――スペルカード発動からどれだけたっただろうか。私の周りには移動範囲を狭める札が配置され、新たに配置されるとともに一定の周期でこちらへと放たれる。そしてそれは前後、上下左右一切の区別無く展開されていた。つまり、弾幕の主は私の反応速度を遙かに超えて空間を飛びまわっている訳なのだが、迫り来る弾幕をすんでのところで視認、回避し続け身体的にも精神的にも限界が近い私に対し、時々視界に捉える霊夢はほとんど疲れていないように見える。
そう観察する間にも霊夢のスピードはさらに上がり続け――何故かある瞬間で、完全に瞬間移動となった。
「おいおい――どうやったら線での移動が突然点での移動に変わるんだよ……」
まるで加速の延長線にそれがあるかの様に瞬間移動を行う霊夢。ああ、そういった常識をも容易に飛び越えて考えてしまえるスタンスこそが、あいつの能力の所以なのだろうか――――と、考えることに集中しすぎた為か、視界端に写る弾幕への反応が遅れてしまう。かろうじてその弾幕を斜め後ろに避けるも、それを予想していたかの様――いや、実際していたのだろう。別の弾幕が私が反応することを許さず被弾、そのままくるくると回転し、ぐへと情けない声を上げて地面に落ちた。
地べたにそのまま寝転がる私の近くに、霊夢が軽やかに着地する。
「今回は私の勝ちね! さあ約束通り団子屋の新商品は奢ってもらうわよ……!」
物欲がそのまま言葉になったような台詞、団子を賭けて弾幕ごっこを行った為勝者の言葉としては妥当なのかも知れないが、良くも悪くも霊夢らしい言葉。その言葉に、心のどこかが僅かに揺れる。今回は……――違う。今回も、じゃないのか。
表情には出さずに心の中でそう毒づく。眼前の巫女はそんなことを知るよしも無く、目を輝かせながら私の手を引き、私の体を起こす。服と帽子についた土埃を払い、帽子を被り直した時にはすでに境内端の鳥居まで移動していた。更には「早くしないと置いてくわよー」とまでのたまっている。
「団子がどれだけ楽しみだったんだ……全く、私を置いていったら誰が団子代を払うんだぜ?」
普段通り やれやれと苦笑しつつ、私も境内端に駆け寄る。そこからは他愛ない世間話が続いた。
「――で、余り見かけないキノコを魔法の素材に使ってみたら酷いもんだったぜ……」
と、人里へと向かう道を歩く最中、前に人影がある事に気がついた。人里からやや離れ、妖怪神社と呼ばれる博麗神社に向かう人間など、よっぽどな物好きか、異変解決の依頼主程度だ。――あるいは、妖怪神社と呼ばれることになった元凶か。
「おやおや、折角会いに来たというのに、残念ながらそちらの用事と被ってしまった様ね」
「用があるならちゃんと連絡をよこしてからくればいいでしょう……一国一城の主がそれでいいのかしら、レミリア?」
紅魔館の主であるレミリア・スカーレット、そしてその一の従者十六夜咲夜がこちらへ向かってくる。レミリアの種族は吸血鬼であり、外見こそ私たちよりも幼く見えるが、背中には吸血鬼のモチーフといえる黒い翼がしっかりと生えており、実際の年齢も五百を越えるという。
「その主が貧相な神社程度に出向いてあげるというのに、態々連絡をつけるとでも? そういえば――私の所もよく連絡無しで侵入されているらしいわね、聞いたところどこぞの魔法使い様らしいけれど……まあ、どうでもいいわね」
これといった興味も無い声色でレミリアが話し、視線がちらりとこちらに向けられる。その瞳は声や態度に反して私の心を見透かしているかの如く鋭く、思わず体を強張らせてしまう。だが、隣にいる霊夢はそんな様子を見せる事無くレミリアへと話しかける。
「ところで、何の用なの? どうせお賽銭を入れに来たわけじゃないんでしょ?」
「なに、最近はフランの調子も落ち着いてきたから久しぶりにどこかにでも、と思っただけよ。とはいえ……先約があるのなら無理にとは言わないけれど」
「悪いけど、魔理沙と新しく出た団子を食べに行きたいのよね……でも、貴女も滅多に出てこられないでしょうし……」
霊夢の悩む表情に心がわずかに揺らぐ。揺らぐ理由が何なのか、考えるより早く言葉が口から漏れ出す。
「それなら……私はいいから三人で行ってくるといいんだぜ?」
その言葉に三人は驚いたようで、度合いに差はあれど全員が目を広げる。
「どうしたのよ急に……さては奢るのが嫌に――」
その言葉は最後まで発させなかった。私は帽子から小銭入れを取り出し霊夢へと放り投げる。日頃余り金銭は持ち歩かない主義だが、三人分の団子を買うくらいの小銭は残っているだろう。
「これで三人分くらいなら買えるだろ。すまんな霊夢、用事を思い出したから悪いけど先に帰らせてもらうぜ? 財布は今度……いや、別に返さなくていいや」
返事を待つこと無く、帽子を深く被り直し箒で飛び立つ。――霊夢とレミリアの顔は見ていない。私の視線や表情からなら、霊夢の表情に抱いた気持ちが何か、二人は気がついてしまうだろう。あるいは――霊夢だけならばなんとかなったのかもしれない。だが、私より遥かに長く生きているレミリアの瞳をごまかすことはおそらくできない。
こちらを見定めるような無感情なもの、それこそ私を霊夢の付属物としか見ていないかの様な視線は、虚勢やはったりで隠した矮小な自分を見られているようで、私から平常心を奪ってゆく。その結果がこのざまだ。しかも、その不安が意味のないものだと理解した今ですら、頭のどこかに霊夢達に向ける醜い感情が居座り続ける。
「くそ……」
結局、私は弱いのだ。負い目がある――最近の勝率こそ四割だが、勝った試合の殆どはこちらが先攻の時、つまり勝敗が霊夢の最終スペルを私が避けられるかどうかにかかっている場合だけだ――ましてや異変での実績の差など考えたくもない。霊夢が勝てる相手に私は勝てない、その事実が何よりも私の実力が霊夢に劣っていることを物語っており、そしてその負い目が――霊夢やレミリアなどへのコンプレックスになっている。
「これじゃ駄目だ……もっと強い、勝つことの出来る弾幕じゃ無いとあいつには勝てない、あいつはこっちを見ちゃくれない。そうだ、今のままじゃ足りない――――」
ぼそりと呟きつつ、私は魔法の森へと姿を潜めた。
***
「やっとだ……これならあいつに勝てる……」
森にこもり一人研究を始めてから数週間。ひたすら魔法を究めんとしていた魔理沙は、魔法使いの中でもかなりのスピードでそれを身につけていった。そしてついに一枚のスペルカード、魔理沙のジョーカーともいえる切り札を得た。
――だが、寝食も忘れ修練を繰り返していた魔理沙は、身体、精神の疲労に加え霊夢に対する焦燥や負い目からの自己嫌悪が重なり、ある大きな間違いを犯していた――あるいは、それに気がついていたとしても、見ていないふりをした。それは、互いに勝てる可能性を作り出す事を目的としたスペルカードルールにおいて重大なルール違反であり、何より魔理沙本人のプライド、弾幕ごっこに興じる全ての人妖が等しく持つ矜持を捨て去ることになってしまう。
だが、それでも魔理沙は――己の誇りを捨てたとしても、霊夢に勝つことを望んだ。
***
数日後。私は霊夢への再挑戦の為、博麗神社へと向かう。空模様は曇り空で決闘日和とは言いがたいが、今更そこまで些細なことを気にする必要は無い。
「今度こそ、完璧に勝ってみせる。よし――」
神社前の階段を上り切り、さあ霊夢を呼ぼうかといったところで、霊夢とは別の誰かの声が聞こえた。思わず反射的に近くの草むらへと身を隠し、霊夢に気づかれないよう境内を覗く。そこには霊夢のほかに、紅い吸血鬼とその従者の姿が見えた。こちらに背中を向けているため二人の表情は見えないが、珍しいことに霊夢が真剣な表情をしているようだ。何か異変でも起こったのか――と草むらから出ようとしたとき、霊夢が体を折り曲げる動作を見せた。
「いきなり笑い始めた……? あいつら何の話をしてるんだ……――っ!」
突然の動作に戸惑い出るべきか否か悩んでいるとレミリアが私の居る方へと振り返り、さらにこちらへと向かってくる。隠れているのが気づかれたのかと、草むらのなかで息を殺す。
――しかし、実際は二人が神社から帰ろうとしただけであり、私に気がついた様子も無く脇を通り過ぎる。杞憂だったと僅かに油断したその瞬間、レミリアの目がこちらへ向いた。その視線は私の隠れる場所を捉えており、私は歯を食いしばり見つかっていないことを祈るしかなかった。果たしてレミリアは視線を前へ戻すと、咲夜と共に地面を蹴り紅魔館の方角へと飛び去った。私はそれを見届けてから改めて草むらから身を出し、神社へと入る。
「久しぶりね。最近見なかったけど何かあったの?」
