霊夢は懐を探り出した辺りで、気が付いた。ああ、そうだ。煙草、切れてたんだ。
「魔理沙、煙草一本ちょうだい」
霊夢はいつも通り、魔理沙に煙草をねだる。ふたりはすっかり温くなったラムネをちびちび飲みながら、茶屋の縁台に腰かけていた。幻想郷の夏はそれほど激しいものではないけれど、それでも熱気でじわりと汗をかく。
「悪いな、私も切れてるんだ」
さらりと魔理沙が答えた。嘘じゃないぜ、と煙草の空箱をかさかさと振ってみせる。むう、と唸って霊夢は押し黙った。空になったラムネ瓶を見つめる。我慢できない訳じゃない。でも、何か物足りない。
「婆ちゃんとこ、行くか」
「……そうね」
財布の中身を頭の中で確認してから、霊夢は頷いた。うん、多分大丈夫。
すっくと立ち上がり、霊夢は魔理沙に言った。
「それじゃ、行きましょ」
「おう。――おばちゃん、ご馳走さま」
茶屋の店員に声をかけて、ラムネ瓶を返却する。ふたりはのんびりと、人里をぶらぶら歩き出した。
あちこちの店先で、丁稚が打ち水を撒いている。時刻はもうすぐ暮れ七つ、 日暮れの時間も近い。ひゅう、と通り沿いに風が通り過ぎた。夜の涼やかさを先取りしたような、気持ちのいい風だ。
「夕飯、何にするかなあ」
「冷奴に枝豆、麦酒」
「冷や汁もいいなあ。冷や麦、冷やし中華、冷やしうどん……」
「冷やしてばっかりね」
「暑いからなあ」
だらだらと話しながら、ふたりは通りを進んでいく。大通りを真っすぐ行って、薩摩屋の横から天神通りへ。右手に曲がって、六軒過ぎる。
小さな路地の曲がり角。そこにひっそり佇むのが、ふたりの目指す煙草屋だ。
「婆ちゃん、いるー?」
魔理沙が小さな煙草屋の奥を覗き込むようにしながら、大きな声で呼びかけた。
「はいはい、いますよ」
のそのそと奥から出てきた老婆が、するりと応対用のカウンターに現れた。
白髪ではあるがしゃんとしていて、はきはきと受け答えをする。彼女とのお喋りを楽しみに、この店に通う客もいるという話だ。
「あれ、魔理沙に霊夢さま。どうもご機嫌よう」
「どーも」
霊夢はぶっきらぼうに、それでもぺこりと頭を下げた。
「よぉ、婆ちゃん。煙草くれ」
魔理沙はカウンターにもたれかかりながらお菓子でもねだるように話しかける。年長者に対して実の孫のように振る舞うのは、魔理沙の十八番だ。この技の成果か、里の長老格は揃いも揃って魔理沙に甘い。例外は実の親、霧雨の旦那位のものだ。魔理沙本人は無自覚にやってるらしいところが、誠に悪辣である。
「はいはい。いくついるんだい」
「んー、一箱でいいや」
「はいよ、十銭」
老婆はさっと、品物をカウンターに取り出した。魔理沙の吸う銘柄は橙色に老船長の横顔が入っている。舟の名を持つその煙草は、甘い香りとお菓子のような味がするフレーバード・シガレットだ。
「まいど。今度はあの青年のとこからも買ってやりな」
小銭を受け取りながら、にやにやと老婆は魔理沙に笑いかけた。
老婆の店の商品は、半数ほどが外の世界からの流入品だ。外からの流入品を拾い集める仕事は里の人間にとって忌避感が強く、大部分を香霖堂が手掛けている。とはいえ店主があの様子なので、舶来品は常に品薄傾向だ。値段も二倍以上になる。
「今度、あいつに飯をおごられてやる時にするよ」
魔理沙はそうやり返した。ぱっと見は平然としているが、両耳が真っ赤になっているのが隠せていない。霊夢はそれを見て、こっそりと笑った。
「そうかいそうかい。そんで、霊夢さま。今日は何にします?」
老婆が、霊夢に向き直った。魔理沙が脇により、今度は霊夢がカウンターに寄りかかる。
「そうねぇ……」
霊夢はじっくりと、カウンターに飾られた煙草の箱の数々を眺め回した。霊夢は魔理沙と違って、特定の銘柄に対するこだわりがない。毎回直感で、買う銘柄を変えるのだ。たとえ好みの味に巡り合ったとしても、次に買う時には別の煙草を購入する。
「じゃ、この牡丹の絵のやつ」
