Coolier - 新生・東方創想話

将棋対決、阿求vs永琳

2017/08/10 23:23:42
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普段であれば閑静な竹林だった。だが今日は、何十人もの熱気に永遠亭は包まれていた。
彼らの視線は二人の女性に向けられている。
八意永琳、そして稗田阿求に。
二人の間には将棋盤があり、駒が四方に入り乱れている。
8畳ほどの質素な和室で、二人は相手の顔も見ず、盤面を睨んでいる。
時折外より聞こえるししおどしの、岩を叩く音が、あたりの静けさを際立たせている。けれど遠巻きに二人を見ている者には、静けさの中に刃を研ぎ澄ませている、二人の姿が熱く映ったであろう。
「十秒」
二人の隣で鈴仙は、真剣な面持ちで残り時間を読み上げる。二人ともすでに残り時間を使いきっており、待ち時間は互いに一分だけとなっていた。
ぱちん、と小気味好い音がした。
「先手、2四角」
阿求が永琳の玉の上に角を動かし、逃げ道を塞いだ。
少しずつ玉は、阿求の築いた包囲網の中に追い込まれつつあった。
駒を打ち終わった阿求は背を正すと、じっと盤面を見つめた。
状況は阿求にとって、かなり有利だった。手を誤らなければ、このまま永琳を追い詰められるだろう。だが阿求は、相手が幻想郷屈指の天才だということを十分に理解をしていた。少しでも油断をすれば、簡単に逆転されそうな予感を感じていた。
阿求は横目で永琳の顔を伺った。彼女は顎に手を当て、盤面を覗き込んでいた。敗勢とはいえ、諦めた様子はみられない。
阿求は拳を握り締め、再び盤面を睨みつけた。
阿求にとって、そして幻想郷の人間にとって、この勝負は負けられなかった。
負けてはいけない戦いだった。


人間の里で将棋が盛んになったのは、だいたい一ヶ月ほど前、短い梅雨が明け始めた頃であった。
以前より将棋は人間、妖怪問わず行われていたが、この一ヶ月ほどは寺子屋に張ったばかりの小さな子から、髪の抜けた老人まで、老若男女問わずやられるようになった。軒先きで、縁側で、木陰の下で、将棋盤を持ち込み二人向かい合う風景が至る所で見られるようになった。
なぜ将棋が流行りだしたかについては、実のところ誰にも分からなかった。外の世界で将棋が廃れたから、という者もいれば、逆に外で将棋が流行り、その影響が幻想郷にまで及んだという者もいた。天狗の内でブームになったのがきっかけとも、博麗神社が将棋にちなんだ祭りを企てているとも、嘘か本当かわからないような話が飛び交っていたが、実のところ発端を気にしている者など、誰もいなかった。しかし私が思うに……
「煩い煩い。そんなのは歴史家に任せとけ」
霧雨魔理沙はそう言いながら、阿求の陣地に飛車を打ち込んだ。長い移動範囲を誇る飛車は、私の王将に対して大きなプレッシャーをかけていた。
稗田家の邸宅。つまり私の家の居間で、私と魔理沙は将棋盤を挟んで向かい合っていた。
香車、銀将、そして飛車。魔理沙は次々と駒を打ち込み、私の築いた陣地に飛びかかってくる。一枚一枚は大したことがないが、数が集まれば強大な力となる。そろそろ私の陣地も限界を迎えようとしていた。
ため息を吐き、駒台に手を向ける。
「……私はその歴史家なんですよね」
魔理沙の王の斜め上に角を打ち込む。途端に、ゲッ、と魔理沙が呻いた。
飛車と角は大駒と言い、将棋の駒の中でも特に強い力を持っている。このニ駒をいかに活躍させるかが、勝負の鍵となる。
私の打ち込んだ角は、王にも飛車にも矛先を向けていた。魔理沙がどんな手を打とうが、攻めの要となっている飛車は死ぬ。私の計画通りに。
「お前、最初からそのつもりでやってたな?」
