どこかで太鼓の音が鳴っていた。
遠い。
それからわたしは毛布を捌いて、空を見た。
真っ赤だった。
あの空がじゃない、わたしが、だよ。
わたしのレンズが。
まるで目ん玉を取り出して赤いビー玉に変えてしまったみたいだった。
(それだからわたしもう二度と大好きなさくらんぼを食卓に見つけることができないと思ったんだけど……。)
音がする。
小さな太鼓を叩くような音、その、どこどこどこどこと鳴る震動。
虎が村にやって来る……。
大きな牙を持った白い虎。
ぴぃいいいい、って、笛が鳴って。
虎が、虎が。
村にやってきてわたしたちを引き裂いてしまう。
わたしたちは火を消して暗い藁葺きの小屋で小さくなってうずくまる。
静かにすること、息を潜めること、そして黙ること。
そうすれば、虎をやり過ごすことができる。
また、いつもみたいに暮らすことができる。
わたしたちは見つからない。
音はまだ、している。
太鼓の、笛の、かんかんかんと打ち鳴らされる銅鑼の。
でも、それだけじゃなくてもっと小さな音、まるで道端にひっくり返った死にかけの虫の羽ばたきみたいなの、それが、どっかもう少し近いところで聞こえる。
ぢぢ、ぢぢぢ……、ぢ。
音のするところを首で追っていたら、お腹に額をぶつけてしまって。
それでもまだ届かない。
そうだった、それは、わたしのなかで鳴っていた。その音は。
ぢぢ、ぢぢぢ……、ぢ、、、
ぱちん。
あ。
急に視界がクリアリーになって、わたしは……、見つけた!
そいつが言う。
「どう、フランドールちゃん、元気?」
そこに彼女がいた。
透明な羽の。
まるで蠅みたいだねって前に言ったら、口きいてくれなくなっちゃって。
だから、もう、二度と言わないよ。
代わりに、こう言う。
「はろー、はろー、はーろ。わたしだよ」
うん、知ってるよ、と彼女。
そっか、そね。
それからわたしは、立ち上がり、立ちくらみ、ぐいんと赤い景色が歪んで走査線がぴっと走ったら、そのあとはいつもみたいに見えるようになった。
視界は良好。
空も青い。
裸の身体に毛布を一周巻き付けた。
それから彼女の出した腕に触れると、そいつはすぐに腕を引っ込めて。
あ、冷たい。
そして、また握った。
わたしの機械の両腕。
鈍色の。
そして、わたしたちは、研究所の外へと歩き出す。
防水の腕で、滝のカーテンをかきわけて、外へ。
どこどこどこどこ……。
頭のなかでは音がする。
虎が……、虎を。
それを、脳みそのなかにインストールしたのだ。
わたしは、半分、機械だった。
その冷たい機械の腕で。
1003回目の透明な手に触れた。
★
1003番は、わたしの、1003番目の友だちだった。
お姉様がお金を払って森から連れてきた。
身寄りも名前も家族もないからいつ壊しちゃっても問題ない友だち。
実際、わたしは1002回も壊してしまったのだ。
でもご心配なく代わりはたくさんあるのです。
もちろん後悔はしてるよ。
だって、そうでもなきゃ、自分の身体を機械にしちゃおうなんて思わないものね。
そう、わたしがこの身体を河童テクノロジアでいっぱいにしてしまったのは、そのせいなのだ。
わたしは、わたしの頭のなかに電飾を差して通電し頭蓋の裏側にチップを貼り付けて、そこから緑や赤のチューブを伸ばして、耳のすぐ隣をこめかみを首を肩を貫通し機械の両腕に接続した。機械の腕はホンモノの腕のように動く。でもなんだか少し反応が遅い気がする。慣れればもう少しはそう……、フィードバックしてとかどうのこうの河童は言っていた。
でも、これは、たしかにわたしの腕だ。
ごついし重いけれど、鈍色、なんだか雨上がりの日の水溜まりのように光るから、すぐに大好きになったわたしの腕だった。
だけど、ときどきはわたしの腕じゃなくなるときもある。
たとえば誰かをきゅっとしようとしたとき。
誰かの、それに触れるだけで壊してしまえるその眼を、手のひらの上に載せて握りつぶしてしまおうとするその瞬間、機械の腕は動きを止めてしまう。
そして、わたしは少しの間、考えることができる。
それを、本当にきゅっとしちゃっていいんだろうか?
耳の奥のところではどこどこどこどこって音が鳴っている。
虎がやって来る……、白い大きな虎。
わたしは隠れなきゃいけない。
うずくまって静かにしなきゃ。
深呼吸をして、息を呑み込んで、見つからないようにしないと……。
そうすれば虎は村のそばを去っていく。
わたしは安心する。
手のひらの上に、眼は、もうない。
白い虎に怯える村。
それは、わたしの、安全装置だった。
でも、べつに虎じゃなくてもよかったのだ。
村に襲いにやって来るのは鰐の軍団でも空飛ぶピラニアでも巨大蟹でもかわいい猫ちゃんでもよかったし、そもそも村なんてものを想定する必要さえなくて、太鼓の音がビープ音で、イメージはじぐざくの波形とかでも運用上はなにも問題がなかった。頭蓋の裏側に貼り付けたチップで脳みそを走る血流の動きをモニターしそれによってわたしの破壊衝動(と河童は言った)のレヴェルを絶えずわたし自身に知らせるというのが、そのシステムの根幹だった。
イメージの選択は有料オプションだった。
わたしは白い虎を選んだ。昔、パチュリーのとこの本で読んだのだ。その村は常に白い虎に脅かされている。白い虎はある日突然やって来て人間をひとりだけ食べてしまう。村の真ん中に居座って何時間もかけてその人間を咀嚼する。その虎は人をとても丁寧に食べる。肉片ひとつ残らない。あとには、血だまりと、まるで昔からそうあったとでもいうような真っ白な骨だけがある。わたしはその話をずいぶん不思議に思っていた。白い虎のことをじゃなくて、人間たちのこと。そのお話のなかで人間たちは、白い虎がやって来ても戦おうともしないし逃げようともしない。小さくなって静かにしていれば虎は去っていくと信じている。そうしていればわたしたちは見つからないと彼らは何度も言う。それがなんだか気に入っていた。そうだ、わたしは見つからないんだ。お話の最後はどうなるんだったかな。もう忘れてしまった。結局みんな虎に食べられてしまうのか、奮起して虎を殺すのか、それとも本当に静かにしている人たちだけが見つからずに終わるのか。
でもまあ、それでもそのお話のことは好きだったから、わたしはわたしの衝動のレヴェルを虎の接近のイメージに仮託することで――自分の衝動を常にモニターするというのは自分自身を遠巻きに見るような感じ、まるで夢のなかでその一人称の視点に立ちながらもその空間を構造的に把握できてしまうみたいな――わたしは昔よりずっとクールになって、友だちを壊さずにすむようになったのだ。
★
機械の身体になってから、いちばん最初にお墓参りに行った。
ニセモノのパパとふたり。
パパ――お父さん、とーさん、10、03――1003番は、パパと呼ばれるのがあんまし好きじゃなくてそうやって呼ぶといつもむっとするから、それがなんだかおもしろくてわたしはいつしか1003番を自分のお父様にしてしまった。
それもわたしが機械になった理由の一つだ。
もしも1003番を壊してしまったらもう次の子をそんなふうに呼ぶことはできないもん。
パパとか、そう……なに? よくわかんないよわたし。
眉をじっと寄せて睨むような訝しむような惑うような目でわたしを見つめる彼女の顔が、わたしは好きだった。
1003番に、ユニークの。
他のみんなにはできないよ、1002人のみんなたちにはね。
彼女たちのお墓は紅魔館の裏手の湖に流れ入る川、それに沿って少し歩いたところ、河川のそばの切り開かれた土地の上にある。
あたりは暗い。
未明だった。
ランプを持ってふたりで歩いた。
篝火が……、その炎が揺れていて。
眠たげな彼女の声、何もこんな日にこんな時間にお墓参りに行かなくたっていいのにねその身体だってまだよくわかんないんだから慣れるまでは家でゆっくりしたほうがいいんじゃないかなぁ、ふぁあああ。
お墓参りには毎日行くのよ。お父様お母様に昔からそうやって口うるさく言われるの。吸血鬼の一族って伝統重視だから……。わたしも、ま、そね。
家族なんかわたし知らないし、って口ごたえするパパがとてもうざかった。
頭のなかでは今も太鼓の音が鳴っている。
灯りを消さなければいけない。
そうしなければ虎に見つかってしまう。
藁葺きのテントの隅っこでわたしはうずくまっている。
熱い風が吹いてテントをばたばたと震わせる。
その音が太鼓の音に混じり合い、やがて溶けて、どこどこばたばたどこどこばたと鳴るのがなんだか心音みたいだった。
警笛。
ぴぃいいいい。
虎が。虎が、やって来る……。
灯りを消さなきゃ。
ぷつん。
わ、暗い……、ランプ消えちゃったの、とパパがわたしの手元を覗き込んだ。
消したんだよってわたしは言う。
どうして?
