「だからねぇ、清蘭ちゃんはもうちょっと愛想よくしたら良いと思うんだわ」
うっさいわね。なんでアンタなんかに良い顔見せてやらなきゃいけないのよ。
「ウチとしても、清蘭ちゃんのとこがあそこ、えー……なんだ、そう、鈴瑚屋だっけ? あすこの客を全部奪うくらいの人気になってくれりゃ、品物卸す側として顔が売れてありがたいからねぇ。それが先月もその前も数字は横ばいですってんじゃ、わざわざおたくと取引してる甲斐がないってもんでね」
知らんがな。アンタに良い思いさせたくて店やってんじゃないのよ。
「もともと競合店の多い団子屋界隈に、突如殴り込んできた美少女屋台が二軒! なんて最初は注目されたけど、やっぱり物珍しさだけじゃあねえ。鈴瑚屋は味でしっかり常連を確保してるって言うじゃあないの。このまま負けっぱなしでいいの?」
どうでも良いわ。こちとら団子に命かけてる訳でもないのよ。ただ食うためにできる事をしてるだけだっての。
「いやあ、おれだって別に意地悪したくてこんな事言うわけじゃあないのよ? ただやっぱり、清蘭ちゃんにはもっと頑張ってほしいと思うからこそだねぇ」
「えへへー、すいませんねぇ勉強不足で。もっと精進させていただきます」
クソめ。
世界は平等だなんて信じていた訳じゃないけど、それなりに頑張っていれば、まあなんかうまい感じに何とかなるものだとは思っていた。どうやらそうでもないらしいという事には、多分、地上に派遣されるのが決まったあたりで気付くべきだったのだろう。まあ、気付けたとして何ができたって訳でもないけど。
だけど、とも思う。なんというか、必要以上に私ばかりが割りを食わされていないか、と。
前線に駆り出されたのは、まあいい。兵隊なんだから仕方のない事だ。地上の奴らに叩きのめされたのは、たかが地上人に遅れを取るなどと油断していた私が悪い。間も悪かったし判断もまずかったのだろう。だけど、地上に取り残されて、まきたくもない愛想を振りまいて、日々を耐え忍ばなくてはいけないほどの事だろうか? じゃんけんで勝ったから前線部隊を外れたあの娘は、おそらく今も月でのうのうと暮らしているはずで、それと私との間にある差というのは、そんなに重大な事だったのか?
「はぁ~~~あぁ…………」
腹の底に溜まって身体も心も重くしていくだけの鬱屈を、どうにかして吐き出そうとしてみる。限界まで息を吐き出してみて、気持ち悪くなって嘔吐いた。胃の中は空っぽなので何も出はしないけど。そういえばもうお昼だ。どうりでお腹が空くと思った。肩に担いだ米粉の袋に押しつぶされそうだ。肌身離さず持ち歩いている杵も、荷物と相まって余計に重く感じる。あの親父、偉そうに説教だけして安くはしないんだから終わってる。別段品物が良いって訳でもないし、売上が悪いのはそっちの問題だろと言いたい。もちろん言わないけど。
さして広くもない幻想郷で、粉物の卸売なんてそんなに数はいない。業界が狭い分、情報は密に交わされている。その一つと喧嘩になって、契約を切られたなんて事にでもなれば、団子屋清蘭の看板も焚き木くらいにしか使えなくなるだろう。団子屋に思い入れなんかないし売上も低調だけど、他にできる事も思い浮かばないから、結局は愛想笑いを手放せない。
ああ、もう、変なこだわり持たないで鈴瑚と同じ所を仕入先にすれば良かった。安いしモノも悪くはないって話だったのに、なんか同じ所は嫌だなってだけで、何となく別の所と契約した結果がこれだ。つまり私のせいか。はいはい悪うございました。糞。
「……あ」
余計な事を考えてたら道を間違える。今日は本当に日が悪い。そもそも良かった日なんてないけど。
妖怪の山とか言うらしいここは、普段なら立ち入るべき場所じゃない。天狗なる排他的な連中が跋扈しているそうで、人間はもちろん、対外的に妖怪兎の一人とされている私も見つかれば直ちに追い出される。まあ追い出される分には別にいいけど、素性を怪しまれるような事になっては目も当てられない。
だけどここには、月の置き土産があるのだ。ありがたみの一欠片だってありゃしない、ろくでもない代物が。
誰も管理できず、様子を見るのも私しかいない。だから時々はこそこそと山に立ち入るのだけど、昨日来たばっかりな上に、重い荷物を抱えて来る必要なんかまったく無い。だというのに、気付けばもう山の麓。ぼうっとして昨日と同じ道を来ちゃったといっても、限度があるだろうに。
「……来たものはしょうがないのかな」
大して意味ないよなぁと思いつつも、ここまで来てそのまま踵を返すのでは、本当にまったく無意味に歩いただけになってしまう。それは何か嫌だなと思ってしまうのが、多分私の欠点なのだろう。
昨日の今日で変わりがあるとも思えない。見に行って何もなかったらそれこそ無駄足だ。恐らく正論はそっちの方で、そしてそれは、いかにも鈴瑚が言いそうな事だとも思った。
あいつはそういう事を、馬鹿にするようには言わない。むしろ心配そうに言うのだ。私がそういう風にはものを考えられないと分かった上で、忠告というのでもなく、ただ、その言葉が小さな楔として私の頭に残れば良いというように。
そんな気の遣い方をされているという事が、なんともしゃくだと思ってしまう。多分、それもまた私の欠点なのだろう。
そうやって、欠点に自覚的でいながら流されるように行動し、結果として割りを食う。いつもそうじゃないか。もう止めとこうよ。どうせろくなことにならないって。そういう自戒が頭の中に響く。響くだけ。
「なんでアンタにそんな事言われなきゃいけないわけ?」
ほら見ろ。だから止めとけって言ったのに。ホント聞く耳持たないんだから。誰の事かって? もちろん私だ。この私というやつは私の言う事をさっぱり聞かない。頭の両側についてるでっかい兎耳は飾りか? まあ、飾りだけど。
「だいたい、なんでアンタはこんなとこにいるのよ。こいつの事、何か知ってるのかい?」
「いや、別にそういう訳じゃ」
曖昧な返答はつまりそれが嘘であるという事を意味するのであり、それを相手も何とはなしに察した雰囲気はあった。そうなれば、それが私への疑心という具体的なものに変化する前に、会話を打ち切らねばならなくなる。自慢じゃないが、私はついた嘘を見破られなかった試しがないのだ。でも、月にいた頃は回りのみんなも大差なかったから、多分それは私だけの問題ではない。
昨日の今日で変わりはあった。月の置き土産――浄化部隊が持ち込んで回収しそびれた機械は、この河童とかいう連中の興味をいたく引いたようだ。ところどころすでに分解されてすらいる。地上人に月の機械を弄り回せるような奴がいるとは知らなんだ。
まあしかし、それも問題ではあるが、もっと問題なのはうっかり声をかけて止めようとした事だ。こそこそしなきゃいけない場所だと思いを馳せた直後にこれなのだから、我ながら呆れる迂闊さとしか言えない。どうかしてるんじゃあないのか、この清蘭とかいうやつは。うるさいよ。
「えっと、まあ、なんか危なそうかなーって何となく思ったというか、まあ、あれよ、それだけ! じゃね!」
「ちょっと、まだ話は……」と背中に届く声は無視して、さっと踵を返す。しばらく進んだところで、ばき、と高い音。勢いよく踏みつけた小枝が折れる音に、ようやく早足になっていた事を自覚する。だけど足を止める気にはならない。まさか追っては来ないだろうとは思う。それでも足を止めないのは、アイツらから逃げているというより、自分の失態から距離を取りたいという気持ちの現れだったのだろう。
放棄された月の機械の事は、地上に残されて早い段階で把握していた。というより、取り残された事に気づいて最初にした事がその確認だった。
もしかしたら月からの通信とか、何かしらのアクションがあるかもしれないと思ったからだ。しかしそういえば、鈴瑚は確認を手伝いはしたものの、あまり乗り気では無かったように思う。
「別に放っといていいでしょ。どうせ大したものじゃないんだから」
鈴瑚はそう言って笑ったのだった。その言葉の意味するところは、あんなもの鹵獲されても問題ないという事と、あんなもので月とコンタクトを取れるわけがないという、二つの意味があった。
「放棄された機械なんて、その辺の植物をちょっと枯らすとか、局所的に雨風を起こすとかその程度のものでしょう。奪われたって月の脅威にはなりゃあしないよ」
その言葉に私は反論できなかったし、実際、今でもそれが正論だと思う。私が派遣されてきた作戦というのは、地上の穢れを浄化するための調査が主な目的だった。だから強力な兵器なんて持ち込まれておらず、故にこそ回収されず放棄されたのだとも言える。
だから別に、危惧する程の事ではない。ただ、何となく気持ち悪いというか、素知らぬ顔で放棄する事に言いようのない抵抗感があって、無視するのがどうにも躊躇われた。
「清蘭は潔癖だね」
そう言う鈴瑚は、やはり私を心配していたのだろう。
私からすれば、地上に住み始めてこっち、穢れを厭う様子も無く脳天気に日々を過ごしている鈴瑚の方がよっぽど不安だと言いたい。いつ月に帰れるのか。そもそも本当に帰れるのか。帰れたとして、地上で生死の穢れにまみれてきた兎に居場所なんかあるのか。そういう事を、鈴瑚はまるで案ずる様子がない。
だけど、私が鈴瑚について何かを心配して、それが杞憂でなかった事は、そういえば無かったようにも思う。
だから今回の事も、放っておけばいい事だったのだろう。
わざわざ出ていって止めようとする程の事ではなかった。多分。
幻想郷の連中が、月を敵対視しているらしい事は気付いている。昔には戦争があったらしいし、この間の侵略の件もどこまで広まってるかは分からないが、警戒を強めている連中は恐らく多いだろう。その中にあって、私が月の兎だという事が露見した時、どうなってしまうのかは想像したくもない。
あそこにあったのは天候に干渉する機械だ。局所的に雨を振らせたり風を起こしたり、それなりに色々できるものではあるが、大した出力はないし危険という程のものでもない。
