Coolier - 新生・東方創想話

死体探偵「ザット・イズ・ワイ」 下

2017/09/18 19:49:18
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 姫海棠はたての壮烈なる決意は、斜陽を背に立つその佇まいを見やれば直ちに感じ取る事が出来た。彼女が生命をすら懸けるつもりである事、そして本気で射命丸文を殺そうとしているという事が。
 妖山の木々が騒めいている。狂乱渦を成す殺気の源は、姫海棠はたての薄い背中。
 だからこそ、私は叫ばずにはいられなかった。
「はたて! 考え直せ!」
 未だ体のあちこちが包帯に包まれたままの姿で、姫海棠はたては射命丸文へと決闘を申し込んだ。しかもそれは、スペルカードによる決闘ではなかった。はたてが突き付けた決闘の合図は、天狗達の間ではるか古に使われていたものだと言う。遊びの意味が強いスペルカードルールによる決闘ではなく、今はもう誰も使わなくなった古い決闘の合図を持ち出した……その意味する所は明らかであろう。
「あんたには関係の無い事だわ。引っ込んでて」
 振り返りもせぬ。はたては私の言葉に耳を貸そうともしない。
「にとり、君もはたてを止めてくれ」
 ならばと私は、大岩の上で胡座をかいて何事か作業しているにとりへ声を掛けた。はたての友人らしいにとりの言葉ならば、はたての心に響くかもしれないと考えたからだ。
 だが、にとりは私を一瞥すると、被った帽子の鍔を下げて視線を隠してしまった。
「……待たせたな。持って行け」
 そうして、はたてへと何かを放った。見覚えがある、はたてが使っていた折り畳み式携帯電話だ。
「とっておきは一度限りだ。使い時を誤るなよ」
 携帯電話を受け取って、はたてはコクリと頷いた。
「にとり!」
「騒ぐな、小鼠。避け得ぬ時が来た。ただそれだけの事だ」
 私の追求を逃れるかのように、にとりの顔が紅く色付く彼方へと向かう。その瞳は夕闇に紛れて見出せぬ。ただ震える唇から漏れ出した言葉が天へと昇った。
「……死ぬなよ、はたて」
 今生の別れかのように。
「当たり前よ。私は必ず、勝利してみせる。あの射命丸文に」はたての背が燃えた。「私は、神にだって負けない」
 堪らず、私はその腕を掴んだ。
「はたて、こんな馬鹿げた事はやめろ。射命丸の力は神魔の領域にまで達している。いくら君とて無謀すぎる、死にに行くようなものだ」
 しかし、姫海棠はたては私の腕を力づくで振り解いた。簡単に弾かれた私は、情けなくその場に尻餅を搗いてしまった。
 私を見下すはたてのその視線は冷たく輝いている。見える。彼女の瞳の奥には、憎悪の暴風が吹き荒れている。それは頑なでひたむきで、ただ我武者羅だった。
 目の前にいるこの女は、もはや姫海棠はたてではない。今や彼女は別の存在になってしまっていた。例えるなら、それは一個の嵐だ。目の前の全てをなぎ倒し進む人智を超えた厄災、抗えぬ運命。
 私ははっきりと悟ってしまった。
 この戦いは避けえぬ宿命であると。
「……何故だ、はたて。何故、射命丸を憎む」
 壁になったはたての背が、私の問いを弾き返した。寒々と色付いた妖怪の山の沢の畔に、木霊がむなしく響き渡る。私に飛び立つ嵐を止める術は無かった。
「君の命を救ったのは、射命丸なんだぞ!」
 その叫びは口の中で反響するだけで、黒翼消えゆく夕空へ解き放たれる事は無い。「この事は、はたてには絶対に秘密にしておいて下さい」そう言った射命丸の顔がちらつく。照れ隠しに困ったような顔をして、しかしどこか寂しそうなその横顔……。
 私は息を吐いて、にとりへと向き直った。
「君は姫海棠はたての協力者だったのか」
 大岩の上のにとりは変わらず、目深に被った帽子の奥に視線を隠したまま。だが、私が視線を違えずいると、観念したのか、ゆっくりと頷いた。
「私だけじゃない。他にも少し」
「協力者なら、何故はたてを止めない。むざむざ彼女を死なせる気か」
「はたてが望んだ事だ。私には止められない。それに……怒っているのは、はたてだけじゃあない」
 憎悪を深く呑み込んだ冷徹な声色が、逆に怒りの深さを表していた。
「何故なんだ、にとり。何故、射命丸を憎む」
「……あの馬鹿共が裏で何をやっているのか、あんただって少しは見て来たんだろう」
 扇動、暗殺、人体実験に大量虐殺。
 やはり、射命丸は賢者達の……。
「はたては勝つよ」
 にとりは殊更声高に言った。
「遊んでいるだけの射命丸とは違う。この日の為に準備をして来た。そして、あらゆる手を使う覚悟がある。彼女は勝つ、必ず……」
 紅く燃える空を睨むその姿は、遠く祈りを捧げる聖者のようにも見えた。


