博麗霊夢が霧雨魔理沙の訃報を知ったのは冬に入り、寒さの厳しさが本格的になってきた朝だった。
まさか魔理沙が、信じられぬがこの肌につき刺さるような寒さは夢ではない。
訃報を知らせにきた魔理沙の娘は私に日時を伝えるなり、そそくさと去っていった。他にも訃報を伝える客人がいるのだろう。
喪服なんてどこに仕舞っただろうか、そもそも今回使うのが初めてかもしれない。
押し入れの襖を開け喪服を探す。お葬式と火葬は明日、今日中に喪服が見つかれば良いが、喪服を探しながら魔理沙と最後にあった一年前を思い出す。
◆
その誘いは突然だった。霧雨魔理沙から妖怪の山に新しくできた温泉旅館に行かないかと誘われた。訳あって宿泊費は無料らしい。
思えば魔理沙とこうやって遊びに出かけるのは久しい。仲が悪いわけではない。
歳老いてお互い何かと忙しく、会う機会も年々減っていた。それだけにこのお誘いは久しぶりに魔理沙とゆっくり会えるだけあり心を躍らせた。
当日、待ち合わせ場所へ早めに到着して魔理沙を待っていると待ち合わせ時間に遅れて魔理沙が小走りでやってきた。
「久しぶりだな」魔理沙は息を切らしながら挨拶をした。
「久しぶりね」挨拶を返した霊夢だが、魔理沙の顔をよく見ると目の下にクマがあることに気づいた。
クマを指摘すると魔理沙は照れくさそうに答える。
「締め切りに追われて夜通し執筆していたんだ。そして原稿を渡して今来たばかりでさ」
「全く、昔から変わらないのね。もう歳だから無理はできないのよ、お互いにね」
「それは分かっているんだが、これだけはどうしても」魔理沙は苦笑いを浮かべ頬をかいた。
霊夢も変わらぬ友人に呆れながら笑みを浮かべる。
思えば魔理沙の性格こそは変わらなかったが、生き方だけはかなり変わってしまった
今から三十年ほど前、魔理沙は魔法使いの夢を諦めた。
正確には、魔法使いを選ばなかった。
夢を選ばなかった魔理沙は何をするのだろうかと心配したが、杞憂だった。
魔理沙は魔法の森で自由気ままに暮らしていた経験をいかし、その頃のエッセイ、山菜やキノコの調理本などを執筆し、作家としての才能を開花させた。
今や幻想郷において魔理沙を知らぬ人はいないほどだった。
かくいう私も彼女のファンで新作はもちろん、新聞の連載も追いかけている。
「で、魔理沙大先生。次の新作はどんな内容なのかしら」
「おっと、それは秘密だ。たとえ霊夢でもな」
霊夢は唇をとがらせた
「まぁまぁ、実をいうと今回の温泉旅行は旅館側から依頼なんだ。次の新聞連載はこの取材旅行になるよ」
霊夢は思わずため息をつく
「良いわねぇ私にもそんなお仕事が転がってこないかしら」
「だから誘ったのさ、それに霊夢には一生来られないだろうからな」
霊夢は魔理沙の頭を小突いてやった。
そんな話をしているうちに旅館に到着した。
積もる話もあってか温泉旅行はあっという間に過ぎる。
温泉で老体を癒やしながらお互いの近況を語り、旅館の料理に舌鼓を打ちながら
歳を重ねてからの苦労話に花を咲かせた。もちろん、お酒も進んだ。
飲み始めてからかなりたち、少し眠くなった霊夢が大きなあくびをすると既に酔いも回り呂律が少し回らない魔理沙から煽られた。
「おやおや、昔は朝まで飲み明かして無茶ばかりの霊夢があくびを、寝るにはまだ早いぞ」
「あのねぇ私も歳なのよ」とため息をつく。
「なに弱気になっているんだ霊夢。人生は折り返したもしれないけどまだまだ若いさ。ほらほら、それにため息が多いぞ。まるで年寄りみたいだ」
そう言いながら魔理沙は霊夢と自分のぐい吞みにお酒を注ぐ
若い私達にかんぱい、並々に注がれたお酒を互いに飲み干す。
「はぁ、魔理沙は本当にうらやましいわね」
「なんだ急に」
霊夢はもう一度ため息をついてから喋りだす。