「ああ……まあ、な」
約一月も姿を見せていない私に対して、さして特別な反応を見せず、普段と変わらぬ態度をとる霊夢。やはり私の事など、気にしてはいないのだ。その事にいらだった私は、前後を無視していきなり本題を切り出した。
「霊夢……私と本気で弾幕で勝負をしてくれ」
「はぁ……? いきなりそう言われても、貴女相手ならいつも本気よ?」
突然の発言に呆れた顔を見せ、否定をする霊夢。しかし私も生半可な気持ちでここに来たのでは無い、語気をやや強めて繰り返し話す。
「本気と言っても、あくまで私と戦うと考えた上での本気だろ? お前は一度だって私に全力の本気を見せたことは無い。なぜなら、私の弾幕がお前に当たった事なんて数えるほどしか無いからな。もう一度はっきり言うぜ――――私を異変の黒幕だと思って、退治する気で勝負してくれ」
霊夢の目が見開き、いつになく困惑した表情で硬直する――数秒そのまま固まった後、諦めたかのようにため息を吐き、頭を抱え目を閉じ話す。
「全く、何があったのかしれないけど、そこまで本気な目をされると断りにくいわね……おまけにどこか不自然な感じがするし。なら、きっとこれは異変かもしれないわね。ねえ、魔理沙――」
霊夢が一呼吸置き、次の言葉の重要さを強調する。
「――貴女が異変の黒幕かしら ?」
霊夢が目を開き、こちらを睨む。その目は普段、私が相対する時に見る博麗霊夢の表情では無く、私の隣で――いや、私の前で黒幕と一騎打ちをするときの、いわば妖怪退治を生業とする博麗の巫女としての表情だ。
並の妖怪が放つ威圧感が虚仮威しに見えるかのようなプレッシャーに、冷や汗が流れる。だが、挑んだのは私であり、逃げてしまっては本末転倒だ。そして、そもそも退くつもりも無い。寧ろ霊夢に虚言としてあしらわれなかったのだから、こちらとしては願ったりだ。
「ああ……博麗の巫女、博麗霊夢。お前を倒し――私の強さを証明する!」
「うまくいくといいわね。互いにスペルカードは四枚ずつ――」
そう言い霊夢が左手を前に両腕を交差させるように構えると、どこからともなく紅白の札と大幣が霊夢へと飛び、それぞれ左と右の手に収まる。そして右の大幣を大きく外へ振り抜いた――その動作とともに補助武装が霊夢の脇に展開され、そこから何本もの針が私に向かって射出される。私は上へと大きくジャンプし、その勢いで箒を足下へあてがい空中に静止。帽子を被り直し、つばを弾いて霊夢へと叫んだ。
「――先攻はくれてやるぜ、手は抜くなよ霊夢!」
「言われなくとも――せいぜい被弾しない事ね。スペルカード、「二重結界」!」
高らかにスペルカード発動を宣言する霊夢、その言葉を以て私の挑戦――私の異変が始まった。
***
私の両脇に展開された魔方陣から、相手をロックオンする速いものと全方位にばらまかれる遅いものの二種類の弾幕が放たれる。その二つは緩急により行動を制限しつつ、動きを止めた相手へとミニ八卦路による砲撃を放つ。
計三つの弾幕による波状攻撃、面での瞬間制圧力は相当な物だ――しかし、それをあっさりと避ける巫女。さらには避けるだけで留まらず、砲撃の隙や弾幕に隙間が生まれる一瞬を突いて、容赦なくこちらへと弾幕を放つ。スペルカード中の被弾はスペルカード用に回したリソースが肩代わりする為被弾扱いにはならないが、その分スペルカードの持続時間は減少する。そして、再びレーザーを放たれたのを最後にスペルカードが終了する。
これでスペルカードはお互い二枚使用、予想通りならば次は前の、あのスペルカードが放たれるはずだ。
「ちっ……いとも容易く避けてくれるぜ!」
「もう終わりかしら? それじゃあ、終わらせに行くわよ。――「夢想封印 瞬」」
想像通り、前の勝負で決まり手となったスペルカードが使われた――時間経過と共にどこまでも加速し、死角や包囲するように弾幕をばらまく、霊夢の十八番である夢想封印の一つ。前回ですら被弾してしまった上に、今回は霊夢も本気な為普段の弾幕ごっこで時々見せる弾幕が乱れる癖も無い。避けきれる可能性は六割と少しだろう。――このスペルカードが初見ならば、の話ではあるが。
「そう簡単に終わらせてたまるか。勝負はこれからだ」
だが――負ける気はしない。意地や気合いもそうだが、今回の弾幕に限っては明確な勝算がある。
統率された弾幕が放たれるというのは、直感的に避けるのが難しいが、同時に計画的に避けやすい、という弱点を孕んでしまっている。相手の周囲を狙った弾幕が静止している相手には決して当たらないように、弾幕の形さえ掴んでしまえば、たとえどれだけ密度が濃くとも例外の、不確定要素の発生しない弾幕は私にとって脅威たり得ない。
そして、その弾幕の形は前回の勝負である程度掴んでいる。故に――
「――これで突破だぜ」
霊夢の弾幕は一つたりとも私に触れること無く、幾つもの火花を散らして消えていった。
「自信満々で挑んできただけあって、簡単にはやられないって訳ね。それじゃ、貴女も三枚目のカードを――……へぇ」
私が霊夢へと掲げたカードを見て、驚いたように一瞬目を見開き声を上げる。私が掲げたスペルカードは、本来私の最終奥義ともいえるもの。それを三枚目に切るということは、さしもの霊夢といえども思わず表情を変えるほどの事だろう。
「安心してくれ、これが私の奥義であり一番の自信作だって事には変わりないさ――だが、きっとそれじゃお前には勝てない。勝つためにこのカードは、ここで切らせてもらうぜ」
ブレイジングスター、その弾幕の特徴から"彗星"という二つ名を冠するそれは、あのスペルカードを編み出した今でさえ、私の魔法を象徴する切り札として信じている。箒を跨がった状態から、ボードの様に足でバランスをとる体勢へと変え、ミニ八卦路を真上へと放り投げ――帽子を弾きつつ堂々と叫ぶ。
「撃つと動く、今すぐ動く――彗星の二つ名は伊達じゃ無いぜ! 「ブレイジングスター」!」
落ちてきたミニ八卦路をキャッチする――と共にそれが光を放つ。箒の頭を跳ね上げ勢い良く前へと飛び出す事でその光は流星と化し、眩い軌跡を残しつつ霊夢の居た場所を貫いた。
「――見るたびに思うのだけれど、殆ど弾幕関係ないじゃない……。自分自身が弾幕なんて、格闘技の技って言った方が近いんじゃない?」
突進を止め振り向くと、片方の袖下が焼け溶けたかの様に消えていながらも、しっかりと避けて見せた霊夢が立っている。余裕そうだな全く、とため息を吐きつつ言葉を返す。
「私が知ってる格闘技もレーザー放ちつつ突撃なんてしないと思うが……それに、しっかり弾幕で足止めはさせてもらうぜ? ――そら、二回目だ!」
私の通った道筋には星のかけらがいくつか散らばっている。密度こそたいしたことは無いが、干渉されるかスペルカードが終了するまで弾幕はとどまり続ける為、突撃を行うと同時に動ける範囲を狭めて行くことができる。そして、敢えて二回目の突進は霊夢を捉えずに行う――これにより、星弾幕を広範囲へ散らばらせ、霊夢の飛行に対する自由度を削っていく。その後も、避けなければ当たるが軽く動けば当たらないギリギリのラインを突進し続けた。
「――! もらっ……ったああぁ!」
七度目の突進を終えた瞬間、今までに感じたことの無い感覚が湧き出る。霊夢の位置や体勢、弾幕の配置、次に通る軌道を誘導し、回避が出来るルートを作ろうとしている挙動――身体と意識が次の突進へと集中している中、無意識で視界に入る情報を頭脳だけは処理し続け、閃きとして一つの結論を導き出した。私は閃きに従い、誰も居ない場所へと照準を定める。そしてその場所へと吸い込まれる様に霊夢が飛び込み――ピタリと静止した瞬間を光が捉えた。
「完全にタイミングが合ったから回避も防御もかなわないはずだ……」
突進が終わり、反対へと振り向く。霊夢の居た場所は爆風が立ちこめ見通すことが出来ないが、あのタイミングから被弾しないことはまず不可能だろう――しかし、私の直感は違和感を訴え続ける。霊夢の姿は見えないが、スペルカードを解除せずいつでも飛び出せる様に構えた。
「当たった手応えがなさ過ぎる……当たる瞬間に透明にでもなった訳でもあるま……い――っ!」
透明になる――即ち、弾幕が存在する次元からの飛翔。それを成すスペルカードを霊夢は持っている。そしてあの瞬間、霊夢はまだスペルカードを一枚残している。ならば当然、それを使い回避を行うはずだ。つまり、霊夢は被弾してなどいない。それを証明するかの如く、爆風で見えなくなった被弾したはずの霊夢が居た場所から、幾枚もの札がこちらへと飛翔する。
「くっ……」
辛うじて弾幕を回避する――と、爆風が晴れその中から人影が姿を現す。推測通り被弾した様子も無く、そしてその身体は、この世界とは別のところにいるかの如く、ぼんやりと透けていた。
