博麗神社の台所で、私は包丁を振るう。
まな板の上でレモンが一つ半分に切り分けられた。
その切り分けた一つを、薄くスライスしていく。
そしてもう一つも同様に。
それを皿に移してから、一枚を摘んで口に運ぶ。
レモン特有の酸味を味わいながら、皿を手に台所を出る。
縁側に吹く風が冷気を運び、寒さに堪え忍びつつ私は足早に居間へと移動する。
襖を開く。
目の前には、先月霊夢が押し入れから引っ張り出してきた炬燵が一つ。
四人が潜り込めばいっぱいになってしまう程度の物だ。河童の技術者が去年の秋口に行われた宴会の折りに持って来てそのまま置いていった代物で、それからはありがたく神社で使われている。
台の上に皿を置いて炬燵布団をめくり、足を差し入れた。
私の冷えた足が次第に温もりを取り戻していく。
スライスレモンを一枚摘んで口に運ぶ。
「やっと見つけたわ。フランドール、あんた何処に行っていたのよ」
「ちょっと台所に行っていただけよ。もう、心配し過ぎなのよ霊夢は」
寝室に一人残してきた霊夢が詰め寄ってくる。その様子に私は皿を指さして肩を竦めた。
「そりゃ心配もするわよ」
ここ最近の霊夢の心配性に苦笑する。
「大丈夫だって、ちょっとやそっとでどうにかなるほど私が柔じゃないのは霊夢だってよく知っているでしょう? それに竹林のお医者さんだって体を動かす方が良いって言っていたじゃない」
私の言葉に、更に何かを言おうと口を開いてから、結局何も言わずに口を噤んだ後、霊夢は私の向かいに腰を下ろした。
「霊夢も食べる?」
スライスを一枚摘み上げる。
それを霊夢の開いた口に押し込む。
「キスの味がするかしら?」
「何言っているのよ」
「知らないの? キスってレモンの味がするのよ」
いつか読んだ小説の表現を思い出す。
それを霊夢は鼻で笑って一蹴した。
「そんなのただの妄言でしょう。そんな事が無いのはあんたも良く知っているでしょうに」
「むう、夢が無いわね、霊夢」
「そうして人間は歳を取っていくのよ。現実的、と言ってもらいたいわね」
「現実的だなんて、つまらない言葉だわ。夢を抱き続けるからこそ女は輝くのよ。私は今だって夢の中にいるようだわ。こうして、霊夢とずっと一緒にいられるんだから」
私が紅魔館を出て、霊夢と暮らし始めて幾年月。
愛しい彼女は変わること無く、私の側に寄り添い続けてくれている。
「恥ずかし気も無くそういうことを言うんじゃないわよ」
「別に良いじゃない。今はふたりっきりなんだから。それとも、霊夢は私と一緒は嫌?」
私の疑問に霊夢は心外といったように表情を歪ませた。
「その質問は卑怯じゃないかしら」
「……そうね、その通りだわ。ごめんなさい、霊夢」
手を伸ばして卓の上の彼女に指先に触れる。
彼女の指先が私の指先を撫でる。
「……私はフランドールが好きよ。それはどれだけ時が経ったって変わらないわ」
普段は滅多に言わないその言葉に、思わず私の口元が歪む。
「な、なあに突然、いつもならそんなこと言わないのに」
スライスをまた一枚口に運ぶ。
「そうね。今日は特別よ」
「別に私は毎日だっていいのよ」
「調子に乗るんじゃないわよ」
そう言って、霊夢はそっぽを向く。けれど、その頬が薄く赤く染まっているのを私は見逃さない。
「……ねえ霊夢。私ね、今とっても幸せよ」
「知っているわよ、そのくらい」
互いの指先が絡まり合い、そこに霊夢の温もりを感じて、私は笑みを向ける。
視線が重なり、霊夢の瞳に私の姿が映る。
そして、その私の姿が徐々に近づく。
「さて、私達はお邪魔だったかしら?」
「お、お嬢様、ここは静かに見守らないと」
と、そんな無遠慮な声と共に居間に入ってくる人物がふたり。
「大ちゃん、そんなことをしていたらこのふたり絶対ここでいたしていたわよ」
「い、いいいいたしていたって!」
