お前なんかいらない。
わたしはわたしが好きではない。
破壊的で、嗜虐的で、感情的で、短絡的で、自己中心的なのがわたしだ。
こんなやつ、誰だって嫌いになるだろう。わたしだってそうだ。
まして好きになるなんて、気でも狂っているんじゃないか。どうかしている。
狂っている。そう、狂っている。わたしは、狂っているのだ。
自分でも自覚している。周りだって分かっているはずだろう。
だからわたしは、普段から閉じこもっている。
先日、絵を描いた。急に描きたくなって、思い付きのまま狂ったように勢いだけで描いた。
真っ赤な森が、わたしの前に完成した。自室の壁は、赤で塗りつぶされた。
その場の思い付きだったから、絵の具なんてものは最初から無い。けれど特に問題はなかった。
自分の血で絵を描いた。真っ赤な森を描いた。壁は、赤く紅く赤黒く紅黑く、わたしの色で染まった。
左腕を根元からちぎって、噴き出した自分の血で森をつくった。
葉っぱと幹で色の濃淡をつけるように、幹の部分に何度もちぎった腕をこすりつけた。
途中で左腕だけでは足りなくなって、左脚も膝当たりから手折った。再び、部屋中に赤と紅が飛び散った。
骨が飛び出していて邪魔くさく、バランスも取りにくくなったが、気にはならなかった。
どうせ身体なんてすぐに元通りになるのだし、なによりも、絵具の色が足りないことの方が気がかりだった。
そうしてわたしは、絵を描いた。病的なまでに濁り切った、ドロドロのなにかで壁は埋め尽くされた。
そこでふと我に返った。なんだか左半身が熱いし痛い。部屋は不思議と血生臭く、体中がべとべとする。
確認してみると、左腕と左脚がなくて肉片と血が壁中に飛び散っている。
なんだこれ、なんなんだこれ。だれがやったの。だれ、だれだれ、だれなの。
そう思ったけれど、すぐに自分の仕業だと思い出して、頭の中が気持ち悪さでいっぱいになった。
またおかしくなってしまった。また壊してしまった。また壊れてしまった。また狂ってしまった。
これのどこが森に見えるのだろうか。そもそも色からして違う。
腐った臭いがするような、ただただ不潔な、そんな印象の壁だった。断じて森ではない、ましてや絵ですらない。
膨れ上がった自己嫌悪が一斉にこみ上げてきて、わたしの感情はぐちゃぐちゃに潰された。
いつの間にか左半身は元通りになっていて、そんな都合のいい自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。
そのあと、運悪くお姉様に見つかってしまった。
ベタついた血だらけの体でいるのが嫌で、体を洗いに行こうとして、その途中で出くわした。
お姉様は一瞬ビックリしたような表情をしたあと、わたしに鬼気迫る勢いで状況を聞いてきた。
『おい、おい、大丈夫か、何があった。なんで、どうして、こんな……』
そんなことを尋ねながら、わたしの体の無事を確かめるように何度も何度も触れてきた。
けれど、わたしは何も言えなかった。自分の身体を引きちぎって遊んでました、なんて言えるわけがない。わたしは黙りこむしかなかった。
そうやって俯いたまま黙りこんでいるわたしをみて、お姉様はすっと抱きしめてきた。
『痛くはなかったか、苦しくはなかったか。ごめんなさいね、私がもっとしっかりしていれば。ごめんなさい』
そう言ったお姉様の方が何倍も痛そうで、何十倍も苦しそうだった。
お姉様は何も悪くはないのに、わたしに謝り続けた。繰り返すように何回でも謝り続けた。
わたしは何を言っていいか分からずに、お姉様の腕の中で、いっそう深く俯くことしかできなかった。
お姉様を傷つけてしまうくらいなら、わたしなんていらない。いなくなってくれ、そんな言葉を頭の中で吐き続けた。
それから、お姉様は咲夜を呼んでくると言って、休憩中の美鈴をわたしに付けていなくなった。
美鈴はわたしと視線を合わせるようにしゃがんで、お姉様と同じようにわたしの心配をした。
『大丈夫ですよ、妹様。吸血鬼に血はつきものですからね。お嬢様もよくこぼしてますし』
そう言う美鈴もやっぱり、自分が傷ついたような、苦しむような表情で心配をするのだった。
やめてほしかった。そんな顔をしてほしくなどないし、心配される価値なんてわたしにはない。
こんな、こんなやつ。勝手に狂って、自分の都合で壊して、救いようのないほど壊れているやつなんて。