「魔理沙のことよ、売れっ子作家で良い暮らしてさ、取材旅行で仕事がてら温泉旅行。私もこんな生活してみたいわ」
愚痴を終えた霊夢はお酒を並々に注ぎ一気に飲み干す。
霊夢大丈夫か、魔理沙がそう言い終わる前に霊夢は再び喋りだす。
「それにあなたの娘は人里でも秀才と評判じゃない。うちなんて貧乏だけを引き継いだ巫女がいるだけよ」
それほどでも、そんな反応を期待していたが、魔理沙は俯いている。
「ちょっと魔理沙」
霊夢が顔を近づけると急に魔理沙は顔を上げた。
「おっと、酔いが周って眠気が、さてさて、私も霊夢も限界だからそろそろ寝るか」
「そうね」と言い、立ち上がったは良いが呑みすぎたのか足元がおぼつかない。
魔理沙がすぐさま身体を支えてくれた。
「おいおい大丈夫か、ほら、布団まで付いていくから」
「ありがとうね魔理沙」
お礼を述べたつもりだが、霊夢の呂律は周っていなかった。
霊夢は布団に案内されるとすぐ眠りに落ちた。
最終日の朝食を終え、部屋でお茶を啜りながらくつろいでいると、突然魔理沙から
話を切り出された。
「なぁ、霊夢の娘は元気にしているのか」
「ええ、私に似て相も変わらず貧乏巫女よ」
「相談があるんだ。いいかな」
ええ、霊夢は二つ返事で答えた。
魔理沙は籠に積み上げられた蜜柑に手を伸ばし、皮を剥きながら喋り始めた。
――実は娘と仲がうまくいっていない。
ほとんど口を利くこともない。開いたとしても喧嘩しかしない。
原因は私にある。取材で数日も家を空けたり、締め切りに終われ昔の家に籠もっていたり、それで家の
家事どころか家計まで娘に任せていた。
私もそれが不味いことは承知だったが、中々辞めることができなかった。そんな生活を続けていくうち
に、いつのまにか埋めようのない溝ができてしまった。
そして最近は私と同じく魔法使いを目指したいと言い出した。もちろん反対した。
今考えてみれば私は本当に幸運だったよ。いつ野垂れ死んでもおかしくない。
そんな目に娘を合わせたいとは思わない。
霊夢は唐突な話に思わず数秒黙りこんでしまった。お茶を啜り遅れて答えた。
「確かにねぇ、でも魔理沙だって」
魔理沙は頷いた。
「わかっているよ、私もそうだったし、両親もそうだった。今なら両親の気持ちが分かるよ。自分がそうだったのに、娘に背中すら押してやれない。そんな自分が情けなくて仕方ないんだ」
霊夢も机の蜜柑に手を伸ばす。
「今からでもできることあるんじゃないかしら、今回みたいに温泉旅行へ娘と行く、家を空けない。それからゆっくり話あっても遅くないはずよ」
「何度か落ち着いて話そうとはしたんだが、どうしても上手くいかなくてな」
霊夢はため息をつく
「実を言うとね、この温泉旅行があるまで魔理沙に嫉妬していたの」
そうなのか、魔理沙が小さく呟いた。
「ええ、昔は神社にお泊まりする程だったのに、売れっ子になってからは私と会う機会も無い。魔理沙は変わって、私のことなんか忘れちゃったのだと拗ねていたのよ。それに私よりも良い生活もしているみたいだし、それでも新作は追って読んでいたけど」
魔理沙は皮を剥き終えた蜜柑を口にした。甘いけれど酸っぱかった。
「でも、久しぶりに魔理沙と会ってそんな感情を抱いた自分が恥ずかしくなったの、締め切りに追われるぐうたらさ、ぐでんぐでんに酔うまでお酒は飲む。魔理沙は少しも変わっちゃいない」
皮を剥き終えた蜜柑を口にして霊夢は続ける。
「時間なんて関係なかった。今回の取材旅行にわざわざ私を誘ってくれたのに、そんな感情を抱いた私がとても恥ずかしくなったの。暫く疎遠だった私にも声を掛けてくれる。友人でもそんな仲よ、親子の仲はそんなに脆いのかしら」
魔理沙は納得したのか「そうだな」と小さくつぶやいた。
「全く、昔のあなたはどうしたのかしら、何も考えず異変解決のために突っ走っていた頃が懐かしいわね」
