はたしていつもいつでも豪快な鬼の大将が
ここまで額に皺を寄せるなどいままであったかなかったか。
左手は腰にやり、右手は人差し指と親指でブイの字をつくり「ふーむ」などとつぶやいている。
「石橋を叩いて渡るくらい慎重に聞いてみるか。否か」
その独り言は偶然通りがかった奇怪な蜘蛛の妖怪、つまり私の耳に届いた。
四天王の一人が石橋を叩いてもそこから導き出される結果は石の破片だけだと思うものだが
一体何だと視線の先を追ってみる。
そこにはくだんの橋の姫がぽつり。
橋の手すりにもたれかかり、何やらあちらも「はあ」とため息。
「勇儀の大将」
「おお、ヤマメじゃないか」
「何をしているんです? 恋煩いですか」
「なに、そんな大層なものではない。あすこのお姫さんを見てやんな」
「へえ」
鬼の大将の指差す先はやはり橋の姫。
なんとも落ち込んでいるようには見えるものだが、それが一体全体なんだと言うんだい。
続けて聞くことにした。
「あの姫がどうかしましたか。相変わらず見た目はべっぴんだけど、所々から陰鬱な空気が漏れてやがる」
「まあそう言うな。あいつもあいつで魅力的なんだ。そんなことよりあの頬だ」
「ほう?」
手すりにもたれる橋姫は、今まで頬杖をついているように思えたが
それはどうやら勘違い。腫れた頬を抑えてため息をついているのだった。
「珍しい。誰かにやられたんですかね。喧嘩かな」
「誰にやられたかはわからんが。何か悩みがあるなら聞いてやらないといけない」
「はあ、なぜ大将がそこまで」
「あたしらは嫌われ者の地底に集う。その中で嫌い合うなんてなんとも粋じゃない。
悩みがあるなら聞いてやらないと。決してあいつが気になるからではない」
「なるほど、じゃあちょっと聞いてきますか」
私が足を数本動かしたところで「まちな」と声がかかる。
がしりと腕を掴まれたて、ちぎれるんじゃないかと思うくらいの勢いでがくんと体が揺れた。
「あ、すまん」
「あてて。どうしたってんですかい大将」
「いやな。あすこにいるのは嫉妬のパルスィ。そう簡単にいきやしない。
それこそ石橋を叩きながら行かないと」
「なるへそ。そいつは確かに」
「だが私の腕は、石橋を叩くにはあまりにも強い」
「そもそもあの橋は木で出来ていますからね。ぎしぎしぎいぎいとうるさいくらいに」
「そこでヤマメ、お前に頼みが有る」
「なんでしょ」
「パルスィの様子を見てきてくれないか。もし悩んでいるならその内容も」
そう思って行こうとしたら引き止められたのに。
とヤマメは文句を言いたくなったのだが、ここで変に鬼を怒らすのは得じゃない。
ともかく慎重に行けということだろう。
いやしい私に出来るなら、と抜き足差し脚忍び足。
そうっとパルスィの背後へと近づくのであった。
「そこな姫様。ちょっといいですかい」
「あらヤマメ。何の用なの」
「いえいえ。もう日の暮れで良い時間。静かに飲めるバーがあるんで一緒にいきやしませんか」
こういう時はどんちゃんやるより静かにグラスを傾ける。
きっと橋姫はそういうのがお好みでしょうとの提案だ。
足をわさわさ動かし「お疲れなら運んでいきますよ」と手もみ足もみ伺った。
「悪いけど、今は飲みたくないの」
「うるさい鬼なんていやしませんよ。あるのはまあるい氷と愉快な液体。あとは渋めのバーテンダー」
「魅力的だけど、今日は」
ここまで否定されちゃあと、私は仕方なく大将のもとへととぼとぼ戻る。
不安そうな大将にため息で答え、どうしたものかと呟いた。
「『木の橋を無音で渡る』勢いで聞いてみたんですけどね」
「それはちょっと意味がわからんが」
「当たりさわりなく聞いたってことですよ。あれは難攻不落な気がしやす」