わたしがおかしくなるたび、お姉様は、まるで自分が傷付けられたかのように、わたしを心配した。
その度、わたしを安心させようとして、わたしよりも遥かに苦しんだ。
そうさせる自分が嫌で嫌で、けれどわたしにはどうしようもなくて、遣り切れなさだけが増していった。
わたしなんていらない。わたしさえいなければ、お姉様もみんなも苦しまなくていい。
『さあ、体を洗いましょうよ。全身血だらけじゃないですか』
だから、そんな美鈴の気遣いも、わたしは素直に受け取ることができなかった。
美鈴は手をわたしの方へ差し出してきた。
その好意が、わたしにはひどく不釣り合いなもののようで、思わず手をはねのけた。
ボキン、とひとつ鈍い音がした。
美鈴の片腕は肘から、ぐにゃりと大きく歪んでいた。
わたしはなにが起こったのか、最初は分からなかった。
けれどすぐに、美鈴の声にならない痛みを聞いて、またわたしのせいだと思い知った。
力をいれたわけでも能力を使ったわけでもない。わたしはただ、美鈴にすこし触れただけなのに。
それなのに、こんな、こんなのは。どうして、わたしは、こんな。
もう美鈴を見ることすらできなかった。
取り返しのつかないことをしてしまった気がして、わたしはその場から逃げ出してしまった。
みんなといてはダメだ。ここにいてはダメだ。わたしがかかわってはダメだ。
そんな考えで頭の中がいっぱいになって、視界はグラグラと不安定に揺れていた。
それでも足は自然と地下室へ向かっていた。それだけが救いだった。
美鈴の好意に、私は敵意で答えて、あげく傷付けた。
怖くなって逃げ出して、気遣うことすらしなかった。
考えれば考えるほど、自分が嫌で嫌で仕方がない。今すぐにでも消えてしまいたかった。
そうしてわたしは地下に逃げた。
冷たい鉄の扉が、ごぉんと音を立ててゆっくりと閉じていく。
その頑丈そうな扉が、やけに壊れにくそうにみえて、皮肉だなと自嘲した。
***
おまえなんかいらない、と喜びながら『フランドール』が言った。
おまえなんかいらない、と怒りながら『フランドール』が言った。
おまえなんかいらない、と楽しみながら『フランドール』が言った。
わたしなんかいらない、と哀しそうに『わたし』は答えた。
三人の『フランドール』が、『わたし』を指さして口々に話している。
おまえなんかいなくなってくれ、とニコニコ喜びながら。
おまえのせいじゃないか、とキッと睨んで怒りながら。
おまえさえいなければ、とクスクス楽しそうに。
わたしはただただ哀しくて、そうだね、そうなんだよね、としか言えなかった。
わたしさえいなければ、お姉様は苦しまなくてすむ。美鈴だって傷つくことはなかった。
いつかパチュリーを壊してしまうかもしれない。咲夜を殺してしまうかもしれない。
それが怖くて、そうさせるわたしが怖くて、でもわたしにはそれをどうすることもできない。
誰かを頼ることは駄目だ。壊してしまうかもしれないから。
心配をかけることも駄目だ。そうしてもらうほどの価値はわたしにはない。
わたしは紅魔館のみんなが好きだ。
お姉様が好きで、美鈴が好きで、咲夜が好きで、パチュリーが好きで、小悪魔が好きだ。
このひとたちに笑っていてほしいと思っている。幸せでいてほしいと願っている。
だから、わたしはみんなといるべきではないのだ。
傷つけて、苦しませて、壊してしまうようなわたしなんかは。
三人の『フランドール』は、いつまでもわたしを罵倒し続けている。
わたしはもう哀しむことすらやめて、黙ってそれを聞いた。
その言葉一つ一つがどうにも否定できなくて、逃げるように部屋の隅で膝を抱えて目を閉じた。
しん、と静まり返った部屋の中で『フランドール』の声だけが、重たく響いた。
***
どのくらい時間が経ったかは分からない。
いつの間にか『フランドール』は消えていて、わたしはこの部屋にポツンと一人だった。
けれどすぐに、誰かが部屋に入ってくる気配がして、わたしは思わず顔を上げた。
美鈴だった。
右腕を包帯で何重にも包んで、首から下げて固定している。
一見なんでもなさそうな表情をしているけれど、明らかに顔色が悪い。
額にはいくつも脂汗が浮かんでいて、痛みに苦しんでいることがわかった。