排他的な連中が支配している場所に踏み入って、正体を怪しまれるような言動までして、守ろうとしたものはさして重要でもなく、そもそも誰何されて逃げ出すんだから守れてもいない。まさに百害あって一利なし。
と、そんな風に冷静な判断ができるのは、後の祭りとなってから。我ながら自分の判断力のなさに恐怖を覚える。こいつどうやって今まで生きてきたんだ。大きなお世話よ。
自分が要領の悪いやつだという事は、割と早くから気づいてはいた。直接のきっかけは、鈴瑚と鈴仙の二人だ。
鈴仙は実力もあったけれど、それ以上に自分を良く見せるのが上手くて、特に上の人たちから高く評価されていた。月から逃げてしまった事を考えると、あれは一種の虚勢だったのかも知れないとも思うけど。
鈴瑚は逆で、爪を隠すのが上手いやつだった。バレずに手を抜くのが彼女は特に上手で、無能扱いされない程度には他者の評価も得られるように立ち回っていた。バレないつまみ食いの仕方も、訓練中にこっそり休むポイントも、全て鈴瑚が教えてくれたのだ。
私はどっちのやり方も苦手で、真面目ぶってやれる事をやっていくしかなかった。その結果として割りを食っているのだとしたら、世の中というのは、割とロクでもないと思う。
忌避すべき生死の穢れに満ちた地上で、何らの援助もなく生きていかなくてはならず、いつ正体がバレるのかも気が気でない。というか、一部の連中にはもうバレている。少なくともあの作戦の時に戦ったやつらは気づいているはずだ。今の所、そいつらの手の者が私を捕らえに来るような事はないけれど、これからも来ないという保証はない。そしてもし来た時に、私はどこにも逃げる場所がないのだ。
もし捕まったらどうなるだろうか。無手でもできる効率の良い自殺の方法は、そういえば教わった事がある。そんな事だけはすぐに思い出す自分の頭が心底恨めしい。
無意識に頭をガシガシやっていた手を見ると、いくつもの抜け毛が指に絡まっている。最近、大好きなお風呂もちゃんと入れていない。団子屋の売上がいまいち伸びないから、毎日あちこちを駆け回ってゆっくりお湯に浸かる時間もない。自慢だったふわふわの青髪は枝毛が目立つようになり、身体の垢だってちゃんと落とせてないような気がする。帳簿とにらめっこする時間が増えたせいで目も悪くなった。もともと悪かった鈴瑚は「この機会にメガネでも作ろうかなあ。どんなのが似合うと思う?」なんて呑気に言ってて腹立たしい。理不尽だって? 本人の前では言わないんだから別にいいのよ。鈴瑚は気付きそうだけど。
「……ああ、もう」
ホント何やってんだか。くだらない説教、米粉の袋や杵の重さ、無意味な山登りと河童からの詰問。それらの事を乗り越えて得たものは、肩と脚の疲労だけ。死ねばいいのに。
また頭をガシガシ。先ほどに倍する量の髪の毛が絡みつく。そんな事で抜けるような軟弱な髪は落ちればよいのだ、などと自分の身体の一部に八つ当たりをし始めて、そろそろ本気でヤバそうだという焦りだけはある。しかしそれを何とかする手段はと言えば、結局このガシガシくらいしか思いつかないので、かわいそうな愛しの髪の毛たちに犠牲となってもらうほかない。ガシガシ。
「…………」
ふと、風の揺れを感じる。
いや、風ではない。揺れているのは空気だ。やや不規則な周波を伴って空気が振動している。耳では拾えないが、これは人の声だ。小さく刻まれる振動は、具体的な意味を伴った言葉のそれではない。笑い声か泣き声か、そういった小さなものだ。
「誰よ?」
周波の起点に向けて声をかける。そこにあるのは一抱え以上もある大岩だ。それが振動を発している訳では無論なく、その影からするりと、波打つ金色が這い出てきた。
「ふふっ……これは失礼。笑うつもりはなかったのだけどね」
現れたそいつは私よりかなり背が高く、緩やかな波を描く金髪はよく手入れされている様子だった。裾のふわりと広がる道士服のような装いは、自分の簡素なワンピースと比べていかにも手が込んでいる。
「隠れているつもりだったのだけど、思わず声が漏れてしまいました」
「そ。何がそんなに面白いのか知らないけど、質問に答える気はないわけ?」
「何がってそりゃあ、自業自得の苦労に苛まれる若者の姿なんて、面白がらずにはいられないでしょう」
答える気はないと言いたいようだった。もっと言えば、教えないけど想像してみろ、と言いたいようでもあった。
自業自得の苦労ってのは、河童に口出しして詰問された時の事だろう。つまり、私をずっと見ていたと言っているに等しい。
「見た目より年寄りってのは分かったわ。で、何の用?」
「あら、若い見た目だなんて嬉しい事を言ってくれるのねぇ」
ダメだこりゃ。まともに会話する気がまったくない。言葉の端々からでも情報を引き出せれば良かったのだが、そんな甘い手合いじゃないらしい。
「はあ……もういいわ」
「あれ、もう行っちゃうの? せっかく出てきたんだからもっとお話して欲しいのに」
甘えたような声に背を向けて足を踏み出す。一瞬こちらに手を伸ばしたようだが、諦めたのか小さなため息と共に踵を返す気配があった。
気付かれないように、静かに息を吸う。お腹の中心に力を溜め込むように。
右足の踵を浮かせる。爪先は地面を掴むイメージで力を込める。杵の柄、その先端を左手で握りしめる。
左足を、次いで身体全体を後ろに送り出す。踏み込んだ左足で制動をかけながら上半身を捻る。腰から胸、肩、最後に腕がついてくる。鞭のように身体に巻き付く腕の先、杵に最も強く遠心力が乗るように勢いをつける。
振り向いた目に映る金色の髪、その根源を見据える。
空気を切り裂く音の次に、鈍く響く硬質な音。
振り抜いた杵が大岩を砕き、その破片が礫となって地面を無数に抉った。
静止する。耳をすませる。空気の振動を探る。
杵の軌道上にあったはずの金色の髪は、跡形もなく消えていた。
ちっ、と知らず舌打ちが漏れる。
こんな近距離で気配を探りそこねる事は無い。間違いなくヤツは後ろを向いていたはずで、完璧に不意を打った自信があった。それでも逃げられたという事は、私など歯牙にもかけない程の実力差があったのだろう。
そんなヤツに目をつけられていたという事実を、たまたま変なヤツに出会っただけとか、そんな風に楽観する事はできそうになかった。鈴瑚ならこんな時でも楽観的なのだろうか、と、少し疑問には思ったけど。
「そりゃいるに決まってるでしょ」
鈴瑚のこういう所は、なんというか、絶対に欠点だと思う。彼女にとって自明でも、他人にとってはそうではない場合があるという事に、あんまり意識が向かないのだ。
「幻想郷の管理者やそれに類する連中ってのは、想像よりずっと注意深いよ。月じゃ『かつて無謀な戦争を仕掛けて敗走していった愚か者』くらいにしか思ってないけどね」
「……私たちの正体も気付いているって?」
「むしろ気付かない理由がない。あの作戦で私たちと戦った巫女やらの連中が、管理者たちと何の繋がりも持っていないなんてあり得ないでしょう。何かしら思惑があって泳がされてるのよ、私たちは」
「思惑って何よ? 捕らえて情報を引き出す事より大事だっての?」
「さあ、そこまではね」
そう言うと鈴瑚は煮立てていた団子のタレをひと舐めし「ん、良い味」と満足げに頷いた。能天気に過ぎる振る舞いだと思うけど、こういう時の鈴瑚は、頭の中ではいろんな思考を巡らせている。鈴瑚にしてみても、幻想郷の有力者が私たちを放置している事について、色々と思うところはあるようだ。
こんな時、いつも私は見当違いの方向に突っ走って痛い目を見てきた。それが嫌で、次第に鈴瑚やサグメ様、他の人たちの言う事に追従するのが癖になったのだと思う。
自分で考え、状況を判断して行動するという事は、月ではさして必要とされてこなかった。地上でするような、自由意志を尊ぶような考え方をしないから。
生死を懸けた争いが穢れを生み、穢れによって寿命が狭められる。そうした事を憂いた者が月の都を興した。他者との違いを意識する事が争いの原因となる。画一的で無個性な事は、月では美徳なのだ。程度の差はあれ、月の民は立場に応じた振る舞いをするだけで、誰も彼もあまり変わりはないものだ。鈴瑚のようなヤツはむしろ例外だった。
もっとも「最近の兎たちはやる気がなくていいかげん」なんて言われてたりもするから、時代の中で変化はあるようだけど。
もちろん、得意不得意というものはある。だから得意な事を得意なようにやって、それが価値となり環境を作っていく。苦手な事は、それが得意な誰かがやってくれる。そんな風に全体で均整を取るための部品として、私たちは存在した。
だけど地上はそうではないらしい。妖怪たちはみんな好き勝手に生きているし、人間にしたって多少の寄り合いは作っても、一人一人が自分の判断と責任で生きている。だから悪い方面の個性を持てば、それがあらゆる事に悪影響をもたらす。私が月の兎という良くない個性によって、愉快でない連中に目をつけられたように。
連中は恐らく、鈴瑚の方にも目をつけている。そうなれば、最初に手を出してくるのは私の方だろう。鈴瑚は注意深いし頭が回る。そのぐらい、ずっと見てるヤツは気付く。意味もなく山に踏み入ってすぐに逃げ出すような、私の悪い個性を見ているヤツならば。
「帰るの? 気をつけなよー」という鈴瑚の声に曖昧に手を振り、人里へ歩き出す。今日はまた仕入れがある。おっさんのくだらない説教を全力で聞き流しながら、私は一体なにをやってるのかと疑問を浮かべる。
あの変な金髪と出会ってから四日、普通に団子屋は営業したし、夜は寝たし、必要に迫られれば買い物もした。そのどこまでをあの金髪が見ていたのか知らないが、何も見てないという事はありえないだろう。そういう状況を鈴瑚のように楽観できずにいるのは、私に何かが足りないのか、それとも鈴瑚がおかしいのか。
