露わにされた鬼の白い背中(せな)に、紅い粒状斑がいくつも浮かんでいた。新雪に散らした椿の花弁のように、てんてん、てんてんと、紅く潤んでいた。
私はその椿を、一枚一枚、雪に埋めるように、雪解け水に浸した布でなであげた。そのたびに、背中を一つ越えた向こうからは、ひゃあ、だとか、あいた、だとか、情けない声があがった。
「あいた」
「我慢して」
ほらまた。
「馬鹿やるのも程々にしてください」
「いやぁ、いい案だと思ったんだけど」
板間に胡座の勇儀が照れくさそうに、頬を掻いた。背中越しに見える横顔にも、赤い腫れが一つ二つ、口づけの後のように残されていた。傷跡が醜く熟していないのは、鬼のしなやかな肌のおかげか。薬草粉を溶いた冷水が、薄い肌に浅く沁みゆく。脇のいろりで、薪がぱちりとはぜた。
如月の三日。鬼を祓う祭事を、地底の鬼達が盛大に祝った。
立春の前日に、鬼に向けて豆を投げ邪気を払い、一年の無病息災を祝う人間の行事、節分。鬼のもっとも苦手とする炒り豆の投げ合い大会を、鬼が執り行うことになったのだ。
発案者である星熊勇儀の麹屋の店先での唐突な提案に、誰もが一度は正気を疑った。しかし、自信を形にした唇と揺るがない赤い瞳を視て、その本気を知ることになった。その言い分は、
「我らを痛めつけてきた小さな弱点を、そろそろ克服しようじゃないか」
鬼らしく闊達で向こう見ずな物言いが、それに同調した街路の衆合を巻き込んで、目抜き通りを噂が駆け回り、張り巡らされた細小路にまで話が届いた。大きな騒ぎになった。今こそ邪を祓うとき、我らの邪とはすなわちこの大豆であると、旧都中の鬼が豆を買いに走った。
その結果。
「いたたたた」
「うるさい」
一等赤く大きな斑点を念入りに擦りあげると、勇儀がうめいた。
炒り豆に手を突っ込めば指先が焼け、握れば手のひらが悲鳴を上げ、飛び散るこぼれ豆が腕にはじけ、相手の鬼に向かって投げる。熱した砂で、合戦をするようなものだ。祭りの熱気に当てられて、気づけば満身創痍の鬼の出来上がり。清めにうなされて寝込むもの、大やけどで雪に飛び込むもの、参加者の多くが体中に赤く熟した斑点を散らし、倒れていった。
それだのに。
「一番豆をぶつけられた貴方が、その傷で済むんですものね」
「なあに、気合いさ気合い」
死屍累々の豆合戦を制したのは、当然というか、我らが鬼の頭領であった。これが機だといわんばかりに、下克上を狙った血気盛んな若い衆が鬼の首を取れと勇儀に決戦を求めて詰めかけた。一対多の対決を呑んだ彼女は、集中攻撃を受けてなお、それを一人で制して見せた。という話らしい。というのも、ここまでは全て、体中赤いあばただらけで帰ってきた勇儀から聞いた話だった。いつもは川沿いのあばら屋にまで聞こえてくる喧噪が、今はおとなしい。先の津波のような潮騒は遠くへ干いていた。旧都全体が床に伏しているようだ。
「齢の数ほどはぶつけられたかな。あれ、食べるんだっけ」
「舌を火傷しても知りませんよ」
「炒らなきゃ平気。あ、そうだ」
勇儀がふところから笹包みを取り出した。熟成された芳醇な香りが、笹を通してほのかに伝わった。
「これ、頼まれてたお使いの」
「お味噌、忘れてると思ったわ」
「店先で大豆眺めてたら節分だって思い出してね。こいつで年の数分摂るとしようか」
「お鍋一杯作らなきゃね」
どうも今宵の阿鼻叫喚は、夕餉に味噌汁を作るからと、彼女を麹屋に向かわせた私にも責任があるらしかった。
◆
地底魚の削り節を出汁に、味噌は程よく濃く溶いた。具材は薄揚げと絹どうふ。嫌味のような、豆づくし。湯気と香りが上りたって、肌にしみるかもしれない。
「あち。やっぱりパルスィの味噌汁には敵わない」
「舌を火傷しても知りませんよ」
今宵は節分。鬼退治には味噌汁がよく効く。
私はその椿を、一枚一枚、雪に埋めるように、雪解け水に浸した布でなであげた。そのたびに、背中を一つ越えた向こうからは、ひゃあ、だとか、あいた、だとか、情けない声があがった。