「ありがとうな霊夢、恩に着るよ。最近、忙しくてそんな簡単なことにも気づけなかったなんて、また娘とゆっくり話し合ってみるよ」
「健闘を祈るわ。それとお礼は」霊夢は親指と人差し指で円を作る
霊夢は本当に変わらないなぁ、魔理沙は呟く。
「あなたほどじゃないわよ」
その言葉に魔理沙は久しぶりに腹の底から笑った。
その年の魔理沙からの御布施は例年より多かった。それに魔理沙と娘のツーショット写真が付いてきた。どうやら温泉旅館で撮影したらしい。
写真の裏には「ありがとうな霊夢、まだ嫌われているけど、少しだけ一歩進めたよ。また一緒に行こうな」そう一言い添えられていた。
◆
魔理沙はあっさり約束を破った。
お葬式にはたくさんのファンが参列していた。それに紛れて久しぶりに顔を見る妖怪達がちらほら見えた。妖怪達の見た目はちっとも変わっていなかった。
顔見知りの人間は私と同じく歳相応に老けていた。
悲しみのあまり魔理沙にかけてやる言葉は見つからなかった。
小さな声で「やすらかにね」そう呟くのが精一杯だった。
焼香を済ませ、暫くしてから火葬が執り行われた。
火葬も難なく終えたが魔理沙の娘は骨を眺め全く拾ってい無かったことが気がかりだった。
お開きになり、人がまばらになった頃、骨壺を抱えてベンチに腰を掛けている娘に「お疲れ様」と声を掛けた。
娘からも「こちらこそお疲れ様でした」と返された。
「ひとつ、気になっていることがあるのだけど良いかしら」
はぁ、娘は何のことだろうかという反応だ。
「どうしてお母さんの骨を拾ってやらなかったの」
娘は答えた。
「いやなのです」
いや? 霊夢が問うと娘は続けた。
「はい。私は母が嫌いなのです。原稿原稿で家を空け、私に家事や家計の管理を押しつけて。勉強する時間もありませんでした。どうにか良い成績は出せていますが」
そういうことか。
「なるほどね、それはたぶん自分に似ているからよ」
娘は目を見開いた。嫌いな母と同じと言われて恐らく、怒っている。
「怒らないでちょうだい、本当のことよ。お母さんから聞いてるわよ、あなた魔法使いを目指すのでしょう? 同じじゃない。お母さんもあなたも向こう見ず。それに親子ともに才能に溢れているのだから」
疑問の解けた霊夢は短い挨拶をして、立ち上がりその場を後にしようとした。
「霊夢さん」
呼び止められた霊夢は立ち止まる。
「なにかしら」
娘は口調を荒らげる。
「霊夢さんの言葉、どういうことでしょうか、私は母と違い何でもこなしています。成績だって優秀で、母と違い魔法使いになれるはずです」
霊夢はため息をつく
「訂正する気は無いわ、あなたと母は驚くほどよく似ている」
「ど・・・どこが似ているのでしょうか。昨日あったばかりなのに、どうしてそんなことが言えるのでしょうか」
その返しを予想していなかったのか娘は詰まりながら答えた。
霊夢は再びため息をつく
「驚くべきほど恥というものを知らないのね。あなたを評価できる点はひとつだけね。魔理沙と違って優秀で何でもこなせる。でもそれだけ、何にも挑戦したことがない。今のあなたには口先だけね。魔理沙があなたの歳の頃には家を飛び出していたのよ」
言葉に詰まったのか押し黙り、何も言わぬ彼女にイライラした霊夢は「それじゃ」と短く挨拶をして帰った。
霊夢は帰路につきながら先程のやり取りを思い返す。
なんて言葉をかけてしまったのだろう。自尊心は高いが、魔理沙と同じ頃と比べればしっかりしているし、何より行儀が良い。なのにあんな言葉を掛けてしまった。私が言いたいことはそんなことではない。
魔理沙ほど幻想郷において自由に生きた人間はいない。家を継がず、魔法使いを目指し、それを選ばず別の才能を開花させて自由気ままな人生を送った。
