるのだ。
「あら、星も言うようになったわねえ。成長したのかしら」
「は、はは……」
「じゃあ今日は、人里の様子でも見に行きましょう。星、支度しなさい」
「拈古はどうするのですか?」
「また今度よ」
「かしこまりました」
私が気分屋なのは寅丸もよく知っていて、今更驚くなんてことはない。
さあ、出発だ。私は用意をした。寅丸もいつもの格好で、私達は門から外に出た。
「出発よ~」
「はいはい。階段に気をつけてくださいね」
「了解了解~」
本当に大丈夫かな、と言いたそうに、寅丸は後を付いてきた。人里はそれほど遠くはない。直(じき)に着く。
「食事はどうなさいますか?」
禅宗では食事のことを斎座というが、私達には関係がない。
蛸のことは天蓋といい、刺身は丹のように赤いので丹物、その中でも鯛は格別に美味しいので首座という。
巷でも馬肉は桜、猪は牡丹、鹿肉は椛だが、それは仏教とは関係がない。だが酒のことは閼伽(あか)という。閼伽は仏前に備える神聖な水であるが、酒のことをそう呼ぶことで罪悪感を軽くしているのだ。なお、私は酒など飲まないし、弟子達にも飲まないよう教えている。
「そうね、屋台で食べましょうか」
肉食は体にいいので大いに推奨している。理非曲直、何事にも道理がある。道理が通らぬ教えは曲げよ、というのが命蓮寺の教えの大原則だ。
外の世界でも徳川慶喜は豚を食べるので「豚一」と渾名されていたが、江戸幕府の将軍で七十七歳まで生きたのは彼だけである。仏教が肉食を禁じたことで、大勢の人間が寿命を縮めた。
だが、だからと言って彼ら彼女らが不幸だったかというと、さにあらず。単純に、彼らは自分の信じるところに殉じたということだ。不幸だ不幸でないなどというのはナンセンスである。
思い込みは時として有害である。
私達は、人里にある飲み屋に入った。酒を飲むわけではない。
少々高くついても、飲み屋の方が普通の食堂より料理が旨いことが多い。居酒屋や飲み屋で食事をするのは我々にとってさほど珍しいことではない。
そこで私は見てしまった。
「あっ、一輪! お酒を飲んじゃいけないとあれほど言ったでしょう!」
「ひ、聖様?」
どう落とし前をつける心算(つもり)なのか問いただすように、私は一輪を見た。
「申し訳ございません、これも私の不徳の致すところでして……なんと言ってよいやら」
「いつもその言いわけね。学習しないんだから」
「も、申し訳ございません」
一輪は私が説教を垂れる間しきりに謝ったが、平謝りに謝ったところで、己の破戒(戒律を破ること)がなかったことにはならない。説教の間、寅丸は場を和ませたいのか苦笑したままだったが、結局最後まで口を噤んでいた。
「さて一輪、ご飯がすんだなら付き合いなさい。私を差し置いてやることなんてないでしょう?」
「そりゃそうですけど、何をなさるおつもりですか?」
「説教しなきゃいけないようないい加減なことをしている人間を見つけて、教え導くのよ」
「ええー?」
店の暖簾をくぐり切ったところで、私は振り向いた。
「どうかしたかしら、一輪」
「そんな人間がお誂え向きにすぐ見つかりますかねえ……人里の人間は皆真面目でキリキリ働くと仄聞(そくぶん)しておりますが」
「んなこと言っても見つけるしかないのよ。だって他にやることもないし」
「寺に帰って修行しては……」
「そんな気分じゃないの」
私はまた前を向いて通りを歩き出した。
通りを歩いて右に曲がるとすぐ、黒山の人だかりとそれに続く行列に行き当たった。
私は言った。
「臭いわね。これは何かあるわ」
私はずんずん近づいていって、中央にいる人物を見定めようとした。
程なくして、見知った人の声がした。
霊夢だ。
人だかりのすぐ側まで近づくと、何を言っているか仔細に判った。
「ううん、そうねえ……あかり、さとこ、かおり、みき、まい、この中から運命の相手が見つかるわ。間違いない! 安心しなさい。私は嘘はつかないわ。よかったわね」
「ありがとうございます」
「何、お安い御用よ」
なんだ、一体?
「ちょっと待ってて」
一輪雲山寅丸の三人にそう言い置くと、私は無理矢理人山の中に割り込んでいって、霊夢の前、行列の先頭の人物のすぐ横に立った。
「何してるの霊夢? 答えなさい」
「ああ、これ? 占いよ。ええとね、ちょっと待って。邪魔が入ったから。何?」
「『何?』じゃないでしょ。何してるのよ」
「結婚相手を占ってるのよ」
「貴女に占いなんてできるの?」
「そりゃ勿論。心得もあるわ」
「どんな?」
「直感が大事なのよ」
「つまり、根拠はないということかしら?」
「まあ、そういうことだけど、いいじゃない。聖のとこも、正月とクリスマスと盆を一緒くたに混ぜこぜにしたような信仰やってるでしょ」
「信仰はやるやらないじゃないの。自然と生まれるものなのよ。今から占いの大家になって信仰されたいの? 神社はどうするの?」
「そりゃ続けるわよ」
暫く沈黙があった。行列に並んでいた人が、自分の番だと催促することを言ったが、私達は双方動かなかった。
私は、後ろの人山に向かって振り向いた。
「みなさーん! この占いはインチキですよー!」
「何言ってんのよあんた! 占いなんて、鰯の頭でしょ! 信じればその人にとっては真実なのよ!」
「五月蝿い!」
私は一喝して、霊夢の頭を思い切り押した。叩いたのではない。
霊夢は、「あ」と言いながら椅子ごと後ろにひっくり返った。
「見てください、この無様な姿を! こんな奴ただのごまのはいで、ちっともご利益なんかないし、全部デタラメなんです! 信じちゃダメ、信じちゃ!」
その後霊夢が呆れて黙り込むまで、こんこんと道を説いた。
はあ、いいことをすると気分がいい。寅丸が半ば呆れ顔で私のことを見ていたが、いつものことだから気にならない。
そろそろ寺に戻るため、引き返そうかしらん、と思って前を見ていると、大きな屋敷の堀に向かってしゃがみ込んでいる少年が目に入った。
少年は猫を抱いていて、少年の背中と足元にも猫が数匹じゃらついていた。すっかり懐いているようだ。
私は微笑ましい気持ちになって、それを見ていた。
すると、一匹の猫が出し抜けに、猛スピードでこちらに突進してきた。
このままだと股の間をすり抜けてどこかへ消えてしまう。私はとっさにそう判断し、猫を捕まえる体勢を取った。
少年は呀(あ)っと言う間もなく困った顔でこちらを見ていた。
私は腕全体を使って猫を抱きとめ、逃さないようにしながら少年の方に歩いていった。皆も付いてきた。霊夢は神社に帰ったらしい。
「捕まえたわよ。これで大丈夫ね」
「ありがとうお姉さん」
少年は白い歯を見せてニカッと笑った。
猫の背中を撫でながら、少年は言った。
「でも、僕の猫じゃないんだ。ほとんど僕の猫みたいなものなんだけど、この辺の茂みにいて、人から餌を貰って暮らしてる猫なんだ」
「可愛いわね」
「そうだね。僕も猫が大好き。猫を見ていると幸せになるし、猫が幸せになれば、僕も幸せになれる」
そう言って、少年は慈しむように猫達に視線を投げかけた。
「猫が好きなの?」
「そうだ。愛していると言っていい。猫ほど可愛い生き物はいない。愛してるよ」
その途端、私は、胸が熱くなるのを感じた。
それどころか、顔まで血が上って紅が差したように赤くなるような気がした。勿論気のせいだろうが……。
まさか、煩悩を捨てた私がこんな、年端も行かない少年に?
そんなわけが……。
動揺を寅丸たちに悟られるわけにはいかない。とりあえず、真っ赤になっている可能性のある顔を向けることは避けなくては。そう思って、私は少年の方を見た。
見たというより、変に力が入って睨んでしまったかもしれない。少年は屈託ない笑みを湛えてこちらを見つめ返した。
それに耐えられず、思わず私は後ろを振り向いた。後ろには寅丸と一輪、雲山がいた。
「大丈夫ですか、聖様」
寅丸の顔には、『顔が真っ赤になっていますよ、聖様』と書いてあった。いや、私にはそう思えた。
私は寺の方向に向かって何も言わず駆け出した。二人は私の心中を知ってか知らずか、後を付いてきた。
寺に着くと、私は一人で仏間に籠もった。
こんなことはあり得ないはずだ。少なくともこれまでにはなかった。
私は全ての煩悩を捨てたはずなのだ。今更恋などするはずがない。
ましてや、あんな稚(おさな)い子供に……。
脳裏に、あの少年の笑顔がありありと浮かび上がった。
ダメだ。
想像は止め処なく続いた。私の意志では止めることができず、まるで別人になったようだった。私も遠い過去に恋をしたことはある。その時のことを少し思い出した。
私が忘れていた、人に恋をするという感覚が甦ったのか。
あんなに修行したのに? 私はもう、仏道に入り恋などしないのだと誓ったのに?
思い出すというほどのことではない。
人は欲を捨てることなどできない。私は心の中で、常にそう思っていたのではなかったか?
いや、違う。もっと判然としている。
欲を捨てることより、自分の中に欲があることを識(し)った上でそれを制御することが大事だと、ついこの前の説教でもそう説いて回ったのではなかったか。忘れたわけではない。あれは確かに現実だった。
私は忘れていない。莫何(ばか)になったわけではない。それでも、私は思う。
たとえ自分を統御していても、無意識下ではよからぬことを考えていたのかもしれない。人間には無意識下の想念とも言えない想念を滅することなどできない。
意外かもしれないが、私はこんな立場でありながら、チャチなオカルトも、万能の神通力というものも信じてはいなかった。
神を恐れる心はある。偶然の幸運も不幸も、神の意思だと思っている。
だが、科学的な視点を欠いたジンクスの類は、却って神仏を遠ざけ、人間を不幸にする。
更に言えば、神は万能ではない。何よりも肝心なことは、神に頼らず自分の力で道を拓(ひら)くことなのだ。
そして、不可能に直面したら、潔く諦めねばならない。
最後に、起こったことを神の意志として受け入れ、現実に自分を順応させること。これが大事なのだ。
命蓮寺の教えはある時は他力本願だし、ある時は密教的で小乗仏教的に修行の大切さを説く。とどのつまり、とことん実際的だ。信者達が幸福に生きるために、その助けとなるように教えを説く。それが、人間にとって最も相応しいであろうと私は思っているからだ。
だが、この期に及んで私は、私自身の教えから見放されてしまったように思った。
一体私は、何を問うてきたのだろう。
自分の欲望を認めて、恋の成就に向けて動くべきなのか。そんなことはあるまい。
恋心を捨てるため、二度とあの少年に会わないよう人里には行かないのがよい。それは解っていた。
だが、私にそれができず、また人里に向かうことも解っていた。
私の肉体も心も、どこか遠くにあるような気がした。私の手から離れて勝手に振舞っている。
菩薩も如来もただ私を見つめるだけで、手を貸そうとはしない。
私は天国の仏陀に向かって祈った。
仏陀様、私はどうしたらよいのですか?
答えはなかった。ただ、これは夢ではない、そう言われた気がした。
暢気な一輪はともかく、寅丸は私の「変調」に気がついているようだった。
いや、私が神経過敏になりすぎてそう疑っているだけかもしれない。
疑いの心は即ち、瞋恚(しんに)の心に通ずる。無礙の悟りを啓いた者が持つべきではない。
仏道を志す者は、心を乱してはならない。激してはならないし、欲に憑かれるなど以ての外だ。今の私は、風に吹かれる蘆のように弱い。
人間とは元々、そのような弱い者なのだ。だから、ひょんなことから転んで倒れてしまう。
そんなことは、否というほど解っている。実地踏著(実際に経験し学ぶのがよいという意味の言葉)は仏教の核心に当たる。無義為義(ぎなきをぎとす)などというのは笑止千万である。
そのように私は教えたはずだったのに。
乱離骨灰(らりこっぱい。ムチャクチャ)の私の心は、神仏の救いをひたすらに求めた。救いが私に降りかかること、それだけを求めていた。
それがいつの間にか、あの少年のことを求めていた。如来達の顔は、あの少年の笑みを湛えた顔に変わった。私はあの少年と接吻(キス)をしていた。そして、少年の手は私の胸に伸びた。それを愛おしそうに愛撫する少年に呼応して、私は僧衣を脱いでいた。少年の唇(くち)が、私の胸の頂(てっぺん)にある赤い乳首に触れる。生娘のように乳首を吸われ、私は喘いだ。
ああ……。
彼の名が判らない。
そこで私は正気に戻った。座禅を組み、精神を統一する。
褒ジ(女偏に以)も妲己も女だった。男が女を誑かすことより、逆の方がよほど自然だ。
あれは人間ではないのかもしれない。私を取って食おうとする妖怪なのではないか……。
当然の疑問だ。あの稚い子供の姿は仮のものであろう。そうでなくては仏道に帰依した、この私の心を動かすことなどできまい。
あの……子供の姿の……。
嗚呼! どうしてこんなに、私の心を乱すのだ!
「妖怪風情が」
私は呟いた。
正体を暴き、殺すか、封印せねばならない。
見つけたからには生かしておけない。大丈夫だ。この私が、引導を渡してやろう。
引導を……。
私は思わず、胸を掻き毟った。自分の想像のあまりの悍(おぞま)しさに、身震いが止まらなかった。
「星! どこにいるの! 星、出てきなさい!」
私は障子に倚りかかって、不自然な格好で座った。
「星! 星……」
全力で声を張り上げたつもりが、最後は掠れ声になってしまった。
「聖様!」
よかった、来てくれた。
「星」
「どうなさったのですか。凄い汗ですよ。着替えを持ってきます!」
そう言って立ち上がった星に、私は倒れこみながら片息ついて(息も絶え々々に)呟いた。
「いいの……それより話を聞いてくれる?」
言うな!
