口を揃えて皆が言う。
細工師の大毅は大したものだ。真面目直向きで働き者、酒も博打もやらないし、腕前の方も上々だ。おまけに年老いた母親を引き取って世話までしている。最近じゃあちょっと見ない若者だよ。
口を揃えて皆が言う。
土方の利一はありゃダメだ。ずるけ怠けは当たり前、同じ仕事を三月と続けた事がねえ。おまけに大酒飲みの大博打打ちで、あちこちに借金拵えていやがる。弟の大毅にしょっちゅう金の無心をしやがって、恥を知れってんだまったくよ。
この二人の兄弟に関する里の人々の評価は大体こんな具合だった。
だから利一が死んだ時、彼の葬式に訪れようとする者など居なかった。……より正確に言えば、経済的な事情もあって、大毅は兄の葬式を挙げる事が出来なかったのだが。
利一の遺体を発見したのは、他ならぬこの私だった。命蓮寺にて朝の法要を終えた後、里外れに作った私の拠点「星鼠亭」に赴くその道すがらで発見した。朝露も凍てつく冬の朝である。遺体を検分した青蛾によれば、利一の死因は凍死であるらしかった。泥酔して路上で寝てしまい、そのまま三途の河を渡りきってしまったようだ。失礼ながらその時私は、まさに里の人々の評価通りの死に様だなと思ったのだった。
私が死体探偵である事を知ると、大毅は私へ葬儀の手配を依頼して来た。死体を探す探偵ならば、見つけたその後の処理にも詳しいと踏んだのだろう。それは全くその通りで、葬儀屋は私の副業とでも言うべきものだった。何せ私は幻想郷唯一の寺院、命蓮寺に所属する仏僧なのだから。彼の依頼の下、私は利一の葬儀関連一切を取り仕切った。
人が一人死ぬと云う事は、恐らく諸君らが考えているよりも、もっとずっと大変な事だろうと思う。
葬式の煩雑さは素より、例えば遺品整理一つとっても、人が生きて行く為にはそれなりの物資が必要なわけで、一朝一夕で終わるようなものではない。加えて故人の住居の引き払い、交友関係の調査と関係各所への連絡、庄屋へ届出をして徴税の停止を行わなければならない。もし故人が何らかの争議を抱えていた場合、係争相手の矛先はまるまる遺族へ向かうのである。故人の資産の調査をして煩雑極まる遺産相続の手続きを行わなければならないし、これまた不愉快極まる借入金の調査とその整理を行い、時には虚偽の申告をしてくる債権者共と言を戦わせて……書き連ねただけでも疲労を覚えてしまうほどだ。私は外界でも葬儀に関わっていたのだが、ある程度手続き化されている外の世界でも辟易するほどであった。制度の整わぬこの幻想郷での苦労は、外界の比ではない。その上、それら雑務の全てを日常生活をこなしつつ行わなければならないのである。人が死ぬのは、簡単だが難しいのだ。
慣れぬ大毅は諸処の手続きに忙殺された。勿論私は手伝いをしたが、基本的には遺族の問題である。大した力になれるわけもなかった。大毅は評判通りの礼儀正しい青年であったが、その顔には拭いきれぬ疲労が溜まっているのが見えた。
あの女が現れたのは、そんな時だった。
「なんだい。あいつ、死んじまったのかい。ちぇっ、まだ貸しが残ってるってのにさぁ、これじゃあ丸損だよ」
「……その物言い、人を導く者としての自覚に欠けているのではないか」
「知ったこっちゃないね。立つ鳥跡を濁さずって言うだろう。鳥でも出来るような簡単な事を人間様が出来ないだなんて、情けないったらありゃしない」
「君も人死に関わる仕事をしているのだろう、せめて忌明けまではそのやかましい口を閉じていられないのかね」
「あたいがあいつに貸した金をあんたがまるっと返してくれるってんなら、考えてやらない事もないけど?」
私が冷たい瞳で睨みつけてもその女、小野塚小町は悪びれもせずに悪言を吐き続けた。
鮮血のような色をしたツインテールに、巨大な鎌を背に担ぐその特徴的なシルエット。
この女は三途の川の渡し守、俗に死神と呼ばれる妖怪である。
利一の粗末な部屋で遺品整理をしていた私と遺族の前に現れた彼女は、どうやら利一と面識があるらしかった。口振りから察するに、恐らく博打打ち仲間か何かなのだろう。つまり、碌な繋がりではない。