顔を真っ赤にする大妖精に、お姉様は楽しそうに笑みを向けた。
「解っていながら私達の愛の巣にやってきてこの暴挙。いったいどういう用件かしら、お姉様?」
「あらあら、怖いわね。私達はあなたの様子を見に来たのよ。それと、これね」
そう言って、お姉様亜が掲げたのはスカーレット家の家紋の刺繍がされた小さな手提げ鞄だ。
受け取って中身を見れば、赤い液体の入った小さな小瓶が入っている。
「いつもより数が多いみたいだけど? というか、咲夜はどうしたのよ」
数えてみればいつもと比べて血液の入った小瓶の本数が明らかに多い。
「咲夜はいつまで経っても休もうとしないから、今は私からの厳命で無理矢理育児休暇を与えているところよ。だからメイド長代理に任命した大ちゃんを先週使いに寄越したのだけれど、それを渡しもせずに帰ってきたのよ」
「先週? 来ていたなら遠慮せずに声を掛ければよかったじゃない」
「い、いえ、その……」
私の言葉に赤い顔で狼狽する大ちゃんに、お姉様が苦笑して口を開いた。
「どうもあなた達のいたしているところを目撃してしまったみたいでね。紅魔館に帰ってきた時には林檎のように真っ赤な顔をしていたわよ」
「ちょ、お、お嬢様」
「その日の夜はベッドの上で大ちゃんのいつも以上の可愛らしい姿を見られたから、私としては得しかなかったわけだけれど」
「大妖精が可哀想だから、そろそろ止してあげたら?」
霊夢のツッコミに下を見れば、大ちゃんが赤い顔を両手で覆いながらその場にしゃがみ込んでいた。
「あらあら、そんなに恥ずかしがる事も無いじゃない」
「恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」
「……何年経っても慣れないんだから。しょうがないわね」
大ちゃんの悲鳴の様な言葉に、お姉様は苦笑する。そして、大ちゃんに左手を差し出した。
その手はシンプルなデザインの指輪が薬指を彩っている。
「帰るわよ。大妖精」
「は、はい」
立ち上がってその手を取った大ちゃんの指にも同じデザインの物がされている。
それが寄り添うように重なり合う。
「もう帰るの?」
「一応用事は済んだしね。本当はもう少しいてフランの様子を見ていきたかったけど、これ以上いたらお邪魔みたいだし、お暇するわ」
霊夢に言葉を返しつつ、お姉様は私にちらりと視線を寄越す。
「何よ」
「いいえ、何でもないわ。いい霊夢、フランに何かあったら許さないからね」
「分かってるわよ。何年一緒にいると思っているのよ」
そうして一つ頷いてから、お姉様は大ちゃんを伴って部屋を出ていった。
「何だか嵐のようだったわね」
急にやってきて、さっさと帰って行ったお姉様に私は一つ息を吐き出す。
一人残された私は皿の上の残り少なくなったレモンへと手を伸ばす。黙々と一枚、もう一枚と口に運んで、最後の一枚になった所で横合いから延びてきた手がそれをつまみ上げた。
「何のかんの言ってもあんたを気に掛けてはいるのよ」
「前は紅魔館で大騒ぎになったものね。当然といえば当然なんだけど」
「んむ、酸っぱい」
「そりゃ、ただのレモンだもの。味覚が変わるって良く聞く話だけど、本当なのね。不思議なものだわ」
最後の一枚を口に入れてそう言う霊夢に言葉を返して、私は自身の大きくなってきたお腹に手を当てる。
「ねえ、霊夢」
「何かしら?」
「そろそろ、名前を考えた方が良いかしら」
「実はもう考えてあるのよ」
「あら、本当?」
「ええ、女の子ならーー」
霊夢の唇を私の唇で塞ぐ。
「それは後でゆっくり聞かせてもらうわ。今はゆっくりしましょう?」
「……本当にゆっくりする気があるのかしらね」
苦笑して、私の腰に優しく手を添えた霊夢が苦笑する。
「それはあなた次第かしらね」
そうして私たちはもう一度、レモンの味のする唇を重ね合わせた。
END