強烈な思念が私の意志に逆らった。
「聖様!」
朦朧とする意識の中で強く念じた。お前には負けない。
いや、もう駄目だ。クソ……お前のようなものに……負ける……わけには……。
ちっと舌打ちする音が聞こえた気がする。
私は静かに言った。
「星、話があるの」
「それよりご自分の命を大切になさって下さい」
「そうしてるわ……私は悪い妖怪に心を奪われて……その妖怪が私に悪さをしてるの」
言おうすると舌が縺れるか窒息するのではないかと思ったが、そうではなかった。
何事も起きない。私の躰(からだ)も無事なようだ。
「そんな……聖様が、卑しい妖怪風情の輩に害されるなどということがあるとは……私には信じられません」
「そうよね……見上げた根性でしょう? 私に手抗(むか)いするなんて」
「そのようですね」
いやしかし、信じられない、と寅丸が呟いた。
私だってそうだ。長く生きてきて、初めてのことなのだ。このようなことは恐らく僅有絶無、もう二度とない。
あの妖怪を滅したら、金剛力のように勁い意志を造るまで今一度修行を重ね、仏道を極め、衆生を全力を挙げて教え導こう。私はそう心に刻んだ。
私は決して屈しない。
私の救いを必要とする人間がまだ沢山いるのだ。
ぬえと、化生の者の専門家のマミゾウを含めた命蓮寺の全員に、星から少年についての情報が伝えられた。
どうせなら脅(おど)かしてやろうということで、全員で少年を探すことにした。化けているならたちどころに正体を暴いて、成敗する。可哀想だが亡き者にして、菩提を弔ってやるしか術(て)はない。リアリストの私が、情けで生かそうなどと思うわけがなかった。
少年姿の妖怪の捜索が始まった。空を飛んで上から見れば容易い。向こうは姿を隠す気もなく私が来るのを待っているのだから尚更だ。
だが、捜索は本当にあっけなく終わった。前と全く同じ処で、猫と戯れているのを星が見つけたからだ。
私達は上空から名乗りを上げることにした。
「そこの少年の姿をした妖怪! 見つけたからには絶対に生かしておかないわ。地獄に落ちないように、今の内にお不動様(閻魔)にでも祈っておきなさい!」
反応はない。不思議そうに私達を見上げている。
私はまた、妖怪を抱き寄せて頬擦りしたいという欲求に駆られた。
駄目だ。
いや、皆がどうなろうと、もう妖怪は退治される運命に決まっている。哀れな奴。
折れそうに華奢な、嫋々(なよなよ)した手足。まるで女のようだ。
本当になよやかな……体力もそうはあるまい。
あっという間に我々の折檻に音を上げて……。
いや、息の根を止めることなどわけもないであろう。
皆、妖怪の周囲を取り囲んだ。
「これが申していた奴か……」
じろじろ、マミゾウが妖怪を睨む。
「このような姿の者が、妖怪であるなど信じがたいが……それに、縄に首をかけた現状でもコクソク(びくびくするさま。「コクソク」でぐぐるとトップで出てきます。)もしとらんようじゃしのう……邪気のない幼児(おさなご)ではないか。何かの間違いではないのか?」
「私もそう思うわ。ただのガキンチョじゃないの」
ぬえがそう応じた。
「でも私は、なんとなく怪しい気を感じるけど」
「はあ? 村紗、大丈夫? 本当にただのガキじゃないの、こいつは」
いけない、このままでは皆がこの妖怪に騙されておかしなことに……。
マミゾウが少年の背中を強く叩き、もんどり打って少年が前に倒れた。
「あっ!」
少年は須臾(しばらく)起き上がらなかった。漸く立ち上がると、辛そうに呟いた。
「痛いよ、眼鏡のお姉ちゃん……」
猫も逃げちゃったし。少年はそう言った。
本当に「少年」にしか見えない。たとえ妖怪とはいえ、私が恋した相手なのだ。
「どうすればいいかしら」
違う。早くこいつを殺さないと。
「何を考えてるの、お姉さん。僕は人間だから転んだら血も出るし、妖怪じゃないよ」
「そうじゃなあ。命蓮寺に連れて帰って様子を見たらどうじゃ?」
「マミゾウがそのように言うということは、此奴(こやつ)には何か秘められた力があるのやもしれませんね」
「儂の力でもってしても見抜けぬということがあるのじゃろうか。聖、お主が誇大妄想を抱いているという可能性を今疑っておるんじゃが……己が人を恋い慕うという事実が信じられんせいで頭が少々変になっておるのではないか?」
「ち……」
違う! こいつは生かしておけない悪魔なんだ!
「そ、そうかもしれませんね」
頭の中で気をつけろと囁く自分がいるのに、私は曖昧な笑みを浮かべながらそう答えてしまった。
いけない。このままでは、強大な力を持つ悪魔を命蓮寺に引き入れるという最悪の結果に……。
「そんな悪い奴じゃないみたいですし、連れて帰ることに私も賛成します」
「私は何でもいいよ。部外者だし、そもそもなんで連れてこられたのか……」
ぬえが退屈そうにそう言った。苦虫を噛み潰したような表情で村紗も続けた。
「そういうことになりそうね。でも気をつけて。いつ襲い掛かってくるか知れたもんじゃない。きっとこう見えて、強い力を持っているんだわ。私にはそんな気がする」
「この子供がか。こいつは女か? 男のような格好をしてはいるが、まるで女のようじゃの」
私は笑いながら言った。
「男の子よね……?」
「僕? 僕は男だよ。女の子に見えた?」
「少しね」
「ふふふ。そんなわけないじゃん」
屈託なく笑う。
「可愛いやつじゃ」
「うん」
「あー! 可愛い!」
マミゾウが少年に頬ずりした。
ダメ! こいつは悪魔なのよ!
「マミゾウ、気をつけて」
「ん? なんじゃ?」
「こいつは妖怪……いや、悪魔よ」
「お主はそう思うのか」
そう問われて、ややあって私は答えた。
「ええ。そうよ」
「ふむ。お主、声が震えておるようじゃが」
涙が出てきた。
「だって……外見がいくら可愛くても。悪魔は悪魔で……悪魔は私の心を狂わせて……弄ぶつもりなのよ」
「ほう、嫉妬か」
私は答えなかった。決して嫉妬などではない。心配しているのだ。
破滅への道。今私達はそこへ踏み出したのではないか。
いや、我々を待っているのは破滅だ。絶対に……破滅が待っているのだ。
此奴の妖力で思考が乱されているに違いない。ここで彼と袂を分かち、それどころか成敗せねばならないのだ。
私にそれができるだろうか?
できる。
「待ってみんな! こいつに騙されちゃ駄目よ。こいつは絶対に、我々を害する敵よ。そうに決まってるわ。だからここで殺してしまいましょう」
「聖様……」
深刻そうな顔で、寅丸がこちらを見る。私は必死で、訴えかけるように寅丸の目を見返した。
「私には判りませんが、この少年の姿をした者はきっと善からぬ奴なのでしょう」
「儂にはそうは見えんが……」
「私にもそう思えるのですが、聖様がここまで仰言るならば、そうでないのでしょう」
「何よその自信のなさは」
ぬえが笑った。
「いや、聖様は常に、含みを持たせた言い方をなさいます。ここまで断定的に決めてかかることはありません。おそらく聖様の勘が、此奴は危ないと告げているのでしょう。所詮私は聖様に仕える身。聖様が仰言るのであれば、従います。もし必要ならば、腹を切ることも喜んでするでしょう。尤もそのようなことはありそうにもありませんが」
「ヘーコラしてれば何でも上手く行くと思ってんだ」
「そう思われても仕方あるまいが、全くその通りです。それが私の道です」
「残念ね、少年。貴方は死ぬことになるわ。でも安心して。きっと安らかに成仏できるから」
「な、何を言ってるの? 僕はただの人間なのに……」
私は両方の掌を少年に向け、力を込めた。
誰も止めない。私は少年のために念仏を唱えながら、少年を殺すための弾幕を撃とうとした。
「何してるのかしら」
見慣れた道士服。紫だ。突然少年の後ろに現れた。
力を込めすぎていたため、少年が一溜まりもないどころか、私は少年に向かって、熱で地面を溶かしてしまう程の弾幕を撃とうとしていた。
それ程までに、私はこの少年を恐れているのか。
汗が背中を伝って服に染み通っていくのを感じた。このまま撃てば、いかに紫といえどもただではすまい。私は言った。
「紫、そこを退(ど)きなさい」
「嫌よ。なぜ退かなければならないの?」
「貴様……!」
私は思わず歯噛みした。とんだ邪魔が入ったものだ。
「馬鹿馬鹿しいわね」
思い切り伸びをするように両手を組んで真上に伸ばしながら、目を瞑って欠伸をする紫。
「何をムキになってるのよ。こんな子供に、一体どんな罪があるの?」
「そいつは妖怪、いや悪魔よ。人を惑わす、化け物だわ」
「悪魔なら紅魔館にうんざりするほどいるわよ?」
「違うの。そいつは正真正銘の、人を不幸にする存在として名高い、邪悪な悪魔なのよ」
「だったとしたら……」
「黙れ! この八卦見風情が!」
「んー? 私が占いをすると思ってるのかしら。そんなわけ……」:
「そうやってのらりくらりとかわして、烏も鷺と言いくるめる聊爾者(りょうじもの:いい加減な人間)が! お前は私の苦労も知らない。何も理解していない! 失せろ、痴れ者が!」
「何事も試練。ここにこの妖怪が現れたことには意味がある。それを理解するまでは、何を言っても無駄ね。とにかく、聖を落ち着かせて、この妖怪は命蓮寺に連れて帰りなさい」
「そんなことはこの私が……」
「どうするというの?」
「決まっている。ここで成敗……」
ぐっ!
力が……出ない! 腕にも力が入らない。
「いつからその悪魔の眷属に身を堕としたのだ、紫……」
「はっ、仰仰しい物言いをすればいいと思ってるなら間違いよ。私は到って健康、ここまで出世して、今更悪魔に肩入れするメリットもないわよねえ。普通に考えればそうなるのだけれど、聖、今の貴女はどうかしてるわ。命蓮寺に戻って、頭を冷やしなさい」
「了解じゃ。様子のおかしい此奴は儂等で看視しながら、連れて帰るとするか。ぬえ、お前はもうお役御免じゃ。何処へなりとも行ってしまえ」
「りょうかーい」
駄目だ、こいつを殺さないと……皆、気づいて。
なぜ判らないの。こいつは悪魔なのよ……。
嗚呼、神よ!
