「例えば、こういうのはどうかしら」
輝夜は人差し指をあごに当てて首を傾げる。
私の返事待ちだということは、知っているし、私が知っていることも輝夜は知っている。
素直に「どういうの?」と聞いてみた。
「普通に渡すだけでは受け取ってくれない。なら受け取りたくなるタイミングで渡せばいい」
「はあ。それはどういう時でしょう」
「チョコレートを食べたい時に決まってるわ。さて永琳、チョコレートを食べたい時っていうのはどういう時?」
「チョコレートを食べたい時です」
「そんなトートロジーじみた理由を聞きたいんじゃないの。もっと具体的に」
「そうですね……疲れた時でしょうか」
「それもただの一般論よ。永琳、妹紅も私ももう俗世に生きる穢れきった人間なの。そんな型にあてはめてもらっちゃあ困るわ」
「人間ではない気がしますが……」
なんとなく言いたいことはわかるし、答えもわかるのだけど、これはきっと、輝夜はただ話したいだけで自分で納得したいだけなのだろう。
なので、私はおかたい頭を持っているふりをするのが最適だ。
凝り固まった肩を鳴らしながら続ける。
「一般的には疲れた時、ストレスが溜まった時だと思いますが」
「それでももっと食べくなる時があるでしょ。人間なんだから」
「思いつきませんね」
「それはね、夜中よ。夜中『食べたらいけないな』と思う時間が一番食べたい時なのよ。人はこれをギャップ萌現象と言うらしいわ」
「なんですかその頭の悪そうな現象」
「紅魔の賢者が言っていたのよ。人は感情を絶対値じゃなくて振れ幅で感じるの。駄目だって言われてるからそれを行った時の快感ったら無いわ」
「フェヒナーの法則というやつですね」
「難しいことは言わないで。ともかく深夜に渡せばきっとチョコレートは受け取って貰える。きっと妹紅だって深夜にチョコレートを食べちゃいけないな、と思っているはずよ。太るから」
「不死なのに」
「不死は別に無変化ではないわ」
仰る通り。
輝夜の心境を見ていれば不死は無変化じゃないということはわかる。
「だから今から渡してくるわ」
「まだ2月13日ですよ」
「歩いているうちに14日になってるわきっと」
輝夜はそう言うと、手をひらひらとあおぎ軽く笑う。
今は夜。
縁側で酒を飲んでいた時の事だった。
「それでいいんですか?」
「だって私が作るよりカントリーマアムの方が美味しいから」
輝夜は居間のお菓子入れに入っていたカントリーマアムを手に、妹紅の家へと向かっていった。
うまく渡せるかどうかは、目に見えている。
「チョコレートをあげるなんて、乙女で可愛いですね」
ずっと側でやりとりを聞いていたうどんげが、酒を飲みながら素っ頓狂な事を言っていた。
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味噌汁の匂いと、うどんげの頭が揺れていることで、朝になっていることに気づいた。
珍しくてゐが朝餉を作っているのだろうか。
匂いにつられておだいどこに向かう。
うどんげはやはり眠いのか、先程まで行っていた研究に納得いかなかったのか、頭を振りながらついてきた。
「あれお師匠様、珍しい」
「私の分はある?」
「もちろん。姫も食べるかな」
「んーまあ気にしないでいいわ。私とうどんげの分だけで」
てゐは割烹着で手を拭いてから、背伸びをして私の目元を触った。
「徹夜したんだ」
「よく分かるわね」
「見て分からなくても触れたら分かるもんよ」
私が言うのもなんだけど、老練な台詞だと感じた。
「おはよーうてーゐ……」
「それにこいつを見ればわかる。二人して不細工な顔して」
遠回しに顔を洗ってこいと言われたような気がしたのでうどんげは置いておき、洗面台に向かう。
そこには髪を焦がし服を焼き、泣きながら身体を清めている輝夜が居た。
「もこたんめっちゃおこたんだった……」
「そりゃあ夜中に訪ねたらね」
眠気眼にカントリーマアムを投げつけられたら誰だって怒る。
「美味しいのに」
「そういう問題じゃないです」
輝夜は放っておいて、再び私の鼻孔を刺激する元へ向かった。
てゐは既に自分と私とうどんげの茶碗を用意して、割烹着を畳んでいた。
「おまたせ」
「ん」
「いただきまーすーう……」
うどんげは相変わらず眠そうだった。耳はしなびている。
そういえば、てゐと食事をするなんて、何か久しぶりなような気もする。
