したりしたりと一雫 幾千続いてぱらぱらと
凍える空気は賑やかに 聴こえる音は拍手の様
マグネシウムの雲は重く浮いて 西の琥珀を隠していた
「雨、止まねーな」
「そうね」
魔理沙が言って、霊夢が返す。
「今日は泊まりだな」
「帰んなさいよ」
「こんなに寒い日に雨になんて打たれたら、確実に風邪引くぜ」
「おだいじに」
連れないやつだと魔理沙がぼやく。
冬の雨に塗れる博麗神社。その片隅にある母屋の居間で、魔理沙は床に寝そべり雑誌を広げ、霊夢はその後ろでみかんを剥いでいた。二人の間にはこたつがあった。
二人が暖を取るこたつの上には、器に盛られたみかんが山を作っていて、頂上の一つ分が欠けていた。
部屋には、こたつを取り囲む様に年代物の背の低い棚やタンスがずらりと並び、その上には生活用品や置物などが幾つも据え置かれている。散らかっている訳では無いが、その印象はとてもごちゃごちゃとした、いわゆる生活感を強く感じさせるものだった。
そんな部屋で聞こえているのは二人の話し声の他に、障子一枚を隔てて外から響く雨のこもった音。雑誌をめくる紙の擦れる音や、みかんが口の中で弾ける音。それと時折、ぶーんというこたつのアンカが付く微かな音が、やんわりと鳴っていた。ぶーんと音が鳴る度、弱い日差しの代わりに部屋を照らしている照明が、一瞬だけ暗くなった。
「なあ頼むよ、一生のお願いだって」
「そうね、じゃあ雨が雪にでも変わったら考えてあげる」
「本当か? それなら朝までここで雪が降るのを待つとしよう」
「日が暮れきった時点でつまみ出すわよ」
本当なら、今頃空は赤く染まっている時間。それは魔理沙がいつも帰る時間でもあった。それなのに、今空にあるのは味気の無い厚い雲の灰色だけで、おまけにそこから落ちてくる無数の雨と、それが凍らないのが不思議な程の寒さが、魔理沙の足を止めていた。
それでも、魔理沙は別に傘をさして歩いて帰ってもいいと思っていたし、例えずぶ濡れになって帰っても風邪を引かない自信もあった。しかし、魔理沙はそれをやっぱり億劫に思って、霊夢に泊めてくれと駄々をこね続けていた。
そして霊夢も、本当は別に魔理沙を泊めてやるのは全く構わないと思っていた。しかし、図々しく駄々をこねる魔理沙を甘やかすのが何となくしゃくに感じて、それを断り続けていた。
帰ってもいいけど帰りたくない。
泊めてもいいけど泊めたくない。
お互いのあやふやな気持ちが知らず知らず伝わり合って、二人の攻防戦はダラダラとした空気を孕んだまま、進展する事は無かった。霊夢の提案は、それを終わらすための一種の賭けだった。
魔理沙は曖昧な空気に甘んじて読み続けていた雑誌を最後まで読み終えて、壁ぎわにある本棚にそれを戻そうとする。寝そべったまま手を伸ばしても、それでは本棚には届かなかった。仕方なく体をよじって少しずつ体をこたつから引きずり出していくと、結局こたつに残っていたのは足首ぐらいだけだった。
「立った方が早かったんじゃない?」
「だって寒いじゃん」
「なら尚更でしょ」
魔理沙は返事をしなかった。魔理沙の興味は本棚から新しく引っ張り出した雑誌に移っていた。
魔理沙は雑誌を片手に床を器用に後ろ向きに這って元の位置へ戻ると、ずり上がった服を引っ張り直して、また床に雑誌を広げて読み始める。
霊夢はその一部始終をぼんやりとした表情で見届けた。
魔理沙が静かになって手持ち無沙汰になった霊夢は、おもむろに二つ目のみかんを手に取る。そして皮を剥こうとして、やめた。