それでも笑顔を向けてくるその姿が、あまりにも痛々しくて、直視などできなかった。
「なん、で。なんで、きたのよ」
「妹様とお話がしたくなりまして。謝りたいこともありましたし」
「なにを謝るっていうのよ!美鈴はなにもしてないじゃない!わたしが、わたしが……」
「いいえ、私の気遣いが足りませんでした。すいませんでした」
そう言って美鈴は頭を下げた。
わたしが悪いのに。わたしが傷付けたのに。
それでも謝る美鈴を見て、訳も分からずに怒鳴り散らした。
「……っ、気遣いならしてくれたじゃない。心配だってしてくれた。なんなの、いったいなんだっていうの」
「んー、なんですかねぇ。ああ、ほら、好きな人には優しくするじゃないですか。それですよ」
「……なんで、なんでわたしに優しくするの。お姉様も、美鈴も。こんなわたしなんて、嫌われて当然じゃない!こんなにおかしくて、壊れているわたしのどこに優しくする価値があるっていうのよ!自分で自分を壊して、美鈴も壊そうとして。次はほんとうに殺してしまうかもしれないのよ!?それだけは、いや。いやなのよ……」
わたしは怒鳴りながら泣いていた。
遣り切れなさや淋しさや理不尽さが、一斉にわたしの中からあふれ出た。
そんなわたしを見て、美鈴はわたしに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「壊れていたって、おかしくたって、それが妹様を好きでなくなる理由にはなりません。私も、お嬢様も、皆もです。あなたは好かれています。あなたは愛されています。だから心配をしますし、だから優しくしたくなるんです。妹様が傷つけば私たちも傷つきますし、苦しんでいれば自分のことのように辛いです」
「でも、それでも!わたしは、大事にされる程大したやつじゃないのよ!わたしさえいなければ、そもそも苦しむことだってないじゃない。そっちの方がよっぽど幸せじゃない」
「そういう理屈や理由なんていらないんです。私は、私たちは、あなたが好きなんですよ。ただそれだけのことです。それに、妹様がいないほうが断然不幸ですよ。それだけは、いやです」
「なん、で、そんなにやさしいのよぉ……。嬉しいって思ってしまうじゃない。ありがとうって言いたくなるじゃない。ダメなのよ、そう思ってしまっては。わたしなんかじゃ、ダメなのよ……」
それ以上はなにを言っていいか分からず、わたしは泣き崩れてしまった。
哀しいのか嬉しいのか、泣いても泣いても分からなかった。
「妹様は優し過ぎるんです。もっと私たちに迷惑をかけていいんです。私たちを頼ってください。妹様自身のことを嫌いにならないであげて下さい。時には、全部投げ出したっていいんです。でも、妹様は愛されているということを忘れないでくださいね。どんな妹様だって、私たちは大好きですから」
そう言いながら、美鈴は左手を差し出してきた。
「ほら、顔を洗いに行きましょう。私も具合が悪くなってきて、もう戻りますから」
この手を掴んでもいいのだろうか。頼ってしまってもいいのだろうか。
折れた右腕が視界に入って、手を伸ばすのをためらった。
けれど、美鈴の言葉を思い出して、信じてみたいと思った。
今度こそ好意で答えたいと、そう強く思い直して、わたしは手を掴んだ。
ひどく安心できる、やさしい手だった。
***
おまえなんかいらない、と『フランドール』が言った。
喜びながら、怒りながら、楽しそうに。
『わたし』は、そうだね、でも、そうじゃないんだよ、と答えた。
わたしは、わたしを好きでいてくれるみんなを信じたい。その好意に、わたしなりの好意で答えたいの。
そう答えた。もう、哀しくなどなかった。
自分を、みんなを、愛してみたいと思った。
おまえは狂ったままだよ、と指を差された。
いつかダメになるんだよ、と指を差された。
なにも解決はしてないよ、と指を差された。
でも、それでも、わたしはわたしときちんと向き合うわ。
みんながわたし以上に、わたしと向き合っているんですもの。
そう答えると、『フランドール』は何も言わずにすぅっと消えていった。
なぜか、そんな『フランドール』ですら愛しいと思える自分がいた。
哀しさは、初めからなかったかのように、すっかりと消えていた。
わたしはわたしが好きではない。
破壊的で、嗜虐的で、感情的で、短絡的で、自己中心的なのがわたしだ。