私たちにはそもそも食事なんていらないし、食事はただの娯楽の一環に過ぎないので、食事に必然の意味をもたせるうどんげやてゐとは合わないから仕方ないのだが。
しかし、食卓を囲うのには様々な意味がある。
食事は食べることだけが目的ではない。
てゐはうどんげに庭で放し飼いをしている兎の話を始めていた。
最初は眠そうなうどんげだったが、次第に食事と会話で頭の揺れがおさまってきていた。
「あ、師匠」
覚醒したうどんげは声を上げた。
「なんで姫は妹紅にチョコレートをあげるんですか?」
「あげたいからじゃない?」
「そんな、えーと、トートロジーじみた事を言わないで下さい」
またひとつ弟子が言葉を覚えた。偉いわ。
「あげたほうがいいからよ」
「……嫌い合ってるのに?」
「鈴仙にはあの二人が嫌い合ってるように見えるの?」
てゐが目を大きくして声を上げる。
「……違うの?」
「つねづね阿呆だなーと思ってたけどここまで阿呆だとは」
「ひどくない? 師匠、てゐがひどいです」
「そう? 貴女は阿呆じゃない」
うどんげが目の輝きを失った所で、私はおかわりを所望した。
てゐは先程よりも目を大きくして、ぴょんぴょん耳を跳ねさせながらおひつを抱えた。
「今日はよく食べるのね」
「食卓が楽しいからね」
てゐには頭が下がる。
改めてこの小狡い兎の近くに、姫や弟子が居てよかったと感じた。
「うどんげ、チョコレートは美味しいじゃない」
「え、まあ。私達はあまり食べないですけど」
そもそも兎にチョコレートは危ないからね。※Wiki調べ
「美味しいものをもらったら、人間は嬉しいものよ」
「妹紅は人間じゃないと思いますよ」
昨日もそんなことを聞いた気がする。
誰が言ってたっけ。
「だから姫は妹紅にチョコレートをあげるのよ」
「はあ、喜んで貰いたいんですね」
「そのままの意味だと、そう。だけどこの世にはね、ギャップ萌現象という言葉があるのよ」
「何ですかその頭の悪そうな現象。あれ、なんかデジャヴのような」
鈴仙は阿呆のような顔で考えながら卵焼きを飲み込んだ。
一緒に思考も飲み込んでしまったのか、次の瞬間には実に嬉しそうに人参のソテーを食べ始めていたので、やはりまだまだ半人前だと感じた。
食事も終わり、洗面台に行ってみると、昨晩のような顔をした輝夜が居たので昨日と同じ様に「どうしましたか?」と聞いてあげた。
輝夜は右手の人差し指と親指でブイの字を作り、あごにあてながらふふんと笑った。
「次の手段を考えたわ。今度は逆転の発想」
「どういうのです?」
妹紅にチョコレートを渡す手段のことだろう。
「今日はそういう日なんだから、きっと妹紅は里の人間や慧音からチョコレートをもらうはずよ」
「まあ、妹紅ならもらう方ですね。タチの方」
「チョコレートを食べ過ぎるとどうなると思う?」
「肥満や低血糖が考えられますね。あとはデキモノができたり」
「そういうのじゃなくて! 医者か!」
「医者です」
輝夜は地団駄を踏んで求めるような目で私を見つめてきた。可愛い。
「……食べ過ぎると、喉が乾きますね」
「そう! 牛乳を飲みたくなるでしょ」
「はい」
「だから逆転の発想よ。妹紅に牛乳を飲ませまくればいいの」
なるほど。
「そうすれば今度はチョコレートを求めるようになるわ。そこがチャンス。誰かからもらったチョコレートを食べている妹紅の所に牛乳を持っていくでしょ、そうしたら妹紅は私に感謝しながら牛乳を飲む。私はまあまあと注ぐ。妹紅はおっとっとと言いながら牛乳を飲む」
「そうすると?」
「妹紅は牛乳の飲みすぎで逆にチョコレートを求めるようになる。そこで私の」
「カントリーマアム?」
「カントリーマアム」
完璧な作戦だと、ささやかな胸を反る輝夜に拍手を送ってやった。
近くに居たうどんげは首をかしげながらも私と同じように拍手をしていた。
仕方がない、うどんげはまだまだ半人前だ。
「それじゃあ牛乳をいっぱい買うからお金頂戴」
「はいはい」
がま口から一日分の食費くらいのお金を取り出し渡してやると、輝夜は跳ねながら外に飛び出していった。
「……師匠」
「なに」
「甘くないですか?」
「チョコレートの話?」
「違いますよ。姫様に対してです」
「甘くないわよ。必要なことだもの」
「……私もお小遣いが欲しいなあ」
「今晩はお蕎麦が食べたいわね」
「あ、はぐらかした!」
この世はそんなに甘くない。
それは鈴仙に対しても、チョコレートに対しても言える。
甘さだけで生きていけるほど、この世は甘くないのだ。
私達の生は、特にね。
