" />アンクル・トガズ・キャビン 第一話 地下生活者の分身 作者: お客さん
Coolier - 新生・東方創想話

アンクル・トガズ・キャビン 第一話 地下生活者の分身

2018/06/01 15:36:55
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 フランちゃんは紅魔館の地下室に引きこもってる。地下生活者なんだ、もうずっとね。

 皆も知っての通り、昔のフランちゃんはお姉さんのレミリアに閉じ込められてたから、外に出たくても引きこもるしかなかったんだよ。
 けど巫女と争った異変を契機に、色々と事態は好転して、最近のフランちゃんは紅魔館の中なら自由にしていて良いって、今ではそういうゆるい規制になってるのさ。
 だからとっくに自由なはずで、初めこそ彼女も館内をフラフラしていたんだけどね、今はそんなこともしなくなって、ずっと部屋から出てこないんだ。
 どうしてだろうね?

 こういうことには紅魔館で一番詳しい、魔女のパチュリーは次のように解説する。

「ムッキュン(咳払)、つまりこういうことよ。幼少期を人と触れずに過ごした妹様は人格形成が損なわれ、単純なコミュニケーションにすらストレスを感じてしまってるのよ」

 お話もまだ冒頭だってのに難しくて、ちょっと何を言ってんだか分かんないね。
 そこいらの流れとか、もっと分かりやすく説明してもらいましょう。

「そもそもね、彼女は自分の存在を否定された期間が長かったから自己肯定感が薄いの。そういう子は誰かに自分をさらけ出すことを怖れ、自己を抑制した交流にばかり終止し、やがて疲れ果ててしまう」

 これって分かりやすいの? どうなのかね、少なくとも俺には良く分からない。

 まあね、つまりさ、フランちゃんは行動範囲の制限を取っ払ってもらって自由になったまでは良かったんだけど、紅魔館の連中を相手にしてすら気疲れしちゃったらしいよ。
 気疲れってのは、周囲の優しさとかは関係なくて、コミュニケーション能力にのみ左右される事柄だからね。四九五年も幽閉されてちゃあ、コミュ力不足も仕方ないよね。
 だけど彼女は館主の妹なんだから、気遣いなんて一切しないで威張ってれば良いのに、そういうこともできなかったのかな。

「根が善良だから忖度しちゃうのよ。それに、そう、臆病なの。心が成長できてないから誰かに嫌われることを怖れ、悪く見られないよう見栄を張って、自己を演じ、疲れて……その結果、孤独に逃げ込んでしまう」
「ちょっと待ってよ、パチェ」

 おっと、ここでおぜうの横槍が入りました。

「私が気付いてないだけなのかもだけど、私にはあの子が何かを演じてるようには見えないわ。素のままっていうか、ワガママも言うし、好き勝手に弾幕ごっこしかけてくるし」
「私もそう思いますわ」

 瀟洒なメイド長さんも同意見みたいだね。

「妹様は御嬢様とそっくりです。気分屋で悪戯好きで、好き嫌いも沢山で、すぐ身勝手を押し通そうとなさり、強情で意地っ張りで、口を開けばその場しのぎの嘘ばかり。こんな気性で誰ぞへの忖度などと、ご冗談を」
「なぜかしら、私が叱られてるみたいな気分になってきた――」
「まあまあ咲夜さん」

 複雑そうに顔を伏せるおぜうの隣りで、内心のムカムカを隠せてないメイド長を取りなしたのは中華服の門番だ。

「妹様はあえて子供らしく振る舞ってる側面もあると思いますよ。何というか、その、幼びた気性って共感しやすい心模様ですから、わりかし身近に感じられるっていうか、御嬢様の憎めない性格と同じで」
「それって遠回しに私のことをガキって言ってない?」おぜうは口元を歪めて言ったよ。
「ムキュン(嘆詞)、あんたは現状を肯定するつもり? これは妹様を救済するための話し合いなのよ」パチュリーも呆れて言ったよ。
「そもそもあんたなんで参加してるの。門番の仕事はどうしたのよ。やらないというのは無いからね」咲夜さんはアメフトのコーチみたいにショッキングな発言をしたよ。酷い!

 皆に責められて、門番はガックリ肩を落として仕事に戻ったよ。可哀想だね。

「んで話を戻すと、フランの問題は心の未熟さにあるから、私達はフランが大人のレディになれるように導けば良いってことね」
「その通りよ、ムッキュン(相槌)。今の妹様はアダルト・チルドレンなのよ」
「なら今後はもう少しく厳しく接することにしま――」

 と、その時だった! フランドール・スカーレットが扉をバーンってさせて会議室に乱入してきたんだ!
 三人とも目を丸くしたけれど、すぐに立ち直ったパチュリーが口を開いたよ。