そりゃあ、わたし夜行性だもん。
まあ、そう……。そう?
「そうだよ」
そいつが、こけないように、手を引いて歩いた。
本当はそんなことないのに転んだら終わってしまうのだと思っていた。
彼女は転んでちょうどそこにあった尖った石に胸をつかれて死んでしまう。
身体の強弱と幸不幸のそれはぜんぜん別物なのに今はおんなじように思える。
音を立てないように。
静かにしないと、見つかる。
踏みしめる枯れ枝の折れる音を聞いて白い虎はやってくる。
だから、わたしたち、とてもゆっくり歩く。
慎重に。
そいつが転んで顔とか打って大声で泣きはらしたらもはや逃げ出すことは叶わない。
白い虎が……、もうそこに、機械の手できゅっとして……。
でも、やがて墓地に辿りついた。
★
みんなたちのお墓は、巨大な鉛灰色の三角錐オブジェクトだ。
それが黒い夜の川のすぐそばで、影のように聳え立っていた。
ピラミッド。
そういう名前のものに似てた。
でも、ちがうのは、ピラミッドが墓標の機能をその全体に与えるのに対して、みんなたちのお墓はその部分、
積まれたひとつひとつの石が、すべて固有の死を弔うということだった。
1002つの小さなお墓を重ねてできた大きなお墓。
それは墓石を積むことで形作られたピラミッドだったのだ。
もちろんはじめからそんなものを造ろうと思っていたんじゃあないよ。
そんなにたくさんの友だちをだめにしてしまうなんて思ってもみなかったし。
だから最初はよくある墓地のように等間隔に墓石を並べていた。
灰色で上のところが丸いやつ。
茨の意匠が施されてた。
それをお姉様に頼んで買ってもらってこの土地に造設して、小さな花束を置いた。
3番目まではそうしていた。
でも、お姉様はお墓を買ってくれなくなった。
フラン、貴方ね、簡単にまたお墓を造って欲しいって言うけど、お墓だってただじゃないのよ。それにね、またじゃなくて、またのまたのまた、だから。うちにはそんなにたくさんのお墓を買う余裕はありません。
あ、そ。
だから自分で造ることにした。
近くの森や山から適当な岩を持ってきてレーヴァテインで叩いて砕き、他の墓石を参考に見ながら削って形を取った。崖の下の岩肌に何度も擦りつけて表面を滑らかにして、シャベルで掘った穴にそれを突き立てた。
それはお姉様が買ってきたものよりもずっと無骨でいびつでがたがたのぼこぼこだったし、土の上で傾いて高さも大きさもそれぞれに全然ちがったけれど、でも、一応、墓石には見えた。
最後にレーヴァテインの切っ先でその真ん中にこんなふうに文字を記した。
”臆病で短命だが一緒に森に遊びに行ってくれた4番ここに眠る”
そんなふうにしてわたしはたくさんの墓石を造り、墓石を造っている間にも友だちは死ぬので、また墓石を造った。
いつの間にか墓地はお墓でいっぱいだった。
その空間のどこにも墓石を置く場所がなくなってしまったのだ。
だからわたしは上に積むことにした。
そのままだと重ねにくいので倒して地面に平行にした。
そしてひたすらに積んだ。
1002回。
ある程度、お墓が高くなってくると墓石を持って上まで飛ぶのが難しくなり、それからは縄をくくりつけて上から引きあげることにした。
力には自信があるけれど、ずいぶん時間のかかる作業だった。
少しずつ縄によってお墓を引きあげていくその間、わたしは死んだその友だちと過ごした時間のことを思い返していた。
”喧嘩を多くしたが、料理教室を開いてくれた98番ここに眠る”
”朝に眠らず何時間もずっと未だ見たことのない海の話をした467番ここに眠る”
”出会って3秒で死んでしまった841番ここに眠る”
墓が高くなればなるほどに思い出の時間は長くなった。
今ではこの墓は、森のどんな木もより高い。
まるで、昔、写真で見たエジプトのピラミッドのよう。
いや、それよりはずっと細くて尖っている。
ちょっとした塔のような。
色もあんなに綺麗な黄色じゃない。
どの墓石もそのへんから手当たりで拾ってきた岩で造っているから、それは、とてもまぜこぜで。
灰色のモザイク模様をしてるのだ。
遠くから見ると、なんだかこの塔自体が、森の中に現れたひとつの不出来な影のようだった。
触れたら、そのまますり抜けてしまいそうだった。
その塔の下で、小さな祭壇にわたしは花束を捧げた。
座り込み、目をつぶって少しの間、黙祷する。
こうして聳え立ったぎざぎざの塔の下に立っていると、わたしは、みんなのこと思い出さずにはいられない。
嫌いだったみんなや好きだったみんな。
こうして記憶のなかではすべてのみんなが混じり合い、まるでモザイク状のこのお墓みたいにひとつのオブジェクトのようにひとかたまりになって、みんなのこと、好きで嫌いになってしまう。
「1番とは、あんまりうまくいかなかったの。わたしもはじめてのことだったし、お互い警戒心が強くてね……わたしはお姉様に勝手なことするなって苛ついて、八つ当たりってわけじゃあないけど、結局は1番だってわたしのこと嫌いだったと思うんだし、あの態度!……ううん、死んだ人について悪く言うのはよくないよね、でも結局だめになっちゃって、2番も3番もそうだった。4番とは、はじめてそれなりにうまくやれたかな。すぐにだめになっちゃったんだけどね」
「うん」
「30番とは楽しかった。一緒に湖畔で遊んだんだ、ボートに乗ってね。でもお互いにボートの漕ぎ方なんか知んないからてきとーにオールをさしてがむしゃらにうごかしては笑っていつの間にかそこにいた湖畔の真ん中をぐるぐるぐるぐる回って、帰れなくなって、まあ飛べばよかったんだけど、なんだかむきになっちゃって、わたしたちボートに乗ってしかもう帰らないんだとか言ってね、ちょうど満月の日だったから月がとても綺麗だった。空のはきちんと綺麗すぎてなんだかちょっとうざいけど、湖の上のは綺麗でそれでいて雑だからそれがいいなって思ってオールで波をたてては形を崩してた。でも、いつの間にか、明け方になっちゃって太陽を避けるためにとりあえずわたしたちは湖の中に隠れて、泡をたてながら、30番が『フランちゃん、吸血鬼って水のなか平気なの』って言うのが、聞こえなかった。でもそう言いたいのはわかったな。なんでだろう。わたしは呼吸がちがうから一日中息止めてもられるけど、30番はもちろんそうじゃなくて、それでわたしはタガメみたいにボートの底にくっついて、30番がボートを漕いで岸まで辿りつくのを待ってた。くるくるくるくる、同じところを何度も回転して、目が回ったな。でも、ちゃんと戻れたよ。やったやったわたしボート漕げたよって30番ははしゃいでたけど、あれさ、ほんとはわたしが下でばた足してたんだ。でも、30番は死ぬまで自分がボート漕げたんだって思ってたよ絶対」
