「あ゙っつい…………!」
うちわに煽られた質量を感じる風の塊に揺られ、大粒の汗が畳にシミを作った。風鈴の健気な抵抗も虚しく、ジジジジと輪唱を続ける蝉の叫びが一層不快感を煽る。朝に撒いた水も乾ききり、ゆらゆらと揺らめいて見える外の景色を見て霊夢は声にもならないため息を漏らし、温くなったお茶を一気に飲み干して立ち上がった。
「スイカを買いに行くわよ!!」
「この暑さの中外へ出るのか?」
だるそうに畳に横になっていた魔理沙が尋ねる。いつも黒を貴重としたごてごてとした衣装を纏っている彼女も、流石に今はそれを避けて服のボタンを緩め、帽子やブーツも放り出していた。
「ここで座ってても暑いのは一緒でしょう? だったら少しでも涼しそうなことをしたいじゃない」
「言わんとすることはわかるが私は遠慮しとくよ。ここでさえこの暑さだ。外に出るのはまっぴらごめんだ」
面倒事を払うように手を振りながら、魔理沙はごろりと寝返りを打った。それをみて霊夢は不敵に笑う。
「あらそう。じゃあ私がスイカを食べているところを物欲しそうに見てるといいわ」
「そりゃないぜ。わかったよ、行けばいいんだろ?」
今の地獄か後の地獄か、天秤を揺らして渋々立ち上がった魔理沙に霊夢は、今度は嬉しそうに笑った。
※
燦々と照りつける陽の光に照らされた外は想像を超えてうだるような暑さ。霊夢は自分で焚き付けただけに戻ろうとも言えず、これでは魔理沙のように屋内に籠もりたくなるのも最もだ、なんて考えていた。しかし重い足取りで人里に下りてみると意外にもそこは多くの人で溢れていて、盛んに活動している人たちを見ると、この暑さも少しマシに思えた。
その矢先、隠すように全身を覆い目深に笠を被った薬売りの姿を二人は捉えた。その暑苦しそうな格好に和らいだ暑さは打ち消され、思わずため息が漏れる。
そうしていると彼女が二人に気付いたようで小さく手を上げた。それを魔理沙が茶化す。
「今日は逃げないんだな」
「逃げたらあんたは追ってくるじゃない」
「後ろめたさの無いやつは逃げたりしないだろ?」
「貴方が正体をバラしたりしなければ最初からないのよ」
「隠してるのは後ろめたくないのか?」
和気あいあいと話す二人の横で暑さに耐えかねた霊夢が口を出す。
「先に言ってるわよ」
「あ、待てよ! すまんな鈴仙」
「ちょ、ちょっと待って!」
鈴仙が呼び止めたのに霊夢は何?とだけ言って足を止める。
「最近ずっとこんな調子《あつさ》でしょう? その影響で体調を崩している人が多いのよ」
額を伝う汗を拭いながら、だろうなと魔理沙は苦笑する。
「だけど今永遠亭はみんな出払ってるから、もし見かけたら私に教えてくれない?」
何かを企んでいるならばいざ知らず、裏の思惑はどうであれ人助けをしようとする彼女の頼みを二人が断る理由もなく、わかったわと快諾して彼女たちは元の目的へと戻った。
それからしばらく歩いていたが、奇妙な二人組を見かけて足を止める。
「珍しいな、あの二人が一緒にいるなんて」
「そうね。なにか変なこと企んでなきゃいいけど」
そう訝しむ二人に応えたのは通りすがりの声。
「企むなんて失礼な。彼女がしているのはれっきとした人助けよ」
振り向けばそこには、従者が半歩後ろから掲げる傘に護られた、小さな夜の王の姿があった。
「この暑さで植物が異常に成長してどこの庭も荒れ放題みたいでね。庭師が足りないという話が紅魔館《うち》と白玉楼の方まで来たのよ」
呆れたように彼女は語るが、それ以上の疑問が目の前から現れたのだからそれが二人の耳に入るはずもない。
「あんたなんでこんな暑い中出歩いてるのよ……」
「ん、ああ。少し噂を耳にしたのよ。なんでもどんな暑さでも打ち消すモノがいま人里《ここ》にある、ってね」
「だとしてもお前が直接来る必要はないだろ」
魔理沙の指摘に彼女は楽しそうに口元を歪める。
「苦手だからといって避け続けていてはいつまで経っても克服できないでしょう?」
「一応言っとくが人間は刃物を避けられても克服はできないぜ」
その切り返しに彼女はフフフッと肩を揺らした。そして少し落ち着いてから口角を上げたまま語る。
「いや何、パチェが外に出るのに私を誘ったのよ。あの引きこもりがこの暑さの中外に出るっていうのに、私が断ったらなんだか負けたみたいで癪じゃない?」
「相変わらず仲がいいのね」
「そうかしら?」
「ええ、ずいぶん」
小首を傾げる紅魔の主は見た目相応といった風で、二人の心は少し和んだ。
「一体いつから人里《ここ》はこんなに妖怪まみれになったのよ」
ほんの数十メートル歩いただけで四人の非人間に出会い、ふと霊夢は漏らした。
「妖怪寺の件もあるし、今更だと思うけどな」
そう言って魔理沙は笑うが、博霊の巫女たる霊夢としては笑えないくらいには不安の方が大きかった。
そうこうしているうちに目的の八百屋が目に入る。霊夢は店主への挨拶も半ばに目的のスイカを探す。残り二つとなったスイカを見つけ手を伸ばしたところを、隣の客と手が重なった。
「あ、ごめんなさい」
「こちらこそ、申し訳ない……ん。巫女じゃないか」
呼ばれて顔をあげるとそこに居たのは寺子屋の半妖教師だった。妖怪ばかりだと言ってすぐの遭遇に霊夢は乾いた笑みを浮かべる。それを見て後ろで笑いをこらえている魔理沙を足で軽く小突く。
「ん? どうかしたか?」
「いいえなんでも。それよりあんたもスイカを?」
ああ、と言って彼女は視線を後ろにやる。そこでは寺子屋の生徒らしき子どもたちが何人かで一つのスイカを持ってはしゃいでいる。
「この暑さで子供のことが不安になった親御さんたちが、お金を出し合ってスイカを食べさせることになってな。その買い出しなんだ」
「子供は元気だな」
「疲れに気づかないだけさ」
彼女は苦笑する。それだけで彼女の気苦労が感じて取れた。
「それより君たちもスイカを買いに来たんだろう? 私達のせいで残り一つになってしまったが」