「夢想天生――約束通り本気を出してきてくれたのは有り難いが正直、避けられるかはわからないな……」
私が実際に夢想天生を見たのは過去に数回。それも私が受けたわけでは無く、霊夢が相手に放ったのを見ただけに過ぎない。しかし、これまで見たあらゆる弾幕の中で、あの弾幕ほど博麗霊夢という存在を表しているスペルカードは他に無いだろう。あらゆる概念から空を飛び、一方的に弾幕を叩き付けるスペルカード。それの前には人間だろうと妖怪だろうと関係無く、回避を強要される。
「とはいえ、それじゃあルールが成り立たない。そういうわけで制限時間を決めさせたんだが……さすがに正面からだと迫力やら威圧感やらが違うぜ。まあ、これを越えなきゃ私の勝ちは無いんだ――」
帽子を整え、眼前の霊夢を見据える。こちらのスペルカードはとうに効果切れ、当たればその時点で私の負けとなるが、負ける気は毛頭無い。昔見たそれは、八つの纏まった大量の札を、全方位に放ち、一回の誘導の後、私をホーミングする一連の流れを繰り返す弾幕であり、おそらくその流れは変わっていないだろう。それならば、ひとまずは余裕を持って回避できるはずだ。そしてその読みは的中した。
「――っし、読み通り弾幕の構成はあのときと大差ない、暫くはなんとかなるが……」
放たれた弾幕の方向を確認し、囲まれない位置を把握。そしてこちらに向かってくる弾幕をひとかたまりとして回避する。霊夢から放たれる角度に誤差はあれど、この動きを行うことに変わりは無い。しかし――
「――間隔が狭まってきてる……やはり、そううまく終わらせちゃくれないか」
弾幕に対するパターンを組み上げたといえど、それはあくまでそのスピードの場合に限る。弾幕を放つスピードが上がるなどすれば、組み上げた回避パターンは容易に崩壊する。そうなれば既に崩壊した回避パターンに従うことなど自ら弾幕へ当たりに行くことと変わりはない。誘導のタイミングを早める、単純にスピードを上げるだけでも良い、相手の変化に対応しようとしない時点で負けは確定する。
第一、一度パターンを組んだ程度で安定して回避し切れてしまうような弾幕ならば、無敵という点を踏まえても決して奥義とは言えないだろう。そんなことを考える合間にも弾幕は密度を増していく。
「ちっ……誘導する空間が無いか」
誘導のスピードを上げ続け何とか相手をしていたが、遂に誘導先に次の弾幕が放たれてしまう。止まってしまった以上、ある程度誘導してなおギリギリだった弾幕が全て私へ向けて放たれる。
――私にはまだカードが一枚ある、これを切ればこの弾幕を耐えきることは出来るだろう。だが、夢想天生によって無効化されてし終わった後の時間で、果たして霊夢を被弾させることができるのだろうか。そもそも、それで勝っても本当に勝ちと言えるのだろうか――――
刹那の葛藤の末、心を決める。そしてその決心を言霊に託すが如く、決意を綴る。
「まだだ。ここでカードは切れない。この弾幕を越えなけりゃ、たとえ何が起ころうと、私の完全勝利なんて、言えるはずがないだろ!」
弾幕が動き出す。
避ける為の策は一つ。ほぼ同時に放たれている弾幕をひとかたまりとなるように避けるのではなく、放たれる順番から私をターゲットする連続して放たれる弾幕として捉えることで、八つの纏まりの微妙な発射間隔で弾幕を誘導する、いわば超高速切り返しだ。正面以外からの弾幕を切り返す機会など殆ど無い上、その弾幕は至近距離から放たれるという無理難題、成功率は目を背けたくなる数値だろうが、弾幕からは決して目を逸らすことはない。
「ここだ――」
一番早く放たれる纏まりへと近づき、向かってくるそれを順番に横へと避ける。そしてその移動先を狙った背後の弾幕が放たれた瞬間、私の横を抜ける既に放たれた弾幕へと極限まで接近する。弾幕が私を掠めチリチリという音を発する――経験四割、反射神経三割、そして三割の幸運に助けられ、弾幕は私のそばを通り過ぎていった。そしてそのタイミングでスペルカードの効果が切れた様で、撒かれていた弾幕が無害なエネルギー体へと変わる。
「――まさか、これをカード無しで避けきるなんて……」
夢想天生の効果時間が終了し、身体の透明感が消えた霊夢が、今日初めての驚愕した様な声を上げる。私が知っている限り、今のスペルカードは誰にも突破されたことのない弾幕、それを突破されたのだから驚くのは当然だろう。
「……私は、お前に完璧に勝たなきゃいけないんだ。だから、今の弾幕もカードを使うわけにはいかなかった」
「そう……さっきから、ずいぶんと勝ち負けにこだわっているようだけれど、私が今ここで、降参するんじゃ駄目なのかしら」
私が勝ちに執着する様子を見て、霊夢が訝しむ様な目線を送りつつ問いかける。
――その質問は、今まで互いに勝つ為に戦っているものだとばかりに思っていた私にとって、想像もしていないものであり、その言葉の意味を理解した瞬間、私の思考は完全に真っ白となった。その事実を認めたく無い一心で言葉を投げかける。
「降参って……お前は自分の切り札が避けられて、相手が切り札を残してるってのに、勝つ手段が残されているのに、諦めるのか……?」
その質問の答えが、間違いなく私の望むものではない事であり、最善の手段は、はっきりと断り最後のカードを切る事――そんな事はわかりきっているのに、私の口は理屈に反して問いかけてしまった。
「諦めるわ。切り札を超えられた時点で敗北条件の一つは満たされているもの、勝たなければならない訳ではなく、かつ相手も勝ちたいと思っているならば――わざわざ粘るというのは、必要のない物だと思うわ」
「ふ……ざけるなよ。」
私が霊夢に勝ちたいと願う理由。ルール上や相手の気遣いなどではない、本当の実力で勝利することによって自分に対する嫌悪や、劣等感を払拭しようとするその考えも、霊夢にとっては必要のない、無駄なものなのだろう。問わなければあるいは誤魔化せていたかも知れない真実に、醜いどろどろとした感情が抑えきれなくなる。もはや文章を考える事もせず、頭に浮かんだことを口から吐き出す。
「私は霊夢に勝ちたかったんだよ。ルールによるくり上がり勝利とかじゃなく、自分の弾幕で、霊夢を上回って――私も同じくらい強いんだと証明したかったんだ!」
霊夢からすれば突然私が激怒したように見えているのだろうか、今までに見た事のない愕然とした表情をするも、私はそれを無視して話し続ける。
「正直……私はお前が怖い。異変や妖怪に立ち向かうのだって体が震える……だが、その妖怪と対等に付き合うお前を見たときに、私からはるか遠くに行ってしまった様に感じた事の方がずっと怖かった。だから必死に鍛えたし、恐怖を誤魔化して、隣に立ち続けようとしてたんだ。それでも、お前はどんどん強くなって、皆から慕われて――。私達、最初は同じ所に立っていた筈なのに、いつからこんなに離れて見えるようになったんだろうな……」
答えられるとも思っていない、単に内心を吐き出しただけの問いは、返ってくることなく空気に消える。――もう、どうでもいい。この勝負に勝ったところで、私が弱い事には変わりはない。霊夢の隣に立つには、私は弱すぎた。あと一枚のスペルカードを以て勝ち、二度と関わらない様にすれば、これ以上惨めな気持ちになることもないだろう。
「これで最後にするよ……今までありがとな。――スペルカード発動」
私が勝つ為に作った、ラスト一枚のスペルカード。空を埋め尽くすほどの弾幕は霧雨の如く。魔砲(誇り)を捨てて放つ弾幕は、今までで最も美しく――涙を流している様に見えた。
***
上空に広がる無数の星、流星と化して雨の様に降り注ぐそれは、全てスペルカードによる弾幕であり、触れれば私の負けとなる。先ほどまでの己の発言を考えるならば、この弾幕に触れ自分の負けを宣言することが正しいのだろう。
だが、私が勝敗の過程には意味がないと言った後の取り乱しよう、そしてスペルカードを宣言する直前に見せた、泣き笑いのような表情がどうにも心に突っかかる。一つ選択を間違えれば魔理沙とは二度と会えなくなってしまう様な、嫌な予感がするのだ。
「それに、この弾幕――あいつのポリシーとはまるで噛み合わない癖して、今までで一、二を争う出来じゃない、避ける隙間も殆ど――……ああ、そういう、事ね……」
この美しい弾幕には、本来あるべきの弾幕が通らない空白が無い。つまり、この弾幕は最初から避けられる様に作られていない。勿論ルール違反であり、もしも相手が気付けばその時点で負けとなるそれを、魔理沙はここで使ったという事だ。