「うん」
「89番は熟した木の実の探し方を教えてくれた。211番は強くなりたいっていうから戦いの練習中をしてでも殺しちゃったの。357番とは学校を見に行った、390番は短命だった。416番とははじめて一緒に宴会に行ったっけ。420番はわたしのお誕生日パーティに来てくれたはじめての友だちだった。501番はジョークのセンスがなくておもしろくないことばっか言ってた。502番もそう……、503番もそうだった。504番は冗談は絶対言わない子だった。632番には血を飲ませてみた、すっっっごく高価な紅茶だーって言ってね。そしたら、顔をしかめてるのに、おいしいおいしいって言うんだもん。その顔何って聞いたら、味わってるんだよって。まじで笑っちゃったなあ。721番とは河童から携帯電話っていうやつを盗んできて毎日お話ししたの」
「うん、知ってる」
「723番とは、なんていうか……、一線を越えちゃったんだね。お互いの身体の形を全部確かめあってね、硬度とか……、その接続とか、まるで、今、こう……、機械の具合を調整するみたいに、一日中触れあってたの。でも、そのあとでなんだか恥ずかしくなって、顔あわせるだけでも気まずくて、結局我慢できなくて、きゅっとして……。だけど、それは、すごくよかったから、あとで他の子ともためしてみたけど、やっぱり、723番がいちばんよかったな。だから、その意味で、723番はわたしの特別だよ」
「それも知ってるよ」
「840番は最悪だった。ことあるごとに”結局、フランちゃんは、わたしをきゅっとしちゃえばいいんだもんね”って言うんだもん。もちろん他にも言うやついたけど、あーなんだっけ、165番とか、279、663番もそね……、そいつらもよく言ってたけど、でも、840番は感じが違うんだよ。なんていうか、呆れてるっていうか、もうわたしのことなんか全然気にしてない感じで……。だけど、844番はすごくよかったよ。”フランドールちゃんのことは嫌いじゃないよ”って言ってくれたんだもん!」
「知ってるよ」
「ねえ、ずいぶん詳しいね」
「だって全部わたしのことだもん!」
そう、1003番は、わたしの最初の友だちで、1003番目の友だちだったのだ。
壊しても問題ない友だち。
だめになっても、一回休みで、またやり直せる友だち。
彼女は妖精だった。
わたしには一回休みというのがよくわかんない。
生まれ変わってまたわたしの前に現れるそいつは毎回新しいような気がする。
もちろん声も顔そっくりだし、昨日のまでのことは全部覚えている。
でも、そいつをついきゅっとしちゃったときのあの寂しい感じ、あーあ……って感じ、ひとりぼっちになって気温が下がるような感じ、わたしは瞬間、とてもクリアリーになってすぐに溢れるものでいっぱいになる。
そしてわたしをそんなふうにさせたそいつと目の前にいる新しいそいつが、まったくおなじだってこと、わたしにはやっぱりわからないな。
「ねえ、パパ」
「別にわたしフランドールちゃんのお父さんじゃない。わたし、家族とかわかんないし……」
「ねえ、そういうの、いいから」
「もう。なに?」
「死ぬのってどんな感じなの?」
「別に一回やすみは死ぬのとおなじわけじゃないんだと思う」
「そう?」
「死んだことってないからわかんないけど……。でも、そうだなあ、最初はびっくりしたって感じかな。何が起きたかわかんなかった。フランちゃんはきゅっとするの上手だから痛くはないな。気がついたら……、次には森のなかにいる。いきなりだから、すごくびっくりしちゃって、だって、別に、わたしそんな酷いことされるようなことしてないって思ったし。でも今はもう慣れたよ」
慣れたよと言うパピーの顔は、とてもさりげなくて、少しうざい。
どこどこどこどこと頭のなかで太鼓が鳴っている。
それは、ここに来る間ずっと鳴っていた。
虎が村に近づいて……。
わたしは藁葺きのテントに小さく丸くなって横たわり、それが過ぎ去るのをずっと待っているのに、消えない。
「虎……、虎が来る」
「なんて言った……?」
わたしは虎のことを話した。
わたしの頭のなかの新しいセーフティ・システム。
それが導入してから今までの間ずっと鳴り続けていたこと。
「それって、なんていうか、性質みたいなこと……。フランちゃんは、わたしを、ていうかもしかしたらわたしだけじゃなくて、みんなをいつでもずっときゅっとしたいって思ってるってこと?」
「さあ、どうかしら……」
テントの入り口の隙間から影が揺れるのが見える。
それは虎の姿か、あるいは逃げ惑う人……、それともなにか太陽と雲の微妙な案配なんだろうか。
どこどこどこどこどこ……。
地面に貼り付けた耳の鼓膜を揺るわす震動が、まるで無数の虎の足音のようだった。
それが、村を徘徊し……。
もう慣れたよ、か。
わたしなら、どうなんだろうか。
パパは不安そうな表情でわたしのことを見つめている。
わたしは言う。
「もしかしたら、わたし、きゅっとしたいのはわたし自身なのかもね」
沈黙。
座った姿勢で後ろに突っかけて身体を支えてた機械の手の甲にそいつが手を重ねたのが、すぐにわからなかった。
「ねえ、パピー、貴方ってあんまり繊細で透明だからさ、いっしょにいると、なんだか、わたしいつでも死にたいよ」
パピーは黙って指の爪でわたしの手の甲を叩いていた。
こん、こん、こん、こん、こん、と硬い音がする。
それから言った。
「これ、いいね」
「機械の腕のこと?」
「うん、とってもいいよ。格好いいもん」
「ありがと」
ひんやりしてて気持ちがいいしね……、とわたしの腕に頬を寄せた。
わたしはパピーの白い透明な腕に、もうひとつの機械の手で触れる。
あまりに感触がなくて落雁でも掴んでいるような気持ちになる。
まるで、握ったら、手のひらのなかでばらばらと崩れ落ちてしまいそうだった。
「パピーの腕もけっこういいよ。べつにお返しってわけじゃあなくってね」
「そう?」
「うん。ちょっと緑っぽいけど……」
「葉緑素あるから。夏には増えるの」
「よーりょく、そ?」
「わたし、自然から生まれた妖精だから。ほら、妖精って大元の元素にその力を依存するでしょ。だから森から生まれたわたしにも植物の葉緑素はあって、って言っても……、あるだけだけど、妖精は人間とおんなじで好気性で、だから、もう、機能はしない」
「ふうん……。なんか、そういうのって、ばかっぽいわ」
「そう?」
「少しね」
わたしお墓の上に登ってみたいなとパピーが言う。
これって不謹慎かな?