「あいた」
「我慢して」
ほらまた。
「馬鹿やるのも程々にしてください」
「いやぁ、いい案だと思ったんだけど」
板間に胡座の勇儀が照れくさそうに、頬を掻いた。背中越しに見える横顔にも、赤い腫れが一つ二つ、口づけの後のように残されていた。傷跡が醜く熟していないのは、鬼のしなやかな肌のおかげか。薬草粉を溶いた冷水が、薄い肌に浅く沁みゆく。脇のいろりで、薪がぱちりとはぜた。
如月の三日。鬼を祓う祭事を、地底の鬼達が盛大に祝った。
立春の前日に、鬼に向けて豆を投げ邪気を払い、一年の無病息災を祝う人間の行事、節分。鬼のもっとも苦手とする炒り豆の投げ合い大会を、鬼が執り行うことになったのだ。
発案者である星熊勇儀の麹屋の店先での唐突な提案に、誰もが一度は正気を疑った。しかし、自信を形にした唇と揺るがない赤い瞳を視て、その本気を知ることになった。その言い分は、
「我らを痛めつけてきた小さな弱点を、そろそろ克服しようじゃないか」
鬼らしく闊達で向こう見ずな物言いが、それに同調した街路の衆合を巻き込んで、目抜き通りを噂が駆け回り、張り巡らされた細小路にまで話が届いた。大きな騒ぎになった。今こそ邪を祓うとき、我らの邪とはすなわちこの大豆であると、旧都中の鬼が豆を買いに走った。
その結果。
「いたたたた」
「うるさい」
一等赤く大きな斑点を念入りに擦りあげると、勇儀がうめいた。
炒り豆に手を突っ込めば指先が焼け、握れば手のひらが悲鳴を上げ、飛び散るこぼれ豆が腕にはじけ、相手の鬼に向かって投げる。熱した砂で、合戦をするようなものだ。祭りの熱気に当てられて、気づけば満身創痍の鬼の出来上がり。清めにうなされて寝込むもの、大やけどで雪に飛び込むもの、参加者の多くが体中に赤く熟した斑点を散らし、倒れていった。
それだのに。
「一番豆をぶつけられた貴方が、その傷で済むんですものね」
「なあに、気合いさ気合い」
死屍累々の豆合戦を制したのは、当然というか、我らが鬼の頭領であった。これが機だといわんばかりに、下克上を狙った血気盛んな若い衆が鬼の首を取れと勇儀に決戦を求めて詰めかけた。一対多の対決を呑んだ彼女は、集中攻撃を受けてなお、それを一人で制して見せた。という話らしい。というのも、ここまでは全て、体中赤いあばただらけで帰ってきた勇儀から聞いた話だった。いつもは川沿いのあばら屋にまで聞こえてくる喧噪が、今はおとなしい。先の津波のような潮騒は遠くへ干いていた。旧都全体が床に伏しているようだ。
「齢の数ほどはぶつけられたかな。あれ、食べるんだっけ」
「舌を火傷しても知りませんよ」
「炒らなきゃ平気。あ、そうだ」
勇儀がふところから笹包みを取り出した。熟成された芳醇な香りが、笹を通してほのかに伝わった。
「これ、頼まれてたお使いの」
「お味噌、忘れてると思ったわ」
「店先で大豆眺めてたら節分だって思い出してね。こいつで年の数分摂るとしようか」
「お鍋一杯作らなきゃね」
どうも今宵の阿鼻叫喚は、夕餉に味噌汁を作るからと、彼女を麹屋に向かわせた私にも責任があるらしかった。
◆
地底魚の削り節を出汁に、味噌は程よく濃く溶いた。具材は薄揚げと絹どうふ。嫌味のような、豆づくし。湯気と香りが上りたって、肌にしみるかもしれない。
「あち。やっぱりパルスィの味噌汁には敵わない」
「舌を火傷しても知りませんよ」
今宵は節分。鬼退治には味噌汁がよく効く。
ありがとうございました。
>「いたたたた」
>「うるさい」
ここのパルスィが可愛い。何処がどうと問われては言葉に窮するのですが……。
勇儀とパルスィのほわほわした関係が素晴らしいです。
傷付いて帰ってきても手当てしてくれる人がいるって素敵だと思いました
鬼退治には味噌汁が良く効く、の言い回しが好きです
焼けた砂を掴んで投げ合うって想像してみると怖いですね、勇儀姐さん半端じゃない