魔理沙本人が気付いてないのか、あるいは――それを使って、誇りを投げ捨ててなお、勝ちたかったのか。そのどちらにしても、私は魔理沙の執着、勝ちたい理由を甘く見ていた。魔理沙にとって、ルールによる勝ち負けなどどうでも良く、彼女の弾幕で私を上回ることこそが、本当の目的だったのだろう。
「それならそうと、最初に言いなさいよ……」
私は、魔理沙の心を踏み躙った。魔理沙が何故戦うのか、なんの為にこの勝負を挑んできたのか。私に勝たなければ隣に立ってはならないと短絡的に考えてしまうほどに、魔理沙は追い詰められていたのに、私は全く気が付かず、あろうことか「必要のない物」とまで言い切ってしまったのだ。言葉こそ魔理沙に毒づいているが、悪いのは完全に私だろう。
「あんたの事だから……この弾幕を私に当てて、二度と私とは会わない様にする、とでも思ってるんでしょう」
そうされても、なにも文句は言えない。信念を真っ向から否定したのだ、その場で縁を切られたっておかしくは無かった。謝れるのならば今すぐ謝りたい。けれど、今の魔理沙にどんな言葉を重ねようが届きはしない。――私に出来るのは、行動で示す事だけだ。
「――そんなことはさせない。避けられない弾幕だろうと避けきって見せる。私の本心を聞かずにさよならなんて、させるわけが無い」
私と同じように、魔理沙も気が付いていない事がある。かつて妖怪退治を頼まれる以外に他人と関わることは殆ど無かった私に、後に普通の魔法使いを名乗った少女だけは私と対等に、同じ一人の少女として接してくれた。それが幼き私にとってどんなに嬉しかったかは考えるまでも無い。その気持ちは今でも失われてはおらず、失いたくないという気持ちは増す一方だ。
私はどんな時であろうと絶対に断言できる――魔理沙と離れるなんて、絶対に御免だ。
***
私は一体、何をしているのだろうと、ぼんやりと自問する。この一枚で最後にすると宣言したスペルカード、一点から平面上に拡散し、その後重力のままに弾幕を落とす単純な弾幕。しかし単純な分弾幕の量は桁違いに多く、又拡散、落下共に相手に若干の補正を掛けたランダム軌道となっている。故にこの弾幕は回避側の移動出来る空間を容易く削り取り、最終的に不可避の弾幕となる。このスペルカードならば、負けることは無い。
だが私にとって、この弾幕が命中し霊夢に勝ったところで意味は無い。結果がどうなろうと私が弱いことには変わりなく、二度と霊夢の前に姿を現すつもりも無いのだから。
――そこだ。その行動に、僅かな違和感を覚える。勝敗が関係ないのであればスペルカードを放つ必要すら無く、その場で立ち去れば良かったのだ。決別としてスペルカードを放つのならば、わざわざ新しいスペルカードを宣言する必要は無い。それこそ八卦路が壊れるまで魔力を込め、最大級の一撃を放てば済む話だ。それをしなかった数十秒前の私に、明確な疑問が生じる、思考を止めかけていた頭が、徐々に再起動を始めるのを感じる。
勝敗など関係ないと言いつつ、自身のモチーフに等しいカードでは無く、負けるはずの無いカードを放った。違う、この表現は正しくない。そうだ、私は傲慢にも――勝つことを最初から確信して、このスペルカードを宣言した。この弾幕は絶対が避け得ない物だと分かっていて、勝てば霊夢への興味も失われるであろうとこの弾幕を放った、それがこの行動の真意だ。勝敗など関係無い訳が無い、初めから私は勝った時の事を考えていたのだ。
そしてその裏で私は救いを求めた。必中であり、負けるはずの無い弾幕。だがもし霊夢が、私の醜い打算ごとこのスペルカードを打ち破ってくれたのならば。そして、それでもなお霊夢が私と共にいてくれるのならば、私も吹っ切れるのでは無いか。そんな淡い期待を弾幕の裏に潜め、この弾幕を放った。可能性は無いに等しい、賭けにもならない一点張り。
しかし、あるいはだからこそ、博麗霊夢がその期待を裏切ることは無かった。雨の様に降り注ぐ弾幕を、舞うようにすり抜けていく、弾幕の発生源に向かうにつれ角度は厳しく、死角であろうと関係なしに襲いかかる。しかし霊夢はそのいずれにも当たること無く、無数の火花を軌跡に変えて更に飛翔する。そして。
「どんなに雨が降り注ごうと、雲の上ならば雨は降り得ない。――私の勝ちね」
分厚い雲を抜け、いつしか姿を見せていた太陽の光を背に浴び霊夢は、悠々と勝利を宣言した。
***
途中からは無我夢中だった。ただ降り注ぐだけの霧雨は近づくにつれ横殴りの雨へと変わり、見てから避ける余裕など存在しない。直感を頼りに弾幕を感じ取り回避を行う――最後の方はそれすら間に合わず、ほぼ勘で避けていた。半分は偶然に救われ、弾幕の発生源よりも高く飛び上がったときには、もはや浮遊するのが精一杯、啖呵を切って見せたは良いものの万が一弾幕が放たれたならば動くことも出来ずに打ち落とされていただろう。
それでも、私は超えたのだ。魔理沙を覆う分厚い雲も、上からでは隠せまい、互いに満身創痍の今こそ、伝えるべき事を話す最大の好機だろう。
「魔理沙、貴女と私が最初に出会った時の事、覚えてる? 先代から博麗の巫女を受け継いで、人間とも妖怪とも異なる立場になってから暫くした頃ね。私は守るべき人達からはその力を畏れられ、妖怪からは恨まれていた――先代も先々代もそれで心を閉ざし、ただ幻想郷を維持する舞台装置となってしまったらしいのよ。そして私も、もう少しでそうなるところだった。
でも私には貴女が、魔理沙がいた。人間でありながら私の隣に立ち続け、きれいな星の弾幕で私を繋ぎ続けてくれる貴女がいたからこそ、私は今代の博麗の巫女であるより先に、博麗霊夢という一人の少女として存在することが出来た。その事の感謝は一生忘れないだろうし、そんな貴女を失うのは、絶対に嫌」
私には魔理沙の心を完治させる魔法も、巫術も使うことは出来ない。出来ることは、ただ自分の言葉を、気持ちを正直に伝えることだけ。魔理沙と同じ高さまで降り、目を見つめる。
「恐らく私は、魔理沙を傷つけた。貴女が焦った理由、勝利を望んだ理由を考えないで、私の物差しで話してしまった、本当にごめんなさい。会えなくなるのは嫌だけど、それを止める権利は私には無いわ。それでも――せめて私の本心だけは聞いて欲しい。
私は、貴女の苦悩を全て理解できるほど良い人間じゃ無い。でも、貴女がどんなに悩んで、苦しんで、迷ったとしても、私にとって大切なのは貴女が側に居てくれるかどうか。魔理沙が最後にここに居たいと思ったなら、私はそれを拒絶なんてしないし、他の人にもさせやしない。巫女としての立場が邪魔なら、紫だって敵に回すわ。ねぇ――だから、どうか居なくならないでよ……」
目の奥から熱い物が広がり、視界がぼやける。泣きたいのはあっちなのだから、私が涙を流すわけにはいかないと顔を背け必死に涙を抑えるも、抑えきれなかった一滴が頬を伝う。必死に心を落ち着かせ、再び魔理沙の方へ顔を向けると、それを待っていたかのように魔理沙が話す。
「私は、お前に迷惑を掛けた……弱いままでは霊夢において行かれるんじゃないかって、こっちの勝手な強迫観念に巻き込んで、怒鳴り散らして……霊夢はそんなこと、気にしちゃいなかったのにな。私も、少しは自分の事を信じてやることにするよ。何しろ、あの博麗の巫女が信じてる奴だ、実力は確かなんだろう。全く、あれだけ勝ちたいと言ってた割に完敗だ、この異変はもう止めにしよう。
てことだ。――これからも、よろしくな?」
泣き笑いでこちらを向く魔理沙を見て、収まり掛けた涙腺が今度こそ崩壊する。どちらからとも無く抱き合い、互いに存在を確かめ合う。互いを失う事無く異変が終わると言う、無にも等しい可能性を掴んだ――この瞬間が、真であることを証明するかの様に。
***
先の事件――普通の魔法使いが起こした小さな異変から数日、私と霊夢は約束通り団子屋へと向かった。結局団子は前の分と今回の分で二食分奢ることになり、財布が多少のダメージを負うこととなった――霊夢に押し付けるように渡した財布は、異変の後霊夢に返して貰ったのだが、驚くべき事に財布の中身は少しも減っていなかった。当然疑問に思い問いただした所、「どの道魔理沙の財布は私の物だから別に良いかなって」と返事をされた。
――どういう事だよと、更に質問をした魔法使いがいたらしいが、その後の流れを説明すると、その魔法使いに多大な精神的ダメージ、そして紅白巫女の魔法使いに対するからかいポイントがドカンと入るため割愛させて貰う。