「ふむ。こいつは困ったな」
と、そこの呟きにぴょこんと耳が反応したのが黒猫のお燐。
面白そうだと私達のもとへ、しっぽを揺らしてりんりんダンスで近づいてきた。
「お二人さん。なにを企んでるんですか。にゃあ」
「黒猫か。ちょうどいい。あいつは小さなかわいい生き物が好きだ。実は相談があるんだが」
熱心に黒猫へ現状を説明する大将。
そんな様子を見ると、大将の心配という名の愛情を愉快に思う。
やっぱりあちちでお熱な間柄だ。
こんなに熱い想いを向けてもらえるなんて橋姫さんも、幸せものだ。
「にゃあ。つまりあたいは猫の姿で近づいて、一人ぼやきを聞いてくれば良いのですね」
「その通り」
そういうとお燐はぼやんと煙をあげて猫に変身した。
にゃあと一鳴きするとすたたと軽やかに橋姫に近づいた。
それはまるで「吊橋を揺らさず渡る」くらいの軽やかステップだ。
しばらく撫でられたり揉まれたりわちゃわちゃされたりもにゃもにゃされたり。
ひとしきり何やらが行われているのでぼやっと地面をみて過ごすことにしたのだが
そこにはなんとも紅い水たまりが。
どうやら羨ましいのかなんなのか。
大将の握りしめる拳から血が滴っているのでありました。
自分で言ったくせに。ははあ、これが嫉妬というやつだ。
嫉妬姫に嫉妬するなんて、やはり豪快な方だ。鬼の大将なだけある方。
しばらくするとお燐がふらふら帰ってくる。
どうやら本当にもみくちゃにされたようで心身疲労でよろよろだ。
「にゃあ。もみもみのくちゃくちゃにされました」
「どうだった。パルスィはなんて言ってたんだ」
「何やら悩んでいるようですよ。あたいを撫でながら『お前は悩みがなくていいね』とか
『はあ辛いなあ』と嘆いておりました」
「やはり悩みがあるのか。それでその内容は」
「流石にそこまでは。にゃあ、大将、あたいは疲れたんでここいらで」
「そうか、助かった。最後に一つ」
「なんですか?」
「あいつに撫でられて気持ちよかったか?」
「そりゃもう」
大将は何やら闘気的なものをぐらりと出して
お燐を乱暴に撫でてお礼を言っていた。
摩擦で頭の毛が焼け焦げたお燐はよろよろと旧都の明かりへと消えていったのであった。
「それでも大将。黒猫にお駄賃はくれてやったんですね」
「労働に見合った対価をやるのは当たり前だ。私は鬼だからな」
「へえへえ。でも私は何も貰ってない気がするんですか」
「何か?」
「いえ何でも。うむ、それにしても」
「ん、なんだ」
「大将もあの姫さんにあちちですねえ。このこのぉ」
大将の放ったデコピンで五十メートルほど吹き飛ばされた私はそこでカラスと出会う。
なにやら出店を回っていたようで、片手に焼き鳥片手におでん。咥えているのはビッグカツ。
一人で夜を堪能していたようだ。
「なんか蜘蛛が吹っ飛んできた。第一回チキチキ蜘蛛吹っ飛び大会中?」
「やあちょっと助けてくれないか」
「もぐもぐ。私に出来ることなら」
やあやあさとりのところのペットというのは中々人を思いやる気持ちがあるじゃないか。
さっきのお燐やこのおくうといい協力という言葉をよく知っている。
流石に灼熱地獄の管理人。情にも熱いと、そういうことか。
「実はかくかくしかじかでね」
「ふうん、もぐもぐうまうまなんだ。いいよ。私が橋姫さんと話してくる」
おくうはそう言うとビッグカツを飲み込んで
すたすたと橋へ向かっていった。
どうせなので私も後ろについていくことにした。
大将へ「このカラスさんがなんとかしてくれるらしいですぜ」と掛けると
そうかそうかと静かに喜んでいた。
「橋姫さん」
「あらおくう……と、ヤマメもまた来たの」
「橋姫さん、何か悩んでいるみたいだけどどうしたの? ほっぺ赤くなってるよ?