その言葉で二人は我に返り目的を思い出す。申し訳無さそうな彼女の声に霊夢は笑みを浮かべた。
「二人分だもの、多すぎるくらいよ」
「だな」
ありがとう。彼女は静かにまぶたを下ろした。
そうして二人は目的のスイカを無事手に入れたのだった。
さて帰ろうとしたところで、後ろからぐちゃりと大きな音が聞こえた。振り返ってみると一つのスイカが地面に打ち付けられ見るも無残な姿になっている。
一瞬の静寂を経て、割れるような泣き声がいくつか響いた。彼女はすぐに駆け寄り叱ろうとするが、今の彼らには落胆や悲しみのほうが大きくその言葉は撫でるように通り過ぎていく。
ふと霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。そしてどうやら同じことを考えているらしいと分かり二人揃って苦笑する。
「はい、これ」
そう言って目の前に差し出されたスイカに子どもたちは目を丸くする。顔の高さが同じになるようしゃがみ込んだまま霊夢が笑みを浮かべると、彼らは恐る恐る手を伸ばした。
「いいの?」
「もう落とすんじゃないぞ」
魔理沙の言葉に、彼らは真夏の日差しにも負けないような明るい表情を浮かべ頷いたのだった。
「本当にすまない」
「いいのよ。私達のスイカ一個とあの子達のスイカ一個の価値は同じじゃないもの」
そう答えた霊夢の表情は少しだけ名残惜しそうに見えた。その背中を魔理沙が叩く。
「帰ったら私が特性の鍋でも作ってやるよ!」
「この暑さの中鍋をするの?」
「暑い時にはより熱いもの、って相場は決まってるんだぜ」
「初めて聞いたわ」
結果として二人は外に出た功績を何も持たなかったが、ただ不思議とその気分は悪くなかった。
事が始まったのはその帰り道のことだ。
二人の視線の先、見覚えのある人影があった。酷暑の中、珍しく動いたという大図書館。
魔理沙が声をかけようと手を上げたところでその紫がかった肢体がぐらりと傾いた。二人は咄嗟に駆け寄るが受け止めるには間に合わず彼女の身体は地に伏せる。それと同時に霊夢は叫んだ。
「魔理沙!」
「ああ!」
二つ返事で魔理沙は応えると即座に走る方向を変える。霊夢が彼女のもとにたどり着いた頃にはもう魔理沙の姿は見えなくなっていた。
霊夢は魔理沙の動向には見向きもせず、急いで彼女を近くの木陰へと移動させ彼女の服を緩めた。そしてすぐさま隣りにあった民家に駆け込む。
しばらくして水の入った竹筒を持って彼女は現れた。そこで思わず声をあげる。
「…………え?」
束の間のことだった。霊夢が民家に入り事情を説明して水を貰うまで、一瞬とは言わずともほんの僅かの間であったはずであるのに――彼女の姿はそこになかった。
※
魔理沙は先程薬売りと出会った辺りまで戻ってきていた。周囲を軽く見回すもしかしその姿は無い。
「おや霧雨嬢。どうしたんだい? そんなに急いで」
代わりにそこには小さな賢将の姿があった。
「鈴仙のやつを見なかったか?」
「薬売りの? いや、見ていないが……ん?」
彼女が少し声を漏らす。どうやら彼女のダウジングロッドが魔理沙に反応したらしい。
「急ぎのところすまないが、水晶のような意匠を施したブレスレットを見てないかい?」
「覚えがないな。しかしまたモノ探しか。お前も大変だな」
「そういう君も人探し中だろう? 同じじゃないか」
それもそうだな、と魔理沙は頭を掻く。ただその一言で彼女の中で二つが重なった。重なってしまった。
「おい、ちょっと待ってくれ。何か変なことを考えてやしないか?」
不気味な笑みを湛える魔理沙に迫られ彼女は一歩また一歩と後ろに下がる。しかし魔理沙はお構いなしににじり寄り、勢いよく彼女を抱え込んだ。
「うさぎ探しに付き合ってもらうぜ!」
そのまま魔理沙は勢いよく走り出す。対して小さな彼女には抵抗できるはずもなく、結果子供に抱えられた人形のようにだらりとしているしかなかった。
※
「ったく、どこ行ったのよ!!」
忽然と姿を消した病人を探して霊夢はひた走る。自力で移動できるようなら放っておいても構わないと考えてはいるが、先程彼女が少し様子を見た限りだと到底そうは思えない。故に今霊夢が抱いている不安は体調よりむしろ誘拐だとか、身の危険の方である。無論霊夢も彼女がそう簡単に攫われるほどやわではないとわかっているが、今の彼女では期待も薄い。
そうしてあちらこちらへと視線を走らせ人里を走り回っていると、自然と足元への警戒は薄くなる。
「ぐえっ!」
妙に柔らかい感覚と蛙が潰れたような声に霊夢は思わず後ろに飛び退いた。一体なんだと目をやってみれば、実際のところ潰れていたのは河童であったわけだが。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや、いいよ……。それより、水……水を持ってない?」
引き絞るような声で河童は言う。霊夢の右手で竹筒がちゃぽんと音を立てた。
「いやー! 助かったよ!」
竹筒の水を一口で飲み干して河童は大声を上げた。
「暑いのはわかって準備をしてきたんだけど、ここまでとはね」
「それより、あんたこんなところで何してたのよ。場合によっては――」
「待って待って!! 別に人間に危害を加えようとかじゃないよ!」
ドスの効いた霊夢の声に露骨に焦りを露わにして河童は弁明した。
「商売の準備をしようとしてたんだよ。ほら最近ずっとこの暑さだろ? 色々と売れるものがあるんじゃないかってね」
河童の話が終わってもなお霊夢の疑いの視線は彼女を襲う。しかしこれ以上言葉を重ねても言い訳がましくなるようで、彼女は精一杯の笑顔で受け止めるしかなかった。
「……それで自分が倒れたら世話ないわね」
そう言って立ち上がった霊夢に河童は人心地着いて息を漏らした。
「それじゃあ、急いでるから」
「あ、ちょっと待って!」
呼ばれて振り返った霊夢の視線に河童は一瞬たじろぐが、かすかに上ずった声で言った。
「助けてもらったお礼、こんなものしかないけど……」