 永遠亭にて、輝夜は楽し気に跳ね回っていた。中天に月のかかる頃合い。多数の兎妖怪達を従えて飛び回るその様は、まるで自らも飛び跳ねる月兎になったかのよう。
「さあさ、イナバ達。明日は楽しいお祭りの日よ。この蓬莱山輝夜の名に懸けて、準備を抜かるんじゃないわよ!」
 襷掛けして髪を上げ、捻じり鉢巻きを巻いて、しかも何故か薙刀なんて振り回している。声色は心から楽し気で、焦る私の耳をいつも以上に苛立たせた。
「射命丸。決闘を中止しろ」
 永遠亭の裏庭は小さいながらも見事な造りをしている。その優美さは、あの白玉楼の庭に勝るとも劣らない。丁寧に刈り込まれた盆栽や、優雅に、しかしさりげなく咲き盛る花々、そして冷たく透き通った池を泳ぐ錦鯉の美しさは、とても言葉に尽くすことが出来ない。暇に飽かせたニート姫が凝りに凝ったらしいその配置は巧妙精微に計算され尽くしており、夜ごと変わりゆく星座の如く、見る時、見る場所によって驚くほど異なる顔を見せてくれる。真の芸術は見る者から時間を奪い去るものだが、この庭ならば永遠に没頭していられそうだ。
 だが今は、そんな美しさに心沈めている時ではない。
 射命丸は庭の縁側に座って、はしゃぐ輝夜をにやにやと眺めていた。その様子に私はすっかり頭に来てしまって、大声を出した。
「射命丸!」
 射命丸はからかうように手で耳を塞いで見せた。
「そんな大声を出さなくたって聞こえていますよ。まったく、相も変わらずキィキィキィキィ小五月蠅い小鼠ですね」
「君とはたてが争う必要が何処にある」
「それは私の方が聞きたいくらいなんですがねえ」そうして、おどけて言う。「まさか、この前の大会ではたての新聞をケチョンケチョンに貶してやったこと、まだ怒ってるんでしょうか」
「射命丸、私は真面目に言ってるんだ。スペルカードに則らない決闘の意味を……」
「その意味は、貴女以上に分かっていますよ。私は烏天狗ですからね」
 茶を飲み下す射命丸の、その佇まいは静かだ。
「はたてが何をしたいのか知りませんが、まあ、私は彼女の先達ですから。胸を貸してやるのも務めなのです」
「それで殺し合いをするなど、ナンセンスだ」
「そんなことにはなりませんよ。あんな修行不足の軟弱者如き、軽くあしらってやりますとも」
 そうして、あははと笑った。能天気とすら映りかねない、余裕綽々の笑みだった。私はその気軽さに怒りを通り越して、危惧をさえ覚えた。
「射命丸、はたては本気だぞ」
「あやや、それはそれは楽しみですねぇ」
「そんな事を言ってる場合か。彼女は本気で君を滅ぼす気だ。君を倒す為に方々を駆け回っている」
「イナバたちに聞いたんだけれど」
 軽やかなステップを踏みながら、輝夜が口を挟んで来た。
「彼女。谷河童の他にも、山の上の神社や多々良の鍛冶屋にも訪れたみたいね。しかも里で何か調査していたらしいわよ。最近起きた殺人事件の調査みたい」
 薙刀が舞い踊る。豊かな海の如きその長い髪が波を打ち、月光に白刃が揺れる。その光陰が私の神経を逆撫でしている。
「射命丸を疑っているのか」
 しかし悔しい事に、輝夜の舞は美しかった。私はその舞に半ば心を奪われながら、呆然とそう口にしていた。
「成る程、それがはたての憎悪の理由ですか。あの土砂崩れも私が起こしたと思っているようですね。私が新聞のネタ欲しさにあの事件を起こした、そんな夢想を描いているのでしょうか。里の扇動も私の仕業だとでも? 全く、馬鹿馬鹿しい」
 にとり、小傘に早苗と言えば、あの土砂崩れの関係者達である。射命丸の推理も分かる。そして、はたてはあの事件の背後に賢者達がいる事を知っている。射命丸が賢者達の一員だとすれば、彼女の憎しみの深さも理解出来るが……。
 射命丸は本当に賢者達の一員なのだろうか。
 確かに、彼女の知性は賢者と呼ぶに値する。上下関係に厳格だと言う天狗社会の中にあって、特異とも言えるその扱いを鑑みれば、相当な権力を有しているだろう事も分かる。そして何より、神格をも超え得るその力。賢者達の一員でない道理が無い。
 しかし私は、いまだ確信を持てずにいる。土砂崩れが起こった時の押し殺した驚愕、新聞の偽造を察知した際の迸る怒り、そしてはたての決闘を受けた時のあの寂しげな笑み。
 今、私の中で直観と疑念とが激しくせめぎ合っている。
 射命丸は姫海棠はたての命を救った。それは確かだ。だがそれも、はたてを餌に彼女の協力者たちを誘い出し、一網打尽にするためだとしたら……。
「明日が楽しみねえ。きっと、それはそれは見事な戦いになるわ」
 くるくると舞い踊りながら、歌うように輝夜が言う。夜空を真一文字に切り裂くが如く薙刀を大きく振るい、髪を振り乱し。だが、荒ぶる剣舞の中にもしなやかでひたむきな美しさが光る。そうか、と思う。これは姫海棠はたてを表現した舞なのだ。