もちろんそうだよってわたしは機械の指で彼女の額を小突いた。
あ痛い、と額を抑えて、彼女はちょっと笑った。
わたしは手を取って彼女を背負う。
「ちゃんと掴まっててね」
塔の側面に沿って飛んだ。
水面に浮上しようとするゴム・ボールみたいに、垂直に、ゆっくり。
背中から彼女をこぼしてしまわないように。
ぐおん。
どこか少し遠い場所で虎が鳴いていた。
★
わたしたちは998番の墓石の上に並んで座った。
お墓の頂上はまだ建設途中、一つ下の段に敷き詰められた墓石のつくる面の上に、いくつかのまだ新しい墓石が無軌道に投げ出されている。
この高さまで来ると、その墓石の造形もずいぶん綺麗なものになる。
墓石屋でも開けそうなくらいだ。
なんたって999回もハンドメイドしてるだもんね。
たぶん、わたしだって彼女が死ぬのに慣れるのかも。
そういう考えはそれほど悪くなかった。
死を取り扱うことは今もわたしにはなんだか難しいけれど、死に付随する他のたくさんの技術があり、それは純粋な経験によって慣れることができるんだっていうことは。
慰めになる。
あたりは少しずつ明るくなりはじめていた。
空の東の方からカーペットにこぼしたミルクのように白が、小さな星を呑み込みながら広がり、その白んだ空の底に暗い森が広がっている。
森の中にぽつんと、巨大な赤い屋根。
ペンキが剥げかけて、なんだか少し寂しい。
そして紺色――、湖の色だった。
ずっと先には、未だ眠る里の姿が見える。
わたしは思う。
「ここから朝日が昇るところを見たらとっても綺麗だよねきっと」
でも……、とパピーが呟く。
また、沈黙。
どこどこどこどこ……。
かあんかあんかぁああん。
ねえ、だめだよ。そんなふうに音を立てたら、虎に見つかっちゃう。
白い虎が、もうそこに。
その足音が近づいて。
吐息まで聞こえてしまう。
ぴぃいいいいい、って泣き叫ぶような笛の音が……。
わたしはテントの隅で膝を抱えてうずくまり、それを見てしまう。
テントの入り口の隙間からぬっと現れる虎の顔。
視線がぶつかった。
冷たい目……。
小さな耳を立て、低い姿勢でゆっくりと円を描くように、じりじりと距離を詰めてくる。
でも、大丈夫だよ、静かにさえしていれば。
黙っていれば、息を潜めてじっとしてれば、そこには何もいないというふりをしていれば。
わたしたちは見つからない。
なのに、わたしは喋るのをやめられない。
「そうだよね、そんなことしたら、わたし朝日に溶かされちゃうよ。朝日がわたしを焼いたらあとにはこの機械の腕しか残んないんだよ。ねえ、パパ……、わたし、そのためにわたし機械になったんじゃないかって思うの……、太陽の光がわたしのことを焼いて濁った半透明の灰のその一粒一粒に還したそのあとで……。あとに残ったこの機械の腕をどこか見つからない森の中の暗がりに隠してね、今と同じように、毎日貴方がやってきて、たったの10分でいいからさ、お話ししたり歌をうたったりときどき触れたりしてくれたら、それでいい……、それだけでいいな」
そんなのってもう……、とパピーは呟いた。
その困った表情の。
機械の指で額をまた小突いて、わたしは言う。
「ね、嘘だよ? 決まってんじゃん。はやく帰ろうよ」
わたしは塔から飛び降りた。
ふわりと地面に完璧な接地!
そして塔の上の彼女の、ない名前を呼ぶ。
おーい、おぉううい、パピー、そこから飛び降りなよぉお。キャッチするからぁ。
彼女は首を振る。
ねえ、大丈夫っ。わたしを信じてよお。
どこどこどこどこどこ……。
白い虎はもうわたしの目と鼻の先。
その息が顔にかかる。
口の端からこぼれた涎が足元を濡らす。
そして、吠えた。
がぉおう。
わたしは思う。
わたしたちって、なんだかサーカスみたいだ。
お金で買われた妖精と機械の腕、それに白い虎。
いまは、まだ、ちがうけど。
調教されていない白い虎は村を襲い人を食べようとしているし、わたしは機械の腕に慣れなくて、妖精はいつでも芸に失敗して死んでしまう。
でも、いつかは……、そう。
わたしたちだってサーカスになれたらいいのにな。
パピーとふたりで白い虎の背中に乗りこんで、夜から夜へと旅をして、朝に眠り、また夜に楽しいことをする。
そんなふうに。
もう一度、彼女を呼んだ。
「ねえ、ほら、ジャンプしなよっ!」
意を決したのか、パピーが、お墓のてっぺんから飛び込んできた。
頭の方から落ちる、へたくそなジャンプだった。
まるで飛び降り自殺でもしてるみたいだ。
わたしは急いで影の下に駆け寄って。
この機械の両腕で、落下する彼女の身体を彼女を抱きしめる――。
でも、抱きしめられない。
空っぽだった。
彼女は浮遊してた。
わたしのすぐ上で逆さまに浮かんでたんだ。
べえと舌を突きだして、言う。
「わたしも飛べるよ、空!」
それから笑った。
スカートもシャツも髪の毛もみんな逆向きに垂れ下がって、空中に静止して、その反対の顔にいたずらっぽい笑み。
つられて、わたしも笑ってしまう。
笑ったら、なぜか涙が出て、溢れて止まらない。
それを見つけたパピーが言う。
ね、泣いてるの。
わたしは首を振った。
彼女はくるりと反転して、浮遊したままその胸のなかにわたしを抱く。
驚かして、ごめんね。
わたしはまた首を振った。
別にわたしはパピーのちょっとしたいたずらにびっくりして泣いてしまったわけじゃなくて、それがとても楽しくて嬉しくて感情があふれてわからなくなってしまったからわたしは泣いたのに、そのことがパピーはわからず、だからそうじゃないんだってとわたしは何度も言っても、彼女はやっぱりごめんねごめんと繰り返すので、わたしは余計に涙がとまらなくなってしまってそのまま夜が明けるまで彼女のシャツを濡らしていた。
こんなことを思ってた。
ねえ、いつかわたしたちはサーカスになれるよ。
絶対ね。
遠い。
それからわたしは毛布を捌いて、空を見た。
真っ赤だった。
あの空がじゃない、わたしが、だよ。
わたしのレンズが。
まるで目ん玉を取り出して赤いビー玉に変えてしまったみたいだった。
(それだからわたしもう二度と大好きなさくらんぼを食卓に見つけることができないと思ったんだけど……。)
音がする。
小さな太鼓を叩くような音、その、どこどこどこどこと鳴る震動。
虎が村にやって来る……。
大きな牙を持った白い虎。
ぴぃいいいい、って、笛が鳴って。
虎が、虎が。
村にやってきてわたしたちを引き裂いてしまう。
わたしたちは火を消して暗い藁葺きの小屋で小さくなってうずくまる。
静かにすること、息を潜めること、そして黙ること。
そうすれば、虎をやり過ごすことができる。
また、いつもみたいに暮らすことができる。
わたしたちは見つからない。
音はまだ、している。
太鼓の、笛の、かんかんかんと打ち鳴らされる銅鑼の。
でも、それだけじゃなくてもっと小さな音、まるで道端にひっくり返った死にかけの虫の羽ばたきみたいなの、それが、どっかもう少し近いところで聞こえる。
ぢぢ、ぢぢぢ……、ぢ。
音のするところを首で追っていたら、お腹に額をぶつけてしまって。
それでもまだ届かない。
そうだった、それは、わたしのなかで鳴っていた。その音は。
ぢぢ、ぢぢぢ……、ぢ、、、
ぱちん。
あ。
急に視界がクリアリーになって、わたしは……、見つけた!