「あなたが迂闊なんですよ。ちゃんと周りの駒をみないと」
飛車が取られれば魔理沙の攻めは続かない。大駒を料理した後で、駒台の上にある、豊富な持ち駒で畳み掛ければ、ほどなくして魔理沙は詰むだろう。
逆転の目は無い。それが分かっているのか、魔理沙は頭を下げた。
「負けました。……やっぱり、お前って強いな」
「年の功ですよ、年の功。人の何倍も生きていますから」
私はそう言って肩をすくめた。
将棋は相手より早く、長い手数を思い描くことができれば、勝つことができる。だから老人と若者が対局した場合、頭の回転が早い若者の方が有利だと思われがちである。しかし実際には年配の者の方が強い場合も珍しく無い。
将棋は頭の回転と同じくらいに、「経験」が重要視される。何百局、何千局と指してきた場数が、知らず知らずのうちに頭の中に蓄積されている。その膨大な経験から、ふとした拍子に名手が見えてくるのだ。だから多少、年をとったところで、圧倒的な経験があれば老人が若者を負かせることなど、よくある話だった。
そして私は能力の都合上、他人の何十倍もの経験をしていた。だからこそ、人間相手であれば負ける気はしなかった。
「でも魔理沙もうまかったわ。中盤からの猛攻なんて、途中で途切れるかと思ったけど、私の見立てが甘かったわ」
「よく言うよ。こっちの攻めゴマを粉砕しておいてさ」
「いやいや。本当に褒めているのよ」
私の言葉に嘘はない。魔理沙は荒削りではあるものの、攻めるタイミングや駒のさばきかたなど、筋が良かった。意外なことに、彼女には将棋の才能がありそうだった。
「まあ、私もまだまだってことが分かって良かったぜ。ちょっと気を引き締めて行くとするか」
「行くってどこに?」
「知らないのか? 今日は博麗神社で将棋大会をするんだぜ。で、私も参加するってわけだ」
そういえばそのような話を、寺子屋で聞いた覚えがある。生徒の何人かは参加するとかなんとか言っていた。
「妖怪も出るみたいだからな。腕がなるぜ」
「魔理沙なら良いとこ行けると思うわよ」
「ありがとよ」
立ち上がると魔理沙は、私に向かい笑いかけ、襖を開いた。じゃあな、と言って足早に出て言った後には、書院造りの部屋を静けさが満たした。
「将棋大会、かあ」
なんとなく気になった。恐らく結構な人数が集まるだろう。あまり大勢の前で将棋をするのは好きでは無いから、出ようとは思わないけれど、様子を見るくらいは良いかもしれない。
特にやることも無い私は、そんなことを考えて外に出ようとした。けれど戸口を開いた時に玄関先の熱気が押し寄せてきて、慌てて扉を閉めた。
「……やっぱり後で行こう」
将棋が終わるのは夕方頃だろう。その頃になれば暑さも弱まっているはずだった。諦めて私は部屋に戻ることにした。


ひぐらしの鳴き声が聞こえる中、私は石段を昇っていた。
空にはきれいな夕焼けがあり、ところどころに綿雲が浮かんでいた。このくらいの時分になると、大分風も涼しくなってくる。上を見上げると神社の大鳥居が斜陽の中で輝いていた。
そろそろ神社の屋根が見えてくる、という辺りまで昇ったとき、上から怒号が聞こえてきて、眉をひそめた。何人もの人がわあわあ、わあわあ騒いでいるらしい。急ぎ足で石段を駆け上がると、賽銭箱のあたりに人だかりができ、何故だかもみ合いになっていた。
人だかりの後ろで、呆気にとられたように立ち尽くしている、魂魄妖夢の姿を見つけた私は、とっさに駆け寄った。
「一体、なんの騒ぎですか?」
「ああ。阿求さんですか。あっちを見てください」
妖夢の指差した方向、すなわち騒ぎの中心部を見ると、鈴仙と魔理沙がお互いに掴み合い、にらみ合っていた。
「鈴仙さんがバカにしたんですよ」
「何を?」