 不意に輝夜は突きを放った。自堕落なニート姫には似つかわしくないほどの鋭い突きだ。私の体が自動的に防御態勢を取ってしまうほどの。
 切っ先を射命丸の鼻先に突き付けて、輝夜は首を傾げた。
「でもさ。あんた本当に真面目やらないつもりなの?」
「そりゃ当然です」射命丸は切っ先を目の前にしても涼しい顔をして言う。「私は殺し合いをするつもりはありませんからね」
「それで決闘? 笑わせるわね」
「笑えぬ殺し合いをするよりかは上等でしょう。それに私とはたての力量差を考えてみてごらんなさい。元よりまともな勝負になんてなりませんよ」
「空も飛べない癖にほざくじゃないの」
 射命丸の薄ら笑いが固まった。
 飛べない? 射命丸が? 馬鹿な、彼女は烏天狗、それも幻想郷最速だ。
「何を言っているのですか、私は烏天狗ですよ」
 射命丸は失笑して見せる。
 輝夜はただ淡々としていた。
「あんたがあの娘に与えた羽根は只の羽根じゃあないでしょう。あれは風切り羽根だった。失えば鳥は風に乗れぬ。天狗にとっては魔力の源、烏にとってはまさに命でしょうに」
「馬鹿も休み休み言って下さい」
 輝夜の薙刀が横薙ぎに振るわれ、突風が巻き起こった。生まれ出でた細かな真空の刃が射命丸へと殺到するのが見える。
 射命丸は腕を交差させて風を防いでいた。彼女の服には細かな傷が付き、小さな傷からわずかに血がにじんだ。それは、天翔け風を支配する烏天狗にはおよそ似つかわしくない姿だった。
「この程度の風も防げない」
 射命丸は口を噤んだ。
 信じ難い事だが、本当に飛ぶ事が出来ないらしい。思い返せば確かに、あの羽根を受け取ってから、彼女の飛ぶところを見ていない。今朝、病室を訪れた時に新聞を持っていなかったのは、そのためか。
「それであの子とやるつもりだなんて、射命丸。あんた死ぬ気かしら」
 薙刀を地に突き立てる鈍い音が響く。輝夜お気に入りの完璧に整えられた庭に、小さな穴が空いた。表面には出さずとも、もしかしたら輝夜は怒っているのかもしれない。
「はたてを救う為か」
 姫海棠はたての力量を考えれば、彼女の生命を取り戻すために射命丸の妖力の大部分を使ってしまったのも仕方の無い事かもしれない。
「ならば、今すぐはたてに……」
「お待ちなさい、ナズーリン。はたてに告げる必要はありません」飛びかけた私を制して、射命丸は輝夜へと顔を向ける。「輝夜さん。貴女は一つ思い違いをしています。こちらが五分の力であるように、向こうは病み上がり。これで対等なのです。決闘は対等な条件で行わなければなりません。対等であること。それこそが、人と人との在り方で最も重要な事なのです。それに……」
 そうして、彼女はへらへらと笑った。
「例え五分の力でも、この私がはたて如きに負けるはずがありませんよ」
 射命丸は、はたてを侮り切っていた。私は決闘に反対だが、はたての想いが真実である事は感じ取れる。その想いに対して、なんと軽薄でなんと不誠実か。私は多少の怒りを持って、射命丸を睨んだ。
「射命丸、はたては……」
「そう」
 私の怒号は輝夜の溜息と薙刀の白刃とに遮られた。
 輝夜の瞳は何も映していない。射命丸に正対しつつ背を向けている。最早言葉は届かぬと悟ったかのように。
「明日の決闘は私とナズーリンが立ち会いするわ」
「まあ、構いませんよ。他に適当な人もおりませんし」
「飛べないのでは、山に戻るのも面倒でしょう。ウチに泊まっていきなさいな」
「おやおや。ずいぶんとお優しい事で」
 薙刀を下した輝夜は、にこやかな笑みを浮かべた。凪夜の月のように寂然と輝くその笑みは、どこか超越的で慈愛に満ち溢れている。あの風見幽香の笑みにも似ていた。
「前から思っていたのだけれど、文。貴女と私って、少し似ている気がするわ」
「ええっ? わ、私は働いていますよ。無職の貴女と一緒にしないで欲しいですね」
 射命丸の苦笑いも気にせず、輝夜は再びステップを踏み始めた。そうして、美しい斬舞を月下に舞う。時に氷のように冷たく鋭く、時に月のように優しく穏やかに。そうか、と思う。これは幻想郷を表現した舞なのだ。
 
 
 幾重にも折り重なった分厚い雲が天を覆い隠し、妖の山から吹き下ろす凍える風が四肢を斬り刻む。この身体の震えが寒さによるものなのか、それともこの領域を包み込む殺気によるものなのか、最早区別がつかない。立ち込める霧に視界は遮られ、さんざめく有象無象の畏れの声に音も分からず、気を抜けば彼我をすら見失ってしまいそうになる。ただ一つ確かなものは、この高鳴る鼓動が示すもの。時は来たれり、その事実だけだ。
 この朝霧の白い闇の中に、私は懐かしい匂いを感じ取っていた。この空気、過去に何度も体験したことがある。ぞっとするほど清らかで尊く、甘美なまでに穢れて卑しい。