でも、少なくとも鈴瑚は団子屋をしっかりやっているし、状況判断に抜かりもないようだ。例えば、月とコンタクトが取れて地上での重要任務が生じたとして、多分それをするのに相応しいのは鈴瑚の方だろう。あるいはそんな事が起きず、今後も地上で生きていくのだとして、それを上手くやるのもやっぱり鈴瑚の方だ。
それが私でない事の原因は、多分、私の方にある。
「……ああ、もう!」
また頭をかきむしる。抜け毛が増えるだけと分かっていても、他に八つ当たりの対象がないのでしょうがない。
屋台の中に米粉をしまいこみ、どかっと音をたてて座り込む。正直投げつけたい気分だったけど、大事な売り物を手荒に扱うわけにはいかない。日が高くなったら里の往来に屋台を出すから、その分の団子を仕込まなくてはいけないんだけど、なんだか立ち上がる気力が無かった。頭に浮かぶのは、こんな事をしていて何になるんだ、という自嘲と、じゃあ他に何をすればいいんだ、という絶望だった。
あの後は山には行っていない。他にも廃棄された機械があるけど、そっちの様子も見に行ってない。結局、今の私にとって重要な事は、月がどうとか監視がこうとかではなくて、きちんと団子を作って売る事なのだろう。どうせ、私の頭では大した事は思えない。
そうやって状況に流された結果、この不遇を味わっているのに、同じ事を繰り返しているという悔恨さえも、意味をなさない。
ああ、なんだろうこの気持ち。なんか一言で表せそうな気がする。
そうだ。これは「死にたい」と言うんだ。
「…………」
思うだけ思ってみて、米粉の袋の口を開ける。結局やる事は変わらない。
しかし、ギシギシと屋台が音を立てだして中断する。どうも風が強い。作業するなら屋内の方が良さそうだ。そう思って米粉の袋を持ち上げた所で、風の勢いが急速に増す。何だこれは、台風か。
「うわっ……ちょっ……!」
一時の突風かと思ったら、風の勢いは更に強まっていく。屋内で作業どころの話じゃない。袋の中身が飛ばされないよう身体で押さえたら、脚がふわりと浮き上がった。べきべきと響く不快な音はは、台風もかくやという勢いとなった風が屋台を破壊する音だった。
「わあああーーー!」
渦巻く暴風にさらわれて宙を舞う。飛翔して逃れるとか、そんなレベルの風ではない。台風にしたって、なんでこんな急に。それも私の屋台を狙ったように。この世界は一体どうなっているんだ。そんなに私が嫌いなのか。ふざけんな。
あまりの状況に現実感が失われ、頭の中に罵声を響かせつつも、周りを見る程度の余裕が不思議とあった。
それによって確認できたのは、同じように風にさらわれた屋台の残骸が、尖った先端を私に向けて突っ込んでくる風景だけだったけれど。
人生はままならないものだ、としたり顔で言うヤツは死ねばいいと思う。そんな誰でも知っている事を偉そうに言う厚顔さも、ままならなさの度合いが人によって違いすぎる事に想像が及ばない無理解も、ただただ呪わしい。
ああ、結局こんなものか。つくづくろくでもない人生だった。こんな事なら、さっさと終わらせてしまえばよかったのに。
木材に身体を貫かれる直前に思ったのは、そんな事だった。どの道ろくでもない事に変わりはないが、せめてその瞬間を、見苦しく喚いたり泣いたりしながら迎えたくないとは思っていた。そういう諦めだった。
で、結果はと言えば、私の身体はどこも貫かれてなどおらず、腹立たしいほどよく晴れた空を見上げている。
ごおお、と耳鳴りのような音は、未だ吹きやまぬ暴風が奏でるものだ。ぐっと身体を起こしてみると、遠くにはっきりと風の渦が見える。暴風は木々をなぎ倒し、空の遥か高くまで及んでいる。なるほど、あんなものの中にいたらそりゃ抵抗なんかできる訳ない。木々どころか山を削らんという勢いだ。
近くを見ると、羽根の生えた連中や先日見た河童どもが寄り集まっていた。小高い丘の上に私は寝そべっていたようで、あの暴風は妖怪の山近辺に生じているようだ。つまり、私の家の近く。
連中は私に一瞥もくれず、何やら言い争っている。断片的に聞こえてくるのは、「河童」「改造」「天狗の妖力」「暴走」といった単語。
それらに対して思う事は特にない。ただ、ひたすら不愉快で、辺り構わず喚き散らしたいような衝動だけがあった。
鬱陶しい金髪が視界にちらついた気がした。
何も疑問はない。河童と言い争っている連中は恐らく天狗で、そいつらは恐らく風を起こしたりする力があって――地上の妖怪たちはいろんな力を持っているらしい――河童はあの機械を改造する程の技術を持っていて、天狗の力を取り込んでみたら暴走して、あの天変地異が出来上がったというわけだ。
これ以上無い程の確信を持ってそう判断できるのは、今のこの状況が、あまりにもお膳立てされすぎているからだった。
天狗連中は風を突破しようとして、何度も吹き飛ばされている。よく見れば天狗と河童だけではなく、前に見た緑髪の巫女や、他にもいろんな連中が集まっているようだ。また一つの確信が芽生えて、暴風の中心を注意深く見てみると、鈍い金属的な輝きが目に入った。多分、いや間違いなく、あれが暴風の原因となっている機械なのだろう。
機械の破壊を試みようとしているが、暴風に阻まれてそれが叶わない。そういう状況である事もまた、誰に聞かなくても確信できた。
今度は笑い声が聞こえた気がした。押し殺そうとして失敗し、空気を振動させる笑い声が。
ふと、周りにいくらかの木材が転がっているのに気付く。あれは屋台の残骸だろう。誰かが私を助けてここに送った際に、一緒に飛んできたものだと思われる。
「……糞」
糞。糞。今まで頭の中だけで吐き捨ててきた言葉を口にする。どうせ誰も聞いてやしない。聞かれたってかまうもんか。
不愉快でならない。私が今ここにいるのは、あの暴風から誰かが助けてくれたからだ。そして、そいつはこの状況をお膳立てしたヤツでもある。そいつは多分あの機械も何とかできるのだけど、自分ではやろうとしない。私が、それをできるからだ。
空間を歪め、異次元を通して弾丸を目標に届かせる能力。それは玉兎通信とかと同じで、月の兎の標準的な能力だけど、私はそれを他の誰よりも上手くできた。皆はそれをすごいと褒めそやし、立派な兵士になれると讃えた。私はそれが密かな自慢で、もっと褒められたくて、これについては誰よりもひたむきに訓練したと思う。命中精度も射程距離も、同期の玉兎では誰にも負けた事がない。
そうやって技を誇ると、皆が褒めてくれて、嬉しくなってまた訓練に励む。そうやって、私は優秀な兵士として遇されるようになっていった。
ねえ、清蘭は前線部隊に志願するんでしょう? そうだよね、そんなに強いんだもん。依姫様やサグメ様の指揮下に入る事もあるんでしょう? 羨ましいなあ。すごいなあ。
清蘭、貴女の実力は大したものよ。貴女なら実戦でも立派な戦果を上げられるでしょう。その調子で頑張ってね。
そういう言葉や眼差しに比べれば、生傷の絶えない肌とか、固くなりすぎて色気のない脚なんて、まるで気にならなかった。誰かに認められ、重用されることの悦びがあればよかった。
そうやって、誰かの望むように私を――清蘭をやってきた。そうすれば何もかも上手くいって、いやそれは言い過ぎだけど、まあ、なんだかんだ上手い事になっていたのだ。
そして今、誰も私を求めない場所で、ままならない団子屋の経営と、ろくでもない日々の鬱屈を抱えながら生きている。
あの機械は月のもの。暴走させたのは地上の者。月と地上を掛け合わせて生まれた災害は、私というちっぽけなものを巻き込んで、メチャクチャにして、広がっていこうとしている。
だけど、こうして眺めてみると、巻き込まれたというよりは、私をこそ中心としてあの災害は生じたのではという気になる。ほら見ろ。お前が何もしないからこうなったんだぞ。無理矢理でも河童から取り上げておけば、いや最初に壊してスクラップにでもしておけば、いいや地上への派遣を拒否していれば、いやいやそもそも兵士になどならなければ。
そうしていたら、お前はこんな目に合わなかったのに。
お前が、自分で何かを決めていたら。
右手を銃の形に構える。指先から伸びる射線を意識する。慣れ親しんだ動作だ。あんなでかい目標、目をつぶっていても当てられる。素早く動くものでないなら、私の銃弾は見えているどこにでも当たる。見えてなくても、そこにあると分かっていれば当たる。
それができたから兵士として重用され、その結果として地上に取り残され、そして今、名前も知らない誰かの思惑に沿って、また銃を構える。
銃も弾丸も私のもの。目標を見据える目も、引き金を引く指も。
ただ、意思だけがそうではない。弾丸を届かせる意思だけが。
「ふざけんな……!」
だから、吠える事しかできない。それが衝動を吐き出すように、まるで無意味なものだったとしても。
「私は、お前らのもんじゃない!」
弾痕の穿たれた機械が悲鳴を上げ、爆発する。
開放された妖力がいっとう強い風を吹き荒れさせ、周辺一帯の何もかもを吹き飛ばす。
為す術なく風にさらわれ、弾丸もかくやという速度で地面に叩きつけられるまで、私はただ、それを見ていた。
「くくくっ……なる程、優秀でなければ地上に派遣されてくるはずがないとは思っていたが、これだけできるならそりゃあ重宝されるだろうね」
またこれか、と横たわって天を見上げながら思う。ただ、さっきとは風景がまったく違うので、その感想は正しくないかもしれない。
先ほどの抜けるような青空とはまったく違う、壁も床もないような不可解な空間。その中に、いくつもの扉が浮かんで閉じたり開いたりしている。
「紫の奴、巫女にご執心で見る目が衰えたんじゃあないか? 遊ばせておくのはもったいない逸材だろうに」
起き上がって、ちゃんと地面を踏める事を確認する。見えないけど床はちゃんとあるらしい。自分の位置が不明瞭なのは、宇宙空間のそれに似ているけど、歩けるというだけで感覚はまったく異なる。