霊夢が指差したのは、浮世絵風に牡丹の大輪が描かれた箱だ。これは幻想郷産の煙草葉で作られた、いわば地煙草だ。味も洗練された舶来品に比べると、何というか素朴であった。その分、価格も控えめだ。
「ああ、これかい。三銭だよ」
老婆が告げると、霊夢はがま口から小銭を取り出して煙草を購入する。その側で、魔理沙は既に箱の封を切り、煙草を口にくわえていた。
「婆ちゃん、火ぃくれ」
「ほれ、燐寸」
投げ渡された燐寸箱をしっかり掴まえて、魔理沙は慣れた手つきで燐寸を擦る。自分の口に咥えた煙草と、ちょっと顔をしかめてから、霊夢が近づけてきた咥え煙草に火を点けてから燐寸の火を振り消した。
「吸い殻はそこの皿に入れとくれ。そこら辺に捨てないでくれよ」
ぷかぷかと少女たちがやり出したのを見て、老婆は面倒そうに指摘する。煙草売りを生業にしてるのに、或いはしてるからこそなのか、老婆は吸殻のポイ捨てに関してかなり厳しかった。
「ごめん下さい」
ふたりが一本目を吸い終わりかけた時、涼やかな声が通りに響いた。
「あら」
「咲夜じゃん」
「あら、ふたりとも」
霊夢と魔理沙を見て、咲夜がにこりと微笑む。夏仕様のノースリーブのメイド服を身につけた彼女は、買い出しの途中なのか買い物かごを腕にかけていた。じっとりした熱気の中で奇妙な程に涼しげで、汗一つかいていない。どんな奇術だろう、と魔理沙はすこしだけ興味を持った。
「そんなところで蛍族?」
「夜露より、もう少し強いものの方が好物ね」
からかうような口調の咲夜に、片目を閉じながら霊夢が返した。少女たちの会話は、いつもこんな調子だ。煽り煽られのキャッチボールの中、いかに余裕を演出するかが幻想少女たちの間では重要だった。
「従者さんや、お待たせ」
霊夢と咲夜が軽口を叩いている間に、老婆は所望の品を揃えたらしい。
「主さん用の細葉巻、魔法使いさん用の刻み煙草」
とさり、とさりと商品がカウンターに並べられる。最後に老婆は、真っ黒な箱をカウンターにのせた。
「そんで、あんたさん用のも合わせて……しめて八十五銭だよ」
「はい、ありがとう」
「毎度」
霊夢や魔理沙とは段違いな代金を平然と支払い、咲夜は購入品をかごの中にしまった。自分用の細葉巻だけは封を切り、形の良い唇に咥える。魔理沙が黙って燐寸を擦り、細葉巻に火を点けた。
ありがとう、と呟き、咲夜はゆるゆると紫煙を吐き出す。収穫祭の名を冠した咲夜のお気に入りは、値段に比して味が良いと好事家の間で評判だった。
咲夜は一通り煙を楽しんでから、魔理沙を見つめてにやにやと笑っている。
「……なんだ?」
流石に気味悪くなったのか、若干後じさりながら魔理沙が尋ねた。
「火を点けてくれた蛍さんに、私からの贈り物ですよ」
そう言うと、咲夜はすう、と深く息を吸い、
「ほ、ほ、ほーたるこい」
突然歌い出した。ぎょっとするふたりをにまにまと眺めながら、大仰に買い物かごから何かを取り出す。
「こっちのみーずはにーがいぞー」
現れたのは二本の瓶だ。茶色に着色されたガラス瓶は、良く冷えているのか、びっしりと汗をかいている。言うまでもないが、瓶の中身はあの素晴らしい黄金色の液体、すなわち麦酒だ。
「いいね、いいねえ。私らはさしずめ、飛んで火に入る夏の虫ってか」
「火に入る、水入る、血に見入る。まさか、 砂漠の一滴より高いってことはないでしょうね?」
拍手喝采の魔理沙とは反対に、霊夢は手を出すのにやや躊躇していた。
「頂き物ですから。あら、でも、無料より高いものは無い、そういう事もありましたね?」
にこにことした微笑みの仮面に隠されて、咲夜の真意はどこまでも読めない。霊夢はごくりと生唾を飲み込んだ。この暑気の中、冷えた麦酒は喉から手が出るほどに体が求めている。でも。霊夢は中々、瓶に手を伸ばせない頭のどこかに、嫌な予感がこびりついていた。
「ああもう、なんでもいいさ。私の手にありゃ、私の物だぜ」