「ムキュフウ(息吹)、妹様、良いところに来たわ。皆から貴女に話が――」
「うるさい! 勝手に私を定義するな!」

 きゅっとしてドカーン、パチュリーは爆発四散したよ。

「フラン! 何てことを! パチェはあんたのためを思って――」
「うるさい! 今さら良い姉ぶるな! お前は悪い姉なんだ!」

 きゅっとしてドカーン、レミリアは爆発四散したよ。

「きゃあ、姉殺し!」
「うるさい! お前なんて嫌いだ! 死ね!」

 きゅきゅっとしてドカドカーン、メイド長は爆発四散したよ。

 こうして紅魔館はフランちゃんの手によって陥落したとさ。
 めでたし、めでたし。

@

 敷き詰められたレンガのゴツゴツした壁がローソクの光を乱反射させていた。
 ちりちりと薄明かりが照らし出すのは陽射も届かぬ地下の一室、メルヒェンな家具・調度にフワフワな人形達、片隅にある豪奢な寝台には部屋の主がちょこんと座っている。
「どうかしら」と、彼女の問いかける相手はスツールに腰掛ける中華服の門番だ。
「ううーん、なるほど。こういう展開になるのかあ」
 ラクガキめいた字で埋まる原稿用紙に視線を落としながら、紅美鈴は軽く首を振った。
「途中までは、すごく興味深い話だと思ったんですけどねえ」
「どこらへん?」
 ズズイと身を乗り出すフラン、察しの良い創想話の方々ならばもう御理解したに違いないが、先程の乱痴気な情景は彼女の書いた物語だったのである。そうなのである。
「ええと、私が退場するくらいのところまでですね」
「そこ! 自分でも巧く書けたって思ったの! 美鈴の不憫っぽさが出てるでしょう!」
 フランはまるでもう作品全体を褒められた気分になって喜んだ。
 美鈴はそんな彼女に優しい笑顔を返したが、ただ片眉だけ哀しげに垂れさせていた。
「でも残念だったところがありまして」
「ええ……どこお?」
「この物語では、私の大切な方々が三人も爆発してしまうんですよ」
「でも仕方ないのよ、それは。物語ってそういうものだもの」
 そう言って、フランは自分の上唇が視界に映るくらいツンと口を尖らせた。のみならず顔いっぱいに不機嫌の色を塗りたくり、この人の良い門番を睨み付けてやった。
 これはもちろん、物知らずな門番からの益体もない批評に拗ねたなどと、そんな低次元な憤慨ではない。フランとしては、作中で美鈴だけを生き長らえさせたのだから、もっと彼女が喜んでくれると思っていたのだ。
 美鈴は四枚くらいの原稿用紙を丁寧に合わせ戻し、うやうやしくフランに返した。
「私は一読者として、その、虫の良い意見に聞こえるかもしれませんが、誰も傷付かないままで物語が進んでくれたらなあって、そう思って読んでました」
「うーん、困ったなあ。物語の作者としては、あまり一読者の意見を聞きすぎるのも良くないし」
「……ダメでしょうか?」
「でも美鈴の言うことだもんね……考えとく」
 フランは譲歩した。さながら芸術家がファンに歩み寄る、尊大かつ傲慢なふるまい。
 それでも美鈴がパッと花開くように笑ってくれたので、やっと安心することができた。
「ありがとうございます、妹様。次の話を楽しみにさせて頂きます」
「えっへへん」
 フランは『えへへ』と『えっへん』が混ざった、自慢げな相槌をした。
「さあ、それはそれとして、もうお休みになられる時間ですよ」
「もうそんな時間?」
 楽しい時間は早く過ぎてしまうもので、就寝時間に至り、フランは美鈴に促されるままベッドに入った。薄桃色のシルク製シーツは滑やかで、ただどこかシンと冷たい。
 ゆえにフランは美鈴の右手を取って寝台の中に引き入れた。これでジンと温かい。
 美鈴は彼女がこういう勝手をしても文句一つ言わず、ただ優しく笑うばかりだ。
「あったかい」フランは悪戯っ子のように笑った。
「良かったです」と、それだけ。門番は言葉少なに応じた。
 決してエレガンスを語る女性ではないのだ、彼女は。ただ物事に鷹揚で、愛嬌に溢れ、さらに要所で機転が効く。多少ばかりの野鄙性を補って余りある尊さが彼女にはある。
 紅魔館の者達はそんな美鈴に特別さを感じている。それは友誼でもあり信頼でもあり、ことフランにとっては、その感慨は愛情という二文字だけで象られ得るものだった。
「ねえ美鈴、何かあなたもお話してよ」フランは甘えるみたいに言った。
「お話ですか?」すると美鈴は、甘えられることを喜ぶみたいに、笑ってくれる。
「そうよ。私の創作のタネになるかもしれないし」フランにとって美鈴は最愛であり――
「そうですねえ。では、こういうのはどうでしょうか――」美鈴にとっての自分もまた、そうでありたいと願っているのだ。

@

 昔々、あるところに(紅魔館)、フランちゃんという可愛らしい少女がいたんだ。
 どれほど可愛らしいかってえと、それをもう皆は知っているはずだから割愛するね。

 んで、最近の彼女は物語を創るってことにハマってるんだ。
 創想話の皆と趣味が合いそうだよね。すごいね、やったね。

 だけどそれに熱中しすぎて、なぜだか部屋から出てこないってんで、おぜうを始めとした皆は不安になってしまったみたいだよ。
 なんだか難しく考えて、三人でお話し合いをしてるみたいなんだ。
 鼎談ってんだよ、こういうのを。三人でお話し合いするって意味だよ。

 そんな状況を、怠け者でマヌケな門番から聞かされたフランちゃんはびっくり仰天さ。

「ちゃんと皆に話をしないといけないわ。行きましょう、美鈴」
「合点アルよ、フランちゃん」美鈴は某映画の橋本環奈みたいに言ったよ。

 フランちゃんはチャイナ娘を引き連れて、お話し合いをしてる三人の元を訪れたんだ。

「皆様、ごきげんよう」フランちゃんはたいへん立派なカーテシーを披露したよ。
「まあ、フラン。随分と部屋にこもっていたから心配していたのよ」
「むきゅむきゅ(たしなめ)」
「そうですわ、妹様。メイド一同、心痛めておりました」

 皆は口々にフランちゃんへの心配を語ったよ。
 心配をかけていたのは確かだったからね、フランちゃんは皆にごめんなさいしたんだ。

「心配かけちゃったみたいね。私ったら、新しい趣味に夢中になってしまって」
「あらあら、新しい趣味って何かしら」

 そうしてフランちゃんは皆に創作活動のことを説明したんだ。ついでに、その趣味に皆のことを登場させていることもね。
 すると今度は口々に不安の声があがっちゃった。そりゃあ多少はね、最初は誰しも懐疑的になるよ。
 だからフランちゃんは皆をどういうふうに書いてるか説明したんだ。

「お姉様はね、強くって勇敢で、でも上品で優雅で、カリスマ溢れる女性なのよ」
「それって私そっくりね!」

 おぜうは大満足してるみたいだよ。

「パチュリーはね、ちょっぴり難しい言葉を使うけれど、賢くって理論派で、それにマスコット的だから驚くほど親しみやすい、紅魔館の自慢の知恵袋なのよ」
「むきゅ?(懐疑)」

 パチュリーは首をひねってるけど、嫌な気分にはなってないみたいだよ。

「咲夜はね、瀟洒で洒脱で、紅魔館のきりもりをしてくれてる、敏腕なメイドさんよ」
「これはこれは、光栄の極みで――」
「ちょっと待ってよ!」

 その時だった! フランドール・スカーレットが扉をバーンってさせて会議室に乱入してきたんだ! 既視感!

 だけど、ここにはもうフランちゃんがいるから、もしかしたら分身かもしれないよ。
 ほら、彼女はそういうの可能だからね、フォーオブアカインドとか。

「勝手なことは止めてよ! 現実の私がバカみたいじゃない!」
「ああ、駄目アルよ、フランちゃん」美鈴は某映画の橋本環奈みたいに制止したよ。

 でも大慌てな美鈴をよそに、乱入したフランちゃんは慌てふためいているフランちゃんの肩をドンと突き飛ばしたんだ。そうしたらポーンとなって、尻もちをついちゃったよ。

「止めなさい、フラン! どうしてあなたはいつもいつもそう分からず屋なの!」
「うるさい! 私がこうなったのはあんたのせいじゃないか!」

 おぜうの迂闊なお咎めが、まるで火に油を注ぐみたいになっちゃった。
 もうこうなっちゃ破れかぶれさ。フランちゃんは激怒したよ。

「あんたなんかカリスマブレイクしてばっかのバカ当主よ! それに妹を四九五年も幽閉するサイテーの姉よ! あんたは悪い姉だ! 一生言い続けてやる、あんたは悪い姉だ!」
「う、うー」

 ああ、おぜうがカリスマブレイクしちゃったよ。端的にいうと泣いちゃったよ。
 良いお姉ちゃんになりたいもんだからね、彼女は。本当は前からなりたかったけどなれなくて、やっと最近なれるかなって思ってたら、妹から直々に悪い姉って烙印を押されちゃって。
 だから哀しくて泣いちゃったんだよ。