そうして、我々と少年との生活が始まった。
その日の内に、私は少年に対して害を及ぼすことができなくなっていた。
私は、少年を憎んでいるのか、愛しているのか、まるで解らなくなっていた。
無茶苦茶な想念に取り憑かれ、物を考えることすらできなくなっていた。
気がつくと私は、少年にすっかり心を喰われていた。
夢を見ていた。
「お姉さんは、夢でも僕に会いたいんだ」
「そう」
「最近、口数が少なくなったね。どうしたの?」
「疲れたのよ」
「お姉さんみたいな立派な尼さんでも疲れるの?」
「そうよ」
少年は、段差に座った私の隣に腰掛けた。
何もない空間で、私は少年と一緒にいる。
「そういう時、例えばどういうことを考えるの?」
私は答えた。
「何が正しくて、何が正しくないのか、それが判らないの」
「判らないと困る? そんなことうっちゃっておいて、人類が平和に生活するにはどうしたらいいか考えるのはどうかな? そうすればきっと楽しいと思うよ」
「そうね。でも私は考えなきゃいけないの。皆の幸福の為に、私は考えるの」
「そっか」
少年は嬉しそうに笑った。
「お姉さんは次の段階に行かないとね」
「……何かしら?」
私は訊いた。
「いくら望んでも得られない僕の愛を諦める時がきたね」
私は答えた。
「そうだったの。知らなかったわ」
「お姉さんは知らなくて当然だよ。全部僕の計画の内なんだ。お姉さんはもう、僧侶としてやっていけなくなる。でも、それは不幸なことじゃないよ」
「そう」
「僕はお姉さんに、もっと理性的になってほしいんだよ。他人の為に奉仕するなんて、思い上がりも甚だしい。自分の為に享楽的に生きる方がずっといい」
「そうかしら」
「そうさ。お姉さんにはまだ、解らないだろうね。ほら、あそこに博麗の巫女がいるよ」
渺茫とした空間の遠い所に、霊夢と思しき姿があった。いや、あれは霊夢だ。私には判る。
「霊夢は泣いてるんだ。お姉さんが、僕みたいな妖怪風情に拐(かどわ)かされて誘(そび)きかけられて、邪悪な道に堕ちようとしているのを悲しんでいるんだ」
「そう」
そこで目が覚めた。
※
「お姉さん、また会ったね」
「あら、元気にしてた?」
「ぼちぼちかな。それよりほら、前を見て」
霊夢がいる。私に何かを大声で喚いているようだ。
きっと、そんな奴とは縁を切れと言っているのだろう。
私にはできない相談だ。
「お姉さん、彼女は僕を殺すよ」
「判っているわ。そんなことは必要ない」
私は弓に矢を番え、霊夢に向けて構えた。
※
「おおい、来てやったぞ」
「聖様、神子様がいらしております」
「通してあげなさい。私の部屋へ呼んで」
「かしこまりました」
「よくいらっしゃってくれましたね」
私は神子に笑みを向けた。
「久しぶりだなあ。まあ、大いに久闊を叙するとするか。だが、此奴は何じゃ? この前来た時はいなかったが」
神子は、少年の姿の妖怪を指差した。
「可愛いので人里から連れてきました」
「そうですね」
「確かにそうだが、いいのか?」
「ええ」
淡々と私が答えると、神子は眉を顰め、品定めでもするようにこちらを見た。
「お前、顔色が悪いぞ。何か心配事でもあるのか?」
「別に……ありません」
「そう言っても、やつれているようだが。何かおかしなことはないか? 言ってみろ。私とお前の仲だ。遠慮は無用である」
「いや、何もないのですが強いて言えば……」
「なんだ、何でも言え」
「最近、夢を見なくなりました」
「ほう」
「何か夢を見ていたという感覚……いや、証拠はないのですが、そうだと確信できるような気がするのです。内容は全く覚えていませんが、いつも同じ夢のような気がします」
「そういうことであれば、知り合いの獏に見てもらおう。ドレミーとかいう奴だ」
「わざわざそんなこと……」
「毎日同じ夢を見るなんて尋常ではない。理由を突き止めねば安心して眠れぬではないか」
「その通り」
紫だ。スキマから現れた。今の私には、怒りも悲しみも湧いてこない。
少年への愛があるだけだ。
「獏を連れてくるわ。少し待っていて」
ドレミー・スイートと、こころがいるようだ。
「こんにちは皆さん」
「こんにちは」
「ドレミー・スイートです。私と一緒に神子の夢の中に行きましょう。いや、もう既に皆さんは、その世界の中にいます。聖さんは今、起きながら夢を見ているようですよ」
「ほう、それは面妖な」
私はドレミー達がこの夢の世界にいるような気がした。いや、それを認識する前に、私が今起きている状態で夢を見ていることを認識した。おそらくドレミー達が私の夢に現れたので、そのことを私が知覚したのだろう。
のみならず、ドレミー達が何を言っているかも、私には手に取るように判った。私の夢だから当然かもしれない。
だが、私は絶望していた。殺しても殺しても、私の夢は終わらない。
彼女らでは私は救えないという確信があった。もっと強い力で封じ込める手立てが必要なのだ。こんな姑息なことではどうにもならない。
「早速分析していきます。こんなに無意識下で自分を抑圧している人は珍しいですね。激しい意識の流れがあります。どうやら、あの妖怪に心を奪われてしまっているようです」
神子が心に訊いた。
「あの妖怪って、最近命蓮寺にやってきたという、あの妖怪か?」
「そうですね。一言では申し上げられませんが、あの妖怪を憎みつつも、愛しているようです。何か凄く不自然な……作為的に作られたかのような、そういう相反する感情の並存があります。聖さんの心は、元々虧(キ)を成しやすい(壊れやすい)。加えて今は、非常に微妙な状態です。夢がその原因であることは間違いありません」
「私もそう思いますね。この夢は明らかに不自然だし、普通人は寝ているときに夢を見ます。意識がある時に、普通に行動しながら無意識下で夢を見るなんてこと、本来ならばあり得ないですよ」
「無学な私でもそれは判る。して、このままだと聖はどうなるのだ?」
「今はまだその兆候はありませんが、早発性痴呆のようになってしまうかもしれません」
「早発性痴呆? なんだそれは?」
「外の世界では有名な病気で、今は統合失調症と呼ばれています。一度かかると決して治らず、精神が荒廃して廃人になってしまいます」
「それは本当か」
神子が険しい顔をする。それに対して、ドレミーが胸を張って答えた。
「それは普通の場合ですね。夢が原因であることが判っており、そして我々は夢の中にいる。それなら夢の中で少し冒険して、聖さんの苦しみを取り去ってやることで、元の聖さんに戻すことも不可能ではないでしょう」
ふふふ、と余裕の笑みを浮かべる。
私を探しているようだ。もうじきここにやってくるだろう。
少年と一緒にいる私を見て、軽蔑するに違いない。色欲の沼に沈んだ私に敬意を払う人間などいない。もう私は変わってしまったのだ。
「いました。聖さんです」
「おお、本当だ。あの点のように見えるのが聖か」」
「心は空より広いんですね。知りませんでした」
こころがさしたる感激もない、というように呟いた。
「あっちにも誰かいるな。あれは誰だ?」
神子が指差す先には、霊夢がいる。ドレミーが目を眇めて見ている。
「ええと、あれは霊夢さんですね。なぜここにいるのでしょう」
「無茶苦茶に怒っているようなので、少し感情を鎮めておきました」
「そりゃどうも」
ドレミーが答える。
「まだ遠いな。何事か起こりそうだから急ぎたい。ワープはできないのか?」
「夢の中なので、当然できます」
「なら聖の許(もと)へ向かおう」
「到着しました」
「え、もう?」
「ええ。夢なので」
「聖。また会ったな。お前のことが心配でやってきたんだ。そこの奴にも少しお灸を据えてやらねばならんようだな」
「この妖怪は我々に対して敵意があります。表面上は何事もないように装っていますが、一種のルサンチマンの類を抱えているようです。自分が大したことない妖怪の端くれであることがコンプレックスであるようです」
違う! こいつは悪魔なんだ! とんでもない大妖怪なんだ!
「少年」は言った。
「お姉さん。僕のことを捕まえにきた人達がいるよ。僕を殺す気なのかな」
「そうね」
「早くそいつを殺しなさい! ……何よ、あんたら。何しに来たの?」
訝しそうに霊夢がこちらを見ている。
私は黙って、弓を持ち上げた。
「何をする気だ、聖?」
涙が流れ、やがてそれは滝のように溢れた。
ごめんなさい。やらなければならないことがあるの。
その呟きは、言葉にならなかった。ただ私の脳裡に空しく谺(こだま)していった。
そして私は、弓を引いていた。
「待って下さい、何をする気ですか?」
それでも努めて冷静に――私にはそう思える――獏が言った。
「そんなことをしたら、死んでしまいますよ。夢の中とはいえ、貴女は一人の人を殺すことになるのです。愛する相手を」
「なるほど、それで聖さんはそんなに悲しんでいたのですね」
こころが得心して言った。
「そういうことですか」
私は更に力を込めて、弓を引き絞った。
「やめろ!」
神子が弓に手をかけた。力尽くで止めるつもりらしい。
「なんで……なんでそんなことを言うのよ」
「そうよ! そいつは殺すしかないのよ! 殺しなさい、聖!」
霊夢が叫んだ。
「この霊夢さんは、この妖怪が作り出した霊夢です。本当の霊夢ではありません」
ドレミーだ。
だからどうしたというんだ。そんなことは関係ない。
「退いて」
「退かない」
「なぜ! そんなことを言うの!」
「我の言う通りにしろ、聖」
「そんなことを言うなら、あなたも殺さなくてはならなくなる……お願い、やめて……」
私は涕泣した。
「なぜ殺すんだ。その妖怪(・・)を」
そう。殺さなければならない。この少年の姿をした妖怪を。
こいつは悪い奴なのだ。
「殺さなくていいのですよ」
こころ……。
「あなたの感情を鎮めてあげましょう」
「それがいい。この期に及んでは、それしか手段はあるまい」
神子が諦め顔でそう口にした。
私の怒りが消えていく。先程までのもやもやとした思いが、なくなっていく。
「正義感が強いんだな、聖は」
「そ……そうじゃないの。私はただ、この世の悪を滅することがみんなの為だと……そう思っただけで」
「いいんだ。何も考えるな」
神子は私を抱擁し、頭を撫でた。
「殺していい存在などない。それが真実だ」
「そうです。信じてください。これほど貴女を慕う仲間がいるのに、貴女が手を下す必要もないですし」
「おい、ドレミー。そうじゃないだろう。殺す必要なんかないんだ。余計なことを言うな」
「すいません」
ドレミーがおどけて言う。夢だから、舌をペロッと出したことも判った。
「ちょっと待ってよー!」
「何だ? 妖怪」
「僕の努力が台無しじゃないか」
「ほう、どういう努力だ?」
「このお姉さんを狂わせるための努力だよ。尤も、もう手遅れかもね」
「何をした」
「この聖とかいう奴が、夢の中で僕を殺すように、まず霊夢を殺させたのさ」
少年が掌を上に向けてシュラッグする。
「ふっ、勿体つけても無駄だ。どうせお前は名前すらない妖怪の下っ端なのだからな」
「ほ、ほう。僕を怒らせたいのかい?」
「お前の頭で考えても、碌に考えられまい。そんなちっちゃなオツムで考えたことなど、どうせ大したことないのであろうし、興味もない。お前が得意満面でつまらないことを言えば面白かろうと思ったのだよ」
神子は笑っていた。
「僕のことを見くびっているのかい。そいつは面白い。人間なんて、ちょっとしたことで狂ってしまうものさ。例えば、愛する人を殺す夢を、終日終夜(ひねもすよもすがら)見せられるということでもね。それにね、殺さなきゃいけない存在が全くないということが真実だなんて、そんなことが正しいと本当に思うなら、それこそ狂っている。そうとしか言いようがない。お姉さんこそ間違いなく狂っているよ。そうは思わないかい?」
「訂正しよう。殺さなければならない人間はいるかもしれない。でもそんなものは、無視できる程のほんの一握りだけだ」
「それも間違ってるよ、お姉さん」
「私の名は神子という。名前のないお前に教えてやろう。尊い私の名を」
「じ、自分のことを尊いなんていう人はいないよね、普通」
「神子……私は……」
また涙が溢れてきた。
「もういいんだ。私が落とし前をつける」
「わ、私……この人(・)を殺したくないの……でも霊夢を殺した時は、もっと悲しかったわ……悚然(ゾッ)としたの。自分のしたことの罪の大きさと、これから背負っていく責任の大きさに……」
「これは夢だ。気にするな」
「知っているわ。でも、目が醒めると忘れてしまうの……眠るとまた思い出して……もう何回、この人を殺してしまったのか……私は……」
「いやー、一回殺して生き返った所で止めればいいと思いますけどねえ……」
「ふ、そうだな」
「だ、だって……私は思っていたの。殺さなければならないって」
「申し訳ありません。皆様に申し上げねばならないことがあります」
こころが心痛を隠せないかのように言った。
「どうした?」
「聖さんは、もう精神が荒廃していて、私の力ではいかんともしがたい。残念ながら、元に戻ることはないかもしれない」
みんな押し黙った。
こころが続けた。
「本当に心苦しいのですが、この妖怪は力が弱くとも、またこのようなことをするかもしれません。生かしておくのは問題ではないでしょうか」
「神子様、いかがいたしましょう」
寅丸が言う。
「ええと、実はこらしめるのは意外と簡単でして、私の能力で夢からこいつを引きずり出して現実のこいつと対面させでもしてから、両方まとめてやっつければいいだけのことです。なんなら消し炭にして二度と甦れないようにすれば……」
「いや、それには及ばん」
「え……」
「私はこの妖怪を許す」
神子が言った。皆驚きに目瞠(めひら)いた。声も上げられないようだ。
「大した力もない者を罰したところで、これまでの聖が帰ってくるわけではあるまい」
「ですが、憎くはないのですか?」
「確かに憎い。だが、ない力を振り絞って悪知恵を働いた。その努力を買って無罪とする」
「そ、そんな馬鹿な……」
マミゾウがぬえの方を見た。
「うん。私もさっきから、意味がわかんない。罪を犯した人間は罰するのが当然なのは、外の世界でも常識でしょ。私なんか相当へこまされるはずの所を何度も逃げてるのにさ」
「そんな常識は捨てろ」
「おいおい、何だこの集まりは?」
いつの間にか霊夢が忽然と消え、代わりに魔理沙が現れていた。
「私は勿論夢の中の存在で、今昼寝をしてるんだが……みんなどうした、こんなに集まって。お、見慣れない妖怪だな。随分可愛い……ちょっと待て。お前か、私の家から媚薬を盗んだ奴は」
「え、何のこと? お姉ちゃんなんて知らないよ」
「とぼけるな! すぐ判るんだよ。あの媚薬を使った奴かそうじゃない奴かってこと位は! 間違って使わないように、布でぐるぐる巻きにして封印しておいただろ。なんで開けたんだよ!」
「そんなの知らないよ。使いたかったから使ったのさ」
「お前なあ! ……ああ、可愛い~」
魔理沙までこの妖怪の毒牙に……その媚薬は捨てさせよう。私は固く心に誓った。
こころが泣いていた。
「ごめんなさい。ちゃんとしているように見えますが、先程申したことは本当です……聖さんは、もう……」
「なぜ気がつかなかったんだ」
厳しい声色で、星と村紗に神子が訊いた。
「普段通り、会衆(えしゅう)への説教と、座禅、我々との語り合いを済ませておいでだったのです。この星、痛恨の極み。切腹が許されないならば、この聖様と、何処までも一緒に参ります。いや、聖様は、どのようなことがあっても私にとっては聖様です。地獄の底までご一緒致します」
「寅丸……」
「感動する話じゃな。だが、大事なことを忘れておるぞ」
「この妖怪への処罰ですか?」
「それもあるが、聖を元に戻すための手立てを考えることじゃ。当然じゃな」
「そんな方法はありません。早発性痴呆を完治する手段など存在しませんから。できるのは対症療法だけです」
冷静に話したこころをマミゾウがじろりと睨みつける。
「本当にそうか?」
「ええ。本当です」
「困ったのう……」
マミゾウが妖怪を見る。自然と、皆の視線が少年に集まった。
「どうしたのみんな? 僕は何もしてないよ?」
「たわけたことを言うな! お前のせいじゃろうが」
「ち、違うよー。僕のせいじゃないのに……」
妖怪は泣き出した。
「えーん、えーん!」
皆が沈黙した。妖怪への怒りを表しこそしないものの、これで怒らないでいる方が不自然だ。
「まあ、仕方ない。起きてしまったことじゃ。対応を考えようぞ」
「あれ? お姉ちゃん、怒らないの?」
「儂は二ッ岩マミゾウという。覚えておけ、名前のない妖怪」
「なんで? なんで怒らないの?」
「妖怪として当然のことじゃな」
「なんで? そんなのおかしいでしょ? 怒って当然だよ? だって、聖はもう二度と元に戻らないし、僕が殺したも同然なんだからさ。ははは」
「ふ。儂を怒らせようとしておるのか?」
「まあ、そんなところじゃな、なんちゃって、はははは! ははは!」
「ほう、儂の真似までするか。それに何の意味があるのか、儂にはてんで解らんのう」
「ふーん、聖はもう、廃人なんだよね。次はお前を廃人にしてやろうか?」
「ほう。勝手にするがよい。名前もない雑魚妖怪が」
皆、二人のやり取りを聞いていた。誰も、何も言わなかった。
「はっはっはあ! グアアアアア!」
妖怪は真っ黒い渦に変身し、たちまち巨大なハリケーンに似た姿を現した。
※
聖……。私と聖は断金の友だ。悲しくない筈はない。
突然私の脳裡に、幻想郷の核融合炉が姿を現した。
それに、巨大なピンが刺さっている。
これはどういうことだ?