 戦場。
 ただ二つの存在が対峙する、それだけでこの迷いの竹林の空気は、百万の軍がひしめく戦場へと姿を変えた。
 刮目せよ。
 私は自分自身に言い聞かせる。
 この運命を止め得ぬならば、せめてこの瞳に焼き付けるまで。
 刮目せよ。
 私は戦の神、毘沙門天の使者。この戦いを見届ける義務がある。
「古の作法によれば、決着はどちらかの命が尽きる事で決定されると言う」
 輝夜が喧騒を破った。髪を結い上げ、額には日の丸の鉢巻、羽織袴に襷掛けして薙刀を持つ武人の出で立ち。腰には二刀を佩いている。高貴な者の声は、不思議とよく通る。凛としてよく響くその声は、有象無象共のざわめきをぴたりと止めた。
「しかしこれは天狗、しかも天下に名だたる名翼手、烏天狗同士の決闘。従って、この決闘の結末はその誇りを持って決着とする。即ち、先に地を嘗めた者を敗者と定める。異議はあるか」
 風が霧を裂いた。白い闇の向こう側に佇むは、包帯をたなびかせた姫海棠はたて。傍らの地面には一振りの刀剣が突き立てられている。相も変わらず、炎を宿した瞳が光る。
「異議無し」
 対する射命丸文は丸腰だった。両手を広げて薄ら笑みを浮かべて言う。
「こちらも特に異議はありません」
 この殺気を前にしても、憎らしいほどの泰然自若。
 輝夜は片眉を上げ、その薙刀を突き付けた。
「射命丸文。この決闘に丸腰で挑むつもりか」
「そのような事を言われましても、私は刀など扱えませんので」
 輝夜はしばし瞑目すると、腰に佩いた長物を射命丸へと放った。
「渡されても困るんですがねえ。はたて、貴女も剣などまともに使えないでしょう。生兵法は怪我の元ですよ」
 減らず口を叩く射命丸も、普段とは打って変わって厳しい輝夜の視線に押される形で、腰に長物を差した。
 それを受けて、輝夜は薙刀を地に突き立てた。
「さあ。これにて準備万端整いました。輝夜さん、開始の合図をどうぞ」
 巻き起こる白い嵐が二人を包む。びょうびょうと吹きすさぶ風がただ流れて行く。
 輝夜の薙刀が開始の合図。しかし、いくら待っても、輝夜は薙刀に手を伸ばそうとしなかった。
「輝夜さん? 一体どうしたんですか?」
 訝しむ射命丸とは対象的に、はたては瞑目している。
「ナズーリン……」
 振り返ると、息を切らした小傘が立っていた。
「小傘か。何故来た」
「この勝負を見届けに。それが私の責任だから」
「責任……君の……」今更気付く、あの飾鞘。「まさか、あの刀は!」
 その瞬間、はたてが駆け出した。輝夜は未だ開始の合図を出していない。奇襲か。
「来ますか」射命丸は刀を抜かず、なんと懐からスペルカードを取り出した。「では宣言です。『風神木の葉隠れ』!」
 射命丸の周囲に無数の風の刃が展開される。それらは弾けるように輝く緑光を伴っていた。東風谷早苗の風と同じく、あの風も只の風ではないのだろう。
 姿勢を低くし駆けるはたてが怒号を放った。
「刀を抜け、射命丸文!」
「はッ! 貴女如きがこの私と斬り合いなど、千年早い! このスペルカードで笑殺してやりましょう!」
 射命丸の手指が複雑な印を結ぶと、展開された刃が回転しつつはたてへと殺到する。その量、その規模たるや恐るべし。この迷いの竹林の広場を埋め尽くさん程である。
 はたては射命丸へと一直線に駆けながら、自らに向かう風の刃を紙一重で躱し続けた。その揺らめく木の葉の如き足捌きは見事の一言である。はたてがあそこまで高い体術を身につけていたとは。
 その勢いのまま刃の渦を突破し、射命丸の領域に突入したはたては脇に構え、刀を身体で隠すようにした。
「甘い!」重ねていたスペルカードをずらし、射命丸は再度宣言する。「マクロバーストを喰らいなさい!」
 掲げた手のひらで上で瞬間的に巨大な風の塊を形成する。まるで風の爆弾。それを向かい来るはたてへと投げつけた。
 はたては身体を捻ると、打ち上げるようにして抜刀した。
 煌めくは、神を穿つ妖刀。叩きつけられた風の塊をいとも簡単に両断して、さらに射命丸へと伸びる。間一髪でそれを避けた射命丸は、続けて襲いかかる剣圧に跳ね飛ばされた。
「な、なんですか、その刀は」
 流石、空中でひらりと回転し着地した射命丸は、はたての持つ妖刀に目を見張った。
 はたての絶大な妖力を喰ったのか、不可思議に輝くその刀身が震えている。発する気は、あの隻眼の剣士の時の比ではない。
「な、何故あれをはたてが持っている、小傘!」
 あの妖刀は事件の後、刃の無い儀礼刀に創り変えられたはず。
 小傘を問い詰めると、彼女は瞳を逸らさなかった。
「昨日。私がもう一度、刃を研ぎ直したんだよ」
「馬鹿な、何故そんな事を! あの威力は人に向けて振るうものでは……」