浮かぶいくつかの扉を見ると、その向こうに空や森、様々な風景が確認できる。おそらく、あの扉を通じてこの異空間へと至るのだろう。そして開閉式の扉があるという事は、それをくぐれば元の場所にも戻れるという事だ。
「……おーい、なんかリアクションはないのかい」
ちょっと寂しそうな声音が届いて、面倒だけどそっちの方を向く。見覚えのある緩やかに波打つ金髪が映る。
空間に浮かんでいるように見える椅子に腰掛け、偉そうに膝を組んでいる。椅子の横に浮かんでいるのは鼓だろうか。
「どーも、先日ぶりね。助けてくれてありがとー」
うんざりだ、という意思ができるだけ伝わるよう意識して、私は声をかけた。
「随分と落ち着いたものだ。この状況は想定通りだったという事かな?」
「どうでも良いだけよ。私に何かをさせようとするヤツの思惑なんて」
「兵士にあるまじき言動だなぁ。そんなんで月に帰ったら問題になるかも知れんよ?」
「別にいいわ。なるようにしかならないでしょ」
本当、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。誰かの意思に基づいて、できる事だけをして、その結果がこれだ。ろくでもなくて、死にたくなって、面倒はキリがなくて、愉快な事なんか一つたりともありゃしない。
でも結局、それは自業自得なんだろう。だって、その方が楽だったのだ。何をすればいいか考える必要がなくて、手に余る事は最初から降ってこなくて、ただ何となく生きていればよくて、何も責任を負わなくて済む。
自分の人生なのに。
ホント、馬鹿馬鹿しい。
「あんたの思惑通り、あの機械は止めた。あそこにいた奴らがどうなったのかは知らないけど、私には関係ないし、暴風から助けられた義理も果たしたでしょ」
「察しているようだが、ここは私の作った異空間だ。私が望めばすべての扉は閉ざされ、お前は永久にここを彷徨う事になる」
「そんなつもりなら、最初から助けないでしょ。あの機械だってあんたなら止めれたんでしょうに、わざわざ私にやらせたんだから、今さら私を消す理由があるとも思えない」
金髪は軽くため息をついて苦笑を浮かべた。半眼になって見つめてくるその目線は、非難よりは興味が勝っているように思える。
「河童の詰問にあれだけ動揺していたくせに、随分とまあ図太い態度じゃあないか。何か心境の変化でもあったのかな」
「どうでも良いっていったでしょ。……ううん、どうでも良くなったの。どうせろくでもない事になるんなら、誰かに何かを決めてもらうより、好き勝手にしてた方がマシだわ」
ははは、と金髪は大口を開けて笑った。それが聞きたかったのだとでも言うように。そういう顔をされるのが、何よりも癪に障る。その事も、きっと分かっているのだろう。
「なる程な。実を言うと、私はお前を部下にスカウトしようかと思っていた。だがそれはダメだな。最初からお前は人の下につける器じゃあない」
ぴく、と反応してしまった。興味がある素振りなんて見せたくなかったのに。
「……最初からってどういう事よ」
「強欲だと言っているんだよ。自分のためでなくては必死になれない。誰でも最初はそうだ。だが環境に合わせて、自分のあり方を思い思いに決めていく。時には肌に合わん事をして歪みもする」
お前のように、そう金髪は続けた。
「よくもまあ長いこと兵役になど従事したものだ。お前に兵士は務まらん。従者も然り。自分らしいあり方を探す事を年寄りはオススメするよ」
「そう。寝るまでは覚えておくわ」
「ははは、それでいいさ。己が望む故に己である。身の丈とはそうやって決まるんだよ」
偉そうに金髪は言う。知った事かと言いたかったが、金髪が宙に浮かぶ鼓を軽く打つと、急に視界がぐるりと回って声を出すどころではなくなった。
歪む視界の中、向こうからやってくるのは扉だ。大きく開いて私を飲み込もうとするように迫ってくる。
「もう一つ。私は摩多羅隠岐奈という。私の肩書きになどお前は興味なかろうが、これがお前を気に入った者の名前だという事だけは、覚えておくと良いぞ」
◆ ◆ ◆
荷物はできるだけ少ない方が良いという。旅なんてした事ないので、持っていくべきものは荷物袋を買った店の人に聞いて参考にした。
「どうやってそんなもの用意したの? お金ぜんぜん無いって言ってたのに」
「月の機械の情報を河童たちに売った」
鈴瑚はその言葉を聞いて肩をすくめた。呆れたと言いたいようだが、あんな事があっても懲りずに機械の鹵獲を目論む河童に対してと、あれだけ気にしてた機械をあっけなく売った私、どっちに向けた呆れなのかは分からなかった。
お金がないと言っていたのも、半分ウソのようなものだ。米粉の卸売のおっさんに「あの災害で屋台も材料も吹き飛んで代金が払えませんゴメンナサイ」で押し通すため、吹聴していただけ。まあ、当分屋台ができないのは事実だけど。
相手も被害状況は知っていて強くは出れない様子だったので、そのまま有耶無耶にする予定だ。後でなんか言われても知ったこっちゃない。こっちは天下の被害者様である。
……そう言えば、天狗やら河童連中はなんだかんだいって大した被害もなかったようだ。ああいう事態に慣れているのかもしれないが、納得いかない話ではある。言っても詮無い事だけど。
「清蘭ってそんな感じだったっけ?」
やはり多少なりとも私自身への呆れはあったらしい。気にしても無意味だから、気にしない。
「ま、そっちの方が良いと思うけど」
「そういう鈴瑚はどうなのよ。そっちの屋台だって無事じゃなかったんでしょう?」
「そっちみたいに全壊じゃあないからね。里の大工にも伝手があるし、この機会に少し大きくしてもらおうと思ってるよ」
相変わらず鈴瑚は抜け目ない。私は、きっと一生こんな風にはできないのだろう。それはどうにもならない。どうにもならない事をどうにかしようとしたって、疲れるだけだ。それだったら、どうにかなる事の方を気にして生きていたい。
ストレス解消に旅をしてみようなんて、安直に過ぎるかもしれないけど。
「で、どこまで行くの?」
「まあ、幻想郷ってそんなに広くないみたいだし、色んなとこ回ってみるわよ。美味しいものでも食べ歩いてみたり、ああ、温泉とか入りたいなー」
「温泉かぁ。私も行きたいな」
アンタなら何とでもできるでしょうに。
そう言いかけたけど、鈴瑚の声は本気で羨んでいるようにも聞こえて、何だかそんなに単純な事ではないのかもと思い直した。鈴瑚は鈴瑚で、どうにかなる事と、どうにもならない事の間で生きているのかもしれない。
いいとこ見つけたらそのうち一緒に行こうよ。そう声を掛けると、鈴瑚は少しキョトンとして、それから微笑んだ。
私は、私にとって大事なものを守れればそれでいい。そう思う事にしよう。
……ああ、なるほど、これが強欲って事なのか。
肩で風を切るように歩いてみる。木々の香りを吸い込んでみる。遠く、遠くを見据えてみる。
地上なんか嫌いだ。だけど、そうしていると、不思議とそう悪くもないんじゃないかとも思えてくる。
そんな風に単純で、勝手な私の事を、誰かが笑っているような気がする。呆れてもいるような。
鈴瑚とか、鈴仙とか、月の皆とか、あの隠岐奈ってやつとか、いろんな人たちが。
天を睨んで、息を吸い込んで、腹の底から声を出す。
「それがどうした!!」
そんな事より今はご飯だ。そろそろ日が高くなる頃。そうだ、あの山に行ってみよう。一応あの災害を食い止めたのは私って事になるんだから、邪険にはできないだろう。山の幸なんてろくに食べた事ないけど、美味しいとは聞く。天狗とやらは数も多いから大浴場の一つくらいあるだろうし、悪くない。
そんな事をしている内に、この場所の事を好きになったりするかもしれない。ならないかもしれない。
それはまあ、その時の話だ。
うっさいわね。なんでアンタなんかに良い顔見せてやらなきゃいけないのよ。
「ウチとしても、清蘭ちゃんのとこがあそこ、えー……なんだ、そう、鈴瑚屋だっけ? あすこの客を全部奪うくらいの人気になってくれりゃ、品物卸す側として顔が売れてありがたいからねぇ。それが先月もその前も数字は横ばいですってんじゃ、わざわざおたくと取引してる甲斐がないってもんでね」
知らんがな。アンタに良い思いさせたくて店やってんじゃないのよ。
「もともと競合店の多い団子屋界隈に、突如殴り込んできた美少女屋台が二軒! なんて最初は注目されたけど、やっぱり物珍しさだけじゃあねえ。鈴瑚屋は味でしっかり常連を確保してるって言うじゃあないの。このまま負けっぱなしでいいの?」
どうでも良いわ。こちとら団子に命かけてる訳でもないのよ。ただ食うためにできる事をしてるだけだっての。
「いやあ、おれだって別に意地悪したくてこんな事言うわけじゃあないのよ? ただやっぱり、清蘭ちゃんにはもっと頑張ってほしいと思うからこそだねぇ」
「えへへー、すいませんねぇ勉強不足で。もっと精進させていただきます」
クソめ。
世界は平等だなんて信じていた訳じゃないけど、それなりに頑張っていれば、まあなんかうまい感じに何とかなるものだとは思っていた。どうやらそうでもないらしいという事には、多分、地上に派遣されるのが決まったあたりで気付くべきだったのだろう。まあ、気付けたとして何ができたって訳でもないけど。
だけど、とも思う。なんというか、必要以上に私ばかりが割りを食わされていないか、と。
前線に駆り出されたのは、まあいい。兵隊なんだから仕方のない事だ。地上の奴らに叩きのめされたのは、たかが地上人に遅れを取るなどと油断していた私が悪い。間も悪かったし判断もまずかったのだろう。だけど、地上に取り残されて、まきたくもない愛想を振りまいて、日々を耐え忍ばなくてはいけないほどの事だろうか? じゃんけんで勝ったから前線部隊を外れたあの娘は、おそらく今も月でのうのうと暮らしているはずで、それと私との間にある差というのは、そんなに重大な事だったのか?