魔理沙だって娘の背中を押してやりたかった。魔理沙の歩んだ人生はいつ野垂れ死んでもおかしくない。そんな苦労はさせたくない、反対したのは良くも悪くも母親心がそうさせたのだろう。
それと魔理沙は魔法使いになれなかったのではなく、選ばなかったのだ。
そのことを伝えたかったのだ、彼女に伝えなければ。
いつの間にか来た道を戻っていた。
向かいの道から人影が見える。
あれは……魔理沙の娘だ。
娘はぎゅうぎゅうに詰め込まれたリュックと肩掛け鞄を重そうにのしのしと歩いている。
「あら、その荷物はどうしたのかしら」
「家を飛び出してきました」
自信満々に答えてくれた。
なるほど、しかし行く当てはあるのだろうか、娘に問う。
「ありませんよ」何故かこれも自信ありげに答えた。
「それなら丁度良いわね。母が昔住んでいた家はまだあるのよ、よければ案内するけど」
「本当ですか、よろしくお願いします」
目を輝かせながら娘は頭を下げた。
そういう無鉄砲なところ、そして嬉しい時は目を輝かせる。
やはり彼女は魔理沙の娘だ。
◆
夜空に輝く星を眺めながら夜道を歩く。
案内した魔理沙の家はやはり散らかっていた。
それだけなら良いが、昔よりも明らかに悪化していた。ものを捨てられぬ性格は健在のようだ。
確か魔法使いを選ばなかった際、溜めに溜めた家財道具やらゴミを綺麗さっぱり全て処分したはずなのだが、手伝わされたのでよく覚えている。
これだけは変わって欲しかったわねぇ、霊夢が愚痴ると娘も続いて「もうちょっとマシな遺産が良かったです」と愚痴っていた。
二人で協力して没原稿の山をかき分け、瓶の山、お菓子の包みを捨て、床を拭き、家具の運び出しを手伝うと太陽は沈んでいた。
そのせいか腰は悲鳴を上げているし、お腹も空いた。やはり歳だ、無理をするものでは無い。それにしてもお腹がすいた。今日は昼を食い損ねてしまった。
そうだ、香典返しは金平糖だったことを思い出す。
床を掃除しながら、なぜ金平糖なのか娘は答えてくれた「母が大好きで必ずつまみながら執筆していました。その度に私は机に数個積み上げられた金平糖の瓶を一つくすねていました」笑いながらそう語っていた。
箱を開け、じゃらじゃらと音のする瓶を取り出す。
蓋を開け金平糖を摘まむ。金平糖か、久しく口にしていない。口に流し込む。
不思議な味だ。何となく懐かしくて、甘くて、しょっぱくて。
この気持ちは何なのだろう、舐めながら考えを張り巡らしていると金平糖が口から消えた時にようやく思い出せた。そうか、魔理沙の弾幕は甘いのだ。すっかり忘れていた。
その懐かしい味をもう一つ口にすると涙の堰が切られた。もう止められない。
視界は歪む、大洪水だ。悲しみを何とかごまかすために金平糖を口にしたが甘くてしょっぱいし味は分からない。
人生は折り返しで、まだまだ若い私達ではないか。温泉旅行だけではなく、もっと色々な所に行ったり新しいことに挑戦したりしたかったのに。
暫くしてようやく収まった。もう何も出ない枯れ果てた。霊夢は再び星を眺めながら帰路につく。
今日は疲れた、早く布団で横になりたい。そんな愚痴をこぼしているとひときわ輝く星を見つけた。
おぼろげだ本で読んだ覚えがある。亡くなった人を「星になった」と揶揄していた。
あの輝く星は亡くなった魔理沙なのか、それとも――――
泣いた時にめちゃくちゃに食べた金平糖は残り数個となった。
ええい、まどろっこしい。全て食べてしまおう。一気に口に流し込む。
やはり金平糖は懐かしくて甘くてしょっぱい味がした。
まさか魔理沙が、信じられぬがこの肌につき刺さるような寒さは夢ではない。
訃報を知らせにきた魔理沙の娘は私に日時を伝えるなり、そそくさと去っていった。他にも訃報を伝える客人がいるのだろう。
喪服なんてどこに仕舞っただろうか、そもそも今回使うのが初めてかもしれない。