ああ、甘いことばかりして甘いもののことばかり考えてしまうと、しょっぱいものが食べたくなる。
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「おこたん、激もこぷんぷん丸だった……」
夜、今朝と同じ三人でお蕎麦をすすっていると、焦げ過ぎて顔が何処かにいってしまった輝夜が帰ってきた。
食事中に見るものではないので、直ぐに洗面台に行ってもらう。
てゐは気づいたら酒の瓶をあけていたので、有難くご一緒させてもらった。
「なんであんなになるのにチョコレートをあげたがるんだろう」
「鈴仙にはわかんない?」
「わかんない。というか師匠ならともかく、てゐにはなんでわかるのよ。ひょっとしてわからないのにわかったふりしてるんじゃないの?」
「そんな八雲紫みたいなことしないよ」
笑いそうになったがお蕎麦を飲み込んで誤魔化す。
「わたしゃねえ、あの二人がどういう二人かって知ってるからわかるのさ」
「どういうこと?」
「妹紅と姫様はなんで殺し合ってるんだっけ?」
「えーと、姫様が、妹紅の親に恥をかかせたんだっけ」
「そんな感じ。妹紅は恨みで姫様は殺してる。姫様もそれに応えている」
「それがどうしたの?」
「そんなのってさ、時間が経ったら冷めちゃうよね。怒りと恨みでついた火は、決して永遠ではないよ。火は燃料があるから燃え続ける。でも、永遠な燃料なんてあるわけない」
酒のまわりが良いのか、てゐの口はいつもより軽い。
「妹紅は姫様をもう恨んでないってこと?」
「いや、恨んでる。恨んでる結果だけ残っている。姫様のお陰でね」
「うん? ねえ、チョコレートの話はどこにいったの」
「鈴仙、あんた、嫌いなやつから施しを受けて嬉しい?」
「嫌よそんなの」
「だからチョコレートをプレゼントしてるのよ。妹紅が受け取りたい最高のタイミングを伺ってる。あれは素直でまっすぐで純粋な腹黒姫だよ」
怒りと恨みにまみれた戦争に、意味が無くなったらどれだけ恐ろしいか。
火は消えて、いずれ煙も残らない。
目的が無い生こそ、私を含む彼女らの恐怖であり、絶望である。
それが無くなってしまっては、いつか心を失うだろう。
燃え尽きて廃れたもの……それは「者」かもしれないし「物」かもしれない。
輝夜はそれを避けるために、燃料を提供しているということだ。
その結果だけが残るように、永遠に演者で有り続ける。
恨まれる存在で有り続ける。
それが永遠を乗り切るための二人の茶番なのだ。
だからは輝夜は妹紅のために、最高のシチュエーションを求め続ける。
「てゐの言うことは複雑でわかんない」
「お師匠様、お弟子さんこんなこと言ってますけど」
「うどんげはそろそろ 庭の粉挽き小屋の整理でもしてきなさい」
「うちそんな小屋ありましたっけ?」
「いいからほら。食器を片付けて」
鈴仙を追いやったので、もう一杯地上の幸せ兎から酒を頂いた。
美味い。濁った酒はこういう日に丁度よい。
顔を洗い終えたのか、うどんげと入れ替わるように輝夜がやってきた。
「ねえねえ永琳。あ、ちょうどいいわ。てゐも居る」
「なにさ、姫様」
「今度こそ妹紅にチョコレートを渡す案を思いついたの。聞いて」
「ふうん?」
「まず服を脱ぐでしょ?」
既に駄目な気がしたので、輝夜の相手はてゐに任せた。
お蕎麦は食べ終えてしまったので、酒を流し込むためのあてがない。
やけに辛くて複雑なこの酒に合うのは、どんなものが良いだろう。
お漬物? いや、塩辛すぎる。
冷奴? いや、無味すぎる。
もう少し舌に残る、とろけた物が良いはずだ。
そんなことを考えていると、輝夜は喜々として外に走っていった。
どんな手段か知らないが、また妹紅の所に行くのだろう。
「ふう」
「はしゃいでるわねえ」
「こういうイベントにいちいち乗るほうが、茶番臭くて良いんじゃない?」
「輝夜は本気で楽しく乗るからね。幻想郷に合ってる」
グラスとおちょこをぶつけ、液体を飲み干した。
何やら妙な笑いがこみ上げてくる。
「いやねえ」
「うん?」
「お互い、長生きするのはいやねえ」
てゐはお腹を抱えてけらけら笑い始めた。
地上にしろ、月にしろ。
生きていき、変化のこの世に長く居ると、考え方は似通ってしまうのだろう。
「あんたが言うなよお師匠様。はー面白い」
「貴女がそこまで姫の考えをお見通しだとはね。おかわりは?」
「飲む。わたしゃこの世のルールや法律が出来る前から生きていたんだよ。そのくらい分からなくて何が長生きさ」