二の足を踏み続ける霊夢に業を煮やしたのか、魔理沙が瓶を二本とも引っ掴んだ。片方をぽいと霊夢に投げ渡す。冷え冷えの瓶の感触に、手のひらが嬉しい悲鳴をあげる。不思議なことに、魔理沙から受け取る分には、嫌な予感は全く働かなかった。ま、気のせいね。霊夢はそう割り切った。
「そうね、じゃ、そういう事でーー」
ちゃっかり自分の分も取り出した咲夜と三人で、乾杯を交わす寸前、
「ごめんくださーー……い」
新たな客が、煙草屋を訪れた。傘を被り、背中には大きな薬屋行李。変装したつもりだろうが、傘の下から白く長い耳がはみ出ていた。
「はいはい、千客万来、よろこんで。……おや、因幡だね」
「は、はあ」
老婆のため息交じりの応対に、鈴仙は曖昧にしか答えられない。人里には建前上、妖怪の出入りが禁じられている。だから妖怪は(例え丸わかりでもいいので)変装して人里へ入るし、人間の方でも見て見ぬ振りをする。それがこの楽園の秩序を保つ作法だ。
「幾つだい」
「…………」
老婆の声に、鈴仙は俯きながら指を二本立てた。
どんよりと曇った瞳の下には、べっとりと隈が張り付いている。顔色も白くくすみ、どう見てもまともな状態ではなかった。
「……商売柄、私も色々なやつを見てきたさ。人も、妖怪も、色々ね。その上で言うんだが」
じいっと鈴仙の顔を眺めてから、老婆は話し始めた。
「一服すれば、確かに心は軽くなる。少しはね。でもあんたの場合は、もっと大きな息抜きが必要だよ。あの連中」
くいっ、と親指で三人の珍客を指し示す。指された側はどこ吹く風で、いえーい、なんて呑気に麦酒瓶を掲げている。
「あれ程に肩の力を抜けとは言わん。けどまあ少なくとも、余裕を装える位にはなりなさい。……つまるところ、だ」
ぽん、と煙草の箱をカウンターに載せて、諭すように老婆は言った。
「二日で五箱は多過ぎる。今日は一箱だけ、持って来な。少し休んで、その隈が取れたらまた売ってやるよ」
「あ……」
鈴仙はそっと煙草を手に取り、ぼうっと見つめた。黒一色のパッケージに、シルクハットを被った笑う髑髏の意匠。煙草から老婆に視線を移した鈴仙は、出し抜けに泣き出した。
ぼろぼろ、ぼろぼろ、おおきな涙が両頬を伝い落ちる。
老婆はつい、と少女たちに目配せした。委細承知、とばかりに三人の少女が泣き続ける鈴仙に群がる。
「まあまあ」
「まあまあ」
「まあまあまあ」
三人で寄ってたかって、涙を拭き、鼻をかませ、何くれとなく構ってやる。鈴仙はずぴずぴと鼻を鳴らしながら、小さくありがとう、と呟いた。
「ねえ、奇術師さん。あんたの下らない手品が見たい気分ね」
霊夢が意味ありげに言うと、咲夜がにっこり笑って、買い物かごから大仰な手つきでまたもや麦酒瓶を取り出した。
一体何本持ってるんだ、と魔理沙が呆れ、咲夜は唇に指を立ててそれに答える。
曰く、「A secret makes a woman woman.」……だ、そうだ。
やり取りを聞いていた鈴仙が、目元を腫らしたまま、くしゃりと微笑んだ。
「おい、あんたら」
わいわいと騒がしい少女たちへ、老婆が声をかける。なんだろう、と一同が振り向くと、老婆はいつの間にか、長い煙草を咥えていた。
「ショバ代だよ。……火、点けな」
厳正なる審査(押し付け合い)の結果、魔理沙がその名誉ある任務を請け負った。
「じゃあ、やるか」
「何に?」
「何でもいいわ」
「じゃあ、婆ちゃんの老い先短い人生に」
「馬鹿言うない、あと半世紀!」
「うげ、地獄耳」
「まあ、いいんじゃない」
「異議なーし」
「それでは、煙草屋のお婆さんの幸福を願って、」
「「「「かんぱーいっ!」」」」
四人の少女のささやかな宴は、日が暮れるまでのわずかな時間、群青色の空を彩るように始まり、終わった。
お盆にはまだ早い、ある夏の日の一ページ。
問題なのは今俺が禁煙してる事だけだ
おばあちゃんがいいキャラしてました
うまそうに吸うなぁ
咲夜:ハーベスト
鈴仙:ブラックデス
ですな
霊夢だけ分かんなかったけど、幻想郷の地タバコってことは
特にモデルはないのか
それとも幻想入りした廃盤銘柄かな?
乾杯!です!