霊夢はみかんを一旦こたつの上に置くと、体を大きくねじって背後にある棚を見やる。座ったまま手を伸ばしても、それでは棚には届かなかった。仕方なく腰をひねりながら少しずつこたつから這い出ていくと、結局こたつに残っていたのは足首ぐらいだけだった。
「立った方が早かったんじゃないか?」
「…………」
霊夢は返事をしなかった。
霊夢は背を向けたままの魔理沙をひとしきり睨んだあと、棚からマジックペンを取り出した。
こたつで暖められていた足の温もりは部屋の冷たい空気にあっという間に奪われて、霊夢は体を震わせる。
寒さに耐え切れずに急いでこたつに戻ろうとすると、そこはいつの間にか顔と腕だけを残して中に潜り込んでいた魔理沙でいっぱいになっていた。
霊夢は眉をひくつかせながら、つま先をぐりぐりと魔理沙の邪魔な足に押し当ててそれを追い出した。魔理沙はくすぐったがって、ケラケラと笑った。
霊夢は取り戻した自分の陣地に腰を落ち着けて、手にしていたペンのキャップを開けた。そしてもう片方の手でみかんを持ち上げると、表面に大きなハートの線を描いた。
女の子は皆どうしてこの形が好きなんだろう。
いつだったか、霖之助が言っていた言葉を霊夢は思い出す。
理由らしい理由は無かった。何となく可愛いいと思うだけだし、好きという程でも無い。だから霊夢自身、そういうアイテムを身に着けたり、部屋に置いたりする事も無かった。でも、知らず知らずに描いているのは、やっぱりこのハートのマークだった。
何でだろうな、と霊夢は漠然と考えながら線の内側を塗り潰していく。ふっくらと可愛らしいハートが完成したのに満足して、それをみかんの山に戻した。
次は何を描こう。
暇潰しで始めたはずの落書きに、霊夢はいつしか夢中になっていた。
霊夢は新しくみかんを手に取って、ペンを走らせる。
スイカ。
配色が悪いのか、イマイチだった。季節感も無い。
へのへのもへじ。
これもイマイチ、芸が無い。
顔文字。
´・ω・`
そうだ、魔理沙を描こう。
…………。
霊夢は必死に口を両手で押さえて、ぷるぷると震えていた。机の上には、酷く歪んだ魔理沙らしき顔が描かれたみかんがぽつんと転がっていた。とてもシュールだった。
一刻も早く魔理沙に見せてやろうと思ったが、一旦思い止まった。
ただ見せびらかすだけではスベるかも知れない。こういうのは不意打ちで見せた方が絶対に笑いを取れる。
そう考えて、霊夢はみかんを隠す様に山に戻した。
「その雑誌、面白い?」
霊夢は、雑誌から一向に目を離しそうにない魔理沙がみかんに気が付くきっかけを作ろうと、意味もなく魔理沙に話しかける。
「ああ、中々面白いぜ」
「どんな記事?」
「相手の素直な気持ちを引き出すためには、まず後ろからそっと抱きついてやるといいそうだ」
「はい?」
霊夢が身を乗り出して雑誌を覗き込むと、そこには
『恋する女子必見 片思いを両思いにする必殺技特集』
という見出しが書かれていた。
「びっくりだろ? 付き合っても無いのにいきなりそんな事したら、驚いた拍子に殴られても文句言えないぜ」
「それ、本当に面白いの?」
「もちろんだぜ。見ろよこれ、ひざカックンは仲好ししたいのサイン、だってよ。アホらしすぎて笑えるぜ」
「あんた、雑誌の楽しみ方多分間違えてるわ」
女性誌にたまに見受けられる、信憑性の無い行き過ぎた内容の記事だった。
「霊夢もこれ読んだんじゃないのか?」
「いや、私興味あるページしか読まないから」
魔理沙がふーんと返して、そこで会話は途切れてしまった。魔理沙は再び雑誌に意識を移し始める。しかし霊夢はまだ諦めず、続けて話しかけた。