何はともあれ、雨降って地固まると言う奴か、私と霊夢は以前通りの――もとい、以前以上の関係となった。表向きは普段と変わらないが、ふとした一瞬、例えば時間が空いたときにはちょっとした散歩を楽しむなど、何気ない時間を共有することが増えた気がする。互いに認めあえる事の分かった相手と過ごす毎日は、これまでの毎日よりもずっと幸福で、掛け替えのないものになっていった。
――空を覆っていた雨雲はとうに消え、空を太陽と共に彩る綿雲が楽しげに浮かんでいる。
そう観察する間にも霊夢のスピードはさらに上がり続け――何故かある瞬間で、完全に瞬間移動となった。
「おいおい――どうやったら線での移動が突然点での移動に変わるんだよ……」
まるで加速の延長線にそれがあるかの様に瞬間移動を行う霊夢。ああ、そういった常識をも容易に飛び越えて考えてしまえるスタンスこそが、あいつの能力の所以なのだろうか――――と、考えることに集中しすぎた為か、視界端に写る弾幕への反応が遅れてしまう。かろうじてその弾幕を斜め後ろに避けるも、それを予想していたかの様――いや、実際していたのだろう。別の弾幕が私が反応することを許さず被弾、そのままくるくると回転し、ぐへと情けない声を上げて地面に落ちた。
地べたにそのまま寝転がる私の近くに、霊夢が軽やかに着地する。
「今回は私の勝ちね! さあ約束通り団子屋の新商品は奢ってもらうわよ……!」
物欲がそのまま言葉になったような台詞、団子を賭けて弾幕ごっこを行った為勝者の言葉としては妥当なのかも知れないが、良くも悪くも霊夢らしい言葉。その言葉に、心のどこかが僅かに揺れる。今回は……――違う。今回も、じゃないのか。
表情には出さずに心の中でそう毒づく。眼前の巫女はそんなことを知るよしも無く、目を輝かせながら私の手を引き、私の体を起こす。服と帽子についた土埃を払い、帽子を被り直した時にはすでに境内端の鳥居まで移動していた。更には「早くしないと置いてくわよー」とまでのたまっている。
「団子がどれだけ楽しみだったんだ……全く、私を置いていったら誰が団子代を払うんだぜ?」
「――で、余り見かけないキノコを魔法の素材に使ってみたら酷いもんだったぜ……」
と、人里へと向かう道を歩く最中、前に人影がある事に気がついた。人里からやや離れ、妖怪神社と呼ばれる博麗神社に向かう人間など、よっぽどな物好きか、異変解決の依頼主程度だ。――あるいは、妖怪神社と呼ばれることになった元凶か。
「おやおや、折角会いに来たというのに、残念ながらそちらの用事と被ってしまった様ね」
「用があるならちゃんと連絡をよこしてからくればいいでしょう……一国一城の主がそれでいいのかしら、レミリア?」
紅魔館の主であるレミリア・スカーレット、そしてその一の従者十六夜咲夜がこちらへ向かってくる。レミリアの種族は吸血鬼であり、外見こそ私たちよりも幼く見えるが、背中には吸血鬼のモチーフといえる黒い翼がしっかりと生えており、実際の年齢も五百を越えるという。
「その主が貧相な神社程度に出向いてあげるというのに、態々連絡をつけるとでも? そういえば――私の所もよく連絡無しで侵入されているらしいわね、聞いたところどこぞの魔法使い様らしいけれど……まあ、どうでもいいわね」
これといった興味も無い声色でレミリアが話し、視線がちらりとこちらに向けられる。その瞳は声や態度に反して私の心を見透かしているかの如く鋭く、思わず体を強張らせてしまう。だが、隣にいる霊夢はそんな様子を見せる事無くレミリアへと話しかける。
「ところで、何の用なの? どうせお賽銭を入れに来たわけじゃないんでしょ?」
「なに、最近はフランの調子も落ち着いてきたから久しぶりにどこかにでも、と思っただけよ。とはいえ……先約があるのなら無理にとは言わないけれど」
「悪いけど、魔理沙と新しく出た団子を食べに行きたいのよね……でも、貴女も滅多に出てこられないでしょうし……」
霊夢の悩む表情に心がわずかに揺らぐ。揺らぐ理由が何なのか、考えるより早く言葉が口から漏れ出す。
「それなら……私はいいから三人で行ってくるといいんだぜ?」
その言葉に三人は驚いたようで、度合いに差はあれど全員が目を広げる。
「どうしたのよ急に……さては奢るのが嫌に――」
その言葉は最後まで発させなかった。私は帽子から小銭入れを取り出し霊夢へと放り投げる。日頃余り金銭は持ち歩かない主義だが、三人分の団子を買うくらいの小銭は残っているだろう。
「これで三人分くらいなら買えるだろ。すまんな霊夢、用事を思い出したから悪いけど先に帰らせてもらうぜ? 財布は今度……いや、別に返さなくていいや」
返事を待つこと無く、帽子を深く被り直し箒で飛び立つ。――霊夢とレミリアの顔は見ていない。私の視線や表情からなら、霊夢の表情に抱いた気持ちが何か、二人は気がついてしまうだろう。あるいは――霊夢だけならばなんとかなったのかもしれない。だが、私より遥かに長く生きているレミリアの瞳をごまかすことはおそらくできない。
こちらを見定めるような無感情なもの、それこそ私を霊夢の付属物としか見ていないかの様な視線は、虚勢やはったりで隠した矮小な自分を見られているようで、私から平常心を奪ってゆく。その結果がこのざまだ。しかも、その不安が意味のないものだと理解した今ですら、頭のどこかに霊夢達に向ける醜い感情が居座り続ける。
「くそ……」
結局、私は弱いのだ。負い目がある――最近の勝率こそ四割だが、勝った試合の殆どはこちらが先攻の時、つまり勝敗が霊夢の最終スペルを私が避けられるかどうかにかかっている場合だけだ――ましてや異変での実績の差など考えたくもない。霊夢が勝てる相手に私は勝てない、その事実が何よりも私の実力が霊夢に劣っていることを物語っており、そしてその負い目が――霊夢やレミリアなどへのコンプレックスになっている。
「これじゃ駄目だ……もっと強い、勝つことの出来る弾幕じゃ無いとあいつには勝てない、あいつはこっちを見ちゃくれない。そうだ、今のままじゃ足りない――――」
ぼそりと呟きつつ、私は魔法の森へと姿を潜めた。
***
「やっとだ……これならあいつに勝てる……」
森にこもり一人研究を始めてから数週間。ひたすら魔法を究めんとしていた魔理沙は、魔法使いの中でもかなりのスピードでそれを身につけていった。そしてついに一枚のスペルカード、魔理沙のジョーカーともいえる切り札を得た。
――だが、寝食も忘れ修練を繰り返していた魔理沙は、身体、精神の疲労に加え霊夢に対する焦燥や負い目からの自己嫌悪が重なり、ある大きな間違いを犯していた――あるいは、それに気がついていたとしても、見ていないふりをした。それは、互いに勝てる可能性を作り出す事を目的としたスペルカードルールにおいて重大なルール違反であり、何より魔理沙本人のプライド、弾幕ごっこに興じる全ての人妖が等しく持つ矜持を捨て去ることになってしまう。
だが、それでも魔理沙は――己の誇りを捨てたとしても、霊夢に勝つことを望んだ。
***
数日後。私は霊夢への再挑戦の為、博麗神社へと向かう。空模様は曇り空で決闘日和とは言いがたいが、今更そこまで些細なことを気にする必要は無い。
「今度こそ、完璧に勝ってみせる。よし――」
神社前の階段を上り切り、さあ霊夢を呼ぼうかといったところで、霊夢とは別の誰かの声が聞こえた。思わず反射的に近くの草むらへと身を隠し、霊夢に気づかれないよう境内を覗く。そこには霊夢のほかに、紅い吸血鬼とその従者の姿が見えた。こちらに背中を向けているため二人の表情は見えないが、珍しいことに霊夢が真剣な表情をしているようだ。何か異変でも起こったのか――と草むらから出ようとしたとき、霊夢が体を折り曲げる動作を見せた。
「いきなり笑い始めた……? あいつら何の話をしてるんだ……――っ!」
突然の動作に戸惑い出るべきか否か悩んでいるとレミリアが私の居る方へと振り返り、さらにこちらへと向かってくる。隠れているのが気づかれたのかと、草むらのなかで息を殺す。
――しかし、実際は二人が神社から帰ろうとしただけであり、私に気がついた様子も無く脇を通り過ぎる。杞憂だったと僅かに油断したその瞬間、レミリアの目がこちらへ向いた。その視線は私の隠れる場所を捉えており、私は歯を食いしばり見つかっていないことを祈るしかなかった。果たしてレミリアは視線を前へ戻すと、咲夜と共に地面を蹴り紅魔館の方角へと飛び去った。私はそれを見届けてから改めて草むらから身を出し、神社へと入る。
「久しぶりね。最近見なかったけど何かあったの?」
「ああ……まあ、な」
約一月も姿を見せていない私に対して、さして特別な反応を見せず、普段と変わらぬ態度をとる霊夢。やはり私の事など、気にしてはいないのだ。その事にいらだった私は、前後を無視していきなり本題を切り出した。
「霊夢……私と本気で弾幕で勝負をしてくれ」