こんなやつ、誰だって嫌いになるだろう。わたしだってそうだ。
まして好きになるなんて、気でも狂っているんじゃないか。どうかしている。
狂っている。そう、狂っている。わたしは、狂っているのだ。
自分でも自覚している。周りだって分かっているはずだろう。
だからわたしは、普段から閉じこもっている。
先日、絵を描いた。急に描きたくなって、思い付きのまま狂ったように勢いだけで描いた。
真っ赤な森が、わたしの前に完成した。自室の壁は、赤で塗りつぶされた。
その場の思い付きだったから、絵の具なんてものは最初から無い。けれど特に問題はなかった。
自分の血で絵を描いた。真っ赤な森を描いた。壁は、赤く紅く赤黒く紅黑く、わたしの色で染まった。
左腕を根元からちぎって、噴き出した自分の血で森をつくった。
葉っぱと幹で色の濃淡をつけるように、幹の部分に何度もちぎった腕をこすりつけた。
途中で左腕だけでは足りなくなって、左脚も膝当たりから手折った。再び、部屋中に赤と紅が飛び散った。
骨が飛び出していて邪魔くさく、バランスも取りにくくなったが、気にはならなかった。
どうせ身体なんてすぐに元通りになるのだし、なによりも、絵具の色が足りないことの方が気がかりだった。
そうしてわたしは、絵を描いた。病的なまでに濁り切った、ドロドロのなにかで壁は埋め尽くされた。
そこでふと我に返った。なんだか左半身が熱いし痛い。部屋は不思議と血生臭く、体中がべとべとする。
確認してみると、左腕と左脚がなくて肉片と血が壁中に飛び散っている。
なんだこれ、なんなんだこれ。だれがやったの。だれ、だれだれ、だれなの。
そう思ったけれど、すぐに自分の仕業だと思い出して、頭の中が気持ち悪さでいっぱいになった。
またおかしくなってしまった。また壊してしまった。また壊れてしまった。また狂ってしまった。
これのどこが森に見えるのだろうか。そもそも色からして違う。
腐った臭いがするような、ただただ不潔な、そんな印象の壁だった。断じて森ではない、ましてや絵ですらない。
膨れ上がった自己嫌悪が一斉にこみ上げてきて、わたしの感情はぐちゃぐちゃに潰された。
いつの間にか左半身は元通りになっていて、そんな都合のいい自分が嫌いで嫌いで仕方がなかった。
そのあと、運悪くお姉様に見つかってしまった。
ベタついた血だらけの体でいるのが嫌で、体を洗いに行こうとして、その途中で出くわした。
お姉様は一瞬ビックリしたような表情をしたあと、わたしに鬼気迫る勢いで状況を聞いてきた。
『おい、おい、大丈夫か、何があった。なんで、どうして、こんな……』
そんなことを尋ねながら、わたしの体の無事を確かめるように何度も何度も触れてきた。
けれど、わたしは何も言えなかった。自分の身体を引きちぎって遊んでました、なんて言えるわけがない。わたしは黙りこむしかなかった。
そうやって俯いたまま黙りこんでいるわたしをみて、お姉様はすっと抱きしめてきた。
『痛くはなかったか、苦しくはなかったか。ごめんなさいね、私がもっとしっかりしていれば。ごめんなさい』
そう言ったお姉様の方が何倍も痛そうで、何十倍も苦しそうだった。
お姉様は何も悪くはないのに、わたしに謝り続けた。繰り返すように何回でも謝り続けた。
わたしは何を言っていいか分からずに、お姉様の腕の中で、いっそう深く俯くことしかできなかった。
お姉様を傷つけてしまうくらいなら、わたしなんていらない。いなくなってくれ、そんな言葉を頭の中で吐き続けた。
それから、お姉様は咲夜を呼んでくると言って、休憩中の美鈴をわたしに付けていなくなった。
美鈴はわたしと視線を合わせるようにしゃがんで、お姉様と同じようにわたしの心配をした。
『大丈夫ですよ、妹様。吸血鬼に血はつきものですからね。お嬢様もよくこぼしてますし』
そう言う美鈴もやっぱり、自分が傷ついたような、苦しむような表情で心配をするのだった。
やめてほしかった。そんな顔をしてほしくなどないし、心配される価値なんてわたしにはない。
こんな、こんなやつ。勝手に狂って、自分の都合で壊して、救いようのないほど壊れているやつなんて。
わたしがおかしくなるたび、お姉様は、まるで自分が傷付けられたかのように、わたしを心配した。
その度、わたしを安心させようとして、わたしよりも遥かに苦しんだ。