「将棋をです」
妖夢はこちらに顔を向けた。
「将棋大会の最中に、鈴仙さんが薬を売りに神社に訪れました。けれど何か言い争いが始まったんです」
きっかけはわからないが、鈴仙と魔理沙が言い争いを始めたらしい。周囲の人も当初は面倒そうに見ているだけだった。けれど勢い余った鈴仙が、よりにもよって将棋大会の場で将棋のことをけなしてしまった。
「魔理沙さんを攻撃するためでしょうが、将棋をやるなんて時間の無駄だとか、なんの意味もないゲームだとか言ってしまったんですよ」
「それは駄目じゃない」
「駄目ですよ。だからみんな怒っているんです」
話題が将棋に及んだばかりに、周囲の人間も巻き込んだ言い争いになってしまった。阿求がやってきたのは、今にも掴み合いになりそうな、そんな一瞬即発の場面であった。
耳をすませば今も、妖夢が言ったようなことを、鈴仙は言っていた。終わったゲーム。無意味、無価値。
「よおし。そんなに言うのなら、勝負してやろうじゃないか」
魔理沙が怒気をはらんだ声で、鈴仙に言い放った。勝負、と言う言葉に首をかしげた鈴仙に、魔理沙は詰め寄った。
「将棋だよ。将棋。くだらないって言うのは将棋で私を黙らせてからにしな」
そうだ、そうだと周りの人垣が怒声を浴びせる。
彼らの言葉を、しかし鈴仙は鼻で笑った。そして得意げに笑った。
「どうなっても知りませんよ?」


将棋大会で、魔理沙は優勝寸前だったという。寸前、というのは決勝戦が始まる直前に鈴仙が乱入して、試合が流れてしまったからだ。
「魔理沙さんはとにかく攻めが鋭いんです」
私の隣で妖夢は呟いた。
「飛車を振ってから、怒涛の勢いで攻めてくるんですよ」
確かに私が見た魔理沙の棋風も、妖夢の言う通りだった。将棋は大きく居飛車と振り飛車に分かれている。飛車は単騎で強い攻撃力を持っているため、その使い道が勝負を左右する。振り飛車は飛車を動かすため、隙が生まれやすいが、その反面相手の隙を奇襲的に攻めることができ、攻撃力に優れている。一方で居飛車は安定的しているため、居飛車を指す人の方が実際は多い。
魔理沙は振り飛車を多用し、とにかく相手を攻め立てるという棋風だった。その分、防御がおろそかになるのだが、先に相手を攻めきればいいという単純だが、強力な戦法を武器にしていた。
少なくとも私が見る限り、攻めにおいては里の中でも一二を争うほどだった。
「……だから信じられません。こんな局面になるなんて」
魔理沙の陣地は蹂躙されていた。
大駒の枚数こそ優っているものの、戦場から遠く離され、戦いに絡むことすらできていない。その一方で鈴仙は、攻防に役立つ金や銀を豊富に持ち、多数の駒の連携により、魔理沙の駒を剥ぎ取っていく。
「……っく!」
うめく魔理沙だが、大駒を回そうにも幾重にも重なった鈴仙の駒の厚みに、成すすべがない。
鈴仙の攻めは、魔理沙の攻めと比べ圧倒的に早かった。
強い力を持つ大駒を、躊躇なく切り捨て、乱れた魔理沙の陣形を徹底的に切り崩していった。もはや目の前で行われているのは、戦いではなくリンチだった。先ほどまで盛んに野次を送っていた町衆も、不気味なほど静まり返り盤面を呆然と見ていた。
そして鈴仙が、魔理沙の王の喉元に銀を打ち付けた時、魔理沙の心が折れた。
「……負けました」
がっくりと肩を落とす魔理沙に向かい、鈴仙は嘲笑った。
「どうしたの? 大口たたいて、その程度?」
魔理沙の顔が朱色に変わるが、何も言い返すことができないのか、口を一文字にして黙り込んでいた
。しかしその手は、血管が浮き出るほどに握り締められていた。
「じゃあ文句ないわよね。将棋はもう終わったゲームだということで」
「ちょっとその口を閉じなさい。鈴仙」