「はぁ……? いきなりそう言われても、貴女相手ならいつも本気よ?」
突然の発言に呆れた顔を見せ、否定をする霊夢。しかし私も生半可な気持ちでここに来たのでは無い、語気をやや強めて繰り返し話す。
「本気と言っても、あくまで私と戦うと考えた上での本気だろ? お前は一度だって私に全力の本気を見せたことは無い。なぜなら、私の弾幕がお前に当たった事なんて数えるほどしか無いからな。もう一度はっきり言うぜ――――私を異変の黒幕だと思って、退治する気で勝負してくれ」
霊夢の目が見開き、いつになく困惑した表情で硬直する――数秒そのまま固まった後、諦めたかのようにため息を吐き、頭を抱え目を閉じ話す。
「全く、何があったのかしれないけど、そこまで本気な目をされると断りにくいわね……おまけにどこか不自然な感じがするし。なら、きっとこれは異変かもしれないわね。ねえ、魔理沙――」
霊夢が一呼吸置き、次の言葉の重要さを強調する。
「――
霊夢が目を開き、こちらを睨む。その目は普段、私が相対する時に見る博麗霊夢の表情では無く、私の隣で――いや、私の前で黒幕と一騎打ちをするときの、いわば妖怪退治を生業とする博麗の巫女としての表情だ。
並の妖怪が放つ威圧感が虚仮威しに見えるかのようなプレッシャーに、冷や汗が流れる。だが、挑んだのは私であり、逃げてしまっては本末転倒だ。そして、そもそも退くつもりも無い。寧ろ霊夢に虚言としてあしらわれなかったのだから、こちらとしては願ったりだ。
「ああ……博麗の巫女、博麗霊夢。お前を倒し――私の強さを証明する!」
「うまくいくといいわね。互いにスペルカードは四枚ずつ――」
そう言い霊夢が左手を前に両腕を交差させるように構えると、どこからともなく紅白の札と大幣が霊夢へと飛び、それぞれ左と右の手に収まる。そして右の大幣を大きく外へ振り抜いた――その動作とともに補助武装が霊夢の脇に展開され、そこから何本もの針が私に向かって射出される。私は上へと大きくジャンプし、その勢いで箒を足下へあてがい空中に静止。帽子を被り直し、つばを弾いて霊夢へと叫んだ。
「――先攻はくれてやるぜ、手は抜くなよ霊夢!」
「言われなくとも――せいぜい被弾しない事ね。スペルカード、「二重結界」!」
高らかにスペルカード発動を宣言する霊夢、その言葉を以て私の挑戦――私の異変が始まった。
***
私の両脇に展開された魔方陣から、相手をロックオンする速いものと全方位にばらまかれる遅いものの二種類の弾幕が放たれる。その二つは緩急により行動を制限しつつ、動きを止めた相手へとミニ八卦路による砲撃を放つ。
計三つの弾幕による波状攻撃、面での瞬間制圧力は相当な物だ――しかし、それをあっさりと避ける巫女。さらには避けるだけで留まらず、砲撃の隙や弾幕に隙間が生まれる一瞬を突いて、容赦なくこちらへと弾幕を放つ。スペルカード中の被弾はスペルカード用に回したリソースが肩代わりする為被弾扱いにはならないが、その分スペルカードの持続時間は減少する。そして、再びレーザーを放たれたのを最後にスペルカードが終了する。
これでスペルカードはお互い二枚使用、予想通りならば次は前の、あのスペルカードが放たれるはずだ。
「ちっ……いとも容易く避けてくれるぜ!」
「もう終わりかしら? それじゃあ、終わらせに行くわよ。――「夢想封印 瞬」」
想像通り、前の勝負で決まり手となったスペルカードが使われた――時間経過と共にどこまでも加速し、死角や包囲するように弾幕をばらまく、霊夢の十八番である夢想封印の一つ。前回ですら被弾してしまった上に、今回は霊夢も本気な為普段の弾幕ごっこで時々見せる弾幕が乱れる癖も無い。避けきれる可能性は六割と少しだろう。――このスペルカードが初見ならば、の話ではあるが。
「そう簡単に終わらせてたまるか。勝負はこれからだ」
だが――負ける気はしない。意地や気合いもそうだが、今回の弾幕に限っては明確な勝算がある。
統率された弾幕が放たれるというのは、直感的に避けるのが難しいが、同時に計画的に避けやすい、という弱点を孕んでしまっている。相手の周囲を狙った弾幕が静止している相手には決して当たらないように、弾幕の形さえ掴んでしまえば、たとえどれだけ密度が濃くとも例外の、不確定要素の発生しない弾幕は私にとって脅威たり得ない。
そして、その弾幕の形は前回の勝負である程度掴んでいる。故に――
「――これで突破だぜ」
霊夢の弾幕は一つたりとも私に触れること無く、幾つもの火花を散らして消えていった。
「自信満々で挑んできただけあって、簡単にはやられないって訳ね。それじゃ、貴女も三枚目のカードを――……へぇ」
私が霊夢へと掲げたカードを見て、驚いたように一瞬目を見開き声を上げる。私が掲げたスペルカードは、本来私の最終奥義ともいえるもの。それを三枚目に切るということは、さしもの霊夢といえども思わず表情を変えるほどの事だろう。
「安心してくれ、これが私の奥義であり一番の自信作だって事には変わりないさ――だが、きっとそれじゃお前には勝てない。勝つためにこのカードは、ここで切らせてもらうぜ」
ブレイジングスター、その弾幕の特徴から"彗星"という二つ名を冠するそれは、あのスペルカードを編み出した今でさえ、私の魔法を象徴する切り札として信じている。箒を跨がった状態から、ボードの様に足でバランスをとる体勢へと変え、ミニ八卦路を真上へと放り投げ――帽子を弾きつつ堂々と叫ぶ。
「撃つと動く、今すぐ動く――彗星の二つ名は伊達じゃ無いぜ! 「ブレイジングスター」!」
落ちてきたミニ八卦路をキャッチする――と共にそれが光を放つ。箒の頭を跳ね上げ勢い良く前へと飛び出す事でその光は流星と化し、眩い軌跡を残しつつ霊夢の居た場所を貫いた。
「――見るたびに思うのだけれど、殆ど弾幕関係ないじゃない……。自分自身が弾幕なんて、格闘技の技って言った方が近いんじゃない?」
突進を止め振り向くと、片方の袖下が焼け溶けたかの様に消えていながらも、しっかりと避けて見せた霊夢が立っている。余裕そうだな全く、とため息を吐きつつ言葉を返す。
「私が知ってる格闘技もレーザー放ちつつ突撃なんてしないと思うが……それに、しっかり弾幕で足止めはさせてもらうぜ? ――そら、二回目だ!」
私の通った道筋には星のかけらがいくつか散らばっている。密度こそたいしたことは無いが、干渉されるかスペルカードが終了するまで弾幕はとどまり続ける為、突撃を行うと同時に動ける範囲を狭めて行くことができる。そして、敢えて二回目の突進は霊夢を捉えずに行う――これにより、星弾幕を広範囲へ散らばらせ、霊夢の飛行に対する自由度を削っていく。その後も、避けなければ当たるが軽く動けば当たらないギリギリのラインを突進し続けた。
「――! もらっ……ったああぁ!」
七度目の突進を終えた瞬間、今までに感じたことの無い感覚が湧き出る。霊夢の位置や体勢、弾幕の配置、次に通る軌道を誘導し、回避が出来るルートを作ろうとしている挙動――身体と意識が次の突進へと集中している中、無意識で視界に入る情報を頭脳だけは処理し続け、閃きとして一つの結論を導き出した。私は閃きに従い、誰も居ない場所へと照準を定める。そしてその場所へと吸い込まれる様に霊夢が飛び込み――ピタリと静止した瞬間を光が捉えた。
「完全にタイミングが合ったから回避も防御もかなわないはずだ……」
突進が終わり、反対へと振り向く。霊夢の居た場所は爆風が立ちこめ見通すことが出来ないが、あのタイミングから被弾しないことはまず不可能だろう――しかし、私の直感は違和感を訴え続ける。霊夢の姿は見えないが、スペルカードを解除せずいつでも飛び出せる様に構えた。
「当たった手応えがなさ過ぎる……当たる瞬間に透明にでもなった訳でもあるま……い――っ!」
透明になる――即ち、弾幕が存在する次元からの飛翔。それを成すスペルカードを霊夢は持っている。そしてあの瞬間、霊夢はまだスペルカードを一枚残している。ならば当然、それを使い回避を行うはずだ。つまり、霊夢は被弾してなどいない。それを証明するかの如く、爆風で見えなくなった被弾したはずの霊夢が居た場所から、幾枚もの札がこちらへと飛翔する。
「くっ……」
辛うじて弾幕を回避する――と、爆風が晴れその中から人影が姿を現す。推測通り被弾した様子も無く、そしてその身体は、この世界とは別のところにいるかの如く、ぼんやりと透けていた。
「夢想天生――約束通り本気を出してきてくれたのは有り難いが正直、避けられるかはわからないな……」