そうさせる自分が嫌で嫌で、けれどわたしにはどうしようもなくて、遣り切れなさだけが増していった。
わたしなんていらない。わたしさえいなければ、お姉様もみんなも苦しまなくていい。
『さあ、体を洗いましょうよ。全身血だらけじゃないですか』
だから、そんな美鈴の気遣いも、わたしは素直に受け取ることができなかった。
美鈴は手をわたしの方へ差し出してきた。
その好意が、わたしにはひどく不釣り合いなもののようで、思わず手をはねのけた。
ボキン、とひとつ鈍い音がした。
美鈴の片腕は肘から、ぐにゃりと大きく歪んでいた。
わたしはなにが起こったのか、最初は分からなかった。
けれどすぐに、美鈴の声にならない痛みを聞いて、またわたしのせいだと思い知った。
力をいれたわけでも能力を使ったわけでもない。わたしはただ、美鈴にすこし触れただけなのに。
それなのに、こんな、こんなのは。どうして、わたしは、こんな。
もう美鈴を見ることすらできなかった。
取り返しのつかないことをしてしまった気がして、わたしはその場から逃げ出してしまった。
みんなといてはダメだ。ここにいてはダメだ。わたしがかかわってはダメだ。
そんな考えで頭の中がいっぱいになって、視界はグラグラと不安定に揺れていた。
それでも足は自然と地下室へ向かっていた。それだけが救いだった。
美鈴の好意に、私は敵意で答えて、あげく傷付けた。
怖くなって逃げ出して、気遣うことすらしなかった。
考えれば考えるほど、自分が嫌で嫌で仕方がない。今すぐにでも消えてしまいたかった。
そうしてわたしは地下に逃げた。
冷たい鉄の扉が、ごぉんと音を立ててゆっくりと閉じていく。
その頑丈そうな扉が、やけに壊れにくそうにみえて、皮肉だなと自嘲した。
***
おまえなんかいらない、と喜びながら『フランドール』が言った。
おまえなんかいらない、と怒りながら『フランドール』が言った。
おまえなんかいらない、と楽しみながら『フランドール』が言った。
わたしなんかいらない、と哀しそうに『わたし』は答えた。
三人の『フランドール』が、『わたし』を指さして口々に話している。
おまえなんかいなくなってくれ、とニコニコ喜びながら。
おまえのせいじゃないか、とキッと睨んで怒りながら。
おまえさえいなければ、とクスクス楽しそうに。
わたしはただただ哀しくて、そうだね、そうなんだよね、としか言えなかった。
わたしさえいなければ、お姉様は苦しまなくてすむ。美鈴だって傷つくことはなかった。
いつかパチュリーを壊してしまうかもしれない。咲夜を殺してしまうかもしれない。
それが怖くて、そうさせるわたしが怖くて、でもわたしにはそれをどうすることもできない。
誰かを頼ることは駄目だ。壊してしまうかもしれないから。
心配をかけることも駄目だ。そうしてもらうほどの価値はわたしにはない。
わたしは紅魔館のみんなが好きだ。
お姉様が好きで、美鈴が好きで、咲夜が好きで、パチュリーが好きで、小悪魔が好きだ。
このひとたちに笑っていてほしいと思っている。幸せでいてほしいと願っている。
だから、わたしはみんなといるべきではないのだ。
傷つけて、苦しませて、壊してしまうようなわたしなんかは。
三人の『フランドール』は、いつまでもわたしを罵倒し続けている。
わたしはもう哀しむことすらやめて、黙ってそれを聞いた。
その言葉一つ一つがどうにも否定できなくて、逃げるように部屋の隅で膝を抱えて目を閉じた。
しん、と静まり返った部屋の中で『フランドール』の声だけが、重たく響いた。
***
どのくらい時間が経ったかは分からない。
いつの間にか『フランドール』は消えていて、わたしはこの部屋にポツンと一人だった。
けれどすぐに、誰かが部屋に入ってくる気配がして、わたしは思わず顔を上げた。
美鈴だった。
右腕を包帯で何重にも包んで、首から下げて固定している。
一見なんでもなさそうな表情をしているけれど、明らかに顔色が悪い。
額にはいくつも脂汗が浮かんでいて、痛みに苦しんでいることがわかった。
それでも笑顔を向けてくるその姿が、あまりにも痛々しくて、直視などできなかった。
「なん、で。なんで、きたのよ」
「妹様とお話がしたくなりまして。謝りたいこともありましたし」
