「蜘蛛の巣の灯」
ふらりと旧都に遊びに行く途中、あんまり暇そうにしてたので、無視して橋を通り過ぎるには気が引けた。蜘蛛なりの気配察知かもしれない。道すがらに、予定があって妬ましいなどと、ジロリと緑でねめつけられたらたまったもんじゃない。そういう気の毒半分、自衛半分で橋姫を散歩に誘ったのだった。知った仲だ。たとえ狭い地底でも、頻来する橋の守り神におべっかを使っても、きっと損にはならないだろう。
朱塗りの橋に下りたって、今から夜の散策でもと伺えば、彼女は一二もなくこくりと首肯した。
存外機嫌は良さそうだ。変に気を回す必要はなかったのかもしれない。橋を並び発って、だんだんと騒がしい旧都の方に足を延ばした。
声とひとと酒香の波をかき分けて、二人で歩いた。橋を発つときには上機嫌だったのに、橋姫は人ごみに顔を曇らせていた。寄って見ればきれいな顔に、影が差していた。あまりうまくない状況だ。彼女は不機嫌になると、口に弁無く恨み言を吐く。愚痴だけで終われば重畳、あたりに緑の靄気を吐き出し始めては面倒なことになる。私が当てられるのもかなわない。
酔った鬼連中は千鳥足に任せて、旧都の街路を壁と波とばかりに塞いでは押し返していた。引き返すにも旧都のちょうど半ばだ。あまり行儀のいい行為ではないが、仕方ない。一歩後ろを行く彼女に手を差し伸べる。橋姫は少し戸惑って、たっぷり五秒訝しんでから、意を得たように手を取った。妖気の浮力で酒気の流れを突破した。往来の妖怪たちの歓声、奇異の視線と地底の重力を振り払って、鈍色の天蓋を目指した。
◇
天上からブランコのようにつりさげた蜘蛛糸のハンモックに、二人並んで揺れていた。結局何のことはない。あの橋で二人で駄弁るのと、同じような空間になってしまった。しいて違う所を上げるなら、
「蜘蛛の巣みたいね」
「そうかな」
眼下には、灯が網の目の様に広がっていた。旧都、街道、地霊殿。提灯、行灯、ガス灯。それぞれに寄り添って、それぞれの色の灯が夜の楼閣を地底の暗がりから浮かび上がらせていた。中心部は煌々と、外れに行くほどに空しく。岩盤しかない旧都外になると、光の雫はついに姿を消す。
「光ってるところは全部あなたの活動場所でしょ。あっちでお呼ばれこっちでお呼ばれ。大変ね。今日みたいに」
「……知ってたんだ」
緑眼で睨まれ、ぎくりとした。今日も本当は友人に呼ばれていたのだ。すっぽかしたのは悪いことをしたけれど、飲み相手など探せばいくらでもいるだろう。隣の女じゃあるまいし。
「哀れみも同情もごめんだからね」
「そんなんじゃないって」
「じゃあなによ」
「うーん」
言葉は歯切れ悪く、嘘はバツが悪い。黙り込んだ私を見て、橋姫が鼻を鳴らした。ハンモックがぐらぐらと揺れた。
「別によかったのに。気を使ってくれなくたって」
私はあんたの巣には引っかからないんだから、と。そう独り言ちた。聞き逃せなかったけれど、言葉は飲みこんだ。見据えるのは、彼女が守るべき橋の方向。闇に飲まれて、夜目の効く私でも見えない。反して彼女の瞳には、そのさまがくっきりと映っているようだった。灯りの網目からひと際外れた、渡るものの途絶えた橋。楼閣から零れ落ちた彼女は、日々を淋しがっている。
「私だって、哀れみであんたと付き合ったりしないよ」
「どうだか」
「今日だって面倒くさい女だなって思ってたもん」
「はっ、悪うござんした」
「好きでやってることだしね」
「人気者は懐が深いわね」
調子をつけるように、蜘蛛糸の縁から足をぶらつかせた。パルスィがやめろとたしなめた。足を止めても、蜘蛛の揺り籠はしばらく揺れたままだった。もうしばらく街灯りを眺めてから、二人で帰った。
岩宿の家に戻ってから、物置の行灯を探した。明日は巣を広げるのだ。狭い地底でも、未開拓のところは山積みだ。例えば、朱塗りの橋とか。