気がつけば私は言い放っていた。きょとんとした鈴仙だが、私が前に進み出て、魔理沙の脇に立つと、目の色が変わった。
「なんのつもり?」
「何度も言うつもりは無いわ。その口を閉じてここから立ち去りなさい」
「嫌だと言ったら?」
「これで黙らせるだけよ」
私は右手を突き出し、人差し指と中指をピンとのばし。そして空中に打ち付けた。そこに将棋の駒を握っているようにして。鈴仙の口の端が上がり、彼女は面妖に笑った。
「黙るのはどちらかしらね?」
鈴仙は将棋盤の手前に座り込み、駒を並び始めた。私は座ったままの魔理沙の方に手を乗せる。見上げた魔理沙の目に力はなかったが、その奥に確かな光を感じた。勝ってくれ。そう言っている気がした。
立ち上がった魔理沙と入れ替わりで、私は将棋盤の前に座った。


今度の勝負も一方的だった。
私と鈴仙はともに居飛車を選択。そして私に隙があると見た鈴仙は、最強の防御力を誇るが、組み上げるのに時間がかかる穴熊囲いを目論んだ。
しかし鈴仙の考えを、すでに私は読んでいた。穴熊への囲い始めの、隙のできた中央に対して強襲し、一気に優位にたった。そこから先はひたすら鈴仙の陣地を粉砕するだけだった。やられたらやり返す。魔理沙に対してやったことを、そのまま私は鈴仙にやり返した。
顔を真っ赤にして盤面をにらむ鈴仙だが、もはや挽回はできない。あとは鈴仙が諦めるまで指し進めるだけだった。
「……こんな、こんなことって」
ブツブツと呟く鈴仙。勝負は決した。そう思った。しばらくして鈴仙ががっくりと首を下げた。
「負けまし……」
「無様ですね、鈴仙」
突然鈴仙の背後から声が聞こえ、私は目を丸くした。先ほどまで何も無かった場所に、一人の赤と青の服を着た、女性が立っていた。八意永琳は私たちを冷たく見下ろしていた。
唇を噛み締め、鈴仙は固まっている。そんな彼女を無視して、永琳は私に礼をした。
「失礼しました。どうやら永遠亭の者が迷惑をかけたみたいで」
突然に慇懃無礼な態度で出られて、私はどうしたものかと周囲を見回した。けれど魔理沙達も同じようにどうしていいのか分からないようで、互いに顔を見合わせていた。
「大変申し訳ございませんでした。ほら。鈴仙も」
永琳に言われて、慌てて鈴仙は頭を下げた。ますますどうすれば良いのか、分からなくなったと思いつつ、私は顔を上げた。
「そ、そんなに謝らないでください。かえって悪い気がします」
「しかし」
「とにかく良いんです。それに将棋は私が勝ちましたし、もう手打ちということで……」
頭をかきつつ永琳に言うが、当の永琳は首を傾げた。
「え? この勝負、鈴仙が勝っていますよ」
何を言っているんだ、この医者は。そう思った私は、怪訝な表情を浮かべた。しかし永琳が盤の隣に座り込み、早い手つきで盤面を進めていくうちに、私の顔は段々と白くなっていった。
私が圧倒的に有利だと思っていた。しかし限られた駒で、永琳は私の陣地を崩していく。気がつけば最小の駒により、盤面は見事に逆転していた。
呆気にとられて将棋盤を何度も見返したが、まるで魔法のように戦況は激変していた。
何も言えない私たちに、永琳は静かに言った。
「鈴仙が無礼なことを言ったのは謝ります。ただ私も将棋は終わったゲームだと考えています」
立ち去ろうとした永琳の手を、私は慌てて掴んだ。
「待って」
「なんでしょうか?」
冷たい永琳の目をみて、私の心臓は震えた。先ほどの手筋だけ見ても、永琳は私以上の実力者だった。そんな彼女に何か言う筋合いは、私にあるのだろうか。
けれど考える前に、私の口が開いた。
「終わったかどうかなんて、私を倒してから言いなさい」