「なにを謝るっていうのよ!美鈴はなにもしてないじゃない!わたしが、わたしが……」
「いいえ、私の気遣いが足りませんでした。すいませんでした」
そう言って美鈴は頭を下げた。
わたしが悪いのに。わたしが傷付けたのに。
それでも謝る美鈴を見て、訳も分からずに怒鳴り散らした。
「……っ、気遣いならしてくれたじゃない。心配だってしてくれた。なんなの、いったいなんだっていうの」
「んー、なんですかねぇ。ああ、ほら、好きな人には優しくするじゃないですか。それですよ」
「……なんで、なんでわたしに優しくするの。お姉様も、美鈴も。こんなわたしなんて、嫌われて当然じゃない!こんなにおかしくて、壊れているわたしのどこに優しくする価値があるっていうのよ!自分で自分を壊して、美鈴も壊そうとして。次はほんとうに殺してしまうかもしれないのよ!?それだけは、いや。いやなのよ……」
わたしは怒鳴りながら泣いていた。
遣り切れなさや淋しさや理不尽さが、一斉にわたしの中からあふれ出た。
そんなわたしを見て、美鈴はわたしに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「壊れていたって、おかしくたって、それが妹様を好きでなくなる理由にはなりません。私も、お嬢様も、皆もです。あなたは好かれています。あなたは愛されています。だから心配をしますし、だから優しくしたくなるんです。妹様が傷つけば私たちも傷つきますし、苦しんでいれば自分のことのように辛いです」
「でも、それでも!わたしは、大事にされる程大したやつじゃないのよ!わたしさえいなければ、そもそも苦しむことだってないじゃない。そっちの方がよっぽど幸せじゃない」
「そういう理屈や理由なんていらないんです。私は、私たちは、あなたが好きなんですよ。ただそれだけのことです。それに、妹様がいないほうが断然不幸ですよ。それだけは、いやです」
「なん、で、そんなにやさしいのよぉ……。嬉しいって思ってしまうじゃない。ありがとうって言いたくなるじゃない。ダメなのよ、そう思ってしまっては。わたしなんかじゃ、ダメなのよ……」
それ以上はなにを言っていいか分からず、わたしは泣き崩れてしまった。
哀しいのか嬉しいのか、泣いても泣いても分からなかった。
「妹様は優し過ぎるんです。もっと私たちに迷惑をかけていいんです。私たちを頼ってください。妹様自身のことを嫌いにならないであげて下さい。時には、全部投げ出したっていいんです。でも、妹様は愛されているということを忘れないでくださいね。どんな妹様だって、私たちは大好きですから」
そう言いながら、美鈴は左手を差し出してきた。
「ほら、顔を洗いに行きましょう。私も具合が悪くなってきて、もう戻りますから」
この手を掴んでもいいのだろうか。頼ってしまってもいいのだろうか。
折れた右腕が視界に入って、手を伸ばすのをためらった。
けれど、美鈴の言葉を思い出して、信じてみたいと思った。
今度こそ好意で答えたいと、そう強く思い直して、わたしは手を掴んだ。
ひどく安心できる、やさしい手だった。
***
おまえなんかいらない、と『フランドール』が言った。
喜びながら、怒りながら、楽しそうに。
『わたし』は、そうだね、でも、そうじゃないんだよ、と答えた。
わたしは、わたしを好きでいてくれるみんなを信じたい。その好意に、わたしなりの好意で答えたいの。
そう答えた。もう、哀しくなどなかった。
自分を、みんなを、愛してみたいと思った。
おまえは狂ったままだよ、と指を差された。
いつかダメになるんだよ、と指を差された。
なにも解決はしてないよ、と指を差された。
でも、それでも、わたしはわたしときちんと向き合うわ。
みんながわたし以上に、わたしと向き合っているんですもの。
そう答えると、『フランドール』は何も言わずにすぅっと消えていった。
なぜか、そんな『フランドール』ですら愛しいと思える自分がいた。
哀しさは、初めからなかったかのように、すっかりと消えていた。
と、言うのは置いといて。
前作、前々作から読んでると、美鈴とフランの距離が近づいているような気がします。
ただ、前半のグロ描写に嫌悪感を覚える人も居るかもしれません。
私は全然OKです。元々、妖怪は人食いですからね。
今後も、めーフラが読みたいですと思う今日この頃。