「使い途は振るう人に任せる。刀鍛冶に出来ることは、振るう人を信じる事だけ」
「妖怪同士の決闘などに使わせて! 小傘、あの時の君の涙はなんだったんだ!」
「ナズーリン。私が信じたんだよ。あの人には、あの刀が必要だって」
 小傘の濡れた瞳は、妖刀を構えるはたてへと注がれている。
「人が神に挑むには、それでも足りないけれど……」
「神……?」
「人……」
 私と輝夜のつぶやきが交差する。確かに、射命丸は神魔の如き力を持っているが……。
「見て、ナズーリン。あの剣の輝きを。強く清らかな光。剣は持つ者の心を映す鏡、あの人の想いは純粋だよ」
「小傘……」
 あれほど刀の力を危惧していた小傘をして、ここまで言わせしめるとは。姫海棠はたてはそれ程までに射命丸を憎んでいるのか。
「なるほど、多々良の妖刀ですか。噂は聞いています、手指を失った剣士をして一流の使い手たらしめた魔剣であると。どうやら、貴女の武は水増しされたもののようですね」
 射命丸は余裕の表情を貼り付けたままだったが、その頬から一筋の血が垂れているのに気付いて、初めて顔をしかめた。
 はたては深呼吸すると、刀身を射命丸から隠すように、再び脇構えを取った。
「その構え、その打ち込み。白狼天狗のものですか。まるで小煩い誰かさんのようですね」
 苦々しい顔で言う。
「もう一度言うわ。刀を抜きなさい、射命丸文」
 妖刀を構えてはたてが吠える。その激情に呼応するように、刀が震える。
 しかし射命丸は、相変わらずの薄ら笑いを浮かべた。
「断ります」
 その台詞を合図にして、再びはたてが仕掛けた。地面の土を蹴り上げて目眩ましと同時に、死角から飛び込む。
 射命丸は懐からスペルカードを出していたが、虚を突かれたのか、対応が一瞬遅れた。その間に翻ったはたての妖剣が、スペルカードを両断する。
「くッ!」
 流石の射命丸も、はたて相手では速さに余裕が無いらしい。スペルカードを捨て印を組むと、いくつもの小さな竜巻を繰り出した。見た目には只の風の渦だが、私には分かる。あの竜巻の中には無数の真空刃が仕込まれていて、触れただけで相手を八つ裂きにする恐るべき術だ。これほど強力な術を一瞬で組み上げるとは、なんと恐るべき射命丸の術力。
 しかしはたては迷いもせずにその竜巻に突っ込むと、拳を叩きつけ、射命丸へと弾き返して見せた。
 自らの竜巻に飲み込まれてしまった射命丸だが、突然その姿が掻き消える。
「残像です」
 気付いた時には、はたての背後に回っていた。常人どころか高位妖怪ですら見切れぬだろうその速度。幻想郷最速は伊達ではない。
 しかしはたては、それにすら追いついて見せた。射命丸が放った風の牙がぶち当たった瞬間、その姿が掻き消えた。
「なんと!」
 驚愕する射命丸の背後で、はたての剣が閃いた。
 鋼と鋼とがぶつかり合う鈍い音が、迷いの竹林に響き渡る。
 追い詰められた射命丸が剣を抜いたのだ。
「まさか、本当に私に剣を抜かせるとは。はたて……!」
 鍔迫り合いである。互いにぎりぎりと押し込みあって、一歩も引かない。肩を突き合わせ二人、獣のような唸り声を上げ、腕を震わせている。
 いつの間にか、霧が薄くなっていた。二人の間で圧縮された殺気が鍔迫り合いによって爆発し、白闇を払ったのだろうか。
「何て事」輝夜が感嘆の声を漏らした。「私の宝刀が競り負けているなんて」
 見やると、射命丸の手にした刀がミシミシと悲鳴を上げている。
「多々良小傘って言ったわね。あんた、ウチのお抱え鍛冶師にならない?」
 小傘が困った顔をした。今日は戯言を吐いても真顔の輝夜であるから。
 刀の限界を嫌った射命丸が猿叫を上げ気合一閃、はたてを弾き飛ばした。
 よろめいたはたてだったが、すぐに体勢を整えると、またも我武者羅に突っ込んでいった。
 しかしその時、既に射命丸も構え直していた。静かに掲げる大上段。初めて見る射命丸の構えに、私は背筋が凍えるのを自覚した。刀が使えないなどとほざいていたが、間違いない。射命丸文は、私が今まで見てきたどんな達人よりも……。
 はたての飛び込みよりも素早く振り下ろされた宝剣は空を切った。直前ではたてが躱したのだ。振り下ろした射命丸のその隙を縫って、はたての妖刀が三度閃く。
 が。
 その刀が射命丸を捉える事は無かった。
 振り下ろされた射命丸の刀が、次の瞬間跳ね上がり、閃くはたての剣を撃ったからだ。
「燕返し……」
 実戦で使うには相当な身体能力と動体視力、そして度胸が必要な技だ。これほど鮮やかに決まったのは、私とて初めて見る。
 撃たれたはたては、刀を地に突き立てたまま大きく吹き飛ばされた。大地を引き裂く炎の軌跡が真一文字に浮かび上がる。
 剣の上からとは言え、必殺の一撃を受けたのである。気力を削ぎ落とされたのだろう、はたては膝を突いてしまった。