大毅は老いた母を部屋の外に出すと、死神に向き直った。
「兄のご友人でしょうか」
「そ。あたいは小町、小野塚小町。コイツを使って、奴から金を巻き上げていた女さ」
手の中にある六面体を宙に放り投げて気取る。思った通りだ。
「まだまだ貸しが残ってるってのに、まんまと逃げられっちまった。あたいが渡しをサボってる隙に逝くなんざ、あの薄鈍にしちゃ珍しく要領が良いじゃないか。全く、腹が立つねぇ。でもまあ……」小町の瞳が赤い光を放った。「代わりを見つけたから、どうでもいいけど」
「代わり?」
「さ、有り金全部、さっさと出しな」
小町は右手を差し出すと、ひらひらと上下に振った。背に担いだ大鎌を見せつけるように大きく見得を切りながら。
「あんた、奴の弟なんだろ。兄の借金は弟の借金さ。居なくなった兄貴の代わりに払ってやるのが人として正しい道ってもんだろう?」
「借金……」
大毅は呻いた。
実のところ、それこそが目下大毅を苦しめているものであった。
死んだ利一は方々に借金を残していたのだ。大毅は細工師と言っても見習いに毛が生えた程度のもの。実入りは少なく、兄の借金の肩代わりなどとても出来ない。
「馬鹿を言え」すかさず私は割り込んだ。それこそ私が雇われた理由でもあった。「薄汚い賭博士が。そんなものは無効に決まっている」
「馬鹿言ってるのはそっちさね。この通り、証文もあるんだ」
小野塚小町が胸の谷間から取り出したのは、薄汚れた紙切れだった。借入金額が記載され、その上血判が押されている。恐らく本物だろう。それを私の顔の前でひらひらと揺らし、小町は勝ち誇った笑みを浮かべた。
しかし、甘い。
「その証文の型、見覚えがあるぞ。里外れの賭博場で発行している証文だろう。明らかに違法だ。違法な賭博行為で得た借入金など、返済する義務は無い」
「ハッ、この幻想郷に法律なんざ……」
「法は無くても、守るべき掟と仁義はある。無届けの賭博場は既に自警団の取締対象だ。当然、その証文にも効力は無い」
「そんな掟、聞いたことも無い。どうせこの証文が書かれた後の事……」
「残念だったな、その証文の日付は里で掟が制定された後だ。稗田に掛け合ってもいいぞ。結果はこの私が受け合おう」
「なんだと」
「一流の博打打ちは世故にも長けるものだ。君はサボタージュは一流のようだが、博打打ちとしては二流だな」
小野塚小町の大鎌がぐわらと音を立てて振り回された。その音に恐怖し、大毅は情けなく尻餅を突いて大きな音を立てた。
私の首筋皮一枚を削り、大鎌はピタリと止まった。私は微動だにしなかった。小野塚小町の鎌の動きは明らかに遅く、威嚇の為にわざと大きな音を立てていることが分かっていたからだ。小町が本気だったならば、大毅の尻餅の音が響く前に私の首と胴は離れ離れになっている。
「けっ」私がちっとも動揺していないと悟ると、小町は苦虫を噛み潰したような顔をした。「可愛くない小鼠だね、まったく」
「私の目に狂いはなかったようだな。君のサボタージュはまさに一流。無駄な死人を増やせば君の仕事が増えてしまうだけだからな。死神は、殺しはやらん」
「外の世界で仕入れた知恵って奴かい、この外来鼠が。稗田に賭博禁止を持ちかけたのも、どうせあんたなんだろう。自警団に無駄な権力を持たせて……」
「警察組織は必要だろう。品性のない集団はやがて崩壊するものだ。自制が品性をもたらす」
「ようっく分かったよ。あんたがあたいらを全く信用してないって事がね」
溜息を吐いた後、小野塚小町はようやく鎌を引いた。
小町の予想は、正に的中していた。
私は死神を信じていなかった。いや、彼岸の閻魔という組織自体に不信を募らせていると言ってよい。
生前の業により人の魂を裁くと云う閻魔。天国と地獄とを司る神。絶対的な善悪基準を持ち、人へ審判を下す彼岸の無慈悲なる裁判官。いわば、正義の化身。
確かにその存在は古くから信仰されている。