「む、むっきゅん(制止)」
「うるさい! あんたなんて役に立たない知識を振りかざして相手にマウントを取ろうとしてるだけの詰まらない女じゃないの! 私を定義するな! 私を見下すな! 救済なんて自己満足に私を利用するな!」
「むっきゅあ(否定)、ケホン、ケホン」

 ああ、難癖をつけられたパチュリーが喘息の発作に襲われちゃったよ。
 こういう時には口すぼめ呼吸がオススメさ。鼻で吸ってね、火男みたいに吐くんだよ。

「ああ、ああ、また気が触れなさったのですか、妹様。感情に任せて発言なさって……破壊されるのは相手の心だけではないのですよ。御自身のウツワこそ欠けて行き、遂には目も当てられぬガレキと成り果てるのです」
「うるさい! お前なんて、お前なんて、大ッ嫌いだ!」

 フランちゃんは腹立たしいメイド長をきゅっとしようとした。
 ところがね、ドカーンとなったのは、とっさに咲夜を庇ったもう一人のフランちゃんだったんだ。
 その結果、もう一人のフランちゃんは左肩から先が無くなっちゃったよ。痛々しいね。

「嘘……なんてこと、時を止めるのが間に合わなかった」
「良いのよ、良いの。咲夜、大丈夫?」
「私、私が、私のせいで、ううう――」

 ああ、クールなメイド長がもう堪えきれないって風な涙をホロホロさせたよ。
 彼女は美人さんだから涙も装飾品みたいだね。

 でもフランちゃんはまだ怒りが収まらなかった。
 左肩から出血しつつ倒れ伏してるフランちゃんのお尻を踏んづけて言ったんだ。

「私、あんたが一番嫌いよ! 誰にでも良い子ちゃんで、八方美人で、皆に好かれようとして! もううんざり! 私には無理なのよ! あんたみたいになれない!」

 その言葉はもちろん深い思慮の末ってわけじゃなくて、思わず口から溢れたって程度のものだったわけだけどね。思わず言ったってんだから、やっぱ余計に深刻だったんだよ。
 フランちゃんはうめき声を聞いたよ。きっと足下から、もしくはそのちょっと上から。
 どっちだろう。だって当然、その声は同じなんだから。
 本当はフランちゃん自身が呻いていたのかもしれないね。

「む、むきゅうん(そ、そこまでよ)」
「止めて、フラン。暴力は駄目よ。誰かを傷つけるなら、せめて私に、私になさい。私は何をされても我慢するから」
「妹様、何と愚かな……もはや狂気に魅入られてしまったのですか!」

 口々の批難を向ける者達に、フランちゃんは睥睨を向けた。だけど何にも言い返せない。どうしてこんなことをしたのか自分でも分かんなくなってたんだよ、この子。
 吸血鬼は、時として、一体何に唆されて自我を押し通しているのか自分でも分かんなくなっちゃうことがあるもんなんだ。人間みたいだね。
 そんでも結局、皆の泣き顔を見てたらすっかり白けちゃったから、もう帰ることにしたんだ。

「檻に戻るわ。そうしたほうが皆も安心でしょ」

 捨て台詞みたいにそう言って、フランちゃんは地下室に戻ったよ。

@

 生きとし生ける者達は、常に永遠というものを理解できない観念として、何か途方もなく大きな形而上の空間に浮かばせて考えている。
 しかし、どうしても大きなものでなければならないのだろうか。
 そこで唐突だが、そうした空間の代わりに、ちっぽけな地下室を考えてみたらどうか。
 レンガ造りの、ローソクのススだらけな小さな部屋。ふと見上げれば蜘蛛の巣。
 これが永遠だとしたら。
 低い天井や狭い部屋は頭と心を締め付ける。それを四九五年。
 定められていたわけではなく、無期として。いつ終わるとも知れぬ四九五年。
 きゅっと握りつぶせるほどの小ささな世界に、ドカーンと狂うのも当然ではあるまいか。あるまいか。
「ごめんね、美鈴。メチャメチャにしちゃって」
 ともあれ、美鈴が語った即席の物語を壊してしまったフランは、素直に謝罪した。
 寝台に連れ込んだ彼女の右手を、まるで恋人のそれを愛するがごとく腹に寄せて擦る。
「良いのですよ。私が無闇に、そう、交差させようとしたのが問題でした」
 あっけらかんとそう言って、彼女はフランを安心させる莞爾とした笑顔を浮かべた。柔和な顔だ――笑うと目が細まり、その長いまつ毛に隈取られ、得も言われぬ色香が生まれる。
 どこかシナモンに似た彼女の芳香に鼻をくすぐられて、フランは思わずドギマギした。
「ねえ、美鈴」
 たかぶる胸の、震える肺の、息をかろうじて吐き下すように言葉を発した。
「なんでしょ」
「なんだかまだ眠れそうにないから、今夜はここで一緒に過ごしてくれない? なんならね、一緒に眠っても良いのよ」
 情動を御しつつ、或いは情動に御されつつ、フランは美鈴をベッドに誘った。彼女の右手を自分の無防備なヘソに押し付けていたのは不安と期待に挟まれての手慰みだ。
 胸の動悸は痛いほどで、ただ美鈴の性格柄、拒絶などと残酷な反応が返るはずもなく、そんな彼女の善良性を熟知した上での、つまり逃げ道ありきの甘ったれた誘惑であった。
「たいへん心惹かれるお誘いなのですが、それはあまりに畏れ多いことです」
 結局、彼女の答えは理想主義的な遠慮、もしくは現実主義的な配慮であった。
 理想主義と現実主義は、その当事者が誠実かつ寛容でありさえすれば、その本質に違いはなく同じくして慈愛である。差異といえば、その対象を表示する形式ばかりであろう。
 美鈴の目に映るフランは、はたして、どちらであったのだろうか。
「それに私は紅魔館の門番ですからね。そろそろ職務に戻らねばなりません」
 いかにも心苦しいとばかりな口調で、遠慮がちに、彼女は首を振った。
「さあ、本当にもうお休み下さい。貴女の美しい寝顔を私に見せて下さい」
 渋々、フランは目を閉じた。瞼の裏は薄暗くて、靄がかっていて、地下室と大差ない。
「きっと良い夢を、妹様。良い夢を御覧下さいね――」

@

 夢ってなんかフワフワしてるよね、大抵の場合は。
 けど、この時のフランちゃんが見てた夢は、どうしてだか現実的だったんだ。

「美鈴?」と、瀟洒な声がした。「まだそこに居るの?」

 地下室に入ってきたのは、セクスィーなネグリジェ姿のメイド長だった。
 シースルーだよ! スッケスケだよ! 体のラインとかクッキリだよ! すごいね!
 ちょっと皆も気になってるだろうから詳しく描写するんだけど、え、要らない? 要るでしょ? 要るよね? 要るよ。正直に言ってみ、要るよね? はい、要る。
 そもそも進行上、俺にはこの夢の現実味ってやつをアピールする必要があるからね。不必要な下ネタは嫌いだけど、リアリズムとして物語を演出するためなんだから仕方ない。
 まあ多少は風紀に欠けるだろうけど、咲夜さんの描写をしていこうじゃあないか。