「はぁ~~~あぁ…………」
腹の底に溜まって身体も心も重くしていくだけの鬱屈を、どうにかして吐き出そうとしてみる。限界まで息を吐き出してみて、気持ち悪くなって嘔吐いた。胃の中は空っぽなので何も出はしないけど。そういえばもうお昼だ。どうりでお腹が空くと思った。肩に担いだ米粉の袋に押しつぶされそうだ。肌身離さず持ち歩いている杵も、荷物と相まって余計に重く感じる。あの親父、偉そうに説教だけして安くはしないんだから終わってる。別段品物が良いって訳でもないし、売上が悪いのはそっちの問題だろと言いたい。もちろん言わないけど。
さして広くもない幻想郷で、粉物の卸売なんてそんなに数はいない。業界が狭い分、情報は密に交わされている。その一つと喧嘩になって、契約を切られたなんて事にでもなれば、団子屋清蘭の看板も焚き木くらいにしか使えなくなるだろう。団子屋に思い入れなんかないし売上も低調だけど、他にできる事も思い浮かばないから、結局は愛想笑いを手放せない。
ああ、もう、変なこだわり持たないで鈴瑚と同じ所を仕入先にすれば良かった。安いしモノも悪くはないって話だったのに、なんか同じ所は嫌だなってだけで、何となく別の所と契約した結果がこれだ。つまり私のせいか。はいはい悪うございました。糞。
「……あ」
余計な事を考えてたら道を間違える。今日は本当に日が悪い。そもそも良かった日なんてないけど。
妖怪の山とか言うらしいここは、普段なら立ち入るべき場所じゃない。天狗なる排他的な連中が跋扈しているそうで、人間はもちろん、対外的に妖怪兎の一人とされている私も見つかれば直ちに追い出される。まあ追い出される分には別にいいけど、素性を怪しまれるような事になっては目も当てられない。
だけどここには、月の置き土産があるのだ。ありがたみの一欠片だってありゃしない、ろくでもない代物が。
誰も管理できず、様子を見るのも私しかいない。だから時々はこそこそと山に立ち入るのだけど、昨日来たばっかりな上に、重い荷物を抱えて来る必要なんかまったく無い。だというのに、気付けばもう山の麓。ぼうっとして昨日と同じ道を来ちゃったといっても、限度があるだろうに。
「……来たものはしょうがないのかな」
大して意味ないよなぁと思いつつも、ここまで来てそのまま踵を返すのでは、本当にまったく無意味に歩いただけになってしまう。それは何か嫌だなと思ってしまうのが、多分私の欠点なのだろう。
昨日の今日で変わりがあるとも思えない。見に行って何もなかったらそれこそ無駄足だ。恐らく正論はそっちの方で、そしてそれは、いかにも鈴瑚が言いそうな事だとも思った。
あいつはそういう事を、馬鹿にするようには言わない。むしろ心配そうに言うのだ。私がそういう風にはものを考えられないと分かった上で、忠告というのでもなく、ただ、その言葉が小さな楔として私の頭に残れば良いというように。
そんな気の遣い方をされているという事が、なんともしゃくだと思ってしまう。多分、それもまた私の欠点なのだろう。
そうやって、欠点に自覚的でいながら流されるように行動し、結果として割りを食う。いつもそうじゃないか。もう止めとこうよ。どうせろくなことにならないって。そういう自戒が頭の中に響く。響くだけ。
「なんでアンタにそんな事言われなきゃいけないわけ?」
ほら見ろ。だから止めとけって言ったのに。ホント聞く耳持たないんだから。誰の事かって? もちろん私だ。この私というやつは私の言う事をさっぱり聞かない。頭の両側についてるでっかい兎耳は飾りか? まあ、飾りだけど。
「だいたい、なんでアンタはこんなとこにいるのよ。こいつの事、何か知ってるのかい?」
「いや、別にそういう訳じゃ」
曖昧な返答はつまりそれが嘘であるという事を意味するのであり、それを相手も何とはなしに察した雰囲気はあった。そうなれば、それが私への疑心という具体的なものに変化する前に、会話を打ち切らねばならなくなる。自慢じゃないが、私はついた嘘を見破られなかった試しがないのだ。でも、月にいた頃は回りのみんなも大差なかったから、多分それは私だけの問題ではない。
昨日の今日で変わりはあった。月の置き土産――浄化部隊が持ち込んで回収しそびれた機械は、この河童とかいう連中の興味をいたく引いたようだ。ところどころすでに分解されてすらいる。地上人に月の機械を弄り回せるような奴がいるとは知らなんだ。
まあしかし、それも問題ではあるが、もっと問題なのはうっかり声をかけて止めようとした事だ。こそこそしなきゃいけない場所だと思いを馳せた直後にこれなのだから、我ながら呆れる迂闊さとしか言えない。どうかしてるんじゃあないのか、この清蘭とかいうやつは。うるさいよ。
「えっと、まあ、なんか危なそうかなーって何となく思ったというか、まあ、あれよ、それだけ! じゃね!」
「ちょっと、まだ話は……」と背中に届く声は無視して、さっと踵を返す。しばらく進んだところで、ばき、と高い音。勢いよく踏みつけた小枝が折れる音に、ようやく早足になっていた事を自覚する。だけど足を止める気にはならない。まさか追っては来ないだろうとは思う。それでも足を止めないのは、アイツらから逃げているというより、自分の失態から距離を取りたいという気持ちの現れだったのだろう。
放棄された月の機械の事は、地上に残されて早い段階で把握していた。というより、取り残された事に気づいて最初にした事がその確認だった。
もしかしたら月からの通信とか、何かしらのアクションがあるかもしれないと思ったからだ。しかしそういえば、鈴瑚は確認を手伝いはしたものの、あまり乗り気では無かったように思う。
「別に放っといていいでしょ。どうせ大したものじゃないんだから」
鈴瑚はそう言って笑ったのだった。その言葉の意味するところは、あんなもの鹵獲されても問題ないという事と、あんなもので月とコンタクトを取れるわけがないという、二つの意味があった。
「放棄された機械なんて、その辺の植物をちょっと枯らすとか、局所的に雨風を起こすとかその程度のものでしょう。奪われたって月の脅威にはなりゃあしないよ」
その言葉に私は反論できなかったし、実際、今でもそれが正論だと思う。私が派遣されてきた作戦というのは、地上の穢れを浄化するための調査が主な目的だった。だから強力な兵器なんて持ち込まれておらず、故にこそ回収されず放棄されたのだとも言える。
だから別に、危惧する程の事ではない。ただ、何となく気持ち悪いというか、素知らぬ顔で放棄する事に言いようのない抵抗感があって、無視するのがどうにも躊躇われた。
「清蘭は潔癖だね」
そう言う鈴瑚は、やはり私を心配していたのだろう。
私からすれば、地上に住み始めてこっち、穢れを厭う様子も無く脳天気に日々を過ごしている鈴瑚の方がよっぽど不安だと言いたい。いつ月に帰れるのか。そもそも本当に帰れるのか。帰れたとして、地上で生死の穢れにまみれてきた兎に居場所なんかあるのか。そういう事を、鈴瑚はまるで案ずる様子がない。
だけど、私が鈴瑚について何かを心配して、それが杞憂でなかった事は、そういえば無かったようにも思う。
だから今回の事も、放っておけばいい事だったのだろう。
わざわざ出ていって止めようとする程の事ではなかった。多分。
幻想郷の連中が、月を敵対視しているらしい事は気付いている。昔には戦争があったらしいし、この間の侵略の件もどこまで広まってるかは分からないが、警戒を強めている連中は恐らく多いだろう。その中にあって、私が月の兎だという事が露見した時、どうなってしまうのかは想像したくもない。
あそこにあったのは天候に干渉する機械だ。局所的に雨を振らせたり風を起こしたり、それなりに色々できるものではあるが、大した出力はないし危険という程のものでもない。
排他的な連中が支配している場所に踏み入って、正体を怪しまれるような言動までして、守ろうとしたものはさして重要でもなく、そもそも誰何されて逃げ出すんだから守れてもいない。まさに百害あって一利なし。
と、そんな風に冷静な判断ができるのは、後の祭りとなってから。我ながら自分の判断力のなさに恐怖を覚える。こいつどうやって今まで生きてきたんだ。大きなお世話よ。
自分が要領の悪いやつだという事は、割と早くから気づいてはいた。直接のきっかけは、鈴瑚と鈴仙の二人だ。
鈴仙は実力もあったけれど、それ以上に自分を良く見せるのが上手くて、特に上の人たちから高く評価されていた。月から逃げてしまった事を考えると、あれは一種の虚勢だったのかも知れないとも思うけど。
鈴瑚は逆で、爪を隠すのが上手いやつだった。バレずに手を抜くのが彼女は特に上手で、無能扱いされない程度には他者の評価も得られるように立ち回っていた。バレないつまみ食いの仕方も、訓練中にこっそり休むポイントも、全て鈴瑚が教えてくれたのだ。
私はどっちのやり方も苦手で、真面目ぶってやれる事をやっていくしかなかった。その結果として割りを食っているのだとしたら、世の中というのは、割とロクでもないと思う。