いや、これは今実際に起きていることかもしれない。
私はそう判断した。
(寅丸、見えているか?)
私は寅丸の方を見た。見えている、という風に寅丸が肯いた。
(ぬえ)
ぬえも素早くうんうん肯いた。やはり見えているようだ。
「僕を殺さないと、核融合炉にこのピンが段々深く刺さるよ? いいのかな?」
地獄の底から響いてくるような、聞いたこともない低い唸り声で少年だった者が言った。
私は道士だ。動じることなどない。
「だからどうした? ここは夢の中だ。勝手にしたらいい」
ピンが、刺さっていく。
一センチ、二センチ……マズい、本当に穴が開くぞ。
マズい! 止めなくては!
その時私の脳裡に、白痴になった聖が笑う顔が閃いた。
ああ、聖……私はお前を愛しているのに、こんなことになってしまったね。
「どうした、何もしないのか? はっはっは、幻想郷はもう終わりだなあ!」
私は答えなかった。
「お前がそこまで愚か者だとは思わなかった! もはやお前の力では私を止めることなどできまいが、夢の世界が壊れてしまえば、現実に影響が及ばぬはずなかろう! 聖の意識とて現に戻らぬかもしれぬぞ。それでもいいのか?」
私は再び、答えなかった。
「ほう、夢の中にいる聖に会いに来るつもりか? そんなことに何の意味がある? 死人同然の聖の身体に悪戯でもするつもりか? はっはっは、人間とはそのようなことを考える卑しい存在だ。私のような妖怪の方が、よっぽど心が清い!」
私は三度、答えなかった。
黙って目を閉じていた。皆も示し合わせたように、目を閉じて箝口していた。
「ほう、誰も何も答えないのか! ならばこれはどうだ!」
そのまま私は目を瞑っていた。
車の音。クラクションの音。
救急車の音。私はそれらを耳にしたことはなかったが、私にそれを教えてくれる存在があった。
菫子の無意識かもしれない。
私はそのまま目を瞑っていた。無心にしたかったが、つい考えてしまう。
菫子がいる、外の世界にやってきたのだろう。どういう仕組みかは解らないが、夢なのでそういうこともあるのかもしれない。
とんでもないことになったものだ。しかも、先程まで一緒にいた皆に取り残されたのか、私一人しかいないようだ。私にはそんな気がした。
「ははは! 今からお前の頭上に、爆弾を落とす! お前は死ぬ!」
ふふふ。
「何を笑っている! ふ、ふむ……そうか! これではいかんか。ならば、お前の頭上に落ちてくるものを取り替えるぞ!」
あ、原子爆弾か。私の頭に情報が入ってきたので、すぐに判った。
「頭上と言っても遙か空中になるがな! 東京中が吹き飛んでしまうぞ! それでもいいのか? いいんだな? じゃあ落とす! 私が落とすといったら、絶対に落とす! ははははは、ざまあみろ! お前の意識はそのまま夢の中を彷徨うことになるのだ! もう一生、夢から醒めることはあるまい! 残念だったな!」
少年は大声を上げ続けた。
「さあ、命乞いをしろ! 私への無礼を詫び、私に使役される存在として生きていくことを誓え! できないなら、爆弾を落とす!」
私は無心になって祈っていた。聖、そして私達、幻想郷に住む全ての人の為に。
外の世界に住む人達の為に。宇宙人のことも、私は紫から教えられていた。その者達の為にも祈った。
「ほう、返事をしないのか。ならこれはどうだ? プルトニウムを満載したダーティーボムだ。こいつは原爆や水爆より恐ろしいぞ。こんな代物が現実で爆発したらもう人類は存在などできまい! 人の形を保った生物など生まれてこなくなるし、全人類が毎夜、悪夢に魘されることになる。そうなったら人類はお終いだ! どうだ、今考えを改めれば助けてやるぞ?」
世界が平和でありますように。
人類が幸福に存在しますように。
物騒なものは消えてなくなってしまえばいいのにな。なんてね。
「ほう、返事をしないか。今私がどれだけ機嫌を損ねたか、解らんようだな! ははは、じゃあこれだ! プルトニウム満載なんて生半なものじゃなく、水爆を落とすぞ。私が落とすと言ったら本当に落とす。なんと、爆発力一テラトンの超大型水素爆弾だ。地球は跡形もなくなってしまうぞ」
私は考えることが面倒になった。
今までの人生を、十分に満喫してこなかったこと、時間を有効に利用してこなかったことを、悔いた。
だが私は何も言わず、沈黙したまま目を閉じていた。
「本当に落とすぞ! ち、地球が跡形もなくなるというのは偽りではないぞ? 本当だからな!」
私が突然道士然とした思考から生々しい感情を伴った思考に陥ったのは、理由があった。
外の世界のことは、何もかも頭に入っている。
広島に投下された「リトルボーイ」の爆発力は十五キロトン、実際に使用された世界一大きい水爆ツァーリ・ボムの威力が百メガトンだ。百万倍の威力の爆弾なぞ、人間の技術力で造れるわけがなかろう。
私はニヤリと笑った。
愚かだった。ここは夢の中。不可能などないということに、私は気づいていなかったのだ。
――神子さん、聞こえていますか?――
聞こえている。私は心の中で返事をした。
――少々マズいことになりました。私は夢の中に存在していて、本体は現実ではなく夢の中にいるので、このままだと焼け死んでしまう可能性が非常に高いです。ですので、紫さんの隙間で別の夢に避難したいと思います。今までお世話になりました。また会いましょう。――
あいつも大変だな。他人事のようにそう思った。
「死ね!」
布都、屠自古。
我の人生も、なかなか面白かったぞ。
私の身体は一瞬で気化した。
※
はっ!
「気がつきましたか」
寅丸が私に膝枕をしていた。
「皆、無事か?」
「無事だよー」
「何ともない」
「私も一応」
ぬえとマミゾウ、村紗が返事をした。
「ここは何処だ?」
「まだ、聖の夢の中です」
確かに、「元の世界」に戻ってきている。
聖もいた。魔理沙は目を醒ましで、この世界から消えたようだ。
「お主を追いかけてあの妖怪が何処かへ行ってしまったせいで、この世界ではお主が眠ってしまったのじゃ。ずっと待っておったのじゃぞ」
「心配させて申し訳ない……」
「で、あの妖怪はどうしたのじゃ?」
私は経緯(いきさつ)を説明した。
「なるほど、自分の存在が含まれておる世界を吹っ飛ばしたのじゃな。それじゃったら、何処にも姿が見当たらないのも道理。塵に還ってしまったのじゃろう」
マミゾウは急に深刻そうになって言った。
「『現実』の世界の連中、今頃はずっと夢を見ておるのか?」
「その点は心配御無用」
ドレミーがスキマから現れ、その後に紫が出てきた。
「こんにちは」
「皆さんをお迎えに上がりました。さあ、現実に帰ってください」
「何が『心配御無用』よ。心配大有りじゃないの」
村紗がそう言うと、ドレミーが答えた。
「聖さんは夢の中で夢を見ていました。言わば、二重に夢を見ていたわけです。そこで世界が無茶苦茶になってしまっても、せいぜい現実世界の皆が一日全く夢を見られない程度の影響で済みます。精神を病むこともありません」
「あの少年に再び会えないのは、心残りじゃな」
「新しい恋を探すとするか」
マミゾウが言った。
「でも、聖が……」
こころが心配そうに呟く。
「本当にもう、どうにもならんのか?」
「心のリハビリをすればある程度は元に戻るかもしれません。ですが、失った手足は、もう二度と元には戻らないのと同様、完全な復元は難しいでしょう……残念です、非常に」
悲しみがこみ上げてきた。泣いてはいけないと思って我慢してきたが、それも限界だ。
涙が頬を伝う。
私は立っている聖を後ろから抱きすくめた。
聖……私はお前を……
「愛してるんだよお……愛、してるのに……」
私は泣いた。
「変な意味でですか?」
ドレミーが呟く。
誤解されたっていい。どんな姿になっても、心がどんなに変容していようと、構わない。
これからも聖を愛す。聖のいない生活なんて考えられないし、たとえ病気や事故で失うとしても、それまでは愛す。それでいいのだ。愛するとは、そういうことなのだから。
「聖……」
私は泣き崩れた。
「あれ? おかしいですよ」
「何が?」
ぬえがこころに訊いた。
「聖さんの支離滅裂な感情が、次第に整然としたものに変化しています。あ、もう殆ど常人のそれです。一体なぜでしょうか。解りません。奇蹟が起きたとしか言いようがありません」
「なーんか、そんなことになるんじゃないかという気はしていました」
ドレミーが呆れ顔で言う。
「そのまえに、こころがテキトー言ってた可能性はないの?」
「そんな、とんでもない! いい加減なことを言うと、流石の私でも怒りますよ」
「よかったのう」
マミゾウは、必死で涙を堪(こら)えていた。
「お前が泣くんかい……」
聖。
夢も現実も、お前の世界は続いていくんだ。
これからも一緒でいてくれるか?
「楽しかったよ、ミコ」
少年の声が聞こえた気がした。
ローマの信徒への手紙12章20節
私は梓弓を引き絞っていた。
梓弓は大きいが、それに比べても一段と大きい。私の臍から頭のずっと上まで、それはあった。
そして、鏑矢ではなく、征矢(そや)をつがえていた。
征矢は戦闘用の矢だ。これは獲物を殺す。
時には人を。
「聖! そのまま撃って、殺しなさい! こんな奴を生かしておいたら、人類が滅びるわ! 殺すのよ、聖!」
「僕を殺すのかい?」
私は答えなかった。殺さなければならないのだ。それ以外に採るべき選択肢などない。
殺す。
今からこいつを殺す。この……少年を。
私は弓を、更に強く引き絞った。
弓がしなり、一段と音高く、ギリ、ときしんだ。
霊夢が叫んだ。少年の隣、左に霊夢は立っている。
「そうよ! 殺すのよ! さあ、そのまま右手を離して!」
「そんなことはできないよね? だって、僕は君の大事な人。殺すなんてとんでもない」
私は厳しい面持ちをして目の前の相手を睨みつけていた。
にもかかわらず、私の目から涙が流れ出した。それは止まることがなく、いつまでもいつまでも流れるようだった。いつまでも流れる。私の躬(からだ)が干乾びてしまうまで。
「何をやってるの! こんな悪人、殺してしまいなさい! 早く殺せ!」
私は黙って、矢の切っ先を左にずらした。その先には霊夢が立っている。
「何をやって……どうしたのよ。なぜ私に矢を向けるのよ。殺すべきはこいつなのよ! 私を……まさか、あなた……」
私はそのまま矢を放った。
眉間の真ん中に、矢が突き刺さる。
避ける暇(いとま)すらなかったようだ。霊夢は何も言わず後ろに倒れた。血は少ししか出なかった。
霊夢の好きな巫女服が汚れることもなかった。私は少し安心した。
次の瞬間、悲しみと絶望で目の前が真っ暗になった。
私は必死で弁解した。ごめんなさい、霊夢。この人を殺すことはできないわ。そんなことをするぐらいなら、私は貴女を殺す。
私も、すぐ後を追うから許してね。
霊夢。貴女には何の罪もないことは解っているけれど……。
「僕は殺せないんだね。だから、霊夢を殺したのか」
私は滂沱の涙を流しながら、その場に頽(くずお)れた。
いや、私は彼と生きる。
ごめんなさい。霊夢。私は所詮、地獄へ行くような人間なの。
救いなんてものは現世には存在していないのでしょうね。
今から宗旨替えして……
「おや、まだまともに物を考える力が残ってるのか。驚いたな」
星蓮船の仲間達、一輪や村紗、寅丸達の顔が浮かんだ。
私は更に悲しくなった。
ごめんなさい。合わせる顔がないわね。
でも、私のことを買い被っていたんじゃないかしら。
そうよね。心が通じているといっても、所詮は他人。
人間なんて、仏に救ってもらわなければ、苦海でもがくことしかできないのよ。
それに私は聖人じゃないわ。驕っていて他人を見下す、俗物よ。
違う、違う。
どうでもいいの。もうそんなことは考えたくない。
何も考えたくない。私は、この人がいればいいの。
「是什麼……」
私は、少年の名前を呼んだ。だが私には、私がなんと言ったかは判らなかった。
少年は、花が咲いたように明るく笑った。
「さあ、もう邪魔するものは何もない。二人で暮らそう」
少年の差し出した手を、私は取った。
涙の乾かない頬を拭い、私も笑った。
これでいいんだ。
私の感情は変化していた。
この砌(みぎり)は不思議と悲しくなく、逆に少年と一緒にいる喜びが溢れてきた。
淫欲に似た不思議な快感が体を満たした。
霊夢は死んでいるのだ。この私が殺した。
だが、それはもう、私にとって過去のことなのだ。そう、どうでもいい瑣末事。
全てが渺茫としていた。ただ一つ、少年、彼への思いだけがあった。
彼の為に奉仕できるならば、私のこの肉体が滅んでしまっても、世界さえもが消滅してもいい。
彼よりも大事なものなんて、存在しないからだ。
捨てる物だってない。所詮会衆(えしゅう)を欺罔(ぎもう)して上前をはねるのがせいぜいなのだ。そんな下らないことに執着する必要はない。むしろこれでよかったのだ。
元々私なんて、大那落迦(地獄)に落ちる存在なのだ。何も変わらない。