 まず肌ね。透けてる肌が、ヘソとか、すっごい白いよ。もうね雪、白雪姫、ああでも姫じゃないから白雪メイド。しかも雪は冷たいけど、彼女はきっと人肌程度には温かいからね。柔らかそうってのと併せると、最高だね。
 後ね、バスト。誰だよパッド長とかくっだらないネタ流行らせたの。たわわなんだぜ。右にタワッ、左にタワッ、併せてタワワッ。喩えるなら宝珠だね。仏様が手に乗せてても不思議じゃない、そんな神々しいおっぱい。
 次に、腰のライン。艶めかしい。ナマの粧しい。ナマって言葉にはエロスがあるけど、その臀部とか、ナマという単語で形容される全てが粧し込まれてる。ナマ意気そうに突き出た、ナマ唾な膨らみ。Fuu、ナマナマしい。
 足もね、やばいよ。彼女の良質なスタイルの源だからスラッとしてる。スポーティで、もはや俺達の心とか盗んで行きそうな、おみ足ね。オイオイオイ、違法だぜ。『密漁』します。だから気に入った! ベネ!

 まあ纏めると、雪みたいな肌に神々しい胸、生意気な腰に、心を密漁しそうな足ってこと。並べてみると何だかズレてる気もするけど、諸君はその官能性を理解してくれたはずだ。

 ここで余談ですが、ちょうど十年前の今日、とある天才デザイナーが亡くなりました。
 イヴ・サン=ローランという人です。
 若き日の彼はディオールに見出されました。やがて恩人の死後、窮乏の途にあったディオール・ブランドをその才覚によって救います。ブランドは落ちませんよ!
 そんなこんな若干二十一歳で故国から英雄と目されることになったわけです。
 その後、彼は天稟を冴え渡らせ、ある時にはパンタロン革命を引き起こし、またある時には巷間のエロスでしかなかったシースルーをファッションにまで昇華させました。
 やがて権威となった彼は、その地位に相応しい正しさを知っていたのでしょう、無聊を託っていた有色人種モデル達への謂れなき差別が撤廃されるよう尽力します。
 何? そんなのデザイナーが女性モデルを口説くための手管じゃないかって? バカ、そんなわけないでしょ、彼は生粋のゲイだぞ!
 とにかく創想話の我々とは分野こそ違えど、彼の功績を踏まえれば、まさしく偉人でした。尊敬に値する男でした。
 だから。偉大なるイヴに。愛すべきイヴに。俺は、このシースルーを着たエロ咲夜さんを捧げます。彼も男として冥利でしょう……あれ? まあ良いか。

 とにかく、そんなコケティッシュな恰好の咲夜さんが突然フランの部屋に来たもんだから、美鈴は大慌てさ。

「咲夜さん、人間の貴女がここに来るのは禁止と御嬢様が……」
「だって部屋で待っているだけじゃ貴女がいつ来てくれるか分からないでしょう」

 それは、普段の瀟洒な彼女らしくもない、甘えるみたいな声だったよ。
 だってメイド長って、ちょっと天然だけど、全体的にはクール・ビューティーなイメージだよね。この作者が書く咲夜さんは顔とかキツめな感じの別嬪さんって設定だしね。
 だけど、今の咲夜さんは、なぜだか舌足らずを装ってるみたいな、見かけによらない猫撫声なんだ。
 まあこれはフランちゃんの夢だから別にそういう変化?もおかしくないけどね。

「待ちくたびれたのよ、美鈴」
「――すぐに戻りますから」
「嫌よ。一緒に戻るの」

 そう言って、咲夜さんは美鈴の手を取ろうとしたんだ。
 けど美鈴の手は眠ってるフランちゃんに奪われちゃってるんだよ。
 それを目にした咲夜さんは途轍もなく嫌そうな表情をしたんだ。

「こんなことだろうと思った」
「そんな言いかたは……」
「ねえ美鈴。これはあくまでも時々のことだけれど、私だって、貴女にうんざりさせられることもあるのよ」

 ナイフのごとく鋭利な口ぶりに、美鈴は見るからにシュンとしちゃったよ。

「妹様が好きなのね、美鈴は。門番の分際で主の妹様に劣情を抱いているというわけね」

 からかうようで、半ば糾弾するようで、メイド長はきっと笑顔の仮面を被っていたんだ。

「そんな不浄な気持ちではありません。私はただ紅魔館の皆が仲良く暮らせれば、と――」
「あらそう……そうね、そうよね。貴女の劣情のありかは私だけが知っているはずだもの」

 今度は、打って変わって、ころんだ子供をなだめるママみたいな声調子だ。
 しかもそれだけじゃなくて、咲夜さんは、スツールに座ったままの美鈴を後ろから抱きしめたんだよ。あろうことかこんなSSで、そのうなじをちゅっちゅしながらね。
 ――うん、言いたいことは分かるよ。さすがに、あんまり宜しくない雲行きだね。

「咲夜さん、ここでそういうふるまいは……」
「嫌なら押し返してごらんなさいな」

 そう言いながら、メイド長は桃色の舌を猫科の生物みたいにペロッとさせてね、門番の頸動脈の辺りを舐めたんだ。今にも噛み付いちゃうぞって、そういう圧迫感でね。
 なのに美鈴は抗わないんだ。ママの抱擁が暑苦しいってんでイヤイヤする子供みたいに体を揺さぶるだけなのさ。
 とはいえ実際のところ、諸君も知っての通り、美鈴の右手はフランちゃんが掴んでいるからね。これじゃ押し返せないし、されるがままなのも仕方がないんだろうね。

「妹様が起きてしまいますよ、いけません……!」美鈴はヴィスパー・ヴォイスで言った。
「大丈夫、寝てるわよ。あなたはここで、いつもみたいに頑張ってくれればいいの」

 何を頑張るんですかね、ここは純朴なる青少年もいらっしゃる創想話なんですが。
 ともあれ咲夜さんは八点の時のセリフを言ったよ。そんで徐々にチョメチョメ行為を発展させていったんだ。今や美鈴のおっぱい撫でてるからね。美鈴の顔色はお猿でござる。

「美鈴、貴女も撫でてよ」
「……それが、その、私の手は」
「ああ、そうね。妹様に奪われてしまったものね」

 再び、忌々しげに、咲夜さんは美鈴の手が奪われてる現状を睨んだんだ。
 んでも、彼女はふと何かを閃いたみたいでね。ウシシって、プロレタリアが落ちぶれたブルジョアを見出した時のように、複雑かつ単純な心の綾をその顔に映し出したんだよ。