「……まだ」
 しかし彼女は、剣を杖にして立ち上がった。
「見事です、はたて」射命丸が感嘆の声を上げた。「随分と腕を上げましたね」
 その声色はこれまでと違い、皮肉や嘲りは掻き消えて、穏やかに透き通っていた。
「……もう何年、何百年振りになるでしょうか。剣を手にするのは」
 射命丸は刀の感触を確かめるように、その刀身を見つめた。あるいは、刃金に写し出された己の姿を省みているのかもしれない。
「かつての私は、この刃の先にこそ生命の真理があると信じていたものです」
「鞍馬の烏天狗」射命丸の独白に、輝夜が口を挟んだ。「かつて京にそう呼ばれていた剣客がいたそうね」
 それは私も耳にしたことがある。鞍馬の天狗と言えば、あの……。
 射命丸は首を振った。
「昔の話です。今はもう、刃金の彼方の真理を夢想する事はありません。腕もすっかり錆びついてしまった。今の私は、射命丸文。しがない新聞記者なのです」
「それでも」
 切っ先を突き付けて、はたてが言う。
「それでもあんたは、私のはるか先にいる。みんながあんたを目標にしていた。私達烏天狗の中で、あんたは生ける伝説だった」
「幻滅しましたか? 貴女に圧倒された私を」
「巫山戯るな!」
 穏やかに微笑む射命丸を、はたての絶叫が打った。
 彼女の翼が開かれ、周囲に黒い羽が舞う。その背に差した一枚の羽根を掴むと、はたては怒りに濡れる声を振り絞った。
「私を殺さぬようこんな手加減をして!」
 はたて……気付いていたのか。射命丸の力が五分であることを。
 だから君は大空を駆けず、地を駆けたのか。
 だから君はあえて刀で挑んだのか。
 妖力を失った射命丸と、本当の勝負をするために。
「あんたはいつだってそうだ。そうやって全てを有耶無耶にして、見なかった事にして蓋をして。私達よりも先を歩く癖に、義務を捨て世を拗ね、欺瞞の中で嘲って!」
 瞑目する射命丸の胸に、はたての放った黒い風切り羽根がふわりと落ちた。
「本気で来い、射命丸文! 私は絶対に負けない。いつかあんたが天狗全てを滅ぼす前に、私があんたを倒してみせる!」
 はたての頬で涙が燃えている。
「……八意永琳の仕業ですか。余計な事を」
 射命丸はゆっくりと瞳を開いた。
 そうして羽根を手にすると、自らも翼を広げた。黒く美しい翼の一点に、歪な欠けがある。
「いいでしょう。はたて、貴女がそれを望むのならば」
 その欠けに、手にした羽根を添えて印を組むと、翼全体に妖気が満ちてゆくのが見える。
「はたて。この射命丸文、今までの非礼を詫びましょう。お返しに、今まで誰にも見せたことの無い、私の本当の本気をお見せいたします」
 射命丸は、刮目した。
 その瞬間である。
 地を這う霧が、吹き抜ける風が、天を覆う分厚い雲が。千方に走った雷撃に弾かれるようにして掻き消えてしまった。
 空は高く澄み渡り、からりと心地よい風が私達を包む。私も小傘もはたてでさえも、その超常現象を前に狼狽えた。
 突き抜けるように高い青空の下で、射命丸の掲げた剣がまばゆい光を発している。
「我こそは蒼天の覇者。地獄の鬼共すら恐れたこの武、とくとご覧あれ!」
 射命丸文は剣を閃かせ、天の構えを取った。
 白い闇が払われた、山紫水明のこの地。
 その姿形、佇まいは仏像のように厳かで、神聖でさえあった。
「ああ……」
 私はその姿に畏れを抱いた。
 天狗は迦楼羅天の化身とも言う。まさか、今の射命丸文は、神仏の境地にいるのではないか。
「はたてさん……」
 はたての薄い背中を見つめて、小傘が呻く。巨大な射命丸文と戦うには、その背はあまりにも小さすぎた。はたては射命丸を伝説だと言った。神と戦う……はたてにとっては誇張でもなんでもなく、正に真実だったのだ。
「さあ、はたて。これで貸し借りは無しです」
 射命丸の剣が、戦いを待ち望むかのように鳴っている。
「上等だわ、射命丸文……」
 はたての気炎を浴びて、小傘の妖剣が一層深く輝いた。
 輝夜の薙刀が蒼天を突く。
 決着の一瞬を見逃すわけには行かぬ。
 私は全身の気を張り詰め、瞳を開いた。
「ならば今こそ、この蓬莱山輝夜の名において、決闘の開始を宣言する」
 炎を上げて振り下ろされる白刃が、笛に似た音を上げて、真の戦いの火蓋を切る。その音色に、私は一抹の切なさを感じた。
「始め!」
 輝夜の言葉とともに、二つの翼が空を駆けた。
 飛び散る火花、錯綜する光。神気の塊がぶつかり合い、漏れ出した熱き気炎が私の身体を奥底から揺さぶる。
 地上すれすれの高度で二人は飛び交い、刀を撃ち合っていた。瞳を開いた私にとて、完全には見きれぬ程のその速度。しかもまだまだ上がってゆく。時間をすら飛び越えようと言うのか。