だが、少し考えれば分かる事だ。そんなものが存在出来るわけが無い。
何故なら、善悪の定義など端から曖昧なものだからだ。立場、時代、地域などで善悪は簡単にうつろう。絶対善、絶対悪など、言葉の定義からして矛盾している。人や妖怪、神でさえも、時の流れの中でうつろい行くもの。絶対的な善悪基準、『うつろわざるもの』など、この宇宙に存在できる訳が無いのだ。よしんば存在したりえたとしても、我々と同じ時を過ごすものでは有り得ない。
事実、私の知己である神格には閻魔など一人も居なかった。
だが、この幻想郷には閻魔を名乗る集団が存在し、何故か絶対的な権力を握っている。何処からともなく現れて、天国と地獄とを造りだし、何の権利があるのか、「勝手に」人の魂の行き先を決める謎の存在。しかも場所が無いだの、金が足りないだのの道理の通らぬ理由で人の行き先を「勝手に」、しかも「自らの都合で」変更する輩。傍若無人な権力者どころか、人の悟りを阻害する仏敵と表現しても過言ではないだろう。
そんなものを信頼出来る訳が無い。人の行き先は、人が決めるべきだ。
しかし今現在、閻魔達に人の魂の行き先を握られてしまっている事は事実である。間接的にとは言え、それは人里の支配を意味する。私が自警団を警察組織として昇華させようと働きかけている大きな理由の一つに、閻魔組織からの支配脱却があった。
私は毘沙門天の使者。正義の味方だ。
だが私は、絶対不変の正義など信じない。私の正義は、私だけのものだ。
彼岸、正統を欠く権力装置、正義を押し付ける強制者。その尖兵たる死神小町が私を睨んで低く抑えた声を上げる。
「この事はウチのボスにも報告させてもらう」
「好きにしろ。君のサボタージュが明るみに出ても良いのならな」
「……この小野塚小町を舐めるなよ」
小町は手の中で遊ばせていた証文を宙に放ると、その大鎌の早業でバラバラにしてしまった。
先程とは打って変わって鋭い目をしている。手にした大鎌はその肩に収まり、相変わらずゆらゆらと揺れているが、今度の動きには鋼鉄の冷たさを感じる。私を「借金を踏み倒そうとする小汚い小鼠」から、「閻魔組織に敵対するテロリスト」と見做したようだ。
「次に切り裂かれるのがあんたの首じゃないことを、せいぜい祈っておくんだな」
「ふん。たかが小鼠一匹だと見くびるなよ。私は毘沙門天の使者。龍にだって噛み付く鼠、正義の味方だ」
「あたいら死神は肉体に高下をつけない。その魂につける。あたいらの油断を誘おうとしても無駄さ」
そう言って、小野塚小町はふわりと消えた。たった一歩、足を踏み出しただけのように見えたのだが、いつの間にかその姿は掻き消えていた。歩法から縮地の類と見たが、この私の眼にも痕跡すら残さず消え去るとは、本当に大地が縮まったかのような速さだ。しかも旋風一つ起きていない。天狗とどちらが早いかは分からぬが、少なくとも静粛性にかけては間違いなく小町に軍配が上がる。
「あれが死神……兄があんな恐ろしい人からも金を借りていたなんて」
私に引き起こされて少し顔を赤らめながら、大毅は声を震わせた。
「死神は恐ろしくはない。彼女達は人を殺さない。人を彼岸へと連れて行くだけだ」
「しかし、貴女が居てくれなければ、どうなっていた事か……」
「もしもを論じても気が滅入るだけだ。今確かな事は、利一の借金が一つ消えた、それだけだろう」
私がそう言うと、大毅は曖昧に笑った。なんだか私はその笑みを不快に感じて、彼の視線に背で壁を作った。
大毅とその母を残して私がその場を去ったのは、自分でも分からぬ不快感からだけではない。
私の耳元に、微かに言葉が残っていたからだ。
「利一の死んだ原因を探れ……あの弟の為にもな」
去り際、小野塚小町はそう言っていた。
扉を開けた私を出迎えたのは、思いつく限りの不道徳と胸一杯の不愉快。恐らく寂れた宿場を改修したのだろうその建物には、一般に穀潰しと呼ばれる者達がたむろしている。外には太陽が燦々と照っているのに、ここは薄く煙立ち込め薄暗い。壁と床と天井とにこびり付いたすえたような臭い――酒と紫煙と人間の体液とを混ぜ合わせて腐敗させたようなこの酷い臭いに、私は顔をしかめた。