彼女が取り出したものを見てまた変なものを作ったのかと霊夢は目を細めた。
※
「む。霧雨嬢、反応があったぞ」
小さな賢将は相変わらず小脇に抱えられたまま、ダウジングロッドの動きを見ていた。そして指し示したのは一軒の茶屋。魔理沙はすぐに駆け込んだ。
店主に一言だけ断りながら人影を一人ずつ確認する。しかしそこに見覚えのある影はない。
「さっき私を指したことといい、どこかおかしくなってるんじゃないかそれ」
「むぅ、そんなはずは……」
賢将は唇を尖らせるが、はっきりと言い返せないのも事実だった。
「まぁいいや。次は頼んだぞ」
しかし魔理沙は特に気にするでもなく店を出て次へと走り出した。
「怒ったりはしないんだな、君は」
小さな彼女がぽつりと零したその言葉に魔理沙は首を傾げる。
「失敗は誰にだってあるだろ。次成功しようとしてくれりゃいいさ」
そうか、君は努力の人だったな、と。彼女は静かに微笑んだ。
彼女たちが去ったしばらく後。茶屋の奥、店主らの生活の場から出てくる影があった。
「意識がはっきりしてからも、もうしばらくは安静にしておくよう言っておいてくださいね。あの薬は体力回復を促すだけのものですから」
草履を履き直し荷物を背負い直して薬売りは立ち上がった。対して店の者と思しき者が頭を下げる。
店を出た薬売りは竹筒の水を一口含み、笠を目深に被り直して次の場所へと歩を進めた。
※
「ああ、来ましたよ」
読みかけの本を開いたまま気の抜けた声で貸本屋の娘は答えた。
「ほんと!? どっちに行ったかわかる!?」
食らいつくように問いを投げかけたきて霊夢に一瞬たじろぐが、なんとか記憶を漁って彼女は指をさす。
「え、えーと、たしか、あっちだと」
「ありがと!」
聞いてすぐ霊夢は店を飛び出そうとする。それを貸本屋の娘は呼び止めた。霊夢は引き戸に手をかけたまま中を覗くようにして立ち止まる。
「見かけたらでいいんですけど……マミゾウさんに貸本を返却するよう催促してもらってもいいですか?」
「わかった、見かけたら言っておくわ。情報ありがとね!」
聞き終わるより先に引き戸がピシャリと音を立てた。
何かあったのかと彼女は疑問を抱くが、博霊の巫女が慌ただしくしていること自体は特別珍しいことでもない。
「ま、大丈夫かな」
そう結論付けると彼女は眼鏡を掛け直して文字の並びに視線を戻した。
得た情報を元になおも駆ける霊夢。その先で見覚えのある二人組の妖怪が目に入ってそちらに向きを変える。彼女からすれば新たな情報を得るための何気ない行動に過ぎないが、向かってこられた方からすればそれは前後を忘れる理由として事足りた。
「ちょ、ちょ、ちょ! 私達は何もしてないよ!?」
「別に疑ってないわよ。それよりあんたたち、紫髪の女を見なかった?」
「……紫髪の女? 見てないわね」
驚きのあまり頭を落とし、文字通り前後不覚に陥っていた妖怪は自分の首を拾いながら答える。隣の人魚の姫も首を横に振った。ならばこちらには来ていないかと霊夢は当たりをつける。
「代わりにこっちからも一ついい?」
考え込んでいた霊夢に妖怪は申し訳なさそうに手をあげる。霊夢がそっちに視線をやったのを同意と取ったのか彼女は言葉を続けた。
「小傘をみなかった? この暑さで姫がダウンしてるから少しでもマシになればと思ってるんだけど」
「見て……ないわね。向こうの八百屋からこっちまででは見てないわ」
そっか、ありがとう、と言って彼女たちは歩き始めた。それを今度は霊夢が止めた。そして河童からもらった道具を取り出す。
「私はいらないからこれ、あげるわ」
「…………なにこれ?」
彼女たちは、河童にそれを見せられた霊夢と同じような顔をしていた。
※
「おーい魔理沙! 逃げる気か〜?」
「今はそれどころじゃないんだよ!! ていうかこんな真昼間からお前がそんなベロベロになるまで飲んでんじゃねぇーよ!!」
魔理沙は大声で悲痛な叫びを上げた。
場所は人里の大通り。そう人里である。にもかかわらず魔理沙は地底に移ったという鬼に追われていた。それも弾幕、とまでは言えずとも弾を伴った。
彼女と面識のある魔理沙は彼女がそうそう地上に上がってこないこと、そしてこんな人前で暴れたりはしないくらいの分別があることは理解している。でなければ彼女は地底に移っていない。しかし今日に限ってそれを忘れるくらい彼女が酒に溺れているなど、相当のめぐり合わせの悪さである。魔理沙は歯噛みした。
小脇に抱えられた賢将は叫ぶ。
「下ろしてくれ霧雨嬢!! このままじゃ私も巻き添えだ!!」
「ああ!? 下ろした私はどうやって鈴仙を見つければいいんだよ!! ていうか次はどっちだ!」
「聞き込みしながら家を回っていけば見つかるだろう!! そこを右だ!!」
声に合わせて反射的に魔理沙は角を曲がる。が、曲がり切る直前で急停止した。
「どうした霧雨嬢!? このまま行くにしても早くしないと鬼がくるぞ!」
「あ、いや、こっち方面はだな……」
「何か迷う要素でも……成程」
賢将は何か心当たりがあったのか呆れたように口元を歪める。
「さては君、未だに家族と上手くいって―――」
「あー! あー! あー!! よーし望み通り下ろしてやる! だからあいつの事は任せた!!」
魔理沙は聞きたくないといった風に声を被せ、半ばヤケになって小脇に抱えた彼女を開放した。当の彼女は突然のことに為す術もなく地に伏せる。
「あ、おい!」
彼女が体勢を取り戻し顔を上げた頃には魔理沙は遥か遠くにいた。
呆然とする彼女の肩にポンと手が置かれる。
ゆるゆると振り返りつつ彼女は、魔理沙への仕返しを心に決めた。
※
情報を頼りに霊夢が里を走る先、探していた人影を見つける。ただそれは紫髪であれど病弱そうではない。大きな荷物を背負い目深に笠を被った薬売り。
「見つけた!!」
「! 誰か体調が優れない人がいるの!?」
息を乱して現れた霊夢に彼女はすぐに事情を察し問いを投げた。霊夢が頷いたのを見て言葉を続ける。
