もう、さよならしなくちゃいけないんだね。
独り言のようにそう言って、妹様は寂しそうに微笑んだ。
夏の初め、じんわりと生暖かい風が吹き付けるような、そんな夜だった。
遠くの方では、花火が上がっている。
人里で大きな祭りをやると言っていたし、多分それだろう。
浮かんでは消える光を眺めながら、私と妹様は一緒にいた。
「……どうあっても、考え直してはくれないのですね」
「わたしが自分で決めたことだもの。後悔なんてないわよ」
妹様は一年のなかで、この日しか地下から出てこない。出てこられないように、妹様が自分で魔法をかけた。
わたしは外に出てはいけないのよ、そう妹様は言った。
生まれてから、壊れることと壊すことだけを繰り返してきた。
その度にわたしの身体はズタズタになって、それを見たお姉様が傷ついて、そんなことを数え切れないほど繰り返してきた。
何度お姉様を泣かせたか分からない。何度お姉様を悲しませたか考えたくもない。
だから、わたしは閉じこもることにしたの、そう妹様は言った。
そうして妹様が閉じこもったのは、もう百年以上も前のことになる。
「さびしく、ないんですか。独りで、あんな所にずっとだなんて」
「あなた、去年もそれ言ってたわよ。いい加減、慣れてくれないかしら」
「慣れることなんて出来ませんよ。明日からまた一年、妹様はいないのですから。」
淋しかった。
明日にはもう妹様はいなくて、それを私にはどうすることもできなくて、それが悲しかった。
無理矢理にでも地下から出そう、と考えたこともある。
でもそれは、私の一人よがりな淋しさを押し付けて、妹様の優しさを無視することになってしまう。
そう思うと私の体は、鉛のように重たくなってしまって、どこへも動き出せない。
だから、一年間待つことしかできなかった。一年待てば、会いに来てくれるのだから。だから、無理にでも我慢した。
それでも淋しさは、私の体中にべったりと張り付いている。消えることはなさそうだった。
「もう百年以上前になるのね。わたしが閉じこもることに決めたのって」
「……もうやめませんか。百年ですよ、百年。誰もあなたを責めたりなんかしないですよ」
「わたしがわたしを許していないわ。あと数百年ほどはこのままよ」
「みんなだって、妹様の不在を悲しんでいます。それでも、だめですか」
「それでも、よ。わたしはこう見えて、頑固なんだから」
「……ケチです」
「もう、あなたってそんなに我儘だったかしら」
そう言って、妹様は私の顔に両手をのばして、そのまま抱きしめてきた。
「……肩くらいなら使っていいわよ。小さいけれど」
「あったかいです。あったかい。いいにおいがします」
「でしょうでしょう。……ほんとは、ね。ほんとは、わたしだってさびしいのよ。だから毎年、出てくるのよ」
「知ってますよ。分かってますよ。悲しい思いをさせて、ごめんなさい」
「わたしもよ。毎年待たせて、ごめんなさい。」
「……明日になったら、もういないんですね。考えたくないです」
空が明るく光った。火の花が夜空に咲いて、どぉんと大きな音がなった。
ひゅうん、と擦り切れるような音がして、大きな花が咲く。
咲いては消え、咲いては消え、大きな音だけを残してゆく。
花びらが一枚一枚落ちるように、光の粒が消えていく様が、無性に切なかった。
「ね、美鈴。花火、綺麗ね」
「そう、ですね。綺麗です。泣きたくなるくらい、きれいです」
「悲しんでばかりね、あなた。……ちょっと待ってなさい」
そう言って妹様は急に飛び上がった。
花火の上がる夜空を背にして、柔らかそうな目で私を見ている。
花火の光と背中の羽が反射して、いっぱいの光の粒が私の目の前を流れている。
金色の髪と七色の結晶が火の花で咲いて、眩しいくらいだった。
「めいりん。ねえ、めいりん。笑ってちょうだい。どうか、悲しまないで」
「わら、ってるじゃないですか。ほら、こんなに、笑顔です」
「あなたの笑顔が好きよ。だから、ずっと笑っていてね」
「……おいていかないで下さい。私も連れて行って下さいよ」
「きっと、一年なんてすぐなのよ。あなたが待ってくれているんですもの」
ひと際大きな光が、空を包んだ。
終わりを告げるようにいくつもの花火が、空に咲いては消えていく。
淡い光のなかで、妹様は私に笑いかけた。
「また、来年逢いましょう。一年は、きっとすぐよ」
私の視界は光で満たされた。
どこまでもキラキラしていて、それが花火の光か自分の涙かは、分からなかった。
花火の音だけが空にいつまでも残っていて、その音だけで私は泣いてしまいそうだった。
***
妹様がいない日常は、一日一日がとても長く感じられた。
どこを見ても妹様はいなくて、しっかりしなさい、と思い直すたびに悲しくなった。
記憶のなかに妹様はいつでもいる。
でもそれは決して暖かくなんかなくて、どこか冷たい無機物のような、トゲトゲしたものだった。
声にはノイズがかかって、輪郭はぼやけていて、なにかが不完全だった。
しまいには、輪郭の境界は溶け出して、声はノイズだけになってしまう。
記憶のなかには、妹様だったなにかだけが残されている。