血染めの衣を着るぐらいなんでもないし、瞋恚(いかり)もする。愚癡の輩だ。
欲もある。たくさん。
少年と共にいたいという欲もある。
それだけじゃない。所有もしたい。支配したい。
支配されたい。醢(ししびしお)にされて食べられたいし、殺されたい。
何度でも殺されたい。何度でも。
「あそこに亭(あずまや)がある。行こう」
遠くに小さい茅屋(ぼうおく)が見えた。清潔そうにはとても見えない。
私に相応しい場所だ。
「さあ、行こう」
私は少年と共に、そこに向かって歩き出した。
そこで行われるであろう、私と少年の淫らな行為を思い描きながら。
そうしながら、ふと霊夢のことを思い出した。
霊夢……ごめんなさい。
さよなら、霊夢。
※
「呀あああああああ!」
「ど、どうなさいましたか、聖様?」
心配そうに、寅丸が私を見ていた。
私は夢から醒めたのだ。悪い夢だったのだろう。汗をかいた背中が冷たく、触ってみると額にも汗をかいていた。
大丈夫だ。
私は寅丸の方に、にこやかな笑みを向けた。いや、向けようとした。
夢の恐怖のせいか、表情がぎこちなくなってしまったが。
「大丈夫よ」
私はたどたどしくそう答えた。
「よほど酷い悪夢を見ていらっしゃったのですね」
寅丸はまだ心配そうだ。
私の取り得は、元気なことである。目を覚ます前、いやそれどころかこんな身分になる前から、外の世界の自衛官や軍人のように、決まった時間に寝、起き、朝飯をたらふく食べる。
今はもちろん、修行をする。あるいは、会衆に教えを垂れたり、弟子や知り合いの妖怪達に説教したりする。それが私の変わらぬ日常である。
「ちっちっ、私が生半なことでくたばると思ったら違うわよ。さあ、今日も修行をしましょう。掃除洗濯に典座(てんぞ、禅宗などで食事の用意をする役職)はあの紫苑に任せて、私達は拈古(ねんこ)でもしましょうか」
「また拈古ですか? 節操ないですね」
ここ命蓮寺は決まった宗派など採らず、何でもやるのが特徴といえば特徴である。私がそう決めた。文句は言わせない。だから拈古もやるのだ。
「あら、星も言うようになったわねえ。成長したのかしら」
「は、はは……」
「じゃあ今日は、人里の様子でも見に行きましょう。星、支度しなさい」
「拈古はどうするのですか?」
「また今度よ」
「かしこまりました」
私が気分屋なのは寅丸もよく知っていて、今更驚くなんてことはない。
さあ、出発だ。私は用意をした。寅丸もいつもの格好で、私達は門から外に出た。
「出発よ~」
「はいはい。階段に気をつけてくださいね」
「了解了解~」
本当に大丈夫かな、と言いたそうに、寅丸は後を付いてきた。人里はそれほど遠くはない。直(じき)に着く。
「食事はどうなさいますか?」
禅宗では食事のことを斎座というが、私達には関係がない。
蛸のことは天蓋といい、刺身は丹のように赤いので丹物、その中でも鯛は格別に美味しいので首座という。
巷でも馬肉は桜、猪は牡丹、鹿肉は椛だが、それは仏教とは関係がない。だが酒のことは閼伽(あか)という。閼伽は仏前に備える神聖な水であるが、酒のことをそう呼ぶことで罪悪感を軽くしているのだ。なお、私は酒など飲まないし、弟子達にも飲まないよう教えている。
「そうね、屋台で食べましょうか」
肉食は体にいいので大いに推奨している。理非曲直、何事にも道理がある。道理が通らぬ教えは曲げよ、というのが命蓮寺の教えの大原則だ。
外の世界でも徳川慶喜は豚を食べるので「豚一」と渾名されていたが、江戸幕府の将軍で七十七歳まで生きたのは彼だけである。仏教が肉食を禁じたことで、大勢の人間が寿命を縮めた。
だが、だからと言って彼ら彼女らが不幸だったかというと、さにあらず。単純に、彼らは自分の信じるところに殉じたということだ。不幸だ不幸でないなどというのはナンセンスである。
思い込みは時として有害である。
私達は、人里にある飲み屋に入った。酒を飲むわけではない。
少々高くついても、飲み屋の方が普通の食堂より料理が旨いことが多い。居酒屋や飲み屋で食事をするのは我々にとってさほど珍しいことではない。
そこで私は見てしまった。
「あっ、一輪! お酒を飲んじゃいけないとあれほど言ったでしょう!」
「ひ、聖様?」
どう落とし前をつける心算(つもり)なのか問いただすように、私は一輪を見た。
「申し訳ございません、これも私の不徳の致すところでして……なんと言ってよいやら」
「いつもその言いわけね。学習しないんだから」
「も、申し訳ございません」
一輪は私が説教を垂れる間しきりに謝ったが、平謝りに謝ったところで、己の破戒(戒律を破ること)がなかったことにはならない。説教の間、寅丸は場を和ませたいのか苦笑したままだったが、結局最後まで口を噤んでいた。
「さて一輪、ご飯がすんだなら付き合いなさい。私を差し置いてやることなんてないでしょう?」
「そりゃそうですけど、何をなさるおつもりですか?」
「説教しなきゃいけないようないい加減なことをしている人間を見つけて、教え導くのよ」
「ええー?」
店の暖簾をくぐり切ったところで、私は振り向いた。
「どうかしたかしら、一輪」
「そんな人間がお誂え向きにすぐ見つかりますかねえ……人里の人間は皆真面目でキリキリ働くと仄聞(そくぶん)しておりますが」
「んなこと言っても見つけるしかないのよ。だって他にやることもないし」
「寺に帰って修行しては……」
「そんな気分じゃないの」
私はまた前を向いて通りを歩き出した。
通りを歩いて右に曲がるとすぐ、黒山の人だかりとそれに続く行列に行き当たった。
私は言った。
「臭いわね。これは何かあるわ」
私はずんずん近づいていって、中央にいる人物を見定めようとした。
程なくして、見知った人の声がした。
霊夢だ。
人だかりのすぐ側まで近づくと、何を言っているか仔細に判った。
「ううん、そうねえ……あかり、さとこ、かおり、みき、まい、この中から運命の相手が見つかるわ。間違いない! 安心しなさい。私は嘘はつかないわ。よかったわね」
「ありがとうございます」
「何、お安い御用よ」
なんだ、一体?
「ちょっと待ってて」
一輪雲山寅丸の三人にそう言い置くと、私は無理矢理人山の中に割り込んでいって、霊夢の前、行列の先頭の人物のすぐ横に立った。
「何してるの霊夢? 答えなさい」
「ああ、これ? 占いよ。ええとね、ちょっと待って。邪魔が入ったから。何?」
「『何?』じゃないでしょ。何してるのよ」
「結婚相手を占ってるのよ」
「貴女に占いなんてできるの?」
「そりゃ勿論。心得もあるわ」
「どんな?」
「直感が大事なのよ」
「つまり、根拠はないということかしら?」
「まあ、そういうことだけど、いいじゃない。聖のとこも、正月とクリスマスと盆を一緒くたに混ぜこぜにしたような信仰やってるでしょ」
「信仰はやるやらないじゃないの。自然と生まれるものなのよ。今から占いの大家になって信仰されたいの? 神社はどうするの?」
「そりゃ続けるわよ」
暫く沈黙があった。行列に並んでいた人が、自分の番だと催促することを言ったが、私達は双方動かなかった。
私は、後ろの人山に向かって振り向いた。
「みなさーん! この占いはインチキですよー!」
「何言ってんのよあんた! 占いなんて、鰯の頭でしょ! 信じればその人にとっては真実なのよ!」
「五月蝿い!」
私は一喝して、霊夢の頭を思い切り押した。叩いたのではない。
霊夢は、「あ」と言いながら椅子ごと後ろにひっくり返った。
「見てください、この無様な姿を! こんな奴ただのごまのはいで、ちっともご利益なんかないし、全部デタラメなんです! 信じちゃダメ、信じちゃ!」
その後霊夢が呆れて黙り込むまで、こんこんと道を説いた。
はあ、いいことをすると気分がいい。寅丸が半ば呆れ顔で私のことを見ていたが、いつものことだから気にならない。
そろそろ寺に戻るため、引き返そうかしらん、と思って前を見ていると、大きな屋敷の堀に向かってしゃがみ込んでいる少年が目に入った。
少年は猫を抱いていて、少年の背中と足元にも猫が数匹じゃらついていた。すっかり懐いているようだ。
私は微笑ましい気持ちになって、それを見ていた。
すると、一匹の猫が出し抜けに、猛スピードでこちらに突進してきた。
このままだと股の間をすり抜けてどこかへ消えてしまう。私はとっさにそう判断し、猫を捕まえる体勢を取った。
少年は呀(あ)っと言う間もなく困った顔でこちらを見ていた。
私は腕全体を使って猫を抱きとめ、逃さないようにしながら少年の方に歩いていった。皆も付いてきた。霊夢は神社に帰ったらしい。
「捕まえたわよ。これで大丈夫ね」
「ありがとうお姉さん」
少年は白い歯を見せてニカッと笑った。
猫の背中を撫でながら、少年は言った。
「でも、僕の猫じゃないんだ。ほとんど僕の猫みたいなものなんだけど、この辺の茂みにいて、人から餌を貰って暮らしてる猫なんだ」
「可愛いわね」
「そうだね。僕も猫が大好き。猫を見ていると幸せになるし、猫が幸せになれば、僕も幸せになれる」
そう言って、少年は慈しむように猫達に視線を投げかけた。
「猫が好きなの?」
「そうだ。愛していると言っていい。猫ほど可愛い生き物はいない。愛してるよ」
その途端、私は、胸が熱くなるのを感じた。
それどころか、顔まで血が上って紅が差したように赤くなるような気がした。勿論気のせいだろうが……。
まさか、煩悩を捨てた私がこんな、年端も行かない少年に?
そんなわけが……。
動揺を寅丸たちに悟られるわけにはいかない。とりあえず、真っ赤になっている可能性のある顔を向けることは避けなくては。そう思って、私は少年の方を見た。
見たというより、変に力が入って睨んでしまったかもしれない。少年は屈託ない笑みを湛えてこちらを見つめ返した。
それに耐えられず、思わず私は後ろを振り向いた。後ろには寅丸と一輪、雲山がいた。
「大丈夫ですか、聖様」
寅丸の顔には、『顔が真っ赤になっていますよ、聖様』と書いてあった。いや、私にはそう思えた。
私は寺の方向に向かって何も言わず駆け出した。二人は私の心中を知ってか知らずか、後を付いてきた。
寺に着くと、私は一人で仏間に籠もった。
こんなことはあり得ないはずだ。少なくともこれまでにはなかった。
私は全ての煩悩を捨てたはずなのだ。今更恋などするはずがない。
ましてや、あんな稚(おさな)い子供に……。
脳裏に、あの少年の笑顔がありありと浮かび上がった。
ダメだ。
想像は止め処なく続いた。私の意志では止めることができず、まるで別人になったようだった。私も遠い過去に恋をしたことはある。その時のことを少し思い出した。
私が忘れていた、人に恋をするという感覚が甦ったのか。
あんなに修行したのに? 私はもう、仏道に入り恋などしないのだと誓ったのに?
思い出すというほどのことではない。
人は欲を捨てることなどできない。私は心の中で、常にそう思っていたのではなかったか?
いや、違う。もっと判然としている。
欲を捨てることより、自分の中に欲があることを識(し)った上でそれを制御することが大事だと、ついこの前の説教でもそう説いて回ったのではなかったか。忘れたわけではない。あれは確かに現実だった。
私は忘れていない。莫何(ばか)になったわけではない。それでも、私は思う。
たとえ自分を統御していても、無意識下ではよからぬことを考えていたのかもしれない。人間には無意識下の想念とも言えない想念を滅することなどできない。
意外かもしれないが、私はこんな立場でありながら、チャチなオカルトも、万能の神通力というものも信じてはいなかった。
神を恐れる心はある。偶然の幸運も不幸も、神の意思だと思っている。
だが、科学的な視点を欠いたジンクスの類は、却って神仏を遠ざけ、人間を不幸にする。
更に言えば、神は万能ではない。何よりも肝心なことは、神に頼らず自分の力で道を拓(ひら)くことなのだ。
そして、不可能に直面したら、潔く諦めねばならない。
最後に、起こったことを神の意志として受け入れ、現実に自分を順応させること。これが大事なのだ。
命蓮寺の教えはある時は他力本願だし、ある時は密教的で小乗仏教的に修行の大切さを説く。とどのつまり、とことん実際的だ。信者達が幸福に生きるために、その助けとなるように教えを説く。それが、人間にとって最も相応しいであろうと私は思っているからだ。
だが、この期に及んで私は、私自身の教えから見放されてしまったように思った。
一体私は、何を問うてきたのだろう。
自分の欲望を認めて、恋の成就に向けて動くべきなのか。そんなことはあるまい。
恋心を捨てるため、二度とあの少年に会わないよう人里には行かないのがよい。それは解っていた。
だが、私にそれができず、また人里に向かうことも解っていた。
私の肉体も心も、どこか遠くにあるような気がした。私の手から離れて勝手に振舞っている。
菩薩も如来もただ私を見つめるだけで、手を貸そうとはしない。
私は天国の仏陀に向かって祈った。
仏陀様、私はどうしたらよいのですか?
