つづらを棚から引っぱり出し、床に置いて蓋を開ける。
舞う埃に顔をしかめながら中身を確認して、大分離れた位置に居るてゐに向かって叫ぶ。
「上等な衣類だった物、虫が食ってる!」
「衣類だった物、と。全く勿体無いわねー」
てゐは手元の帳簿に品目を書き込むと、妖怪兎に命じてつづらを運び出させる。
「ねー、いい加減代わってよ。埃が髪に付いちゃって」
「あんたの方が体格が良い、私の方が頭が良い、適材適所よ」
全く意に介さずにてゐは続きを促し、げんなりしながら次のつづらを引っぱり出した。
ここは永遠亭の蔵、昔姫様が貰った物なんかが無造作に押し込められている。
姫様が退屈凌ぎに蔵の掃除と在庫整理しましょうと言い出して、私とてゐと妖怪兎達で埃まみれになりながら蔵の中に居る。
「漆器類、これはまだ使えそう」
「漆器類っと、じゃあ表の使えそうな物の場所に運んでおいて」
妖怪兎が器用につづらを背負って走り出す。蔵の外で使える物、使えない物を仕分けして、
姫に捨てる捨てないを選んで貰うのだ。
「いつ終わるかなーこれ」
「この調子じゃ夜半、師匠の雷付き」
「うえー、嫌だなぁ……ん?」
私はつづらが収まっていた棚の奥に目を凝らす、何やら布で包まれた物が転がっていたからだ。
私は棚に上がってそれを引っぱり出してみた、何かを布で巻いた上に縄でぐるぐる巻きにしてある。
「お、お宝発見?さっすが私ついてるわね」
てゐがふんぞり返って胸をそらしている、見つけたのは私なんだけれど。
縄を解いて布を剥がしてみると、中から短刀の鞘の部分だけが一本出てきた。
「なんだ、鞘だけかぁ」
「甘い甘い、鞘だけでも結構良い値段で売れるたりするのよ」
てゐにそう言われて改めて見てみると、細やかな金細工で紋様が彫り込まれている。
はて、こんな感じの短刀を以前どこかで見たような、そんな気がしてしばらく記憶の糸を手繰り寄せる。
「って、これ月の偉い人が持つ儀礼用の短刀だわ、前に見た事があるもの!」
「ほーらほら、やっぱ良い物だったんじゃないの、よし早速売り払って来るわ」
そう言うなりてゐは私の手から鞘をひったくると文字通り脱兎の如く駆け出して行った。
あまりの手際の良さにため息をつくと、私は次のつづらを引っ張り出した。
「多分姫様か師匠の物だと思うんだけどなぁ」
調剤室の棚を確認し、在庫が少なくなって来た素材を帳簿に書き加える。
普段ならこういった作業は鈴仙に任せているのだが、生憎今日は姫様から蔵の清掃と棚卸を指示されているので私がやっている。
確認を終えて次の作業に移ろうとした時、窓からてゐが走って行くのが見えた。
私はため息をつきながら部屋を出て玄関まで歩いて行き、ちょうど私の前を走り去るてゐの後ろ襟を掴んだ。
「ぐえっ」
「てゐ、貴女は姫様から鈴仙の手伝いをするよう仰せつかった筈ですよ」
咳き込むてゐを離してやると、地面に何かが転がっているのに気が付く。
それは私がまだ月に居た頃に使っていた短刀の鞘だった。
「てゐ、これをどこで見つけました?」
「げほっげほっ…蔵の棚の所に、げほっ…ふぅ、つづらをどかした時に見つけまして」
「そう、そんな所にしまい込んであったのね、すっかり忘れていたわ。これは私が処分します、貴女は作業に戻りなさい」
「あっはい、戻りまーす」
てゐが大人しく戻っていくのを見送り私は調剤室へと戻る。
手の中の鞘を弄びながら、彼の事を思い出していた。
********************
牛車に揺られながら窓の外を眺める、既に月都を離れ、何もない景色が続く。
それらを何となしに眺めていると、御者が話しかけてきた。
「八意様、じきに到着します」
「わかったわ」
その言葉通り、牛車は徐々に速度を落として停車し、扉を開けて貰って牛車を降りた。
月の都から遠く離れた、ここには高い塀が中の建物を囲み番兵が巡回している。
「お疲れ様、扉を開けて頂戴」
「八意様、護衛はよろしいのですか?」
「要らないわ、そもそもそんな勇気の有る者が居て?」
「……はっ」
私は番兵に扉を開けさせると一人で中に入って行った。
塀の中にはみすぼらしい小屋があり、庭先には植物が植わっている。
こまめに手入れされているその植物は、どれも月には無い物ばかり。
それらを一瞥しながら小屋の前に立ち、戸を叩きながら彼の名前を呼んだ。
どさどさと何かが崩れる音がして、しばらくして扉が開く。