前方に広がる五十坪ほどの空間は、賭場の何たるかを端的に体現していた。よくもまあこれだけの不健康を詰め込んだものだと感心してしまう。集う半裸の男達はツボ振りが投げる賽の行方を白札片手に目を血走らせながら見つめ、隅の方で骨牌に勤しむ女達の手元は酒で覚束ない。けたたましい笑い声をあげて舶来のカード遊戯に興じる男女、満面の笑みを浮かべるその袂の陰からは如何様カードが覗いていた。閉めた襖の向こう側からは微かな振動が走り、それに合わせて女の押し殺した嬌声が低く響いている。阿片でもやっているのか、壁に寄りかかる虚ろな目の女は涎を垂らし、陰部を曝け出しながら何事か――恐らく客引きの文句を呻いていた。
場末と言う言葉がこれ程似合う場所もそうあるまい。それらを横目で見ながら、私は大股で奥の間へと向かった。
扉に近づくと、片手を懐に突っ込んだ屈強な男達が立ち上がり、私の肢体を上から下まで舐め回す下卑た視線を向けた。懐手には恐らく短刀、賭場の用心棒と言った所か。だが身のこなしで分かる、その練度たるや情けなくて涙が出るほどだ。私を取り囲んで威圧しようとしているようだが、小鳥に囲まれてもかちゃましいだけである。
雛鳥供は下卑たうすら笑みを浮かべながら戯れ始めた。
「何の用だ、お嬢ちゃん。ここはお前みたいな奴の来るところじゃねえ。それとも仕事を探しに来たのか? それならまあ、たっぷりと歓迎してやるが」
「おいおい、こんなガキじゃ客は取れんだろ」
「なに、好き者なんて幾らでもいる」
「よく言うぜ、お前もその好き者の癖に」
そうして喧しい笑い声を上げる。
私はもう堪らなく面倒臭くなってしまって、大きく溜息を吐いた。こういう輩のステレオタイプ的な振る舞いには辟易する。少し前には私の人相書きが出回っていた事もあったと言うのに、私の顔を知らんとは、こいつらは新聞の一つも読まないらしい。門衛もまともにこなせんなど、正に木偶の坊。いきなりの無礼にロッドで応える気力も萎えてしまった。
「……極道ごっこは堪能したか? もっと演りたいなら寺子屋へ行くがいい。週末にはお遊戯会をやっている。君達なら主役を張れること請け合いだ」
「ああ?」
私の挨拶に彼奴等は眉をひそめた。気の利いた台詞を言ったつもりだったのだが、私としたことが、こいつらの理解力の低さを考慮に入れるのを忘れていたな。
「ヒヨコ供にも分かりやすく噛み砕いてやろうか。失せろ、そう言ったんだ」
「なんだと、このガキ……」
「死体探偵が来た。とっとと回れ右して、雇い主に伝えて来い。私の慈悲深さに感謝しつつな」
私がそう言うと、ようやっと悟ったのか、雛鳥供は一歩引き、恐れの呻きを上げた。
「し、死体探偵か……」
悪名名高きかの死体探偵、その正体が妖鼠ナズーリンである事は、既に周知の事実である。
十数秒後、扉の奥に消えた雛鳥が戻って来た時には、見違えるほど低姿勢になっていて、厳つい顔に似合わず慇懃に私を奥の洋間へと案内した。それもまた、ステレオタイプの反応だった。どうにも、嫌いだな。
「随分流行っているようだ」
「いえいえ、滅相も無い。近頃はウチも不景気で」
開口一番の嫌味にも、賭場の主は嫌な顔一つせず愛想笑いを浮かべた。広げた扇子をパタリと畳んで、すっかり禿げ上がったその頭を叩く。椅子から立ち上がって両手を広げた賭場の主は私へ席を示したが、私はそれを無視した。もとより長居するつもりは無い。
「よく言う。客の入りは変わっていないように見えるぞ」
「いや、実は最近、商売敵が増えましてね。佐渡から来た女のやってる賭場なんですが」賭博主が語るのは佐渡の大妖怪、二ッ岩マミゾウに違いない。「どうにも客受けがするらしいんですな。ウチの上客も何人か取られちまいまして、まったく商売上がったりですわ」