答えはなかった。ただ、これは夢ではない、そう言われた気がした。
暢気な一輪はともかく、寅丸は私の「変調」に気がついているようだった。
いや、私が神経過敏になりすぎてそう疑っているだけかもしれない。
疑いの心は即ち、瞋恚(しんに)の心に通ずる。無礙の悟りを啓いた者が持つべきではない。
仏道を志す者は、心を乱してはならない。激してはならないし、欲に憑かれるなど以ての外だ。今の私は、風に吹かれる蘆のように弱い。
人間とは元々、そのような弱い者なのだ。だから、ひょんなことから転んで倒れてしまう。
そんなことは、否というほど解っている。実地踏著(実際に経験し学ぶのがよいという意味の言葉)は仏教の核心に当たる。無義為義(ぎなきをぎとす)などというのは笑止千万である。
そのように私は教えたはずだったのに。
乱離骨灰(らりこっぱい。ムチャクチャ)の私の心は、神仏の救いをひたすらに求めた。救いが私に降りかかること、それだけを求めていた。
それがいつの間にか、あの少年のことを求めていた。如来達の顔は、あの少年の笑みを湛えた顔に変わった。私はあの少年と接吻(キス)をしていた。そして、少年の手は私の胸に伸びた。それを愛おしそうに愛撫する少年に呼応して、私は僧衣を脱いでいた。少年の唇(くち)が、私の胸の頂(てっぺん)にある赤い乳首に触れる。生娘のように乳首を吸われ、私は喘いだ。
ああ……。
彼の名が判らない。
そこで私は正気に戻った。座禅を組み、精神を統一する。
褒ジ(女偏に以)も妲己も女だった。男が女を誑かすことより、逆の方がよほど自然だ。
あれは人間ではないのかもしれない。私を取って食おうとする妖怪なのではないか……。
当然の疑問だ。あの稚い子供の姿は仮のものであろう。そうでなくては仏道に帰依した、この私の心を動かすことなどできまい。
あの……子供の姿の……。
嗚呼! どうしてこんなに、私の心を乱すのだ!
「妖怪風情が」
私は呟いた。
正体を暴き、殺すか、封印せねばならない。
見つけたからには生かしておけない。大丈夫だ。この私が、引導を渡してやろう。
引導を……。
私は思わず、胸を掻き毟った。自分の想像のあまりの悍(おぞま)しさに、身震いが止まらなかった。
「星! どこにいるの! 星、出てきなさい!」
私は障子に倚りかかって、不自然な格好で座った。
「星! 星……」
全力で声を張り上げたつもりが、最後は掠れ声になってしまった。
「聖様!」
よかった、来てくれた。
「星」
「どうなさったのですか。凄い汗ですよ。着替えを持ってきます!」
そう言って立ち上がった星に、私は倒れこみながら片息ついて(息も絶え々々に)呟いた。
「いいの……それより話を聞いてくれる?」
言うな!
強烈な思念が私の意志に逆らった。
「聖様!」
朦朧とする意識の中で強く念じた。お前には負けない。
いや、もう駄目だ。クソ……お前のようなものに……負ける……わけには……。
ちっと舌打ちする音が聞こえた気がする。
私は静かに言った。
「星、話があるの」
「それよりご自分の命を大切になさって下さい」
「そうしてるわ……私は悪い妖怪に心を奪われて……その妖怪が私に悪さをしてるの」
言おうすると舌が縺れるか窒息するのではないかと思ったが、そうではなかった。
何事も起きない。私の躰(からだ)も無事なようだ。
「そんな……聖様が、卑しい妖怪風情の輩に害されるなどということがあるとは……私には信じられません」
「そうよね……見上げた根性でしょう? 私に手抗(むか)いするなんて」
「そのようですね」
いやしかし、信じられない、と寅丸が呟いた。
私だってそうだ。長く生きてきて、初めてのことなのだ。このようなことは恐らく僅有絶無、もう二度とない。
あの妖怪を滅したら、金剛力のように勁い意志を造るまで今一度修行を重ね、仏道を極め、衆生を全力を挙げて教え導こう。私はそう心に刻んだ。
私は決して屈しない。
私の救いを必要とする人間がまだ沢山いるのだ。
ぬえと、化生の者の専門家のマミゾウを含めた命蓮寺の全員に、星から少年についての情報が伝えられた。
どうせなら脅(おど)かしてやろうということで、全員で少年を探すことにした。化けているならたちどころに正体を暴いて、成敗する。可哀想だが亡き者にして、菩提を弔ってやるしか術(て)はない。リアリストの私が、情けで生かそうなどと思うわけがなかった。
少年姿の妖怪の捜索が始まった。空を飛んで上から見れば容易い。向こうは姿を隠す気もなく私が来るのを待っているのだから尚更だ。
だが、捜索は本当にあっけなく終わった。前と全く同じ処で、猫と戯れているのを星が見つけたからだ。
私達は上空から名乗りを上げることにした。
「そこの少年の姿をした妖怪! 見つけたからには絶対に生かしておかないわ。地獄に落ちないように、今の内にお不動様(閻魔)にでも祈っておきなさい!」
反応はない。不思議そうに私達を見上げている。
私はまた、妖怪を抱き寄せて頬擦りしたいという欲求に駆られた。
駄目だ。
いや、皆がどうなろうと、もう妖怪は退治される運命に決まっている。哀れな奴。
折れそうに華奢な、嫋々(なよなよ)した手足。まるで女のようだ。
本当になよやかな……体力もそうはあるまい。
あっという間に我々の折檻に音を上げて……。
いや、息の根を止めることなどわけもないであろう。
皆、妖怪の周囲を取り囲んだ。
「これが申していた奴か……」
じろじろ、マミゾウが妖怪を睨む。
「このような姿の者が、妖怪であるなど信じがたいが……それに、縄に首をかけた現状でもコクソク(びくびくするさま。「コクソク」でぐぐるとトップで出てきます。)もしとらんようじゃしのう……邪気のない幼児(おさなご)ではないか。何かの間違いではないのか?」
「私もそう思うわ。ただのガキンチョじゃないの」
ぬえがそう応じた。
「でも私は、なんとなく怪しい気を感じるけど」
「はあ? 村紗、大丈夫? 本当にただのガキじゃないの、こいつは」
いけない、このままでは皆がこの妖怪に騙されておかしなことに……。
マミゾウが少年の背中を強く叩き、もんどり打って少年が前に倒れた。
「あっ!」
少年は須臾(しばらく)起き上がらなかった。漸く立ち上がると、辛そうに呟いた。
「痛いよ、眼鏡のお姉ちゃん……」
猫も逃げちゃったし。少年はそう言った。
本当に「少年」にしか見えない。たとえ妖怪とはいえ、私が恋した相手なのだ。
「どうすればいいかしら」
違う。早くこいつを殺さないと。
「何を考えてるの、お姉さん。僕は人間だから転んだら血も出るし、妖怪じゃないよ」
「そうじゃなあ。命蓮寺に連れて帰って様子を見たらどうじゃ?」
「マミゾウがそのように言うということは、此奴(こやつ)には何か秘められた力があるのやもしれませんね」
「儂の力でもってしても見抜けぬということがあるのじゃろうか。聖、お主が誇大妄想を抱いているという可能性を今疑っておるんじゃが……己が人を恋い慕うという事実が信じられんせいで頭が少々変になっておるのではないか?」
「ち……」
違う! こいつは生かしておけない悪魔なんだ!
「そ、そうかもしれませんね」
頭の中で気をつけろと囁く自分がいるのに、私は曖昧な笑みを浮かべながらそう答えてしまった。
いけない。このままでは、強大な力を持つ悪魔を命蓮寺に引き入れるという最悪の結果に……。
「そんな悪い奴じゃないみたいですし、連れて帰ることに私も賛成します」
「私は何でもいいよ。部外者だし、そもそもなんで連れてこられたのか……」
ぬえが退屈そうにそう言った。苦虫を噛み潰したような表情で村紗も続けた。
「そういうことになりそうね。でも気をつけて。いつ襲い掛かってくるか知れたもんじゃない。きっとこう見えて、強い力を持っているんだわ。私にはそんな気がする」
「この子供がか。こいつは女か? 男のような格好をしてはいるが、まるで女のようじゃの」
私は笑いながら言った。
「男の子よね……?」
「僕? 僕は男だよ。女の子に見えた?」
「少しね」
「ふふふ。そんなわけないじゃん」
屈託なく笑う。
「可愛いやつじゃ」
「うん」
「あー! 可愛い!」
マミゾウが少年に頬ずりした。
ダメ! こいつは悪魔なのよ!
「マミゾウ、気をつけて」
「ん? なんじゃ?」
「こいつは妖怪……いや、悪魔よ」
「お主はそう思うのか」
そう問われて、ややあって私は答えた。
「ええ。そうよ」
「ふむ。お主、声が震えておるようじゃが」
涙が出てきた。
「だって……外見がいくら可愛くても。悪魔は悪魔で……悪魔は私の心を狂わせて……弄ぶつもりなのよ」
「ほう、嫉妬か」
私は答えなかった。決して嫉妬などではない。心配しているのだ。
破滅への道。今私達はそこへ踏み出したのではないか。
いや、我々を待っているのは破滅だ。絶対に……破滅が待っているのだ。
此奴の妖力で思考が乱されているに違いない。ここで彼と袂を分かち、それどころか成敗せねばならないのだ。
私にそれができるだろうか?
できる。
「待ってみんな! こいつに騙されちゃ駄目よ。こいつは絶対に、我々を害する敵よ。そうに決まってるわ。だからここで殺してしまいましょう」
「聖様……」
深刻そうな顔で、寅丸がこちらを見る。私は必死で、訴えかけるように寅丸の目を見返した。
「私には判りませんが、この少年の姿をした者はきっと善からぬ奴なのでしょう」
「儂にはそうは見えんが……」
「私にもそう思えるのですが、聖様がここまで仰言るならば、そうでないのでしょう」
「何よその自信のなさは」
ぬえが笑った。
「いや、聖様は常に、含みを持たせた言い方をなさいます。ここまで断定的に決めてかかることはありません。おそらく聖様の勘が、此奴は危ないと告げているのでしょう。所詮私は聖様に仕える身。聖様が仰言るのであれば、従います。もし必要ならば、腹を切ることも喜んでするでしょう。尤もそのようなことはありそうにもありませんが」
「ヘーコラしてれば何でも上手く行くと思ってんだ」
「そう思われても仕方あるまいが、全くその通りです。それが私の道です」
「残念ね、少年。貴方は死ぬことになるわ。でも安心して。きっと安らかに成仏できるから」
「な、何を言ってるの? 僕はただの人間なのに……」
私は両方の掌を少年に向け、力を込めた。
誰も止めない。私は少年のために念仏を唱えながら、少年を殺すための弾幕を撃とうとした。
「何してるのかしら」
見慣れた道士服。紫だ。突然少年の後ろに現れた。
力を込めすぎていたため、少年が一溜まりもないどころか、私は少年に向かって、熱で地面を溶かしてしまう程の弾幕を撃とうとしていた。
それ程までに、私はこの少年を恐れているのか。
汗が背中を伝って服に染み通っていくのを感じた。このまま撃てば、いかに紫といえどもただではすまい。私は言った。
「紫、そこを退(ど)きなさい」
「嫌よ。なぜ退かなければならないの?」
「貴様……!」
私は思わず歯噛みした。とんだ邪魔が入ったものだ。
「馬鹿馬鹿しいわね」
思い切り伸びをするように両手を組んで真上に伸ばしながら、目を瞑って欠伸をする紫。
「何をムキになってるのよ。こんな子供に、一体どんな罪があるの?」
「そいつは妖怪、いや悪魔よ。人を惑わす、化け物だわ」
「悪魔なら紅魔館にうんざりするほどいるわよ?」
「違うの。そいつは正真正銘の、人を不幸にする存在として名高い、邪悪な悪魔なのよ」
「だったとしたら……」
「黙れ! この八卦見風情が!」
「んー? 私が占いをすると思ってるのかしら。そんなわけ……」:
「そうやってのらりくらりとかわして、烏も鷺と言いくるめる聊爾者(りょうじもの:いい加減な人間)が! お前は私の苦労も知らない。何も理解していない! 失せろ、痴れ者が!」
「何事も試練。ここにこの妖怪が現れたことには意味がある。それを理解するまでは、何を言っても無駄ね。とにかく、聖を落ち着かせて、この妖怪は命蓮寺に連れて帰りなさい」
「そんなことはこの私が……」
「どうするというの?」
「決まっている。ここで成敗……」
ぐっ!
力が……出ない! 腕にも力が入らない。
「いつからその悪魔の眷属に身を堕としたのだ、紫……」
「はっ、仰仰しい物言いをすればいいと思ってるなら間違いよ。私は到って健康、ここまで出世して、今更悪魔に肩入れするメリットもないわよねえ。普通に考えればそうなるのだけれど、聖、今の貴女はどうかしてるわ。命蓮寺に戻って、頭を冷やしなさい」
「了解じゃ。様子のおかしい此奴は儂等で看視しながら、連れて帰るとするか。ぬえ、お前はもうお役御免じゃ。何処へなりとも行ってしまえ」
「りょうかーい」
駄目だ、こいつを殺さないと……皆、気づいて。
なぜ判らないの。こいつは悪魔なのよ……。
嗚呼、神よ!