「はいはい……ああ先生でしたか、いやー久しぶりですね。どうぞ汚い所ですが」
「……貴方一体何をしているの」
彼は色とりどりの変な羽を付けた頭巾の様な物を被り、口から煙を出す筒を咥えていた。
「ああこれですか?これはですね、以前地上に降りた際に知り合った呪術師から貰いまして、なんでもこの煙を吸う事で精霊と交信を」
「その話はまた後で、今日は用事があって来たのよ」
「ああ、この前提出した報告書の件ですか。唐も随分動乱している様で、国土が広く大小の民族が入り混じってますから今後どうなるかは」
「先に、要件を伝えても良いかしら?」
私は彼の台詞を遮る、地上の事となると彼はいつまでたってもしゃべり続けるからだ。
「ははぁ、地上偵察任務ですか?まぁ先生の要件は大抵それですが」
彼は肩をすくめると、辺りに書類や文献や、その他訳の分からない物が積み上げられた部屋をかき分けて行く。
「ま、ま、どうぞどうぞ。今お茶を淹れますので」
「淹れようとしているのは勿論月のお茶よね?」
「あー……ええ、まぁ、はい。でもこれも中々」
「お茶は結構、本題に入らせて貰うわ」
彼は見慣れない器具を少し落胆した様に片付けると机の上に紙を広げて座布団の上に座る。
その机の向かい側に私も座った、彼が広げた紙には地上の土地が精工に記されており、いくつもの国家の名前や注釈が書き込まれている。
彼は私の遠縁に当たる男だった。
一族の中の爪はじき、変わり者、偏屈、穢れ人とまで揶揄された事もある。
頭の回転も早く物覚えも悪くは無いのだが、地上人や穢れに全く抵抗が無く、
いくら関わるべきではないと教えても頭から受け付けなかった。
それどころか、穢れに塗れた地上とそこに住む生命こそ本来我々が取るべき有り様ではないかとまで放言する程で。
当然彼の存在は問題となったが、私が弟子として引き取りの監視下に置く事、
彼にしか出来ない仕事を与える事でかろうじて首がつながった。
彼にしか出来ない仕事とは、月人でありながら穢れた地上へ降り、地上の様子を探ってはまた月に帰る。
月兎には任せられない事案が発生した場合、若しくは地上人の中に紛れ込む必要が出た場合にも彼は地上へ降りる。
偵察要員とは名ばかりの、穢れ仕事を他の月人から押し付けられた人。
その役目上、月都に住む事は許されず、都市部から遠く離れた地に軟禁状態にある。
それでも処分されずに居るのは、そういった役目を担う人物が必要だからと判断されているからである。
「さて、今回はどの地域へ?私としてはフランク王国へ行ってみたいのですが」
彼は途端に目を輝かせ、次は地上のどこに行けるのだろうかとそわそわしだした。
「旅行では無いのよ、それに今回は偵察任務では無いわ。蓬莱山輝夜の事は知っているわね」
「蓬莱山様ですか?確か地上で生活をされていると聞きましたが……」
「ええ、彼女は蓬莱の薬を飲んだ罪で地上へ流刑となっているわ」
その薬を作ったのは先生じゃないですか、と彼は物怖じせずに軽口を叩く。
「しかし、今回彼女の罪が許される事になったわ」
「そうでしたか、そんな話になっていたとは存じませんでしたが、許されたと言う事は月に帰って来られると言う事ですか?」
「ええ、今度私を含めた使者を地上へ送り彼女を迎えに行く事になっているわ」
「はぁ……それでーその、お迎えを手伝えと?」
「ええ、貴方には私の護衛として、一緒に地上へ降りて貰います」
彼は視線を落としてしばらく考えた素振りを見せた後、腑に落ちないといった表情で質問をしてきた。
「何故私を?近衛兵の管轄ではないですか。そもそも蓬莱山様をお迎えするのに私の様な者が付いて行って良いのでしょうか」
「貴方は知らないでしょうが、地上の王が姫にひどく御執心の様子。何事も無く終わるとは思っていないわ」
「あーなるほど、要するに」
彼は大きくため息をつくと、首を左右に振りながら俯いた。
「兵を集めて抵抗してくるだろうから、それの排除をしろ。俺達は穢れたく無いから全部お前がやれ……って事ですか。お偉いさんの考えそうな事で」
「……」
彼は苦々しい顔をしていたが、すぐに慌てた様な表情でまくしたてた。
「あ、いえ、先生の事を言った訳では。私が先生に文句を言う何てありえません、むしろ近衛兵共よりも立派に先生の護衛を務めて見せますとも!」