魔理沙が、鈴仙が、そして町衆が目を見開いた。あたりには気味が悪いほどの静けさに満ちていた。どれくらいの時間が経っただろう。たった十秒かもしれないし、一分かもしれない。あるいはもっと長かったかもしれない。しばらくして永琳はため息を吐いた。
「今日はやめましょう。もう日が遅い」
空を見上げると、確かに日は沈み、あたりは星空が覆っていた。
「明日の正午。永遠亭にてやりましょう。嫌でしたら断っても構いません。あなたにとってなんの益にもならない勝負ですから」
ここまで来て、やっぱり辞めますとは言えなかった。私は首を振った。
「逃げないわよ。私は」
「そうですか。では明日、竹林にきて下さい」
そう言い残して永琳は背を向けると、鈴仙とともにどこかへと消えていった。
慌てて里の者や魔理沙が、私に駆け寄ってくる。
「おいどうするんだよ、阿求!」
私が聞きたいわ。
そう思いつつ、成り行きでなってしまった事態に頭を抱えた。


永遠亭に訪れたのは、私だけではなかった。魔理沙や妖夢。それに里の者が十人近くともに集まった。
「あんな失礼なことを言われて、黙って見過ごすわけにはいかねえ!」
そういうのは八百屋の親父で、魚屋や酒屋の主人も首を大きく振って頷いた。
私だって同じ気持ちだった。けれどどうしても気になることがあった。
はたして永琳は、どういうつもりで『将棋は終わったゲーム』だなんて言ったのだろう。
悶々と考えるうちに、気がつけば対局時間になった。永遠亭奥の質素な和室で、私と永琳は向かい合った。部屋の襖は開け放たれ、隣の部屋より応援に駆けつけた里の者の熱い視線を感じる。
私と永琳の横には、記録係として鈴仙が机を前に座っていた。
振り駒の結果、先手になった私は、息を吸い込み一手目を指した。
「先手、7六歩」
角道を開け、まだ戦法を明かさない私に対して、永琳は飛車先の歩を開けた。居飛車。彼女は正攻法で攻めるつもりらしい。
恐らく普通に指していては、私は勝てない。だから私は、計画通り普通ではない手を指した。
「先手、5六歩!?」
王の上の歩をつく。その意図は即ち。
「……乱戦狙い、というわけね」
殴り合いをしよう。そういう意図を察しただろう永琳は、私に小さく笑った。私も永琳をにらみつつ、口の端を上げた。
稗田の血族と、月の賢者の殴り合いが、こうして始まった。


なぜ幻想郷で将棋が流行ったのか。
私には一つの考えがあった。
妖怪と人間は力が違う。追いかけっこでも高飛びでも、人間は妖怪に勝つことができない。対等に戦うことができるのは、霊夢や魔理沙のような、一部の力を持った人間だけだ。ではそれ以外の人間は、妖怪と対等な関係を持つことはできないのだろうか? ただの人間は、妖怪に届かないのだろうか。
確かに力比べでは、人間にはどうしようもなかった。けれど決して何もないわけではなかった。
人間と妖怪が対等な関係で居られる手段。私は、それがゲームだと思った。
将棋、囲碁、麻雀、チェス。ルールに縛られた空間であれば、妖怪と人間は対等にいることができた。
その気になれば、誰とでも繋がれる。それこそがゲームの価値だと思う。
だからこそ、ゲームを、将棋を否定する永琳を、私は許せなかった。
「先手、6一銀!」
飛車取りに見せかけ、王の逃げ道を潰す。上辺にはすでに歩を回り込ませており、永琳の陣形への楔となっている。
私は圧倒的な力を持つ永琳を、着実に追い詰めていた。
もう少しで永琳の王に手が届く。けれど私は安堵することなく、永琳の手つきをじっと見つめていた。
永琳はたまらず飛車を逃すが、その隙に角を回り込ませて王手をかけ、一気に壁際へと追い詰める。あともう一駒あれば勝てる。そんなところまで、永琳の王を追い詰めていた。
そのとき永琳は、私の王の横、香の前に歩を放った。
今更、端攻め?