「場所は!?」
「わからない」
「へ?」
随分間の抜けた声だと、彼女は自分でも思った。
「なるほど……」
そう告げては見たものの、正直な話彼女は霊夢の告げた内容を理解したとは言い難い。ただ霊夢はそんな意味の無い嘘を吐く性分でないと知っているし、何より理解できなくても状況さえ解ればそれで十分だった。
「とりあえず私も意識して探してみるわ」
「お願い。……そういえば魔理沙に会わなかった?」
「ん、会ってないけど?」
それを聞いて霊夢はガシガシと頭を掻いた。
「あんたを探しに行かせたんだけどね。一体どこで何やってんだか」
※
「ったく、酷い目にあった……」
先の大通りを左に進んで、ジグザグと入り組んだ方へ入った細道。家屋に挟まれた影の下で魔理沙は一息ついて汗を拭った。
当然ながらその瞬間の彼女には油断があった。その僅かな油断を狙い澄ましたかのように彼女を後ろからの声が襲う。
「驚けー!!」
「――――っだあー!?!?」
「痛い!?」
咄嗟に振り抜かれた魔理沙の腕が襲撃者の脇腹に突き刺さる。そのまま彼女は患部を抑えて倒れ込んだ。その頃になってようやく襲撃者の正体を理解した魔理沙は、罪悪感を覚えて手を差し伸べる。
「いや、その、すまん」
「ううん、こっちこそ。ごめんね」
そう言って手を取る空色の襲撃者。そうやって素直に謝る人当たりの良いところが驚かれない原因だろう、と考えながら魔理沙は引き上げた。驚いてしまった手前口には出せないが。
魔理沙が彼女を引き上げたその際、彼女の手から何かがこぼれ落ちる。それを拾いながら彼女は思い出したよう訊く。
「あ、魔理沙! このブレスレット誰のか知らない?」
言って彼女が見せたブレスレットを目にして魔理沙はぽんと手を叩いた。
「ああなるほど。私を指したのはそういうことか」
「なにか心当たりがあるの?」
「ああ。それでだが、これから妖怪寺に行ったりするか?」
「命蓮寺? ううん。というかさっきまで居て、これから鍛冶場に行くところ。それがどうかしたの?」
「いや、どこまでも間の悪いやつだと思ってな……」
ある種のホームとも言える場所に求めるものがあるとも知らず、里中を探し回っていた彼女のことが魔理沙は少し気の毒に思えた。
「まぁいいや。じゃあそれはあとで私が持ち主のとこに届けとくよ」
そう言って魔理沙はブレスレットを預かり彼女と別れた。
※
薬売りと別れた後、遠くに狸の大将を見つけて霊夢は歩を緩めた。近づくうちに向こうも気付いたのかこちらに寄ってくる。
「そんなに急《せ》いて、何か急用か?」
「マミゾウ。早く本を返せって小鈴が嘆いてたわよ」
「ん。ああ、そういえばまだ返してなかったか。いやわざわざ悪いのう」
「ついでだし別にいいわよ。それより紫髪の女を見なかった?」
「紫髪の女? 永遠亭の兎のことか?」
「あー、いや、もっと不健康そうなやつ」
「うーむ、見とらんな」
そう……、と気を落とす霊夢に大将は通りの先を指さした。
「広小路の方へ行ってみてはどうじゃ。あそこなら人も多いし、本人はともかく知ってる奴はおるかもしれんぞ」
※
少し歩いて大通りに出た辺りで、魔理沙はようやく目的の人物の姿を捉えた。
「あーーーーー!!」
思わず飛び出た魔理沙の叫びに彼女は五月蝿そうに耳を塞ぐ。
「おい鈴仙! 倒れたやつがいるんだよ!!」
「もう霊夢から聞いたわよ」
「ん? 霊夢に会ったのか?」
首を傾げる魔理沙に彼女はさっきね、と頷いた。それを聞いて魔理沙は胸を撫で下ろす。
「そうか……。じゃああいつはもう無事なんだな」
「それがそうでもないのよ」
「どういうことだ?」
「どういうことだ……?」
彼女から概ねの流れを聞いて魔理沙は再度首を傾げた。
「そりゃそうなるわよね。私だって解ってないもの」
彼女は苦笑する。まぁとりあえず探せばいいんだな、と結論づけた魔理沙に彼女は頷いた。
「あ、そう言えば魔理沙、小傘を見てない?」
「小傘ならさっき会ったぜ?」
「ほんと? 霊夢が言伝がしたくて探してたのよね」
それなら私が後でしとくよ、と彼女からその内容を聞いて二人は別れた。
「さてと……」
魔理沙は帽子のつばをつまんで位置を正す。
一つ人探しが終わったかと思えばまた新たな人探し。しかも散々苦労した先のものより手がかりが薄いときた。
立ち止まって思考していると顔に沿って流れる汗が一層気になって。それを拭って、とりあえず小傘に伝言を伝えに行くか、と決めたところで空高くに見覚えのある黒い影を見つけた。
「文屋《あいつ》なら何か知ってるかもしれんな」
魔理沙はくるりと向きを変えその影を追った。
※
マミゾウの助言に従って広小路へとやってきた霊夢。そこではいくつかの屋台が並んでいて、氷やらなんやらを求めて多くの人が集まっていた。ぐるりと見回してみてもそこに目的の影はないが、確かにこれだけ人がいれば一人二人は何か知っている者が居るのではと思えた。
さて探そうかとしたところを呼び止める声があった。
「霊夢さん!」
振り返れば新聞屋の姿。人間の姿に変装はしているがその様には焦りが見える。
「ちょっと! 羽が出てるわよ!羽が!!」
「え? ああ、すみません。急いでたもので」
彼女は自分の背中側を覗くようにして身体を捻り確認したあと、何やらゴソゴソとしてはみ出ていた羽をしまいこんだ。
「それで? そんなに急いで何の用よ」
「いえそれが、少し情報提供を頼みたくてですね」
彼女は周囲を二度三度確認した後ぐいと霊夢に顔を近づけると、囁くような小声で言った。
「ここ数日行方不明者が続出してるんですよ」
「行方不明者……?」
霊夢が反芻したのに彼女は頷き、顔を離した。
「『さっきまで一緒に居たのに、少し目を離した隙に忽然と姿を消した』。そんな話が複数上がってるんです」
「ちょっと待って! 私が今探してる奴もそんなだったわ」
「本当ですか!?」
見に覚えのある話に反応した霊夢の両肩を食らいつくように彼女は掴む。その表情は厳しい。