ふらりと旧都に遊びに行く途中、あんまり暇そうにしてたので、無視して橋を通り過ぎるには気が引けた。蜘蛛なりの気配察知かもしれない。道すがらに、予定があって妬ましいなどと、ジロリと緑でねめつけられたらたまったもんじゃない。そういう気の毒半分、自衛半分で橋姫を散歩に誘ったのだった。知った仲だ。たとえ狭い地底でも、頻来する橋の守り神におべっかを使っても、きっと損にはならないだろう。
朱塗りの橋に下りたって、今から夜の散策でもと伺えば、彼女は一二もなくこくりと首肯した。
存外機嫌は良さそうだ。変に気を回す必要はなかったのかもしれない。橋を並び発って、だんだんと騒がしい旧都の方に足を延ばした。
声とひとと酒香の波をかき分けて、二人で歩いた。橋を発つときには上機嫌だったのに、橋姫は人ごみに顔を曇らせていた。寄って見ればきれいな顔に、影が差していた。あまりうまくない状況だ。彼女は不機嫌になると、口に弁無く恨み言を吐く。愚痴だけで終われば重畳、あたりに緑の靄気を吐き出し始めては面倒なことになる。私が当てられるのもかなわない。
酔った鬼連中は千鳥足に任せて、旧都の街路を壁と波とばかりに塞いでは押し返していた。引き返すにも旧都のちょうど半ばだ。あまり行儀のいい行為ではないが、仕方ない。一歩後ろを行く彼女に手を差し伸べる。橋姫は少し戸惑って、たっぷり五秒訝しんでから、意を得たように手を取った。妖気の浮力で酒気の流れを突破した。往来の妖怪たちの歓声、奇異の視線と地底の重力を振り払って、鈍色の天蓋を目指した。
◇
天上からブランコのようにつりさげた蜘蛛糸のハンモックに、二人並んで揺れていた。結局何のことはない。あの橋で二人で駄弁るのと、同じような空間になってしまった。しいて違う所を上げるなら、
「蜘蛛の巣みたいね」
「そうかな」
眼下には、灯が網の目の様に広がっていた。旧都、街道、地霊殿。提灯、行灯、ガス灯。それぞれに寄り添って、それぞれの色の灯が夜の楼閣を地底の暗がりから浮かび上がらせていた。中心部は煌々と、外れに行くほどに空しく。岩盤しかない旧都外になると、光の雫はついに姿を消す。
「光ってるところは全部あなたの活動場所でしょ。あっちでお呼ばれこっちでお呼ばれ。大変ね。今日みたいに」
「……知ってたんだ」
緑眼で睨まれ、ぎくりとした。今日も本当は友人に呼ばれていたのだ。すっぽかしたのは悪いことをしたけれど、飲み相手など探せばいくらでもいるだろう。隣の女じゃあるまいし。
「哀れみも同情もごめんだからね」
「そんなんじゃないって」
「じゃあなによ」
「うーん」
言葉は歯切れ悪く、嘘はバツが悪い。黙り込んだ私を見て、橋姫が鼻を鳴らした。ハンモックがぐらぐらと揺れた。
「別によかったのに。気を使ってくれなくたって」
私はあんたの巣には引っかからないんだから、と。そう独り言ちた。聞き逃せなかったけれど、言葉は飲みこんだ。見据えるのは、彼女が守るべき橋の方向。闇に飲まれて、夜目の効く私でも見えない。反して彼女の瞳には、そのさまがくっきりと映っているようだった。灯りの網目からひと際外れた、渡るものの途絶えた橋。楼閣から零れ落ちた彼女は、日々を淋しがっている。
「私だって、哀れみであんたと付き合ったりしないよ」
「どうだか」
「今日だって面倒くさい女だなって思ってたもん」
「はっ、悪うござんした」
「好きでやってることだしね」
「人気者は懐が深いわね」
調子をつけるように、蜘蛛糸の縁から足をぶらつかせた。パルスィがやめろとたしなめた。足を止めても、蜘蛛の揺り籠はしばらく揺れたままだった。もうしばらく街灯りを眺めてから、二人で帰った。
岩宿の家に戻ってから、物置の行灯を探した。明日は巣を広げるのだ。狭い地底でも、未開拓のところは山積みだ。例えば、朱塗りの橋とか。
長編の導入の様な始まりは凄く好みなのですが、あっさり終わってしまってがっかりしました。
結局何だったのかよくわかりませんでした