そうして、我々と少年との生活が始まった。
その日の内に、私は少年に対して害を及ぼすことができなくなっていた。
私は、少年を憎んでいるのか、愛しているのか、まるで解らなくなっていた。
無茶苦茶な想念に取り憑かれ、物を考えることすらできなくなっていた。
気がつくと私は、少年にすっかり心を喰われていた。
夢を見ていた。
「お姉さんは、夢でも僕に会いたいんだ」
「そう」
「最近、口数が少なくなったね。どうしたの?」
「疲れたのよ」
「お姉さんみたいな立派な尼さんでも疲れるの?」
「そうよ」
少年は、段差に座った私の隣に腰掛けた。
何もない空間で、私は少年と一緒にいる。
「そういう時、例えばどういうことを考えるの?」
私は答えた。
「何が正しくて、何が正しくないのか、それが判らないの」
「判らないと困る? そんなことうっちゃっておいて、人類が平和に生活するにはどうしたらいいか考えるのはどうかな? そうすればきっと楽しいと思うよ」
「そうね。でも私は考えなきゃいけないの。皆の幸福の為に、私は考えるの」
「そっか」
少年は嬉しそうに笑った。
「お姉さんは次の段階に行かないとね」
「……何かしら?」
私は訊いた。
「いくら望んでも得られない僕の愛を諦める時がきたね」
私は答えた。
「そうだったの。知らなかったわ」
「お姉さんは知らなくて当然だよ。全部僕の計画の内なんだ。お姉さんはもう、僧侶としてやっていけなくなる。でも、それは不幸なことじゃないよ」
「そう」
「僕はお姉さんに、もっと理性的になってほしいんだよ。他人の為に奉仕するなんて、思い上がりも甚だしい。自分の為に享楽的に生きる方がずっといい」
「そうかしら」
「そうさ。お姉さんにはまだ、解らないだろうね。ほら、あそこに博麗の巫女がいるよ」
渺茫とした空間の遠い所に、霊夢と思しき姿があった。いや、あれは霊夢だ。私には判る。
「霊夢は泣いてるんだ。お姉さんが、僕みたいな妖怪風情に拐(かどわ)かされて誘(そび)きかけられて、邪悪な道に堕ちようとしているのを悲しんでいるんだ」
「そう」
そこで目が覚めた。
※
「お姉さん、また会ったね」
「あら、元気にしてた?」
「ぼちぼちかな。それよりほら、前を見て」
霊夢がいる。私に何かを大声で喚いているようだ。
きっと、そんな奴とは縁を切れと言っているのだろう。
私にはできない相談だ。
「お姉さん、彼女は僕を殺すよ」
「判っているわ。そんなことは必要ない」
私は弓に矢を番え、霊夢に向けて構えた。
※
「おおい、来てやったぞ」
「聖様、神子様がいらしております」
「通してあげなさい。私の部屋へ呼んで」
「かしこまりました」
「よくいらっしゃってくれましたね」
私は神子に笑みを向けた。
「久しぶりだなあ。まあ、大いに久闊を叙するとするか。だが、此奴は何じゃ? この前来た時はいなかったが」
神子は、少年の姿の妖怪を指差した。
「可愛いので人里から連れてきました」
「そうですね」
「確かにそうだが、いいのか?」
「ええ」
淡々と私が答えると、神子は眉を顰め、品定めでもするようにこちらを見た。
「お前、顔色が悪いぞ。何か心配事でもあるのか?」
「別に……ありません」
「そう言っても、やつれているようだが。何かおかしなことはないか? 言ってみろ。私とお前の仲だ。遠慮は無用である」
「いや、何もないのですが強いて言えば……」
「なんだ、何でも言え」
「最近、夢を見なくなりました」
「ほう」
「何か夢を見ていたという感覚……いや、証拠はないのですが、そうだと確信できるような気がするのです。内容は全く覚えていませんが、いつも同じ夢のような気がします」
「そういうことであれば、知り合いの獏に見てもらおう。ドレミーとかいう奴だ」
「わざわざそんなこと……」
「毎日同じ夢を見るなんて尋常ではない。理由を突き止めねば安心して眠れぬではないか」
「その通り」
紫だ。スキマから現れた。今の私には、怒りも悲しみも湧いてこない。
少年への愛があるだけだ。
「獏を連れてくるわ。少し待っていて」
ドレミー・スイートと、こころがいるようだ。
「こんにちは皆さん」
「こんにちは」
「ドレミー・スイートです。私と一緒に神子の夢の中に行きましょう。いや、もう既に皆さんは、その世界の中にいます。聖さんは今、起きながら夢を見ているようですよ」
「ほう、それは面妖な」
私はドレミー達がこの夢の世界にいるような気がした。いや、それを認識する前に、私が今起きている状態で夢を見ていることを認識した。おそらくドレミー達が私の夢に現れたので、そのことを私が知覚したのだろう。
のみならず、ドレミー達が何を言っているかも、私には手に取るように判った。私の夢だから当然かもしれない。
だが、私は絶望していた。殺しても殺しても、私の夢は終わらない。
彼女らでは私は救えないという確信があった。もっと強い力で封じ込める手立てが必要なのだ。こんな姑息なことではどうにもならない。
「早速分析していきます。こんなに無意識下で自分を抑圧している人は珍しいですね。激しい意識の流れがあります。どうやら、あの妖怪に心を奪われてしまっているようです」
神子が心に訊いた。
「あの妖怪って、最近命蓮寺にやってきたという、あの妖怪か?」
「そうですね。一言では申し上げられませんが、あの妖怪を憎みつつも、愛しているようです。何か凄く不自然な……作為的に作られたかのような、そういう相反する感情の並存があります。聖さんの心は、元々虧(キ)を成しやすい(壊れやすい)。加えて今は、非常に微妙な状態です。夢がその原因であることは間違いありません」
「私もそう思いますね。この夢は明らかに不自然だし、普通人は寝ているときに夢を見ます。意識がある時に、普通に行動しながら無意識下で夢を見るなんてこと、本来ならばあり得ないですよ」
「無学な私でもそれは判る。して、このままだと聖はどうなるのだ?」
「今はまだその兆候はありませんが、早発性痴呆のようになってしまうかもしれません」
「早発性痴呆? なんだそれは?」
「外の世界では有名な病気で、今は統合失調症と呼ばれています。一度かかると決して治らず、精神が荒廃して廃人になってしまいます」
「それは本当か」
神子が険しい顔をする。それに対して、ドレミーが胸を張って答えた。
「それは普通の場合ですね。夢が原因であることが判っており、そして我々は夢の中にいる。それなら夢の中で少し冒険して、聖さんの苦しみを取り去ってやることで、元の聖さんに戻すことも不可能ではないでしょう」
ふふふ、と余裕の笑みを浮かべる。
私を探しているようだ。もうじきここにやってくるだろう。
少年と一緒にいる私を見て、軽蔑するに違いない。色欲の沼に沈んだ私に敬意を払う人間などいない。もう私は変わってしまったのだ。
「いました。聖さんです」
「おお、本当だ。あの点のように見えるのが聖か」」
「心は空より広いんですね。知りませんでした」
こころがさしたる感激もない、というように呟いた。
「あっちにも誰かいるな。あれは誰だ?」
神子が指差す先には、霊夢がいる。ドレミーが目を眇めて見ている。
「ええと、あれは霊夢さんですね。なぜここにいるのでしょう」
「無茶苦茶に怒っているようなので、少し感情を鎮めておきました」
「そりゃどうも」
ドレミーが答える。
「まだ遠いな。何事か起こりそうだから急ぎたい。ワープはできないのか?」
「夢の中なので、当然できます」
「なら聖の許(もと)へ向かおう」
「到着しました」
「え、もう?」
「ええ。夢なので」
「聖。また会ったな。お前のことが心配でやってきたんだ。そこの奴にも少しお灸を据えてやらねばならんようだな」
「この妖怪は我々に対して敵意があります。表面上は何事もないように装っていますが、一種のルサンチマンの類を抱えているようです。自分が大したことない妖怪の端くれであることがコンプレックスであるようです」
違う! こいつは悪魔なんだ! とんでもない大妖怪なんだ!
「少年」は言った。
「お姉さん。僕のことを捕まえにきた人達がいるよ。僕を殺す気なのかな」
「そうね」
「早くそいつを殺しなさい! ……何よ、あんたら。何しに来たの?」
訝しそうに霊夢がこちらを見ている。
私は黙って、弓を持ち上げた。
「何をする気だ、聖?」
涙が流れ、やがてそれは滝のように溢れた。
ごめんなさい。やらなければならないことがあるの。
その呟きは、言葉にならなかった。ただ私の脳裡に空しく谺(こだま)していった。
そして私は、弓を引いていた。
「待って下さい、何をする気ですか?」
それでも努めて冷静に――私にはそう思える――獏が言った。
「そんなことをしたら、死んでしまいますよ。夢の中とはいえ、貴女は一人の人を殺すことになるのです。愛する相手を」
「なるほど、それで聖さんはそんなに悲しんでいたのですね」
こころが得心して言った。
「そういうことですか」
私は更に力を込めて、弓を引き絞った。
「やめろ!」
神子が弓に手をかけた。力尽くで止めるつもりらしい。
「なんで……なんでそんなことを言うのよ」
「そうよ! そいつは殺すしかないのよ! 殺しなさい、聖!」
霊夢が叫んだ。
「この霊夢さんは、この妖怪が作り出した霊夢です。本当の霊夢ではありません」
ドレミーだ。
だからどうしたというんだ。そんなことは関係ない。
「退いて」
「退かない」
「なぜ! そんなことを言うの!」
「我の言う通りにしろ、聖」
「そんなことを言うなら、あなたも殺さなくてはならなくなる……お願い、やめて……」
私は涕泣した。
「なぜ殺すんだ。その妖怪(・・)を」
そう。殺さなければならない。この少年の姿をした妖怪を。
こいつは悪い奴なのだ。
「殺さなくていいのですよ」
こころ……。
「あなたの感情を鎮めてあげましょう」
「それがいい。この期に及んでは、それしか手段はあるまい」
神子が諦め顔でそう口にした。
私の怒りが消えていく。先程までのもやもやとした思いが、なくなっていく。
「正義感が強いんだな、聖は」
「そ……そうじゃないの。私はただ、この世の悪を滅することがみんなの為だと……そう思っただけで」
「いいんだ。何も考えるな」
神子は私を抱擁し、頭を撫でた。
「殺していい存在などない。それが真実だ」
「そうです。信じてください。これほど貴女を慕う仲間がいるのに、貴女が手を下す必要もないですし」
「おい、ドレミー。そうじゃないだろう。殺す必要なんかないんだ。余計なことを言うな」
「すいません」
ドレミーがおどけて言う。夢だから、舌をペロッと出したことも判った。
「ちょっと待ってよー!」
「何だ? 妖怪」
「僕の努力が台無しじゃないか」
「ほう、どういう努力だ?」
「このお姉さんを狂わせるための努力だよ。尤も、もう手遅れかもね」
「何をした」
「この聖とかいう奴が、夢の中で僕を殺すように、まず霊夢を殺させたのさ」
少年が掌を上に向けてシュラッグする。
「ふっ、勿体つけても無駄だ。どうせお前は名前すらない妖怪の下っ端なのだからな」
「ほ、ほう。僕を怒らせたいのかい?」
「お前の頭で考えても、碌に考えられまい。そんなちっちゃなオツムで考えたことなど、どうせ大したことないのであろうし、興味もない。お前が得意満面でつまらないことを言えば面白かろうと思ったのだよ」
神子は笑っていた。
「僕のことを見くびっているのかい。そいつは面白い。人間なんて、ちょっとしたことで狂ってしまうものさ。例えば、愛する人を殺す夢を、終日終夜(ひねもすよもすがら)見せられるということでもね。それにね、殺さなきゃいけない存在が全くないということが真実だなんて、そんなことが正しいと本当に思うなら、それこそ狂っている。そうとしか言いようがない。お姉さんこそ間違いなく狂っているよ。そうは思わないかい?」
「訂正しよう。殺さなければならない人間はいるかもしれない。でもそんなものは、無視できる程のほんの一握りだけだ」
「それも間違ってるよ、お姉さん」
「私の名は神子という。名前のないお前に教えてやろう。尊い私の名を」
「じ、自分のことを尊いなんていう人はいないよね、普通」
「神子……私は……」
また涙が溢れてきた。
「もういいんだ。私が落とし前をつける」
「わ、私……この人(・)を殺したくないの……でも霊夢を殺した時は、もっと悲しかったわ……悚然(ゾッ)としたの。自分のしたことの罪の大きさと、これから背負っていく責任の大きさに……」
「これは夢だ。気にするな」
「知っているわ。でも、目が醒めると忘れてしまうの……眠るとまた思い出して……もう何回、この人を殺してしまったのか……私は……」
「いやー、一回殺して生き返った所で止めればいいと思いますけどねえ……」
「ふ、そうだな」
「だ、だって……私は思っていたの。殺さなければならないって」
「申し訳ありません。皆様に申し上げねばならないことがあります」
こころが心痛を隠せないかのように言った。
「どうした?」
「聖さんは、もう精神が荒廃していて、私の力ではいかんともしがたい。残念ながら、元に戻ることはないかもしれない」
みんな押し黙った。
こころが続けた。
「本当に心苦しいのですが、この妖怪は力が弱くとも、またこのようなことをするかもしれません。生かしておくのは問題ではないでしょうか」
「神子様、いかがいたしましょう」
寅丸が言う。
「ええと、実はこらしめるのは意外と簡単でして、私の能力で夢からこいつを引きずり出して現実のこいつと対面させでもしてから、両方まとめてやっつければいいだけのことです。なんなら消し炭にして二度と甦れないようにすれば……」
「いや、それには及ばん」
「え……」
「私はこの妖怪を許す」
神子が言った。皆驚きに目瞠(めひら)いた。声も上げられないようだ。
「大した力もない者を罰したところで、これまでの聖が帰ってくるわけではあるまい」
「ですが、憎くはないのですか?」
「確かに憎い。だが、ない力を振り絞って悪知恵を働いた。その努力を買って無罪とする」
「そ、そんな馬鹿な……」
マミゾウがぬえの方を見た。
「うん。私もさっきから、意味がわかんない。罪を犯した人間は罰するのが当然なのは、外の世界でも常識でしょ。私なんか相当へこまされるはずの所を何度も逃げてるのにさ」
「そんな常識は捨てろ」
「おいおい、何だこの集まりは?」
いつの間にか霊夢が忽然と消え、代わりに魔理沙が現れていた。
「私は勿論夢の中の存在で、今昼寝をしてるんだが……みんなどうした、こんなに集まって。お、見慣れない妖怪だな。随分可愛い……ちょっと待て。お前か、私の家から媚薬を盗んだ奴は」
「え、何のこと? お姉ちゃんなんて知らないよ」
「とぼけるな! すぐ判るんだよ。あの媚薬を使った奴かそうじゃない奴かってこと位は! 間違って使わないように、布でぐるぐる巻きにして封印しておいただろ。なんで開けたんだよ!」
「そんなの知らないよ。使いたかったから使ったのさ」
「お前なあ! ……ああ、可愛い~」
魔理沙までこの妖怪の毒牙に……その媚薬は捨てさせよう。私は固く心に誓った。
こころが泣いていた。
「ごめんなさい。ちゃんとしているように見えますが、先程申したことは本当です……聖さんは、もう……」
「なぜ気がつかなかったんだ」
厳しい声色で、星と村紗に神子が訊いた。
「普段通り、会衆(えしゅう)への説教と、座禅、我々との語り合いを済ませておいでだったのです。この星、痛恨の極み。切腹が許されないならば、この聖様と、何処までも一緒に参ります。いや、聖様は、どのようなことがあっても私にとっては聖様です。地獄の底までご一緒致します」
「寅丸……」
「感動する話じゃな。だが、大事なことを忘れておるぞ」
「この妖怪への処罰ですか?」
「それもあるが、聖を元に戻すための手立てを考えることじゃ。当然じゃな」
「そんな方法はありません。早発性痴呆を完治する手段など存在しませんから。できるのは対症療法だけです」
冷静に話したこころをマミゾウがじろりと睨みつける。
「本当にそうか?」
「ええ。本当です」
「困ったのう……」
マミゾウが妖怪を見る。自然と、皆の視線が少年に集まった。
「どうしたのみんな? 僕は何もしてないよ?」
「たわけたことを言うな! お前のせいじゃろうが」
「ち、違うよー。僕のせいじゃないのに……」
妖怪は泣き出した。
「えーん、えーん!」
皆が沈黙した。妖怪への怒りを表しこそしないものの、これで怒らないでいる方が不自然だ。
「まあ、仕方ない。起きてしまったことじゃ。対応を考えようぞ」
「あれ? お姉ちゃん、怒らないの?」
「儂は二ッ岩マミゾウという。覚えておけ、名前のない妖怪」
「なんで? なんで怒らないの?」
「妖怪として当然のことじゃな」
「なんで? そんなのおかしいでしょ? 怒って当然だよ? だって、聖はもう二度と元に戻らないし、僕が殺したも同然なんだからさ。ははは」
「ふ。儂を怒らせようとしておるのか?」
「まあ、そんなところじゃな、なんちゃって、はははは! ははは!」
「ほう、儂の真似までするか。それに何の意味があるのか、儂にはてんで解らんのう」
「ふーん、聖はもう、廃人なんだよね。次はお前を廃人にしてやろうか?」
「ほう。勝手にするがよい。名前もない雑魚妖怪が」
皆、二人のやり取りを聞いていた。誰も、何も言わなかった。
「はっはっはあ! グアアアアア!」
妖怪は真っ黒い渦に変身し、たちまち巨大なハリケーンに似た姿を現した。
※
聖……。私と聖は断金の友だ。悲しくない筈はない。
突然私の脳裡に、幻想郷の核融合炉が姿を現した。
それに、巨大なピンが刺さっている。
これはどういうことだ?