そいつが言う。
「どう、フランドールちゃん、元気?」
そこに彼女がいた。
透明な羽の。
まるで蠅みたいだねって前に言ったら、口きいてくれなくなっちゃって。
だから、もう、二度と言わないよ。
代わりに、こう言う。
「はろー、はろー、はーろ。わたしだよ」
うん、知ってるよ、と彼女。
そっか、そね。
それからわたしは、立ち上がり、立ちくらみ、ぐいんと赤い景色が歪んで走査線がぴっと走ったら、そのあとはいつもみたいに見えるようになった。
視界は良好。
空も青い。
裸の身体に毛布を一周巻き付けた。
それから彼女の出した腕に触れると、そいつはすぐに腕を引っ込めて。
あ、冷たい。
そして、また握った。
わたしの機械の両腕。
鈍色の。
そして、わたしたちは、研究所の外へと歩き出す。
防水の腕で、滝のカーテンをかきわけて、外へ。
どこどこどこどこ……。
頭のなかでは音がする。
虎が……、虎を。
それを、脳みそのなかにインストールしたのだ。
わたしは、半分、機械だった。
その冷たい機械の腕で。
1003回目の透明な手に触れた。
★
1003番は、わたしの、1003番目の友だちだった。
お姉様がお金を払って森から連れてきた。
身寄りも名前も家族もないからいつ壊しちゃっても問題ない友だち。
実際、わたしは1002回も壊してしまったのだ。
でもご心配なく代わりはたくさんあるのです。
もちろん後悔はしてるよ。
だって、そうでもなきゃ、自分の身体を機械にしちゃおうなんて思わないものね。
そう、わたしがこの身体を河童テクノロジアでいっぱいにしてしまったのは、そのせいなのだ。
わたしは、わたしの頭のなかに電飾を差して通電し頭蓋の裏側にチップを貼り付けて、そこから緑や赤のチューブを伸ばして、耳のすぐ隣をこめかみを首を肩を貫通し機械の両腕に接続した。機械の腕はホンモノの腕のように動く。でもなんだか少し反応が遅い気がする。慣れればもう少しはそう……、フィードバックしてとかどうのこうの河童は言っていた。
でも、これは、たしかにわたしの腕だ。
ごついし重いけれど、鈍色、なんだか雨上がりの日の水溜まりのように光るから、すぐに大好きになったわたしの腕だった。
だけど、ときどきはわたしの腕じゃなくなるときもある。
たとえば誰かをきゅっとしようとしたとき。
誰かの、それに触れるだけで壊してしまえるその眼を、手のひらの上に載せて握りつぶしてしまおうとするその瞬間、機械の腕は動きを止めてしまう。
そして、わたしは少しの間、考えることができる。
それを、本当にきゅっとしちゃっていいんだろうか?
耳の奥のところではどこどこどこどこって音が鳴っている。
虎がやって来る……、白い大きな虎。
わたしは隠れなきゃいけない。
うずくまって静かにしなきゃ。
深呼吸をして、息を呑み込んで、見つからないようにしないと……。
そうすれば虎は村のそばを去っていく。
わたしは安心する。
手のひらの上に、眼は、もうない。
白い虎に怯える村。
それは、わたしの、安全装置だった。
でも、べつに虎じゃなくてもよかったのだ。
村に襲いにやって来るのは鰐の軍団でも空飛ぶピラニアでも巨大蟹でもかわいい猫ちゃんでもよかったし、そもそも村なんてものを想定する必要さえなくて、太鼓の音がビープ音で、イメージはじぐざくの波形とかでも運用上はなにも問題がなかった。頭蓋の裏側に貼り付けたチップで脳みそを走る血流の動きをモニターしそれによってわたしの破壊衝動(と河童は言った)のレヴェルを絶えずわたし自身に知らせるというのが、そのシステムの根幹だった。
イメージの選択は有料オプションだった。
わたしは白い虎を選んだ。昔、パチュリーのとこの本で読んだのだ。その村は常に白い虎に脅かされている。白い虎はある日突然やって来て人間をひとりだけ食べてしまう。村の真ん中に居座って何時間もかけてその人間を咀嚼する。その虎は人をとても丁寧に食べる。肉片ひとつ残らない。あとには、血だまりと、まるで昔からそうあったとでもいうような真っ白な骨だけがある。わたしはその話をずいぶん不思議に思っていた。白い虎のことをじゃなくて、人間たちのこと。そのお話のなかで人間たちは、白い虎がやって来ても戦おうともしないし逃げようともしない。小さくなって静かにしていれば虎は去っていくと信じている。そうしていればわたしたちは見つからないと彼らは何度も言う。それがなんだか気に入っていた。そうだ、わたしは見つからないんだ。お話の最後はどうなるんだったかな。もう忘れてしまった。結局みんな虎に食べられてしまうのか、奮起して虎を殺すのか、それとも本当に静かにしている人たちだけが見つからずに終わるのか。
でもまあ、それでもそのお話のことは好きだったから、わたしはわたしの衝動のレヴェルを虎の接近のイメージに仮託することで――自分の衝動を常にモニターするというのは自分自身を遠巻きに見るような感じ、まるで夢のなかでその一人称の視点に立ちながらもその空間を構造的に把握できてしまうみたいな――わたしは昔よりずっとクールになって、友だちを壊さずにすむようになったのだ。
★
機械の身体になってから、いちばん最初にお墓参りに行った。
ニセモノのパパとふたり。
パパ――お父さん、とーさん、10、03――1003番は、パパと呼ばれるのがあんまし好きじゃなくてそうやって呼ぶといつもむっとするから、それがなんだかおもしろくてわたしはいつしか1003番を自分のお父様にしてしまった。
それもわたしが機械になった理由の一つだ。
もしも1003番を壊してしまったらもう次の子をそんなふうに呼ぶことはできないもん。
パパとか、そう……なに? よくわかんないよわたし。
眉をじっと寄せて睨むような訝しむような惑うような目でわたしを見つめる彼女の顔が、わたしは好きだった。
1003番に、ユニークの。
他のみんなにはできないよ、1002人のみんなたちにはね。
彼女たちのお墓は紅魔館の裏手の湖に流れ入る川、それに沿って少し歩いたところ、河川のそばの切り開かれた土地の上にある。
あたりは暗い。
未明だった。
ランプを持ってふたりで歩いた。
篝火が……、その炎が揺れていて。
眠たげな彼女の声、何もこんな日にこんな時間にお墓参りに行かなくたっていいのにねその身体だってまだよくわかんないんだから慣れるまでは家でゆっくりしたほうがいいんじゃないかなぁ、ふぁあああ。
お墓参りには毎日行くのよ。お父様お母様に昔からそうやって口うるさく言われるの。吸血鬼の一族って伝統重視だから……。わたしも、ま、そね。
家族なんかわたし知らないし、って口ごたえするパパがとてもうざかった。
頭のなかでは今も太鼓の音が鳴っている。
灯りを消さなければいけない。
そうしなければ虎に見つかってしまう。
藁葺きのテントの隅っこでわたしはうずくまっている。
熱い風が吹いてテントをばたばたと震わせる。
その音が太鼓の音に混じり合い、やがて溶けて、どこどこばたばたどこどこばたと鳴るのがなんだか心音みたいだった。
警笛。
ぴぃいいいい。
虎が。虎が、やって来る……。
灯りを消さなきゃ。
ぷつん。
わ、暗い……、ランプ消えちゃったの、とパパがわたしの手元を覗き込んだ。
消したんだよってわたしは言う。
どうして?