 数呼吸遅れて、空気が爆発するような轟音が大地を揺さぶった。続けて襲い来る神気の衝撃波。
「きゃあ!」
 小傘が恐怖で悲鳴を上げる。激甚の衝撃波が小傘の肉体を押し潰す直前で、光の壁がそれを防いだ。
「大丈夫、イナバたちに結界を張らせている。だけど……」
 輝夜の額に一筋の汗が過ぎった。こいつのこんな顔は初めて見る。
「もう少し下がりましょう」
 そうしている間に、絶え間なく続いていた光の乱舞がぴたりと止まった。
「くっ……」
 はたてが再び地に膝を突いている。その体からは大気摩擦で生じた炎が煙を上げていた。見える、彼女の肉体は限界に近づいている。
「はたて」
 射命丸がはたての前に降り立ち、誘うように剣を揺らしている。はたてを見下ろす射命丸のその表情は、怒りも悲しみも喜びも苦しみも、全て刃金の彼方に置き捨てたかのような、穏やかで神々しいものだ。
「よくぞここまでたどり着きました。最後の時です」
 私は唖然とした。
 もう一人の射命丸がはたての前に降り立ったのである。しかも一人だけではない。一人、また一人と増えてゆく。空に、地に、竹林のてっぺんに、見渡す限りの風景が射命丸文一色で埋まった。
 圧倒的な光景だった。
 はたての前に、無数の射命丸文が、剣を揺らして立ちはだかっているのである。
「影分身ね。天狗の十八番とも言うわ」
 輝夜が言う。
「し、しかしこの数……」
 まさか、この数で先程の超高速戦闘を行うつもりなのか!
「幻術の類なら、まだ可愛げがあったんだけれど」
「尋常じゃあない……!」
 射命丸の術力は無尽蔵だとでも言うのか?
「……まだ、まだ」
 絶望一色の空を前に、はたてはそれでも剣を手に立ち上がった。自らの保身を第一とする妖怪では為し得ない決断。その力、一体何処から湧き上がって来るのか。超常の存在にその身一つで立ち向かうなど、それは妖のやることではない。それを行うのは、いつだって。
 ……そうか。
 ようやく私は理解した。
 ここは幻想郷。人が妖怪になるのなら、妖怪もまた人になってゆく。
 はたては人になりかけていたのだ。
 これは、人が神に挑む戦いだったのだ。
 だから小傘は、あの妖刀をはたてに託したのか。
「素晴らしい」
 射命丸達が嘆息している。
「同族に囲まれていても、私はずっと孤独でした。私の速さに付いて来れる者は、これまで一人もいませんでしたから。今、私の千年の孤独は拭い去られた。はたて。貴女によって」
 そうして、再び射命丸達は天の構えを取る。
 はたては腰に差した飾鞘を捨てた。少しでも速度を上げるために軽くしたのだろう。
 そうして瞳を閉じ呼吸を整えると、気で体中を満たした。
「まだ。まだ、まだ!」
 はたては宙を駆けた。蒼天へと、伝説の待ち受ける幻想の果てへと。
 まばゆい光が迸る。
 はたて一人を囲んで、数え切れぬ程の射命丸達が縦横無尽に空を斬り裂いている。無数に剣の撃ち合わされる音は正に雷鳴。発生する熱量に、文字通り空が燃え上がった。これは最早、戦いではない。天災地変である。
 美しい。
 その光景を前にして、ただその言葉だけが心に浮かんだ。
 はたては神がかり的な反応速度で、射命丸の攻撃をよく凌いでいた。全方位から襲い来る光の刃を躱し、逸し、満身創痍になりながら防いだ。
 しかし、猛攻の中で逸しそこねた刃がその翼に食い込んだ。はたてが体勢を崩すと同時に、射命丸達が殺到する。
「はたてさん!」
 小傘が絶叫した。
 刃が届く寸前、はたては何かを中空に放った。それは、河城にとりが改造していた、折り畳み式の携帯電話だった。
 それが火を吹いて爆発すると同時に閃光が走り、空を覆い尽くしていた射命丸達が溶け消えた。あの携帯のカメラには、弾幕を掻き消す機能がある。それをにとりが増幅したのだろう。
 一瞬、虚を突かれた射命丸が怯んだ隙に、姫海棠はたては恐らく残り全ての力を振り絞って突撃をかけた。
「あやーっ!」
 裂帛の気合とともに撃ち出されたはたて渾身の一撃は、射命丸文の左の肩口に突き刺さり、はたての身体が返り血に紅く染まった。
「お見事」
 だが、その白刃は、射命丸の剣によって阻まれ、骨を断つには至らなかった。
「はたて。よく手立てを尽くし、よく戦いました。だからこそ、私は貴女に尊敬の念をすら覚えます」
 はたてを見つめると、射命丸は少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「今。私と貴女は、真の意味で対等となった!」
 剣の閃きが、勝負の決着を告げた。
 姫海棠はたては、鮮血の華を咲かせながら、空を落ちた。
「はたて!」
 駆け出す私と小傘の後ろで、輝夜の無慈悲な声が響き渡った。
「それまで! 勝者、射命丸文!」
 
 