まな板の上でレモンが一つ半分に切り分けられた。
その切り分けた一つを、薄くスライスしていく。
そしてもう一つも同様に。
それを皿に移してから、一枚を摘んで口に運ぶ。
レモン特有の酸味を味わいながら、皿を手に台所を出る。
縁側に吹く風が冷気を運び、寒さに堪え忍びつつ私は足早に居間へと移動する。
襖を開く。
目の前には、先月霊夢が押し入れから引っ張り出してきた炬燵が一つ。
四人が潜り込めばいっぱいになってしまう程度の物だ。河童の技術者が去年の秋口に行われた宴会の折りに持って来てそのまま置いていった代物で、それからはありがたく神社で使われている。
台の上に皿を置いて炬燵布団をめくり、足を差し入れた。
私の冷えた足が次第に温もりを取り戻していく。
スライスレモンを一枚摘んで口に運ぶ。
「やっと見つけたわ。フランドール、あんた何処に行っていたのよ」
「ちょっと台所に行っていただけよ。もう、心配し過ぎなのよ霊夢は」
寝室に一人残してきた霊夢が詰め寄ってくる。その様子に私は皿を指さして肩を竦めた。
「そりゃ心配もするわよ」
ここ最近の霊夢の心配性に苦笑する。
「大丈夫だって、ちょっとやそっとでどうにかなるほど私が柔じゃないのは霊夢だってよく知っているでしょう? それに竹林のお医者さんだって体を動かす方が良いって言っていたじゃない」
私の言葉に、更に何かを言おうと口を開いてから、結局何も言わずに口を噤んだ後、霊夢は私の向かいに腰を下ろした。
「霊夢も食べる?」
スライスを一枚摘み上げる。
それを霊夢の開いた口に押し込む。
「キスの味がするかしら?」
「何言っているのよ」
「知らないの? キスってレモンの味がするのよ」
いつか読んだ小説の表現を思い出す。
それを霊夢は鼻で笑って一蹴した。
「そんなのただの妄言でしょう。そんな事が無いのはあんたも良く知っているでしょうに」
「むう、夢が無いわね、霊夢」
「そうして人間は歳を取っていくのよ。現実的、と言ってもらいたいわね」
「現実的だなんて、つまらない言葉だわ。夢を抱き続けるからこそ女は輝くのよ。私は今だって夢の中にいるようだわ。こうして、霊夢とずっと一緒にいられるんだから」
私が紅魔館を出て、霊夢と暮らし始めて幾年月。
愛しい彼女は変わること無く、私の側に寄り添い続けてくれている。
「恥ずかし気も無くそういうことを言うんじゃないわよ」
「別に良いじゃない。今はふたりっきりなんだから。それとも、霊夢は私と一緒は嫌?」
私の疑問に霊夢は心外といったように表情を歪ませた。
「その質問は卑怯じゃないかしら」
「……そうね、その通りだわ。ごめんなさい、霊夢」
手を伸ばして卓の上の彼女に指先に触れる。
彼女の指先が私の指先を撫でる。
「……私はフランドールが好きよ。それはどれだけ時が経ったって変わらないわ」
普段は滅多に言わないその言葉に、思わず私の口元が歪む。
「な、なあに突然、いつもならそんなこと言わないのに」
スライスをまた一枚口に運ぶ。
「そうね。今日は特別よ」
「別に私は毎日だっていいのよ」
「調子に乗るんじゃないわよ」
そう言って、霊夢はそっぽを向く。けれど、その頬が薄く赤く染まっているのを私は見逃さない。
「……ねえ霊夢。私ね、今とっても幸せよ」
「知っているわよ、そのくらい」
互いの指先が絡まり合い、そこに霊夢の温もりを感じて、私は笑みを向ける。
視線が重なり、霊夢の瞳に私の姿が映る。
そして、その私の姿が徐々に近づく。
「さて、私達はお邪魔だったかしら?」
「お、お嬢様、ここは静かに見守らないと」
と、そんな無遠慮な声と共に居間に入ってくる人物がふたり。
「大ちゃん、そんなことをしていたらこのふたり絶対ここでいたしていたわよ」
「い、いいいいたしていたって!」
顔を真っ赤にする大妖精に、お姉様は楽しそうに笑みを向けた。