そう語る賭場主の顔色は悪く、瞳の光は濁っている。部屋に漂うこの臭いは誤魔化しようもない。阿片だ。客に流すだけでは飽き足らず、自らも手を染めたらしい。その末路を知っているはずの男が、それでも手を出すなんて、本当に参っているようだな。
「あの狸女め、あいつの正体が妖怪だなんて事、こっちはお見通しなんですよ。妖怪野郎は早く博麗の巫女に退治されっちまえばいいのに……あ、こ、こりゃ失敬」
うっかり滑らせた口を慌てて噤んで、私へと怯えた目を向ける。おべっかとその影に隠れた害意には慣れているし、その程度で怒る私でもない。この男を叩きのめすとしたら、もっと別の理由だ。
不道徳の塊である賭博場。だが私とて、こういう場所が必要な事は分かっている。綺麗事だけで人は生きては行けない。泥の中でしか生きられない魚もいるのだ。よく生きる為には、ある程度の濁りにも目を瞑る必要がある。泥魚を清水の中にぶち込めば遠からず溺れ死ぬもの。清浄とは一種の毒だからだ。修行を積んだ聖者しか、その毒には耐えられない。それはもはや歴史的事実である。規律の厳格な宗教組織ほど腐敗は起こりやすくなるものだし、有名な禁酒法はギャングの台頭を招いてもいる。過度な禁欲は逆効果しか産まぬ。我々凡夫は堕落と上手に付き合う必要があるのだ。
だがしかし、物事には一線というものが存在する。
麻薬の密売は、濁りなどでは済まされない。
私はロッドを構えた。
「また阿片を売っているようだな」
「と、とんでもない!」もちろんこの問を予想していたのだろう、賭場主は両手を力いっぱい振って大げさに否定して見せた。「以前貴女に叩きのめされてから、さすがの私も懲りましたよ」
「だがここには、阿片をやっている奴らがいるようだが」
「貴女もご存知でしょう? ここは幻想郷、外界からそういうものも流れ着くんですよ。もちろんウチでは扱ってませんが、そんなものまで止められませんて」
自分もやっている癖によくも言う。私が気付いていないなどと本気で思っているのだろうか。
だがどうやら、阿片の取締にはマミゾウが動いているようだ。元極道の癖に、奴は麻薬の類を毛嫌いしている。任せても良いだろう。
だから私は、ロッドを降ろしてみせた。
「まあ、いい。今日の要件は別にある」
「おやまあ、ではどういったご用件で?」
「先日、この賭場で人死にが出たな」
「は? いえ、そんな事は……」最初、賭場主はぽかんとしていたが、やがて思い至ったのか、顔をしかめた。「ああ、あのゴロツキが野垂れ死んだあれですか」
「死の直前、ここで博打を打っていたらしいな」
「そうみたいですが、まさかあれもウチのせいだとおっしゃるつもりで? そりゃ横暴ってもんですよ。奴は雪の中で酔っ払ったまま居眠りして、間抜けに死んだって話じゃないですか。外傷だって無かったって。そりゃあここでも酒くらいは出しますけれど、そんなの何処でも一緒でしょう」
「嘘を言っているんじゃないのか」
「勘弁してくださいよ。こちとら稗田と自警団、おまけに何故か寺子屋教師にまでこってり絞られてるんだ。もうその話題には飽き飽きしてましてね」
そう言って、深い溜息を吐く。
「死んだ男、利一に恨みを持っていた人間はいないか」
「恨み? 恨みなんざ幾らでも買ってるでしょうよ。なんせここに来る奴らは大抵、方々で借金をしていますからね」
「この賭場で、誰かが奴に無理やり酒を飲ませたんじゃないのか」
「そりゃないでしょう。無理強いしなくても自分から飲んだでしょうからな。いつも酔っ払って騒ぎを起こして、こっちも迷惑していたんだ」
「ほう。貴様にも動機はあるようだな」
「馬鹿言わんでください。そろそろ出入り禁止にしてやろうと思っていた所だったんです。あんな穀潰し一匹、殺す価値すらもありゃしませんわ。正直な所、死んでくれて手間が省けましたよ」
吐き捨てて、扇子を開く。剥げた頭に汗が吹き出ているが、冷や汗の類ではなさそうだ。心底憎々しく思っていたのだろう。利一は金払いが良い訳も無く、闇雲に騒ぎを起こすだけの客だったのなら、邪魔に思って当然ではある。