押し入れの襖を開け喪服を探す。お葬式と火葬は明日、今日中に喪服が見つかれば良いが、喪服を探しながら魔理沙と最後にあった一年前を思い出す。
◆
その誘いは突然だった。霧雨魔理沙から妖怪の山に新しくできた温泉旅館に行かないかと誘われた。訳あって宿泊費は無料らしい。
思えば魔理沙とこうやって遊びに出かけるのは久しい。仲が悪いわけではない。
歳老いてお互い何かと忙しく、会う機会も年々減っていた。それだけにこのお誘いは久しぶりに魔理沙とゆっくり会えるだけあり心を躍らせた。
当日、待ち合わせ場所へ早めに到着して魔理沙を待っていると待ち合わせ時間に遅れて魔理沙が小走りでやってきた。
「久しぶりだな」魔理沙は息を切らしながら挨拶をした。
「久しぶりね」挨拶を返した霊夢だが、魔理沙の顔をよく見ると目の下にクマがあることに気づいた。
クマを指摘すると魔理沙は照れくさそうに答える。
「締め切りに追われて夜通し執筆していたんだ。そして原稿を渡して今来たばかりでさ」
「全く、昔から変わらないのね。もう歳だから無理はできないのよ、お互いにね」
「それは分かっているんだが、これだけはどうしても」魔理沙は苦笑いを浮かべ頬をかいた。
霊夢も変わらぬ友人に呆れながら笑みを浮かべる。
思えば魔理沙の性格こそは変わらなかったが、生き方だけはかなり変わってしまった
今から三十年ほど前、魔理沙は魔法使いの夢を諦めた。
正確には、魔法使いを選ばなかった。
夢を選ばなかった魔理沙は何をするのだろうかと心配したが、杞憂だった。
魔理沙は魔法の森で自由気ままに暮らしていた経験をいかし、その頃のエッセイ、山菜やキノコの調理本などを執筆し、作家としての才能を開花させた。
今や幻想郷において魔理沙を知らぬ人はいないほどだった。
かくいう私も彼女のファンで新作はもちろん、新聞の連載も追いかけている。
「で、魔理沙大先生。次の新作はどんな内容なのかしら」
「おっと、それは秘密だ。たとえ霊夢でもな」
霊夢は唇をとがらせた
「まぁまぁ、実をいうと今回の温泉旅行は旅館側から依頼なんだ。次の新聞連載はこの取材旅行になるよ」
霊夢は思わずため息をつく
「良いわねぇ私にもそんなお仕事が転がってこないかしら」
「だから誘ったのさ、それに霊夢には一生来られないだろうからな」
霊夢は魔理沙の頭を小突いてやった。
そんな話をしているうちに旅館に到着した。
積もる話もあってか温泉旅行はあっという間に過ぎる。
温泉で老体を癒やしながらお互いの近況を語り、旅館の料理に舌鼓を打ちながら
歳を重ねてからの苦労話に花を咲かせた。もちろん、お酒も進んだ。
飲み始めてからかなりたち、少し眠くなった霊夢が大きなあくびをすると既に酔いも回り呂律が少し回らない魔理沙から煽られた。
「おやおや、昔は朝まで飲み明かして無茶ばかりの霊夢があくびを、寝るにはまだ早いぞ」
「あのねぇ私も歳なのよ」とため息をつく。
「なに弱気になっているんだ霊夢。人生は折り返したもしれないけどまだまだ若いさ。ほらほら、それにため息が多いぞ。まるで年寄りみたいだ」
そう言いながら魔理沙は霊夢と自分のぐい吞みにお酒を注ぐ
若い私達にかんぱい、並々に注がれたお酒を互いに飲み干す。
「はぁ、魔理沙は本当にうらやましいわね」
「なんだ急に」
霊夢はもう一度ため息をついてから喋りだす。
「魔理沙のことよ、売れっ子作家で良い暮らしてさ、取材旅行で仕事がてら温泉旅行。私もこんな生活してみたいわ」
愚痴を終えた霊夢はお酒を並々に注ぎ一気に飲み干す。
霊夢大丈夫か、魔理沙がそう言い終わる前に霊夢は再び喋りだす。
「それにあなたの娘は人里でも秀才と評判じゃない。うちなんて貧乏だけを引き継いだ巫女がいるだけよ」
それほどでも、そんな反応を期待していたが、魔理沙は俯いている。