忌避すべき生死の穢れに満ちた地上で、何らの援助もなく生きていかなくてはならず、いつ正体がバレるのかも気が気でない。というか、一部の連中にはもうバレている。少なくともあの作戦の時に戦ったやつらは気づいているはずだ。今の所、そいつらの手の者が私を捕らえに来るような事はないけれど、これからも来ないという保証はない。そしてもし来た時に、私はどこにも逃げる場所がないのだ。
もし捕まったらどうなるだろうか。無手でもできる効率の良い自殺の方法は、そういえば教わった事がある。そんな事だけはすぐに思い出す自分の頭が心底恨めしい。
無意識に頭をガシガシやっていた手を見ると、いくつもの抜け毛が指に絡まっている。最近、大好きなお風呂もちゃんと入れていない。団子屋の売上がいまいち伸びないから、毎日あちこちを駆け回ってゆっくりお湯に浸かる時間もない。自慢だったふわふわの青髪は枝毛が目立つようになり、身体の垢だってちゃんと落とせてないような気がする。帳簿とにらめっこする時間が増えたせいで目も悪くなった。もともと悪かった鈴瑚は「この機会にメガネでも作ろうかなあ。どんなのが似合うと思う?」なんて呑気に言ってて腹立たしい。理不尽だって? 本人の前では言わないんだから別にいいのよ。鈴瑚は気付きそうだけど。
「……ああ、もう」
ホント何やってんだか。くだらない説教、米粉の袋や杵の重さ、無意味な山登りと河童からの詰問。それらの事を乗り越えて得たものは、肩と脚の疲労だけ。死ねばいいのに。
また頭をガシガシ。先ほどに倍する量の髪の毛が絡みつく。そんな事で抜けるような軟弱な髪は落ちればよいのだ、などと自分の身体の一部に八つ当たりをし始めて、そろそろ本気でヤバそうだという焦りだけはある。しかしそれを何とかする手段はと言えば、結局このガシガシくらいしか思いつかないので、かわいそうな愛しの髪の毛たちに犠牲となってもらうほかない。ガシガシ。
「…………」
ふと、風の揺れを感じる。
いや、風ではない。揺れているのは空気だ。やや不規則な周波を伴って空気が振動している。耳では拾えないが、これは人の声だ。小さく刻まれる振動は、具体的な意味を伴った言葉のそれではない。笑い声か泣き声か、そういった小さなものだ。
「誰よ?」
周波の起点に向けて声をかける。そこにあるのは一抱え以上もある大岩だ。それが振動を発している訳では無論なく、その影からするりと、波打つ金色が這い出てきた。
「ふふっ……これは失礼。笑うつもりはなかったのだけどね」
現れたそいつは私よりかなり背が高く、緩やかな波を描く金髪はよく手入れされている様子だった。裾のふわりと広がる道士服のような装いは、自分の簡素なワンピースと比べていかにも手が込んでいる。
「隠れているつもりだったのだけど、思わず声が漏れてしまいました」
「そ。何がそんなに面白いのか知らないけど、質問に答える気はないわけ?」
「何がってそりゃあ、自業自得の苦労に苛まれる若者の姿なんて、面白がらずにはいられないでしょう」
答える気はないと言いたいようだった。もっと言えば、教えないけど想像してみろ、と言いたいようでもあった。
自業自得の苦労ってのは、河童に口出しして詰問された時の事だろう。つまり、私をずっと見ていたと言っているに等しい。
「見た目より年寄りってのは分かったわ。で、何の用?」
「あら、若い見た目だなんて嬉しい事を言ってくれるのねぇ」
ダメだこりゃ。まともに会話する気がまったくない。言葉の端々からでも情報を引き出せれば良かったのだが、そんな甘い手合いじゃないらしい。
「はあ……もういいわ」
「あれ、もう行っちゃうの? せっかく出てきたんだからもっとお話して欲しいのに」
甘えたような声に背を向けて足を踏み出す。一瞬こちらに手を伸ばしたようだが、諦めたのか小さなため息と共に踵を返す気配があった。
気付かれないように、静かに息を吸う。お腹の中心に力を溜め込むように。
右足の踵を浮かせる。爪先は地面を掴むイメージで力を込める。杵の柄、その先端を左手で握りしめる。
左足を、次いで身体全体を後ろに送り出す。踏み込んだ左足で制動をかけながら上半身を捻る。腰から胸、肩、最後に腕がついてくる。鞭のように身体に巻き付く腕の先、杵に最も強く遠心力が乗るように勢いをつける。
振り向いた目に映る金色の髪、その根源を見据える。
空気を切り裂く音の次に、鈍く響く硬質な音。
振り抜いた杵が大岩を砕き、その破片が礫となって地面を無数に抉った。
静止する。耳をすませる。空気の振動を探る。
杵の軌道上にあったはずの金色の髪は、跡形もなく消えていた。
ちっ、と知らず舌打ちが漏れる。
こんな近距離で気配を探りそこねる事は無い。間違いなくヤツは後ろを向いていたはずで、完璧に不意を打った自信があった。それでも逃げられたという事は、私など歯牙にもかけない程の実力差があったのだろう。
そんなヤツに目をつけられていたという事実を、たまたま変なヤツに出会っただけとか、そんな風に楽観する事はできそうになかった。鈴瑚ならこんな時でも楽観的なのだろうか、と、少し疑問には思ったけど。
「そりゃいるに決まってるでしょ」
鈴瑚のこういう所は、なんというか、絶対に欠点だと思う。彼女にとって自明でも、他人にとってはそうではない場合があるという事に、あんまり意識が向かないのだ。
「幻想郷の管理者やそれに類する連中ってのは、想像よりずっと注意深いよ。月じゃ『かつて無謀な戦争を仕掛けて敗走していった愚か者』くらいにしか思ってないけどね」
「……私たちの正体も気付いているって?」
「むしろ気付かない理由がない。あの作戦で私たちと戦った巫女やらの連中が、管理者たちと何の繋がりも持っていないなんてあり得ないでしょう。何かしら思惑があって泳がされてるのよ、私たちは」
「思惑って何よ? 捕らえて情報を引き出す事より大事だっての?」
「さあ、そこまではね」
そう言うと鈴瑚は煮立てていた団子のタレをひと舐めし「ん、良い味」と満足げに頷いた。能天気に過ぎる振る舞いだと思うけど、こういう時の鈴瑚は、頭の中ではいろんな思考を巡らせている。鈴瑚にしてみても、幻想郷の有力者が私たちを放置している事について、色々と思うところはあるようだ。
こんな時、いつも私は見当違いの方向に突っ走って痛い目を見てきた。それが嫌で、次第に鈴瑚やサグメ様、他の人たちの言う事に追従するのが癖になったのだと思う。
自分で考え、状況を判断して行動するという事は、月ではさして必要とされてこなかった。地上でするような、自由意志を尊ぶような考え方をしないから。
生死を懸けた争いが穢れを生み、穢れによって寿命が狭められる。そうした事を憂いた者が月の都を興した。他者との違いを意識する事が争いの原因となる。画一的で無個性な事は、月では美徳なのだ。程度の差はあれ、月の民は立場に応じた振る舞いをするだけで、誰も彼もあまり変わりはないものだ。鈴瑚のようなヤツはむしろ例外だった。
もっとも「最近の兎たちはやる気がなくていいかげん」なんて言われてたりもするから、時代の中で変化はあるようだけど。
もちろん、得意不得意というものはある。だから得意な事を得意なようにやって、それが価値となり環境を作っていく。苦手な事は、それが得意な誰かがやってくれる。そんな風に全体で均整を取るための部品として、私たちは存在した。
だけど地上はそうではないらしい。妖怪たちはみんな好き勝手に生きているし、人間にしたって多少の寄り合いは作っても、一人一人が自分の判断と責任で生きている。だから悪い方面の個性を持てば、それがあらゆる事に悪影響をもたらす。私が月の兎という良くない個性によって、愉快でない連中に目をつけられたように。
連中は恐らく、鈴瑚の方にも目をつけている。そうなれば、最初に手を出してくるのは私の方だろう。鈴瑚は注意深いし頭が回る。そのぐらい、ずっと見てるヤツは気付く。意味もなく山に踏み入ってすぐに逃げ出すような、私の悪い個性を見ているヤツならば。
「帰るの? 気をつけなよー」という鈴瑚の声に曖昧に手を振り、人里へ歩き出す。今日はまた仕入れがある。おっさんのくだらない説教を全力で聞き流しながら、私は一体なにをやってるのかと疑問を浮かべる。
あの変な金髪と出会ってから四日、普通に団子屋は営業したし、夜は寝たし、必要に迫られれば買い物もした。そのどこまでをあの金髪が見ていたのか知らないが、何も見てないという事はありえないだろう。そういう状況を鈴瑚のように楽観できずにいるのは、私に何かが足りないのか、それとも鈴瑚がおかしいのか。
でも、少なくとも鈴瑚は団子屋をしっかりやっているし、状況判断に抜かりもないようだ。例えば、月とコンタクトが取れて地上での重要任務が生じたとして、多分それをするのに相応しいのは鈴瑚の方だろう。あるいはそんな事が起きず、今後も地上で生きていくのだとして、それを上手くやるのもやっぱり鈴瑚の方だ。
