月の無い、黒塗りの冷気が厚く横たわる冬の夜だった。
博麗神社の裏山には、そこで再び日が昇るまでの暗がりをやり過ごそうと、鳥達が木の上でひっそりと身を寄せ合って止まっていた。
いつもなら鳥達の姿は夜の闇に紛れ、いくら目を凝らしてもその様子を捉える事はできない筈なのだが、今はその姿をはっきりと明るく捉える事ができ、周囲はとても騒がしかった。
夜も更けて、あと半時もすれば時計の針全てが真上を向こうかという時間。そんな時間であるにもかかわらず、神社の広い境内は人で溢れかえっていて、その足元を照らすための仮設の街灯と、神社までの参道や境内の淵に沿うようにひしめく屋台の明かりが、神社の裏山にまで届いていた。
この日は年の暮れ、大晦日だった。
「まったく、毎年毎年たまんないわね」
本殿の横に簡易に建てられた売店のテントの下で、呆れた表情で霊夢が呟く。
霊夢の視線の先には、年明けを待たずにお守りや破魔矢を買い求めに列を成した参拝客の無数の顔があった。
そしてその客達をせき止める壁のように、霊夢の目の前にはお守り等を陳列した棚と、それを挟んで接客をしている巫女服姿の白狼天狗達の後ろ姿が並んでいた。
「霊夢殿! 里の商家のお方が、頼んでおいた特注の熊手をと申しておられます」
「はいはい、それはそこの棚の手前に置いてあるやつね、お代はもらってるからそのままお渡ししといて」
「承知しました」
白狼天狗達は皆一様にして忙しなく、そして勤勉に業務に当たっていた。巫女服姿も中々様になっている。
こうして大晦日の夜に白狼天狗達が並ぶ様になったのは去年からの事だった。
そのきっかけは至極単純な話で、単に霊夢が楽をしたいという発想の元、手ごろな人材が居ないものかと模索した結果、白狼天狗達に白羽の矢が立ったというものだった。
天狗達は普段から妖怪の山で群れを成す組織社会の中で生活しており、その統制の取れた動きはこういった仕事にはぴったりだ。おまけに天狗達はその上司にあたる鬼、つまり萃香には頭が上がらないと来る。そうなれば話しは簡単で、萃香に適当なお酒を賄賂代わりに渡して、天狗達に大晦日に手伝う様言うように頼むだけで話はつく。
霊夢はその思い付きをすぐさま実行した。そして返ってきた天狗たちの返事は、霊夢の思惑通りのものだった。
「霊夢さん、様子はどうですか?」
背後から声がして霊夢が振り返ると、そこには白狼天狗の上司にあたる鴉天狗の射名丸文の姿があった。
「ええ、おかげさまで順調よ。そっちの方はどう?」
「はい、丁度今来た所なのでまだ何も出来てませんが、これだけ賑わっていればいい写真と記事を載せる事ができそうです」
霊夢は、ふーんと興味無さそうに言いつつ、視線を客の波に戻す。
「それにしても、あんたたちってホント変わってるわよね」
「変わってると申しますと?」
「最初は私が無理やり手伝わせてたはずなのに、今となってはこんな面倒な仕事を喜んでこなして、それだけじゃ飽き足らずに勝手に販売データとかなんとかを取ったり、会議なんて開いちゃったり、あげく今年なんて売り場の全てを任せてくれなんて言い出しちゃって。変わってるわよ、あんたたち」
「白狼天狗は組織社会に身を置く種族ですから。大勢で計画を立てたり運営したりするのは得意ですし、何より他人の役に立つ事そのものが好きなんですよ」
文は得意げな顔をして言って、霊夢はまたふーんと興味無さそうに相づちを打った。
そうやってしていると、テントの外から人混みをかき分けて近づいてくる一人の白狼天狗が見え、その白狼天狗はそのままテントの中へ入り二人の元へとやって来た。
「文さん、いらしていたんですね」
「ちょうど今来た所です。それより椛さん、売り上げの方はどうですか?」
椛と呼ばれたその白狼天狗は、他の白狼天狗達よりもどこか凛とした雰囲気で、腕には他の白狼天狗達には見られない線の入った腕章を付けている。事情を知らない霊夢が見ても、この椛という白狼天狗がこの場所を束ねるリーダーの役割を担っているという事は一目瞭然だった。
椛は手にしていた薄い板状の機械の画面を点灯させて、それを文に差し出す。