「妹様」と、その声は玉石が転がるみたいに響いたんだ。
「え、咲夜さん、何を」
「妹様、美鈴の手を話して頂けませんか」

 美しい一匹の女豹が獲物の死生を嗅ぐように、咲夜さんは、その耳元に口を近付けた。

「混ぜてさしあげますから」と、目もあやに、その紅色な唇は、薄く吐息を香らせて。

 一体何を言い出すのか。理解の追いつかない、その残酷な手招きを、彼女は口にした。

「分かっているのですよ、我々は。貴女の気持ちも、貴女が今や起きていらっしゃるってことも。その上気した頬を見れば分かります。混ざりたいのでしょう、この、これに」
「止めて下さい!」美鈴が殆んど叫ぶみたいに……いや、腹の底から絶叫したんだ。

 止めて下さい! 作者も日大の広報の人みたいに言った。そんなんされたら、創想話に投稿できなくなってしまう。全員からのエロな要望には応えられないですよ、全員の、全員からは。もう充分聞きました!
 かくなる作者の声は咲夜さんの耳に届かなかった。けれど、美鈴の切迫した声と、その目から堰を切ったみたいに溢れ出した涙には、咲夜さんも気付いたみたいだね。

「お願いします、そんな、そのような不浄なことは……」美鈴は涙淵に沈み、その悲嘆の泥濘で艶かしくも身を悶えさせ、殆んど服従の体となって懇願したんだよ。
「ああ、美鈴。貴女の涙の顔を見たら、すごく切ないわ。でも貴女は自分で顔を拭うこともできないのね。手を奪われてしまったのだものね。可哀相な美鈴」

 と、咲夜さんがそう口にした、その時だ。あってはならないが、あったんだ。
 美鈴の右手が開放された。――ノーコメント、作者はノーコメントだ。
 それを受け、美鈴の顔はね、もう絶望の表情に歪んだよ。瞳孔が縮まり、息が荒ぶる。せっかく手が自由になったってのに、彼女は涙を拭うってことを忘れてしまってるんだ。
 そんな中、咲夜さんが言ったのさ。

「ああ、なあんだ。やっぱり眠っていらっしゃったんですね」
「え――?」美鈴が怪訝の声をあげた。

 え――? 俺も怪訝の声をあげた。何言ってんだ、こいつ。もう訳分かんねえよ。
 諸君、とりあえず咲夜さんの言葉の続きを聞いてみようぜ。

「レム睡眠に入ったのよ、妹様は。だから骨格筋が弛緩して、貴女の手が自由になったの」
「レ、レム睡眠ですか?」
「そうよ。入眠後、一時間ほど眠り続けるとノンレム睡眠からレム睡眠に切り替わるの」

 な、なるほど! 作者は大学に入学した時、祖父にハリソン内科学(重い)をプレゼントされたけど、確かにそれにそんなこと書いてあった気がする! すごい、メイド長は博識だな! それに瀟洒だぜ!
 ちなみにレム睡眠だけじゃなくノンレム睡眠の時にも夢を見るって昨今では言われてるから、やっぱりここはフランちゃんの夢であって矛盾はないからね。それだけ言っとく。

「だから妹様は確かに眠り続けているってわけ。さっきのは貴女を怖がらせただけよ」
「そ、そうでしたか。良かった、私、本気にしてしまって……」

 美鈴はホッとしたんだろう、メソメソと子供みたく泣いちゃったよ。右手で顔を拭ってるけど、涙の量には足りてないね。
 咲夜さんはそんな美鈴をあやすように抱きしめたんだ。よしよしってね。
 そんで肩のほうを撫でながら、獲物を味見する女豹の息遣いで言ったよ。

「こっちの具合はどうなの?」
「……永琳先生は私の体質など鑑み、三日ほどで元通りになると保証して下さいました」
「ふうん、生えるのかしら……どっちにしろ残念ね」

 まあたメイド長が物騒なことを言い出したよ。笑いながら言うんだから、怖いよね。
 美鈴はビクリとして、でもそこは門番としての矜持もあってなのか、詰るみたいにして咲夜さんに問いただしたんだ。

「どういう意味です。咲夜さんは私を愚弄なさるおつもりですか」
「あら、そんな泣顔で凄んでも怖くないわよ。――あのね、貴女が得たこの不具は、私にとって何にも代えがたいくらいの宝物なの」
「宝物?」
「そうよ。これは、この傷跡こそはね、貴女にすればこれまでの努力が水泡に帰した実証なんでしょうけど、私にとってはその身を盾として護ってくれた証明に他ならないもの」

 そう言って、メイド長は門番の左肩にキッスをしたよ。少し長めのやつをね。

 このSSのテーマってか題材からは外れることになるけど、二人の状況を金閣寺の柏木的に説明するなら『仮象が実相に結びつこうとする迷妄』ということになるんだろうね。
 美鈴という仮象は疵痕という実相ゆえに絶望し、咲夜という仮象は疵痕という実相ゆえに恍惚する。疵痕という実相は二人の正反対な感情の拠り所であり、行き場のない情動を乱れさせて耽溺させる。
 互いが互いに溺れるに足る正当な迷妄を既に得ているわけだよ、彼女らは。寧ろ、手を伸ばさなくちゃアップアップってなもんでね、仕方ないっちゃ仕方ないことなのかもね。

「ねえそうだ、いっそ治さないってのはどう? このままで、手は妹様に捧げましたって理由をつけるのよ。妹様はきっと貴女を見るたび後悔して大人しくなるわ、まるでサーカスのムチを知ったケダモノみたいに――」
「止して下さいよ。それは冷酷です。残忍です。およそ良識から外れた行いです」
「うふふ。貴女は自分の臆病さを良識と取り違えて気休めにしているだけよ、弱虫美鈴」

 嘲笑するみたいに、いや確かに嘲笑して、彼女は言ったんだ。
 そうしたらね、美鈴は唇を噛み締める表情で、咲夜さんの頬をパチンとしたんだ。痛めつけるためというより、そうすることでしか自分の意志を伝えられなかったんだろうね。

 作者としては、あらあら美鈴ったらこんなことして、きっと咲夜さんは怒るだろうな、こういうのはちゃんと怒られろ、って、そう思ったんだけどね。
 彼女、叩かれたことを気にも留めないでね、ぶった右手を取って自分の胸にあてがったんだよ。ほら、あの神々しいおっぱいさ。つまりそこに手を当てた美鈴は仏様だね。

「興奮した貴女も好きよ、美鈴。ここでする?」
「貴女の品位を下げる場所でないならば、私はどこででも」悟りを開いた仏陀みたいな、抑揚のない無機質な声音で、彼女は言ったよ。
「そうよね、ここでは嫌よね。愛する人のほかに見られる趣味は私にも無いのよ、美鈴」

 やがて手を引かれてスツールから立ち上がった美鈴は、少しだけフランを見やり、その唇を靭やかな掌でソッと撫でた。安らぎを祈るように、また同時に許しを請うみたいに。
 でも咲夜さんに急かされて、名残惜しげにしつつ地下室を出て行ってしまったのさ。
 んで咲夜さんはね、女豹みたいに挑発的な笑みをフランに向けて去っていったんだ。

 そのまま時間にしたら三十分後くらい、SSにすると一行後、フランちゃんは目を覚ました。
 そうしてね、隣りに美鈴が居ないことを淋しく思ったんだ。けど仕方ないよね、きっと門番に戻ったんだもの、彼女は。

「……そんなの嘘っこよ」

 おやおや、どうして。さっき美鈴は君にそう言ってたじゃないか。彼女を疑うのかい?