悪戯が見つかった子供の様な反応に吹き出しそうになるのをこらえ、私は彼に支度を命じた。
********************
彼が地上に降り立つ。
地上の王の屋敷の正面に降りた為、当然直ぐに番兵に取り囲まれるが彼の術によってバタバタと倒れて行く。
騒ぎを聞きつけ他の兵士達も集まって来るが、彼に触れる事も矢の一本も射かける事も出来ずに終わる。
彼は屋敷の周りをぐるりと回り、他に兵は居ない事を確認すると上空……私を含む使者達の駕籠に向かって合図をした。
「では、私が先に降りて姫様の支度をして参ります」
私は事前に用意した鞄と弓を持ち、地上へ降りようとすると、使者の一人が話しかけて来た。
「八意様、あんな男を飼い出した時はどうかと思いましたが、こういう穢れ仕事には便利ですな。月兎共ではこうはいかん」
「ええ、彼は優秀ですので」
「ただ、ここまで来る時は我慢しましたが、あの男は今またあの地にて強く穢れおった。帰りは自力で帰らせる様に願いたいのですが」
「……そうですね」
私は地上へと飛び降りた。
彼が優秀?当然だとも。私が知恵を授け、地上へ何度も赴き、危険な目に遭いながら自らの目と耳で学習させて来たのだ。
都でふんぞり返っているだけの使者共と、私の為ならば自らが穢れる事も厭わない彼と、
どちらが私の役に立つかなど考えるまでもない。
「首尾はどうなっていますか」
「はい、目に付く限り無力化させました」
周りに倒れている兵を見ると、気絶してはいるが外傷の様な物は無かった。
「殺さなかったのね」
「はっ、術で失神させました。殺せばこの地が穢れてしまいます、後ほど蓬莱山様や八意様がお通りになられますので」
「その馬鹿丁寧な言葉遣いはやめなさい、どうせ彼らには聞こえないわ」
ちらと使者達の乗った駕籠を見上げた。
「お言葉ですが八意様、彼らはそういう人の弱みを見つける才能だけは凄まじいですから」
姿勢を崩さずに平然と皮肉を言ってのける彼に軽く頬を緩めた。
「これから屋敷内にて姫様を捜索します、引き続き護衛をお願いしますよ」
「御意」
そう言って屋敷に踏み込む彼の後を私は付いて行く、あらかじめ屋敷に向けて術をかけていたのか、侍女や兵の類は皆気絶していた。
程無くして、数人の兵によって厳重に警護されていた部屋へとたどり着いた、もっとも彼らはとっくに失神していたが。
「八意様、蓬莱山様は恐らくこの部屋かと思われます」
「ご苦労様でした、ところで貴方にはもう一仕事して貰います」
「はっ、ネズミ一匹通しません」
背筋を伸ばして畏まる彼に、私は告げた。
「いいえ、駕籠に居る使者達を全員始末して頂戴」
「……八意様、すみません、今なんと?」
「駕籠でふんぞり返ってる使者達を全員始末して頂戴、と言ったのよ」
彼は私の意図を図りかねているのか、完全に黙ってしまった。
「姫様の罪が許される事になったと言ったけれど、実際にはそのまま月で幽閉される事が決まっているわ。
彼女を助ける為にはこのまま地上に逃げるしか手段はありません、このまま姫を擁して姿を消します」
その為には、当然来るであろう追手を撒く為に彼らを始末する必要があると彼に伝えた。
しかし……彼は動こうとはしなかった。しばらくじっとこちらを見て、そして彼は初めてはっきりと。
「先生、それは出来ません」
私に逆らう言葉を口にしたのだった。
「突然こんな事を言われれば混乱するのも無理からぬ事。今の言葉、聞かなかった事にしてあげましょう」
「いいえ先生、その命令には従えません」
彼はきっぱりと私の命令を拒んだ、その表情や語気から非常に固い意志がにじみ出ている。
「先生、先生が蓬莱山様を連れて逃げたとあれば月は手段を選ばず地上に介入するでしょう。先生をいぶりだす為に地表を焼く事 だって十分に考えられます。私もあの使者達を良くは思っていません、しかし何も殺してしまう事は無いかと」
「姫を第一に考えた場合、この手以外にはあり得ないわ。この際使者や地上人など些末な事に過ぎません」
「些末な事ですと?あの使者達が蓬莱山様の処罰を決定した訳では無いでしょう、まして地上人には何の関わりも無い事です。
無実無関係な命や生活を破壊するやもしれません、それを些末な事と言うのですか」
「姫の為を考えればこれ以外に手段はありません。この期に及んで拒絶するなんて、何の為に貴方を引き取って地上を見聞させて来たと……!」