「ちょっと魔理沙」
霊夢が顔を近づけると急に魔理沙は顔を上げた。
「おっと、酔いが周って眠気が、さてさて、私も霊夢も限界だからそろそろ寝るか」
「そうね」と言い、立ち上がったは良いが呑みすぎたのか足元がおぼつかない。
魔理沙がすぐさま身体を支えてくれた。
「おいおい大丈夫か、ほら、布団まで付いていくから」
「ありがとうね魔理沙」
お礼を述べたつもりだが、霊夢の呂律は周っていなかった。
霊夢は布団に案内されるとすぐ眠りに落ちた。
最終日の朝食を終え、部屋でお茶を啜りながらくつろいでいると、突然魔理沙から
話を切り出された。
「なぁ、霊夢の娘は元気にしているのか」
「ええ、私に似て相も変わらず貧乏巫女よ」
「相談があるんだ。いいかな」
ええ、霊夢は二つ返事で答えた。
魔理沙は籠に積み上げられた蜜柑に手を伸ばし、皮を剥きながら喋り始めた。
――実は娘と仲がうまくいっていない。
ほとんど口を利くこともない。開いたとしても喧嘩しかしない。
原因は私にある。取材で数日も家を空けたり、締め切りに終われ昔の家に籠もっていたり、それで家の
家事どころか家計まで娘に任せていた。
私もそれが不味いことは承知だったが、中々辞めることができなかった。そんな生活を続けていくうち
に、いつのまにか埋めようのない溝ができてしまった。
そして最近は私と同じく魔法使いを目指したいと言い出した。もちろん反対した。
今考えてみれば私は本当に幸運だったよ。いつ野垂れ死んでもおかしくない。
そんな目に娘を合わせたいとは思わない。
霊夢は唐突な話に思わず数秒黙りこんでしまった。お茶を啜り遅れて答えた。
「確かにねぇ、でも魔理沙だって」
魔理沙は頷いた。
「わかっているよ、私もそうだったし、両親もそうだった。今なら両親の気持ちが分かるよ。自分がそうだったのに、娘に背中すら押してやれない。そんな自分が情けなくて仕方ないんだ」
霊夢も机の蜜柑に手を伸ばす。
「今からでもできることあるんじゃないかしら、今回みたいに温泉旅行へ娘と行く、家を空けない。それからゆっくり話あっても遅くないはずよ」
「何度か落ち着いて話そうとはしたんだが、どうしても上手くいかなくてな」
霊夢はため息をつく
「実を言うとね、この温泉旅行があるまで魔理沙に嫉妬していたの」
そうなのか、魔理沙が小さく呟いた。
「ええ、昔は神社にお泊まりする程だったのに、売れっ子になってからは私と会う機会も無い。魔理沙は変わって、私のことなんか忘れちゃったのだと拗ねていたのよ。それに私よりも良い生活もしているみたいだし、それでも新作は追って読んでいたけど」
魔理沙は皮を剥き終えた蜜柑を口にした。甘いけれど酸っぱかった。
「でも、久しぶりに魔理沙と会ってそんな感情を抱いた自分が恥ずかしくなったの、締め切りに追われるぐうたらさ、ぐでんぐでんに酔うまでお酒は飲む。魔理沙は少しも変わっちゃいない」
皮を剥き終えた蜜柑を口にして霊夢は続ける。
「時間なんて関係なかった。今回の取材旅行にわざわざ私を誘ってくれたのに、そんな感情を抱いた私がとても恥ずかしくなったの。暫く疎遠だった私にも声を掛けてくれる。友人でもそんな仲よ、親子の仲はそんなに脆いのかしら」
魔理沙は納得したのか「そうだな」と小さくつぶやいた。
「全く、昔のあなたはどうしたのかしら、何も考えず異変解決のために突っ走っていた頃が懐かしいわね」
「ありがとうな霊夢、恩に着るよ。最近、忙しくてそんな簡単なことにも気づけなかったなんて、また娘とゆっくり話し合ってみるよ」
「健闘を祈るわ。それとお礼は」霊夢は親指と人差し指で円を作る
霊夢は本当に変わらないなぁ、魔理沙は呟く。
「あなたほどじゃないわよ」
その言葉に魔理沙は久しぶりに腹の底から笑った。