誰にやられたの? 橋姫さん叩くなんてわるいやつ。私が成敗してやるよ!」
やあなんということだろう。
今まで大将が約百六十行もかけて(改行含む)うじうじしていたことをこのカラスはたった二行でやってのけた。
いやいや、鬼の大将も自分の事になるとうじうじしいなのかね。
「ありがとうおくう。でも大丈夫だから」
「本当に? 心配だよ」
「ありがとう、優しいのね。貴方の優しさに嫉妬しちゃうから早くおかえりなさい」
おくうは私の方へ目線を向けてくる。
やはり橋姫は言いたくないようで、ここまで来たら無理に言わすと怒られるかもしれない。
おくうにお礼を言って、帰ってもらうことにした。
「でもやっぱり心配だよ。私が役不足なら、あそこに橋姫さんを心配そうに見つめている鬼のおねえさんがいるから相談してね」
そう言い残し、おくうはばさばさつばさをはためかせて帰っていった。
さあさあここで気まずいのは鬼の大将だ。
おくうに指さされた手前、橋姫の前に姿を出さなきゃいけない。
今まで不自然なくらいに客が訪れていた橋姫の橋。
橋姫はじっと嫉妬の目線を向けると、大将はそれこそ石橋を叩いて渡るが如く
そろそろと機嫌を伺うように歩いてきた。
おくうの役不足の誤用は果たしてこの場合誤用になるのかどうか。
「さっきから不自然に人が来ると思ったら」
「い、いや。そのだな。うん」
「私の様子のおかしいことに気付いたら自分で来ればいいでしょう。
人に頼んで。おくうみたいないい子を使って情けないと思わないの」
「うん。まあ。それは」
ほうほうこれは面白い。
先程からかっていたのもあながち間違いではないのでは。
大将の頭は徐々に徐々に天から下に下がっていって、なるほどカカアが天下なんだなと見ているだけでわかるくらいだ。
「でもパルスィ、私は心配だったんだ」
「だったらなおさら自分で聞きに来ればいいでしょう。
ヤマメも苦労したんじゃないの」
ここで「ええそうなんですよ橋姫さん」と言えば鬼の力で塵になる。
ここで「いやいや大将も心配だったんですよ」と言えば嫉妬の力で塵になる。
私は黙るのが正解だと、地面を見つめてあははと笑いでごまかした。
「鬼のくせに。意気地がない」
「……」
「鬼のくせに。びくびくして」
「……その」
「鬼のくせに。人に頼って。鬼のくせに」
「……パルスィ!」
いやいやそれは駄目ですよ大将。
そう思ったが私は止められなかった。
しかし、我慢ができなかったようで大将は橋姫さんの頬をぺちんと叩いた。
しかもよりによって、膨らんでいる方を。
それにしても橋姫には手加減できるのに私には出来ないのか。
デコピンで五十メートル吹っ飛ぶって中々ですぜ。
「あ、すまないパルスィ。違うんだ」
「……」
「叩きたかったんじゃあない。私はお前が心配で」
「とれた」
「へ?」
「は」
「は?」
「は、取れた」
地面にかつんと鳴ったのは、それはそれは黒くなった橋姫さんの歯だったのだ。
もしやこれは。
「勇儀、ありがとう」
「え、いや私は」
「最近屋台がいっぱい出てて、食べすぎて虫歯になっちゃってたのよ。
ビッグカツの食べ過ぎは良くないわね」
「そ、そうか」
「はあ良かった。歯医者なんて行きたくないから。助かったわ」
「そりゃあ良かった!」
いやあ。これはいけない。
まさかこんな月並みな落ちだなんて。
「良かった良かった」
「でも勇儀、さっきのことは忘れていなわよ。うじうじしてたことも。叩いたことも」
「ぐ、それは」
「結果的には良かったけど、私にこんなことしたの許さないから」
「……言葉も出ない。煮るなり焼くなりなんなりと」
「私の家に寄ってきなさい。今日は一晩中お説教よ」
「え」
「嫌なの?」
「嫌じゃないが……ひ、一晩中だって?! ……ごくり」
なんですか大将その生唾は。
やらしいんだけど。
「そうとなったら早くなさい。あ、ヤマメ。ありがとうね心配してくれて」
「ヤマメ、助かった。あいにく私はこれから忙しいから相手することが出来ない。
今度埋め合わせするから。……っとパルスィ、引っ張るな!」
そこに残されたのは悲しき奇怪な蜘蛛が一匹。
心に残ったのは……そうか、これが嫉妬の感情か。
ふと振り返ってみると私がいなくても解決したのではないか。
そもそも私は最初から必要なかったのではないか!
ちくしょう、私以外で全部解決しやがって!
嫉妬するぞ! パルパル!
しかし、どうするつもりだ。
「不明だった悩みが歯痛」なんて月並みな落ちで満足する読者なんてとうに幻想入りしてるはず。
いやいや、幻想郷ですら居るか怪しいぞ。
なにか気の利いてぶっとんだ落ちがないと読者諸氏は満足しないだろう。
まずい、まずいぞ。
私は腕を組み、落ちを考えようと天井を見上げた。
しばらく考えていると、不意に視界に影がかかる。
「あいたっ!」
つるべ落としが落ちてきた。
なるほど気が利くなつるべ落とし。
もしや「落ちてきた」ことで「落ち」を作ろうという魂胆か。
いやはやしかし、ここで落ちるのはちと弱すぎる。
私の意識がブラックアウトする前に何か一言、一言だけでも。
大胆かつ慎重に、そう、まさに石橋を叩いて渡るつもりで何か最後の一言を!
「そうそうまさにこれが、『水橋を叩いてはパル』ってことだねえ」
話の落ちが上手くいったかは分からないけど
私の意識はここで落ちた。
おあとがよろしいようで。
『何橋を何って何る?』
おわり
読み方は「はぱる」なのか「わぱる」なのか気になるところ
それにしてもビッグカツ、吸血鬼にも橋姫にも大人気
ヤマメさん、ちょっとパンチが足りないですぜ
ヤマメ「水橋を探って(話が)落ちる」
軽快に読めて楽しかったです。
会話のテンポや落語調の言葉運びはとても素敵でした。あとおくうかわいい。