「『ここ数日』とは言いましたが、その殆どが今日に入ってからのものなんです。つまり今日《これ》からもっと被害が増えると予想できる」
そこまで言って少し冷静さを取り戻したのか、彼女は霊夢の肩から手を離しひらひらと揺らしながら微笑んだ。
「だから一刻も早く正確な情報を広めたいんですけどね」
あの薬売りにしてもそうだが、妖怪たちも人里が滅びるようなことは望んでいない。その目的は違えども霊夢と利害は一致する。
霊夢はため息一つこぼし手を差し出した。
「私も協力するわ。いい加減一人で探すのも限界に思えてきたし」
「助かります」
彼女は楽しそうに笑い手を合わせた。
「やっと追いついた……! って霊夢!」
「魔理沙!」
人里故に空を飛ぶのは自重し走ってきたからだろう、息を乱した魔理沙が二人に合流する。
「今まで何してたのよ」
「鈴仙を探してたんだよ!」
「見つけられてないじゃない」
「あいつも移動してるんだから仕方ないだろ!? ていうか聞いたぞ? お前は動いてもいない奴を見失ったんだって?」
「動いてなかったら見失ってないわよ!!」
「ま、まぁお二人共……」
新聞屋が抑えようと声をかけるも虚しく、二人の口論は続く。炎天下の中あちらこちらへ走り回った二人の疲れは既に冷静さを保ち続けられる程度を超えていた。
そんな二人を止めたのは一つの悲痛な叫びだった。
「わかさぎ姫を見なかった!?」
三人の元へ走ってきたのは霊夢が先にあった飛頭蛮。しかし隣にいた彼女の姿はない。
「少し目を離した隙にいなくなったのよ! 一人じゃそう遠くには行けないはずなのに……」
視線を地に落とす彼女の横で霊夢と文屋は目を見合わせた。二人の様子と薬売りから聞いていた話を照らし合わせて魔理沙も何となく事情を察する。
「今すぐ手分けして探すわよ! 姿を消したのがさっきならまだ遠くにはいないはず!」
「闇雲に探しても無駄ですよ!」
走り出そうとした霊夢を新聞屋は制した。
「貴方もですが、私が話を聞いた人達もそうしたはずです」
これ以上言う必要がありますか? そんな視線に霊夢は言葉に窮する。
「しかし他に何かいい方法があるか?」
そして何気なく魔理沙が零したこともまた事実であった。四人の間に重々しい空気が漂う。霊夢の視界の端で飛頭蛮の彼女は無力感からか拳を握りしめた。
それで霊夢はふと思い出した。ごそごそと袖の中をまさぐる霊夢に魔理沙と新聞屋は奇異の目線を向ける。しかし唯一飛頭蛮の彼女は察していた。
「それは?」
「河童が作った道具よ。ハッシンキ? まぁ印を付けた相手の場所をこれで見られるの」
「でもその印を付けてないと意味が無いんだろ?」
「付けてあるのよ。元々は別の目的だったけど」
そう、最初は別の目的だった。人探しに使えると河童から渡されたそれを、そもそも会えない時点で無意味と考えた霊夢は二人と探し人を確実に巡り合わせるためにそれを使った。ハッシンキを二人に付けて、それを見る機械の方を探し人に渡せばいいと考えた。
四人は一斉にその画面を覗き込む。碧色の点を中心に同心円が等間隔に描かれている。そしてそのうちの一つの円状に赤い点が一つポツンと打たれていた。それがハッシンキの場所だとは分かるが、具体的な見方が分からずあーでもないこーでもないと言い合った末霊夢は指を指す。
「あっちの……そう遠くない場所にいるわ」
その言葉に飛頭蛮の彼女は安堵の息を吐いた。それが周囲に伝染し他の三人も肩の力をを抜いた。
しかし四人が気を弛めたのも束の間、唸るような地響きがその場を襲った。広小路にいた人々にも動揺が走る。原因がわからず四人もただただ身構えることしか出来なかった。その間も地響きは鳴り止まない。
暫くそうしていると広小路全体を影が覆った。一体何が起こったのか――そんなこと、考えるまでもなかった。
巨《おお》きな、途方もなく巨きな姿。首なしの巨人がその身を現した。
何だアレは――――。
その場にいる誰もがそう思考した。けれどそれが纏まるより先に巨人《それ》は動いた。
酷く緩慢に。否、巨きすぎる故そう見えるがとてつもない速度で巨人《それ》は拳を振りかぶると、無慈悲にも里へ振りかざした。
霊夢と魔理沙は咄嗟に走り出した。されど間に合わない。それに間に合ったところで二人には止められない。それでも、二人は走り、飛んだ。
ズドン――重々しい音が響いた。衝撃故か、あるいは風圧か。砂埃が周囲に渦巻く。
幾ばくかの静寂のあと、砂埃が徐々に落ち着きを見せてきて、ぼんやりと視界が通るようになってくる。その場に成された被害の痕を想像して二人は目を細めた。
しかし二人の想像上の惨劇はそこにはなかった。振り下ろされた巨人の拳は地につく直前で静止していたのだ。
一体何故。二人が目を凝らすと、何とその巨きな拳を受け止めている者がいた。
金の髪をはためかし、その間から紅い紅い角《しるし》が顔を見せる。今にも潰されてしまいそうなほど巨大な腕をその両の手で支えながら不気味なまでの笑みを湛えている。
そして、その拳が止まって初めて気づいたことがあった。突如現れたその巨軀は一つの巨きな生命体ではなく、草木の集合で成っていた。
その気付きとほぼ同時、止められた拳から無数のつるが伸びた。みるみるうちに拳から遠くまで伸びたそれは、周囲で動けずにいた人々の手足に絡みついていく。そしてズルズルと手の方へと引きずり込み始めた。
が、それはすぐに止まった。まるで生きているように動き人々に纏わりついていたつるが力なく地に落ちる。
「この暑さで伸びすぎた、っていうだけじゃないですよねぇ」
「何にせよ、人の領域を害するほど乱れた草木は整えるのが私たちの仕事です」
どこからか現れた二人組が一瞬のうちに全てを切り落としたのだ。
負けじと巨人も更なるつるを伸ばすが、その度に二人に切り落とされる。ならばと振りかぶって拳を振り下ろせば紅い角を携えた彼女に止められる。
巨人は反り返って全身を震わせる。それはまるで叫びのように思えた。