「あ、そういえばその雑誌、里に新しく出来た甘味処の特集載ってたわよね」
「おー、あるある」
魔理沙は雑誌のページを何枚か戻し、霊夢の言う特集の載ったページを開く。そこにはつやつやとした、見るからに美味しそうな団子や、旬の果物を使った創作デザート等が、鮮やかな配色の写真付きで所狭しと紹介されていた。
「そこのみかんのジェラート、一回食べてみたいのよね」
「ああ、このみたらし団子も美味そうだな」
「そのパフェもみかんがたくさん使われてておいしそうよね」
「団子にはやっぱり温かいお茶が合うよな」
「そのみかんの――」「お、このいちご大福今なら半額だってよ」
手強い。
雑誌のみかんどころか、霊夢の話にさえ全く興味を示さない魔理沙に霊夢は苛立ちを覚えた。そして同時に、霊夢は今自分がやっている事が段々と億劫に感じ始める。
「ねえ、喉乾かない?」
シンプルに行こう。それが駄目ならもう投げつけてやろう。
霊夢は何も知らない魔理沙を相手に、一人で勝手にヤケになっていた。
「ああ、そういえば乾いたかも」
「みかんならあるわよ?」
「お茶とかがいいんだけど」
「今はみかん以外渡さないわ、絶対に」
「お、おう……? じゃあみかんでいいぜ」
魔理沙は怪訝な顔をしながらもそう言って、手だけを後ろにまわして霊夢にみかんを催促する。
霊夢は顔をぱーっと明るくして、心の中でガッツポーズを決めつつ、例のみかんを魔理沙に手渡した。
「サンキュー」
霊夢の期待に満ちた視線を背に浴びながら、魔理沙は受け取ったみかんを体の正面に運ぶ。そして、魔理沙は何の躊躇も無くみかんのへそに親指を突き立てた。魔理沙の親指はそのまま実と皮の間をまさぐるように進み、皮はバリバリと音を立てながら裂けていく。霊夢の描いた魔理沙は、すぐに真っ二つになった。魔理沙の視線は、雑誌に向いたままだった。実から剥がされた皮はそのまま片手で放り投げられ、ゴミ箱へ吸い込まれる様に落ちて行く。ガサッという音がして、霊夢の体がピクリと震えた。
魔理沙はみかんを口に運びながら、雑誌を読み続けた。
「ん、中々甘いな。いいみかんだ」
「…………」
霊夢は静かにこたつの中に手を突っ込むと、ありったけの力を込めて魔理沙の足をつねった。霊夢の顔はとても怖かった。
「いでででで! いってぇ!」
魔理沙が叫びながら暴れて、こたつの天井板が跳ねる。みかんの山が崩れて、いくつかはこたつ布団の柔らかな傾斜を転がって、遠くへ行った。
「痛えな! 何すんだよ」
魔理沙は思わずこたつから飛び出して、怒りを顕にしながら立ち上がり霊夢に怒鳴る。それに対して霊夢はむくれっ面でそっぽを向いたまま、
「鈍感」
とだけ言った。
「はあ? 何だよそれ」
「知らないっ」
霊夢は尚ふてくされて、魔理沙から隠れる様に体を横たえた。
霊夢の一方的な態度に、魔理沙は色々と言いたげに胸の前で両手をわなわなとさせるが、結局何も言わないまま肩を落とした。
霊夢がこうなると、もう何をやってもへそを曲げたままになる事を、付き合いの長い魔理沙はよく知っていた。
´・ω・`
ふいに、床に転がっていたみかんと目が合う。
「余計なお世話だ」
同情されている様な気がして、魔理沙はぽつりつぶやいて視線をそらした。
「……さむっ」
先ほどまで足を入れていたこたつの温もりにありつけなくなった魔理沙は、部屋の寒さに体を震わせた。急いでこたつに戻りたい所ではあったが、肝心のそのこたつにはご機嫌大斜めの霊夢の足がある。果たして自分が足を入れる余地は物理的にも霊夢のご機嫌的にも残されているのだろうか。
