Coolier - 新生・東方創想話

先代の戯言

2017/09/03 22:32:01
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  異 「先代の戯言」

 逸、 私には、人間の、甘えと言う物が見え透いておりました。

 それは情けや、情けなさと言った、露呈する物では無く、無意の妥協とも言える物でした。
 妖怪退治を生業とする私は、人間でいなくてはならなかったのですが、その見え透いた甘えを、持ち合わせていませんでした。私以外の人間はすべてそれを持ち合わせていました。これは、私以外の人間は、私ではないという当然の摂理とも取れますが、思うに、持ち合わせてこそ人間であります。
 その甘えは、慈悲として顕在していました。また、同情として顕現していました。
 私には共に妖怪退治を行う、友人がいました。その友人は、妖怪退治の実力で、私に及ぶことはありませんでした。友人は人間でありました。確かに、甘えを持ち合わせていたからこそ、私に及ばなかったのです。妖怪にも、言い分はあるのです。それに、友人は知らぬうちに感化されていたのです。
 しかし私は、友人を弱いと思ったことは一度もありませんでした。それは、私に足りないものを、友人は持っているのだ、と考えて、劣等であるとしなかったためであります。
 正しくは、そう考えることで余計な思考から逃れていたのです。もし、私まで甘えを持ち合わせていたらと考えると、安寧は、いよいよ幻想となるに違いないのです。
 私は、非情に、無慈悲に、妖怪退治を行ってきました。

 私は、人間でなくてはならない存在であり、人間でないような存在でした。




 児、 私は、徳という物を解しておりませんでした。

 私の言う徳とは、美徳と、悪徳のことであります。道に倣うか、反るかという排中された選択のようにも思えますが、私には、道は、どこまでも道と映りました。
 道は、その外を穢いと思うからこそ、倣うことが美徳とされます。神道は、その最たる例であります。神々に、穢れを祓う美徳を見出したという風でありますが、その実は、穢れを嫌うことに美徳があるのです。
 私は、博麗の巫女である、という道に倣うことになっていまして、それに倣いました。他人事のようですが、私は、その道を、実際に自分で選んだわけではなかったのです。思えば、それは用意された道でした。更に突き詰めれば、それを私が、道であると思い込んだだけでした。
 私は、道を、道ではないかも知れないと、疑わなかったのです。悪徳であるかも知れないと、考えなかったのです。美徳だと思い込み、どこまでも美徳だと思い込んだのです。気づけば、私は、知らない道を歩んでいました。他人が言うには、確かに道であるので、そのまま倣うのですが、決して反れることや、倣い方を選べない道でした。

 私は、最後まで、美徳も、悪徳も一人で見出せませんでした。




 散、 私は、縁という物への執着に、欠いておりました。

 私の周りには、いつも、人ならぬ者がおりました。幽霊、妖怪、神霊の権化など、私は様々な者と交友してきました。
 その交友は、私が終わらせることが、決まっているような交友でした。具体的には、私が先に死ぬことが決まっている交友でした。人ならぬ彼らは、皆、底知れぬ寿命を持っていたのです。
 私は彼らの寿命と、私の寿命とを比べて、自らに無常を感じざるを得ませんでした。そして縁という物にも同じく、無常を感じ、諦観をしていました。
 人間は、人間との縁に、執着しているようでした。拘泥とも言えます。私には、そのようにしか見えませんでした。
 私は、人間の友人にも、その諦観を捨てずに接していました。思いやりに欠きたいと思うことはありませんでした。寡黙でいたいと思うわけでもありませんでした。しかし、それは、軋轢を生むことはなくとも、深くまで仲を踏み入れることを阻害しました。
 ただ、遠慮を捨てきれなかったのです。
 私の周りには、人間は数えるほどしかいませんでした。その数に、無常を感じれば、もう少し、他人間の気持を理解できたのかも知れません。
 無常は、私の都合の良い解釈で、言い訳でしかなかったのです。

 私は、人間としての気持を慮ることを、怠ってきました。

 


 誤、 私は、自らを殺める意味を、模索しておりました。

 決して自尽しようと決めていた訳ではありません。自らの意志の犠牲を惜しまないことが、正義である証拠を、探していたのです。
 ふと、私が、純粋な悪者であったならと思うことがあります。それは、悪者であれば、自らの意志を正義と、妄信できるからです。飽くまでも、自分の中の話ではありますが、正義と呼ばれる程の意志が、欲しかったのです。
 しかし、それは私にはとても得難い物でした。自らの感情に任せ動くことが、自らの正義の手引きを参照することになる、というのが理想でした。
 理想は、後から語るが故に、理想であります。即ち、私には実現できなかったのです。
 私が自らの感情に任せて動けば、それは、他人に任せることでした。主張をしない、弱さが理由ではないのです。主張の強い、弱さが理由なのです。どうにも、他人に求めすぎてしまうのです。明確には口に出しません。ああ、これは言っても実現されぬ、と、中途半端に、諦めをしてしまうのです。
 結局、他人の思い通りでした。私は正義のような物を残したままでした。意志の無いことが正義であれば、意志を無くすことが正義であれば、見てくれは理想的なその正義でした。
 尤も、それが正義である証拠を探せば、自らの意志的な動きになり、本末転倒であることも理解していました。

 私は、どこまでも達観しようと、足掻いていました。




 碌、 私は、心象に対して、烏滸がましさなる物を湛えておりました。

 世には、様々な美しい物がありました。文学、芸術、生き様等、心を揺るがす物が、溢れていました。
 それに対した時、私は、鑑賞の心として、ただ讃えることに盡せば良かったのです。しかし私は、負目のような物を常に感じておりました。
 簡潔に申しますと、自分の程度が、美を鑑賞するに値するか、悩んでいたのです。自然的な物には、それを感じませんでした。創作物に対して、引け目を感じていたのです。
 博麗の巫女であることに、程度の低さを感じていたわけではありません。それに付いては、私にしか出来ないことと信じていました。ただ、全ての他人が、私のようであったら、世は、さぞ寂しい物になるに違いないと思うのです。
 世は機械の様で、殆どの者を、客観的に歯車と見做せるように、ぴたりと、違う性質の者同士がかみ合っております。その様に、私は奇跡的な偶然性を感じてしまうのです。故に、隣の人間が、私と違う能力を持つことに有難さを感じるとともに、それが少しでも自分の物より優れていると感じた時、私も同様に優れている偶然を考え、そうでない自分を恨めしく、また申し訳なく感じてしまうのです。
 しかし、本当に能力の違いが偶然であるならば、そのようには感じないはずです。畢竟、能動的であることが、優れを生むのだと、分かっていたのです。

 私は、才能と言う物に、過大な幻想を抱いてきました。
 

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