そりゃあ、わたし夜行性だもん。
まあ、そう……。そう?
「そうだよ」
そいつが、こけないように、手を引いて歩いた。
本当はそんなことないのに転んだら終わってしまうのだと思っていた。
彼女は転んでちょうどそこにあった尖った石に胸をつかれて死んでしまう。
身体の強弱と幸不幸のそれはぜんぜん別物なのに今はおんなじように思える。
音を立てないように。
静かにしないと、見つかる。
踏みしめる枯れ枝の折れる音を聞いて白い虎はやってくる。
だから、わたしたち、とてもゆっくり歩く。
慎重に。
そいつが転んで顔とか打って大声で泣きはらしたらもはや逃げ出すことは叶わない。
白い虎が……、もうそこに、機械の手できゅっとして……。
でも、やがて墓地に辿りついた。
★
みんなたちのお墓は、巨大な鉛灰色の三角錐オブジェクトだ。
それが黒い夜の川のすぐそばで、影のように聳え立っていた。
ピラミッド。
そういう名前のものに似てた。
でも、ちがうのは、ピラミッドが墓標の機能をその全体に与えるのに対して、みんなたちのお墓はその部分、
積まれたひとつひとつの石が、すべて固有の死を弔うということだった。
1002つの小さなお墓を重ねてできた大きなお墓。
それは墓石を積むことで形作られたピラミッドだったのだ。
もちろんはじめからそんなものを造ろうと思っていたんじゃあないよ。
そんなにたくさんの友だちをだめにしてしまうなんて思ってもみなかったし。
だから最初はよくある墓地のように等間隔に墓石を並べていた。
灰色で上のところが丸いやつ。
茨の意匠が施されてた。
それをお姉様に頼んで買ってもらってこの土地に造設して、小さな花束を置いた。
3番目まではそうしていた。
でも、お姉様はお墓を買ってくれなくなった。
フラン、貴方ね、簡単にまたお墓を造って欲しいって言うけど、お墓だってただじゃないのよ。それにね、またじゃなくて、またのまたのまた、だから。うちにはそんなにたくさんのお墓を買う余裕はありません。
あ、そ。
だから自分で造ることにした。
近くの森や山から適当な岩を持ってきてレーヴァテインで叩いて砕き、他の墓石を参考に見ながら削って形を取った。崖の下の岩肌に何度も擦りつけて表面を滑らかにして、シャベルで掘った穴にそれを突き立てた。
それはお姉様が買ってきたものよりもずっと無骨でいびつでがたがたのぼこぼこだったし、土の上で傾いて高さも大きさもそれぞれに全然ちがったけれど、でも、一応、墓石には見えた。
最後にレーヴァテインの切っ先でその真ん中にこんなふうに文字を記した。
”臆病で短命だが一緒に森に遊びに行ってくれた4番ここに眠る”
そんなふうにしてわたしはたくさんの墓石を造り、墓石を造っている間にも友だちは死ぬので、また墓石を造った。
いつの間にか墓地はお墓でいっぱいだった。
その空間のどこにも墓石を置く場所がなくなってしまったのだ。
だからわたしは上に積むことにした。
そのままだと重ねにくいので倒して地面に平行にした。
そしてひたすらに積んだ。
1002回。
ある程度、お墓が高くなってくると墓石を持って上まで飛ぶのが難しくなり、それからは縄をくくりつけて上から引きあげることにした。
力には自信があるけれど、ずいぶん時間のかかる作業だった。
少しずつ縄によってお墓を引きあげていくその間、わたしは死んだその友だちと過ごした時間のことを思い返していた。
”喧嘩を多くしたが、料理教室を開いてくれた98番ここに眠る”
”朝に眠らず何時間もずっと未だ見たことのない海の話をした467番ここに眠る”
”出会って3秒で死んでしまった841番ここに眠る”
墓が高くなればなるほどに思い出の時間は長くなった。
今ではこの墓は、森のどんな木もより高い。
まるで、昔、写真で見たエジプトのピラミッドのよう。
いや、それよりはずっと細くて尖っている。
ちょっとした塔のような。
色もあんなに綺麗な黄色じゃない。
どの墓石もそのへんから手当たりで拾ってきた岩で造っているから、それは、とてもまぜこぜで。
灰色のモザイク模様をしてるのだ。
遠くから見ると、なんだかこの塔自体が、森の中に現れたひとつの不出来な影のようだった。
触れたら、そのまますり抜けてしまいそうだった。
その塔の下で、小さな祭壇にわたしは花束を捧げた。
座り込み、目をつぶって少しの間、黙祷する。
こうして聳え立ったぎざぎざの塔の下に立っていると、わたしは、みんなのこと思い出さずにはいられない。
嫌いだったみんなや好きだったみんな。
こうして記憶のなかではすべてのみんなが混じり合い、まるでモザイク状のこのお墓みたいにひとつのオブジェクトのようにひとかたまりになって、みんなのこと、好きで嫌いになってしまう。
「1番とは、あんまりうまくいかなかったの。わたしもはじめてのことだったし、お互い警戒心が強くてね……わたしはお姉様に勝手なことするなって苛ついて、八つ当たりってわけじゃあないけど、結局は1番だってわたしのこと嫌いだったと思うんだし、あの態度!……ううん、死んだ人について悪く言うのはよくないよね、でも結局だめになっちゃって、2番も3番もそうだった。4番とは、はじめてそれなりにうまくやれたかな。すぐにだめになっちゃったんだけどね」
「うん」
「30番とは楽しかった。一緒に湖畔で遊んだんだ、ボートに乗ってね。でもお互いにボートの漕ぎ方なんか知んないからてきとーにオールをさしてがむしゃらにうごかしては笑っていつの間にかそこにいた湖畔の真ん中をぐるぐるぐるぐる回って、帰れなくなって、まあ飛べばよかったんだけど、なんだかむきになっちゃって、わたしたちボートに乗ってしかもう帰らないんだとか言ってね、ちょうど満月の日だったから月がとても綺麗だった。空のはきちんと綺麗すぎてなんだかちょっとうざいけど、湖の上のは綺麗でそれでいて雑だからそれがいいなって思ってオールで波をたてては形を崩してた。でも、いつの間にか、明け方になっちゃって太陽を避けるためにとりあえずわたしたちは湖の中に隠れて、泡をたてながら、30番が『フランちゃん、吸血鬼って水のなか平気なの』って言うのが、聞こえなかった。でもそう言いたいのはわかったな。なんでだろう。わたしは呼吸がちがうから一日中息止めてもられるけど、30番はもちろんそうじゃなくて、それでわたしはタガメみたいにボートの底にくっついて、30番がボートを漕いで岸まで辿りつくのを待ってた。くるくるくるくる、同じところを何度も回転して、目が回ったな。でも、ちゃんと戻れたよ。やったやったわたしボート漕げたよって30番ははしゃいでたけど、あれさ、ほんとはわたしが下でばた足してたんだ。でも、30番は死ぬまで自分がボート漕げたんだって思ってたよ絶対」