一抹の不安を抱えながら、魔理沙はそっと、なおかつわざとらしくならないよう気を使いながらゆっくりと、足をこたつの中へ入れていく。
順調に膝のあたりまで足を入れた所で、つま先が思いがけず霊夢の足に触れてしまう。魔理沙が焦って足を引こうとすると、霊夢は何も言わずに体を少し横に移動させて、魔理沙が足を入れる事ができるぎりぎりのスペースを作った。
素直じゃねえな。
魔理沙はそう思いながら、霊夢の用意したスペースにもぞもぞと足を滑り込ませた。
魔理沙が体を横たえながら安堵のため息をついてからは、二人は何もせず、何も喋らなかった。二人の間でぶーんと音がして、照明が一瞬だけ暗くなった。
音が鳴り止むと、部屋の中はとても静かになった。互いの吐息や心臓の音が聞こえてきそうな程に、部屋は静寂で満たされていた。
そして、その静寂に違和感を感じたのはすぐの事だった。
「……!」「……!」
横たえていた体を跳ねるように起こすと、二人の視線は同時に交わった。一瞬の間があって、霊夢はこたつから急いで抜け出して、部屋の外に続く障子の方へばたばたと向う。魔理沙も急いで後ろに続いた。
そして、霊夢が障子を開け放つと
「あ!」「あ!」
二人は同時に声を上げた。
障子の向こうには、殆ど日が落ちていよいよ暗くなった空が広がっていて、そから音も無く舞い降りた真っ白な雪が、目の前の冷たい空気をまだらに埋め尽くしていた。
「ああ…… 本当に雪になるなんて」
霊夢は呆然と立ち尽くしたあと、肩を落とした。その様子を見た魔理沙は、後ろからそっと霊夢に抱きついた。
突然の事に、霊夢はきゃっという短い声をあげた。そしてすぐ恥ずかしくなって、うつむきながら顔を赤らめた。
魔理沙の顔はしてやったりと言わんばかりに、にたにたと笑っていた。
「どうやら、賭けは私の勝ちみたいだな」
「うるさいわね、っていうか離れなさいよ」
「だって寒いじゃん」
「あんた、さっきそうやって抱きつくと殴られても文句言えないって、言ってたわよね?」
「んー? 霊夢はひざカックンの方が良かったか?」
「変な事言わないでよ。もう、あんたの分まで夕飯用意しないといけなくなったんだから、ちょっとは手伝いなさいよね」
霊夢は後ろからまわされている魔理沙の手をどうにか振りほどいて、そのまま回廊を歩き始める。負けじと魔理沙がからかい混じりにまた抱きつくと、霊夢が怒りながらそれを振りほどく。賑やかな二人の声が少しずつ回廊を進んで、やがてその先にある部屋に明かりが灯る。雪はその部屋からこぼれる暖かな光を浴びて、人知れずきらきらと輝いていた。
ひらりひらりと白桜 幾千続いてしんしんと
凍える空気は楽しげに 聞こえる音は夕げの香り
昇る湯気は雪を溶かして 二人の世界を温めた
一応、余計なお世話と存じますが「帰えんなさいよ」は「帰んなさいよ」が正しいかと。
想い合ってるのにままならないもどかしい感じが良かったです
顔文字と目が合う所が特に面白かったです
あとドッキリとか悪戯が不発に終わってしまうのも笑
お互いに歩み寄ろうとするも、どこかズレが生じてしまう
でも、最後は結局、ピッタリとおさまる
そんなレイマリがもどかしくも微笑ましかったです
蜜柑アピールする巫女かわいかったです
ほんわかして良かったです
2人の空気感が心地よくて、なんともこたつの中でまったりしてる気分になりました。
冬のレイマリはいいものです。