私の言葉を聞いて彼は驚愕したらしく、顔をこわばらせて黙ってしまった。私はイライラしながらも子供に言い聞かせる様に言葉を続ける。
「貴方が処分される所を助けたのも、地上に何度も送り込んだのも、全て姫の為に行って来た事です。貴方にはこれから地上の案内人となり私と姫の警護をするよう命じます。
地上に興味があり、地上人に偏見を持たない貴方をこれ以上無い逸材と判断し、私は貴方が姫のお役に立てられる様に教育をしたつもりです」
「全て、全ては姫の為であったと?先生が私にして下さった事は、全て姫の道具と成る為だと言うのですか?」
「案ずる事はありません、姫は大変素晴らしいお方。貴方もすぐに唯一無二の主と認めるでしょう」
「見回りをしてきます。それと今夜の事は……私は何も見ていません、何も聞いていませんし何もするつもりもありません。ただ、彼らを殺すのはお止め下さい」
私を失望させる言葉を吐きながら、彼は肩を落とし暗い表情でとぼとぼと歩き出した。
目をかけてやった恩も忘れ、期待を裏切り、その上今また私に意見をした。
急に熱が冷めて来たのを自覚する、結局は彼も姫の素晴らしさを理解出来ない愚かな存在であったと言う事だ。
私は気づかれない様にそっと短刀を抜き、足音を殺して近づいた、そして。
私に名前を呼ばれ、振り返った彼の腹に刃が吸い込まれる様に突き刺さった
********************
あの後彼がどうなったかは知る由も無い、刃を押さえて腹部から血を流しながら壁にもたれる姿が、私が最後に見た彼の姿だ。
輝夜を連れて使者を始末し、そのまま月の追手から逃れる為に結界を張り、紆余曲折を経て現在に至る。
結局私は輝夜と、平穏な日々と、鈴仙やてゐの様に傍に居てくれる者と。
輝夜の為という名分で、私自身の身勝手な欲望の元に欲しかった物を全て手に入れたのだ、彼らを犠牲にする事で。
手の中にある鞘を見る、彼らには気の毒な事をしたとは思う。
彼らを手に掛けずに済んだかもしれない、そのまま逃げおおせる事が出来たかも知れない。
しかし全て仮定の話だ、彼らを始末しなかった事で輝夜と私が月へと連れ戻される。
そして未来永劫、月で幽閉される可能性だって十分にあった、それを考えれば私の判断は最適だったと今でも思う。
ただ私の元に残ったこの鞘を見ると、得も言われぬ感情がこみ上げて来る。
結局彼はどうなっただろうか、あのまま失血死しただろうか、それとも運良く生き永らえただろうか。
よしんばあの傷で死ななかったとしても、最早月へは帰れず、地上で穢れに身を蝕まれながら100年と生きられなかっただろう。
願わくは、彼の100年に満たない地上での生活が実り有る物であらん事をと、我ながら身勝手な事を願ってみた。
「師匠、掃除と在庫チェック終わりました」
ふと気が付くと、鈴仙が戸を叩きながら呼んでいた
戸を開けると払い切れていない埃をいくつも体にくっつけたまま目録を差し出す鈴仙が立っていた
「ご苦労様、この後はもう作業は無いのね?」
「あー……いえ、診療所の収支報告をまとめないと」
「それは私がやっておきます、今夜は自由にして良いわ」
「え!?あ、はい、よろしくお願いします」
鈴仙は深々と頭をさげる、と、こちらを伺う様におずおずと聞いてきた
「あのー師匠、何かあったんですか?」
「普段より優しいって言いたいのかしら」
「い、いえ、そんな事は。ただいつもと何か違う様なと思いまして」
「いいえ、何も無かったわよ。そうね、仮に何かあったとしても」
私は机の上に置かれた鞘をチラリと見た
「もう済んだ話よ」
***************************************************************************
側近の良く通る声が聞こえて来る
「帝はそなたの名を訊ねておられます」
「■■■■と申します」
「帝は貴方が何故月へ戻らぬのかと訊ねておられます」
「わが師の謀反により、私にも謀反の疑いがかけられていると存じます。元より疎ましがられておりました故、月へ戻れば一切の責任を負わされ処刑されるのは想像に難くありませぬ」
簾の中の声に応じて側近が恭しく礼をする
「帝の命を伝えます。そなたに"調岩傘"の名を与え、家臣に取り立てると申されております。謹んでお受けする様」
「……ありがたき幸せにございます」