「うん」
「89番は熟した木の実の探し方を教えてくれた。211番は強くなりたいっていうから戦いの練習中をしてでも殺しちゃったの。357番とは学校を見に行った、390番は短命だった。416番とははじめて一緒に宴会に行ったっけ。420番はわたしのお誕生日パーティに来てくれたはじめての友だちだった。501番はジョークのセンスがなくておもしろくないことばっか言ってた。502番もそう……、503番もそうだった。504番は冗談は絶対言わない子だった。632番には血を飲ませてみた、すっっっごく高価な紅茶だーって言ってね。そしたら、顔をしかめてるのに、おいしいおいしいって言うんだもん。その顔何って聞いたら、味わってるんだよって。まじで笑っちゃったなあ。721番とは河童から携帯電話っていうやつを盗んできて毎日お話ししたの」
「うん、知ってる」
「723番とは、なんていうか……、一線を越えちゃったんだね。お互いの身体の形を全部確かめあってね、硬度とか……、その接続とか、まるで、今、こう……、機械の具合を調整するみたいに、一日中触れあってたの。でも、そのあとでなんだか恥ずかしくなって、顔あわせるだけでも気まずくて、結局我慢できなくて、きゅっとして……。だけど、それは、すごくよかったから、あとで他の子ともためしてみたけど、やっぱり、723番がいちばんよかったな。だから、その意味で、723番はわたしの特別だよ」
「それも知ってるよ」
「840番は最悪だった。ことあるごとに”結局、フランちゃんは、わたしをきゅっとしちゃえばいいんだもんね”って言うんだもん。もちろん他にも言うやついたけど、あーなんだっけ、165番とか、279、663番もそね……、そいつらもよく言ってたけど、でも、840番は感じが違うんだよ。なんていうか、呆れてるっていうか、もうわたしのことなんか全然気にしてない感じで……。だけど、844番はすごくよかったよ。”フランドールちゃんのことは嫌いじゃないよ”って言ってくれたんだもん!」
「知ってるよ」
「ねえ、ずいぶん詳しいね」
「だって全部わたしのことだもん!」
そう、1003番は、わたしの最初の友だちで、1003番目の友だちだったのだ。
壊しても問題ない友だち。
だめになっても、一回休みで、またやり直せる友だち。
彼女は妖精だった。
わたしには一回休みというのがよくわかんない。
生まれ変わってまたわたしの前に現れるそいつは毎回新しいような気がする。
もちろん声も顔そっくりだし、昨日のまでのことは全部覚えている。
でも、そいつをついきゅっとしちゃったときのあの寂しい感じ、あーあ……って感じ、ひとりぼっちになって気温が下がるような感じ、わたしは瞬間、とてもクリアリーになってすぐに溢れるものでいっぱいになる。
そしてわたしをそんなふうにさせたそいつと目の前にいる新しいそいつが、まったくおなじだってこと、わたしにはやっぱりわからないな。
「ねえ、パパ」
「別にわたしフランドールちゃんのお父さんじゃない。わたし、家族とかわかんないし……」
「ねえ、そういうの、いいから」
「もう。なに?」
「死ぬのってどんな感じなの?」
「別に一回やすみは死ぬのとおなじわけじゃないんだと思う」
「そう?」
「死んだことってないからわかんないけど……。でも、そうだなあ、最初はびっくりしたって感じかな。何が起きたかわかんなかった。フランちゃんはきゅっとするの上手だから痛くはないな。気がついたら……、次には森のなかにいる。いきなりだから、すごくびっくりしちゃって、だって、別に、わたしそんな酷いことされるようなことしてないって思ったし。でも今はもう慣れたよ」
慣れたよと言うパピーの顔は、とてもさりげなくて、少しうざい。
どこどこどこどこと頭のなかで太鼓が鳴っている。
それは、ここに来る間ずっと鳴っていた。
虎が村に近づいて……。
わたしは藁葺きのテントに小さく丸くなって横たわり、それが過ぎ去るのをずっと待っているのに、消えない。
「虎……、虎が来る」
「なんて言った……?」
わたしは虎のことを話した。
わたしの頭のなかの新しいセーフティ・システム。
それが導入してから今までの間ずっと鳴り続けていたこと。
「それって、なんていうか、性質みたいなこと……。フランちゃんは、わたしを、ていうかもしかしたらわたしだけじゃなくて、みんなをいつでもずっときゅっとしたいって思ってるってこと?」
「さあ、どうかしら……」
テントの入り口の隙間から影が揺れるのが見える。
それは虎の姿か、あるいは逃げ惑う人……、それともなにか太陽と雲の微妙な案配なんだろうか。
どこどこどこどこどこ……。
地面に貼り付けた耳の鼓膜を揺るわす震動が、まるで無数の虎の足音のようだった。
それが、村を徘徊し……。
もう慣れたよ、か。
わたしなら、どうなんだろうか。
パパは不安そうな表情でわたしのことを見つめている。
わたしは言う。
「もしかしたら、わたし、きゅっとしたいのはわたし自身なのかもね」
沈黙。
座った姿勢で後ろに突っかけて身体を支えてた機械の手の甲にそいつが手を重ねたのが、すぐにわからなかった。
「ねえ、パピー、貴方ってあんまり繊細で透明だからさ、いっしょにいると、なんだか、わたしいつでも死にたいよ」
パピーは黙って指の爪でわたしの手の甲を叩いていた。
こん、こん、こん、こん、こん、と硬い音がする。
それから言った。
「これ、いいね」
「機械の腕のこと?」
「うん、とってもいいよ。格好いいもん」
「ありがと」
ひんやりしてて気持ちがいいしね……、とわたしの腕に頬を寄せた。
わたしはパピーの白い透明な腕に、もうひとつの機械の手で触れる。
あまりに感触がなくて落雁でも掴んでいるような気持ちになる。
まるで、握ったら、手のひらのなかでばらばらと崩れ落ちてしまいそうだった。
「パピーの腕もけっこういいよ。べつにお返しってわけじゃあなくってね」
「そう?」
「うん。ちょっと緑っぽいけど……」
「葉緑素あるから。夏には増えるの」
「よーりょく、そ?」
「わたし、自然から生まれた妖精だから。ほら、妖精って大元の元素にその力を依存するでしょ。だから森から生まれたわたしにも植物の葉緑素はあって、って言っても……、あるだけだけど、妖精は人間とおんなじで好気性で、だから、もう、機能はしない」
「ふうん……。なんか、そういうのって、ばかっぽいわ」
「そう?」
「少しね」
わたしお墓の上に登ってみたいなとパピーが言う。
これって不謹慎かな?