「はは、あいつら……」
魔理沙が声を漏らす。何も口にしなかったものの霊夢も魔理沙と面持ちだった。そして即座に判断する。
『あの巨人による里への脅威は現状ない』と。
しかし根本的には何も解決していない。今でこそ防がれているが、あの巨人が見境なく暴れだしたらその限りでないことは誰の目からも明らかである。それでも時間はできた。策を練るためにも二人は残りの二人と再度合流した。
「霊夢、お前の御札でどうにかなったりしないのか?」
「無理ね。あの体を作ってる草木自体は妖怪じゃないもの。それに仮に止められても一部だけ。何の解決にもならないわ」
「では魔理沙さんの炎で焼いてしまうのは」
「それこそ無理だな。全部焼き切るくらいじゃないとダメだが流石に私でも出来ないし、何より下手すりゃ大火事だ」
案が出ては不可能だと却下される。それを何度か繰り返した時、一人後ろでハッシンキの点を見つめていた彼女が震えた声を上げた。
「嘘、でしょ…………?」
彼女は一度巨人の方を見上げ、ハッシンキの点に目を落としたあと再度巨人へと視線を移し、ゆるゆると震えた手で指を指した。それに合わせて全員の目線が巨人の方へと向けられる。
「姫は……あの巨人と同じ場所にいる……!!」
※
「あいつの足元にわかさぎ姫がいるっていうの!?」
「一番危険な場所じゃないかよ! 早く助けに行かないと!!」
「違います魔理沙さん!!」
今にも飛び立ちそうな魔理沙を制止したのは新聞屋だった。
「いえ。恐らく、ですが……」
彼女にとってそれは反射的なものだったのだろう。言い終わってから言葉を濁した。
「……何か心当たりがあるのか?」
「一つ質問です。貴方は巨人《あれ》が猛暑による植物の異常成長だけによって生まれたと思いますか?」
「……どういう意味だ」
もったいぶる彼女に魔理沙は直球の質問をぶつける。しかし彼女は明言することを避けるように問いを重ねた。
「ここまでではなくとも猛暑の年はこれまでにもあった。となると、あれほどまで巨大な存在と成るためにはもっと別のエネルギーが必要だとは思いませんか」
「まさか――――!」
彼女と情報交換していた霊夢が先に意図を理解して声を上げる。その声音から次いで魔理沙も理解する。
「巨人《あいつ》の中に居るっていうのか!?」
彼女は応えない。だがそれが何よりの応えだった。
四人の間に沈黙が落ちる。それは当然の反応だった。彼《か》の巨人は複数の集合体。故に一撃の元葬り去る必要がある。しかしそうすれば中にいる者たちは到底無事ではすまない。
あまりにも無理難題。解決の糸口すら見えず時間だけが過ぎていく。
「ま、まあただの仮説ですけどね」
その雰囲気に耐えかねたのか新聞屋が軽い口調で言葉を続ける。
「大体仮説が正しかったとして、あれだけの巨体に成るためにはかなりの人数が必要だと思うんですよ。私の調査ではそんな数の行方不明者はいませんでしたし」
しかし彼女が言葉を重ねるほど、その場の空気は滲んでいく。
「あるいは強い力を持った人が取り込まれていれば別ですが、そんな人は取り込まれたりしないでしょうしね」
――と、その言葉に霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。そして耐えきれなくなって吹き出すように笑いだした。
その場の空気に不釣り合いな彼女たちの行動に気でも触れたかと新聞屋は動揺を露わにするが、ひとしきり笑ったあとに魔理沙はあくまで平静を保ったまま答えた。
「やっぱりお前の仮説はあってるよ」
「……え?」
「そういえば私が探してた行方不明者が誰か言ってなかったわね」
「紅魔館の大魔法使いよ」
「なんか一周回って吹っ切れたわ」
『そうだったらどうしよう』と。悪い方へ悪いケースへと思考が進む悪循環。それが事実でもないのにもしものことを考えている自分がいる。それが迷いとなり彼女たちの足を絡め取っていた。
だが『やるしかない』と。今が最悪の状況だと叩きつけられて、彼女らの心に火が着いた。
「と言っても、攻略の糸口は掴めないままだけどな」
魔理沙の言葉どおり、状況は何も変わらない。しかし彼女の表情は決して暗くはなかった。
「それなんだけど……」
そう言って小さく手を上げたのは飛頭蛮の彼女だった。彼女は持っていた機械を皆に見えるように掲げる。
「これ、操作してたら画面が変わったわ」
言われて三人が覗き込んでみると確かにその表示は先とは違うものとなっていた。中心の碧い点と赤い点があるのは変わらないが、中心で直角に交わる三本の直線が追加されており、そこから広がる図形も円ではなく球のように見えた。
「これってもしかして、高さもわかるんじゃない?」
三人は画面と巨人とを何度か見比べる。そして確信する。
「間違いないわ!」
「つまり囚われている人達がいるのは――」
四人の視線が一つの点で重なった。
「あのてっぺんだ!!」
※
「場所もわかったことですし、まず囚われている人たちの救出が最優先かと」
「とはいえ巨人《あいつ》の頭? はあんなだぜ?」
魔理沙が親指で指した先、なおも巨人は暴れている。そしてそのせいで巨人の存在しない頭部付近は縦横無尽に動き回っている。
「多少なりとも動きを止めないことにはどうしようもないだろ」
「でもそんな方法……」
「それを使えばいいのさ」
その声に全員が振り返ると、そこには小さな賢将の姿があった。
「騒がしいと思って来てみれば、こんな大事とはね。今日は本当にツイてない」
彼女は頭痛を抑えるかのようにまぶたを下ろして眉間を指で刺激する。そして瞳を晒したと思うと鋭い視線を魔理沙に向けた。
「霧雨嬢。あとで覚えておくことだ」
魔理沙はどきりと肩を跳ねさせる。他の三人は疑問の視線を魔理沙に向ける。四つ視線に襲われた魔理沙は急かすように告げる。
「そ、それより『それ』って何のことだよ」
気持ち悪い笑みを浮かべる魔理沙を見て彼女はため息一つ吐いて説明を続けた。