その年の魔理沙からの御布施は例年より多かった。それに魔理沙と娘のツーショット写真が付いてきた。どうやら温泉旅館で撮影したらしい。
写真の裏には「ありがとうな霊夢、まだ嫌われているけど、少しだけ一歩進めたよ。また一緒に行こうな」そう一言い添えられていた。
◆
魔理沙はあっさり約束を破った。
お葬式にはたくさんのファンが参列していた。それに紛れて久しぶりに顔を見る妖怪達がちらほら見えた。妖怪達の見た目はちっとも変わっていなかった。
顔見知りの人間は私と同じく歳相応に老けていた。
悲しみのあまり魔理沙にかけてやる言葉は見つからなかった。
小さな声で「やすらかにね」そう呟くのが精一杯だった。
焼香を済ませ、暫くしてから火葬が執り行われた。
火葬も難なく終えたが魔理沙の娘は骨を眺め全く拾ってい無かったことが気がかりだった。
お開きになり、人がまばらになった頃、骨壺を抱えてベンチに腰を掛けている娘に「お疲れ様」と声を掛けた。
娘からも「こちらこそお疲れ様でした」と返された。
「ひとつ、気になっていることがあるのだけど良いかしら」
はぁ、娘は何のことだろうかという反応だ。
「どうしてお母さんの骨を拾ってやらなかったの」
娘は答えた。
「いやなのです」
いや? 霊夢が問うと娘は続けた。
「はい。私は母が嫌いなのです。原稿原稿で家を空け、私に家事や家計の管理を押しつけて。勉強する時間もありませんでした。どうにか良い成績は出せていますが」
そういうことか。
「なるほどね、それはたぶん自分に似ているからよ」
娘は目を見開いた。嫌いな母と同じと言われて恐らく、怒っている。
「怒らないでちょうだい、本当のことよ。お母さんから聞いてるわよ、あなた魔法使いを目指すのでしょう? 同じじゃない。お母さんもあなたも向こう見ず。それに親子ともに才能に溢れているのだから」
疑問の解けた霊夢は短い挨拶をして、立ち上がりその場を後にしようとした。
「霊夢さん」
呼び止められた霊夢は立ち止まる。
「なにかしら」
娘は口調を荒らげる。
「霊夢さんの言葉、どういうことでしょうか、私は母と違い何でもこなしています。成績だって優秀で、母と違い魔法使いになれるはずです」
霊夢はため息をつく
「訂正する気は無いわ、あなたと母は驚くほどよく似ている」
「ど・・・どこが似ているのでしょうか。昨日あったばかりなのに、どうしてそんなことが言えるのでしょうか」
その返しを予想していなかったのか娘は詰まりながら答えた。
霊夢は再びため息をつく
「驚くべきほど恥というものを知らないのね。あなたを評価できる点はひとつだけね。魔理沙と違って優秀で何でもこなせる。でもそれだけ、何にも挑戦したことがない。今のあなたには口先だけね。魔理沙があなたの歳の頃には家を飛び出していたのよ」
言葉に詰まったのか押し黙り、何も言わぬ彼女にイライラした霊夢は「それじゃ」と短く挨拶をして帰った。
霊夢は帰路につきながら先程のやり取りを思い返す。
なんて言葉をかけてしまったのだろう。自尊心は高いが、魔理沙と同じ頃と比べればしっかりしているし、何より行儀が良い。なのにあんな言葉を掛けてしまった。私が言いたいことはそんなことではない。
魔理沙ほど幻想郷において自由に生きた人間はいない。家を継がず、魔法使いを目指し、それを選ばず別の才能を開花させて自由気ままな人生を送った。
魔理沙だって娘の背中を押してやりたかった。魔理沙の歩んだ人生はいつ野垂れ死んでもおかしくない。そんな苦労はさせたくない、反対したのは良くも悪くも母親心がそうさせたのだろう。
それと魔理沙は魔法使いになれなかったのではなく、選ばなかったのだ。
そのことを伝えたかったのだ、彼女に伝えなければ。
いつの間にか来た道を戻っていた。
向かいの道から人影が見える。
あれは……魔理沙の娘だ。