見慣れない機械に霊夢は目をぎょっとさせ、自身も文の横へ来て画面をのぞき込む。そこには沢山の数字と、ジグザグに曲がったグラフや、色で塗り分けられた丸い図形が映し出されていた。
「そちらが今現在の売り上げの推移です。売り上げは前年の104%と上々ですが、収益ベースで見ると、原価額が高騰している関係で前年の98%を割り込んでいます」
「うーん、もう少し頑張りたい所ですね。製品別のデータはどうですか?」
「はい、製品別で見ますと、恋愛成就のお守りはインスタ映えを狙ったあざといデザインが功を奏した様で、既に品薄状態にまでなっています。ただし、ツイッター映えを狙って小売店に突っ込む力車をデザインした交通安全のお守りに関してはさっぱり……」
「そうですか、やはりインスタグラム効果は絶大ですね。これは来年へ向けて在庫の見直しと更なるマーケティング調査を――」「ちょ、ちょっと待った」
二人の会話を霊夢の大きな声が止める。
「あんたたち、いつからそんなハイテクになってんのよ。しかもその、イン、インス、インスタント、なんとかって何なのよ。あと何その訳の分からないお守りは」
「まあまあ落ち着いてください。この画面は、まあ簡単に言うと売り上げや顧客のデータを瞬時にまとめる事ができるシステムでして―― それよりも霊夢さん、あなた、まさかインスタグラムをご存じない?」
文が流し目で霊夢をちらりと見ながらにやついた表情を見せると、霊夢は目を泳がせてから明後日の方を向く。
「さ、最近の流行なんて興味無いもの」
「ふふふ、霊夢さん、インスタグラムとはSNSの一種でして、そのSNSというのは――」「聞いてないわよ!」
霊夢が一段と大きな声をあげると、周りにいた大勢の客や白狼天狗達は驚き、その視線が一斉に霊夢に集まる。一瞬の間があった後、たじろぐ霊夢を除いて周囲はまた何事も無かったかの様に、騒がしい平静を取り戻した。
「あ、あんた達のせいで恥をかいたじゃない」
「それは濡れ衣というものです」
「文さん、私は業務に戻ります」
椛はそう言って再び売り場の前線へ戻って行き、後に残った二人はそれを見送る。
霊夢は深くため息をついた後、気を取り直そうと軽く手を叩いた。
「さてと、そろそろあの馬鹿が問題起こしてないか見てこないとね」
「あの馬鹿、とは?」
文が聞くと、霊夢はすぐには何も答えずテントから出て、そのまま群集を掻き分けながら歩いた。文もそれに続く。
一つの屋台の前にたどりついて、霊夢はやっと「あれよ」と返事をした。
二人の目線の先には屋台を取り囲む異様な数の人集りと、その人集りを屋台の上から酒瓶を片手に見下ろす萃香の姿があった。
「さあさあ! ここに用い出したるは博麗のありがたーいお神酒だよ! 供えて良し。飲んで良し。もちろん味も良し! 種類は三つ。二合ばかりのちんけなやつ。どどーんと一本、一升瓶。とどめの最高級、博麗大吟醸! この縁起時に二合ぽっちのちんけなのを買う様じゃ、いい年は迎えられないよ? さぁ皆々様、一升瓶から酒樽まで、どんどんと買った買った!」
群集からは萃香の掛け声に煽られた活気のある声があちらこちらから上がり、普通なら中々手が出ない様な金額の御神酒が飛ぶように売れていた。売り場に立つ白狼天狗達の慌しさは、先ほどまで二人が居た本殿横の販売所の比ではなかった。
「まだ問題無さそうね」
「あやや、凄まじいですね」
「調子に乗って喧嘩や勝負事でも始めないかと冷や冷やだけどね」
そう言いつつも霊夢の顔はご満悦といった表情で、しばらく様子を見た後は満足そうにその場を離れた。
文は霊夢を追わず、豪快な音頭を取り続ける萃香を見据えたまま立ち尽くした。
「やはり、天狗はどう頑張っても鬼には敵わないのですかね……」
文はポツリとつぶやき、一度だけシャッターを切ると、萃香に背を向けてその場を後にした。
「あんた、ずっと私の後ろについてくる気?」
「いやいや、丁度本殿の様子も撮っておこうと思ってただけですよ」
霊夢を見失った文がふらふらと本殿に戻ると、霊夢もまた本殿の近くに立っていた。