私が実際に夢想天生を見たのは過去に数回。それも私が受けたわけでは無く、霊夢が相手に放ったのを見ただけに過ぎない。しかし、これまで見たあらゆる弾幕の中で、あの弾幕ほど博麗霊夢という存在を表しているスペルカードは他に無いだろう。あらゆる概念から空を飛び、一方的に弾幕を叩き付けるスペルカード。それの前には人間だろうと妖怪だろうと関係無く、回避を強要される。
「とはいえ、それじゃあルールが成り立たない。そういうわけで制限時間を決めさせたんだが……さすがに正面からだと迫力やら威圧感やらが違うぜ。まあ、これを越えなきゃ私の勝ちは無いんだ――」
帽子を整え、眼前の霊夢を見据える。こちらのスペルカードはとうに効果切れ、当たればその時点で私の負けとなるが、負ける気は毛頭無い。昔見たそれは、八つの纏まった大量の札を、全方位に放ち、一回の誘導の後、私をホーミングする一連の流れを繰り返す弾幕であり、おそらくその流れは変わっていないだろう。それならば、ひとまずは余裕を持って回避できるはずだ。そしてその読みは的中した。
「――っし、読み通り弾幕の構成はあのときと大差ない、暫くはなんとかなるが……」
放たれた弾幕の方向を確認し、囲まれない位置を把握。そしてこちらに向かってくる弾幕をひとかたまりとして回避する。霊夢から放たれる角度に誤差はあれど、この動きを行うことに変わりは無い。しかし――
「――間隔が狭まってきてる……やはり、そううまく終わらせちゃくれないか」
弾幕に対するパターンを組み上げたといえど、それはあくまでそのスピードの場合に限る。弾幕を放つスピードが上がるなどすれば、組み上げた回避パターンは容易に崩壊する。そうなれば既に崩壊した回避パターンに従うことなど自ら弾幕へ当たりに行くことと変わりはない。誘導のタイミングを早める、単純にスピードを上げるだけでも良い、相手の変化に対応しようとしない時点で負けは確定する。
第一、一度パターンを組んだ程度で安定して回避し切れてしまうような弾幕ならば、無敵という点を踏まえても決して奥義とは言えないだろう。そんなことを考える合間にも弾幕は密度を増していく。
「ちっ……誘導する空間が無いか」
誘導のスピードを上げ続け何とか相手をしていたが、遂に誘導先に次の弾幕が放たれてしまう。止まってしまった以上、ある程度誘導してなおギリギリだった弾幕が全て私へ向けて放たれる。
――私にはまだカードが一枚ある、これを切ればこの弾幕を耐えきることは出来るだろう。だが、夢想天生によって無効化されてし終わった後の時間で、果たして霊夢を被弾させることができるのだろうか。そもそも、それで勝っても本当に勝ちと言えるのだろうか――――
刹那の葛藤の末、心を決める。そしてその決心を言霊に託すが如く、決意を綴る。
「まだだ。ここでカードは切れない。この弾幕を越えなけりゃ、たとえ何が起ころうと、私の完全勝利なんて、言えるはずがないだろ!」
弾幕が動き出す。
避ける為の策は一つ。ほぼ同時に放たれている弾幕をひとかたまりとなるように避けるのではなく、放たれる順番から私をターゲットする連続して放たれる弾幕として捉えることで、八つの纏まりの微妙な発射間隔で弾幕を誘導する、いわば超高速切り返しだ。正面以外からの弾幕を切り返す機会など殆ど無い上、その弾幕は至近距離から放たれるという無理難題、成功率は目を背けたくなる数値だろうが、弾幕からは決して目を逸らすことはない。
「ここだ――」
一番早く放たれる纏まりへと近づき、向かってくるそれを順番に横へと避ける。そしてその移動先を狙った背後の弾幕が放たれた瞬間、私の横を抜ける既に放たれた弾幕へと極限まで接近する。弾幕が私を掠めチリチリという音を発する――経験四割、反射神経三割、そして三割の幸運に助けられ、弾幕は私のそばを通り過ぎていった。そしてそのタイミングでスペルカードの効果が切れた様で、撒かれていた弾幕が無害なエネルギー体へと変わる。
「――まさか、これをカード無しで避けきるなんて……」
夢想天生の効果時間が終了し、身体の透明感が消えた霊夢が、今日初めての驚愕した様な声を上げる。私が知っている限り、今のスペルカードは誰にも突破されたことのない弾幕、それを突破されたのだから驚くのは当然だろう。
「……私は、お前に完璧に勝たなきゃいけないんだ。だから、今の弾幕もカードを使うわけにはいかなかった」
「そう……さっきから、ずいぶんと勝ち負けにこだわっているようだけれど、私が今ここで、降参するんじゃ駄目なのかしら」
私が勝ちに執着する様子を見て、霊夢が訝しむ様な目線を送りつつ問いかける。
――その質問は、今まで互いに勝つ為に戦っているものだとばかりに思っていた私にとって、想像もしていないものであり、その言葉の意味を理解した瞬間、私の思考は完全に真っ白となった。その事実を認めたく無い一心で言葉を投げかける。
「降参って……お前は自分の切り札が避けられて、相手が切り札を残してるってのに、勝つ手段が残されているのに、諦めるのか……?」
その質問の答えが、間違いなく私の望むものではない事であり、最善の手段は、はっきりと断り最後のカードを切る事――そんな事はわかりきっているのに、私の口は理屈に反して問いかけてしまった。
「諦めるわ。切り札を超えられた時点で敗北条件の一つは満たされているもの、勝たなければならない訳ではなく、かつ相手も勝ちたいと思っているならば――わざわざ粘るというのは、必要のない物だと思うわ」
「ふ……ざけるなよ。」
私が霊夢に勝ちたいと願う理由。ルール上や相手の気遣いなどではない、本当の実力で勝利することによって自分に対する嫌悪や、劣等感を払拭しようとするその考えも、霊夢にとっては必要のない、無駄なものなのだろう。問わなければあるいは誤魔化せていたかも知れない真実に、醜いどろどろとした感情が抑えきれなくなる。もはや文章を考える事もせず、頭に浮かんだことを口から吐き出す。
「私は霊夢に勝ちたかったんだよ。ルールによるくり上がり勝利とかじゃなく、自分の弾幕で、霊夢を上回って――私も同じくらい強いんだと証明したかったんだ!」
霊夢からすれば突然私が激怒したように見えているのだろうか、今までに見た事のない愕然とした表情をするも、私はそれを無視して話し続ける。
「正直……私はお前が怖い。異変や妖怪に立ち向かうのだって体が震える……だが、その妖怪と対等に付き合うお前を見たときに、私からはるか遠くに行ってしまった様に感じた事の方がずっと怖かった。だから必死に鍛えたし、恐怖を誤魔化して、隣に立ち続けようとしてたんだ。それでも、お前はどんどん強くなって、皆から慕われて――。私達、最初は同じ所に立っていた筈なのに、いつからこんなに離れて見えるようになったんだろうな……」
答えられるとも思っていない、単に内心を吐き出しただけの問いは、返ってくることなく空気に消える。――もう、どうでもいい。この勝負に勝ったところで、私が弱い事には変わりはない。霊夢の隣に立つには、私は弱すぎた。あと一枚のスペルカードを以て勝ち、二度と関わらない様にすれば、これ以上惨めな気持ちになることもないだろう。
「これで最後にするよ……今までありがとな。――スペルカード発動」
私が勝つ為に作った、ラスト一枚のスペルカード。空を埋め尽くすほどの弾幕は霧雨の如く。魔砲(誇り)を捨てて放つ弾幕は、今までで最も美しく――涙を流している様に見えた。
***
上空に広がる無数の星、流星と化して雨の様に降り注ぐそれは、全てスペルカードによる弾幕であり、触れれば私の負けとなる。先ほどまでの己の発言を考えるならば、この弾幕に触れ自分の負けを宣言することが正しいのだろう。
だが、私が勝敗の過程には意味がないと言った後の取り乱しよう、そしてスペルカードを宣言する直前に見せた、泣き笑いのような表情がどうにも心に突っかかる。一つ選択を間違えれば魔理沙とは二度と会えなくなってしまう様な、嫌な予感がするのだ。
「それに、この弾幕――あいつのポリシーとはまるで噛み合わない癖して、今までで一、二を争う出来じゃない、避ける隙間も殆ど――……ああ、そういう、事ね……」
この美しい弾幕には、本来あるべきの弾幕が通らない空白が無い。つまり、この弾幕は最初から避けられる様に作られていない。勿論ルール違反であり、もしも相手が気付けばその時点で負けとなるそれを、魔理沙はここで使ったという事だ。
魔理沙本人が気付いてないのか、あるいは――それを使って、誇りを投げ捨ててなお、勝ちたかったのか。そのどちらにしても、私は魔理沙の執着、勝ちたい理由を甘く見ていた。魔理沙にとって、ルールによる勝ち負けなどどうでも良く、彼女の弾幕で私を上回ることこそが、本当の目的だったのだろう。