将棋盤の端は隙ができやすく、攻撃を受けやすい。けれど王が追い詰められている状態で端攻めをするというのは、いささか悠長すぎるように思えた。わたしは迷わず取ると、さらに永琳は歩を重ねてきた。取る。打つ。取る。そしてまた打つ。
歩の四連続ただ捨て。意図がつかめず私は不気味なものを感じるが、無視するわけにはいかなかった。
恐る恐る歩をとる。すると永琳は、私の王の頭上に桂馬を打ち込んできた。
「……あ」
桂馬は特殊な動きをする。この駒だけ、他の駒を飛び越えて攻撃をすることができるのだ。だから奇襲をする際には重宝される。今のように。
永琳の桂馬が私の王に刃を向けていた。
桂馬を取ることは簡単だった。けれどそうすれば、私の陣地に致命的な隙ができてしまう。仮に隙を対象できたところで、つい数手前まで遊び駒だった角や飛車といった大駒が、私の陣地に大きくにらみを利かせていて、どこからでも攻め込めるようになっていた。
一方で永琳の王は一見詰められそうなものの、考えても考えても詰め筋が見つからない。
私の背筋に冷たいものが走った。
永琳は自分の王が詰められないことに気づいていた。だから紙一重で避けつつ、密かに私の王を囲い込んでいた。
一体いつからだ? 私は思い返そうとした途端、心臓をわし掴みされたような感覚を覚えた。私は悪手はしていない。着実に永琳の王を追い詰めていたはずだった。そして永琳は時折よくわからない手を放ちながら、私の鼻先すれすれを逃げていた。
だが、あのとき意味がわからないと思った駒の動きが、全て繋がることによって私の王を追い詰めていた。だから永琳はずっと前に、それこそ二十手、いや、三十手前から今の局面を読みきっていた。私の行動も含めて。
私が追い詰めていたように思っていたのは、永琳が用意した幻で、私は永琳の手の平で踊っていたにすぎなかった。
苦し紛れに攻めてみるものの、軽くいなされる。一方で私の王は着実に追いつめられていた。
どうしようもなかった。
私は頭を下げた。
「……負けました」
怒りも悔しさも湧き上がってこなかった。ただ頭に思い浮かぶのは、なぜ、という言葉だけだった。振り返ってみても、自分が間違えた場所が分からなかった。気がつくと勝負が決まっていた。
なぜ、こんなことになったのか。私には分からなかった。顔を上げると、そこには物静かに見下ろす永琳の姿があった。
まるでなんでもないことのように、じっと座している彼女の姿に、敵わないと思ってしまった。
鈴仙も、魔理沙も妖夢も、そして里の人々も何も言わなかった。きっと、何も言えないのだろう。それほどまでに、永琳の手筋は次元が違っていた。
「もし、もう一度挑もうと考えているのでしたら、辞めた方が賢明です」
唐突に永琳が口を開いた。盤面から顔を上げると、永琳と目があった。なぜか彼女の目からは、とても優しい印象を受けた。
私は視線だけで、なぜ、と問うた。
「私は将棋が終わったゲームだと言いました。なぜだかわかりますか?」
そのことを来るときにも考えていた。一体どういうつもりで永琳が言ったのか、私には分からなかった。だから私は、黙って首を振った
永琳は静かに息を吐き、私の目をみつめた。
「全て計算しきったからです」
「……はい?」
「将棋は原理上、正解があります。絶対に勝つ手順があります。私は将棋の持つ膨大な手数を計算し、結論を出しました。先手必勝、とね」
計算した。……全ての手順を?
私は理解できなかった。いや、正直に言おう。理解したくなかった。
囲碁にしろチェスにしろオセロにしろ、これらのゲームは「正解」が存在する。しかし何億、何兆という手順を紐解かなければ正解に達することはできない。だからこれらのゲームは、ゲームとして存続できた。
しかしもし、将棋の正解が分かったら? どう打てば必勝になるか導いてしまったら? それでは勝負がとして成り立たない。ゲームとして死んでしまう。
「だから私はいったのです。将棋は終わったのだと」
今思えば鈴仙が将棋を馬鹿にしていたのも、永琳が将棋を正解したと知っていたからだ。だから将棋大会の場で、あのような発言をしてしまったのだ。
将棋は終わった。
その言葉が頭の中にこだました。
永琳は優しく、だけど哀しく笑った。
「傷つけてしまってごめんなさい。将棋の正解は、誰にも教えはしません。だから……今日のことは忘れてください」
そう。きっとそれが一番いいんだろう。帰って忘れて、また明日から気にせず将棋をする。それが一番幸せなんだろう。