 竹林の影に倒れていたはたてをようやく発見して、私はその体を抱き起こした。
 意識は無いが、息はある。意外だった。射命丸の一撃は命を奪うに十分だったように見えたのだが。取り敢えず、左肩から袈裟懸けに大きく斬られた傷に止血を行う。永遠亭から医療品を持ち出して来たのが役に立った。
 ふと見やると、はたてのそばにばらばらに砕け散った妖刀の破片が落ちているのが見えた。小傘の剣がはたてを守ったのか。
「お疲れ様……よく頑張ったね」
 その破片を見やって小傘が呟いた。
「うう……文……」
 苦しそうに身悶えながら、はたてが意識を取り戻した。
「文……畜生……畜生……」
「はたて。射命丸は君を認めていた。君はよくやったんだ。もう十分だ」
「十分なんかじゃない……私があいつを倒せなきゃ、何も意味が無い……」
 口惜しさと苦痛とに顔を歪めながら慟哭する。
「それ程迄に射命丸が憎いのか。射命丸が賢者達の一員だと言っても、何故そこまで……」
「……違う。違う、違うのよ」
 はたては泣きじゃくる子供のように首を振った。
「あいつは賢者達なんかじゃない。それどころか、奴らのやっている事を知りもしないのよ……!」
「射命丸が? ば、馬鹿な」
 先程の射命丸の力。確かに幻想郷の賢者に足るものだった。この幻想郷で何を為すにしても、彼女の力を無視して行なう事など出来るはずが無い。
 だが確かに、今までの射命丸の言動は、彼女が賢者達ではない事を示してもいた。
「あいつは世を捨て権力から遠ざかり、隠者を気取ってこの世の全てを見下したのよ……。国を統べる力を持ちながら、あいつは一新聞記者に甘んじていた。裏で何が行われているかも知らないで、欺瞞の中で全てを見下して……」
「そんな……」
 はたての傷付いた瞳から、止めどなく涙が溢れ出た。
「……あいつは天狗達の伝説だった。私達の憧れだった。あいつの決めた事だったら私、奴等のどんな悍ましい所業にだって従ったのに……」
「はたて……」
「いつか真実を知った時、きっと文は天狗全てを皆殺しにするわ……。だからこそ私は、その前に……」
 私は空を見上げた。射命丸の姿は既に無い。
 あの空の蒼さが、全て偽りだったとしたら。
 私は一体、どうしただろう。
 傷の応急処置を終えると、はたてはよろめきながら立ち上がった。
「世話になったわね、ナズーリン。小傘も……」
「はたて、まだ動いちゃ駄目だ。傷は浅くないんだぞ」
「私は立ち止まっていられない。射命丸文を倒す為に……」
「で、でもはたてさん、永遠亭で治療を受けたほうが……」
「不要よ」
 私と小傘を振り切って、はたては背を向けた。その背中には未だ怒りの炎が燻っているように見える。
「ナズーリン。二つだけ忠告しておくわ」
 去り際、はたてはふと立ち止まって言った。
「今現在、天狗の暗部を牽引するのは、当代天魔の孫娘、天津風姫百合。老いた天魔の跡取りとして、頭角を現して来ているわ」
 姫百合。その名は外界でも聞いた。あの青いレインコートの妖、四万十のブレーン。
「奴は貪欲よ。手段を選ぶ事を知らない。そして何より、破滅する事をまるで恐れない。奴と争うつもりなら、貴方も覚悟を決める事ね。綺麗事だけじゃ戦えない、どんな手段でも取る覚悟が必要になる」
「覚悟、か」
 教義に理が見えずとも、今の私を律しているのは信仰だ。その信仰を捨て去る覚悟が、果たして私にあるか。
「そしてもう一つ。昨日の調査で確信したわ。奴等の次の狙いは……」
 振り返ったはたての指先が、私を捉えた。
「やっぱり、あんたよ。ゆめゆめ油断しないよう。馬鹿共に良いようにされたんじゃ、後世の物笑いの種だわ」
「分かっている」
 血の滲む包帯を引き摺りながら、ふらふらと覚束ない足取りで、はたては一人、竹林の影に消えて行った。私も小傘も、その背を追う事が出来なかった。あの背の炎は、姫海棠はたてだけのものだからだ。
 私は砕けた刀の破片を拾い上げた。
「刀はまた打ち直す事が出来る。あの二人も、きっと」
「ああ……そうだな、小傘」
 きらりと光る破片に私の顔が映った。
 奴等の次の狙いは、この私。
 つまり、神霊廟だ。
 
 
 イ号零型を表現しようと頑張ったんですけど、あれ格好良すぎ。
 
チャーシューメン
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コメント



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3.無評価名前が無い程度の能力削除
賢者ってなにがしたいんだっけ? まだ判明してない?
5.100南条削除
今回も面白かったです
もしこれで賢者たちのメンバーに隠岐奈がいたらと思うと胸が高鳴ります