「格好いいわね」
てゐはグラスをぐいと傾けた。
その姿はやはり、曲者のさまであった。
「妹紅、受け取るかしら」
「どうだろうねえ。普通は受け取んないよ。でも、あいつも最近色んなやつと関わり合って変わってきてるから」
「受け取る可能性はある?」
「かもね。楽しもうとするかもね」
てゐの大きな耳が愉快に揺れた。
彼女も私と同じ、保護者なのだろう。
私ほどではないけれど、これからの永遠を生きる彼女らの変化を見守るのがどれだけ楽しみなのかは、彼女の耳と酒を飲む速度がよく表している。
酒を飲み、一息吐く。
そして、ふと私はこの兎が驚くところを見たくなった。
達観して、保護者面して、全てを見透かして見守るような彼女の驚く顔を。きっとそれは愉快なはずだ。
彼女はどうすれば驚く? そうだ、今日はうってつけの日じゃないか。
「2月14日はまだ残ってるもんね」
「何か言った? おかわりは?」
「なんでも。おかわりは頂きます。これを飲んだら少し外すわ」
「ん」
しかし意外だ。私がこんな思考になるなんて。
……もしかすると、私は嫉妬していたのかもしれない。
輝夜と妹紅だけで紡ぐ恨みの関係に。
だから似た者を見つけた時、つまり今、この兎をからかってやろうと思ったのだ。
この兎と楽しんでみようかと思ったのだ。
「それにしても、辛くて美味しいお酒ねえ」
「でしょ。良いお酒なんだ」
てゐの目がきらりと光ったような気がした。
私に酒をつぎながら、続ける。
「そうだねお師匠。こんなに辛いお酒ばかり飲んでるんだから、甘いものが欲しくなってくるんじゃない?」
はっとして彼女を顔を見る。
彼女は、この後に私がするであろう顔をしていた。
そしてきっと、私はこの後に彼女がするだろう顔を。
「ハッピーバレンタイン」
目を細める幸せ兎の顔が、悪魔の笑顔に見えた。
長生きする者は、やはり恐ろしい。
甘ったるいハート型のそれを受取りながら、ふとそう感じた。
「私達だって長生き同士。茶番を楽しもうよ、お師匠様」
『ギリデヤットチョコレートアゲレッタ』
おわり
「聞いてよ永琳、てゐ」
「あら。お早いお帰りで」
「妹紅がチョコレートを受け取ってくれたのよ」
「……なんですって?」
「『ホワイトデー楽しみにしてろ 』だって」
「なるほど」
てゐが言っていたことを思い出した。
『あいつも最近色んなやつと関わり合って変わってきてるから』
なるほど、それはきっと面白い茶番になるでしょう。
演者が二人もいるのだから。
こちらとしても楽しみだ。
隣に居る兎と目を合わせて、本当に久しぶりに、腹を抱えて笑ってやった。
ああ、楽しい。
なんて素敵なバレンタイン。
勝手にかぐもこかえーてるだと思って読んでましたが、てーりんなんすねこれ
面白かったし普通に意外だったんで満点置いていきます
台詞の掛け合いも地の文の思考もまるで原作の永琳みたいで、輝夜もてゐもうどんげも妹紅も原作っぽいのにばかのひさんのいつものノリも確かにあって
そして少しビターな大人の味が実に永遠を生きる彼女たちに似合っています
最高のSSでした
永遠亭内のキャラの関係もよかった
永琳がかわいいのって珍しいよね
友達な兎もかわいい
みんなかわいい
長く永く生きる者達の辛さしんどさ、そういったものを捨てるでもなく曝け出すでもなく、
くるんで包んで丁寧にラッピングして抱えたまま生きてって、
そうして時には他の誰かと分かち合ったりなんかして、
そんな感じの素敵な作品でした。
理解者がいるというのは「長生き」の一番の秘訣なのかも知れませんね。
あと覚えたばっかの言葉すぐ使ううどんげちゃんとか
背伸びしてやっと永琳の目元に手が届くてゐとか可愛くて良い。
少しずつ変わりながら歴史を刻んでいく、それが生きることだって誰かが言ってました。とても面白かったです。
永遠に憎しみ合いを演じるてゐの考察や、それを見守るてゐ・永琳の交流、面白かったです。
茶番も人生も楽しんだ者勝ちなのだと思いました
テンポの良さとストーリーのほどよい甘さが良かったです
まさしくこんなてーりんがどこかにないかなあ…とずっとずっと思っていました。
長年追い求めていた作品が遂に読めた…!という気持ちです。本当にびっくりするほど寸分たがわず自分が欲しがっていたものを満たしてくれました。ドストライクです。感激です。
感謝しかありません。ありがとうございますありがとうございます…!