「だって美鈴は咲夜が連れてっちゃった。女豹みたいな、あの、破廉恥なメイドが」

 破廉恥だってさ。そんな言葉、どこで覚えてきたんだろうね、この四九五歳さん。
 あのねえ、フランちゃん。君は今、夢の世界で目を覚ましたわけだけど、だからって何でもかんでも知っていなくたって良いんだよ。寧ろ、そんな穢らわしい部分なんざ知らんぷりすりゃ良いじゃないの。

「でもムシャクシャするのよ。私、咲夜のこと大嫌い。美鈴に愛されているんだもの」

 君だって愛されているじゃないか。だから美鈴はさっきまで君のそばに居たんだぜ。
 それに美鈴はね、咲夜さんや君だけじゃなくて、おぜうとかパチュリーのことも大好きなんだって、彼女自身がさっき言っていたよ。君も聞いていたでしょうに。

 それとも何かい、君は美鈴が他の誰かを愛していると知った以上、もう前と同じように美鈴を愛せなくなったと、そう言うつもりかね。
 太陽が昇る時と沈む時で、君は太陽への愛情を変えるというのかね。
 それこそ『白夜』でもなければ、君は太陽を愛せないとでもいうのかね。
 まあ太陽は連れて行かれたんだけどね、昨夜の咲夜に! わはは!

「うるさいな、ここは私の夢なのよ。私の好き勝手がまかり通るはずじゃないの」

 そんな強がり言うのならさ、君はメイド長をドカーンてさせれば良かったじゃないか。そう、さっきの美鈴の物語で、君がフランちゃんの左肩を破壊したみたいにね。
 咲夜さんの生首を放って「これはあなたのものです!」なんて言ってみなよ、美鈴は発奮して君を愛するかもしれない。――発狂するかもしんないけど。
 まあどちらにせよルーレットの『0』が来るくらいの確率さ。ラヴの配当は三十五倍、とんだ『賭博者』だ、文豪になれるぞ、わはは!

「だって、それは、そんなことしたら……起きた時が怖いもの」

 そうだね。目を醒ましたら残骸が一つじゃなくて二つだった――なんてことになれば、それはショックだし、嫌だものね。そこまで壊しちゃったらもう治らないだろうしね。
 さすがフランちゃん。危機管理能力の達人! ワザマエ!
 でも、そんな類いのこと言い出したらまた紅魔館の者達に精神病者扱いされてしまいますから、どんなことがあっても『妹様の夢』を見たことにしないとダメですよ。

「……ねえ、少し不安になったんだけど、さっきの美鈴に左腕はあった?」

 あったかって? なかったかって? 知らないよ、そんなの。仮に悲劇があったとして、起こる前に知ることと起こってから知ることに大した違いはない。
 そうさ、所詮どっちにも有罪判決が下される。監獄か、発狂か、『罪への罰』だ。

 それとも君は自分で、それこそ死にかけた犬に命令するみたいに「よみがえれ、美鈴」とでも口にするつもりなのかい。それなら寧ろ「死ね、美鈴」って命令のほうが、君には余程と合ってる気がするけどね。
 尤も、これは人の生血を吸って生きる君達『スカーレットの姉妹』には皮肉にもなりゃしないか。わはは!

「でも……私が壊したのって、美鈴のお話の中の私よね? そうだったでしょ?」

 そうやって夢見がちに生きて、現実に夢を混同させて、君は今までやってきたんだ。
 君のこれまでの生活の中で現実が夢よりも良かったことなんて一度としてなかったろう。だから君は『鰐』の腹の中に甘んじている。目の前に自由がぶら下がっても、結局ね。
 良い夢をね、フランちゃん、良い夢を! 君の砦は夢だ、夢だ、夢ばかりだ! わはは!

「なによ! こんなの私の夢じゃないわ! 他の誰かよ、誰かが勝手に仕組んだのよ!」

 おやおや、まさか! それは勘違いだよ、フランちゃん!
 これまでの物語も、この俺の台詞も、君の頭の中が即席に創造しているものさ。
 何度も言ってるように、これは夢だからね。すなわち一個の創作と大差ない。
 だからね。仮に、その誰かが存在するとすれば、それは君の『分身』に違いないんだ。
 謂わば、地下室の産物だよ。四九五年間、君がここで覗き見してきたものだけで、君は世界を勝手に妄想して創り上げている。地の文とて、こうも軽薄になろうというものさ。

「嫌だ、そんなの嫌だ、うう、違う、こうじゃない、嫌だ、私は私だけだ、お前は私じゃない」

 何が不満なんだい、フランちゃん。恐ろしいのかい。いつも厚かましい君が、そうやってビクビクするなんて。自意識にもたれて脂下がってる君はどこに行ったんだい。
 大丈夫、次に美鈴と会った時にはきっと全てが元通りになってくれているはずさ。
 左腕? なんのことでしたっけ、って、美鈴は普段と同じようにそう振る舞うぞ。
 何せ、ここには病人が居るんだ。心のね、心の、病人が居るんだ。その病人がギャアとかウワアとか胸を掻きむしるたびに、心優しい彼女は慰めずにはいられないんだ。
 そのくせ相手の具合の区別が付かず、ただ叫び声をなだめるばかり。あんまり同情するもんだから心の平衡を失って、遂には自分が涙していることすらも分からなくなる。
 分かるかい、彼女は『白痴』になるってことさ。君のためにね、君のせいで。わはは!

「そんな、だってそんなの……どうして美鈴は私を責めないのよ」

 それはね、君を愛しているからさ。
 それはね、もう君を正気に戻すことを諦めてしまったからさ。
 それはね、おぜうに遠慮しているからさ。
 それはね、君が責められたくないって顔に出しているからさ。
 それはね、君から向けられた情動を袖にする良い口実ができたと思っているからさ。
 ボボーク、ボボーク、ボボーク! 耳に響かせよ、ポリフォニーだ! カーニバル文学だぞ、わはは!