「……それだけか。口を噤むのが上手なようだ」これ以上締め上げても無駄だろうと思いつつも、私は再びロッドを取り上げた。「なら、阿片の話にでも戻ろうか?」
「い、いや、勘弁してくださいよ。私等だって迷惑してるんですから。これ以上は何も……」
その時、賭場主がぽんと手を打った。
「ああでもそう言えば、一つ噂がありましたわ。なんでもあのゴロツキには付き添いがいたとかなんとか」
「付き添い? それは誰だ」
「大方、商売女か何かでしょうが、ま、ウチの奴らじゃないですな。あの夜も賭場を出る時に一緒だったとかで。なんでも、見ていた奴がいるらしいんですが」
「目撃者がいたのか」
「そういう噂があるってだけなんですがね」
どうやら、収穫はあった。
私は賭場主の机の引き出しを開け、阿片煙をくゆらせる煙管を叩き割ると、部屋を後にした。次は無いぞと言い残して。
賭場でさんざん聞き回ってみると、なるほど、賭場主の話していた噂は掃いて捨てるほど聞けたが、例の目撃者は見つけられなかった。付き添いの正体もまるで分からぬ。
各地の賭場を含め、里の中までも一日中探りまわってみたが、進展は無かった。もちろん部下も使ったのだが。何かが妨害しているのか、それとも探す場所を間違えているのか……。
言葉だけが一人歩きしているようにも感じる。これは操作された噂かもしれない。誰かが意図的に流したのか、しかし、何故? 何の目的でこんな事を。
そうこうしている内に日も暮れ始めた為、私は一旦拠点に戻る事にした。ひょっとすると、例の「付き添い」がやって来ているやもしれない、ついでに利一の墓にも立ち寄ろう。拠点からそう遠くもない事であるし。実は、利一の墓は無縁塚の一角にある。里の墓に入れるような金が大毅には出せなかったのだ。命蓮寺の墓地も勧めてみたが、仏教徒ではないからと断られてしまった。布施を警戒されていたのかもしれない。
利一の墓の前には、大毅が居た。
墓碑銘も何も無い、石を立てただけの簡素な墓の前で、大毅が立ち尽くしている。墓には花と酒が供えられていた。墓参りをしているのだろうか。その背が少し震えていたので、声を掛ける事を躊躇してしまった。
次の瞬間、大毅は墓を足蹴にした。
ガツガツと大きな音を立てて、何度も何度も踏みつけている。もともと石を立てただけの簡素な墓は簡単に傾いてしまった。
私は呆気にとられてその様子を見ているだけだったが、やがて我に返った。
「何をしている!」
鋭く叫ぶと、大毅が足蹴を止め、こちらへ振り向いた。
「探偵さん……見ていたんですか」
「どうした。何があった」
私は眉を顰め問いかけ、大毅は視線を逸して口を噤んだ。
しばらく待っても、大毅は立ち尽くしているだけで、語りだす様子は無かった。私は溜息を吐いて、傾いた利一の墓を元に戻した。
「最初に言ったはずだ。一人で墓参りに来るなと。無縁塚は危ない。有象無象共がたむろしている。襲われればひとたまりも無いぞ」
そう言っても、大毅は反応を示さなかった。
「……憎んでいたのか」
じっと大毅を見つめると、彼は目を伏せた。私はそれを肯定と捉えた。
「無理もない。失礼だが、いい兄であるとはとても思えなかった」
「……そうじゃない」
大毅はやっと声を絞り出した。
「兄は確かに穀潰しでしたよ。酒を飲んでは喧嘩をし、博打を打っては方々に借金を拵える。どれだけ迷惑を掛けられたか分からない。でも兄をそこまで追い込んだのは、俺です」
目を伏せ天を仰ぎ、頭を抱えながら。
「俺たちの父親は、兄と同じかそれ以上の屑でした。兄と幼い俺を抱えた母を残し、何処かへ消えてしまった。大量の借金を残してね。母は女手一つで俺たちを養いましたが、それには限界があった。兄は……家を出ていくしかなかったんです。老いた母親を養っている、なんて言えば聞こえは良いが、それまでの母親の庇護を俺は独占していたんです。俺は教育も受け、細工師の職にもありつけた。曲がりなりにも普通に生きて行けています。だけど兄はそうじゃなかった。生きる術を知らぬ内に世間へと放り出され、その身一つで生きてゆくしかなかった。もともと、俺達はそこまで要領良く出来てはいませんでした。そんな環境に身を置けば、兄が堕落するのは分かっていた。分かっていて、俺は見て見ぬ振りをしていた。俺は俺が生きるために、兄を切り捨てたんです」