二人の目の前には参拝客が既に長い列を成していて、順々に賽銭箱に小銭を投げ入れては手を合わせ、お参りを済ませていっていた。
「しかし、何度見ても奇妙ですねえ」
「何がよ」
「人間というのはどうしてこうも神に縋ろうとするのでしょう。しかもこんなにあつかましく欲望むき出しの人間が次々願い事をしてくるのでは、神様もお疲れになるでしょうに」
「別にいいのよ、人は願い事さえできれば神様なんてそこに居ても居なくても関係ないんだから」
仮にも神事に携わる巫女である霊夢がそんな事を言っては本末転倒。文はそう思って怪訝な顔をした。
それを見た霊夢は「何か言いたげね」と言って更に続けた。
「本当の事よ。第一、神様がいちいち人間の願い事なんて全部聞いてるわけ無いでしょ? きっとそこに居たとしても、夜なのに眩しいわがやがやうるさいわで、大層迷惑そうにしてるに決まってるわ」
「バッサリと言いますねぇ。あなたがそんな事を言っては元も子もないでしょう」
文が言うと、霊夢は少し間を置いて言葉を返す。
「文、初詣の本質って、考えた事ある?」
「本質、ですか。いえ、ただ単に年の初めに人間が神様に厚かましく願掛けをする行事、という認識しか」
文が答えても霊夢は何も言わず、代わりに尚もお参りを済ませていく参拝客の列に視線を移す。文がそれに習うのを見てから、霊夢はゆっくりと話し始めた。
「そうね、表面上はそうかもしれない。でもその根底にあるのは、神様でも、ご利益でもない、自分自身の心、気持ち、精神よ」
「……」
「人は弱い生き物。特に精神に関しては、他の拠り所が無いと自力では保つ事もままならない程脆いもの。だから人は自分の精神を神様という概念に委ねて、その有るべき姿を見出してるのよ」
「おっしゃっている意味が、よく分かりませんが」
「つまりね文、人は神様にお願いをしているつもりが、それは実は自分の精神に訴えかけているって事よ。健康でいられますように、仕事で成功できますように、想いが届きますように。こういう願いは精神の中にそうしたい気持ち、そうでありたい願望があるからこそ出てくるもの。それを自分の中で再確認して、精神をその形に留めようとする行いこそが初詣。いや神事全般の本質。だから神様が聞いていなくたって、そもそもそこに居なくたって関係ない。人間は常に壊れ続けているから、年の初めという口実の元、こうやって自分の思い描いた精神の形を確認しに神社や寺に出向く。それが初詣なのよ」
文は自らの哲学を語る霊夢の声に小さく相づちを打ちながら、参拝客を眺め続けた。霊夢が話し終わっても、文は「なるほど」と短く言ったっきり、口を開くことは無かった。ただひたすら、目の前の人間達が何も居ない社に向かって丁寧にお辞儀をして手を合わせていく様を、眺め続けた。
「さて、そろそろ年が明けるわ。今は先走った参拝客しか居ないけど、これからどんどん人が増えて忙しくなるから、私はもう一周境内を回ってから売り場に戻るわ。それじゃ、よいお年を」
霊夢は最後に皮肉っぽくそういい残して、人ごみの中へ消えていった。
取り残された文は、胸に提げていたカメラを手に取り、撫でるように手を触れながら、カメラを見つめた。
「私も、試しに神様にお願い事でもしてみましょうかね」
しばらくして、境内の人込みからはどこからとも無く数字を数えていく声が上がり始め、その声はあっという間に全体に伝染する。そして数字が零に変わると、神社がひっくり返るような歓声が巻き起こった。
神社の裏山に居る鳥達はその声をうるさく思って、大層迷惑そうな様子で、その光景をただ見下ろしていた。
年の暮れに読むには打って付けのお話でしたね。
文の締め方も好みでした。
嫌がってそうなのに一旦はじめちゃうとつい凝っちゃう白狼天狗たちがそれっぽくて良かったです
初詣についての考察も、なるほどなあとしっくりくるもので、興味深くてよかった。
ただ、全体的に、一分一文がちょっと長めで、文章がくどく感じられるところがあったのが残念でした(ここら辺、読み手によると思うのであくまで主観です)。