「止めろ、黙れ『悪霊』め! ここが私の夢なら、ここに美鈴を呼び返してよ!」

 無理だよ、そんなの。だって君自身が無理だって思ってんだから、できるはずないじゃないか。彼女は今頃、咲夜さんと一緒に、実相世界へと溶けてしまっていることだろう。
 すると君にはね、たった独りで仮象に溺れて沈んでいく道しか残されていないんだよ。

 さあほら、発想力の貧困な夢のように、棚の人形達が動き出したぞ。君を慰めるためだ。
 クマさんがいる、ネコさんもいる、サルとイヌの人形が取っ組み合いのマネをして君のお腹に転がり込んで来る。人形達は君のことが、だあい好きなんだぜ。
 なぜって、彼らもまた君の分身なんだ。彼らは君の気持ちを十二分に分かっている。
 良かったね、フランちゃん。君はこの地下室で永遠を過ごすだろう、分身達と一緒に、独りでね。

「そんなの嫌だ! 美鈴、美鈴が助けてくれるわ!」

 ……君がそう思うならそうなんだろう。ここは君を否定しない、君の夢だからね。

 だけどこれだけは言っておくよ。それは今じゃないし、そうそう近い未来でもない。
 君のような地下生活者はね、それこそ四九五年間でも閉じこもっていられるんだろうけど、いったん外に飛び出したら最後、それこそモラルの首鎖が切れたみたいに、壊して、壊して、壊しまわるものなんだ。
 だから美鈴は時間をかけた。でも失敗した。今後は、もっと時間をかけるに違いない。

「美鈴、美鈴、美鈴!」駄々をこねるみたいに、フランちゃんは泣き叫んだよ。

 そうしたらフランちゃんに合わせて、人形達も唱和した。美鈴、美鈴、美鈴!
 不気味に幼びた人形達の声が怒涛のような勢いになって、ほとばしった美鈴の名は耳を潰しかねぬ反響となった。美鈴、美鈴、早くおいで、と、可愛い主の代弁するみたいに。
 きっと彼女は素晴らしい仲間に成ることだろうさ、こんなに歓迎されてるのだから!

 ――でも、あれれ、人形達の反応は彼女の幼心に却って恐怖を与えたみたいだ。
 この子ったらガタガタしちゃって、今度はね、まるで人が神に祈るみたいなポーズを取ったんだよ。吸血鬼のくせにね。吸血鬼に神は居ないぞ、発狂かな?

「どうか、美鈴、ああ、許して……!」

 まあ好きに祈りたまへ。こと生きとし生けるものにとっちゃ祈りは悪いもんじゃない。
 祈念するたびに、その心願が真心から出たものなら、やおら新しい感情が閃くだろう。
 そうして、その感情の中心に君のこれまで知らなかった新しい思想が生まれ出て、君をいっそう勇気づけるに違いない。フョードルが、確か、そんなん言ってた気がする。
 美鈴はこのSSでは仏様になってたし、祈りの対象としては悪かないはずだ。

 んでもまあ、少なくとも今夜は咲夜さんが連れてっちゃったわけでして……生憎、今の『未成年』的な君の幼稚さでは女豹に太刀打ちできそうにないかな。
 そも君には貧相な小娘の体しかないしね。

「うるさい!」フランちゃんが激昂したよ。痛いとこを突いたのかもしれない。「咲夜が女豹なら、私は強い雌獅子になるわ! 見てなさい、美鈴を奪ってみせるんだから!」

 おや、雌獅子ってのは興味深い閃きだ。君自身が信じるなら、それは不可能じゃない。
 地下室に獅子が居るって、それはきっとシベリアの密林に獅子が居るって妄言に等しいんだろうけど、君が進退窮まってそれを覚悟するのであれば、夢は叶えてしんぜましょう。

 そんでその宣言に触発されたんだろう、人形達がね、ウィモウェ(貴女はライオン)って、フランちゃんを讃えるようにして、彼女を中心に輪を作って踊り始めたよ。
 ア・ウィモウェ、ア・ウィモウェ、手拍子を、ア・ウィモウェ、ア・ウィモウェ、足拍子も、ア・ウィモウェ、ア・ウィモウェ、ご一緒に、ア・ウィモウェ、ア・ウィモウェ。

 なるほど、悪くない。どうやらこのSSも歌と踊りでエンディングを迎えるらしいぞ。
 なんだか暗くなりそうなストーリーだったのに、希望もあって良い感じじゃないか。
 この急展開はきっと創作者の技倆だろうね。或いはただの情緒不安定だ。

「じゃあ、このまま美鈴のところまで行くわよ!」

 ええ……って、少しだけ困惑はあったけど、まあまあ良いかもしれないね。
 修羅場を通して『白痴』の筋書きをなぞるのも悪くはない。ドジを踏んだらお蔵入りになりそうだけど、それでも、こんな大騒ぎで押しかけるのはやはり愉快だろうさ。
 描写をチーク・ダンスとかで誤魔化せば、そこで二人がどんな振る舞いをしようが大した問題にはなんないだろうし、そのくっだらない抽象こそが文筆の強みと言えましょう。

 そんなわけで、フランちゃんはマーチみたいに人形達を引き連れて地下室の扉を開いたんだ。

 そうしたら外にはスーツ姿の男性達が令状的な何かを片手に立っていた。

「著作権についてどうお考えですか?」

 あ、大変、ジャ○ラック。いや、違うって、このSSのはウィモウェって一般的な単語を何度か繰り返してただけだって――うわっ、入ってきたぞ! 強制捜査だっ、逃げろ、みんな、逃げろ!
 止めろ、大騒ぎすんな、フランちゃんがさめちゃうだろ――ああ、ジャ○ラック、この仕事熱心さんめ! 逃げろ、逃げろ。夢が霧散するぞ、霧散したら全部が晒されるんだ、ああ、ああ、夢が霧散す――。

@

「全部思い出した……!」
 真実を語る者は機知のない愚者だけである。美鈴は愚直だが、愚者ではない。
 つまり虚実のラジカルな曖昧化は、フランのための彼女の優しさだったのだ。
「私が壊した!」
 フランはわなわなと震え出した。彼女の内部に凝固していたものが一瞬時に柔らいで、どっと涙があふれ出た。
「私が美鈴の左肩を壊した!」
 寝台の上でひざまずき、独りきりで、フランは泣いていた。
 地獄とは何か、それはもはや愛せないという苦しみである。はたして地下室は地獄であった。
 やがて五分、いや、それ以上の時が流れた。
 フランの体の震えはなおも続いていた。吸血鬼の身を焦がせる太陽は既になく、夜分の冷気は滂沱たる全身を苛めた。周囲はとうに杳として、徐々に、陰りを増していった。
 ゆがんだ燭台のもえさしのローソクはもうかなり前から燃え尽きようとしている。
 永遠を過ごすには窮屈な地下室で、不思議なSSを読むために集った諸君のために、その気狂いを照らしたローソクは、今なおも照明としての役割をまっとうしているが、それも、もうおしまいだ。
 ローソクの火は消えねばならない。諸君を狂者より開放するため、SSは終わるのだ。
 灯心が断末魔のような黒煙をあげた。ああ、もう消える、消える。
「消えないで!」フランは懇願した。「おかしくなりそうなの! 止めて、消えないで!」
 彼女の譫妄めいた叫びは虚空に吸い込まれて行った。幽かな灯火はフッと掻き消えた。
 暗闇の幕が舞台に降りた。緞帳の向こうからは気の違った悲鳴が延々と響いていた。

@

 ――わはは!
『ところで、ひとつ現実に返って、ぼくからひとつ無用な質問を提出することにしたい。安っぽい幸福と高められた苦悩と、どちらがいいか? というわけだ。さあ、どちらがいい?』
「安っぽい苦悩なら俺にも書けそうなんだけど、それじゃダメなのかね、やっぱり」

 かいてわかったけど、気がふれているキャラクターってかくのむつかしいです。はたして、ちゃんと等身大のフランちゃんをかけたんだろうか。
 おれはまったくせいじょうな人ですからこまっちゃいますね、わはは!