それが私でない事の原因は、多分、私の方にある。
「……ああ、もう!」
また頭をかきむしる。抜け毛が増えるだけと分かっていても、他に八つ当たりの対象がないのでしょうがない。
屋台の中に米粉をしまいこみ、どかっと音をたてて座り込む。正直投げつけたい気分だったけど、大事な売り物を手荒に扱うわけにはいかない。日が高くなったら里の往来に屋台を出すから、その分の団子を仕込まなくてはいけないんだけど、なんだか立ち上がる気力が無かった。頭に浮かぶのは、こんな事をしていて何になるんだ、という自嘲と、じゃあ他に何をすればいいんだ、という絶望だった。
あの後は山には行っていない。他にも廃棄された機械があるけど、そっちの様子も見に行ってない。結局、今の私にとって重要な事は、月がどうとか監視がこうとかではなくて、きちんと団子を作って売る事なのだろう。どうせ、私の頭では大した事は思えない。
そうやって状況に流された結果、この不遇を味わっているのに、同じ事を繰り返しているという悔恨さえも、意味をなさない。
ああ、なんだろうこの気持ち。なんか一言で表せそうな気がする。
そうだ。これは「死にたい」と言うんだ。
「…………」
思うだけ思ってみて、米粉の袋の口を開ける。結局やる事は変わらない。
しかし、ギシギシと屋台が音を立てだして中断する。どうも風が強い。作業するなら屋内の方が良さそうだ。そう思って米粉の袋を持ち上げた所で、風の勢いが急速に増す。何だこれは、台風か。
「うわっ……ちょっ……!」
一時の突風かと思ったら、風の勢いは更に強まっていく。屋内で作業どころの話じゃない。袋の中身が飛ばされないよう身体で押さえたら、脚がふわりと浮き上がった。べきべきと響く不快な音はは、台風もかくやという勢いとなった風が屋台を破壊する音だった。
「わあああーーー!」
渦巻く暴風にさらわれて宙を舞う。飛翔して逃れるとか、そんなレベルの風ではない。台風にしたって、なんでこんな急に。それも私の屋台を狙ったように。この世界は一体どうなっているんだ。そんなに私が嫌いなのか。ふざけんな。
あまりの状況に現実感が失われ、頭の中に罵声を響かせつつも、周りを見る程度の余裕が不思議とあった。
それによって確認できたのは、同じように風にさらわれた屋台の残骸が、尖った先端を私に向けて突っ込んでくる風景だけだったけれど。
人生はままならないものだ、としたり顔で言うヤツは死ねばいいと思う。そんな誰でも知っている事を偉そうに言う厚顔さも、ままならなさの度合いが人によって違いすぎる事に想像が及ばない無理解も、ただただ呪わしい。
ああ、結局こんなものか。つくづくろくでもない人生だった。こんな事なら、さっさと終わらせてしまえばよかったのに。
木材に身体を貫かれる直前に思ったのは、そんな事だった。どの道ろくでもない事に変わりはないが、せめてその瞬間を、見苦しく喚いたり泣いたりしながら迎えたくないとは思っていた。そういう諦めだった。
で、結果はと言えば、私の身体はどこも貫かれてなどおらず、腹立たしいほどよく晴れた空を見上げている。
ごおお、と耳鳴りのような音は、未だ吹きやまぬ暴風が奏でるものだ。ぐっと身体を起こしてみると、遠くにはっきりと風の渦が見える。暴風は木々をなぎ倒し、空の遥か高くまで及んでいる。なるほど、あんなものの中にいたらそりゃ抵抗なんかできる訳ない。木々どころか山を削らんという勢いだ。
近くを見ると、羽根の生えた連中や先日見た河童どもが寄り集まっていた。小高い丘の上に私は寝そべっていたようで、あの暴風は妖怪の山近辺に生じているようだ。つまり、私の家の近く。
連中は私に一瞥もくれず、何やら言い争っている。断片的に聞こえてくるのは、「河童」「改造」「天狗の妖力」「暴走」といった単語。
それらに対して思う事は特にない。ただ、ひたすら不愉快で、辺り構わず喚き散らしたいような衝動だけがあった。
鬱陶しい金髪が視界にちらついた気がした。
何も疑問はない。河童と言い争っている連中は恐らく天狗で、そいつらは恐らく風を起こしたりする力があって――地上の妖怪たちはいろんな力を持っているらしい――河童はあの機械を改造する程の技術を持っていて、天狗の力を取り込んでみたら暴走して、あの天変地異が出来上がったというわけだ。
これ以上無い程の確信を持ってそう判断できるのは、今のこの状況が、あまりにもお膳立てされすぎているからだった。
天狗連中は風を突破しようとして、何度も吹き飛ばされている。よく見れば天狗と河童だけではなく、前に見た緑髪の巫女や、他にもいろんな連中が集まっているようだ。また一つの確信が芽生えて、暴風の中心を注意深く見てみると、鈍い金属的な輝きが目に入った。多分、いや間違いなく、あれが暴風の原因となっている機械なのだろう。
機械の破壊を試みようとしているが、暴風に阻まれてそれが叶わない。そういう状況である事もまた、誰に聞かなくても確信できた。
今度は笑い声が聞こえた気がした。押し殺そうとして失敗し、空気を振動させる笑い声が。
ふと、周りにいくらかの木材が転がっているのに気付く。あれは屋台の残骸だろう。誰かが私を助けてここに送った際に、一緒に飛んできたものだと思われる。
「……糞」
糞。糞。今まで頭の中だけで吐き捨ててきた言葉を口にする。どうせ誰も聞いてやしない。聞かれたってかまうもんか。
不愉快でならない。私が今ここにいるのは、あの暴風から誰かが助けてくれたからだ。そして、そいつはこの状況をお膳立てしたヤツでもある。そいつは多分あの機械も何とかできるのだけど、自分ではやろうとしない。私が、それをできるからだ。
空間を歪め、異次元を通して弾丸を目標に届かせる能力。それは玉兎通信とかと同じで、月の兎の標準的な能力だけど、私はそれを他の誰よりも上手くできた。皆はそれをすごいと褒めそやし、立派な兵士になれると讃えた。私はそれが密かな自慢で、もっと褒められたくて、これについては誰よりもひたむきに訓練したと思う。命中精度も射程距離も、同期の玉兎では誰にも負けた事がない。
そうやって技を誇ると、皆が褒めてくれて、嬉しくなってまた訓練に励む。そうやって、私は優秀な兵士として遇されるようになっていった。
ねえ、清蘭は前線部隊に志願するんでしょう? そうだよね、そんなに強いんだもん。依姫様やサグメ様の指揮下に入る事もあるんでしょう? 羨ましいなあ。すごいなあ。
清蘭、貴女の実力は大したものよ。貴女なら実戦でも立派な戦果を上げられるでしょう。その調子で頑張ってね。
そういう言葉や眼差しに比べれば、生傷の絶えない肌とか、固くなりすぎて色気のない脚なんて、まるで気にならなかった。誰かに認められ、重用されることの悦びがあればよかった。
そうやって、誰かの望むように私を――清蘭をやってきた。そうすれば何もかも上手くいって、いやそれは言い過ぎだけど、まあ、なんだかんだ上手い事になっていたのだ。
そして今、誰も私を求めない場所で、ままならない団子屋の経営と、ろくでもない日々の鬱屈を抱えながら生きている。
あの機械は月のもの。暴走させたのは地上の者。月と地上を掛け合わせて生まれた災害は、私というちっぽけなものを巻き込んで、メチャクチャにして、広がっていこうとしている。
だけど、こうして眺めてみると、巻き込まれたというよりは、私をこそ中心としてあの災害は生じたのではという気になる。ほら見ろ。お前が何もしないからこうなったんだぞ。無理矢理でも河童から取り上げておけば、いや最初に壊してスクラップにでもしておけば、いいや地上への派遣を拒否していれば、いやいやそもそも兵士になどならなければ。
そうしていたら、お前はこんな目に合わなかったのに。
お前が、自分で何かを決めていたら。
右手を銃の形に構える。指先から伸びる射線を意識する。慣れ親しんだ動作だ。あんなでかい目標、目をつぶっていても当てられる。素早く動くものでないなら、私の銃弾は見えているどこにでも当たる。見えてなくても、そこにあると分かっていれば当たる。
それができたから兵士として重用され、その結果として地上に取り残され、そして今、名前も知らない誰かの思惑に沿って、また銃を構える。
銃も弾丸も私のもの。目標を見据える目も、引き金を引く指も。
ただ、意思だけがそうではない。弾丸を届かせる意思だけが。
「ふざけんな……!」
だから、吠える事しかできない。それが衝動を吐き出すように、まるで無意味なものだったとしても。
「私は、お前らのもんじゃない!」
弾痕の穿たれた機械が悲鳴を上げ、爆発する。
開放された妖力がいっとう強い風を吹き荒れさせ、周辺一帯の何もかもを吹き飛ばす。
為す術なく風にさらわれ、弾丸もかくやという速度で地面に叩きつけられるまで、私はただ、それを見ていた。
「くくくっ……なる程、優秀でなければ地上に派遣されてくるはずがないとは思っていたが、これだけできるならそりゃあ重宝されるだろうね」