けれど私は、将棋が正解するところを見てしまった。どれだけ忘れようとしても、きっと忘れることはできないのだろう。
……いや。
私は頭を振った。
忘れる。それは本当に正しいことだろうか。
将棋は妖怪と対等の立場に立つための、ゲームだと思っていた。だから将棋の死から目をそらすということは、妖怪との関係から目をそらすことのように、思えて仕方なかった。
それになにより。
「……そんなの、悔しいじゃない」
「……何か言いましたか?」
私のつぶやきが聞こえなかったのか、永琳は私には顔を近づけた。
あからさまに哀れみを表した、永琳の顔が、無性に腹立たしかった。だから私は言い放った。
「もう一回、勝負しましょう」
「……無駄ですよ。私が勝ちます」
即座に言い返す永琳に向けて、私は不敵に笑った。
「いいえ、あなたに勝つ方法はあるわ」
ししおどしが落ちる音が聞こえた。永琳は眉をわずかにあげた。そして静かに、諭すようなこえを出した。
「そんなこと不可能です」
そう。一見すると不可能だ。だけど私が勝つ可能性を、永琳自身が先ほど言っていた。私は瞬きもせず永琳に顔を近づけた。
「可能よ。私が先手を指せば」
将棋は先手必勝。他ならぬ永琳が、先ほど言った言葉だ。
永琳は目を見開いた。何か言おうとして開けた口は、何度も動こうとしていたが、声は出てこなかった。そりゃあそうでしょう。私は宣言をしているのだ。つまり……。
「私は正解を見つける。いつか、必ず」
人間とそれ以外の者。圧倒的に力が違う両者だが、必ず私は、私たち人間は彼らと対等に並び立つ。そう、私は言った。
そうだ。と声がきこえた。
振り返ると、魔理沙が、妖夢が、そして里の人々が、口々に、思い思いに私に声をかけていた。
「その通りだ阿求!」
「俺たちはまだ負けたわけじゃねえ!」
「俺たちも見つけるんだ、正解ってやつを!」
「だから、頑張れ阿求!」
私は笑みがこぼれるのを、抑えきれなかった。どうするべきかとあたふたしている鈴仙の横で、私は一人、拳を握りしめた。そして言った。
「永琳。今は、確かに私は勝てない。だけどきっと、いつか、あなたに追いつく。私達は、正解にたどり着く」
「はてさて。いったい何百年後になるのでしょうか?」
「そんなに待たせる気は無いわ。私は千年以上も記憶を重ねられる。常人にはできないほどたくさんの経験を積むことができる。だから断言するわ。必ず正解にたどり着けるって。それに……」
私はにっこりと、永琳に微笑みかけた。
「待つのは得意でしょ。貴方達は」
永琳は苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
「違いないわ」
そして私達は顔を見合わせ、互いに笑いあった。
今はまだ対等ではない。けれど私達はきっと彼女達に追いつく。そう心に誓った。


そして改めて思うのだ。結局のところ、私達は将棋が好きなのだと。
「りゅうおうのおしごと」がとても面白かったので、そんな話を書こうと思ったら、なんか違う方向に行ってしまったぞ……?

それはともかく、8月11日に行われるコミックマーケットに参加します。東4 ヤ50a「わらびボックス」にて新刊頒布を行いますので、もしよろしければお立ち寄り頂ければ幸いです
maro
[email protected]
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コメント



0.70簡易評価
2.80名前が無い程度の能力削除
だから天才相手には殴り合いしかゲームにならんというのだ
3.100リペヤー削除
やはり将棋は良い……
藤井四段やコンピューターが名人を破るなど、最近の棋界はいろいろと盛り上がっている中、このSSはビビッときました。
永琳にとっては終わったゲームかもしれずとも、宇宙より広い81マスは人間にとっては無限に終わらぬゲームなのですから。
5.80奇声を発する程度の能力削除
楽しめました
6.40名前が無い程度の能力削除
キャラがガキなのか作者がガキなのか。
7.無評価名前が無い程度の能力削除
名手じゃなく妙手。先手番二人になってる。経験則じゃなく大局観。なんか適当に書いてる感が半端じゃなく文章から匂った。将棋なめんなよ。
8.80名前が無い程度の能力削除
弾幕ごっこという「ゲーム」に参加できない阿求が、
「人間と妖怪が対等な関係で居られる手段。私は、それがゲームだと思った」
という熱い思いを持って将棋を指していて素敵だと思いました。
幻想郷の住人たちが将棋を楽しんでいる雰囲気が伝わってきて心地よかったです。