 ……まあそそわの肥やしくらいにはなったかな。でももう暗くて1000点はちょっとむりそうね。
 なのでもうかいてもらいました。わあい。

 フョードル・ドストエフスキー(1821-1881)
 モスクワ出身、実存主義のパイオニア。貧民救済病院の医師の次男として誕生。工兵士官学校を卒業後、工兵局に勤めるが一年ほどで退職、作家を目指す。1846年、処女作『貧しき人々』を上梓、絶賛されて華々しい文壇デビューをはたす。ところがこれで天狗となり、同年、読み手のことを考えない文章量の『分身』という小説を出版、その冗長さに周囲を辟易とさせる。そうして評価を得られずに鬱屈した挙句、社会主義サークルに所属、当然ながら逮捕され、死刑判決を受ける。銃殺の直前、特赦を受け、オムスクで1854年まで服役。1859年『伯父様の夢』、1864年『地下室の手記』、1865年『鰐』と次々に滑稽な小説を発表し、1866年『罪と罰』で満を持して文壇に再来するも、同時代の天才・トルストイの至宝『戦争と平和』と比較されるという大不運に見舞われる。もちろん世評は残酷であり、1868年に一念発起して書かれたのが乾坤一擲の神品『白痴』であった。晩年には、自身の集大成『カラマーゾフの兄弟』を脱稿し、その数ヵ月後の1881年1月、ペテルブルグにて肺気腫のため急逝。神と狂人と幻想を愛した人生であった。

 江川卓(1927-2001)
 東京都出身、ロシア文学者、『すぐる』ではなく『たく』と読む。本名・馬場宏。ロシア文学者・外村史郎の長男として出生。戦時中に独学でロシア語を習得、敗戦後は北朝鮮でロシア人を相手に研鑽を積む。1951年に東京大学法学部を卒業、東京工業大にて第二外国語の教鞭を執りつつ、1954年にレーニンの『文学論』を翻訳、近代ロシア文学の翻訳・研究に取り組み、1958年に同大教授となる。明快かつ易しい翻訳で多くの文士達より敬愛され、1974年にはNHKで『ロシア語会話』の講師を担当するなどマルチな才能を発揮、1987年には柔軟な視点からドストエフスキーを眺めた『謎解き「罪と罰」』で読売文学賞を受賞した。2001年、杉並区にて気管支炎のため逝去。ドストエフスキー以外の翻訳には『イワン・デニソビッチの一日』、『ドクトル・ジバゴ』などがある。故人を偲ぶに、今やきっと念願を叶え、揚子江の川波をアテに美味い卓酒をあおっていることだろう。

>>11 (6/12)
ありがとう、直しました。あなたにこころからかんしゃします。

8/16
 まさか1000点こえるとはね。みんな、よんでくれてありがとう。

 米川正夫(1891-1965)
 岡山県出身、ロシア文学者。少年時代からツルゲーネフを愛読し、1909年に東京外国語学校(現・東京外国語大学)ロシヤ語本科に入学。そこで終生の友人・中村白葉に出会い、在学中に雑誌『露西亜文学』を創刊、翻訳を始める。1912年、大学を首席で卒業後、旭川第七師団のロシア語教師として北海道に赴任。1914年に新潮文庫より『白痴』の翻訳を出版するも、1916年に第七師団を辞任、翌年に大蔵省へ入省する。ペトログラードに駐在し、当地にて十月革命を体験した日本人の一人となる。帰国後は陸軍大学校や明治大学にてロシア語を教えつつ、翻訳生活に入る。1931年、白葉と共に『トルストイ全集』を岩波書店から刊行、1941年よりライフワークの個人訳『ドストエーフスキイ全集』を開始し、1953年には全18巻が完結、この翻訳の功績を讃えて読売文学賞を受賞する。1965年末、食道癌のため死去。後に山本夏彦は、米川らについて「文法的に正しくありたいあまり、彼らは日本語のリズムを失った」と評したが、その文体こそ日本にてロシア文学を涵養せしめた偉大なる功績の曙光であった。大目に見ては頂けぬものか。
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コメント



0.220点簡易評価
1.90点怠惰流波 削除
いつもより難しかったですが、楽しめました。

18禁に片足突っ込みかけた時は、ヒヤヒヤしたね。あとむらむらもしたね。
来月も地下室で待ってます。すずなあんで待ってるかもしれない。鈴奈庵の地下室でいいや。
2.70点奇声を発する程度の能力 削除
良かったです
6.無評価名前が無い程度の能力 削除
むちゃくちゃでした

プロットが迷走していて話を理解させようとする気持ちが一切なくて
ギャグだけいつも通りのくせにいつもの優しさを感じさせない構成で
下品で猥褻で
気狂いという存在の醜さを露悪的に見せて
どうしようもなく根腐れした性根を見ました

実にドストエフスキー的だと思います
肥やし、というのはたぶんあなた自身にとってでもあるのでしょう

次も読みます
7.90点名前が無い程度の能力 削除
ここ向きじゃない
でも嫌いじゃない
8.30点名前が無い程度の能力 削除
言語記述能力の高さ+150点

言語表現の薄っぺらさ-120点

キャラクターをただ記号に還元しただけの、血の通っていない文章だと感じました。
10.100点名前が無い程度の能力 削除
トガってんな
11.無評価創想話好き 削除
『借り物の言葉』と感じてしまう。作者がどんな言葉にしたいか分かり難い。はっきりしない気持ちは伝わり難い。心の整理が悪いか。ためらいがあるのか。上の方も言及してますが心を明瞭にするためにもプロットは大切。でも書いてる内にどーとなる事もある。私は知らん

水泡に化した >帰した
12.60点名前が無い程度の能力 削除
地の文さんが人格をもった小説もっと流行れ
14.80点名前が無い程度の能力 削除
貴方はこうゆう側面もあるのですね
15.100点名前が無い程度の能力 削除
なんだ、すばらしいじゃないか
16.100点名前が無い程度の能力 削除
新しい風が吹いた!
17.100点名前が無い程度の能力 削除
狂気的
19.60点名前が無い程度の能力 削除
これも良くできてると思うけど小鈴ちゃんの話をもっと見たかったです