「それはそれだよ霧雨嬢。君は今付けてるだろう? ブレスレットを」
「ん、ああ。そういやこれお前が探したんだったな。何か特殊なものなのか?」
魔理沙は腕からブレスレットを外し、じゃらりと日の光に照らす。対して小さな賢将は深く頷いた
「ああ。特に、今の君たちにはぴったりの」
※
「本当に大丈夫なのかしら」
遥か上空。巨人の頭部から少し上の位置で霊夢は零した。
ただ彼女には今何かできることもなく、地上より更に強い日の光に大量の汗を流しながらその時を待った。
対して巨人の脚部付近。ブレスレットを身に着けた魔理沙が集中力を研ぎ澄ましていた。
魔理沙が彼女から指示されたことはたった一つ。
『ブレスレットにありったけの魔力を込めろ』。
どうして私が。魔理沙はそう反論もしたが、彼女は『君が一番向いている』の一点張りだった。
結局他に適任も居らず魔理沙がやることになったのだが、幸い彼女はこの手の単純なことは嫌いではなかった。
まぶたを下ろして深呼吸を一回、二回……。今魔理沙がいる場所は巨人の影、なおかつ植物の近くということもあって他より幾分涼しい。それもあってか彼女は感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。
魔理沙は右腕を前に突き出す。普段八卦炉を構えているように。左手でブレスレットの辺りを掴む。
更に鋭くなる感覚。深く深く潜り込み、周囲の音が消えた――。
魔理沙はまぶたを上げる。力を込める。
「あああああああああああ!!」
今出せるありったけを彼女はぶつけた。
途端、白い煙のようなものが右の手のひらから勢いよく溢れ出した。ヒヤリとした感覚が肌を刺激する。
「これは――!」
紅魔の夜の女王は言った。
『どんな暑さでも打ち消すモノがいま人里《ここ》にある』と。
「霧か!!」
爆発の如く吹き出した霧はみるみるうちに巨人の全身を包み込んだ。
猛暑によって急成長したのならば、気温を下げてしまえばいい。
それが植物だというならば、日の光を遮ってしまえばいい。
爆発する霧によって見上げるほどの植物巨人は目に見えてその動きを緩やかにした。
小さな賢将は静かに笑う。
「今だ、博霊の巫女」
白い煙が巨人を飲み込んでいく様子は上空からも容易に確認できた。
その隙を逃すまいと霊夢は目的地へと一気に距離を詰め、霧の中へと飛び込む。
中は前後もわからないくらい真っ白で、巨人の頭部まで距離を目視することすらできない。ただ霊夢にとってそれは大した問題ではなかった。
「あと二百尺!!」
否、霊夢たちにとって。
彼女たちから遥か遠く。小さな賢将の隣で彼女は画面を食らいつくように見ていた。中央の碧い点と遠く離れた赤い点。そしてもう一つ。それに勢いよく近づく二つ目の赤い点を。
「あと百尺!!」
霊夢の背中に結び付けられた首が叫んだ。それを受けて霊夢は迷いなく突き進んでいく。
あと三十尺。首がそう叫んだ辺りで大きな壁が目前に現れ霊夢は減速する。
「近くで見るとやっぱりバカでかいわね……」
その一部から全容を捉えきれぬほどのサイズ感に思わず息を呑んだ。
霊夢はそのままその体へと降り立つ。
「さてこれからが問題ね」
首からの指示に従い霊夢は巨人の身体に御札を貼り付ける。すると一瞬のうちにその一部が弾け飛んだ。中までびっしりと詰まった植物が見て取れる。しかしそれもほんの僅かの間。周囲からつるがぐんぐんと伸び、瞬く間にその穴を埋めてしまった。
「次行くわよ」
一つ、また一つと霊夢は御札を貼っていく。その度巨人の身体の一部は炸裂し、そして修復される。気づけば博霊の御札も残り一枚となっていた。
「これが最後よ」
霊夢は背中に冷たい汗が滴るのを感じた。本当にこの場所でいいのかという疑問が脳裏をよぎる。しかし霧が巨人を包んでいるのも時間に限りがある。迷っている猶予はもう残されてだろう。
霊夢は決心して札を叩きつけた。
パァンッ、とはじけ飛ぶ音が鳴り響く。ただその音はこれまでのどの音よりも軽い音だった。
「――――居た!!」
草木の壁の下、ポッカリと空いた空洞の中に彼女たちは拘束されていた。紅魔の大魔法使いや人魚の姫の姿もある。
霊夢が安堵したのも束の間、気づけば巨人の身体は修復を始めている。霊夢はなんとか身体を滑り込ましたものの、中に入り込んだ頃には入り口は完全に閉じてしまっていた。
「これどうするかな……」
閉じた入り口を見上げながら霊夢は呟く。仮に捉えられた者たちを救い出せたとして、外に連れ出せなければ何の意味もない。
霊夢が思索していると後ろで彼女を呼ぶ声がした。
「ねぇちょっと! あれ!!」
振り返って見てみると、捕らえられた人々のおよそ中心。草木のつるに牢のように護られた、淡く輝く球体があった。
「――――っ!」
霊夢は息を呑む。
彼女の、博霊の巫女の勘が告げていた。
これは『核』だ、と。
「はっ……そりゃそうよね。エネルギーを集めるなら使う場所の近くに置くのが一番都合がいいわよね」
霊夢はどこからともなくお祓い棒を取り出すと、一歩、また一歩とその核へと歩み寄っていく。
「これだけの暑さだもの。少しくらい伸びすぎちゃう気持ちはわかるわ」
霊夢の背中に居る首を伝わり、遠く離れた飛頭蛮の彼女の身体に寒気が走る。彼女の妖怪としての本能がそうさせた。
「だけどあんたは里に、里に住まう人間に危害を加えすぎた」
見下すような目で核を睨みゆっくりと、引き絞るように霊夢はお祓い棒を掲げる。
そして、矢のような鋭さで放たれたお祓い棒の一閃は核を叩き割った。
「博霊の巫女として、そんなあんたは見過ごせないわ」
途端、鬼灯の実が割れたかのように巨人は炸裂した。その風圧によって周囲の霧はまたたく間に晴れ渡る。
自然、遥か上部にいた霊夢たちは空中に放り出される形となる。無論霊夢にとってそれは何の問題もないが、囚われていた人々は同じでない。
霊夢は咄嗟に近くの一人を抱える。
「霊夢さん!」