「それならそうと、最初に言いなさいよ……」
私は、魔理沙の心を踏み躙った。魔理沙が何故戦うのか、なんの為にこの勝負を挑んできたのか。私に勝たなければ隣に立ってはならないと短絡的に考えてしまうほどに、魔理沙は追い詰められていたのに、私は全く気が付かず、あろうことか「必要のない物」とまで言い切ってしまったのだ。言葉こそ魔理沙に毒づいているが、悪いのは完全に私だろう。
「あんたの事だから……この弾幕を私に当てて、二度と私とは会わない様にする、とでも思ってるんでしょう」
そうされても、なにも文句は言えない。信念を真っ向から否定したのだ、その場で縁を切られたっておかしくは無かった。謝れるのならば今すぐ謝りたい。けれど、今の魔理沙にどんな言葉を重ねようが届きはしない。――私に出来るのは、行動で示す事だけだ。
「――そんなことはさせない。避けられない弾幕だろうと避けきって見せる。私の本心を聞かずにさよならなんて、させるわけが無い」
私と同じように、魔理沙も気が付いていない事がある。かつて妖怪退治を頼まれる以外に他人と関わることは殆ど無かった私に、後に普通の魔法使いを名乗った少女だけは私と対等に、同じ一人の少女として接してくれた。それが幼き私にとってどんなに嬉しかったかは考えるまでも無い。その気持ちは今でも失われてはおらず、失いたくないという気持ちは増す一方だ。
私はどんな時であろうと絶対に断言できる――魔理沙と離れるなんて、絶対に御免だ。
***
私は一体、何をしているのだろうと、ぼんやりと自問する。この一枚で最後にすると宣言したスペルカード、一点から平面上に拡散し、その後重力のままに弾幕を落とす単純な弾幕。しかし単純な分弾幕の量は桁違いに多く、又拡散、落下共に相手に若干の補正を掛けたランダム軌道となっている。故にこの弾幕は回避側の移動出来る空間を容易く削り取り、最終的に不可避の弾幕となる。このスペルカードならば、負けることは無い。
だが私にとって、この弾幕が命中し霊夢に勝ったところで意味は無い。結果がどうなろうと私が弱いことには変わりなく、二度と霊夢の前に姿を現すつもりも無いのだから。
――そこだ。その行動に、僅かな違和感を覚える。勝敗が関係ないのであればスペルカードを放つ必要すら無く、その場で立ち去れば良かったのだ。決別としてスペルカードを放つのならば、わざわざ新しいスペルカードを宣言する必要は無い。それこそ八卦路が壊れるまで魔力を込め、最大級の一撃を放てば済む話だ。それをしなかった数十秒前の私に、明確な疑問が生じる、思考を止めかけていた頭が、徐々に再起動を始めるのを感じる。
勝敗など関係ないと言いつつ、自身のモチーフに等しいカードでは無く、負けるはずの無いカードを放った。違う、この表現は正しくない。そうだ、私は傲慢にも――勝つことを最初から確信して、このスペルカードを宣言した。この弾幕は絶対が避け得ない物だと分かっていて、勝てば霊夢への興味も失われるであろうとこの弾幕を放った、それがこの行動の真意だ。勝敗など関係無い訳が無い、初めから私は勝った時の事を考えていたのだ。
そしてその裏で私は救いを求めた。必中であり、負けるはずの無い弾幕。だがもし霊夢が、私の醜い打算ごとこのスペルカードを打ち破ってくれたのならば。そして、それでもなお霊夢が私と共にいてくれるのならば、私も吹っ切れるのでは無いか。そんな淡い期待を弾幕の裏に潜め、この弾幕を放った。可能性は無いに等しい、賭けにもならない一点張り。
しかし、あるいはだからこそ、博麗霊夢がその期待を裏切ることは無かった。雨の様に降り注ぐ弾幕を、舞うようにすり抜けていく、弾幕の発生源に向かうにつれ角度は厳しく、死角であろうと関係なしに襲いかかる。しかし霊夢はそのいずれにも当たること無く、無数の火花を軌跡に変えて更に飛翔する。そして。
「どんなに雨が降り注ごうと、雲の上ならば雨は降り得ない。――私の勝ちね」
分厚い雲を抜け、いつしか姿を見せていた太陽の光を背に浴び霊夢は、悠々と勝利を宣言した。
***
途中からは無我夢中だった。ただ降り注ぐだけの霧雨は近づくにつれ横殴りの雨へと変わり、見てから避ける余裕など存在しない。直感を頼りに弾幕を感じ取り回避を行う――最後の方はそれすら間に合わず、ほぼ勘で避けていた。半分は偶然に救われ、弾幕の発生源よりも高く飛び上がったときには、もはや浮遊するのが精一杯、啖呵を切って見せたは良いものの万が一弾幕が放たれたならば動くことも出来ずに打ち落とされていただろう。
それでも、私は超えたのだ。魔理沙を覆う分厚い雲も、上からでは隠せまい、互いに満身創痍の今こそ、伝えるべき事を話す最大の好機だろう。
「魔理沙、貴女と私が最初に出会った時の事、覚えてる? 先代から博麗の巫女を受け継いで、人間とも妖怪とも異なる立場になってから暫くした頃ね。私は守るべき人達からはその力を畏れられ、妖怪からは恨まれていた――先代も先々代もそれで心を閉ざし、ただ幻想郷を維持する舞台装置となってしまったらしいのよ。そして私も、もう少しでそうなるところだった。
でも私には貴女が、魔理沙がいた。人間でありながら私の隣に立ち続け、きれいな星の弾幕で私を繋ぎ続けてくれる貴女がいたからこそ、私は今代の博麗の巫女であるより先に、博麗霊夢という一人の少女として存在することが出来た。その事の感謝は一生忘れないだろうし、そんな貴女を失うのは、絶対に嫌」
私には魔理沙の心を完治させる魔法も、巫術も使うことは出来ない。出来ることは、ただ自分の言葉を、気持ちを正直に伝えることだけ。魔理沙と同じ高さまで降り、目を見つめる。
「恐らく私は、魔理沙を傷つけた。貴女が焦った理由、勝利を望んだ理由を考えないで、私の物差しで話してしまった、本当にごめんなさい。会えなくなるのは嫌だけど、それを止める権利は私には無いわ。それでも――せめて私の本心だけは聞いて欲しい。
私は、貴女の苦悩を全て理解できるほど良い人間じゃ無い。でも、貴女がどんなに悩んで、苦しんで、迷ったとしても、私にとって大切なのは貴女が側に居てくれるかどうか。魔理沙が最後にここに居たいと思ったなら、私はそれを拒絶なんてしないし、他の人にもさせやしない。巫女としての立場が邪魔なら、紫だって敵に回すわ。ねぇ――だから、どうか居なくならないでよ……」
目の奥から熱い物が広がり、視界がぼやける。泣きたいのはあっちなのだから、私が涙を流すわけにはいかないと顔を背け必死に涙を抑えるも、抑えきれなかった一滴が頬を伝う。必死に心を落ち着かせ、再び魔理沙の方へ顔を向けると、それを待っていたかのように魔理沙が話す。
「私は、お前に迷惑を掛けた……弱いままでは霊夢において行かれるんじゃないかって、こっちの勝手な強迫観念に巻き込んで、怒鳴り散らして……霊夢はそんなこと、気にしちゃいなかったのにな。私も、少しは自分の事を信じてやることにするよ。何しろ、あの博麗の巫女が信じてる奴だ、実力は確かなんだろう。全く、あれだけ勝ちたいと言ってた割に完敗だ、この異変はもう止めにしよう。
てことだ。――これからも、よろしくな?」
泣き笑いでこちらを向く魔理沙を見て、収まり掛けた涙腺が今度こそ崩壊する。どちらからとも無く抱き合い、互いに存在を確かめ合う。互いを失う事無く異変が終わると言う、無にも等しい可能性を掴んだ――この瞬間が、真であることを証明するかの様に。
***
先の事件――普通の魔法使いが起こした小さな異変から数日、私と霊夢は約束通り団子屋へと向かった。結局団子は前の分と今回の分で二食分奢ることになり、財布が多少のダメージを負うこととなった――霊夢に押し付けるように渡した財布は、異変の後霊夢に返して貰ったのだが、驚くべき事に財布の中身は少しも減っていなかった。当然疑問に思い問いただした所、「どの道魔理沙の財布は私の物だから別に良いかなって」と返事をされた。
――どういう事だよと、更に質問をした魔法使いがいたらしいが、その後の流れを説明すると、その魔法使いに多大な精神的ダメージ、そして紅白巫女の魔法使いに対するからかいポイントがドカンと入るため割愛させて貰う。
何はともあれ、雨降って地固まると言う奴か、私と霊夢は以前通りの――もとい、以前以上の関係となった。表向きは普段と変わらないが、ふとした一瞬、例えば時間が空いたときにはちょっとした散歩を楽しむなど、何気ない時間を共有することが増えた気がする。互いに認めあえる事の分かった相手と過ごす毎日は、これまでの毎日よりもずっと幸福で、掛け替えのないものになっていった。
――空を覆っていた雨雲はとうに消え、空を太陽と共に彩る綿雲が楽しげに浮かんでいる。