「解っていながら私達の愛の巣にやってきてこの暴挙。いったいどういう用件かしら、お姉様?」
「あらあら、怖いわね。私達はあなたの様子を見に来たのよ。それと、これね」
そう言って、お姉様亜が掲げたのはスカーレット家の家紋の刺繍がされた小さな手提げ鞄だ。
受け取って中身を見れば、赤い液体の入った小さな小瓶が入っている。
「いつもより数が多いみたいだけど? というか、咲夜はどうしたのよ」
数えてみればいつもと比べて血液の入った小瓶の本数が明らかに多い。
「咲夜はいつまで経っても休もうとしないから、今は私からの厳命で無理矢理育児休暇を与えているところよ。だからメイド長代理に任命した大ちゃんを先週使いに寄越したのだけれど、それを渡しもせずに帰ってきたのよ」
「先週? 来ていたなら遠慮せずに声を掛ければよかったじゃない」
「い、いえ、その……」
私の言葉に赤い顔で狼狽する大ちゃんに、お姉様が苦笑して口を開いた。
「どうもあなた達のいたしているところを目撃してしまったみたいでね。紅魔館に帰ってきた時には林檎のように真っ赤な顔をしていたわよ」
「ちょ、お、お嬢様」
「その日の夜はベッドの上で大ちゃんのいつも以上の可愛らしい姿を見られたから、私としては得しかなかったわけだけれど」
「大妖精が可哀想だから、そろそろ止してあげたら?」
霊夢のツッコミに下を見れば、大ちゃんが赤い顔を両手で覆いながらその場にしゃがみ込んでいた。
「あらあら、そんなに恥ずかしがる事も無いじゃない」
「恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」
「……何年経っても慣れないんだから。しょうがないわね」
大ちゃんの悲鳴の様な言葉に、お姉様は苦笑する。そして、大ちゃんに左手を差し出した。
その手はシンプルなデザインの指輪が薬指を彩っている。
「帰るわよ。大妖精」
「は、はい」
立ち上がってその手を取った大ちゃんの指にも同じデザインの物がされている。
それが寄り添うように重なり合う。
「もう帰るの?」
「一応用事は済んだしね。本当はもう少しいてフランの様子を見ていきたかったけど、これ以上いたらお邪魔みたいだし、お暇するわ」
霊夢に言葉を返しつつ、お姉様は私にちらりと視線を寄越す。
「何よ」
「いいえ、何でもないわ。いい霊夢、フランに何かあったら許さないからね」
「分かってるわよ。何年一緒にいると思っているのよ」
そうして一つ頷いてから、お姉様は大ちゃんを伴って部屋を出ていった。
「何だか嵐のようだったわね」
急にやってきて、さっさと帰って行ったお姉様に私は一つ息を吐き出す。
一人残された私は皿の上の残り少なくなったレモンへと手を伸ばす。黙々と一枚、もう一枚と口に運んで、最後の一枚になった所で横合いから延びてきた手がそれをつまみ上げた。
「何のかんの言ってもあんたを気に掛けてはいるのよ」
「前は紅魔館で大騒ぎになったものね。当然といえば当然なんだけど」
「んむ、酸っぱい」
「そりゃ、ただのレモンだもの。味覚が変わるって良く聞く話だけど、本当なのね。不思議なものだわ」
最後の一枚を口に入れてそう言う霊夢に言葉を返して、私は自身の大きくなってきたお腹に手を当てる。
「ねえ、霊夢」
「何かしら?」
「そろそろ、名前を考えた方が良いかしら」
「実はもう考えてあるのよ」
「あら、本当?」
「ええ、女の子ならーー」
霊夢の唇を私の唇で塞ぐ。
「それは後でゆっくり聞かせてもらうわ。今はゆっくりしましょう?」
「……本当にゆっくりする気があるのかしらね」
苦笑して、私の腰に優しく手を添えた霊夢が苦笑する。
「それはあなた次第かしらね」
そうして私たちはもう一度、レモンの味のする唇を重ね合わせた。
END
フランだか霊夢だか口調一緒過ぎてで分かりにくいし
私はこういう話し好きですよ