風のごとく疾さで飛んできた新聞屋が二人抱えるがそれでも全く手が足りなかった。
ここまできて……! 霊夢は歯噛みする。しかしその間もみるみるうちに地面へと近づいていく。
霊夢は手を伸ばす。ただただ空を切るだけだとわかっていても彼女は伸ばさずにはいられなかった。
その時だ。
僅かに残った巨人の破片がまるで花開くかのように広がり、囚われていた彼女らを受けとめた。
何が起こったのか理解が追いつかず誰もが目を見開く。しかし唯一霊夢は確かにその姿を捉えた。花開いた植物の真ん中で、花のような傘を携え、チェックのスカート履いた彼女の姿を。
※
「ごめんなさい」
彼女の第一声は謝罪の言葉だった。
「植物が常識を超えて成長していたのは気付いていたわ。だけどそれを抑えられなかった。今回の騒動は私の落ち度よ」
「今回は植物が勝手に育って勝手に暴れただけで、それを止められなかったからってお前は悪くないだろ?」
顔を上げた彼女に至極まっとうな疑問をぶつけた魔理沙を、隣の賢将が嗜めた。
「違うぞ霧雨嬢。彼女はこの騒動を、そういう形で収めようと言っているんだ」
仮に魔理沙の言うように、今回の騒動は植物が原因だとなれば、最悪の場合人々は森を燃やし草木を根絶やしにする可能性すらある。しかしそんな結末を植物を愛する彼女は望まない。
「本当にそれでいいのね?」
「ええ、嫌われるのには慣れているもの」
霊夢の念押しの確認にも彼女の意思は揺るがない。霊夢は諦めたように息を吐く。
「それじゃあ――」
「ちょっと待ってくれ!」
全員の視線が声の主に注がれる。そこには息を乱した半妖教師の姿があった。
「申し訳ないが一部始終を聞かせてもらった。それでだが、私に任せてくれないか」
「どういう意味?」
皆の疑問を代表して霊夢が訊ねる。対して彼女は息を整えてから答えた。
「今回の騒動は妖怪が暴れ妖怪が止めるという、どちらにおいても妖怪が目立ちすぎている。この騒動が人間の歴史に刻まれるのは博霊の巫女としてあまり好ましくないだろう」
「まさかあんた」
「そのまさかだ」
彼女は真剣な目をして頷く。
「君たちには借りがあるしな」
「呆れた…」
かくして、真夏の猛暑の一日に起きた妖怪達の壮大な騒動は一度人間の歴史に名を残したものの、それから少しずつ消しさられ、そしていつしか人間の記憶から消えたのだった。
されど、それはまだ先の話……。
※
今回の騒動のことは寺子屋教師に任せることに決まり、ひとまず騒動は終着を迎えた。
それと同時、霊夢と魔理沙は地面に力なく座り込んだ。
「やっと終わったぁぁ……」
「ほんと、長かったな」
空を見上げればすでに日は傾きかけている。
「霊夢、魔理沙」
後ろから誰かに呼びかけられるも二人にはもう振り返る気力すら無く、倒れ込むようにして後ろを見た。その様子に呼びかけたチェックのスカートの女性は目を丸くするが、その瞳はすぐに優しいものへと変わった。
「こんなものしかないけれど。感謝と慰労の意を込めてあなた達に贈るわ」
そう言って彼女は二人の頭の上、目と鼻の先に『それ』を置いた。
「あ」
二人はぽかんと口を開けたまま、目を合わせる。
すっかり忘れてしまっていた『二人が外へ出かけた理由』を二人同時に思い出したのだった。
※
その後博麗神社では宴会が行われた。
誰が示し合わせたわけでもない。
「咲夜、手を貸してやりなさい」
紅魔の主は人手を。
「夏といえば怪談ですよね」
貸本屋の娘は怪談話を。
「素麺食べるときにぜひ使ってよ」
河童は素麺流し器を。
「一杯どうだ?」
鬼は酒を。
「良いのが入ってたんでな」
狸の対象は新鮮な川魚を。
「こんなものしかなかったけど」
飛頭蛮と人魚姫は氷菓子を。
「これで是非涼んでください!」
空色の襲撃者は鉄製の風鈴を。
「寺《うち》じゃ扱いに困ってたからね」
賢将は酒の追加を。
「食べ過ぎ飲み過ぎには注意してね」
薬売りは胃の薬を。
そしてチェック柄の彼女は甘い甘いスイカを。
霊夢と魔理沙、二人に感謝を伝えるため、一人、また一人と何かを持ち寄って集まった結果そうなった。
「ずいぶん手間をかけたみたいね、全く覚えていないけれど」
美味しそうにスイカを頬張る霊夢と魔理沙に、紅魔の大魔法使いは申し訳なさげにそう告げた。
「別にいいわよ。そのおかげで今こうしてスイカが食べられてるわけだしね」
「ほうだな」
口の中で種を選別しながら魔理沙は同意した。
「そうは言っても私の中で申し訳が立たないのよ」
と、彼女は一つの箱を差し出した。開けると薄く緑がかった透明の何かで満たされた瓶がいくつか並んでいる。
「これは?」
「人里で売り出された新しい甘味よ。寒天で固めているの」
彼女は箱から瓶を二つ取り出し霊夢と魔理沙に一つずつ匙と合わせて渡す。
霊夢がいいの? と首を傾げれば彼女が頷いたため二人は遠慮なくそれを口にした。
「冷たっ!」
魔理沙は思わず声を上げた。それを見て彼女は薄く笑みを浮かべる。
「でしょう? ハーブを多く使っているからより透き通るような涼しさがあるのよね。加えて胡瓜を代表する夏野菜も入っていて身体の芯から冷ましてくれる」
「へぇ。だけどそうやって色々入ってる割に――」
「甘い、でしょう?」
「ええ、食べやすいし美味しいわ」
それを聞いて彼女は満足気に微笑んだ。
「レミィに渡すつもりで買ったんだけれど。多めに買っておいてよかったわ」
「ん?」
と、魔理沙が何か引っかかりを覚えて思案する。
先に紅魔の主はこう言った。
『どんな暑さでも打ち消すモノがいま人里《ここ》にある』と。
魔理沙は自分の手元に視線を移す。
「いや、まさかな……」
「どうかしたの?」
「いいや、なんでも」
ではあのブレスレットは何だったのか、と。
魔理沙は深く考えないことにした。
夜が更けても宴会は続く続く。
猛暑が続くこの夏の一晩。
ほんの僅かなときなれど、彼女らは暑さを忘れ過ごしたという。
かなりの大事になった後でスイカに戻ってくるのがいいですね。