魔が差す、という言葉がある。目の前には幼き魔。彼女が放つ魔砲は、標的を必ず貫く槍。……皮肉にも程がある。
内側から音がする。早鐘のような心臓の鼓動。それ以外の音は無い。
太陽を抱えているよう。感じる熱さは思考を惑わす。
見えるもの全てが固まる。凍りつく景色。ここは、私の世界。
視線がつなぎとめられる。薄く引かれたルージュの鮮やかさ。紅茶に濡れ、しっとりとした艶やかさ。
ささやかな抵抗。音を鎮めるように。熱を冷ますように。目蓋を――閉じる。
==================================================
――カラン――カラン。
呼び鈴が響く。鮮やかな紅の中、白いテーブルと白いイス。テラスに差し込む光。太陽が、西の空からのぞき込む。イスに身を預ける主。季節は初夏。白いパラソルが、優雅さを引き立たせる。
「咲夜。」
トレーを手に、かしこまる。お気に入りのティーセット。ほのかなクリーム色。唯一、透明なガラスのティーポット。人肌よりも少し、温かい。
「承知しております。」
微笑む主。微笑む私。小さな挨拶。はじまりの合図。
茶葉の缶をあける。深い香りが漂う。スプーンですくって3杯。ティーポットに送られる茶葉は、ひと時の演者。注がれるお湯。ショーの開幕。香りがより鮮明に、周りの空気を変えていく。
小さな踊り子に注がれる主の視線。浮かんで、沈んで、揺れて、宙返り。舞台を見つめる二つの瞳。踊りの動きを追うように、ゆらゆら。いつの間にかシンクロする、体の動き。
茶葉との踊りは主の娯楽。それを見つめるのが私の娯楽。
橙色に染まる舞台。プログラムの終了は、カーテンコールの始まり。踊り子たちは頭を垂れるように、静かに、底に降り積もる。アンコールをかけるのは無粋。私は、ティーポットを持ち上げる。
茶器に注がれる琥珀色。日差しを反射してきらめく雫は一粒の宝石。
「お待たせいたしました。」
差し出したカップをちらり。口元が少し上がる。
「ありがとう。」
感謝の言葉。主から、従者へ。事実の認識。ドクンと一つ、鼓動が響く。
「いただきます。」
差し出された指がカップをつかむ。揺れる水面。無意識に動く視線。立ち上る湯気。焦点をずらすと、浮かぶ笑顔。
「……いい香り。」
ささやくように、吐息を流す。甘美な空気に、視線が揺らぐ。
……かすかな水音。離れ行く口先。
目の前には幼き魔。閉じられた2つの目。なめらかな曲線を描く鼻先。空を仰ぐような顎のライン。主張するようにきらめく口元。
――カチャリ。ソーサーとカップの触れる音。
刹那。射貫かれる――心。
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瞼を開く。
空気を吸い、空気を吐く。
動くものは目に入らない。ここは、私の世界。
冷たい世界。燃えるほど熱い。
頬を何かが流れる感覚。目の前には一人の少女。
きめ細かな肌。白く、紅く。吸い込まれる感覚。
距離を詰める。強くなる、柑橘系の香り。
惑う思考。響く鼓動。揺れる視線。
――距離をとる。眺める先に、一人の少女。待ちわびるような口元。瞑られた目。
――吐息。熱を冷ますよう。鼓動を鎮めるよう。……不安を流すよう。
射貫かれた数は覚えていない。なのに……消えない後ろめたさ。背徳感。
触れたい。触れてはいけない。触れるのが、こわい。やけどするような感覚。そう。目の前にあるのは煮えたぎる熱いスープ。
――2度目の吐息。空気を通して、触れる口元。冷ましたい熱は、何?
唇。渇きの感覚。蒸発したものを補うよう、ひきしめ、ゆるめる。
目に入る、ルージュと紅茶で潤った唇。求めるように、魅きつけられる。
高鳴る鼓動。消えゆく音。熱。感覚が、消える。
無意識に、数え下す。
――3
――2
――1
――重なる。愛おしい。狂おしい。思考が、跳ねる。
止めどなく流れる理性。むさぼるように求める本能。口の中に、柑橘系の香り。
凍りついた世界。音のない世界。強く意識する触覚。フェードアウトする、思考。
==================================================
風。テラスを流れる。
「暑くなってきたわね。」
テラスに差し込む光。季節は初夏。暑さの本番はまだこれから。
「今日の夕食は、ヴィシソワーズなんてどうかしら?」
ほのかに残る熱。主の声。流れる時間。
「……咲夜? 聞こえているの?」
拡散した思考が集まる。夢から覚めるよう。意識を捉える。
「メインは白身魚のムニエルに、オリーブを添えましょう。サラダはトマトとナスのマリネで、いかがでしょうか?」
即席のメニュー。軽く悩むような表情の後、
「イワシじゃなければ大丈夫よ。」
あきれたように見せる微笑み。承認の証と受け取り、頭を下げる。
「では、準備を致します。」
「冷たいスープ、忘れないでね。」
念を押す言葉に微笑みを返す。刹那、消える姿。
鮮やかな紅の中、白いテーブルと白いイス。イスに身を預ける主。
口元に手を触れ、微笑む。私が知らない、主の、余韻。
==================================================
テラスと館をつなぐドア。少し開いた隙間に、張り付く姿。小さく、早い、鼓動が聞こえる。
薄く広がる羽を撫で上げる。びくりと動く、背中、肩。
「いつから見ていたの?」
問いかけの言葉。振り向いた顔に浮かぶ汗。
「ティーセットの片づけ、お願いするわ。」
一つの指示。言葉は待たない。
それぞれが、それぞれのやることをなす。それぞれの時間が、流れていく。