またこれか、と横たわって天を見上げながら思う。ただ、さっきとは風景がまったく違うので、その感想は正しくないかもしれない。
先ほどの抜けるような青空とはまったく違う、壁も床もないような不可解な空間。その中に、いくつもの扉が浮かんで閉じたり開いたりしている。
「紫の奴、巫女にご執心で見る目が衰えたんじゃあないか? 遊ばせておくのはもったいない逸材だろうに」
起き上がって、ちゃんと地面を踏める事を確認する。見えないけど床はちゃんとあるらしい。自分の位置が不明瞭なのは、宇宙空間のそれに似ているけど、歩けるというだけで感覚はまったく異なる。
浮かぶいくつかの扉を見ると、その向こうに空や森、様々な風景が確認できる。おそらく、あの扉を通じてこの異空間へと至るのだろう。そして開閉式の扉があるという事は、それをくぐれば元の場所にも戻れるという事だ。
「……おーい、なんかリアクションはないのかい」
ちょっと寂しそうな声音が届いて、面倒だけどそっちの方を向く。見覚えのある緩やかに波打つ金髪が映る。
空間に浮かんでいるように見える椅子に腰掛け、偉そうに膝を組んでいる。椅子の横に浮かんでいるのは鼓だろうか。
「どーも、先日ぶりね。助けてくれてありがとー」
うんざりだ、という意思ができるだけ伝わるよう意識して、私は声をかけた。
「随分と落ち着いたものだ。この状況は想定通りだったという事かな?」
「どうでも良いだけよ。私に何かをさせようとするヤツの思惑なんて」
「兵士にあるまじき言動だなぁ。そんなんで月に帰ったら問題になるかも知れんよ?」
「別にいいわ。なるようにしかならないでしょ」
本当、なんて馬鹿馬鹿しいんだろう。誰かの意思に基づいて、できる事だけをして、その結果がこれだ。ろくでもなくて、死にたくなって、面倒はキリがなくて、愉快な事なんか一つたりともありゃしない。
でも結局、それは自業自得なんだろう。だって、その方が楽だったのだ。何をすればいいか考える必要がなくて、手に余る事は最初から降ってこなくて、ただ何となく生きていればよくて、何も責任を負わなくて済む。
自分の人生なのに。
ホント、馬鹿馬鹿しい。
「あんたの思惑通り、あの機械は止めた。あそこにいた奴らがどうなったのかは知らないけど、私には関係ないし、暴風から助けられた義理も果たしたでしょ」
「察しているようだが、ここは私の作った異空間だ。私が望めばすべての扉は閉ざされ、お前は永久にここを彷徨う事になる」
「そんなつもりなら、最初から助けないでしょ。あの機械だってあんたなら止めれたんでしょうに、わざわざ私にやらせたんだから、今さら私を消す理由があるとも思えない」
金髪は軽くため息をついて苦笑を浮かべた。半眼になって見つめてくるその目線は、非難よりは興味が勝っているように思える。
「河童の詰問にあれだけ動揺していたくせに、随分とまあ図太い態度じゃあないか。何か心境の変化でもあったのかな」
「どうでも良いっていったでしょ。……ううん、どうでも良くなったの。どうせろくでもない事になるんなら、誰かに何かを決めてもらうより、好き勝手にしてた方がマシだわ」
ははは、と金髪は大口を開けて笑った。それが聞きたかったのだとでも言うように。そういう顔をされるのが、何よりも癪に障る。その事も、きっと分かっているのだろう。
「なる程な。実を言うと、私はお前を部下にスカウトしようかと思っていた。だがそれはダメだな。最初からお前は人の下につける器じゃあない」
ぴく、と反応してしまった。興味がある素振りなんて見せたくなかったのに。
「……最初からってどういう事よ」
「強欲だと言っているんだよ。自分のためでなくては必死になれない。誰でも最初はそうだ。だが環境に合わせて、自分のあり方を思い思いに決めていく。時には肌に合わん事をして歪みもする」
お前のように、そう金髪は続けた。
「よくもまあ長いこと兵役になど従事したものだ。お前に兵士は務まらん。従者も然り。自分らしいあり方を探す事を年寄りはオススメするよ」
「そう。寝るまでは覚えておくわ」
「ははは、それでいいさ。己が望む故に己である。身の丈とはそうやって決まるんだよ」
偉そうに金髪は言う。知った事かと言いたかったが、金髪が宙に浮かぶ鼓を軽く打つと、急に視界がぐるりと回って声を出すどころではなくなった。
歪む視界の中、向こうからやってくるのは扉だ。大きく開いて私を飲み込もうとするように迫ってくる。
「もう一つ。私は摩多羅隠岐奈という。私の肩書きになどお前は興味なかろうが、これがお前を気に入った者の名前だという事だけは、覚えておくと良いぞ」
◆ ◆ ◆
荷物はできるだけ少ない方が良いという。旅なんてした事ないので、持っていくべきものは荷物袋を買った店の人に聞いて参考にした。
「どうやってそんなもの用意したの? お金ぜんぜん無いって言ってたのに」
「月の機械の情報を河童たちに売った」
鈴瑚はその言葉を聞いて肩をすくめた。呆れたと言いたいようだが、あんな事があっても懲りずに機械の鹵獲を目論む河童に対してと、あれだけ気にしてた機械をあっけなく売った私、どっちに向けた呆れなのかは分からなかった。
お金がないと言っていたのも、半分ウソのようなものだ。米粉の卸売のおっさんに「あの災害で屋台も材料も吹き飛んで代金が払えませんゴメンナサイ」で押し通すため、吹聴していただけ。まあ、当分屋台ができないのは事実だけど。
相手も被害状況は知っていて強くは出れない様子だったので、そのまま有耶無耶にする予定だ。後でなんか言われても知ったこっちゃない。こっちは天下の被害者様である。
……そう言えば、天狗やら河童連中はなんだかんだいって大した被害もなかったようだ。ああいう事態に慣れているのかもしれないが、納得いかない話ではある。言っても詮無い事だけど。
「清蘭ってそんな感じだったっけ?」
やはり多少なりとも私自身への呆れはあったらしい。気にしても無意味だから、気にしない。
「ま、そっちの方が良いと思うけど」
「そういう鈴瑚はどうなのよ。そっちの屋台だって無事じゃなかったんでしょう?」
「そっちみたいに全壊じゃあないからね。里の大工にも伝手があるし、この機会に少し大きくしてもらおうと思ってるよ」
相変わらず鈴瑚は抜け目ない。私は、きっと一生こんな風にはできないのだろう。それはどうにもならない。どうにもならない事をどうにかしようとしたって、疲れるだけだ。それだったら、どうにかなる事の方を気にして生きていたい。
ストレス解消に旅をしてみようなんて、安直に過ぎるかもしれないけど。
「で、どこまで行くの?」
「まあ、幻想郷ってそんなに広くないみたいだし、色んなとこ回ってみるわよ。美味しいものでも食べ歩いてみたり、ああ、温泉とか入りたいなー」
「温泉かぁ。私も行きたいな」
アンタなら何とでもできるでしょうに。
そう言いかけたけど、鈴瑚の声は本気で羨んでいるようにも聞こえて、何だかそんなに単純な事ではないのかもと思い直した。鈴瑚は鈴瑚で、どうにかなる事と、どうにもならない事の間で生きているのかもしれない。
いいとこ見つけたらそのうち一緒に行こうよ。そう声を掛けると、鈴瑚は少しキョトンとして、それから微笑んだ。
私は、私にとって大事なものを守れればそれでいい。そう思う事にしよう。
……ああ、なるほど、これが強欲って事なのか。
肩で風を切るように歩いてみる。木々の香りを吸い込んでみる。遠く、遠くを見据えてみる。
地上なんか嫌いだ。だけど、そうしていると、不思議とそう悪くもないんじゃないかとも思えてくる。
そんな風に単純で、勝手な私の事を、誰かが笑っているような気がする。呆れてもいるような。
鈴瑚とか、鈴仙とか、月の皆とか、あの隠岐奈ってやつとか、いろんな人たちが。
天を睨んで、息を吸い込んで、腹の底から声を出す。
「それがどうした!!」
そんな事より今はご飯だ。そろそろ日が高くなる頃。そうだ、あの山に行ってみよう。一応あの災害を食い止めたのは私って事になるんだから、邪険にはできないだろう。山の幸なんてろくに食べた事ないけど、美味しいとは聞く。天狗とやらは数も多いから大浴場の一つくらいあるだろうし、悪くない。
そんな事をしている内に、この場所の事を好きになったりするかもしれない。ならないかもしれない。
それはまあ、その時の話だ。
こういう駆け出すような話大好き
紺珠は未プレイですが清蘭良いですね。泥に塗れて生きる決意は地上らしく愛いです
読後に見ると『さまよえる異次元の弾丸』なタイトルさえ可愛いくなる不思議
私も少しのお金と明日のパンツだけ持って、旅に出ようかな。
それを今まで包み隠して偽ってきたことを、命の危機を経て後悔し、開き直るまでの流れが素敵でした。
「私は、お前らのもんじゃない!」という彼女の叫びはおそらく、月の兵士として生きてきた過去に対しても等しく放たれたものなのでしょう。
自分の強欲さを自覚した彼女が今後どう生きていくのか。
ほんの少しの不安と期待、そして何より興味があります。