苦々しげな、汚泥を吐き出すような口ぶりで。
「兄はただのゴロツキだった。生きる価値の無い、死んでしかるべき人間だった。だけどそれは、俺も同じなんです。だって俺は……ずっと思っていたから。早く兄が死んでくれないかと。そうすれば……この後ろめたさから開放されるんじゃないかって」
大毅はそこまで言うと、深呼吸をした。
「……そうか」
私は、それだけ言った。
「罵ってはくれないんですね。お前が兄を死に追いやったのだと」
「誰しも弱さはある。凡夫にも戦士にも、聖者にもな」
家族の事情に口を挟むほど、私は野暮な鼠ではない。
彼は確かに、世間で言われているほどの好青年ではなかったようだ。自分の保身に努め、兄の死を願った。
だが、誰がその弱さを否定できようか。誰しもが強く在りたいと願うだろう。だが実際にそう在れるものは少ない。それを成し遂げた者こそ、聖者と呼ばれる。しかし悟りを得るまでは、泥魚は泥の中でもがき生きるしかない。鼠が鼠でしか在れないように。
弱さは罪なのか。強く在れない事は罪なのか。悟れぬ事は罪であるのか。
いいや。それを裁く権利など、誰にも無いはずだ。
しかし大毅は、私へと非難の目を向けた。
「探偵さん。卑怯ですよ、そういう曖昧な態度は」
「かもしれないな」
私は曖昧に笑みを浮かべた。
「俺は……」
大きく息を吸って、大毅は私に背を向けた。
里まで送ろうと言ったが、大毅は拒絶した。涙を流していたのかもしれない、その肩が震えている。私はその背を見守るしか無かった。
それからしばらく私は別件に当たっており、無縁塚を留守にしていた。
月の満ちる夜。数日ぶりに無縁塚の利一の墓を見舞うと、その隣にもう一つ、無銘の墓が出来ていた。
数日前までは無かったはずなのだが、一体誰がここに墓を建てたのか。訝しく思って墓を調べていると、背後に気配を感じた。
「誰だ」
振り返った先には、鮮血のような色をしたツインテールに、巨大な鎌を背に担ぐ特徴的なシルエット。
「流石だな。気配には敏感なようだね」
「何をしに来た」
死神小町がその大鎌を揺らしていた。
私を斬りに来たのだろうか。私はロッドを斜めに構えて、全身の筋肉を緊張させた。小町の力量は、試すまでもなく分かる。強い。私の背中に冷たいものが走る。
だが小町は懐から煙管を取り出すと、煙草を飲み始めた。その表情に違和感を覚える。どうやら敵意は無いようだが、何と例えるべきか、そう、非常に無気力な顔をしていた。
「だが、思ったよりも察しは悪いようだ」
「何?」
「当てが外れた……いや、こんな事、酷だったな。誰にも分かる訳が無い。人の運命なんてものは」
私が眉を顰めていると、小町はゆっくりと紫煙を吐き出しながら、言葉を紡いだ。
「そいつは大毅の墓さ」
「……何の冗談だ?」
「襲われたのさ。あんたが留守の間に。この無縁塚で。有象無象共にな」
私は息を呑んだ。
死んだのか。
大毅が。
兄と同じように。
私が言葉を失っている間、小町は黙って紫煙をくゆらせていた。
「そして」
私が口を開こうとした時、それを遮るようにして小町が言葉を発した。
小町の瞳は、空の彼方を見つめていた。
「奴の裁判も既に終わった。奴は地獄行きだ」
「馬鹿な!」
思わず、私は叫んだ。
「もう決まったことさ」
私は瞳を開くと、小町へと突撃し、その胸倉を掴んだ。
「貴様……何の権利があって、無実の者を地獄へ落とす!」
「さてね……あたいはしがない死神さ。裁判の事は分からない。うちのボス、四季映姫様が何を考えて判決を下したのかもな」
「貴様達はいつもそうだ、絶対正義なんてものは名ばかりで、貴様達の都合だけで事を進める! それが正義であるものか!」