娘はぎゅうぎゅうに詰め込まれたリュックと肩掛け鞄を重そうにのしのしと歩いている。
「あら、その荷物はどうしたのかしら」
「家を飛び出してきました」
自信満々に答えてくれた。
なるほど、しかし行く当てはあるのだろうか、娘に問う。
「ありませんよ」何故かこれも自信ありげに答えた。
「それなら丁度良いわね。母が昔住んでいた家はまだあるのよ、よければ案内するけど」
「本当ですか、よろしくお願いします」
目を輝かせながら娘は頭を下げた。
そういう無鉄砲なところ、そして嬉しい時は目を輝かせる。
やはり彼女は魔理沙の娘だ。
◆
夜空に輝く星を眺めながら夜道を歩く。
案内した魔理沙の家はやはり散らかっていた。
それだけなら良いが、昔よりも明らかに悪化していた。ものを捨てられぬ性格は健在のようだ。
確か魔法使いを選ばなかった際、溜めに溜めた家財道具やらゴミを綺麗さっぱり全て処分したはずなのだが、手伝わされたのでよく覚えている。
これだけは変わって欲しかったわねぇ、霊夢が愚痴ると娘も続いて「もうちょっとマシな遺産が良かったです」と愚痴っていた。
二人で協力して没原稿の山をかき分け、瓶の山、お菓子の包みを捨て、床を拭き、家具の運び出しを手伝うと太陽は沈んでいた。
そのせいか腰は悲鳴を上げているし、お腹も空いた。やはり歳だ、無理をするものでは無い。それにしてもお腹がすいた。今日は昼を食い損ねてしまった。
そうだ、香典返しは金平糖だったことを思い出す。
床を掃除しながら、なぜ金平糖なのか娘は答えてくれた「母が大好きで必ずつまみながら執筆していました。その度に私は机に数個積み上げられた金平糖の瓶を一つくすねていました」笑いながらそう語っていた。
箱を開け、じゃらじゃらと音のする瓶を取り出す。
蓋を開け金平糖を摘まむ。金平糖か、久しく口にしていない。口に流し込む。
不思議な味だ。何となく懐かしくて、甘くて、しょっぱくて。
この気持ちは何なのだろう、舐めながら考えを張り巡らしていると金平糖が口から消えた時にようやく思い出せた。そうか、魔理沙の弾幕は甘いのだ。すっかり忘れていた。
その懐かしい味をもう一つ口にすると涙の堰が切られた。もう止められない。
視界は歪む、大洪水だ。悲しみを何とかごまかすために金平糖を口にしたが甘くてしょっぱいし味は分からない。
人生は折り返しで、まだまだ若い私達ではないか。温泉旅行だけではなく、もっと色々な所に行ったり新しいことに挑戦したりしたかったのに。
暫くしてようやく収まった。もう何も出ない枯れ果てた。霊夢は再び星を眺めながら帰路につく。
今日は疲れた、早く布団で横になりたい。そんな愚痴をこぼしているとひときわ輝く星を見つけた。
おぼろげだ本で読んだ覚えがある。亡くなった人を「星になった」と揶揄していた。
あの輝く星は亡くなった魔理沙なのか、それとも――――
泣いた時にめちゃくちゃに食べた金平糖は残り数個となった。
ええい、まどろっこしい。全て食べてしまおう。一気に口に流し込む。
やはり金平糖は懐かしくて甘くてしょっぱい味がした。
でもそれは表面的なものだけで二人の友情は変わらない
良い雰囲気でした
ちょっと気になる所が
魔理沙の家に行く際、夜道を歩いたとあったあともう一度日が沈んだという描写があるので時間軸が少し前後しているのではないかと思いました
僕の認識違いだったらすみません
ふたりの友情、やり取りにほっこりと致しました
ただ、地の文が簡潔で淡々としている印象がありまして
描写にやや物足りなさを感じます
もうちょっと情緒的な描写が欲しかったかなと個人的には思いました
御馳走様でした
魔理沙を失った悲しみに気が付いて泣いてしまう霊夢が良かったです
何歳になっても友達が友達でいてくれるなら、それは確かな宝だと思います
魔理沙娘、そういうのもあるのか