いや、これは今実際に起きていることかもしれない。
私はそう判断した。
(寅丸、見えているか?)
私は寅丸の方を見た。見えている、という風に寅丸が肯いた。
(ぬえ)
ぬえも素早くうんうん肯いた。やはり見えているようだ。
「僕を殺さないと、核融合炉にこのピンが段々深く刺さるよ? いいのかな?」
地獄の底から響いてくるような、聞いたこともない低い唸り声で少年だった者が言った。
私は道士だ。動じることなどない。
「だからどうした? ここは夢の中だ。勝手にしたらいい」
ピンが、刺さっていく。
一センチ、二センチ……マズい、本当に穴が開くぞ。
マズい! 止めなくては!
その時私の脳裡に、白痴になった聖が笑う顔が閃いた。
ああ、聖……私はお前を愛しているのに、こんなことになってしまったね。
「どうした、何もしないのか? はっはっは、幻想郷はもう終わりだなあ!」
私は答えなかった。
「お前がそこまで愚か者だとは思わなかった! もはやお前の力では私を止めることなどできまいが、夢の世界が壊れてしまえば、現実に影響が及ばぬはずなかろう! 聖の意識とて現に戻らぬかもしれぬぞ。それでもいいのか?」
私は再び、答えなかった。
「ほう、夢の中にいる聖に会いに来るつもりか? そんなことに何の意味がある? 死人同然の聖の身体に悪戯でもするつもりか? はっはっは、人間とはそのようなことを考える卑しい存在だ。私のような妖怪の方が、よっぽど心が清い!」
私は三度、答えなかった。
黙って目を閉じていた。皆も示し合わせたように、目を閉じて箝口していた。
「ほう、誰も何も答えないのか! ならばこれはどうだ!」
そのまま私は目を瞑っていた。
車の音。クラクションの音。
救急車の音。私はそれらを耳にしたことはなかったが、私にそれを教えてくれる存在があった。
菫子の無意識かもしれない。
私はそのまま目を瞑っていた。無心にしたかったが、つい考えてしまう。
菫子がいる、外の世界にやってきたのだろう。どういう仕組みかは解らないが、夢なのでそういうこともあるのかもしれない。
とんでもないことになったものだ。しかも、先程まで一緒にいた皆に取り残されたのか、私一人しかいないようだ。私にはそんな気がした。
「ははは! 今からお前の頭上に、爆弾を落とす! お前は死ぬ!」
ふふふ。
「何を笑っている! ふ、ふむ……そうか! これではいかんか。ならば、お前の頭上に落ちてくるものを取り替えるぞ!」
あ、原子爆弾か。私の頭に情報が入ってきたので、すぐに判った。
「頭上と言っても遙か空中になるがな! 東京中が吹き飛んでしまうぞ! それでもいいのか? いいんだな? じゃあ落とす! 私が落とすといったら、絶対に落とす! ははははは、ざまあみろ! お前の意識はそのまま夢の中を彷徨うことになるのだ! もう一生、夢から醒めることはあるまい! 残念だったな!」
少年は大声を上げ続けた。
「さあ、命乞いをしろ! 私への無礼を詫び、私に使役される存在として生きていくことを誓え! できないなら、爆弾を落とす!」
私は無心になって祈っていた。聖、そして私達、幻想郷に住む全ての人の為に。
外の世界に住む人達の為に。宇宙人のことも、私は紫から教えられていた。その者達の為にも祈った。
「ほう、返事をしないのか。ならこれはどうだ? プルトニウムを満載したダーティーボムだ。こいつは原爆や水爆より恐ろしいぞ。こんな代物が現実で爆発したらもう人類は存在などできまい! 人の形を保った生物など生まれてこなくなるし、全人類が毎夜、悪夢に魘されることになる。そうなったら人類はお終いだ! どうだ、今考えを改めれば助けてやるぞ?」
世界が平和でありますように。
人類が幸福に存在しますように。
物騒なものは消えてなくなってしまえばいいのにな。なんてね。
「ほう、返事をしないか。今私がどれだけ機嫌を損ねたか、解らんようだな! ははは、じゃあこれだ! プルトニウム満載なんて生半なものじゃなく、水爆を落とすぞ。私が落とすと言ったら本当に落とす。なんと、爆発力一テラトンの超大型水素爆弾だ。地球は跡形もなくなってしまうぞ」
私は考えることが面倒になった。
今までの人生を、十分に満喫してこなかったこと、時間を有効に利用してこなかったことを、悔いた。
だが私は何も言わず、沈黙したまま目を閉じていた。
「本当に落とすぞ! ち、地球が跡形もなくなるというのは偽りではないぞ? 本当だからな!」
私が突然道士然とした思考から生々しい感情を伴った思考に陥ったのは、理由があった。
外の世界のことは、何もかも頭に入っている。
広島に投下された「リトルボーイ」の爆発力は十五キロトン、実際に使用された世界一大きい水爆ツァーリ・ボムの威力が百メガトンだ。百万倍の威力の爆弾なぞ、人間の技術力で造れるわけがなかろう。
私はニヤリと笑った。
愚かだった。ここは夢の中。不可能などないということに、私は気づいていなかったのだ。
――神子さん、聞こえていますか?――
聞こえている。私は心の中で返事をした。
――少々マズいことになりました。私は夢の中に存在していて、本体は現実ではなく夢の中にいるので、このままだと焼け死んでしまう可能性が非常に高いです。ですので、紫さんの隙間で別の夢に避難したいと思います。今までお世話になりました。また会いましょう。――
あいつも大変だな。他人事のようにそう思った。
「死ね!」
布都、屠自古。
我の人生も、なかなか面白かったぞ。
私の身体は一瞬で気化した。
※
はっ!
「気がつきましたか」
寅丸が私に膝枕をしていた。
「皆、無事か?」
「無事だよー」
「何ともない」
「私も一応」
ぬえとマミゾウ、村紗が返事をした。
「ここは何処だ?」
「まだ、聖の夢の中です」
確かに、「元の世界」に戻ってきている。
聖もいた。魔理沙は目を醒ましで、この世界から消えたようだ。
「お主を追いかけてあの妖怪が何処かへ行ってしまったせいで、この世界ではお主が眠ってしまったのじゃ。ずっと待っておったのじゃぞ」
「心配させて申し訳ない……」
「で、あの妖怪はどうしたのじゃ?」
私は経緯(いきさつ)を説明した。
「なるほど、自分の存在が含まれておる世界を吹っ飛ばしたのじゃな。それじゃったら、何処にも姿が見当たらないのも道理。塵に還ってしまったのじゃろう」
マミゾウは急に深刻そうになって言った。
「『現実』の世界の連中、今頃はずっと夢を見ておるのか?」
「その点は心配御無用」
ドレミーがスキマから現れ、その後に紫が出てきた。
「こんにちは」
「皆さんをお迎えに上がりました。さあ、現実に帰ってください」
「何が『心配御無用』よ。心配大有りじゃないの」
村紗がそう言うと、ドレミーが答えた。
「聖さんは夢の中で夢を見ていました。言わば、二重に夢を見ていたわけです。そこで世界が無茶苦茶になってしまっても、せいぜい現実世界の皆が一日全く夢を見られない程度の影響で済みます。精神を病むこともありません」
「あの少年に再び会えないのは、心残りじゃな」
「新しい恋を探すとするか」
マミゾウが言った。
「でも、聖が……」
こころが心配そうに呟く。
「本当にもう、どうにもならんのか?」
「心のリハビリをすればある程度は元に戻るかもしれません。ですが、失った手足は、もう二度と元には戻らないのと同様、完全な復元は難しいでしょう……残念です、非常に」
悲しみがこみ上げてきた。泣いてはいけないと思って我慢してきたが、それも限界だ。
涙が頬を伝う。
私は立っている聖を後ろから抱きすくめた。
聖……私はお前を……
「愛してるんだよお……愛、してるのに……」
私は泣いた。
「変な意味でですか?」
ドレミーが呟く。
誤解されたっていい。どんな姿になっても、心がどんなに変容していようと、構わない。
これからも聖を愛す。聖のいない生活なんて考えられないし、たとえ病気や事故で失うとしても、それまでは愛す。それでいいのだ。愛するとは、そういうことなのだから。
「聖……」
私は泣き崩れた。
「あれ? おかしいですよ」
「何が?」
ぬえがこころに訊いた。
「聖さんの支離滅裂な感情が、次第に整然としたものに変化しています。あ、もう殆ど常人のそれです。一体なぜでしょうか。解りません。奇蹟が起きたとしか言いようがありません」
「なーんか、そんなことになるんじゃないかという気はしていました」
ドレミーが呆れ顔で言う。
「そのまえに、こころがテキトー言ってた可能性はないの?」
「そんな、とんでもない! いい加減なことを言うと、流石の私でも怒りますよ」
「よかったのう」
マミゾウは、必死で涙を堪(こら)えていた。
「お前が泣くんかい……」
聖。
夢も現実も、お前の世界は続いていくんだ。
これからも一緒でいてくれるか?
「楽しかったよ、ミコ」
少年の声が聞こえた気がした。
シリアス物を書くのであればまずは設定くらいしっかりと把握しましょう。
彼女たちは、貴方の薄っぺらい話を代弁するための人形ではないことを重々承知してください。
文章力は…人物の行動に生彩が欠く、と感じる。言いたいことが前のめりで人物造形がごめんなさいって感じ。聖は兎も角、取って付けた様に現れる神子が薄っぺらい。サブキャラはもっとてきとー。面倒臭がらずにもー少し掘り下げると場面も自然なものになるのに。巻き添え恐れたドレミーがしれっと逃げるところはすき
「是什麼…」
ゼジュウモ? 仏教用語? 何物でもない?
知らない語句が多かったので調べながら読むのはそれはそれで楽しかったです
例えば、以下のシーン
>>「食事はどうなさいますか?」
>>禅宗では食事のことを斎座というが、私達には関係がない。
>>蛸のことは天蓋といい(中略)酒のことをそう呼ぶことで罪悪感を軽くしているのだ。なお、私は酒など飲まないし、弟子達にも飲まないよう教えている。
>>「そうね、屋台で食べましょうか」
この場面で二人の会話に挟まる地の文は『聖の視線を通した人里の様子』とか『聖が何を食べたいか考える』とか少なくとも読者に登場人物への没入感を与えるような描写をするのが普通で、みんなはその描写を少しでも魅力的にしようと日々頑張っているのに、何故かあなたは肉と酒の無意味な雑学を披瀝してしまっている
じゃあ肉とか酒の食事は後々で重要になるのかというと、そうでもない、本当に無意味な雑学として浮かばずに終わる
まあでも屋台には行くのだろうと思ってると、そうでもない、暖簾のある飲み屋に行ってメシも食わず一輪に説教だけして出ていく
屋台は? メシは? こいつら何してんの?
こんな支離滅裂ではね、作者にしか聖の思路を辿ることができないでしょう
こういう印象を受けるシーンが、ここだけじゃなくて、ほんと多いよ
文法上の拙劣が多いとストーリー以前の問題ってことになる
厳しいけど、俺はみんなみたいに10点もあげられない
霊夢の占いがインチキだったとしても、聖は霊夢を晒し者にするようなことやるか?
霊夢の占いがインチキだったとしても、聖は霊夢を晒し者にするようなことやるか?
霊夢の占いがインチキだったとしても、聖は霊夢を晒し者にするようなことやるか?