「だが」
小町は無気力な……別の言葉に言い換えれば、そう、やるせないといった顔で淡々と言った。
「だがあんたは、思い違いをしている。大毅は無実ではなかった」
思ってもみなかった言葉に動揺し、胸倉を掴む手が緩んだ。
「ど、どういう事だ?」
「分からないのか、ナズーリン。何故、大毅が無縁塚の墓地に一人で訪れていたのかを」小町の手が私の腕を掴む。死んだように冷たいその手は、少し震えていた。「あの日。雪の中に利一を置き去りにしたのは、大毅だったんだ。奴はここで言い訳をしていたのさ。『お前が死んだのは自業自得だ。俺のせいじゃない』……利一の墓前で、自分の罪の意識から逃れるためにな」
「そんな……」
絶句する私の腕を振りほどいて、小町は続けた。
「賭場には入らなかったようだが、よく大毅は酔った兄の介抱をさせられていた。あの日はきっと魔が差したんだろうな。もしかしたら、死ぬなんて思わなかったのかもしれない。『なんで俺がこんな事をしなけりゃならないんだ、少しはこいつも痛い目を見ればいい』……大方、そんな風に考えていたんだろうな。奴は自分の弱さに負けたのさ。結果、兄は死に、自らもその罪悪感に殺されることになった」
「何故、そんな事が君に分かる」
「当然さ。あの晩。酔いつぶれた利一と、それをおぶる大毅を見かけた目撃者ってのは、他ならぬこのあたい自身なんだからな」
私は拳を握りしめた。
「だったら何故……」
「死神は人の生死に関わる事を禁じられている。あたいたちは、人の寿命が見えるからな。見えすぎる目にも困ったものさ」
小町は再び煙管を手に取ると、火を点けた。
「きっと。あたいが大毅を咎めていれば、奴は捕まり死なずに済んだかもしれない。きっと。あんたが大毅を口汚く罵っていれば、奴は自首して死なずに済んだかもしれない。生きていれば、罪を償う機会も得られたのだろう」
立ち上る紫煙の向こう側で、小町の顔が刃になった。何者をも寄せ付けぬ、無慈悲な断頭台の刃だ。
「だが、あたいは死神で、あんたは正義の味方だった。だから奴は死に、その魂は地獄に堕ちた。それだけの話さ」
小町の赤い瞳が私を見つめた、その瞳の向こう側には、数え切れない程の業が渦を巻いていた。
小野塚小町がサボタージュの達人だと言われる理由が、やっと分かった。死神は人の生死に関わる事を禁じられている。彼女はその掟に反してまで噂を流した。大毅を救う道を私へと与える為に。私はなんて愚かな鼠なんだ。その機会を生かすことが出来なかった。
『卑怯ですよ、そういう曖昧な態度は』
大毅の言う通りだ。
私のちっぽけな信念が、彼を殺したのだ。
「……済まなかったな。損な役回りをさせちまって」
力無く座り込んだ私に、雨のように小町の声が降り注いだ。それは乾いた私の心に潤いをもたらす雨ではなかった。
ひょっとして、大毅は咎めを受けることを望んでいたのではあるまいか。
だとしたら。四季映姫、得体の知れぬ閻魔の、その一方的な裁きこそは、真に大毅の魂を救う道だったのかもしれない。
だが。
弱さは罪なのか。強く在れない事は罪なのか。悟れぬ事は、本当に罪であるのか。
私にはとても白黒つけることなど出来ない。きっと私に出来るのは、曖昧な笑みを浮かべる事だけなのだろう。あの時のように。
まあひどすぎるのは弟が地獄行きになる判決だけど
この話は自発的な愛情から正義感をだし頑張るナズーリンの話だけどなかなかからまわりしてしまって布団を噛むようなせつなさが歯がゆさと不快感がある それにしてもナズーリンは主人公が似合いますね 全キャラの中でも有数レベルで主人公力があると思います
だからナズーリンが主人公しているこの話を次回も心の底から心待ちにさせてもらえます
丸くなるのか四角か三角になるのか角だらけの不出来なものになるのかわかりませんが応援しております
ままならない世界を大股で歩いていくようなナズーリンが毎度毎度かっこいい
今回も面白かったです
以前にも増したキレの良さを味わわせて頂きました。