死に別れたわけじゃない。一生会えなくなったわけでもない。
だからこそ、余計に悲しかった。
同じ場所に暮らしていて、すぐにでも顔を見に行けるのに、それができない。
そんなもどかしさだけが、私の中に溜まっていった。
食事の準備中に間違って、妹様の分まで用意してしまったことがある。
お嬢様も咲夜さんもなにも言わなかったけれど、その食事中は会話が全然続かなかった。
残しても仕方ないので、妹様の分は自分で食べた。
何故自分がこれを食べているのだろう、そう思いながら食べ続けた。
皿が空っぽになっていくにつれ、妹様の不在を目の当たりにしている気がして、辛くなった。
これが美味しくなかったら、どれほどよかったか。
どうしようもなく美味しくて、それが私を余計に悲しくさせた。
普段から悲しく毎日を過ごしている、そんなことはない。
毎日のように門番をしっかり務めたし、お嬢様やパチュリー様とお茶を楽しむことだって少なくない。
咲夜さんとは人里に買い物に行ったりもした。小悪魔にはよく本を貸してもらった。
この紅魔館はどこか家族のように暖かくて、それは私にとって嬉しいことだった。
それでも、妹様を探してしまうことは、やめられなかった。
今さら妹様を忘れることなんて、出来るわけないのだ。
私の中で妹様は常に中心で、あのひとのいる日常が私の日常だった。
お嬢様に仕えていることを私は、一生誇るだろう。そう思わせてくれるのが、お嬢様だった。
妹様と一緒にいれることを私は、一生喜ぶだろう。そう思わせてくれるのが、妹様だった。
けれど私の日常から妹様は、ぽっかり穴が開いたように、いなくなった。
どこを探しても、妹様だけがいなかった。
それでも黙っていれば一年は経つのだから、それだけが救いだった。
紅白と白黒が来るまでの長い月日を、私はこんな風に過ごした。
散々暴れまわったあの二人だけど、感謝していることだってある。
少なくとも、妹様を外に連れ出す切っ掛けになったことは、ありがたいと思う。
ただ、私では外に出してやることができなかったのが、とても悔しい。
私は妹様になにもしてやれなかったことは、とても辛いことだ。
あの二人ならよくて、私ではダメだったのか。
今でも時々そんなことを考えて、ひっそりと私は苦しんだ。
***
「美鈴、美鈴。おーい、おきろ。………だめだこりゃ、すっかりねてる」
「んん、なんですかぁ。まだねかせてくださいよ、もう」
「いいから起きなさい。ここはわたしの部屋よ」
「なにいってるんですかぁ。……って、あれ、妹様!?」
「そうよ、妹様よ」
「お、おはようございます。今日もいい天気ですね」
「ここは地下よ、天気なんてしらないわ。ごまかさないで」
「あのー、なんで、妹様がいるんですか……?」
「あなたが一緒に寝たいって言ったんじゃないの。忘れたのかしら」
「ああー、そうでしたか。覚えてないなぁ」
「しかも、わたしはあなたに蹴られて起きたのだけど」
「それはその、寝相が悪くてすいません」
「あなたって、いつも泣いて眠るの? うなされて泣いてたから、起こしたんだけど」
「へ? あら、ほんとだ。どうしてですかね……」
「悪い夢でもみた?」
「あー、ほら、昔のことでちょっとですね」
「どの昔かしら。500年は意外と長いのよ」
「妹様が閉じこもっていた昔ですよ」
「ほんとうに随分と昔じゃない。美鈴はすっかり忘れたんだと思っていたんだけど」
「今でも泣くほど辛かったんですからね。簡単に忘れませんよ、こんなこと」
「あなたって、わりと泣き虫よね。すこし可愛いわ」
「誰のせいで泣いてると思っているんですか。責任をとれちくしょー」
「もしかして、一緒に寝たいってのも、そのせいかしら」
「実を言うと、はい。急に淋しくなっちゃいまして」
「やっぱり子供っぽいわよね、あなた。そんなに大きな体をしているのに」
「いじり倒さないでくださいよ。私だって困っているんですから」
「でも、そうね。悲しませてごめんなさい。もういなくなったりなんて、しないから」
「……いえ、私は。私が悪いのですから」
「ほら、悲しい顔をしないで。笑ってちょうだい。そっちの方が素敵よ」
「そんなこと言われたら、また泣いてしまうじゃないですか」
「じゃあ、思いっきり泣きなさい。肩は、かしてあげるから」
まるで昔のようだった。
何百年経っても、私も妹様も変わらなくて、それが懐かしくてすこし可笑しかった。
また泣いてしまえば、もっと妹様と一緒にいれるのだろうか。
それはすこし良いかもしれない。
そんなことを考える自分に笑ってしまいながら、やっぱり私は泣いた。
苦悩する美鈴。
私は大丈夫と宣言するフラン。
「枯れても枯れない花が咲く。僕の中に深く根を張る」
美鈴スキーな私にはご馳走様でした。
めーフラ流行れ。
めそめそと情けないめーりんが、なんだか懐かしく思いました。
甘えん坊な美鈴がよかったです
1年に一度しか会えない七夕のエピソードを活かした作品でした。
冒頭で「あれ?」と思ったら、昔のお話だったのですね。
アジアな七夕と洋風な紅魔館ってなかなかイメージ合わないですが、
この話は不思議と素敵に噛み合っていました。