もちろんそうだよってわたしは機械の指で彼女の額を小突いた。
あ痛い、と額を抑えて、彼女はちょっと笑った。
わたしは手を取って彼女を背負う。
「ちゃんと掴まっててね」
塔の側面に沿って飛んだ。
水面に浮上しようとするゴム・ボールみたいに、垂直に、ゆっくり。
背中から彼女をこぼしてしまわないように。
ぐおん。
どこか少し遠い場所で虎が鳴いていた。
★
わたしたちは998番の墓石の上に並んで座った。
お墓の頂上はまだ建設途中、一つ下の段に敷き詰められた墓石のつくる面の上に、いくつかのまだ新しい墓石が無軌道に投げ出されている。
この高さまで来ると、その墓石の造形もずいぶん綺麗なものになる。
墓石屋でも開けそうなくらいだ。
なんたって999回もハンドメイドしてるだもんね。
たぶん、わたしだって彼女が死ぬのに慣れるのかも。
そういう考えはそれほど悪くなかった。
死を取り扱うことは今もわたしにはなんだか難しいけれど、死に付随する他のたくさんの技術があり、それは純粋な経験によって慣れることができるんだっていうことは。
慰めになる。
あたりは少しずつ明るくなりはじめていた。
空の東の方からカーペットにこぼしたミルクのように白が、小さな星を呑み込みながら広がり、その白んだ空の底に暗い森が広がっている。
森の中にぽつんと、巨大な赤い屋根。
ペンキが剥げかけて、なんだか少し寂しい。
そして紺色――、湖の色だった。
ずっと先には、未だ眠る里の姿が見える。
わたしは思う。
「ここから朝日が昇るところを見たらとっても綺麗だよねきっと」
でも……、とパピーが呟く。
また、沈黙。
どこどこどこどこ……。
かあんかあんかぁああん。
ねえ、だめだよ。そんなふうに音を立てたら、虎に見つかっちゃう。
白い虎が、もうそこに。
その足音が近づいて。
吐息まで聞こえてしまう。
ぴぃいいいいい、って泣き叫ぶような笛の音が……。
わたしはテントの隅で膝を抱えてうずくまり、それを見てしまう。
テントの入り口の隙間からぬっと現れる虎の顔。
視線がぶつかった。
冷たい目……。
小さな耳を立て、低い姿勢でゆっくりと円を描くように、じりじりと距離を詰めてくる。
でも、大丈夫だよ、静かにさえしていれば。
黙っていれば、息を潜めてじっとしてれば、そこには何もいないというふりをしていれば。
わたしたちは見つからない。
なのに、わたしは喋るのをやめられない。
「そうだよね、そんなことしたら、わたし朝日に溶かされちゃうよ。朝日がわたしを焼いたらあとにはこの機械の腕しか残んないんだよ。ねえ、パパ……、わたし、そのためにわたし機械になったんじゃないかって思うの……、太陽の光がわたしのことを焼いて濁った半透明の灰のその一粒一粒に還したそのあとで……。あとに残ったこの機械の腕をどこか見つからない森の中の暗がりに隠してね、今と同じように、毎日貴方がやってきて、たったの10分でいいからさ、お話ししたり歌をうたったりときどき触れたりしてくれたら、それでいい……、それだけでいいな」
そんなのってもう……、とパピーは呟いた。
その困った表情の。
機械の指で額をまた小突いて、わたしは言う。
「ね、嘘だよ? 決まってんじゃん。はやく帰ろうよ」
わたしは塔から飛び降りた。
ふわりと地面に完璧な接地!
そして塔の上の彼女の、ない名前を呼ぶ。
おーい、おぉううい、パピー、そこから飛び降りなよぉお。キャッチするからぁ。
彼女は首を振る。
ねえ、大丈夫っ。わたしを信じてよお。
どこどこどこどこどこ……。
白い虎はもうわたしの目と鼻の先。
その息が顔にかかる。
口の端からこぼれた涎が足元を濡らす。
そして、吠えた。
がぉおう。
わたしは思う。
わたしたちって、なんだかサーカスみたいだ。
お金で買われた妖精と機械の腕、それに白い虎。
いまは、まだ、ちがうけど。
調教されていない白い虎は村を襲い人を食べようとしているし、わたしは機械の腕に慣れなくて、妖精はいつでも芸に失敗して死んでしまう。
でも、いつかは……、そう。
わたしたちだってサーカスになれたらいいのにな。
パピーとふたりで白い虎の背中に乗りこんで、夜から夜へと旅をして、朝に眠り、また夜に楽しいことをする。
そんなふうに。
もう一度、彼女を呼んだ。
「ねえ、ほら、ジャンプしなよっ!」
意を決したのか、パピーが、お墓のてっぺんから飛び込んできた。
頭の方から落ちる、へたくそなジャンプだった。
まるで飛び降り自殺でもしてるみたいだ。
わたしは急いで影の下に駆け寄って。
この機械の両腕で、落下する彼女の身体を彼女を抱きしめる――。
でも、抱きしめられない。
空っぽだった。
彼女は浮遊してた。
わたしのすぐ上で逆さまに浮かんでたんだ。
べえと舌を突きだして、言う。
「わたしも飛べるよ、空!」
それから笑った。
スカートもシャツも髪の毛もみんな逆向きに垂れ下がって、空中に静止して、その反対の顔にいたずらっぽい笑み。
つられて、わたしも笑ってしまう。
笑ったら、なぜか涙が出て、溢れて止まらない。
それを見つけたパピーが言う。
ね、泣いてるの。
わたしは首を振った。
彼女はくるりと反転して、浮遊したままその胸のなかにわたしを抱く。
驚かして、ごめんね。
わたしはまた首を振った。
別にわたしはパピーのちょっとしたいたずらにびっくりして泣いてしまったわけじゃなくて、それがとても楽しくて嬉しくて感情があふれてわからなくなってしまったからわたしは泣いたのに、そのことがパピーはわからず、だからそうじゃないんだってとわたしは何度も言っても、彼女はやっぱりごめんねごめんと繰り返すので、わたしは余計に涙がとまらなくなってしまってそのまま夜が明けるまで彼女のシャツを濡らしていた。
こんなことを思ってた。
ねえ、いつかわたしたちはサーカスになれるよ。
絶対ね。
良くできてます、すごい
人付き合いが苦手なフランが少しずつ慣れていく姿に成長を感じました
パピーがいい子過ぎてすごくいいです
衝動が操れるようになるといいね、フランちゃん。
二重の意味で解かれていく紐にほっこりとしました。