内側から音がする。早鐘のような心臓の鼓動。それ以外の音は無い。
太陽を抱えているよう。感じる熱さは思考を惑わす。
見えるもの全てが固まる。凍りつく景色。ここは、私の世界。
視線がつなぎとめられる。薄く引かれたルージュの鮮やかさ。紅茶に濡れ、しっとりとした艶やかさ。
ささやかな抵抗。音を鎮めるように。熱を冷ますように。目蓋を――閉じる。
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――カラン――カラン。
呼び鈴が響く。鮮やかな紅の中、白いテーブルと白いイス。テラスに差し込む光。太陽が、西の空からのぞき込む。イスに身を預ける主。季節は初夏。白いパラソルが、優雅さを引き立たせる。
「咲夜。」
トレーを手に、かしこまる。お気に入りのティーセット。ほのかなクリーム色。唯一、透明なガラスのティーポット。人肌よりも少し、温かい。
「承知しております。」
微笑む主。微笑む私。小さな挨拶。はじまりの合図。
茶葉の缶をあける。深い香りが漂う。スプーンですくって3杯。ティーポットに送られる茶葉は、ひと時の演者。注がれるお湯。ショーの開幕。香りがより鮮明に、周りの空気を変えていく。
小さな踊り子に注がれる主の視線。浮かんで、沈んで、揺れて、宙返り。舞台を見つめる二つの瞳。踊りの動きを追うように、ゆらゆら。いつの間にかシンクロする、体の動き。
茶葉との踊りは主の娯楽。それを見つめるのが私の娯楽。
橙色に染まる舞台。プログラムの終了は、カーテンコールの始まり。踊り子たちは頭を垂れるように、静かに、底に降り積もる。アンコールをかけるのは無粋。私は、ティーポットを持ち上げる。
茶器に注がれる琥珀色。日差しを反射してきらめく雫は一粒の宝石。
「お待たせいたしました。」
差し出したカップをちらり。口元が少し上がる。
「ありがとう。」
感謝の言葉。主から、従者へ。事実の認識。ドクンと一つ、鼓動が響く。
「いただきます。」
差し出された指がカップをつかむ。揺れる水面。無意識に動く視線。立ち上る湯気。焦点をずらすと、浮かぶ笑顔。
「……いい香り。」
ささやくように、吐息を流す。甘美な空気に、視線が揺らぐ。
……かすかな水音。離れ行く口先。
目の前には幼き魔。閉じられた2つの目。なめらかな曲線を描く鼻先。空を仰ぐような顎のライン。主張するようにきらめく口元。
――カチャリ。ソーサーとカップの触れる音。
刹那。射貫かれる――心。
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瞼を開く。
空気を吸い、空気を吐く。
動くものは目に入らない。ここは、私の世界。
冷たい世界。燃えるほど熱い。
頬を何かが流れる感覚。目の前には一人の少女。
きめ細かな肌。白く、紅く。吸い込まれる感覚。
距離を詰める。強くなる、柑橘系の香り。
惑う思考。響く鼓動。揺れる視線。
――距離をとる。眺める先に、一人の少女。待ちわびるような口元。瞑られた目。
――吐息。熱を冷ますよう。鼓動を鎮めるよう。……不安を流すよう。
射貫かれた数は覚えていない。なのに……消えない後ろめたさ。背徳感。
触れたい。触れてはいけない。触れるのが、こわい。やけどするような感覚。そう。目の前にあるのは煮えたぎる熱いスープ。
――2度目の吐息。空気を通して、触れる口元。冷ましたい熱は、何?
唇。渇きの感覚。蒸発したものを補うよう、ひきしめ、ゆるめる。
目に入る、ルージュと紅茶で潤った唇。求めるように、魅きつけられる。
高鳴る鼓動。消えゆく音。熱。感覚が、消える。
無意識に、数え下す。
――3
――2
――1
――重なる。愛おしい。狂おしい。思考が、跳ねる。
止めどなく流れる理性。むさぼるように求める本能。口の中に、柑橘系の香り。
凍りついた世界。音のない世界。強く意識する触覚。フェードアウトする、思考。
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風。テラスを流れる。
「暑くなってきたわね。」
テラスに差し込む光。季節は初夏。暑さの本番はまだこれから。
「今日の夕食は、ヴィシソワーズなんてどうかしら?」
ほのかに残る熱。主の声。流れる時間。
「……咲夜? 聞こえているの?」
拡散した思考が集まる。夢から覚めるよう。意識を捉える。
「メインは白身魚のムニエルに、オリーブを添えましょう。サラダはトマトとナスのマリネで、いかがでしょうか?」
即席のメニュー。軽く悩むような表情の後、
「イワシじゃなければ大丈夫よ。」
あきれたように見せる微笑み。承認の証と受け取り、頭を下げる。
「では、準備を致します。」
「冷たいスープ、忘れないでね。」
念を押す言葉に微笑みを返す。刹那、消える姿。
鮮やかな紅の中、白いテーブルと白いイス。イスに身を預ける主。
口元に手を触れ、微笑む。私が知らない、主の、余韻。
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テラスと館をつなぐドア。少し開いた隙間に、張り付く姿。小さく、早い、鼓動が聞こえる。
薄く広がる羽を撫で上げる。びくりと動く、背中、肩。
「いつから見ていたの?」
問いかけの言葉。振り向いた顔に浮かぶ汗。
「ティーセットの片づけ、お願いするわ。」
一つの指示。言葉は待たない。
それぞれが、それぞれのやることをなす。それぞれの時間が、流れていく。
一杯の紅茶でここまでいい雰囲気を醸し出せるお嬢様にカリスマを感じました